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天才として過ごした10代も凄いけど…そこからリハビリして東北で輝いた事は本当に気高い…そして色々な苦労を乗り越えて指導者としてさらに輝くとは😭いや、尊敬しかないです。素晴らしい動画、ありがとうございました✨
財前選手をフォーカス嬉しすぎる
財前と岩本テルを擁してのJ1初昇格は宮城県民には忘れられない出来事ですね
山田も忘れずに
いやもう、、、アジカンさんの動画は本当に分かっていらっしゃる…!待ってました!財前宣之!!!
日曜日の夜というのも絶妙、至妙。
小倉選手もそうですが不遇のケガで未来が変わってしまった名選手って沢山いますねそれでも人生に負けない姿勢はホントに素晴らしいと思う
日本サッカーにとってW杯が遥か遠い所にあった時代、天才が現れれば、過剰の期待がよせられていた。財前宣之はその際たる一人と思います。U17世界大会が日本で開催された時の活躍はまさに天才の名を欲しいままにしていました。怪我さえなければ、生まれる時代が違ければ、ワールドクラスのトッププレイヤーになっていたかもしれません。しかし3度の大怪我を乗り越え、36歳までプレーしたというのは、天才と同時に不屈の闘士を持っていたということでしょうね。Jリーグが誕生した頃の時代をオッサンからしたら、堪らない選手です。アジカン、動画UPありがとうございます👍️
ハートフルなコメント最高っす❤️🔥
財前を追いかけ世界有数のプレーヤーにまでなった中田英寿。でも、彼は29歳という若さでユニフォームを脱いでしまった。財前宣之は中田英寿ほどの輝かしいキャリアを歩めたとは言えないかも知れない、でも、仙台の地であのサポーターからの声援を受け、愛され、最終的には36歳という年齢まで現役を続けた。そのキャリアは余りに輝かしく、尊い。閃光の様に眩しかった10代の頃の輝きとはまた違う、地上の星。
財前が16歳の頃、西が丘競技場にて全日本ユース選手権の準決勝で東福岡高校との対戦で後半から出て来て一気に流れが変わり、16歳ながらスキルフルでゲームメーカーとして試合をコントロールしていた。こんなに、上手くてゲームを組み立てる高校一年生を初めて観たのを未だに良く憶えています。。それぐらい、衝撃的に上手い選手でした。。
世界でも最も優秀な選手が多いと言われる1976年生。日本も早生まれの中田や宮本も含めて多くの1976年生が黄金世代組より代表では活躍したイメージがあります。財前は正にこの世代の最初に天才と言われた選手!
財前、磯貝、小野…皆大怪我が無ければ同じピッチで共演もあり得ただけに見てみたかったなぁ噛み合うかは勿論分からないけど、この三人が中盤に揃うとかそれだけでワクワクする
感動しました。サッカーがめちゃめちゃ好きなんだろうなというのが、伝わってきました。
ぜひこれからも日本サッカーにその才能を分けてほしいです。
隠れた天才🎉フィジカルがいかに大事かわかりました
こういう先人の歴史があるからこそ今に海外へ進出して活躍する日本人がいると思う
アジカンさんいつもありがとうございます🙇高校三年生の時地元の岐阜で行われたU-17初めてプレーを観て度肝を抜かれました😂あの時のメンバー豪華でした🎉カヌと握手をする事が出来ました😊
人間味があって僕は大好きな選手の1人です😊動画ありがとうございます⭐️
中田英や、松田は、そのままU19の代表に入っていったけど、前のカテゴリーでエースだった財前が入らなくて当時は不思議に思っていたが、やはり、フィジカルが追いついていかなかったんだと思ってる。
北海道に住んでるけど室蘭という小さな町が財前兄弟、野田、城、松木玖生と言った日本屈指の選手達を輩出してるのが実に興味深い。室蘭に比べたら大都市の札幌からはそこまでメジャーな選手は出てきてないのに。
室蘭大谷があるからサッカー文化が根付いていて才能が発掘されやすい環境にある?サッカー王国静岡みたいな
城、うまいと思ったことない変な人ってカンジ
@@日巻やってた TH-camrになった今でこそアンチが多いけどJ通算139ゴールで28年ぶりの五輪と日本初のW杯出場に貢献、日本人初のラ・リーガ1部移籍してレギュラーとしてゴールも決めた。間違いなく日本人選手の中では歴史に残る選手だよ。
別に城のファンではないが…。上手か下手かの感じ方は人様々だが、でも間違いなくあなたよりは凄いw
財前君は、間違いなく天才!
