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いやあすごい写真だなあ凄い
Laundrygateさん、ご視聴いただき有難うございます。意識して白黒でやったら皆さんに全然見てもらえなくて。他にダメなところを感じられたら教えていただけないでしょうか。
苗穂工場のC62、屋内展示施設建てて常設展示して欲しいですね。是非見たいです。
博物館いりするより工場にあった方がいつか再生されるのを期待してしまうのです。
@@Yukkuri-Lab 私は28歳です。C62は京都鉄道博物館でゆっくり走ってる所しか見た事が有りません。C62が全力疾走している所を1回だけでも見てみたいですね。
休眠状態から戻る2号機、整備の後梅小路の線路でダッシュするようですよ。
やっぱり2号機と3号機のゴールデンコンビは最強ですね❗️C62函館本線山線は王者が君臨している感が伝わります。
快速いしかりライナー全車自由席さん、ご視聴頂きありがとうございます。私は前補機が2号でなくてもC62重連ならば良いのですが、2号機だと写真が映えますね!
過去の文献を良く調べて動画制作されているのがよくわかり,敬服の限りです。いつも勉強させていただいております。ありがとうございます。少し気になった点をコメントさせていただきます。北海道のC62やD51の,「煙突とドームの間にある棒」は,「つらら落とし」ではなく,デッキステップの「手すり」です。機関車のまん前から見るとわかりますが,この手すりの部分でつららを落としたとしても,その後ろにはガラスなどはほとんどないし,そもそも,その手すりで落とせるつららがあれば,そのつららを落とす前に,つららで前照灯やシールドビームの副灯が割れてしまいます。前照灯の前に前照灯専用のつらら落としがあるのは,留萌本線のD61などで,車両限界ラインでのつららを落とす目的のものは,宗谷本線のC55や,山陰線のC57(梅小路の5号の初期),信州のC56などです。つらら落としは,「トンネル等にできたつららでガラス(ヘッドライトや窓など)が割れるのを防ぐためのもの」です。北海道のC62やD51のボイラー上部ステップ(煙突とドームの間)の手すりは,冬場に捨てぷが氷るので,掴むためのものでしょう。
103wh さん、ご視聴頂きありがとうございます。初めてご挨拶させていただくと思います。そうですよね、昔からしっかり注目していませんでした。当時からみんなとつらら落としと言っていましたし、形もC62は地味なので認識を訂正することもしていませんでした。D61の前照灯の前のステイを前照灯取り外し用のステイだと思い込んでもいましたし。(なんで取り外す必要がある!)ご指摘ありがとうございます。
急に何もかも懐かしくなって泣けてきます。
HMS HOODさん、ご視聴頂きありがとうございます。C62重連の存在は人知を超えていますよね。C62が好きとか嫌いとかを超越した存在で、わずか50年前にこんなものがあったなんてと今更ながら思う次第です。
中学生の自分には北海道は遠すぎましたが、、、絶対に見ておくべきだったと後悔すごくしたんです。1995/11/2 C623ニセコは少しだけ雪の降る中を走りました。
takada9600 さん、ご視聴頂きありがとうございます。そのお気持ちわかります。C62重連急行はこの世のものとは思えない物体と言ったら大げさでしょうか。単にC62が2輌連結されているのではないのですよ。
母親の実家が南小樽、父親の実家が小樽で小樽築港は蒸機が見られる大好きな駅でした。私が中学生の時には地上にあった札幌駅でも2号機が見られました。山線の雪の写真はモノクロが良いですね。 山線、小樽~長万部が廃止になってしまいますね・・・。
Kei Itoさん、いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。雪の写真はモノクロームが良いですね。今回AI着色してみたのですが、結局白黒なんですよね。
いつも素晴らしい写真、ありがとうございます。雪のこやみになった間の2号機と15号機の重連、涙が出て止まりません。素晴らしい写真をありがとうございました。幸いなことに、最優先で増備した結果、模型でこの編成とていねの編成は再現出来る様になりました。牽引機も2、3号機、そして転属し北海道装備となった15号機も在籍し、レンタルレイアウトでフル編成でたのしんでいます。いつでも目の前を走らせられることが嬉しいです。でも梅小路の2号機がもう少し距離を走ってくれたらなあ…3号機が小樽と与市の間でいいから定期運転があったらなぁ…と思ってしまいます。
832BUUCHANさん、ご視聴頂きありがとうございます。過分なご評価ありがとうございます。モチベーション上がります。小沢~倶知安のニセコ1号はデジタル修正を長いことやっていて、最近満足な形に仕上げました。ネガがかなり行っちゃっているんですよね。道床の雪が解けているのはしらけちゃうのですが、この場面は確かに最高でした。
良ければこの写真だけでもツイッターに上げて頂くと、いつでも自分の写真ライブラリで見られますから…と言おうと思ったらもう上がってました。魔理沙と霊夢もちゃんと白黒になっていてあんまり被写体を邪魔しない様になってますね。iCloudに永久保存しました。
Flickr Commonsにオリジナルサイズをアップしてますので、原寸大ですのでどうぞダウンロードください。flic.kr/p/2nNnPEn
色々苦労しましたが、何とか保存できました!フォローしましたので他の公開済み写真はダウンロードさせて頂きます。ありがとうございます!
Flickrフォローありがとうございます。そちらの写真類のご利用についてはガイドラインに沿っていただければご自由にお使いください。
高校時代にTVで見た雪の行路を思い出しました。降雪の山線 C62重連 前補機がスワローエンゼル 今にもドラフト音が聞こえてきそうなアングルなど素晴らしい写真です。ありがとうございます。
シロくんさん、いつもご支援いただきありがとうございます。次回以降夏のをやってみます。
C62重連のニセコを見て鉄道好きになりました。お祖父さんが、SLの写真を撮っていましたので、当時…小学生低学年の僕も同行した訳です。今でも…覚えているのが、いつも2号機が前補機に連結するのに、撮影の日は15号機が連結した事です。後ろの機関車は、16号機でした。お祖父さんは、相当…がっかりしていました。僕は、15号機でも?初めて見るC62は、感動しました。本当に格好良かったです。今、東京駅にC62ー15号機の動輪が展示していますけど、この動輪を見ると当時の事がよみがえり…「あの時は、ありがとう!」と、声を掛けています。C62ニセコを取り上げて頂きありがとうございました。
河野さん、ご視聴頂きありがとうございます。このサムネの吹雪の時は親類と一緒に行きました。一人では到底自信が無かったです。私は、C62重連であれば、前補機が2号機でもなんでも全然気にしていません。15号は別動画でも呉線で出てきますが、まさか北海道に行くとは思いませんでした。言うまでも無い事ですが、あの急行ニセコと言うのいう列車は日本の蒸気の歴史で最高の役者でした。ニセコが無くなり、その後は惰性で写真撮っていたような気がします。
冬のC62かっこいいですね!さすが陸の王者
asechanさん、ご視聴頂きありがとうございます。本当に超越していますよね。
C62の額の補助灯はシールドビームの副灯が付いた後も付けて3つ目になったりしていましたね。額の補助灯が独特の雰囲気で、見るのが好きでした。小樽築港区での最好調機は32号機だったようで、私は出会ったことは無かったですが、検査周期の関係で早期廃車になると決まった時は職員の間で「ナンバー付け替えたい」という話まで出ていたというのをどこかで読みました。
くたきちさん、初めまして。ご視聴頂きありがとうございます。3つ目ありましたね。32号機のそのお話は私も聞いたことがあります。2号機は昭和45年の全検後はとても調子よくなり函館行きの本務機にもなることが多くなったとも聞きました。
ありましたね。結局32号機のテンダーは16号機にそのまま移設、と言う事で落ち着いたようです。
C62の回転式火粉止は、ドラフトの勢いの凄さで外れる(吹っ飛ぶ)ことが多かったらしいですね。回転ブレードも、シンダの影響であっという間に消耗したとか。「火の粉止めが外れちゃいましたけど、どうします?」「そんなもん、ほっとけ!前方信号確認、良し!」「信号、進行良し!」倶知安駅での、給水、石炭かき寄せ、車輪周り点検、火床整理のは、本当に訓練された乗務員&係員たちだからできる短時間作業だったとも。乗務員の手記で、そんなのを読んだことがあります。それに加えて「自動給炭機は便利だが、故障に備えて「C62を手焚き出来る」乗務員が揃えられた」「重連の補機がD51になる時もあったが、空転はしづらいが速度が出ないから違う苦労がある」なんて聞くと、まさに函館本線山線の苦労と伝説が偲ばれます。
ご視聴頂きありがとうございます。C62ニセコの噴き上げる煙から落ちてくるシンダのひどさは身に染みています。火の粉止めへのインパクトも凄いものでしょう。C62重連ではD51が前補機だったらどうしよう、どうしようといつも悩まされます。幸運なことに一度もそれはなかったのですが、そういう不幸に見舞われた人を知っています。
素晴らしい写真です。これだけ素晴らしい写真はなかなか見ることができません。持っている人は持っているのですね。北海道は最後の頃までSLが残った地域でした。本州で使ったSLは苗穂工場で改造されたりして北海道で用いられました。C62 3は一時復活しましたが、費用がかさみ過ぎて結局続けることができなかったようです。やはり保存運転は小型機かタンク機も方が都合がいいようです。しかしこれではあまり迫力がありません。そういう点でこの動画に掲載された写真は貴重なものです。冬の函館本線、山線の急行「ニセコ」は特に貴重です。ところで私は、「凸型のDD51」牽引になってから山線の急行「ニセコ」に初めて乗りましたああああああッ!!!
