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74式戦車のデザインは完成されすぎてヤバい。特に暗視装置がカッコ良すぎる。
しかも世界一スマートとも呼ばれていた車体ですからね🇯🇵
来月末でついに全車用途廃止となりますね。74式、長い間お疲れ様でした。昨年道内の駐屯地式典で3世代(10式、90式、74式)の揃い踏みを見れて満足です。
駐屯地祭で中に入った事あるけど当時は子供で良く覚えていない、今だったらじっくり見てみたい
白色灯による夜間射撃では、白色灯搭載戦車が射撃すると白色灯が消えてしまって次弾発射ができないため、時の部隊長の判断により白色灯搭載戦車は射撃せず白色灯を照らすのみで他の戦車が射撃していた。またよく故障して赤外線のみ使っていた記憶もあります。1番記憶しているのが、射撃後の弾着地整備において白色灯を射座から照らして整備したことが1回ありその時の明るさと側面から見た時の青白い光線の綺麗さはとても印象に残ってます。この戦車、姿勢制御装置がよく油漏れしていて操縦席に流れ込んだり、操縦席の横に弾薬架があってこれを演習の時外すとかなりの広さが確保されるので外して弾薬箱の板を敷いて寝たり、姿勢制御スイッチを扱うとき前下げをするときはレバーを中立の位置にしないと完全な前下げができなかったり、洗車の時は室内の水抜きのため左斜め下げの姿勢にする(水抜きの穴がある)のがコツが必要で最初はなかなかできなかったり、脱出口が操縦席の下にあるのですが、これのレバーが緩んで途中落として探しに行ったり、暗視装置を取り付ける際取り付け口がボロくてなかなか固定できず、先輩から怒られたり、寒いとエンジン始動が困難で一発でかけないとバッテリーが持たず充電コードをつけないといけなくなるので、油圧を落としバーナーボタンを長めに押してバーナーが真っ赤になったのを見て始動ボタンを押しつつアクセルを踏んでエンジンかけたり(かかってもアクセル緩めるとエンストしてしまい先輩方に笑われたり)そのときマフラーを輪止めでふさいでエンジンかけていたり。射撃の時に装填手が砲弾落として操縦席まで砲弾が転がってきたこともありました。ハッチもみんな足で踏むから軸が曲がってなかなか閉まらなかったり、夜間操縦のとき頭出して運転していたら眠くなって途中数秒立って眠気を飛ばしたり、坂道で止まっていたら油圧が抜けて坂道を転がり落ちたり(油圧を上げるレバーと油圧計があり操縦手は定期的に見て油圧レバーを引いて下がらないようにした、、、けど居眠りしたらいつの間にか0になってる)履帯切ったり、履板割れたり、転輪交換したり、センターガイド、コネクタ交換したり、履帯組んで取り付けたり、閉鎖機、排煙機、砲手入れ整備したり、、、装填手から車長に至るまでお世話になった戦車でしたね。
数年前。某駐屯地祭で展示してある74式の前で、隊員さんに”90式や10式の方がずっと良い”って語ってる人がいました。その横で、私が”でも、74式の方がカッコいい”って言ったら、その隊員さんがこっちを向いて、素敵な笑顔とともに”ですよねぇ”って言われたのが記憶に残っています^^
61式に続いて実戦を経験せずに退役できる幸せな戦車。お疲れ様でした。
続く74式も61式同様天下泰平な戦車🇯🇵✌️
モスボールが決まりましたね。
74式の油気圧懸架装置はSタンクや当時研究中であったMBT-70の影響が大きかったみたいですね。実際、MHIや技本の技術者はGDLSのM1エイブラムスやSタンクのチーフエンジニアとも交流があったようです。また、スイスでも東京精密のサーボバルブを使用した油気圧懸架装置のテストをしており、当時の戦車開発におけるトレンドだったのだと思います。
