ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
ホント末期には東舞鶴、福知山、和田山などに並んでましたね。寂しい風景でした。別の方がコメされてますが、福知山区の職員の方が上からの解体指示に従わず解体確認の際も他の車両の影に隠して残したのが33号機です。社会人としては疑問の残る行為ですが54好きの私にはお礼しかありません。あとお召し列車の牽引もしましたが、今考えると恐ろしい事ですよね。事故が無かって何よりです。
スペインでもマイバッハエンジントランスミッション搭載の機関車が70年代に使われましたけどやっぱり耐久性やメンテナンス性が問題で早く使われなくなりました
昔、父の友達が、和田山駅近くに住んでいて、DD54牽引の貨物や客車を見ていました。その時はまさか、国会で追及される車両になろうとは夢にも思っていませんでした。箱型のデザインが好きだったなぁ。
DD54は 山陰本線でSLを追い出す目的もあったけど このような事情から故障時に逆にSLに救援されたり 運用をSLが代走するケースもあったと聞いた事があります。その時 沿線で待機していた撮り鉄からは「やった!今日は赤ブタじゃない!」と歓声が上がったとか。
DD54のデザイン自体は良いんですけどね。40号機が耐用年数を全然超えないまま廃車にされたのがもったいないですね。そして1両残っているのが面白いですね
福知山機関区の職員が国鉄に欠陥でも証拠として残せと懇願して解体を免れたと聞いた事があります。
ほとんどそのままなのがドイツでは長年使われたんだけどなドレミファインバータの末路とも似てるな
@@crankyfranky9801 そのままといっても標準軌と三六狭軌の違いは無視できません。加えて日本の交通機器はドイツと比べて高い稼働率が要求されるのが大きいかと。場所も時間も人手も足りず厳密な定時運行が必須の日本ではドイツのように保守整備のため長時間車両を遊ばせることが許されません。
@@crankyfranky9801 さんぜんぜんそのままではありません。日本のDD54は真ん中に1軸の従輪があり、それを推進軸で飛び越える、いびつな構造をしていました。西ドイツのもととなった機関車は、B-B の車軸配列であり、推進軸振動の問題の起きにくい構造でした。
@@naomiyamada8581 おっとそれは見過ごしてましたありがとうございます
マイバッハ 今の時代でいうベンツの超高級ブランド・・。
大昔から高級自動車ブランドで、二次大戦中のドイツ戦車のエンジンはほぼマイバッハ。戦中に既にナトリュウム封入バルブとか使ってるハイテクメーカー。
日本は海外から取り入れた技術から色々なことを学び、そこからよりよいものを作る能力に優れていたはずですが、DD54にそれがあてはまらなかったのは残念なことです。
今まで読んできた文献とあまりにも内容が異なりますね。変速機とエンジンの分解はマイバッハのライセンスの都合で許可を得ないとできず修理に時間がかかったと聞いた事があります。時間とコストが余りにもかかり過ぎるので既存のDD51を追加製造して置き換えた方が安上がりと結論がでて早期廃車になったそうです。話しが変わりDD54ほど短命でないですが京急1000形、JR東E501系にはドイツシーメンス社のVVVFインバータ(ドレミの音階が出る)が搭載されてましたが全検の際国産メーカーに換装されたの故存じですか?これは故障や点検の際自社で分解する事を許されずシーメンス社立ち会いじゃないとできず故障の原因を教えてもらえなかったのが原因で国産に切り替えたとある文献で読みました。三菱重工も悪いですがドイツ人とドイツの企業は閉鎖的なのと日本の使用状況に会わないんじゃないんですかね。
@@user-wt9dr5mz9l あと、部品の変更、改良もメーカーに阻止されたようですし。
@@user-wt9dr5mz9l さんメンテナンスや部品供給で儲けるのが海外の常識ですから。
@@user-wt9dr5mz9l 交流電化技術をフランスは供与拒否したのに日本で実用化され、ドイツでもバンケルモーター(ロータリーエンジン)をマツダに特許数で上回られて実質『取られた』って観たから、以降は技術流出防衛で頑なになったのかもしれない。尤も、ロータリーエンジン開発の契約時に極めて不利な条件を松田社長に呑ませたくせに何言ってんだって思いますがね。まあ3シリンダー蒸機の台車リンク改悪や京浜東北線電車用のアメリカ製パンタグラフで粗悪品を掴まされた失敗も日本側にも多いから、正確な記録は取っておくべきで、こういう動画をUPしてくれる事はありがたい。
