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昔テレビで観て感動したの思い出しました。このあと違う役者さんたちの転校生も観ましたが、しっくりこなかったな。この二人が最強過ぎて、
こんな名作はもう生まれないだろうね。
1981年7月12日(日曜日)に15歳を迎えた一美は、本年2024年7月12日で「58歳」になりました。一美の生年月日は、歌手の渡辺美里さんと同一の「1966年7月12日」です。「7月12日の日曜日」というのは、小津安二郎監督の映画「東京物語」のラストシーンに映り込んでいる「尾道市立筒湯小学校」の教室にあった暦と関係があります。私は、この事実に40年以上気づきませんでした。香川京子さんが演じた平山京子先生の背後にあるのが「1953年7月の暦」ですから、その月の12日が何曜日であるのか確認してみてください。これと同じことが「時をかける少女」に再び起きます。
この二人を見出した大林さん素晴らしい!
小林聡美さんが演じた斉藤一美の15歳の誕生日が「1981年7月12日(日曜日)」に設定された理由をご存知でしょうか。私は、映画「転校生」の劇場公開から40年以上その理由がまったく理解できませんでした。少しだけ話題が逸れますが、私は、初めて「タイル小路」を訪問した時にたいへん驚きました。その理由は、映画「時をかける少女」で原田知世さんが演じた芳山和子が1983年4月に元気に高校へ通った「タイル小路」のわずか10メートル先に、な、な、なんと「福善寺」があったからです!小津安二郎監督の映画「東京物語」の中で「福善寺」は1953年7月に「平山とみ」の葬儀が執り行われた寺院だったのです。案の定、「7月12日(日曜日)」というのは「東京物語」と直接的な関係があったのです。「1953年7月の暦」と「1981年7月の暦」は同じ曜日配列だったのです。香川京子さんが演じた平山京子先生が筒湯小学校の教室の窓から汽車を見送る場面を注視してください、驚きますよ。
大好き…と同時に時の流れの寂しさと切なさで胸が締め付けられる作品。
尾美としのりさん、小林聡美さん、お二人とも後々まで役者さんをやられているのが納得です。異性を演じるコト…しかもなかなかの際どいやり取りもあって、大変だったと思います。最後の方になると尾美くんの可愛らしさ、聡美さんの逞しさが当たり前になって、正常な2人に戻った時には「なんか違う」と感じるほどでした(笑)
映画の中で中身男子の役の小林聡美は、胸も見せていた。よっぽど覚悟がいりましたね。
@@coo2661 常盤貴子の方が立派。
高校生の時に映画を観て尾道市を知り、その美しい風景に魅せられて友達と一緒に夏休みを利用して訪れました。撮影された場所を探索し、見つけては喜んだり、写真を撮ったり、今でも良い思い出です。個人的には、大林宣彦監督の中では最高の作品です。
「タイル小路」わきの民家の敷地は、今は部外者立入禁止です。
この頃の尾道行ってみたかったです😭
尾道3部作、今観てもそれぞれの時代に合った表現をし映像化した大林宣彦監督の凄さを感じます。
松任谷由実さん作曲の「時をかける少女」の2番の歌詞は、原田知世さんが演じた「芳山和子」の視点で描かれたものではありません。私は、ずっとずっと不思議に思っていました。だって、「芳山和子」の足がもつれてもつれて会いたい人に会えなかった場面なんて映画の中には存在しなかったからです。で、私は、ある時、それが木下惠介監督の映画「二十四の瞳」のワンシーンと関係があることに気づきました。信じてもらえないかもしれませんが、2番の歌詞にある「時をかける少女」というのは、高峰秀子さんが演じた大石先生が修学旅行先の大衆食堂で偶然出会った「まっちゃん」こと川本松江の視点で描かれたものです。映画「二十四の瞳」には、白黒映像の「菜の花」と「桜の花」が現れます。木下監督の「まっちゃん、大石先生、田村先生の立ち位置」と大林監督の「芳山和子、立花先生、福島先生の立ち位置」が真逆になっていたことにお気づきでしょうか。福島先生着用のネクタイについて、芳山和子が誉める場面のことです。「立花先生の嬉しくて嬉しくてたまらない心情」は、「まっちゃんの悲しくて悲しくてたまらない心情」と真逆の感情であったため、大林監督は、その場面を立花先生を演じた根岸季衣さんの背後から撮影しています。映画「時をかける少女」のストーリーは1983年の物語ですが、1954年公開の映画「二十四の瞳」のその場面のストーリーは1933年の物語です。なんと1986年劇場公開の映画「彼のオートバイ、彼女の島」の配役がその答えを導き出すためのヒントになっていたのです。「1933年の物語」→「1983年4月16日の物語」→「1994年4月16日の物語」ときたので、次は、「2033年の物語」のはずです。映画「時をかける少女」のエンドロールの最後を注意深く観察してみると、原田知世さんの背後に「未開花の桜」が映し込まれています。
40年以上前にこの映画をテレビで観て、小林聡美さんと尾美としのりさんのファンになりました。今この「劇場予告篇」を初めて見たのですが、とてもなつかしくなり、涙が出そうになりました。ストーリーも素敵だし、役者さんたちも素晴らしいし、尾道もステキだし、流れる曲もイイし、そして昭和の町並みや家の造り等が懐かしいし…という作品に関する感動と、一瞬ですが、ふとあの頃の感覚を取り戻したかのような気持ちになり、『あぁ、私にも10代の頃があったよねぇ~』としみじみ感じたら涙が出そうになったというわけです。
尾美としのりさん、小林聡美さんの演技の素晴らしさ。過去にドラマ化されたけど、この映画が一番最高に良かった☺️
ラストシーンに注目してください。一美の背後に「仁井時計店の看板」が、一夫の背後に「浄土寺山」が映し込まれていますよね。これは、小津安二郎監督の映画「東京物語」のオマージュです。
小林聡美さんが演じた斉藤一美がトラックを追い駆けて向かっている先は、なんと「斉藤一夫の家」です。ロケ地へ行ってみるとすぐわかります、その地理的不自然さに多くの人が戸惑うはずです。しかし、これは、大林監督とそのスタッフが意図的に仕組んだことです。一美が駆け出した地点は、なんと1953年11月3日劇場公開の映画「東京物語」のオープニングシーンのロケ地でもあります。つまり、ラストシーンには「時間と空間の無限ループ」が意図的に仕組まれていたということなのです。
この二人の演技の凄さ!
ラストシーンで二人の背後に映り込む景色に注目してください。尾美としのりさんの背後に「浄土寺山」が映り込むのは、1953年11月3日劇場公開の映画「東京物語」のラストシーンのオマージュです。原紀子さんが演じた平山紀子が東京へ帰るために乗車した汽車のはるか先に「浄土寺山」が映り込みます。そのロケ地は、国道2号線長江口交差点そばの福善寺であり、茶房「こもん」から徒歩4分です。
一方、小林聡美さんの背後には「仁井時計店の看板」が映り込みますが、これも「東京物語」のオマージュなのです。小津安二郎監督が1953年8月に撮影した「東京物語」の冒頭シーンに映り込むのが「栗吉材木店の看板」です。「仁井時計店の看板」が選ばれた理由は、平山紀子が亡夫の父である平山周吉から受け取ったのが「とみの腕時計」だったからです。小林聡美さんが演じた一美がトラックを追い駆けて走り出した場面のロケ地は、1953年8月当時「栗吉材木店の看板」があった地ですが、実はその先には、つい先ほど出発したはずの「斉藤一夫の家」があります。初めてロケ地を訪問した人は、その空間的違和感を覚えることでしょう。しかし、これは意図的な演出だったのです。ロケ地を実際に歩いてみると、誰でも簡単に「時間と空間の無限ループ」を味わうことができます。
@@mizusawa-hidenari すごい!。大林監督のこだわりと映画愛ですね。今の技術で映像をクリアにして、もう一度観たいなあ。
@@Shinji-Nukaga 映画「時をかける少女」にも出演した尾美としのりさんですが、彼は、同映画の中で「ションベンに行って来る」と三度も告げます。なぜでしょうか。実は、映画「東京物語」には尾道市久保三丁目に実在する「竹村家本館」での食事の場面がありますが、その最中、用を足しに席を外したのは笠智衆さんが演じた平山周吉です。また、その娘である平山京子を演じたのは香川京子さんで、彼女は、同市立筒湯小学校に勤務する教師という設定でした。京子先生は、映画の中で三度出勤しますが、それぞれの場面で「行って来ます」と告げるのです。
高校生です。この映画、印象の残り具合がすごいなんか色々衝撃的で忘れられないハチャメチャなのに切ない。大林監督のお家にあったクラシックのレコード胸をきゅんとさせます。小林聡美のおらおら掃除っすっからどけよォみたいなセリフが好き笑さまになってるなぁと思う
その場面の撮影が行われた教室は、1991年劇場公開の映画「ふたり」のロケ地にもなりました。奈美悦子さんが教師役で、実加、真子、万里子が通う学校の教室とされました。ちなみに「斉藤一美の家」は、「ふたり」では「前野万里子の家」です。オーナーだった弓場さんは、2021年12月に売却してしまいました。その結果、「一美の家」の庭に存在していた美しい松の木々は、2022年GWごろに新所有者の手によって伐採されてしまいました。
瑞々しい青春映画の代表。大林監督に文字通り思春期の一瞬を切り取られた尾美としのりさん、小林聡美さんの可愛くて美しいこと。何度観てもラストシーンのなんとも言えない切なさが胸を抉る。
@user-sy6yx9gh6h 詳しい情報ありがとうございます小津監督作品との共通点は初耳です。自分にとって旧尾道三部作は永遠のフェイヴァリットムービーです。つい5年前に尾道の撮影に使われた住宅地のビー玉の道を見に行きましたが今は高齢化で住む人がいなくなり廃屋だらけでした。知世さんの家も今は更地になっててよく確認できず。時の流れはまさに埋めようのない喪失感なんだなと感じてしましまいます。転校生のお寺の階段は健在でした。
気づきましたか、斉藤一美がトラックを追い駆けて走り出した地点が1953年11月3日劇場公開の映画「東京物語」のオープニングシーンのロケ地であったことに。そこは、1953年8月当時、「栗吉材木店の看板」があった場所です。一美を演じた小林聡美さんの背後に「仁井時計店の看板」が、一夫を演じた尾美としのりさんの背後に「浄土寺山」がはっきりと映し込まれているのは、小津安二郎監督の「東京物語」に対する敬愛の念を示すものです。また、一美の15歳の誕生日が「7月12日(日曜日)」であったことも、実は映画「東京物語」に直接的な関係があったのです。香川京子さんが演じた平山京子先生の背後にあるカレンダーにどうぞ注目してください。授業中の京子先生が腕時計を気にしながら、「尾道市立筒湯小学校」の教室の窓から汽車を見送るシーンです。教室の黒板に掲げてあった「1953年7月の暦」は、なんと「1981年7月の暦」と曜日配列が同一だったのです。そういえば、映画「時をかける少女」にも黒板わきのカレンダーが映り込んでましたよね。1983年4月18日(月曜日)の朝、津田ゆかりさんと原田知世さんが会話する場面で。
アニメの君の名はを見て真っ先に転校生を思い出しました。
自分の先輩は君の名は観て「大林監督に謝れって感じや」と言ってました(笑)本当に世界観や青春感がまんまですね。新海監督も世代だったんでしょうね。
堂々とパクりやがってな。
NHKドラマの「さよなら、私」はタイトルからして完全オマージュ
小学生の時にテレビで何度も再放送されていて、この映画大好きです。この映画をきっかけに尾美としのりさんのファンになりました。
