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闇落ちおじさんだけど兵士と大衆だけは敵に回さない賢明さは最期まで消えなかったから国土の復興と夷狄への防備って中華の聖天子の条件はしっかり満たしてる評価に困る人
朱元璋の大虐殺はしっかり意味があるし、大虐殺の前は話せば分かるはずという考えで何度も対話を試みてたんだよね……
す😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊
近代以前中国史唯一の南からの中華統一を成し遂げた怪物はやはり桁が違った。
大虐殺をした名君という矛盾が有り得てしまう驚くべき人物
三国志でさえ名士と君士の戦いと言われ最後は名士である司馬氏が勝ってしまってるから功臣の粛清は免れ得ない。どうしても功績には恩賞が幾らあっても足りないから、湯和や張良、蕭何や范蠡のように一歩控えるのが家臣団の仕事であるのに、ただの傭兵には果たせず結局足を引っ張る者になると後になって分かる。藍玉なんか初めから粗暴で罪ある者に功を立てさせよという性善説を信じたばかりに悪名に化けたのだから、しょうがない事だと思う。むしろ馬皇后や朱票という良心が押し留めてしまい遅らせたのだろう。これは常に人類史を覆い尽くすほどの歴史の闇だ。 常に二番手を押さえ込まなければその更に下が虐げられるから名君ほど悪名は免れないと、どの立場で話すかでも評価が変わるから士大夫は歴史を残しメディアに悪評を流す結果になるだろうから矛盾しているように見えるのだ。矛盾というのは起こり得ない事を言う。
冷徹な傑物には違いないです。ただ没後の「靖難の変」を予見しながらも防げなかったのが残念。孫の建文帝と四男燕王(永楽帝)との争い。孫のために四男の権力を削ぎ落し「燕王には気をつけろ」と警戒してましたが。結局孫が行方不明(実質殺害)になる始末。最初から四男を粛正しておけば良かったのに幼少期の家族離散の経験から、親族が協力し合う幻想を捨てきれなかった所に人間味を感じます。親族でも容赦しないという意味で朱元璋よりも永楽帝の方がよほど恐ろしいです。
ただその晩年のミスで、永楽帝の元で明は栄えるという笑
良くまとまっていて分かりやすかったです。最後の農民からみたらどうだったんだろうという視点は秀逸ですね。そういう意味ではやはり皇帝にふさわしかったのかも。
朱元璋は豊臣秀吉と人生がほぼ同じですね。農民からトップに成り上がって、トップになってから性格が急に変わる、、、
厳密にいうと天下統一前から前兆はあったでもそこは馬皇后と朱標が止めてた
朱元璋の場合、妻に先立たれ暴走し、豊臣秀吉の場合、母、妹、弟、我が子に先立たれた事で暴走したからな。
政治的に悪名を着せられるようになっただけだ。この頃には既に唐代から歴史にどう残るかをかなり気にしていたのでそれを分かった上での腐敗する士大夫に対する、舐めんなという粛正だから。朱元璋はそもそも農民だから上級国民の農民いじめは絶対許さない。
ほんと悲しい。
豊臣秀吉が天下統一してから人格変わったという神話は戦後からの創作だけどね戦前にはそんな話一つもなかった
李善長「漢の高祖の真似をしなさい」粛清まで真似せんでいいのに…
是非、包青天の解説をお願い致します。
映像は大明帝国朱元障を使っているんですか?
