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ヒルファンの自分にとって一番好きなマシンです。ありがとうございます!
デーモンは大好きなレーサーの1人だったな。アロウズとジョーダンでも速さを証明してくれて嬉しかった🤗🏁
ヒルはとても繊細なドライビングができるレーサーだと思います。ややメンタルが弱い部分はありますが、適応力の高さはすごいと思います。
ウィリアムズ、アロウズ、そしてジョーダン。どのチームもヒルがいる頃に全盛期で、抜けた途端に成績が落ちた。ヒルの開発能力の高さを感じる一因です。特にアロウズではヒル+ジョン・バーナードの組み合わせで躍進した。開幕戦では予選ギリギリ通過のマシンが、ハンガリーでは優勝争い、最終戦ではポール争いをした。ヒル+バーナードは、90年ベネトンのピケ+バーナードを思い出しました。ベネトンもアロウズもバーナード加入後、マシンがシンプルで信頼性の高い状態になりました。後年フランクも認めた通り、ヒル放出フレンツェン抜擢は、結果的に失敗だったと言わざるを得ないでしょう。
アロウズの全盛期は1980年代で、パトレーゼやワーウィックやチーバーが居た頃の方が上🏁
アロウズがメガトロン直4ターボを搭載していて、ワーウィックとチーバーの時は、リアルタイムで見ていました。某モータースポーツ雑誌でも高く評価されていましたし。弟のロスチーバーは日本国内で走っていたので、親近感もありました。
苦労人のヒルの最初にして最後のチャンピオン獲得は嬉しかったですね。可能性的には父グラハムに並ぶ二度のチャンピオン獲得もあったかもしれませんが…チャンピオンが決定した後のTVレポーターのインタビューで、「ついに自分が世界一になった」的な受け答えをしてたのが印象に残ってます。そして翌年ジャックもまた、父ジルが志半ばで成し得なかったチャンピオンを獲得することに。
FW18、すごく好きなマシンです。96年最終戦鈴鹿。目の前でタイトル決めてくれたヒルに称賛しまくったのはいい思い出けどその後チームが崩落していくとは誰が想像できたでしょうか
デイモンヒルがいかに開発能力の高いドライバーだったかヒルを解雇したあとの天狗になったウィリアムズの低迷になったと思います。山あり谷ありのチームだなあと思いました。翌年ヒルがアロウズに移籍した年はヒルがハンガリーで優勝目前の2位でしたが、ヒルの速さは劣るマシンでの活躍だったので凄いと思いました。
フランクは当時、うちのマシンに乗れば誰でも勝てると仰っていました。ヒル離脱で相当後悔したのは言うまでのないです。
うまいドライバーは本当の底辺チームで本領発揮すると思います。ヒル‥タルキーニ、モレノさんは特に目立つ例。ヒルはアロウズYAMAHAで2位獲得、タルキーニさんは数々入賞のあとイタリアツーリング選手権で2年連続チャンピオン、モレノさんはいきなり乗ったベネトンで鈴鹿の難コースを2位フィニッシュ、アンドレア・モーダをモナコで出走につけた芸人。
@@akitamancom さん:同じセリフをmotoGPのホンダが言って、ロッシの離脱→ヤマハへの移籍&チャンピオンを奪取されていますね。
ヒルと契約更新しなかった事にニューウェイが怒って離脱したのも大きいですね。
@@のぞみ500ジャパンモレノ、地味やけど好きやったわ
小細工アレンジをせず、パパ・グレアムとまったく同じカラーリングのヘルメットで通したデーモンが本当に格好良かった。ドライバーとしての能力も非凡以上の優れたものを持っていて、ルックスももちろん大好きでした。
↑グレアムじゃなくてグラハムですよ、正に90年代のヒルに相応しかったですよね。😄
@@零チャンネル-i1f さん グレアム、グレーアム、グレイアム (Graham, Grahame, Graemeは、英語圏の男子名および姓。起源は古代英語の"Grand" (砂利)+"Ham" (家)で「砂利の多い家」や"Grey" (灰色)+"Ham" (家)で「灰色の家」など諸説ある。日本ではローマ字読みしたグラハムという読み方・表記が多い。(wikipediaより)グレアムという呼び方も間違いではない、というか、英語のカタカナ読みで正誤を争うのは不毛なので仲良くいきましょうね。
@@user_eksz デイモンを放出していなければウィリアムズはどんな運命を辿っていたと思いますか?;^^
@@user_eksz さんそうなんです、海外の方々の名前をカタカナ表記するのは難しいのです!デビット・クルサードなど、カタカナ表記だと違う名前になる方もいます。
@@零チャンネル-i1f さん 個人的にはwilliamsのピークはFW14B & マンセルだと思っていて、以後は緩やかに下降線をたどっていったという印象があります。Sir.Williamsが、特にドライバー選択でPatrick HeadやAdrian Neweyと意見が合わないことが多々あったのが、その要因の一つだと感じています。もしDamon Hillがあと数年williamsにとどまっていたら、チームとしての結束と士気が高いまま、十分に戦えていたのではないでしょうか。
シューマッハーに散々コケにされて、本来そこにいるはずのない2流ドライバーとまで言われたヒルが抜けたことによってウイリアムズが没落するなんて当時は夢にも思わなかった。
あれは窮地に追い込まれると心身的に弱くなる、ミハエル・シューマッハの弱さからくるもの。本心では、シューマッハはデーモン・ヒルをコケにはしていないはず。プロストもマンセルもヒルを弱いとは言っていない。
驕れるもの久しからず、を地で行くハナシでしたね。
JヴィルヌーブのポルトガルGPのエストリル・サーキットの最終コーナーの立ち上がりからシューマッハをオーバーテイクはCARTでのオーバルコースのでのオーバーテイクを身につけていたテクニックは良かったです❗
後年、フランクだったかヘッドだったかが「ヒル程度のドライバーならいくらでもいると思っていた。ところがそうじゃなかった。」と述懐してましたね。
