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ご視聴ありがとうございます!残念ながら制作中は目立たなかったのですが動画に落とすとBGMがかなり大きすぎたようです。次回作からは気をつけますので宜しくお願いします。。
寧ろ試作機関車が定期運用や20年も使われたことは驚くべきだと思う
日本の電気式内燃機関車はDF90、DF50、DF200と進化して来た。この試作車はよくやった。
日本では電気式は無理だと言われていたけど無駄じゃなかった。マツダが今でもロータリーエンジンの研究を続けているのと同じだ。無駄な事なんかないんだ。
当時の電気式ディーゼル機関車は直流電気機関車+発電機+燃料となるので重くて出力が足らず使えないという結論でした。液体変速機を使った方式が主流になったのも主な使用線区が非電化亜幹線で重い機関車が使えないという理由があります。既に主要幹線は電化済み。DF50はDF90の結果をベースにしていますが使いやすいように軽く作った分パワー不足でした。最近になって電気式が増えたのは構造の簡単な誘導電動機と高効率(=軽量)のインバーター制御回路を使う方式が確立されたからです。EF200よありがとう。
忘れちゃならねぇ90番代の試作車群…未知の技術を開拓した意志は、見た目を超える…。
こいつがいなければDF50はなかったはずだと思うけどね。
いゃ〜🎉こうゆうマニアックな車両大好きです❤ チラッと出ていたDD50 がDL機の中でも一番好きな機なので興奮しました😂 ありがとうございました🙌
ご視聴ありがとうございます!そう言ってもらえるのが大変嬉しいです、、今後ともよろしくお願いします!!
DF90は一両だけでしたが、その後類似の電気式ディーゼル機関車、DF50やDD50が作られましたDF90にはその礎になったのだと思います
個人的には魑魅魍魎の試作機関車の中でDF41(DF92)が好きですね
かっこええやないですか!EF58にも似てる!
ご視聴ありがとうございます!おしゃれですね、、1機で終わってしまったのは残念です、、
「客車の暖房が、蒸気暖房だった事」をつい忘れてしまう…動力の電化やディーゼル化だけでは済まされない時代だったね…占領軍は「何がなんでも日本の重化学工業絶滅」を目論んでいた事も忘れてはならない
ご視聴ありがとうございます!GHQも完全に日本の解体を目論んでいたんでしょうかね、、
@@watagasi583 様、連合軍は日本とドイツに対して「工業を潰して、農業国に落としてしまう事」を目論んでいましたが…スターリン及びクレムリンの浸透工作及び朝鮮戦争で、ようやっと気づいて撤回させたと思います。
@@watagasi583 様、そうですよ。ドイツに対してもその腹積りだったそうですが…
そもそも鉄道自体が有事には軍事利用可で、鉄道技術≒軍事技術ですからね
@@harukasama76 様、確かにWWⅡの時の例を挙げればドイツのヘンシェルに(今ならクラウス・マッファイ)、ソ連邦ロシアなら「ハルキウ機関車工場製」と、機関車製造会社が戦車や装甲車も製造してましたね
調べてみたけど最初の色よりもぶどう色の方が個人的には好みですね。
音楽大き過ぎ、しかし内容は素晴らしい。貴重な写真をまめに拾って掲載しているところは好感。
水戸に配属は、やはりH社のお膝元だったからでしょうか?鉄道車両は山口の方で作っていますけどね。
ご視聴ありがとうございます!その可能性は高いですね、、
ED781が保存されているんでしたっけ?
本筋と関係なくて恐縮ですが、DD51 1はライトが丸目だったんですね5:17。初めて知りました。
ご視聴ありがとうございます!そうです!ほとんどタイプが違かったのです!この1号機ですが今でも碓氷峠鉄道文化むらで実物を見ることができます!
DF90走る姿を見てみたかった😅重たくて使い勝手がよくないのはわかりますが愛嬌ある車体が魅力的ですね😅
何だか、懐かしい機関車だな
BGMの音量が大きすぎるような
ご視聴ありがとうございます!すみませんまだ環境に慣れておらず次回からはもう少し調整いたします、、
DF90は軸配置がCCで軌道破壊があるので、性能的には問題は無かったものの、BBBのDF50になったと言う話だぞ。
欧米の機関車でなら、軸配置CーC(ホワイト式表記で6ー6:車輪数)は当たり前にあるものですが脆弱で急曲線も多い日本の線路には向かない、とされてしまったのでしょう。
このいかにも試作車ってカラーリング好きだなぁ。湘南型の前面もいい。
僕は好きだな ✨.