権三郎平衛さん、ご視聴頂きありがとうございます。お褒め頂きありがとうございます。視聴者様に見て頂けるようにいかようにでも加工・修正ができるのもデジタル修正技術のおかげです。仕上げるのに凄い時間がかかりますが、ネガ原版そのままではお見せできるものではないです。。C62は好きな機関車なので、このチャンネルでも最初からしばしば登場させています。私はDD51牽引になってからニセコには全く興味を失いました。
@@Yukkuri-Labさんたぶん時間がかかっているのだろうな~なんて思っていました。So great!!!
C62に限らずですが、蒸気機関車は雪景色の白黒写真がほんとにイイ。あと個人的には斜め後ろからのアングル(夜の倶知安発車でよく見る)が好きです。
エバーグリンさん、ご視聴頂きありがとうございました。私も9割がた写真は白黒で当然なのですが、そのまま動画にすると、とても合わないんですよね。情報量が少ないので、訴求力がカラーと全然違います。ですからAIカラー化しているのですが、仕上げるのに大変な時間がかかる様になってしまいました。
現役時代のC62は急行ニセコに限らず白黒写真を見るだけの年代でしたが、効率化安全対策が行き届いた今日からすると、50年前に本当にあったことが信じられないような、何か超常現象ではないかという気すらしてきます。先週中にC62 32号機を見たいと申し上げましたが、まさかの?ナメクジも見られてありがたいです。東海道・山陽本線時代に「つばめ」「はと」「かもめ」さらにはブルトレ牽引と栄光に包まれていた15、16号機が最後の一年足らずのために渡道した、という経歴は最近知ったばかりですが、1,2,3号機とはまた違うストーリーの動画をいつか製作していただきたいです。
成田さん、いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。別の方にもリプしたのですが、好きな機関車はC59、C62も同じぐらい好きですが、重連C62はそれらを超越した存在なんです。急行ニセコが無くなり(最後の三重連は如何なものかと否定的でしたが)その後の蒸気撮影は消化試合みたいで気が抜けちゃいました。呉線の15,16が築港に行ったことを題材にフィクションに仕上げた動画はありますが、あまり人気なかったですね。
私の知人に、丸瀬布いこいの森で雨宮21号の機関士をしていた人が居るのですが、その人の話によれば、C62 3号機は何故動態復帰できないのか、ちゃんとした理由があるらしいのですが、これはJR北海道と北海道の動態保存蒸気機関車に携わっている人達だけの秘密と言われて私には教えてくれませんでした。なんでも、北海道の動態保存蒸気機関車は同じところが担当していて3号機の復活にも携わっていたらしいく、苗穂の復元で北海道中からSLの部品をかき集めたら9600の煙突が出てきたという話もあるとか。まあ、3号機には北海道なりの事情があるみたいで、私はあまり深追いはしないことにしました。しかしやはり、ニセコを高速で引っ張るC62を見てみたいですね.......。
幽釜 🦋🌈さん、ご支援ご視聴頂きありがとうございました。そうなんですよ。なにか深追いしてはいけない特殊事情があるみたいで、私もあきらめています。
0:33築港機関区の「緑十字と安全第一」5:05「舟見橋」からの撮影、懐かしい小樽の風景、ありがとうございます。
小樽築港機関区さん、いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。扇形庫はもっと時間をかけて色付けしなければならないのですが、今回時間切れで手抜きしています。あの辺り舟見橋というのですね。
函館本線山線区間のC62重連は最早伝説と言っても過言ではありませんね。聞けばある年の冬には沿線のスキー場に訪れたスキー客より、C62重連見たさに訪れた[鉄]の方が多かったとか…まだまだ空路が高嶺の花、東北新幹線も未完成、[はつかり]や[ゆうづる]は高くプラチナチケット、ワイド周遊券なら普通急行自由席なら急行券不要ということで、[十和田]や[八甲田]や[津軽]などの自由席、それも近代化改造のスハ43辺りならまだしも、時には未更新のオハ35辺りに一晩揺られて渡道、撮影後その日の夜行で取って返し翌朝そのまま出社…当時の諸先輩方のバイタリティには敬服するしかありません。築港最後の[4人衆]では2号機がスーパーヒーロー、二番手が3号機で15・16号機は蚊帳の外的存在でしたが、個人的には地元仕様のㇵの字エプロン埋め込みTailRightを残していた15号機に最も親近感を覚えます(^^);[広域人事異動]かけて装備改造工事を行っても、全般検査する費用の1/8で済むとあっては44号機もはたまた絶好調で評判の良かった32号機も検査周期には勝てず車両基地の隅でバーナーに焼かれてしまいましたが、広島局仕様のC62が生き残ったことは嬉しいことでした。後年北海道鉄道文化協議会(鉄文協)主催でC623&スハフ44×4+スハシ44の[C62ニセコ]が復活、その際小生も乏しい所得から無理して支援したのですが、バブル崩壊と協議会主催者のスキャンダルその他諸事情でとん挫してしまったのは返す返すも残念です。
SuperExpressJNRさん、いつもご視聴頂きありがとうございます。あれほどいたファンはいまどうしているのでしょうか?とてもおとなしいですね。みなさん後期高齢者でニセコどころじゃなく考える余裕がないんでしょう。是非こちらの動画で思い出していただき戻ってきて欲しいです。
函館本線山線の運転は急勾配と急カーブの連続で立ち往生のリスクも高かったからか?山線担当の乗務員は気性の荒い人が多かったみたいですね。C62 3が小樽〜ニセコ間で運転されていた頃に山線に行かなかった事を未だに後悔しています。動画配信ありがとうございます。色々勉強させていただきました。
特急日本海さん、いつもご視聴頂きありがとうございます。元々ニセコの仕業は小樽築港機関区だったのですが、44年頃に長万部機関区の受け持ちになったんですね。写真撮りに来ていた若い乗務員さんと話しましたが、乗るもんじゃないとこぼしていました。復活したC62ニセコが良く止まったりしたのは、やはり当時の機関士さんでも間が空くと山線の操縦は難しかったのか?と思っています。
雪の中爆走するSLは迫力があるよね〜、あと梅小路にいたナメクジがカッコ良かったよ
0721さん、ご視聴頂きありがとうございます。ナメクジは来週やろうかな?と思ってます。
おぉ〜!
なめくじだったら何号機が好きですか?
