【完全版】ヒクソン戦の一部始終をお話しします(船木誠勝) Talkin'Bout Rickson Gracie vs Masakatsu Funaki
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- เผยแพร่เมื่อ 4 ต.ค. 2024
- 2000年5月26日、東京ドームで開催された『コロシアム2000』の第7試合、ヒクソン・グレイシー vs 船木誠勝についてお話しします。
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ここまですべてをさらけ出して語っていただいたその姿勢に感謝し、感服しました。試合当時30歳、その後の迷いの30代。迷って当然の若さだと思います。さらにその後の人生の「良い経験」。すべてが今の船木さんをかたち作り、穏やかな語り掛けにもつながっていると思います。勝敗は時の運。人生の大一番に敗れたとしても、人生の勝利は他にもあるということかと。最後に。それでも船木さんは僕たちのスーパーヒーローです。ありがとうございます。私の人生にプロレスがあったことに感謝しています。
こうして、船木さんの、お話を聞ける、日常に感謝します。これからも、動画配信、お願いします。
90年代前半、毎週週プロを買って隅から隅まで一文字も逃さない勢いで読み込んでいました。でも、就職や結婚など環境の変化があり、少しずつプロレスは私の生活からフェードアウトしていきました。でも1995年10月の新日vsUインターは東京ドームまで見に行きましたし、2000年の船木vsヒクソン戦だけは、なぜかテレビにかじりついて船木さんを応援していた記憶があります。
結果、ヒクソンに敗れたことは残念でしたが、その結果以上に、船木さんが文字通り命を賭けて闘いに臨んだという事実が、私の心に今も尚、鮮明に刻み込まれています。
死を覚悟することと、本当に死ぬことは意味が違う、そうかもしれません。
でも、今回の動画で船木さんが語っていらっしゃったように、そこまで死と向き合い抜いたからこそ、あの船木vsヒクソン戦が今でも語り継がれているのだと感じました。
ここまで何かを突き詰めることができる人生に憧れを抱きます。これからも自分ができることに全力を尽くしていきたいと思いました。
有意義なお話、ありがとうございました!
貴重な お話しありがとうございます。当時 船木選手が勝つと信じてました。命をかけて戦った船木選手を尊敬しています。
私が上京後、初めて東京ドームに入って見た試合がこの試合でした。
巨人戦でも日ハム戦でもなく船木さんの試合でした。
20年前の東京での新生活や色々な事が蘇ります。
当時20代だった私は船木選手を見て「凄いな・・・死ぬ覚悟だったんだな・・・」と泣いていました。今、ご本人から貴重なヒクソン戦までの精神状態を聞けたことに感謝します。
サラサヤサででで野洲をんさ承知ゆんりわ劉最近最近最近わやわらす
お疲れ様です。
パンクラス時代を見ていた自分は、船木さんが勝つ事を信じていましたが、チョークで負けた時は自分が負けた様に悲しかった。でもタップしなかった船木さんは、本当のサムライだと感じた瞬間でした。
正直な船木選手はやっぱり格好いいです。
当日生観戦しました。タップしなかった船木さんに感動でした。
肉体的には強くても、心は同じ人間なんだなと。
今だからこそ、全てを受け入れて話せるのでしょうね。本当にお疲れ様でした。
誠実で真摯なその姿勢に感服致します。
あの試合から20年も経ったんだ。心境を素直に語れる船木さんは強い人だと思う。
とても重いお話ありがとうございました。
ちょっと軽く言葉が出ないですが、何だか半分くらいは、一度死んだ人間のお話を聞いてる様な、まるで暑いのか寒いのか分からない様な、鉛の様に重たい空気に支配される様な、そんな気分にさせられました。現代の侍のお話の様でした。ありがとうございます。
今回の話の印象をとてもうまく表現していただき、ありがとうございます。ほんと、一種異様な、いつもとは異なる、まさに仰るような感覚を抱かせる話でした。船木さんの魂が入った話だからなのでしょうね。ちょっとこわいです。
