ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
★挨拶と補足あけましておめでとうございます!本年もよろしくお願いします。動画内で大事なことを言い忘れました。変速機について、メキドロ式の動きについて、これはK104の中身ですので、もしかしたらDD54のDW5は細部で異なる挙動をするのかもしれません。基本的には同じだと思うのですが🤔
以前にコメントさせていただいたものです。あれから何回も動画を見せていただいていますが、トルコン内でメインのタービンが抜けサブのタービンが入る、ということが、別のトルコンの動画と見比べてもなかなか難しくまだ理解できていません。すみません。また、もしドグクラッチではなく板クラッチを使ったら、等と思いますが、それはそれで別の問題が発生するのでしょうか。それともライセンスの問題だけでしょうか。この動画を見せていただくと、充排油の機構さえうまくできれば、ホイト式の簡潔さが大出力の機関車には似合っていると感じます。ちょっと話がずれますが、DD51の変速時(シフトアップ時)、機関士が一旦エンジンの出力を落とし次に「ブィンブィーン」とアクセルを噴かしてるようで(本当はマスコン?)、まるでバスのギアチェンジみたいな音でした。勝手にシフトチェンジされるのではなく意図して操作しているように思えます。DD51のことなんですが、どこかの機会にでも教えていただけたら嬉しいです。
元自動車整備士でアメリカ車とドイツ車両方触っていたので違いがよく分かるのですが、シンプルで強度に余裕があり耐久性が高くて扱い易いアメリカ車に対して、ドイツ車は複雑でギリギリの強度しか無く信じられない位耐久性が低くてとても扱い辛かった印象があります。この辺りの違いって本当に100年前の蒸気機関車の時代から今に至るまで全然変わっていないんじゃないでしょうか?新型が出る度に複雑化して故障が頻発して対応に苦労させられるドイツ車に「何の為に車作ってんの?」と、本当に日々むかつきながら仕事をしていました。DD54も今回詳しいお話か聞けて、絶対的性能より安定して長く手間がかからず運用出来る方を何故優先しないのか?本当に不思議でなりません。と言う訳で私自身は1958年型のシボレーを37年落ちで買ってもう27年愛用しています。今でも普通に実用になる愛車に「工業製品って言う物はこうじゃなくちゃいけないよな」と思いながら乗っています。
ドイツ製は壊れなくて、アメリカ製はやすくて交換しやすいイメージだったが、逆なのですか?
@@シュウ-y2p 車もそうだがベンツやBMWなんか各部品の耐久性を高く作っていないから交換するサイクルが早い物の性能と耐久性が比例してないように感じる多分モノ作りの意識が違うのだろう昔の日本製はどちらかというと頑丈で品質も同じくらい(今は昔ほどではない)中国製は安価だが壊れやすし個体差がある多分国民性がでるんでは?
@@シュウ-y2p あくまで私が現役のメカニックだった10年ほど前までに触った中での感想なのですが、ドイツ車は仕上げは綺麗なので一見良さそうには見えるけど使われている材質が悪いので耐久性がとても低かったですね。アルミ部品の強度が絶対的に足りないのですぐに破損したり、シール関係がすぐに硬化してパリパリになってオイル漏れが頻発したり、ホース関係はすぐにひび割れしてガソリンや冷却水が漏れたり、配線の被覆が10年もせずにボロボロ剥がれて来てあちこちでショートしたり、エンジン部品を無理にプラスティック化して熱ですぐに劣化したりと、アメリカ車基準で考えると自動車どうの言う前に工業製品としてのクオリティーが余りにも低いのが本当に信じられませんでした。それでいて部品は非常に高価と、どう考えてこれで良いと判断して製品化しているのか理解不能でした。動画のメキドロ式変速機のように緻密で高性能な物を作ろうとするのは良いのですが、安定して使えなかったら何の意味も無いと思います。
ファナックや日立、コマツが世界シェア取るの分かるなランクルは輸出規制した方がいいとなるので
アメ車って言うほど悪くないですもんね。亡くなった元海軍中尉の叔父は進駐軍払下のジープやら自衛隊退官後フォードサンダーバード乗ってました。戦後米国製航空機接して「あんなモン作る国には勝てん」とよく言ってました。海軍機はエンジンとかも常時油漏れ調子も気まぐれだったとか。子供時代にいかに日本製の機体がボロかったのかを面白おかしく話してました。親父がベンツ好きで自分が子供の頃からW114から124 220 245とのってますが結構故障は多かったですね。もう80近いので最後の車でしょう。自分はイタリア車が好きでアウトビアンキ〜アルファ複数からフィアットですが、イタリア車ですが、得体の知れない故障は起こらない感じです。正直新しいベンツの方が変故障が多いですね。でもドイツ車の考え方は好きなのですが、いかんせん手間がかかる
変則時にグリッピングしてましたよね。54特有の音として人気でしたよ。マニアには。棒高跳びは、ユニバーサルの欠陥。センターの台車をプロペラシャフトが越えなければならなかったので、複雑な構造にはなってましたよね。良くお調べになりましたね。資料集めるのが大変だったのでは。解発にかかわった者の子として、短い運命だったけどいつまでも愛してもらえて嬉しいです。
子供の頃に山陰本線を力強く走る姿を見てました、山陰本線の湖山駅構内で棒高跳びをやらかした話も職場の先輩から聞きました。最近の気動車は1速のみトルコン+ギヤの組合せで、後はエンジンとギヤの直結のようです、ブレーキも機関併用型でエンジンブレーキガンガンにきかせてます、電子制御の賜物かと。今回のDD54の説明を聞いて勉強になりました
以前から何回もこの動画を観ております。先日、BSフジでの鉄道伝説という番組でDD54を扱っていましたので、視聴しまして、再度コメントさせていただきました。鉄道伝説では、鉄道ファンも観るけれども広く一般向けということもあって、この動画ほど詳しい説明はされていませんでした。ただ、変速ショックが大きいことは強調され、プロペラシャフトの不具合と棒高跳び事故についても説明されていました。それを見ながら、またこの動画も見直しながら感じたのですが、○試作車の段階でどんな路線をどれだけの距離走って結果良好とされたのだろうか○ドイツでの運行状況と日本とでは違うのではないだろうか(山陰線は平坦路線とは言えずシフトチェンジも頻回になるのではないだろうか)等と思った次第です。整備の方が話されていた変速ショックの大きさも、客車何両も連結している機関車1台の変速で乗客の飲み物がこぼれる、等というのは相当の大きさですよね。それを何回となく繰り返してたら変速機やプロペラシャフトと継手あたりに不具合が起こるのも無理ないな、と思った次第です。もし、新しい知見などありましたら、教えていただけましたら嬉しいです。
一番好きなDLだけに奇跡的に梅小路に保存されて何時でも見れるから嬉しい
あけおめ!通りがかりのお面ライダーですが、I feel so, too., oh, yeah!
昔の工作機械(フライス盤等)には主軸の回転数を切り変える時、多段式のギヤ-列を作りチェンジレバ-で切り変えて使いました。まさにギヤ-のクラッチ歯部にドッグ(ツ-ス)式の噛み合わせを使用してました。今はサ-ボモ-タ-と電子回路で自由に回転数を変えると思います。今はフライス盤も過去の産物でM/C(マシニングセンタ-)の置き換わってますね。私は眺めていただけで社内では使ったことありません。但し、図の様にドッグクラッチのオスメスに余り隙間を設けると主軸にガタが現れ「タタキ」現象が起きます。多分、工作機械では爪(歯)の隙間をかなり詰めたと思います。2022/03/25
メキドロ式について知りたかったけど動画で解説する方はほとんどいなくて、すごくためになりました。ココ山岡知ってる人どの位いるんですかね?
「お客さまー」ときれいなお姉さんに宝石カウンター越しに呼びかけられても応じてはいけません。
なかなか詳しい説明ありがとうございます。自分の考えでは、DD54のクラッチは板式だと思っていました。トルコンで滑らせながら発進していたようですね。ドグクラッチは古くはホンダNコロ360に使われていましたね。カチャカチャと入るギヤに普通の足クラッチ。小さいからバイクの流用ができたのでしょう。完全に動力断てますし。DD54はかなり楽観的でメインシャフト入力時に完全にトルコンが吸収出来ずに、派手にドカンと繋がったようですから。これがお召し列車の先頭を勤めたことがあるのですから、壊れなくて何よりです。プロペラシャフトに衝撃吸収可能な液体マウントとか2~3個入れてあれば話は違ったのかも知れませんが、ライセンス生産だから無理だったのですね。そのドイツのベンツ、BMWは乗用車に吸収ジョイント組み入れてあるのだからわかりません。メキドロ式は本国でも完成されたものじゃなかったらしいからどうかと。いきなり本線投入も早かったとは思います。
本筋からは逸れますが、N360はエンジンもバイクからの流用でした(CB450用をボアダウン)。エンジンからミッションまで二輪からの流用という、四輪黎明期のHONDAを体現したクルマですね。
DD54は、福知山線を走っていましたが、「なくなるで〜」と言う、鉄道マニアの友人から聞いて、撮りに行った記憶が懐かしく思います。
私が出張した南アフリカのドイツ製機関車はトルコン式でなく、DEL方式(ディーゼル 発電 機関車)で[ディーゼルエンジン]-[大型発電機]-[アナログ制御機]-[直流電動機x6台]の構成でした。整備技量の未熟な海外ではトルコン式は少ないとの事でした。
今ではディーゼル機関車(ディーゼルカー含)も整備の問題から液体式から電気式に移行しつつある時代です。
もとより大馬力ディーゼル機関車を運用するアメリカのディーゼル機関車は、古くから電気式ディーゼルです。軸重制限が緩く「マイルトレイン」と称される長編成重量貨物を牽引するには、多少重量増でも問題ありませんでした。
現在の自動車用多段式ATは、シフトダウン時にECUがエンジン回転を制御して、自動的にアクセルを煽ってくれます。なので、アクセルペダルから足を話した状態でシフトダウン操作をすると、一瞬わずかに回転計の指針が上がってからクラッチのつながる感触があり、その後に減速感が得られます。カタログ上にも「スムーズな減速チェンジ」を売りにした記載があります。
メキドロもマイバッハも、「このエンジンとミッションは合わないよ」って言わなかったのかな?
こう見れば、GEの電気式ってシンプルですね。Amtrakでシアトル〜シカゴも2泊3日機関車交換無しで途中駅で給油のみで行くのもGEの電気ディーゼルでしたね。130kmほど出して巨大な二階建て客車牽引してます。
動画投稿有り難うございました。約半世紀も経つのによくここまで調べましたね。素晴らしいです🎵 どの記事もここまではなかなか無いかと思われます😃 ご苦労様でした。私もこのDD54型が凄く好きで、色々と調べていましたが、なかなか情報も無くおりました。動画の内容は理解出来たので嬉しく思いました。素晴らしいです。有り難うございました😀 私は個人的にこの後の事も考えておりました❗️ こ存じだと思いますが当時これ以外に大馬力エンジンを1セットで済ませて経済的な機関車製造も当時国鉄は試作していたDE50が有りました。これも当初は苦労して開発していましたが、何とか使用可能レベルまでには至っていたようでした。しかし当時はDD51を軸として生産改良しつつ有りましたのでこのDE50型の必要性がが無くなってしまい開発試作途中で(もう殆ど完成状態に有ったと思われます)頓挫されてしまいました。それを更に改良してこのDD54にDDもしくはDE型で足回りを作り変えていれば、制作費の節約等、またDE50の開発が無駄に済まなくて済んだのではないかと考えます。それにはまだまだ色んな条件等縦割り(それぞれのメーカーとして)等の垣根を取り払い統合して行かなければならない難問が有ると思いますが、当時の国鉄という大きな組織で有ればまた島さんの様な行動力に実行者が居れば、可能な開発、プロジェクトで出来たのではないかと考えます。如何でしたでしょうか❗️妄想域は脱しませんが、こんな事を私はDD54を好きになり短命な機関車を何とか出来ないかずっと考えておりました。 素晴らしいこの動画を有り難うございました🙇 これからも頑張って下さい👍
DD54は私の最も好きな機関車です。メキドロ型変速機は名前はよく聞きましたがどんな構造だったのか全く分からなかったのですが、なんとなくイメージはつかめました。DML86はもともと2000PSあったものを出力ダウンして1820㎰にしたと記憶しています。
あけおめ!通りがかりのお面ライダーですが。その後、2,000psを実現したのがDE50です。エンジン形式はDMP81Zです。(ウェキペディアの一部にはDMP86Zと記載されていますが、これはウェキペディアの誤りです。)しかしこの頃は、電化の進展とDD51、DE10で余剰車がたくさん出ていた等の関係で、DE50は量産化されませんでした。なお、DD54のエンジン形式はDMP86Zが正しい形式です。16気筒なので、LではなくPです。Oh, yeah!Baby!
長文で申し訳ありません。DD54が短命に終わった原因の一つに変速機のみならずマニアックで繊細な整備しづらいエンジン構造があげられると思います。昔MD870の取説を見た(英文だったので読んでいませんがイラストを見ただけです)ことがあり思い出しながら書いてみます。DD54は変速機のみならずエンジンも驚愕(個人的には)する構造になっていました。4‘30“あたりにありますが、給、排気弁がそれぞれ3本。これは予燃焼室が中央副室式になり、その周囲に冷却水ジャケットがあるので弁径を大きくできずやむを得ず6本にしたと推察しました。予燃焼室式にもかかわらず燃料噴射装置は高圧噴射に適したポンプ部とノズルが一体となったユニットインジェクタを採用しています。また噴射量を調整するコントロールラックは片側8本のインジェクタに対して長手方向を1本物のコントロールラックで燃料噴射量を制御しており、さらにラックとピニオン形状がヘリカルになっています。これ、絶対に組み立てにくいし調整しにくい。さらにインジェクタと吸排気弁はDOHCにより駆動されています。給気か排気どちらかのカム軸でインジェクタを駆動する構造です。ここら辺の設計も複雑で整備屋泣かせだったでしょう。クランク軸はいわゆるトンネル構造で、ウエブが円形となっておりその周りにローラー軸受けがあります。前後方向に抜き出しができる構造です。過給機はタービン軸がエンジンに対して垂直に配置されており、スラスト軸受に自重がかかる構造です。さらにコンプレッサーが上でタービンが下なので高過給域では追加のスラスト荷重がかかっていたと思われます。
大阪市港区弁天町最終時代の交通科学館のDD54の写真が懐かしいです。
今は京都梅小路鉄道博物館に塗装され、展示されています。
@@スーツインナー さんへそうでしたか。あの子は弁天町時代はDE50と一緒に北側で誰も知らないような所にあったから解体されちゃったと思ってましたが、またみんなに見てもらえてるんですね。よかったね。
DD54変速時のショックは記憶が無いのですが、とにかく発進時のドンというショックは。比較相手がいつの間にか動いてるDF50となので、少し割り引く必要が有るかもですが。1次車の前照灯が窓上のスタイル、好きでしたね。
今ではメルセデスの高級車部門であるマイバッハと三菱の関係があったってのはクルマ好きになってから面白いなと思うようになりました(笑)
DD54がどれだけ欠陥機だったのかと言うと1回目の棒高跳び事故直後に代替機DE50開発に着手していることが全てを物語ってます。DD51が成功したのは飛燕でぴえんな位失敗しまくった(飛燕もドイツ流でDD54同様整備に苦労した)川崎重工の功績ですね。
ライセンスが緩ければ、もしかしたらロータリーエンジンのように日本独自に進化して凄い変速機になったかもしれませんね。
ヴァンケル式ロータリーはドイツ本国でもまともに作れず持て余していたのを半ばだまし討ちでマツダに売りつけたような代物でした。ちゃんと実用化されて180万台以上も量産されるなんて売り主のNSUは想像もしていなかったでしょう。
MAZDAの「ロータリーエンジン」は、総本家のNSUですら手こずって「匙を投げた」モノを、周辺特許を固めて熟成したので、13B-REWや13B-MSP「レネシス」まで「進化した」のでしょうね。😀DD54型を見たら、此れは「最良の反面教師」ですよ‼️。😀👍️
脱線しますが、「ガソリンでも水素でも動く」ロータリーエンジンの血筋が、絶えないでほしいです!