みずみずしい、大傑作の予告編ですね。大林宣彦監督の最高傑作だと思います。ありがとうございます。
この印象が強くて今でも尾美としのりさん見ると転校生思い出す。25ぐらいの時尾道のあの階段を訪れました。
長江一丁目の「タイル小路」へも行きましたか。映画「東京物語」には、平山とみの葬儀が執り行われたことになっている寺院があるのですが、「福善寺」と「タイル小路」は隣り合う土地です。御袖天満宮の階段上からよく見えるはずです、「福善寺」と「タイル小路」の位置関係が。
「廃市」で一目惚れ、それから「やっぱり猫が好き」で再開してギャップに衝撃、でもそこから「三毛猫ホームズシリーズ」「鍵師シリーズ」等を見まくった。「好きなタイプは小林聡美」というとクラスメートに「ええ〜?」と言われたが、アイツラが見る目が無かったことは時代が証明した。
尾道を日本トップクラスの有名地にした偉大な作品
大林監督は、1982年4月17日劇場公開の映画「転校生」のラストシーンを海岸通りで撮影しています。初めて「斉藤一夫の家」の前へ行った時、驚きませんでしたか。小林聡美さんが演じた斉藤一美は、「斉藤一夫の家」の前を出発したトラックの後を追って国道2号線を福山方面へ向かって走っていったはずなのに、実は、海岸通りを「斉藤一夫の家」へ向かって走っていたからです。大林監督は、「転校生」のラストシーンを1981年に撮影したのですが、小林聡美さんの背後にあった「目には見えないもの」を意図的に自身のフィルムに記録していたのです。「目には見えないもの」というのは、1953年8月当時の小津安二郎監督と東京物語撮影クルーの姿です。信じられないと思いますが、小津監督が「東京物語」のオープニングシーンを撮影した同一地において、大林監督は、その真逆のアングルでもって「転校生」のラストシーンを撮影していたのです。
ラストのシーンが胸がキュンと締めつけられたような…なんとも言えない気持ちになった、印象深い良い映画でした。
2人とも、こんな若い頃から演技が上手かったんですね。観たくなりました。
難しいでしょうね
雰囲気がノスタルジックでほんと好き❤
ほんとそれ。私の中ではノスタルジックという言葉から真っ先に連想されるのがこの映画です。
もう遠い昔、尾道三部作が好きでバイクで福岡から尾道まで走ったなあ。この時の小林さん可愛いかった。ほらって言って惜しげもなく胸さらけ出すシーン、そして最後のバスを追い、くびき引き返すシーン。さよなら俺、さよなら私
「バス」でなく、「引越し屋のトラック」ですね。違法な便乗同乗ですけどね。一美が駆け出す場面のロケ地は「おのみち映画資料館」と「尾道市公用車駐車場」の辺りであって、そこは小津安二郎監督が1953年8月に撮影した「東京物語」冒頭シーンのロケ地でもあります。そして、一美は、なんとつい先ほど出発したはずの「斉藤一夫の家」へ向かって海岸通りを走っているのです。これは、大林監督とそのスタッフが考え出した意図的なものであって、ロケ地を実際に訪問する人が「時間と空間の無限ループ」を味わうことができるよう仕掛けられた特別な贈り物なのです。ちなみに、一夫が助手席側の窓からカメラを取り出して一美の姿を撮影し始めた地点のロケ地は「料亭旅館魚信」の前であって、そこは新藤兼人監督が1960年に撮影した「裸の島」のワンシーンのロケ地でもあります。邦画2大監督のロケ地を意識して撮影されたものなんですよ、「転校生」のラストシーンは。
返信ありがとうございます。今NHKのドラマ団地の二人を見ていますが、時の流れを感じながら小林さん見て転校生、さびしんぼの頃の小林さん思い出したりしています。
@@権藤松広 尾美としのりさんが映画「時をかける少女」で演じた堀川悟朗が不自然に3回も「俺ションベンに行って来る。」と言うのをご存知ですか。御袖天満宮の階段下で小便を垂れた斉藤一夫を演じたのが尾美さんであったことも理由の一つであるとは思いますが、どうして「3回」も言う必要があったのでしょうか。実は、これは小津安二郎監督の「東京物語」のパロディー系オマージュなんです。「笠智衆さんが演じた平山周吉がトイレへ行くこと」と「香川京子さんが演じた平山京子が勤務先の筒湯小学校へ出勤する場面」の複合系パロディーなんです。「東京物語」には繰り返し「行って参ります」というセリフが3つの異なる場面に現れますが、冒頭シーンで香川京子さんのセリフは3回連続で「行って参ります」が出てきます。
なんの取り柄もない私ですが、本作品とルパン三世カリオストロの城を劇場公開の時に自分で選んで観に行ったことが唯一ちょっとだけ誇れることです。あの頃の甘酸っぱい思いが蘇ります。
こういう映画を4Kリマスター上映してほしいですね。
逆にリマスターしない方が良い。時代の雰囲気が損なわれる。
@@kwtm00どうせなら高画質の方がいいっしょ
@@ptjmd0721 両方の意見があるな私は、リマスター派
転校生、さびしんぼう、時をかける少女、レンタルビデオ屋で借りて、大学のみんなで見たなあ。ちょっと不思議な青春、衝撃だった。大林さん、ありがとう😊
青春デンデケデケデケもイイですよ!
気づきましたか、「時をかける少女」の2番の歌詞は「1983年の世界の芳山和子」の視点で描かれたものでなく、「1933年の世界の川本松江」の視点で描かれたものであることに。1986年劇場公開の映画「彼のオートバイ、彼女の島」がそのヒントでした。
尾道とトロイメライがとても懐かしく情緒的でした。かずみちゃんの家がお金持ちでお母さんが丁寧に娘を育てているとこ、おやつの焼きおにぎり、かずおくんが煮物を蓋開けてパクっと食べる所とかちょっとしたシーンが大好きでした❤
「斉藤一夫の家」の前にあった赤い郵便ポストは撤去されてしまいました。私は2022年6月10日に現地へ行ってそのことを知り、たいへん悲しく感じました。(本当は、一美が転校してきた日からちょうど40年目に当たる2021年6月10日に行きたかったのですが、菅義偉、小池百合子、吉村洋文らド素人どものデタラメ無分別な政治主導のおかげで、私は県外旅行を自粛させられました。)「転校生」のラストシーンで、一美は「斉藤一夫の家」の前を出発したトラックを追い駆け、国道2号線浄土寺下交差点を福山方面へ向かって走ったことになっていますが、その場面は「尾道市本庁舎」の前の海岸通りで撮影されています。一美を演じた小林聡美さんは、なんと海岸通りを「斉藤一夫の家」へ向かって走っているのです。一夫を演じた尾美としのりさんの背後に「浄土寺山」が映り込みますが、それは「東京物語」のワンシーンのオマージュです。また、一夫が助手席側の窓からカメラを取り出して一美の姿を撮影し始めた場面のロケ地は「料亭旅館魚信」の前ですが、そこは新藤兼人監督の映画「裸の島」のロケ地でもあります。一美を演じた小林聡美さんの背後に「仁井時計店の看板」が映り込むことも「東京物語」のラストシーンと直接的な関係があります。
大林宣彦監督関連の作品は「おのみち映画資料館」の中に展示されていません。しかし、同資料館正面玄関前は、1953年8月、小津安二郎監督が映画「東京物語」のオープニングシーンを撮影した地であり、1981年8月、大林監督が映画「転校生」のラストシーンを撮影した地です。尾道市は、どういうわけかこの事実を一般に公開していません。「転校生」のラストシーンは、意図的に「東京物語」のオープニングシーンへと繋げられているのです。「斉藤一夫の家」の前を出発したトラックを追って行く一美ですが、その先にはなんと「斉藤一夫の家」があるのです。大林監督とそのスタッフによって「時間と空間の無限ループ」が意図的に仕組まれていたのです。2つの年(1953年と1981年)の8月の暦を見比べてみてください。曜日配列が同一です。
こんな予告編があったなんて!昔々にテレビで観て感動したのを思い出します色々あってやっと落ち着いたと思ったら、最後にまたまたどんでん返しで泣いたのを思い出してしまい、今もまた涙がにじんできてしまいます尾道三部作の最初の作品、役者さんもスタッフさんも全力でさつえいしたんだな、と思うくらいの素晴らしい作品だと思います
僕の映画の原点。「さびしんぼう」もそうだけど。尾道の美しい映像、音楽、大林宜彦監督作品は、大事なことをが当時、学生だった私に教えてくれた。ありがとう。大林監督。
懐かしい・・・・また見たい
本当に面白かった映画演技が上手くて本当に逆転してる錯覚を起こしたなぁ
家出した次の日の朝、生口島の瀬戸田港から尾道へ戻る船のシーンは、1960年11月23日劇場公開の映画「裸の島」のワンシーンのオマージュです。
いい映画🎉なかなかフルで流されないんだけど、観たいな〜😢😢
この映画ちゃんとまた見たいよ。
1981年6月10日(水曜日)からちょうど40年に当たる日、私は御袖天満宮の階段へ行く予定でしたが、都知事の小池百合子、府知事の吉村洋文らが党利党略のためにテレ朝の玉川徹らと手を組み、菅義偉ら政府首脳のことを好き放題に煽りまくってくれたおかげで、私は県境を越えた旅行の自粛を事実上強要されました。とんでもない役立たずですよ、菅義偉、河野太郎、小池百合子、吉村洋文らは。
私は、2022年6月10日に「斉藤一夫の家」の前を再訪問したのですが、赤い郵便ポストが根元部分から全部撤去されていました。また、尾道市立土堂小学校校庭そばの「斉藤一美の家」とされた旧Y場邸へも行ってみたのですが、「一美の家」の庭にあった美しい松の木々は、素人の手によって首チョンパされていました。あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛、とっても悲しかったです。ヤフオク、メルカリで5,000円ぐらいでそのDVDを入手することができます。
この映画なんかいいんだよね。この雰囲気今の映画には出せない。
現在は「児童ポルノ」として扱われています。水泳教室が行われた立花海岸の場面で、当時16歳の小林聡美さんのパイオツ全開シーンがあるためです。向島の「立花農協前バス停」すぐそばにある波止は当時のままです。らせん階段のある建物は取り壊されています。
キスシーンが無いのにお互いの気持ちが好きだとわかる
何故かおすすめにでてきました、懐かしい。コメディチックなんだけど最後は切ない感じで面白かったなぁ。
懐かしいなぁ~3部作の中で一番好きでした。
この作品は本当に良かったですね?全編ワクワクしながら拝見いたしました!設定が中学生ってところが、とても爽やかな上、純粋なところもあってよかったなぁ…主役の2人が、とても役にハマってたから映画の素晴らしさが我々にも伝わって、最後は胸が締め付けられるくらい感動した記憶が…さようなら…俺…さようなら…私…日本映画の名作だと思います😊
懐かしいなぁ……。大林宣彦監督の尾道映画は、たしかに僕の青春でした。監督、ありがとうございました。
任谷由実さん作曲の「時をかける少女」の2番の歌詞は、原田知世さんが演じた「芳山和子」の視点で描かれたものではありません。私は、ずっとずっと不思議に思っていました。だって、「芳山和子」の足がもつれてもつれて会いたい人に会えなかった場面なんて映画の中には存在しなかったからです。私は、ある時、それが木下惠介監督の映画「二十四の瞳」のワンシーンと関係があることに気づきました。信じてもらえないかもしれませんが、2番の歌詞にある「時をかける少女」というのは、高峰秀子さんが演じた大石先生が修学旅行先の大衆食堂で偶然出会った「まっちゃん」こと川本松江の視点で描かれたものです。
機動戦士ガンダム哀戦士でこの予告編が流れ、当時小6の私には刺激的で恥ずかしかったです。学校でも話題になった思い出です。
ジャッキーチェンの映画の始まる前だったかなぁと記憶をたどりましたが、ガンダムでしたか!