流山総合運動場に保存されてる14号機かなぁ〜、松戸に住んでた時によく見に行ったよ
🎶氷付いた線路は今日も~ 北へ向かって延びている~ 「函館本線」のイメージがこの歌と、雪中の蒸気機関車になってしまいますね。蒸気機関車は石炭ストーカーはもとより、コンプレッサー、発電機、給水ポンプ、インジェクタ、汽笛等蒸気が動力だから、山道の運転は相当苦労したと思います。C62-3が夏場でもスノープラウを付けていたのは、カウキャッチャー(電車で言うとスカート)の役割をさせていたのではないですかね?東日本、西日本に在籍しているカマはATS-Pを新規搭載したからカモフラージュとP車上子保護のために付けていますが、C62-3は国鉄末期に復活して、旧来のATS-Sで運転されていたから、テンダー台車間にある車上子で間に合ったはずです。
いあさん、ご視聴いただきありがとうございます。復活のC61やD51等はスノープローでATSの車上子を隠していることは視聴者様に教えていただきました。熊谷のC58は例外だそうです。
2番機はある意味で強運の持ち主だ。東海道本線の電化後も不調機故に渡道、山陽本線に行ってたら18番機同様にツバメマークは外されて昭和40〜42年に廃車になっていたと思う。昭和45年には残り4両のうち3両が検査切れとなったが一番早く期限を迎えた2番機は全般検査を受けて復活!この後期限を迎えた32.44は相次いで廃車にして呉線から来た。16.15と入れ替わった。呉線に最後まで残っていた好調機の23とイマイチだった37は同じく期限切れだったのか?もし渡道してたら「ゆうづる」「あき」「ニセコ」を牽く事になっていたのに
SKTさん、ご視聴頂きありがとうございます。そうなんですよね。私の動画ではよくそのストーリーを使います。16.15号機は急行安芸の牽引をC59に譲ってやり、便宜を図ってやったことで北海道に行けたんです。でも一年期限だよとは言われていなかったようですね。
16.15の渡道はまさに寝耳に水、呉線電化後に1両転属させて不調の2と入れ替えるのでは?という噂もあって動向が注目されたが2が全般検査を受けてから立ち消えになっていたのに。晩年には検査切れのカマは廃車にして他所から使えるのを持って来て入れ替えるというのはあちこちで行われていた。九州のC57が北海道に渡り、一冬だけ使われたりしていた。
SKTさん、そうですね、最後の9600が門デフつけていてガッカリしたことが最後を見届けなかった理由でした。
7:03勾配区間や遅延回復の時はストーカーを止めてシリンダーに送る蒸気を多くすることもあるようです。
ぜうす. さん、ご視聴頂きありがとうございました。そうなんです。ストーカって蒸気圧で動かすので、かなり消費すると聞きました。
津軽ゥゥ海ッ峡~冬……ッ景色キキ〜〜
サブチャンネルで、津軽海峡冬景色を入れてショート動画つくったので、是非ご覧ください。th-cam.com/users/shortsHE4PcYiK0pY?feature=share
@@Yukkuri-Lab 北海道に住んでて、冬景色に釣られて書いただけです。
現役の蒸気機関車にギリ間に合った世代です。あと十年早く生まれていればなーとよく思います。
ぶん太郎さん、ご視聴頂きありがとうございます。蒸気全廃から50年。逆に50年前にそんな石器時代の乗り物があったなんて!と思える今日この頃です。デジタル技術の進化で当時のダメ写真も視聴者様に見て頂けるレベルに加工できるようになったのですが、あと数年すれば動画までAIで作ってくれるのではないかと思います。
C622,3の重連を山線でしてくれなんて贅沢言わないからC62を毎週末走らせてほしい。できれば雪の降るところで。
駿さん、いつもご視聴頂きありがとうございます。C62ニセコの時は会員を集めて冬に走らせる企画が鉄文協であり、具体化したのですが、JR保線の強い反対があったそうです。でも今でも物理的にはその2輌が現存して、動くのですから、小沢駅に並べるだけでお客さんがとんでもないくらいくるでしょうね。
@@Yukkuri-Lab 冬だと何がいけないんですかね?撮り鉄もといクズ鉄どもが騒ぐんで無理そうですよね…。まともな人だっているのに。
C62ニセコは秋までの運用でしたが、空転そこらじゅうでしていました。それを冬に走らせると大混乱するし、冬の保線の工数も馬鹿にならないという事だったと記憶してます。あの時代だったら大沼辺りであれば、冬走らせることはできたでしょうね。
雪だって、ベタ雪(重い雪)は大変だぞッ!!
@@Yukkuri-Lab たった5両でも単機だとしんどかったんでしょうね。大沼もまた走らせて欲しいですね。
個人的にも、C62は、好き!
古谷佳代子さん、初めまして。ご視聴頂きありがとうございます。わたしはC59が一番なのですが、C62も同じぐらい好きです。特に常磐線のが良いですね。函館本線のはこれは存在が超越しています。
@@Yukkuri-Lab いやはや、ちょと一周回ってまた見始めました。
ありがとうございます。とても嬉しいです。
@@Yukkuri-Lab こちらこそ、です。
こんにちは。D51 70号機!私の地元、さくら交通公園で保存されています。ナメクジ型と北海道特有の切り詰めデフが好きで何度も拝見しに行ってます。現在も運転台に入れることができ、加減弁ハンドルを動かすことができます!また汽笛のペダルもしっかり動作します!時間があれば拝見しに行ってはどうでしょうか?屋根下に保存されており、整備は結構行き届いていますよ!
fishing_kou さん、初めまして。ご視聴頂きありがとうございます。70号機はつくば市なんですね。ぜひ真岡に行った後で見学したいです。とても状態よさそうですね。
冬用の重装備を纏ったC62重連はやはり力強く迫力がカッコいいこの力強い走りは二度見れないと思うと寂しいですね😢
塚越さん、いつもご視聴頂きありがとうございます。私は楽観しています。もうしばらくすれば、数枚の写真からAIが勝手に動画にしてくれると思います。現在でさえ、ダメ写真ネガをデジタル加工し視聴者様に見て頂ける内容まで仕上げられるのですから。その時が今から楽しみです。
苗穂工場で見学できる日に久しぶりに見てみたらC62 3が居なかったのは、がっかりでした。(´・ω・`)
どうしたんでしょうね?
復活蒸気の場合は保安装置をつけないといけないため、フロント側のATS車上子のプロテクターとして、夏場でもスノープラウが装着されています個人的には雪原のSLはモノカラーの方が濃淡がはっきり出ていいと思いますまた、冬場の北海道で遭難の危険と隣り合わせで列車を待つ姿には心より敬服します
電光刑事さん、いつもご視聴頂きありがとうございます。あっ、ATSの車上子の関係だったんですか。知りませんでした。だから秩父や真岡の蒸気はスノープロー付けていないんですね。
ATSの車上子が車両前方にあるのは関東地区のテンダー式蒸気機関車に共通ですが、秩父鉄道のC58 363だけは剥き出しですね。デキに取り付けるスノープラウはありますが、SLにも取り付けられるのかな?ちなみに、タンク機関車には炭庫の下にATSの車上子があります。
C62形の牽引不足を補う為に、糸崎機関区から山陽本線呉線運用を終えたC6215号機とC6216号機が小樽築港機関区に転籍して、さよならC622号機急行ニセコ三重連運行まで運用された。
大坂さん、C62が糸崎から北海道まで回送するとき、ガセネタつかまされて中央線で半日待ったことがありました。
@@Yukkuri-Lab 様、中央線経由で青森操車場までの移送⁉️😱🚃長野工場で軽軸重改造されたとか。
軸重軽減したのは苗穂のはずですね。結局東海道を素直に通っていったはずです。
@@Yukkuri-Lab 様、やはり苗穂工場。
冬の写真は迫力がより凄いですね。かんじきを掃いて撮影地に向かったのでしょうか。以前コメントしましたが北海道は遠すぎて行けませんでした。糸崎で見た15/16の北海道仕様の姿を見たかったです。
Kwさん、こんなところは一人ではいけません。信頼できる同行者と出かけているのですが、魔理沙は年齢不詳なので詳しくはコメントできません。冬は倶知安峠のほうが上目名より楽だというのが当時の感想です。そのうち夏の重連もやりますね。
SL写真集ってなんでモノクロばかりなんだと思った事がありますが、SL晩期の雪の北海道ってモノクロの方が映える場面が多いんですよね。銀塩粒子の荒さがむしろ迫力になっていたり。当時は高感度のカラーフィルムが無かった事もあるでしょうけど…。
abbtk14さん、ご視聴頂きありがとうございます。私は、Trix-Xを自家現像していたのですが、現像の度に出来栄えが変わるんですよね。今はデジタルスキャンしているので、どのようにでも調整できるので、お見せできる写真に仕上げられます。でも冬でもカラーで撮っておきたかったです。ハイスピードエクタクロームがASA160でこれは使えたのですが、高かったです。
