巨大蒸気D52と戦争~WWII and JNR Mikado Type D52
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- เผยแพร่เมื่อ 14 ธ.ค. 2024
- 国鉄最強のミカドD52を先の大東亜戦争との関りで考察した内容になっています。
D52は戦後、品質不良のボイラーの交換の他にも、戦時形を標準設計に更新する大規模な改修を受けており、その形態の差は別機種だと思えてしまうくらいのものです。
これまで戦時中の木のデフ、ランボード歩み板、テンダー炭庫の仕様のD52の姿はあまり公開されておりませんでしたが、昭和24年梅田の機関車展示会に登場したD52-198がその姿を保っており、今回それを皆様にシェアすることが出来ました。
木材を使ったデフは私は軽量で良いんじゃないか?と思いましたが、実際の写真を見ると後部の木材がめくれあがっており、殆ど耐久性が無いことが良く理解できます。
大東亜戦争必勝の輸送力向上を目指し企画し製造されたD52は、戦後に多くの余剰を生み出しました。重い軸重が走れる線区を制約してしまうからです。皆様が大好きなC62や軸重軽減のD62に改装されたものはわずかでしたが、東海道、山陽での大活躍、最後は御殿場線と函館・室蘭本線ではその巨大なパワーを遺憾なく発揮して、昭和48年3月に形式消滅しました。DD51もその牽引力にはかなわなかったため、最後まで使われ続けたのですね。
戦時形の武骨な姿を残す、今回取り上げたD52-417、419は私の最も好きなD52の形態です。もちろん標準設計改造も良いのですが、先の戦争をいつまでも語ってくれる武骨な形態と一切の虚飾を取り去った潔い姿に魅了されるのです。
<訂正>
D52が完成したのを昭和43年、B29の爆撃を昭和44年と言っておりますが、それぞれ1943年と1944年です。お詫びして訂正いたします。申し訳ございません。
#蒸気機関車 #D52 #D62 #C62 #D51 #ミカド #御殿場線 #山北 #扇形庫 #機関区 #国府津
(Credit)
VOICEVOX:青山龍星
Steam locomotive P-36 at the Pavlovskyi Posad station.webm
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ソース: incompetech.com...
アーティスト: incompetech.com/
D52はセノハチで補機としても運用されていましたね。特急「かもめ」では補機ながら炭水車後部にかもめヘッドマーク付きでしたし。
有田さん、ご視聴頂きありがとうございます。そうなんですよ。憧れの写真で、見た時は感動しました。
D52の貴重な写真、ありがとうございます
特に私は御殿場線沿線の生まれで70号機を良く見て育ったので一番身近な機関車の現役時代を知れて良かったです
オザワさん、ご視聴頂きありがとうございます。
山北の保存機のことですね。今回70号は登場していませんね。四回目やる時に御殿場線で登場させたいです。
@@Yukkuri-Lab
返信ありがとうございます
一つ思い出したのですが御殿場線のD52は御殿場駅前にある72号機のようにデフの点検窓が切り取られているのが一般的で70号機の切り取られていないのが少なかったようですよ
山北駅前にある鉄道資料館でそのような話を聞きました
オザワ さん、そうなんですか。後で調べてみますね。でも関東の機関車だから点検窓開いているほうが普通ですね。
西暦と元号がごっちゃになっていますね。
昭和43年→西暦1943年(昭和18年) 昭和44年→西暦1944年(昭和19年)
ですよね?