メキドロ式変速機はドイツは勿論、イギリスや中国ではそこそこ成功したけど、日本だけ大失敗してしまった。
推進軸をなめてはいけません。高速回転するプロペラシャフトは振動がつきものであり、その対策に自動車メーカーは対策を練りに練っています。サイズは小さいですが高速回転の、Formula 1の運動エネルギーを回生するMGU-Kで、ホンダの開発陣が振動対策で苦労していたのを、ジェットエンジンの達人、GEホンダのエンジニアが設計で悪いところを即座に指摘し、事なきを得た、という逸話すら残る、古くて新しい問題なんです。ましてや機関車の推進軸は強大なトルクを伝達するため太く重い軸となることから設計は困難なものとなります。少し前なら発電用蒸気タービンですら長軸のタンデム型は避けられ(それでも振動問題は起きた)、短い軸となるコンパウンド型の製造をしていたぐらいですから。軸の振動解析には、変速機内部の情報も必要になるのですが、ライセンス生産では完全な情報を得られるとは限らず、振動解析を難しくします。おそらく西ドイツのオリジナルの設計では「たわみやすい」推進軸を使うことで爪クラッチへの負担を減らしていたのかもしれません。そこへ落下対策にと推進軸を太くしならないようにしたから(さらに中間減速機の拘束もあった)、モロに変速機にダメージが行ったのかもしれません。技術力の差は日本とアメリカとの間でも同じで、新性能電車の要の技術、電磁直通ブレーキやラインデリアは日本の技術者もモノにするのにかなり掛かったといいます。特にファンデリアの整流板はそれがある理由を理解するのに実物を作って失敗するまで解らなかったくらいです。それでも三菱電機のライセンサーのウェスティングハウス・エレクトリックは戦前からのよしみか、丁寧に技術を教えてくれたそうでモノになったとか。一方でマイバッハ・メキドロ社とのやり取りは商社を挟んでテレックスでの伝言ゲーム。質疑応答も難渋したと思います。
自動車でいうと、液体式はガソリンエンジン+ATの組み合わせ、電気式はいわゆるe-powerの形式、e-powerは日産が開発した新しいものではなく、ディーゼル機関車では古くから採用されてきたシステムですね。鉄道には、最先端技術が数多く採用されていますね。
あまり知らなかったディーゼル機関車のことがわかって良かったです子供の頃、姫路の機関区に蒸気機関車の写真を撮りに行ったときに、DE10の運転士さんのご厚意で運転台に乗せていただいた上に少し動かしてもくれたのが良い思い出ですまだほとんど新車だったのでしょうか中も外もピカピカだったと記憶しています「俺のも写真撮ってくれ」と言われたのですが、フィルム(モノクロ)を使いきっていたでが残念ながら撮れませんでした今では考えられない程ゆるい良い時代でしたね
三式戦を苦しめたエンジントラブルの元はダイムラーベンツDB601だったから戦時と同じパターンだな
会社がデカいだけで実は技術が無いのかも。防弾性能が皆無の戦闘機や結果途中敗退の旅客機…極め付けは爆発した原子炉もね
液漏れにシャフトトラブルだからまんま被ってる
自動車でも同じらしいけどね。ドイツ車。
終盤のED76 500はあんまり関係ない気がします。確かにED75 501(実はこれも三菱製だが)で誘導障害が大きいので全サイリスタ制御をやめて半サイリスタ制御にしたED76 500になったということですが。
機関車製造に関わった某重電と国鉄との関係は闇が深い日本では普及しなかったが箱型DLはヨーロピアンなデザインがいいね
DD54の棒高跳び事故ホントにビックリですよな(^_^;)まだ技術的に追い付いていなかったのが根本にあったとはいえ……911形も作っのはいいけど結局出番もなく消えたもんなあ(救援の方法変えたため)でもこのような失敗から学んで様々な名機を産み出して今の車両達に繋がっていってるんですよね
正直なところ、SLよりDLのほうがかっこいいな…DD51とか
儂もそう思う(笑)
DD51の解説の方が長い(汗)。
やっぱり国鉄(省線)の非電化動力車って黒歴史の塊だなぁと…蒸気の時代からどうしてああなんだって思うことが多々あるので、DD51とDE10は良く生まれたなあって感じが
マイバッハは独逸の戦車 タイガー・パンターのエンジンで儲けた。ガソリン21,000CC 700馬力。(後に23,000CC)重装甲で撃破された戦車よりエンジン故障で放棄された戦車のほうが多かった。凝り過ぎて信頼性の低さはこの会社の伝統。整備兵泣かせの複雑さ。連合軍戦車兵は大感謝。
呪いの54ナンバーですなまあ、液体式で日本がトップクラスの技術を有しているというのは、単に海外では電気式が主流であることが大きい電気式の最大のメリットは、エンジンの回転が直接車輪に伝達しないため、液体式のようなトルコンやシャフトが不要となる点であるまた、電気式は他の方式とことなり、ダイナミックブレーキの使用で高速域からの減速を可能としている点である
