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「ひとりはみんなのために」は成り立っていますが、「みんなはひとりのために」は成り立たない事を示すような作品です。また読みたい本が増えました。ありがとうございます😊
ほそぼそとSF作家をやっております。有益な動画、いつも参考にさせて頂いております。
まずパンを与えよ、信仰はその後だってことですね
風の十二方位「革命前夜」で老婆オドーが、十代前半の集団に社会見学に似た訪問を受ける場面でうんざりとするのですが、所有せざる人々で、シュヴェックが母や先任研究者から「名誉」を奪われる暗示になっていると感じて面白いです。少女ライナ•アシエオ•オドーと同じく顔面麻痺の老婆となっても魅力的な男性を意識していて、彼女の革命は怒りから来る生活に根ざした発露だと暗示されていて面白いです。なぜなら彼女の視点から書かれる過去の恋、友情、投獄時の風景が革命理論を作っていると思わせるからです。所有せざる人々の山場でシュヴェックは「苦しみを共にする」意味について演説をするのですが、オメラス地下室の(男とも女とも分からない)棄てられた子供に同化する選択は、「オメラス〜」「革命前夜」を読んでいないと気が付かないと考えます。ル・グウィン全作品のテーマ「帰還」で、シュヴェックは母星に帰る事と、地下室の子供へ還る事の二重の帰還になっていると考えます。シュヴェックはル・グウィンの世界にアンシブルの発明者として、共感への可能性を残したサイコミスのヘラクレス的人物でもあると考えます。ゲド戦記流に書くなら、アンシブルは「シュヴェックの勲」かと思われます。あと、「名前」への仕掛けが素晴らしい三部作です。プレイボーイで連載をしていた頃、AKル・グウィンと署名し、「ウルスラ」を意図して隠していたと風の十二方位のどこかに書かれたはず。マーガレット・アトウッド「侍女の物語」と共通する現代視点のユートピア(=ディストピア)を書いていて、名前と自由の関係の教科書とも感じます。
オメラスの一節は昔やってた「MOZU」というドラマで一瞬だけ出てきて、すごく印象に残っていました。
凄く良い話で聞き入ってたけど、後ろに映るピカールがずっと気になってる
ルグィンは長く残るでしょうね。ゲド戦記をきっちり映像作品化できる映画監督とか、そうそう出てこないでしょうね。
どうか世界が今まで通り変化し続ける世界でありますように。
ゲド戦記書いた方、グウィンは空飛ぶ猫 書いてますけど 空飛ぶ猫を訳した方は村上春樹です。ビートルズかぁ。最初のアルバムと最後のアルバムではぜんぜん違う。ハードロックからクラシック、ジャズのミュージシャンからリスペクトされてるからだと思う。ただ、ビートルズファンでも嫌いな曲ってあるわけ。作家も同じ。ポールオースター好きなんだけどニューヨーク3部作は心に響かなかった。
一方、菅子は「衣食足りて栄辱を知る」と言う。オメラスの子供たちは富めるオメラスに生まれたがゆえに繁栄の真実に怒りを覚えたが、オメラスへの移民希望者なら同じものを見せられてどう感じただろうか。「なんだ、俺たちよりいいものを食ってるじゃないか」と、彼らが言ったとしたら、ことは道徳的にクリアになるどころか一層議論は出口を失い面白くなったのに、レヴィンは本当におしいことをしましたね。続・オメラスから歩み去る人たち~オメラスに駆け戻る~
「ひとりはみんなのために」は成り立っていますが、「みんなはひとりのために」は成り立たない事を示すような作品です。また読みたい本が増えました。ありがとうございます😊
ほそぼそとSF作家をやっております。有益な動画、いつも参考にさせて頂いております。
まずパンを与えよ、信仰はその後だってことですね
風の十二方位「革命前夜」で老婆オドーが、十代前半の集団に社会見学に似た訪問を受ける場面でうんざりとするのですが、所有せざる人々で、シュヴェックが母や先任研究者から「名誉」を奪われる暗示になっていると感じて面白いです。
少女ライナ•アシエオ•オドーと同じく顔面麻痺の老婆となっても魅力的な男性を意識していて、彼女の革命は怒りから来る生活に根ざした発露だと暗示されていて面白いです。なぜなら彼女の視点から書かれる過去の恋、友情、投獄時の風景が革命理論を作っていると思わせるからです。
所有せざる人々の山場でシュヴェックは「苦しみを共にする」意味について演説をするのですが、オメラス地下室の(男とも女とも分からない)棄てられた子供に同化する選択は、「オメラス〜」「革命前夜」を読んでいないと気が付かないと考えます。ル・グウィン全作品のテーマ「帰還」で、シュヴェックは母星に帰る事と、地下室の子供へ還る事の二重の帰還になっていると考えます。
シュヴェックはル・グウィンの世界にアンシブルの発明者として、共感への可能性を残したサイコミスのヘラクレス的人物でもあると考えます。ゲド戦記流に書くなら、アンシブルは「シュヴェックの勲」かと思われます。
あと、「名前」への仕掛けが素晴らしい三部作です。
プレイボーイで連載をしていた頃、AKル・グウィンと署名し、「ウルスラ」を意図して隠していたと風の十二方位のどこかに書かれたはず。マーガレット・アトウッド「侍女の物語」と共通する現代視点のユートピア(=ディストピア)を書いていて、名前と自由の関係の教科書とも感じます。
オメラスの一節は昔やってた「MOZU」というドラマで一瞬だけ出てきて、すごく印象に残っていました。
凄く良い話で聞き入ってたけど、後ろに映るピカールがずっと気になってる
ルグィンは長く残るでしょうね。ゲド戦記をきっちり映像作品化できる映画監督とか、そうそう出てこないでしょうね。
どうか世界が今まで通り変化し続ける世界でありますように。
ゲド戦記書いた方、グウィンは空飛ぶ猫 書いてますけど 空飛ぶ猫を訳した方は村上春樹です。ビートルズかぁ。最初のアルバムと最後のアルバムではぜんぜん違う。ハードロックからクラシック、ジャズのミュージシャンからリスペクトされてるからだと思う。ただ、ビートルズファンでも嫌いな曲ってあるわけ。作家も同じ。ポールオースター好きなんだけどニューヨーク3部作は心に響かなかった。
一方、菅子は「衣食足りて栄辱を知る」と言う。
オメラスの子供たちは富めるオメラスに生まれたがゆえに繁栄の真実に怒りを覚えたが、オメラスへの移民希望者なら同じものを見せられてどう感じただろうか。
「なんだ、俺たちよりいいものを食ってるじゃないか」
と、彼らが言ったとしたら、ことは道徳的にクリアになるどころか一層議論は出口を失い面白くなったのに、レヴィンは本当におしいことをしましたね。
続・オメラスから歩み去る人たち~オメラスに駆け戻る~