【BS11】偉人・敗北からの教訓「第56回 藤原道長と頼通 摂関政治の盛衰」2024年8月24日放送分見逃し配信
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- เผยแพร่เมื่อ 12 ก.ย. 2024
- 飛鳥時代から400年以上にわたり、日本の政治の中心にいた藤原一族の敗北から現代に通じる教訓を探る。藤原氏は645年に蘇我氏を滅ぼした大化の改新の功労者、中臣鎌足が天智天皇に藤原姓を賜ったことに由来する。平安時代、藤原氏は一族が摂政、関白職を世襲し、政治の実権を独占し続ける政治体制、摂関政治を確立。その最盛期を導いた道長は3人の娘を次々と天皇に入内させ、藤原氏の権力を絶対的なものにした。
道長の嫡男・頼通は父にならい、摂関政治を継承し、更なる発展を目指す。結果、50年もの長きにわたり、摂政、関白として君臨し、政治を主導し続けた。ところが、この頼通の時代を最後に摂関政治は衰退し、天皇が自ら政治を主導する親政の時代が復活する。この世に並び立つものがないほどの栄華を極めた藤原氏。その全盛期はなぜ、あっけなく終焉を迎えてしまったのか?
白河天皇の時代に関白となった師実は天皇との協調路線をとったこともあり、以後、摂関家は道長・頼通の直系に継承される。一族最大の危機が訪れたのは頼通の玄孫の時代。忠通と頼長の兄弟が摂関の地位をめぐって対立し、やがて、保元の乱が勃発。さらに平治の乱を経て、武家政権が誕生すると、摂関家は5つの家に分かれ、幕末まで公家社会の中での影響力を保つ。藤原氏がこの国にもたらしたものとは?
(2024年8月24日放送の期間限定見逃し配信です。)
#BS11 #藤原道長 #藤原頼通 #紫式部 #平安時代 #室町幕府 #室町時代 #安土桃山時代 #江戸時代 #明治時代 #戦国時代 #歴史 #日本史 #偉人 #伊東潤 #中西悠理
【出演】
解説:伊東潤(歴史作家)
進行:中西悠理(キャスター)
【配信期間】
2024年8月24日~9月16日まで
📌BS11の「歴史」関連動画をチェック!
• 歴史「偉人・敗北からの教訓」ほか
【番組情報】
全国無料放送BS11「偉人・敗北からの教訓」
📺毎週土曜日 よる9時00分~9時55分放送
番組公式HP:www.bs11.jp/en...
<番組詳細>
「敗北」「失敗」から、偉人の人物像に迫る!
毎回、偉人たちがおかした「歴史的な大失敗」から、その背景、要因、影響などを読み解き、
偉人の人物像を浮き彫りにするとともに、今を生きる私たちの教訓としていく新しい歴史バイオグラフィー。
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いつも恥ずかしいぐらいに新鮮な気持ちとなります(へぇ~ばかり言いながら見てます。)。
ありがとうございます。
今回の藤原氏のお話を視聴しつつ、学生の頃の消えかかっているおぼろげな歴史の授業の
記憶と擦り合わせておりました。(現在の我が国の政権と対比してしまいました。)
今回の教訓の『時代の変化を捉え新たな戦略を練る』は、地球温暖化問題など目まぐるしい変化のある現代社会では、重要な考え方だとおもいました。
また、藤原摂関家のことがよくわかりとってもよかったです。
「血縁で継ぐことにあまりにも慣れすぎている。それが今まで続いているということは非常に大きなことです。」、「何よりも一家の繁栄を望み続けた藤原一族、その思想はこの国のあらゆるところに受け継がれ今日まで続いているのです。」
道長がすごかったのはしってましが、つぎの頼道さんで栄華が終わったんですね もっと続いていたかと思ってました
それでも頼通さん50年つづいたのか 勉強になりました
道長が運良く子沢山で、娘の彰子も二人の皇子に恵まれ、あまりにも父道長の完璧なまでの成功体現を目の前で見てきたが故に、頼道は外戚政治以外の模索を考えようともしなかったのかなと思いました。
しかも、父の道長が引退後も口出し、母の倫子も姉の彰子も80歳代まで長生きして。周りは外戚政治の信奉者なら尚の事と思います。
下から這い上がる経験をしないと強くなれないのかな?