昭和43年が1968年で、昭和44年が1969年。
ほんとうですね!ご指摘ありがとうございます。
DD51も敵わない牽引力とはどんだけ強力なカマだったのでしょう
函館本線の仁山超えで重連があったとか、とても迫力がある姿だったのでしょうね。
デカミツさん、ご視聴頂きありがとうございます。仁山越えは確か後部補機だったと思います。最初から重連もあったのか?が分かりません。
粗末な材質で製造去れた御殿場線のD52爆発事故が多く起きて
ほとんどの物が廃車去れ一部C62への改造去れ残りの一部がボイラーの乗せかえで復活して本来持つパワーを発揮してマンモスの異名を轟かせたが
活躍の場が少なかったのは寂しい所でしたね
塚越さん、いつもご視聴頂きありがとうございます。
甲線しか走れない、D62にして軸重を落としてもやはり重すぎるんですね。軌条さえしっかりしてれば、絶大なパワーを発揮できる機関車だったのは間違いないです。
そうですね、御殿場線の事故は聞いていませんね。
戦中戦後のD52、大変勉強になりました!!今回初めて見る写真もたくさん、とても良かったです。
hassiemozart さん、ご視聴頂きありがとうございます。
ちょっとひねったD52を登場させました。
城東貨物線吹田のD52が懐かしい。
真央さん、ご視聴頂きありがとうございます。
集煙装置付き142号機は必要も無いのに付けていて嬉しい機関車でした。
今回も色々と勉強させていただきました。
御殿場線関連になると国府津にはまだ扇形庫や転車台が残っていた頃を記憶しているので、取壊しが残念でした。
御殿場線は元々が東海道本線だった為に超重量級のD52が使用出来たのと、勾配路線だった為に客車列車牽引も日常だったみたいですね。
動画配信ありがとうございます。
特急日本海 さん、ご視聴頂きありがとうございます。
国府津の扇形庫はかなり後まで残っていたので、東海道線から良く見えていたのが、いつの間にか無くなっていました。
東海道本線からローカル線になった時、単線化とともに、50kg/mのレールがはがされ、東の高島線、品鶴線の軌道強化に使われ、そちらの37kg/mのレールに置き換えられたのです。
セノハチの補機用のD52は、逆機運用の関係から最後まで戦時型テンダーでしたな
戦時型車両では他にEF13と63系電車がありますが、いずれも戦後になってかなり長い間運用されており、日本はアメリカとの経済戦争に勝つまで運用されました
そういう意味では、見事にアメリカとの戦争に勝つまで大丈夫でした
そして、D52のボイラーはC62に転用され、現在でも京都で現役という
ユニオンパシフィックではFEFにビッグボーイと、同じ時代を生きた機関車が走っていますね
電光刑事さん、いつもご視聴頂きありがとうございます。
一応持たせることはできたのですが、前のD52の動画で指摘しているのですが、稼働率がべらぼうに低い(他の戦時形機関車も同様)のはひどかったです。ボイラーの基本性能がとても良かったのでC62になれたのがよかったですね。
@@Yukkuri-Lab D52は国産蒸気機関車として、唯一設計段階から燃焼室を組み込んだボイラー構造をしてますからな
C59の多くも燃焼室付きに改造しましたね。
@@Yukkuri-Lab C59は煙管が長すぎて熱が伝わりきらなかった問題がありましたからね
なので戦後に煙管短縮して空いたスペースに燃焼室を設けました
九州のC59-1は改装していないそうです。
鹿児島本線でもD52は活躍していた。ED73の登場まで門司から鳥栖までの間を貨物列車を中心に牽引していた。
川上さん、ご視聴頂きありがとうございます。鹿児島本線のD52の活躍に関しては以前の動画で視聴者様から資料を見せて頂きました。C59が走れるところD52もOKですね。
@@Yukkuri-Lab さん、鹿児島本線門司ー鳥栖操車場間にも、D52形が走行していたとは、知りませんでした。
D51や筑豊のD50、戦後のD60のイメージしかありませんでした。
C59アリのところD52あり。
私もD52が関門海峡を渡っていたとは知りませんでした。北九州出身なのですが... 昭和36年の久留米電化が早すぎたのですね。
シロくんさん、そうなんですよね。メディアでも写真は見たことがなく、以前視聴者様に教えていただき写真も見せていただきました。
