香椎線の秘話!博多湾鉄道から糟屋線への軌跡 | 歴史紀行【前面展望付き】
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- เผยแพร่เมื่อ 15 มี.ค. 2022
- 博多湾鉄道から糟屋線への歴史的な旅!香椎線の興味深い秘話を紹介します。軌道の発展と共に築かれた軌跡を振り返り、鉄道の歴史に思いを馳せましょう。是非、ご覧ください!
香椎線の歴史ですが、博多湾鉄道により1904(明治37年)年1月1日に西戸崎駅(さいとざきえき)~須恵駅(すええき)間が開業、翌年12月29日に宇美駅(うみえき)まで延伸されると、5年後の1909年(明治42)年には、酒殿駅(さかどえき)から貨物支線が志免(しめ)に向けて延ばされており、これが勝田線となっています。
この勝田線及び香椎線は、沿線の志免町、宇美町、須惠町に点在していた海軍所有の粕屋炭田で採炭された石炭を、西戸崎港へ向けて運ぶ貨物輸送線としての役割が大きかったようです。
この香椎線は、もともとは民間鉄道で1920(大正9)年には「博多湾鉄道」から「博多湾鉄道汽船」に社名が改められて、1942(昭和17)年には、合併により西日本鉄道の路線となり、路線名が糟屋線(かすやせん)となりました。
また1985年4月以降、日本国有鉄道(国鉄)/JRで唯一、起終点両方の駅で他路線との連絡が全く無い非常に珍しい路線です。
本動画では宇美駅まで前面展望をしながら、各駅の歴史や駅周辺の特徴などを簡単に紹介しています。
・鉄道マニア成分を取り除いて、香椎線の歴史や風景を紹介しています。
#香椎線#博多湾鉄道#粕屋線
※当チャンネルとは「福岡の歴史発見」というテーマに沿って、今回は香椎線を前景展望しながら各駅の歴史や特徴を紹介しています。
・香椎線(かしいせん)は、福岡市東区の西戸崎駅から香椎駅を経由し、糟屋郡宇美町の宇美駅に至る路線距離 25.4 kmになるJR九州の鉄道路線です。
・香椎線は、沿線の志免町、宇美町、須惠町に点在していた海軍所有の粕屋炭田で採炭された石炭を、西戸崎港へ向けて運ぶ貨物輸送線としての役割が大きかったようです。現在では香椎沿線の住民の足となって活躍している香椎線
・今回は電池で走るDNCHAに乗車して、終点の宇美駅までを前面展望しながら、各駅の歴史や特徴を紹介しています。
・志免炭鉱竪坑櫓の歴史と風景→ • 【志免町】粕屋郡志免炭鉱竪坑櫓の秘密 - 戦...
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福岡に行った時に、神社を回った中で、香椎宮を訪れました。博多からJRで乗り継ぎで香椎口へ行ったのですが、この路線の沿線がどのようなこともだったのかわからなかったので、今回の動画を見て、沿線の様子がわかったのもとても参考になりました。福岡は路線バスや地下鉄鉄道などの交通網は便利ではありますが、少し剥がれてしまうと不便なところもあるような気がします。やはり中心部がどんどん人が多くなり、大きい道路ができ、郊外に大きい住宅街ができ、でもなんとなく取り残されてしまった場所と言うのもいろいろあるような気がします。
勝田線懐かしいです。幼少期はよく利用してました。
酒殿のボタ山は今は木々が生えてますね。もう35年ぐらい帰ってないから随分変わってるんやろうなと思います。
土井駅は、昭和40年代前半まで久山町の山田炭坑から石炭を空中ケーブルで結び、石炭の積み出し駅としての役割がありました。近くの東区名子に鉄塔が、久山町山田に炭鉱の遺構が残っています。
周辺の炭鉱跡特集でも考えたいと思います。コメントありがとうございます。
香椎線沿線に幼少の頃より住んでいたのですが、舞松原古墳の向こう側だったので、高校通学時には、香椎線を使わず、直接香椎駅まで歩いて行ってました。舞松原駅は、1994年にできた香椎線では新しい駅です。 (自分がいたころはまだなかった) 香椎線の利用は、西戸崎までは幾度か乗ったことがありますけど、宇美方面に行ったことないですね。
土井駅高校時代昭和50年から3年間利用してました。
駅から山側に石炭が山積みされてました。
たまらんよかー
勝田線と香椎線の宇美駅は別々の線路で別々の駅舎があったので勝田線の線路跡というのは違うと思います
確かに👍更に言うなら昔は宇美駅の車止めの辺りに蒸気機関車用の灰落としがあったりしてました。かつての勝田線宇美駅は駅前ロータリー左側の駐車場にあって、同駅名なのに駅舎が二つ存在。
また、勝田線と香椎線は更に昔に存在していたと言われる大谷駅の先で合流していたようです。
現宇美駅から線路沿いに南下すると線路跡が存在しており、その道(かなり狭い)を更に進むと旧勝田線大谷踏切の手前で合流します。
又、新原駅先の22:10辺りで出てくる住宅間の切り通しはかつての石炭積み出し施設の跡で新原踏切通過時に軽自動車が止まっている辺りにも踏切線路跡が僅かですが残ってます。
ま、どちらにしても昭和は遠くになりました。
私はちゃきちゃき博多っ子、東流れの東町出身ですが、母親の実家が新原だったので新原駅近くで生まれました。応神天皇ご生誕を祀る宇美八幡宮でお宮参りしたようです。もう70年前ほど昔の話ですが…
わあ、海軍炭鉱の時ですね、町もにぎわっていたでしょうね😊
舞松原の地名は、昔、神功皇后が松原で舞を舞ったことから名づけられたと何かの資料で見たことがあります。香椎神宮から舞松原は急こう配で40系のころはディーゼルエンジンが唸りながら、音の割にはゆっくりと坂を上ってましたが、今ではスイスイなんですねww
ありがとうございます、20代のころは舞松原団地に住んでいました^^
今後ともよろしくお願いします。
@@fm1 さん
こちらこそよろしくお願いします!
00:32~「キハ40系の電車」???→ディーゼルカーですね。専門用語でいう「気動車」です。
勝田線の前身というか大元は筑前参宮鉄道という民営鉄道ですよ。博多湾鉄道汽船とともに西鉄へ吸収合併されましたが、本来は太宰府天満宮を目指していました。
鉄道マニア成分を取り除かせていただきました。あくまで風景を楽しんでもらえれば幸いです
@@fm1 さま
テーマの中に歴史も絡めながらという割には歴史に関する説明が不十分だったり間違いもあるし、補足させていただきました。
あと終盤の宇美駅に関して、23:10付近「勝田線の線路跡が残っています」も間違いですよ。
あれは宇美駅構内の機回し線の痕跡です。勝田線の宇美駅は香椎線の宇美駅から西に数10メートル離れていました。
同一の駅構内にはありません。香椎線と勝田線は別々の鉄道会社だったからです。線路は宇美駅で繋がっていませんでした。
ただし、国鉄時代には双方の宇美駅を介して両線相互の乗り換えが1枚のきっぷで可能だった記憶があります。
勝田線の線路跡は道路(遊歩道・自転車道)として、宇美駅の駅跡は広場として、香椎線から離れた所にありますよ。
ありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。