そうですね、縛りがきついものでした様です。ネジ一本までかんりされてましたようですね。
マツダのロータリーエンジンはル・マン24時間レースも制覇しました。
明けましておめでとうございます。詳しい解説、ありがとうございます。以前から、DD54の変速機は複雑、ということは知っていましたが、こんなに複雑で精緻なものとは知りませんでした。何回も動画を見直していますが、まだよくは理解できていません。また、DD54について、変速ショックが大きいことも評判がよくないことの一つ、とは聞いていましたが、本当だったのですね。とすると、なぜこんなものに手を出したのだろうという疑問もあります。比較対象となったDD51が、当時はどこででも見ることができ、今でも吹田の整備工場?で1両動けるだろう状況で置かれていたのを見ると、常に細かな改善ができることも大事なことだなあ、と思ってしまいます。この動画とは直接関係ないのですが、昔、毎日DD51牽引の普通列車で通学していたのですが、1回だけ「只今エンジン1基が故障しているので、エンジン1基で運転しております。速度が遅くなりますが、申し訳ありません」というアナウンスがあったことがあります。大丈夫かよ、と思いましたが、別の観点では同じ装置を2基持っている利点ですね。
DB51ですね。
@@権三郎平衛 それはどうも違うようです。DD51では、トルコン2基からの出力は一旦合成され、各動輪に動力を伝えられるようです。したがって、エンジン1基だけの出力も動輪4つに伝えられると思います。この辺りの解説は、DD51を扱った書籍に出ていたと記憶していますが、正確に○○に出ていたとは言えなくてすみません。
@@takachan926 面白いご指摘ありがとうございます。ご指摘された話しは初めて聞きました。DD51はその設計図を見ると(実物も何度も見ましたが)前後の前照灯のすぐ手前のボンネット内にラジエターがあり、その次の運転席寄りに機関(エンジン)が載っています。そして一番運転席寄り、つまり排気管(煙突)の下あたりに変速機(トルクコンバータ)があります。反対側(2位側)のボンネット内もほぼ同様です。片側の機関がなんらかの理由で運転不能になったときに、機関1台で、4軸を動かすということになると前後のトルクコンバータ同士の間で何らかの推進軸(プロペラシャフト)を設ける必要性が出てきます。これは動力のかみ合わせ等の問題から変速機が非常に複雑な構造になってきます。(実は当時の西ドイツには入力軸を2つもつ変速機もありました(西ドイツ国鉄(DB)210補助ガスタービンエンジン付きディーゼル機関車((D)Verstärkte Gasturbinen-Diesellokomotive, (E)Boosted Gas Turbine Diesel Locomotive)などで使用(‘70))が、これは世界的にも珍しいものでした。)変速機のDW2、DW2Aで本来の推進軸と、もう一つの推進軸を設けることになります。DW2、DW2Aは当時の国鉄がやっと造った(S-34~35初期設計)もので、当時ディーゼル車後進国の日本にあってはそんなに複雑なものを造る余裕などありませんでした。ホイト式タイプ液体変速機((D)Voith Flüssigkeitsgetriebe((E)Voith liquid gearbox))でしたが、変速エレメントの位置は違っていました。実は、確かにDW2、DW2Aはもう一本の推進軸を出せるようにはなっていました。これは将来の入れ替え用1エンジン機関車に用いることを想定していたからです。それでその後にできたのがDE10(S-41)ですが、DE10の変速機DW6は前後の台車(軸配置はC-BではなくAAA-B)を動かすために2本の出力推進軸が出ていましたがこれは機関1台の機関車なので割愛します。しかしDD51は本線用なので、推進軸は1位、2位とも各1本ずつしか出ていませんし、当時の国鉄の方針もそうでした。当時の資料にもあります。仮にプロペラシャフトを2エンド側に通すとなると、運転席ドアの下の車輛中央部分か運転席下でちょうど電池箱、元空気ダメ(ランボード(=キャットウオーク))の高さの部分よりちょい下の車輛中央部になります。これより上はSG(蒸気発生装置((E)Steam Generator , (D)Dampferzeuger))(旅客列車暖房用)(乗務員室内)で、これより下は中間台車です。国鉄としてもあまり複雑なものを造りたくなかったことは当時の複数の資料に出ています。今とは技術レベルが全く違う時代でした。鉄道先進国の日本でしたが、ディーゼル車については失敗の連続でした。当時の国鉄は多少、馬力や効率は犠牲にしても、単純で堅牢なものを造りたかったのです。そしてまたその後にそのような改造車が出たという話も聞いたことはありません。DD51を大ざっぱに分けると①1~4号機(試作車)SG付、②5~53号機(非重連)SG付、③501~592号機(重連準備工事済み)SG付、④593~799,1001~1193号機(重連)SG付、⑤801~899,1801~1805(重連)SGなし(貨物用)の5タイプですが、前後のパワーラインを連結させる改造をしたという話は聞いたことがありません。もしそのようなものがあったら確実に別形式か別番台ができたはずです。takachan926さんの指摘している「本当の正体」は実はDF200なのではないでしょうか。DF200と間違えているのではないでしょうか。「DD51を扱った書籍に出ていた」DF200のことについての記述をDD51のことだと頭の中で混同して「記憶して」いたのではないでしょうか。DF200(主機関2台、電気式)は90年代中ごろ(だから技術レベルも違う。)に出てきた比較的新しい機関車です。電気式動力伝達装置を持つこの機関車は運転の助長性を高めるために機関1機でも6軸を動かすことができます。そのような配線をした電気回路のつなぎ方を変えるだけでいいからです。Oh, yeah! Baby! (=ああ、そういうことだぜ!)
@@権三郎平衛 すると、やっぱり動輪2つで10両の客車を引っ張っていたのですね。動輪4つだとかなり余裕があると言うことですね。詳しい解説、ありがとうございます。
@@takachan926 Ye~s, it was! Ye~s! it was plain to see! It’s soオオオ interesting things what I had! Thank you very very much!!!!!!!!
DD54と言えば播但線でしたが、走ってるのをあまり見かけなかったのは、こういう理由があったのですね。
明けましておめでとうございます(^_^)1970年代までは日本の大型ディーゼルエンジンや液体変速機(トルコン)の技術力はまだ欧州や北米にはまだ遅れをとっていましたからねこの辺は石油をほとんど算出しない日本の事情から鉄道や船舶等に使われるような大型機関については蒸気タービンや電気モーターの開発が(戦前から一貫して)優先されたことも影響していそうですね新幹線のような高速電車が日本では比較的早期に発展したのはDD54とは逆の形で日本の国情が現れたのかも知れませんね
ダイハツの1リッターディーゼルエンジンはある意味変態仕様だったんだなあの頃は小排気量ディーゼルあったけど何でだろう
明けおめ!通りすがりのお面ライダーですが、おっしゃる通りです。鉄道先進国の日本でしたが、ディーゼル車については失敗の連続でした。DD54はそんな中で出現してきて、SL駆逐のために現れたものが、SLにサポートされて走っているとか、プロペラシャフトで目的地に一気に棒高跳びをしようとしたりなど、鉄道界の形而上学的というか、シュールレアリズム的存在だったのではないかと私は考えています。だいたい形式に4(下一桁)のつくものはみんな短命で終わったり変わったものが多かったです。例外的なものは、EF64とキハ54くらいです。まさにDD54は悲運(非運)の機関車でした。
@@シュウ-y2p エンジンの振動がすさまじく、CMのキャッチフレーズが「ロックンディーゼル」でしたね!今の時代、圧縮比21なんて高圧縮エンジンはたとえディーゼルでも考えられないですね!
純粋な性能、技術力で見れば今でもだと思いますよ。メンテナンスとか総合的に考えれば国産が妥当なのだろうけれど。
当時、最大でも500ps以下のエンジンでなければ多板クラッチでトルク伝達できなかったのでしょうね。 途中、説明でキハ181の部分ありましたが、DW4系も直結段ありますが、変速機は充排油式でトルク伝達してますね。 私が知っている限り、1000ps級で多板クラッチを用いた変速機で実用化されたのは神奈川臨海鉄道のDD5511だけです。 もしかしたら他にも意欲的に採り入れたものあるかもしれません。 DD5511も多板クラッチがトルクに耐えられず命取りと聞いております。
DD51の変速機のオイル、開発当初は適当なオイルがなかったために灯油を利用していたと聞きました。
変速機はそのオイルの調質が命!
第二次大戦中もUボート等に使われているMB501エンジンの製造ライセンスと本体1基を買いましたねでもV型20気筒ディーゼルエンジンと言うとんでもない精密な代物なので、日本の技術者も「ライセンス生産は無理!!」と言っていたとかでも今は大型ディーゼルでも、気筒数を増やすより1気筒の容量を増やす方にシフトしてますね
「ライセンス生産、でも独自改良はダメ」…アドアターボファンを思い出してしまう。
アドアMK-2はIHIの提案で作られ黒煙が格段に減ったと聞きました。
@@shinobu59 様、ありがとうございます。その事は知りませんでした。「契約違反」を口実に石川島播磨重工業の苦心策を全て奪っておいて、後年FS-X(今の三菱-2)の時に「このエンジンは如何ですか〜?」と奴らは提示してきやがった…回答は「断固拒否!!」でした
キハ181は充廃油式トルコン搭載車両もありましたねあとキハ110系も試作車両は確か充廃油式トルコンホイト式
やはり、ディーゼル機関系の「鉄道車輌」でハイパワーな車輌(DD51型&DE10型)は、信頼性抜群の「フォイト式液体ギアボックス」ですねぇ。😀🙂🤗後、DF200型の「ディーゼル、エレクトリック」もですよ。😀👍️
ココ山岡て…めちゃ懐かしいですね。
当時はクルマのATも出始めで、故障も多かったなのにクルマよりトルクが大きい鉄道車両で、こんなに複雑な機構を採用するなんてしかも自分たちが発明したものではなく、生産しただけそら故障しない方がおかしいですよねその上独自改良も契約により不可だった抓んでますね
C 57を淘汰するつもりで投入したはずのDD 54だったのでしょうけれど、故障が多くて残念でした。国鉄は蒸機の修理に慣れていましたのでC 57も1975年ごろまで北海道で働きましたね。
ブレーキは空気ブレーキだけ使って、エンジンブレーキ場面で必要なシフトダウンは使わなかったのでは。電車のマスコンもステップアップだけを考えているような設計になっていましたし。再加速時はシフトダウンじゃなくて一旦リセットして1段目からステップアップで使ってますし。
DD54型の「メキドロ式液体ギアボックス」が、構造が複雑で整備に手を焼く代物で有ったし、又、エンジンとギアボックスが合わなかったので、故障が多発したのでしょうねぇ。😑DD51型に使われている「フォイト式液体ギアボックス」は、初期故障こそ有りましたが、熟成が進むと「信頼性抜群の液体ギアボックス」に成ったのと「真逆の結果」に成りましたよ。😀此れは、前者が「複雑な構造」後者が「単純な構造」の違いがDD54とDD51の「明暗を分けた」出来事で有ると、俺は想うねぇ~っ。😀🙂🤗
エンジンそのものがディーゼルながらツインカムシャフト、各気筒4バルブでしたから日本にはない仕組みでした。
中国やイギリスもマイバッハエンジンとメキドロ式変速機を多用していましたが、それらの国では大きな問題は無かったそうです。確かに複雑なメカニズムではありますが、旧国鉄の整備士が技量不足だったのかもしれません。
@@鉄道模型大好きおじさん さん日本人は整備が大の苦手で飛燕や疾風がとんでもない欠陥機ぶりは元々の性能以上に整備技術も体制もグダグダだったのが最大の原因
本年も宜しくお願いします。メキドロ式は、複雑な設計に成る程、信頼性が低下する事例に挙げられそうですね。ドグクラッチを使用した現用の動力車用変速機としては、JR九州のキハ200系に使用しているR-DW4型(変速+直結2段)があります。今ではシステム重量を含めた電気式の変換効率が上がったのと、変速機開発のコストから新造される車両は電気式が主流になりつつあります。
電気式は実質エンジンで自家発電する電気機関車ですね。DF200開発時には液体式も検討されたそうですが、大出力に対応する液体式変速機がDD51やDD54の時代からほぼ新規開発されておらず当時の技術者も殆ど引退している一方で、電気式の場合はVVVF制御など格段に進歩した電気機関車の技術を流用できるためです。そして電気自動車にも言えることですが、ゼロ発進はエンジンよりも電気モーターの方が格段に優れていますし(モーターは発進と同時に最大トルクを発揮する)、今後は電気式が主流になっていくのでしょうね。
基本、駆動系は電車のシステムが使用出来る点から保守管理が容易になる点は電気式の大きなメリットですね!DF200の場合は、搭載されるエンジン出力の関係で、それに見合う変速機がサイズ的に収まらなかった事から電気式になったという経緯みたいで正に「瓢箪から駒」の好例ですね!この後に登場する電気式の気動車が主流になったのはDF200の功績が大きいかもしれませんね!運転士に必須の「動力車操縦免許」も内燃、電気のボーダーラインが無くなりそうで・・・。
吊り掛け+VVVFって最初聞いた時はびっくりびっくりどびっくり!気動車も電気式になり初めましたね。
大変楽しく専門外の話が聞けるので【メカのロマン・・・】にハマっております。これだけの資料集めと咀嚼、勉強、更には動画制作は大変なご努力と時間が必要と思います。ありがとうございます。平易で簡素な説明ですが、そこそこ技術的な話も多いので、そのバランスが私には嬉しいところです。そこで、お願いがあります。飛行機プロペラの《可変ピッチ》について”メカの解説と歴史”などの動画をお願いで来ませんでしょうか? もちろん自身でも、ネットを検索したりしていますが、今ひとつよくわかりません。期待しております。
大変勉強になりましたが、メキドロの爪クラッチはさっぱりわかりません。マイバッハのライセンス生産は国鉄の意図的なものを感じます。川崎3式戦のDB601以来この時期は技術習得のような気がします。YS-11やキハ181も含めて大きな成果はあったともいますが現場はたまらんでしょうね、、
その昔、発進~低速時は蒸気で走行し、ある程度速度が付くとディーゼルで走行する、変速機不要な"蒸気ディーゼルハイブリッド機関車"なんていうのがあったらしい。
ありましたね❗シリンダーを兼用して
昭和41年頃の図鑑には載っていた。先頭側面形状がかっこよいので模写していた。当時の山陰本線は数少ないC50運転線区だったと思う。その前はC54の運転線区でもありよくよく少数生産少数配備短命の54機関車に縁があったもんだ。昭和40年頃から蒸気機関車、少しのちにはSLブームとなったが、C54は昭和38年には消滅済みの型式でありちびっ子ファンには幻の蒸気機関車であった。DD54も今の50代未満には幻なんだろな。
だいたい4のつくナンバーの形式は短命に終わります。例外はEF64とキハ54くらいです。
@@権三郎平衛 「4」が「死」を意味するからなのでしょうか?