すぐELに変わったのでごく短期間だったようです。
梅小路で初めてD52を見ましたが、戦後改修を受けても煙室扉部分の角は丸めてないので余計ボイラーが太く見えました。正面から見ると軌間に対してこんなに大きくて大丈夫なのかという感じですが力強く走っている姿に不安感など微塵も無し。幼い頃はまだ現役で北海道を走っていたんだと思うと、その姿を生で見られなかったのがただ残念…。
abbtk14 さん、ご視聴頂きありがとうございます。ボイラーを見上げなければD51ですね。でもボイラーのデカさと前に飛び出している様は、狭軌鉄道の限界を感じます。
北海道に住んでいた時もD52を見に行くことがなかったのが勿体なかったと改めて思います。
鉄道雑誌や模型でだけ知っているってのがちょっと悔しいのです。
走っていた線区の関係か綺麗な山をバックにした写真をたくさん拝見できて嬉しかったです。
Kei Itoさん、いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。そうですね、パッと見てD51とあまりちがいないですよね。 ボイラーどデカいけど。函館・室蘭本線では結局D51でも同じぐらい牽引していましたので、ストーカのおかげ重宝されたのでしょうか。
御殿場市は湯沢平公園にあった(現在は御殿場駅すぐそば)72号機を何度か、山北駅の70号機、梅小路の468号機も見たことがありました。
それでも、角を丸めていないがゆえの煙室正面の断面積のデカさには改めて圧倒されます。
しかも、標準設計に復元された後の形態の保存機しか見ていないので、戦時仕様の痕跡が随所に残っていたD52を当時の御殿場線で見ていたらどんな感情に襲われるのかと思います。
ところで、4:04あたりから魔理沙主幹が説明しているテンダーの形状は、ドイツ蒸気では“戦時形などではなく、むしろこちらが標準形“という感じのようですね。
成田さん、いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。
ポーランドの動画にあるようにドイツ蒸気でもあのデフォであのテンダー形状はありますね。ただドイツでは木材やコンクリートは最後まで使わなかったと思うのですが。
D52形は、ボイラー更新後、御殿場線や山陽本線瀬野八峠越えや北海道で活躍した。
大坂さん、いつもご視聴頂きありがとうございます。
動画にある21号機のようにバイラーそのままのもありましたね。
@@Yukkuri-Lab さん、ボイラー未更新のD52形が存在していた。
戦後ボイラー爆発事故などで、大量廃車が発生している中で、よく持ち堪えたものでした。
溶接技術の問題なので、ちゃんとしていれば問題ないと思います。
@Yukkuri-Labさん、ボイラー熔接技師が不足していたせいもありましたか。
ちゃんとしたプロポーションの模型見ると本当にかっこいい…
ATMの時間さん、ご視聴いただきありがとうございます。
戦時形D52の模型のことでしょうか?扇型庫を作って、戦時形D52とD51ばかり格納したらとても興味深いなと思ってます。
戦時下と言ういわば時代の背景の中で産まれたD52型これと相対的なのがドイツの52型だろう。どちらも戦時下の重量貨物牽引用として設計製造され大量生産された。大量生産を重要されてか、代用品や省略化された所も同じだし。
芋谷さん、ご視聴頂きありがとうございました。ドイツの52型ですが、戦時中の機関車にも拘らずしっかり作られていて、ドイツだけでなく周辺の占領国でも長く使われた、傑作機関車だと思ってます。
御殿場線は1968年7月に全線電化されましたが、吹田には翌年3月まで配置があったので、城東貨物線の方が遅くまでD52が見られました。ここでD52142が事故に遭ったのが1969年1月30~31日にかけての深夜でした。
yiteng88 さん、ご視聴頂きありがとうございます。私はタイミング的に微妙ですが城東貨物線のD52のほうが早かったと思い込んでいて、調べると2輌吹田に残っていたのですね。教えていただきありがとうございます。
戦時型といえば今回のD52とEF13にトキ900が頭に浮かびます。皆徹底的な簡素化と資源節減がされたようです。EF13は乗務員室側面に防弾装備がされてました。大変な時代だと思います。