劉邦も尊敬していたとされる戦国時代の信陵君解説してくれたら嬉しいです😃
劉邦と朱元璋を輩出した、沛県すごいな
劉邦は育ちは沛県だけど魏の生まれで魏の滅亡後に一家で沛県に移り住んだって説もあるね
中国の県は日本で言う市の小ささだから本当に凄い 逆に中国の市は日本で言う県である 例重慶市北京市天津市上海市
😯😄🦃😯😅
見てて思ったのはフランス革命のロベスピエールと似ているなって感じ。不正を許せない気持ちは正しいが100%完璧に取り締まろうとすると必ず冤罪を生み出す。どこかで「ここが現実的な限界だろう」という良い意味での諦めが必要なんだけどそれが出来なかったんだろうな。
ただ明による統一前から内部では派閥争いが激化してたし不正腐敗は進んでた朱元璋自身は不正腐敗による苦しみを受ける側の身分だったから本人は不正腐敗を憎悪してた
朱元璋の大粛清、フランス革命は後のスターリン、ヒトラー、ポル・ポト、毛沢東の大量虐殺の幕開けかもな。
新たな都知事は清濁併せ呑むでしょうか、自衛隊を掌握してトップダウンで既得4権を洗濯されたら❤国民政府はまともになりえるのかな😅
官吏の不正絶対に許さないマン。
それが近代まで続いていたら、いまとは違った中国があった気がするw
先元障は1328年生まれだから足利直冬や細川頼之と同世代になるんだな
こう書くとあれかもしれんが…「中華に朱元璋あり」そしてそれと誤差して「日本に豊臣秀吉あり」天は「地の底から天を掴むが如き大変化を望んでいた」のかもしれない。まあ…その秀吉が朝鮮出兵、ひいては明まで進攻しようとしていたとなれば「おい待てい!」ってツッコミは否定できんだろうけど。
赤壁の戦いは、鄱陽湖の戦いをモデルにして創作/脚色 されたとされてますね。「食」に関する逸話も多いようです。幼年、少年時代の気持ちを、良くも悪くも持ち続けたのでしょう。昔、世話になった人たちには報いていった話が心に響きます。しかし、総じて敢えて多くの人命を屠った事例の方が多いし、その最後やのちの経過は必然ですが辛いものと言えます。
自分が僧侶になる際にその面倒を見てくれた隣人一家には天下統一後に永年官僚の地位を与えたという
粛清しすぎて官僚機構が機能不全になりそう。
粛清前に人員揃えてるあたり皇帝に忠実な官僚組織を作るための大粛清説もある
後の清朝で順治帝から歴代中華王朝の中で最も優れた君主と評され、康熙帝からは"治、唐宋より隆し"と贈られてる程の人なので評価は歴代皇帝の中でも非常に難しいのがよくわかります
名君の評価は、聖母様である馬皇后のおかげもある。
徳というのは、やはり必要ではあるが、全ての人に通用するとは限らない。また、徳を信奉する人は、他人の不徳を許せないのだろう。
朱元璋は潔癖症、完璧主義のイメージがありますね。ポルポト味を感じます。
根気強く改心させようとしたのを嘲笑うように腐敗し続けた功臣や地主を見たら、そりゃ誰が明の創業者だったとしても粛清してるって逆にしてなかったらヤバかった
サムネの異様な顔面を特殊メイクでカッコよく仕上げやつ好き
彼の経歴が当時の日本に伝わっていたかは分かりませんが、もし伝わっていたとすれば豊臣秀吉が自分の目標にした可能性もありますね。あと彼を題材にした映画で変わり種は『デブゴンの太閤記』(日本でTV放送された時は『燃えよデブゴン 出世拳』)がありますね。題名通りにデブゴンことサモ・ハン・キンポー主演で、後の妻となる郭子興の養女の馬氏と一緒にカンフーで戦う明るい話(でもラスト近くで少し暗くなる)で最後に皇帝になったデブゴンのシーンで終わる映画でした。
原題「臭頭小子」ですね。まだ坊主の時代の話で、カンフー技もそれにちなんだものが多くて笑えます。ちなみに、戦乱で焼けた皇覚寺(現龍興寺)は、朱元璋によって再建されてます。
映画『敦煌』もこの時のエピソードですね。
敦煌は北宋の頃だから、この時代より300年近く前の話です。
說他是暴君,不正確。老百姓愛他愛的要死,貪官污吏恨他恨的要死。
朱元璋は毛沢東と似ているからか
@@mentaiko-pasta朱元璋が粛清したのは腐敗官僚や功臣やぞ下層民や農民にはずっと優しかったんや
うん、優しい方だよ。大粛清も彼だけの非ではないはずだ。
劉邦→朱元璋→毛澤東,啊哈哈,原來是一脈相承的啊
中学生の頃「信長、秀吉、家康がやった事を1人で成し遂げた」とか副題があった本を読んだ事が有ります。
南の勢力として天下統一して皇帝になったのは後にも先にも朱元璋ただ一人
ドラマの朱元璋、どこかで見たことがある顔と思ったらレッドクリフの趙雲だった
こんなに粛清しても、まだ人材が埋まってるのかすごいな中国
「燃えよデブゴン・出世拳」でサモ・ハン・キンポーが演じたりしましたが、日本語吹き替えでは例によってデブゴンと呼ばれてましたが、実際にデブゴンとか呼んだら命はないだろうということは分かります
秀吉みたいな感じかしら?
