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映画化お願い致します🙇
僕はこの潜水艦で日本に帰る日本の技術者の役で映画に俳優として出演しました。英国の映画でした。
日本も、凄い、潜水艦にて、運ばれた、ターボジェットエンジンの一枚の写真だけで、ターボジェットエンジンを製作した、事は、凄いの一言に、尽きる。
5番ドイツ派遣潜水艦の伊52が省かれていて可哀想。フランス、ビスケー湾に達したがすでに北フランスに連合軍が上陸しており寄港する港の調整がつかず湾内を彷徨っていたところ、アメリカ軍の戦闘機に発見されて魚雷攻撃を受け撃沈されてしまった。
それは違う。伊52が撃沈されたのは西アフリカのカーボヴェルデ諸島付近の大西洋だ。Uボートとの会合に成功した直後だ。
あえて突っ込むけど戦闘機じゃなくて雷撃機ね。実戦配備された米海軍戦闘機に魚雷搭載できないから。90年代前半期の資料によってはビスケー湾となってたけど、あれどうして誤認されたのだろうね?90年代後半に放送されたNHKスペシャルのイ52号の特集では、PB4Yから投下されたソノブイと護衛空母ボーグ所属のアヴェンジャー雷撃機の攻撃のコンボで大西洋上で沈んだと正確に放送されたてたけど。
@@南華面読斎なんかめんどくさい 音響ホーミング魚雷ですね。
@@ませあきたつ訂正ありがとうございます。
現代の最新鋭の潜水艦と違って 当時の潜水艦は 潜ることもできるという程度のものだった。 要するに 今の潜水艦は ほとんど 潜ったまま 航行する 。 それも戦争中で ドイツまで行ったなんて偉業も偉業も 信じられないくらいである。
小説で読んだだけですが、ものすごい過酷な長旅だったようですね
艦長、あっぱれです。
ドイツから大変な苦労を重ねて持ち帰ったダイムラー製の高速ディーゼル機関だったのですが、当時のエンジニア達がその図面を見て全てを理解したものの、図面に指示されていた公差(許容される精度誤差範囲)は当時の日本の工作機械レベルと比べて一桁高い精度を指定しており、公差を含めて設計図通りに再現することは不可能と上層部に報告したそうです。 WW2当時に於いてドイツが有していた技術レベルと比べたら、我が国のそれとは大きな差があったようです。 米国やイギリスもドイツに近い技術レベルを保持しており、明治以降に近代化を急速に推し進めた我が国は、未だ未だ欧米の技術水準には及んでいなかったのが実際のところだったようです。それでも戦後70年を経た今日では、我が国の技術レベルも大幅に向上してきており、工作機械分野の品質面ではドイツと日本のメーカーが世界市場の席巻するに至っていますね。
深いご指摘、大変にうなずけます
書かれている事は昔からよく指摘されている事ですよね、日本は製品の輸入はさせてもらったが重要な技術までは輸入できなかった、なので、ものまねからスタートするしかなかったんです、欧米の技術の進歩に追随できるだけの基礎産業が発達していなかったため、後手にまわらざるをえなかった、当時はそれが実情だったのでしょう。戦艦大和でもプレス機をドイツから輸入しなければ建造できなかったのです、ドイツの技術者付きで。軍用機の星形エンジンも輸入品が原型になっています、機銃もスイス製などです、だから、零戦などに搭載して戦果を挙げる事が出来ました。
@@kazushira5701 大和の主砲砲身を削り出した巨大旋盤の事ですかね? 戦後も長い期間に渡り使われていたそうですね。 これが無かったら46センチ主砲は不可能だったとか、、、この関係は前後の中国と日本の関係に似ていますね。