もうこれだけで泣きそう
この映画はテレビで放送されるたびに見てました。今でも大好きな映画です!いつか尾道にも行ってみたい。
ラストシーンで尾美としのりさん演じる斉藤一夫がトラックの助手席側の窓からカメラを取り出して一美の姿を撮影する場面のロケ地は、久保二丁目の「料亭旅館魚信」の前です。なぜでしょうか。実は、そこは、1960年11月23日劇場公開の映画「裸の島」のロケ地でした。映画監督は新藤兼人さんです。乙羽信子さんと殿山泰司さんが演じた夫婦が鯛を売るためにやってきた尾道の料亭が「魚信」なのです。ちなみに、映画「時をかける少女」でタイムリープ中の芳山和子が長江二丁目の石段で坊主頭の少年二人と出会う場面がありますが、実は、その場面も新藤兼人監督の「裸の島」と関係があります。殿山さん・乙羽さんが演じた夫婦の二人の子である太郎(田中伸二さん)、次郎(堀本正紀さん)のことを思い起こさせるための演出でしょう。
天才・大林監督「尾道3部作」の中でも圧倒的な傑作、のみならず戦後映画史に輝く名作。どれほど賞賛の言葉を重ねても足りないほどの面白さこの予告編もよく出来てるなぁ。個人的に小林聡美の男言葉が大好き数年前、念願の尾道で映画の舞台を巡ったことは忘れ難い思い出。今にも街角から一美と一雄が現れそうで…。2人が入れ替わった御袖天満宮は我が聖地です
斉藤一美がトラックを追い駆けて海岸通りを走る場面に「仁井時計店の看板」が映り込んでいる理由をご存知ですか。「仁井時計店」は腕時計専門店です。尾道、腕時計で思い浮かべるものはなんでしょうか。信じられないと思いますが、大林宣彦監督は、一美の背後に「笠智衆さん、原節子さん、香川京子さん」の見えない姿まで記録しようとしていました。1953年11月3日劇場公開の映画「東京物語」の冒頭5カットのうち2番目の尾道の街の風景には「栗吉材木店の看板」が映り込んでいますが、単にそのオマージュだけではなかったのです。「東京物語のオープニングシーン」のロケ地と「転校生のラストシーン」のロケ地は同一の地なんですよ。ただ、大林監督は、「小津アングル」とは東西真逆の方向から撮影しているので、現地を知らない人がこれに気付かないだけです。どうして「大林アングル」は「小津アングル」と真逆なのか。ななななななななんと、一美の背後に存在したものは「笠智衆さん、原節子さん、香川京子さん」だけでなく、目には見えない「小津安二郎監督と東京物語撮影クルー」の姿だったのです。
映画「転校生」のラストシーンで一夫の背後に映り込むのは「浄土寺山」ですが、その場面も意図的なアングルによって撮影されています。原節子さんが演じた「平山紀子」が蒸気機関車牽引の列車に乗って帰る場面を注視してください。国鉄山陽本線を東京方面へ向かって蒸気機関車が走り去る場面は、尾道市長江一丁目の茶房「こもん」から徒歩3分、福善寺の立体駐車場わきの石段から撮影されたものですが、そこにも「浄土寺山」が映り込んでいます。私は、1991年劇場公開の映画「ふたり」のラストシーンに「松本病院」の建物が映り込んでいることも気になりました。松本病院の正面玄関辺りの地は、1953年8月に小津監督が「浄土寺」と「山陽本線を走行する蒸気機関車」を撮影したポイントだったのです。大林監督は、ここでも、目には見えない「東京物語撮影クルー」の姿を自身の作品に記録しています。
I just finished watching it and immediately liked this film. Very funny, I really like Toshinori Omi here.
懐かしい~~♪ 20代の頃、池袋の名画座で何回観たことか、いつも場内は爆笑の渦だった😄大林映画は我が青春🎥
焼きおにぎりをアルミホイルから出して食べるシーンがかなり日本人に響いたとあの頃は感じてました。自分はまだ小学生だったのでお二人はかなり大人だと思ってロードショーで見てましたね。現代で放送難しいでしょうけど大ヒットするでしょうね。
おすすめに出てきて感激しています高校2年の時に映画館で観てものすごく共感して、その年の修学旅行で尾道を訪れて胸がいっぱいになったことを思い出しますネタバレになっちゃいますが、ラストシーンで小林聡美さんが車の後を走って追いかける姿が切なかったです☺️
気づきましたか、一美を演じた小林聡美さんは、引越し屋のトラックを追い駆けて国道2号線浄土寺下交差点を福山方面へ走って行ったことになっていますが、その直後のシーンは、映画「東京物語」のオープニングシーンのロケ地と同一の地で撮影され、小林聡美さんは、海岸通りをなんとついさきほど出発したはずの「斉藤一夫の家」へ向かって走っています。ロケ地を最初に訪問した時は違和感でいっぱいでしたが、これが意図的な演出であることを知ったときは驚きました。「時間と空間の無限ループ」、それは小津安二郎監督が映画「東京物語」で描いたモチーフでした。
尾美としのりさんが演じた斉藤一夫は、トラックの助手席側の窓からカメラを取り出し、走り寄ってくる一美のことを撮影し始めます。そのロケ地は、海岸通りの「料亭旅館魚信」の前辺りです。そこは、なんと1960年11月23日劇場公開の映画「裸の島」で乙羽信子さんと殿山泰司さんが演じた夫婦が鯛を売るためにやって来た場面のロケ地でもあります。世間の人々によって多くは語られていませんが、映画「時をかける少女」で原田知世さんが演じた芳山和子は、1983年4月17日(日曜日)9:87に目覚めた朝、前日に借りたハンカチを吾朗に返しに行きましたが、和子は、その途中で「二人の坊主頭の男の子」に出会います。これは、映画「裸の島」に登場した太郎、次郎兄弟(演じたのは、佐木島在住の田中伸二さんと堀本正紀さん)のオマージュです。映画「時をかける少女」のクランクアップは1983年4月4日(月曜日)だったそうですが、その日は、なんとNHK朝の連続テレビ小説「おしん」の放映開始日でした。「おしん」の老齢期を演じたのが乙羽信子さんでした。これは、単なる偶然だったのでしょうか。
今年最後の大晦日にとても素敵で興味深いお話が伺えました☺️当時は幼く、一美と一夫に自分や友だちを重ねただけでしたその後、尾道には訪れていませんが、いつかまた機会があればあの頃の自分に戻り撮影地を巡ってみたいです
@@加納智子-d6r 信じ難いことですが、大林監督は、小林聡美さんの背後に目には見えない「小津監督と東京物語撮影クルーの姿」をも自身のフィルムに記録するために「小津アングル」とは真逆の方向から撮影していたのです。それは自分自身のためだけにでなく、「転校生」の視聴者にもその存在を感じてほしかったからなのでしょう。
エンディングが泣ける。甘酸っぱいね。
「トロイメライ」が非常に印象的。さよなら、俺!さよなら私!
小林聡美さんが演じた一美がトラックを追い駆けて走り出した場面のロケ地は、尾道市本庁舎前の海岸通りで、そこは、なんと「東京物語」のオープニングシーンのロケ地です。小津安二郎監督が1953年8月に撮影したのが「東京物語」です。そして、彼女は、つい先ほど出発したはずの「斉藤一夫の家」へ向かって海岸通りを走っています。実際に、ラストシーンのロケ地を訪問した人は、その地理的違和感を覚えるはずです。なぜでしょうか。実は、それは「時間と空間の無限ループ」を意味するものなんです、偶然などではありません。「1982転校生のラストシーン」を「1953東京物語のオープニングシーン」へ繋げ、一美がつい先ほど出発したはずの「斉藤一夫の家」へ向かって一美を走らせたのは意図的な演出でした。大林監督は、その場面で小林聡美さんの背後には「仁井時計店の看板」を、尾美としのりさんの背後には「浄土寺山」を映し込んでいます。完璧です。
これは俺の中で最高の映画だと思う特にラストシーンはなんとも言えない思いがあって今だにこれを超える物は無いでしょう
尾道三部作の最初いい映画でしたね〜この頃の映画は、みんなすばらしいし、切なくなるし、夢があります
これ俺の亡き父ちゃんの母校で撮影されたらしい。少しだけ嬉しそうだった。😊
@@ウルトラ警備員 冒頭の学校はどこでしたか。日比崎中学校でしたか。
これとっても好きな作品でDVDも買いました😊
途中から小林聡美は男に尾美としのりは女にしか見えなかった
だから最後もとに戻ったときはすっごい違和感
本当に入れ替わったかと感じましたね。
めぐりあい宇宙を観に行った時に特報が流れていたのでよく覚えています主演二人の力量が凄かった
名作ですね 夏バテにも まけないで 夏を満喫してくださいね
お疲れ様です。懐かしい系最高です☺️🍂
転校生と言えばこれですが、この25年後にさよならあなた(長野バージョン)でリメイクされ、そちらも感動的でした
最後にお互い元に戻って抱き合うシーンが🎬良いね引越しの時の二人のセリフも好き
一美を演じた小林聡美さんは、引越し屋のトラックを追い駆けて国道2号線浄土寺下交差点を福山方面へ走って行ったことになっていますが、その直後のシーンは、映画「東京物語」のオープニングシーンのロケ地と同一の地で撮影されています。小林聡美さんは、海岸通りをなんとつい先ほど出発したはずの「斉藤一夫の家」へ向かって走っているのです。気づきましたか。これは意図的な演出です。なお、その場面のロケ地は、小津安二郎監督の映画「東京物語」のオープニングシーンのロケ地でもあります。ただ、「小津アングル」とは東西真逆の方向から撮影されているため、それが同一地であることに気づかないだけです。どうして「大林アングル」と「小津アングル」とは真逆なのでしょうか。信じ難いことですが、大林監督は、小林聡美さんの姿とともに、目には見えない「東京物語撮影クルーの姿」も自身のフィルムに記録していたのです。それは、当時15歳の大林宣彦少年が現に見た姿を「転校生」の視聴者にも見てもらいたかったからなのでしょう。
私は、これを憶測で書き込みしているのではありません。1991年5月11日劇場公開の映画「ふたり」のラストシーンもどうぞご覧ください。実加を演じた制服姿の石田ひかりさんは、尾道市東久保町の坂下から現れますが、彼女が現れた地点は、小津監督が「東京物語」のラストシーンで筒湯小学校の旧木造校舎を撮影するためにカメラをセットしたポジションそのものです。また、石田ひかりさんの背後に映り込む「松本病院」ですが、その正面玄関は、1953年8月に小津安二郎監督が「浄土寺」と「山陽本線を走行する蒸気機関車」を撮影するために立っていた場所そのものです。「大林アングル」が「小津アングル」と東西真逆(又は南北真逆)になるのはその目的のためです。映画「東京物語」の冒頭5カットは、大林監督によってすべてオマージュされています。「住吉神社の石灯籠」のオマージュが「西方寺普明閣の石灯籠」のオマージュです。原田知世さんが演じた芳山和子は、「西方寺普明閣の石灯籠」に腰かけてニセの深町一夫と二人でタイムリープとテレポーテーションについて語り合っています。
スクリーンでまた観たいな~
映画館へ観に行きました。懐かしい。最後のシーンの切なさは‥‥😢 ロケ地巡りもバイク乗ってしましたね。尾道3部作‥‥それももう30数年前になるのか‥‥また観たいなぁ‥‥
この後いくつかの『転校生』やモドキが作られましたがこれを超えたと思えたのは皆無
斉藤一美の15歳の誕生日は「1981年7月12日(日曜日)」という設定でした。なぜかわかりますか。実は、1953年の7月12日も「日曜日」でした。映画「東京物語」のラストシーンで、香川京子さんが演じた平山京子先生が尾道市立筒湯小学校木造校舎の窓から汽車を見送る場面をどうぞ確認してみてください。そこに映り込んでいる暦は「1953年7月の暦」であり、なんとその曜日配列が「1981年7月の暦」と同一だったのです。「7月12日」というのは、「東京物語」に登場する平山幸一の長男である「平山實」に関係があります。「平山實」とその弟である「平山勇」は、幸一の急患が現れたため楽しみにしていた東京見物に行けなくなってしまいました。幸一の妻は「次の日曜にでも、また」と周吉に告げましたが、それが「1953年7月12日」のことです。ところが、それが実行されることはなく、周吉ととみは尾道へ帰ってしまったのでした。大林監督のお父様は医師だったので、「實」と同じ立場ですね。「平山とみ」が亡くなった具体的な期日は明らかにされていませんが、大林監督の中では、一美は、平山とみの生まれ変わりだったのでしょう。
尾道三部作は、傑作
今見ても切ないですね当時とかわらず
ほんと最高です!