腐ることなく、諦めず、前を向いてサッカーを続けたその不屈の精神に感服します。
財前さん本人も日本でじっくり体を鍛えてから海外に行くべきだったと反省していましたね。タラレバは無意味ですが彼が若い頃怪我をしないでいたら代表もクラブも魅力あるチームになっただろうなと。財前さんが体験した事をぜひ後世に伝えてあげてください。
財前を始めとした所謂「早熟の天才」というのは同世代の選手たちに刺激を与えるという意味で有用だと思ってる。良く言えば「目標」悪く言えば「捨て石」としての役割を担った存在は一定数必要。
残酷だけどそう思います。追いかける立場からすればありがたい存在でもありますね。
読売クラブユース時代の15歳のときの彼をトレセンで見て、なんであの体つきで誰にもボールを取られないのか衝撃を受けた記憶がありますサッカー感がひっくり返るものでした
二十歳そこそこで三度も靭帯断裂なんて泣いちゃうよ😭それにしても、菊原、山口貴之、財前、玉乃と読売の天才少年たちは悉く大成しなかったな~
ユース出身ではないが石塚ももったいない才能だった。
鋤柄も大成しなかったなあ
Under 17の当時のチームは完全に財前のチームだった悲劇の天才だよなゼーマン元監督の言葉が響く
皆さんの言う通り、テクニックだけでなくフィジカルなんですよね。中田なんて多少のことでは倒されませんでしたもんね。ただ生まれてくる年代が間違っていなかったら、正しい順序で海外に行っていたら、『日本の至宝』になってますよね、絶対的に。
40代前半の人達なら知らない人は居ない人です❕財前さんを見て、マネた人達はすごい居たと思います!特集ありがとうございました😊
22歳で靭帯3回…怪我はいくら振り返っても仕方がないし虚しくなるのだけど、財前と中田、見たかったなあその後すぐ小野が出てくるし、どんなサッカーになってたんだろう
名前は聞いたことありましたが実に華麗なプレーヤーですね!怪我からの復活ストーリー、感動しました
本当に残念だったけど、その後の生き様が素晴らし過ぎますね。真のサッカー小僧なんでしょうね⚽もしスペインにカズが行っていたら、どうなっていたんだろう?と思わずにはいられません…。
財前選手は確かに才能はありましたよね。ただし、結局プロで大成出来るかは、怪我に強いかで決まりますね。才能があっても、怪我が多い&克服できない選手は難しいです。でも財前選手は立派ですよ。腐らずに36歳までプレイしたのですから。
やっぱり・・先天的に身体の頑丈さってありますよね。
1995〜1996シーズンのセリエAのラツィオVSACミランを、ローマのスタジオオリンピコに観戦に行きました。その時に財前はラツィオに留学してたんですね、知りませんでした。ラツィオはシニョーリ、ボクシッチ、カシラギ、ミランは、ジョージウェア、サビチェビッチ、マルディーニ、バレージ、コスタクルタ、アルベルティーニ、控えにバッジォ、ボバンなどいました。ウェアが、ハーフウェイラインから、ドリブルを始め、4人くらい抜いてスーパーゴールを決めたミランがウノゼロで勝利。ウェアのゴールは、年間最優秀ゴールに選ばれ、ガゼットゼラスポルト紙の評価は7.5で、そのシーズンはミランがスクデットでした。
サッカーセンスが若い時にズバ抜けてると 大人になると消えるの多いよな。
財前、実は三兄弟で、真ん中にもう一人いることは知られていない。。。真ん中もサッカーのセンスあったな
サッカーファンたぶん知ってるよ。有名な話。
前十字靭帯の断裂は今でも「長くても一年以内に戻れる」と考えられていますが、戻れるだけで完治は18〜20ヶ月かかるのが現実みたいですね。だから完治しないままプレーすると再発のリスクも高くなる。身近に戻った直後に再断裂して高校3年間をほとんどプレーできなかった子がいたので、耳を塞ぎたいかもしれないけど、完治までは2年近くかかるという現実は受け止めてほしいです。
素敵な動画をありがとうございます。日本で行なわれたU17世界選手権では、実験的にスローインの代わりに、キックインが採用されました。財前選手が、日本のキッカーをつとめていましたが、長短問わず、ゴール前に構える長身FW船越選手に正確なボールを送っていたシーンが、印象に残っています。
高校サッカーで財前兄率いる室蘭大谷は衝撃的でした。その弟ということで、財前宣之氏には大いなる期待がかかっていましたが、怪我に悩まされたのは本当に残念でした。
2001年ベガルタ初昇格の年は、初めて年間通じて出場できたような気がする。99年の靭帯断裂で入院中、当時の監督清水さんが10番空けて待ってるからと話したのも逸話です。また、清水さんがマリノス時代には財前兄も見ている訳で。対照的に元祖10番中島浩司さんが、8になりシルビーニョ加入の2002年に15と変わるのもみてきた。1つ言えるのは財前宣之は10番が一番似合う。山形の初昇格試合?だかで魅せた、アウトサイドキックでのアシストも忘れられない。
とリス
同学年やわ。MFかじかわ、FW堀越などもいたな。存在感が半端なかった、怪我がなければA代表の10番やろ。宮市も怪我に泣かされた一人です。
本人がイタリアで技術は互角に渡り合えたが体力的にちょっとという感じがあったと述べているように、フットボールである以上フィジカルの強靭さが生き残りのカギなんですよね
若くして欧州の地に足を踏み入れたが…昨今ではU世代でも海外クラブに籍を置く選手が増えましたが、日本人の体躯とは難儀なものです。ともかく財前は凄かった!
