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近藤勇「薩摩の初太刀は外せ」一般隊士「無理でした」みたいな恐ろしい世界
示現流の理念が「一太刀で仕留めろ。初撃を外したら潔く死ね」だからね言葉通り二の太刀いらず
日中戦争でも初太刀で民国兵のヘルメットごと叩きわって殺したりしてるの草すぎる
???「究極の一は最強だからね、仕方ないね」
相手が防御したらそれごと叩いて確殺とかいう最強戦術。
戊辰戦争で生き残ったから「無敵」という苗字の人がいるやつ好き。
なお、最新の研究によりイギリスに魔法留学していた可能性が出てきた模様
薩摩寮は嫌だ薩摩寮は嫌だ
薩摩藩!!!!!
???「エ゛クズペリア゛ーーーッ!!!」
???「チェストーーー!!」
@@neko5392 チェストの魔法って脳天唐竹割りになるんですかね?w
あの時代のイギリスに勝ったの意味わかんなくてほんとおもろい
文系や事務作業員ですら弓道たしなんでるからね運動部も文化部も教師もヨボヨボのおじいちゃん校長も用務員さんも全員武術ができる学校みたいなもん
確かに薩摩隼人は滅びたかに見えるが、次の国難には再び立ち上がって、この国を救ってくれるものと信じたい。
赤髭フリードリヒみたい。まぁ溺死者個人が蘇るよりは、薩摩ッポの集団意識蘇生の方が確率は高そう。
ワイ鹿児島県民、「薩摩ホグワーツとは?」を調べる中で「薩摩藩士は死を恐れなかった」だとか「バーサーカーだった」だとか、極めつけは・防御一切無し、・「抜刀」と「打ち下ろし」のふたつの技しかない「薬丸自顕流」という気狂い剣術を初めて知れたので薩摩男子としてかなり嬉しいというか、誉れかくありたい
ワイ鹿児島県民先祖がそれなりの土地を持っていた農民だが、未だに刀を受け継いでいる模様ちゃんと登録はしてある
@@user-lu6ys8tg1h 返信ありがとうございます!もしかして薩摩拵(こしらえ)とかいう叩き斬ることに特化した刀ですかね!?
@@user-ur3fj3tl7b 刀の事は詳しく無く分からないのですが、とにかく黒くてシンプルと言うか地味だった印象です長いのと少し短い奴の2本ありました
@@user-lu6ys8tg1h 薩摩拵は無駄な装飾が一切なく、持つところ(柄)が普通の刀とは逆の方に反っていると聞きますもしお持ちの刀が薩摩拵えだとしたら、とても羨ましい!(ねだりはしないのでご安心を笑)
@@user-lu6ys8tg1h 流石人口の三分の一が武士だった、とも言われる薩摩藩の末裔ですね😅登録してある、と言うことは刀の御手入れもちゃんとなさってる?
新撰組に「薩摩の初太刀は外せ」という言葉が広まったのかっこいい
二の太刀はないと言われているから、かわされたら切られるな。
示現流見れば解るけど、型も足裁きもクソも無く力任せにぶった斬るように突っ込むから、外すと体勢が崩れて的になる
あの夢を壊すようですが残念ながら初太刀を外せは司馬遼太郎の創作の可能性があります。実際、示現流や薬丸自顕流の稽古の立木打ちや横木打ちは連打するモノですし。
初太刀を受けたら鍔が額に食い込むからな…
薩摩藩士とやり合って生き残った新撰組志士はたった4人しかいない。土方·斎藤·永倉とあと1名😱
生麦事件でエゲレス人を切り捨てた楢原って武士がスゲー。薩英戦争のとき「楢原ドコダー、身柄を渡せ」というエゲレス鑑にスイカ売りに化けた楢原が乗り込んできて、「楢原ドコダー」という隣に当の楢原がいるの面白い。
なんかギャグ漫画の一コマのようだ…😆
@@user-ug3wq4sf7u 関ヶ原で大ピンチになりました、じゃあ敵陣中央に突っ込んで切り抜けて、徳川本隊だけギリ脇をすり抜けたら良くね?殿様一人が帰着出来たらイイからみんな揃って「ここは俺に任せて先に行け❗️」いよいよやばくなったらライバル来て、「お前を倒すのは俺だ❗️他の雑魚にやられんじゃねぇよ。」と護衛してくれちゃう。と、リアルでラノベ展開やらかす連中だからね?😂
楢原でなく奈良原、兄弟で火付けをしている点で海江田兄弟と似ますな。薪(攘夷意識)にガソリンぶっかけて(生麦事件)、艦隊使った乗り込み強請を企んだブリカス側に開戦責任が在る事は自明ですけど。
後の陸軍大将と総理大臣がスイカ売りのフリしてイギリス軍艦にカチコミしに行った話好き
近藤勇「中村半次郎を見たらシカトしろ」「河上彦斎は見るな」「岡田以蔵も見るな」
薩摩の北に住む原住民ですが「南には行くな」と言う意識がDNAに刻まれています
17年前に鹿児島市に住んでいましたけど、やっぱあんな雰囲気はよくないですわ。九州北部の人はとても優しくていい人ですけど、鹿児島市の人はかなり硬いですね。
鹿児島県に親族居るから遊びに行って、関西弁で喧嘩してたら薩摩隼人にドン引きされたんですが・・・( ; ; )
薩摩藩ネタ見ると、定期的にドリフターズが見たくなる
そして、続きが欲しくなる〜😭
妖怪首置いてけ~~~~笑
示現流の始祖は東郷重位だから豊久公から暫く後の世界です当時南九州はタイ捨流が主流ですあんまり示現流と大差ないと思いますまた、斬撃に特化した野太刀が使われていました
ド、ド、ド、ド ドリフの大爆笑
ついてついておしておしてはたいてはたいて最後は何とか(忘れたw)
敵を斬るか自刃するかの2択しかない剣術ヤバすぎる。
鬼の方が優しいからそうなってほしくて鬼島津って呼ばれたって嘘話好き
島津豊久は絶世の美男子だったらしいね
郷中教育を受けました。10歳から始まって、14歳まで。毎晩、舎という公民館のようなところに集まって、机を並べて勉強。OBの大学生が教えに来てくれる。9時頃に勉強が終わったら、毎晩1時間近く、関ケ原や維新の話。解散前に、『ああ玉杯に花うけて』の替え歌。「乱れる世にも花は咲く」といった具合。日曜日は柔道かたまにソフトボール。それから舎の掃除。入った初日に習ったのは、薩摩の少年の鉄の掟である『負けるな。嘘をつくな。弱い者をいじめるな』。それから『先輩には絶対服従』。ただし、後輩に無理な命令をすると、掟の『弱い者をいじめるな』に抵触したと判断され、庭に引き出されて竹の棒で叩かれる。泣いても簡単には許してもらえないくらい、いじめには厳しかった。普段は先輩後輩、仲良くやっていて、ほんとうに親しい先輩には『君づけ』で呼んでもよい文化があった。そんな感じ。
住んだ事は有りませんが本籍地が霧島市隼人町です。そこの小浜という村に祖母と伯母夫婦が住んでました。たまに鹿児島に帰ると違和感・場違い感を覚えました。付近に住む親戚一族は大変荒っぽく、少し付き合い辛いものを感じてました(方言も全く解りません)。夏休みは加治木護国神社に行って薬丸自顕流を散々稽古させられました。ちなみにうちは軍人一族で、祖父・父は旧職業軍人、私も元陸上自衛官です。
鹿児島の一部にある荒っぽさを擁護するつもりはありません。居心地が悪くても仕方ないだろうなと思います。たとえば同級生の間でも、そういう一群があり、彼らとはつきあえないという人もいます。私はどちらもいけますが。私の家も、母方は軍人でした。祖父は陸軍幼年学校出身で、親戚に将官で終戦を迎えた人もいます。父方は軍人ではありませんが、西南戦争、日露戦争、もちろん太平洋戦争に従軍した人もいたようです。
「やたらと悪知恵が回るタイプのバーサーカー」が実像に近い。
人望のある御殿や偉人輩出してる。島津の退き口とか、何ならライバルまで来て守ってくれちゃう始末。銃器の効率的運用も、当時から状況考えると普通に頭いい人の使い方。但し、過酷な土壌で培われた強壮な肉体と倫理観や道徳観がヤベー連中、という感じですね。
「一人10人殺してから死ね」はクソ笑ったww
ほんま草生える10キル1デス
スマspのマルスやん
脳筋というより、教育システムが凄かった。一般人が皆強いのは当然で頭が良くて人を惹きつける人間がしっかり評価されて、歳関係無く先生と慕われる教育システム。
前川先生のタビ好きでも鹿児島のロケの時だけ村人達から殺気にも似た異様な空気感漂ってたけど今思えば戦士の血を引いた子孫達だったんだろうな…
薩摩隼人もバーサーカーだけど、鎌倉武士の方がもっと狂戦士なイメージ。14万の大軍見て、よっしゃ恩赦だ殺せぇ〜〜〜〜、でモンゴル押し返してモンゴルが撤退しても追いかけ回すバーサーカーぶり大好き。
モンゴルもモンゴルで結構えぐかったんだっけ?
