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評価が180度変わる武将が多い中、通説通りの「出来るけど嫌な奴」だったのがおもろかった。
三成のことを正しく評価していたのは以外にも徳川の方で、家康は三成のことを「今の豊臣家で三成ほどの忠臣はいない!」と断言していますし、三成が三条河原で堂々と処刑されときも、「さすが10万の大軍を率いただけはある。」と感想を述べたらしいです。また、家康の孫である徳川光圀も三成のことを「三成こそ武士の鏡。」と絶賛しています。反対に豊臣家の方は、東軍側として従軍していた大野治長の母親が息子治長に宛てた手紙で三成のことを「逆賊」とはっきり書いてあるそうです!
豊臣ってやっぱ滅ぶべくして滅びたんだなあ
何をもってして忠臣か、と考えると大野治長の方の考え方もわからなくはないかもだね。目指す場所は豊臣のためと同じだとしても、徳川との関係性をどうしたいかでかなり考えも変わってくるので。
@@conspiracy_shine 秀次一族を残酷に処刑した時点でなあ
三成は淀殿と近くて北政所とは疎遠だったって印象になりがちだけど、実際は淀殿というより秀頼様至上主義だし、北政所は三成の娘を養女にするくらいで関係は決して悪くなかったという...
為政者としては野心のある奴より忠誠心の塊みたいな奴の方が都合がいいからね。後、徳川の天下にした立役者は三成、関ヶ原が無いと大坂の陣にも持っていきにくかったろうし、家康も秀頼の爺役で死期を迎えたろうな。
同格の相手に「おい、お前はこうしろ!」だもんなぁ。「伝え方」を工夫しないから「誰からも嫌われた」ワケで。同僚が全員敵に回ったって、相当だぞ?たとえ、戦争に勝っていても、天下を治められなかっただろうね (´・ω・`)
大谷や増田のように同格でもちゃんと三成方に付いた人はいる。東軍に回った武将は政権中枢から外された人間が多いので、やっぱり出世争いで負けた恨みが三成に集中した感じでは?
三成に天下を取る気はないと思う。秀吉の遺言通り他の大名と秀頼を盛り立てるつもりだったのだろう。他の大部分の大名は自分の家のことを第一に考える中では変わり者。関ヶ原後も金はほとんど残ってなかったらしい。
三成が江戸幕府によって貶めるまでもなく、人格的になんかいけ好かない嫌われる人間ってのは通説通りなのがおもろい。三成再評価なんてのも進んでるけど、性格的にはまあまあそうよってところに落ち着く。
なんか冷酷な逸話が多いが人たらしな秀吉とは逆ともいえる性質なのも面白い
一方、立花宗茂さんは細川忠興さんからお金借りた事あるけど、その理由が茶器の購入で、どんな茶器買ったんだろうと興味を持たせる人たらしっぷりだった。
関ヶ原で改易されたのに大名として復帰できた人は流石だな
三成関ケ原のときの書状でも「豊臣が正しいから大名はこうあるべき」とか「豊臣が正しいから協力して」などに対し、家は「協力してくれたら領土保証するよ」ていっているからそこでも差が生まれたのかなと思う。
葵徳川3代の江守徹が演じる三成見るとよく解る。彼はまあ、正論正義マンやし、親友の大谷吉継に「キミ、豊臣諸将から嫌われとるよ」言われとるんやでしゃーねえわ。
そんなのほんとか?実はそんなのほぼ作り話だろ。
っていうか戦国武将の間でも秀頼が秀吉の子どもじゃないっていうのが公然の秘密だったと思うんよ。父親が大野かあるいは違う男かわからないけど、東軍についた福島正則、加藤清正らや北政所にしてみたら「豊臣家は残したいけど、秀頼はアカン」っていうのが本音かも。
それでも戦力だけならそれなりに揃ってたのでは
@@cvitamin4511関ヶ原前に両陣営が諸大名に送った書状は、現代でも数多く現存しております。家康公の書状は岐阜の関ヶ原記念館で展示されてますので、気になるのならご覧になってみてはいかがでしょうか
明治の江藤新平がこんな感じでやっぱ嫌われてたよ
恨まれていたからあんな写真を残されたんですかね?
@@syosyo474 斬○後の晒台にのせられてるやつですか?