本当の命懸け、死ぬ覚悟を感じさせられたからでしょうか? もし何かの間違いがあったとしたら、そのままこの世にいない人のお話ですね。殺す覚悟はヒクソンの方が強かったのだろうか?どうだったんだろう?なども想像させられました。
格闘者である以上、勝敗はとても重要だと思うんですが、我々観客は、己を奮い立たせて戦いに挑むファイター達から勇気や感動をもらいます。船木さんにはUWF時代から夢をもらいました。ヒクソン戦も観戦に行きました。TH-camでのお話は毎回興味深く試聴させて頂いています。益々ご活躍下さい。
コロシアム2000東京ドームで観てました。
20年間の時空を超えて、船木選手の話を聞けて感動しております。
ヒクソンが言っていますね。ヒクソンの眼下底骨折を追い打ちで攻めていれば負けていたと。
戦った日本人選手じゃ船木が一番強かったと
もう20年も経つのですね、大変印象に残る名試合でした。
当時は完璧なヒクソンに対する日本の切り札として試合を観ていました。
死を意識されていたのはある種の予知でしたね、幸いにして死の手前で命は救われました。
ヒクソン選手も試合後に答えていましたが、船木さんの試合にたいする真剣さを感じていたようです。
今回のコメントで船木さんの命を掛けた試合であったことがよく分かりました。
あの時代あの時期でないと出来ない事を船木さんはされました。
私も後悔のない行動をしたいと思います。
船木さん、ありがとうございました。
舩木さん同い年です。この恐怖やプレッシャー経験したらもう何も怖くないかもしれませんね!まさに極限状態!舩木さんのハイブリッドダイエットがバイブルでした。自分は今もなお節制、鍛錬してます。貴重なお話ありがとうございました
あの時のことを覚えてる限り話してくれてありがとうございます。
苦しいことや恥ずかしいことなど話を聞いて
船木さんはカッコいい人だと思ってます。
武士道とは死に場所を探す旅
まさに現代のお侍さん
あの試合もインパクトあったけど
全てぶっちゃけてて
スゴく話も楽しいし、深い
改めてあの試合を見てみます。
船木さん最高!!
パンクラス対グレイシーの対抗戦は見てみたかったなぁ
あと、桜庭対ヒクソンも見てみたかった
それにしても、時が経つのが早過ぎる
自分もあの日泣いた1人です。
いいね!100個ぐらい押したいです!
感動しました!
42歳で31歳の船木さん相手に1本勝ちというのはヒクソンは若い頃どれだけ強かったかという事になる。ヒクソン対前田が実現していたらヒクソンがやはりチョークで勝っていたような気がします。
みんなやり方がわからず戸惑っていた。
今までやってきた「プロレス」をそのままやっていれば、もっと違う結果だったと思う。
もう20年経つんですね、あっという間ですね。当時、観に行きました。試合前に売店付近で藤原組長がビール飲みながら談笑してたので一緒に写真撮ってもらいました。
今は亡き橋本真也選手も会場に居ましたね。
実は、試合後にヒクソンは船木選手のパンチで眼底骨折をしていたのを告白してますね。今更ですが、もしも船木さんのメンタルが平常通りでもっとフラットな感覚で臨めれたら結果は変わっていたかもしれません。
ただ、それも含めてあの時点ではヒクソンの方が経験が豊富で上手だったという事なんでしょう。
ヒクソンのあの雰囲気で常にポーカーフェイスで向き合われたら普通の精神状態ではいられないよな
船木さんの言葉が全て自然に入ってきました。嘘も飾りもないなって。漢だなと思いました。
船木さんと同じ学年で、
同級生として、ずっと応援してました。
船木さんがヒクソンに必ず勝つと信じていたので、
敗けた現実を当日は受け止められず、ショックで悔しくて、寝れなかったです
凄い経緯、凄いお互いの覚悟、凄い試合であった。
当時20代だった私は、今日は船木×ヒクソン戦かあ〜ぐらいに思っていましたが、仕事終えてからほんと思いつきでドームに駆けつけ観戦しました。振り返ると、日本格闘技史に永遠に刻まれる試合に立ち会えて本当に良かったと思っています。あれから20年…早いですね。
感慨深いお話をありがとうございます。自分はコロシアム2000をドームで観たのを最後に格闘技を観るのも止めてしまいました。勝手ながら船木さん信者だったんです。すべてが懐かしいですね。
この試合を見るために、1年間小遣いを貯めて、歴史の証人になるんだと上京しドームに行きました。