この映画はほんとう素晴らしかった。多分中学生の時に見たけどあの頃の感動が蘇るね!
この映画役者やストーリーに風景美はもちろん素晴らしいんだけどBGMのクラシック曲がまたマッチしてていいんだわ個人的には一夫 (外は一美) が昼下がりに敬子の家に呼ばれそこで 「タイスの瞑想曲」 が流れるシーンは最高
現実はそんなことは性別思想が入れかわることはないけど、そんな演技をするのは魅了されましたね。印象深い映画でした。
舞台も良かったし、俳優さん達も良かった。大林監督作品はあまり見ないけど、これと「さびしんぼう」は良かった。
当時予告編からは全く伝わって来なかった。本編を観てびっくりした思い出があります。
小林聡美さんはこの時ホントに17.8だったんだよな。それであのオッパイ出し 根性ありますね
今だと児童ポルノ扱いですよね。コンプライアンスクソ食らえ!小林聡美さんの女優魂素晴らしい!
ホントにそう思って観てた、おっぱい出してもイヤらしい感じも無くて、この子根性有るな〜と思ったものだよ
当時は高一、15〜6才でしたね
演技力が超絶で「中身が尾美としのり」すぎてエッチさゼロでしたねw
@@福岡一子 当時15~6才だから普通に考えると難しそうだが、映画だからか芸術だからか転校生のDVDはアマゾンで今でも買える関係ないけど当時12才のブルック・シールズが普通に全裸になってる映画もDVD買えるしレンタルもしてる
数ヶ月前、深夜ドラマで『からかい上手の高木さん』の実写ドラマをやってたけど、『転校生』に負けず劣らず甘酸っぱい作品でしたよ。
懐かしい
この映画のおかげで尾道が有名になった。 幸せの黄色いハンカチと並ぶ名作ですね。。
幼い頃見たこの映画の主演は、どうしてこうも「イマイチなルックスの俳優」ばかり揃えたのだろうと子供心に不思議でしたが、美男美女揃えてたらここまで感情移入できなかったのだろうなあと今になって思います。
だから面白かったね😊
普通の中学生が巻き込まれる「すこしふしぎ」だから、美男美女ではいかんのよ
製作費がたったの100万円だからね
昭和の代表作品ですこれは。尾道3部さくの一つ。大好きな映画でした
0:59現在、この松の木は「根」だけが福山城址公園に残っています。
この前、尾道三部作の一作「時をかける少女」を公式配信で観られましたが、この「転校生」は権利関係で公式配信は望めないでしょうね。当時新聞の小さい映画紹介記事でこれは観に行かなきゃと思った唯一の作品でした。なぜそれだけで観に行こうと思ったのか、中二病なのか😅、たぶん少年ドラマシリーズが好きだったからなんでしょう。「時をかける少女」や「ねらわれた学園」は少年ドラマシリーズでも映像化されましたけど、元ネタ原作「おれがあいつであいつがおれで」は作られなかったけど、2002年に制作されたのは見逃してるかも。地上波放送じゃ見れないし、いつか配信されるのを待ち望んでます。
いい時代でした。
ですねーバブルを境に完全に変わりましたね当時でもノスタルジックな雰囲気の映画でしたが今となってはもうファンタジーですね
尾道3部作の2つは、山中恒氏の原作ですが、彼のNHKジュブナイルドラマの「ぼくがぼくであること」も大好きでした。山中氏のジュブナイル小説が本当にお気に入りです♪
大林は女性を綺麗に撮る天才
1982年春に機動戦士ガンダムⅢを何回か劇場へ観に行ったが、本編上映前に毎回この転校生の予告が流れていたのでよく記憶しとる。でもその当時観たのはこれらとは違うバージョンやった。(小林聡美が鏡の前で乳出してた)また二人よりも年下な自分は、当時はもっと大人に見えたが、今視ると当然ながら子供に見えてしまうわぁ(笑)
小林聡美さんが演じた斉藤一美は、「斉藤一夫の家」の前を出発したトラックを追いかけて走ります。トラックは、国道2号線の浄土寺下交差点を福山方面へ向かって曲がるのですが、その直後の場面は、尾道市本庁舎前の海岸通りで撮影されています。私は、そのロケ地を訪問した時に強烈に地理的な違和感を覚えました。というのは、小林聡美さんが演じた一美は、実は、海岸通りを「斉藤一夫の家」へ向かって走っていることを知ったからです。でも、それが大林監督とそのスタッフによる意図的な演出であると知って納得することができました。実は、小林聡美さんがトラックを追いかけて走り出した地点は、1953年8月当時、「栗吉材木店の倉庫と看板」があった地だったのです。小林聡美さんの背後に「仁井時計店の看板」が映り込むのは、決して偶然などではなく意図的に仕組まれていたことだったのです。「1982転校生のラストシーン」は「1953東京物語のオープニングシーン」へと繋がり、「斉藤一夫の家」の前を出発したはずのトラックが実は「斉藤一夫の家」へ向かって走っていたこと、これが意味するところは「時間的・空間的な無限ループ」だったのです。
VHSのビデオテープ持っていて何回も観た。😊
同じく!大好きでした。おもしろかった~
当時放送中のドラマ「陽あたり良好」に小林さんが出演されていたのでこの映画のネタ(男女入れ替わり)に触れていたセリフがあったような記憶があります。
懐かしいな~。
男も女も、人間だって、思った😅懐かしい😊尾美としのりさん、今もファンです🤩ウッチャンが、パロディでやったのも、面白かった😊「さよなら…オレ❗」
予告編だけど素晴らしい👍
私見ました!!映画館で😂😂
小林聡美めちゃかわいいww猫が好きから遡ってこの映画見たけどずっと変わらないとこが好き
1:35「菜の花や、月は東に、日は西に」この場面は、大林監督の尾道三部作にとって極めて重要な映像です。この場面は、笠智衆さんが演じた平山周吉のセリフ「あぁ、綺麗な夜明けだった。あぁ、今日も暑うなるぞ。」に直接的な関係があります。夕陽が沈む山の形に見覚えがありませんか。新藤兼人監督の映画「裸の島」の背景に映り込んでいた「みはらし連山」の形です。
令和6年になって、【勇気爆発バーンブレイバーン】の予告の、『おれがあいつで、あいつがおれで』と言うセリフでこの映画を思い出すとは思いもよらなかったな(笑目の前にいるのが未来の自分と知らずに接していたり、タイムリープだったり…ブレイバーンを作った大張監督は明らかに尾道三部作をオマージュしてた。
昔、大林宣彦監督の作品は、見たことがあるような気がします。!!小学生時代だったとは、思いますけどね。!!
ある意味、現代に通じるテーマですね…
懐かしいなぁ〜
いいねぇ~、、懐かしいねぇ~
金八に出る前から好きでした 森永のCMハイロング 可愛かった
今年の3月末、横浜赤レンガ倉庫のライブ前に『転校生』のDVDを観たばかりです。Wikipedia記述によると天皇陛下もこの映画がお好き、との事。『一度見始めると朝までぶっ通しで見入ってしまいます。』と読んだ時は小林聡美ファンとしては誇らしい気持ちでした。小林聡美さんは女優になるべくしてなった方ですね。この方がいなかったら、美人女優ばかりがモテ囃されるつまらない映画、ドラマが乱立していた事でしょう。小林聡美さんは映画、ドラマ、そしてCMにしても仕事が途切れませんね。それだけ各方面から必要とされる存在だと思います。
予告だけで名作だとわかる。
音楽、いいですね。
仕事をした対岸が尾美としのりさん演じる一夫の実家設定の所でした。尾道3部作ファンとしては感慨深い物がありましたね。
この映画はよかった👍👍
性別が入れ替わる話だから、見た目から背の高い体格の良い男子と髪の毛の長い清楚系女子の方がわかり易いと思うけど、映画見ると妙なリアリティがあって2人の演技もあいまってビタッとハマってるからすごい。
ジブリの「海がきこえる」や「耳をすませば」を見た時に、あれ?大林映画やん、、って思ったことがあります。もちろんそれを経由して新海さんの映画にも影響を与えてるのでしょう、、
こ、小林聡美!!!すごい
昔テレビで観て感動したの思い出しました。
このあと違う役者さんたちの転校生も観ましたが、しっくりこなかったな。この二人が最強過ぎて、
こんな名作はもう生まれないだろうね。
1981年7月12日(日曜日)に15歳を迎えた一美は、本年2024年7月12日で「58歳」になりました。
一美の生年月日は、歌手の渡辺美里さんと同一の「1966年7月12日」です。
「7月12日の日曜日」というのは、小津安二郎監督の映画「東京物語」のラストシーンに映り込んでいる「尾道市立筒湯小学校」の教室にあった暦と関係があります。
私は、この事実に40年以上気づきませんでした。
香川京子さんが演じた平山京子先生の背後にあるのが「1953年7月の暦」ですから、その月の12日が何曜日であるのか確認してみてください。
これと同じことが「時をかける少女」に再び起きます。
この二人を見出した大林さん素晴らしい!