@@87ヒロタケ そうです。はじめて見たときからトラウマになってます。
面白いのは家康は三成を評価してた事。三成から見ても家康が「豊臣政権を」支えてくれたら最高だったんだろうな。
前田との諍いの時は、5奉行が全部前田に行ったわけ(細川加藤も…7将の半分三成と同じ陣営)でつまるところ豊臣政権の家康の立場ってのがわかる。浅野は前田と近いし、増田長束前田玄以はそれぞれ中央の専任なんで家康の立場近いのは三成になる。。
@@SaSa798-g7fそして大谷は家康陣営だったと言う細川加藤と大谷が入れ替わるんだから三成の好き嫌いが分かれてて面白い
6:05 七将は近年の研究によると三成のところには襲撃もしておらず 三成も家康の屋敷には逃げ込んでもいなかったそうな。双方で訴え出てた程度。
三成さんはクソが付くほどの愚直かつ真面目な人だったらしいからな
普通にアスペだったんだろうな
でもこういう嫌われることを厭わず厳しいこと言って組織を締めてくれる副官は親分からしたらありがたいと思う
オーベルシュタイン
割れ鍋に綴じ蓋ってね
秀次か秀長が生きていて秀吉の後継者となっていれば、よき補佐役として天寿を全う出来たんだろうなと思う。
『正論うぜぇー』って人が多いから、それを正す為にも誰かが言わないといけませんからね( ̄▽ ̄;)
正論屋とか、まじめ過ぎって言われがちだけど、三成って最初から秀吉の部下だったから、他の大名の感覚ってわかりにくかったんじゃないだろうか?秀吉の配下とはいえ元はそれぞれの地方治めてた大名なわけで、当然豊臣が崩れた後のことも考えて動いてるから忠義100%ってわけじゃない。でも三成自身は秀吉への忠義だけで生きてきた人だから、そこが分かんない。半面徳川は味方になってくれたみんなの利益(領土)を約束するって言って仲間増やして、完全に1強になってから国替えや税、参勤交代なんかで力を削いだ。天下統一、天下泰平って正論通すにもやり方とタイミングだよな。
家康に至っては信長と対等同盟で秀吉の事は下っ端の頃から知ってるんで秀吉の子飼いの家臣や子供や孫と意見が合うわけ無いわな
現代人でもよくあるが、自分が死んだあとのことをまったく考えていなかったのが豊臣秀吉。跡継ぎが必要というのはあったが、自分が死んだあとに想定通りに機能するかどうかを考えた形跡がない。
考えていなかったのではなく、考え方が間違っていた、と言うのが正解と思う。今の北朝鮮は「身内をあまりにも処分しすぎて、今や後継者は娘だけ」という世界になってるがあれと同じ。なので、徳川は御三家と言う”形”で残しておいたから、15代続く事となった。初代から明確な設置目的が示されているから、後継者と言うだけだと簡単に廃嫡可能だが、家として形にした分、初代の意向もあり簡単に潰せない。
年取って考えられなくなってたんだろうね年取るとバカになる
自分が織田の子孫たちにした行いを考えたら豊臣がどうなるか想像ついたろうに秀吉の機転もそこがつきましたね
それは無理だろう。織田家の小者からのし上がり、子供が無く重臣になってからは信長の息子を養子に迎え織田の天下では一門衆になるであろう予定の男が良い年になってから天下人になった。家康みたいに大名家出身でも利家みたいに国人領主出身でもないんだから。
頼朝も自分の弟の範頼と義経を粛清し直系だけを残そうとしたが外戚の北条を止める親族がおらず源氏は3代で途絶えることになった
葵徳川の三成のイメージそのまんまな書状なのほんと草
面白いねえ、、本当の姿が垣間見れる書状が残っているんだね。。今もどこかにひっそりと発見を待っている書状があるんだろうね。
正論なら言っていいとか現代でも勘違いしてる奴いるからな
人間には感情があるから、理性を優先しすぎて感情面を疎かにすると本当に人間関係壊れるからな。言い方キツい人の周りから人がさってくのもそれのせい。理性に基づいた理論が5割、感情への配慮5割ぐらいがちょうどいい。
こういったのをみてると、紙って当時貴重だったのかなあと考えちゃいますね。大名クラスでもこういった紙の裏まで使っているところをみると、手紙がもらえるっていう行為自体が一つのステータスになるのかな。だからこそ、感状以外にも〇〇から家臣にあてた手紙とかも大切に保管され現存しているのかなって。
もう少し時代が下って家光時代に江戸城に登城した大名が、弁当におにぎりを持って来て食べて、包み紙についた米粒を一つ一つ剥がして食べて、最後に包み紙で鼻をかんだなんて記録が残ってるぐらいだし、物が貴重だった時代なんだろうね。