何度見てもC62重連は迫力があります。15、16号機にはもう少し長く活躍して欲しかったですね😃でも置き換えられた格下のDD 51重連の方が函館早着だったというのは皮肉です。給水ロスがないのは大きなアドバンテージですね。
Pro Poさん、ご視聴頂きありがとうございます。15,16号は砂配管が3本外出しなので、今見ると違和感ありますね。嫌いなDD51の急行ニセコのことは全然関心なく、14系で存続していたことも先日知りました。
6:20主様は郵便・荷物車は お嫌いでしたか…郵便・荷物車こそが牽引機のDL化、客車の14系化を経て国鉄末期まで「ニセコ」が客車で残った理由なんです…というのは、ニセコに連結されていた荷物車の1両は前日に上野を出た「八甲田」から青函連絡船を介して航送され苗穂を目指す車両でした…
小早川美幸 さん、ご視聴頂きありがとうございます。ニセコが残った理由がそこにあるのは存じています。また郵便・荷物車が嫌いと言うのは無くて、スハがテンダーに直接ついている方が格好いいという単純な理由です。郵便・荷物車が2輌もあるとなんか貧乏くさく思えて。
C62形が重連で雪の山線と格闘してきた函館本線山線小樽ー長万部間は、2030年の北海道新幹線札幌開業で、全線廃止バス転換が決まってしまった。小樽ーニセコ間でも観光鉄道として、残して欲しかった。😭⤵️🚃🚉
大坂さん、ご視聴頂きありがとうございます。バスに転換してもバスに乗る人いるのかな?と思います。観光鉄道でC62や線路のこと考えれば大沼辺りをちょろちょろ走らせるので十分でしょう。
@@Yukkuri-Lab 様、ニセコのスキーリゾートまでなら需要はありますが、住民の足となると不便の極。また、温泉旅行客の需要があるかどうかが不透明。
バブルの頃のスキーブームは凄かったですねぇ。
@@Yukkuri-Lab 様、私の高校時代の修学旅行先が北海道のニセコ町だった。財政再建団体の夕張市も候補に挙がったが、スキーリゾートホテルとニセコ温泉があったニセコ町になったとのことでした。
意外なところが修学旅行先なのですね。
先日死去した松本零士さん原作の銀河鉄道999のモデルのC62形。最終号機は、C6249号機だが、松本零士さんはC6248号機のナンバープレートを所有していた。そこで架空の最終号機C6250号機が製造された。
そういえばナンバープレートって昔は本物でもそれほど高くなかったのですが、最近見て価格にびっくりしました。
@@Yukkuri-Lab 様、もし、最終号機C6250号機が落成したら、昭和25年で、新製配置は尾久機関区だったのでは?
数まわりから言ったら、常磐線だったでしょう。
@@Yukkuri-Lab様、最後は、函館本線に持って行って、急行ニセコ牽引して、さいたま大宮鉄道博物館入りかな❔
魔理沙さん、霊夢さんこんにちは!急行ニセコが14系座席車になったのは、昭和56年2月頃だと思います。その前年の10月ダイヤ改正で急行雲仙や西海、阿蘇や、くにさき等関西と九州方面の急行が廃止されてそれに使われていた14系座席車を、北海道仕様に改造されて当時の函館運転所へたしか30両配置されたと思います。当時話題になったのは、ほぼ同時間帯の特急北斗がキハ82系で座席は薄っぺらい回転クロスシートで、時間はかかるけど簡易リクライニングシートの14系座席車の急行だっので周遊券には、人気があり、当時まだ車内販売もありました。なにしろ特急北斗は満席でも急行ニセコはすいていて4席を独り占めなんてこともありました。かくいう私もニセコの14系座席車には何度が乗りましたが、概ね空いていました。特急北斗もその後183系気動車に置き換えられました。ただしその影では食堂車が廃止されています。
もりわききくお さん、ご視聴頂きありがとうございました。DL化されて10年近くスハフ44だったんですね。全く興味失せていたので、全然知りませんでした。冬の湿原号にスハシが1輌連結されていますが、それだけでも価値あるなぁと思っちゃいますから、今の車輛には全然魅力感じなくなってしまいました。秩父で高崎から旧客借りて走るようですので、ぜひ行きたいです。
C62 重連の急行ニセコは有名ですからね~ただ乗務員は青函局長万部機関区で カマは札幌局小樽築港機関区と 管轄が違うから大変だったでしょうしかし昭和46年9月15日の小樽~長万部間の C62さよなら3重連で運用離脱し その後15、16号機は11月に廃車客車も昭和50年代中頃に本州用の14系を 北海道で改造し14系客車500番台として投入しました最後は客車4両に上りが郵便車1両 下りが荷物車2両を連結して運用についておりましたしかし山線の廃止は致し方がないです 沿線自治体の人口が減少しているうえに 貨物列車も通らないし廃止は妥当です
高橋さん、いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。乗務員が長万部になったのは昭和44年からのようですね。それまでは築港だった。理由は分かりません。動画でも言ってますが、14系でニセコが存続していたとは先週知ったことです。それだけ興味が無かったんですね。
C62が入る前はD51が牽いていて、山線区間の所要時間はほぼ同じ。その時のジェットブラストはどんなだったか。
こちらもご視聴頂きありがとうございます。D51でもC62でも山線ではスピード出ないんですね。またC62はスピード落とすと空転する厳しい運転操作だったことでしょう。
メカニカルストーカーですが、石炭が細かくなってしまって、燃えずにシンダとして外に排出されてしまったりであまり有能ではなかったりとか・・・
マルケンさん、ご視聴頂きありがとうございます。ストーカ確かにそうだったのかもしれませんねぇ。
C62 の 44 号機、いちばん前を走っていましたね、証拠写真があります (笑)
?一番前とはどういうことですか?
@@Yukkuri-Lab 様前補が44号機と言う事でしょう?15号機、16号機が転属したので、32号機と44号機が廃車になりました。
今の装備で昭和40年代に行きたい。ドラえも~~~~~~~~~~~~~~~~~ん。
ご視聴頂きありがとうございます。スマホ一つで同じ以上の動画撮れちゃいますものね。
今のカメラでニセコ号は撮ってみたい
本当ですよね。iphoneでもこれ以上のものが撮れるでしょうね。
雪かきは、障害物の対策で設置していたらしい‼️🚂ニセコの駅員が話してたよ‼️🚂
後藤さん、ご視聴頂きありがとうございます。雪かきですが、現在の高崎の蒸気はATSの車上子を隠すために装着しているそうです。蒸気現役の時はラッセル車代わりに使っていたんですね。
魔理沙さん霊夢さんこんばんは!梅小路のC62型2号機を網干総合車両所のイベントで網干駅からの観客輸送用などに使えないんだろうか?確かD51型200号機が福知山運転所でのイベントで走行しています。まだ全検前だと思います。そこで様子を見て全検を受けるのもありかな!って思っています。JR西日本が無理ならクラウドファンディングをすればかなり費用は集まりそうに思いますが、いかがなもんでしょう?
もりわききくおさん、いつもご視聴頂きありがとうございます。京阪神に蒸機を走らせると大変なことになるでしょうが、近年は線路内に入ることがほぼできないので、そろそろ解禁してもらっても良いですよね。関東だとハドソン+旧客がかなりの頻度で走るので嬉しいのですが、本気で走っていないのが残念です。JR東がもし梅小路の26号機を復活させ高崎で走らせたら楽しいのですが。高崎~熊谷でも良いですね。秩父の転車台はデカくしないとダメですけど。
スピードと効率はもういらない、昭和40年代の鉄道網がいい ただし煙害は勘弁
まこリゲさん、初めまして。ご視聴頂きありがとうございます。北海道行くとあ~、鉄道は頼りにされていないんだなぁとつくづく感じます。北海道のニセコはストーカー使っていて、空中からバラバラシンダーが降り注ぎます。驚くぐらいです。あれは夏には乗客はたまったものじゃないですね。
トイレも垂れ流しは嫌だなぁ
あっ、それは勘弁してほしいですね。高崎のスハフ32も様式水洗になりました。
いやあすごい写真だなあ
凄い
Laundrygateさん、ご視聴いただき有難うございます。
意識して白黒でやったら皆さんに全然見てもらえなくて。
他にダメなところを感じられたら教えていただけないでしょうか。
苗穂工場のC62、屋内展示施設建てて常設展示して欲しいですね。是非見たいです。
博物館いりするより工場にあった方がいつか再生されるのを期待してしまうのです。
@@Yukkuri-Lab
私は28歳です。C62は京都鉄道博物館でゆっくり走ってる所しか見た事が有りません。C62が全力疾走している所を1回だけでも見てみたいですね。
休眠状態から戻る2号機、整備の後梅小路の線路でダッシュするようですよ。
やっぱり2号機と3号機のゴールデンコンビは最強ですね❗️
C62函館本線山線は王者が君臨している感が伝わります。
快速いしかりライナー全車自由席さん、ご視聴頂きありがとうございます。
私は前補機が2号でなくてもC62重連ならば良いのですが、2号機だと写真が映えますね!