関連書籍では。技本4研の61式戦車開発末期から74式の開発に関わった方の証言では。欧州戦車技術調査を1960年、1969年の2回実施。1960年の視察では、センチュリオンとレオパルトⅠ試作車体だけしか見ておらず。Sタンクは見ていないそうです。1966年にSタンクが実用化されたので。タイミング的には、真似は不可能であった様子です。74式の油気圧サスペンションは1961年から研究開始、1962年から60式装甲車を改造して実験開始をしています。実際に、74式戦車の油気圧装置の開発は独創だったと証言されています。ただし、1960年代以降は各国で油気圧サスペンションの研究実験もされていますから。当時の防衛庁も何らかの情報を入手していたとは思います。ご指摘のMBT70の開発協定は1963年8月、開発開始が1964年9月ですから。日本の方が開発実験で2年はリードしています。なので、MBT70は参考にはなってはいない筈ですね。試作車体の完成時期が近いので、アメリカでMBT70を視察する機会はあったとは思いますが。時系列的に技術を参考程度にした程度でしょうね(油圧装置や制御方式は入念に見た可能性はあります)。
@@三浦英則 お疲れ様です。貴重な情報ありがとうございます。STBの油気圧懸架の研究は時期的に1964頃〜だという認識でいたのですが、それ以前から研究が始まっていたのですね。「MBT70は参考にはなっていない」という意見については一部同意です。(「影響が大きかった」という誤解を招くような書き込みをしてしまい申し訳ありません)本題に戻りますが、「戦後日本の戦車開発史」や「タンクテクノロジー」などを執筆した林磐男氏によれば、同氏はRMオゴルキィウィッチ氏の招待で1971年にBAEE(British Army Equipment Exhibition-イギリス兵器展示会)などに参加されたようで、それ以降も海外からの情報提供や個人的な視察などが行われたようです。一例として、レムシャイトにあるディール社の工場を直接訪れ、レオパルト1戦車用の履帯を購入し、一次試作車に取り付け試験したそうで、少なからず諸外国との交流はあったのだと思います。(事実、SタンクのチーフエンジニアMr.Berge氏やM1エイブラムスのチーフエンジニアであったDr.Lett氏などと付き合いがあったと著書で記しています)ただ、74TKの足回りはどれも似つかないもので、実際は情報交換や技術交流のみに留まり、独自の技術で作られたのは間違いないと思います。
@@pkp7499 さん。大変詳しい情報ありがとうございます。高度な技術開発ですから、外国の開発技術者との交流があったのは事実だと思います。全く影響がなかったとは断言は禁物ですね。74式開始当初の逸話で、ドイツ製の履帯を実装して全く用を成さず、履帯メーカーにクレームを入れたが『45tのレオパルトⅠで問題が無いのだから、そちらの戦車に問題がある』と塩対応だった話しもあります。成る程、様々な技術者の交流が74式の開発に少なからず影響を与えていのですね。大変勉強になります👍。
運用期間の延命を狙って、追加装甲の実験開発がされていたそうですが、日の目を見なかったですね。レオパルド1の装備型は、なかなかカッコ良かったので、74式のも見て見たかったなぁ・・・。
30年以上前ですが。戦車雑誌で、砲塔前方サイドに(雑具ケースラックの辺り)に外付けのアーマー?が取り付けられた写真が有りましたが、詳細は謎です🤔。また、伝聞では。74式の外付け増加装甲は研究されていて数車両分が製造されたとも言われていますが。結局、最終型の74式改にも実装されませんでした🤨
一応複合装甲対応にサスの性能的にプラス4トン程度余裕があると開発者が言ってましたね
@@りゅうしろい さん。それは昔に戦車雑誌で読んだ記憶がありますね。兵器開発予算は、いつも財務官僚の目の敵ですからね。自衛隊の装備が改修も覚束ないのは財務官僚のせいなのです🤨。もし、戦争になったら、最前線に財務省の官僚全員を投入するべきですね🤨