信長と秀吉と家康を1人でやった英雄
肉刑禁止=即処刑
なんと慈悲深い(白目)
この手の話で「船」は付きものだけれど、その当時、万の人を運べる量の船を作るほどの木材、技術があったのだろうか?あと十万とか百万とかの人ってどこから連れてきたんだろうね。勘合貿易っていう日本から明に対してのカツアゲもありましたね。開墾を推奨しても当時の秀吉ら日本の支配層には「かの土地は城が点在しており、多くは未開の地」との認識だったから、真面目に開墾もしていなかったんだろうね。この手の外国の歴史について、日本人はすぐに「日本と同じような文化や風土がある」なんて勘違いするんだけれど、ぜんぜんレベルが違うから罠に陥りやすい。
宋代の時点で四百トンの沈没船が見つかってますし、少し後の時代になりますけど永楽帝の時代の鄭和の遠征に使われた船のうち1番大きいものは八千トンあったと言いますので余裕であったのでしょう人口の件も日本の20倍の土地があり島国の日本と違って人の出入りがしやすい大陸なら割と何万人も集まると思います。何があっても朱元璋の家族のように流民になってまた別の所の勢力に付くだけでしょうしまた日本の支配層が中国が未開の地という認識は自ら見たわけでも無いのに恐らく商人の又聞きの情報だけで適当な判断をしてしまうと言う当時の日本の支配者層の無知さを表しているエピソードなのではないでしょうか?
@@あああわ-q1z秀吉が遠征した時代なら宣教師達の情報もありスペイン ポルトガルの世界への侵攻明の衰退期の情報 とか得ていたのではないかと推測しますが如何でしょう。
@@kuruko676 この時代のこと色々調べたら万暦帝とか言う役人の補充すらしないヤバすぎる奴が出てきたのでもしかしたら暗愚な皇帝が適当な政治してて国が荒れてるみたいな情報は得ていたのかもしれませんねスペインの侵攻に関しては秀吉が情報を得ていたかは不明ですが当時イベリア半島でポルトガルがスペインから分裂し国内がゴタゴタしていたので動きが鈍った所に自分達の強さを見せつけようとした意図はあるかも知れませんそれでも人口差5倍以上の国に加え朝鮮半島と参戦を明側が断りましたが満州族が加わるかもしれない国に喧嘩を売るのは少し無謀だと個人的には思ってしまいます
蒲鮮万奴の動画も作ってね❤
農村部の疲弊から、農民の代表として王朝を開いたが、結局農村部の疲弊がもとで滅亡した明王朝。なんか現代に通ずるものがあるのでは…。
他所動画にて、息子から弾圧について意見された際、お前に握らせる事になる杖(権力)からトゲを抜いているのだから、我慢しなさい。と強弁したそうな。問題は、別の息子が帝位を強奪する展開を警戒していても、妻に死なれて肉親殺しを忌避した点。
現在の中国人が最も憧れてるのがこの朱元璋であり実在した聖人として最も敬愛されてるのがその腹心だった劉基
中国のテレビドラマ、香港映画で活躍しているフー・ジュン/胡軍を朱元璋役に起用したのは正解だった。
大虐殺やってどうして「名君」になるの?
