As a Brazilian, I have seen several tactical analyzes of this 1982 team. One of the main flaws was the lack of a natural right winger, as Eder Aleixo played on the left. As a result, both Zico and Socrates were forced to take turns playing on the right side, causing the team crooked defensively. However, as seen in Paolo Rossi's third goal, full-back Junior was on the post after a corner kick, resulting in a lack of offside line training to avoid the opponent's legal situation. may come to light. Apart from a personal mistake when Tonino Cerezo played at the back, everything went well for Paolo Rossi, who was always in the right place at the right time. It is also possible to emphasize the possibility of exchanging Serginho Chulapa for Roberto Dinamite, who is more technical than Serginho. Roberto remains the Vasco da Gama club's all-time leading scorer, but was placed on the bench by Telê Santana. In general, it was difficult to point out these mistakes earlier, since this team has been unbeatable in previous matches, even defeating West Germany in a friendly game in Stuttgart. This would make him another finalist team in the 1982 World Cup, but that was also part of the game and this team captivated the world. It's scary to see virtually every outfield player able to attack.
82年ワールドカップ開催時、自分は8歳。それでもサッカーが大好きでしたから録画してビデオで何度も見直しました。子どもの頃だからかこの時のセレソン、自分にとって今でも最強かつ最高の魅力あるチームです。その後、日本にオスカー、ジーコが来日し、ファルカンが代表監督になった際は興奮しました。そしてトニーニョセレーゾ、レオンも監督、カレカは選手として日本に。何かと日本に縁のある時代です。
それから動画、面白すぎます。これからも期待してます。
私は94年頃からサッカーに夢中になったので、82年の頃はサッカーに興味がありませんでした。
映像を見るたびに黄金のカルテットを当時実際に見ることができ、堪能できていたら。。。というのがいまとなって非常に悔しい残念な気持ちです😅
攻撃こそ最強の防御を体現した82年のブラジル。
美しくもあり儚くもあり永遠に語り継いでいきたいチームの1つです。
その内の二人が鹿島に携わってくれたのだから凄いの一言だと思います。ジーコ御大、セレーゾ元監督いつまでもお元気でいてください😊
彼らは、世界中のファンから愛されてるから大丈夫❗
和三原マワ村マワヤムサラマラたはさそ😢😢そほす😢なま😢ふさらら😮😢にささ😢し😅😮らなまさ
日系ブラジル人としてこのような動画を作ってくれるのはとても光栄で嬉しいです
ブラジルと日本はサッカー交流はもちろん、仲良くし続けてほしい。
でも、警察が「地獄へようこそ・垂れ幕」という治安やアマゾンのすごい勢いの森林伐採は不安。
82ブラジルの美しいサッカー、74オランダの興奮するサッカー、
アルゼンチン戦ジュニオールへ、イタリア戦ソクラテスへのジーコのスルーパスは脳裏に鮮烈に焼き付いてる。
82ブラジルと74オランダは私にとって特別なチーム。
74年のオランダと82年のブラジルを好きな人って多いですよね。
敗者でありながら永遠に語り継がれる特別なチームだと思います。
ブラジル代表はメキシコ大会までは中盤でしっかり繋いで崩してましたが、だんだんカウンター中心になったような•••アメリカ大会はロマーリオとベベット、日韓でほロナウドロナウジーニョリバウドの個人技で得点していたような。
時代が変わったからかもだがジーコみたいね古典的10番は不要なんですかね?
@@恵比寿デジタルノイズ古典が何を指すか分からないけど、その時代もカカいたじゃん。
@@エイリアン-f5r カカはちょっと違うな。
推進力あったし。
カウンター向きの選手でしょ。
ミランでもそんな感じだったし。
その時代だと、リケルメとかルイ・コスタが古典的な10番て感じがする。
ブラジルからは古典的な10番は消えましたね。
🇧🇷代表と🇦🇷代表は、世界中にファンがいる😏
1982年のブラジル代表の何人かの選手が日本サッカーと関わりを持ったことに大きな価値があると思います。日産のオスカーは懐かしい。
黄金の4人のうち3人が日本と関わってますからね
これ奇跡ですよ
ジーコが日本に来たのが始まりだけど、
やっぱり81年、トヨタカップでの日本の印象が良かったのかな?