@@user-pq4oe3xn2d 住民を人質に取って手に穴を空けて鎖で繋ぎ、船の舷側に並べて縛り付け日本軍に対しての人間の盾にしたらしい・・・まぁ鎌倉武士は「は?住民?盾?んなの関係ねぇ」と人質無視して矢の雨降らしたらしいが、あと元軍が上陸した所で住民を捕まえ略奪して物資を調達していると聞いて、そんな事をされるくらいならいっそ先に俺たちがやってやると、武士が街を襲って略奪して焦土作戦やったらしいが、どうにか武士達に恐怖を与えて士気を下げようと、武将らしい人の首を斬ってそれを掲げて脅したら・・・誰一人脅えずに反対に首を奪い返しに武士が殺到してきて、元側にとんでもない被害が出たとか、そんな話は聞いたことがある
屈強な狂戦士が昼夜問わず攻め続けてくる話好き学校では奇跡的に台風きてモンゴルを追い返したって聞いたのに全然違った
量産型?の某【島津の若様】が数百人現れ『頚ぃ...大将クビぃ...』と嬉々として昼夜問わず 襲いかかってくるという恐怖。『善人も 悪人も 頚だけになったら 皆 仏。そして 偉いヤツの頚を捕るは 誉れ。だから 頚 ヨコセ...(ニッ...ゴリ)』
ちなみに元寇の時に一番初めに突撃したのは薩摩隼人の一派で、それ以降も何度も襲撃しとる
しかも鹿児島弁が難解なのは暗号の意味合いもあったとか…
ちなみに鹿児島の薩摩の地名がつく出身地の人は怒らせたら本当に怖い
薩摩藩では足軽で編成した五人組など撤退も後退も死罪になる戦法もあったそうな。もちろん身内も死罪などになるため突撃慣行により死地に生を拾うような戦い方である。手柄か死の二択しかない狂気的な戦法では皆バーサーカーになりうるのであろう。薩南示現流においても剣の速さ重さに重点を置き、一撃必殺の高速剣術を日々鍛錬している薩摩藩士と出会うのは恐怖だったに違いない。死を恐れづに究極に肉体と精神を鍛錬し動かなくなるまで戦う薩摩隼人は当時は恐るべし存在だったのかも知れない。その時代に薩摩藩士と相対するなど考えるだけで恐ろしい。
要するにご先祖さま方がブイブイ言わしてた頃は化け物がゴロゴロいたって事か
戦前まで薩摩の街道沿いには立木と木刀があり、いつでも誰でも打ち込みが出来たとかそらコンビニにみたいに練習場があったら、全体のレベルが上がるわなぁ
バーサーカーの薩摩、インテリヤクザの長州みたいな覚え方してたけど、長州も神道無念流とかいう「本気で殺す気で練習せよ」みたいな剣術教えてたんだなと思うとどっちもバーサーカーだったわ
参勤交代で他の土地散々見たから視野も広くなったのかも。京都人の「中京以外京都やおへん」とは天と地。
戦時中、敵さんを軍刀で斬るのに普通の正面斬りだとヘルメットに当たって使えんかった。示現流の斜めから首の根元に向かって切り落とすのが相手を一太刀で処すのに一番効率が良かったと鹿児島出身の元将校さんに教えてもらいました。
大河ドラマでも大村益次郎憎しで海江田信義が刺客を放ったってオチ上野彰義隊と薩州兵の共倒れを狙った大村の策は伊地知正治が未然に防いたwww
示現流の一振りを受け止めたら死ぬからよけろ的なの新選組の誰かが言ってたような言ってなかったようなうろ覚えだけど、まあ全力死に物狂いの一振りだからえげつない威力だろうなぁ
なお、一部では戦闘民族日本人と呼ばれているのでエリートどころかブロリー級の模様
その薩摩と渡り合った立花宗茂は薩摩と変わらないバーサーカー。薩摩の九州平定阻んで朝鮮出兵でも無茶してる。修羅の国の基礎造った武将だと思う。
戦国時代の九州はバケモノ揃い
秋月種実「俺はそいつの義父・道雪の家族族滅するくらい暴れたぜ!」筑紫広門「島津も大友も立花も俺の手の上で転がされてるんだよ!w(寝返りまくりで手玉に取る)」志賀親次「宗茂?紹運?義弘相手に籠城して撃退してないだろ 主♰の恩寵が足りてない」佐伯惟定「俺は義弘・家久のタッグに勝ったし家久の兵站破壊もやったぜ!」米良重方「木崎原で死んだけど前戦では義久・義弘・歳久の三兄弟撃退した…影薄いけど」 山田宗昌「伊東氏再興を…絶対に成し遂げる!!(紹運を討った島津忠長の肘を射抜く、伊東滅亡後は佐伯と組み対島津戦全勝+家久の死の理由が宗昌との戦の傷が元とも…?功が認められ、「故郷での」伊東家再興を達成)」 どれもマイナーだけど良将揃いよ
@@user-ub7tt4gl8y それ!地元贔屓も有るけど、九州の話だから規模は小さいけど結構滅茶苦茶(笑) 龍造寺・鍋島辺りとかもオモロいし、倭冦絡みで松浦党なんかの話もオモロいって思う。
何がヤバいって、他国の人間に鬼と呼ばれるレベルの戦闘力と明らかにフィクションみたいな事を実際やっちゃってる所ですね。
それ島津が勝手に言ってるだけで相手側の史料にはありません
女装してコンパニオンの振りして潜り込んで薩摩の熊襲をメッタ刺しにして処したヤマトタケルはもっとヤバい
ヤマトタケル、お兄さんを便所で○したときや、クマソのときみたいにケツに刺すのが好きだったのがウケるw
それよりヤマトタケルの女装、なんでバレなかったのかが気になる。経歴からしてゴツい男やと思うんやけど・・・。
@@hiron114 男の娘だったと古事記にも書いてあるw
@@hiron114 ジャニーズ系DQNのイメージだな
どっかのお偉いさんが、『示現流は狂人の剣術』とか言ってたな。
薩摩といえばその戦闘民族っぷりが有名ですが木曽三川の治水工事の話(宝暦治水事件)もすごいと思います岐阜県民の方は今でも鹿児島県大好きなんだそうで
俺たちなんて足元にも及ばんくらいにはガチで修羅ってたんだよね…😥
壇之浦で死に損ない文禄慶長の役で死に損ない関ヶ原で死に損ない幕末で死に損ない以下略平家のゾンビみたいな家門も薩摩にいるので…。
西郷隆盛と大久保利通は貧しい下級薩摩藩士と言われて居るが、西郷と大久保の身分は城下士で薩摩藩ではエリートで西郷、大久保出身の加治屋町は歩いて鶴丸城に行ける距離だから現在で言えば本社勤務の平社員
幕府隠密が行ったら帰って来ないと言われた薩摩飛脚で幕府隠密で薩摩に潜入して帰って来たのが北方探険をして樺太に海峡が有るのを発見した間宮林蔵
熊本のじいちゃんが槍とかサスマタとか日本刀とかいっぱい持ってたのはそうかあ…。当然のように一族みんな武術やってるし、幼稚園から中学までいつも男子全員が殴り合ってたから、「平和」は仮面で日本人はみんな戦闘民族だと思ってました
そりゃ数百年もの間、身内・お隣同士で殺し合いして蠱毒の様な状態だっからねぇ平安から江戸初期までの日本は。それを比較的大人しく温厚にさせたのが江戸幕府。
それただの武器愛好家じゃね?