@@澳男 旋盤ではなくてプレス機です、大和の装甲鈑を鍛錬する一万五千トンの水圧プレス機です、ドイツのヒドロリック社製、このプレス機の全重量は四千トン、世界最大であったらしいです、光人社NF文庫本に書いてあります、興味あれば読まれたらよい。46センチ砲の旋盤もドイツのワグナー社製ですね、その他イギリスのビッカース社製の機械など、ほとんどが欧米の製品ですね。こうやって欧米の国を敵にまわして戦争したんだから、戦争って何?、という気がしないでもない。
有名どころではマウザーMG151/20ミリの国産化の失敗ですが、高精度のバネが作れる機材設備がなかったと言われてます。ところが戦前にMG17の国産化を試みた時も同じ問題から固定式ではなく、旋回機銃に変えて採用された経緯があります。ドイツ技術の恩恵をフルに生かすには製造機材一式も運べないと厳しいですね。
戦前の鉄資源の大半はアメリカの粗鋼(スクラップ)だったと聞いたことがあります。日本の工業力、冶金技術を補う品質の良い素材が粗鋼では遣独で持ち帰った新技術にも限界があったと思います。どの国のどんな武器も今のAK小銃のような頑強さと融通の利く設計を必ず採り入れていたはずですが当時の日本の技術では何かをトレードオフしなければ成り立たったんでしょうね。戦後、東京タワー建設ではM4戦車を鋳潰した材料も使われたとも聞きました皮肉な話です。それでも遣独に携わった日独の潜水艦乗りの技術は戦争抜きで凄いし冒険者だな。
そこでダイムラー・ベンツ社製高速魚雷艇用ディーゼルエンジンの製造技術習得の為、三菱のエンジニアがドイツへ派遣される事となったが、途中で彼が便乗していた伊52がアメリカの護衛空母の艦載機に撃沈され、彼は亡くなった。
遣独艦「イ8号」の事は吉村昭原作「深海の使者」に詳しく書かれていますよ。イタリアの航空機がソ連領を飛んで来日した話なども面白いです。
1971年頃 神戸大学の外部講師(戦時中 日立の過吸気機の技術者)の体験談ですが 本TH-camと内容が異なります(巌谷英一氏(1959年没)の話に似ていますが別人のようです) (没年や経歴が異なる) メッサーシュミットの図面や部品を日本に持ち帰った。 同じ図面を友人と2隻の潜水艦に分乗したが 友人の潜水艦は沈没 この大学講師のみ帰国しました。 その後、ジェットエンジンの開発を担当したそうで、 敗戦後も暫く山中で極秘の燃焼試験をしたそうです。 ドイツの 青焼き図面は 細かい所が解らず 設計図を描き直したとのこと。試験に使った耐熱部品はドイツ製なのか国産なのか不明です 50年前 大学3年の 記憶で 齟齬があるかもしれません。 wikiの遣独潜水艦にも この話は出ていないので、別ルートの派遣かもしれません。
このイ29号の乗り組み日本人の役を映画でしました。
積み荷にタングステン(ウォルフラム:W)があったことを忘れてはいけない。
アヘンやキニーネ、更には金塊が積んであった。
@@ませあきたつ コーヒー豆も積んであったとか
ドイツから譲渡されたU511はロ500となり、U1224はロ501となる予定でしたが、帰国途中のアフリカ沖で対潜部隊に捕捉され撃沈されてしまったそうです。
呂501はビスケー湾で撃沈された。
呂500も日本の技術では建造不能と判定
@@田中一朗-s2c どのような部分がコピー不可能と判定されたのでしょうか?騒音の問題、シュノーケルの問題、溶接技術の問題、通信機の問題などかな?
@@kazushira5701 エンジン、消音、溶接その他
@@田中一朗-s2c 結局、戦闘機、魚雷艇のエンジン同様、部品の工作精度の問題ね、伊201型、波201型を建造しているので、溶接は問題なかったと思います。
映画化して欲しい作戦ですね艦長の内野信二大佐役は中井貴一さんか浅野忠信さんで😀
当時は、ソ連経由とか無理だったのでしょうか?