@@つゆだく-c5h そこのところはよくわかりませんが、SLの時代からしても、そんなような傾向があります。社会全体の統計を見ても、運輸関係の仕事が、「脂肪」事故のその約8割前後を占めます。心理的な面からして、忌避して(さけて)いるところが、無意識のうちにあるのではないでしょうか。なお、話は変わりますが、う~ちゅ~ぶ もそうですが、SNS等、その未義画和の模自は塚輪内邦画Eです。「撮外」の「撮」の自の模戸の自も、銅要に塚輪内邦画Eです。栄愛鯛咲くです。再亜区の馬愛、阿寒湖を亭死させられます。「あっ、島った!飼いちまった!Oh, my God!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
あけましておめでとうございます 今年もロマンあふれる動画を宜しくお願いしますメカメカしいのには憧れますが現代のパワーエレクトロニクスのレベルを考えると新型のディーゼル機関車や気動車は電気式一択になりますねぇ
成功を収めたディーゼル車であるDD51やJR四国2000系、2600/2700系の解説も見てみたいです
変速機は時々変わった物が出てきますよね。ホンダのHFTとか10式戦車のHMTとか仕組みがよく分からないけど、しかし今でも新しい変速機が出てくるのは楽しいですね。
ホンダは油圧の無段変速機競技用に使っましたよね値段と精度の問題で市販は無理なやつ
油圧か電気かの違いだけで、トヨタのプリウスとかの変速機と構造一緒よ。油圧ポンプで圧作るのと発電機で電気起こすの違い…バッテリーに貯めるが出来ないだけで。作動するのが油圧モーターでも電気モーターでも回転数をある程度自在にコントロールできるから、車のデフみたいな働きをする遊星ギアにエンジンと接続して減速比が無段階に作る事が出来る。農業用トラクターとかでも多いらしい。
リリース出力が油圧と電気では死ぬほど制御違うのだが電気の方が楽なのは制御機質量の差で分かるはず
別に制御云々が難しいとか別にどうでもいいけども、変速機の動く仕組みは変わらん筈。それに重機やらあの辺りのでは逆に電気のが大変だろうと思うけども…。
USMと油圧だと根本が違うけど制御はセンサー読みの意味では一緒
漠然と見ていた興味津々の世界が色々と勉強になります。楽しく見させてもらいました。
自分で走りエンジンの音が聞けたのは1度だけでした 梅小路に蒸気機関車を見に行った時でした 戦時中も飛燕のエンジンが同じような問題があったので同じ機体でエンジンを載せ替えた飛行機がありましたが機関車にはそういう事がなぜできなかったんだろうね
同じディーゼルだからって低速回転の重たい舶用ディーゼルエンジンを機関車には載せられないでしょう。機関車用のエンジンには軽量であることが求められる関係上、出力を回転数で稼がなければなりません。トラックその他の商用車の輸入自由化は、乗用車の輸入自由化よりもずっと後で、国は保護政策を取っていたことからも日本のディーゼルエンジンの技術力は他国よりも劣るものでした。
@@naomiyamada8581 今はダイハツの999CCターボエンジンなどかなり向上しました 新型ディーゼル機関車は全て電気式に代わりましたね バイオディーゼル燃料生産でディーゼルエンジンは生き残れますね
ホンダも多段化の限界で通常のプラネタリーギア式AT、ベルト式CVT、i-DCDと一部アキュラ向けにまだ残ってるかもしれないDCTのみになって、ホンダマチック搭載車種は残ってないかと思います。このまま、日本未導入の10ATとCVTに集約されそうですね
i DCに似たのはキハ285に搭載してましたね
バイクネタだと川崎のタンデムツーと鈴木のスクエアフォードカのデスモドロミック航空機だとソ連得意のTu-95やKa-50の二重反転プロペラなんか扱って欲しいなあ♪ラムジェットエンジンやスクラムジェットエンジンも楽しいね
18:53 突然のココ山岡
鉄道車両のトルコン黎明期に流行った「シンクレア式流体継手」の解説と、その後のTC-2やDF115との違いが知りたいです。
ライセンス生産って色々めんどくさいんだな、航空機も米国との関係がなければ自国で生産したいんだろうなぁ、ロケットとか早々国産になったものなぁ
技術後進国や多額の開発費を掛けられない場合にはライセンス生産自体は悪い話ではないです。しかし技術力が高まりオリジナルから改良改設計しようとした場合にライセンス契約が不利な内容だと足枷になるのです。中華メーカーのように堂々とライセンス生産品や改良品を「独自開発品」として輸出する度胸が他国メーカーには無いだけです。
ちなみに戦闘機が空中戦をする事をドッグファイトといいます。
ミッションへの入力ですが、馬力でなく、トルクでの比較の方が良いかと思います。クルマのミッションもトルク何々まで用との区分ですし。しかし、トルク値は馬力に対して、情報が少ないですが。それにしても、継ぎ手が壊れる前に、「キー」が壊れるようにしないと大事故になるとはわかっていたでしょうに。「キー」を採用していなかった設計なのかもしれませんが。
DD54は故障しやすいと聞いてましたが、なるほどこんな理由があったのねぇ。自動車のMTみたいにシンクロ機構があったら良かったのに。シンクロがイヤなら動画内でも言われているようにエンジンの回転数をちょっと上げてやるとか、ハイブリッドモーターで回転数を微調整したら良かったのかな。カッコイイ車体なので大好きなんですけどねぇ。
山陰線に旧型客車。よく叔母の田舎に行く時に乗っていました。しかしよく故障トラブルが勃発❔⁉️していたなぁ。延着していたなぁ。
メキドロ式っていう名前がいかにもメカっていう感じがしますね✨
Mekydro-Übertragung=メキドロ変速機
DD54の短命はDD51が最近まで生き残っていたのとは対照的で、後に旅客用の気動車がマイコン制御の多段変速を実現したのに対して、ロスが多かったけれどもホイト式の信頼性を重視して使用を続ける結果になりました。 まあ、三菱重工が鉄道関連から撤退するには十分なきっかけだったことは違いないようです。
ドイツ企業の強いライセンス縛りって今でもあって、スポーツカー向けミッション作ってるゲトラグも部品を供給しないので故障してもMTアッシー交換しか出来ないんすよね。トヨタとかの純正オプションでもそう。リクエストとしてはホンダがジュノウで採用したパダリーニ式変速機をお願いしたいです。
あけましておめでとうおめでとうございますTwitterで書いてたネタですね!今年も頑張って理解しようと思います!
シフトダウン時の入力側回転上昇ですが、負荷増大によるシフトダウンであれば、その時点でエンジン回転数が落ちているだろうから、トルコンの伝達が切れ、ニュートラルでエンジンは無負荷になり、それによる回転上昇をあてにしたのかも。
トラック・バスはともかく、戦車も近年までMTしかなかったのに、機関車ではATが主流でMT型は無理があるというのが興味深い。(そういえば、車の方でもドイツ製のミッションはハイパワースポーツカーのエンジンに耐えることで有名だった)
【返信】機関車でMTだと昔の筑波鉄道(現在は廃止廃線)などで使われていたことがあったが、まあ400㎰前後以下くらいが限界でしょうね。保線用の機械や気動車ではあったこともあるけれどもね。入れ替え用や支線用の機関車だと無理だね、ましてや本線用機関車じゃ不可能だね。機関車のエンジンは大出力なので液体式か電気式以外には考えられない。特に、重連総括のことも考えると、MTはありえない(気動車ならなおさら。)。それぞれ一両一両に運転手が乗って、汽笛を合図にギヤの切り替えをするなんてSLでもあるまいし。それにギヤやクラッチが人の脚力や腕力じゃ重くて動かないと思う。液体式も2000~3000㎰が限界だろうね。1000~1500psを超えるあたりから変速機の設計、メインテナンスが大変になってくるので、入れ替え用(1000ps前後)では液体式が使われることはあっても、まあ世界的に1000~1500psより上の機関車はほぼすべて電気式になるだろうね。
うちの市バス(フルサイズ)にAT車を見る様になって驚きました。
鉄道の場合には複数のエンジンと変速機を一人の運転士が一斉に進段する事が求められますから。ATが進化したわけですね。
@@qzp01467 【変身】私はお面ライダーだが、お面ライダーの私ですら、「一時に一人で」隣の車輛の操作まで、ましてや数両いっぺんに、「機械的に、物理的に」、直接行うことなどできましぇ~~~~~ん!!!
@@権三郎平衛 機械式(MT)気動車の時代には、連結した2両の両方に運転士が乗り、ブザーの合図で合わせてギヤチェンジをする、なんてことをやっていたようです。
戦争中にドイツ製の航空機用液冷エンジンをライセンス生産してみたけど、なかなか運用がうまく行かなかったという話となんだか似ていますね。
イギリスや中国などはマイバッハエンジンとメキドロ式変速機を多用していたけど其れほど大きな問題は無かったそうだ。なぜ、日本は失敗したのだろう。旧国鉄の整備士が技量不足だったのだろうか…
メキドロ式のシフトダウンの時の回転数合わせの謎についてですが、車のMTのようにワーナー式シンクロメッシュが増速してくれていると理解しましたが、違うのでしょうか。。。
車で言うと、1987年式プレリュードがOHC車がドグ+トルコン、DOHC車が湿式クラッチ+トルコンという変な時代だった。その前者はキックダウンはほぼしない変な制御だったのを思い出した。
今年もよしなにです(-_-)ノシtelex…輸入部品屋時に繰ろうしたなぁ…会社に止まって仏にタイプライタ状端末をポチポチ打った記憶が。何気に懐しい思い出満載回でした(-_-)
本線用のDLの話なので、まあメカはDD51やDE10とおなじかもしれないが、DE50の話も少し入れておいてほしかったな。当時のエンジンの出力重量比や排気量当たり馬力は、今と比較すると悲しいほど低かったし、変速機の動力伝達効率も低かった。当時の国鉄のなわばり意識も強かったみたいで、特定のメーカーだけで仕事をまわしていた。海外にはもっといいエンジンもあったのにな。これは、当時の気動車についても同様の事が言える。それにしてもまあよくあんな物が走っていたと思うよ。
【返信】♡をつけてくれてありがとう!感謝申し上げます!DD54だとあと中間台車の問題もあったよ。昔、飯田線のED62もそうだったけど、これも同じ軸配置(B-1-B)だったんで、調子が悪かったみたいだ。中間台車の「横圧」の問題があったんでDD54やED62以降にこの軸配置をとるDL、ELは0だ。D型の軽軸重車はDD51やED76みたいなB-2-Bになったよ。DD54のプロペラシャフトの件は三菱の設計ミスもあった。たぶん改善して壊れないようにする手もなくはなかったが、当時の国鉄の労使間紛争や労働組合の難癖等で、オシャカになってしまったんだ。10年でアウトは金の無駄遣いだとして国会でも問題になっていたよ。SLと重連で走っていたりして(SL駆逐のために造られて、本末転倒だが、)懐かしいね~!イギリスは戦後、安全保障の点でディーゼル化で鉄道の近代化した稀有(けう)な国だったから、ディーゼル車のくせにすごい車両がたくさんあったので、こちらのほうなどももっと参考にすればよかったんじゃないのかと思うんだけれども、でも当時世界的な流れは、電気式のほうになってきていて、液体式を製造して使っていたのはドイツと日本がくらいだった。イギリスですら、液体式のDL(ドイツとの合作)は多少使ったが、維持できなくてオシャカ(保存機はあるが)にしている。ドイツや日本のような保守技術の高い国でしか維持できなかったみたいだよ。日本が液体式にこだわっていた理由は、経済性の問題もあったが、それよりも、日本の線路の貧弱性に最大の問題があったんだと思う。だから、軸重を軽くしたかったわけ。現在は、車体や電気機器類等の軽量化等もできるようになってきたので、今後は日本も電気式が主流になるみたいだ。こちらの方が故障の軽減やメインテナンス等にはいいけれども、技術的には大型DLの液体式はマレで、おもしろいので、例えば、名古屋辺りの引き込み線に本線から素早く直通してそのまま入れ替え作業ができる大型凸型本線支線両用ディーゼル機関車なんかがあったらいいなぁ~なんて思うことがある(以前のDD51ではこれができた。その他いろいろと付け替えなしで使えるから。)。DF200はもともと箱型DLで大軸重(16t)で北海道用みたいなところがあるからね。
いつも言ってるけど、この時代にSDA12V170があればねえ…
マイバッハのエンジンとか超高級車
概要欄に目次を書いてくれると便利で嬉しいです。
メキドロを選択せざるを得なかったでしょう。解発のお題が整備コストの軽減でしたから副数台のトルコンを持たなけりゃならないホイト式は論外でしたし、他に選択肢はもうありませんし。大体こんな贅沢なものを2セットつんでいた51も54デビューの昭和51年頃には安定しておらず。採用は無いでしょうね。シンクロさせるためにエンジン回転をコントロールしていたため、いったんアイドルまで回転数が落ち接続回転数に加速する変速は、特徴的でマニアの間では人気であったように思いますし、それでも変速のショックは非常におおきく、変速のショックはギアーがかみ合わせるためでは無く再加速するタイミングで発生するんでしょうね。トルコンATではトルコンが吸収します。これは不快でッはなく、キターーーーって喜んでましたよ。自動車で言うMT車のダイレクト感でしょう。今自動車である、ツインクラッチdctがあればよかったでしょうね。いずれもシンクロメッシュを持たせなきゃならなかてでしょうけど。私がdohcというハイパーエンジンを知ったのは自動車に興味を持つ前にこのmdp87これからです。dmp86、ライセンス生産で、1800psにディチューンされたものですね。オリジナルは1200psだったと思います。同じシリンダーヘッドですけど。バルブリフトやタイミング、過給率を変えるんでしょうね。51のエンジンはdd13のものをv型にして12気筒にしたものです。ノウハウが乏しい時代でしたから、あるものを並列にするなどで出力アップしていた時代でしたよね。de10はこれを1セット搭載前後のボンネットの長さが違う独特のスタイル。好きですけど。1000psは50と同等だけど、軽くできてるので乙線にも入ることができた。50は電気式だから、6台のモーターとその制御器積んでたものね。