@@Aegagropila-linnaei日本リーグに移籍してプレーした順番としてはオスカーの日産入りが先ですね。その後のジーコの鹿島入りと合わせて、日本サッカーに多大なる貢献をしてくれました。82年組、今見ても最高ですね。個人的にはレアンドロ、エデルに痺れていました。
@@NYSKNYSK
オスカーってそんなに早かったっけw
まー信じられない名前がいっぱいでした。
2次リーグアルゼンチン戦、真後ろからのアングルでエデルのフリーキック。ロベカルのフランス戦まであんなに曲げる人はいないと思ってた。
アジカンさんの深い知識とわかりやすい解説いつも楽しく拝見しています😊
今この時代に82年ブラジルの動画というのがさすがです
黄金のカルテット率いるこの時のチームは本当にタレント揃い。その中でも私が大好きなジーコには優勝を獲得して欲しかったです。
記録を見ただけでは分からないその当時の雰囲気を知れるのは本当にありがたいです。
動画楽しみにしています。
最近の日本代表のスキルは、各段にアップしましたが、このブラジルのプレーは神がかってますね。パスやトラップの華麗さに加え、ロベルトカルロスの兄貴分のパワープレイ、現実離れしてます。そして守備が弱いとこもブラジルらしい華ですね。ジーコをあらためて尊敬します。
当時高校生でしたが胸をワクワクしてテレビに食い入るように観ていたのを記憶しています😊
本当に魅力溢れるチームでした😊
こんな魅力的な代表チームはない
カレッカいたら、ゴールキーパーがレオンだったらとかいろいろあるが、仮に彼らがいてもイタリアには負けたかも。
しかし今見ても楽しいよね、しっかり中盤で崩して攻撃するし。
黄金のカルテットも凄いが他の選手もすごいでしょ。
個人的にはソ連戦のエデルのゴールが大好き。あるサッカー雑誌はあのシュートを悪魔のような軌道と表現してました。
ソクラテスのスルーから、ボールを浮かせて左足一閃! ダサエフ動けず・・・でしたね。
スルーしたのファルカンだったと思いますが
失礼しましたファルカンでしたね。
1982ワールドカップブラジル代表メンバーが後年日本に与えた影響はあまりにも大きい。代表監督の10ジーコ、15ファルカン、日産のプレイして引退後監督になった3オスカー、日産や柏でプレイした19レナト、鹿島の監督だった5Tセレーゾ。また、トヨタカップで大会MVPをとった1981ジーコと1993Tセレーゾのプレイも素晴らしかった。
そうなんだよね。
前からずっと思っていましたが、アジカンさんの解説は分かりやすいだけでなく非常に聞き取りやすいですね。
自分はサッカーは素人ですが、いつも楽しみにしております。
今後もよろしくお願いします。
イタリアの監督がロッシを信じて使い続けたのも大きいですね。確かメディアからの厳しい批判に「チームを作ったのは俺だ。新聞じゃない!」って反論したとある番組でおっしゃってました。そしてジーコとセレーゾという凄い選手が鹿島に来て下さった事に本当に感謝したいと思います。😊
さすがアジカンさん!82年のブラジル代表取り上げるとは、粋ですね
強いチームが勝つのではない。勝ったチームが強い
ベッケンバウアーの言葉がここまで突き刺さる事柄もないな
1974年に、バロンドールをクライフに奪われたときの、ベッケンバウアーの有名なボヤキですねw
トータルフットボールで旋風を巻き起こしたオランダでは無く、優勝した自分たち西ドイツこそが強いんだと。
西ドイツでキャプテンとしてW杯を優勝して、チャンピオンズカップでもバイエルンを優勝に導いたのに、これ以上何をすればバロンドールを獲得できるんだ・・・とも言ってましたよね。
82年スペインW杯でのセレソンは、世界中のサッカーファンを魅了しました。
当時私は小学5年生でしたが、セレソンは夢を与えてくれましたね。
82年スペインW杯でセレソンのメンバーとして、名手達が一つのチームに集ったのが奇跡の様な気がします。
道半ばで敗れてしまいましたが、82年スペインW杯でのセレソンは世界中のサッカーファンに、奇跡を見せてくれました。
1982のブラジル代表と、1984のフランス代表の衝撃は今でも鮮明に記憶に残っています。
懐かしい映像と解説、堪能させてもらいました😊
84年のプラティニ、ロシュトー、ティガナ、ジレスもブラジルの4人に近い雰囲気があった、どこからでも点が取れる。
いつもながら素晴らしい構成
分かりやすい編集
自分自身、少年時代に目にしたサッカーの素晴らしさと理不尽さを思い出しました
今の強くなった日本代表についてもその意味で寛容な目を向けることができる自分がいます
真夜中イタリア代表を応援してリアタイしました。まさか勝てるとは…今も最高の試合の一つです。
マジックマジャールとかやってほしい
ブラジルは絶対的なFWがいたら勝ってた
カレカの怪我による離脱が痛かったと思う
その後のブラジルの優勝には94はロマーリオ、ベベト、2002にはロナウド、リバウドがいた
あしゅけ〜!やっぱり愛さずにはいられない82年のセレソンですなぁ❤
オスカーさん、ジュニオール、そして黄金の4人。
大会には出れなかったカレカさん
大会には出なかったレオンさん
居たらねえ〜と思ってしまいますよね。