ご視聴ありがとうございます!かっこいい機関車だと思います!
試作機は敢えて限界まで振り切った仕様で作られる(故に試作品)だけに得てして実用には向かなかったりするものだけど、DF90はその中で実用に耐えた稀有な例の一つだね。構造そのものはともかく、あのエクステリアデザインは個人的には[推し]。あのスタイルを踏襲した量産機(当然SG搭載…と行きたいところだけど、如何にDLとはいえ電気式ということは車内は電機に準ずる面も多々あるからそこに[重電]機器には不倶戴天の敵も同然の水と油を積むのは果たして…?)が登場していたら?とつい夢想してしまう。尤も…電気式DLという点ではDF50が一応は量産機の扱いになるのだろうね。蒸機を置き換えるにはやや力不足だったDF50だけど、まだ冷房の普及していなかった当時、急行旅客列車だけでも無煙化したいという要求に応えてくれた点は大いに評価できよう(^^)/
リトアニア国鉄のソ連時代製造ディーゼル機関車「2M62型」が、これにそっくりな顔つきでいるよ!
知ってました。たしか1968年頃の小学館発行「交通の図鑑」に載っていたはず。当時は小学1年生だったので、神戸電鉄のデ300と同じものだと勝手に思っていた・・・・。
この機関車は 超ヘビー級な重量はともかく 総出力ではDF50の5割増以上と結構ハイパワーだったんですよね。致し方ない事情ゆえに『液体式』に舵を取らざるを得なかったものの『電気式』も諦めなければ ディーゼル機関車も もっと発展していたかもしれません。
常磐線時代に「はつかり」を牽引したことはあるかな(「北斗」「北上」の牽引は有ったので)?で、秋田じゃなくてまだ電化途中の山陽線と呉線用に広島か糸崎に転属させれば良かったかと。
当時の山陽線といえばC59やC62、貨物列車にはD52が健在でしたから。まだまだディーゼル機関車を受け入れる体制ではなかったでしょうね。
欧州デザインのほうが格好良いし好き
めちゃくちゃ名釜
お目目パッチリみたいな尾灯が怖い💦
なんか外国製機関車らしくてカッコいい。
運輸省管轄になった時期でしたっけ?。
保管してほしかった。
DF91のストーリーはも面白い
時代の流れと技術の進歩は、大馬力低公害ディーゼル機関と、高効率交流発電機と半導体制御の交流電動機を開発して、液体式よりも軽量なハイブリッドDLを誕生させた。
EF81「車重100t」EF510「車重108t」
保管して、ほしかった。
この機関車を壊した奴は価値のわからない奴だったんだな。
それはない。今だからこそそんな議論も出るだろうが当時の流れであれば、電気式ディーゼル自体が結局のところ失敗の烙印を押されてしまったということ。重量もあり非電化のローカル線では使えないという本末転倒ぶり。物の価値というのは、時代がどう求めているかによって決まる。電気式ディーゼルは結局当時の価値観に合わなかった、ということ。60年も後の価値観なんて、その時の人は誰も知らないでしょ。当たり前だけど。
@@tomj2711 返信ありがとうございます。違う考えも必要ですね。残念だったのは暖房装置がなくて機関車の後ろに暖房車を付けなければならなかった事でしょうか?
