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子供も礼儀正しいし『ご苦労さん』と言うねぎらいの言葉も素敵。質素だけど丁寧な暮らし。
昔こういう形状の鉄の箱が回ってきたのを思い出します。昭和38年頃だったとおもいます。投入口に名前が書いてありそこにお金を入れて隣に回しました。子供だった自分は、みんながお金を入れた箱を何処に持っていくのか気になっていました。ある日箱を追いかけていき、行き場所つきとめました。そこは、青木信用金庫だったのです。懐かしい事を思い出させてくれてありがとうございます。
これってなんか定期的に見たくなりますよね。
わかる
「明るくっていいですね」「なんですか、これくらい、わけないですよ」こういう昭和の台詞がたまらない
昔、日本語の教科書にA「あら奥さん、とても いい着物ですね。」B「こんなのはボロで ございます。」というクダリがあったのを思い出しました。(笑)
いかにも昭和時代のちょっとした自分自慢ですね。家を改築した時などくらいしか、言えないセリフです。私も昭和世代なので、こんなおっかちゃんの細やかな誇らしさを聞いた覚えがありました。
古民家買ったんすよ修繕すると、過去の増改築の痕跡と一緒に、その家で生活していた人々の息遣いが聞こえてくるような体験をします。きっとこの映像の中にあった人々のような暮らしの営みがあったんだろうなぁ
足踏みはあっても駆け足はできないのが貯金である……名言!
ここには映っていないけど当時の女性には、素手による洗濯という重労働がプラスされます。身なりにかなってられない主婦を美しく変えていったのは化粧品でもスマホでもなく、白物家電だったんですよね。
60年前の山梨の田舎ですね。台所がきれいになってタマヨさん天にも昇るほどうれしかっただろうな。
銀行の支店も郵便局なども十分に地方にない時代に、貯金のシステムを自助努力で信用でクラブで運営していたことに感動しました。自宅で貯金することはやはり困難上、金融機関も利用できない時代だったと思います。こういう努力の上に私がいることを忘れないようにしたいと思います。
私の母の田舎(安曇野)の農家の家も私が子供の頃の記憶では、土間の三和土に竈門に井戸に掘りごたつ、囲炉裏、屋根裏に蚕部屋、煉炭室、五右衛門風呂、茅葺き屋根、むしだらけの離れのトイレ、太い梁に大広間…懐かしい。お盆には従兄弟大勢で帰省して畑を手伝い、西瓜を池で冷やして貰って縁側で食べた。午後には襖を外してみんなでかやを張って蝉時雨の中のお昼寝。夜はウシガエルの大合唱と満天の星、蛍の光の中で寝る。でも今思えば長男の叔父さんのお嫁さんだったおばさんは、一人で接待にテンテコ舞していたと思う。姑と同居し、田畑に子育てに親戚の接待、本当に苦労してたと思う。みんなにご飯作って他の嫁も手伝ってたけど、いつも土間にいた記憶で、なのに自分のご飯は床が居間より一段下がった小部屋で一人でかき込んでいた。農家の嫁は代々そこで食べたらしい。やはり台所や風呂は真っ暗。もうおじもおばも亡くなり、両親も呆け、色々思い出すと胸が苦しくなる。
私の亡くなった母とオーバーラップして、心の中で母にありがとうといいながら観させて頂きました。心温まる貴重な映像をありがとうございました。
「足踏みは出来ても、駆け足は出来ないのが貯金です」すごい良い言葉だなあ
こういう映像を観るたび、自分の命は自分だけのものじゃないんだなって思いませんか。自分は数10年前に生まれただけかもしれないけど、それを可能にしてくれたのは、そこまで何世代も命を繋いでくれてきた人たちのおかげなんだなって。TH-camと投稿主に感謝。
この映画見てではないけれど、そう思いますよ。実は何百年、何千年もの間ずっと命は繋がってて戦争や飢饉、病気などで途中で途切れてしまった命もあるのに、それでも私が生きているというのは、実はとてもありがたいことなのかなーなどと考えてしまいますね。何百年、何千年と繋がってる命、凄いですよね、大切ですよねだから、子どもたくさん作って未来に繋いでいってほしいです
本当に崇拝すべきは神でも仏でもなく先祖ですね。訳わからんビジネス新興宗教なんか消えてくれ
いい事おっしゃいますなぁ。
本当に同感します先祖の日々の積み重ねの上にいるのだなと
私は110歳です。1950年から1980まで、ずっと日本に住みました。だから、あの時をよく覚えます。'50年から'80年まで、日本は本当に良かった。1990年から、変わった。
3:39「すべては一歩一歩。すべては1つが出来て、次である。」なんでも全部一度に欲しくなるけど、少しずつで我慢して買いそろえたり整えていくような忍耐強さも人間には必要なのかなと思いました。何不自由ないこと、なんでも買い揃えられてしまうのが当然になっている子供たちにも見せて、みんなで考えたいと思いました。
歴史上の人物だけが世界を作ったのでなく、こういう圧倒的多数の普通の人たちが、世界を作ってきたんだよな。
bk めて
おて
こて
こんなのに便乗するわけ....いて
はて?🤔
当時のお母さんたちの涙ぐましい努力は、涙なくして見られませんでした。こうした記録は後世まで伝えたいですね。久米川さん、ありがとうございます。
本当に明るい台所はやる気がでるよね。
山梨がルーツの私。ひいおばあちゃんやおばあちゃんの世代は、こんな気持ちで日々を過ごしていたんだなと思うと胸が熱くなります。台所が明るくなる、かまどと流しが近くなる、こんなことがとてつもなく嬉しい。そのために毎日一生懸命働いて貯金をして、人との関わりを持って。素晴らしい映像を残して下さってありがとうございます。見ることができてとてもうれしいです。
なんか分からんけどお母さんと御先祖様ありがとう
61年前のものとは思えない鮮やかなカラー映像。当時の農村地帯の生活の様子と当地の主婦たちによる、生活改善のための懸命な努力。その一つとしての、とある一家庭のリフォーム光景がよく伝わる内容でした。後世に残す映像資料としての価値は極めて高いと思います。
ここでいきなりスマホ持ってる人出てきてほしいなぁ😂
もっと評価されるべき動画だ
わずか60年前と言っていいのか、60年も大昔の事と言えばいいのか、現代では考えられないような苦労をして生き抜いた先人達の改善の努力の積み重ねの上に今があるんだなと考えさせられた。自分はこんなに楽に暮らせてしまって良いのだろうか?とさえ思ってしまうほどの苦労。あと映像が凄く綺麗なのに驚いた
60年後の人々から見たら我々の暮らしも苦労に満ちたものでしょうから、胸を張って楽をすればいいと思います。先人達もそれを望んでいるはず。
壁が壊された瞬間、タマヨさんの顔に光が差し込む演出がいい笑
なぜかオススメに出てきた。でも最後まで観てしまった!