清の三台目皇帝順治帝は「中華の皇帝の中で洪武こそ最も名君あると思う。彼の定めた条例や章程は規則の鑑であり周密である。歴代の名君は洪武には及ばない」と評してます。大虐殺は擁護できないにしても、五代十国から元朝に至るまで中華の脅威になっていた異民族を追い払い中華を再び統一した功績は英雄と呼ぶに相応しいものであり、官僚や地主層の人々を虐殺した一方農民には非常に優しい政策を取っていたため、市民には絶大な人気もあります。
元の時代に荒れ果てた農村を復興させるために農民にはかなり寛容な政策をしてるよ、あと小規模商人にも優遇措置取ってるただ大商人と知識人は個人的に嫌いだから冷遇しまくったけど
実際大虐殺の元で民は増え続けて数年で元の最盛期の人口を超えてる。民にとってはマジで名君、役人商人にとっては悪魔
彼を「名君」と呼ぶ人だけが生き残ったから、、、
出た...粛清お爺さん
あまり民間人にはてを出さなかったのはあまり知られていないのでは
徳治の名君と殺戮の暴君を使い分ける、バランス感覚のある為政者だな。
申し訳ない、解説に固有名詞多すぎて内容が頭に入ってこない、、、。単調でゆっくりの話すスピードも相まって念仏みたいに聞こえる。小見出しで区切りながらやるか、あんま関係ないものは省いてもいいんじゃないかな。
朱元璋を先に観てもいいし、奇皇后を先に観てもいい。DVD出てる。
朱元璋=劉備、曹操、孫権のモデル劉基=諸葛亮、荀彧、周瑜のモデル二人の戦いを描いたのが、三國志演義最後の粛清は…
これを聞いた後年の日本人「え‥まるで小田原征伐からの、太閤殿下やん。生まれも似たよったりだし。秀次公を追放切腹させたて、残った一族郎党を血祭りにあげたり‥」
みんな大好き朱元璋、今日はなんの(どのように処すか)日、ふっふう💕………おとこはアゴで語るものだ。
ん?この朱元璋、趙雲にして項羽だった人?
秀吉の上位互換
コーエーの某ゲームでやたら政治の高い謎の人のイメージ
不正の 嵐?
朱元璋、ポンちゃんの方が似てたな
歴代最高の光と闇を持つ皇帝
陰謀のつるべ打ちやで!
名君じゃねえだろ
農民に対してはかなり寛容な政策を取った名君なんだよなぁなお本人の個人的憎悪から商人と学者にはクッソ厳しかった模様
倭寇は別に日本のせいではないけどな
喜多のあの国に似てんな
毛沢東にはかなわんやろ
毛沢東に関しては普通に国民すら殺しまくってるので比べるまでもない
闇落ちおじさんだけど兵士と大衆だけは敵に回さない賢明さは最期まで消えなかったから
国土の復興と夷狄への防備って中華の聖天子の条件はしっかり満たしてる評価に困る人
朱元璋の大虐殺はしっかり意味があるし、大虐殺の前は話せば分かるはずという考えで何度も対話を試みてたんだよね……
す😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊
近代以前中国史唯一の南からの中華統一を成し遂げた怪物はやはり桁が違った。
大虐殺をした名君という矛盾が有り得てしまう驚くべき人物
三国志でさえ名士と君士の戦いと言われ最後は名士である司馬氏が勝ってしまってるから功臣の粛清は免れ得ない。どうしても功績には恩賞が幾らあっても足りないから、湯和や張良、蕭何や范蠡のように一歩控えるのが家臣団の仕事であるのに、ただの傭兵には果たせず結局足を引っ張る者になると後になって分かる。藍玉なんか初めから粗暴で罪ある者に功を立てさせよという性善説を信じたばかりに悪名に化けたのだから、しょうがない事だと思う。むしろ馬皇后や朱票という良心が押し留めてしまい遅らせたのだろう。これは常に人類史を覆い尽くすほどの歴史の闇だ。
常に二番手を押さえ込まなければその更に下が虐げられるから名君ほど悪名は免れないと、どの立場で話すかでも評価が変わるから士大夫は歴史を残しメディアに悪評を流す結果になるだろうから矛盾しているように見えるのだ。矛盾というのは起こり得ない事を言う。
冷徹な傑物には違いないです。ただ没後の「靖難の変」を予見しながらも防げなかったのが残念。孫の建文帝と四男燕王(永楽帝)との争い。
孫のために四男の権力を削ぎ落し「燕王には気をつけろ」と警戒してましたが。結局孫が行方不明(実質殺害)になる始末。
最初から四男を粛正しておけば良かったのに幼少期の家族離散の経験から、親族が協力し合う幻想を捨てきれなかった所に人間味を感じます。
親族でも容赦しないという意味で朱元璋よりも永楽帝の方がよほど恐ろしいです。
ただその晩年のミスで、永楽帝の元で明は栄えるという笑
良くまとまっていて分かりやすかったです。最後の農民からみたらどうだったんだろうという視点は秀逸ですね。そういう意味ではやはり皇帝にふさわしかったのかも。
朱元璋は豊臣秀吉と人生がほぼ同じですね。農民からトップに成り上がって、トップになってから性格が急に変わる、、、
厳密にいうと天下統一前から前兆はあった
でもそこは馬皇后と朱標が止めてた
朱元璋の場合、妻に先立たれ暴走し、豊臣秀吉の場合、母、妹、弟、我が子に先立たれた事で暴走したからな。
政治的に悪名を着せられるようになっただけだ。この頃には既に唐代から歴史にどう残るかをかなり気にしていたのでそれを分かった上での腐敗する士大夫に対する、舐めんなという粛正だから。朱元璋はそもそも農民だから上級国民の農民いじめは絶対許さない。
ほんと悲しい。
豊臣秀吉が天下統一してから人格変わったという神話は戦後からの創作だけどね
戦前にはそんな話一つもなかった
李善長「漢の高祖の真似をしなさい」
粛清まで真似せんでいいのに…
是非、包青天の解説をお願い致します。
映像は大明帝国朱元障を使っているんですか?