@@user-ff1dg1nf7q 現代人の価値観を60年以上前の人に押し付けるのはナンセンス。蒸気機関車時代なら、客室の暖房といえば機関車から提供される蒸気を用いた蒸気暖房しかなくて、ディーゼル機関車に変わった途端にじゃあ暖房をどうするかという問題が発生したわけで。そこもやはり時代の求める価値観ですよ。「客室で使う暖房ならやはりSLだよね」となるわけです。今でこそDF200が活躍できる時代になり、DF50に繋げたことで、ある意味再評価されている試作型電気式ディーゼルですがSL全盛期にはゲテモノ扱いされていたのも、時代がまだ追い付いていなかったからでしょう。
ご視聴ありがとうございます!残念ながら制作中は目立たなかったのですが動画に落とすとBGMがかなり大きすぎたようです。次回作からは気をつけますので宜しくお願いします。。
寧ろ試作機関車が定期運用や20年も使われたことは驚くべきだと思う
日本の電気式内燃機関車はDF90、DF50、DF200と進化して来た。この試作車はよくやった。
日本では電気式は無理だと言われていたけど無駄じゃなかった。マツダが今でもロータリーエンジンの研究を続けているのと同じだ。無駄な事なんかないんだ。
当時の電気式ディーゼル機関車は直流電気機関車+発電機+燃料となるので重くて出力が足らず使えないという結論でした。液体変速機を使った方式が主流になったのも主な使用線区が非電化亜幹線で重い機関車が使えないという理由があります。既に主要幹線は電化済み。
DF50はDF90の結果をベースにしていますが使いやすいように軽く作った分パワー不足でした。
最近になって電気式が増えたのは構造の簡単な誘導電動機と高効率(=軽量)のインバーター制御回路を使う方式が確立されたからです。EF200よありがとう。
忘れちゃならねぇ90番代の試作車群…未知の技術を開拓した意志は、見た目を超える…。
こいつがいなければDF50はなかったはずだと思うけどね。
いゃ〜🎉こうゆうマニアックな車両大好きです❤ チラッと出ていたDD50 がDL機の中でも一番好きな機なので興奮しました😂 ありがとうございました🙌
ご視聴ありがとうございます!そう言ってもらえるのが大変嬉しいです、、今後ともよろしくお願いします!!
DF90は一両だけでしたが、その後類似の電気式ディーゼル機関車、DF50やDD50が作られましたDF90にはその礎になったのだと思います
個人的には魑魅魍魎の試作機関車の中でDF41(DF92)が好きですね
かっこええやないですか!EF58にも似てる!
ご視聴ありがとうございます!おしゃれですね、、1機で終わってしまったのは残念です、、
「客車の暖房が、蒸気暖房だった事」をつい忘れてしまう…動力の電化やディーゼル化だけでは済まされない時代だったね…占領軍は「何がなんでも日本の重化学工業絶滅」を目論んでいた事も忘れてはならない
ご視聴ありがとうございます!GHQも完全に日本の解体を目論んでいたんでしょうかね、、
@@watagasi583 様、連合軍は日本とドイツに対して「工業を潰して、農業国に落としてしまう事」を目論んでいましたが…スターリン及びクレムリンの浸透工作及び朝鮮戦争で、ようやっと気づいて撤回させたと思います。
@@watagasi583 様、そうですよ。ドイツに対してもその腹積りだったそうですが…
そもそも鉄道自体が有事には軍事利用可で、鉄道技術≒軍事技術ですからね
@@harukasama76 様、確かにWWⅡの時の例を挙げればドイツのヘンシェルに(今ならクラウス・マッファイ)、ソ連邦ロシアなら「ハルキウ機関車工場製」と、機関車製造会社が戦車や装甲車も製造してましたね
調べてみたけど最初の色よりもぶどう色の方が個人的には好みですね。
音楽大き過ぎ、しかし内容は素晴らしい。貴重な写真をまめに拾って掲載しているところは好感。
水戸に配属は、やはりH社のお膝元だったからでしょうか?鉄道車両は山口の方で作っていますけどね。
ご視聴ありがとうございます!その可能性は高いですね、、
ED781が保存されているんでしたっけ?
本筋と関係なくて恐縮ですが、DD51 1はライトが丸目だったんですね5:17。初めて知りました。
ご視聴ありがとうございます!そうです!ほとんどタイプが違かったのです!この1号機ですが今でも碓氷峠鉄道文化むらで実物を見ることができます!
DF90走る姿を見てみたかった😅重たくて使い勝手がよくないのはわかりますが愛嬌ある車体が魅力的ですね😅
何だか、懐かしい機関車だな
BGMの音量が大きすぎるような
ご視聴ありがとうございます!すみませんまだ環境に慣れておらず次回からはもう少し調整いたします、、
DF90は軸配置がCCで軌道破壊があるので、性能的には問題は無かったものの、BBBのDF50になったと言う話だぞ。
欧米の機関車でなら、軸配置CーC(ホワイト式表記で6ー6:車輪数)は当たり前にあるものですが
脆弱で急曲線も多い日本の線路には向かない、とされてしまったのでしょう。
このいかにも試作車ってカラーリング好きだなぁ。
湘南型の前面もいい。
僕は好きだな ✨.