国府津の扇形庫は今のJR東の社宅付近だったかと記憶してます。
Kwさん、ご視聴頂きありがとうございます。
国府津の空中写真は前々回かな?D52特集で出しました。山が迫っていて広い土地でもないですね。補機運用には最高のポジションに会って感心したこと覚えています。
0:54 昭和43年,1:56 昭和44年というのはわざと間違えているような気もするが、1943年、1944年のことですよね。
母によると、B29は4発のプロペラがブーンブーンという低い独特なうなりをあげて飛んでいたそうです。
D52は大型で力持ちの蒸気機関車、斜め後方からみたスタイルがいいです。
申し訳ございません。動画アップ後ご指摘有り、コメント欄で間違い箇所訂正しております。
カッコ良すぎるよ〜、貨物は勿論だけど旧客との組み合わせも最高だね〜
0721さん、いつもご視聴頂きありがとうございます。D52の函館本線の客レ終焉の頃増えたようです。基本的に動画にある長大貨物牽引機なんですよ。
その長大編成の貨物を見たら感動間違い無しなんだろなぁ〜
D52の現役の姿は、九州から既に撤退してました。
門司港区で展示された202号が無火で初めて見て、その大きさに圧倒されました。
その後梅小路で468号をじっくり見学しメカニカルストーカー、足回り、ボイラ、テンダ等を見て日本最大のマンモス機である事を実感しました。
D51は現役でも見ましたが、ボイラの太さの違いと使用圧力の違いは全く別物と感じました。
国府津の扇形庫に残っていた72号(だったかな?)は、最後に東海道本線を走った(回送)SLとなりました。
国府津の扇形庫が残されたから、72号が残ったかもしれません。
あかつきあかつきさん、ご視聴頂きありがとうございます。国府津の扇形庫は残ることはなかったでしょうね。小田原より東京に近い土地ですし莫大な価値があるでしょう。再開発して住宅地とJRの社員アパートになっていますね。場所柄津波に襲われる危険性もある土地でもあります。
昭和18年戦時形貨物蒸気機関車D521号機が製造されて、東海道本線新鶴見機関区に配属された。
木製デフレクターや船底形テンダーなど金属を節約する為に戦時形貨物蒸気機関車で468両が製作される予定であった。
しかし、戦後ボイラー爆発事故などにより整備不良のD52形の大量廃車やC62形の転用やD62形への改造などで、新製されたのは285両に留まった。
最終ナンバーのD52468号機が京都鉄道博物館に保存されている。
大坂さん、なぜ鷹取が先に完成させたのに、浜松製が1号機となったのか事情調べて頂きたいです。
@@Yukkuri-Lab さん、月刊鉄道ファンや鉄道ピクトリアルと鉄道ジャーナルのバックナンバーから調べて見ます。
後、日本の蒸気機関車の書籍を参考資料に調べて見ます。
@@nekoneko3940 様、戦後ボイラー爆発事故などがあったからと考えられますか。
国鉄内では早くできたほうに1号機を付けさせる約束だったようで、2番目は21号機。2番目の1号機と言う意味なのかおもしろいですね。
是非お願いします。
10:32 確か空気動力で動けるようになったD52って、山北駅前保存の70号機だった気がしますが…
72号機は御殿場駅前保存で、変わらず静態保存だったような覚えがありますが…
今は沼津市の高沢公園に保存されているD52-136号機、最後の勤務地は御殿場線だと思ってたら北海道の線区だったんですね…。あのたくましい雄姿、実際に列車をけん引して走っている姿を見てみたかったとは、今でも思ってしまいますね。
ACTIO371 さん、ご視聴頂きありがとうございました。Typoです。70号がただしいです。ご指摘ありがとうございます。
ボイラー破裂事故で亡くなった乗務員も、お国の為....😢
小樽築港機関区さん、D51もD52も戦時中より戦後のバイラー破壊が多かったと記憶しています。データを見たわけではないのですが。
@@Yukkuri-Lab D52は三回破裂事故を起こし、うち一回が死亡事故です。
(元乗務員、「おのつよし」著作本より。)
@@Yukkuri-Lab
戦時よりも戦後復興期のほうが機関車を酷使したのは間違いないですが、資材不足や耐久性の欠如などで沢山の人が命を落としたのはモハ63系と相通じるものがあります。それだけ戦時中の我が国は人命を軽視していたのかもう一度顧みる必要がありますね。