中田と同世代なのに 釜本、奥寺氏並みに全盛時映像が残ってないのが謎めいていてロマンを掻き立てる要因かもね
ラツィオで後にイタリア代表DFになるネスタを手玉に取った逸話は、間違い無く凄い。
U-17日本代表の10番を背負った財前は独特のオーラを放ってたし、ルックスも良い。ただ、昔あるサッカー雑誌で彼の高校時代の1日に密着した写真付きの記事を読んで、プロでやっていく体を作らなければならない線の細い彼の練習後の食事が夜遅くになるため食べるのは炭水化物系らしく、栄養面でのアドバイスとかされないのだろうかと心配したことがあった。
当時は日本がワールドカップに出たことがなかったので若い選手に夢を見ていた時代だったのでしょうね。まだ日本サッカーに物語があった時代。
ラツィオは本当に日本人選手にとっては鬼門なんだよなぁ…。
10代の財前と柳沢はガチの本物だった!
「財前」って苗字聞くと『白い巨塔』の財前教授を思い出すけど、財前選手の存在を知っていたからドラマの時にサッカーの財前が頭をよぎってた。
タイのリーグで観ました。膝ボロボロだったと思うけど断トツに上手かった👍
怪我がなければどれだけの選手になっていたのか…。ラツィオへの留学は聞いた事があります。ラツィオは1995年の夏に北海道に来ていたはず。サッカー雑誌を見て驚いた記憶があります。財前もそのメンバーの一人だったはず。シニョーリやボクシッチもいたはず。
彼が読売のJr.ユースやユース時代は日本リーグのチームと良く練習試合をやっていたそうですが、大人相手でもほとんどボールを取られないのが財前だったと聞いたことがあります。菊原や山口貴之、財前など読売天才少年の系譜は当時のサッカーファンというよりも、むしろサッカー少年達の間で神格化されていた時代でしたね。情報が限られた時代だから逸話のスケールや伝わり方が今の若い子には中々伝わりづらいところかもしれませんが。
フィジカルとメンタルのバランス取った育生は大事ですよね。若い素晴らしい才能を潰してはいけない。たらればで終わらせてはいけない。
過去天才と呼ばれた選手たちは揃って膝の怪我に悩まされてるんですよね。
伝説のキックイン⚽
ざいのぶ好きだ
ヴェルディジュニアユース強かったなー。小見さん元気かなぁ。財前さんは本当に天才でした。あの時代にもっと日本サッカーの環境が整ってたら…だけどあの怪我で良くやったと思うし、サッカーが大好きだったんだな。
1995年の世界選抜入りは凄かったなー。
いつも楽しく拝見させてます。前園真聖、ロシツキー、フレブあたりの動画宜しくお願いします。
小野もだけど若い時に大怪我して乗り越えた分長く現役続けられたの良かったと思う。そりゃ、怪我せずにもっと大きな活躍出来たかもだけど。スポーツ選手は怪我はつきものそれも運命なんだと思う。
ロビーファウラー良かったらお願いします!😂
時折、財前弟氏(室蘭大谷 → マリノスでプレーした兄も、大天才なのをお忘れなく)の再評価が語られるけれど、試合や好プレーのハイライトの動画が少ないのが惜しまれる。
シニョーリやネスタとかレジェンド級のアズーリが出てくるあたりスゴイよね👍
シニョーリやゼーマンとの件、全然知らなかった。当時のラツィオでこんなエピソードがあったなんて本当に本物やったんや。イラついてプレーしてた時にケガするのもあるあるやし、何か仕事や人生にも通じる…アジカンさん。むちゃむちゃ興味深くて示唆に富んだヒストリー、有難うございます🙇♂️
内容に関係ないけど、着てるチェコのユニが懐かし良すぎる
コケ英😭ちゃんももうすぐ財前の仲間入り。 そして菅原から『あの時は勝てる気がしなかった』と・・・😇🤧
当時のヴェルディFWはベンチも藤吉、阿部、永井、石塚。皆相応に個性的で、高い能力を持ってました。アモローゾに至っては外人枠も重なって出られなかったのだもの。財前のラツィオ留学は正解と思いましたし、その後ログロニェスで飛躍すると確信していました。ベガルタで時折名前を聞いていましたが、そんなに長く現役でいたとは。サッカー選手は成功と失敗だけで語れるものではありませんね。
勿体ない存在だと思いました。センターが通り高重心で、脚がフリーで動けるからこそのボールコントロールとドリブルです。
泣いた
中田の動画の次に財前をチョイスするアジカンさんのセンス!!怪我が無ければ、ローマ中田VSラツィオ財前のローマダービーが実現してた世界線もあったのかなぁ…
美しいフットボーラーとは財前選手の事です!