ご視聴ありがとうございます!かっこいい機関車だと思います!
試作機は敢えて限界まで振り切った仕様で作られる(故に試作品)だけに得てして実用には向かなかったりするものだけど、DF90はその中で実用に耐えた稀有な例の一つだね。構造そのものはともかく、あのエクステリアデザインは個人的には[推し]。あのスタイルを踏襲した量産機(当然SG搭載…と行きたいところだけど、如何にDLとはいえ電気式ということは車内は電機に準ずる面も多々あるからそこに[重電]機器には不倶戴天の敵も同然の水と油を積むのは果たして…?)が登場していたら?とつい夢想してしまう。尤も…電気式DLという点ではDF50が一応は量産機の扱いになるのだろうね。蒸機を置き換えるにはやや力不足だったDF50だけど、まだ冷房の普及していなかった当時、急行旅客列車だけでも無煙化したいという要求に応えてくれた点は大いに評価できよう(^^)/
リトアニア国鉄のソ連時代製造ディーゼル機関車「2M62型」が、これにそっくりな顔つきでいるよ!
知ってました。たしか1968年頃の小学館発行「交通の図鑑」に載っていたはず。
当時は小学1年生だったので、神戸電鉄のデ300と同じものだと勝手に思っていた・・・・。
この機関車は 超ヘビー級な重量はともかく 総出力ではDF50の5割増以上と結構ハイパワーだったんですよね。
致し方ない事情ゆえに『液体式』に舵を取らざるを得なかったものの『電気式』も諦めなければ ディーゼル機関車も もっと発展していたかもしれません。
常磐線時代に「はつかり」を牽引したことはあるかな(「北斗」「北上」の牽引は有ったので)?で、秋田じゃなくてまだ電化途中の山陽線と呉線用に広島か糸崎に転属させれば良かったかと。
当時の山陽線といえば
C59やC62、貨物列車にはD52が健在でしたから。
まだまだディーゼル機関車を受け入れる体制ではなかったでしょうね。
欧州デザインのほうが格好良いし好き
めちゃくちゃ名釜
お目目パッチリみたいな尾灯が怖い💦
なんか外国製機関車らしくてカッコいい。
運輸省管轄になった時期でしたっけ?。
保管してほしかった。
DF91のストーリーはも面白い
時代の流れと技術の進歩は、大馬力低公害ディーゼル機関と、高効率交流発電機と半導体制御の交流電動機を開発して、液体式よりも軽量なハイブリッドDLを誕生させた。
EF81「車重100t」
EF510「車重108t」
保管して、ほしかった。
この機関車を壊した奴は価値のわからない奴だったんだな。
それはない。
今だからこそそんな議論も出るだろうが
当時の流れであれば、電気式ディーゼル自体が結局のところ失敗の烙印を押されてしまったということ。重量もあり非電化のローカル線では使えないという本末転倒ぶり。
物の価値というのは、時代がどう求めているかによって決まる。
電気式ディーゼルは結局当時の価値観に合わなかった、ということ。
60年も後の価値観なんて、その時の人は誰も知らないでしょ。当たり前だけど。
@@tomj2711 返信ありがとうございます。違う考えも必要ですね。残念だったのは暖房装置がなくて機関車の後ろに暖房車を付けなければならなかった事でしょうか?
@@user-ff1dg1nf7q
現代人の価値観を60年以上前の人に押し付けるのはナンセンス。
蒸気機関車時代なら、客室の暖房といえば機関車から提供される蒸気を用いた蒸気暖房しかなくて、ディーゼル機関車に変わった途端にじゃあ暖房をどうするかという問題が発生したわけで。
そこもやはり時代の求める価値観ですよ。
「客室で使う暖房ならやはりSLだよね」
となるわけです。
今でこそDF200が活躍できる時代になり、DF50に繋げたことで、ある意味再評価されている試作型電気式ディーゼルですが
SL全盛期にはゲテモノ扱いされていたのも、時代がまだ追い付いていなかったからでしょう。