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信長包囲網が本当に危機的な状況である事は非常に解りやすく説明していました。武田の動向が中心でしたが、本願寺勢の攻勢も激しく、織田家は徳川家に増援を送っていますが、現在では可能な限り最大規模の増援と言われています。滝川一益を送っているので、織田勢も必死な状況が読み取れます。この当時それ程大規模な勢力ではなかった木下藤吉郎が何度も浅井勢の攻撃を跳ね返し更に攻勢にも出たり、浅井勢の切り崩しを行ったりと活躍が目立ちます。
非常に分かりやすいですねボイスも良きかと!チャンネル登録させて頂きました!
歴史系チャンネルで一番やないかな?ってぐらい気に入ってます♡
嬉しいお言葉ありがとうございます!!
テンポが良く内容が濃い。口調が歴史物に合っています。
もし浅井長政が裏切りがなかったら織田一門として天下人の右腕になってただろう。
金ヶ崎から一乗谷、小谷城まで25分でまとめられてるの凄い
浅井家と松平家の運命の違いは方向転換できたかどうかの違いであると思う。松平家は今川家の重要な先手であり、家康も夫人を迎えるなど待遇も悪くなかった。駿府の人質時代が苦難であったとするのは後世の虚構であり、家康が少年時代を懐かしんで駿府を隠居所にしたことでも明らかである。元康は今川義元の戦死直後の今川家の混乱ぶりと覇気のなさ(織田家への報復戦を試みなかったなど)をみて信長と同盟した。そして戦略方向を東へ転換し、尾張を東から守る盾になり、信長の行動に常に協力し、旧主家の今川を滅ぼした。そのため信長からの覚えも悪くなく(特段良かったわけでもないが)、それなりに尊重されていた。逆に浅井家は信長と同盟後に戦略を反転させることができず、朝倉との関係を留保してしまう。上洛した織田家と朝倉家の関係斡旋もせず、「織田家の北陸への盾」ではなく逆に「朝倉家の南への盾」になってしまった。信長は元康と長政を見比べて、長政の方を買っていたと思われる。娘を相手の息子(松平信康)に嫁がせたのと、妹(市)を相手本人に嫁がせた違いがそこに現れている。信長にしてみれば「そこまで見込んだ男なのに、なぜ裏切った」という思いがあったのだろう。もし浅井家が戦略方向を北に反転させていれば、織田家の北陸方面司令官は柴田勝家ではなく長政になっていただろう。勝家は石山本願寺への抑えか、中国攻めをしていたかもしれない。浅井攻めが行われないので秀吉が台頭しない歴史も面白いかもしれない。
古くからつきあいがある朝倉家を、浅井家に無断で攻撃しないようにという約束を信長公が守らなかったことと、浅井久政(長政のお父さん)たちの意見に押しきられ、信長と戦わざるをえなかった……本意ではなかった可能性も…
ずっと信忠で気になるw
とてもいいチャンネルだと思います。先日高速道路から小谷城のあるあたりを見て、いろんな想像をしました。今度は直に城跡あたりに行って、いろんな想像をしてみたいと感じました。
信長(信忠)
漫画センゴクで描かれた攻城戦の迫力が凄かった小谷城戦ですね
浅井長政の肖像画って多分別人のだよね。秀吉が一目見て側室にしようと思うくらい三人の娘たち(父親に似る)は美人だったらしいし
制作は大変でしょうが、続けて行けば登録10万は確実だと感じる。
コメントありがとうございます!そういっていただけて、とてもやり甲斐を感じます!