清須会議の決め事ブッチしたり、元主君の親族○したりかなりダーティな事やってる秀吉に仕えていたら正論だけじゃ世の中回らん事も理解してそうなもんだが…どういう心情で仕えてたんだろう
日本の大企業でも15年くらい前までは、印刷物を再利用するいわゆる裏紙を使用していました。
うちの会社今でも普通に使って居るよ
漫画「風雲児たち」で大谷義継にハリセンで殴られまくる三成が好きだったw実際杓子定規で生真面目過ぎたんだから、人情の機微に聡いざっくばらんな腹心がいれば色々変わってたんでないかな
正論家は貴重だけど正論を話すにしてもタイミングが重要なんだよね。正論が通じないのは害虫でしかないけど、世の中には害虫・寄生虫の類が多いからな。
正論ってのはさ、むしろ武器、刃物に近いものなんじゃないかね。タイミングが重要ってことは、使い方を間違えれば人を傷つける危険極まりない代物ってこと。抜き身の刃ちらつかせて話するようなものでしょ。それが通用しない相手を害虫呼ばわりするのは間違いだと思うけどなぁ。
正論って基本的に近道を相手に誘導する事だけど相手が近道を望まない場合は余計なお世話なんだよね飛行機がいかに早くてもフェリーでゆっくり行きたい人にとってはそれを勧められても困るしそれを理解しないなら正論も単なる独りよがりになる
佐和山城がスッカラカンだったという話があるから「金を貯めないで使わないと駄目だよ」がより説得力が増すよなぁ。
細川忠興って、豊臣秀次からかなり金を借りていたはずだか、三成は知らなかったんだねぇ・・・。秀次がヤバくなった時に忠興は徳川家康に金を借りて(秀次からの)借金を全額返して事なきを得たとか。三成にバレなくてよかったね。(金のため込みだったら家康に言えば?伏見城の金倉、ため込んだ金の重みで床が抜けたってエピソードがあるぞ)
こんな三成公だからこそ、へうげもので“乙”な最後を描いてくれたのに感謝「笑うたら負けよ」
実際の関ケ原は「毛利の乱」というべきもので、その幹事役を頑張ってたら大将が怖気づいて首謀者として差し出された。
しかもその幹事役すら大谷らに祭り上げられて無理やりやらされてたらしいしね。
そういう可哀想イメージあります😢もっと石高が高い大名なら歴史は変わっていたのかも。
常に正論を言い続ける奴は現代でもやっぱ嫌われるよ正しいからこそそれをチクチク言われ続けると言い返す言葉が無くて沸々と怒りが溜まる時折柔和な態度を取ったりしていれば話は違ったかもだが、常に上から目線で正論振りかざしていたからそりゃ…嫌われますよねぇと人望の無さも仕方ない所はある
「ですよねぇ」と相手を立てる必要性もあるわな。ひろゆきじゃないんだからさ
三成...そりゃ嫁さんの件含め忠興に「三成コロス...三成コロス...」で関ヶ原でドえらい目にも遭うわ言ってる事は正しくても敵作ることやらかしてるし後三成善人みたいに言ってるが今で言ったら某モーターの様な感じで社長に恩があるからこっち(豊臣陣営)で戦えあっ恩賞...考えとくわ...みたいな事副社長が言ってる様なもんだしなあ
小さな領地しかもたない三成が何を言ったところで豊臣家以上の領地を持つ家康にかなうはずがない。これは性格の良しあしではなく、実力のある無しの問題である。
三成は鎌倉殿でいう梶原景時ポジション。権力基盤も主君からの信任で頼朝、秀吉の死後程なくして失脚している。三成や景時は物語でいう憎まれ役。
彼のように清貧な人間が上に立つと、独裁者になる高すぎる理想が、それと乖離した現実に牙を剥く幸か不幸か、彼は志半ばで斃れ、忠義者として名を残したとても好きな人物です
三成「我々は恵まれているんだから経団連の企業は内部留保じゃなくて賃上げや設備投資をしなさい。」経団連「三成うぜー」現代にいたら嫌われつつも庶民には慕われそう
検地=今まで税率各地域の自己申告制度(差出検地)で適当だったのがきっちり区分けされる=増税と似たようなものだから現代だと「ちっ増税〇〇が…」みたいな嫌われ方もしてそう 薩摩は石田の査定で滅茶苦茶な重税社会になった部分もあるし
@@フォード-i1w とはいえ中世的などんぶり勘定だった島津家に簿記システムを導入したのは三成な訳で
@@フォード-i1w 公平な税制を導入したんだから違うだろ。増税じゃなくて過少申告の是正なんだからさ。例えば青森県と東京都で消費税率違う方が怒るだろう?