薩摩が強かったのはあれでも戦国後期だからね… 九州鎌倉~室町は少弐や大友(+大内)とかが一番バリバリ 1570年代までずっと伊東や肝付に足止め食らってる島津は豊臣政権ではいつ取り潰しされるかわからん綱渡りの内政ガタガタ(検地やろうとするだけで梅北一揆、手勢だけ&船1隻だけと朝鮮出兵時秀吉のノルマまるで守れない、秀吉死後に一門の伊集院氏との内乱で軍も機能不全に→本領安堵した後になってまだ申告してない陰田が見つかるくらいいい加減な内政)けど、なんでそれで勝てるねんって戦も多い不思議な家
島津の内政は昔からヤバイぞ。鎌倉時代に食糧攻め対策に領地に食べる実がなる木を植えまくり、お陰で秀吉の食糧攻めがなかなか島津には上手くいかなかったし、大化の改新の蘇我氏の部下で蘇我氏が滅んだあとも上手く藤原氏に渡りつけて生き延びて天皇家と姻戚関係持っている最強平安貴族家系らしく、秀吉の荘園潰しまでは全国に荘園持って維持していたからな。さらに秀吉に本領安堵されても、秀吉の陣地に火縄銃で秀吉暗殺のために弾撃ち込んだり、滝からおとそうと暗殺しようとする奴等も何人もでて秀吉がここまで攻めた自分が馬鹿だったと嘆きおこさせたぐらいには、郷土愛強い困った武士多かった。内輪揉めしていても、関ヶ原後の徳川家の島津討伐では、6万の兵力で福島正則や加藤清正らの島津討伐軍5万を水俣城の戦いで壊滅させて、逆に八代まで侵攻して八代まで自分の領地だといって、徳川に領地けずるのも本来の自分の領地は削らせず関ヶ原後に侵攻した八代とか水俣の領地削る形にさせたりと外交はヤバイ。
3:12しれっと筑豊ディスられて草
ひいばあちゃんが薩摩藩士の家の出のワイ 少し誇らしい
薬丸示現流の強さって戦い方に縛りが設けられてるからなんだよな。例えば相手の攻撃を避けたりガードしてはいけないっていう縛りがある。戦い方って自由であるほど強いっておもいがちだけど、実はそれが「広く浅く」になる。そして攻撃こそ最大の防御であることを示している
サムネのセリフがドリフターズの島津豊久にしか見えない
元寇で無双したのも九州の武士ですしね。とにかく九州の武士は代々強かったその中でも薩摩は別格だったんだろなw
薩摩藩というか薩摩隼人もすごいんだけど、戦国時代に龍造寺隆信を討ち取った戦いで共に戦った有馬氏もやばいそれに対して対抗した立花家もやばいその後関ヶ原のおかけで犬猿の仲の立花と仲良くなってるからあの家ヤバいよ
あれは立花さんの人間が出来過ぎてるだけな気がする
@@user-lv5ee5qx9g 宗茂さんが優しすぎるのも確かにあるなぁ
とにかく九州の武将皆やばい
そもそも、九州の武士は総じて強いからな。示現流に目が行きがちだが、鉄砲を使いまくるのも薩摩兵。かの有名なすてがまりは、兎に角、死ぬまで鉄砲を撃ちまくる戦術だからね。
WW2頃の帝国陸軍の歩兵部隊でも薩摩に司令部置いてた隊は最強でしたよ。第45連隊は日中戦争初期から最前線に投入されて戦果を挙げるまくるも、ブーゲンビル島で玉砕。その後編成された、第145連隊はあの硫黄島に配備されて伝説作りましたからね。今の陸自国分第12普通科連隊はレンジャー持ちが多数在籍しているとか聞いた。
フィジカルは見習いたいけど、メンタルというか、方向性は見習いたくないと思ってしまう集団。
薩摩武士はやたら持ち上げるのにその薩摩藩が西南戦争の初動の万全状態で全く落とせなかった熊本城と司令官谷干城は語らない不思議
強いっつったって要は末端兵士だしね。戦略でいったら九州征伐にしろ関ヶ原にしろ負けてるから。太平洋戦争の時の日本と同じ。
そういう意味では加藤清正も超人
川路大警視「抜刀隊?薩摩には薩摩ぶつけんだよ!」この人も薩摩だったわ・・・。
この前、薬丸自顕流の師範みたいな人がテレビで言ってたけど、示現流にはそもそも相手の剣を受けるという概念がないんだってなw斬られる前に斬る、相手が受けても受けごと斬る、一人斬ったら速攻で次の敵を斬る。バーサーカーとはかくありたい。
世間ではキリシタン大名しかネタにならないが、以外と強い有馬晴信。
大和朝廷に牙を抜かれ眠っていた隼人族(海幸彦の子孫?)が、戦国時代に覚醒して薩摩隼人に。という昔話を何十年も前に、宮崎のお年寄りから聞かされていたことを思い出しました。
大和朝廷に敗れた隼人族の子孫が、大和朝廷を担いで勝利する展開とか激アツすぎる
日露戦争の英雄と言われた東郷平八郎が薩摩出身でしたねバルチック艦隊を沈めた事で世界中に名前が知れ渡るくらいだったとか何とか、歴史の授業で先生が話してくれました🙂ソレ以外だと金カムの鯉登親子のイメージが強い。
薩英戦争に参加して「海外はこんなに進んでいるのか」とイギリス留学を考えたとか
西洋列強の脅威に実際に晒されていたのが、当時の薩摩藩や肥前藩だからね。
え?!そなの?!(横須賀市民)
@@user-pv3jh3ck9j白人に支配された国々で空前絶後の東郷フィーバーになって、東郷ストリートとか東郷の銅像とかつくったらしい
きぇー!?恐ろしい部族が居るんもすな
これからの日本を変えるのもやっぱ鹿児島県民なんだろうな。
サムライの写真からもヤバさが伝わる😑日本て広い参勤交代の怨みか〜納得👍
九州の警官の剣道ガチで怖い叫び声が他の県の倍は出てる
日本に修羅の国があったとは。。。
薩長土肥から、今の標準語になった言葉が知りたくなった。
薩摩が会津に攻めて来たとき、東北地方のネチっこい作戦に振り回されたらしい。
島津斉彬公が示現流の稽古を見て一言気狂いの剣術じゃwww勝海舟が伊地知正治を見て一言気狂いwww白河口の戦いにて七百の寡兵で三千の会津兵に釣り野伏せ発動して会津兵壊滅させるあたり普通の気狂いとは格が違う
戦国での九州統一はほぼ高橋紹運立花宗茂親子に阻止されちゃったじゃん……
よく考えたら、デカい刃物持ち歩いてる人間がぞろぞろいる国って恐ろしいよな。
脳が筋肉でできているんじゃない筋肉が脳になっているんだ
こてこての鹿児島県民です。親父に、先祖を大事にしろ、いじめと嘘つきにはとても厳しく、何度となく殴られながら育って来ました。厳しい教育は薩摩だから⁈今では誇りに思ってます。
ひいばあちゃんが薩摩藩士の家から来た人で祖父含め嫁のばあちゃんも厳しく指導されたので、ばあちゃんが偶に面倒見る時に孫のワイにもめちゃくちゃ厳しかったです。受け継がれてますね