イギリスのディーゼル技術は低いなんかと思いきやデルテックエンジンやらIntercity125で実は日本はぶっちぎられてるという・・・(メンテナンス性や燃費、環境性能は置いといて 😅
@@crankyfranky9801 第2次大戦後には、戦闘機のエンジンを機関車に据え付けたのもあったようです。
@@tita6818 そうみたいねアングロマニアなんだもんで 😅あとは韓国や他の国々みたいにアメリカの電気式ディーゼルの技術の導入をしてみてもよかったのにとも思う
@@crankyfranky9801 韓国は日本統治時代に米ソ(露)中など大陸国とそん色ない標準軌かつ重軌条の鉄道網が出来ていましたから。新幹線の建築限界・車両限界がほぼ同じなのでいかに大型な規格かイメージできます。「内地」の軟弱狭軌ではディーゼルエンジン、発電機、主電動機と重量物が3種類も必要な電気式ディーゼルは採用できませんでした(日本の線路を走れる重さではパワー不足で使えなかった)。日本で電気式が復活したのはパワーエレクトロニクスの進歩で小型軽量化が実現したためです。
もともと DF50 という電気式ディーゼル機関車を国鉄は開発したのですが、電気式では出力に比べて軸重が重くなりすぎるため、幹線以外に乗り入れることができませんでした。しかも DD54 に付いている1軸の従輪は軸重軽減のためだけの装備で、これの存在が推進軸の落下や推進軸強化による変速機へのしわ寄せを招くもととなったのです。
DE10も結構攻めた設計で、私鉄ではDE10タイプよりも保守の容易なDD13タイプが好まれました。
西欧で嫌われる数字「13」、日本で嫌われる「4、9」、そして国鉄の不吉な数字「54」CもDもEも皆んな短命
例外ありますよ。キハ54、今でも北と四国に在籍。北のは一部事故廃車が出たけどそれ以外は全車在籍。1986年デビューだから以外にも長命。
@@user-wt9dr5mz9l さん後クモハ54もです。
反対に51は、いい仕事してますよね。D51、DD51、EF510と。EF510は電気が通っていたらどこでも走れるオールラウンドプレーヤーです(いろんな制限事項は除くという前提)
C51も忘れてはならない。それと、僅か2両とはいえ、その後の電気機関車の基本となったEF51も。
@@user-wk7iu6ey8g 車体長を21m未満に納め、2エンジン強力型(当時)量産の礎となったキハ51、近郊型国電の嚆矢クモハ51、お忘れなく。
オートブリッパーってこの時代からあったんですね…知らなかった…
※このDD54形ディーゼル機関車は、EF66形電気機関車から出来ました。
8:10頸を動かすだけでそれでクビが飛んだ国鉄職員も沢山いるのに
頭デッカチなスペック番長で耐久性や整備性に難があるのはドイツ製品あるあるですよね。ライセンス生産ではなくドイツ国内で製造されたものでも日本の環境で使い物になった鉄道機器はクノールブレムゼ製の空気圧縮機くらいでしょう。それ以外はほとんどが短期間で廃車あるいは国産品に換装されています。日本の鉄道技術は野暮ったいけれど実用性抜群のアメリカ発祥のものをベースに発展した歴史があります。
電気式のディーゼル機関って何だよ?と思ったら、ホンダe-HEVや日産e-POWERのようなメカニズムが既にあったと言うのはすごいですね。
DD51が成功したのは三式戦闘機「飛燕」のエンジンで大しくじりをやらかした川崎重工が関わったからです。
あんまり詳しくないんですが、ディーゼルエンジンて60年代くらいまで(船舶向けに比べて)小さくて馬力のあるやつを作るのがドイツやアメリカですら難しかったみたいですね…
実は世界で初めてそれに成功したのはソ連T34の大成功はその典型
平成・令和のニッポンが失敗に学ばなくなったのは痛恨の極み!
誠に遺憾ですね(岸田並感)
鉄道ファンではなく蒸気機関車マニアだね 昨日稲沢駅を通過したらDD200 や箱型のディーゼルエンジン搭載機関車が沢山停車してたよ
DD51形がセンターキャブでなきゃダメだった理由の説明が、どうしてDD53形のような箱型両端運転室の配置では拙かったのかを全然説明できていないように感じた
北海道のキハも後部台車が棒高跳びし脱線この事故が元で北海道の高速化が止まりキハ261系に戻ってましね。
DD51、そんなに少なくなってしまったんだ… 昔、武蔵野線の新三郷駅だったかな、、大量に留置されていました。まさに墓場って感じ。。 そういえば、北斗星専用の2機はもうないんですか?