どっちかと言うと三成は官僚だから皆が嫌いな財務省みたいにPB是正に拘り消費増税したりインボイス導入したりみたいな人ですよ
@@ddd8926 消費税が違うのが何十年も下手したら百年単位で違っていて、それが当然だったのにある日突然高い方にされたら既得権益を侵されたと誰でも怒るよ。
朝鮮の時に小西側だったのが大きい溝になったのでは
そんな貴重な紙に長々とA→B→C→Dと話をした上でまたAに戻ると言うロータリーギア状態の毛利元就氏の書状に対して戦国官僚石田三成は何を思うのかなと。それこそその頃に元就が生きていたら『資源は有限なのです。あなたのわけのわからない冗長な事をダラダラ書く為の物ではありません!。』と怒ってそうではありますよね。
石田三成みたいに正論を相手選ばずに確り言える人は貴重だし必要、正論が言えない世の中の方が悪党だらけになるし力あれば何でも好き放題出来てしまう。ただし正論は言い方が非常に大事だと思う、タイミングも。ペットを亡くして心的ダメージ受けてて連休を取る人に「公私混同するな、親族でもないのだからそんな理由で休むな働け」では鬼畜と思われるし正論だからこそ恨まれる、ペットを理由にしないでただ体調不良だと言えば良いよとアドバイスしたりしてやるべきで配慮的なモノが欠落していたのが致命的
言ってる事は信長と変わらん要は小身の身で責任のある立場に立った有能が仕事頑張るとどうなるかって見本や
賎民が上に立った結果やね秀吉は運が良かった
俺は三成好きよ。正論を語って自分は放漫なことやってれば別だけど、正論通りのお手本の様な領地経営してたのだから。本当に嫌な奴は、自分の至らない点を指摘されて逆恨みし、ダメな奴等で徒党を組んで陥れようとする奴等。正論が評価される世の中であって欲しい。
能力はともかくとして、三成みたいな人間が評価される世の中は嫌ですね
6:56 三成がため込んでたっつーか関ヶ原の直前にガラシャを人質に取ろうとしたら死なれたんでもう滅ぼすか滅ぼされるかしかない状態になったんだよね…
正論を並べ立てるだけででは人を動かせない。その典型例。石田三成自身は耳が痛くても正論ならばこそ、自分の感情や利益よりも正論を優先出来る分別が有ったのだろう。でもそういった人間とは俗に人格者だの賢者だのと言われる者なんだよ。そして大抵の人間は人格者とは程遠い。三成はそのことが分からなかったか、分かっていたからこそ自分が頑張らねばと思ってしまう人だったのかも。お節介な人とは良い方向に評価されれば面倒見の良い人物とも言える。秀吉もその妻寧々も面倒見の良い人物であった事、その手腕を見てきたからこその行動していたのかもしれないですが、三成にはそれが決定的に合っていなかった。
あれ?書物が裏紙だったことが判明!って話だったのに、いつの間にか三成ディス動画になっていた…
石田三成は本当に家康の敵だったのか?ほんとは五大老の争いに巻き込まれてスケープゴートとして責任取らされたんじゃね。子供達はちゃんと再就職したりいいとこにお嫁さんに行ったり。親がきちんと仕事してたから子孫もそれなりに処遇されたんだよな。見習いたいよ。
ԅ(¯﹃¯ԅ)最近でてきた新説だと、仕切ってたのは大谷で、三成ちんは大谷にそそのかされただけらしいっすよ張り切った大谷は真っ先に死んじゃったから、三成ちんが仕切ってたことになっちゃったんじゃないかなあ
家康の敵だったと言うより豊臣文治派と豊臣武断派のいざこざを家康に上手く付け込まれたイメージですね利家と家康が一悶着あった時、面子は概ね関ヶ原と同じでしたが西川陣営に加藤細川いて東側に大谷がいましたから
三成さんも古織さんも、驚くほどイメージ通りで笑っちゃうなぁw三成さんは舐められてたまるか、と肩肘はってたんですかね? 正論を聞いてくれる状況に持ってくのが下手だったんでしょうね。
上司や部下だとしらいいけど同僚としてはめんどくさい三成
実際、上司や部下や領民からはすごく評価されてるんですよねぇ