劉邦も尊敬していたとされる戦国時代の信陵君解説してくれたら嬉しいです😃
劉邦と朱元璋を輩出した、沛県すごいな
劉邦は育ちは沛県だけど魏の生まれで魏の滅亡後に一家で沛県に移り住んだって説もあるね
中国の県は日本で言う市の小ささだから本当に凄い 逆に中国の市は日本で言う県である 例重慶市北京市天津市上海市
😯😄🦃😯😅
見てて思ったのはフランス革命のロベスピエールと似ているなって感じ。
不正を許せない気持ちは正しいが100%完璧に取り締まろうとすると必ず冤罪を生み出す。
どこかで「ここが現実的な限界だろう」という良い意味での諦めが必要なんだけどそれが出来なかったんだろうな。
ただ明による統一前から内部では派閥争いが激化してたし不正腐敗は進んでた
朱元璋自身は不正腐敗による苦しみを受ける側の身分だったから本人は不正腐敗を憎悪してた
朱元璋の大粛清、フランス革命は後のスターリン、ヒトラー、ポル・ポト、毛沢東の大量虐殺の幕開けかもな。
新たな都知事は清濁併せ呑むでしょうか、自衛隊を掌握してトップダウンで既得4権を洗濯されたら❤国民政府はまともになりえるのかな😅
官吏の不正絶対に許さないマン。
それが近代まで続いていたら、いまとは違った中国があった気がするw
先元障は1328年生まれだから足利直冬や細川頼之と同世代に
なるんだな
こう書くとあれかもしれんが…
「中華に朱元璋あり」
そしてそれと誤差して
「日本に豊臣秀吉あり」
天は「地の底から天を掴むが如き大変化を望んでいた」のかもしれない。
まあ…その秀吉が朝鮮出兵、ひいては明まで進攻しようとしていたとなれば「おい待てい!」ってツッコミは否定できんだろうけど。
赤壁の戦いは、鄱陽湖の戦いをモデルにして創作/脚色 されたとされてますね。
「食」に関する逸話も多いようです。幼年、少年時代の気持ちを、良くも悪くも持ち続けた
のでしょう。昔、世話になった人たちには報いていった話が心に響きます。
しかし、総じて敢えて多くの人命を屠った事例の方が多いし、その最後やのちの経過は
必然ですが辛いものと言えます。
自分が僧侶になる際にその面倒を見てくれた隣人一家には天下統一後に永年官僚の地位を与えたという
粛清しすぎて官僚機構が機能不全になりそう。
粛清前に人員揃えてるあたり皇帝に忠実な官僚組織を作るための大粛清説もある
後の清朝で順治帝から歴代中華王朝の中で最も優れた君主と評され、康熙帝からは"治、唐宋より隆し"と贈られてる程の人なので評価は歴代皇帝の中でも非常に難しいのがよくわかります
名君の評価は、聖母様である馬皇后のおかげもある。
徳というのは、やはり必要ではあるが、全ての人に通用するとは限らない。
また、徳を信奉する人は、他人の不徳を許せないのだろう。
朱元璋は潔癖症、完璧主義のイメージがありますね。
ポルポト味を感じます。
根気強く改心させようとしたのを嘲笑うように腐敗し続けた功臣や地主を見たら、そりゃ誰が明の創業者だったとしても粛清してるって
逆にしてなかったらヤバかった
サムネの異様な顔面を特殊メイクでカッコよく仕上げやつ好き
彼の経歴が当時の日本に伝わっていたかは分かりませんが、もし伝わっていたとすれば豊臣秀吉が自分の目標にした可能性もありますね。