90年代前半からのウィリアムズ黄金時代を支えたヒルとニューウェイが抜けたのはあまりにも痛すぎたよね。
生前、フランクは「あれは大きな間違いだった。」と認めてましたね。確かにアラン・プロストからはマシンを仕上げると言う点では「デーモンは素晴らしい。」と言ってましたしナイジェル・マンセルも自身の後任に推薦と94年のフランスのスポット参戦時にデーモンと同じく気になる箇所を見つけデーモンがスタッフに進言を無視してたのを「デーモンの言う通りしろ!」と一喝してた様です。
大きな間違いでした、後悔先に立たずです。ヒルを残してニューエイに株式譲渡していたら、ウィリアムズはもっと強い時期が長かったかもしれません。BMWともタイトル獲得の可能性も。また、たとえワークスエンジンがなくてもタイトル争いをしていたかも。
最終戦の鈴鹿は観戦に行きました。ヘヤピンで観戦。ジャックの鮮烈なF1デビューの年。全日本F3の頃から応援📣してたので。ヒルとジャック。お父さん達も天国でニコニコ😊してたと思います。
ヒルは当初ルノーがエンジン開発ドライバーとしてウイリアムズに送り込んでいて、そこからウイリアムズのテストドライバーとなった経緯があったと本に記載されていました。ルノーが96年限りでワークス活動撤退を表明し、97年はメカクロームという名称で1年活動後終了予定であったので、最後の1年ヒルと仕事がしたいと言ったものの却下されたようです。代わってフレンツェンとの契約はBMWのエンジンが欲しかったからなのか。セナが気に入っていたともありましたが。元々地元で2輪のレースやっていてそこからF1まで大した実績もなくF1チャンピオンてある意味すごいなと。歴代チャンプを見るとほとんどが下位カテゴリーで実績を出してF1に上がっているのに。
ヒル、ビルヌーブコンビはチャンピオン争いをしても関係は良かったのに。それとビルヌーブはアメリカに移る前は全日本F3で着実な走りをしていたからF1もすぐに適応出来るとは思っていたけど予想以上のデビューイヤーでしたね。
シーズン前にとんでもない距離の走り込みをしていました。
全日本F3時代のジャックと全日本F3000時代のアーバインの面倒を見ていたセルモの「バテさん」こと佐藤正幸氏が1996年の開幕前のインタビューで「ジャックのF1一年目はあらゆることに適応するのに苦労するだろう」「エディ(アーバイン)はシューマッハと互角に争うことになる」と予言していましたが、ものの見事に真逆の結果になりましたね。
@@toriysunny3066 さん確か8000キロ!!?
ジャックは天賦の才としてはF1チャンピオンのレベルでは無かったと思います。新しいスターを求めていた興行主、優秀なマネージャーの存在、全てのタイミングが合い実力以上の結果を得る事が出来たと思います。
ビルヌーブ、チャンピオン後全く勝てなくなるとは思いもしなかった🥴
ニューウェイがいなくなったのは痛かった
地元のFM局で「F1バトルトーク」というモータースポーツの情報番組をやってて、日本GP直前に川井一仁氏ともう一人(F1速報の編集長だっけ)がゲストに来てチャンピオン争いの展望を話したんだけど、その中で川井ちゃんが「そりゃポイントリーダーのデイモン有利でしょ。いざとなったらジャックにぶつけりゃ良いんだから」と話して「デイモンがそんなこと善しとするワケないじゃん」と突っ込みたくなったのはここだけの話。とはいえその時点でウィリアムズ離脱が決まってて、それまでの貢献をロクに評価されなかったことでデイモンが不満を爆発させるんじゃないか、という不安もあった。最後はフェアに戦ってきっちりタイトルを獲ったけど。
最強ウィリアムズの最後。ヒルがウィリアムズだから勝てるとか言われてたけど、他のチームで才能を示した皮肉なマシン
何であんなにヒルの評価が低かったのか、専門家は何処を見てたのか、と言わざるを得ない
@@小川雅光 結局は契約金の話としても、自分のチームなら誰でも勝てると踏んでいたウィリアムズ。その栄光は、翌年まで
ジャックの加入は、バーニーエクレストンの肝煎りでしたか。この年のウイリアムズは、強くて速かったですね。ロスマンズブルーがとても格好良く見えて、かつてのCカーロスマンズポルシェを彷彿とさせました。もう一つ、二輪のGP500時代にトップだったロスマンズホンダのNSR500も格好良かったと思いました。
カラーリング、本当格好良いです。94〜97年までロスマンズでしたが、96年が一番好きです。97年はエルフからカストロールになったせいか、なんか違和感がありました。
コクピット周りの処理が他チームよりもスマートだった。翌年、フェラーリがマネするほど。
96年フェラーリをデザインしたバーナード。もはや彼は天才ではなかったのでしょう。97年フェラーリはだいぶ良くなり5勝しました。しかし、ストレートが速いとかコーナリングが得意といった特徴がなく、中途半端な車だった印象です。96年シューマッハは全てのレースで予選2列目を確保しましたが、97年はモンツァやオーストリアで5列目に沈みました。復活まではまだまだという印象でした。
黄金期のウイリアムズに、あんなにデカくロゴを掲出できてたサンヨーは金銭面以外でナニか技術的なサポートをしていたのだろうか?
その後サンヨーはしばらくして経営が悪化、パナソニックに吸収され、残りは中華に買われてハイアールになりましたね。電池やバッテリーに強みがあったと聞きました。
初めてハイレーキ・コンセプトを採用したのがFW18。つまりこのマシンの成功で、今のニューウェイデザインは完成したと言えるかもしれない。
ウィリアムズの栄光はこの時代で終わったと言う事ですな。
ウィリアムズだから勝てたのはヒルでは無くビルヌーブだったという現実
私もそう思いました。ヒルはジョーダンでも勝ちました。アロウズでも勝ちそうなところまでいきました。ちなみに優勝数も22対11とダブルスコアでした!