面白い動画でした。自分も浅井長政は好きですがなぜ裏切ったのか?がどうにも腑に落ちないのですが、最後の信長に対する嫉妬心から、と言うのはどうだろうか?お市の方を心底愛していたと言うし、同盟を破棄して不意打ちしてまで殺しに行くとかあるのだろうか・・親父に逆らえなかった、と言う方がなんとなく納得がいくのですが。
長年のつきあいの朝倉にこだわり、先読みできない父久政がすべての原因ではないでしょうか😢
久政はすでに隠居しており、しかも暗愚との評価もある。久政の言い分を聞く必要はない。また、義景がたいしたことが無い武将だと言うことは長政も知っていたはず。理性的に考えれば信長になびいた方が有利と分かったはず。ただ、信長は家臣のみならず織田一門からも数多く裏切られており、裏切りにあいやすい人物であったと考えられる。「なんとなく信長気に入らないから裏切ってやれ」という気持が強かったような・・・光秀が本能寺の変を起こしたときも同じかもしれない。すなわち、感情的な理由で計画的に裏切ったのではないか。
後に関ケ原の時、岐阜城の陥落に際して、城主の織田秀信(織田信長の孫)が本丸に踏み留まった家臣に感状を付与して、東軍に降った。落城間際の感状付与は、城将に武道武門の心得がある無しの評価とされます。
福井に行く途中で、ここを通りがかりました。もちろん、一乗谷に行くためです。
信長上洛→姉川の戦いで途中とばしてるのは冒頭で一度紹介してるから?
最後通告の通り大和一国で降伏したらどうなったんだろう?
秀吉めっちゃ働いてる…
10:45 8月12日、信長が1,000の兵を率いて砦を奇襲し、陥落。12:22 13日、信長が朝倉軍を追撃し、ほぼ壊滅させる。13:50 17日、信長が越前に攻め入り、同日、朝倉氏の居城の一乗谷城を陥落。14:05 20日、逃亡していた朝倉義景が自刃、朝倉氏が滅亡。14:21 26日、信長が越前から帰還。同日、浅井氏の小谷城攻めを命じる。20:02 9月1日、小谷城陥落。浅井氏滅亡。早っ
信長の絵が信忠なんだけど。
こんにちは😊
めちゃくちゃいい動画だけど信忠が気になる笑
先読み出来ない久政が滅亡の原因😢
信長を金ヶ崎の戦い~信長包囲網~小谷城の戦いまで敵対した浅井長政に対して朝倉氏とは違い降伏勧告したのは、裏切りの原因を作ったのは父・浅井久政or信長が約定を違えたから、妹の為、義弟、有能なんで器量を惜しんで助命するつもりだったのか、名誉ある切腹の為なのか、被害が少ないようにだまし討ちで捕らえる為なのか基本的に裏切りや殺そうとしたら徹底的に容赦しない信長は浅井長政を助命するつもりだったのか殺すつもりだったのかどっちだろうか
出戻りした妹の手前、浅井長政へ降伏勧告をするのは義理にしても建前にしても重要だったのかと。若い頃は勇猛と言われた浅井長政の器量は直接対峙した姉川(野村)での合戦で既に底が知れていると思うし、秀吉の小勢で守る虎御前山砦すら落とせない体たらくでは松永久秀と筒井順慶が争っている大和一国の切り取りを任せられるような大将であるとは言えないでしょう。
後の歴史を知っている我々は何とでも言えるが為政者として、武将としてとしての力量は圧倒的に義景より信長なんだけどな…長政を一門衆筆頭として畿内の守備にあたっていたら本能寺も起こらなかったのではないかと思ってしまう
信長の絵じゃないよね?
義弟になったのに、父祖以来の繋がりを重視したか😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😅😮
浅井が信長を裏切りさえしなければこんな悲しい歴史はありませんでした。お市様も子どもたちも幸せに暮らせました😢日本も素晴らしい日本になっていったことでしょう。😊
浅井との約束を破り裏切ったのは織田信長
@@越前奉行 約束を破ったのと裏切ったのとは違うだろ。信長は約束を破ったとの説もあるが、裏切ったのは明らかに長政。
流石嫡男よく父上に似ておられる
見事に茶々は、「豊臣滅亡」母と父の敵を息子にうたせた?と私は思っていますよ。なぜかこういう見方をする人は少ないようですね。姉は見事に天下を乗っ取った。女は強い、Hしていい気になってる男の負けでござるよ。
兄弟の万福丸が助からなかったのはショックだったと思う。
仕方ないというか、当時の状況下では何でもありに近い?感はあります。何をするにも賭け?であり生き伸びるため常に逃げる、戦うを意識せざるを得なかったようです。 えぐい時代ですな。
解説など最高です!が...地図が見づらくてね....