折れたのは推進軸であって、車体じゃない。毎度嘘の煽り文句使ってんじゃない。
運転席が横向きとは、確かに方向転換の時に座り直しする必要はないですが、ずっとその姿勢だと首や腰が疲れそうです。ら
日本の完成車体会社がドイツ製のユニットを導入して問題を起こす、というと最近だとゲトラグ社製のデュアルクラッチトランスミッションがトラブル多発で問題になってましたね。こちらは自動車で、本国ドイツの完成車でも問題になってましたけど。
DD54かぁ!。幼少の頃、親類の田舎に行く時に使っていたな。とにかく、よく故障、トラブル、だらけで延着し放題だった。DD51が救援に後ろを押していたな。
マイバッハ製エンジン設計図の寸法が何ミリずつ書き換えられたのではないか??どのような提携か解りませんが多々あるようです。
当時は電子制御が未熟だったこともあり、オートマチックトランスミッションのギアの切り替えが荒っぽかったのもある。手荒にアクセルを吹かすと、キハ58系での変直切替で、乱暴にやった時のようにドコン!という大きな衝撃音を響かせながら直結段に切り替わる四マツです。加速しながら短い時間の差で、適宜よく歯車を進段するパワーオンシフトも、優れた電子制御ができるまでは困難でした。零戦の機銃で言えば、プロペラ同調式機銃のような技術です。これができるまでは、プロペラの間から銃を打つことは不可能でした。
DE10型ディーゼル機関車を 嵯峨野観光鉄道さんはトロッコ列車運行されています
大出力エンジンを運行メンテナンスする技術がまだまだだったのが悔やまれますね。これを教訓にDE50ではDD51のエンジンと部品共通化率を高めてメンテナンス性とコスト低減を狙いますが…
最近の車両でもE351が短命だった。
e351系は歴史的大失敗作となり、こいつを無かったことにするために優秀なe353系を導入し、e351系は重機のご飯にして歴史の闇に葬り去ったのだ。
英国国鉄でも、マイバッハ-メキドロ式のClass35やClass42も問題が有ったらしく、Class52ではマイバッハ-フォイトになっています。調べたところ、英国国鉄の液体式ディーゼル機関車は同じ形式でもメキドロ変速機仕様とフォイト変速機仕様が有ったようです。その後の英国国鉄のディーゼル機関車は電気式に統一したようです。不思議なことに、wikipediaによるとDD54の元になったDB-V160はフォイト変速機になっています。一般的に、イギリス、アメリカ、日本、などは、ドイツと機械の設計思想が違っていて使いづらい事が多いようです。
Great video!
三菱・・・やはり三菱か
今から35年前のちびまる子ちゃんで、クリスマスにシャンパン開けて蛍光灯直撃w破片をかたす母が【西洋人の真似なんかするから、ろくなことにならない】と言ってたの思い出したwww
9:50どういう列車???www
「大洲内子バンガロー列車」というイベントの様です 少人数の個室でゆったりと…というコンセプトは解りますが外観はやはり異様ですね…
DD54って亜幹線用だったんですね。主幹線用かと思ってました。しかも、海外に売り込む用だったなんて。日本もかつては海外から導入したの技術を「日本の技術」という嘘をつく気満々だったってことなんですかね。ま、それはさておき。動画全体の2/3は、DD51とDE10の説明。もう少し簡潔に説明しても良かったのでは。10:21〜10:47の、あけぼの迂回運転のDE10の重連の説明の方が、よっぽど動画の中ではハイライト。
ついでにガスタービン動車のキヤ391系もナ✋💦🔵🚃
4年で廃車
あんなカッコいい機関車だったのになあ。
おばんです
今は非電化区間は何が走ってるのだろうか
主力はDE10かな?
北海道と関西線(稲沢~四日市)と九州のななつ星牽引がDF200、各地の入れ換えと一部支線の貨物牽引がDD200、貨物駅の入れ換え専用がHD300、DD51が東日本と西日本にわずかに残存、DE10が東海を除く各社保有。
@@user-bl4lw1og1y なるほど🤔
@@user-wt9dr5mz9l なるほど🤔
これにDE51に積む予定だったエンジンを積めばまだ使えた??
三菱重工ってさー戦闘機作れば防弾がほぼ無い欠陥機だし旅客機作ろうとしても途中敗退鉄道でもライセンスコピーしきれない。誠に残念だね。
爆発した原子炉を忘れてた
自工はもっとひどい、、、
おばはんです
前置きがちょっと長いです。
愛されただけキハ285よりはよほどマシ
変速機の設計・製造をアイシンに任せればこんな事にならなかったかと。
アイシンは自動車専門なので鉄道車両には全くノウハウがないです。平均的な乗用車と400~800t重量を引く機関車じゃトルコンの耐久性などが全くちがいますから。アイシンに作らせてもこれよりひどい状態になったんじゃないですか?
@@user-wt9dr5mz9l どうだろ?専門外でもアイシンなら造れそうな気はする…現在ならね、当時は無理だったんじゃないかなぁ?