あと彼を題材にした映画で変わり種は『デブゴンの太閤記』(日本でTV放送された時は『燃えよデブゴン 出世拳』)がありますね。題名通りにデブゴンことサモ・ハン・キンポー主演で、後の妻となる郭子興の養女の馬氏と一緒にカンフーで戦う明るい話(でもラスト近くで少し暗くなる)で最後に皇帝になったデブゴンのシーンで終わる映画でした。
原題「臭頭小子」ですね。まだ坊主の時代の話で、カンフー技もそれにちなんだものが多くて笑えます。
ちなみに、戦乱で焼けた皇覚寺(現龍興寺)は、朱元璋によって再建されてます。
映画『敦煌』もこの時のエピソードですね。
敦煌は北宋の頃だから、この時代より300年近く前の話です。
說他是暴君,不正確。老百姓愛他愛的要死,貪官污吏恨他恨的要死。
朱元璋は毛沢東と似ているからか
@@mentaiko-pasta朱元璋が粛清したのは腐敗官僚や功臣やぞ下層民や農民にはずっと優しかったんや
うん、優しい方だよ。大粛清も彼だけの非ではないはずだ。
劉邦→朱元璋→毛澤東,啊哈哈,原來是一脈相承的啊
中学生の頃「信長、秀吉、家康がやった事を1人で成し遂げた」とか副題があった本を読んだ事が有ります。
南の勢力として天下統一して皇帝になったのは後にも先にも朱元璋ただ一人
ドラマの朱元璋、どこかで見たことがある顔と思ったらレッドクリフの趙雲だった
こんなに粛清しても、まだ人材が埋まってるのかすごいな中国
「燃えよデブゴン・出世拳」でサモ・ハン・キンポーが演じたりしましたが、日本語吹き替えでは例によってデブゴンと呼ばれてましたが、実際にデブゴンとか呼んだら命はないだろうということは分かります
秀吉みたいな感じかしら?
信長と秀吉と家康を1人でやった英雄
肉刑禁止=即処刑
なんと慈悲深い(白目)
この手の話で「船」は付きものだけれど、その当時、万の人を運べる量の船を作るほどの木材、技術があったのだろうか?
あと十万とか百万とかの人ってどこから連れてきたんだろうね。
勘合貿易っていう日本から明に対してのカツアゲもありましたね。
開墾を推奨しても当時の秀吉ら日本の支配層には「かの土地は城が点在しており、多くは未開の地」との認識だったから、真面目に開墾もしていなかったんだろうね。
この手の外国の歴史について、日本人はすぐに「日本と同じような文化や風土がある」なんて勘違いするんだけれど、ぜんぜんレベルが違うから罠に陥りやすい。
宋代の時点で四百トンの沈没船が見つかってますし、少し後の時代になりますけど永楽帝の時代の鄭和の遠征に使われた船のうち1番大きいものは八千トンあったと言いますので余裕であったのでしょう
人口の件も日本の20倍の土地があり島国の日本と違って人の出入りがしやすい大陸なら割と何万人も集まると思います。何があっても朱元璋の家族のように流民になってまた別の所の勢力に付くだけでしょうし
また日本の支配層が中国が未開の地という認識は自ら見たわけでも無いのに恐らく商人の又聞きの情報だけで適当な判断をしてしまうと言う当時の日本の支配者層の無知さを表しているエピソードなのではないでしょうか?