@@三浦英則昔、重要防護施設警護のため戦車を使用した訓練があり、その時限定で弾薬箱(105mm用)を加工して車体に取り付けその中に土のうを入れて防護能力高めた74戦車を見たことがあります。
展示車両ですが、実物に接した事があります。写真だと「レオパルトを真似たのかな?」という感じでしたが、実物は旧ソ連のT-62の様な平べったい砲塔であった事が印象に残っています。中も狭くて、小柄な私でも砲塔内で立ち上がるとハッチから頭が出る位でした。自衛隊はお役御免になった戦車をスクラップにしてしまいますが、戦争に備えてロシアの様にモスボール保管すべきです。
最近、自衛隊でもモスボールの発想、予算が出来てきて、74式も一部保存されるらしいですよ♪日本におけるモスボールのテストベッドかもしれませんが。
世界中にダンスをした戦車は、74式が初。
スウェーデンのstrv.103(Sタンク)でも出来なかった💫他の戦車はみなトーションバーかホルストマン🎵
2.5世代とは言うけど複合装甲無しな辺りやはりまだまだってのが実際って感じだよねとは言え61式、74式とこの2台で世界水準へのスタートラインに立てたと思うと凄い開発努力だったと思う
4年後には、複合装甲戦車としてレオパルドⅡが、鮮烈にデビューしましたからね。しかも、西側戦車初の120ミリ滑腔砲の搭載。火力、防御力でソ連のT72、T64を凌駕😲。レオパルドⅡは登場時点では最強の戦車でした。僅か4年前に登場した74式の存在も霞ませる戦車でした😅。74式は、登場時点では射撃用レーザ測遠器を採用した初の戦車であり。T72やM60、チーフテンを射撃統制装置では圧倒していました。装甲に関しては、ベンチマークであるレオパルドⅠやAMX30よりも正面装甲も厚く。優秀な部類ではありました(APFSDSとHEATには無力だけど😅)。レオパルドⅡは、MBTの基本的なスタイルを確立した戦車でもありますね(実際、90式のベンチマークになってるしね😊)。軍事兵器ライターの中でも、レオパルドⅡに関しては。賛否両論で、複合装甲を理解できないライターには批判されてましたね『被弾経始が無い🤔退化だ‼️』西ドイツはティーガーⅠを現代に甦らせるつもりか?。と、かなり知識不足を平気で記事にする有り様でしたからね。初速1000m/sを超えるAPFSDSの特性を全然理解できてない兵器ライターやオタクの多い時代でしたから、しょうがないですけどね😅。
いい車でした!74改が中隊にあったけど、操縦できなかった😅
数多の怪獣とやり合い、異世界にも派遣されたり、猫の霊に取り憑かれたり、後世世界では名前変えて日本陸軍の次世代戦車に成ったりとで、あらゆる活躍をしてきましたね。
自分の友人が、上富良野で74式戦車のドライバーをやってました。
米海兵隊ビフォーアフター「そんな機能必要か?」「給弾の時低くなって便利だ」手の平クルー写真だけでなく動画も撮ってここでアップしたのが有りますね迷彩やサーマルスレーブが違う程度で型式が違うのは部隊検査(車検)では仕様が違うとクレームが付くので変更されるとか
山中さん😂気持ちはわかる
特徴なのはあの張り上げるようなエンジンの音✌️
露助を成敗するためにウクライナで最後のご奉公したいって言ってるよ