浅井長政氏が好条件で降伏しなかった理由が百姓には理解できない😅
なんで信長に信忠の肖像画を使っているんだ?
したり顔でわかったようなこと言ってるわりに、肖像画が誰のものなのかもまともに理解できてないって何なのかね。
時代の趨勢を見渡す能力に欠けた浅井は自滅したとも言える。無意味な裏切り。
信長包囲網が本当に危機的な状況である事は非常に解りやすく説明していました。武田の動向が中心でしたが、本願寺勢の攻勢も激しく、織田家は徳川家に増援を送っていますが、現在では可能な限り最大規模の増援と言われています。滝川一益を送っているので、織田勢も必死な状況が読み取れます。
この当時それ程大規模な勢力ではなかった木下藤吉郎が何度も浅井勢の攻撃を跳ね返し更に攻勢にも出たり、浅井勢の切り崩しを行ったりと活躍が目立ちます。
非常に分かりやすいですね
ボイスも良きかと!
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嬉しいお言葉ありがとうございます!!
テンポが良く内容が濃い。口調が歴史物に合っています。
もし浅井長政が裏切りがなかったら織田一門として天下人の右腕になってただろう。
金ヶ崎から一乗谷、小谷城まで25分でまとめられてるの凄い
浅井家と松平家の運命の違いは方向転換できたかどうかの違いであると思う。
松平家は今川家の重要な先手であり、家康も夫人を迎えるなど待遇も悪くなかった。駿府の人質時代が苦難であったとするのは後世の虚構であり、家康が少年時代を懐かしんで駿府を隠居所にしたことでも明らかである。元康は今川義元の戦死直後の今川家の混乱ぶりと覇気のなさ(織田家への報復戦を試みなかったなど)をみて信長と同盟した。そして戦略方向を東へ転換し、尾張を東から守る盾になり、信長の行動に常に協力し、旧主家の今川を滅ぼした。そのため信長からの覚えも悪くなく(特段良かったわけでもないが)、それなりに尊重されていた。
逆に浅井家は信長と同盟後に戦略を反転させることができず、朝倉との関係を留保してしまう。上洛した織田家と朝倉家の関係斡旋もせず、「織田家の北陸への盾」ではなく逆に「朝倉家の南への盾」になってしまった。
信長は元康と長政を見比べて、長政の方を買っていたと思われる。娘を相手の息子(松平信康)に嫁がせたのと、妹(市)を相手本人に嫁がせた違いがそこに現れている。
信長にしてみれば「そこまで見込んだ男なのに、なぜ裏切った」という思いがあったのだろう。
もし浅井家が戦略方向を北に反転させていれば、織田家の北陸方面司令官は柴田勝家ではなく長政になっていただろう。勝家は石山本願寺への抑えか、中国攻めをしていたかもしれない。浅井攻めが行われないので秀吉が台頭しない歴史も面白いかもしれない。
古くからつきあいがある朝倉家を、浅井家に無断で攻撃しないようにという約束を信長公が守らなかったことと、浅井久政(長政のお父さん)たちの意見に押しきられ、信長と戦わざるをえなかった……本意ではなかった可能性も…
ずっと信忠で気になるw
とてもいいチャンネルだと思います。先日高速道路から小谷城のあるあたりを見て、いろんな想像をしました。今度は直に城跡あたりに行って、いろんな想像をしてみたいと感じました。
信長(信忠)
漫画センゴクで描かれた攻城戦の迫力が凄かった小谷城戦ですね
浅井長政の肖像画って多分別人のだよね。
秀吉が一目見て側室にしようと思うくらい三人の娘たち(父親に似る)は美人だったらしいし
制作は大変でしょうが、続けて行けば登録10万は確実だと感じる。
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久政はすでに隠居しており、しかも暗愚との評価もある。久政の言い分を聞く必要はない。また、義景がたいしたことが無い武将だと言うことは長政も知っていたはず。理性的に考えれば信長になびいた方が有利と分かったはず。ただ、信長は家臣のみならず織田一門からも数多く裏切られており、裏切りにあいやすい人物であったと考えられる。「なんとなく信長気に入らないから裏切ってやれ」という気持が強かったような・・・光秀が本能寺の変を起こしたときも同じかもしれない。すなわち、感情的な理由で計画的に裏切ったのではないか。
後に関ケ原の時、岐阜城の陥落に際して、城主の織田秀信(織田信長の孫)が本丸に踏み留まった家臣に感状を付与して、東軍に降った。
落城間際の感状付与は、城将に武道武門の心得がある無しの評価とされます。
福井に行く途中で、ここを通りがかりました。
もちろん、一乗谷に行くためです。
信長上洛→姉川の戦いで途中とばしてるのは冒頭で一度紹介してるから?