小林聡美さんが演じた斉藤一美の15歳の誕生日が「1981年7月12日(日曜日)」に設定された理由をご存知でしょうか。
私は、映画「転校生」の劇場公開から40年以上その理由がまったく理解できませんでした。
少しだけ話題が逸れますが、私は、初めて「タイル小路」を訪問した時にたいへん驚きました。
その理由は、映画「時をかける少女」で原田知世さんが演じた芳山和子が1983年4月に元気に高校へ通った「タイル小路」のわずか10メートル先に、な、な、なんと「福善寺」があったからです!
小津安二郎監督の映画「東京物語」の中で「福善寺」は1953年7月に「平山とみ」の葬儀が執り行われた寺院だったのです。
案の定、「7月12日(日曜日)」というのは「東京物語」と直接的な関係があったのです。
「1953年7月の暦」と「1981年7月の暦」は同じ曜日配列だったのです。
香川京子さんが演じた平山京子先生が筒湯小学校の教室の窓から汽車を見送る場面を注視してください、驚きますよ。
大好き…と同時に時の流れの寂しさと切なさで胸が締め付けられる作品。
尾美としのりさん、小林聡美さん、お二人とも後々まで役者さんをやられているのが納得です。
異性を演じるコト…しかもなかなかの際どいやり取りもあって、大変だったと思います。
最後の方になると尾美くんの可愛らしさ、聡美さんの逞しさが当たり前になって、正常な2人に戻った時には「なんか違う」と感じるほどでした(笑)
映画の中で中身男子の役の小林聡美は、胸も見せていた。よっぽど覚悟がいりましたね。
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常盤貴子の方が立派。
高校生の時に映画を観て尾道市を知り、その美しい風景に魅せられて友達と一緒に夏休みを利用して訪れました。
撮影された場所を探索し、見つけては喜んだり、写真を撮ったり、今でも良い思い出です。
個人的には、大林宣彦監督の中では最高の作品です。
「タイル小路」わきの民家の敷地は、今は部外者立入禁止です。
この頃の尾道行ってみたかったです😭
尾道3部作、今観てもそれぞれの時代に合った表現をし映像化した大林宣彦監督の凄さを感じます。
松任谷由実さん作曲の「時をかける少女」の2番の歌詞は、原田知世さんが演じた「芳山和子」の視点で描かれたものではありません。
私は、ずっとずっと不思議に思っていました。
だって、「芳山和子」の足がもつれてもつれて会いたい人に会えなかった場面なんて映画の中には存在しなかったからです。
で、私は、ある時、それが木下惠介監督の映画「二十四の瞳」のワンシーンと関係があることに気づきました。
信じてもらえないかもしれませんが、2番の歌詞にある「時をかける少女」というのは、高峰秀子さんが演じた大石先生が修学旅行先の大衆食堂で偶然出会った「まっちゃん」こと川本松江の視点で描かれたものです。
映画「二十四の瞳」には、白黒映像の「菜の花」と「桜の花」が現れます。
木下監督の「まっちゃん、大石先生、田村先生の立ち位置」と大林監督の「芳山和子、立花先生、福島先生の立ち位置」が真逆になっていたことにお気づきでしょうか。
福島先生着用のネクタイについて、芳山和子が誉める場面のことです。
「立花先生の嬉しくて嬉しくてたまらない心情」は、「まっちゃんの悲しくて悲しくてたまらない心情」と真逆の感情であったため、大林監督は、その場面を立花先生を演じた根岸季衣さんの背後から撮影しています。
映画「時をかける少女」のストーリーは1983年の物語ですが、1954年公開の映画「二十四の瞳」のその場面のストーリーは1933年の物語です。
なんと1986年劇場公開の映画「彼のオートバイ、彼女の島」の配役がその答えを導き出すためのヒントになっていたのです。
「1933年の物語」→「1983年4月16日の物語」→「1994年4月16日の物語」ときたので、次は、「2033年の物語」のはずです。
映画「時をかける少女」のエンドロールの最後を注意深く観察してみると、原田知世さんの背後に「未開花の桜」が映し込まれています。
40年以上前にこの映画をテレビで観て、小林聡美さんと尾美としのりさんのファンになりました。
今この「劇場予告篇」を初めて見たのですが、とてもなつかしくなり、涙が出そうになりました。
ストーリーも素敵だし、役者さんたちも素晴らしいし、尾道もステキだし、流れる曲もイイし、そして昭和の町並みや家の造り等が懐かしいし…という作品に関する感動と、一瞬ですが、ふとあの頃の感覚を取り戻したかのような気持ちになり、『あぁ、私にも10代の頃があったよねぇ~』としみじみ感じたら涙が出そうになったというわけです。
尾美としのりさん、小林聡美さんの演技の素晴らしさ。
過去にドラマ化されたけど、この映画が一番最高に良かった☺️
ラストシーンに注目してください。
一美の背後に「仁井時計店の看板」が、一夫の背後に「浄土寺山」が映し込まれていますよね。
これは、小津安二郎監督の映画「東京物語」のオマージュです。
小林聡美さんが演じた斉藤一美がトラックを追い駆けて向かっている先は、なんと「斉藤一夫の家」です。
ロケ地へ行ってみるとすぐわかります、その地理的不自然さに多くの人が戸惑うはずです。
しかし、これは、大林監督とそのスタッフが意図的に仕組んだことです。
一美が駆け出した地点は、なんと1953年11月3日劇場公開の映画「東京物語」のオープニングシーンのロケ地でもあります。
つまり、ラストシーンには「時間と空間の無限ループ」が意図的に仕組まれていたということなのです。
この二人の演技の凄さ!
ラストシーンで二人の背後に映り込む景色に注目してください。
尾美としのりさんの背後に「浄土寺山」が映り込むのは、1953年11月3日劇場公開の映画「東京物語」のラストシーンのオマージュです。
原紀子さんが演じた平山紀子が東京へ帰るために乗車した汽車のはるか先に「浄土寺山」が映り込みます。
そのロケ地は、国道2号線長江口交差点そばの福善寺であり、茶房「こもん」から徒歩4分です。
一方、小林聡美さんの背後には「仁井時計店の看板」が映り込みますが、これも「東京物語」のオマージュなのです。
小津安二郎監督が1953年8月に撮影した「東京物語」の冒頭シーンに映り込むのが「栗吉材木店の看板」です。
「仁井時計店の看板」が選ばれた理由は、平山紀子が亡夫の父である平山周吉から受け取ったのが「とみの腕時計」だったからです。
小林聡美さんが演じた一美がトラックを追い駆けて走り出した場面のロケ地は、1953年8月当時「栗吉材木店の看板」があった地ですが、実はその先には、つい先ほど出発したはずの「斉藤一夫の家」があります。
初めてロケ地を訪問した人は、その空間的違和感を覚えることでしょう。
しかし、これは意図的な演出だったのです。
ロケ地を実際に歩いてみると、誰でも簡単に「時間と空間の無限ループ」を味わうことができます。
@@mizusawa-hidenari すごい!。大林監督のこだわりと映画愛ですね。
今の技術で映像をクリアにして、もう一度観たいなあ。
@@Shinji-Nukaga
映画「時をかける少女」にも出演した尾美としのりさんですが、彼は、同映画の中で「ションベンに行って来る」と三度も告げます。
なぜでしょうか。
実は、映画「東京物語」には尾道市久保三丁目に実在する「竹村家本館」での食事の場面がありますが、その最中、用を足しに席を外したのは笠智衆さんが演じた平山周吉です。
また、その娘である平山京子を演じたのは香川京子さんで、彼女は、同市立筒湯小学校に勤務する教師という設定でした。
京子先生は、映画の中で三度出勤しますが、それぞれの場面で「行って来ます」と告げるのです。
高校生です。この映画、印象の残り具合がすごい
なんか色々衝撃的で忘れられない
ハチャメチャなのに切ない。
大林監督のお家にあったクラシックのレコード
胸をきゅんとさせます。
小林聡美のおらおら掃除っすっからどけよォみたいなセリフが好き笑さまになってるなぁと思う
その場面の撮影が行われた教室は、1991年劇場公開の映画「ふたり」のロケ地にもなりました。
奈美悦子さんが教師役で、実加、真子、万里子が通う学校の教室とされました。
ちなみに「斉藤一美の家」は、「ふたり」では「前野万里子の家」です。
オーナーだった弓場さんは、2021年12月に売却してしまいました。
その結果、「一美の家」の庭に存在していた美しい松の木々は、2022年GWごろに新所有者の手によって伐採されてしまいました。
瑞々しい青春映画の代表。
大林監督に文字通り思春期の一瞬を切り取られた尾美としのりさん、小林聡美さんの可愛くて美しいこと。
何度観てもラストシーンのなんとも言えない切なさが胸を抉る。
@user-sy6yx9gh6h
詳しい情報ありがとうございます
小津監督作品との共通点は初耳です。
自分にとって旧尾道三部作は永遠のフェイヴァリットムービーです。
つい5年前に尾道の撮影に使われた住宅地のビー玉の道を見に行きましたが今は高齢化で住む人がいなくなり廃屋だらけでした。
知世さんの家も今は更地になっててよく確認できず。
時の流れはまさに埋めようのない喪失感なんだなと感じてしましまいます。
転校生のお寺の階段は健在でした。
気づきましたか、斉藤一美がトラックを追い駆けて走り出した地点が1953年11月3日劇場公開の映画「東京物語」のオープニングシーンのロケ地であったことに。
そこは、1953年8月当時、「栗吉材木店の看板」があった場所です。
一美を演じた小林聡美さんの背後に「仁井時計店の看板」が、一夫を演じた尾美としのりさんの背後に「浄土寺山」がはっきりと映し込まれているのは、小津安二郎監督の「東京物語」に対する敬愛の念を示すものです。
また、一美の15歳の誕生日が「7月12日(日曜日)」であったことも、実は映画「東京物語」に直接的な関係があったのです。
香川京子さんが演じた平山京子先生の背後にあるカレンダーにどうぞ注目してください。
授業中の京子先生が腕時計を気にしながら、「尾道市立筒湯小学校」の教室の窓から汽車を見送るシーンです。
教室の黒板に掲げてあった「1953年7月の暦」は、なんと「1981年7月の暦」と曜日配列が同一だったのです。
そういえば、映画「時をかける少女」にも黒板わきのカレンダーが映り込んでましたよね。
1983年4月18日(月曜日)の朝、津田ゆかりさんと原田知世さんが会話する場面で。
アニメの君の名はを見て真っ先に転校生を思い出しました。
自分の先輩は君の名は観て「大林監督に謝れって感じや」と言ってました(笑)本当に世界観や青春感がまんまですね。新海監督も世代だったんでしょうね。
堂々とパクりやがってな。
NHKドラマの「さよなら、私」はタイトルからして完全オマージュ
小学生の時にテレビで何度も再放送されていて、この映画大好きです。
この映画をきっかけに尾美としのりさんのファンになりました。
みずみずしい、大傑作の予告編ですね。大林宣彦監督の最高傑作だと思います。ありがとうございます。
この印象が強くて今でも尾美としのりさん見ると転校生思い出す。
25ぐらいの時尾道のあの階段を訪れました。
長江一丁目の「タイル小路」へも行きましたか。
映画「東京物語」には、平山とみの葬儀が執り行われたことになっている寺院があるのですが、「福善寺」と「タイル小路」は隣り合う土地です。