友人に薦められて…☺️
ワイも、しかも仕事中w
私は西成TH-camを観ていたら突如オススメに
「この手でどうにか明るい台所を手に入れなければ」そう思うと、思わず力が入ってくる。ってこれなんですよね。自分で何とかしなければっていう精神。そして、大切な貯金を子どもが運び、他人を信じて預けられる社会。(これは現代社会では、犯罪に繋がる可能性大だから 真似は出来ませんね。)忘れてた大切なことをあれこれ思い出させてくれる動画でした。「誰かがやってくれる」とか「誰かのせい」とか、何ごとも他力本願になっていては、夢は夢のまま、何も変えられないってことですよね。
出た~。100円札と穴の空いてない50円玉。懐かしい。そして何よりも嬉しい事にもう58年も前なのに何と鮮明なカラー映像。まさに古き良き時代の日本。物質的には今よりずっと貧しく生活もいろいろと不便だったであろう事は映像でうかがい知る事ができる。でも全然不幸に見えない。それどころかもっと豊かな未来を築こうと皆が一所懸命に頑張っている。人の幸不幸はその時の物質的豊かさだけじゃないんだ。大切な事はより豊かで幸せな未来を信じれる事。因みに私は昭和31年(1956年)生まれ。この映画が製作された頃私はまだ2歳の小さな子供でした。それだけに当時の私の両親の苦労が偲ばれて何とも言えない気持ちがします。
うちの母ちゃんも、たまよさんのように黒くやけてた一日朝から晩まで畑仕事だったから、晩御飯の支度はそれは大変だったでしょう生活を良くしたい想いが込められていて、その時の母ちゃんの気持ちが解るような映像でしたありがとうございます
コレ5、6年前に見たけど偶然上がって来てまた見いってしまった。光が差し込むのがどれ程嬉しかっただろうか。たまよさん達 の、いや日本人の頑張りがここにはある。
今私の目の前にある貯金箱にギザ10が入っていますが、もしかしたらこの人達が必死に貯めた物が巡り巡って今自分の手元にあるかもしれない、と考えると、何だかロマンを感じます。
祖母が毎日毎日、嫁に来たばかりの時は本当に親戚集まって暮らしていたから辛かった。何でも長男の嫁に仕事が回ってきて苦労した。って言っていた理由が分かったわ、
当時の辛い生活があったからこそ現代の人が一人暮らしでも楽に過ごせる様になったのですよね。炊事一つにしてもお湯が自由に使えなかった。そもそもお湯が出なかった。洗濯は全て手洗い。田舎では当時は未だ水路で。掃除も広い幾つもある部屋を丁寧に埃を落とし、拭き掃除。勝手に床を掃除してくれるロボットもいない。暗い時間から家事を始めても一日仕事。現代は機械にやらせておけば他の時間に身体が使える。当時の主婦の想いに感謝ですね。
田舎は助け合いと言うけど、結局ヒエラルキーの低い奴にしわ寄せが行くだけなんだよな。
女性の人権はやっぱりこういう足元から回復すべきなんだと思う。キーキーと醜く「政治」活動しているフェミニストは、果たして彼女たちの負担を減らし幸福を増やすことに本当に貢献しているといえるのだろうか?もう人生後半のおっさんだけど、19世紀的な古臭い女性解放主義者の自分としては、新卒の時に東芝か日立あたりに就職して、女性がより負担が感じずに家事が楽しめるような家電を開発してもよかったのかなと思う。
👍素晴らしい日本の人々。こころから学びたいんです。
ただ窓がついただけそれだけで赤飯炊いて挨拶回りするほどの喜びを感じてた時代本当に美しい時代
昔は窓どころか我が子(娘)が初潮を迎えるだけで、近所に赤飯配って回ったんですよ。
@@kaori6168 へぇ!?そうなんだ知らなかった
@@はたはた-g9b さんうちは勿論しなかったですが、お隣は同級生のお祖母さんが配ってましたね。35になりますが、
何が美しいのかよくわからん
@@rosech.666 趣深いって話でしょ余裕持って生きよ?
この明治大正とさほど変わりないこの田舎の生活。とても今からは想像できない光景だが、この人が一生懸命貯金している中にある10円硬貨は1953年から世に出ているもので今もなお使われていると言う事実、、、恐るべし10円玉
昔の10円って、子供のお小遣い程度なのかな。今だったら、10円でなんてうまい棒しか買えないからな。【追記】ヤバい誤字ってましたw。簡単に直せる世の中になったのぉ
もはやうまい棒も買えない…
手元にあるギザ十の見方が変わって来ますね。
その着眼点すき(。・ω・)ノ゙
私も長い時の流れの中にいる 日本人で良かったと思いました🥲
思わず見入ってしまい、気が付けば最後まで見てしまいました。
ここに登場する主婦の皆さん、ちょうど私の母の年代で、背中におんぶされていた赤ん坊が私くらい。冬になると今みたいに蛇口から温水がでるわけじゃなし。母は冷たい水で野菜を洗ったり皿を洗ったりしてたな。土で汚れた物などは、裏の井戸水で洗ってた。暖房と言えば豆炭の掘りごたつ。炭を入れた火鉢。懐かしい昭和だね。
昔の女性(男性も)は大変だっただあ~。陰気くさい家屋の壁をぶち抜いて窓をつける~~~明るくする。いいねえ。象徴的だ。アップロードありがとうございました。
自分の貯金があちこちの家を回るって、相当な平和的信頼関係がないとできないですよね。
他国なら持ち逃げされて終わりですね。自販機を外に設置出来ないのもそういう理由ですし。
たのもし制度は田舎はまだありますよ、沖縄とかじゃ当たり前らしいけど
講だっけ
「お互いさまで支え合う」精神ですよね。
この辺じゃ無尽ちゅうもんもあるらよ。おんなじ
足踏みはあっても駆け足が出来ないのが貯金である がなんか響きました、、、
昨日レジしてて少し動画にも写ってた1958年の五円玉を見かけたんだけどこの時代から流通していたと思うと改めてすごいと思う。ましてや、この時代は筆五だし日本國表記。みなさんも探してみてはいかがでしょうか
動画の後にお勧め自動再生で流れたので最初は何気なく見ていましたが、見ている内に亡くなった祖母が語っていた事と映像とが重なる所が多々あり、言葉で表現出来ない様な感動で胸がいっぱいになりました。
知られざる名作を見つけた気分だ。編集のリズムと作法に往年の映画人の気風を感じる。演出した八木仁平の名前は覚えておこうと思った。
山梨では今でも無尽や貯金会と言う形で、コツコツ貯める文化が残っています。もっとも貯めたお金は旅行に変わりましたが...
そういえば、お袋、羽釜に残った米粒をお茶で、こそいで食べてたな。懐かしくも有り良き時代。反省しきり!