今回もとても素敵なプレゼンです。
40年以上前のブラジルの華やかさが良くわかりました。
野球もサッカーも点を多く取ったほうが面白い。
ジャイアントキリングもあるからこそサッカーは面白い。
魔法の11人と言われたこのチームを取り上げていただいて感謝です。今もず~っと言われ続けている選手の起用について結果から色々言うのは可能ですが、当時はタレント豊富なブラジル故に非常に人選に苦しんでいたと思われます。
マリーシアなプレーが出来るセルジンニョは、ジーコのライバルであるロベルト・ダイナマイトを押しのけてレギュラーを獲得しました。78W杯で活躍したレイナウドもソクラテスは高く評価してましたが本大会では使われませんでした。戦犯扱いされているGKのバルジル・ペレスも前年の欧州遠征では西独の司令塔にしてPKの名手、ブライトナーのPKを完全に止めたりして神技的ディフェンスという評価を受けていました。守備についても、過去の大会で活躍したジョアン・バチスタやルイス・ペレイラのような選手たちよりも攻撃センスを重視した選択に思われました。
個人的には、人選で言うならFW陣にドリブラーがいなかったことだと思います。’80年のコパ・ディ・オロで活躍し南米最優秀選手を獲得したぜ・セルジオがいれば、ターゲットマンとして優れたセルジンニョにもっと活躍の場面があったと思います。また、南米予選で強力な得点力を見せたフラメンゴのチッタがFWとしてそのまま残っていれば相当違ったのでは無いでしょうか?(確かにカレッカは両方の役割を果たせたと思いますが。)代わりに使われたディルセウ、パォロ・イジドロはスピード不足でした。(それを上回る魅力がある選手達ではありました。(^^; )
’80年のコパ・ディ・オロでも準優勝に終わったブラジルはこの時期、”棘の無いバラ”と呼ばれた、その表現がぴったりでした。歴史的に見て、’54年のハンガリー、’74年のオランダ、と並び、革命的なフットボールを展開しながら無冠に終わった伝説のチームですね。(もう一つ挙げさせてもらうならば、’86年のソ連代表は未来のサッカーを暗示していましたね。)とはいえ、これだけ人々に語り継がれるチームも無いと思われます。当時言われていたように、ブラジルがワールドカップを失ったのではなく、ワールドカップがブラジルを失った、と評されたことが全てを物語っていると思います。
FWのドリブルの役割はジーコがになってたと思いまさよ
彼の得点力やプレースタイル見てもメッシやバッジョみたいなセカンドアタッカーでありクライフのような偽9的なプレーもしますから
異常に攻撃的でファンタジーのような試合をしていた82年のブラジルチーム、このワールドカップが僕がサッカーを始めたきっかけでした。若き日のマラドーナが、どうにもならないぐらい強くて攻撃が凄すぎたブラジルチーム、未だにこのチームが負けたことが信じられないです。
当時TVで観た記憶が蘇ります・・黄金の中盤が大苦戦しながらも生き残って来たイタリアに負ける・・86年のフランスとの黄金の中盤対決においても・・個性かシステムか・・この頃が変革期だったのかなぁ~と思いました。ジーコ勝って欲しかったなぁ~
素晴らしい解説と動画、何万人の100%同意した思いを形にしてくれてる!ありがとうございます‼️
懐かしい!
本当に凄い、観ていてワクワクするサッカーをしていたのが、当時のブラジル代表。
守ってカウンターのイタリアは、どうも好きになれなかった。
イタリアもユーベ黄金時代の凄いメンバーが揃ってたからなぁ。
どっちが勝っても不思議じゃなかったと思う。
この大会のイタリアは結構過小評価され気味だけど
実はブラジルより良いチームだと思います
ブラジル派見ていて面白いけどチームとして見た場合混沌すぎるというか
両サイドは中に入ってくる、SBの仕事をしてない
先週ラインは下手したらオスカーしかいないなんてことも多々あった
イタリアの方が現代サッカー的には正しい秩序のあるチームだとおもう
左のカブリーニのオーバーラップとか、まるでマルディーニ見てみたいだし
アントニーニョのパスやブルノーコンテのドリブルなど武器もあった
守り一辺倒のチームではないと思う
待ってました!
両サイドバックも「上がりっぱなしで帰ってこないSB」だと叩かれてましたね
いつも楽しく視聴していますありがとうございます😊
この試合同様「プラティニの歓喜の涙」として胸に焼き付いている
86年W杯ブラジルvsフランスまだ特集されていなければぜひリクエストさせて戴きます🙇
82年と2000年のブラジル代表がマジで好き
ジーコサッカーってゲーム懐かしい
ジーコは知ってるけど、ファルカンもソクラテスもジュニオールもめっちゃ上手いなぁ あとレアンドロも これは凄いチームだぁ
私は世代として女だてらにサッカーにハマってしまい奇人扱いされたんですが…
トニーニョ・セレーゾの「押し上げ」とボール持ってない時の動きに魅了されました
今でも日本代表にセレーゾみたいな選手がいないかなぁとつい期待しちゃいます
@@ikemen-ni-yowai セレーゾ!鹿島の監督のイメージが強いですが、この動画見てめちゃ上手い人だったんだって気づきました!