御袖天満宮の階段上からよく見えるはずです、「福善寺」と「タイル小路」の位置関係が。
「廃市」で一目惚れ、それから「やっぱり猫が好き」で再開してギャップに衝撃、でもそこから「三毛猫ホームズシリーズ」「鍵師シリーズ」等を見まくった。「好きなタイプは小林聡美」というとクラスメートに「ええ〜?」と言われたが、アイツラが見る目が無かったことは時代が証明した。
尾道を日本トップクラスの有名地にした偉大な作品
大林監督は、1982年4月17日劇場公開の映画「転校生」のラストシーンを海岸通りで撮影しています。
初めて「斉藤一夫の家」の前へ行った時、驚きませんでしたか。
小林聡美さんが演じた斉藤一美は、「斉藤一夫の家」の前を出発したトラックの後を追って国道2号線を福山方面へ向かって走っていったはずなのに、実は、海岸通りを「斉藤一夫の家」へ向かって走っていたからです。
大林監督は、「転校生」のラストシーンを1981年に撮影したのですが、小林聡美さんの背後にあった「目には見えないもの」を意図的に自身のフィルムに記録していたのです。
「目には見えないもの」というのは、1953年8月当時の小津安二郎監督と東京物語撮影クルーの姿です。
信じられないと思いますが、小津監督が「東京物語」のオープニングシーンを撮影した同一地において、大林監督は、その真逆のアングルでもって「転校生」のラストシーンを撮影していたのです。
ラストのシーンが胸がキュンと締めつけられたような…なんとも言えない気持ちになった、印象深い良い映画でした。
2人とも、こんな若い頃から演技が上手かったんですね。観たくなりました。
難しいでしょうね
雰囲気がノスタルジックでほんと好き❤
ほんとそれ。私の中ではノスタルジックという言葉から真っ先に連想されるのがこの映画です。
もう遠い昔、尾道三部作が好きでバイクで福岡から尾道まで走ったなあ。この時の小林さん可愛いかった。ほらって言って惜しげもなく胸さらけ出すシーン、そして最後のバスを追い、くびき引き返すシーン。さよなら俺、さよなら私
「バス」でなく、「引越し屋のトラック」ですね。
違法な便乗同乗ですけどね。
一美が駆け出す場面のロケ地は「おのみち映画資料館」と「尾道市公用車駐車場」の辺りであって、そこは小津安二郎監督が1953年8月に撮影した「東京物語」冒頭シーンのロケ地でもあります。
そして、一美は、なんとつい先ほど出発したはずの「斉藤一夫の家」へ向かって海岸通りを走っているのです。
これは、大林監督とそのスタッフが考え出した意図的なものであって、ロケ地を実際に訪問する人が「時間と空間の無限ループ」を味わうことができるよう仕掛けられた特別な贈り物なのです。
ちなみに、一夫が助手席側の窓からカメラを取り出して一美の姿を撮影し始めた地点のロケ地は「料亭旅館魚信」の前であって、そこは新藤兼人監督が1960年に撮影した「裸の島」のワンシーンのロケ地でもあります。
邦画2大監督のロケ地を意識して撮影されたものなんですよ、「転校生」のラストシーンは。
返信ありがとうございます。今NHKのドラマ団地の二人を見ていますが、時の流れを感じながら小林さん見て転校生、さびしんぼの頃の小林さん思い出したりしています。
@@権藤松広
尾美としのりさんが映画「時をかける少女」で演じた堀川悟朗が不自然に3回も「俺ションベンに行って来る。」と言うのをご存知ですか。
御袖天満宮の階段下で小便を垂れた斉藤一夫を演じたのが尾美さんであったことも理由の一つであるとは思いますが、どうして「3回」も言う必要があったのでしょうか。
実は、これは小津安二郎監督の「東京物語」のパロディー系オマージュなんです。
「笠智衆さんが演じた平山周吉がトイレへ行くこと」と「香川京子さんが演じた平山京子が勤務先の筒湯小学校へ出勤する場面」の複合系パロディーなんです。
「東京物語」には繰り返し「行って参ります」というセリフが3つの異なる場面に現れますが、冒頭シーンで香川京子さんのセリフは3回連続で「行って参ります」が出てきます。
なんの取り柄もない私ですが、本作品とルパン三世カリオストロの城を劇場公開の時に自分で選んで観に行ったことが唯一ちょっとだけ誇れることです。あの頃の甘酸っぱい思いが蘇ります。
こういう映画を4Kリマスター上映してほしいですね。
逆にリマスターしない方が良い。時代の雰囲気が損なわれる。
@@kwtm00どうせなら高画質の方がいいっしょ
@@ptjmd0721
両方の意見があるな
私は、リマスター派
転校生、さびしんぼう、時をかける少女、レンタルビデオ屋で借りて、大学のみんなで見たなあ。ちょっと不思議な青春、衝撃だった。大林さん、ありがとう😊
青春デンデケデケデケもイイですよ!
気づきましたか、「時をかける少女」の2番の歌詞は「1983年の世界の芳山和子」の視点で描かれたものでなく、「1933年の世界の川本松江」の視点で描かれたものであることに。
1986年劇場公開の映画「彼のオートバイ、彼女の島」がそのヒントでした。
尾道とトロイメライがとても懐かしく情緒的でした。
かずみちゃんの家がお金持ちでお母さんが丁寧に娘を育てているとこ、おやつの焼きおにぎり、かずおくんが煮物を蓋開けてパクっと食べる所とかちょっとしたシーンが大好きでした❤
「斉藤一夫の家」の前にあった赤い郵便ポストは撤去されてしまいました。
私は2022年6月10日に現地へ行ってそのことを知り、たいへん悲しく感じました。(本当は、一美が転校してきた日からちょうど40年目に当たる2021年6月10日に行きたかったのですが、菅義偉、小池百合子、吉村洋文らド素人どものデタラメ無分別な政治主導のおかげで、私は県外旅行を自粛させられました。)
「転校生」のラストシーンで、一美は「斉藤一夫の家」の前を出発したトラックを追い駆け、国道2号線浄土寺下交差点を福山方面へ向かって走ったことになっていますが、その場面は「尾道市本庁舎」の前の海岸通りで撮影されています。
一美を演じた小林聡美さんは、なんと海岸通りを「斉藤一夫の家」へ向かって走っているのです。
一夫を演じた尾美としのりさんの背後に「浄土寺山」が映り込みますが、それは「東京物語」のワンシーンのオマージュです。
また、一夫が助手席側の窓からカメラを取り出して一美の姿を撮影し始めた場面のロケ地は「料亭旅館魚信」の前ですが、そこは新藤兼人監督の映画「裸の島」のロケ地でもあります。
一美を演じた小林聡美さんの背後に「仁井時計店の看板」が映り込むことも「東京物語」のラストシーンと直接的な関係があります。
大林宣彦監督関連の作品は「おのみち映画資料館」の中に展示されていません。
しかし、同資料館正面玄関前は、1953年8月、小津安二郎監督が映画「東京物語」のオープニングシーンを撮影した地であり、1981年8月、大林監督が映画「転校生」のラストシーンを撮影した地です。
尾道市は、どういうわけかこの事実を一般に公開していません。
「転校生」のラストシーンは、意図的に「東京物語」のオープニングシーンへと繋げられているのです。
「斉藤一夫の家」の前を出発したトラックを追って行く一美ですが、その先にはなんと「斉藤一夫の家」があるのです。
大林監督とそのスタッフによって「時間と空間の無限ループ」が意図的に仕組まれていたのです。
2つの年(1953年と1981年)の8月の暦を見比べてみてください。
曜日配列が同一です。
こんな予告編があったなんて!
昔々にテレビで観て感動したのを思い出します
色々あってやっと落ち着いたと思ったら、最後にまたまたどんでん返しで泣いたのを思い出してしまい、今もまた涙がにじんできてしまいます
尾道三部作の最初の作品、役者さんもスタッフさんも全力でさつえいしたんだな、と思うくらいの素晴らしい作品だと思います
僕の映画の原点。「さびしんぼう」もそうだけど。尾道の美しい映像、音楽、大林宜彦監督作品は、大事なことをが当時、学生だった私に教えてくれた。ありがとう。大林監督。
懐かしい・・・・また見たい
本当に面白かった映画
演技が上手くて本当に逆転してる錯覚を起こしたなぁ
家出した次の日の朝、生口島の瀬戸田港から尾道へ戻る船のシーンは、1960年11月23日劇場公開の映画「裸の島」のワンシーンのオマージュです。
いい映画🎉
なかなかフルで流されないんだけど、
観たいな〜😢😢
この映画ちゃんとまた見たいよ。
1981年6月10日(水曜日)からちょうど40年に当たる日、私は御袖天満宮の階段へ行く予定でしたが、都知事の小池百合子、府知事の吉村洋文らが党利党略のためにテレ朝の玉川徹らと手を組み、菅義偉ら政府首脳のことを好き放題に煽りまくってくれたおかげで、私は県境を越えた旅行の自粛を事実上強要されました。
とんでもない役立たずですよ、菅義偉、河野太郎、小池百合子、吉村洋文らは。
私は、2022年6月10日に「斉藤一夫の家」の前を再訪問したのですが、赤い郵便ポストが根元部分から全部撤去されていました。
また、尾道市立土堂小学校校庭そばの「斉藤一美の家」とされた旧Y場邸へも行ってみたのですが、「一美の家」の庭にあった美しい松の木々は、素人の手によって首チョンパされていました。
あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛、とっても悲しかったです。
ヤフオク、メルカリで5,000円ぐらいでそのDVDを入手することができます。
この映画なんかいいんだよね。この雰囲気今の映画には出せない。
現在は「児童ポルノ」として扱われています。
水泳教室が行われた立花海岸の場面で、当時16歳の小林聡美さんのパイオツ全開シーンがあるためです。
向島の「立花農協前バス停」すぐそばにある波止は当時のままです。
らせん階段のある建物は取り壊されています。
キスシーンが無いのにお互いの気持ちが好きだとわかる
何故かおすすめにでてきました、懐かしい。
コメディチックなんだけど最後は切ない感じで面白かったなぁ。
懐かしいなぁ~
3部作の中で一番好きでした。
この作品は本当に良かったですね?全編ワクワクしながら拝見いたしました!設定が中学生ってところが、とても爽やかな上、純粋なところもあってよかったなぁ…主役の2人が、とても役にハマってたから映画の素晴らしさが我々にも伝わって、最後は胸が締め付けられるくらい感動した記憶が…さようなら…俺…さようなら…私…日本映画の名作だと思います😊
懐かしいなぁ……。
大林宣彦監督の尾道映画は、
たしかに僕の青春でした。
監督、ありがとうございました。
任谷由実さん作曲の「時をかける少女」の2番の歌詞は、原田知世さんが演じた「芳山和子」の視点で描かれたものではありません。
私は、ずっとずっと不思議に思っていました。
だって、「芳山和子」の足がもつれてもつれて会いたい人に会えなかった場面なんて映画の中には存在しなかったからです。
私は、ある時、それが木下惠介監督の映画「二十四の瞳」のワンシーンと関係があることに気づきました。
信じてもらえないかもしれませんが、2番の歌詞にある「時をかける少女」というのは、高峰秀子さんが演じた大石先生が修学旅行先の大衆食堂で偶然出会った「まっちゃん」こと川本松江の視点で描かれたものです。
機動戦士ガンダム哀戦士でこの予告編が流れ、当時小6の私には刺激的で恥ずかしかったです。
学校でも話題になった思い出です。
ジャッキーチェンの映画の始まる前だったかなぁと記憶をたどりましたが、ガンダムでしたか!