最後通告の通り大和一国で降伏したらどうなったんだろう?
秀吉めっちゃ働いてる…
10:45 8月12日、信長が1,000の兵を率いて砦を奇襲し、陥落。
12:22 13日、信長が朝倉軍を追撃し、ほぼ壊滅させる。
13:50 17日、信長が越前に攻め入り、同日、朝倉氏の居城の一乗谷城を陥落。
14:05 20日、逃亡していた朝倉義景が自刃、朝倉氏が滅亡。
14:21 26日、信長が越前から帰還。同日、浅井氏の小谷城攻めを命じる。
20:02 9月1日、小谷城陥落。浅井氏滅亡。
早っ
信長の絵が信忠なんだけど。
こんにちは😊
めちゃくちゃいい動画だけど信忠が気になる笑
先読み出来ない久政が滅亡の原因😢
信長を金ヶ崎の戦い~信長包囲網~小谷城の戦いまで敵対した浅井長政に対して朝倉氏とは違い降伏勧告したのは、裏切りの原因を作ったのは父・浅井久政or信長が約定を違えたから、妹の為、義弟、有能なんで器量を惜しんで助命するつもりだったのか、名誉ある切腹の為なのか、被害が少ないようにだまし討ちで捕らえる為なのか
基本的に裏切りや殺そうとしたら徹底的に容赦しない信長は浅井長政を助命するつもりだったのか殺すつもりだったのかどっちだろうか
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後の歴史を知っている我々は何とでも言えるが為政者として、武将としてとしての力量は圧倒的に義景より信長なんだけどな…
長政を一門衆筆頭として畿内の守備にあたっていたら本能寺も起こらなかったのではないかと思ってしまう
信長の絵じゃないよね?
義弟になったのに、父祖以来の繋がりを重視したか😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😅😮
浅井が信長を裏切りさえしなければこんな悲しい歴史はありませんでした。お市様も子どもたちも幸せに暮らせました😢日本も素晴らしい日本になっていったことでしょう。😊
浅井との約束を破り裏切ったのは織田信長
@@越前奉行 約束を破ったのと裏切ったのとは違うだろ。信長は約束を破ったとの説もあるが、裏切ったのは明らかに長政。
流石嫡男よく父上に似ておられる
見事に茶々は、「豊臣滅亡」母と父の敵を息子にうたせた?と私は思っていますよ。なぜかこういう見方をする人は少ないようですね。姉は見事に天下を乗っ取った。女は強い、Hしていい気になってる男の負けでござるよ。
兄弟の万福丸が助からなかったのはショックだったと思う。
仕方ないというか、当時の状況下では何でもありに近い?感はあります。何をするにも賭け?であり生き伸びるため常に逃げる、戦うを意識せざるを得なかったようです。 えぐい時代ですな。
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浅井長政氏が好条件で降伏しなかった理由が百姓には理解できない😅
なんで信長に信忠の肖像画を使っているんだ?
したり顔でわかったようなこと言ってるわりに、肖像画が誰のものなのかもまともに理解できてないって何なのかね。
時代の趨勢を見渡す能力に欠けた浅井は自滅したとも言える。無意味な裏切り。