そうだよね。毎日台所に立つ主婦にとって暗い台所だと気も滅入るよ。
昔は皆が貧しい時代だったから、互いを思い遣り且つ相互扶助を出稼ぎで家を守る主婦が担っていたんだね。不便だからこそ、有難みや感謝の念、想いが強く幸せを感じられる事が出来てるように思える。この先人たちのお陰で、今や地方の方が家も広くて便利な作りになって生活出来てる👍✨地方で暮す親戚の家は快適だもの😊
「男たちに負けない。自分たちにできることを考え自ら改善する」という普通の主婦の方々の心意気が素晴らしいと思いました。単に男性に対して敵対心をむき出しにするのではなく、主婦という立場から生活をどのように改善するか、主婦同士で様々な知恵を出している様子をこの映像で見て昔の人々の尊さを感じました。貴重な映像を有難うございます。
この時代の人々の努力があったからこそ、今の豊かな暮らしがあるんですよね。本当に勉強になりました!洗い物が面倒だとかご飯炊くのが面倒だなんて言えなくなっちゃったなぁ。。
兎神蒼 一人暮らしが簡単に出来る時代ですからねこの時代に一人暮らしとかまず無理都会に出て寮や集団生活でなんとかできるレベルでしょうね
いろんなことに感謝したくなるね
今の人の方が圧倒的には忙しいからいいんですよ
過去・現在への感謝の気持ちを持ちながらも、未来に向けた「面倒だ」「もっと良くしたい」という気持ちが技術発展のキッカケになるのかもしれませんね。
食洗器入れて生活改善しなきゃ……!(使命感)
たまよさん良かったね こんな風景が日本にもあったんだなあ 恵まれ過ぎている今、折に触れて立ち止まって思い出したいものです
けなげで懸命な姿に涙が出てきます
今も地方に行けば目につく生活改善センター。「生活改善」とは何ぞやと思い、文献では読んでいましたが、映像は初めて見ました。貴重な映像に感謝。
15:12 「降りる方がすんでからお乗り下さい」いつから心がけられるようになったのか分からないけれど、今でもそれが常識として受け継がれ続けてるのなぜか感銘を受ける
なんという素晴らしいドキュメンタリーでしよう。!!!!!このような、人々によって今の豊かな日本が築かれたということにありがたさを持って生きなければバチが当たりますよね。
土壁が壊されて窓が開く場面がとても感動的でした。この地区は女の人達が逞しいですね。
同じ頃祖母も似たような活動してたらしい。貯金じゃなくて募金だけど、家々を回り5円10円を集めて帳簿をつけてたとか。コーヒー飲んだつもりで、ブラウスを買ったつもりで、と皆協力してくれたらしい。募金した先は当時明日の試合の為の遠征費すら事欠き、チーム解散寸前だった広島カープ。戦争で何もかも失った祖母達広島市民の唯一の希望の花。絶対に私らが守ると必死だったとか。
あわわわ。。。半年も前のコメント読んで涙出ちゃっいました。ジーンと胸に来ました。
@@Kカッキー ありがとうございます…。祖母によると、一番困窮していた頃は広島駅にいる遠征出発前の選手へ直に汽車賃や切符、お弁当を届けたりしていたそうです。時にはいち早く募金を届ける為にパトカーが先導したり、駅長さんがこっそり各地の鉄道員宿舎を無料で借りれる様に便宜を図ったり…。この動画の活動もそうですが、人と人の繋がりが薄れてしまった現在ではあり得ない事ですね…。
カープは市民球団と呼ばれてますね😊
@@norealhero1951どれだけお金無かったのよその頃の広島カープ、、もっとお祖母様のお話聞いてみたいですね
映像はもちろんですが音色豊かで郷愁を感じる音楽も素晴らしいです。
私の両親の田舎が、東八代郡八代町(今の笛吹市)にあるんですが、茅葺き屋根で土間があり釜戸も有るんですよ。家の中に入った途端、何とも言えない良い匂いがして、郷愁を誘うんです。釜戸で薪で炊いたご飯は最高です。
釜戸に薪いいですね。私もご飯を食べてみたいです( ˊᵕˋ )
凄いときめいた現在もあるということですか羨ましい
子供が集金箱持って歩く平和さよ。あと、タマヨさん宅の改築前の暗い台所でもわかるくらい綺麗に扱われているお釜。昔の人は本当にマメだ。
昔の日本は今よりは治安悪いだろうけど、それでも世界的に見れば圧倒的に平和だったんだろうな
専業主婦の家事が、現代より明らかに重労働で大変そうなに、現代人よりずっと謙虚で我慢強い女性の姿に、同性として尊敬します!!
今の専業主婦は声ばかりデカくて尊敬できない。やっぱり見下しちゃう
よくこんなフィルムが見つかりましたね。
地元県民の私にとっては嬉しく、懐かしい貴重な動画です。昔はお米を粗末にすると目が潰れてしまうと云って育ったものです。
私も小さい頃にお米を一粒残すと目が潰れると習って育ちました。未だに米粒一粒残した事はありません。
地方病の心配もあっただろうしな。
日本の母ちゃんの愛と忍耐😭彼女達が陰の力持ち💪🏻誇りに思う🙏🏻
なんかうっとりして見させていただきました。直火で炊くご飯おいしそう。味気ない新建材やアルミサッシなどではない本物の土壁、木の窓枠など今ではまた見直されてきています。本物の豊かさとは何か考えさせられます。日本人女性ってお化粧なしでとても綺麗だったんですね!
この時代のナレーション聞きやすくて好き(ガ行の発音とか)人々がみんなお互いに我慢し、協力し合う、強くて優しい時代の映像
みんな協力して生きてるなぁ。生きてるって感じする。
この頃の5円や10円玉が今でも流通し普通に使われているんだからすごいね。
趣味でぬか漬け始めた時、「昔は土間や台所が風通しが良く気温も低く、光も当たらない為保存には適していた」って聞いてやっぱ現代だと冷蔵庫だよなーってくらいにしか思わなかったんですよそこで毎日炊事する為にお母さんが生活していることに考えが至らなかったのがもう情けないやら恥ずかしいやらごめんなさいありがとうってなりました
このビデオと同じ歳ですが、かつて味噌、醤油等は自家製が多く、私の家にも背丈以上の味噌樽がいくつかありました。後、冷蔵庫のない時代なので、日当たりの悪い西、北側に暗い倉庫や台所があったのです。お年寄りの話より映像がは、もの凄く説得力がありますね。
農作、手仕事、家事、何でもこなす、百の仕事も出来る、よって百姓決して蔑称ではない
なんかね、古い壁が崩れた時涙出たわ。昭和末生まれだけど、古びたばあちゃん家の台所も、当時としては夢の様なものだったんだな...と思って。
たった55年前のこと。なのに大昔のように感じる。都会と田舎ではこうも違ったんだな。今でもそうだけど、女性にとって台所は大切な場所。この時代だからこそ余計に、台所の改善が出来て、心から嬉しかっただろうな。
1958年制作だから61年前では?
apricot 03 女性にとって?今の時代そうじゃないだろ
台所は北側で足元は土間の家もありました。冬場は箸が凍ってるので、朝ご飯の炊いてる釜の縁に並べるんよ
偶然見かけた短編。冒頭の映像から立ち上がる65年前の故郷の空気感。懐かしい甲州弁の会話。よくぞ記録を保存しておいてくれたと感謝。板ガラス協会の製作というのに納得。素晴らしい音楽。よく練られたナレーション原稿。甲州弁の生きた資料と言うべき主婦たちの会話は、おそらく、演出の意図に依るものだろう。今はなき山梨交通線の電車(ボロ電)の入線映像。お宝映画でした。
素晴らしいです。現富士川町民(旧増穂町)ですが、この映画の中の東小林は、現在の大字最勝寺の中にある場所ですね。今の光景も、背後の山の形は同じだし、基本的に田んぼも同じですが、その中にある程度住宅が増えています。そして、山梨交通電車線と思われる電車も写っていますが、それが走っている動画ってもの凄い貴重だと思います。当時の町民のリアルな生活が見れて良いです。
タマヨさん、台所明るくなって良かった〜😭
感銘を受けました。釘付けになって最後は本当に輝かしく見えました。窓を付けたら室内が寒くなったろうなと思いつつ、でも心が洗われました。
貧しいけど何かが豊かな気がします。
僕も同感なのです
心が豊かなんだよまーそれでも今の生活のほうがいいけどね
今の生活と比べるのはさすがにナンセンスだと思うけど、たしかに先々の目標があって気持ちは明るかったのかなーって感じるね。
関東圏だがこの家は裕福だ。自分の場合ちゃんとした風呂場が出来たのは1966年頃、鉄釜で薪で焚き。飯もそれまで土間の釜炊き、炊飯器は小4頃導入冷蔵庫は中1頃だった。家は兼業農家で現金収入が有ったが、他専業農家は養蚕で家はでかいが生活は質素。映像の家は相当な旧家で元庄屋さんクラスだろうな。60年代後半オリンピック以降から高度成長時代で急激な車社会到来。だが企業排水、ばい煙撒き散らしプラゴミ収拾したが河川脇に捨て放題。しかし今は幼児虐待死など当時はは殆聞かなかったと思う。皆そこそこ貧乏だったが昔の主婦は働き者だった。今は情報有りすぎて不幸だな。
自分は今の方がはるかに豊かだし、こんな時代はまっぴらごめんだが…心の豊かさ云々って、それ今自分は心が貧しいですって言ってるようなものでは。
タマヨさん頑張れ❗頑張れ‼️と思いつつ、『満足に燃えたためしがない』で笑ってしまった。