アイシンもボルグワーナーと提携してアイシンワーナーを作っていた時期なので日本全体の技術不足でしょうメーカーの技術力不足もそうだけど、国鉄のメンテ技術力不足も大きかったかとDD54をモノにできなかった国鉄はJRになってみると国際競争力のある船舶や大型エンジンと比較して技術的に大きく劣った状態になります狙った方向性は正しかったのだけどという話ですね
ホント末期には東舞鶴、福知山、和田山などに並んでましたね。寂しい風景でした。
別の方がコメされてますが、福知山区の職員の方が上からの解体指示に従わず解体確認の際も
他の車両の影に隠して残したのが33号機です。社会人としては疑問の残る行為ですが
54好きの私にはお礼しかありません。あとお召し列車の牽引もしましたが、今考えると
恐ろしい事ですよね。事故が無かって何よりです。
スペインでもマイバッハエンジントランスミッション搭載の機関車が70年代に使われましたけどやっぱり耐久性やメンテナンス性が問題で早く使われなくなりました
昔、父の友達が、和田山駅近くに住んでいて、DD54牽引の貨物や客車を見ていました。
その時はまさか、国会で追及される車両になろうとは夢にも思っていませんでした。
箱型のデザインが好きだったなぁ。
DD54は 山陰本線でSLを追い出す目的もあったけど このような事情から故障時に逆にSLに救援されたり 運用をSLが代走するケースもあったと聞いた事があります。
その時 沿線で待機していた撮り鉄からは「やった!今日は赤ブタじゃない!」と歓声が上がったとか。
DD54のデザイン自体は良いんですけどね。40号機が耐用年数を全然超えないまま廃車にされたのがもったいないですね。そして1両残っているのが面白いですね
福知山機関区の職員が国鉄に欠陥でも証拠として残せと懇願して解体を免れたと聞いた事があります。
ほとんどそのままなのがドイツでは長年使われたんだけどな
ドレミファインバータの末路とも似てるな
@@crankyfranky9801
そのままといっても標準軌と三六狭軌の違いは無視できません。加えて日本の交通機器はドイツと比べて高い稼働率が要求されるのが大きいかと。場所も時間も人手も足りず厳密な定時運行が必須の日本ではドイツのように保守整備のため長時間車両を遊ばせることが許されません。
@@crankyfranky9801 さん
ぜんぜんそのままではありません。日本のDD54は真ん中に1軸の従輪があり、それを推進軸で飛び越える、いびつな構造をしていました。西ドイツのもととなった機関車は、B-B の車軸配列であり、推進軸振動の問題の起きにくい構造でした。
@@naomiyamada8581 おっとそれは見過ごしてました
ありがとうございます
マイバッハ 今の時代でいうベンツの超高級ブランド・・。
大昔から高級自動車ブランドで、二次大戦中のドイツ戦車のエンジンはほぼマイバッハ。
戦中に既にナトリュウム封入バルブとか使ってるハイテクメーカー。
日本は海外から取り入れた技術から色々なことを学び、そこからよりよいものを作る能力に優れていたはずですが、DD54にそれがあてはまらなかったのは残念なことです。
今まで読んできた文献とあまりにも内容が異なりますね。変速機とエンジンの分解はマイバッハのライセンスの都合で許可を得ないとできず修理に時間がかかったと聞いた事があります。時間とコストが余りにもかかり過ぎるので既存のDD51を追加製造して置き換えた方が安上がりと結論がでて早期廃車になったそうです。話しが変わりDD54ほど短命でないですが京急1000形、JR東E501系にはドイツシーメンス社のVVVFインバータ(ドレミの音階が出る)が搭載されてましたが全検の際国産メーカーに換装されたの故存じですか?これは故障や点検の際自社で分解する事を許されずシーメンス社立ち会いじゃないとできず故障の原因を教えてもらえなかったのが原因で国産に切り替えたとある文献で読みました。三菱重工も悪いですがドイツ人とドイツの企業は閉鎖的なのと日本の使用状況に会わないんじゃないんですかね。
@@user-wt9dr5mz9l あと、部品の変更、改良もメーカーに阻止されたようですし。
@@user-wt9dr5mz9l さん
メンテナンスや部品供給で儲けるのが海外の常識ですから。
@@user-wt9dr5mz9l 交流電化技術をフランスは供与拒否したのに日本で実用化され、ドイツでもバンケルモーター(ロータリーエンジン)をマツダに特許数で上回られて実質『取られた』って観たから、以降は技術流出防衛で頑なになったのかもしれない。尤も、ロータリーエンジン開発の契約時に極めて不利な条件を松田社長に呑ませたくせに何言ってんだって思いますがね。まあ3シリンダー蒸機の台車リンク改悪や京浜東北線電車用のアメリカ製パンタグラフで粗悪品を掴まされた失敗も日本側にも多いから、正確な記録は取っておくべきで、こういう動画をUPしてくれる事はありがたい。
メキドロ式変速機はドイツは勿論、イギリスや中国ではそこそこ成功したけど、日本だけ大失敗してしまった。