88年欧州選手権準優勝の旧ソ連の動画をお願いします🤲
サッカー誌は特集してましたね
すごいチームだって
戦術もさることながら体力も凄いって
ミハイリチェンコ、私のタイプ♡
このメンツの中でも別格だったズィッコがなぜアマチュア時代の日本に来てくれたのか、ありがたいが不思議だ。
だったら何で日本にサッカーが根付いたんだ?(笑)
素晴らしい!ありがとうございます
ブラジルではサイドバックは中盤の選手という概念があり、上手い選手が有り余っているからそんな選手がジュニオールのような役割をするんだよな。
日本ではまだまだ考えられないけど。
しかし純粋な左サイドバックとしてはイタリアのカブリーニこそが大会No.1だ。
94年もレオナルドがサイドバックやってましたしね
第一次ペレス政権のような記録より記憶的なチームは、ロマンがあっていいな
イタリアの中盤コンティ、アントニョーニ、タルデッリ、オリアリの方がバランスが取れている。
タルデッリとオリアリが空いたスペースを走り回ってカバーするから左サイドのカブリーニ、スイーパーのシレアも攻撃参加できて、右サイドバックのジェンティーレも相手のエースにマンマークでどこまでも食らい付けられる。
ブラジルと違って穴が少ない。
ブラジルは1974年のオランダと違って味方のカバーをしようという発想が乏しかった。
82年のイタリアは堅守速攻ばかり取り上げられ、機能美に言及されない。シレア、タルデリ、オリアリ、カブリーニ、アントニョーニ、コンティの織りなす展開からグラツィアーニ、ロッシに至る攻撃は美しいと思うけどな。
初戦のエデルのゴールが衝撃的過ぎた。
FW?のエデルが3列目から走り込んできて、それを背中越しに察したソクラテスがスルーして、ファーストタッチでちょろっと浮かしてそのままあのドロップキック🤪 どんなサッカーやねん⁉ってなった。今の常識でもありえない😳 ホント子供の遊びのサッカーをワールドカップで実践してた夢のイレブンでした。
面白かったです。今見ても段違いに上手いのがすぐわかります。同じスタンスで86年のダニッシュダイナマイトも取り上げて頂けると嬉しいです。
ファルカンとジーコは日本代表監督で髭は鹿島と浦和の監督引退後医者になったソクラテス以外は日本で監督やったという奇跡
ドトール(ドクター)ソクラテス
@@ikemen-ni-yowai 医者なのにヘビースモーカーで大酒飲みの不養生で早死してしまった。
@@マエダヒロミツ
一生懸命な医者って患者ばかり診て、自分の足元見ない印象がある。
あっさりサッカー界から去っちゃって…キャプテンだったし、いい人そうだった。
敗れてもなお語り継がれるチーム
われわれブラジル人はつねに勝つことが義務になってます。
しんちょうな試合をするくらいなら攻めて攻めてまけたのがまだ気持ちいいです。
この時のSeleçãoが負けてもずっとブラジル人に好かれるのはたたかった男たちだからです
オランダと同じ思想だからか、オランダのサッカーも好きです。以前のスペインもそんな感じ。フランスのシャンパンサッカーもですね。
まぁ攻撃重視はサンターナなら当然なのですが、仏代表同様にW杯のタイミングに(86年も)ベスメン揃えられなかったのが悔やまれるラインナップでしたねぇ
アニメ「攻殻機動隊 Stand Alone Complex」で、荒巻課長が言った、
「我々の間には、チームプレーなどという都合のよい言い訳は存在せん。有るとすればスタンドプレーから生じる、チームワークだけだ。」
は、まさにこのブラジル代表を評したような言葉ですね😃😃😃
強い者が勝つのではない、勝った者が強いのだ❗(フランツベッケンバウアー)
5:56彼ら(ブラジル)に勝てるチームはヨーロッパではいない→当時そんな最強と言われたブラジルにazzurri🇮🇹が勝って優勝したのが凄え嬉しかったし誇りに思う。
この時代まだ今ほどサッカージュースも機密にできてないのにジーコはじめブラジル代表の選手は皆んなテクニシャンぞろいですよね。
ブラジル人は路上で裸足でボールを操るのが上手い民族だろうが(笑)
ブラジル人は子供の頃から路上で裸足でボールを扱っているのを知らんのか?
@@カタロニア-v8i それはブラジル以外アフリカあたりもそうでしょ
@@yh7636 だからシューズの機能がどうこう言っているのがナンセンスなのが分からんのか?(笑)
「1982年スペインワールドカップ2次リーグでブラジルがイタリアに負けずに準決勝へ進出したら、優勝はブラジルで、今後、攻撃が重視されていた」といわれる。
しかし、2次リーグ突破し、優勝したのはイタリアだった。監督のベアルゾットは1978年ワールドカップを基盤として挑んだが、大きな避難を浴び、八百長事件による出場停止明けのパオロ・ロッシをエースストライカーとして使い続け、案の定、1次リーグでは全引き分けで辛くも2次リーグ進出。しかし、2次リーグになると調子が戻り、アルゼンチンに勝利。パオロ・ロッシにはゴールこそ奪えなかったが、復調の兆しが見えてきたのか、後にベアルゾットは「この1勝が大きい」と言う。2次リーグで勝つしかないイタリアはついにパオロ・ロッシが爆発。ブラジルも失点の度に追いすがるも、パオロ・ロッシのハットトリックで準決勝進出。準決勝ではパオロ・ロッシが2ゴールで1次リーグ引き分けのポーランドを退け、決勝では(旧西)ドイツ相手に得点王を決めるパオロ・ロッシの先制点、マルコ・ダルデリの決勝点、そして次のワールドカップでストライカーとなるアルトベリのゴールで圧倒し、終盤に1点返されるも、3度目の優勝を果たした。ワールドカップでの活躍でパオロ・ロッシはバロンドール、ワールドサッカー誌世界最優秀選手賞と全ての個人タイトルを獲得。
最後のペップの言葉で涙でた
ワールドカップも時代で出場国数とレギュレーションが異なりますからね。ブラジルにとっては公平ではない日程でコンディションが悪かったのと色々な不運も重なったのでしょうね。
おっしゃるとおりですね。この大会をきっかけに1次リーグは偶数チームで組むこと(スペイン大会でも1次リーグは4チームでしたが2次リーグは3チーム)、西ドイツvsオーストリアの八百長(?)試合の影響でグループリーグ最終戦は同時刻キックオフにすることなどが徹底されるようになりましたね。
自分にとってのワールドカップは
エスパーニャ82です
深夜にNHKさんのスポーツマーチではじまって(確か画像は日の丸)、ニッポンのサッカーファンのみなさん、今晩は、こちらはスペインノウカンプスタジアムから生中継でお送りいたします、とかってゆう実況からはじまって、、いやー懐かしいわ
エスパーニャ82が一番印象的です
ジュニオール…1990年に来日し、私も千葉マリンスタジアムでのイベントに行ったなあ、今思えば貴重。。
Zico The Best!!!