冨山さん、ご視聴いただきありがとうございます。
ご主張の通りでして、私は機関車を中心に動画を製作していますが電車、ELも同じかそれ以上に悲惨な姿で登場していますね。
人命軽視では戦闘機も同じですが、当時の思想なり教育がそれを是としていたわけで、それが間違っていたため大きなツケを支払う羽目になったわけです。
戦時中だけでなく、どうも日本人は今も昔も空気と水と人材は無限にあるという意識があるみたいですね。特に人材は頭数だけ揃えれば良いとばかりに〇〇が出来れば中級者、○日勤めれば一人前なんて言ってね。そういう使い捨てなやり方を続けていれば、長く勤めているだけの人や仕事が出来るベテランでも根性が捻じくれている人しか残らないんですが。
世界で一番、大好きなD52❗嬉しいです😁👍️
首藤さん、ご視聴頂きありがとうございます。
D52って人気高いですね。前回の動画が人気いまいちだったので、どうなのかな?と思い、戦時中の姿を紹介する内容にしました。
8月と言う事で色々考えさせられる動画でしたね🙇
まやまさん、いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。
グローバルスタンダードとはいっても、日本の敗戦と原爆投下への考え方の違いにはもやもやを持ってます。それを読み解かれないように動画は作るのですが、製作中ちょっと過激な内容に向かったりして方向修正してます
Nゲージではなかなかお目にかかれないD52ですね。実車としても滝川在住の子供の頃に見た記憶がありません。
滝川にたむろしていたのはD51と9600だったと思います。じつは見分けついてなかっただけかもしれませんが…。
自分的には好きな機関車なのにいまいち縁薄い感じなのが残念です。
おもいで保存鉄道さん、ご視聴頂きありがとうございます。D52は動画で言っている通り、長万部以南で、鷲別までです。その他はみんな線路規格が低いから入れないんですね。そんな状況でも長万部~函館の物量は莫大でした。今はどうなのか全然知らないのですが、一本しか線路が無いから今も活況なのでしょうね。
この機関車は鷲別から長万部 長万部から五稜郭がテリトリーなので副灯無しの北海道仕様が好きでした やはり長編成の貨物列車が似合う機関車だと思います 形は改装型が好きです
まつかぜ82さん、ご視聴頂きありがとうございます。
私はその後中国の前進型の虜になったのはD52の影響大だったと思います。
載せ替えだったんですね。
D52になれなかったカマを使ってC62が造られたのかと思っていました。
鉄材とかの状況を考えれば、戦争中にそんなに造りかけのカマが発生するはずないですもんね。
あっ、そういえばどこかの本に改造って書いてあったのも思い出しました。
タコとパンダさんがスキ さん、ご支援ご視聴頂きありがとうございます。
そうです。実際に走っているD52を廃車してボイラーを取り出したのです。
D52は戦時中に完成したから
最初はメカニカルストーカーは装備されていないし
ボイラーを製造するときに
鉄、鉛、銅をけちったから
安全性はないに等しいし
乗務員からすれば不安だらけで
運転したくなかったでしょう
実際に戦後D52のボイラーが破裂して
米原機関区所属の
機関士、機関助士、副機関士が即死
副機関助士が重症負うという
痛ましい事故も発生してしまいました
高橋さん、ご視聴頂きありがとうございます。
けちったより割り当てが少なくて代用したんでしょうね。 鍛造を鋳造にしたり安全率も一緒で、外観もかなりそれとわかるような形となりますが、戦闘機でも同じようなものですから、乗務員の安全への配慮などは0なんでしょうね。
D51とD52、どちらも配置されてた路線では、やっぱりD52の方がパワーに余裕があって運転も楽だったそうですね。
D51と違って、走れる路線が限定されるので動態復元は厳しいでしょうね。
It has been used on burma death railway before?
Thank you for watching. There is no record showing D52 was deployed to Burma. It's too heavy to be used there.