この時代を生き抜いた方たちには脱帽だよな。 今じゃ数時間のライフライン止まっただけでも文句の嵐だもんな。 これが人間としての生き方だと思うな。
親戚宅の台所は冒頭3分頃に出てきた風景のまんまでした😳 古くて誰も使わないので最近、全棟取り壊されてしまいましたが、このように使われていたんだと思い馳せると胸いっぱいになりました…。
たまよさん、よかった。素晴らしい努力と周囲の援助。現代は繋がりや援助をうざったがる時代で困っている人間は取りこぼされている。この時代の共助の精神の高さに学ぶことは多い。人道的でもあり、合理性がある。
60年代~70年代の家は窓が大きくて、時々雨戸の無い家もあります。防犯を考慮した現在では考えられないのですが、この映像を見て納得します。さらに前の代の家は窓が無くて薄暗かったからですね。
なぜか、泣けてきました。日本人の本質の一部を見た気がしました。ありがとうございました。
礼儀作法が良く、これ食い入るように観てしまった。日本か、これ。すごいです。夢いっぱいあって、貧しいのが問題ではなくて、何というかわからないけど。。現代は別の意味で貧しい。
戦前の日本の田舎を見た外国人が書いてました。物や金は豊かではなくても、親切で礼儀正しく規律あり、笑顔で優しく心豊かな日本人はアジアで一番だと。
私は外国人としていいますと、日本は戦後米国からの政治的干渉はあったとはいえ、非白人文化や非石油圏として唯一植民地化やODAなどを通した海外からの援助に頼らずに自力でグイグイと伸びました。それがここに見られるような美徳や大きな夢に繋がったのではないでしょうか。他国の援助で発展した国々では「援助してもらって当たり前」という感情が蔓延してしまい、感謝どころか国民は逆に援助してくれた国々に不満や恨みつらみだらけになるように感じますし、節度や謙虚さの重視などといった国民性も、海外からの援助で成り上がった国々の人たちには分かりにくい概念でしょうね。それが失われない事を願うばかりです。
感謝して汗かいて生きてればまた豊かになるさ
貴重な映像を見せていただきありがとうございました。地域の人々の繋がりが強い。粘り強い努力。今の日本が忘れた物。
今の日本ばかりでなく世界中で同じようなことが、起きているね。特に第三世界で。
人と関わることをほぼ強要されてる感じが嫌かな個人的には
たまたま本日(2022/08)この動画を発見しました。母の実家が増穂町青柳だったので赤子の私はこの電車(山梨交通電車線)に里帰りで何回か乗っています。記憶にはないですが。薪を炊く五右衛門風呂。壁面の鉄が熱いのでこわごわ入った少年の頃。朝の歯磨きは庭の井戸でした。竈も薪だったかもしれません。その後プロパンになっていました。私の生まれたころ(1957年生まれ)の映像。櫛形山の麓は母の故郷です。興味深く拝見しました。
身延線じゃないしなーと思いつつ見ていましたが在りし日の山梨交通ですか
@@4l329l 下り、上りで2度ほど出てくる駅は長沢新町駅ですね。15:12でトンネルくぐる上は利根川(天井川)。いまの廃軌道では車道は川の上を通っています。
皆清らかな心で村の婦人が助け合っている素晴らしい動画。❤ありがとうございます
内容の充実、感動致しました。ありがとうございます。
窓ひとつ、こんなに感動的なことだったのか
これは山梨の田舎ということだが。わずか60年前はこんなもんなんだよ。文明の進むスピードは凄いとおもうよ。でもこの暮らしをしていれば公害は明らかに少ないであろうし、物の大切さや感謝する気持ち現在よりはあったのだろう。
茨城県の母親の実家は昭和50年代までこんな感じだったよ。土間の釜戸がLPガスになった程度で風呂は薪で沸かしてた。昭和62年頃大幅にリフォームしてやっと現代的になった。
貴重な映像ありがとうございます。私も小さな時お風呂は薪で焚き付けて、私の仕事でした。不便な事は沢山ありましたが。母は質素な中から沢山愛情をかけてくれて感謝しかありません 良い時代に生まれて幸せでした
定期的に見てしまう中毒性😅
いい映像ありがとうございます。うちの母も昔から台所をなんとかしてと嘆いてのを思い出します。主婦は大変なのです。でもカマドで炊いたご飯は最高です。 お焦げのおにぎりは最後の晩餐で食べたいもののひとつです。
農家の人の暮らしを知りたかったので、この動画に出会えて良かったです。とにかく消費する現代では、諦めずにコツコツやっても追いつかない気がして滅入っていましたが、毎日の貯金は駆け足したくてもできない、ひたすらコツコツやっていく、たまよさんたちに元気をもらいました。
映像で当時の人々の生活を知れる事が素晴らしい。(しかもカラー)言葉遣いや挨拶の仕方も興味深い。窓ひらく、なんとも力強い題名!この6年後にオリンピックが開催されるとは驚きです。新幹線が作られて、団地が作られて。台所は明るく使い勝手の良いものに進化していくのですね。
あって当たり前って何だかなと考えさせられました。地道にコツコツって夢があるんですね。今ではこのような精神って無くなってきてしまってるような気がします。
なんという脚本力、無駄な言葉が一つもない
coolh615 無駄なテロップ、ワイプも無い。あー見やすい。
だよねー、基本がいちばん
ユーチューバーの拝金主義特有のスリの目遣いもない
なんですか、これくらい、わけないですよ。
懐かしい映像有難う御座います。 昔を思い出します。
ドキュメント映画とはいえ、みんな台本どおりの芝居をさせられてセリフは棒読みだけど、壁をぶち抜いた瞬間、タマ代さんが静かに喜びを爆発させる表情はどんな女優も敵わないな。
北の映画に似てるなあ
喜びの時を迎えた瞬間の彼女の表情に、私までジンとしました!
家事めんどくさいと思うこと多いけどこれ見たら何も言えねえいくら再現映画とはいえなにか突き刺さるものがあるわ
楽になればなるほど色々面倒くさい(笑)
今はコンビニでもスーパーでも即席食品や惣菜お弁当が買えちゃうけど、この頃って家事炊事ちゃんとしないと生きていけなかったからねー。洗濯も数時間かけてやるものだったし、今じゃ粗末だって言われるような食事もやっぱり数時間かかる。そして畑仕事もあるってなるなら、もう何も出来ないよね…。
家事は女の義務だから、少しでも機械や思いやりで楽をさせて貰わないとね。
@@Seaza_Sr1家事は女の義務ではないよお前がやったっていいんだよ
@@user-dwjn9muvxi0 大昔から世界中でそれが役立たずの女のせめてもの役割として分担として決まってんだよ、バカ。
非常に感動的でありました。タマヨさんと御家族が今もお元気だといいなあ!
死んでるだろ
野良着だし、日焼けしてるし化粧していなから、すごいおばさんに見えるけど、たぶん35歳くらいなんじゃなかろうか。だったら100歳前でまだご健在の可能性はありますよね。息子さん娘さんはどちらかは間違いなく、、、、この映像見たら感激するだろうな。想像だけど、甲府市内のマンション住まいだったりすると、子供のころとの生活の違いが大きすぎて、、、、
いまとは比べ物にならないほど不便で貧しい世代。けれど活力や明日への希望は、先人たちのほうが強かったように映ります。
差別の塊だけどねこのころは
ゲームやゲーセンないのはきちーなオンラインでゴミカスの雑魚を煽りプレー出来ない
アリエン・ロッベン そういうことしてたら生きていけない時代だったからねー今は豊かになったと思うよあなたみたいにゲームでマウント取ることが生きがいでも生きてられるんだもん
@@Koyo0623 今はいい時代やな
あっきー イイジダイヤー
ガラス協会の宣伝。でも暮らしをよくしたい女の人の気持ちに涙が出ます。
おぞましい今の電通cmに比べたら教育用に使えるレベルでしょ
協力し合って豊かになる。良いなあ。
子供も礼儀正しいし『ご苦労さん』と言うねぎらいの言葉も素敵。
質素だけど丁寧な暮らし。
昔こういう形状の鉄の箱が回ってきたのを思い出します。昭和38年頃だったとおもいます。
投入口に名前が書いてありそこにお金を入れて隣に回しました。
子供だった自分は、みんながお金を入れた
箱を何処に持っていくのか気になっていました。
ある日箱を追いかけていき、行き場所つきとめました。
そこは、青木信用金庫だったのです。
懐かしい事を思い出させてくれてありがとうございます。
これってなんか定期的に見たくなりますよね。
わかる
「明るくっていいですね」
「なんですか、これくらい、わけないですよ」
こういう昭和の台詞がたまらない
昔、日本語の教科書に
A「あら奥さん、とても
いい着物ですね。」
B「こんなのはボロで
ございます。」
というクダリがあった
のを思い出しました。(笑)
いかにも昭和時代のちょっとした自分自慢ですね。家を改築した時などくらいしか、言えないセリフです。
私も昭和世代なので、こんなおっかちゃんの細やかな誇らしさを聞いた覚えがありました。
古民家買ったんすよ
修繕すると、過去の増改築の痕跡と一緒に、その家で生活していた人々の息遣いが聞こえてくるような体験をします。
きっとこの映像の中にあった人々のような暮らしの営みがあったんだろうなぁ
足踏みはあっても駆け足はできないのが貯金である……名言!