アジカンさん、こんばんは財前特集、ありがとうございます😀財前を知ったのが、当時週刊誌だった、サッカーマガジンでした。サッカーマガジンで財戦の特集を「活字で」見ただけなので、当時はそれこそ「まだ見ぬ財前」に期待を寄せてました。まさに王様のような存在でしたね。98年か2002年のワールドカップで背番号10を背負うのは財前だと勝手に期待してました。靭帯を3度も切ってしまうとは、心が折れても無理ないですが、めちゃめちゃトレーニングをして復活して、36歳まで現役を続けたわけですから、やはり財前はすごいです😊
財前…初めて知ったタイミングがだいぶ後になってしまったけど、もっと早く知りたかった選手。昔(と言っても25歳ぐらい?)に過去のU20代表を放送していた時、放送当時大活躍中の中田などを中心に取り扱ってたけど、めちゃくちゃとんでもなくうまい(&自分が気に入った)10番がいて名前も紹介されないから、思わず誰なのか調べた。「財前」…?はてJリーグでも見た記憶がないと思ってどうしたんだろうと思ってたら怪我して出れてなくて、Jしか見てない自分が知るのは怪我から感動的な復帰を果たしたところからだったな。順調にキャリアを詰めれば、大きな夢を見せてくれると思われた稀有な選手だったな。同学年だったし。
アジカンさんは本当に幅広い!あえて、キング・カズ特集お願い致します🙏
紙一重という言葉がこれほど似合う方もいないと思います。
まとめていただいており、ありがとうございます。有名な話なので気になるのですが、もうちょいプレー映像無いんか…
50代道民としてはどうしてもお兄ちゃんの方を思い出してしまう。財前、室蘭大谷、超高校級という言葉がセットで。
かわいそうな天才やなあ
同じ歳です。財前も凄い選手でしたが、同学年の菅原智もヤバかったすよ!同じ室蘭出身ですよね!後は読売クラブだと、一木とか星川とかも! 中1の頃対戦しましたが、フィジカルとボール回しが凄くてチンチンにされた事を思い出します。読売の人工芝のグラウンドだと技術の差がもろに出て…(ToT)
現在ヴェルディユースで監督をやっている薮田もいましたね。
仙台戦力外になった時どうせ移籍するならライバルがいいと言って山形に来てくれました山形のJ1昇格にも貢献してくれたのは間違いないです阿部祐大朗や比嘉厚平といった選手も山形でプレーしてその片鱗は見せてくれたけど個人的に財前のプレーが1番印象に残っています
あのネスタを弄んでたのは冷静に考えてやばいな
キックイン懐かしい
お兄さんのが好きだったな
まぁ足下ほ上手さ≒キャリアの成功なのは今や常識で、結局 成功したヤツが正解なんだと思う確かに財前も小野も、俊輔もヒデよりテクニカルな上手さは明らかに上だったけど、キャリア全般や代表活動通して最もインパクト強く、また活躍したのはこの時代では中田英寿だったところにサッカーの面白さがあるねヒデはヒデで天才に違いないが、着目点、プレーの質、強度がまるで違ったよね
お兄さんの恵一さんと大谷で同期だった馬越さんは社会人チームで同じチームでした。
中田英寿がああなれたのは、ベルマーレ平塚が中田をすぐ王様にし、ベルマーレもそれを中田に約束した事で、代表にも繋がって経験と自信が、中田を一気にカンテラにの仕上げたんじゃないかな?
そうですね。ペルージャでも、そうですよね。ある意味、自信を確信に変えさせるプロセスだったのかもしれませんね。日本は、昔から出る杭はうたれる的な色が濃いので。故意に、つぶされてしまいますよね。
@@モフモフねこ神 打たれる以上の結果を残したからじゃかいかな。打たれ始めたのはローマ、パルマからだけど、何だかんだの結果残してる。フィジカルが突出してたのは大きな武器でしたね
@@ol6023 さん。打たれても負けない気持ちが強かった本物なんですね!
@@モフモフねこ神 財前は天才かもしれないけど、トッティや中田みたいな強靭なフィジカルがないなら、デルピエロ並みのテクニックがないと、中途半端な天才で終わっちゃうのかもね。
財前、小野、小倉この3人が怪我しなかった世界線見たいんだよなあ
財前をU-17世界大会で見たときは『カズの後継ぎは財前だ。』と思いました。ifは言うべきではないかもしれませんが財前が怪我に見舞われなかったら、もう少し早く若い選手の海外移籍が多くなって、今、自分たちが見ている日本代表とは違っていたかもしれません。
財前、小野、小倉日本の天才は何故大怪我するのか
財前が以前にヒデの事を「努力の天才」と話していた事が印象に残っています。怪我がなければ中島翔哉選手みたいなプレーをしていたのではないかと思います(^^)
中島ってドリブルスキルは半端無いし、決定力もあるしメンタルも強いけど、サッカーが上手いっていう選手じゃないんよな。勿論、世界レベルの話やで。財前みたいなお手本にされる選手とはちょっと違うだろうね。
より正確には「準備の天才」でしたね。th-cam.com/video/SrVX-zT9bBc/w-d-xo.html
別次元の天才の全盛期のプレー集を観たいけどTH-camにほとんどないですよね。発言も謙虚なのかそのまま感じたことを言ってるのか分からない…
ログロニェス時代にルーベン・ソサが誉めちぎってたな
「ゴールの詩人」ですね。彼も特集すべき伝説の選手です。
ASAYANにも出てましたね
財前さんが我慢してヴェルディで頑張るかヴェルディ以外のJクラブへレンタルされていれば未来は変わっていたと思いますねぇ〜。
怪我がなげればどこまで登り詰めていたのか見てみたかったです。
財前もアトランタオリンピックで観たかったなぁ。小倉、財前、いたら😅。斉藤俊秀や望月重良、73年生まれで大学組だってホントは資格あったのにさ😅。
やっぱり94年頃の代表ユニは良いな。せっかく八咫烏の翼をモチーフにしてたんだから、あのデザインを基本にして少しづつモデルチェンジして行けば良かったのに。
確か宮本が紅白戦でザイがいるチームが勝つから一緒で良かったみたいな事言ってたね
ZAIZENをチョイスするとはお目が高い!当時は名前にザ行が入ると強い迷信が僕の中だけでありました🤣
小倉や財前は上手い選手。中田は強い選手。というイメージ。
財前が中心のヴェルディが見たかった…。
もっともっとゆるんでいたら。
日本のプロ経由せずにブレイクした選手て マック鈴木以外誰かいたっけ?
