Geçmişten bir görüntü sergileniyor yıllar önce inşa edilen yaşanan bir mekan şu an var mı yok mu bilinmiyor bir gerçek ki o devirdeki insanlar şu an yok sessizliğin içinde hapsolmuşlar insanoğlu onları anılarında saklıyor sevinçleri mutlulukları yok artık sadece anılar da cenabı allahutaala'nın cenneti inançlı olanların sığın ağı ahirette hepsi bekliyor ecdadımız şu an biz varız iyilik yapmak ve güzel şeyler yaşatmamız bizi mirasımız
おばあちゃんが9歳の時に空襲の中走って逃げた時いた時を今になって自分に置き換えてみたら鳥肌しかたたない
これ凄い貴重な映像だな
郷土資料館とかにありそうなレベル
これ見て戦前のインテリアって意外におしゃれだったんだなと思った人多いと思います。
当時の上流家庭のインテリアはヨーロッパ直輸入の物が多くオシャレだったんですよ。
だからこそ百済ない戦争始めて眞子さまのひいおじいさんが許せないな。
古民家とか好きだから参考になる。
これは・・・貴重な資料ですね。当時の生活様式なども見て取れて、大変興味深いです。
商店のくだりでショーウィンドウって言葉が普通に使われてるのに驚いた
敵性語統制の前だったとか
一応調べたら、敵性語統制は地域(自治体)レベルからの自主的な取り組みであったり、政府から発信するパターンもあったそうです。現在で言うところのコロナ禍での社会や行政の取り組みに近いものがあります。外来語も含め100%というわけでは無いようで、媒体(メディア)などでは一部の英単語は終戦まで使用されていたようです。
周りからツッコまれることはあれど殆どのそれが特に罰則などはなく、現在で言うところの不謹慎砲程度の問題だったそうです。そもそも軍の内部で敵性語とやらを使い続けていますしw 私が子供の頃は赤が強かったのでこう言った事についてデタラメばかり教えられたものですが、最近の若い方々は少なくとも我々世代よりは余程マシな情報に触れるチャンスがあり、羨ましい限りです。
B29は巡航高度10000mをはるかに下回る4000~5000mの高度で目標に接近したそうです。それでも、命中精度は高くなく、目標の軍需工場の脇の職員住宅へ多く投下されたということもありました。燈火管制のなか、轟音を響かせながら上空を飛び、炸裂する爆弾の振動に耐える生活は、本当に、恐怖だったことでしょう。
B29の空襲が始まって暫くは、軍事基地や工業地帯・軍港を高高度精密爆撃にこだわってやってましたが、思うような成果がでずに司令官をカーチスルメイに変えてから、おっしゃられてる中~低高度の夜間無差別になったのかな?
元々水平爆撃は思うように目標へ命中させるのが難しく、何十個か爆弾をばらまいて、1~2個でも命中すればいいとゆう考えですよ。
いい例が広島市への原爆投下で、T字型の相生橋を狙いましたけど、ズレにズレて島病院の上空だったみたいです。
灯火管制やっても無意味だった
@@推し鯉はぷらちな 海や湖・川などの水面は遮光できませんからね…
地形から現在地を把握できますよ
なお、GPSのある現代では灯火管制はあまり意味のないものだそうですよ
@@紅のプー太郎 さんへ
相生橋~島病院 の距離は原爆の破壊力を考えたらたいした誤差には思えないですよ。
むしろ長崎のは完全に外してる印象。
その件は置いといて、いよいよ日本が劣勢になると低高度の絨毯爆撃に切り替え、自衛火器すら極力はずして搭載量を増やしたそうです。
C・ルメイの作戦は木造の日本家屋に着目し焼夷弾攻撃で効率よく焼き払おうとした。非戦闘員などお構い無しの撫で切り。
原爆も勿論そうだが、これらの爆撃はジェノサイドとしか言いようがない。悪魔の所業。
そのルメイが後に◯◯褒章とかを授与されているが、あの惨事を知る日本国民はどう感じたのか、そう思うとやり切れない。
6:35貴重な当時の道路標識
陳列棚(陳列窓?)じゃなくショーウインドウ
前照灯じゃなくヘッドライト
意外にカタカナ語多いのに驚き
敵性語使用禁止運動は出版・放送業者が扇動した運動だから政府や軍部は関与してないし寧ろ公然と使ってたけどね
左横書き(右から左へ書く横書き)もさも軍部が主導したみたいなこと喧伝してるけどあれも
寧ろ陸軍なんか現在の右横書きを推奨してた
理由は日本語の文脈に算用数字が混じると表記に困るから
@@nekoneko1963
第一次大戦ではドイツ語由来の言葉が使用できず、その一例としてモートルは英語由来のモーターに置き換えられました。
ロシアの「レニングラード」もその時に出来た地名で、それまでは「サンクトペテルブルク」で有りました。
@@カマキリ-e5s
ソ連崩壊時に旧称に戻した。
@@カマキリ-e5s
おいおい。
ゆとりかZ世代か知らんが、そんなことも分からんのだな?