ここには映っていないけど当時の女性には、素手による
洗濯という重労働がプラスされます。
身なりにかなってられない主婦を美しく変えていったのは
化粧品でもスマホでもなく、白物家電だったんですよね。
60年前の山梨の田舎ですね。台所がきれいになってタマヨさん天にも昇るほどうれしかっただろうな。
銀行の支店も郵便局なども十分に地方にない時代に、貯金のシステムを自助努力で信用でクラブで運営していたことに感動しました。自宅で貯金することはやはり困難上、金融機関も利用できない時代だったと思います。こういう努力の上に私がいることを忘れないようにしたいと思います。
私の母の田舎(安曇野)の農家の家も私が子供の頃の記憶では、土間の三和土に竈門に井戸に掘りごたつ、囲炉裏、屋根裏に蚕部屋、煉炭室、五右衛門風呂、茅葺き屋根、むしだらけの離れのトイレ、太い梁に大広間…懐かしい。
お盆には従兄弟大勢で帰省して畑を手伝い、西瓜を池で冷やして貰って縁側で食べた。
午後には襖を外してみんなでかやを張って蝉時雨の中のお昼寝。夜はウシガエルの大合唱と満天の星、蛍の光の中で寝る。
でも今思えば長男の叔父さんのお嫁さんだったおばさんは、一人で接待にテンテコ舞していたと思う。姑と同居し、田畑に子育てに親戚の接待、本当に苦労してたと思う。みんなにご飯作って他の嫁も手伝ってたけど、いつも土間にいた記憶で、なのに自分のご飯は床が居間より一段下がった小部屋で一人でかき込んでいた。農家の嫁は代々そこで食べたらしい。
やはり台所や風呂は真っ暗。
もうおじもおばも亡くなり、両親も呆け、色々思い出すと胸が苦しくなる。
私の亡くなった母とオーバーラップして、心の中で母にありがとうといいながら観させて頂きました。心温まる貴重な映像をありがとうございました。
「足踏みは出来ても、駆け足は出来ないのが貯金です」
すごい良い言葉だなあ
こういう映像を観るたび、自分の命は自分だけのものじゃないんだなって思いませんか。自分は数10年前に生まれただけかもしれないけど、それを可能にしてくれたのは、そこまで何世代も命を繋いでくれてきた人たちのおかげなんだなって。TH-camと投稿主に感謝。
この映画見てではないけれど、
そう思いますよ。
実は何百年、何千年もの間
ずっと命は繋がってて
戦争や飢饉、病気などで途中で途切れてしまった命もあるのに、
それでも私が生きているというのは、実はとてもありがたいことなのかなーなどと考えてしまいますね。何百年、何千年と繋がってる命、凄いですよね、大切ですよね
だから、子どもたくさん
作って未来に繋いでいってほしいです
本当に崇拝すべきは神でも仏でもなく先祖ですね。
訳わからんビジネス新興宗教なんか消えてくれ
いい事おっしゃいますなぁ。
本当に同感します
先祖の日々の積み重ねの上にいるのだなと
私は110歳です。1950年から1980まで、ずっと日本に住みました。だから、あの時をよく覚えます。'50年から'80年まで、日本は本当に良かった。1990年から、変わった。
3:39「すべては一歩一歩。すべては1つが出来て、次である。」
なんでも全部一度に欲しくなるけど、少しずつで我慢して買いそろえたり整えていくような忍耐強さも人間には必要なのかなと思いました。何不自由ないこと、なんでも買い揃えられてしまうのが当然になっている子供たちにも見せて、みんなで考えたいと思いました。
歴史上の人物だけが世界を作ったのでなく、こういう圧倒的多数の普通の人たちが、世界を作ってきたんだよな。
bk めて
おて
こて
こんなのに便乗するわけ....
いて
はて?🤔
当時のお母さんたちの涙ぐましい努力は、涙なくして見られませんでした。こうした記録は後世まで伝えたいですね。久米川さん、ありがとうございます。
本当に明るい台所はやる気がでるよね。
山梨がルーツの私。
ひいおばあちゃんや
おばあちゃんの世代は、こんな気持ちで日々を過ごしていたんだなと思うと
胸が熱くなります。
台所が明るくなる、
かまどと流しが近くなる、
こんなことがとてつもなく嬉しい。
そのために毎日一生懸命働いて
貯金をして、
人との関わりを持って。
素晴らしい映像を残して下さってありがとうございます。
見ることができてとてもうれしいです。
なんか分からんけどお母さんと御先祖様ありがとう
61年前のものとは思えない鮮やかなカラー映像。当時の農村地帯の生活の様子と当地の主婦たちによる、生活改善のための懸命な努力。その一つとしての、とある一家庭のリフォーム光景がよく伝わる内容でした。後世に残す映像資料としての価値は極めて高いと思います。
ここでいきなりスマホ持ってる人出てきてほしいなぁ😂
もっと評価されるべき動画だ
わずか60年前と言っていいのか、60年も大昔の事と言えばいいのか、現代では考えられないような苦労をして生き抜いた先人達の改善の努力の積み重ねの上に今があるんだなと考えさせられた。自分はこんなに楽に暮らせてしまって良いのだろうか?とさえ思ってしまうほどの苦労。あと映像が凄く綺麗なのに驚いた
60年後の人々から見たら我々の暮らしも苦労に満ちたものでしょうから、胸を張って楽をすればいいと思います。
先人達もそれを望んでいるはず。
壁が壊された瞬間、タマヨさんの顔に光が差し込む演出がいい笑
なぜかオススメに出てきた。
でも最後まで観てしまった!