ヴィルヌーヴは実力が本当にあったのかなと
@@vipper07120 さん97年に7勝してチャンピオンになったわけだし、少なくとも1勝のみでチャンピオン争いから離脱したフレンツェンよりは良かったのではないでしょうか。よくテストが嫌いとか、開発能力がないと言われましたが、BAR006があそこまで快速したのはビルヌーブのおかげだと私は思います。2004年に彼が乗っていたらバトンと比較してどうだったか、興味があります。
@@vipper07120 97年は本当に心から評価していいと思います。ミスもありましたが、最終戦で進路を塞いできたシューマッハを弾き返して王座獲得は見事です!
翌年何とかジャックがチャンピオンになった以降のウィリアムズは下辺りをちょろちょ フランクはヒル追い出しを後年に間違いだったと認めたし。何より追い出しで激怒で辞めたニューウェイが存在デカかった。
翌97年のような伝説にはならなかったけどこの年のハンガリーもバカっ速かったヒル…スタートで出遅れてずっとアレジに押さえ込まれてたけど残り30周で抜いてからはジャックとの差1周1秒近いペースで縮めて、残り数週時点ではテイルtoノーズのバトルにまでもちこんだ
ヒルはハンガリーが得意だし、あれだけの走りが可能だったのでしょう!93年初優勝から、97年まで毎年表彰台でした。しかもハンガリーはウィリアムズが1-2でコンストラクターズチャンピオンを決めました!!
96年のヒル放出は、当時はヒルサイドの過度なサラリーアップが原因だとされていましたが違ったのですね。
「F1 CarStory ウィリアムズFW18」編によると、「ヒル、ゴネた」報道を、ヒルが明確に否定していましたね。1996年シーズン中盤に、そろそろ契約更新(ヒルは1996年が契約最終年でした)の話のタイミングかなと、チーム首脳に話を振ってみたら、「またにしてほしい」と断られたとのこと。ゴネる以前に、そもそも交渉機会を作って貰えなかったのです。
確か96年の5億から、倍の10億を要求したそうです。92年マンセルといい、増額してほしいと要求すると、ダメみたいです。フランクはケチだと言われる理由でしょう。
チーム代表をワニ池に突き落としてサラリーアップを迫ったベルガーとセナのやり方は伝説www 実際次の年の給料がアップしてたのも含めて面白い😅
FW18は新人だったビルヌーブが優勝したから「誰が乗っても優勝できるマシン」といわれていましたね。ヒルを解雇してニューウェイを逃したのは痛かったかもしれない。フランクの独断性があだとなったように見えました。
亜久里があのマシンだったら俺でも勝てるよとかドヤ顔で言ってたのには流石に殴りたくなった😅
で、亜久里がウイリアムズに乗ったとしても「電気系統!」と言ってる気がする
まあ亜久里だったらクルサードやジャックに全敗して終わりだよね
亜久里さんは1994年の開幕前のインタビューで「ヒルはセナに勝てないでしょ。アイツ速いドライバーじゃないんだよ」などと貶してましたけど、引退してフジの解説を務めるようになった頃にはデイモンを認めるようになってましたね。
ブリヂストンの開発テストに参加したD.ヒルが走らせた姿を見て(亜久里さんがそれまで乗ってたマシンと同じのに乗った)考え方が変わったって話ですよね。あの星野一義さんも『流石チャンピオンを取った男だ』と言ったとか…
リアウイングのCANONのスポンサーロゴも外すけどスポンサー料は今で通り払ってねってのは聞いたことある。
それは虫が良すぎる。
初めて聞きました。93年にキャメルが降りて、94年にロスマンズがメインスポンサーになった際、そんなことがあったのでしょう?!
ヒルって勝負弱いとかシューマッハには勝てないなんて言われて過小評価されてたけど実は誰よりも開発能力に優れていたことが離脱後の没落に現れてると思う。約束を反故にされたニューエイが怒るのも無理はない。ヒルはキャリア最後に自らを放出させるに至った存在のフレンツェンとジョーダンで組むことになったけどどんな気持ちだったんだろうか…
ウィリアムズはヒルの離脱によってチャンピオン獲る力を失いましたね。現状ウィリアムズがチャンピオン争いするのは現実的に厳しいですが、低迷したマクラーレンもここ数年速さを取り戻しているので、またウィリアムズ、マクラーレン、フェラーリの三強としての輝きを取り戻してほしい。
まぁ……ヒルの悲願が達成されましたが…確か史上初のエフワン親子チャンピオンですかね??ヒルは冷遇されてきたから…私的にはアロウズ移籍で良かったと思います。フランク·ウイリアムズは…今となっては鬼箱の人となってしまいましたが、通じてドライバーには冷たい人だな…という印象です。ニューウェイも嫌気が差したのでしょう………。ウイリアムズはエフワンの歴史…実績は成功したと思います。苦労して這い上がってチャンピオンになった…。けどチームとしては優先するものを…私的には…間違えてた気がします……。
確か、天才セナが天国に旅立って2年後の話ですね
4:05セナを事故死させてしまったチームが、レギュレーションの抜け道を見つけ出すのはどないやねん?というツッコミどころがありますが(苦笑)、実際にルール通りにサイドプロテクターを付けたチームは、空力面で苦戦していましたからね。
シューマッハが首を傾けて走っていたのが印象的です。バーナードは寸法をそのまま解釈してしまい、あのようなプロテクターになった模様です。
96年のフェラーリやベネトンのコクピット周りを見たら乳母車みたいなんよね…
@@11wildboys さん本当そう思います。逆にウィリアムズやジョーダンは上手く解釈して、スッキリして見えました。
正直者が馬鹿を見る、のであれば複雑な気持ちになります。ターボ時代のホンダに、レギュレーションに無いものはやってはいけないと考えた、と話したエンジニアがおられました。ヨーロッパのチームなら、全く逆の事を考える、とも某モータースポーツ誌にありました。どの辺の違いで、正反対に考えが別れるのだろう?