試合の結果はもちろんのこと、船木の引退宣言で、その晩は泣きながら一晩中一緒に行った友達と飲み明かしました。翌日この世の終わりのような気持ちでショックを隠し切れないまま宿の窓からは、まぶしい日差しの中でその日の夜の巨人戦を楽しみに並んでいる家族連れの笑顔でした。
学校でしか使わない言葉「国破れて山河あり」ってこのことなんだと思いまた泣きました。
還暦過ぎた今では、懐かしい思い出です。
当時、ヒクソン戦を迎える船木さんの顔つきがヤングライオン時代並に若返っているようで驚いてました。
ヒクソンという選手と試合をする事自体が難しかったので、最初で最後のチャンスという想いで試合を見ていました。全ての攻防に息が詰まるほどの緊張感を感じました。あの試合のルールにおいて、ヒクソンとの差はなかったと思っています。打撃が決まるのが先か、寝技が決まるのが先かの勝負だったと思っています。
かなり気持ちを入れて見た世紀の一戦は今も生きる糧になっています。
パチパチパチパチ〜
素晴らしお話でした
ありがとうございます。
5月26日。そうですね、忘れもしないあの日ですね。
自分、受験生だったもので会場観戦は叶わず、なぜかテレビの接続か、アンテナの不具合かで、肝心の試合のシーンが白黒になったり色がばらけたりとせっかくの一戦にミソがついてしまったのですが、試合前Vから最後のマイクまで、サムライ 船木誠勝、ヒクソン・グレイシー、ファンとしての言葉ですが、本当に『堪能』させていただきました。
試合前の船木さんの『あとは本番を待つだけ』『グレイシー柔術とパンクラスの力比べ』という言葉が今でも印象に残っています。
当時受験生だったので、自分がこれまでやってきたことを信じて、全力でことに望むだけだ、ということの大切さを思い知りました。
内容結果はあのような形でしたが、格闘技が見ている者に勇気や希望を与える、まさにその通りだと感じました。
入場時の船木選手渋かった〜痺れました。
後に船木さんは何度か対ヒクソン戦のはなしをしてこられましたが、
ここまでメンタルに踏み込んだのは初めてではないでしょうか。
欠けたパズルのピースを埋める内容もあり、
当時の映像が鮮やかに、船木さんの話と同時進行して浮かび上がった。
まだ異種格闘技の質が残っていた20年前、
世界中でパンパンに膨れ上がったヒクソン幻想が打ち砕かれるのか否かという、
仕事も手につかない張りつめた一日であった。
前田光世がブラジルに蒔いた種が、大きな実となって日本に押し寄せた、
まさに格闘技の冠進化が起こったのだ。
時の必然としか言いようがない。
これは人類格闘技史に残る凄い話だ。
1万円払ってもいいくらい。
格闘家として、ここまで心の奥深くを話せる方は中々いないでしょう。
きちんと歴史的資料として残さなければならない。
それにしても須藤元気さんへこんだだろうなー。
船木さん、ありがとうございます。
乱筆乱文お許し下さい。
船木選手も事前にかなり追い込まれていたんですね。でも実はヒクソン選手も同じだった。
死闘というのは多分そういったものなんでしょうね。通常の戦いが出来なくなる。
当時の緊張感、今回の放送の船木さんを通してビシビシ甦りました。真剣に語ってくれて本当にありがとうございます。重たい話ですが、あの時代共有していた自分は全部理解できるつもりです。何一つ違和感ありません。そのぐらい、ファンも真剣でしたよね。特に船木さんのファンは^ ^
最後の妄想締め、船木さんらしくて素敵です。またお願いします🙂
船木さんもヒクソンも素晴らしい格闘家であり、互いに全力を尽くして戦った歴史に残る試合でした。
当時の緊張感は忘れられないですね。
負けたことに気付いた時に恥ずかしいと感じたとおっしゃっていますが、私は全くそうは感じませんでした。あの試合を見てそんなこと思う人はほとんどいなかったんじゃないかな。
むしろ、カッコよかったです。
この動画を見て、サムライ魂の船木選手の想いが伝わって来ました。自分は船木選手より年長ですが、当時の心の葛藤を包み隠さず聞けて人生の勉強になりました。
もうあれから20年ですか
時が経つのは早いものです
もし偶然ヒクソンと出会ったらどうされますか?
元気かって感じでお互い挨拶されますか?