友人に薦められて…☺️
ワイも、しかも仕事中w
私は西成TH-camを観ていたら突如オススメに
「この手でどうにか明るい台所を手に入れなければ」そう思うと、思わず力が入ってくる。ってこれなんですよね。自分で何とかしなければっていう精神。
そして、大切な貯金を子どもが運び、他人を信じて預けられる社会。
(これは現代社会では、犯罪に繋がる可能性大だから 真似は出来ませんね。)
忘れてた大切なことをあれこれ思い出させてくれる動画でした。
「誰かがやってくれる」とか「誰かのせい」とか、何ごとも他力本願になっていては、
夢は夢のまま、何も変えられないってことですよね。
出た~。100円札と穴の空いてない50円玉。懐かしい。そして何よりも嬉しい事にもう58年も前なのに何と鮮明なカラー映像。まさに古き良き時代の日本。物質的には今よりずっと貧しく生活もいろいろと不便だったであろう事は映像でうかがい知る事ができる。でも全然不幸に見えない。それどころかもっと豊かな未来を築こうと皆が一所懸命に頑張っている。人の幸不幸はその時の物質的豊かさだけじゃないんだ。大切な事はより豊かで幸せな未来を信じれる事。因みに私は昭和31年(1956年)生まれ。この映画が製作された頃私はまだ2歳の小さな子供でした。それだけに当時の私の両親の苦労が偲ばれて何とも言えない気持ちがします。
うちの母ちゃんも、たまよさんのように黒くやけてた
一日朝から晩まで畑仕事だったから、晩御飯の支度はそれは大変だったでしょう
生活を良くしたい想いが込められていて、その時の母ちゃんの気持ちが解るような映像でした
ありがとうございます
コレ5、6年前に見たけど偶然上がって来てまた見いってしまった。光が差し込むのがどれ程嬉しかっただろうか。たまよさん達 の、いや日本人の頑張りがここにはある。
今私の目の前にある貯金箱にギザ10が入っていますが、もしかしたらこの人達が必死に貯めた物が巡り巡って今自分の手元にあるかもしれない、と考えると、何だかロマンを感じます。
祖母が毎日毎日、嫁に来たばかりの時は本当に親戚集まって暮らしていたから辛かった。何でも長男の嫁に仕事が回ってきて苦労した。
って言っていた理由が分かったわ、
当時の辛い生活があったからこそ
現代の人が一人暮らしでも楽に過ごせる様になったのですよね。
炊事一つにしてもお湯が自由に使えなかった。
そもそもお湯が出なかった。
洗濯は全て手洗い。田舎では当時は未だ水路で。
掃除も広い幾つもある部屋を丁寧に埃を落とし、
拭き掃除。勝手に床を掃除してくれるロボットもいない。
暗い時間から家事を始めても一日仕事。
現代は機械にやらせておけば他の時間に身体が使える。
当時の主婦の想いに感謝ですね。
田舎は助け合いと言うけど、結局ヒエラルキーの低い奴にしわ寄せが行くだけなんだよな。
女性の人権はやっぱりこういう足元から回復すべきなんだと思う。
キーキーと醜く「政治」活動しているフェミニストは、果たして彼女たちの負担を減らし幸福を増やすことに本当に貢献しているといえるのだろうか?
もう人生後半のおっさんだけど、19世紀的な古臭い女性解放主義者の自分としては、新卒の時に東芝か日立あたりに就職して、女性がより負担が感じずに家事が楽しめるような家電を開発してもよかったのかなと思う。
👍素晴らしい日本の人々。こころから学びたいんです。
ただ窓がついただけ
それだけで赤飯炊いて挨拶回りするほどの喜びを感じてた時代
本当に美しい時代
昔は窓どころか我が子(娘)が初潮を迎えるだけで、近所に赤飯配って回ったんですよ。
@@kaori6168 へぇ!?
そうなんだ
知らなかった
@@はたはた-g9b さん
うちは勿論しなかったですが、お隣は同級生のお祖母さんが配ってましたね。
35になりますが、
何が美しいのかよくわからん
@@rosech.666
趣深いって話でしょ
余裕持って生きよ?
この明治大正とさほど変わりないこの田舎の生活。
とても今からは想像できない光景だが、この人が一生懸命貯金している中にある10円硬貨は1953年から世に出ているもので今もなお使われていると言う事実、、、
恐るべし10円玉
昔の10円って、子供のお小遣い程度なのかな。
今だったら、10円でなんてうまい棒しか買えないからな。
【追記】ヤバい誤字ってましたw。簡単に直せる世の中になったのぉ
もはやうまい棒も買えない…
手元にあるギザ十の見方が変わって来ますね。
その着眼点すき(。・ω・)ノ゙
私も長い時の流れの中にいる 日本人で良かったと思いました🥲
思わず見入ってしまい、気が付けば最後まで見てしまいました。
ここに登場する主婦の皆さん、ちょうど私の母の年代で、背中におんぶされていた赤ん坊が私くらい。
冬になると今みたいに蛇口から温水がでるわけじゃなし。母は冷たい水で野菜を洗ったり皿を洗ったりしてたな。
土で汚れた物などは、裏の井戸水で洗ってた。暖房と言えば豆炭の掘りごたつ。炭を入れた火鉢。
懐かしい昭和だね。
昔の女性(男性も)は大変だっただあ~。
陰気くさい家屋の壁をぶち抜いて窓をつける~~~明るくする。いいねえ。象徴的だ。
アップロードありがとうございました。
自分の貯金があちこちの家を回るって、相当な平和的信頼関係がないとできないですよね。
他国なら持ち逃げされて終わりですね。
自販機を外に設置出来ないのもそういう理由ですし。
たのもし制度は田舎はまだありますよ、沖縄とかじゃ当たり前らしいけど
講だっけ
「お互いさまで支え合う」精神ですよね。
この辺じゃ無尽ちゅうもんもあるらよ。おんなじ
足踏みはあっても駆け足が出来ないのが貯金である がなんか響きました、、、
昨日レジしてて少し動画にも写ってた1958年の五円玉を見かけたんだけどこの時代から流通していたと思うと改めてすごいと思う。ましてや、この時代は筆五だし日本國表記。みなさんも探してみてはいかがでしょうか
動画の後にお勧め自動再生で流れたので最初は何気なく見ていましたが、
見ている内に亡くなった祖母が語っていた事と映像とが重なる所が多々あり、
言葉で表現出来ない様な感動で胸がいっぱいになりました。
知られざる名作を見つけた気分だ。
編集のリズムと作法に往年の映画人の気風を感じる。
演出した八木仁平の名前は覚えておこうと思った。
山梨では今でも無尽や貯金会と言う形で、コツコツ貯める文化が残っています。
もっとも貯めたお金は旅行に変わりましたが...
そういえば、お袋、羽釜に残った米粒をお茶で、こそいで食べてたな。懐かしくも有り良き時代。
反省しきり!