@@okada_6869 薩摩の血脈を受け継がれてるのですね!昔の鹿児島の女性は忍耐力や夫を立てる素晴らしい反面、家では厳しいらしいです😅私の祖母もそうでした!よく「やいと」と言って、仏壇の線香で焼きを入れられました😂まぁ、悪いことした私が悪いのですが🙇♂️
薩摩藩と長州藩て仲が悪いけど、それは鎌倉時代が始まりで、一説によると島津が比企氏、毛利が大江氏の血を引いており比企能員と北条時政(大江広元)の対立からの因縁らしいです
警視庁時代の斎藤一が西南戦争に参戦し示現流の猛者と渡り合い、戦後明治政府より勲章と賞金が授与されました。
次元流は達人同士の立ち合いでは勝てないけど、分かりやすく素人を二流まで押し上げる(底上げする)集団戦法で大変効率の良い剣術。
チー牛が分かったようなことを言うな
以前連載されていた「そばもん」という蕎麦の蘊蓄とグルメの漫画があったんだけど、それの京都のにしんそば誕生秘話の物語の時に出て来た、元薩摩藩士の男がメインの話があったんだけど、そいつもかなりの猛者で、物語の中ではほぼ無敵だったし、あれも地味に恐ろしい奴だった。さいとうたかをの古い漫画の雲盗り暫兵でも、腕の立つ主人公が薩摩に行く話で、そこの最強の剣士が、マジで、この物語の中で最強の一角だった。主人公が自分が斃されることしか想像出来なかったからね。
薩摩物理チェストホグワーツ
確かライフル真っ二つは、空想科学のラストサムライの内容で人の力では無理だと書いてあったな。実際は刀をライフルで受けたら、その受けたライフルごと頭に食い込む形で頭蓋骨が割れて〇んだんだと思う。
未だに、琉球王国が薩摩相手に一週間近くも持ったのはあまりにも弱すぎて薩摩側も「何かの罠か?」と戦々恐々としてたから説を推す。
いやぁ、単純に双方そこまでやる気なかったんじゃない?抵抗だってめちゃくちゃ散発的だし。そもそも琉球征伐自体、島津に侮蔑的な応対した謝名利山が発端だしね。球陽や喜安日記にも「明国生活が長くて日本の風紀を知らない。そのせいで島津に無礼を働き征伐された」って記されてるくらいだから、琉球側の大半はやる気なかったんだと思う。
鹿児島出身の自衛官が多いのは本当にうれしい
まじ?
@@popope7047 鹿児島が毎年一二を争う採用者数ですよ。
それだけ若者の仕事ないからな鹿児島
@@マイケル-h7 みんな流れるように鹿児島から離れますよね笑
鹿児島県で酒と言ったら、日本酒ではなく焼酎を意味する。居酒屋あるあるww
大隈重信「周り薩摩出身で怖い!!渋ちゃんそばに居て!いるだけでいいから」渋沢栄一「えぇ~、、、」でも付き合う
戦闘狂とか脳筋のように言われてるけど小松帯刀、五代友厚、大久保利通みたく政治や経済関係に強い人間も輩出してるのよね 江戸中期の宝暦治水事件から江戸幕府に対しての藩の政策丘方針が一変したとか敵対的な政策をとるより幕府の内側に入って薩摩藩の勢力を強めていってる 島津重豪(斉彬の祖父)は有力な外様大名や譜代大名に自分の息子たちを養子に出して藩主にさせてる(福岡藩の黒田 長溥や八戸藩南部 信順など)これのおかげで外様大名ながらすさまじい権力を手にして江戸幕府に対して発言権を強めてる これが後々幕末での薩摩藩の活躍につながってくるから歴史は面白い
薩摩藩の怒りは参勤交代ではなくて宝暦治水事件にある。木曽川を工事したのは薩摩藩である。
頭を割るどころか腰まで両断するとか恐すぎ
「やっちゃえ、バーサーカー」
薩摩ホグワーツの話かと思ったら違った
六三四の剣に出てきた示現流使いキャラの影響で鹿児島市内の旧家の庭には打ち込み用丸太が埋けてあると思ってたがそんな旧家なんか無かったぜw
イギリスの薩摩藩「チェストォォォォォ!!!」
信長:そういえば、鉄砲って薩摩(薩摩軍による大隈攻め(加治木城攻め)が日本で初めて鉄砲を戦場に使ったとされる)当たりが出処だよな?光秀:そうですね。信長:アイツらが飛び道具使って攻撃するイメージがないんだが( ̄▽ ̄;)光秀:むしろ刺しても無視して突撃する感ありますよね。
農民:地面にドッカリと座って狙って撃って鉄砲を置いて槍か太刀を持って突撃だったって本当ですか?
ドリフターズの島津豊久好き👍👍最強一番好きなアニメ殺人マシーン
薩摩相手に境界を保ってた日向と肥後やばくね?ってじわじわきてる。
死なばもろともでこられたらそら強いよね近接戦で異常な覚悟で最短距離の最強攻撃をしてこられたら、がんぎまりしてるか見切りがうまい人間でなければ即死よ
『十人以上頚を狩って そいでから 呵々大笑しながら 伐たれるんが薩摩の戦の習いぞ。』...だそうですし。
コンプするなら他者とトレードするのがマストだな。ちなみに旧作界隈の人気は東方アプリなどが出る前より沸いていた。日本のwikiより海外版wikiの方が詳しく編集されていたほどでした。
今は平和よ〜。郷土愛はめちゃくちゃあるし。
五人組や穿抜戦なども勉強すると、内容に深みが出ます。頑張ってください。
日本のスパルタやね…
幕末の頃、薩摩藩士に斬られた死体は調べずとも分かったらしいですね。刀創がたった一つ、袈裟斬りに肩の付け根から鳩尾までの壮絶なものだったそうですね。
金カムの最後のあれってそういう元ネタがあったのね、知ってたらリアルタイムでもっと楽しめたのに~
藩士全員が示現流は間違えです。薩摩藩伝の直心影流とか色々流派が薩摩藩にもありました。
鎌倉武士のバーサカーの正統を唯一受け継いだのが薩摩武士だと本気で信じてます。
バーサーカーネタなのに、出張るなぁw長州、長岡推しw
そのむちゃくちゃ強い戦国島津でさえ統一することができなかった九州とか言う魔境。そもそも薩摩大隅を統一するのことさえ、高難易度すぎた模様
まあ大友さんが幅を利かせてたので仕方がないね
近藤勇「薩摩の初太刀は外せ」
一般隊士「無理でした」
みたいな恐ろしい世界
示現流の理念が「一太刀で仕留めろ。初撃を外したら潔く死ね」だからね
言葉通り二の太刀いらず
日中戦争でも初太刀で民国兵のヘルメットごと叩きわって殺したりしてるの草すぎる
???「究極の一は最強だからね、仕方ないね」
相手が防御したらそれごと叩いて確殺とかいう最強戦術。
戊辰戦争で生き残ったから「無敵」という苗字の人がいるやつ好き。
なお、最新の研究によりイギリスに魔法留学していた可能性が出てきた模様
薩摩寮は嫌だ薩摩寮は嫌だ
薩摩藩!!!!!