もうこれだけで泣きそう
この映画はテレビで放送されるたびに見てました。
今でも大好きな映画です!
いつか尾道にも行ってみたい。
ラストシーンで尾美としのりさん演じる斉藤一夫がトラックの助手席側の窓からカメラを取り出して一美の姿を撮影する場面のロケ地は、久保二丁目の「料亭旅館魚信」の前です。
なぜでしょうか。
実は、そこは、1960年11月23日劇場公開の映画「裸の島」のロケ地でした。
映画監督は新藤兼人さんです。
乙羽信子さんと殿山泰司さんが演じた夫婦が鯛を売るためにやってきた尾道の料亭が「魚信」なのです。
ちなみに、映画「時をかける少女」でタイムリープ中の芳山和子が長江二丁目の石段で坊主頭の少年二人と出会う場面がありますが、実は、その場面も新藤兼人監督の「裸の島」と関係があります。
殿山さん・乙羽さんが演じた夫婦の二人の子である太郎(田中伸二さん)、次郎(堀本正紀さん)のことを思い起こさせるための演出でしょう。
天才・大林監督「尾道3部作」の中でも圧倒的な傑作、のみならず戦後映画史に輝く名作。どれほど賞賛の言葉を重ねても足りないほどの面白さ
この予告編もよく出来てるなぁ。個人的に小林聡美の男言葉が大好き
数年前、念願の尾道で映画の舞台を巡ったことは忘れ難い思い出。今にも街角から一美と一雄が現れそうで…。2人が入れ替わった御袖天満宮は我が聖地です
斉藤一美がトラックを追い駆けて海岸通りを走る場面に「仁井時計店の看板」が映り込んでいる理由をご存知ですか。
「仁井時計店」は腕時計専門店です。
尾道、腕時計で思い浮かべるものはなんでしょうか。
信じられないと思いますが、大林宣彦監督は、一美の背後に「笠智衆さん、原節子さん、香川京子さん」の見えない姿まで記録しようとしていました。
1953年11月3日劇場公開の映画「東京物語」の冒頭5カットのうち2番目の尾道の街の風景には「栗吉材木店の看板」が映り込んでいますが、単にそのオマージュだけではなかったのです。
「東京物語のオープニングシーン」のロケ地と「転校生のラストシーン」のロケ地は同一の地なんですよ。
ただ、大林監督は、「小津アングル」とは東西真逆の方向から撮影しているので、現地を知らない人がこれに気付かないだけです。
どうして「大林アングル」は「小津アングル」と真逆なのか。
ななななななななんと、一美の背後に存在したものは「笠智衆さん、原節子さん、香川京子さん」だけでなく、目には見えない「小津安二郎監督と東京物語撮影クルー」の姿だったのです。
映画「転校生」のラストシーンで一夫の背後に映り込むのは「浄土寺山」ですが、その場面も意図的なアングルによって撮影されています。
原節子さんが演じた「平山紀子」が蒸気機関車牽引の列車に乗って帰る場面を注視してください。
国鉄山陽本線を東京方面へ向かって蒸気機関車が走り去る場面は、尾道市長江一丁目の茶房「こもん」から徒歩3分、福善寺の立体駐車場わきの石段から撮影されたものですが、そこにも「浄土寺山」が映り込んでいます。
私は、1991年劇場公開の映画「ふたり」のラストシーンに「松本病院」の建物が映り込んでいることも気になりました。
松本病院の正面玄関辺りの地は、1953年8月に小津監督が「浄土寺」と「山陽本線を走行する蒸気機関車」を撮影したポイントだったのです。
大林監督は、ここでも、目には見えない「東京物語撮影クルー」の姿を自身の作品に記録しています。
I just finished watching it and immediately liked this film.
Very funny, I really like Toshinori Omi here.
懐かしい~~♪ 20代の頃、池袋の名画座で何回観たことか、いつも場内は爆笑の渦だった😄大林映画は我が青春🎥
焼きおにぎりをアルミホイルから出して食べるシーンがかなり日本人に響いたとあの頃は感じてました。自分はまだ小学生だったのでお二人はかなり大人だと思ってロードショーで見てましたね。
現代で放送難しいでしょうけど大ヒットするでしょうね。
おすすめに出てきて感激しています
高校2年の時に映画館で観てものすごく共感して、その年の修学旅行で尾道を訪れて胸がいっぱいになったことを思い出します
ネタバレになっちゃいますが、ラストシーンで小林聡美さんが車の後を走って追いかける姿が切なかったです☺️
気づきましたか、一美を演じた小林聡美さんは、引越し屋のトラックを追い駆けて国道2号線浄土寺下交差点を福山方面へ走って行ったことになっていますが、その直後のシーンは、映画「東京物語」のオープニングシーンのロケ地と同一の地で撮影され、小林聡美さんは、海岸通りをなんとついさきほど出発したはずの「斉藤一夫の家」へ向かって走っています。
ロケ地を最初に訪問した時は違和感でいっぱいでしたが、これが意図的な演出であることを知ったときは驚きました。
「時間と空間の無限ループ」、それは小津安二郎監督が映画「東京物語」で描いたモチーフでした。
尾美としのりさんが演じた斉藤一夫は、トラックの助手席側の窓からカメラを取り出し、走り寄ってくる一美のことを撮影し始めます。
そのロケ地は、海岸通りの「料亭旅館魚信」の前辺りです。
そこは、なんと1960年11月23日劇場公開の映画「裸の島」で乙羽信子さんと殿山泰司さんが演じた夫婦が鯛を売るためにやって来た場面のロケ地でもあります。
世間の人々によって多くは語られていませんが、映画「時をかける少女」で原田知世さんが演じた芳山和子は、1983年4月17日(日曜日)9:87に目覚めた朝、前日に借りたハンカチを吾朗に返しに行きましたが、和子は、その途中で「二人の坊主頭の男の子」に出会います。
これは、映画「裸の島」に登場した太郎、次郎兄弟(演じたのは、佐木島在住の田中伸二さんと堀本正紀さん)のオマージュです。
映画「時をかける少女」のクランクアップは1983年4月4日(月曜日)だったそうですが、その日は、なんとNHK朝の連続テレビ小説「おしん」の放映開始日でした。
「おしん」の老齢期を演じたのが乙羽信子さんでした。
これは、単なる偶然だったのでしょうか。
今年最後の大晦日にとても素敵で興味深いお話が伺えました☺️
当時は幼く、一美と一夫に自分や友だちを重ねただけでした
その後、尾道には訪れていませんが、いつかまた機会があればあの頃の自分に戻り撮影地を巡ってみたいです
@@加納智子-d6r
信じ難いことですが、大林監督は、小林聡美さんの背後に目には見えない「小津監督と東京物語撮影クルーの姿」をも自身のフィルムに記録するために「小津アングル」とは真逆の方向から撮影していたのです。
それは自分自身のためだけにでなく、「転校生」の視聴者にもその存在を感じてほしかったからなのでしょう。
エンディングが泣ける。甘酸っぱいね。
「トロイメライ」が非常に印象的。さよなら、俺!さよなら私!