リトマネンやってほしい~
天才として過ごした10代も凄いけど…そこからリハビリして東北で輝いた事は本当に気高い…そして色々な苦労を乗り越えて指導者としてさらに輝くとは😭いや、尊敬しかないです。素晴らしい動画、ありがとうございました✨
財前選手をフォーカス嬉しすぎる
財前と岩本テルを擁してのJ1初昇格は宮城県民には忘れられない出来事ですね
山田も忘れずに
いやもう、、、アジカンさんの動画は本当に分かっていらっしゃる…!待ってました!財前宣之!!!
日曜日の夜というのも絶妙、至妙。
小倉選手もそうですが不遇のケガで未来が変わってしまった名選手って沢山いますね
それでも人生に負けない姿勢はホントに素晴らしいと思う
日本サッカーにとってW杯が遥か遠い所にあった時代、天才が現れれば、過剰の期待がよせられていた。財前宣之はその際たる一人と思います。U17世界大会が日本で開催された時の活躍はまさに天才の名を欲しいままにしていました。怪我さえなければ、生まれる時代が違ければ、ワールドクラスのトッププレイヤーになっていたかもしれません。しかし3度の大怪我を乗り越え、36歳までプレーしたというのは、天才と同時に不屈の闘士を持っていたということでしょうね。Jリーグが誕生した頃の時代をオッサンからしたら、堪らない選手です。アジカン、動画UPありがとうございます👍️
ハートフルなコメント最高っす❤️🔥
財前を追いかけ世界有数のプレーヤーにまでなった中田英寿。
でも、彼は29歳という若さでユニフォームを脱いでしまった。
財前宣之は中田英寿ほどの輝かしいキャリアを歩めたとは言えないかも知れない、でも、仙台の地であのサポーターからの声援を受け、愛され、最終的には36歳という年齢まで現役を続けた。
そのキャリアは余りに輝かしく、尊い。
閃光の様に眩しかった10代の頃の輝きとはまた違う、地上の星。
財前が16歳の頃、西が丘競技場にて全日本ユース選手権の準決勝で東福岡高校との対戦で後半から出て来て一気に流れが変わり、16歳ながらスキルフルでゲームメーカーとして試合をコントロールしていた。こんなに、上手くてゲームを組み立てる高校一年生を初めて観たのを未だに良く憶えています。。それぐらい、衝撃的に上手い選手でした。。
世界でも最も優秀な選手が多いと言われる1976年生。
日本も早生まれの中田や宮本も含めて多くの1976年生が黄金世代組より代表では活躍したイメージがあります。
財前は正にこの世代の最初に天才と言われた選手!
財前、磯貝、小野…皆大怪我が無ければ同じピッチで共演もあり得ただけに見てみたかったなぁ
噛み合うかは勿論分からないけど、この三人が中盤に揃うとかそれだけでワクワクする
感動しました。
サッカーがめちゃめちゃ好きなんだろうなというのが、伝わってきました。
ぜひこれからも日本サッカーにその才能を分けてほしいです。
隠れた天才🎉
フィジカルがいかに大事かわかりました
こういう先人の歴史があるからこそ今に海外へ進出して活躍する日本人がいると思う
アジカンさん
いつもありがとうございます🙇
高校三年生の時地元の
岐阜で行われたU-17
初めてプレーを観て
度肝を抜かれました😂
あの時のメンバー豪華でした🎉
カヌと握手をする事が出来ました😊
人間味があって僕は大好きな選手の1人です😊動画ありがとうございます⭐️
中田英や、松田は、そのままU19の代表に入っていったけど、
前のカテゴリーでエースだった財前が入らなくて当時は不思議に思っていたが、
やはり、フィジカルが追いついていかなかったんだと思ってる。
北海道に住んでるけど室蘭という小さな町が財前兄弟、野田、城、松木玖生と言った日本屈指の選手達を輩出してるのが実に興味深い。室蘭に比べたら大都市の札幌からはそこまでメジャーな選手は出てきてないのに。
室蘭大谷があるからサッカー文化が根付いていて才能が発掘されやすい環境にある?
サッカー王国静岡みたいな
城、うまいと思ったことない変な人ってカンジ
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別に城のファンではないが…。上手か下手かの感じ方は人様々だが、でも間違いなくあなたよりは凄いw
財前君は、間違いなく天才!
