【明治時代】博多の歴史に刻まれた大惨劇!明治13年のお琴・新兵衛事件の舞台
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- เผยแพร่เมื่อ 29 ม.ค. 2024
- 福岡市史に残る事件とは今から145年前、明治13年(1880)、博多区対馬小路で繰り広げられた『お琴・新兵衛事件』。これは福岡市史の明治編にも記され、博多の歴史に深く刻まれた有名な一コマです。今回は、事件の一部始終を追いながら、当時の時代背景や事件現場となる対馬小路、奈良屋、神屋町、古門戸町に焦点を当て、博多の興隆と変遷を紐解いていきます。
明治13年、白砂青松の地と呼ばれていた博多港の海岸沿いに対馬藩の屋敷や倉庫が建てられ、その地が対馬小路となり、明治時代に入って港湾事業の発展とともに船乗り向けの店舗や旅館、売春宿、芝居小屋が立ち並び、賑わいを見せていました。当時の風景や日常、市内を人力車が駆け抜ける光景など、明治時代の博多の様子を垣間見ながら事件の背景を理解していきましょう。
西日本新聞社の前身となる福岡日々新聞が誕生し、自転車が一般市民の間で流行し始めた時代でもあります。オッペケペー節の川上音二郎の誕生地となり、石村萬盛堂がお菓子の製造をスタートさせました。人々の生活や文化が交錯する中で起きたお琴新兵衛事件とはいったい何だったのか、詳細に迫っていきます。
#福岡市 #明治時代#博多区
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最近も似たような事件が博多駅近くでありましたね。今も昔も博多では猟奇的な事件が多くて、びっくりです。奈良屋町の事件は多分地元の人も知らないと思います。
母方の親戚が皆小倉や久留米や柳川の人間なので非常に面白く聞いています!当時ご先祖さまはこの事件聞いたのかなぁ
実演つきの解説、ありがとうございます。当時の様子を想像しながら興味深く拝見しました。こういう事件をでおせんべいまで作るのが商人の街って感じですね。今だと叩かれそうですがww
ゴンちゃんのラジオ劇、なかなかの出来映え、いやいや 見事な出来栄えです❣ あっぱれぇ~。
声優さんもビックリ❣ ユーチューブで 「朗読」もいけると思いますよ。
これは知りませんでした😮
初めて知りました。
いろんな歴史・事件があるものですね。
強欲婆のその後が気になります。
当時は事件が珍しかったんですね。自分も気になって婆の行方探したんですが不明です。婆さんどこに行ったんでしょうね💦
これだけ有名になったのだから
使わないともったいない
…博多は商売人の作った街ですねえ
元気でなによりです
お琴の母は「うちらのおかげで金儲けできたんだから」とセンベイや芝居の売上を絞り上げてそう
私は、対馬小路の出身ですが、この話は知りませんでした。😅
私は博多小学校近くの冷泉町出身です。何時も興味深く拝見させて頂いています。この事件全く知りませんでした😅
知らなかったですありがとう。
ごんちゃーん
チャンネル登録したよん❤
ひゃ~嬉しいです、ありがとうございます😊
あずまおとこって関東出身じゃあ??
こういう話は全然知る機会が無かったので、もっと色々知りたいです。
対馬小路をwikiを見ると丁目の設定がない単独町名であるのと、川上音二郎の生家がある。 博多界隈の古写真を見ていると箱崎宮辺りは砂浜で築港や大浜なんかは荷揚げの船員相手の遊郭が多くあった。 そういう話は博多で育った祖母や母親から聞いてました。
関係者の多くが地元民ではなくしがらみの少ないことも事件後の流れに影響してるな。むしろ外部との人的交流の多い商業都市博多地区らしい事件
わかりやすい講談みたい!
新門辰五郎の娘さんは、
徳川慶喜に付き添って
ましたね。
余計なお世話かもですが、バックの音楽が少し大きいです…。
音楽が合ってないですね😓
いいんだよ😊
なるほど!しかし維新黎明期には凶悪事件って余り無かったのか?
現代においては福岡市内で同様な事件が起こってもしばらくは話題になる程度で半年もすれば忘れられるでしょうね!
ユルフンです‼️
身体丈夫でないのは親の恥か。
だから必死やったんか。
逆効果って気付いて欲しかったわ。
さすが商人の町。くよくよと引き摺るするより商売に活かすなんてね。今と違って人生短い時代だったからね。
最近、博多であった事件も大阪から来た男の犯行でしたね、因果応報なのか
変な話は耳に入れたくない。
絶対に見なきゃいいです