推進軸をなめてはいけません。
高速回転するプロペラシャフトは振動がつきものであり、その対策に自動車メーカーは対策を練りに練っています。サイズは小さいですが高速回転の、Formula 1の運動エネルギーを回生するMGU-Kで、ホンダの開発陣が振動対策で苦労していたのを、ジェットエンジンの達人、GEホンダのエンジニアが設計で悪いところを即座に指摘し、事なきを得た、という逸話すら残る、古くて新しい問題なんです。
ましてや機関車の推進軸は強大なトルクを伝達するため太く重い軸となることから設計は困難なものとなります。少し前なら発電用蒸気タービンですら長軸のタンデム型は避けられ(それでも振動問題は起きた)、短い軸となるコンパウンド型の製造をしていたぐらいですから。
軸の振動解析には、変速機内部の情報も必要になるのですが、ライセンス生産では完全な情報を得られるとは限らず、振動解析を難しくします。おそらく西ドイツのオリジナルの設計では「たわみやすい」推進軸を使うことで爪クラッチへの負担を減らしていたのかもしれません。そこへ落下対策にと推進軸を太くしならないようにしたから(さらに中間減速機の拘束もあった)、モロに変速機にダメージが行ったのかもしれません。
技術力の差は日本とアメリカとの間でも同じで、新性能電車の要の技術、電磁直通ブレーキやラインデリアは日本の技術者もモノにするのにかなり掛かったといいます。特にファンデリアの整流板はそれがある理由を理解するのに実物を作って失敗するまで解らなかったくらいです。それでも三菱電機のライセンサーのウェスティングハウス・エレクトリックは戦前からのよしみか、丁寧に技術を教えてくれたそうでモノになったとか。一方でマイバッハ・メキドロ社とのやり取りは商社を挟んでテレックスでの伝言ゲーム。質疑応答も難渋したと思います。
自動車でいうと、液体式はガソリンエンジン+ATの組み合わせ、電気式はいわゆるe-powerの形式、e-powerは日産が開発した新しいものではなく、ディーゼル機関車では古くから採用されてきたシステムですね。
鉄道には、最先端技術が数多く採用されていますね。
あまり知らなかったディーゼル機関車のことがわかって良かったです
子供の頃、姫路の機関区に蒸気機関車の写真を撮りに行ったときに、DE10の運転士さんのご厚意で運転台に乗せていただいた上に少し動かしてもくれたのが良い思い出です
まだほとんど新車だったのでしょうか中も外もピカピカだったと記憶しています
「俺のも写真撮ってくれ」と言われたのですが、フィルム(モノクロ)を使いきっていたでが残念ながら撮れませんでした
今では考えられない程ゆるい良い時代でしたね
三式戦を苦しめたエンジントラブルの元はダイムラーベンツDB601だったから戦時と同じパターンだな
会社がデカいだけで実は技術が無いのかも。
防弾性能が皆無の戦闘機や結果途中敗退の旅客機…
極め付けは爆発した原子炉もね
液漏れにシャフトトラブルだからまんま被ってる
自動車でも同じらしいけどね。ドイツ車。
終盤のED76 500はあんまり関係ない気がします。確かにED75 501(実はこれも三菱製だが)で誘導障害が大きいので全サイリスタ制御をやめて半サイリスタ制御にしたED76 500になったということですが。
機関車製造に関わった某重電と国鉄との関係は闇が深い
日本では普及しなかったが箱型DLはヨーロピアンなデザインがいいね
DD54の棒高跳び事故ホントに
ビックリですよな(^_^;)
まだ技術的に追い付いていなかったのが
根本にあったとはいえ……
911形も作っのはいいけど
結局出番もなく消えたもんなあ
(救援の方法変えたため)
でもこのような失敗から学んで
様々な名機を産み出して
今の車両達に繋がっていってるんですよね
正直なところ、SLよりDLのほうが
かっこいいな…
DD51とか
儂もそう思う(笑)
DD51の解説の方が長い(汗)。
やっぱり国鉄(省線)の非電化動力車って黒歴史の塊だなぁと…
蒸気の時代からどうしてああなんだって思うことが多々あるので、DD51とDE10は良く生まれたなあって感じが
マイバッハは独逸の戦車 タイガー・パンターのエンジンで儲けた。ガソリン21,000CC 700馬力。(後に23,000CC)重装甲で撃破された戦車よりエンジン故障で放棄された戦車のほうが多かった。凝り過ぎて信頼性の低さはこの会社の伝統。整備兵泣かせの複雑さ。連合軍戦車兵は大感謝。
呪いの54ナンバーですな
まあ、液体式で日本がトップクラスの技術を有しているというのは、単に海外では電気式が主流であることが大きい
電気式の最大のメリットは、エンジンの回転が直接車輪に伝達しないため、液体式のようなトルコンやシャフトが不要となる点である
また、電気式は他の方式とことなり、ダイナミックブレーキの使用で高速域からの減速を可能としている点である
イギリスのディーゼル技術は低いなんかと思いきや
デルテックエンジンやらIntercity125で実は日本はぶっちぎられてるという・・・(メンテナンス性や燃費、環境性能は置いといて 😅