オヂサンにはそこが驚きじゃ。
ナレーターの日本語が実に美しいです。
shimajiro 無駄にかしこまってないですよね
東宝ってすげぇんだな
東宝=東京宝塚劇場の元、いわゆる阪神急行(京阪神急行→阪急→阪急東宝G→現在の阪急阪神東宝HD)系ですね。
宝塚歌劇で名を馳せ、それに伴って小林一三が東京公演用の東京宝塚劇場など設立。
映画部門は東京にあった映画会社などと一緒になったので、当時から演劇・映画配給会社としては名が通っていたようです。
昭和15年の段階で既に開戦どころか制空権を握られて空襲されることまで想定していたのか。
他の国もしてたから手本にしたんやろ
当時のSF作家の海野十三は、当時空襲小説を幾つも書いていますよ。毒ガスのシーンも出て来ますが、幸いなことに毒ガスはアメリカは使わなかったですね。ただ、あれだけ焼夷弾を大量に落下させるのは想定しなかったようで、彼の「敗戦日記」を読むと、実際の空襲を経験した後の感想を読むことができます。
実際の空襲画像見てると全然消せてなかった印象があるな
これでもまだ灯りがあるうちはいい。
戦争末期には電力不足で停電が頻発するようになる。
玉音放送前「昼間に停電している地域も特別に送電を行う」と告知されていましたね。
かなり貴重な戦時資料ではないでしょうか?
亡くなった祖父、学徒出陣したんだけど、暗闇だとタバコとかよく目立つんだよって言ってたなぁ。
ただ、都市空襲においてはこの頃はもうすでに灯火管制はあんまり意味なかったろうな…。
やっても無意味だったそうです。
80年前の言葉は今と比べると口調こそ違えど、文字にすればほとんど変わらないんだね。
そこら辺の爺さん婆さん、普通に喋ってない?
大変勉強になりました。今晩から実践してみようと思います。
昭和15年ってことは開戦前。
開戦前でもうこんなこと言ってたんですねぇ。
公開が開戦後なのかもしれませんが。
そこに驚きました。
日中戦争は既にやっていたので、中華民国などから攻め込まれる可能性を想定していたんでしょう。
昭和15年 てことは日米開戦前から空襲を想定してたのか。
空襲前提で開戦したってことは、開戦前から敗戦濃厚って内務省は分かってたってことになるね。
このころから対日禁輸で既に資源・物資は困窮が始まってたそうな。
この状態から日米開戦に踏み切るんだから、どんだけアタマん中ハッピーなのか?
冷静に大局を看れば破滅は必至と分かるだろ。
現在ですと狭配光角のLED電球で簡単に対応可能ですね。 些か不謹慎ではありますが、ここまで管制を徹底して貰えると天体観測を行うには都合が良いですね(光害なんて言葉があるぐらいですので)
長嶋広貴 いいですね!