腐ることなく、諦めず、前を向いてサッカーを続けたその不屈の精神に感服します。
財前さん本人も日本でじっくり体を鍛えてから海外に行くべきだったと反省していましたね。
タラレバは無意味ですが彼が若い頃怪我をしないでいたら代表もクラブも魅力あるチームになっただろうなと。
財前さんが体験した事をぜひ後世に伝えてあげてください。
財前を始めとした所謂「早熟の天才」というのは同世代の選手たちに刺激を与えるという意味で有用だと思ってる。
良く言えば「目標」悪く言えば「捨て石」としての役割を担った存在は一定数必要。
残酷だけどそう思います。
追いかける立場からすればありがたい存在でもありますね。
読売クラブユース時代の15歳のときの彼をトレセンで見て、
なんであの体つきで誰にもボールを取られないのか衝撃を受けた記憶があります
サッカー感がひっくり返るものでした
二十歳そこそこで三度も靭帯断裂なんて泣いちゃうよ😭
それにしても、菊原、山口貴之、財前、玉乃と読売の天才少年たちは悉く大成しなかったな~
ユース出身ではないが石塚ももったいない才能だった。
鋤柄も大成しなかったなあ
Under 17の当時のチームは完全に財前のチームだった
悲劇の天才だよな
ゼーマン元監督の言葉が響く
皆さんの言う通り、テクニックだけでなくフィジカルなんですよね。
中田なんて多少のことでは倒されませんでしたもんね。ただ生まれてくる年代が間違っていなかったら、正しい順序で海外に行っていたら、『日本の至宝』になってますよね、絶対的に。
40代前半の人達なら知らない人は居ない人です❕
財前さんを見て、マネた人達はすごい居たと思います!
特集ありがとうございました😊
22歳で靭帯3回…
怪我はいくら振り返っても仕方がないし虚しくなるのだけど、
財前と中田、見たかったなあ
その後すぐ小野が出てくるし、どんなサッカーになってたんだろう
名前は聞いたことありましたが実に華麗なプレーヤーですね!
怪我からの復活ストーリー、感動しました
本当に残念だったけど、その後の生き様が素晴らし過ぎますね。真のサッカー小僧なんでしょうね⚽
もしスペインにカズが行っていたら、どうなっていたんだろう?と思わずにはいられません…。
財前選手は確かに才能はありましたよね。
ただし、結局プロで大成出来るかは、怪我に強いかで決まりますね。
才能があっても、怪我が多い&克服できない選手は難しいです。
でも財前選手は立派ですよ。腐らずに36歳までプレイしたのですから。
やっぱり・・先天的に身体の頑丈さってありますよね。
1995〜1996シーズンのセリエAのラツィオVSACミランを、ローマのスタジオオリンピコに観戦に行きました。
その時に財前はラツィオに留学してたんですね、知りませんでした。
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ウェアが、ハーフウェイラインから、ドリブルを始め、4人くらい抜いてスーパーゴールを決めたミランがウノゼロで勝利。
ウェアのゴールは、年間最優秀ゴールに選ばれ、ガゼットゼラスポルト紙の評価は7.5で、そのシーズンはミランがスクデットでした。
サッカーセンスが若い時にズバ抜けてると 大人になると消えるの多いよな。
財前、実は三兄弟で、真ん中にもう一人いることは知られていない。。。
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身近に戻った直後に再断裂して高校3年間をほとんどプレーできなかった子がいたので、耳を塞ぎたいかもしれないけど、完治までは2年近くかかるという現実は受け止めてほしいです。
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日本で行なわれたU17世界選手権では、実験的にスローインの代わりに、キックインが採用されました。
財前選手が、日本のキッカーをつとめていましたが、長短問わず、ゴール前に構える長身FW船越選手に正確なボールを送っていたシーンが、印象に残っています。
高校サッカーで財前兄率いる室蘭大谷は衝撃的でした。その弟ということで、財前宣之氏には大いなる期待がかかっていましたが、怪我に悩まされたのは本当に残念でした。
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対照的に元祖10番中島浩司さんが、8になりシルビーニョ加入の2002年に15と変わるのもみてきた。
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昨今ではU世代でも海外クラブに籍を置く選手が増えましたが、日本人の体躯とは難儀なものです。
ともかく財前は凄かった!
中田と同世代なのに
釜本、奥寺氏並みに全盛時映像が残ってないのが謎めいていてロマンを掻き立てる要因かもね
ラツィオで後にイタリア代表DFになるネスタを手玉に取った逸話は、間違い無く凄い。
U-17日本代表の10番を背負った財前は独特のオーラを放ってたし、ルックスも良い。
ただ、昔あるサッカー雑誌で彼の高校時代の1日に密着した写真付きの記事を読んで、プロでやっていく体を作らなければならない線の細い彼の練習後の食事が夜遅くになるため食べるのは炭水化物系らしく、栄養面でのアドバイスとかされないのだろうかと心配したことがあった。
当時は日本がワールドカップに出たことがなかったので若い選手に夢を見ていた時代だったのでしょうね。まだ日本サッカーに物語があった時代。
ラツィオは本当に日本人選手にとっては鬼門なんだよなぁ…。
10代の財前と柳沢はガチの本物だった!