@@crankyfranky9801 第2次大戦後には、戦闘機のエンジンを機関車に据え付けたのもあったようです。
@@tita6818 そうみたいね
アングロマニアなんだもんで 😅
あとは韓国や他の国々みたいにアメリカの電気式ディーゼルの技術の導入をしてみてもよかったのにとも思う
@@crankyfranky9801
韓国は日本統治時代に米ソ(露)中など大陸国とそん色ない標準軌かつ重軌条の鉄道網が出来ていましたから。新幹線の建築限界・車両限界がほぼ同じなのでいかに大型な規格かイメージできます。「内地」の軟弱狭軌ではディーゼルエンジン、発電機、主電動機と重量物が3種類も必要な電気式ディーゼルは採用できませんでした(日本の線路を走れる重さではパワー不足で使えなかった)。日本で電気式が復活したのはパワーエレクトロニクスの進歩で小型軽量化が実現したためです。
もともと DF50 という電気式ディーゼル機関車を国鉄は開発したのですが、電気式では出力に比べて軸重が重くなりすぎるため、幹線以外に乗り入れることができませんでした。しかも DD54 に付いている1軸の従輪は軸重軽減のためだけの装備で、これの存在が推進軸の落下や推進軸強化による変速機へのしわ寄せを招くもととなったのです。
DE10も結構攻めた設計で、私鉄ではDE10タイプよりも保守の容易なDD13タイプが好まれました。
西欧で嫌われる数字「13」、日本で嫌われる「4、9」、そして国鉄の不吉な数字「54」
CもDもEも皆んな短命
例外ありますよ。キハ54、今でも北と四国に在籍。北のは一部事故廃車が出たけどそれ以外は全車在籍。1986年デビューだから以外にも長命。
@@user-wt9dr5mz9l さん
後クモハ54もです。
反対に51は、いい仕事してますよね。D51、DD51、EF510と。
EF510は電気が通っていたらどこでも走れるオールラウンドプレーヤーです(いろんな制限事項は除くという前提)
C51も忘れてはならない。
それと、僅か2両とはいえ、その後の電気機関車の基本となったEF51も。
@@user-wk7iu6ey8g 車体長を21m未満に納め、2エンジン強力型(当時)量産の礎となったキハ51、近郊型国電の嚆矢クモハ51
、お忘れなく。
オートブリッパーってこの時代からあったんですね…知らなかった…
※このDD54形ディーゼル機関車は、EF66形電気機関車から出来ました。
8:10
頸を動かすだけで
それでクビが飛んだ国鉄職員も沢山いるのに
頭デッカチなスペック番長で耐久性や整備性に難があるのはドイツ製品あるあるですよね。ライセンス生産ではなくドイツ国内で製造されたものでも日本の環境で使い物になった鉄道機器はクノールブレムゼ製の空気圧縮機くらいでしょう。それ以外はほとんどが短期間で廃車あるいは国産品に換装されています。日本の鉄道技術は野暮ったいけれど実用性抜群のアメリカ発祥のものをベースに発展した歴史があります。
電気式のディーゼル機関って何だよ?と思ったら、ホンダe-HEVや日産e-POWERのようなメカニズムが既にあったと言うのはすごいですね。
DD51が成功したのは
三式戦闘機「飛燕」のエンジンで大しくじりをやらかした川崎重工が関わったからです。
あんまり詳しくないんですが、
ディーゼルエンジンて60年代くらいまで(船舶向けに比べて)
小さくて馬力のあるやつを作るのが
ドイツやアメリカですら難しかったみたいですね…
実は世界で初めてそれに成功したのはソ連
T34の大成功はその典型
平成・令和のニッポンが失敗に学ばなくなったのは痛恨の極み!
誠に遺憾ですね(岸田並感)
鉄道ファンではなく蒸気機関車マニアだね 昨日稲沢駅を通過したらDD200 や箱型のディーゼルエンジン搭載機関車が沢山停車してたよ
DD51形がセンターキャブでなきゃダメだった理由の説明が、どうしてDD53形のような箱型両端運転室の配置では拙かったのかを全然説明できていないように感じた
北海道のキハも後部台車が棒高跳びし脱線この事故が元で北海道の高速化が止まりキハ261系に戻ってましね。
DD51、そんなに少なくなってしまったんだ… 昔、武蔵野線の新三郷駅だったかな、、大量に留置されていました。まさに墓場って感じ。。 そういえば、北斗星専用の2機はもうないんですか?
折れたのは推進軸であって、車体じゃない。
毎度嘘の煽り文句使ってんじゃない。
運転席が横向きとは、確かに方向転換の時に座り直しする必要はないですが、ずっとその姿勢だと首や腰が疲れそうです。ら
日本の完成車体会社がドイツ製のユニットを導入して問題を起こす、というと最近だとゲトラグ社製のデュアルクラッチトランスミッションがトラブル多発で問題になってましたね。こちらは自動車で、本国ドイツの完成車でも問題になってましたけど。
DD54かぁ!。幼少の頃、親類の田舎に行く時に使っていたな。とにかく、よく故障、トラブル、だらけで延着し放題だった。DD51が救援に後ろを押していたな。
マイバッハ製エンジン設計図の寸法が何ミリずつ書き換えられたのではないか??