すべてがデーモンヒルを解雇したのが一番の原因ですね。それでニューウェイはマクラーレンに移籍ですから。デーモンがウイリアムズに残ってたら、90年代後半〜2000年代のF1がどうなったのか?気になる所ですね。
コレとジョーダンがFIAをぐぬぬさせたサイドプロテクターの屁理屈解釈が翌年以降潰されるかと思ってたらずっとそのままでしたね。98年規定車がもっこりプロテクターだったら洒落にならんほど不恰好だっただろうな…
96.97ウイリアムズ最強説には疑問。ルノーの撤退発表がトドメだよなぁ。
懐古厨というかまだ産まれてないけどやっぱりこの頃の車体サイズとレース数に戻してほしい
正直この頃まではヒルの勝利はマシン性能のおかげでヒル自身の能力は大したことないという見方が一般的でしたそしてそれは新人のジャックがタイトル争いを見せたため「新人であれだけ勝てるのだからだれが乗っても勝てる」みたいな空気をより一層高めることになりましたなのでベテランとなったヒルが首同然の状態になっても「なぜ?」という意見は少なかったように思えましたこの考えがすべて間違っていたのが分かったのが皮肉にもウイリアムズを追われてからからの活躍のおかげでしたもしこの時ヒルの残留があったならウイリアムズの黄金期はまだ続きマクラーレンやフェラーリの躍進もなかった可能性もありえたまさにF1界の分岐点となる事件でした
当時はウィリアムズのドライバーラインナップを見て歓喜しましたが、内情は結構ガタガタだったんですね。せっかく偉大なドライバーの2世を起用したが、中盤からのヒル放出とニューウェイの離脱があった事は後に知りましたが…ウィリアムズは戦績が安定し始めると勝手に問題起こして勝手に自滅して行くパターンで、フランク・ウィリアムズ以下首脳陣は学習能力が無いのかね~…
今宮さんも似たような指摘をしていました。間違いないと思います。
ルノー撤退とBMWを積むためとは言えヒルとニューウェイ2人が抜けたら戦闘力ダウンは当然。それだけ2人の存在が大きい証拠でもある。
98年を睨んで獲得したフレンツェンだったけど、目当てのBMWエンジンが00年までズレ込んで獲得した意味が無く結果は行き当たりバッタリだった。
結局2000年からBMWが載った際、別のドイツ人ラルフがドライバーだったと考えると、少なくとも97年はヒル、それ以降にドイツ人を起用して良かったと思います。
本当の天才(ニューウェイ)はやはりヒルの才能を見抜いていたんだね。
ウィリアムズが如何にドライバーのみならずデザイナーも大切にしないチームであるかを象徴していますよね、皆様はこのシーズンにウィリアムズがデイモンを放出していなければどうなっていたと思いますか?><
ヒルはこの2年後にシューマッハとコンビを組むのです
このチームは特にチャンピオンドライバーの扱いが本当に下手。87年のピケ、92年のマンセル、そして96年のヒル。
だから自ずとカーナンバー1も少ないです。私が産まれてからカーナンバー1のウィリアムズは、98年のビルヌーブしかありません。93年のレッド1を見たかった気がします!
ルノーエンジンにニューウェイデザインのマシンが続いたとしても、97年以降はフェラーリ&ミハエル、マクラーレンメルセデス&ハッキネンにその座を引きずり下ろされていたような気もします。ただ、3つ巴の争いにはなっていたかもしれませんね。尤も、それはヒルが重圧に負けずにシューマッハーとハッキネンと渡り合えていれば、ですけど。
過小評価されていたヒル。ウィリアムズの黄金期はヒルとニューウェイのコンビがいなかったら無かったと言える。
ピケ、マンセル、ヒル、、、ウィリアムズは本当にドライバー人事が悪過ぎた。上手くやればもっと勝てただろうに。
98年のメカクローム時代から低迷期に入り、BMWで上昇期に入ると思ったけどまた低迷期。次の黄金時代はいつになるやら。
ヴィルヌゥーブって1年かけてGPやったサーキットでテストをしてたのでは
デビューまでに8000キロ走り込んでいるので。
スパでポールを獲得した際は、TVゲームで覚えたとインタビューで答えていました!
ウィリアムズは学習能力が無いんだよなぁ・・・ウィリアムズがホンダを失ったのも、あれだけ恩恵を受けながら、それに甘えてホンダを蔑ろにした結果、逃げられることになったのに、ニューウェイとヒルの離脱は全く同じミスをしている。冷静に考えると、このチームが何度もチャンピオンを取れたのが今では不思議に思う。
90年代のウィリアムズの頂点にしてその後の凋落のきっかけとなった1年がこの1996年でしたね。フランクはどうしてヒルを放出しようと思ったのか・・・デーモン・ヒルの解雇はニューウェイの離脱に原因の一つとなりました。そして98年以降、ヴィルヌーブもフレンツェンもウィリアムズから追われることになり、誰もタイトルを手に入れることができぬまま終わることに。ウィリアムズの終焉は優れたドライバーとエンジニアを失ったがために訪れた格好となったわけですから、フランク最大のミステイクといえるでしょうね。
この年ルーキーながら王座を争ったジャック・ビルヌーブは「偉大なジルの息子こそセナ亡き後のF1をリードするスーパースターだ!」と高く評価され。一方ヒルは「ウイリアムズのマシンだから王者になれた」と低い評価だった。
大英帝国の息子とまで称されたマンセルに対する不遜な態度からしてもうダメ、フランクウィリアムズは鬼才ニューウェイまで怒らせた。デーモンヒルも優秀なドライバーだったのに、この年でウィリアムズ時代の終焉もやむを得ない。
ウィリアムズルノーのその後をみるとルノー→チャンピオン獲得ニューウェイ→チャンピオン獲得ウィリアムズ→勝利するもチャンピオンならずヒル→勝利するもチャンピオンならずなのでヒルではなくルノーとニューウェイが抜けたのがウィリアムズにとっては実は痛かったと思われ😅
シューミがフェラーリ移籍した事が最大の要因だっただけ。
ヒルファンの自分にとって一番好きなマシンです。ありがとうございます!