そうだよね。毎日台所に立つ主婦にとって暗い台所だと気も滅入るよ。
昔は皆が貧しい時代だったから、互いを思い遣り
且つ相互扶助を出稼ぎで家を守る主婦が担っていたんだね。
不便だからこそ、有難みや感謝の念、想いが強く幸せを感じられる事が出来てるように思える。
この先人たちのお陰で、今や地方の方が家も広くて便利な作りになって生活出来てる👍✨
地方で暮す親戚の家は快適だもの😊
「男たちに負けない。自分たちにできることを考え自ら改善する」
という普通の主婦の方々の心意気が素晴らしいと思いました。
単に男性に対して敵対心をむき出しにするのではなく、主婦という
立場から生活をどのように改善するか、主婦同士で様々な知恵を
出している様子をこの映像で見て昔の人々の尊さを感じました。
貴重な映像を有難うございます。
この時代の人々の努力があったからこそ、今の豊かな暮らしがあるんですよね。本当に勉強になりました!洗い物が面倒だとかご飯炊くのが面倒だなんて言えなくなっちゃったなぁ。。
兎神蒼
一人暮らしが簡単に出来る時代ですからね
この時代に一人暮らしとかまず無理
都会に出て寮や集団生活でなんとかできるレベルでしょうね
いろんなことに感謝したくなるね
今の人の方が圧倒的には忙しいからいいんですよ
過去・現在への感謝の気持ちを持ちながらも、未来に向けた「面倒だ」「もっと良くしたい」という気持ちが技術発展のキッカケになるのかもしれませんね。
食洗器入れて生活改善しなきゃ……!(使命感)
たまよさん良かったね こんな風景が日本にもあったんだなあ 恵まれ過ぎている今、折に触れて立ち止まって思い出したいものです
けなげで懸命な姿に涙が出てきます
今も地方に行けば目につく生活改善センター。「生活改善」とは何ぞやと思い、文献では読んでいましたが、映像は初めて見ました。貴重な映像に感謝。
15:12 「降りる方がすんでからお乗り下さい」
いつから心がけられるようになったのか分からないけれど、今でもそれが常識として受け継がれ続けてるのなぜか感銘を受ける
なんという素晴らしいドキュメンタリーでしよう。!!!!!このような、人々によって今の豊かな日本が築かれたということにありがたさを持って生きなければバチが当たりますよね。
土壁が壊されて窓が開く場面がとても感動的でした。この地区は女の人達が逞しいですね。
同じ頃祖母も似たような活動してたらしい。貯金じゃなくて募金だけど、家々を回り5円10円を集めて帳簿をつけてたとか。コーヒー飲んだつもりで、ブラウスを買ったつもりで、と皆協力してくれたらしい。募金した先は当時明日の試合の為の遠征費すら事欠き、チーム解散寸前だった広島カープ。戦争で何もかも失った祖母達広島市民の唯一の希望の花。絶対に私らが守ると必死だったとか。
あわわわ。。。
半年も前のコメント読んで涙出ちゃっいました。ジーンと胸に来ました。
@@Kカッキー
ありがとうございます…。
祖母によると、一番困窮していた頃は広島駅にいる遠征出発前の選手へ直に汽車賃や切符、お弁当を届けたりしていたそうです。時にはいち早く募金を届ける為にパトカーが先導したり、駅長さんがこっそり各地の鉄道員宿舎を無料で借りれる様に便宜を図ったり…。
この動画の活動もそうですが、人と人の繋がりが薄れてしまった現在ではあり得ない事ですね…。
カープは市民球団と呼ばれてますね😊
@@norealhero1951どれだけお金無かったのよその頃の広島カープ、、もっとお祖母様のお話聞いてみたいですね
映像はもちろんですが
音色豊かで郷愁を感じる
音楽も素晴らしいです。
私の両親の田舎が、東八代郡八代町
(今の笛吹市)にあるんですが、茅葺き屋根で土間があり釜戸も有るんですよ。
家の中に入った途端、何とも言えない良い匂いがして、郷愁を誘うんです。
釜戸で薪で炊いたご飯は最高です。
釜戸に薪
いいですね。私もご飯を食べてみたいです( ˊᵕˋ )
凄いときめいた
現在もあるということですか
羨ましい
子供が集金箱持って歩く平和さよ。
あと、タマヨさん宅の改築前の暗い台所でもわかるくらい綺麗に扱われているお釜。昔の人は本当にマメだ。
昔の日本は今よりは治安悪いだろうけど、
それでも世界的に見れば圧倒的に平和だったんだろうな
専業主婦の家事が、現代より明らかに重労働で大変そうなに、現代人よりずっと謙虚で我慢強い女性の姿に、同性として尊敬します!!
今の専業主婦は声ばかりデカくて尊敬できない。やっぱり見下しちゃう
よくこんなフィルムが見つかりましたね。
地元県民の私にとっては嬉しく、懐かしい貴重な動画です。
昔はお米を粗末にすると目が潰れてしまうと云って育ったものです。
私も小さい頃にお米を一粒残すと目が潰れると習って育ちました。
未だに米粒一粒残した事はありません。
地方病の心配もあっただろうしな。
日本の母ちゃんの愛と忍耐😭彼女達が陰の力持ち💪🏻誇りに思う🙏🏻
なんかうっとりして見させていただきました。直火で炊くご飯おいしそう。味気ない新建材やアルミサッシなどではない本物の土壁、木の窓枠など今ではまた見直されてきています。本物の豊かさとは何か考えさせられます。日本人女性ってお化粧なしでとても綺麗だったんですね!
この時代のナレーション聞きやすくて好き(ガ行の発音とか)
人々がみんなお互いに我慢し、協力し合う、強くて優しい時代の映像
みんな協力して生きてるなぁ。
生きてるって感じする。
この頃の5円や10円玉が今でも流通し普通に使われているんだからすごいね。
趣味でぬか漬け始めた時、
「昔は土間や台所が風通しが良く気温も低く、光も当たらない為保存には適していた」って聞いて
やっぱ現代だと冷蔵庫だよなーってくらいにしか思わなかったんですよ
そこで毎日炊事する為にお母さんが生活していることに考えが至らなかったのがもう情けないやら恥ずかしいやら
ごめんなさいありがとうってなりました
このビデオと同じ歳ですが、かつて味噌、醤油等は自家製が多く、私の家にも背丈以上の味噌樽がいくつかありました。後、冷蔵庫のない時代なので、日当たりの悪い西、北側に暗い倉庫や台所があったのです。お年寄りの話より映像がは、もの凄く説得力がありますね。
農作、手仕事、家事、何でもこなす、百の仕事も出来る、よって百姓
決して蔑称ではない
なんかね、古い壁が崩れた時涙出たわ。
昭和末生まれだけど、古びたばあちゃん家の台所も、当時としては夢の様なものだったんだな...と思って。
たった55年前のこと。
なのに大昔のように感じる。
都会と田舎ではこうも違ったんだな。
今でもそうだけど、女性にとって台所は大切な場所。
この時代だからこそ余計に、台所の改善が出来て、心から嬉しかっただろうな。
1958年制作だから61年前では?
apricot 03 女性にとって?今の時代そうじゃないだろ
台所は北側で足元は土間の家もありました。冬場は箸が凍ってるので、朝ご飯の炊いてる釜の縁に並べるんよ
偶然見かけた短編。冒頭の映像から立ち上がる65年前の故郷の空気感。懐かしい甲州弁の会話。よくぞ記録を保存しておいてくれたと感謝。板ガラス協会の製作というのに納得。素晴らしい音楽。よく練られたナレーション原稿。甲州弁の生きた資料と言うべき主婦たちの会話は、おそらく、演出の意図に依るものだろう。今はなき山梨交通線の電車(ボロ電)の入線映像。お宝映画でした。
素晴らしいです。現富士川町民(旧増穂町)ですが、この映画の中の東小林は、現在の大字最勝寺の中にある場所ですね。
今の光景も、背後の山の形は同じだし、基本的に田んぼも同じですが、その中にある程度住宅が増えています。
そして、山梨交通電車線と思われる電車も写っていますが、それが走っている動画ってもの凄い貴重だと思います。
当時の町民のリアルな生活が見れて良いです。
タマヨさん、台所明るくなって良かった〜😭
感銘を受けました。釘付けになって最後は本当に輝かしく見えました。窓を付けたら室内が寒くなったろうなと思いつつ、
でも心が洗われました。
貧しいけど何かが豊かな気がします。
僕も同感なのです
心が豊かなんだよ
まーそれでも今の生活のほうがいいけどね
今の生活と比べるのはさすがにナンセンスだと思うけど、たしかに先々の目標があって気持ちは明るかったのかなーって感じるね。