私が豆鉄博士だった頃、出雲を引っ張っていたな。あの頃は日豊本線で富士は西鹿児島まで走っていたけどラストはDF50だった。最後は四国にあつめられていた。動態機がいるのには感動。梅小路には小3の夏休みに行ってテンション上がりまくりだった。マイバッハで思い出すのはSクラスのでかいやつだな。ドイツの技術には時々、変態ややり過ぎを感じる部分があるな。産まれて半世紀。DD51は蒸気機関車に追い出されてしまう運命に。DD54は失敗作ではなく挑戦作。軽量化を狙うあまりに無茶をやってしまったのか?おそらく運転にコツが必要だったかと思う。技術力を精神力でフォローするのは日本人の得意技だけど、さすがにさじを投げてしまったということか。アクセルをゆるめなくても排気をやってリアタイヤを押さえつけダウンフォースを稼ぐ2011年のRed BullのルノーF1エンジンを思い出した。ちなみにこの年のロータスには前方排気なんてのもあった。排気系の位置を前にすることは吉田戦車のうつるんですに出た前方排気TZR位かと思ったのだか。ちなみに排気音の吹き出しは、「ンビンビンビ」だった。煙たくて走れませ~んというオチだった。しかし北朝鮮の電機改造「強行軍型」ディーゼル機関車に少し似ているな。ちなみに私の三菱のアイは4年前13万キロでトルコンが壊れてリバースがダメになって、リビルド品で25万でアッセンブリー交換した。今アイは20万キロを越えたけど、コンデンサが壊れてAMラジオのノイズがうるさい。2年前エアコンが壊れて8万かかったな。オルタネータも交換した。アルトワークスにも乗りたいけどアイの走りは軽快かつ重厚で急ハンドルで確実な危険回避ができるから棄てれないな。一応ミッドシップだし。実はほんの少しドイツの血が混じっているんだな!ああ、DD54と同じか(^~^)以前2サイクルのNSRやガンマ、RZやカブにはまったけど、旧車はノーマルの維持の方がカネがかかる。フェラーリも純正維持のクラシケなんて始まってしまったせいで入門車の中古308や328の値段が暴騰してしまった(泣)音響製品もノーマル維持箱取説付きだと高く売れるな。
現代の電子制御式多段変速機はJR北海道の気動車をはじめ、多数の採用例がありますが、電子制御ではない純粋に油圧制御の多段変速機は、当時の日本では技術的に手に余る物だったと思います。当時は乗用車用の自動変速機ですら米国ボルグワーナー社の特許を買うしか選択肢がなかった時代ですから、桁違いのトルクを扱うディーゼル機関車の歯車変速機は、まさに未知の領域だったでしょう。DD54がダメ機関車になったのには、亜幹線への導入を目指して車体中央に従輪をつけたことが挙げられると私は思います。設計のもととなった西ドイツのオリジナルには存在しない従輪を避けて推進軸を通す必要に迫られたことがあります。真ん中の従軸を回避すべく不等長の推進軸のセットとなり、ねじり剛性・弾性で悪影響をもたらしたと思います。もしコストアップ承知でDE10のような動軸設計できれば、A-A-A・A-A-A のように対象な設計であれば回避すべき振動も一本化できて良かったのかもしれません。DD91 で使用されたメキドロ式変速機は西ドイツのオリジナル製品だったと聞きます。ライセンス生産品と違い秘匿されたノウハウもあったことでしょうし、歯車そのものにも変速ショックを吸収する、断面図には描かれなかった、ちょっとした仕掛けがあったと、別の書籍で見た記憶があります。とは言えライセンシーの新三菱重工業もユーザーの国鉄も、お互いにこの変速機を使いこなせるだけの整備体制があったとは言い難く、雑な整備でトランスミッションを壊したのでは? と勘ぐってしまいます。それでも、従輪なしのオリジナル設計だったら、きっと成功しただろうと私は思います。そもそも日本の鉄路の路盤が弱すぎたのです。
お邪魔します。日本は蒸気の昔からヨーロッパの複雑なメカニズムをモノにできた例(ためし)がないですね。「これは良さそうだ」と買ってきても一度の失敗で投げ出してきたように見えます。C53でやらかしたのと同様に、本質を理解しないまま妙なアレンジを施して事態を悪化させる悪癖がDD54でも発現したことに愕然としました。
@@B36conqueror さんコメントありがとうございます。確かに国鉄C53やD51、そしてDD54においても不適切な設計は付き物でした。しかしながらあの悪名高きC53も周りからは過剰な定期修繕だと言われようともそれを貫き、良い稼働率を残した現場検修部門があったことは忘れ去られ勝ちです。彼等はグレズリー式弁装置の調整が図上どおり行かないことを体得しており、実際に試運転させてバルブタイミングを調整し、用に供しました。世間では傑作機関車と言われるD51も動軸の重量配分が悪く空転し勝ちで、杉津の急勾配や柳ヶ瀬トンネル越えを担当する敦賀機関区からは受領を拒否され、旧式のD50を要求するほどの『駄作』だったことは、あまり知られていません。新システムを導入したり既存システムの改良のつもりでも変更が大きくなるところでは、設計にまつわるトラブルは付き物。これは初期の原子力発電プラントにおいても同じで、如何に現場のエンジニアがシステムの本質を理解しようとしたかで後に優れた設計へと変貌していくものであります。初期の米国製原子炉の運転で、日本の高温多湿環境にリレーが耐えられず故障を起こすも、運転を命じられたエンジニアは『電電公社採用のリレーならばかなりの過電圧でも耐えられる』と、今では考えられない無茶もやったおかげで自国開発ができたようなものです。かたやDD54はライセンス生産ゆえに内部の改造が禁止されており、設計変更を提案するにも当時は通信手段が低速で図面交換すら満足にできないものでしたし、間に商社の三菱商事が入ったことから話が噛み合わず、国鉄も三菱重工もさじを投げたのかと思います。その点、技術を内製していることは非常に重要で、軸の振動問題においてはホンダのF1パワーユニットの振動問題が米国の子会社にジェットエンジン生産の合弁会社があり、そこのエンジニアから良いアドバイスが得られたことで振動問題を解決できた逸話が残されています。今では日本の舶用ディーゼルエンジンでライセンス生産に依らないエンジンを持つのは三菱重工業ただ一社だけですが、当時はその三菱重工とて技術力は低かったのです。このことからシステムを使いこなすにも経験と学問との両面からそれぞれ裏打ちが必要なことを教えてくれます。残念なことにお役所のエンジニアは未だに舶来主義で、外国が認めた計器でないと安心できないという始末。そうした官僚主義に芽をつぶされた機関車がDD54だったのかも知れません。
DD54 の型をみて、DF50 の兄弟と思うのは、私だけ? ♪やっぱり 忘れられ無い… ♪
デザイン的には似ているけど、DF50は再び流行りだした電気式ディーゼル機関車(DF200とか)。DD54は終焉を迎えようしていてる液体式ディーゼル機関車。他人のそら似。
DD53っていうDD51の箱型なら居たな ロータリーヘッドを取り付ける関係で箱型のボディだったけど結構好きだったな
@@権三郎平衛 さん、今晩は。そうです。外見が似ていますね。それから♪あ〜 そおだョ〜♪この詩を御存知なのですか。当方小学 3〜4 年の頃に、担任の先生が "アクビ" を隠す時「唄歌って何が悪い」と、言っておりました(懐かしいです)🤣。
@@権三郎平衛 さん、今晩は。外見 "が" 似ている。バレタン星人🤣。
【返信(変身!)】 外見だけ見てますね(You're just looking at the look.)。 ブラザー(Brothers)!???? A ha ha ha! ああそうだよ(Oh yeah!)! メカニズムの違う兄弟なんだ(They‘re brothers with a different mechanism.)。 (通りすがりのお面ライダーより)
ドイツ純正の完成品の機関車を輸入していればこんな事にはなってないでしょうね。
まあ日本は液体式が主力ってだけで先進国ではめちゃ珍しいんだよねちなみに千鳥格子という有名なチェック柄があるけどもあれは英語でドッグトゥース・チェックと言いますあの柄が日本人には千鳥に見えるので千鳥格子と呼ばれるようになった
明けましておめでとうございます🎍🗻🌄
ダブルクラッチ踏んでニュートラでアクセルを踏んで、センターシャフトの回転数を上げてドリブンに同期させて投入というような動作はできないのね。ヒールアンドトーのヒールがいない。
楽しく見させてもらっております!できたら、馬力では無く、トルクがわかったらうれしかったです!特に、早さでは無く重たいものを引っ張るものなら尚更トルクかしりたかったです♪
たまーに旅客用の気動車も変速域(トルコンを使う所)が2段になっているんですが、これもメギドロ式を使用しているからなのでしょうか?
普通の気動車は車のATと同じような感じです。
修理をドイツメーカーに依頼する際に、中間に入った三菱商事の営業が技術的に理解できなくて、国鉄や三菱重工業の技術者の依頼をちゃんとドイツメーカの技術者に伝える事が出来なかったって本当なのか。
昔からドイツのメカはドイツ人しか扱いきれませんねぇ…車輛にしろ武器にしろ、なんで変態じみた凝り方するかな。
最近日本で復活したグレズリー式弁装置をお願いします!
回転数の検出をどうやっていたのか気になりますね...点火プラグからの信号?かもしれないけど機械的にやってたんかな
ディーゼルに点火プラグはありません。回転数の検出はやるならば燃料噴射ポンプの回転数でやるとかクランクシャフトになるでしょうか。電子制御がない時代ですからアバウトだったのは確かです。
13:24そのまんま()16:44不具合が連発しそう()
非常に興味深いのだけど、短命だったのは残念ですね。
フォイト社は有名!
9:20 車のトルコンは板クラッチでギアを選ぶといっていますが違うのではないでしょうか?模式図にクラッチが5速ギアに対して5つクラッチが付いているように書かれているのですが模式図だとしてもトルコン内にクラッチがあるのであの図は誤解?を生むのではないでしょうか?車のクラッチは普通1枚しかありません。多くてもツインクラッチです。車のギア変則はクラッチ下流のギアで行わわていいると思いますが違いますか?
車のトルコンATには、トルコン(流体クラッチ)とギア選択用のクラッチ、ついでにロックアップ用のクラッチがあります。ギアを選択するためにもクラッチが必要です。
他の動画みて理解しました!ありがとうございます。トルクコンバータの中にあるロックアップ用のクラッチ、遊星ギアの選択のためのクラッチ
DF50の解説をお願いしたいこれ、九州でしか使われてないから謎なので
DF50については、検索かければ別動画が出てきます。あと、使われた場所は九州だけでなく、四国や紀勢本線でも見られました。
@@jamesjacobsen7824 そう言えば紀伊にも使われてましたねDD51のイメージだったので、忘れてた
山陰本線でも使われてました
DF50は結構色々な地方で走っていますよ。他の方が仰っているほかにも、敦賀に投入され北陸旧線の杉津越え補機に使われたり、長野配属機(試作機含む)は姨捨越えに使用されて中央東線の甲府まで顔を出していたり、秋田所属機は奥羽本線や羽越本線も走っています。北海道でも狩勝峠区間の旧線で使用出来ないかテストしたらしいのですが、北海道独特のパウダースノウで電装系がやられ使い物にならなかったとかなんとか。
北海道のテスト走行しましたね 高松の30号がラジエーターに雪がたまりオーバーヒートしたりもありましたね四国では重連時 トンネル通過の時 前側の熱が 後ろの機関車にその熱を吸い込みオーバーヒートしましたね
何処か赤熊にも似てるな。此方は見事な成功作だったが。
DD54電気式ならいけたんじゃないか
鐵道はヲ電車より内燃機関(ディーゼル)車輌のほうがデリケートな話やろ…変速機で、ヲ車🚗でも当てはまるのは日産のトロイダルCVTもそうだ。21世紀初頭にも設定されるも、金額が非常に高い上おまけに一般のヲートマより故障しやすい。
かなり苦労したお話しは、漏れ伝わってまして、今では、貨物列車専用だけれども、電気が主食にが多い様な気がするけれど、かなり昔、客車を引っ張ってたのには、御世話に成ったかな、
ポジティブな面とネガティブな面と、色々な意味でドイツらしさ満載。😓車のドイツ車も、例外なく金食い虫。😂(もちろん好き嫌いは別ですが😅)
この辺の繊細さと扱いにくさがDDが廃れDEに移行した理由か?オートマなのに機関士が切り換えを迫られる、と。
キハ200は爪クラッチですね
今のメルセデス・マイバッハも二千万する超高級車なのにトラブルだらけ。昔も今も企業体質はかわってないようで。
何よ!「ココ山岡」って!するっとギャグを振ってくるね。三菱グループのよしみで自動車の方に影響しなかったのかね?DD54は本当に残念な機関車だったなあ。
DD54は残念な機関車ですね。電気式にすればもっと長持ちしたんじゃないかと…。エンジンも直噴にすればパワーウェイトレシオをもっと上げて軽量でイナーシャの小さいエンジンにできたかもしれない。まあ後知恵なんですけど。
電気式のDF50が性能不足だったからDD51やDD54が導入されたわけで。電気式ディーゼル車が軸重制限の厳しい日本で採用されるようになったのは交流モータをインバータ制御することで大出力でも小型軽量のものが作れるようになったためです。DD54の時代に機関車の駆動に使える大容量半導体など世界のどこにもありませんでした。直噴ディーゼルも燃料噴射ポンプが高圧かつきめ細かい制御に対応している必要があり当時の技術では実現困難でした。
@@gambasuki 気動車の駆動系については確かに液体式のほうが電気式より現在でも軽量なのは確かですね。エンジンについては例えばDF50のSultzerは直噴エンジンでしたし、カミンズは創業以来ずっと直噴式のディーゼルエンジンを作り続けているのはご存じでしょうか?確か台湾のディーゼルカーはカミンズのエンジンが採用されているのではなかったですか?だから当時の国鉄の技術陣は直噴式のエンジンを採用できなくはなかったけれどなぜか予燃焼室式の低出力のエンジンに固執し続けていたのは見ていてなぜだったんだろうなと思うわけです。いずれにしても後知恵だなとは思いますけれど。
★挨拶と補足
あけましておめでとうございます!