「財前」って苗字聞くと『白い巨塔』の財前教授を思い出すけど、財前選手の存在を知っていたからドラマの時にサッカーの財前が頭をよぎってた。
タイのリーグで観ました。膝ボロボロだったと思うけど断トツに上手かった👍
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彼が読売のJr.ユースやユース時代は日本リーグのチームと良く練習試合をやっていたそうですが、大人相手でもほとんどボールを取られないのが財前だったと聞いたことがあります。
菊原や山口貴之、財前など読売天才少年の系譜は当時のサッカーファンというよりも、むしろサッカー少年達の間で神格化されていた時代でしたね。情報が限られた時代だから逸話のスケールや伝わり方が今の若い子には中々伝わりづらいところかもしれませんが。
フィジカルとメンタルのバランス取った育生は大事ですよね。
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過去天才と呼ばれた選手たちは揃って膝の怪我に悩まされてるんですよね。
伝説のキックイン⚽
ざいのぶ好きだ
ヴェルディジュニアユース強かったなー。小見さん元気かなぁ。
財前さんは本当に天才でした。
あの時代にもっと日本サッカーの環境が整ってたら…
だけどあの怪我で良くやったと思うし、サッカーが大好きだったんだな。
1995年の世界選抜入りは凄かったなー。
いつも楽しく拝見させてます。
前園真聖、ロシツキー、フレブあたりの動画宜しくお願いします。
小野もだけど若い時に大怪我して乗り越えた分
長く現役続けられたの良かったと思う。
そりゃ、怪我せずにもっと大きな活躍出来たかもだけど。
スポーツ選手は怪我はつきもの
それも運命なんだと思う。
ロビーファウラー良かったらお願いします!😂
時折、財前弟氏(室蘭大谷 → マリノスでプレーした兄も、大天才なのをお忘れなく)の再評価が語られるけれど、試合や好プレーのハイライトの動画が少ないのが惜しまれる。
シニョーリやネスタとかレジェンド級のアズーリが出てくるあたりスゴイよね👍
シニョーリやゼーマンとの件、全然知らなかった。当時のラツィオでこんなエピソードがあったなんて本当に本物やったんや。
イラついてプレーしてた時にケガするのもあるあるやし、何か仕事や人生にも通じる…
アジカンさん。むちゃむちゃ興味深くて示唆に富んだヒストリー、有難うございます🙇♂️
内容に関係ないけど、着てるチェコのユニが懐かし良すぎる
コケ英😭ちゃんももうすぐ財前の仲間入り。 そして菅原から『あの時は勝てる気がしなかった』と・・・😇🤧
当時のヴェルディFWはベンチも藤吉、阿部、永井、石塚。皆相応に個性的で、高い能力を持ってました。アモローゾに至っては外人枠も重なって出られなかったのだもの。財前のラツィオ留学は正解と思いましたし、その後ログロニェスで飛躍すると確信していました。
ベガルタで時折名前を聞いていましたが、そんなに長く現役でいたとは。サッカー選手は成功と失敗だけで語れるものではありませんね。
勿体ない存在だと思いました。センターが通り高重心で、脚がフリーで動けるからこそのボールコントロールとドリブルです。
泣いた
中田の動画の次に財前をチョイスするアジカンさんのセンス!!
怪我が無ければ、ローマ中田VSラツィオ財前のローマダービーが実現してた世界線もあったのかなぁ…
美しいフットボーラーとは
財前選手の事です!
アジカンさん、こんばんは
財前特集、ありがとうございます😀
財前を知ったのが、当時週刊誌だった、サッカーマガジンでした。
サッカーマガジンで財戦の特集を「活字で」見ただけなので、当時はそれこそ「まだ見ぬ財前」に期待を寄せてました。
まさに王様のような存在でしたね。
98年か2002年のワールドカップで背番号10を背負うのは財前だと勝手に期待してました。
靭帯を3度も切ってしまうとは、心が折れても無理ないですが、めちゃめちゃトレーニングをして復活して、36歳まで現役を続けたわけですから、やはり財前はすごいです😊
財前…初めて知ったタイミングがだいぶ後になってしまったけど、もっと早く知りたかった選手。
昔(と言っても25歳ぐらい?)に過去のU20代表を放送していた時、放送当時大活躍中の中田などを中心に取り扱ってたけど、めちゃくちゃとんでもなくうまい(&自分が気に入った)10番がいて名前も紹介されないから、思わず誰なのか調べた。「財前」…?はてJリーグでも見た記憶がないと思ってどうしたんだろうと思ってたら怪我して出れてなくて、Jしか見てない自分が知るのは怪我から感動的な復帰を果たしたところからだったな。
順調にキャリアを詰めれば、大きな夢を見せてくれると思われた稀有な選手だったな。同学年だったし。
アジカンさんは本当に幅広い!あえて、キング・カズ特集お願い致します🙏
紙一重という言葉がこれほど似合う方もいないと思います。
まとめていただいており、ありがとうございます。
有名な話なので気になるのですが、もうちょいプレー映像無いんか…
50代道民としてはどうしてもお兄ちゃんの方を思い出してしまう。
財前、室蘭大谷、超高校級という言葉がセットで。
かわいそうな天才やなあ
同じ歳です。財前も凄い選手でしたが、同学年の菅原智もヤバかったすよ!