@@kazuoka1143英雄は多少(どころではない場合も)の悪行があったとしても後世から英雄扱いされるし、そんなことはたいした問題ではないということですね三成と同様の評価をされてる無名の名君はきっと古今東西大勢いることでしょう結局英雄とは程遠い、そのへんによくいる小物が歴史の表舞台に運悪く出てきてしまったばかりにこんな好き放題言われてしまっているのは同情しますが、たまたま名前が売れただけの有象無象みたいのが評価されていると馬鹿じゃねーのとは正直思いますね
「奉公人は主君から与えられたものを使い過ぎるのはよくない。とはいえ、残すのは盗人である。また、使い過ぎて借金をするのは愚人である」
パリピ民の群れに放流された学級委員長口五月蠅いウザいヤツだけど揉め事の裁定はちゃんとしてくれるからありがたいんだけどウザいんだよなぁ……みたいなイメージ
クソ不器用マジレスマン三成嫌われるタイプだとは思うけど、こういうタイプってなんかほっとけないから、ついついやりたいこと手伝っちゃう。
石田三成大吉ティーシャツもってる賤ヶ岳サービスエリアで購入 売り子のネーチャンに聞いたらやっぱ地元では敬愛されてるトカ?なんかホノボノした
上杉贔屓の三成が公正無私とは笑わせる。
力こそ正義の戦国時代において戦の実績も自前の軍事力も大したことない三成にでかい面されるのが我慢できない気持ち、なんとなく分かるわ~。これで家柄が良ければそれなりに一目置かれたんだろうけど、単なる成り上がり者だしね
「うるせぇな、こいつ…ムカつくし、いつか殺してやる」みたいに思われてたって事かなとにかく嫌な奴だったって感じかな
ケチのお陰で現代まで続く庭園というコンテンツを残した前田家を否定する三成
俺の先祖、石田三成の右筆としてウィキペディアに載っとるんだが、よく仕えられたなと思ったわ。
三成くん別に公正でもないから…(上杉エコ贔屓問題)
豊臣都合で転封してもらったんだからしゃーないやろ
@@engawanoneko2435 越後の堀家の訴え握りつぶしてるのはどうなんすかね?
@@matukawatositane普通に蒲生からの玉突きやから上杉を咎める訳にもいかん状況やよく言われる次の領主に年貢を残す慣習はこういった事例を元に江戸時代に生まれたものやしなそれに上杉の転封なんて政治的大事業に関して三成個人のエコ贔屓と考えるのも短絡的
@@engawanoneko2435 ほえー知らんかったコメ半分のこすやつ江戸時代からの風習やったんか
@@engawanoneko2435 短絡的も何も秀吉朱印状違反(家臣置き去り)を上杉がしてて堀家が何度も訴え起こしている状況を握り潰したのは三成だからという話 これは江戸時代がどうとか関係ないし、こういう態度を上杉がとったのも懇意の某奉行と結託していたからでしょう
そんな石田三成の子供を庇った津軽為信さんは聖人
犬猿の仲だった南部から南部の取次だった前田利家通して津軽へのネガキャンされる嫌がらせされてた中でそういう偏見なしで仕事してくれたのが石田さんなんで
秀吉を生涯祀ってた津軽為信さんからしたら、秀吉の遺志を徹頭徹尾守ってた三成さんは『信者』とか『同志』とかそういう風に見てたんじゃなかろうか
三成の孫はシャクシャインの戦いで松前藩の応援に行ったんだっけ
恩を感じてやったんだろう、武士として恩を返したのは立派だと思うが聖人て言うのとはちょっと違うな。聖人は戦国の世で大名としてやってけないよ。まして南部から見りゃ下剋上為した人なんだから、津軽為信は。
8:56 絶対的正義を貫こうとすることこそ、そうありたいという欲だったりするからなあ
織部に儀式用の銘刀を貸す・・? 「これはお救いせねば」の未来しか見えん(´・ω・`)
三成は目下の者からの人望は厚かっただろ。同ランク程度の人には疎まれることも多かったけど、家臣や領民には尊敬されてた。でないと関ヶ原の奮戦ぶりや、現代まで地元で供養され続けたことの説明がつかん。
空気の読めない正論ノンデリ官僚って感じ。
細川家の子孫である細川元首相がご先祖の細川藤孝(顔はまんま元首相(笑))の出ている漫画「へうけもの」作者の山田芳裕氏と対談されたときに、「へうけもの」主人公の古田織部が一時期細川家に臣従していたことが細川家の古文書に記してあったと対談で言われてました。大名家の子孫の方の秘蔵文書とかにはまだまだ日本史を書き直すレベルのものがあるかも知れませんね。