デーモンは大好きなレーサーの1人だったな。アロウズとジョーダンでも速さを証明してくれて嬉しかった🤗🏁
ヒルはとても繊細なドライビングができるレーサーだと思います。ややメンタルが弱い部分はありますが、適応力の高さはすごいと思います。
ウィリアムズ、アロウズ、そしてジョーダン。どのチームもヒルがいる頃に全盛期で、抜けた途端に成績が落ちた。ヒルの開発能力の高さを感じる一因です。特にアロウズではヒル+ジョン・バーナードの組み合わせで躍進した。開幕戦では予選ギリギリ通過のマシンが、ハンガリーでは優勝争い、最終戦ではポール争いをした。ヒル+バーナードは、90年ベネトンのピケ+バーナードを思い出しました。ベネトンもアロウズもバーナード加入後、マシンがシンプルで信頼性の高い状態になりました。後年フランクも認めた通り、ヒル放出フレンツェン抜擢は、結果的に失敗だったと言わざるを得ないでしょう。
アロウズの全盛期は1980年代で、パトレーゼやワーウィックやチーバーが居た頃の方が上🏁
アロウズがメガトロン直4ターボを搭載していて、ワーウィックとチーバーの時は、リアルタイムで見ていました。某モータースポーツ雑誌でも高く評価されていましたし。弟のロスチーバーは日本国内で走っていたので、親近感もありました。
苦労人のヒルの最初にして最後のチャンピオン獲得は嬉しかったですね。可能性的には父グラハムに並ぶ二度のチャンピオン獲得もあったかもしれませんが…
チャンピオンが決定した後のTVレポーターのインタビューで、「ついに自分が世界一になった」的な受け答えをしてたのが印象に残ってます。
そして翌年ジャックもまた、父ジルが志半ばで成し得なかったチャンピオンを獲得することに。
FW18、すごく好きなマシンです。
96年最終戦鈴鹿。目の前でタイトル決めてくれたヒルに称賛しまくったのはいい思い出
けどその後チームが崩落していくとは誰が想像できたでしょうか
デイモンヒルがいかに開発能力の高いドライバーだったかヒルを解雇したあとの天狗になったウィリアムズの低迷になったと思います。山あり谷ありのチームだなあと思いました。翌年ヒルがアロウズに移籍した年はヒルがハンガリーで優勝目前の2位でしたが、ヒルの速さは劣るマシンでの活躍だったので凄いと思いました。
フランクは当時、うちのマシンに乗れば誰でも勝てると仰っていました。ヒル離脱で相当後悔したのは言うまでのないです。
うまいドライバーは本当の底辺チームで本領発揮すると思います。ヒル‥タルキーニ、モレノさんは特に目立つ例。ヒルはアロウズYAMAHAで2位獲得、タルキーニさんは数々入賞のあとイタリアツーリング選手権で2年連続チャンピオン、モレノさんはいきなり乗ったベネトンで鈴鹿の難コースを2位フィニッシュ、アンドレア・モーダをモナコで出走につけた芸人。
@@akitamancom さん:同じセリフをmotoGPのホンダが言って、ロッシの離脱→ヤマハへの移籍&チャンピオンを奪取されていますね。
ヒルと契約更新しなかった事にニューウェイが怒って離脱したのも大きいですね。
@@のぞみ500ジャパンモレノ、地味やけど好きやったわ
小細工アレンジをせず、パパ・グレアムとまったく同じカラーリングのヘルメットで通したデーモンが本当に格好良かった。ドライバーとしての能力も非凡以上の優れたものを持っていて、ルックスももちろん大好きでした。
↑グレアムじゃなくてグラハムですよ、正に90年代のヒルに相応しかったですよね。😄
@@零チャンネル-i1f さん グレアム、グレーアム、グレイアム (Graham, Grahame, Graemeは、英語圏の男子名および姓。起源は古代英語の"Grand" (砂利)+"Ham" (家)で「砂利の多い家」や"Grey" (灰色)+"Ham" (家)で「灰色の家」など諸説ある。日本ではローマ字読みしたグラハムという読み方・表記が多い。(wikipediaより)
グレアムという呼び方も間違いではない、というか、英語のカタカナ読みで正誤を争うのは不毛なので仲良くいきましょうね。
@@user_eksz デイモンを放出していなければウィリアムズはどんな運命を辿っていたと思いますか?;^^
@@user_eksz さん
そうなんです、海外の方々の名前をカタカナ表記するのは難しいのです!デビット・クルサードなど、カタカナ表記だと違う名前になる方もいます。
@@零チャンネル-i1f さん 個人的にはwilliamsのピークはFW14B & マンセルだと思っていて、以後は緩やかに下降線をたどっていったという印象があります。Sir.Williamsが、特にドライバー選択でPatrick HeadやAdrian Neweyと意見が合わないことが多々あったのが、その要因の一つだと感じています。
もしDamon Hillがあと数年williamsにとどまっていたら、チームとしての結束と士気が高いまま、十分に戦えていたのではないでしょうか。
シューマッハーに散々コケにされて、本来そこにいるはずのない2流ドライバーとまで言われたヒルが抜けたことによってウイリアムズが没落するなんて当時は夢にも思わなかった。
あれは窮地に追い込まれると心身的に弱くなる、ミハエル・シューマッハの弱さからくるもの。本心では、シューマッハはデーモン・ヒルをコケにはしていないはず。プロストもマンセルもヒルを弱いとは言っていない。
驕れるもの久しからず、を地で行くハナシでしたね。
JヴィルヌーブのポルトガルGPのエストリル・サーキットの最終コーナーの立ち上がりからシューマッハをオーバーテイクはCARTでのオーバルコースのでのオーバーテイクを身につけていたテクニックは良かったです❗
後年、フランクだったかヘッドだったかが「ヒル程度のドライバーならいくらでもいると思っていた。ところがそうじゃなかった。」と述懐してましたね。