優勝してもなお、「美しくなかった」と国民から評される94年のパレイラのチームや02年のフェリポンのチーム。難しいものですね。たしかに納得する部分はあるのですが。美しく優勝したのは70年のザガロのチームだけということなんですよね。
美しいのに優勝できなかった82年のテレサンターナのチーム(動画の通り)や97年(※)のザガロのチーム(ROーROを始め、芸術家が揃っていましたが、98年の前年にピークを迎えてしまった)が頂点に立つ瞬間も見てみたかったですよね。
このコメ考察が深い👍
守備がお粗末すぎたよね
芸術的なパス回しで尚且つ結果を残したW杯のチームだと南アフリカの時のスペインだと思うけど、彼らは守備力、守備の意識も凄かった
奪われたらすぐに奪い返してカウンターできる
そういう力は残念ながらブラジルにはない
私も個人的に97年のセレソン・ブラジレイロは、82年、70年に次いで歴代3位のチームだったと思う。ロマーリオ、大五郎ロナウド、リバウドにたまにエスパルスに短期在籍していたジャウミーニャとか出てたよね。ロベカルのあのトンデモナイFKも97年のトゥルノア・フランスだった。シンプルだったけどユニフォームもナイキのわりにカッコ良かった。仰る通り、W杯が97年に開催されていたら、決勝戦は98年と同じ顔合わせだったかもしれないが、結果は違っていたと思う。
94年や02年のチームが何かしらケチつけられるのは、比較対象が70年と82年のチームだからネェ~(笑)。ちょっと可哀想だよね~😜
02年のイングランド戦をエコパで観た。
ブラジルの1点目、ロベカルがベッカムからボールを奪った瞬間、今まで全然動かなかったリバウドがいきなり相手ゴールの方向に走り出した!!「エッ?何?何?」でも同時に「アッ、これ点入る」って雰囲気?オーラ?を感じた。まだロベカルがベッカムからボールを盗ったか盗らなかったくらいのタイミングだった。あっという間にボールはロベカルから若きロナウジーニョへ、ドリブルで相手を引き付けて、リバウドにラストパス、リバウドのゴール。あの不思議な感覚は今でも忘れられない。
ロベカルからの特大のサイドチェンジを逆サイドのカフーがラインギリギリで胸トラップでカンタンにコントロールしたのとかシビレた(笑)。試合終わって、帰り道に加茂周さんとボラ・ミルティノビッチを見かけたのもいい思い出☺️
@@高橋大輔-y5x ご返信ありがとうございます。その辺のネット記事や専門誌よりも、とても楽しく読ませていただきました。
97年はレオナルドが「10番」で、中盤でバランスを取りながら攻撃に出ていくスタイルでした。そして、おっしゃるとおり、彼のおかげでヂジャウミーニャやデニウソンが攻撃に専念できる素晴らしいチームでした。そしてまた、ドイス・ボランチでドゥンガとコンビを組んだフラビオ・コンセイソンも積極的に攻撃に出てくるという・・・。レオナルドがなでなでしながら可愛がっていたロナウドもケガをする前の手の付けられない時期。RO-ROコンビを組んだロマーリオは円熟の域に達し、ゴールもアシストもできる状態。トゥルノワ・ドゥ・フランスは優勝をイングランドに譲りましたが、同年のコパ・アメリカは攻撃サッカーで優勝しましたね。
こういうことを言うと怒られてしまうかも知れませんが、細かいテクニックよりはパワーに特長のあるリバウドが加わってマイナーチェンジしたチームは個人的に好みではなく(ロマーリオ不在で、ベベトの決定力を補ったとは思いますが)、またおっしゃるようにユニフォームも細いラインが加わる前の97年モデル(NIKEファーストモデル)の方が好みでした。ただ、レオナルドだけは同じように中盤のバランスを取る「影のチームMVP」だったと思っています。
ヂジャウミーニャを98年に見られず、選出確実だった02年も直前のイルレタ(デポルティーボ監督)への頭突きで召集外となり、とても残念に感じたものです。
ちなみに、ネイマール不在のおかげで各選手が流動的に動くことができ、テクニックを存分に発揮した攻撃的セレソン2019のコパアメリカ優勝チームもオススメです。長文大変失礼いたしました。
皆んな10番でもいいくらいエレガントですが、同時にパワフルですよね エデルやソクラテス、ファルカンのミドルは痛快です
今のブラジルに、ネイマールと同レベルでプレーできる上で、自分でも中距離からゴールを狙うようなアタッカンテがいないのは寂しいですね
エデルのキックすごかった。ピッチ一個分以上のロングキック連発できた逸話も。
あとトリベーラ、しかも左足小指欠損しているとも。
各大陸の強豪で世界単位では中堅レベルの国の選手の特集を見たいです。
ウクライナ→シェフチェンコ
オーストラリア→ケーヒル キューウェルetcの06〜10年の黄金世代
コートジボワール→ドログバ
アメリカ→ドノバン
ウェールズ→ギグス ベイル ベラミー
他にも沢山いますw
ジーコ ソクラテス セレーゾ ファルカンで最高のカルテットと呼ばれていましたね!ペレはフランスを推していましたが!1982ワールドカップはどの国のチームも凄かった!