それでも三成は意外に人望はある。人付き合い的には好き嫌いがハッキリ別れるタイプ。だから仕事や外交で付き合いある人達からは評価されるけど、その裁断を受けた人達からは嫌われてる。特に好かれた側と言えば旧蒲生家家臣達や津軽家・佐竹家の動きとか見ると分かり易いか?組織からしたら有能な嫌われ役と言うのは下からの防波堤、上からは実行役として使えるから、かなり重宝する。三成の特徴としては生真面目さ故に一言余計な場面が多い気がする。ただでさえ軍監として恨み買ってるのに半島から帰還した連中へ「お茶でも出して持て成すよ」とか言えば、どうなるか位想像できるだろ。細川への柿の話を見ても、人の心へ寄り添うのが下手な気がする。そうじゃないだろ、違うだろって感じで。
多分、中国の三国志あたりに生きてたら死因は「憤死」だったろう。
古織すこ
石田がケチ 古田が散財困ったな 裏紙使って 晒すは細川
典型的な仕事が出来て上から好かれやすいけど嫌われるタイプだと思う。部下としては間違いなく優秀だけど、立場が同格の人とか下の人は嫌うだろうな。嫌われ役だけど、組織にいてくれたら助かるね
細川忠興は嫁さん大好き大名で有名だし(大好きどころか病んでるが)秀吉に嫁狙われるんだからその秀吉をヨイショしてる奴なんか嫌いになるに決まってるやんw織田さんに間取り持ってもらって結婚してるんだから逆に織田さん嫌いになる理由ないやろ
そうとう横柄だったんだよな同僚み〜んな敵になっちゃったもん
金を無駄に浪費してるんじゃなくて、溜め込んじゃってる事に注文つけてるのか。金は天下の回り物として経済発展のために使うべきって話なんだろうか、それとも予算や財務の観点から、陳情や事情から算出して用途がほぼ決まってるものとして配ってるのにすべきことをしてないってことなんだろうか。
立場が最近まで下で最近同格になったやつからわかってる正論言われたら現在でも嫌われる。
決して腐敗しない男マクシミリアン・ロベスピエール
自分だけが正義
一般的には短気とされる忠興が唐入りの何年も前から小言言われ続けてたとしたら、唐入りで実害被れば清正等に混じってブチ切れてもしゃーないのかな😅
半沢直樹「やられたらやり返す!倍返しだ!」石田三成「ギャァァァッ!!」石田三成がバンカーだったら半沢直樹に成敗されるだろうな。
三成は半沢側の人間だろう 半沢の脚本家がこの時代を描いたら家康も忠興も土下座させられてる逆に半沢がこの時代にタイムスリップして三成の立場になったら同じように滅んでる
大村益次郎の家の障子には大村益次郎の妻が大村益次郎が西郷隆盛や木戸孝允と交わした書状を障子紙として貼り付けて居た。
別チャンネルで中国史を、楚漢戦争のあれこれを観てるので.......三成に人望があったような人物が蕭何だったのかな?って思えて仕方ないです。秀吉も劉邦も卑賎から天下統一したのに、それだけで短命政権か長寿王朝の違いになったわけで。
蕭何は行政能力は勿論、処世術も謀略も長けてて石田なんかより一枚も二枚も上手何より他人に対して実の無い正論を振りかざして人望を失うなんて下手を打たない蕭何のような事が出来る石田なんてそれはもう石田ではない後、劉邦は蕭何が憎まれないよう他の臣下に蕭何の功績と重要性をしつこいぐらいに解説したけど耄碌した秀吉はそんな事しないから
@@丞相-p4g さん。そんな蕭何ですら劉邦は一度は投獄している
本多正信と石田三成って会話くらいはした事あるのかな?是非聞いてみたいわ
表を主語にしたら裏紙だけど、裏紙を主語にしたら紙背文書。
まさに官僚の鏡って感じの人だったんだろうな・・・
和紙と洋紙の区別がついていない日本人がいるようだなw
ԅ(¯﹃¯ԅ)三成ってなんか変な文書たくさん残ってるよな、、
これは面白い
そういう所だぞ三成
こんなん、ほぼ井伊直政やん😂こんな忠臣、どんな大名も欲しがっただろうな。全ては秀吉の種無しが引き起こした😢種さえ濃ければ...