どのような提携か解りませんが多々あるようです。
当時は電子制御が未熟だったこともあり、オートマチックトランスミッションのギアの切り替えが荒っぽかったのもある。
手荒にアクセルを吹かすと、キハ58系での変直切替で、乱暴にやった時のようにドコン!という大きな衝撃音を響かせながら直結段に切り替わる四マツです。
加速しながら短い時間の差で、適宜よく歯車を進段するパワーオンシフトも、優れた電子制御ができるまでは困難でした。
零戦の機銃で言えば、プロペラ同調式機銃のような技術です。これができるまでは、プロペラの間から銃を打つことは不可能でした。
DE10型ディーゼル機関車を
嵯峨野観光鉄道さんはトロッコ列車運行されています
大出力エンジンを運行メンテナンスする技術がまだまだだったのが悔やまれますね。これを教訓にDE50ではDD51のエンジンと部品共通化率を高めてメンテナンス性とコスト低減を狙いますが…
最近の車両でもE351が短命だった。
e351系は歴史的大失敗作となり、こいつを無かったことにするために優秀なe353系を導入し、e351系は重機のご飯にして歴史の闇に葬り去ったのだ。
英国国鉄でも、マイバッハ-メキドロ式のClass35やClass42も問題が有ったらしく、Class52ではマイバッハ-フォイトになっています。
調べたところ、英国国鉄の液体式ディーゼル機関車は同じ形式でもメキドロ変速機仕様とフォイト変速機仕様が有ったようです。
その後の英国国鉄のディーゼル機関車は電気式に統一したようです。
不思議なことに、wikipediaによるとDD54の元になったDB-V160はフォイト変速機になっています。
一般的に、イギリス、アメリカ、日本、などは、ドイツと機械の設計思想が違っていて使いづらい事が多いようです。
Great video!
三菱・・・やはり三菱か
今から35年前のちびまる子ちゃんで、クリスマスにシャンパン開けて蛍光灯直撃w
破片をかたす母が【西洋人の真似なんかするから、ろくなことにならない】と言ってたの思い出したwww
9:50
どういう列車???www
「大洲内子バンガロー列車」というイベントの様です 少人数の個室でゆったりと…というコンセプトは解りますが外観はやはり異様ですね…
DD54って亜幹線用だったんですね。主幹線用かと思ってました。
しかも、海外に売り込む用だったなんて。
日本もかつては海外から導入したの技術を「日本の技術」という嘘をつく気満々だったってことなんですかね。
ま、それはさておき。動画全体の2/3は、DD51とDE10の説明。もう少し簡潔に説明しても良かったのでは。
10:21〜10:47の、あけぼの迂回運転のDE10の重連の説明の方が、よっぽど動画の中ではハイライト。
ついでにガスタービン動車のキヤ391系もナ✋💦🔵🚃
4年で廃車
あんなカッコいい機関車だったのになあ。
メキドロ式変速機はドイツは勿論、イギリスや中国ではそこそこ成功したけど、日本だけ大失敗してしまった。
おばんです
今は非電化区間は何が走ってるのだろうか
主力はDE10かな?
北海道と関西線(稲沢~四日市)と九州のななつ星牽引がDF200、各地の入れ換えと一部支線の貨物牽引がDD200、貨物駅の入れ換え専用がHD300、DD51が東日本と西日本にわずかに残存、DE10が東海を除く各社保有。
@@user-bl4lw1og1y なるほど🤔
@@user-wt9dr5mz9l なるほど🤔
これにDE51に積む予定だったエンジンを積めばまだ使えた??
三菱重工ってさー
戦闘機作れば防弾がほぼ無い欠陥機だし
旅客機作ろうとしても途中敗退
鉄道でもライセンスコピーしきれない。
誠に残念だね。
爆発した原子炉を忘れてた
自工はもっとひどい、、、
おばはんです
前置きがちょっと長いです。
愛されただけキハ285よりはよほどマシ
変速機の設計・製造をアイシンに任せればこんな事にならなかったかと。
アイシンは自動車専門なので鉄道車両には全くノウハウがないです。平均的な乗用車と400~800t重量を引く機関車じゃトルコンの耐久性などが全くちがいますから。アイシンに作らせてもこれよりひどい状態に
なったんじゃないですか?
@@user-wt9dr5mz9l どうだろ?専門外でもアイシンなら造れそうな気はする…現在ならね、当時は無理だったんじゃないかなぁ?
アイシンもボルグワーナーと提携してアイシンワーナーを作っていた時期なので日本全体の技術不足でしょう
メーカーの技術力不足もそうだけど、国鉄のメンテ技術力不足も大きかったかと
DD54をモノにできなかった国鉄はJRになってみると国際競争力のある船舶や大型エンジンと比較して技術的に大きく劣った状態になります
狙った方向性は正しかったのだけどという話ですね