74式戦車。よく、ベンチマークはレオパルドⅠと言われているが。車体寸法、重量共にレオパルドⅠが大きく重い。むしろ、サイズ、重量、外見は。フランスのAMX30にソックリだったりする😅。油気圧サスペンションは、74式開発指示が出された段階では、実験的な車両か。実用目前のStrv103しか存在しなかった。当時の開発関係者の談では『存在は知ってはいたが、実物を見ていないので。74式の油気圧サスペンションは独自で開発した』と語っている。戦車砲の俯仰角度は、通常で+9゚~-6゚でかなり狭い。これは、油気圧サスペンションによる姿勢制御に依存している為である。姿勢制御は+6゚~-6゚が加算される。履帯は、比較的に脱落しやすく、最終型式の74式改で。起動輪に履帯脱落防止リングが装備されたが、既存車両への装備は成されていない😢。便利な機能の油気圧サスペンションだが。メンテナンスが大変で、故障や破損が多かったとも伝わる😢。余談、開発中に。履帯をドイツの履帯メーカーに仕様を伝達して発注したが。試験中に度々、履帯が切れる事案が発生😰。ドイツのメーカーに問い合わせるも『そちらの戦車は38t、送った履帯は、我が軍の45tのレオパルドⅠでも十分な強度で製作している🤔。それで履帯が切れるのは、そちらの戦車の脚周りの設計に不備があるのだ😑』と、強烈な塩対応。ドイツへの発注は取り止め、国産で開発生産となった。
実物の七四式戦車を、目の前で、納戸も、見ています今は、彼方此方の駐屯地に、展示陸上自衛隊自衛官現役時代は、最新鋭で、六一式戦車が、主力戦車六一式戦車が、男なら、七四式戦車は、女滑らかなスタイルこんな事も、有りました隣で、戦車が、実射此方は、106ミリ無反動砲が、実射爆笑以上
お疲れ様です(*´∀`*)。Yes、74式先輩(*´∀`*)。高評価プチッとな。
陸上自衛隊の戦車解説毎回楽しみに視聴させて、頂いてます。戦車解説も好きですけど、陸自戦車の装備及び付属品の解説も気になります。74式車載機関銃や車両に付属する斧やツルハシも気になります。(M2−12.7㍉機銃は、有名過ぎる存在ですが、74式車載機関銃や斧・ツルハシの存在って何ですかね?。)
戦車兵が、外部作業をする為の道具ですよ。スコップも常備してます。戦闘任務中は様々な事象に対応しなくてはいけません。時には、戦車乗員が自ら。現場の立木や、土砂、岩石を利用して簡易的な、戦車壕を造ったりする場合も発生します。その際にツルハシも必要な訳です。また、悪路走行時には、キャタピラーとは言えども埋没してスタックする事も有ります。近くに支援車両が無い場合は、自力で地面を掘って脱出も試みる事になりますから、ツルハシもスコップも、悪路脱出の為に、立木を伐採する斧も必須な道具なのですよ。その他に、ワイヤーも常備されていて。近くに仲間の戦車や回収車両がいる場合に牽引して貰う為に戦車の重要な装備品となっています。また、ワイヤーはキャタピラーの交換作業にも必須なアイテムなのです。戦車の外側に装着されている道具には意味が有るのですよ。
74式戦車さんのご活躍?ゴジラをはじめとする怪獣と交戦し、撃破されてます😅。
複合装甲なんか無くても当たりさえしなければどうと言う事はない!16式のFCS移植とアクティブ防御追加装備で攻守共に強化した74が見たかった。美しい砲塔シルエットが台無しになるので爆発反応装甲とかの追加装甲は無しでw
解説されているように災害出動で活躍できる場面が何度もあったのに、延々待機させられたあげく中止…。人命や事態の収拾より思想を優先する変な人達に足を引っ張られてますね。
活躍されて 持ち上げられると自衛隊がチヤホヤされるのを生理的に嫌がる人外が断固としてなりふり構わず圧力をかけて来ます 現在も
74式といえば「少女と戦車」
74式戦車だけではないが、採用した後バージョンアップをしないで五月雨的な発注をするから高価格ですぐに装備が陳腐化するんだよ。
ヤマナカ式
陸上自衛隊自衛官現役時代は、最新鋭で、採用から、七年昭和五十五年当時は、六一式戦車が、主力戦車採用から、十八年因みに、自分は、六一式戦車と同じ歳爆笑一士の時に、七四式戦車と共同演習普通は、戦車が、来たなら、立ち上がるのが、通例しかし、逃げる想定で、全力疾走爆笑当時は、十九歳今なら、絶対無理苦笑い以上
イチコメ(*´∀`*)
空冷2サイクルエンジンで1000馬力無し😅