過去の文献を良く調べて動画制作されているのがよくわかり,敬服の限りです。いつも勉強させていただいております。ありがとうございます。
少し気になった点をコメントさせていただきます。
北海道のC62やD51の,「煙突とドームの間にある棒」は,「つらら落とし」ではなく,デッキステップの「手すり」です。機関車のまん前から見るとわかりますが,この手すりの部分でつららを落としたとしても,その後ろにはガラスなどはほとんどないし,そもそも,その手すりで落とせるつららがあれば,そのつららを落とす前に,つららで前照灯やシールドビームの副灯が割れてしまいます。
前照灯の前に前照灯専用のつらら落としがあるのは,留萌本線のD61などで,車両限界ラインでのつららを落とす目的のものは,宗谷本線のC55や,山陰線のC57(梅小路の5号の初期),信州のC56などです。つらら落としは,「トンネル等にできたつららでガラス(ヘッドライトや窓など)が割れるのを防ぐためのもの」です。北海道のC62やD51のボイラー上部ステップ(煙突とドームの間)の手すりは,冬場に捨てぷが氷るので,掴むためのものでしょう。
103wh さん、ご視聴頂きありがとうございます。初めてご挨拶させていただくと思います。
そうですよね、昔からしっかり注目していませんでした。当時からみんなとつらら落としと言っていましたし、形もC62は地味なので認識を訂正することもしていませんでした。D61の前照灯の前のステイを前照灯取り外し用のステイだと思い込んでもいましたし。(なんで取り外す必要がある!)
ご指摘ありがとうございます。
急に何もかも懐かしくなって泣けてきます。
HMS HOODさん、ご視聴頂きありがとうございます。C62重連の存在は人知を超えていますよね。C62が好きとか嫌いとかを超越した存在で、わずか50年前にこんなものがあったなんてと今更ながら思う次第です。
中学生の自分には北海道は遠すぎましたが、、、絶対に見ておくべきだったと後悔すごくしたんです。
1995/11/2 C623ニセコは少しだけ雪の降る中を走りました。
takada9600 さん、ご視聴頂きありがとうございます。
そのお気持ちわかります。C62重連急行はこの世のものとは思えない物体と言ったら大げさでしょうか。単にC62が2輌連結されているのではないのですよ。
母親の実家が南小樽、父親の実家が小樽で小樽築港は蒸機が見られる大好きな駅でした。
私が中学生の時には地上にあった札幌駅でも2号機が見られました。
山線の雪の写真はモノクロが良いですね。 山線、小樽~長万部が廃止になってしまいますね・・・。
Kei Itoさん、いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。雪の写真はモノクロームが良いですね。今回AI着色してみたのですが、結局白黒なんですよね。
いつも素晴らしい写真、ありがとうございます。雪のこやみになった間の2号機と15号機の重連、涙が出て止まりません。素晴らしい写真をありがとうございました。
幸いなことに、最優先で増備した結果、模型でこの編成とていねの編成は再現出来る様になりました。牽引機も2、3号機、そして転属し北海道装備となった15号機も在籍し、レンタルレイアウトでフル編成でたのしんでいます。いつでも目の前を走らせられることが嬉しいです。
でも梅小路の2号機がもう少し距離を走ってくれたらなあ…3号機が小樽と与市の間でいいから定期運転があったらなぁ…と思ってしまいます。
832BUUCHANさん、ご視聴頂きありがとうございます。過分なご評価ありがとうございます。モチベーション上がります。小沢~倶知安のニセコ1号はデジタル修正を長いことやっていて、最近満足な形に仕上げました。ネガがかなり行っちゃっているんですよね。道床の雪が解けているのはしらけちゃうのですが、この場面は確かに最高でした。
良ければこの写真だけでもツイッターに上げて頂くと、いつでも自分の写真ライブラリで見られますから…
と言おうと思ったらもう上がってました。魔理沙と霊夢もちゃんと白黒になっていてあんまり被写体を邪魔しない様になってますね。iCloudに永久保存しました。
Flickr Commonsにオリジナルサイズをアップしてますので、原寸大ですのでどうぞダウンロードください。flic.kr/p/2nNnPEn
色々苦労しましたが、何とか保存できました!フォローしましたので他の公開済み写真はダウンロードさせて頂きます。ありがとうございます!
Flickrフォローありがとうございます。そちらの写真類のご利用についてはガイドラインに沿っていただければご自由にお使いください。
高校時代にTVで見た雪の行路を思い出しました。降雪の山線 C62重連 前補機がスワローエンゼル 今にもドラフト音が聞こえてきそうなアングルなど素晴らしい写真です。ありがとうございます。
シロくんさん、いつもご支援いただきありがとうございます。
次回以降夏のをやってみます。
C62重連のニセコを見て鉄道好きになりました。
お祖父さんが、SLの写真を撮っていましたので、当時…小学生低学年の僕も同行した訳です。
今でも…覚えているのが、いつも2号機が前補機に連結するのに、撮影の日は15号機が連結した事です。後ろの機関車は、16号機でした。
お祖父さんは、相当…がっかりしていました。
僕は、15号機でも?初めて見るC62は、感動しました。
本当に格好良かったです。
今、東京駅にC62ー15号機の動輪が展示していますけど、この動輪を見ると当時の事がよみがえり…「あの時は、ありがとう!」と、声を掛けています。
C62ニセコを取り上げて頂き
ありがとうございました。
河野さん、ご視聴頂きありがとうございます。
このサムネの吹雪の時は親類と一緒に行きました。一人では到底自信が無かったです。
私は、C62重連であれば、前補機が2号機でもなんでも全然気にしていません。
15号は別動画でも呉線で出てきますが、まさか北海道に行くとは思いませんでした。
言うまでも無い事ですが、あの急行ニセコと言うのいう列車は日本の蒸気の歴史で最高の役者でした。
ニセコが無くなり、その後は惰性で写真撮っていたような気がします。
冬のC62かっこいいですね!
さすが陸の王者
asechanさん、ご視聴頂きありがとうございます。本当に超越していますよね。
C62の額の補助灯はシールドビームの副灯が付いた後も付けて3つ目になったりしていましたね。
額の補助灯が独特の雰囲気で、見るのが好きでした。
小樽築港区での最好調機は32号機だったようで、私は出会ったことは無かったですが、検査周期の関係で早期廃車になると決まった時は職員の間で「ナンバー付け替えたい」という話まで出ていたというのをどこかで読みました。
くたきちさん、初めまして。ご視聴頂きありがとうございます。3つ目ありましたね。32号機のそのお話は私も聞いたことがあります。2号機は昭和45年の全検後はとても調子よくなり函館行きの本務機にもなることが多くなったとも聞きました。
ありましたね。結局32号機のテンダーは16号機にそのまま移設、と言う事で落ち着いたようです。
C62の回転式火粉止は、ドラフトの勢いの凄さで外れる(吹っ飛ぶ)ことが多かったらしいですね。
回転ブレードも、シンダの影響であっという間に消耗したとか。
「火の粉止めが外れちゃいましたけど、どうします?」
「そんなもん、ほっとけ!前方信号確認、良し!」
「信号、進行良し!」
倶知安駅での、給水、石炭かき寄せ、車輪周り点検、火床整理のは、
本当に訓練された乗務員&係員たちだからできる短時間作業だったとも。
乗務員の手記で、そんなのを読んだことがあります。
それに加えて
「自動給炭機は便利だが、故障に備えて「C62を手焚き出来る」乗務員が揃えられた」
「重連の補機がD51になる時もあったが、空転はしづらいが速度が出ないから違う苦労がある」
なんて聞くと、まさに函館本線山線の苦労と伝説が偲ばれます。
ご視聴頂きありがとうございます。C62ニセコの噴き上げる煙から落ちてくるシンダのひどさは身に染みています。火の粉止めへのインパクトも凄いものでしょう。
C62重連ではD51が前補機だったらどうしよう、どうしようといつも悩まされます。幸運なことに一度もそれはなかったのですが、そういう不幸に見舞われた人を知っています。
素晴らしい写真です。これだけ素晴らしい写真はなかなか見ることができません。持っている人は持っているのですね。
北海道は最後の頃までSLが残った地域でした。本州で使ったSLは苗穂工場で改造されたりして北海道で用いられました。C62 3は一時復活しましたが、費用がかさみ過ぎて結局続けることができなかったようです。やはり保存運転は小型機かタンク機も方が都合がいいようです。しかしこれではあまり迫力がありません。そういう点でこの動画に掲載された写真は貴重なものです。冬の函館本線、山線の急行「ニセコ」は特に貴重です。
ところで私は、「凸型のDD51」牽引になってから山線の急行「ニセコ」に初めて乗りましたああああああッ!!!