日本とは中立条約がありますが、ナチスドイツとソ連は独ソ戦の真っ最中ですからね。実質日本とソ連との貿易は途絶えわずかに外交官が赴くくらいしか交流してませんでしたし。ソ連と満州の国境ではよく小競り合いもあったからシベリア鉄道経由では、物資が届く保証もなかった。
@@ライヘナウヘルマン そうでしたか!
日独間の経済交流は「第二次世界大戦」が始まってからは、シベリア鉄道を使って細々ながら行われていたが、「独ソ戦」勃発に伴い、それも出来なくなった。
遣独任務を完遂できたのは、内野信二艦長の伊8潜のみ
内山信二?
当時、同盟国のドイツ、ドイツの技術等がいかに、日本より、はるかに、優れ、進んでいたかが判る。又、ドイツが、当時の米英と、くらべても、勝るともおとらない科学、技術の進んだ、国だったかが、わかる。
想像を絶する話ですね😅
あっちからは来ない...。
南方の日本の占領地とか日本本土に輸送船とかUボートで何隻かは来ています。
ドイツとイタリアの潜水艦がインド洋で通商破壊戦を行う為に出ばって来ていた。
撃沈されることになりました。そのロケットエンジンの技師の役でした。
イ8潜水艦は無事にドイツ日本間を往復していますが、何の話ですか?。
@@kazushira5701 べつの伊号でしょう
@@田中一朗-s2c >べつの伊号でしょう撃沈されたのが、べつの伊号と言う事のようだが、伊8号は無事往復している、返信の意味がちょっとハッキリしないので補足して下さい。
矜持(きょうじ)と読みます。キンジではありません。
慣用表現でキンジもOKです。おk
ガダルカナル戦は放棄し最初からその戦力をインドに注ぎ込んでいればインパール作戦も成功しイギリスと単独講和も夢ではなかった。
映画化お願い致します🙇
僕はこの潜水艦で日本に帰る日本の技術者の役で映画に俳優として出演しました。英国の映画でした。
日本も、凄い、潜水艦にて、運ばれた、ターボジェットエンジンの一枚の写真だけで、ターボジェットエンジンを製作した、事は、凄いの一言に、尽きる。
5番ドイツ派遣潜水艦の伊52が省かれていて可哀想。
フランス、ビスケー湾に達したがすでに北フランスに連合軍が上陸しており寄港する港の調整がつかず湾内を彷徨っていたところ、アメリカ軍の戦闘機に発見されて魚雷攻撃を受け撃沈されてしまった。
それは違う。
伊52が撃沈されたのは西アフリカのカーボヴェルデ諸島付近の大西洋だ。
Uボートとの会合に成功した直後だ。
あえて突っ込むけど戦闘機じゃなくて雷撃機ね。
実戦配備された米海軍戦闘機に魚雷搭載できないから。
90年代前半期の資料によってはビスケー湾となってたけど、あれどうして誤認されたのだろうね?