???「エ゛クズペリア゛ーーーッ!!!」
???「チェストーーー!!」
@@neko5392
チェストの魔法って脳天唐竹割りになるんですかね?w
あの時代のイギリスに勝ったの意味わかんなくてほんとおもろい
文系や事務作業員ですら弓道たしなんでるからね
運動部も文化部も教師もヨボヨボのおじいちゃん校長も用務員さんも
全員武術ができる学校みたいなもん
確かに薩摩隼人は滅びたかに見えるが、次の国難には再び立ち上がって、この国を救ってくれるものと信じたい。
赤髭フリードリヒみたい。まぁ溺死者個人が蘇るよりは、薩摩ッポの集団意識蘇生の方が確率は高そう。
ワイ鹿児島県民、
「薩摩ホグワーツとは?」
を調べる中で
「薩摩藩士は死を恐れなかった」
だとか
「バーサーカーだった」
だとか、極めつけは
・防御一切無し、
・「抜刀」と「打ち下ろし」
のふたつの技しかない
「薬丸自顕流」
という気狂い剣術を初めて知れたので薩摩男子としてかなり嬉しいというか、誉れ
かくありたい
ワイ鹿児島県民
先祖がそれなりの土地を持っていた農民だが、未だに刀を受け継いでいる模様
ちゃんと登録はしてある
@@user-lu6ys8tg1h 返信ありがとうございます!もしかして薩摩拵(こしらえ)とかいう叩き斬ることに特化した刀ですかね!?
@@user-ur3fj3tl7b
刀の事は詳しく無く分からないのですが、とにかく黒くてシンプルと言うか地味だった印象です
長いのと少し短い奴の2本ありました
@@user-lu6ys8tg1h 薩摩拵は無駄な装飾が一切なく、持つところ(柄)が普通の刀とは逆の方に反っていると聞きます
もしお持ちの刀が薩摩拵えだとしたら、とても羨ましい!
(ねだりはしないのでご安心を笑)
@@user-lu6ys8tg1h
流石人口の三分の一が武士だった、とも言われる薩摩藩の末裔ですね😅
登録してある、と言うことは刀の御手入れもちゃんとなさってる?
新撰組に「薩摩の初太刀は外せ」という言葉が広まったのかっこいい
二の太刀はないと言われているから、かわされたら切られるな。
示現流見れば解るけど、型も足裁きもクソも無く力任せにぶった斬るように突っ込むから、外すと体勢が崩れて的になる
あの夢を壊すようですが残念ながら初太刀を外せは司馬遼太郎の創作の可能性があります。実際、示現流や薬丸自顕流の稽古の立木打ちや横木打ちは連打するモノですし。
初太刀を受けたら鍔が額に食い込むからな…
薩摩藩士とやり合って
生き残った新撰組志士は
たった4人しかいない。
土方·斎藤·永倉とあと1名😱
生麦事件でエゲレス人を切り捨てた楢原って武士がスゲー。薩英戦争のとき「楢原ドコダー、身柄を渡せ」というエゲレス鑑にスイカ売りに化けた楢原が乗り込んできて、「楢原ドコダー」という隣に当の楢原がいるの面白い。
なんかギャグ漫画の一コマのようだ…😆
@@user-ug3wq4sf7u
関ヶ原で大ピンチになりました、じゃあ敵陣中央に突っ込んで切り抜けて、徳川本隊だけギリ脇をすり抜けたら良くね?殿様一人が帰着出来たらイイからみんな揃って「ここは俺に任せて先に行け❗️」いよいよやばくなったらライバル来て、「お前を倒すのは俺だ❗️他の雑魚にやられんじゃねぇよ。」と護衛してくれちゃう。
と、リアルでラノベ展開やらかす連中だからね?😂
楢原でなく奈良原、兄弟で火付けをしている点で海江田兄弟と似ますな。
薪(攘夷意識)にガソリンぶっかけて(生麦事件)、艦隊使った乗り込み強請を企んだブリカス側に開戦責任が在る事は自明ですけど。
後の陸軍大将と総理大臣がスイカ売りのフリしてイギリス軍艦にカチコミしに行った話好き
近藤勇「中村半次郎を見たらシカトしろ」「河上彦斎は見るな」「岡田以蔵も見るな」
薩摩の北に住む原住民ですが「南には行くな」と言う意識がDNAに刻まれています
17年前に鹿児島市に住んでいましたけど、やっぱあんな雰囲気はよくないですわ。九州北部の人はとても優しくていい人ですけど、鹿児島市の人はかなり硬いですね。
鹿児島県に親族居るから遊びに行って、
関西弁で喧嘩してたら薩摩隼人にドン引きされたんですが・・・( ; ; )
薩摩藩ネタ見ると、定期的にドリフターズが見たくなる
そして、続きが欲しくなる〜😭
妖怪首置いてけ~~~~笑
示現流の始祖は東郷重位だから豊久公から
暫く後の世界です
当時南九州はタイ捨流
が主流です
あんまり示現流と大差ないと思います
また、斬撃に特化した
野太刀が使われていました
ド、ド、ド、ド ドリフの大爆笑
ついてついておしておしてはたいてはたいて最後は何とか(忘れたw)
敵を斬るか自刃するかの2択しかない剣術ヤバすぎる。
鬼の方が優しいからそうなってほしくて鬼島津って呼ばれたって嘘話好き
島津豊久は絶世の美男子だったらしいね
郷中教育を受けました。10歳から始まって、14歳まで。毎晩、舎という公民館のようなところに集まって、机を並べて勉強。OBの大学生が教えに来てくれる。9時頃に勉強が終わったら、毎晩1時間近く、関ケ原や維新の話。解散前に、『ああ玉杯に花うけて』の替え歌。「乱れる世にも花は咲く」といった具合。日曜日は柔道かたまにソフトボール。それから舎の掃除。入った初日に習ったのは、薩摩の少年の鉄の掟である『負けるな。嘘をつくな。弱い者をいじめるな』。それから『先輩には絶対服従』。ただし、後輩に無理な命令をすると、掟の『弱い者をいじめるな』に抵触したと判断され、庭に引き出されて竹の棒で叩かれる。泣いても簡単には許してもらえないくらい、いじめには厳しかった。普段は先輩後輩、仲良くやっていて、ほんとうに親しい先輩には『君づけ』で呼んでもよい文化があった。そんな感じ。
住んだ事は有りませんが本籍地が霧島市隼人町です。そこの小浜という村に祖母と伯母夫婦が住んでました。
たまに鹿児島に帰ると違和感・場違い感を覚えました。付近に住む親戚一族は大変荒っぽく、少し付き合い辛いものを感じてました(方言も全く解りません)。
夏休みは加治木護国神社に行って薬丸自顕流を散々稽古させられました。
ちなみにうちは軍人一族で、祖父・父は旧職業軍人、私も元陸上自衛官です。
鹿児島の一部にある荒っぽさを擁護するつもりはありません。居心地が悪くても仕方ないだろうなと思います。たとえば同級生の間でも、そういう一群があり、彼らとはつきあえないという人もいます。私はどちらもいけますが。私の家も、母方は軍人でした。祖父は陸軍幼年学校出身で、親戚に将官で終戦を迎えた人もいます。父方は軍人ではありませんが、西南戦争、日露戦争、もちろん太平洋戦争に従軍した人もいたようです。
「やたらと悪知恵が回るタイプのバーサーカー」が実像に近い。
人望のある御殿や偉人輩出してる。島津の退き口とか、何ならライバルまで来て守ってくれちゃう始末。銃器の効率的運用も、当時から状況考えると普通に頭いい人の使い方。
但し、過酷な土壌で培われた強壮な肉体と倫理観や道徳観がヤベー連中、という感じですね。
「一人10人殺してから死ね」はクソ笑ったww
ほんま草生える
10キル1デス
スマspのマルスやん
脳筋というより、教育システムが凄かった。
一般人が皆強いのは当然で
頭が良くて人を惹きつける人間がしっかり評価されて、歳関係無く先生と慕われる教育システム。
前川先生のタビ好きでも鹿児島のロケの時だけ村人達から殺気にも似た異様な空気感漂ってたけど今思えば戦士の血を引いた子孫達だったんだろうな…
薩摩隼人もバーサーカーだけど、鎌倉武士の方がもっと狂戦士なイメージ。
14万の大軍見て、よっしゃ恩赦だ殺せぇ〜〜〜〜、でモンゴル押し返してモンゴルが撤退しても追いかけ回すバーサーカーぶり大好き。
モンゴルもモンゴルで結構えぐかったんだっけ?