90年代前半からのウィリアムズ黄金時代を支えたヒルとニューウェイが抜けたのはあまりにも痛すぎたよね。
生前、フランクは「あれは大きな間違いだった。」と認めてましたね。確かにアラン・プロストからはマシンを仕上げると言う点では「デーモンは素晴らしい。」と言ってましたしナイジェル・マンセルも自身の後任に推薦と94年のフランスのスポット参戦時にデーモンと同じく気になる箇所を見つけデーモンがスタッフに進言を無視してたのを「デーモンの言う通りしろ!」と一喝してた様です。
大きな間違いでした、後悔先に立たずです。ヒルを残してニューエイに株式譲渡していたら、ウィリアムズはもっと強い時期が長かったかもしれません。BMWともタイトル獲得の可能性も。また、たとえワークスエンジンがなくてもタイトル争いをしていたかも。
最終戦の鈴鹿は観戦に行きました。
ヘヤピンで観戦。
ジャックの鮮烈なF1デビューの年。
全日本F3の頃から応援📣してたので。
ヒルとジャック。
お父さん達も天国でニコニコ😊
してたと思います。
ヒルは当初ルノーがエンジン開発ドライバーとしてウイリアムズに送り込んでいて、そこからウイリアムズのテストドライバーとなった経緯があったと本に記載されていました。ルノーが96年限りでワークス活動撤退を表明し、97年はメカクロームという名称で1年活動後終了予定であったので、最後の1年ヒルと仕事がしたいと言ったものの却下されたようです。代わってフレンツェンとの契約はBMWのエンジンが欲しかったからなのか。セナが気に入っていたともありましたが。
元々地元で2輪のレースやっていてそこからF1まで大した実績もなくF1チャンピオンてある意味すごいなと。歴代チャンプを見るとほとんどが下位カテゴリーで実績を出してF1に上がっているのに。
ヒル、ビルヌーブコンビはチャンピオン争いをしても関係は良かったのに。
それとビルヌーブはアメリカに移る前は全日本F3で着実な走りをしていたからF1もすぐに適応出来るとは思っていたけど予想以上のデビューイヤーでしたね。
シーズン前にとんでもない距離の走り込みをしていました。
全日本F3時代のジャックと全日本F3000時代のアーバインの面倒を見ていたセルモの「バテさん」こと佐藤正幸氏が1996年の開幕前のインタビューで「ジャックのF1一年目はあらゆることに適応するのに苦労するだろう」「エディ(アーバイン)はシューマッハと互角に争うことになる」と予言していましたが、ものの見事に真逆の結果になりましたね。
@@toriysunny3066 さん
確か8000キロ!!?
ジャックは天賦の才としてはF1チャンピオンのレベルでは無かったと思います。新しいスターを求めていた興行主、優秀なマネージャーの存在、全てのタイミングが合い実力以上の結果を得る事が出来たと思います。
ビルヌーブ、チャンピオン後全く勝てなくなるとは思いもしなかった🥴
ニューウェイがいなくなったのは痛かった
地元のFM局で「F1バトルトーク」というモータースポーツの情報番組をやってて、日本GP直前に川井一仁氏ともう一人(F1速報の編集長だっけ)がゲストに来てチャンピオン争いの展望を話したんだけど、その中で川井ちゃんが「そりゃポイントリーダーのデイモン有利でしょ。いざとなったらジャックにぶつけりゃ良いんだから」と話して「デイモンがそんなこと善しとするワケないじゃん」と突っ込みたくなったのはここだけの話。とはいえその時点でウィリアムズ離脱が決まってて、それまでの貢献をロクに評価されなかったことでデイモンが不満を爆発させるんじゃないか、という不安もあった。最後はフェアに戦ってきっちりタイトルを獲ったけど。
最強ウィリアムズの最後。
ヒルがウィリアムズだから勝てるとか言われてたけど、他のチームで才能を示した皮肉なマシン
何であんなにヒルの評価が低かったのか、専門家は何処を見てたのか、と言わざるを得ない
@@小川雅光
結局は契約金の話としても、自分のチームなら誰でも勝てると踏んでいたウィリアムズ。
その栄光は、翌年まで
ジャックの加入は、バーニーエクレストンの肝煎りでしたか。この年のウイリアムズは、強くて速かったですね。ロスマンズブルーがとても格好良く見えて、かつてのCカーロスマンズポルシェを彷彿とさせました。もう一つ、二輪のGP500時代にトップだったロスマンズホンダのNSR500も格好良かったと思いました。
カラーリング、本当格好良いです。94〜97年までロスマンズでしたが、96年が一番好きです。97年はエルフからカストロールになったせいか、なんか違和感がありました。
コクピット周りの処理が他チームよりもスマートだった。
翌年、フェラーリがマネするほど。
96年フェラーリをデザインしたバーナード。もはや彼は天才ではなかったのでしょう。97年フェラーリはだいぶ良くなり5勝しました。しかし、ストレートが速いとかコーナリングが得意といった特徴がなく、中途半端な車だった印象です。96年シューマッハは全てのレースで予選2列目を確保しましたが、97年はモンツァやオーストリアで5列目に沈みました。復活まではまだまだという印象でした。
黄金期のウイリアムズに、あんなにデカくロゴを掲出できてたサンヨーは金銭面以外でナニか技術的なサポートをしていたのだろうか?
その後サンヨーはしばらくして経営が悪化、パナソニックに吸収され、残りは中華に買われてハイアールになりましたね。電池やバッテリーに強みがあったと聞きました。
初めてハイレーキ・コンセプトを採用したのがFW18。つまりこのマシンの成功で、今のニューウェイデザインは完成したと言えるかもしれない。
ウィリアムズの栄光はこの時代で終わったと言う事ですな。
ウィリアムズだから勝てたのはヒルでは無くビルヌーブだったという現実
私もそう思いました。ヒルはジョーダンでも勝ちました。アロウズでも勝ちそうなところまでいきました。ちなみに優勝数も22対11とダブルスコアでした!