90年代後半に放送されたNHKスペシャルのイ52号の特集では、PB4Yから投下されたソノブイと護衛空母ボーグ所属のアヴェンジャー雷撃機の攻撃のコンボで大西洋上で沈んだと正確に放送されたてたけど。
@@南華面読斎なんかめんどくさい 音響ホーミング魚雷ですね。
@@ませあきたつ訂正ありがとうございます。
現代の最新鋭の潜水艦と違って 当時の潜水艦は 潜ることもできるという程度のものだった。 要するに 今の潜水艦は ほとんど 潜ったまま 航行する 。 それも戦争中で ドイツまで行ったなんて偉業も偉業も 信じられないくらいである。
小説で読んだだけですが、ものすごい過酷な長旅だったようですね
艦長、あっぱれです。
ドイツから大変な苦労を重ねて持ち帰ったダイムラー製の高速ディーゼル機関だったのですが、当時のエンジニア達がその図面を見て全てを理解したものの、図面に指示されていた公差(許容される精度誤差範囲)は当時の日本の工作機械レベルと比べて一桁高い精度を指定しており、公差を含めて設計図通りに再現することは不可能と上層部に報告したそうです。
WW2当時に於いてドイツが有していた技術レベルと比べたら、我が国のそれとは大きな差があったようです。 米国やイギリスもドイツに近い技術レベルを保持しており、明治以降に近代化を急速に推し進めた我が国は、未だ未だ欧米の技術水準には及んでいなかったのが実際のところだったようです。
それでも戦後70年を経た今日では、我が国の技術レベルも大幅に向上してきており、工作機械分野の品質面ではドイツと日本のメーカーが世界市場の席巻するに至っていますね。
深いご指摘、大変にうなずけます
書かれている事は昔からよく指摘されている事ですよね、日本は製品の輸入はさせてもらったが重要な技術までは輸入できなかった、なので、ものまね
からスタートするしかなかったんです、欧米の技術の進歩に追随できるだけの基礎産業が発達していなかったため、後手にまわらざるをえなかった、当時はそれが
実情だったのでしょう。戦艦大和でもプレス機をドイツから輸入しなければ建造できなかったのです、ドイツの技術者付きで。
軍用機の星形エンジンも輸入品が原型になっています、機銃もスイス製などです、だから、零戦などに搭載して戦果を挙げる事が出来ました。
@@kazushira5701
大和の主砲砲身を削り出した巨大旋盤の事ですかね? 戦後も長い期間に渡り使われていたそうですね。 これが無かったら46センチ主砲は不可能だったとか、、、
この関係は前後の中国と日本の関係に似ていますね。
@@澳男 旋盤ではなくてプレス機です、大和の装甲鈑を鍛錬する一万五千トンの水圧プレス機です、ドイツのヒドロリック社製、このプレス機の全重量は四千トン、世界最大であったらしいです、光人社NF文庫本に書いてあります、興味あれば読まれたらよい。
46センチ砲の旋盤もドイツのワグナー社製ですね、その他イギリスのビッカース社製の機械など、ほとんどが欧米の製品ですね。こうやって欧米の国を
敵にまわして戦争したんだから、戦争って何?、という気がしないでもない。
有名どころではマウザーMG151/20ミリの国産化の失敗ですが、高精度のバネが作れる機材設備がなかったと言われてます。ところが戦前にMG17の国産化を試みた時も同じ問題から固定式ではなく、旋回機銃に変えて採用された経緯があります。
ドイツ技術の恩恵をフルに生かすには製造機材一式も運べないと厳しいですね。
戦前の鉄資源の大半はアメリカの粗鋼(スクラップ)だったと聞いたことがあります。日本の工業力、冶金技術を補う品質の良い素材が粗鋼では遣独で持ち帰った新技術にも限界があったと思います。どの国のどんな武器も今のAK小銃のような頑強さと融通の利く設計を必ず採り入れていたはずですが当時の日本の技術では何かをトレードオフしなければ成り立たったんでしょうね。戦後、東京タワー建設ではM4戦車を鋳潰した材料も使われたとも聞きました皮肉な話です。それでも遣独に携わった日独の潜水艦乗りの技術は戦争抜きで凄いし冒険者だな。