素晴らしい戦士達でした
リアルタイムで見ていました
ありがとうございます
精神的にギリギリの厳しいプレッシャーの中で、張り詰めていたのはよく分かりました。
本当に当日真剣で相手を斬ろうという危うい精神状態に陥らなくて良かっです。
須藤元気さんとの話も正直に聞けて良かったです。
細かいディテールまでよく覚えておられますね。
20年かぁ(ToT)
つい昨日の事のようだ(>_
一時間が短かったです。興味深い話でした。ありがとうございました。
命がけの戦いどころか、継続的な努力さえしたことのない自分には、眩しすぎる、雲の上のお話です。感動をありがとうございました。
20周年かー、……にじゅうねん!?
もうそんなにたったのか。
本一冊読んだ感覚でした。
しばらくしたらまた見よう。
素晴らしい裏話有難うございます。😄子供の頃から舟木さんは憧れです。
今でもカッコよくてめちゃくちゃ
嬉しい‼️
憎らしいほど強かったグレイシーを
素直にリスペクトできる船木さんは
カッコイイ。
ヒクソンも相手をリスペクトしてる
人だから本当に素晴らしい選手。
昔、(格闘技通信だったかゴングだったか忘れましたが)UFCのオクタゴンに描かれているラインはホイスに有利になるようになっていると舟木さんが言ってたと載っていたのを忘れていません。よろしければこの場で否定ください。舟木さんがそんなこと言うわけないと今でも信じています。
格闘技後進の育成&俳優業、頑張ってください。応援しています。☺️
最強はヒクソン・グレイシーと今でも答える。
これだけ夢を見て、夢をつぶされた人間はいないからだ。本当に憎らしい。
船木さんの動画を見て
ヒクソンの幻と毎日戦い、消耗の繰り返し。「死」を前提で毎日生き、男を賭した輝きは眩しいほど別世界で美しいです。
そこまでヒクソンと対峙していただいてありがとうございました。
この動画を楽しめる自分が誇らしい気持ちでいっぱいです。真剣に「U」を考えてこれたのは、船木、前田、高田さんたちの輝きがあったからです。
語っていただきありがとうございました。
貴重なお話感謝致します。自分にとってあの頃の船木さんは青春でした。途中でいける!って武者震いしながら見てました!今でもそう思います。負けたビデオは当分見れなかったです。今もですけど笑笑。
当時パンクラス原理主義者だった。。ほんとに正座して見てました。
須藤元気のくだりが人間臭くて実にいいな。
ヒクソンと戦った日本人のなかで彼を一番追い詰めた男が船木選手だと思います。当時グレイシー柔術の決闘の思想に最も肉薄した人なのではないでしょうか。
私の中では、ヒクソン選手に負ける訳の無い船木選手が、何故ヒクソン選手に敗北したのか、その理由が今までは全く理解出来ませんでしたが、今回のお話でよく解かりました。とても貴重なお話を本当に有難う御座いました。
いつも拝見させていただいてます。
本当に貴重なお話をありがとうございました。
当時はヒクソンが嫌いだったが、完全アウェーの日本で無敗神話のギミックを付けられて何度も一族を代表して戦ったヒクソンはとても凄いと思う。恐らく船木さん以上に負けられないプレッシャーがあったのではないのではないか。他方、どこかのインタビューで木村政彦に勝てるかと訊かれた際に、ヒクソンは珍しく感情をあらわにして「自分なら勝てる」と語気を強くして言っていた。
全盛期のヒクソンと木村政彦が戦っていたらどうなっていたのかは分からないが、ヒクソンないしはグレイシー一族が日本人にこだわる理由には、木村への執念や反骨心があると思う。いわば、ヒクソンは船木さんだけでなく木村とも対峙していたのではないか。
あの時の覚悟を聴けて感激しました。素晴らしい話をきけました。
たられば話で盛り上がれる、あの時代はすばらしかった。
すgえええ
幕末の志士たちや、太平洋戦争の時の南の島で戦っていた兵隊さん達に近い壮絶さを感じます。青森のすごい侍です。。
貴重な話し、ありがとうございました。
あれからもう20年ですか、、!
いつもトークが上手です!
これからも応援しています!
いつかコロナが落ち着きましたら、ヒクソンさんと対談して下さい!!