天文台での天体観測を売りにしている旧大塔村の五條市大塔町は、場所によって光源を絞るように通達されます。
なので、24時間対応である道の駅の夜は他と違って真っ暗。
アナウンサー(ナレーター?)のかたの口調が、意外と威圧的ではなくゆったりしてますね
ワールドファンシーの口調に似てる
国が制作依頼した宣伝映画だから綺麗すぎるぐらいゴージャスなお部屋ですね~
文豪の家みたいな豪華さ
それ以外にも挟角照射で青色光(波長が短ければ到達距離は短くなる)の防空司令部認定「灯火管制電球」がマツダ電球から発売されてた
松下記念館にも同じような電球が展示されていました。
マツダは東京電気(後の東京芝浦電気→今の東芝)が電球や真空管、ラジオに使っていたブランドで、1962年にいわゆる傘マークの東芝ブランドに切り替わるまで使われていました。
文字通り暗い時代の到来ですね。
はなしは外れますけど、戦中生まれの母の田舎では電灯が各家庭に点いたのは戦後少し経ってからのこと。
それまでは油ランプ(ガラス製で笠付いてるやつ)だったから、裸電球の明るさに、「昼が来た」と感激したそうな。
山奥のぽつんと一軒家でもなく、上代から開け人の暮らしがあった地域(農村地帯)だというのに。
一方父親の実家は都市部で電器灯るのが当たり前。
軍事・軍需施設が近いため空襲を幾度も経験、灯火管制も生活の一部。
都市部と農村の差が今の何倍もあったのが想像できます。
(1)警戒管制的方法
(2)屋內燈之減光或遮光
正體漢字文言文之運用
當年日本漢字運用水平極高👍👍👍
でもこれ昼間に偵察機が飛んでて都市の場所特定されてたからそんなに効果なかったんじゃないかな 文字通り全都道府県の人口密集地ほぼ全部爆撃されたし
災害には弱いし戦時中には標的にされるから都市部になんか住むもんじゃねえですわな
東宝映画.製作ならば、S.T先生が スタッフの御一人なのかも 知れませんね。デザイン文字が美しい。当時、フィルムも 貴重品。 使い回しされた事も アッタようです。映像の割烹着姿のご婦人。 黙々と製作に励む 職工さん。飛行機製作等 精密機械の製作には 全国から 熟練工が集められたとの事。(空襲の犠牲と なられた方々も…)。皆さんのお蔭で 今の我々の 日本が存続しています(合掌)。
できる事をやる。やらせる。
油断しすぎない心と安心を生む。
実際に念仏以上の効果はあった。
だが一部では効果がなかった事にもされる。
それは敵国の正確な計画と計測、それが乱れても歪曲成績や的確な計画変更によるものだ。
「光が外に漏れちゃダメ」言うてたら
夜道は真っ暗ですね。
これじゃ、農村部なんかは夜は大人しく寝るしかないわ。
内務省社会局から防空局に行政権以降する時の作品でしょうか。今の政治家のコロナ対策の空論より分かりやすい。説明責任は真摯に取り組んでいる。どちらも解決策がないことは同じですが。
消しても国は焦がされたけどな....
B29が凄すぎた
スーパーフォートレス(超要塞)って言われるくらい無敵
弾食らっても直して飛べるくらい丈夫
今のボーイングの飛行機乗ってるくらい冷暖房完備してるから快適
박동혁
まぁ、第一次世界大戦、第二次世界大戦の頃が好きやからその頃の鉄道も好きやで
銃とか飛行機とか戦艦とか色々
B29は凄いけど、戦前の軍事雑誌にそれは既に載っていたりする。「B-31設計案」まで既に載っていたなあ。
B29が凄いのは、エンジンが壊れやすいのを前提として、エンジンを使い捨てにして、大量の予備エンジンをマリアナに準備していたこと。どれだけ工業力があるかってことだ。
昼間の間に徹底的に調査されてたから…
ちょっと不謹慎なんだけど、最初のゴジラの映画の劇中で所々映されていた今尚続く戦中の空気というか、生活様式や風俗、戦禍の翳りは正にこの時代の実体験と地続きだったのだろうな、と改めて思った。
モノクロ映像なんで余計にそんな雰囲気ですかね。
とくに不謹慎とは思いません。
ナレーションにも、映像の流れも流暢。カタカナ表記もあることから
昭和15年(1940年) は、戦前になるのでしょうかね。
自動車のヘッドライトに布をかぶせて減光するなんて危ないですね。
この時代ってテレビとか普及してたの?