太平洋戦争無ければ東海道と山陽線は早くに電化されてたはずでそうなればD51で十分だったからD52が登場することもなかったでしょうね。まさに戦争が長引いた結果生まれた戦時設計の蒸気機関車ですね。
蒸気機関車のボイラー交換時期は20~40年で国鉄は30年を目安にしてたらしい。21号機が昭和31年廃車なら機関車も余ってるしボイラー交換より廃車ってことだったのでしょう…
Mr. Yattsunさん、ご視聴頂きありがとうございます。
軍部の要請というのは電化も排除するぐらいの代物だったそうですし、路線も平気で変更させたり。リスクヘッジという面では良かったのかもしれないなとも思います。JR東がボイラー圧力落として稼働させているのは長生きさせるには賢明なんでしょうね。
いつも為になる動画をありがとうございます。D52、最近好きになって来ました。大きな原因は特急かもめの後補機としてなのですが…
函館本線でニセコ亡き後も2年も頑張ったのですね。軸重軽減しなかった割に最後まで活躍したのも意外でした。
832buuchanさん、いつもご視聴頂きありがとうございます。
かもめの補機にもトレーンマークがあって、補機開放すると客車の鴎のマークが現れるという写真に感動したことがあります。
五稜郭のD52ですが汚くて、写真でも良いのが余りありません。
給水温め機ですが、戦時型はボイラー受けの中(ボイラー下)に排気膨張室兼用で装備されていた、との事ですので前デッキでは無いと思います。昔見た形式図でもボイラー下台枠の上に縦方向に置かれた絵があった気がします。
一度調べてみてください。
D52ですか、
マイクロエースで
戦時形がありましたね。
どちらかというと給水暖め機は
煙突の前にないほうが好みです
やっぱり炭水車の下回りが
目立つので、厳ついですね笑
EFゴハチ さん、ご視聴頂きありがとうございます。
私は模型を全然やらないので知らないのですが、戦時形も模型あるんですね。
給水温め器は上に持ってくるならば煙突の後ろ、C51のようなのが好みです。
C58-D51-D52は原形だとなんかみんな同じようで。。。
Nゲージだとワールド工芸の真鍮キットも戦時型でしたね。デフとランボードはキットのものは戦後改装時でしたが別売りで新造時の木製ディティール再現したパーツが出てました。
初版はボディだけのキットでKATOのD51の足回りとテンダーを流用するのでオーバースケールから実車の大柄さが表現されてました。
改良版でテンダードライブ方式のキットになってましたけど、最初期のも組み上げる苦労に見合います。
DE52は可動可能なものが、御殿場線山北駅にあるよ。コンプレッサーで動くことができる。そのため現存するのは8台ほどと言う。
colon 0311 さん、ご視聴頂きありがとうございます。
バイクがお好きなんですね。わたしも二輪の動画も以前は上げていました。よろしければ是非ご視聴ください。
デゴニの落成時の姿を見ると「ここまでして戦争に勝たなければいけなかったのか?」と空しくなります。
そして戦後 その力自慢を遺憾なく発揮して活躍できたのはせめてもの救いだったと思います。
こちらの動画 よろしければご参考までに。
th-cam.com/video/TiIr2qiitk0/w-d-xo.htmlsi=Qn4kLo0lTOMct1zR
状態の良くない動画ですが 非電化時代の御殿場線が映っています。国府津駅を発車するD52 101号機牽引の旅客列車や 松田駅付近の砂利取り線(?)のC11 30号機
間に東急の 旧二子玉川園駅・二子橋併用軌道の映像を挟んで 東武佐野線のピーコックも映っています。
とりりサービス さん、ご視聴いただきありがとうございます。御殿場線の動画いいですねぇ。館林のピーコックは同じところでの写真をこちらの動画で使っていますのでぜひご覧ください。 th-cam.com/video/JLC7Hmwxu4k/w-d-xo.html
@@Yukkuri-Labさん
ひとつ訂正
「ここまでして 戦争に勝たなければいけなかったのか?」→「ここまでして 戦争しなければいけなかったのか?悪あがきをしてでも 勝とうとしなければいけなかったのか?」に訂正します🙇
こちらも 御殿場線の映像です。
th-cam.com/video/NGHcYIrhb_w/w-d-xo.htmlsi=fOxfzvtcOYIG3trP
御殿場の自衛隊の駐屯地で降ろすのでしょうか 戦車を載せた貨物列車の映像もあります。
松田駅付近の 線路を跨ぐコンクリートの橋は 同じ形で現存しています。
この方の動画
私は 電車や気動車目当てで見てましたが 他にも蒸機のお宝映像が結構ありましたよ。
日本最大のマンモス蒸機
D52最後の砦は 五稜郭…
榎本武揚や土方歳三らと
面影が被って見えるのは
私だけでありましょうか?
