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先生、この度の長福寺奉加帳の講義有難う御座います、明智氏の年代が50年も遡ることは大変興味深いことだと思います!今後の検証に思いが膨らみます。
先生のお話でまた大河と重なり楽しく拝見しました。今回の長福寺で奉加帳が見つかり発表されました福島金治様に感謝します。明智兵衛太郎が土岐氏に繋がって欲しいです。土岐市は系図から広大な勢力だった事も分かります。明智の苗字が50年も遡るとは凄い事だし、今後の古文書に期待します。大河のシーンで光秀の父上が土岐氏のお殿様から頼りにされていたのを思い出しました。
とても興味深い内容でした。ありがとうございました
私の旧姓も明智なのでいつも興味深く拝見させて頂いています。
こういうのを見つけるとワクワクするんだろうな。聞いてるだけでもワクワクするんだから。
どんどん新しい発見が出てきて真実がわかっていく❗歴史の妙味ですね。
大河ドラマ 麒麟が来る最高でした。光秀様が人に優しい主君にもきちんと話をされ、まれに見る人望の厚い方ですね。朝廷や将軍からも戦乱の世にブレーキ役に自ら謀反者になり麒麟を呼んで来たと思います。💧 小和田先生の貴重なお話をありがとう🙇ございます。歴史に興味が沸いて来ました。
3300点もの資料をお寺が残してくれていたのがすごい。そしてその資料を丹念に読み解いていかれた労力に敬意を覚えます。
略奪品の隠し場所だった可能性があります。
土岐九郎頼基系明智氏とは別系統の明智氏ということですね。土岐九郎頼基(のち長山姓を名乗る)が京都の俳句会で使用していた俳句名の〝あけち〟からその弟にあたる土岐十郎頼兼(正中の変で父頼貞から汚名を着せられて頼清の養子になる)の子十郎頼重(頼基の娘を娶ってあけち彦九郎頼重になる)が明智として武家化して土岐明智を興したのは、凄い業績だと思います。それにしても明智光行の名前から、当時土岐氏は〝光〟を通字に使用していたので、明らかに土岐系統の人であることは間違いないですね。
俳句会❓️
『あけち』とは、耕作放棄地や、敗戦によりあけわたした土地をさすことばと、聞いています。埋め立て地を『梅田』としたように。皆さんは如何お考えになりますか。
明智兵衛太郎1301年か、永久に記憶しとく。2022年3月14日。一見完了。
小和田先生のお話しはいつもためになります。ただその先生の「和田」と表記されたりしてます。字幕の精度もう少し上がりませんか?
まだまだどこかの寺院に貴重な資料が残っているかもですね
素人の質問で申し訳ないのですが、後世の書き込みではないというのは、筆跡や墨の濃さや筆の太さなどで判断するということでしょうか??
明智頼兼か、それより前か気になるところです
小和田先生、長年、美濃源氏ホウラムで、お世話になっております。長福寺奉加帳に付いて一考察を申し上げます。奉加帳に欠落している地域があります。笠原、滝呂、の隣、大畑、一の蔵、品野、地域です。明智兵衛太郎は、満政流、木田重長の系に、満行、明智太郎、満房、明智二郎があります。土岐明智家。の菩提寺、妻木にも隣接地です。木田流明智家と、土岐明智家は、繋がりがあるのでしょう。大畑には美濃大騒乱の後、金森氏が、大畑氏を名乗り一時期定住しております。大畑地域の、研究を進めてまいります。
文書がボロボロで、凄いね?!