パオロ・ロッシの意地が凄かった試合。
このチャンネルで初めてジーコがマラドーナに引けを取らないドリブラーだということを知り、セレソンでは
明らかにドリブルの回数が少ないなと感じました。
ジーコ中心の堅実なチームにしていたら優勝できたかもしれませんが、美しく勝利するカナリアにはそんな選択肢などあるはずも無いので
やはりこの敗戦は必然だったのでしょう。
ワールドカップ史上最高の試合
アジカンさんありがとう。
ワールドカップのブラジル代表が好きで自分なりに検証してますがこの1982年と2006年は未だ敗戦理由がわかりません。お時間があれば2006年も是非お願いします
🇧🇷の敗退は、ブラジル以外の国でも悲しんだと思う。
トニーニョはJリーグの監督勝率でも優秀だったと思う。それとソクラテスはトヨタカップ制したライーの兄
カテナチオ、それも芸術ですね。
As a Brazilian, I have seen several tactical analyzes of this 1982 team. One of the main flaws was the lack of a natural right winger, as Eder Aleixo played on the left. As a result, both Zico and Socrates were forced to take turns playing on the right side, causing the team crooked defensively. However, as seen in Paolo Rossi's third goal, full-back Junior was on the post after a corner kick, resulting in a lack of offside line training to avoid the opponent's legal situation. may come to light. Apart from a personal mistake when Tonino Cerezo played at the back, everything went well for Paolo Rossi, who was always in the right place at the right time.
It is also possible to emphasize the possibility of exchanging Serginho Chulapa for Roberto Dinamite, who is more technical than Serginho. Roberto remains the Vasco da Gama club's all-time leading scorer, but was placed on the bench by Telê Santana. In general, it was difficult to point out these mistakes earlier, since this team has been unbeatable in previous matches, even defeating West Germany in a friendly game in Stuttgart. This would make him another finalist team in the 1982 World Cup, but that was also part of the game and this team captivated the world. It's scary to see virtually every outfield player able to attack.
サッカーは単純な戦力の足し算じゃないから面白いのかもしれませんね。
かつての銀河系レアルにもマケレレのような縁の下がいたというのもあったし、全てがスター選手でも勝てるチームではないというのは真理かもしれません。
アルゼンチン戦のジュニオールのハーフスペースから裏に走り抜けてスルーパスを受けて決めたゴールは、日本の長友のようなサイドバックでは出来ないな。
ヤバイ鳥肌がたつ。
あのゴールの過ごさが分かる人がいるなんてー
あのまた抜きゴール。
普通の選手なら右足でシュートをする、それをあえて利き足ではない左足に流してまた抜きにする。
ホントのテクニックとはロナウジーニョの様プレーではなく、このジュニオールのまた抜きゴールこそ本当のテクニックです。
私はブラジル歴代BESTイレブンをする時、ロベカルと本当に迷いますがこのジュニオールにします。
まだ自分が小さい時、マラドーナが日本に来ましたが、たぶん私だけだと思いますが、ジョジマール(86年右サイドバック)とジュニオールを目当てに国立に行ったのを覚えてます。
ジュニオールこそブラジル人らしい本物のテクニシャンです。
@@くるくるおじさん-e4q 中盤でプレー出来るほどのテクニシャンがサイドバックをやるのがブラジルらしいわな。