本年もよろしくお願いします。
動画内で大事なことを言い忘れました。
変速機について、メキドロ式の動きについて、これはK104の中身ですので、もしかしたらDD54のDW5は細部で異なる挙動をするのかもしれません。
基本的には同じだと思うのですが🤔
以前にコメントさせていただいたものです。あれから何回も動画を見せていただいていますが、トルコン内でメインのタービンが抜けサブのタービンが入る、ということが、別のトルコンの動画と見比べてもなかなか難しくまだ理解できていません。すみません。
また、もしドグクラッチではなく板クラッチを使ったら、等と思いますが、それはそれで別の問題が発生するのでしょうか。それともライセンスの問題だけでしょうか。
この動画を見せていただくと、充排油の機構さえうまくできれば、ホイト式の簡潔さが大出力の機関車には似合っていると感じます。
ちょっと話がずれますが、DD51の変速時(シフトアップ時)、機関士が一旦エンジンの出力を落とし次に「ブィンブィーン」とアクセルを噴かしてるようで(本当はマスコン?)、まるでバスのギアチェンジみたいな音でした。勝手にシフトチェンジされるのではなく意図して操作しているように思えます。DD51のことなんですが、どこかの機会にでも教えていただけたら嬉しいです。
元自動車整備士でアメリカ車とドイツ車両方触っていたので違いがよく分かるのですが、シンプルで強度に余裕があり耐久性が高くて扱い易いアメリカ車に対して、ドイツ車は複雑でギリギリの強度しか無く信じられない位耐久性が低くてとても扱い辛かった印象があります。この辺りの違いって本当に100年前の蒸気機関車の時代から今に至るまで全然変わっていないんじゃないでしょうか?新型が出る度に複雑化して故障が頻発して対応に苦労させられるドイツ車に「何の為に車作ってんの?」と、本当に日々むかつきながら仕事をしていました。DD54も今回詳しいお話か聞けて、絶対的性能より安定して長く手間がかからず運用出来る方を何故優先しないのか?本当に不思議でなりません。と言う訳で私自身は1958年型のシボレーを37年落ちで買ってもう27年愛用しています。今でも普通に実用になる愛車に「工業製品って言う物はこうじゃなくちゃいけないよな」と思いながら乗っています。
ドイツ製は壊れなくて、アメリカ製はやすくて交換しやすいイメージだったが、逆なのですか?
@@シュウ-y2p
車もそうだが
ベンツやBMWなんか各部品の耐久性を高く作っていないから
交換するサイクルが早い
物の性能と耐久性が比例してないように感じる
多分モノ作りの意識が違うのだろう
昔の日本製はどちらかというと
頑丈で品質も同じくらい
(今は昔ほどではない)
中国製は安価だが壊れやすし
個体差がある
多分国民性がでるんでは?
@@シュウ-y2p あくまで私が現役のメカニックだった10年ほど前までに触った中での感想なのですが、ドイツ車は仕上げは綺麗なので一見良さそうには見えるけど使われている材質が悪いので耐久性がとても低かったですね。アルミ部品の強度が絶対的に足りないのですぐに破損したり、シール関係がすぐに硬化してパリパリになってオイル漏れが頻発したり、ホース関係はすぐにひび割れしてガソリンや冷却水が漏れたり、配線の被覆が10年もせずにボロボロ剥がれて来てあちこちでショートしたり、エンジン部品を無理にプラスティック化して熱ですぐに劣化したりと、アメリカ車基準で考えると自動車どうの言う前に工業製品としてのクオリティーが余りにも低いのが本当に信じられませんでした。それでいて部品は非常に高価と、どう考えてこれで良いと判断して製品化しているのか理解不能でした。動画のメキドロ式変速機のように緻密で高性能な物を作ろうとするのは良いのですが、安定して使えなかったら何の意味も無いと思います。
ファナックや日立、コマツが世界シェア取るの分かるな
ランクルは輸出規制した方がいいとなるので
アメ車って言うほど悪くないですもんね。亡くなった元海軍中尉の叔父は進駐軍払下のジープやら自衛隊退官後フォードサンダーバード乗ってました。戦後米国製航空機接して「あんなモン作る国には勝てん」とよく言ってました。海軍機はエンジンとかも常時油漏れ調子も気まぐれだったとか。子供時代にいかに日本製の機体がボロかったのかを面白おかしく話してました。親父がベンツ好きで自分が子供の頃からW114から124 220 245とのってますが結構故障は多かったですね。もう80近いので最後の車でしょう。自分はイタリア車が好きでアウトビアンキ〜アルファ複数からフィアットですが、イタリア車ですが、得体の知れない故障は起こらない感じです。正直新しいベンツの方が変故障が多いですね。でもドイツ車の考え方は好きなのですが、いかんせん手間がかかる
変則時にグリッピングしてましたよね。54特有の音として人気でしたよ。マニアには。棒高跳びは、ユニバーサルの欠陥。センターの台車をプロペラシャフトが越えなければならなかったので、複雑な構造にはなってましたよね。良くお調べになりましたね。資料集めるのが大変だったのでは。解発にかかわった者の子として、短い運命だったけどいつまでも愛してもらえて嬉しいです。
子供の頃に山陰本線を力強く走る姿を見てました、山陰本線の湖山駅構内で棒高跳びをやらかした話も職場の先輩から聞きました。最近の気動車は1速のみトルコン+ギヤの組合せで、後はエンジンとギヤの直結のようです、ブレーキも機関併用型でエンジンブレーキガンガンにきかせてます、電子制御の賜物かと。
今回のDD54の説明を聞いて勉強になりました
以前から何回もこの動画を観ております。
先日、BSフジでの鉄道伝説という番組でDD54を扱っていましたので、視聴しまして、再度コメントさせていただきました。
鉄道伝説では、鉄道ファンも観るけれども広く一般向けということもあって、この動画ほど詳しい説明はされていませんでした。ただ、変速ショックが大きいことは強調され、プロペラシャフトの不具合と棒高跳び事故についても説明されていました。
それを見ながら、またこの動画も見直しながら感じたのですが、
○試作車の段階でどんな路線をどれだけの距離走って結果良好とされたのだろうか
○ドイツでの運行状況と日本とでは違うのではないだろうか(山陰線は平坦路線とは言えずシフトチェンジも頻回になるのではないだろうか)
等と思った次第です。
整備の方が話されていた変速ショックの大きさも、客車何両も連結している機関車1台の変速で乗客の飲み物がこぼれる、等というのは相当の大きさですよね。それを何回となく繰り返してたら変速機やプロペラシャフトと継手あたりに不具合が起こるのも無理ないな、と思った次第です。
もし、新しい知見などありましたら、教えていただけましたら嬉しいです。
一番好きなDLだけに奇跡的に梅小路に保存されて何時でも見れるから嬉しい
あけおめ!通りがかりのお面ライダーですが、I feel so, too., oh, yeah!
昔の工作機械(フライス盤等)には主軸の回転数を切り変える時、多段式のギヤ-列を作りチェンジレバ-で切り変えて使いました。まさにギヤ-のクラッチ歯部にドッグ(ツ-ス)式の噛み合わせを使用してました。今はサ-ボモ-タ-と電子回路で自由に回転数を変えると思います。今はフライス盤も過去の産物でM/C(マシニングセンタ-)の置き換わってますね。私は眺めていただけで社内では使ったことありません。但し、図の様にドッグクラッチのオスメスに余り隙間を設けると主軸にガタが現れ「タタキ」現象が起きます。多分、工作機械では爪(歯)の隙間をかなり詰めたと思います。2022/03/25
メキドロ式について知りたかったけど動画で解説する方はほとんどいなくて、すごくためになりました。
ココ山岡知ってる人どの位いるんですかね?
「お客さまー」ときれいなお姉さんに宝石カウンター越しに呼びかけられても応じてはいけません。
なかなか詳しい説明ありがとうございます。自分の考えでは、DD54のクラッチは板式だと思っていました。トルコンで滑らせながら発進していたようですね。ドグクラッチは古くはホンダNコロ360に使われていましたね。カチャカチャと入るギヤに普通の足クラッチ。小さいからバイクの流用ができたのでしょう。完全に動力断てますし。DD54はかなり楽観的でメインシャフト入力時に完全にトルコンが吸収出来ずに、派手にドカンと繋がったようですから。これがお召し列車の先頭を勤めたことがあるのですから、壊れなくて何よりです。プロペラシャフトに衝撃吸収可能な液体マウントとか2~3個入れてあれば話は違ったのかも知れませんが、ライセンス生産だから無理だったのですね。そのドイツのベンツ、BMWは乗用車に吸収ジョイント組み入れてあるのだからわかりません。メキドロ式は本国でも完成されたものじゃなかったらしいからどうかと。いきなり本線投入も早かったとは思います。
本筋からは逸れますが、N360はエンジンもバイクからの流用でした(CB450用をボアダウン)。エンジンからミッションまで二輪からの流用という、四輪黎明期のHONDAを体現したクルマですね。
DD54は、福知山線を走っていましたが、「なくなるで〜」と言う、鉄道マニアの友人から聞いて、撮りに行った記憶が懐かしく思います。
私が出張した南アフリカのドイツ製機関車はトルコン式でなく、DEL方式(ディーゼル 発電 機関車)で[ディーゼルエンジン]-[大型発電機]-[アナログ制御機]-[直流電動機x6台]の構成でした。整備技量の未熟な海外ではトルコン式は少ないとの事でした。
今ではディーゼル機関車(ディーゼルカー含)も整備の問題から液体式から電気式に移行しつつある時代です。
もとより大馬力ディーゼル機関車を運用するアメリカのディーゼル機関車は、古くから電気式ディーゼルです。
軸重制限が緩く「マイルトレイン」と称される長編成重量貨物を牽引するには、多少重量増でも問題ありませんでした。
現在の自動車用多段式ATは、シフトダウン時にECUがエンジン回転を制御して、自動的にアクセルを煽ってくれます。なので、アクセルペダルから足を話した状態でシフトダウン操作をすると、一瞬わずかに回転計の指針が上がってからクラッチのつながる感触があり、その後に減速感が得られます。カタログ上にも「スムーズな減速チェンジ」を売りにした記載があります。
メキドロもマイバッハも、「このエンジンとミッションは合わないよ」って言わなかったのかな?
こう見れば、GEの電気式ってシンプルですね。Amtrakでシアトル〜シカゴも2泊3日機関車交換無しで途中駅で給油のみで行くのもGEの電気ディーゼルでしたね。130kmほど出して巨大な二階建て客車牽引してます。
動画投稿有り難うございました。約半世紀も経つのによくここまで調べましたね。素晴らしいです🎵 どの記事もここまではなかなか無いかと思われます😃 ご苦労様でした。私もこのDD54型が凄く好きで、色々と調べていましたが、なかなか情報も無くおりました。動画の内容は理解出来たので嬉しく思いました。素晴らしいです。有り難うございました😀 私は個人的にこの後の事も考えておりました❗️ こ存じだと思いますが当時これ以外に大馬力エンジンを1セットで済ませて経済的な機関車製造も当時国鉄は試作していたDE50が有りました。これも当初は苦労して開発していましたが、何とか使用可能レベルまでには至っていたようでした。しかし当時はDD51を軸として生産改良しつつ有りましたのでこのDE50型の必要性がが無くなってしまい開発試作途中で(もう殆ど完成状態に有ったと思われます)頓挫されてしまいました。それを更に改良してこのDD54にDDもしくはDE型で足回りを作り変えていれば、制作費の節約等、またDE50の開発が無駄に済まなくて済んだのではないかと考えます。それにはまだまだ色んな条件等縦割り(それぞれのメーカーとして)等の垣根を取り払い統合して行かなければならない難問が有ると思いますが、当時の国鉄という大きな組織で有ればまた島さんの様な行動力に実行者が居れば、可能な開発、プロジェクトで出来たのではないかと考えます。如何でしたでしょうか❗️妄想域は脱しませんが、こんな事を私はDD54を好きになり短命な機関車を何とか出来ないかずっと考えておりました。 素晴らしいこの動画を有り難うございました🙇 これからも頑張って下さい👍
DD54は私の最も好きな機関車です。メキドロ型変速機は名前はよく聞きましたがどんな構造だったのか全く分からなかったのですが、なんとなくイメージはつかめました。DML86はもともと2000PSあったものを出力ダウンして1820㎰にしたと記憶しています。
あけおめ!通りがかりのお面ライダーですが。その後、2,000psを実現したのがDE50です。エンジン形式はDMP81Zです。(ウェキペディアの一部にはDMP86Zと記載されていますが、これはウェキペディアの誤りです。)しかしこの頃は、電化の進展とDD51、DE10で余剰車がたくさん出ていた等の関係で、DE50は量産化されませんでした。なお、DD54のエンジン形式はDMP86Zが正しい形式です。16気筒なので、LではなくPです。Oh, yeah!
Baby!
長文で申し訳ありません。
DD54が短命に終わった原因の一つに変速機のみならずマニアックで繊細な整備しづらいエンジン構造があげられると思います。
昔MD870の取説を見た(英文だったので読んでいませんがイラストを見ただけです)ことがあり思い出しながら書いてみます。
DD54は変速機のみならずエンジンも驚愕(個人的には)する構造になっていました。
4‘30“あたりにありますが、給、排気弁がそれぞれ3本。これは予燃焼室が中央副室式になり、その周囲に冷却水ジャケットがあるので弁径を大きくできずやむを得ず6本にしたと推察しました。
予燃焼室式にもかかわらず燃料噴射装置は高圧噴射に適したポンプ部とノズルが一体となったユニットインジェクタを採用しています。また噴射量を調整するコントロールラックは片側8本のインジェクタに対して長手方向を1本物のコントロールラックで燃料噴射量を制御しており、さらにラックとピニオン形状がヘリカルになっています。これ、絶対に組み立てにくいし調整しにくい。
さらにインジェクタと吸排気弁はDOHCにより駆動されています。給気か排気どちらかのカム軸でインジェクタを駆動する構造です。ここら辺の設計も複雑で整備屋泣かせだったでしょう。
クランク軸はいわゆるトンネル構造で、ウエブが円形となっておりその周りにローラー軸受けがあります。前後方向に抜き出しができる構造です。
過給機はタービン軸がエンジンに対して垂直に配置されており、スラスト軸受に自重がかかる構造です。さらにコンプレッサーが上でタービンが下なので高過給域では追加のスラスト荷重がかかっていたと思われます。
大阪市港区弁天町最終時代の交通科学館のDD54の写真が懐かしいです。
今は京都梅小路鉄道博物館に塗装され、展示されています。
@@スーツインナー さんへ
そうでしたか。あの子は弁天町時代はDE50と一緒に北側で誰も知らないような所にあったから解体されちゃったと思ってましたが、またみんなに見てもらえてるんですね。よかったね。
DD54変速時のショックは記憶が無いのですが、とにかく発進時のドンというショックは。
比較相手がいつの間にか動いてるDF50となので、少し割り引く必要が有るかもですが。
1次車の前照灯が窓上のスタイル、好きでしたね。
今ではメルセデスの高級車部門であるマイバッハと三菱の関係があったってのはクルマ好きになってから面白いなと思うようになりました(笑)
DD54がどれだけ欠陥機だったのか
と言うと
1回目の棒高跳び事故直後に代替機DE50開発に着手していることが全てを物語ってます。
DD51が成功したのは飛燕でぴえんな位失敗しまくった(飛燕もドイツ流でDD54同様整備に苦労した)川崎重工の功績ですね。
ライセンスが緩ければ、もしかしたらロータリーエンジンのように日本独自に進化して凄い変速機になったかもしれませんね。
ヴァンケル式ロータリーはドイツ本国でもまともに作れず持て余していたのを半ばだまし討ちでマツダに売りつけたような代物でした。ちゃんと実用化されて180万台以上も量産されるなんて売り主のNSUは想像もしていなかったでしょう。
MAZDAの「ロータリーエンジン」は、総本家のNSUですら手こずって「匙を投げた」モノを、周辺特許を固めて熟成したので、13B-REWや13B-MSP「レネシス」まで「進化した」のでしょうね。😀
DD54型を見たら、此れは「最良の反面教師」ですよ‼️。😀👍️
脱線しますが、「ガソリンでも水素でも動く」ロータリーエンジンの血筋が、絶えないでほしいです!