同じ室蘭出身ですよね!
後は読売クラブだと、一木とか星川とかも! 中1の頃対戦しましたが、フィジカルとボール回しが凄くてチンチンにされた事を思い出します。読売の人工芝のグラウンドだと技術の差がもろに出て…(ToT)
現在ヴェルディユースで監督をやっている薮田もいましたね。
仙台戦力外になった時どうせ移籍するならライバルがいいと言って山形に来てくれました
山形のJ1昇格にも貢献してくれたのは間違いないです
阿部祐大朗や比嘉厚平といった選手も山形でプレーしてその片鱗は見せてくれたけど個人的に財前のプレーが1番印象に残っています
あのネスタを弄んでたのは冷静に考えてやばいな
キックイン懐かしい
お兄さんのが好きだったな
まぁ足下ほ上手さ≒キャリアの成功
なのは今や常識で、結局 成功したヤツが正解なんだと思う
確かに財前も小野も、俊輔もヒデよりテクニカルな上手さは明らかに上だったけど、
キャリア全般や代表活動通して最もインパクト強く、また活躍したのはこの時代では中田英寿だったところにサッカーの面白さがあるね
ヒデはヒデで天才に違いないが、着目点、プレーの質、強度がまるで違ったよね
お兄さんの恵一さんと大谷で同期だった馬越さんは社会人チームで同じチームでした。
中田英寿がああなれたのは、ベルマーレ平塚が中田をすぐ王様にし、ベルマーレもそれを中田に約束した事で、代表にも繋がって経験と自信が、中田を一気にカンテラにの仕上げたんじゃないかな?
そうですね。ペルージャでも、そうですよね。ある意味、自信を確信に変えさせるプロセスだったのかもしれませんね。
日本は、昔から出る杭はうたれ
る的な色が濃いので。故意に、つぶされてしまいますよね。
@@モフモフねこ神
打たれる以上の結果を残したからじゃかいかな。打たれ始めたのはローマ、パルマからだけど、何だかんだの結果残してる。フィジカルが突出してたのは大きな武器でしたね
@@ol6023 さん。打たれても負けない気持ちが強かった本物なんですね!
@@モフモフねこ神
財前は天才かもしれないけど、トッティや中田みたいな強靭なフィジカルがないなら、デルピエロ並みのテクニックがないと、中途半端な天才で終わっちゃうのかもね。
財前、小野、小倉
この3人が怪我しなかった世界線見たいんだよなあ
財前をU-17世界大会で見たときは『カズの後継ぎは財前だ。』と思いました。
ifは言うべきではないかもしれませんが財前が怪我に見舞われなかったら、もう少し早く若い選手の海外移籍が多くなって、今、自分たちが見ている日本代表とは違っていたかもしれません。
財前、小野、小倉
日本の天才は何故大怪我するのか
財前が以前にヒデの事を「努力の天才」と話していた事が印象に残っています。怪我がなければ中島翔哉選手みたいなプレーをしていたのではないかと思います(^^)
中島ってドリブルスキルは半端無いし、決定力もあるしメンタルも強いけど、サッカーが上手いっていう選手じゃないんよな。
勿論、世界レベルの話やで。
財前みたいなお手本にされる選手とはちょっと違うだろうね。
より正確には「準備の天才」でしたね。
th-cam.com/video/SrVX-zT9bBc/w-d-xo.html
別次元の天才の全盛期のプレー集を観たいけどTH-camにほとんどないですよね。発言も謙虚なのかそのまま感じたことを言ってるのか分からない…
ログロニェス時代にルーベン・ソサが誉めちぎってたな
「ゴールの詩人」ですね。彼も特集すべき伝説の選手です。
ASAYANにも出てましたね
財前さんが我慢してヴェルディで頑張るかヴェルディ以外のJクラブへレンタルされていれば未来は変わっていたと思いますねぇ〜。
怪我がなげればどこまで登り詰めていたのか見てみたかったです。
財前もアトランタオリンピックで観たかったなぁ。小倉、財前、いたら😅。斉藤俊秀や望月重良、73年生まれで大学組だってホントは資格あったのにさ😅。
やっぱり94年頃の代表ユニは良いな。せっかく八咫烏の翼をモチーフにしてたんだから、あのデザインを基本にして少しづつモデルチェンジして行けば良かったのに。
確か宮本が紅白戦でザイがいるチームが勝つから一緒で良かったみたいな事言ってたね
ZAIZENをチョイスするとはお目が高い!当時は名前にザ行が入ると強い迷信が僕の中だけでありました🤣
小倉や財前は上手い選手。中田は強い選手。というイメージ。
財前が中心のヴェルディが見たかった…。
もっともっとゆるんでいたら。
日本のプロ経由せずにブレイクした選手て マック鈴木以外誰かいたっけ?
リトマネンやってほしい~