お願いします
それは見たい!!是非ともお願いします
それは見たいが無理だ。ヒクソンへの出演料は高過ぎて払えまてん
負けた時の方が記憶に鮮明に残るよね。
いい20年だったと思います。
貴重なお話を聞けて感謝します。
人格者です。尊敬します。
ここまで言語化できるスポーツ選手は滅多にいない。為末みたいに本やセミナーや大学でも活躍してほしい。
船木さんの話は凄く上手いし、人柄が出てるなと思う。
経営者権選手として頑張ってきて日本のサムライ魂を感じました。
ヒクソン戦は、結婚してから初めて妻と岡山へ旅行へ行った日のホテルのTVで見ました。
負けた船木さん…
勝って欲しいと思っていた自分…
寝れなかったですね…
引退されたが、またリングに戻って頑張ってる船木さん嬉しいです!
己を信じて何事もやれるだけ頑張れば結果はどうあれ、後悔ないくらい頑張ったなら胸を張っていいと思う。
勝ちか負けしか無い。
これからも悔い無い日々を過ごして下さい。
応援しています!
ヒクソン戦は、船木選手が勝てる試合だったので、本当に勿体なかった。
引退も止めて、明日をまた生きて欲しかった。
今、NOAHで試合が観れるのは幸せです。
船木さんは日本の総合格闘技を切り開いたレジェンド
今振り返っても
チャンスがあればチャレンジしないよりはチャレンジしたほうが良い
とても良いメッセージだと思います。
田村潔司さんのTH-camチャンネルで田村さんが「船木さんは勝っても負けていても引退していたと思いますよ」と話していましたよ。
船木さん自身から、勝っていたらどうしてたのかを聞いてみたいですね。
聴きごたえあります。貴重なお話ありがとうございます!
田舎から仕事サボって駆けつけたw
船木ヒクソンは今でもバイブル。
選手ではなく格闘家同士の真剣勝負
は広いドームでも伝わりました。
今でも思い出すと奮えるわ。
当時、パンクラス青森後援会のメンバーとマイクロバスでDOMEを目指し深夜青森県を出発‼️2年前の98年にはパンクラス青森大会実現。最高に充実してました。入場式での船木さんの笑み。近藤選手の秒殺。ヒクソン眼下底骨折。翌日の東京&横浜道場見学。暮れには地元弘前で引退興行。懐かしいですね。貴重なお話しありがとうございました。
山田学さんが「短時間で首を絞められて負けると思っていた。さすがに試合前には言えなかったが、それほどの実力差があった」と言っていましたが、本人的には「ヒクソンとの実力差」をどうお考えだったのでしょうか。
船木さんは過去にこのチャンネルでヒクソンのことを語っていますが、自分の実力はヒクソンには遠く及ばなかったと今でも思うと、あっさりヒクソンの実力を認めていますよ。
この強がらない潔さが船木さんの人間的な魅力です。
長い動画でしたが聞き入りました。当時この試合の持つ意味を理解できませんでした。最近になってヒクソン選手の後日談を知り、そして今回の船木さんの回想録。時を経て再評価されるべき試合ですね。この動画見てよかったです。
船木さんは、ホントに強くて覚悟のある人だなと思います。ホントに尊敬します。僕もこれから持っと頑張ろうと思います。
ヒクソンに首を絞められ、船木選手の目がうつろになって行くところを、
「人が死んでゆく様とはこうなのだなあ」と思いながらテレビで視聴してました。
近藤有己「二人きりで夜船木さんに襲われたらどうしよう・・・」
ここ爆笑エピソードなのにその後が壮絶すぎて動画見直すまで記憶から抜け落ちてた
この試合までが俺の格闘技の青春時代でした。楽しかった。大学時代です。
ヒクソンもこのあと試合しなくなったので、一つの時代が終わった感じしました。
たらればの話ですが、今考えると
そのたらればの話で何十回と熱く語りあえた自分らの世代は幸せだったのかも知れない。
飲み屋でも軽く3時間くらいは語り合ってたもんなぁ。
かっこいい
ただただかっこいい
私も船木さんのような生き方をしてみたいです
東京ドームのスタンドで興奮して観たあの日からもう20年か。
試合後に落胆して席を立てなかったファンがまわりにたくさんいたけど自分もその一人だった。
お話を聴くと試合前から勝負ありだったという事ですね。船木さんをそういう状態にしてしまったヒクソンさんは本当に強かったんだと思います。
夢を有り難う御座いました。
ありがとうございました。
歴史にifはないけど、この試合は本当に惜しまれる