そうですね、縛りがきついものでした様です。ネジ一本までかんりされてましたようですね。
マツダのロータリーエンジンはル・マン24時間レースも制覇しました。
明けましておめでとうございます。詳しい解説、ありがとうございます。
以前から、DD54の変速機は複雑、ということは知っていましたが、こんなに複雑で精緻なものとは知りませんでした。何回も動画を見直していますが、まだよくは理解できていません。また、DD54について、変速ショックが大きいことも評判がよくないことの一つ、とは聞いていましたが、本当だったのですね。
とすると、なぜこんなものに手を出したのだろうという疑問もあります。
比較対象となったDD51が、当時はどこででも見ることができ、今でも吹田の整備工場?で1両動けるだろう状況で置かれていたのを見ると、常に細かな改善ができることも大事なことだなあ、と思ってしまいます。
この動画とは直接関係ないのですが、昔、毎日DD51牽引の普通列車で通学していたのですが、1回だけ「只今エンジン1基が故障しているので、エンジン1基で運転しております。速度が遅くなりますが、申し訳ありません」というアナウンスがあったことがあります。大丈夫かよ、と思いましたが、別の観点では同じ装置を2基持っている利点ですね。
DB51ですね。
@@権三郎平衛 それはどうも違うようです。
DD51では、トルコン2基からの出力は一旦合成され、各動輪に動力を伝えられるようです。したがって、エンジン1基だけの出力も動輪4つに伝えられると思います。
この辺りの解説は、DD51を扱った書籍に出ていたと記憶していますが、正確に○○に出ていたとは言えなくてすみません。
@@takachan926 面白いご指摘ありがとうございます。ご指摘された話しは初めて聞きました。DD51はその設計図を見ると(実物も何度も見ましたが)前後の前照灯のすぐ手前のボンネット内にラジエターがあり、その次の運転席寄りに機関(エンジン)が載っています。そして一番運転席寄り、つまり排気管(煙突)の下あたりに変速機(トルクコンバータ)があります。反対側(2位側)のボンネット内もほぼ同様です。片側の機関がなんらかの理由で運転不能になったときに、機関1台で、4軸を動かすということになると前後のトルクコンバータ同士の間で何らかの推進軸(プロペラシャフト)を設ける必要性が出てきます。これは動力のかみ合わせ等の問題から変速機が非常に複雑な構造になってきます。(実は当時の西ドイツには入力軸を2つもつ変速機もありました(西ドイツ国鉄(DB)210補助ガスタービンエンジン付きディーゼル機関車((D)Verstärkte Gasturbinen-Diesellokomotive, (E)Boosted Gas Turbine Diesel Locomotive)などで使用(‘70))が、これは世界的にも珍しいものでした。)変速機のDW2、DW2Aで本来の推進軸と、もう一つの推進軸を設けることになります。DW2、DW2Aは当時の国鉄がやっと造った(S-34~35初期設計)もので、当時ディーゼル車後進国の日本にあってはそんなに複雑なものを造る余裕などありませんでした。ホイト式タイプ液体変速機((D)Voith Flüssigkeitsgetriebe((E)Voith liquid gearbox))でしたが、変速エレメントの位置は違っていました。実は、確かにDW2、DW2Aはもう一本の推進軸を出せるようにはなっていました。これは将来の入れ替え用1エンジン機関車に用いることを想定していたからです。それでその後にできたのがDE10(S-41)ですが、DE10の変速機DW6は前後の台車(軸配置はC-BではなくAAA-B)を動かすために2本の出力推進軸が出ていましたがこれは機関1台の機関車なので割愛します。しかしDD51は本線用なので、推進軸は1位、2位とも各1本ずつしか出ていませんし、当時の国鉄の方針もそうでした。当時の資料にもあります。仮にプロペラシャフトを2エンド側に通すとなると、運転席ドアの下の車輛中央部分か運転席下でちょうど電池箱、元空気ダメ(ランボード(=キャットウオーク))の高さの部分よりちょい下の車輛中央部になります。これより上はSG(蒸気発生装置((E)Steam Generator , (D)Dampferzeuger))(旅客列車暖房用)(乗務員室内)で、これより下は中間台車です。国鉄としてもあまり複雑なものを造りたくなかったことは当時の複数の資料に出ています。今とは技術レベルが全く違う時代でした。鉄道先進国の日本でしたが、ディーゼル車については失敗の連続でした。当時の国鉄は多少、馬力や効率は犠牲にしても、単純で堅牢なものを造りたかったのです。そしてまたその後にそのような改造車が出たという話も聞いたことはありません。DD51を大ざっぱに分けると①1~4号機(試作車)SG付、②5~53号機(非重連)SG付、③501~592号機(重連準備工事済み)SG付、④593~799,1001~1193号機(重連)SG付、⑤801~899,1801~1805(重連)SGなし(貨物用)の5タイプですが、前後のパワーラインを連結させる改造をしたという話は聞いたことがありません。もしそのようなものがあったら確実に別形式か別番台ができたはずです。takachan926さんの指摘している「本当の正体」は実はDF200なのではないでしょうか。DF200と間違えているのではないでしょうか。「DD51を扱った書籍に出ていた」DF200のことについての記述をDD51のことだと頭の中で混同して「記憶して」いたのではないでしょうか。DF200(主機関2台、電気式)は90年代中ごろ(だから技術レベルも違う。)に出てきた比較的新しい機関車です。電気式動力伝達装置を持つこの機関車は運転の助長性を高めるために機関1機でも6軸を動かすことができます。そのような配線をした電気回路のつなぎ方を変えるだけでいいからです。Oh, yeah! Baby! (=ああ、そういうことだぜ!)
@@権三郎平衛 すると、やっぱり動輪2つで10両の客車を引っ張っていたのですね。動輪4つだとかなり余裕があると言うことですね。
詳しい解説、ありがとうございます。
@@takachan926 Ye~s, it was! Ye~s! it was plain to see! It’s soオオオ interesting things what I had! Thank you very very much!!!!!!!!
DD54と言えば播但線でしたが、走ってるのをあまり見かけなかったのは、こういう理由があったのですね。
明けましておめでとうございます(^_^)
1970年代までは
日本の大型ディーゼルエンジンや液体変速機(トルコン)の技術力は
まだ欧州や北米にはまだ遅れをとっていましたからね
この辺は石油をほとんど算出しない日本の事情から
鉄道や船舶等に使われるような大型機関については
蒸気タービンや電気モーターの開発が(戦前から一貫して)優先されたことも影響していそうですね
新幹線のような高速電車が日本では比較的早期に発展したのは
DD54とは逆の形で日本の国情が現れたのかも知れませんね
ダイハツの1リッターディーゼルエンジンはある意味変態仕様だったんだな
あの頃は小排気量ディーゼルあったけど何でだろう
明けおめ!通りすがりのお面ライダーですが、おっしゃる通りです。鉄道先進国の日本でしたが、ディーゼル車については失敗の連続でした。DD54はそんな中で出現してきて、SL駆逐のために現れたものが、SLにサポートされて走っているとか、プロペラシャフトで目的地に一気に棒高跳びをしようとしたりなど、鉄道界の形而上学的というか、シュールレアリズム的存在だったのではないかと私は考えています。だいたい形式に4(下一桁)のつくものはみんな短命で終わったり変わったものが多かったです。例外的なものは、EF64とキハ54くらいです。まさにDD54は悲運(非運)の機関車でした。
@@シュウ-y2p エンジンの振動がすさまじく、CMのキャッチフレーズが「ロックンディーゼル」でしたね!今の時代、圧縮比21なんて高圧縮エンジンはたとえディーゼルでも考えられないですね!
純粋な性能、技術力で見れば今でもだと思いますよ。メンテナンスとか総合的に考えれば国産が妥当なのだろうけれど。
当時、最大でも500ps以下のエンジンでなければ多板クラッチでトルク伝達できなかったのでしょうね。 途中、説明でキハ181の部分ありましたが、DW4系も直結段ありますが、変速機は充排油式でトルク伝達してますね。
私が知っている限り、1000ps級で多板クラッチを用いた変速機で実用化されたのは神奈川臨海鉄道のDD5511だけです。 もしかしたら他にも意欲的に採り入れたものあるかもしれません。 DD5511も多板クラッチがトルクに耐えられず命取りと聞いております。
DD51の変速機のオイル、開発当初は適当なオイルがなかったために灯油を利用していたと聞きました。
変速機はそのオイルの調質が命!
第二次大戦中もUボート等に使われているMB501エンジンの製造ライセンスと本体1基を買いましたね
でもV型20気筒ディーゼルエンジンと言うとんでもない精密な代物なので、日本の技術者も「ライセンス生産は無理!!」と言っていたとか
でも今は大型ディーゼルでも、気筒数を増やすより1気筒の容量を増やす方にシフトしてますね
「ライセンス生産、でも独自改良はダメ」…アドアターボファンを思い出してしまう。
アドアMK-2はIHIの提案で作られ黒煙が格段に減ったと聞きました。
@@shinobu59 様、ありがとうございます。その事は知りませんでした。「契約違反」を口実に石川島播磨重工業の苦心策を全て奪っておいて、後年FS-X(今の三菱-2)の時に「このエンジンは如何ですか〜?」と奴らは提示してきやがった…回答は「断固拒否!!」でした
キハ181は充廃油式トルコン搭載車両もありましたね
あとキハ110系も試作車両は確か充廃油式トルコン
ホイト式
やはり、ディーゼル機関系の「鉄道車輌」でハイパワーな車輌(DD51型&DE10型)は、信頼性抜群の「フォイト式液体ギアボックス」ですねぇ。😀🙂🤗
後、DF200型の「ディーゼル、エレクトリック」もですよ。😀👍️
ココ山岡て…めちゃ懐かしいですね。
当時はクルマのATも出始めで、故障も多かった
なのにクルマよりトルクが大きい鉄道車両で、
こんなに複雑な機構を採用するなんて
しかも自分たちが発明したものではなく、生産しただけ
そら故障しない方がおかしいですよね
その上独自改良も契約により不可だった
抓んでますね
C 57を淘汰するつもりで投入したはずのDD 54だったのでしょうけれど、故障が多くて残念でした。国鉄は蒸機の修理に慣れていましたのでC 57も1975年ごろまで北海道で働きましたね。
ブレーキは空気ブレーキだけ使って、エンジンブレーキ場面で必要なシフトダウンは使わなかったのでは。
電車のマスコンもステップアップだけを考えているような設計になっていましたし。
再加速時はシフトダウンじゃなくて一旦リセットして1段目からステップアップで使ってますし。
DD54型の「メキドロ式液体ギアボックス」が、構造が複雑で整備に手を焼く代物で有ったし、又、エンジンとギアボックスが合わなかったので、故障が多発したのでしょうねぇ。😑
DD51型に使われている「フォイト式液体ギアボックス」は、初期故障こそ有りましたが、熟成が進むと「信頼性抜群の液体ギアボックス」に成ったのと「真逆の結果」に成りましたよ。😀
此れは、前者が「複雑な構造」後者が「単純な構造」の違いがDD54とDD51の「明暗を分けた」出来事で有ると、俺は想うねぇ~っ。😀🙂🤗
エンジンそのものがディーゼルながらツインカムシャフト、各気筒4バルブでしたから日本にはない仕組みでした。
中国やイギリスもマイバッハエンジンとメキドロ式変速機を多用していましたが、それらの国では大きな問題は無かったそうです。
確かに複雑なメカニズムではありますが、旧国鉄の整備士が技量不足だったのかもしれません。
@@鉄道模型大好きおじさん さん
日本人は整備が大の苦手で
飛燕や疾風がとんでもない欠陥機ぶりは元々の性能以上に整備技術も体制もグダグダだったのが最大の原因
本年も宜しくお願いします。
メキドロ式は、複雑な設計に成る程、信頼性が低下する事例に挙げられそうですね。
ドグクラッチを使用した現用の動力車用変速機としては、JR九州のキハ200系に使用しているR-DW4型(変速+直結2段)があります。
今ではシステム重量を含めた電気式の変換効率が上がったのと、変速機開発のコストから新造される車両は電気式が主流になりつつあります。
電気式は実質エンジンで自家発電する電気機関車ですね。DF200開発時には液体式も検討されたそうですが、大出力に対応する液体式変速機がDD51やDD54の時代からほぼ新規開発されておらず当時の技術者も殆ど引退している一方で、電気式の場合はVVVF制御など格段に進歩した電気機関車の技術を流用できるためです。そして電気自動車にも言えることですが、ゼロ発進はエンジンよりも電気モーターの方が格段に優れていますし(モーターは発進と同時に最大トルクを発揮する)、今後は電気式が主流になっていくのでしょうね。
基本、駆動系は電車のシステムが使用出来る点から保守管理が容易になる点は電気式の大きなメリットですね!DF200の場合は、搭載されるエンジン出力の関係で、それに見合う変速機がサイズ的に収まらなかった事から電気式になったという経緯みたいで正に「瓢箪から駒」の好例ですね!この後に登場する電気式の気動車が主流になったのはDF200の功績が大きいかもしれませんね!運転士に必須の「動力車操縦免許」も内燃、電気のボーダーラインが無くなりそうで・・・。
吊り掛け+VVVFって最初聞いた時はびっくりびっくりどびっくり!