鹿島でプレーしたジョルジーニョもそうだった。
86年大会のジョジマール。
華麗なゴールを決めていたから彼もブラジル人らしいサイドバックの系統だろうな。
ちなみにロベルト・カルロスのプレーをTH-camで観賞しようと思ったことはないな。
@@くるくるおじさん-e4q 中盤でプレー出来るほどの選手がブラジルのサイドバックだからな。
鹿島でプレーしたジョルジーニョもそうだった。
86年大会のジョジマールも素晴らしいゴールを決めて高いテクニックを感じさせるな。
だがロベルト・カルロスのプレーはTH-camでもあまり観たいとは思わんな。
@@カタロニア-v8i 86~94左サイドバックのブランコも,攻撃的でよい選手でした。
ファルカンとソクラテスに関しては、ヒールキックが普通のキック並みに、華麗で正確だったからなあw
ローマじゃファルカンは、ゴールに入りそうなシュートを、自陣に帰りながらヒールキックでクリアしていた。
当時のセリエAは、外国人枠もやっと解禁されたばかりで、レベルもまだまだ低かった。
ASローマも、ファルカンやセレーゾにおんぶに抱っこな感じで、まともにプレーできてたイタリア人は、コンティくらいだった。
のちに発売されたナンバーのVHSで擦り切れるほど観たなぁ。
J創設の頃で黄金カルテットは夢の世界そのもの、マラドーナやペレの上のファンタジーという私の中の格付け。
ソクラテスのまんま哲学者の如く風貌とプレイスタイルと一見お茶の水博士でエレガントなファルカンが堪らない…
でも今、目に浮かぶのは吠えてるジュニオールなんだよね。
あそこに典型的な香車タイプが居たら効率よく勝てたのかな。
ジーコの絡みだったかな生ダラにも出てたよね
ブラジル史上最高のセレソンでした。この4人以外にもそして82年大会はマラドーナ、ラモンディアス、プラティニ、ジレス、ティガナ、ルンメニゲ、シュスター、ベレーベンエルケーアラルセンなどのタレントが観れた大会でした。キャプテン翼の登場人物の原型はこの大会にあります。
シュスターは代表拒否してます
@@jamataro 82年は出場しています。84年のヨーロッパ選手権くらいから代表を辞退しています。
@@TheWatatae
欧州地区予選や国際Aマッチなんかは出場してますが、W杯本大会は一度も出てません。大舞台は1980ユーロだけ。
82スペイン大会はケガで出場辞退。デアバル監督と確執が生まれ、1984年2月24日の国際試合が最後。その後、ベッケンバウアー監督の代表要請も断り続けた。
@@TheWatatae
うるさいようですが、エルケーアのデンマークも82W杯スペイン大会は出場してません。ダニッシュダイナマイトが旋風だったのは84ユーロ。
この後に出てくる、ジョルジーニョ、レオナルド、ドゥンガ、カレッカはJリーグでも活躍したね。
フォワードだったらレナト・ガウショがいたんだけど、出たとこ見たことが無い。あとはミューレルって瞬足がいたっけ。
負けたのが、寄りいっそうに
幻想を掻き立てる気がする。
本当に美しかったんだ😊
そして世界中のファンを楽しませた✨だから🇧🇷ファンは、世界中にいる。
58年のペレを擁したブラジル、82年の黄金の中盤を擁したブラジルは「夢のチーム」と称されましたね。
覚えています。もう絶対優勝すると思ってたブラジルの敗戦は大ショックで仕事が手につかなかった・・・
黄金の中盤と言えばこの82ブラジル以外に86フランスのプラティニ・ジレス・ティガナ・フェルナンデスと92ユーゴのストイコビッチ他が印象深い。
地味に日本の中田英、小野、中村、伊東も好きだったな。
まさか日産のオスカーとは知らなかった、、
凄いメンバーだったけどバランスが…。一人いれば良いのが四人もいると、どうなるかを教えられた感じです。そこをしっかりと突いたイタリアも凄い。
イタリアのロッシがインザーギみたいにポジショニングと嗅覚に長けたFWでしたからね。こういうFWが活躍した時のイタリアは強いですからね
@@神谷知雄-n1l さん。何故か分かりませんが、イタリアはこのタイプのFWが出てくる印象ですね。リーバ、ベッテガ、アルトベリ、スキラッチ…。スピードがあるわけでも、テクニックがあるわけでもない。ただゴールへの嗅覚が段違い。
@@田所亮-t2g さん イタリアは守備的なサッカーが主流なので、ゴール前はガチガチにマークしたり、人数をかけてスペースを埋めるため、DFのわずかな隙を見逃さずにワンタッチでゴールを決めるFWが多く生まれたみたいです。
ブラジルは押し込みながらも守備ではサイドからあれだけクロス上げさせられてるのだから守備に問題があるのは間違いないです
対策も無かったので失点は当然です
@@田所亮-t2g
ず~~~~~~~~~~~~~~~~と
日本代表に現れないかなぁと待ち続けてるタイプです
あと、ゲルト・ミュラーやリネカーも
この4人プラス 左足の大砲エデルもかなりエグい選手だよね(^_^;)
ソクラテスは、ブラジルで最高かつ最も重要なサンパウロ大学を医師として卒業しました。 そしてこの時、彼はボタフォゴ・デ・リベラン・プレトでプロとしてのキャリアをスタートさせていた。彼は本当に素晴らしい人でした。
いつかカカ特集して欲しいです!