前から気になっていたんですが先生もしかして眉毛書いてます?もしそうだったら可愛いです(申し訳有りません)(*´ω`*)
こうした古文書がまだまだ国内には眠っているハズ。木造建築ゆえの火災消失などの恐れを考えると、もっともっと発掘を加速させる気運が高まっても良いのかもしれない。
東大の現代文で入試問題にもなってたが、歴史はヴェスティージ残存した記憶・痕跡である、同一か別系統かについてまでは踏み込めないだろう。
明智兵衛太郎は、太郎とあるから長男である。明智光秀の頃に土岐兵太夫がいる。
先生、この度の長福寺奉加帳の講義有難う御座います、明智氏の年代が50年も遡ることは大変興味深いことだと思います!今後の検証に思いが膨らみます。
先生のお話でまた大河と重なり楽しく拝見しました。今回の長福寺で奉加帳が見つかり
発表されました福島金治様に感謝します。
明智兵衛太郎が土岐氏に繋がって欲しいです。土岐市は系図から広大な勢力だった事も分かります。明智の苗字が50年も遡るとは凄い事だし、今後の古文書に期待します。
大河のシーンで光秀の父上が土岐氏のお殿様から頼りにされていたのを思い出しました。
とても興味深い内容でした。ありがとうございました
私の旧姓も明智なのでいつも興味深く拝見させて頂いています。
こういうのを見つけるとワクワクするんだろうな。
聞いてるだけでもワクワクするんだから。
どんどん新しい発見が出てきて真実がわかっていく❗歴史の妙味ですね。
大河ドラマ 麒麟が来る最高でした。光秀様が人に優しい主君にもきちんと話をされ、まれに見る人望の厚い方ですね。朝廷や将軍からも戦乱の世にブレーキ役に自ら謀反者になり麒麟を呼んで来たと思います。💧 小和田先生の貴重なお話をありがとう🙇ございます。歴史に興味が沸いて来ました。
3300点もの資料をお寺が残してくれていたのがすごい。そしてその資料を丹念に読み解いていかれた労力に敬意を覚えます。
略奪品の隠し場所だった可能性があります。
土岐九郎頼基系明智氏とは別系統の明智氏ということですね。
土岐九郎頼基(のち長山姓を名乗る)が京都の俳句会で使用していた俳句名の〝あけち〟からその弟にあたる土岐十郎頼兼(正中の変で父頼貞から汚名を着せられて頼清の養子になる)の子十郎頼重(頼基の娘を娶ってあけち彦九郎頼重になる)が明智として武家化して土岐明智を興したのは、凄い業績だと思います。
それにしても明智光行の名前から、当時土岐氏は〝光〟を通字に使用していたので、明らかに土岐系統の人であることは間違いないですね。
俳句会❓️
『あけち』とは、耕作放棄地や、敗戦によりあけわたした土地をさすことばと、聞いています。埋め立て地を『梅田』としたように。皆さんは如何お考えになりますか。
明智兵衛太郎1301年か、永久に記憶しとく。2022年3月14日。一見完了。
小和田先生のお話しはいつもためになります。ただその先生の「和田」と表記されたりしてます。字幕の精度もう少し上がりませんか?
まだまだどこかの寺院に貴重な資料が残っているかもですね
素人の質問で申し訳ないのですが、後世の書き込みではないというのは、筆跡や墨の濃さや筆の太さなどで判断するということでしょうか??
明智頼兼か、それより前か気になるところです
小和田先生、長年、美濃源氏ホウラムで、お世話になっております。長福寺奉加帳に付いて一考察を申し上げます。奉加帳に欠落している地域があります。笠原、滝呂、の隣、大畑、一の蔵、品野、地域です。明智兵衛太郎は、満政流、木田重長の系に、満行、明智太郎、満房、明智二郎があります。土岐明智家。の菩提寺、妻木にも隣接地です。木田流明智家と、土岐明智家は、繋がりがあるのでしょう。大畑には美濃大騒乱の後、金森氏が、大畑氏を名乗り一時期定住しております。大畑地域の、研究を進めてまいります。
文書がボロボロで、凄いね?!
前から気になっていたんですが先生もしかして眉毛書いてます?
もしそうだったら可愛いです(申し訳有りません)(*´ω`*)
こうした古文書がまだまだ国内には眠っているハズ。木造建築ゆえの火災消失などの恐れを考えると、もっともっと発掘を加速させる気運が高まっても良いのかもしれない。
東大の現代文で入試問題にもなってたが、歴史はヴェスティージ残存した記憶・痕跡である、同一か別系統かについてまでは踏み込めないだろう。
明智兵衛太郎は、太郎とあるから長男である。明智光秀の頃に土岐兵太夫がいる。