そこでダイムラー・ベンツ社製高速魚雷艇用ディーゼルエンジンの製造技術習得の為、三菱のエンジニアがドイツへ派遣される事となったが、途中で彼が便乗していた伊52がアメリカの護衛空母の艦載機に撃沈され、彼は亡くなった。
遣独艦「イ8号」の事は吉村昭原作「深海の使者」に詳しく書かれていますよ。イタリアの航空機がソ連領を飛んで来日した話なども面白いです。
1971年頃 神戸大学の外部講師(戦時中 日立の過吸気機の技術者)の体験談ですが 本TH-camと内容が異なります
(巌谷英一氏(1959年没)の話に似ていますが別人のようです)
(没年や経歴が異なる)
メッサーシュミットの図面や部品を日本に持ち帰った。 同じ図面を友人と2隻の潜水艦に分乗したが 友人の潜水艦は沈没 この大学講師のみ帰国しました。
その後、ジェットエンジンの開発を担当したそうで、 敗戦後も暫く山中で極秘の燃焼試験をしたそうです。
ドイツの 青焼き図面は 細かい所が解らず
設計図を描き直したとのこと。試験に使った耐熱部品はドイツ製なのか国産なのか不明です
50年前 大学3年の
記憶で 齟齬があるかもしれません。
wikiの遣独潜水艦にも この話は出ていないので、別ルートの派遣かもしれません。
このイ29号の乗り組み日本人の役を映画でしました。
積み荷にタングステン(ウォルフラム:W)があったことを忘れてはいけない。
アヘンやキニーネ、更には金塊が積んであった。
@@ませあきたつ コーヒー豆も積んであったとか
ドイツから譲渡されたU511はロ500となり、U1224はロ501となる予定でしたが、帰国途中のアフリカ沖で対潜部隊に捕捉され撃沈されてしまったそうです。
呂501はビスケー湾で撃沈された。
呂500も日本の技術では建造不能と判定
@@田中一朗-s2c どのような部分がコピー不可能と判定されたのでしょうか?騒音の問題、シュノーケルの問題、溶接技術の問題、通信機の問題などかな?
@@kazushira5701 エンジン、消音、溶接その他
@@田中一朗-s2c 結局、戦闘機、魚雷艇のエンジン同様、部品の工作精度の問題ね、伊201型、波201型を建造しているので、溶接は問題なかったと思います。
映画化して欲しい作戦ですね
艦長の内野信二大佐役は中井貴一さんか浅野忠信さんで😀
当時は、ソ連経由とか無理だったのでしょうか?
日本とは中立条約がありますが、ナチスドイツとソ連は独ソ戦の真っ最中ですからね。
実質日本とソ連との貿易は途絶えわずかに外交官が赴くくらいしか交流してませんでしたし。
ソ連と満州の国境ではよく小競り合いもあったからシベリア鉄道経由では、物資が届く保証もなかった。
@@ライヘナウヘルマン
そうでしたか!
日独間の経済交流は「第二次世界大戦」が始まってからは、シベリア鉄道を使って細々ながら行われていたが、「独ソ戦」勃発に伴い、それも出来なくなった。
遣独任務を完遂できたのは、内野信二艦長の伊8潜のみ
内山信二?
当時、同盟国のドイツ、ドイツの技術等がいかに、日本より、はるかに、優れ、進んでいたかが判る。又、ドイツが、当時の米英と、くらべても、勝るともおとらない科学、技術の進んだ、国だったかが、わかる。
想像を絶する話ですね😅
あっちからは来ない...。
南方の日本の占領地とか日本本土に輸送船とかUボートで何隻かは来ています。
ドイツとイタリアの潜水艦がインド洋で通商破壊戦を行う為に出ばって来ていた。
撃沈されることになりました。そのロケットエンジンの技師の役でした。
イ8潜水艦は無事にドイツ日本間を往復していますが、何の話ですか?。
@@kazushira5701 べつの伊号でしょう
@@田中一朗-s2c >べつの伊号でしょう
撃沈されたのが、べつの伊号と言う事のようだが、伊8号は無事往復している、返信の意味がちょっとハッキリしないので補足して下さい。
矜持(きょうじ)と読みます。キンジではありません。
慣用表現でキンジもOKです。
おk
ガダルカナル戦は放棄し最初からその戦力をインドに注ぎ込んでいればインパール作戦も成功し
イギリスと単独講和も夢ではなかった。