74式戦車のデザインは完成されすぎてヤバい。特に暗視装置がカッコ良すぎる。
しかも世界一スマートとも呼ばれていた車体ですからね🇯🇵
来月末でついに全車用途廃止となりますね。74式、長い間お疲れ様でした。昨年道内の駐屯地式典で3世代(10式、90式、74式)の揃い踏みを見れて満足です。
駐屯地祭で中に入った事あるけど当時は子供で良く覚えていない、今だったらじっくり見てみたい
白色灯による夜間射撃では、白色灯搭載戦車が射撃すると白色灯が消えてしまって次弾発射ができないため、時の部隊長の判断により白色灯搭載戦車は射撃せず白色灯を照らすのみで他の戦車が射撃していた。
またよく故障して赤外線のみ使っていた記憶もあります。
1番記憶しているのが、射撃後の弾着地整備において白色灯を射座から照らして整備したことが1回ありその時の明るさと側面から見た時の青白い光線の綺麗さはとても印象に残ってます。
この戦車、姿勢制御装置がよく油漏れしていて操縦席に流れ込んだり、操縦席の横に弾薬架があってこれを演習の時外すとかなりの広さが確保されるので外して弾薬箱の板を敷いて寝たり、姿勢制御スイッチを扱うとき前下げをするときはレバーを中立の位置にしないと完全な前下げができなかったり、洗車の時は室内の水抜きのため左斜め下げの姿勢にする(水抜きの穴がある)のがコツが必要で最初はなかなかできなかったり、脱出口が操縦席の下にあるのですが、これのレバーが緩んで途中落として探しに行ったり、暗視装置を取り付ける際取り付け口がボロくてなかなか固定できず、先輩から怒られたり、寒いとエンジン始動が困難で一発でかけないとバッテリーが持たず充電コードをつけないといけなくなるので、油圧を落としバーナーボタンを長めに押してバーナーが真っ赤になったのを見て始動ボタンを押しつつアクセルを踏んでエンジンかけたり(かかってもアクセル緩めるとエンストしてしまい先輩方に笑われたり)そのときマフラーを輪止めでふさいでエンジンかけていたり。
射撃の時に装填手が砲弾落として操縦席まで砲弾が転がってきたこともありました。
ハッチもみんな足で踏むから軸が曲がってなかなか閉まらなかったり、夜間操縦のとき頭出して運転していたら眠くなって途中数秒立って眠気を飛ばしたり、坂道で止まっていたら油圧が抜けて坂道を転がり落ちたり(油圧を上げるレバーと油圧計があり操縦手は定期的に見て油圧レバーを引いて下がらないようにした、、、けど居眠りしたらいつの間にか0になってる)
履帯切ったり、履板割れたり、転輪交換したり、センターガイド、コネクタ交換したり、履帯組んで取り付けたり、閉鎖機、排煙機、砲手入れ整備したり、、、
装填手から車長に至るまでお世話になった戦車でしたね。
数年前。某駐屯地祭で展示してある74式の前で、隊員さんに”90式や10式の方がずっと良い”って語ってる人がいました。
その横で、私が”でも、74式の方がカッコいい”って言ったら、その隊員さんがこっちを向いて、素敵な笑顔とともに”ですよねぇ”って言われたのが記憶に残っています^^
61式に続いて実戦を経験せずに退役できる幸せな戦車。お疲れ様でした。
続く74式も61式同様天下泰平な戦車🇯🇵✌️
モスボールが決まりましたね。
74式の油気圧懸架装置はSタンクや当時研究中であったMBT-70の影響が大きかったみたいですね。
実際、MHIや技本の技術者はGDLSのM1エイブラムスやSタンクのチーフエンジニアとも交流があったようです。
また、スイスでも東京精密のサーボバルブを使用した油気圧懸架装置のテストをしており、当時の戦車開発におけるトレンドだったのだと思います。