気動車も電気式になり初めましたね。
大変楽しく専門外の話が聞けるので【メカのロマン・・・】にハマっております。これだけの資料集めと咀嚼、勉強、更には動画制作は大変なご努力と時間が必要と思います。ありがとうございます。
平易で簡素な説明ですが、そこそこ技術的な話も多いので、そのバランスが私には嬉しいところです。
そこで、お願いがあります。飛行機プロペラの《可変ピッチ》について”メカの解説と歴史”などの動画をお願いで来ませんでしょうか? もちろん自身でも、ネットを検索したりしていますが、今ひとつよくわかりません。期待しております。
大変勉強になりましたが、メキドロの爪クラッチはさっぱりわかりません。マイバッハのライセンス生産は国鉄の意図的なものを感じます。川崎3式戦のDB601以来この時期は技術習得のような気がします。YS-11やキハ181も含めて大きな成果はあったともいますが現場はたまらんでしょうね、、
その昔、発進~低速時は蒸気で走行し、ある程度速度が付くとディーゼルで走行する、変速機不要な"蒸気ディーゼルハイブリッド機関車"なんていうのがあったらしい。
ありましたね❗シリンダーを兼用して
昭和41年頃の図鑑には載っていた。先頭側面形状がかっこよいので模写していた。当時の山陰本線は数少ないC50運転線区だったと思う。その前はC54の運転線区でもありよくよく少数生産少数配備短命の54機関車に縁があったもんだ。昭和40年頃から蒸気機関車、少しのちにはSLブームとなったが、C54は昭和38年には消滅済みの型式でありちびっ子ファンには幻の蒸気機関車であった。DD54も今の50代未満には幻なんだろな。
だいたい4のつくナンバーの形式は短命に終わります。例外はEF64とキハ54くらいです。
@@権三郎平衛 「4」が「死」を意味するからなのでしょうか?
@@つゆだく-c5h そこのところはよくわかりませんが、
SLの時代からしても、
そんなような傾向があります。
社会全体の統計を見ても、
運輸関係の仕事が、
「脂肪」事故のその約8割前後を占めます。
心理的な面からして、忌避して(さけて)いるところが、
無意識のうちにあるのではないでしょうか。
なお、話は変わりますが、
う~ちゅ~ぶ もそうですが、SNS等、
その未義画和の模自は塚輪内邦画Eです。
「撮外」の「撮」の自の模戸の自も、
銅要に塚輪内邦画Eです。
栄愛鯛咲くです。再亜区の馬愛、
阿寒湖を亭死させられます。
「あっ、島った!飼いちまった!
Oh, my God!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
あけましておめでとうございます 今年もロマンあふれる動画を宜しくお願いします
メカメカしいのには憧れますが現代のパワーエレクトロニクスのレベルを考えると新型のディーゼル機関車や気動車は電気式一択になりますねぇ
成功を収めたディーゼル車であるDD51やJR四国2000系、2600/2700系の解説も見てみたいです
変速機は時々変わった物が出てきますよね。ホンダのHFTとか10式戦車のHMTとか仕組みがよく分からないけど、しかし今でも新しい変速機が出てくるのは楽しいですね。
ホンダは油圧の無段変速機競技用に使っましたよね
値段と精度の問題で市販は無理なやつ
油圧か電気かの違いだけで、トヨタのプリウスとかの変速機と構造一緒よ。
油圧ポンプで圧作るのと発電機で電気起こすの違い…バッテリーに貯めるが出来ないだけで。
作動するのが油圧モーターでも電気モーターでも回転数をある程度自在にコントロールできるから、車のデフみたいな働きをする遊星ギアにエンジンと接続して減速比が無段階に作る事が出来る。
農業用トラクターとかでも多いらしい。
リリース出力が油圧と電気では死ぬほど制御違うのだが
電気の方が楽なのは制御機質量の差で分かるはず
別に制御云々が難しいとか別にどうでもいいけども、変速機の動く仕組みは変わらん筈。
それに重機やらあの辺りのでは逆に電気のが大変だろうと思うけども…。
USMと油圧だと根本が違うけど
制御はセンサー読みの意味では一緒
漠然と見ていた興味津々の世界が色々と勉強になります。楽しく見させてもらいました。
自分で走りエンジンの音が聞けたのは1度だけでした 梅小路に蒸気機関車を見に行った時でした 戦時中も飛燕のエンジンが同じような問題があったので同じ機体でエンジンを載せ替えた飛行機がありましたが機関車にはそういう事がなぜできなかったんだろうね
同じディーゼルだからって低速回転の重たい舶用ディーゼルエンジンを機関車には載せられないでしょう。機関車用のエンジンには軽量であることが求められる関係上、出力を回転数で稼がなければなりません。
トラックその他の商用車の輸入自由化は、乗用車の輸入自由化よりもずっと後で、国は保護政策を取っていたことからも日本のディーゼルエンジンの技術力は他国よりも劣るものでした。
@@naomiyamada8581 今はダイハツの999CCターボエンジンなどかなり向上しました 新型ディーゼル機関車は全て電気式に代わりましたね バイオディーゼル燃料生産でディーゼルエンジンは生き残れますね
ホンダも多段化の限界で通常のプラネタリーギア式AT、ベルト式CVT、i-DCDと一部アキュラ向けにまだ残ってるかもしれないDCTのみになって、ホンダマチック搭載車種は残ってないかと思います。このまま、日本未導入の10ATとCVTに集約されそうですね
i DCに似たのは
キハ285に搭載してましたね
バイクネタだと川崎のタンデムツーと鈴木のスクエアフォー
ドカのデスモドロミック
航空機だとソ連得意のTu-95やKa-50の二重反転プロペラなんか扱って欲しいなあ♪
ラムジェットエンジンやスクラムジェットエンジンも楽しいね
18:53 突然のココ山岡
鉄道車両のトルコン黎明期に流行った「シンクレア式流体継手」の解説と、その後のTC-2やDF115との違いが知りたいです。
ライセンス生産って色々めんどくさいんだな、航空機も米国との関係がなければ
自国で生産したいんだろうなぁ、ロケットとか早々国産になったものなぁ
技術後進国や多額の開発費を掛けられない場合にはライセンス生産自体は悪い話ではないです。
しかし技術力が高まりオリジナルから改良改設計しようとした場合にライセンス契約が不利な内容だと足枷になるのです。
中華メーカーのように堂々とライセンス生産品や改良品を「独自開発品」として輸出する度胸が他国メーカーには無いだけです。
ちなみに戦闘機が空中戦をする事をドッグファイトといいます。
ミッションへの入力ですが、馬力でなく、トルクでの比較の方が良いかと思います。
クルマのミッションもトルク何々まで用との区分ですし。
しかし、トルク値は馬力に対して、情報が少ないですが。
それにしても、継ぎ手が壊れる前に、「キー」が壊れるようにしないと大事故になるとはわかっていたでしょうに。
「キー」を採用していなかった設計なのかもしれませんが。
DD54は故障しやすいと聞いてましたが、なるほどこんな理由があったのねぇ。
自動車のMTみたいにシンクロ機構があったら良かったのに。シンクロがイヤなら動画内でも言われているようにエンジンの回転数をちょっと上げてやるとか、ハイブリッドモーターで回転数を微調整したら良かったのかな。
カッコイイ車体なので大好きなんですけどねぇ。
山陰線に旧型客車。よく叔母の田舎に行く時に乗っていました。しかしよく故障トラブルが勃発❔⁉️していたなぁ。延着していたなぁ。
メキドロ式っていう名前がいかにもメカっていう感じがしますね✨
Mekydro-Übertragung=メキドロ変速機
DD54の短命はDD51が最近まで生き残っていたのとは対照的で、後に旅客用の気動車がマイコン制御の多段変速を実現したのに対して、ロスが多かったけれどもホイト式の信頼性を重視して使用を続ける結果になりました。 まあ、三菱重工が鉄道関連から撤退するには十分なきっかけだったことは違いないようです。
ドイツ企業の強いライセンス縛りって今でもあって、スポーツカー向けミッション作ってるゲトラグも部品を供給しないので故障してもMTアッシー交換しか出来ないんすよね。トヨタとかの純正オプションでもそう。
リクエストとしてはホンダがジュノウで採用したパダリーニ式変速機をお願いしたいです。
あけましておめでとうおめでとうございます
Twitterで書いてたネタですね!
今年も頑張って理解しようと思います!
シフトダウン時の入力側回転上昇ですが、負荷増大によるシフトダウンであれば、その時点でエンジン回転数が落ちているだろうから、トルコンの伝達が切れ、ニュートラルでエンジンは無負荷になり、それによる回転上昇をあてにしたのかも。
トラック・バスはともかく、戦車も近年までMTしかなかったのに、機関車ではATが主流でMT型は無理があるというのが興味深い。
(そういえば、車の方でもドイツ製のミッションはハイパワースポーツカーのエンジンに耐えることで有名だった)
【返信】機関車でMTだと昔の筑波鉄道(現在は廃止廃線)などで使われていたことがあったが、まあ400㎰前後以下くらいが限界でしょうね。保線用の機械や気動車ではあったこともあるけれどもね。入れ替え用や支線用の機関車だと無理だね、ましてや本線用機関車じゃ不可能だね。機関車のエンジンは大出力なので液体式か電気式以外には考えられない。特に、重連総括のことも考えると、MTはありえない(気動車ならなおさら。)。それぞれ一両一両に運転手が乗って、汽笛を合図にギヤの切り替えをするなんてSLでもあるまいし。それにギヤやクラッチが人の脚力や腕力じゃ重くて動かないと思う。液体式も2000~3000㎰が限界だろうね。1000~1500psを超えるあたりから変速機の設計、メインテナンスが大変になってくるので、入れ替え用(1000ps前後)では液体式が使われることはあっても、まあ世界的に1000~1500psより上の機関車はほぼすべて電気式になるだろうね。
うちの市バス(フルサイズ)にAT車を見る様になって驚きました。
鉄道の場合には複数のエンジンと変速機を一人の運転士が一斉に進段する事が求められますから。ATが進化したわけですね。
@@qzp01467 【変身】私はお面ライダーだが、お面ライダーの私ですら、「一時に一人で」隣の車輛の操作まで、ましてや数両いっぺんに、「機械的に、物理的に」、直接行うことなどできましぇ~~~~~ん!!!
@@権三郎平衛 機械式(MT)気動車の時代には、連結した2両の両方に運転士が乗り、ブザーの合図で合わせてギヤチェンジをする、なんてことをやっていたようです。
戦争中にドイツ製の航空機用液冷エンジンをライセンス生産してみたけど、なかなか運用がうまく行かなかったという話となんだか似ていますね。
イギリスや中国などはマイバッハエンジンとメキドロ式変速機を多用していたけど其れほど大きな問題は無かったそうだ。
なぜ、日本は失敗したのだろう。
旧国鉄の整備士が技量不足だったのだろうか…
メキドロ式のシフトダウンの時の回転数合わせの謎についてですが、車のMTのようにワーナー式シンクロメッシュが増速してくれていると理解しましたが、違うのでしょうか。。。
車で言うと、1987年式プレリュードがOHC車がドグ+トルコン、DOHC車が湿式クラッチ+トルコンという変な時代だった。その前者はキックダウンはほぼしない変な制御だったのを思い出した。
今年もよしなにです(-_-)ノシ
telex…輸入部品屋時に繰ろうしたなぁ…会社に止まって仏にタイプライタ状端末をポチポチ打った記憶が。
何気に懐しい思い出満載回でした(-_-)
本線用のDLの話なので、まあメカはDD51やDE10とおなじかもしれないが、DE50の話も少し入れておいてほしかったな。当時のエンジンの出力重量比や排気量当たり馬力は、今と比較すると悲しいほど低かったし、変速機の動力伝達効率も低かった。当時の国鉄のなわばり意識も強かったみたいで、特定のメーカーだけで仕事をまわしていた。海外にはもっといいエンジンもあったのにな。これは、当時の気動車についても同様の事が言える。それにしてもまあよくあんな物が走っていたと思うよ。
【返信】♡をつけてくれてありがとう!感謝申し上げます!
DD54だとあと中間台車の問題もあったよ。昔、飯田線のED62もそうだったけど、これも同じ軸配置(B-1-B)だったんで、調子が悪かったみたいだ。中間台車の「横圧」の問題があったんでDD54やED62以降にこの軸配置をとるDL、ELは0だ。D型の軽軸重車はDD51やED76みたいなB-2-Bになったよ。DD54のプロペラシャフトの件は三菱の設計ミスもあった。たぶん改善して壊れないようにする手もなくはなかったが、当時の国鉄の労使間紛争や労働組合の難癖等で、オシャカになってしまったんだ。10年でアウトは金の無駄遣いだとして国会でも問題になっていたよ。SLと重連で走っていたりして(SL駆逐のために造られて、本末転倒だが、)懐かしいね~!イギリスは戦後、安全保障の点でディーゼル化で鉄道の近代化した稀有(けう)な国だったから、ディーゼル車のくせにすごい車両がたくさんあったので、こちらのほうなどももっと参考にすればよかったんじゃないのかと思うんだけれども、でも当時世界的な流れは、電気式のほうになってきていて、液体式を製造して使っていたのはドイツと日本がくらいだった。イギリスですら、液体式のDL(ドイツとの合作)は多少使ったが、維持できなくてオシャカ(保存機はあるが)にしている。ドイツや日本のような保守技術の高い国でしか維持できなかったみたいだよ。日本が液体式にこだわっていた理由は、経済性の問題もあったが、それよりも、日本の線路の貧弱性に最大の問題があったんだと思う。だから、軸重を軽くしたかったわけ。現在は、車体や電気機器類等の軽量化等もできるようになってきたので、今後は日本も電気式が主流になるみたいだ。こちらの方が故障の軽減やメインテナンス等にはいいけれども、技術的には大型DLの液体式はマレで、おもしろいので、例えば、名古屋辺りの引き込み線に本線から素早く直通してそのまま入れ替え作業ができる大型凸型本線支線両用ディーゼル機関車なんかがあったらいいなぁ~なんて思うことがある(以前のDD51ではこれができた。その他いろいろと付け替えなしで使えるから。)。DF200はもともと箱型DLで大軸重(16t)で北海道用みたいなところがあるからね。
いつも言ってるけど、この時代にSDA12V170があればねえ…
マイバッハのエンジンとか超高級車
概要欄に目次を書いてくれると便利で嬉しいです。
メキドロを選択せざるを得なかったでしょう。解発のお題が整備コストの軽減でしたから副数台のトルコンを持たなけりゃならないホイト式は論外でしたし、他に選択肢はもうありませんし。大体こんな贅沢なものを2セットつんでいた51も54デビューの昭和51年頃には安定しておらず。採用は無いでしょうね。シンクロさせるためにエンジン回転をコントロールしていたため、いったんアイドルまで回転数が落ち接続回転数に加速する変速は、特徴的でマニアの間では人気であったように思いますし、それでも変速のショックは非常におおきく、変速のショックはギアーがかみ合わせるためでは無く再加速するタイミングで発生するんでしょうね。トルコンATではトルコンが吸収します。これは不快でッはなく、キターーーーって喜んでましたよ。自動車で言うMT車のダイレクト感でしょう。今自動車である、ツインクラッチdctがあればよかったでしょうね。いずれもシンクロメッシュを持たせなきゃならなかてでしょうけど。私がdohcというハイパーエンジンを知ったのは自動車に興味を持つ前にこのmdp87これからです。dmp86、ライセンス生産で、1800psにディチューンされたものですね。オリジナルは1200psだったと思います。同じシリンダーヘッドですけど。バルブリフトやタイミング、過給率を変えるんでしょうね。51のエンジンはdd13のものをv型にして12気筒にしたものです。ノウハウが乏しい時代でしたから、あるものを並列にするなどで出力アップしていた時代でしたよね。de10はこれを1セット搭載前後のボンネットの長さが違う独特のスタイル。好きですけど。1000psは50と同等だけど、軽くできてるので乙線にも入ることができた。50は電気式だから、6台のモーターとその制御器積んでたものね。
私が豆鉄博士だった頃、出雲を引っ張っていたな。あの頃は日豊本線で富士は西鹿児島まで走っていたけどラストはDF50だった。最後は四国にあつめられていた。動態機がいるのには感動。梅小路には小3の夏休みに行ってテンション上がりまくりだった。マイバッハで思い出すのはSクラスのでかいやつだな。ドイツの技術には時々、変態ややり過ぎを感じる部分があるな。
産まれて半世紀。DD51は蒸気機関車に追い出されてしまう運命に。
DD54は失敗作ではなく挑戦作。軽量化を狙うあまりに無茶をやってしまったのか?おそらく運転にコツが必要だったかと思う。技術力を精神力でフォローするのは日本人の得意技だけど、さすがにさじを投げてしまったということか。アクセルをゆるめなくても排気をやってリアタイヤを押さえつけダウンフォースを稼ぐ2011年のRed BullのルノーF1エンジンを思い出した。ちなみにこの年のロータスには前方排気なんてのもあった。排気系の位置を前にすることは吉田戦車のうつるんですに出た前方排気TZR位かと思ったのだか。ちなみに排気音の吹き出しは、「ンビンビンビ」だった。煙たくて走れませ~んというオチだった。
しかし北朝鮮の電機改造「強行軍型」ディーゼル機関車に少し似ているな。ちなみに私の三菱のアイは4年前13万キロでトルコンが壊れてリバースがダメになって、リビルド品で25万でアッセンブリー交換した。今アイは20万キロを越えたけど、コンデンサが壊れてAMラジオのノイズがうるさい。2年前エアコンが壊れて8万かかったな。オルタネータも交換した。アルトワークスにも乗りたいけどアイの走りは軽快かつ重厚で急ハンドルで確実な危険回避が
できるから棄てれないな。一応ミッドシップだし。実はほんの少しドイツの血が混じっているんだな!