この映像ってどこで流れていたのか気になる…。
おそらく映画館でしょう
訪問販売や新聞・宗教などの勧誘の対策に効果的だ。
これが僕が生まれるたった30年前の日本だとは。
@@hehe8031 50くらいじゃね
昭和15年(1940年)
その30年後は昭和45年(1970年)
そして現在は2024年なので、
54歳ということになる。
正しい標準語では動詞アクセントに二種の区別があるはずですが、この時代でもすでに混乱していますね。平板に発音すべき「超えぬ」を起伏型に発音して「肥えぬ」になってしまっています。
語中「ガ行音」は見事な鼻濁音ですね
わざわざ九段下に有る昭和館に行かなくっても、いまは自宅でスマホが有ればこういう戦前の動画が見れるんですね、
昭和15年の内務省がここまで詳細に夜間の敵の空襲を想定していたとしたら、昭和16年の開戦前に負け戦になると想定していたのかな?
そこまで見通した上で、今で言う自己責任でなんとかすれば?みたいなことを言ってたのかね?
今流行りの間接照明や遮光カーテンって、知らず知らずの内に燈火管制させられてる…?
東條英機「わしらの時代は大変だったのだ💢」
英霊たち「そうだそうだ💢」
内容はともかく
昭和15年の日本は我々が思うよりモダンで、昭和40年頃までとそんなに変わらない感じです
ただアナウンサーの鼻濁音はさすがに違和感を感じるほど今と違ってますねー
これある意味節電
コロナ禍見るに、日本人は3年が我慢の限界ですかね
日本語が聞き取れることにまず驚く。今と変わらない日本語。そしてホラー映画みたい笑。
そりゃもちろん今と変わらないよ。いまの90歳ぐらいの人と普通に会話できるでしょう。これはテレビのアナウンスだから違和感あるけど、日常会話なら現代人と何も変わらない。
でも所々ちょっと違和感ある言葉遣いもありますね。
例えば 3:01「こんな遮光具も一つの『思い付き』です」とか。
「思い付き」は今なら普通「ぱっと頭に浮かんだ未だ熟慮を経ていない考え」ぐらいの意味で使いますが、ここでは「新しい工夫」ぐらいの意味になるんですかね。
明治時代の数々の文学作品を思い出してください。あの頃から口語体で書くことが多くなりましたが、今の人でも全く支障なく読めるでしょう。昔の文章が読みづらいのは文語体で書かれていたからで、下手したら江戸時代後期ぐらいでも会話が成立することまでありえます。
@@ied88dkc 「適当」を正しい意味で使ってたりね
Who knows what technologies of Manchukuo, Kochang Kims, and Nihon were lost during the Fall of 1945.
日本が力を入れて力を入れても中国の3段目の階段を降り、2段目の階段を降りるしかなく、海抜が高くなり、大興安嶺、太行山、巫山、雪峰山の障害に遭遇した。さらに日本の兵力が乏しかったこともあり、この時はすでに櫓の末になっていた。大規模な軍事行動を再組織するのは難しい。
How late in the 1940s is this?
just 1940 era.
東京都ハ灯火管制セヨ
この当時、まだ若かったけど懐かしい
サムネLSDのバイオレンス街かと思った
工場の遮光は至極もっともですが、
空襲警報が鳴っても退避させてもらえないのですね('ω')
滝沢優
空襲警報なったら大体は近くの防空壕に逃げるぞ
何故、アホが湧くんだろ
@@manager5164 なお防空法
敵機来襲敵機来襲
80年前の日本
美しい国だ!
何処が?
節電節ガスetc。今も通じます
これは、、まるでモデルハウスのような素敵な家ばかりですね。それに、まだ衣服規制の出る前なので女性は和服、お店では反物も売っていてまだまだ長閑な感じがします。
映像は「訪問販売」対策の為の「灯火管制」を説明するものですか?
これ本物?
今じゃできないな。
性要重の制管火燈
戦時中の物理的な暗さを代表する施策ですね
タワマンやパチンコ屋を遮光するにはどうすればいいですか?