関連書籍では。技本4研の61式戦車開発末期から74式の開発に関わった方の証言では。欧州戦車技術調査を1960年、1969年の2回実施。1960年の視察では、センチュリオンとレオパルトⅠ試作車体だけしか見ておらず。Sタンクは見ていないそうです。1966年にSタンクが実用化されたので。タイミング的には、真似は不可能であった様子です。74式の油気圧サスペンションは1961年から研究開始、1962年から60式装甲車を改造して実験開始をしています。実際に、74式戦車の油気圧装置の開発は独創だったと証言されています。ただし、1960年代以降は各国で油気圧サスペンションの研究実験もされていますから。当時の防衛庁も何らかの情報を入手していたとは思います。ご指摘のMBT70の開発協定は1963年8月、開発開始が1964年9月ですから。日本の方が開発実験で2年はリードしています。なので、MBT70は参考にはなってはいない筈ですね。試作車体の完成時期が近いので、アメリカでMBT70を視察する機会はあったとは思いますが。時系列的に技術を参考程度にした程度でしょうね(油圧装置や制御方式は入念に見た可能性はあります)。
@@三浦英則
お疲れ様です。
貴重な情報ありがとうございます。STBの油気圧懸架の研究は時期的に1964頃〜だという認識でいたのですが、それ以前から研究が始まっていたのですね。
「MBT70は参考にはなっていない」という意見については一部同意です。(「影響が大きかった」という誤解を招くような書き込みをしてしまい申し訳ありません)
本題に戻りますが、「戦後日本の戦車開発史」や「タンクテクノロジー」などを執筆した林磐男氏によれば、同氏はRMオゴルキィウィッチ氏の招待で1971年にBAEE(British Army Equipment Exhibition-イギリス兵器展示会)などに参加されたようで、それ以降も海外からの情報提供や個人的な視察などが行われたようです。
一例として、レムシャイトにあるディール社の工場を直接訪れ、レオパルト1戦車用の履帯を購入し、一次試作車に取り付け試験したそうで、少なからず諸外国との交流はあったのだと思います。(事実、SタンクのチーフエンジニアMr.Berge氏やM1エイブラムスのチーフエンジニアであったDr.Lett氏などと付き合いがあったと著書で記しています)
ただ、74TKの足回りはどれも似つかないもので、実際は情報交換や技術交流のみに留まり、独自の技術で作られたのは間違いないと思います。
@@pkp7499 さん。大変詳しい情報ありがとうございます。高度な技術開発ですから、外国の開発技術者との交流があったのは事実だと思います。全く影響がなかったとは断言は禁物ですね。74式開始当初の逸話で、ドイツ製の履帯を実装して全く用を成さず、履帯メーカーにクレームを入れたが『45tのレオパルトⅠで問題が無いのだから、そちらの戦車に問題がある』と塩対応だった話しもあります。成る程、様々な技術者の交流が74式の開発に少なからず影響を与えていのですね。大変勉強になります👍。
運用期間の延命を狙って、追加装甲の実験開発がされていたそうですが、日の目を見なかったですね。レオパルド1の装備型は、なかなかカッコ良かったので、74式のも見て見たかったなぁ・・・。
30年以上前ですが。戦車雑誌で、砲塔前方サイドに(雑具ケースラックの辺り)に外付けのアーマー?が取り付けられた写真が有りましたが、詳細は謎です🤔。また、伝聞では。74式の外付け増加装甲は研究されていて数車両分が製造されたとも言われていますが。結局、最終型の74式改にも実装されませんでした🤨
一応複合装甲対応にサスの性能的にプラス4トン程度余裕があると開発者が言ってましたね
@@りゅうしろい さん。それは昔に戦車雑誌で読んだ記憶がありますね。兵器開発予算は、いつも財務官僚の目の敵ですからね。自衛隊の装備が改修も覚束ないのは財務官僚のせいなのです🤨。もし、戦争になったら、最前線に財務省の官僚全員を投入するべきですね🤨