権三郎平衛さん、ご視聴頂きありがとうございます。お褒め頂きありがとうございます。視聴者様に見て頂けるようにいかようにでも加工・修正ができるのもデジタル修正技術のおかげです。仕上げるのに凄い時間がかかりますが、ネガ原版そのままではお見せできるものではないです。。C62は好きな機関車なので、このチャンネルでも最初からしばしば登場させています。私はDD51牽引になってからニセコには全く興味を失いました。
@@Yukkuri-Labさん
たぶん時間がかかっているのだろうな~なんて思っていました。So great!!!
C62に限らずですが、蒸気機関車は雪景色の白黒写真がほんとにイイ。あと個人的には斜め後ろからのアングル(夜の倶知安発車でよく見る)が好きです。
エバーグリンさん、ご視聴頂きありがとうございました。
私も9割がた写真は白黒で当然なのですが、そのまま動画にすると、とても合わないんですよね。情報量が少ないので、訴求力がカラーと全然違います。ですからAIカラー化しているのですが、仕上げるのに大変な時間がかかる様になってしまいました。
現役時代のC62は急行ニセコに限らず白黒写真を見るだけの年代でしたが、効率化安全対策が行き届いた今日からすると、50年前に本当にあったことが信じられないような、何か超常現象ではないかという気すらしてきます。先週中にC62 32号機を見たいと申し上げましたが、まさかの?ナメクジも見られてありがたいです。
東海道・山陽本線時代に「つばめ」「はと」「かもめ」さらにはブルトレ牽引と栄光に包まれていた15、16号機が最後の一年足らずのために渡道した、という経歴は最近知ったばかりですが、1,2,3号機とはまた違うストーリーの動画をいつか製作していただきたいです。
成田さん、いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。別の方にもリプしたのですが、好きな機関車はC59、C62も同じぐらい好きですが、重連C62はそれらを超越した存在なんです。急行ニセコが無くなり(最後の三重連は如何なものかと否定的でしたが)その後の蒸気撮影は消化試合みたいで気が抜けちゃいました。
呉線の15,16が築港に行ったことを題材にフィクションに仕上げた動画はありますが、あまり人気なかったですね。
私の知人に、丸瀬布いこいの森で雨宮21号の機関士をしていた人が居るのですが、その人の話によれば、C62 3号機は何故動態復帰できないのか、ちゃんとした理由があるらしいのですが、これはJR北海道と北海道の動態保存蒸気機関車に携わっている人達だけの秘密と言われて私には教えてくれませんでした。
なんでも、北海道の動態保存蒸気機関車は同じところが担当していて3号機の復活にも携わっていたらしいく、苗穂の復元で北海道中からSLの部品をかき集めたら9600の煙突が出てきたという話もあるとか。
まあ、3号機には北海道なりの事情があるみたいで、私はあまり深追いはしないことにしました。
しかしやはり、ニセコを高速で引っ張るC62を見てみたいですね.......。
幽釜 🦋🌈さん、ご支援ご視聴頂きありがとうございました。そうなんですよ。なにか深追いしてはいけない特殊事情があるみたいで、私もあきらめています。
0:33築港機関区の「緑十字と安全第一」
5:05「舟見橋」からの撮影、懐かしい小樽の風景、ありがとうございます。
小樽築港機関区さん、いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。扇形庫はもっと時間をかけて色付けしなければならないのですが、今回時間切れで手抜きしています。あの辺り舟見橋というのですね。
函館本線山線区間のC62重連は最早伝説と言っても過言ではありませんね。聞けばある年の冬には沿線のスキー場に訪れたスキー客より、C62重連見たさに訪れた[鉄]の方が多かったとか…まだまだ空路が高嶺の花、東北新幹線も未完成、[はつかり]や[ゆうづる]は高くプラチナチケット、ワイド周遊券なら普通急行自由席なら急行券不要ということで、[十和田]や[八甲田]や[津軽]などの自由席、それも近代化改造のスハ43辺りならまだしも、時には未更新のオハ35辺りに一晩揺られて渡道、撮影後その日の夜行で取って返し翌朝そのまま出社…当時の諸先輩方のバイタリティには敬服するしかありません。
築港最後の[4人衆]では2号機がスーパーヒーロー、二番手が3号機で15・16号機は蚊帳の外的存在でしたが、個人的には地元仕様のㇵの字エプロン埋め込みTailRightを残していた15号機に最も親近感を覚えます(^^);
[広域人事異動]かけて装備改造工事を行っても、全般検査する費用の1/8で済むとあっては44号機もはたまた絶好調で評判の良かった32号機も検査周期には勝てず車両基地の隅でバーナーに焼かれてしまいましたが、広島局仕様のC62が生き残ったことは嬉しいことでした。
後年北海道鉄道文化協議会(鉄文協)主催でC623&スハフ44×4+スハシ44の[C62ニセコ]が復活、その際小生も乏しい所得から無理して支援したのですが、バブル崩壊と協議会主催者のスキャンダルその他諸事情でとん挫してしまったのは返す返すも残念です。
SuperExpressJNRさん、いつもご視聴頂きありがとうございます。あれほどいたファンはいまどうしているのでしょうか?とてもおとなしいですね。
みなさん後期高齢者でニセコどころじゃなく考える余裕がないんでしょう。
是非こちらの動画で思い出していただき戻ってきて欲しいです。
函館本線山線の運転は急勾配と急カーブの連続で立ち往生のリスクも高かったからか?山線担当の乗務員は気性の荒い人が多かったみたいですね。
C62 3が小樽〜ニセコ間で運転されていた頃に山線に行かなかった事を未だに後悔しています。
動画配信ありがとうございます。
色々勉強させていただきました。
特急日本海さん、いつもご視聴頂きありがとうございます。
元々ニセコの仕業は小樽築港機関区だったのですが、44年頃に長万部機関区の受け持ちになったんですね。写真撮りに来ていた若い乗務員さんと話しましたが、乗るもんじゃないとこぼしていました。復活したC62ニセコが良く止まったりしたのは、やはり当時の機関士さんでも間が空くと山線の操縦は難しかったのか?と思っています。
雪の中爆走するSLは迫力があるよね〜、あと梅小路にいたナメクジがカッコ良かったよ
0721さん、ご視聴頂きありがとうございます。ナメクジは来週やろうかな?と思ってます。
おぉ〜!
なめくじだったら何号機が好きですか?
流山総合運動場に保存されてる14号機かなぁ〜、松戸に住んでた時によく見に行ったよ
🎶氷付いた線路は今日も~ 北へ向かって延びている~
「函館本線」のイメージがこの歌と、雪中の蒸気機関車になってしまいますね。
蒸気機関車は石炭ストーカーはもとより、コンプレッサー、発電機、給水ポンプ、インジェクタ、汽笛等蒸気が動力だから、山道の運転は相当苦労したと思います。
C62-3が夏場でもスノープラウを付けていたのは、カウキャッチャー(電車で言うとスカート)の役割をさせていたのではないですかね?