@@user-pq4oe3xn2d 住民を人質に取って手に穴を空けて鎖で繋ぎ、船の舷側に並べて縛り付け日本軍に対しての人間の盾にしたらしい・・・まぁ鎌倉武士は「は?住民?盾?んなの関係ねぇ」と人質無視して矢の雨降らしたらしいが、あと元軍が上陸した所で住民を捕まえ略奪して物資を調達していると聞いて、そんな事をされるくらいならいっそ先に俺たちがやってやると、武士が街を襲って略奪して焦土作戦やったらしいが、どうにか武士達に恐怖を与えて士気を下げようと、武将らしい人の首を斬ってそれを掲げて脅したら・・・誰一人脅えずに反対に首を奪い返しに武士が殺到してきて、元側にとんでもない被害が出たとか、そんな話は聞いたことがある
屈強な狂戦士が昼夜問わず攻め続けてくる話好き
学校では奇跡的に台風きてモンゴルを追い返したって聞いたのに全然違った
量産型?の某【島津の若様】が数百人現れ
『頚ぃ...大将クビぃ...』と嬉々として
昼夜問わず 襲いかかってくるという恐怖。
『善人も 悪人も 頚だけになったら 皆 仏。
そして 偉いヤツの頚を捕るは 誉れ。
だから 頚 ヨコセ...(ニッ...ゴリ)』
ちなみに元寇の時に一番初めに突撃したのは薩摩隼人の一派で、それ以降も何度も襲撃しとる
しかも
鹿児島弁が難解なのは
暗号の意味合いも
あったとか…
ちなみに鹿児島の薩摩の地名がつく出身地の人は怒らせたら本当に怖い
薩摩藩では足軽で編成した五人組など撤退も後退も死罪になる戦法もあったそうな。もちろん身内も死罪などになるため突撃慣行により死地に生を拾うような戦い方である。手柄か死の二択しかない狂気的な戦法では皆バーサーカーになりうるのであろう。薩南示現流においても剣の速さ重さに重点を置き、一撃必殺の高速剣術を日々鍛錬している薩摩藩士と出会うのは恐怖だったに違いない。死を恐れづに究極に肉体と精神を鍛錬し動かなくなるまで戦う薩摩隼人は当時は恐るべし存在だったのかも知れない。その時代に薩摩藩士と相対するなど考えるだけで恐ろしい。
要するにご先祖さま方がブイブイ言わしてた頃は化け物がゴロゴロいたって事か
戦前まで薩摩の街道沿いには立木と木刀があり、
いつでも誰でも打ち込みが出来たとか
そらコンビニにみたいに練習場があったら、
全体のレベルが上がるわなぁ
バーサーカーの薩摩、インテリヤクザの長州みたいな覚え方してたけど、長州も神道無念流とかいう「本気で殺す気で練習せよ」みたいな剣術教えてたんだなと思うとどっちもバーサーカーだったわ
参勤交代で他の土地散々見たから視野も広くなったのかも。京都人の「中京以外京都やおへん」とは天と地。
戦時中、敵さんを軍刀で斬るのに普通の正面斬りだとヘルメットに当たって使えんかった。示現流の斜めから首の根元に向かって切り落とすのが相手を一太刀で処すのに一番効率が良かったと鹿児島出身の元将校さんに教えてもらいました。
大河ドラマでも
大村益次郎憎しで
海江田信義が刺客を
放ったってオチ
上野彰義隊と薩州兵の
共倒れを狙った大村の
策は伊地知正治が
未然に防いたwww
示現流の一振りを受け止めたら死ぬからよけろ的なの新選組の誰かが言ってたような言ってなかったようなうろ覚えだけど、まあ全力死に物狂いの一振りだからえげつない威力だろうなぁ
なお、一部では戦闘民族日本人と呼ばれているのでエリートどころかブロリー級の模様
その薩摩と渡り合った立花宗茂は薩摩と変わらないバーサーカー。薩摩の九州平定阻んで朝鮮出兵でも無茶してる。修羅の国の基礎造った武将だと思う。
戦国時代の九州はバケモノ揃い
秋月種実「俺はそいつの義父・道雪の家族族滅するくらい暴れたぜ!」筑紫広門「島津も大友も立花も俺の手の上で転がされてるんだよ!w(寝返りまくりで手玉に取る)」
志賀親次「宗茂?紹運?義弘相手に籠城して撃退してないだろ 主♰の恩寵が足りてない」佐伯惟定「俺は義弘・家久のタッグに勝ったし家久の兵站破壊もやったぜ!」
米良重方「木崎原で死んだけど前戦では義久・義弘・歳久の三兄弟撃退した…影薄いけど」 山田宗昌「伊東氏再興を…絶対に成し遂げる!!(紹運を討った島津忠長の肘を射抜く、伊東滅亡後は佐伯と組み対島津戦全勝+家久の死の理由が宗昌との戦の傷が元とも…?功が認められ、「故郷での」伊東家再興を達成)」 どれもマイナーだけど良将揃いよ
@@user-ub7tt4gl8y それ!地元贔屓も有るけど、九州の話だから規模は小さいけど結構滅茶苦茶(笑) 龍造寺・鍋島辺りとかもオモロいし、倭冦絡みで松浦党なんかの話もオモロいって思う。
何がヤバいって、他国の人間に鬼と呼ばれるレベルの戦闘力と明らかにフィクションみたいな事を実際やっちゃってる所ですね。
それ島津が勝手に言ってるだけで相手側の史料にはありません
女装してコンパニオンの振りして潜り込んで薩摩の熊襲をメッタ刺しにして処したヤマトタケルはもっとヤバい
ヤマトタケル、お兄さんを便所で○したときや、クマソのときみたいにケツに刺すのが好きだったのがウケるw
それよりヤマトタケルの女装、なんでバレなかったのかが気になる。
経歴からしてゴツい男やと思うんやけど・・・。
@@hiron114 男の娘だったと古事記にも書いてあるw
@@hiron114 ジャニーズ系DQNのイメージだな
どっかのお偉いさんが、『示現流は狂人の剣術』とか言ってたな。
薩摩といえばその戦闘民族っぷりが有名ですが
木曽三川の治水工事の話(宝暦治水事件)もすごいと思います
岐阜県民の方は今でも鹿児島県大好きなんだそうで
俺たちなんて足元にも及ばんくらいにはガチで修羅ってたんだよね…😥
壇之浦で死に損ない
文禄慶長の役で死に損ない
関ヶ原で死に損ない
幕末で死に損ない
以下略
平家のゾンビみたいな家門も薩摩にいるので…。
西郷隆盛と大久保利通は貧しい下級薩摩藩士と言われて居るが、西郷と大久保の身分は城下士で薩摩藩ではエリートで西郷、大久保出身の加治屋町は歩いて鶴丸城に行ける距離だから現在で言えば本社勤務の平社員
幕府隠密が行ったら帰って来ないと言われた薩摩飛脚で幕府隠密で薩摩に潜入して帰って来たのが北方探険をして樺太に海峡が有るのを発見した間宮林蔵
熊本のじいちゃんが槍とかサスマタとか日本刀とかいっぱい持ってたのはそうかあ…。当然のように一族みんな武術やってるし、幼稚園から中学までいつも男子全員が殴り合ってたから、「平和」は仮面で日本人はみんな戦闘民族だと思ってました
そりゃ数百年もの間、身内・お隣同士で殺し合いして蠱毒の様な状態だっからねぇ平安から江戸初期までの日本は。それを比較的大人しく温厚にさせたのが江戸幕府。
それただの武器愛好家じゃね?