ああ、DD54と同じか(^~^)
以前2サイクルのNSRやガンマ、RZやカブにはまったけど、旧車はノーマルの維持の方がカネがかかる。
フェラーリも純正維持のクラシケなんて始まってしまったせいで入門車の中古308や328の値段が暴騰してしまった(泣)
音響製品もノーマル維持箱取説付きだと高く売れるな。
現代の電子制御式多段変速機はJR北海道の気動車をはじめ、多数の採用例がありますが、電子制御ではない純粋に油圧制御の多段変速機は、当時の日本では技術的に手に余る物だったと思います。当時は乗用車用の自動変速機ですら米国ボルグワーナー社の特許を買うしか選択肢がなかった時代ですから、桁違いのトルクを扱うディーゼル機関車の歯車変速機は、まさに未知の領域だったでしょう。
DD54がダメ機関車になったのには、亜幹線への導入を目指して車体中央に従輪をつけたことが挙げられると私は思います。設計のもととなった西ドイツのオリジナルには存在しない従輪を避けて推進軸を通す必要に迫られたことがあります。真ん中の従軸を回避すべく不等長の推進軸のセットとなり、ねじり剛性・弾性で悪影響をもたらしたと思います。もしコストアップ承知でDE10のような動軸設計できれば、A-A-A・A-A-A のように対象な設計であれば回避すべき振動も一本化できて良かったのかもしれません。
DD91 で使用されたメキドロ式変速機は西ドイツのオリジナル製品だったと聞きます。ライセンス生産品と違い秘匿されたノウハウもあったことでしょうし、歯車そのものにも変速ショックを吸収する、断面図には描かれなかった、ちょっとした仕掛けがあったと、別の書籍で見た記憶があります。とは言えライセンシーの新三菱重工業もユーザーの国鉄も、お互いにこの変速機を使いこなせるだけの整備体制があったとは言い難く、雑な整備でトランスミッションを壊したのでは? と勘ぐってしまいます。
それでも、従輪なしのオリジナル設計だったら、きっと成功しただろうと私は思います。そもそも日本の鉄路の路盤が弱すぎたのです。
お邪魔します。
日本は蒸気の昔からヨーロッパの複雑なメカニズムをモノにできた例(ためし)がないですね。「これは良さそうだ」と買ってきても一度の失敗で投げ出してきたように見えます。C53でやらかしたのと同様に、本質を理解しないまま妙なアレンジを施して事態を悪化させる悪癖がDD54でも発現したことに愕然としました。
@@B36conqueror さんコメントありがとうございます。
確かに国鉄C53やD51、そしてDD54においても不適切な設計は付き物でした。しかしながらあの悪名高きC53も周りからは過剰な定期修繕だと言われようともそれを貫き、良い稼働率を残した現場検修部門があったことは忘れ去られ勝ちです。彼等はグレズリー式弁装置の調整が図上どおり行かないことを体得しており、実際に試運転させてバルブタイミングを調整し、用に供しました。
世間では傑作機関車と言われるD51も動軸の重量配分が悪く空転し勝ちで、杉津の急勾配や柳ヶ瀬トンネル越えを担当する敦賀機関区からは受領を拒否され、旧式のD50を要求するほどの『駄作』だったことは、あまり知られていません。
新システムを導入したり既存システムの改良のつもりでも変更が大きくなるところでは、設計にまつわるトラブルは付き物。これは初期の原子力発電プラントにおいても同じで、如何に現場のエンジニアがシステムの本質を理解しようとしたかで後に優れた設計へと変貌していくものであります。初期の米国製原子炉の運転で、日本の高温多湿環境にリレーが耐えられず故障を起こすも、運転を命じられたエンジニアは『電電公社採用のリレーならばかなりの過電圧でも耐えられる』と、今では考えられない無茶もやったおかげで自国開発ができたようなものです。
かたやDD54はライセンス生産ゆえに内部の改造が禁止されており、設計変更を提案するにも当時は通信手段が低速で図面交換すら満足にできないものでしたし、間に商社の三菱商事が入ったことから話が噛み合わず、国鉄も三菱重工もさじを投げたのかと思います。その点、技術を内製していることは非常に重要で、軸の振動問題においてはホンダのF1パワーユニットの振動問題が米国の子会社にジェットエンジン生産の合弁会社があり、そこのエンジニアから良いアドバイスが得られたことで振動問題を解決できた逸話が残されています。今では日本の舶用ディーゼルエンジンでライセンス生産に依らないエンジンを持つのは三菱重工業ただ一社だけですが、当時はその三菱重工とて技術力は低かったのです。
このことからシステムを使いこなすにも経験と学問との両面からそれぞれ裏打ちが必要なことを教えてくれます。
残念なことにお役所のエンジニアは未だに舶来主義で、外国が認めた計器でないと安心できないという始末。そうした官僚主義に芽をつぶされた機関車がDD54だったのかも知れません。
DD54 の型をみて、DF50 の兄弟と思うのは、私だけ?
♪やっぱり 忘れられ無い… ♪
デザイン的には似ているけど、DF50は再び流行りだした電気式ディーゼル機関車(DF200とか)。
DD54は終焉を迎えようしていてる液体式ディーゼル機関車。他人のそら似。
DD53っていうDD51の箱型なら居たな ロータリーヘッドを取り付ける関係で箱型のボディだったけど結構好きだったな
@@権三郎平衛 さん、今晩は。
そうです。外見が似ていますね。
それから♪あ〜 そおだョ〜♪
この詩を御存知なのですか。
当方小学 3〜4 年の頃に、担任の先生が "アクビ" を隠す時「唄歌って何が悪い」と、言っておりました(懐かしいです)🤣。
@@権三郎平衛 さん、今晩は。
外見 "が" 似ている。
バレタン星人🤣。
【返信(変身!)】 外見だけ見てますね(You're just looking at the look.)。 ブラザー(Brothers)!???? A ha ha ha! ああそうだよ(Oh yeah!)! メカニズムの違う兄弟なんだ(They‘re brothers with a different mechanism.)。 (通りすがりのお面ライダーより)
ドイツ純正の完成品の機関車を輸入していればこんな事にはなってないでしょうね。
まあ日本は液体式が主力ってだけで先進国ではめちゃ珍しいんだよね
ちなみに千鳥格子という有名なチェック柄があるけども
あれは英語でドッグトゥース・チェックと言います
あの柄が日本人には千鳥に見えるので千鳥格子と呼ばれるようになった
明けましておめでとうございます🎍🗻🌄
ダブルクラッチ踏んでニュートラでアクセルを踏んで、センターシャフトの回転数を上げてドリブンに同期させて投入というような動作はできないのね。ヒールアンドトーのヒールがいない。
楽しく見させてもらっております!できたら、馬力では無く、トルクがわかったらうれしかったです!特に、早さでは無く重たいものを引っ張るものなら尚更トルクかしりたかったです♪
たまーに旅客用の気動車も変速域(トルコンを使う所)が2段になっているんですが、これもメギドロ式を使用しているからなのでしょうか?
普通の気動車は車のATと同じような感じです。
修理をドイツメーカーに依頼する際に、中間に入った三菱商事の営業が技術的に理解できなくて、国鉄や三菱重工業の技術者の依頼をちゃんとドイツメーカの技術者に伝える事が出来なかったって本当なのか。
昔からドイツのメカはドイツ人しか扱いきれませんねぇ…車輛にしろ武器にしろ、なんで変態じみた凝り方するかな。
最近日本で復活したグレズリー式弁装置をお願いします!
回転数の検出をどうやっていたのか気になりますね...点火プラグからの信号?かもしれないけど機械的にやってたんかな
ディーゼルに点火プラグはありません。回転数の検出はやるならば燃料噴射ポンプの回転数でやるとかクランクシャフトになるでしょうか。電子制御がない時代ですからアバウトだったのは確かです。
13:24
そのまんま()
16:44
不具合が連発しそう()
非常に興味深いのだけど、短命だったのは残念ですね。
フォイト社は有名!
9:20 車のトルコンは板クラッチでギアを選ぶといっていますが
違うのではないでしょうか?
模式図にクラッチが5速ギアに対して5つクラッチが付いているように書かれているのですが
模式図だとしてもトルコン内にクラッチがあるのであの図は誤解?を生むのではないでしょうか?
車のクラッチは普通1枚しかありません。多くてもツインクラッチです。
車のギア変則はクラッチ下流のギアで行わわていいると思いますが違いますか?
車のトルコンATには、トルコン(流体クラッチ)とギア選択用のクラッチ、ついでにロックアップ用のクラッチがあります。
ギアを選択するためにもクラッチが必要です。
他の動画みて理解しました!
ありがとうございます。
トルクコンバータの中にあるロックアップ用のクラッチ、遊星ギアの選択のための
クラッチ
DF50の解説をお願いしたい
これ、九州でしか使われてないから謎なので
DF50については、検索かければ別動画が出てきます。
あと、使われた場所は九州だけでなく、四国や紀勢本線でも見られました。
@@jamesjacobsen7824 そう言えば紀伊にも使われてましたね
DD51のイメージだったので、忘れてた
山陰本線でも使われてました
DF50は結構色々な地方で走っていますよ。他の方が仰っているほかにも、敦賀に投入され北陸旧線の杉津越え補機に使われたり、長野配属機(試作機含む)は姨捨越えに使用されて中央東線の甲府まで顔を出していたり、秋田所属機は奥羽本線や羽越本線も走っています。
北海道でも狩勝峠区間の旧線で使用出来ないかテストしたらしいのですが、北海道独特のパウダースノウで電装系がやられ使い物にならなかったとかなんとか。
北海道のテスト走行しましたね 高松の30号が
ラジエーターに雪がたまりオーバーヒートしたりもありましたね
四国では重連時 トンネル通過の時 前側の熱が 後ろの機関車に
その熱を吸い込みオーバーヒートしましたね
何処か赤熊にも似てるな。
此方は見事な成功作だったが。
DD54電気式ならいけたんじゃないか
鐵道はヲ電車より内燃機関(ディーゼル)車輌のほうがデリケートな話やろ…
変速機で、ヲ車🚗でも当てはまるのは日産のトロイダルCVTもそうだ。21世紀初頭にも設定されるも、金額が非常に高い上おまけに一般のヲートマより故障しやすい。
かなり苦労したお話しは、漏れ伝わってまして、今では、貨物列車専用だけれども、電気が主食にが多い様な気がするけれど、かなり昔、客車を引っ張ってたのには、御世話に成ったかな、
ポジティブな面とネガティブな面と、色々な意味でドイツらしさ満載。😓
車のドイツ車も、例外なく金食い虫。😂
(もちろん好き嫌いは別ですが😅)
この辺の繊細さと扱いにくさがDDが廃れDEに移行した理由か?オートマなのに機関士が切り換えを迫られる、と。
キハ200は爪クラッチですね
今のメルセデス・マイバッハも二千万する超高級車なのにトラブルだらけ。昔も今も企業体質はかわってないようで。
何よ!「ココ山岡」って!するっとギャグを振ってくるね。三菱グループのよしみで自動車の方に影響しなかったのかね?DD54は本当に残念な機関車だったなあ。
DD54は残念な機関車ですね。電気式にすればもっと長持ちしたんじゃないかと…。エンジンも直噴にすればパワーウェイトレシオをもっと上げて軽量でイナーシャの小さいエンジンにできたかもしれない。まあ後知恵なんですけど。
電気式のDF50が性能不足だったからDD51やDD54が導入されたわけで。電気式ディーゼル車が軸重制限の厳しい日本で採用されるようになったのは交流モータをインバータ制御することで大出力でも小型軽量のものが作れるようになったためです。DD54の時代に機関車の駆動に使える大容量半導体など世界のどこにもありませんでした。直噴ディーゼルも燃料噴射ポンプが高圧かつきめ細かい制御に対応している必要があり当時の技術では実現困難でした。
@@gambasuki 気動車の駆動系については確かに液体式のほうが電気式より現在でも軽量なのは確かですね。エンジンについては例えばDF50のSultzerは直噴エンジンでしたし、カミンズは創業以来ずっと直噴式のディーゼルエンジンを作り続けているのはご存じでしょうか?確か台湾のディーゼルカーはカミンズのエンジンが採用されているのではなかったですか?だから当時の国鉄の技術陣は直噴式のエンジンを採用できなくはなかったけれどなぜか予燃焼室式の低出力のエンジンに固執し続けていたのは見ていてなぜだったんだろうなと思うわけです。いずれにしても後知恵だなとは思いますけれど。