@@三浦英則
昔、重要防護施設警護のため戦車を使用した訓練があり、その時限定で弾薬箱(105mm用)を加工して車体に取り付けその中に土のうを入れて防護能力高めた74戦車を見たことがあります。
展示車両ですが、実物に接した事があります。写真だと「レオパルトを真似たのかな?」という感じでしたが、実物は旧ソ連のT-62の様な平べったい砲塔であった事が印象に残っています。中も狭くて、小柄な私でも砲塔内で立ち上がるとハッチから頭が出る位でした。
自衛隊はお役御免になった戦車をスクラップにしてしまいますが、戦争に備えてロシアの様にモスボール保管すべきです。
最近、自衛隊でもモスボールの発想、予算が出来てきて、74式も一部保存されるらしいですよ♪
日本におけるモスボールのテストベッドかもしれませんが。
世界中にダンスをした戦車は、74式が初。
スウェーデンのstrv.103(Sタンク)でも出来なかった💫他の戦車はみなトーションバーかホルストマン🎵
2.5世代とは言うけど複合装甲無しな辺りやはりまだまだってのが実際って感じだよね
とは言え61式、74式とこの2台で世界水準へのスタートラインに立てたと思うと凄い開発努力だったと思う
4年後には、複合装甲戦車としてレオパルドⅡが、鮮烈にデビューしましたからね。しかも、西側戦車初の120ミリ滑腔砲の搭載。火力、防御力でソ連のT72、T64を凌駕😲。レオパルドⅡは登場時点では最強の戦車でした。僅か4年前に登場した74式の存在も霞ませる戦車でした😅。74式は、登場時点では射撃用レーザ測遠器を採用した初の戦車であり。T72やM60、チーフテンを射撃統制装置では圧倒していました。装甲に関しては、ベンチマークであるレオパルドⅠやAMX30よりも正面装甲も厚く。優秀な部類ではありました(APFSDSとHEATには無力だけど😅)。レオパルドⅡは、MBTの基本的なスタイルを確立した戦車でもありますね(実際、90式のベンチマークになってるしね😊)。軍事兵器ライターの中でも、レオパルドⅡに関しては。賛否両論で、複合装甲を理解できないライターには批判されてましたね『被弾経始が無い🤔退化だ‼️』西ドイツはティーガーⅠを現代に甦らせるつもりか?。と、かなり知識不足を平気で記事にする有り様でしたからね。初速1000m/sを超えるAPFSDSの特性を全然理解できてない兵器ライターやオタクの多い時代でしたから、しょうがないですけどね😅。
いい車でした!74改が中隊にあったけど、操縦できなかった😅
数多の怪獣とやり合い、異世界にも派遣されたり、猫の霊に取り憑かれたり、後世世界では名前変えて日本陸軍の次世代戦車に成ったりとで、あらゆる活躍をしてきましたね。
自分の友人が、上富良野で74式戦車のドライバーをやってました。
米海兵隊ビフォーアフター「そんな機能必要か?」「給弾の時低くなって便利だ」手の平クルー
写真だけでなく動画も撮ってここでアップしたのが有りますね
迷彩やサーマルスレーブが違う程度で型式が違うのは部隊検査(車検)では仕様が違うとクレームが付くので変更されるとか
山中さん😂気持ちはわかる
特徴なのはあの張り上げるようなエンジンの音✌️
露助を成敗するために
ウクライナで最後のご奉公したいって言ってるよ
74式戦車。よく、ベンチマークはレオパルドⅠと言われているが。車体寸法、重量共にレオパルドⅠが大きく重い。むしろ、サイズ、重量、外見は。フランスのAMX30にソックリだったりする😅。油気圧サスペンションは、74式開発指示が出された段階では、実験的な車両か。実用目前のStrv103しか存在しなかった。当時の開発関係者の談では『存在は知ってはいたが、実物を見ていないので。74式の油気圧サスペンションは独自で開発した』と語っている。戦車砲の俯仰角度は、通常で+9゚~-6゚でかなり狭い。