薩摩が強かったのはあれでも戦国後期だからね… 九州鎌倉~室町は少弐や大友(+大内)とかが一番バリバリ 1570年代までずっと伊東や肝付に足止め食らってる
島津は豊臣政権ではいつ取り潰しされるかわからん綱渡りの内政ガタガタ(検地やろうとするだけで梅北一揆、手勢だけ&船1隻だけと朝鮮出兵時秀吉のノルマまるで守れない、秀吉死後に一門の伊集院氏との内乱で軍も機能不全に→本領安堵した後になってまだ申告してない陰田が見つかるくらいいい加減な内政)けど、なんでそれで勝てるねんって戦も多い不思議な家
島津の内政は昔からヤバイぞ。鎌倉時代に食糧攻め対策に領地に食べる実がなる木を植えまくり、お陰で秀吉の食糧攻めがなかなか島津には上手くいかなかったし、大化の改新の蘇我氏の部下で蘇我氏が滅んだあとも上手く藤原氏に渡りつけて生き延びて天皇家と姻戚関係持っている最強平安貴族家系らしく、秀吉の荘園潰しまでは全国に荘園持って維持していたからな。
さらに秀吉に本領安堵されても、秀吉の陣地に火縄銃で秀吉暗殺のために弾撃ち込んだり、滝からおとそうと暗殺しようとする奴等も何人もでて秀吉がここまで攻めた自分が馬鹿だったと嘆きおこさせたぐらいには、郷土愛強い困った武士多かった。
内輪揉めしていても、関ヶ原後の徳川家の島津討伐では、6万の兵力で福島正則や加藤清正らの島津討伐軍5万を水俣城の戦いで壊滅させて、逆に八代まで侵攻して八代まで自分の領地だといって、徳川に領地けずるのも本来の自分の領地は削らせず関ヶ原後に侵攻した八代とか水俣の領地削る形にさせたりと外交はヤバイ。
3:12
しれっと筑豊ディスられて草
ひいばあちゃんが薩摩藩士の家の出のワイ 少し誇らしい
薬丸示現流の強さって戦い方に縛りが設けられてるからなんだよな。例えば相手の攻撃を避けたりガードしてはいけないっていう縛りがある。戦い方って自由であるほど強いっておもいがちだけど、実はそれが「広く浅く」になる。そして攻撃こそ最大の防御であることを示している
サムネのセリフがドリフターズの島津豊久にしか見えない
元寇で無双したのも九州の武士ですしね。
とにかく九州の武士は代々強かったその中でも薩摩は別格だったんだろなw
薩摩藩というか薩摩隼人もすごいんだけど、戦国時代に龍造寺隆信を討ち取った戦いで共に戦った有馬氏もやばい
それに対して対抗した立花家もやばい
その後関ヶ原のおかけで犬猿の仲の立花と仲良くなってるからあの家ヤバいよ
あれは立花さんの人間が出来過ぎてるだけな気がする
@@user-lv5ee5qx9g 宗茂さんが優しすぎるのも確かにあるなぁ
とにかく九州の武将皆やばい
そもそも、九州の武士は総じて強いからな。
示現流に目が行きがちだが、鉄砲を使いまくるのも薩摩兵。
かの有名なすてがまりは、兎に角、死ぬまで鉄砲を撃ちまくる戦術だからね。
WW2頃の帝国陸軍の歩兵部隊でも薩摩に司令部置いてた隊は最強でしたよ。第45連隊は日中戦争初期から最前線に投入されて戦果を挙げるまくるも、ブーゲンビル島で玉砕。その後編成された、第145連隊はあの硫黄島に配備されて伝説作りましたからね。今の陸自国分第12普通科連隊はレンジャー持ちが多数在籍しているとか聞いた。
フィジカルは見習いたいけど、メンタルというか、方向性は見習いたくないと思ってしまう集団。
薩摩武士はやたら持ち上げるのにその薩摩藩が西南戦争の初動の万全状態で全く落とせなかった熊本城と司令官谷干城は語らない不思議
強いっつったって要は末端兵士だしね。戦略でいったら九州征伐にしろ関ヶ原にしろ負けてるから。太平洋戦争の時の日本と同じ。
そういう意味では加藤清正も超人
川路大警視「抜刀隊?薩摩には薩摩ぶつけんだよ!」
この人も薩摩だったわ・・・。
この前、薬丸自顕流の師範みたいな人がテレビで言ってたけど、示現流にはそもそも相手の剣を受けるという概念がないんだってなw
斬られる前に斬る、相手が受けても受けごと斬る、一人斬ったら速攻で次の敵を斬る。
バーサーカーとはかくありたい。
世間ではキリシタン大名しかネタにならないが、以外と強い有馬晴信。
大和朝廷に牙を抜かれ眠っていた隼人族(海幸彦の子孫?)が、戦国時代に覚醒して薩摩隼人に。
という昔話を何十年も前に、宮崎のお年寄りから聞かされていたことを思い出しました。
大和朝廷に敗れた隼人族の子孫が、大和朝廷を担いで勝利する展開とか激アツすぎる
日露戦争の英雄と言われた
東郷平八郎が薩摩出身でしたね
バルチック艦隊を沈めた事で
世界中に名前が知れ渡るくらいだったとか何とか、歴史の授業で先生が話してくれました🙂
ソレ以外だと金カムの鯉登親子のイメージが強い。
薩英戦争に参加して「海外はこんなに進んでいるのか」とイギリス留学を考えたとか
西洋列強の脅威に実際に晒されていたのが、当時の薩摩藩や肥前藩だからね。
え?!そなの?!(横須賀市民)
@@user-pv3jh3ck9j
白人に支配された国々で空前絶後の東郷フィーバーになって、東郷ストリートとか東郷の銅像とかつくったらしい
きぇー!?恐ろしい部族が居るんもすな
これからの日本を変えるのもやっぱ鹿児島県民なんだろうな。
サムライの写真からもヤバさが伝わる😑日本て広い参勤交代の怨みか〜納得👍
九州の警官の剣道ガチで怖い
叫び声が他の県の倍は出てる
日本に修羅の国があったとは。。。
薩長土肥から、今の標準語になった言葉が知りたくなった。
薩摩が会津に攻めて来たとき、東北地方のネチっこい作戦に振り回されたらしい。
島津斉彬公が示現流の
稽古を見て一言
気狂いの剣術じゃwww
勝海舟が伊地知正治を
見て一言気狂いwww
白河口の戦いにて
七百の寡兵で三千の
会津兵に釣り野伏せ
発動して会津兵壊滅
させるあたり普通の気狂いとは格が違う
戦国での九州統一はほぼ高橋紹運立花宗茂親子に阻止されちゃったじゃん……
よく考えたら、デカい刃物持ち歩いてる人間がぞろぞろいる国って恐ろしいよな。
脳が筋肉でできているんじゃない
筋肉が脳になっているんだ
こてこての鹿児島県民です。
親父に、先祖を大事にしろ、いじめと嘘つきにはとても厳しく、何度となく殴られながら育って来ました。
厳しい教育は薩摩だから⁈
今では誇りに思ってます。
ひいばあちゃんが薩摩藩士の家から来た人で祖父含め嫁のばあちゃんも厳しく指導されたので、ばあちゃんが偶に面倒見る時に孫のワイにもめちゃくちゃ厳しかったです。受け継がれてますね
@@okada_6869 薩摩の血脈を受け継がれてるのですね!