小林聡美さんが演じた一美がトラックを追い駆けて走り出した場面のロケ地は、尾道市本庁舎前の海岸通りで、そこは、なんと「東京物語」のオープニングシーンのロケ地です。
小津安二郎監督が1953年8月に撮影したのが「東京物語」です。
そして、彼女は、つい先ほど出発したはずの「斉藤一夫の家」へ向かって海岸通りを走っています。
実際に、ラストシーンのロケ地を訪問した人は、その地理的違和感を覚えるはずです。
なぜでしょうか。
実は、それは「時間と空間の無限ループ」を意味するものなんです、偶然などではありません。
「1982転校生のラストシーン」を「1953東京物語のオープニングシーン」へ繋げ、一美がつい先ほど出発したはずの「斉藤一夫の家」へ向かって一美を走らせたのは意図的な演出でした。
大林監督は、その場面で小林聡美さんの背後には「仁井時計店の看板」を、尾美としのりさんの背後には「浄土寺山」を映し込んでいます。
完璧です。
これは俺の中で最高の映画だと思う
特にラストシーンはなんとも言えない思いがあって
今だにこれを超える物は無いでしょう
尾道三部作の最初
いい映画でしたね〜
この頃の映画は、みんなすばらしいし、切なくなるし、夢があります
これ俺の亡き父ちゃんの母校で撮影されたらしい。
少しだけ嬉しそうだった。😊
@@ウルトラ警備員
冒頭の学校はどこでしたか。日比崎中学校でしたか。
これとっても好きな作品でDVDも買いました😊
途中から小林聡美は男に尾美としのりは女にしか見えなかった
だから最後もとに戻ったときはすっごい違和感
本当に入れ替わったかと感じましたね。
めぐりあい宇宙を観に行った時に特報が流れていたのでよく覚えています
主演二人の力量が凄かった
名作ですね 夏バテにも まけないで 夏を満喫してくださいね
お疲れ様です。懐かしい系最高です☺️🍂
転校生と言えばこれですが、この25年後にさよならあなた(長野バージョン)でリメイクされ、そちらも感動的でした
最後にお互い元に戻って抱き合うシーンが🎬良いね
引越しの時の二人のセリフも好き
一美を演じた小林聡美さんは、引越し屋のトラックを追い駆けて国道2号線浄土寺下交差点を福山方面へ走って行ったことになっていますが、その直後のシーンは、映画「東京物語」のオープニングシーンのロケ地と同一の地で撮影されています。
小林聡美さんは、海岸通りをなんとつい先ほど出発したはずの「斉藤一夫の家」へ向かって走っているのです。
気づきましたか。
これは意図的な演出です。
なお、その場面のロケ地は、小津安二郎監督の映画「東京物語」のオープニングシーンのロケ地でもあります。
ただ、「小津アングル」とは東西真逆の方向から撮影されているため、それが同一地であることに気づかないだけです。
どうして「大林アングル」と「小津アングル」とは真逆なのでしょうか。
信じ難いことですが、大林監督は、小林聡美さんの姿とともに、目には見えない「東京物語撮影クルーの姿」も自身のフィルムに記録していたのです。
それは、当時15歳の大林宣彦少年が現に見た姿を「転校生」の視聴者にも見てもらいたかったからなのでしょう。
私は、これを憶測で書き込みしているのではありません。
1991年5月11日劇場公開の映画「ふたり」のラストシーンもどうぞご覧ください。
実加を演じた制服姿の石田ひかりさんは、尾道市東久保町の坂下から現れますが、彼女が現れた地点は、小津監督が「東京物語」のラストシーンで筒湯小学校の旧木造校舎を撮影するためにカメラをセットしたポジションそのものです。
また、石田ひかりさんの背後に映り込む「松本病院」ですが、その正面玄関は、1953年8月に小津安二郎監督が「浄土寺」と「山陽本線を走行する蒸気機関車」を撮影するために立っていた場所そのものです。
「大林アングル」が「小津アングル」と東西真逆(又は南北真逆)になるのはその目的のためです。
映画「東京物語」の冒頭5カットは、大林監督によってすべてオマージュされています。
「住吉神社の石灯籠」のオマージュが「西方寺普明閣の石灯籠」のオマージュです。
原田知世さんが演じた芳山和子は、「西方寺普明閣の石灯籠」に腰かけてニセの深町一夫と二人でタイムリープとテレポーテーションについて語り合っています。
スクリーンでまた観たいな~
映画館へ観に行きました。懐かしい。最後のシーンの切なさは‥‥😢
ロケ地巡りもバイク乗ってしましたね。尾道3部作‥‥それももう30数年前になるのか‥‥また観たいなぁ‥‥
この後いくつかの『転校生』やモドキが作られましたがこれを超えたと思えたのは皆無
斉藤一美の15歳の誕生日は「1981年7月12日(日曜日)」という設定でした。
なぜかわかりますか。
実は、1953年の7月12日も「日曜日」でした。
映画「東京物語」のラストシーンで、香川京子さんが演じた平山京子先生が尾道市立筒湯小学校木造校舎の窓から汽車を見送る場面をどうぞ確認してみてください。
そこに映り込んでいる暦は「1953年7月の暦」であり、なんとその曜日配列が「1981年7月の暦」と同一だったのです。
「7月12日」というのは、「東京物語」に登場する平山幸一の長男である「平山實」に関係があります。
「平山實」とその弟である「平山勇」は、幸一の急患が現れたため楽しみにしていた東京見物に行けなくなってしまいました。
幸一の妻は「次の日曜にでも、また」と周吉に告げましたが、それが「1953年7月12日」のことです。
ところが、それが実行されることはなく、周吉ととみは尾道へ帰ってしまったのでした。
大林監督のお父様は医師だったので、「實」と同じ立場ですね。
「平山とみ」が亡くなった具体的な期日は明らかにされていませんが、大林監督の中では、一美は、平山とみの生まれ変わりだったのでしょう。
尾道三部作は、傑作
今見ても切ないですね
当時とかわらず
ほんと最高です!
この映画はほんとう素晴らしかった。多分中学生の時に見たけどあの頃の感動が蘇るね!
この映画
役者やストーリーに風景美はもちろん素晴らしいんだけど
BGMのクラシック曲がまたマッチしてていいんだわ
個人的には一夫 (外は一美) が昼下がりに敬子の家に呼ばれ
そこで 「タイスの瞑想曲」 が流れるシーンは最高
現実はそんなことは性別思想が入れかわることはないけど、そんな演技をするのは魅了されましたね。印象深い映画でした。
舞台も良かったし、俳優さん達も良かった。
大林監督作品はあまり見ないけど、これと「さびしんぼう」は良かった。
当時予告編からは全く伝わって来なかった。本編を観てびっくりした思い出があります。
小林聡美さんはこの時ホントに17.8だったんだよな。それであのオッパイ出し 根性ありますね
今だと児童ポルノ扱いですよね。コンプライアンスクソ食らえ!小林聡美さんの女優魂素晴らしい!
ホントにそう思って観てた、おっぱい出してもイヤらしい感じも無くて、この子根性有るな〜と思ったものだよ
当時は高一、15〜6才でしたね
演技力が超絶で
「中身が尾美としのり」すぎてエッチさゼロでしたねw
@@福岡一子
当時15~6才だから普通に考えると難しそうだが、映画だからか芸術だからか転校生のDVDはアマゾンで今でも買える
関係ないけど当時12才のブルック・シールズが普通に全裸になってる映画もDVD買えるしレンタルもしてる
数ヶ月前、深夜ドラマで『からかい上手の高木さん』の実写ドラマをやってたけど、『転校生』に負けず劣らず甘酸っぱい作品でしたよ。
懐かしい
この映画のおかげで尾道が有名になった。 幸せの黄色いハンカチと並ぶ名作ですね。。
幼い頃見たこの映画の主演は、どうしてこうも「イマイチなルックスの俳優」ばかり揃えたのだろうと子供心に不思議でしたが、美男美女揃えてたらここまで感情移入できなかったのだろうなあと今になって思います。
だから面白かったね😊
普通の中学生が巻き込まれる「すこしふしぎ」だから、美男美女ではいかんのよ
製作費がたったの100万円だからね
昭和の代表作品ですこれは。
尾道3部さくの一つ。大好きな映画でした
0:59
現在、この松の木は「根」だけが福山城址公園に残っています。
この前、尾道三部作の一作「時をかける少女」を公式配信で観られましたが、この「転校生」は権利関係で公式配信は望めないでしょうね。当時新聞の小さい映画紹介記事でこれは観に行かなきゃと思った唯一の作品でした。なぜそれだけで観に行こうと思ったのか、中二病なのか😅、たぶん少年ドラマシリーズが好きだったからなんでしょう。「時をかける少女」や「ねらわれた学園」は少年ドラマシリーズでも映像化されましたけど、元ネタ原作「おれがあいつであいつがおれで」は作られなかったけど、2002年に制作されたのは見逃してるかも。地上波放送じゃ見れないし、いつか配信されるのを待ち望んでます。
いい時代でした。
ですねー
バブルを境に完全に変わりましたね
当時でもノスタルジックな雰囲気の映画でしたが
今となってはもうファンタジーですね
尾道3部作の2つは、山中恒氏の原作ですが、彼のNHKジュブナイルドラマの「ぼくがぼくであること」も大好きでした。山中氏のジュブナイル小説が本当にお気に入りです♪
大林は女性を綺麗に撮る天才
1982年春に機動戦士ガンダムⅢを何回か劇場へ観に行ったが、本編上映前に毎回この転校生の予告が流れていたのでよく記憶しとる。
でもその当時観たのはこれらとは違うバージョンやった。(小林聡美が鏡の前で乳出してた)
また二人よりも年下な自分は、当時はもっと大人に見えたが、今視ると当然ながら子供に見えてしまうわぁ(笑)
小林聡美さんが演じた斉藤一美は、「斉藤一夫の家」の前を出発したトラックを追いかけて走ります。
トラックは、国道2号線の浄土寺下交差点を福山方面へ向かって曲がるのですが、その直後の場面は、尾道市本庁舎前の海岸通りで撮影されています。
私は、そのロケ地を訪問した時に強烈に地理的な違和感を覚えました。
というのは、小林聡美さんが演じた一美は、実は、海岸通りを「斉藤一夫の家」へ向かって走っていることを知ったからです。
でも、それが大林監督とそのスタッフによる意図的な演出であると知って納得することができました。
実は、小林聡美さんがトラックを追いかけて走り出した地点は、1953年8月当時、「栗吉材木店の倉庫と看板」があった地だったのです。
小林聡美さんの背後に「仁井時計店の看板」が映り込むのは、決して偶然などではなく意図的に仕組まれていたことだったのです。
「1982転校生のラストシーン」は「1953東京物語のオープニングシーン」へと繋がり、「斉藤一夫の家」の前を出発したはずのトラックが実は「斉藤一夫の家」へ向かって走っていたこと、これが意味するところは「時間的・空間的な無限ループ」だったのです。
VHSのビデオテープ持っていて何回も観た。😊
同じく!大好きでした。
おもしろかった~
当時放送中のドラマ「陽あたり良好」に小林さんが出演されていたので
この映画のネタ(男女入れ替わり)に触れていたセリフがあったような記憶があります。
懐かしいな~。
男も女も、人間だって、思った😅懐かしい😊
尾美としのりさん、今もファンです🤩
ウッチャンが、パロディでやったのも、面白かった😊
「さよなら…オレ❗」
予告編だけど素晴らしい👍
私見ました!!映画館で😂😂
小林聡美めちゃかわいいww
猫が好きから遡ってこの映画見たけどずっと変わらないとこが好き
1:35
「菜の花や、月は東に、日は西に」
この場面は、大林監督の尾道三部作にとって極めて重要な映像です。
この場面は、笠智衆さんが演じた平山周吉のセリフ「あぁ、綺麗な夜明けだった。あぁ、今日も暑うなるぞ。」に直接的な関係があります。
夕陽が沈む山の形に見覚えがありませんか。
新藤兼人監督の映画「裸の島」の背景に映り込んでいた「みはらし連山」の形です。
令和6年になって、【勇気爆発バーンブレイバーン】の予告の、
『おれがあいつで、あいつがおれで』と言うセリフでこの映画を思い出すとは思いもよらなかったな(笑
目の前にいるのが未来の自分と知らずに接していたり、タイムリープだったり…ブレイバーンを作った大張監督は明らかに尾道三部作をオマージュしてた。
昔、大林宣彦監督の作品は、見たことがあるような気がします。!!小学生時代だったとは、思いますけどね。!!
ある意味、現代に通じるテーマですね…
懐かしいなぁ〜
いいねぇ~、、懐かしいねぇ~
金八に出る前から好きでした 森永のCMハイロング 可愛かった
今年の3月末、横浜赤レンガ倉庫のライブ前に『転校生』のDVDを観たばかりです。
Wikipedia記述によると天皇陛下もこの映画がお好き、との事。
『一度見始めると朝までぶっ通しで見入ってしまいます。』
と読んだ時は小林聡美ファンとしては誇らしい気持ちでした。
小林聡美さんは女優になるべくしてなった方ですね。
この方がいなかったら、美人女優ばかりがモテ囃されるつまらない映画、ドラマが乱立していた事でしょう。
小林聡美さんは映画、ドラマ、そしてCMにしても仕事が途切れませんね。
それだけ各方面から必要とされる存在だと思います。
予告だけで名作だとわかる。
音楽、いいですね。
仕事をした対岸が尾美としのりさん演じる一夫の実家設定の所でした。尾道3部作ファンとしては感慨深い物がありましたね。
この映画はよかった👍👍
性別が入れ替わる話だから、見た目から背の高い体格の良い男子と髪の毛の長い清楚系女子の方がわかり易いと思うけど、映画見ると妙なリアリティがあって2人の演技もあいまってビタッとハマってるからすごい。
ジブリの「海がきこえる」や「耳をすませば」を見た時に、あれ?大林映画やん、、って思ったことがあります。もちろんそれを経由して新海さんの映画にも影響を与えてるのでしょう、、
こ、小林聡美!!!すごい