ヴィルヌーヴは実力が本当にあったのかなと
@@vipper07120 さん
97年に7勝してチャンピオンになったわけだし、少なくとも1勝のみでチャンピオン争いから離脱したフレンツェンよりは良かったのではないでしょうか。
よくテストが嫌いとか、開発能力がないと言われましたが、BAR006があそこまで快速したのはビルヌーブのおかげだと私は思います。2004年に彼が乗っていたらバトンと比較してどうだったか、興味があります。
@@vipper07120
97年は本当に心から評価していいと思います。ミスもありましたが、最終戦で進路を塞いできたシューマッハを弾き返して王座獲得は見事です!
翌年何とかジャックがチャンピオンになった以降のウィリアムズは下辺りをちょろちょ
フランクはヒル追い出しを後年に間違いだったと認めたし。何より追い出しで激怒で辞めたニューウェイが存在デカかった。
翌97年のような伝説にはならなかったけどこの年のハンガリーもバカっ速かったヒル…
スタートで出遅れてずっとアレジに押さえ込まれてたけど残り30周で抜いてからはジャックとの差1周1秒近いペースで縮めて、残り数週時点ではテイルtoノーズのバトルにまでもちこんだ
ヒルはハンガリーが得意だし、あれだけの走りが可能だったのでしょう!93年初優勝から、97年まで毎年表彰台でした。しかもハンガリーはウィリアムズが1-2でコンストラクターズチャンピオンを決めました!!
96年のヒル放出は、当時はヒルサイドの過度なサラリーアップが原因だとされていましたが違ったのですね。
「F1 CarStory ウィリアムズFW18」編によると、「ヒル、ゴネた」報道を、ヒルが明確に否定していましたね。
1996年シーズン中盤に、そろそろ契約更新(ヒルは1996年が契約最終年でした)の話のタイミングかなと、チーム首脳に話を振ってみたら、「またにしてほしい」と断られたとのこと。
ゴネる以前に、そもそも交渉機会を作って貰えなかったのです。
確か96年の5億から、倍の10億を要求したそうです。92年マンセルといい、増額してほしいと要求すると、ダメみたいです。フランクはケチだと言われる理由でしょう。
チーム代表をワニ池に突き落としてサラリーアップを迫ったベルガーとセナのやり方は伝説www 実際次の年の給料がアップしてたのも含めて面白い😅
FW18は新人だったビルヌーブが優勝したから「誰が乗っても優勝できるマシン」といわれていましたね。
ヒルを解雇してニューウェイを逃したのは痛かったかもしれない。
フランクの独断性があだとなったように見えました。
亜久里があのマシンだったら俺でも勝てるよとかドヤ顔で言ってたのには流石に殴りたくなった😅
で、亜久里がウイリアムズに乗ったとしても「電気系統!」と言ってる気がする
まあ亜久里だったらクルサードやジャックに全敗して終わりだよね
亜久里さんは1994年の開幕前のインタビューで「ヒルはセナに勝てないでしょ。アイツ速いドライバーじゃないんだよ」などと貶してましたけど、引退してフジの解説を務めるようになった頃にはデイモンを認めるようになってましたね。
ブリヂストンの開発テストに参加したD.ヒルが走らせた姿を見て(亜久里さんがそれまで乗ってたマシンと同じのに乗った)考え方が変わったって話ですよね。
あの星野一義さんも『流石チャンピオンを取った男だ』と言ったとか…
リアウイングのCANONのスポンサーロゴも外すけどスポンサー料は今で通り払ってねってのは聞いたことある。
それは虫が良すぎる。
初めて聞きました。
93年にキャメルが降りて、94年にロスマンズがメインスポンサーになった際、そんなことがあったのでしょう?!
ヒルって勝負弱いとかシューマッハには勝てないなんて言われて過小評価されてたけど実は誰よりも開発能力に優れていたことが離脱後の没落に現れてると思う。約束を反故にされたニューエイが怒るのも無理はない。
ヒルはキャリア最後に自らを放出させるに至った存在のフレンツェンとジョーダンで組むことになったけどどんな気持ちだったんだろうか…
ウィリアムズはヒルの離脱によってチャンピオン獲る力を失いましたね。現状ウィリアムズがチャンピオン争いするのは現実的に厳しいですが、低迷したマクラーレンもここ数年速さを取り戻しているので、またウィリアムズ、マクラーレン、フェラーリの三強としての輝きを取り戻してほしい。
まぁ……ヒルの悲願が達成されましたが…確か史上初のエフワン親子チャンピオンですかね??
ヒルは冷遇されてきたから…私的にはアロウズ移籍で良かったと思います。フランク·ウイリアムズは…今となっては鬼箱の人となってしまいましたが、通じてドライバーには冷たい人だな…という印象です。ニューウェイも嫌気が差したのでしょう………。ウイリアムズはエフワンの歴史…実績は成功したと思います。
苦労して這い上がってチャンピオンになった…。けどチームとしては優先するものを…私的には…間違えてた気がします……。
確か、
天才セナが
天国に旅立って
2年後の話ですね
4:05
セナを事故死させてしまったチームが、レギュレーションの抜け道を見つけ出すのはどないやねん?というツッコミどころがありますが(苦笑)、実際にルール通りにサイドプロテクターを付けたチームは、空力面で苦戦していましたからね。
シューマッハが首を傾けて走っていたのが印象的です。バーナードは寸法をそのまま解釈してしまい、あのようなプロテクターになった模様です。
96年のフェラーリやベネトンのコクピット周りを見たら乳母車みたいなんよね…
@@11wildboys さん
本当そう思います。逆にウィリアムズやジョーダンは上手く解釈して、スッキリして見えました。
正直者が馬鹿を見る、のであれば複雑な気持ちになります。ターボ時代のホンダに、レギュレーションに無いものはやってはいけないと考えた、と話したエンジニアがおられました。ヨーロッパのチームなら、全く逆の事を考える、とも某モータースポーツ誌にありました。どの辺の違いで、正反対に考えが別れるのだろう?