昔の鹿児島の女性は忍耐力や夫を立てる素晴らしい反面、家では厳しいらしいです😅
私の祖母もそうでした!
よく「やいと」と言って、仏壇の線香で焼きを入れられました😂まぁ、悪いことした私が悪いのですが🙇♂️
薩摩藩と長州藩て仲が悪いけど、それは鎌倉時代が始まりで、一説によると島津が比企氏、毛利が大江氏の血を引いており比企能員と北条時政(大江広元)の対立からの因縁らしいです
警視庁時代の斎藤一が西南戦争に参戦し示現流の猛者と渡り合い、戦後明治政府より勲章と賞金が授与されました。
次元流は達人同士の立ち合いでは勝てないけど、分かりやすく素人を二流まで押し上げる(底上げする)集団戦法で大変効率の良い剣術。
チー牛が分かったようなことを言うな
以前連載されていた「そばもん」という蕎麦の蘊蓄とグルメの漫画があったんだけど、それの京都のにしんそば誕生秘話の物語の時に出て来た、元薩摩藩士の男がメインの話があったんだけど、そいつもかなりの猛者で、物語の中ではほぼ無敵だったし、あれも地味に恐ろしい奴だった。
さいとうたかをの古い漫画の雲盗り暫兵でも、腕の立つ主人公が薩摩に行く話で、そこの最強の剣士が、マジで、この物語の中で最強の一角だった。
主人公が自分が斃されることしか想像出来なかったからね。
薩摩物理チェストホグワーツ
確かライフル真っ二つは、空想科学のラストサムライの内容で人の力では無理だと書いてあったな。
実際は刀をライフルで受けたら、その受けたライフルごと頭に食い込む形で頭蓋骨が割れて〇んだんだと思う。
未だに、琉球王国が薩摩相手に一週間近くも持ったのはあまりにも弱すぎて薩摩側も「何かの罠か?」と戦々恐々としてたから説を推す。
いやぁ、単純に双方そこまでやる気なかったんじゃない?抵抗だってめちゃくちゃ散発的だし。
そもそも琉球征伐自体、島津に侮蔑的な応対した謝名利山が発端だしね。球陽や喜安日記にも「明国生活が長くて日本の風紀を知らない。そのせいで島津に無礼を働き征伐された」って記されてるくらいだから、琉球側の大半はやる気なかったんだと思う。
鹿児島出身の自衛官が多いのは本当にうれしい
まじ?
@@popope7047 鹿児島が毎年一二を争う採用者数ですよ。
それだけ若者の仕事ないからな鹿児島
@@マイケル-h7 みんな流れるように鹿児島から離れますよね笑
鹿児島県で酒と言ったら、日本酒ではなく焼酎を意味する。
居酒屋あるあるww
大隈重信「周り薩摩出身で怖い!!渋ちゃんそばに居て!いるだけでいいから」
渋沢栄一「えぇ~、、、」でも付き合う
戦闘狂とか脳筋のように言われてるけど小松帯刀、五代友厚、大久保利通みたく政治や経済関係に強い人間も輩出してるのよね 江戸中期の宝暦治水事件から江戸幕府に対しての藩の政策丘方針が一変したとか敵対的な政策をとるより幕府の内側に入って薩摩藩の勢力を強めていってる
島津重豪(斉彬の祖父)は有力な外様大名や譜代大名に自分の息子たちを養子に出して藩主にさせてる(福岡藩の黒田 長溥や八戸藩南部 信順など)これのおかげで外様大名ながらすさまじい権力を手にして江戸幕府に対して発言権を強めてる これが後々幕末での薩摩藩の活躍につながってくるから歴史は面白い
薩摩藩の怒りは参勤交代ではなくて宝暦治水事件にある。
木曽川を工事したのは薩摩藩である。
頭を割るどころか腰まで両断するとか恐すぎ
「やっちゃえ、バーサーカー」
薩摩ホグワーツの話かと思ったら違った
六三四の剣に出てきた示現流使いキャラの影響で鹿児島市内の旧家の庭には打ち込み用丸太が埋けてあると思ってたがそんな旧家なんか無かったぜw
イギリスの薩摩藩「チェストォォォォォ!!!」
信長:そういえば、鉄砲って薩摩(薩摩軍による大隈攻め(加治木城攻め)が日本で初めて鉄砲を戦場に使ったとされる)当たりが出処だよな?
光秀:そうですね。
信長:アイツらが飛び道具使って攻撃するイメージがないんだが( ̄▽ ̄;)
光秀:むしろ刺しても無視して突撃する感ありますよね。
農民:地面にドッカリと座って狙って撃って鉄砲を置いて槍か太刀を持って突撃だったって本当ですか?
ドリフターズの島津豊久好き👍👍最強一番好きなアニメ殺人マシーン
薩摩相手に境界を保ってた日向と肥後やばくね?ってじわじわきてる。
死なばもろともでこられたらそら強いよね
近接戦で異常な覚悟で最短距離の最強攻撃をしてこられたら、がんぎまりしてるか見切りがうまい人間でなければ即死よ
『十人以上頚を狩って そいでから 呵々大笑しながら 伐たれるんが薩摩の戦の習いぞ。』
...だそうですし。
コンプするなら他者とトレードするのがマストだな。
ちなみに旧作界隈の人気は東方アプリなどが出る前より沸いていた。日本のwikiより海外版wikiの方が詳しく編集されていたほどでした。
今は平和よ〜。
郷土愛はめちゃくちゃあるし。
五人組や穿抜戦なども勉強すると、内容に深みが出ます。
頑張ってください。
日本のスパルタやね…
幕末の頃、薩摩藩士に斬られた死体は調べずとも分かったらしいですね。
刀創がたった一つ、袈裟斬りに肩の付け根から鳩尾までの壮絶なものだったそうですね。
金カムの最後のあれってそういう元ネタがあったのね、知ってたらリアルタイムでもっと楽しめたのに~
藩士全員が示現流は間違えです。薩摩藩伝の直心影流とか色々流派が薩摩藩にもありました。
鎌倉武士のバーサカーの正統を唯一受け継いだのが薩摩武士だと本気で信じてます。
バーサーカーネタなのに、出張るなぁw長州、長岡推しw
そのむちゃくちゃ強い戦国島津でさえ統一することができなかった九州とか言う魔境。そもそも薩摩大隅を統一するのことさえ、高難易度すぎた模様
まあ大友さんが幅を利かせてたので仕方がないね