@@あああわ-q1z
秀吉が遠征した時代なら宣教師達の情報もあり
スペイン ポルトガルの世界への侵攻
明の衰退期の情報 とか得ていたのではないかと推測しますが如何でしょう。
@@kuruko676 この時代のこと色々調べたら万暦帝とか言う役人の補充すらしないヤバすぎる奴が出てきたのでもしかしたら暗愚な皇帝が適当な政治してて国が荒れてるみたいな情報は得ていたのかもしれませんね
スペインの侵攻に関しては秀吉が情報を得ていたかは不明ですが当時イベリア半島でポルトガルがスペインから分裂し国内がゴタゴタしていたので動きが鈍った所に自分達の強さを見せつけようとした意図はあるかも知れません
それでも人口差5倍以上の国に加え朝鮮半島と参戦を明側が断りましたが満州族が加わるかもしれない国に喧嘩を売るのは少し無謀だと個人的には思ってしまいます
蒲鮮万奴の動画も作ってね❤
農村部の疲弊から、農民の代表として王朝を開いたが、結局農村部の疲弊がもとで滅亡した明王朝。なんか現代に通ずるものがあるのでは…。
他所動画にて、息子から弾圧について意見された際、お前に握らせる事になる杖(権力)からトゲを抜いているのだから、我慢しなさい。と強弁したそうな。問題は、別の息子が帝位を強奪する展開を警戒していても、妻に死なれて肉親殺しを忌避した点。
現在の中国人が最も憧れてるのがこの朱元璋であり
実在した聖人として最も敬愛されてるのがその腹心だった劉基
中国のテレビドラマ、香港映画で活躍しているフー・ジュン/胡軍を朱元璋役に起用したのは正解だった。
大虐殺やってどうして「名君」になるの?
清の三台目皇帝順治帝は
「中華の皇帝の中で洪武こそ最も名君あると思う。彼の定めた条例や章程は規則の鑑であり周密である。歴代の名君は洪武には及ばない」
と評してます。大虐殺は擁護できないにしても、五代十国から元朝に至るまで中華の脅威になっていた異民族を追い払い中華を再び統一した功績は英雄と呼ぶに相応しいものであり、官僚や地主層の人々を虐殺した一方農民には非常に優しい政策を取っていたため、市民には絶大な人気もあります。
元の時代に荒れ果てた農村を復興させるために農民にはかなり寛容な政策をしてるよ、あと小規模商人にも優遇措置取ってる
ただ大商人と知識人は個人的に嫌いだから冷遇しまくったけど
実際大虐殺の元で民は増え続けて数年で元の最盛期の人口を超えてる。
民にとってはマジで名君、役人商人にとっては悪魔
彼を「名君」と呼ぶ人だけが生き残ったから、、、
出た...粛清お爺さん
あまり民間人にはてを出さなかったのはあまり知られていないのでは
徳治の名君と殺戮の暴君を使い分ける、
バランス感覚のある為政者だな。
申し訳ない、解説に固有名詞多すぎて内容が頭に入ってこない、、、。
単調でゆっくりの話すスピードも相まって念仏みたいに聞こえる。
小見出しで区切りながらやるか、あんま関係ないものは省いてもいいんじゃないかな。
朱元璋を先に観てもいいし、奇皇后を先に観てもいい。DVD出てる。
朱元璋=劉備、曹操、孫権のモデル
劉基=諸葛亮、荀彧、周瑜のモデル
二人の戦いを描いたのが、三國志演義
最後の粛清は…
これを聞いた後年の日本人「え‥まるで小田原征伐からの、太閤殿下やん。生まれも似たよったりだし。秀次公を追放切腹させたて、残った一族郎党を血祭りにあげたり‥」
みんな大好き朱元璋、今日はなんの(どのように処すか)日、ふっふう💕
………おとこはアゴで語るものだ。
ん?この朱元璋、趙雲にして項羽だった人?
秀吉の上位互換
コーエーの某ゲームでやたら政治の高い謎の人のイメージ
不正の 嵐?
朱元璋、ポンちゃんの方が似てたな
歴代最高の光と闇を持つ皇帝
陰謀のつるべ打ちやで!
名君じゃねえだろ
農民に対してはかなり寛容な政策を取った名君なんだよなぁ
なお本人の個人的憎悪から商人と学者にはクッソ厳しかった模様
倭寇は別に日本のせいではないけどな
喜多のあの国に似てんな
毛沢東にはかなわんやろ
毛沢東に関しては普通に国民すら殺しまくってるので比べるまでもない