これは、油気圧サスペンションによる姿勢制御に依存している為である。姿勢制御は+6゚~-6゚が加算される。履帯は、比較的に脱落しやすく、最終型式の74式改で。起動輪に履帯脱落防止リングが装備されたが、既存車両への装備は成されていない😢。便利な機能の油気圧サスペンションだが。メンテナンスが大変で、故障や破損が多かったとも伝わる😢。余談、開発中に。履帯をドイツの履帯メーカーに仕様を伝達して発注したが。試験中に度々、履帯が切れる事案が発生😰。ドイツのメーカーに問い合わせるも『そちらの戦車は38t、送った履帯は、我が軍の45tのレオパルドⅠでも十分な強度で製作している🤔。それで履帯が切れるのは、そちらの戦車の脚周りの設計に不備があるのだ😑』と、強烈な塩対応。ドイツへの発注は取り止め、国産で開発生産となった。
実物の七四式戦車を、目の前で、納戸も、見ています
今は、彼方此方の駐屯地に、展示
陸上自衛隊自衛官現役時代は、最新鋭で、六一式戦車が、主力戦車
六一式戦車が、男なら、七四式戦車は、女
滑らかなスタイル
こんな事も、有りました
隣で、戦車が、実射
此方は、106ミリ無反動砲が、実射
爆笑
以上
お疲れ様です(*´∀`*)。
Yes、74式先輩(*´∀`*)。
高評価プチッとな。
陸上自衛隊の戦車解説毎回楽しみに視聴させて、頂いてます。戦車解説も好きですけど、陸自戦車の装備及び付属品の解説も気になります。
74式車載機関銃や車両に付属する斧やツルハシも気になります。(M2−12.7㍉機銃は、有名過ぎる存在ですが、74式車載機関銃や斧・ツルハシの存在って何ですかね?。)
戦車兵が、外部作業をする為の道具ですよ。スコップも常備してます。戦闘任務中は様々な事象に対応しなくてはいけません。時には、戦車乗員が自ら。現場の立木や、土砂、岩石を利用して簡易的な、戦車壕を造ったりする場合も発生します。その際にツルハシも必要な訳です。また、悪路走行時には、キャタピラーとは言えども埋没してスタックする事も有ります。近くに支援車両が無い場合は、自力で地面を掘って脱出も試みる事になりますから、ツルハシもスコップも、悪路脱出の為に、立木を伐採する斧も必須な道具なのですよ。その他に、ワイヤーも常備されていて。近くに仲間の戦車や回収車両がいる場合に牽引して貰う為に戦車の重要な装備品となっています。また、ワイヤーはキャタピラーの交換作業にも必須なアイテムなのです。戦車の外側に装着されている道具には意味が有るのですよ。
74式戦車さんのご活躍?ゴジラをはじめとする怪獣と交戦し、撃破されてます😅。
複合装甲なんか無くても当たりさえしなければどうと言う事はない!
16式のFCS移植とアクティブ防御追加装備で攻守共に強化した74が見たかった。
美しい砲塔シルエットが台無しになるので爆発反応装甲とかの追加装甲は無しでw
解説されているように災害出動で活躍できる場面が何度もあったのに、延々待機させられたあげく中止…。人命や事態の収拾より思想を優先する変な人達に足を引っ張られてますね。
活躍されて 持ち上げられると自衛隊がチヤホヤされるのを生理的に嫌がる人外が断固としてなりふり構わず圧力をかけて来ます 現在も
74式といえば「少女と戦車」
74式戦車だけではないが、採用した後バージョンアップをしないで五月雨的な発注をするから高価格ですぐに装備が陳腐化するんだよ。
ヤマナカ式
陸上自衛隊自衛官現役時代は、最新鋭で、採用から、七年
昭和五十五年当時は、六一式戦車が、主力戦車
採用から、十八年
因みに、自分は、六一式戦車と同じ歳
爆笑
一士の時に、七四式戦車と共同演習
普通は、戦車が、来たなら、立ち上がるのが、通例
しかし、逃げる想定で、全力疾走
爆笑
当時は、十九歳
今なら、絶対無理
苦笑い
以上
イチコメ(*´∀`*)
空冷2サイクルエンジンで1000馬力無し😅