どの時代に居ても嫌われるのが宿命何かね~
三成の金をケチらず周りに配れって、目下の人に言うならともかく、同格の同僚に言うのはダメでしょ😅
直江なんて狸を煽ってるからな
あの子みたいな性格の子は「正義マン」では無く「几帳面」っつーのよ。(笑)似たようなパツーンちゃんに「紋切り型ちゃん」っつーのもあるねぇ。どちらも「堅苦しいゆえに角ばっておるので周囲とは円やかなお付き合いをし難い」のよね☆
生まれる時代が違ったら「写像ってなんすか?」とか言いながらディベートしてヌクヌク大金稼いでたんかな
まあオーベルシュタインやマクベ的な人材ということで。有能だけど正論をはっきり言うやつは組織の中で生きていけない、有能な官僚なんてのはそれでいいのであってこいつが表舞台に立たざるを得ない状況を作ったのがいけない
>豊臣の兵站を一手に・・・加藤清正の方こそ、後方支援の人だったそうだけど?
正しいことをすれば嫌われる。これは世間を見れば良く分かること。
しかし正しい事が通じ無くなれば悪や騙しが蔓延する件。結局、悪い事を容認すれば本人に何らかの形で返ってくる。
その結果、今の日本の政財官は「自己利益以外に興味なし」と明確な発言をする連中しか残っていない。それも「表向きは、皆の利益の為です」と吹聴。
三成の正しいが当時の世間の正しいかと言うと疑問なんだよ。金をため込むのを悪とするなら朝鮮出兵の軍用金は豊臣家が用意すべきだし。天下は回り持ちと言うのも当時の大名たちの常識だしね。
5:49秀吉の陪臣じゃなくて信長の陪臣ね。
三成をウザイ、と評価するのはいいが、「それだと、今の日本の政治家は全員君たちの望む人物像」だから、政権批判はおかしい。という定義になると思うけど。
間違ってないけど正しくない、空気が読めないコビーみたいなもんかな?
石田三成と諸葛孔明は、性格にてるよね
諸葛亮は馬超が来た時、関羽へあてた手紙に「髭殿には及びませんよ」とか書いていたり、茶目っ気ありますよ。三成と違って物凄く人望は厚かったです。
@@バウファイターズ その話が事実かどうかは別として、その話しはNo,2でいないと気が済まない関羽の性格が厄介すぎたため、軍師の孔明さえ気を使っていたお話しかと。。。
増援の名の下に孔明や張飛や趙雲などがみんな関羽から離れて戻らず、さらに古参の糜芳や士仁まで寝返られてしまう関羽が、馬超相手に序列を気にしていた。。。その結果が無茶な北伐になります。。。荊州の関羽の元
@@user-fuji01つまり石田とは正反対の気遣いの人なんだよそして後の魏延やら楊儀といったミニ関羽みたいな連中の調整に腐心して命を削る結果になるというね
@@丞相-p4g ですから、関羽のキャラクターをしめす逸話であって、本当かどうかはわかりません孔明自身は後継者指名しないくらい、気遣いには疑問があります
7:05三成を若造って言ってるけど、細川忠興や福島正則たちよりも三成の方が年上なんだけどね。
2:20 >細川家って初代から貧乏ネタ細川家全盛期は明との勘合貿易の利権を握っていたから超リッチ。
社内留保を溜め込まずに社員の給料上げてやって経済回せや。って事だよな。
11:45豊臣秀次でしょ。
三成って孔明じゃん
細川家が送った手紙の裏に書いて送り返しているのだから、忠興ケチっていうのは間違いじゃないのって思う。細川家に残っているんだから、三成、織部がケチだったんだよ。(笑)
石田三成は、最高の偉人です。
孔明ですら内外の案件をほぼワンオペでこなしてたのにアホ二代目に振り回されて苦労してたしなあ。三成レベルの人望+オワコン豊臣ではそりゃあどうにもならんだろう。真のNo.2と言うならノッブ存命時のサルや五大老筆頭の頃の三河ダヌキの方が適役やろ?
評価が180度変わる武将が多い中、通説通りの「出来るけど嫌な奴」だったのがおもろかった。
三成のことを正しく評価していたのは以外にも徳川の方で、家康は三成のことを「今の豊臣家で三成ほどの忠臣はいない!」と断言していますし、三成が三条河原で堂々と処刑されときも、「さすが10万の大軍を率いただけはある。」と感想を述べたらしいです。
また、家康の孫である徳川光圀も三成のことを「三成こそ武士の鏡。」と絶賛しています。
反対に豊臣家の方は、東軍側として従軍していた大野治長の母親が息子治長に宛てた手紙で三成のことを「逆賊」とはっきり書いてあるそうです!