関東圏だがこの家は裕福だ。自分の場合ちゃんとした風呂場が出来たのは1966年頃、鉄釜で薪で焚き。飯もそれまで土間の釜炊き、炊飯器は小4頃導入冷蔵庫は中1頃だった。家は兼業農家で現金収入が有ったが、他専業農家は養蚕で家はでかいが生活は質素。映像の家は相当な旧家で元庄屋さんクラスだろうな。60年代後半オリンピック以降から高度成長時代で急激な車社会到来。だが企業排水、ばい煙撒き散らしプラゴミ収拾したが河川脇に捨て放題。しかし今は幼児虐待死など当時はは殆聞かなかったと思う。皆そこそこ貧乏だった
が昔の主婦は
働き者だった。今は情報有りすぎて不幸だな。
自分は今の方がはるかに豊かだし、こんな時代はまっぴらごめんだが…
心の豊かさ云々って、それ今自分は心が貧しいですって言ってるようなものでは。
タマヨさん頑張れ❗頑張れ‼️と思いつつ、『満足に燃えたためしがない』で笑ってしまった。
この時代を生き抜いた方たちには脱帽だよな。 今じゃ数時間のライフライン止まっただけでも文句の嵐だもんな。 これが人間としての生き方だと思うな。
親戚宅の台所は冒頭3分頃に出てきた風景のまんまでした😳 古くて誰も使わないので最近、全棟取り壊されてしまいましたが、このように使われていたんだと思い馳せると胸いっぱいになりました…。
たまよさん、よかった。素晴らしい努力と周囲の援助。
現代は繋がりや援助をうざったがる時代で困っている人間は取りこぼされている。
この時代の共助の精神の高さに学ぶことは多い。人道的でもあり、合理性がある。
60年代~70年代の家は窓が大きくて、時々雨戸の無い家もあります。防犯を考慮した現在では考えられないのですが、この映像を見て納得します。さらに前の代の家は窓が無くて薄暗かったからですね。
なぜか、泣けてきました。
日本人の本質の一部を見た気がしました。ありがとうございました。
礼儀作法が良く、これ食い入るように観てしまった。
日本か、これ。すごいです。夢いっぱいあって、
貧しいのが問題ではなくて、何というかわからないけど。。
現代は別の意味で貧しい。
戦前の日本の田舎を見た外国人が書いてました。物や金は豊かではなくても、親切で礼儀正しく規律あり、笑顔で優しく心豊かな日本人はアジアで一番だと。
私は外国人としていいますと、日本は戦後米国からの政治的干渉はあったとはいえ、非白人文化や非石油圏として唯一植民地化やODAなどを通した海外からの援助に頼らずに自力でグイグイと伸びました。それがここに見られるような美徳や大きな夢に繋がったのではないでしょうか。他国の援助で発展した国々では「援助してもらって当たり前」という感情が蔓延してしまい、感謝どころか国民は逆に援助してくれた国々に不満や恨みつらみだらけになるように感じますし、節度や謙虚さの重視などといった国民性も、海外からの援助で成り上がった国々の人たちには分かりにくい概念でしょうね。それが失われない事を願うばかりです。
感謝して汗かいて生きてればまた豊かになるさ
貴重な映像を見せていただきありがとうございました。
地域の人々の繋がりが強い。
粘り強い努力。
今の日本が忘れた物。
今の日本ばかりでなく世界中で同じようなことが、起きているね。特に第三世界で。
人と関わることをほぼ強要されてる感じが嫌かな個人的には
たまたま本日(2022/08)この動画を発見しました。
母の実家が増穂町青柳だったので赤子の私はこの電車(山梨交通電車線)に里帰りで何回か乗っています。記憶にはないですが。
薪を炊く五右衛門風呂。壁面の鉄が熱いのでこわごわ入った少年の頃。朝の歯磨きは庭の井戸でした。竈も薪だったかもしれません。その後プロパンになっていました。
私の生まれたころ(1957年生まれ)の映像。櫛形山の麓は母の故郷です。興味深く拝見しました。
身延線じゃないしなーと思いつつ見ていましたが在りし日の山梨交通ですか
@@4l329l 下り、上りで2度ほど出てくる駅は長沢新町駅ですね。15:12でトンネルくぐる上は利根川(天井川)。いまの廃軌道では車道は川の上を通っています。
皆清らかな心で村の婦人が助け合っている素晴らしい動画。❤ありがとうございます
内容の充実、感動致しました。ありがとうございます。
窓ひとつ、こんなに感動的なことだったのか
これは山梨の田舎ということだが。わずか60年前はこんなもんなんだよ。文明の進むスピードは凄いとおもうよ。でもこの暮らしをしていれば公害は明らかに少ないであろうし、物の大切さや感謝する気持ち現在よりはあったのだろう。
茨城県の母親の実家は昭和50年代までこんな感じだったよ。
土間の釜戸がLPガスになった程度で風呂は薪で沸かしてた。
昭和62年頃大幅にリフォームしてやっと現代的になった。
貴重な映像ありがとうございます。私も小さな時お風呂は薪で焚き付けて、私の仕事でした。不便な事は沢山ありましたが。母は質素な中から沢山愛情をかけてくれて感謝しかありません 良い時代に生まれて幸せでした
定期的に見てしまう中毒性😅
いい映像ありがとうございます。
うちの母も昔から台所をなんとかしてと嘆いてのを思い出します。
主婦は大変なのです。
でもカマドで炊いたご飯は
最高です。 お焦げのおにぎりは最後の晩餐で食べたいもののひとつです。
農家の人の暮らしを知りたかったので、この動画に出会えて良かったです。
とにかく消費する現代では、諦めずにコツコツやっても追いつかない気がして滅入っていましたが、
毎日の貯金は駆け足したくてもできない、ひたすらコツコツやっていく、たまよさんたちに元気をもらいました。
映像で当時の人々の生活を知れる事が素晴らしい。(しかもカラー)言葉遣いや挨拶の仕方も興味深い。
窓ひらく、なんとも力強い題名!
この6年後にオリンピックが開催されるとは驚きです。新幹線が作られて、団地が作られて。台所は明るく使い勝手の良いものに進化していくのですね。
あって当たり前って何だかなと考えさせられました。地道にコツコツって夢があるんですね。
今ではこのような精神って無くなってきてしまってるような気がします。
なんという脚本力、無駄な言葉が一つもない
coolh615 無駄なテロップ、ワイプも無い。あー見やすい。
だよねー、基本がいちばん
ユーチューバーの拝金主義特有のスリの目遣いもない
なんですか、これくらい、わけないですよ。
懐かしい映像有難う御座います。 昔を思い出します。
ドキュメント映画とはいえ、みんな台本どおりの芝居をさせられてセリフは棒読みだけど、
壁をぶち抜いた瞬間、タマ代さんが静かに喜びを爆発させる表情はどんな女優も敵わないな。
北の映画に似てるなあ
喜びの時を迎えた瞬間の彼女の表情に、私までジンとしました!
家事めんどくさいと思うこと多いけどこれ見たら何も言えねえ
いくら再現映画とはいえなにか突き刺さるものがあるわ
楽になればなるほど
色々面倒くさい(笑)
今はコンビニでもスーパーでも即席食品や惣菜お弁当が買えちゃうけど、この頃って家事炊事ちゃんとしないと生きていけなかったからねー。
洗濯も数時間かけてやるものだったし、今じゃ粗末だって言われるような食事もやっぱり数時間かかる。
そして畑仕事もあるってなるなら、もう何も出来ないよね…。
家事は女の義務だから、少しでも機械や思いやりで楽をさせて貰わないとね。
@@Seaza_Sr1
家事は女の義務ではないよ
お前がやったっていいんだよ
@@user-dwjn9muvxi0 大昔から世界中でそれが役立たずの女のせめてもの役割として分担として決まってんだよ、バカ。
非常に感動的でありました。
タマヨさんと御家族が今もお元気だといいなあ!
死んでるだろ
野良着だし、日焼けしてるし化粧していなから、すごいおばさんに見えるけど、たぶん35歳くらいなんじゃなかろうか。だったら100歳前でまだご健在の可能性はありますよね。息子さん娘さんはどちらかは間違いなく、、、、この映像見たら感激するだろうな。
想像だけど、甲府市内のマンション住まいだったりすると、子供のころとの生活の違いが大きすぎて、、、、
いまとは比べ物にならないほど不便で貧しい世代。
けれど活力や明日への希望は、先人たちのほうが強かった
ように映ります。
差別の塊だけどねこのころは
ゲームやゲーセンないのはきちーな
オンラインでゴミカスの雑魚を煽りプレー出来ない
アリエン・ロッベン
そういうことしてたら生きていけない時代だったからねー
今は豊かになったと思うよ
あなたみたいにゲームでマウント取ることが生きがいでも生きてられるんだもん
@@Koyo0623 今はいい時代やな
あっきー イイジダイヤー
ガラス協会の宣伝。でも暮らしをよくしたい女の人の気持ちに涙が出ます。
おぞましい今の電通cmに比べたら教育用に使えるレベルでしょ
協力し合って豊かになる。良いなあ。