さすらいのアルバトロスさん、ご視聴頂きありがとうございます。
それですよね!最後の最後まで頑強にDD51に対抗したものの全般検査のチケットが切れて廃車になり、さよなら運転も無しに(と思ってます)消え去ったD52でした。
1943(昭和18)年12月27日にD521号幾が完成した。その1号幾に関する一つのエピソードがある。終戦まで皇室には華族制度があって11の宮家があった。その一つに賀陽宮様と言う人物がいてこの宮様、スポーツが見るのもやるのも大好きと言った根っからのアスリートであると同時に鉄道汽車に関してはうるさい人だったらしく。戦中名古屋の陸軍第三士団長をしていた時、D521の試運転式が行われると聞いて、呼んでも居ないのに妻子同伴でいきなり現れ「かしこくも我は天皇陛下の御名代である‼️」とか言ってムリヤリ式典に飛び入り参加。関係者側も相手が宮様では断れず炭水車に紅白のテントを張り1等車を連結してそれに乗ってご満悦、更に運転席に乗ってご満悦、その上二人の子息に菜っ葉服と呼ばれた幾関士の服を着せて(コスプレだろ)記念撮影。……皇紀な由緒あるお家にお産まれの人にも😅鉄オタがいた🤣🤣😂
芋谷さん、ご視聴頂きありがとうございました。賀陽宮は天皇家から古くに分かれた由緒正しい旧皇族ですね。今上天皇と親交が深いとか。
D52はニュースではかなり勇ましいのを流したそうで、ショート動画でパクリを以前製作しました。
生涯最初に接した蒸機が山陽本線のC62・D52そしてC59でした。山陽本線全線電化後もしばらくの間(概ね43-10の頃まで?)残っていて本線運用がありました。まだ電化前、小生未就学児童時代、生家の窓から見ていた山陽本線、上りのⅮ52のカモレが山影のトンネルに姿を消した直後今度はトンネルから下りのカモレが出てきて上下とも定数いっぱいだったせいか爆煙が残り空が暗くなったものでした。
最初に接したのが超大型蒸機だったためその後D51が中型、C58が小型に見えた小学生時代(^^);
SleeperExpressJNRさん、ご視聴いただきありがとうございます。
JNRさんにとっての大型蒸気は山陽なんですね。私は上野なんです。
写真をお借りできたらD52かもめの補機のことをやりたいと思っています。
1:53 もうお気づきになられていると思いますが、昭和44年になっちゃってますよ
はい、動画アップし直ぐにご指摘頂き、解説蘭でお詫びと訂正を入れました。
@@Yukkuri-Lab さん。
ありがとうございます。
そして失礼いたしました。
概要欄にきちんと訂正を入れて下さっていましたね。
気づいていませんでした。
蒸気機関車で木製のデフなんて、素人目にも怖くてしかたないですが、あの頃の方たちは皆さん、『お国の為』を合言葉に、危険も顧みず、それこそ文字どおり『必死』に働いておられたんですね。
その上に今の自分があることを肝に銘じて、あらためて感謝して生きていかなければと思います。
同じ性能をより安くというのは毎日仕事で実践しているので、そういう面では理解しています。
0:56 「1943年」ないし「昭和18年」でしょ!?
アップ直後にごしてきあり、以下のようにコメント欄で訂正しました。ご指摘ありがとうございます。
<訂正>
D52が完成したのを昭和43年、B29の爆撃を昭和44年と言っておりますが、それぞれ1943年と1944年です。お詫びして訂正いたします。申し訳ございません。
所々昭和と西暦がごっちゃになってません?
はい、申し訳ございません。コメント欄で昭和と西暦を間違えている部分を訂正させていただいております。
梅小路のD五十二型468号機は、梅小路へ来たときから静態保存になむてしまっていて残念です。走行できる区間は限られているけど、なんとか全般検査を受けて本線を走行させてあげたい。1日だけだと撮り鉄や、野次馬が殺到しそうなので、ある日数を走らせたほうが良いと思う。まず無理とは思うが?
