大切な人が急性白血病になった!あなたができることはたくさんあります #24

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  • เผยแพร่เมื่อ 11 ม.ค. 2025

ความคิดเห็น • 5

  • @きみきみ-r1s
    @きみきみ-r1s ปีที่แล้ว +10

    私は13年前に母を急性骨髄性白血病でした。
    一昨日までパートしてて4日後には無菌室で抗がん剤治療
    私は泣いて泣いて眠れぬ日々。
    毎日毎日担当の先生が病室に来てくれました。不安な事や今後の事、家族の私たちにも30分も40分も色々な話をしてくれました。
    最期は一緒に泣いてくれました。
    感謝しかない先生でした。

  • @由美佐野
    @由美佐野 9 หลายเดือนก่อน +5

    主人は2019年に急性骨髄性白血病になりました。3回の移植の後、2024年2月に逝去しました。
    闘病中は、入退院を繰り返していましたが、自宅にいる時はとても調子が良かったりと、幼い子どもを色々な所に遊びに連れて行ってくれ、楽しい思い出もたくさん作ってくれました。
    家族も一段と絆が深まり、強くなれた気がします。
    白血病には型があります。
    完治してお元気な方もたくさんいらっしゃいます。
    今闘病中の方やそのご家族に、1日1日を大切に、頑張ってほしいと思います。

  • @ホープ-u4b
    @ホープ-u4b 2 ปีที่แล้ว +15

    5年前に、実の母を急性骨髄性白血病で亡くしました。
    亡くなる2週間前に発症し、歯茎から血が止まらない、といっていて、母は病院にいこうとしませんでした。ギリギリまで、病院に行こうとせず、手足が悪いから、いっしょにふろに入り、母のあかをこすっていたら、からだじゅう紫斑になっていました。母さん、白血病じゃないの?と、何気なく私はいいました。それでも、病院に行こうとしませんでした。
    母はだるくなり、弱っていっても病院に行こうとしませんでしたが、亡くなる2日前、ようやく病院にいきました。
    血小板が1しかない。
    次の日、でかい病院にいきなさいといわれ。
    さらに次の日、母は自力で歩けなくなっていました。救急車、呼ぶか?と父がいったが、最後まで母は意地を張り、13時という約束だろ、といいました。それが最期の言葉でした。
    母は立てないため車イスを借り、13時に病院にいきました。
    2時間またされ、さらに。きょう、明日の命です。いつ死んでもおかしくないといわれた。緊急入院、母は次の日に亡くなりました。
    69歳、362日。70歳に3日まで足りませんでした。
    70歳になれば3割負担から2割負担になるから待とう、待とうと、病院にいこうとしなかったのです。

  • @倉持福
    @倉持福 ปีที่แล้ว +11

    遠方の友人や親戚に、自分が白血病になりこれから先の見えない闘病生活に入る事を知らせたのに「そんな事でいちいち連絡してくるな!俺は医者じゃないしとにかく忙しいから切るぞ。」と一蹴されて以来、向こうからは1年以上心配や見舞いの連絡が一切来ません。もう少し白血病の事を理解してくれと言いたくなります。

  • @Senamina-24
    @Senamina-24 หลายเดือนก่อน

    同じように悩んでいる方に教えてあげたいです。
    今の日本の食事が戦前の食事じゃないことを。
    昔の食事が唯一の大事な人を助ける手段です。