それは、建物疎開しかないでしょう
パチ屋は全く迷惑だな。
まさしく光害だ。
ところで、最近は店内が外から見えない店舗が多くなった気がしますが。
むしろ遮光せず敵の爆撃で跡形もなく消し去らせておけば手間も省ける
Geçmişten bir görüntü sergileniyor yıllar önce inşa edilen yaşanan bir mekan şu an var mı yok mu bilinmiyor bir gerçek ki o devirdeki insanlar şu an yok sessizliğin içinde hapsolmuşlar insanoğlu onları anılarında saklıyor sevinçleri mutlulukları yok artık sadece anılar da cenabı allahutaala'nın cenneti inançlı olanların sığın ağı ahirette hepsi bekliyor ecdadımız şu an biz varız iyilik yapmak ve güzel şeyler yaşatmamız bizi mirasımız
大阪で再現しそうだと聞いて。。。
目が悪くなりそう。。。
ぶっちゃけ、灯火管制していても意味があったかというと……
こうなったら降伏しろ
スネ夫が灯火管制を解説する動画
英霊ってだけで喜んで死んでくれるんだから不満なんて出なかったんだろうなぁ🤔
こわい・・
これ、結局意味なかったんですよね
この頃にはもう洋室の家なんてあったのか(´・ω・`)
てっきり戦時中といえば瓦屋根の木製の家で畳の和室の家ばかりなのかと思っていたよ(´・ω・`)
でもこの頃に洋室の家に住んでたりしたら、非国民だと文句を言われたりしたんだろうか?(´・ω・`)
戦前には文化住宅の様に和室だけでなく洋間もある家も作られていましたからね。
早い話電力会社が元栓を切った方がよくねえか?
工場や鉄道がストップするじゃん
それに、局地的に送電をストップさせるのも難しいんじゃない?
@@poop_making_machine 工場とか鉄道は家庭の配線とは別だと当時は汽車もSLが多かったのでは?
@@あかお幸四郎 wikiによると生産活動・経済活動・市民生活を継続させるためらしいよ
當年日本如果沒有攻打美國珍珠港,今天的台灣人應該講著日語。
ショーウィンドウとか
敵性言語狩りが叫ばれた時代でも
御国のだと普通に使われていて草
不気味…
なにが?
一般ピーポーに小難しい事を言う前に、戦争すんなってんだよ!
まるで戦前みたいで草
戦前ですよ
実際、灯火管制は無意味だったんだってね。
効果絶大ではなかったけど、やらないよりはやった方が良かったらしいよ。
光が漏れた家が狙われたって証言がある。
精密爆撃で効果が出ないのに業を煮やしたルメイくんが日本の家屋は皆軍需工場って言うパワーワードで国際法無力化したからね。本土が焦土化されたのは戦争末期ですから
戦争に負けたら原爆落とされても正当化されるから怖いねー
もし、ドイツが勝ってたら(まぁ、米英に勝てるはずないけど)ヒトラーのしたことも正当化されてたんやろね
勝てば官軍負ければ賊軍とはまさにこのことですね
B29には爆撃レーダーなるものがあってな、おおよその位置まで飛んでスイッチ入れるとね。自動操縦と自動投下であらかじめ入力された地点付近を爆撃出来るのよね。だから灯火管制は無意味だったろうね。最初の編隊が焼夷弾落とせば嫌でも町中炎で明るくなるもんね。
こんな本土空襲されてる時点で遮光とかズレた事言ってるのにツッコメ無いのは恐怖でしか無い
この映画が公開された昭和15年はまだ本土空襲されてなかったんじゃ無いか?
それどころかまだ戦争すら始まってない戦前....
It's a natural preparation because you sold a fight to a big country
釣りドコモ時間んが限られている為雑に釣ると夜中に落ちてしまい制裁を受けて俺のため皆制裁を受け仲間に迷惑かけた
吊床ですね。手早く上手に吊るのは、意外と難しいです。
日本使劲浑身解数也只能打下中国的第三级阶梯,再往第二级阶梯打,海拔增高,遇到大兴安岭、太行山、巫山、雪峰山的阻碍。再加上日本兵力匮乏,此时已经到了樯橹之末。很难再组织一场大规模的军事行动。