もりわききくおさん、ご視聴頂きありがとうございます。
D52/C53/C51/C59は最初から静態とすると通知されていましたね。
でもD52とC59は必ずいつか動かすはずだ、さもないと動態運転が回って行かないとみんな期待したはずです。
それがこの4台以外に広がってこの有様ですから、裏切られた気持ちはあります。今はないより良いかなと諦めですね。
6:48 、、D52 460 の、角々は、少し、ブリキのおもちゃみたいですし、面白いかも((((゚ □ ゚ ) ゚ □ ゚))))
サハ1650 さん、ご視聴頂きありがとうございます。
ブリキのおもちゃというかプラレールで再現したくなる形状です。
プラバンなら、簡単!
>戦争に「勝つ」まで持てば良い。
つまりは、無限の耐久性を持たせろ…と。
東條上等兵の無茶振りも極まれりだなあ。
河野さん、ご視聴ありがとうございます。
鉄は溶かせば再生できるので、エコではありますね。
ビッグボーイ「いくらあいつが巨大機関車と言っても日本の蒸気機関車たちはみんなチビばっかりだ。この世界最強の蒸気機関車である俺たちとは偉い差だ。」
チャレンジャー「本当だなビッグボーイ、確かに日本の蒸気機関車たちはチビばかりだ。外国の巨大機関車たちから見た日本蒸気機関車たちはチビだな。」
こちらもご視聴ありがとうございます。
米国のでっかい機関車はあれは機関車ではなく、単なるでっかいボイラーにしか見えません。私は好きではないですんえ。
ビッグボーイ「はぁ⁉︎でっかいボイラーだと⁈んじゃ俺たちが嫌いで日本のチビ機関車どもが好きなのか⁉︎俺たちのような巨大機関車を肉の缶詰めと呼びたいのか⁉︎」
もう石炭や重油なんか使わないで原子力でボイラー沸かして走って欲しいです。
チャレンジャー「げげげ原子力⁉︎原子力ってまさか、衝撃を与えたりすると一瞬で広範囲が爆発するあれか⁈どうしてそんな危険で物騒な物を‼︎‼︎もし脱線や事故を起こしたら全員死ぬんだぞ‼︎‼︎‼︎」
ん?昭和43年ではなく18年では?
はい、アップ直後にご指摘があり修正の代わりにコメント欄で訂正させていただいております。
8月15日の終戦記念日の昭和天皇の玉音放送。国民が泣き崩れた日。😭😭😭😭😭⤵️⤵️⤵️⤵️
大坂さんはどのように感じましたか?
@@Yukkuri-Lab さん、祖父から聞いた話ですが終戦記念日の日は、台湾で玉音放送を聞いていました。
父は、生後3日目です。
お父上はお若いですね。
@@Yukkuri-Lab さん、今年78歳です。
まだまだ十分現役バリバリですね!
蒸気でなくて蒸機
kaede9633 さん、ご視聴頂きありがとうございました。そうですね!全然気にしていませんでした。これから蒸機にします。
この機関車は、太平洋戦争の申し子のようで好きになれないです。スミマセン
デフ、炭庫は木製なのに、先輪従輪テンダ車輪がスポークでないのは矛盾しているような...
ボイラー脇の手すりに、細銅管の配管が無いだけで印象が変わりますね。のっぺりし過ぎな感じです。
戦時形として、EF13、トキ900、モハ63... なぜかモハ63はデザインや制御、ブレーキ方式など変化があるものの子孫が続き、205形から先祖返りで車体台枠剥き出しスポット溶接にシル、ヘッダーが復活、最新のE235形は言うに及ばず、片側4扉は東急、小田急、京王、東武、相模、南海にまで派生てな具合に....
いあさん、ご視聴頂きありがとうございます。
スポーク車輪よりボックスのほうが製造上歩留まりが良いですね。戦争するとこんな危ない機関車しかできないんだよ。と教えるためにD52戦時形は必要だと思います。(それとは別にしてシンプルな機能的外観が好きです)新橋駅のC11も戦時形状ですが、誰も教えないと角ばったデザインでダサいとしかおもわれないでしょうね。
令和の「令」が命令の「令」に聞こえるのは必然なのか?
ご視聴いただきありがとうございます。
まさしくその通りなのですよ。
www.osaka-gu.ac.jp/php/nakagawa/TRIZ/jEditorial/2019Editorial/Naka-Reiwa-190427.html#Rei