皮肉にもジーコジャパンにも
通じるところがある気がします。
サッカーの楽しさを教えてくれた
語り継がれるチームって悲劇性あるよね
バルセロナのようなカンテラ育ちの選手たちが何年もの練習を繰り返し、チーム哲学を統一し、熟成されたチームを作り上げるのも難しいのだが、このチームは、大した戦術らしい戦術もなく、同じサッカーのイズムをもった天才たちがほとんど即興でやっているサッカーというところにブラジルサッカーの美学と目指すべき到達点みらいなものを感じることができる。
現在のブラジルサッカーの凋落は、もしかしたら発展したサッカー戦術の裏返しで、もはや天才たちの遊びのサッカーの部分が入り込む余地がなくなってしまった影響なのかもしれない。
そう考えると、この奇跡のカナリアたちが奏でた協奏曲というのは、今後、二度と聞くことができないものなのかもしれない。
ヨーロッパ向けに育成されたカカーの成功(直線的でスピードあるドリブルと強いボディコンタクト)が流れを変えてしまったという人もいるようですね。
セレソンレベルの選手の中に、いわゆる ” ジンガ ” を感じさせる選手が減ってしまった印象は強いですよね。ヨーロッパ系の選手で言えばルーカス・パケタは本当に久しぶりの気がします。かつては、日本でも活躍したレオナルドなどは ” ジンガ ” 系の選手だったのですがね。
素晴らしい考察ですね。はじめて知りました。
昔は、個人技の南米、組織の欧州という構図がありましたが、両者の経済格差の広がりで南米の選手が若くから青田買いをされて、欧州サッカーに染まっていってる流れの影響がありそうですね。
一つの絶対的な価値観(社会性)のもと個性が尊重されなくなっている時代背景とかもあるのかもですね。
以前に比べて個性が見えづらくなり、選手やチームが均質化したのが顕著ですよね(もちろんハイレベルな中でですが)。「ユニフォームを隠した試合を見たら、どことどこの試合なのかわからない・・・」なんて議論もありました。
クーバーコーチングの隆盛以来、かつての名選手たちの専売特許だったプレーが ”教科書” に載るようになり、みんな、どんどん分厚くなっていくその教科書で勉強しているからだ、と。
@@山岡士郎-b8i 情報がそれほど流通しなかった時代や、ボスマン判決による影響がそれほどなかった時代では、国ごと、チームごとの哲学がサッカーに反映されて、そのプライドのぶつかりあいがサッカーの醍醐味でもあったように思います。
このブラジルVSイタリア戦が、今なお色褪せないのもそのような古き良きサッカーが凝縮されてるからのように思います。
今は、どこのチームも似たようなサッカーになってしまい、スター選手をを取り揃えるだけの課金ゲームっぽい感じがするんですよね。
そして、ビッグクラブがあまりにも絢爛豪華だから、代表チームが貧相に見えるという悲しさ😢FIFAまでも銭ゲバ化してしまう始末。
イタリアもアントニオーニが離脱するなど不安要素がつよかったが
ロッシ、コンティ、タルデリの活躍もありしぶといチームだった。
サッカーは、こうで欲しかった
アジカンさん、こんばんは
アジカンさんの動画は、毎回「映画を見ている」かのような幻想的な世界に誘ってくださいますが、今回の動画は特に幻想的すぎて、美しさの結晶そのものと言っても過言ではない82年のブラジル代表(当時4歳だったので、黄金の中盤だったということ以外知りませんでした)を知ることができて嬉しいです😀
日本に縁のある人(元日本代表監督のファルカンとジーコ、元鹿島監督のセレーゾ、そして元京都パープルサンガ監督のオスカー)がいたわけですが、私はてっきり、ジーコが絶対的な司令塔だとばかり思ってましたが、実はファルカンが絶対的な司令塔だったんですね😀
しかも最初は黄金の4人ではなく黄金の3人だったんですね
しかも両サイドバックもえげつないくらいすごかったんですね
しかも本来なら正ゴールキーパーはレオン(元清水エスパルス監督)だったんですね
レオンが監督と揉めなければ、そしてカレッカがケガしてなければと「たられば」があったとはいえ、2次リーグ敗退は悔やまれますが、それでも82年のブラジル代表を見ていると、すごさと美しさを感じます😀
アントラーズ、ジーコの功績が大きい‼️
非常に魅力的なチームでした。2002年ブラジル代表も魅力的でしたが’82年ブラジル代表は同等かそれ以上ではないでしょうか。
ただ、あの場にカレッカとレオンがいれば…。
2002年は優勝こそしましたが、「3Rと両ウィングバックの5人しか攻めない」ということで評価しない人も多いらしいのですよね。たしかに3CB(トレス・ザゲイロス)とディフェンス&バランス重視の2Vo(ドイス・ボランチス)では納得しない人もいるのでしょうね。じゃあ、優勝できないのとどっちがいいんだという話になってしまうのですが。
完全に同意します。凄いチームでしたよ。レオンとカレッカがいれば確かに優勝したでしょう。セレソンのエースであるジーコがまさか日本に来るとは。
キーパーのレオンって、後の清水の監督の?
Jリーグってね
とんでもない選手がいっぱい来てるんよ・・・
後の柏レイソルでプレーし監督となったゼセルジオもFW(ウイング)で代表候補の一人。故障で代表から外れJ昇格を目指していた日立に加入。引退後、柏レイソル監督になったセルジオとの縁でカレカが加入したわけですが、当時ヤンマー〜セレッソを応援していた一人として、J昇格争いの試合でカレカを生観戦できるとは思いもしませんでした。実は大塚製薬(現ヴォルティス)の応援ツァーにも参加して日立台で観戦しました(苦笑)。
はい
Tv中継で初めて見たWカップだった・・16チームが24チーム出場に拡大され、1次リーグ、2次リーグ、決勝トーナメントと変則的だったが、サッカーのおもしろさに衝撃を受けた試合が多かった。今見ると現代のサッカーと比べてスペースいっぱいあるし、止まったり歩いてる選手も多くいてのどかな印象さえ受けますが、ボール周りでの激しさや速さは、現在のトップレベルとまったくかわりません。その中でもブラジルのサッカーは信じられないようなパスワークで相手守備網を突破していきました。今のジャッジ基準だと警告や退場者が出たであろうイタリアの守備でしたが、あれはロッシの神がかった復活がなければ普通にブラジルが優勝していただろうなと今でも思ってますね。ボクがサッカーにとりつかれることになった大会でしたねえ・・フランス対西ドイツ戦もしびれたし、アルゼンチンのマラドーナもすごかったしね。
パススピードエグいて