何かがほんの少しだけ違っていれば船木さんがヒクソンを破って世界のMMA史に名を残していたと思う
まぁその辺の紙一重も含めてヒクソンの強さなのかもしれないが…
須藤選手とのエピソードも聞けて良かったです
ヒクソン選手は試合中に視力を失って、船木選手は首を絞められて、それでもお互い最後まで戦う
MMAの試合という領域を遥かに超えた次元の戦いだったと自分は感じました、貴重はお話ありがとうございました。
あと何分か聞こうと船木がセコンドに視線をずらした一瞬の隙を見逃さなかったヒクソンの勝負勘というか、勝ちへの執念が域に達したものであるのを知れた。
パンクラスの新世代なスタイリッシュさに憧れてた当時若造のぼく。
パンクラスジャージ着用で仕事してたら交番の若い警官に「好きなんですか?今度ヒクソン戦観に行ってきます」と声かけられたよ
ヒクソンの最後の技ですが、
凄く上手な一瞬の引き落としでのテイクダウンでした。ああいう倒し方はこれまでなかなか見ないですね。
あの引き落としが勝負を決めてしまいましたね。生で観戦もしていたし、その後も何度も動画を見直した。でも、あの技術はもっと語られて良いのに20年経過しても見聞きしていません。
僕のような素人目には、あっさり倒されたように見えましたが、船木選手ほどの方が試合の最中に、さも簡単に倒されサイトをとられてしまったのですから、やはり高い技術の裏付けがあったのでしょうね
@@w5mlb7 さん
photos.app.goo.gl/WmQrqRgYh2yeQSWY7
本棚にあった高岡英夫氏の著書に解説があったので、うpしてみました。
独自の身体理論をお持ちで、その筋では高名ですが懐疑派やアンチの多い方でもありますね。超人のメカニズム 高岡英夫著 ぴいぷる社(2001)より
ホントたらればを言っても仕方ない事は分かっているのですが、
それでもあの引き落としをかわして、もう少しだけ打撃の攻防を続けられたら、と考えてしまいますね。
一方のヒクソンも我々が思ってた以上の必死の状況になりながらも勝ち切った。
2人ともカッコいいです。
仰る通りだと思います。
自分も一年前から僅か5分位の番宣予告も録画して
雑誌も買いまくり、パンクラスも観に行き
船木選手のスパーをみて安心したりしてました。
試合当日は新日本プロレスの旗揚げから新日本プロレスのフアンですが
この日は自分も船木選手と闘ってました。今日今になってやっと振り返ることが出来ました。
改めて、ナイスファイト
ありがとう船木選手‼️
敗戦後すぐ引退発言をした理由…なんとなくそんな雰囲気は感じていましたが
いちファンとしては誇らしく勇気をもらった戦いでした!
でもやっぱり、もう少しパンクラスでの試合が観たかったなぁ
本人が話してる試合の解説とかはTH-camで見聞きしてたけど、試合前の準備段階からの話を聞くと又見方が変わってきますね、須藤元気選手のスパーの話は他で聞いてて船木選手が切れてボコボコにしたって言うのは聞いた事あって知ってたけど、その時の船木選手の心情を聞くと印象が変わったので多面的に物事を捉えないと物事が分からないんだなって思うと面白かったです、勉強に成りました
私も須藤元気の件は、引っかかっていたのですっきりしました。
お話しを聞きながら涙が出てくるのはなぜだろう
競技、闘い、ではなく生き様ですね。
コロシアム2000は古代ローマや古代ギリシアの闘技場のイメージ。
着物だったんでインパクト有りましたね。
TVでしたがリアルタイムで拝見してました。プロレス最強が高田戦で崩壊したとマスコミが書きたてていたので船木さん勝利を祈っていました…残念ながらの結果には言いようもない悔しさと船木さんでも届かないのかと絶望感に苛まれた記憶があります。同時のことをこれほど詳しく記憶されているのは凄いことです。とても貴重なお話を聞けてありがたく思います。
俳優の時も凄く格好良かったですよ。
貴重な話有難う御座います
もう、20年ですかー( ゚A゚ )
東京ドームで観戦しました。この数十年間の格闘技試合の中でも間違いなく名勝負であったと思います。しかし、船木選手が試合前にヒクソン選手と同じ様な呼吸法を実践しているのを見て「これでは勝てないな」とその時思いました。試合前から既に相手に飲み込まれている。この本人の振り返りからも、何となく相手を必要以上に恐れていた様な気持ちが窺えます。