すべてがデーモンヒルを解雇したのが一番の原因ですね。それでニューウェイはマクラーレンに移籍ですから。
デーモンがウイリアムズに残ってたら、90年代後半〜2000年代のF1がどうなったのか?気になる所ですね。
コレとジョーダンがFIAをぐぬぬさせたサイドプロテクターの屁理屈解釈が翌年以降潰されるかと思ってたらずっとそのままでしたね。
98年規定車がもっこりプロテクターだったら洒落にならんほど不恰好だっただろうな…
96.97ウイリアムズ最強説には疑問。
ルノーの撤退発表がトドメだよなぁ。
懐古厨というかまだ産まれてないけどやっぱりこの頃の車体サイズとレース数に戻してほしい
正直この頃まではヒルの勝利はマシン性能のおかげでヒル自身の能力は大したことないという見方が一般的でした
そしてそれは新人のジャックがタイトル争いを見せたため「新人であれだけ勝てるのだからだれが乗っても勝てる」みたいな空気をより一層高めることになりました
なのでベテランとなったヒルが首同然の状態になっても「なぜ?」という意見は少なかったように思えました
この考えがすべて間違っていたのが分かったのが皮肉にもウイリアムズを追われてからからの活躍のおかげでした
もしこの時ヒルの残留があったならウイリアムズの黄金期はまだ続きマクラーレンやフェラーリの躍進もなかった可能性もありえたまさにF1界の分岐点となる事件でした
当時はウィリアムズのドライバーラインナップを見て歓喜しましたが、内情は結構ガタガタだったんですね。
せっかく偉大なドライバーの2世を起用したが、中盤からのヒル放出とニューウェイの離脱があった事は後に知りましたが…
ウィリアムズは戦績が安定し始めると勝手に問題起こして勝手に自滅して行くパターンで、フランク・ウィリアムズ以下首脳陣は学習能力が無いのかね~…
今宮さんも似たような指摘をしていました。間違いないと思います。
ルノー撤退とBMWを積むためとは言えヒルとニューウェイ2人が抜けたら戦闘力ダウンは当然。それだけ2人の存在が大きい証拠でもある。
98年を睨んで獲得したフレンツェンだったけど、目当てのBMWエンジンが00年までズレ込んで獲得した意味が無く結果は行き当たりバッタリだった。
結局2000年からBMWが載った際、別のドイツ人ラルフがドライバーだったと考えると、少なくとも97年はヒル、それ以降にドイツ人を起用して良かったと思います。
本当の天才(ニューウェイ)はやはりヒルの才能を見抜いていたんだね。
ウィリアムズが如何にドライバーのみならずデザイナーも大切にしないチームであるかを象徴していますよね、皆様はこのシーズンにウィリアムズがデイモンを放出していなければどうなっていたと思いますか?><
ヒルはこの2年後に
シューマッハとコンビを組むのです
このチームは特にチャンピオンドライバーの扱いが本当に下手。87年のピケ、92年のマンセル、そして96年のヒル。
だから自ずとカーナンバー1も少ないです。私が産まれてからカーナンバー1のウィリアムズは、98年のビルヌーブしかありません。93年のレッド1を見たかった気がします!
ルノーエンジンにニューウェイデザインのマシンが続いたとしても、97年以降はフェラーリ&ミハエル、マクラーレンメルセデス&ハッキネンにその座を引きずり下ろされていたような気もします。
ただ、3つ巴の争いにはなっていたかもしれませんね。尤も、それはヒルが重圧に負けずにシューマッハーとハッキネンと渡り合えていれば、ですけど。
過小評価されていたヒル。
ウィリアムズの黄金期はヒルとニューウェイのコンビがいなかったら無かったと言える。
ピケ、マンセル、ヒル、、、ウィリアムズは本当にドライバー人事が悪過ぎた。上手くやればもっと勝てただろうに。
98年のメカクローム時代から低迷期に入り、BMWで上昇期に入ると思ったけどまた低迷期。次の黄金時代はいつになるやら。
ヴィルヌゥーブって1年かけてGPやったサーキットでテストをしてたのでは
デビューまでに8000キロ走り込んでいるので。
スパでポールを獲得した際は、TVゲームで覚えたとインタビューで答えていました!
ウィリアムズは学習能力が無いんだよなぁ・・・
ウィリアムズがホンダを失ったのも、あれだけ恩恵を受けながら、それに甘えてホンダを蔑ろにした結果、逃げられることになったのに、ニューウェイとヒルの離脱は全く同じミスをしている。
冷静に考えると、このチームが何度もチャンピオンを取れたのが今では不思議に思う。
90年代のウィリアムズの頂点にしてその後の凋落のきっかけとなった1年がこの1996年でしたね。
フランクはどうしてヒルを放出しようと思ったのか・・・
デーモン・ヒルの解雇はニューウェイの離脱に原因の一つとなりました。
そして98年以降、ヴィルヌーブもフレンツェンもウィリアムズから追われることになり、誰もタイトルを手に入れることができぬまま終わることに。
ウィリアムズの終焉は優れたドライバーとエンジニアを失ったがために訪れた格好となったわけですから、フランク最大のミステイクといえるでしょうね。
この年ルーキーながら王座を争ったジャック・ビルヌーブは「偉大なジルの息子こそセナ亡き後のF1をリードするスーパースターだ!」と高く評価され。一方ヒルは「ウイリアムズのマシンだから王者になれた」と低い評価だった。
大英帝国の息子とまで称されたマンセルに対する不遜な態度からしてもうダメ、フランクウィリアムズは鬼才ニューウェイまで怒らせた。デーモンヒルも優秀なドライバーだったのに、この年でウィリアムズ時代の終焉もやむを得ない。
ウィリアムズルノーのその後をみると
ルノー→チャンピオン獲得
ニューウェイ→チャンピオン獲得
ウィリアムズ→勝利するもチャンピオンならず
ヒル→勝利するもチャンピオンならず
なのでヒルではなくルノーとニューウェイが抜けたのがウィリアムズにとっては実は痛かったと思われ😅
シューミがフェラーリ移籍した事が最大の要因だっただけ。