東日本、西日本に在籍しているカマはATS-Pを新規搭載したからカモフラージュとP車上子保護のために付けていますが、C62-3は国鉄末期に復活して、旧来のATS-Sで運転されていたから、テンダー台車間にある車上子で間に合ったはずです。
いあさん、ご視聴いただきありがとうございます。復活のC61やD51等はスノープローでATSの車上子を隠していることは視聴者様に教えていただきました。熊谷のC58は例外だそうです。
2番機はある意味で強運の持ち主だ。東海道本線の電化後も不調機故に渡道、山陽本線に行ってたら18番機同様にツバメマークは外されて昭和40〜42年に廃車になっていたと思う。昭和45年には残り4両のうち3両が検査切れとなったが一番早く期限を迎えた2番機は全般検査を受けて復活!この後期限を迎えた32.44は相次いで廃車にして呉線から来た。16.15と入れ替わった。呉線に最後まで残っていた好調機の23とイマイチだった37は同じく期限切れだったのか?もし渡道してたら「ゆうづる」「あき」「ニセコ」を牽く事になっていたのに
SKTさん、ご視聴頂きありがとうございます。そうなんですよね。私の動画ではよくそのストーリーを使います。
16.15号機は急行安芸の牽引をC59に譲ってやり、便宜を図ってやったことで北海道に行けたんです。
でも一年期限だよとは言われていなかったようですね。
16.15の渡道はまさに寝耳に水、呉線電化後に1両転属させて不調の2と入れ替えるのでは?という噂もあって動向が注目されたが2が全般検査を受けてから立ち消えになっていたのに。晩年には検査切れのカマは廃車にして他所から使えるのを持って来て入れ替えるというのはあちこちで行われていた。九州のC57が北海道に渡り、一冬だけ使われたりしていた。
SKTさん、そうですね、最後の9600が門デフつけていてガッカリしたことが最後を見届けなかった理由でした。
7:03勾配区間や遅延回復の時はストーカーを止めてシリンダーに送る蒸気を多くすることもあるようです。
ぜうす. さん、ご視聴頂きありがとうございました。
そうなんです。ストーカって蒸気圧で動かすので、かなり消費すると聞きました。
津軽ゥゥ海ッ峡~冬……ッ景色キキ〜〜
サブチャンネルで、津軽海峡冬景色を入れてショート動画つくったので、是非ご覧ください。th-cam.com/users/shortsHE4PcYiK0pY?feature=share
@@Yukkuri-Lab 北海道に住んでて、冬景色に釣られて書いただけです。
現役の蒸気機関車にギリ間に合った世代です。あと十年早く生まれていればなーとよく思います。
ぶん太郎さん、ご視聴頂きありがとうございます。蒸気全廃から50年。逆に50年前にそんな石器時代の乗り物があったなんて!と思える今日この頃です。デジタル技術の進化で当時のダメ写真も視聴者様に見て頂けるレベルに加工できるようになったのですが、あと数年すれば動画までAIで作ってくれるのではないかと思います。
C622,3の重連を山線でしてくれなんて贅沢言わないからC62を毎週末走らせてほしい。できれば雪の降るところで。
駿さん、いつもご視聴頂きありがとうございます。
C62ニセコの時は会員を集めて冬に走らせる企画が鉄文協であり、具体化したのですが、JR保線の強い反対があったそうです。
でも今でも物理的にはその2輌が現存して、動くのですから、小沢駅に並べるだけでお客さんがとんでもないくらいくるでしょうね。
@@Yukkuri-Lab 冬だと何がいけないんですかね?
撮り鉄もといクズ鉄どもが騒ぐんで無理そうですよね…。まともな人だっているのに。
C62ニセコは秋までの運用でしたが、空転そこらじゅうでしていました。それを冬に走らせると大混乱するし、冬の保線の工数も馬鹿にならないという事だったと記憶してます。
あの時代だったら大沼辺りであれば、冬走らせることはできたでしょうね。
雪だって、ベタ雪(重い雪)は大変だぞッ!!
@@Yukkuri-Lab たった5両でも単機だとしんどかったんでしょうね。大沼もまた走らせて欲しいですね。
個人的にも、C62は、好き!
古谷佳代子さん、初めまして。ご視聴頂きありがとうございます。わたしはC59が一番なのですが、C62も同じぐらい好きです。特に常磐線のが良いですね。函館本線のはこれは存在が超越しています。
@@Yukkuri-Lab いやはや、ちょと一周回ってまた見始めました。
ありがとうございます。とても嬉しいです。
@@Yukkuri-Lab こちらこそ、です。
こんにちは。D51 70号機!
私の地元、さくら交通公園で保存されています。ナメクジ型と北海道特有の切り詰めデフが好きで何度も拝見しに行ってます。現在も運転台に入れることができ、加減弁ハンドルを動かすことができます!また汽笛のペダルもしっかり動作します!時間があれば拝見しに行ってはどうでしょうか?屋根下に保存されており、整備は結構行き届いていますよ!
fishing_kou さん、初めまして。ご視聴頂きありがとうございます。70号機はつくば市なんですね。ぜひ真岡に行った後で見学したいです。とても状態よさそうですね。
冬用の重装備を纏ったC62重連はやはり力強く迫力がカッコいい
この力強い走りは二度見れないと思うと寂しいですね😢
塚越さん、いつもご視聴頂きありがとうございます。
私は楽観しています。もうしばらくすれば、数枚の写真からAIが勝手に動画にしてくれると思います。現在でさえ、ダメ写真ネガをデジタル加工し視聴者様に見て頂ける内容まで仕上げられるのですから。その時が今から楽しみです。
苗穂工場で見学できる日に久しぶりに見てみたらC62 3が居なかったのは、がっかりでした。(´・ω・`)
どうしたんでしょうね?
復活蒸気の場合は保安装置をつけないといけないため、フロント側のATS車上子のプロテクターとして、夏場でもスノープラウが装着されています
個人的には雪原のSLはモノカラーの方が濃淡がはっきり出ていいと思います
また、冬場の北海道で遭難の危険と隣り合わせで列車を待つ姿には心より敬服します
電光刑事さん、いつもご視聴頂きありがとうございます。
あっ、ATSの車上子の関係だったんですか。知りませんでした。だから秩父や真岡の蒸気はスノープロー付けていないんですね。
ATSの車上子が車両前方にあるのは関東地区のテンダー式蒸気機関車に共通ですが、
秩父鉄道のC58 363だけは剥き出しですね。
デキに取り付けるスノープラウはありますが、SLにも取り付けられるのかな?