シャープがあまりにも液晶パネルの成功体験にこだわり過ぎて、大型化ばかりに専念し他の事業の開発をおろそかにしたため、低価格化の外国企業に負けた事を思い出しました。
ためになる情報を有難うございました。
恵美押勝(藤原仲麻呂)ってもう取り上げられましたっけ? もし、まだのようでしたら宜しくお願いします🙏
大河のおかげで名前が出ると役者の顔が浮かんできますね
道長は父が摂政、姉が皇太后であったことで昇進が容易であり、さらに倫子と明子という高い身分出身で権力と財力にもめぐまれた妻がいた。姉詮子との親密な関係、ライバル伊周の失脚も重なった。娘彰子が入内しなかなか皇子を産まない時期は、定子の子敦康親王を擁護し、万一彰子に男児が産まれなかった際の自身の保険ともしている。こういう全てが複合して彼は外祖父として絶大な力を発揮した。道長は幸運にも恵まれたが、それ以上に自身の策略を十二分に巡らしている。それに対し頼通は父の描いたレールをただ走り父のやり方を踏襲している感が強い。時代も変化し、貴族の主導する政治から天皇武士も交えたさらに複雑な政治情勢の時代にと変わって来ていた。その時代の変わり目にいた頼通は、前時代の政治体制から逃れられない分だけあくまで平安貴族の属性を持ち続けた人だったのだろう。続く院政、そして武士の世まで大きく変貌を遂げる時代の狭間にいた人という感を持つ。
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確かに政治の主役は藤原→院政→武家政権へと移行したが
そんななか摂関家として幕末まで君臨できたのだから藤原一族は勝ち組なのでは?
単に、血縁関係が濃すぎて、子孫を授かれなかったのでは?
摂関政治を終わらせ院政を始めた白河上皇に院政成立のヒントを与えたのが、道長の長女であり頼通の姉である彰子という歴史の皮肉。つまり、彰子は父が完成させた摂関政治にとどめをさした。
藤原一族恐るべし
でも藤原家は勝ち組
今も子孫居ても悠々自適に暮らしてるだろう😊
古代亭人の末裔?
伊周も取り上げてほしいわ
藤原道長の良き理解者
姉藤原詮子
伊東さんがアナザーストーリーでおっしゃっていた武家政治と朝廷・公家社会の二頭政治はちょっと想像しにくいですが、日本のように長く(約700年)武家政権(軍事政権)が続いた国は他にないですよね。その意味ではそのような二頭政治が理想だったかもしれません。
縁戚関係結ぶことが権力につながるからというのはわかるが徹頭徹尾、都どころか宮中の中しか見えてないってのがよくわかってそりゃ律令制も綻んで千年以上続く武家政治に取って代わられる罠と思った
現代が権力闘争しかしていない時代というのには異論がないと思いますけどw戦国時代も「武力」を用いての権力争いですよねえw
歴史は勝者の創作も入ってることを忘れては成らない。GHQのように。
平安時代の公衆衛生は今では考えられないくらい酷いものだった。それを思うと憧れみたいな気持ちはなくなる😅
ちょっとちがうな。
頼通は我家の視線しかなかった、仲間は多いのに。明子の系統には男子も女子もいた。そちらと合わせて、組んでいれば、また違っていたかもだ。道長がそれを許さなかったことが、道を狭めてしまった。血統、親族ではなんの問題もないのに、家という目線しか見てなかったことが、、ではないかな。
道長が万一を考えて敦康親王を囲い込んだように頼通が尊仁親王を冷遇せず囲い込んでいれば事情は違ったはず。人間力、力量の違い。
与党は耳が痛いね。
小泉、石破、河野と世襲ばかり。そもそも、安倍、麻生も首相の孫。
頼通がお公家顔してる岸田総理と重なってみえる(無能という共通点で🤭)😂