ちなみに、タンク機関車には炭庫の下にATSの車上子があります。
C62形の牽引不足を補う為に、糸崎機関区から山陽本線呉線運用を終えたC6215号機とC6216号機が小樽築港機関区に転籍して、さよならC622号機急行ニセコ三重連運行まで運用された。
大坂さん、C62が糸崎から北海道まで回送するとき、ガセネタつかまされて中央線で半日待ったことがありました。
@@Yukkuri-Lab 様、中央線経由で青森操車場までの移送⁉️😱🚃
長野工場で軽軸重改造されたとか。
軸重軽減したのは苗穂のはずですね。結局東海道を素直に通っていったはずです。
@@Yukkuri-Lab 様、やはり苗穂工場。
冬の写真は迫力がより凄いですね。かんじきを掃いて撮影地に向かったのでしょうか。以前コメントしましたが北海道は遠すぎて行けませんでした。糸崎で見た15/16の北海道仕様の姿を見たかったです。
Kwさん、こんなところは一人ではいけません。信頼できる同行者と出かけているのですが、魔理沙は年齢不詳なので詳しくはコメントできません。冬は倶知安峠のほうが上目名より楽だというのが当時の感想です。そのうち夏の重連もやりますね。
SL写真集ってなんでモノクロばかりなんだと思った事がありますが、SL晩期の雪の北海道ってモノクロの方が映える場面が多いんですよね。銀塩粒子の荒さがむしろ迫力になっていたり。当時は高感度のカラーフィルムが無かった事もあるでしょうけど…。
abbtk14さん、ご視聴頂きありがとうございます。
私は、Trix-Xを自家現像していたのですが、現像の度に出来栄えが変わるんですよね。今はデジタルスキャンしているので、どのようにでも調整できるので、お見せできる写真に仕上げられます。でも冬でもカラーで撮っておきたかったです。ハイスピードエクタクロームがASA160でこれは使えたのですが、高かったです。
何度見てもC62重連は迫力があります。15、16号機にはもう少し長く活躍して欲しかったですね😃でも置き換えられた格下のDD 51重連の方が函館早着だったというのは皮肉です。給水ロスがないのは大きなアドバンテージですね。
Pro Poさん、ご視聴頂きありがとうございます。15,16号は砂配管が3本外出しなので、今見ると違和感ありますね。
嫌いなDD51の急行ニセコのことは全然関心なく、14系で存続していたことも先日知りました。
6:20
主様は郵便・荷物車は お嫌いでしたか…
郵便・荷物車こそが牽引機のDL化、客車の14系化を経て国鉄末期まで「ニセコ」が客車で残った理由なんです…
というのは、ニセコに連結されていた荷物車の1両は前日に上野を出た「八甲田」から青函連絡船を介して航送され苗穂を目指す車両でした…
小早川美幸 さん、ご視聴頂きありがとうございます。ニセコが残った理由がそこにあるのは存じています。また郵便・荷物車が嫌いと言うのは無くて、スハがテンダーに直接ついている方が格好いいという単純な理由です。郵便・荷物車が2輌もあるとなんか貧乏くさく思えて。
C62形が重連で雪の山線と格闘してきた函館本線山線小樽ー長万部間は、2030年の北海道新幹線札幌開業で、全線廃止バス転換が決まってしまった。
小樽ーニセコ間でも観光鉄道として、残して欲しかった。😭⤵️🚃🚉
大坂さん、ご視聴頂きありがとうございます。
バスに転換してもバスに乗る人いるのかな?と思います。
観光鉄道でC62や線路のこと考えれば大沼辺りをちょろちょろ走らせるので十分でしょう。
@@Yukkuri-Lab 様、ニセコのスキーリゾートまでなら需要はありますが、住民の足となると不便の極。
また、温泉旅行客の需要があるかどうかが不透明。
バブルの頃のスキーブームは凄かったですねぇ。
@@Yukkuri-Lab 様、私の高校時代の修学旅行先が北海道のニセコ町だった。財政再建団体の夕張市も候補に挙がったが、スキーリゾートホテルとニセコ温泉があったニセコ町になったとのことでした。
意外なところが修学旅行先なのですね。
先日死去した松本零士さん原作の銀河鉄道999のモデルのC62形。最終号機は、C6249号機だが、松本零士さんはC6248号機のナンバープレートを所有していた。
そこで架空の最終号機C6250号機が製造された。
そういえばナンバープレートって昔は本物でもそれほど高くなかったのですが、最近見て価格にびっくりしました。
@@Yukkuri-Lab 様、もし、最終号機C6250号機が落成したら、昭和25年で、新製配置は尾久機関区だったのでは?
数まわりから言ったら、常磐線だったでしょう。
@@Yukkuri-Lab様、最後は、函館本線に持って行って、急行ニセコ牽引して、さいたま大宮鉄道博物館入りかな❔
魔理沙さん、霊夢さんこんにちは!急行ニセコが14系座席車になったのは、昭和56年2月頃だと思います。その前年の10月ダイヤ改正で急行雲仙や西海、阿蘇や、くにさき等関西と九州方面の急行が廃止されてそれに使われていた14系座席車を、北海道仕様に改造されて当時の函館運転所へたしか30両配置されたと思います。当時話題になったのは、ほぼ同時間帯の特急北斗がキハ82系で座席は薄っぺらい回転クロスシートで、時間はかかるけど簡易リクライニングシートの14系座席車の急行だっので周遊券には、人気があり、当時まだ車内販売もありました。なにしろ特急北斗は満席でも急行ニセコはすいていて4席を独り占めなんてこともありました。かくいう私もニセコの14系座席車には何度が乗りましたが、概ね空いていました。特急北斗もその後183系気動車に置き換えられました。ただしその影では食堂車が廃止されています。
もりわききくお さん、ご視聴頂きありがとうございました。
DL化されて10年近くスハフ44だったんですね。全く興味失せていたので、全然知りませんでした。冬の湿原号にスハシが1輌連結されていますが、それだけでも価値あるなぁと思っちゃいますから、今の車輛には全然魅力感じなくなってしまいました。
秩父で高崎から旧客借りて走るようですので、ぜひ行きたいです。
C62 重連の急行ニセコは有名ですからね~
ただ乗務員は青函局長万部機関区で カマは札幌局小樽築港機関区と 管轄が違うから大変だったでしょう
しかし昭和46年9月15日の小樽~長万部間の C62さよなら3重連で運用離脱し その後15、16号機は11月に廃車
客車も昭和50年代中頃に本州用の14系を 北海道で改造し14系客車500番台として投入しました
最後は客車4両に上りが郵便車1両 下りが荷物車2両を連結して運用についておりました
しかし山線の廃止は致し方がないです 沿線自治体の人口が減少しているうえに 貨物列車も通らないし
廃止は妥当です
高橋さん、いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。乗務員が長万部になったのは昭和44年からのようですね。それまでは築港だった。理由は分かりません。
動画でも言ってますが、14系でニセコが存続していたとは先週知ったことです。
それだけ興味が無かったんですね。
C62が入る前はD51が牽いていて、山線区間の所要時間はほぼ同じ。
その時のジェットブラストはどんなだったか。
こちらもご視聴頂きありがとうございます。
D51でもC62でも山線ではスピード出ないんですね。またC62はスピード落とすと空転する厳しい運転操作だったことでしょう。
メカニカルストーカーですが、石炭が細かくなってしまって、燃えずにシンダとして外に排出されてしまったりであまり有能ではなかったりとか・・・
マルケンさん、ご視聴頂きありがとうございます。ストーカ確かにそうだったのかもしれませんねぇ。
C62 の 44 号機、いちばん前を走っていましたね、証拠写真があります (笑)
?一番前とはどういうことですか?
@@Yukkuri-Lab 様
前補が44号機と言う事でしょう?
15号機、16号機が転属したので、
32号機と44号機が廃車になりました。
今の装備で昭和40年代に行きたい。
ドラえも~~~~~~~~~~~~~~~~~ん。
ご視聴頂きありがとうございます。
スマホ一つで同じ以上の動画撮れちゃいますものね。
今のカメラでニセコ号は撮ってみたい
本当ですよね。iphoneでもこれ以上のものが撮れるでしょうね。
雪かきは、障害物の対策で設置していたらしい‼️🚂ニセコの駅員が話してたよ‼️🚂
後藤さん、ご視聴頂きありがとうございます。雪かきですが、現在の高崎の蒸気はATSの車上子を隠すために装着しているそうです。
蒸気現役の時はラッセル車代わりに使っていたんですね。
魔理沙さん霊夢さんこんばんは!梅小路のC62型2号機を網干総合車両所のイベントで網干駅からの観客輸送用などに使えないんだろうか?確かD51型200号機が福知山運転所でのイベントで走行しています。まだ全検前だと思います。そこで様子を見て全検を受けるのもありかな!って思っています。JR西日本が無理ならクラウドファンディングをすればかなり費用は集まりそうに思いますが、いかがなもんでしょう?
もりわききくおさん、いつもご視聴頂きありがとうございます。
京阪神に蒸機を走らせると大変なことになるでしょうが、近年は線路内に入ることがほぼできないので、そろそろ解禁してもらっても良いですよね。関東だとハドソン+旧客がかなりの頻度で走るので嬉しいのですが、本気で走っていないのが残念です。
JR東がもし梅小路の26号機を復活させ高崎で走らせたら楽しいのですが。
高崎~熊谷でも良いですね。秩父の転車台はデカくしないとダメですけど。
スピードと効率はもういらない、昭和40年代の鉄道網がいい ただし煙害は勘弁
まこリゲさん、初めまして。ご視聴頂きありがとうございます。北海道行くとあ~、鉄道は頼りにされていないんだなぁとつくづく感じます。北海道のニセコはストーカー使っていて、空中からバラバラシンダーが降り注ぎます。驚くぐらいです。あれは夏には乗客はたまったものじゃないですね。
トイレも垂れ流しは嫌だなぁ
あっ、それは勘弁してほしいですね。高崎のスハフ32も様式水洗になりました。