豊臣ってやっぱ滅ぶべくして滅びたんだなあ
何をもってして忠臣か、と考えると大野治長の方の考え方もわからなくはないかもだね。
目指す場所は豊臣のためと同じだとしても、徳川との関係性をどうしたいかでかなり考えも変わってくるので。
@@conspiracy_shine
秀次一族を残酷に処刑した時点でなあ
三成は淀殿と近くて北政所とは疎遠だったって印象になりがちだけど、実際は淀殿というより秀頼様至上主義だし、北政所は三成の娘を養女にするくらいで関係は決して悪くなかったという...
為政者としては野心のある奴より忠誠心の塊みたいな奴の方が都合がいいからね。
後、徳川の天下にした立役者は三成、関ヶ原が無いと大坂の陣にも持っていきにくかったろうし、家康も秀頼の爺役で死期を迎えたろうな。
同格の相手に「おい、お前はこうしろ!」だもんなぁ。
「伝え方」を工夫しないから「誰からも嫌われた」ワケで。
同僚が全員敵に回ったって、相当だぞ?
たとえ、戦争に勝っていても、天下を治められなかっただろうね (´・ω・`)
大谷や増田のように同格でもちゃんと三成方に付いた人はいる。
東軍に回った武将は政権中枢から外された人間が多いので、やっぱり出世争いで負けた恨みが三成に集中した感じでは?
三成に天下を取る気はないと思う。秀吉の遺言通り他の大名と秀頼を盛り立てるつもりだったのだろう。他の大部分の大名は自分の家のことを第一に考える中では変わり者。関ヶ原後も金はほとんど残ってなかったらしい。
三成が江戸幕府によって貶めるまでもなく、人格的になんかいけ好かない嫌われる人間ってのは通説通りなのがおもろい。三成再評価なんてのも進んでるけど、性格的にはまあまあそうよってところに落ち着く。
なんか冷酷な逸話が多いが人たらしな秀吉とは逆ともいえる性質なのも面白い
一方、立花宗茂さんは細川忠興さんからお金借りた事あるけど、その理由が茶器の購入で、どんな茶器買ったんだろうと興味を持たせる人たらしっぷりだった。
関ヶ原で改易されたのに大名として復帰できた人は流石だな
三成関ケ原のときの書状でも「豊臣が正しいから大名はこうあるべき」とか「豊臣が正しいから協力して」などに対し、家は「協力してくれたら領土保証するよ」ていっているからそこでも差が生まれたのかなと思う。
葵徳川3代の江守徹が演じる三成見るとよく解る。
彼はまあ、正論正義マンやし、親友の大谷吉継に「キミ、豊臣諸将から嫌われとるよ」言われとるんやで
しゃーねえわ。
そんなのほんとか?実はそんなのほぼ作り話だろ。
っていうか戦国武将の間でも秀頼が秀吉の子どもじゃないっていうのが公然の秘密だったと思うんよ。父親が大野かあるいは違う男かわからないけど、東軍についた福島正則、加藤清正らや北政所にしてみたら「豊臣家は残したいけど、秀頼はアカン」っていうのが本音かも。
それでも戦力だけならそれなりに揃ってたのでは
@@cvitamin4511関ヶ原前に両陣営が諸大名に送った書状は、現代でも数多く現存しております。家康公の書状は岐阜の関ヶ原記念館で展示されてますので、気になるのならご覧になってみてはいかがでしょうか
明治の江藤新平がこんな感じでやっぱ嫌われてたよ
恨まれていたからあんな写真を残されたんですかね?
@@syosyo474 斬○後の晒台にのせられてるやつですか?
@@87ヒロタケ そうです。はじめて見たときからトラウマになってます。
面白いのは家康は三成を評価してた事。三成から見ても家康が「豊臣政権を」支えてくれたら最高だったんだろうな。
前田との諍いの時は、5奉行が全部前田に行ったわけ(細川加藤も…7将の半分三成と同じ陣営)でつまるところ豊臣政権の家康の立場ってのがわかる。浅野は前田と近いし、増田長束前田玄以はそれぞれ中央の専任なんで家康の立場近いのは三成になる。。
@@SaSa798-g7fそして大谷は家康陣営だったと言う
細川加藤と大谷が入れ替わるんだから三成の好き嫌いが分かれてて面白い
6:05
七将は近年の研究によると三成のところには襲撃もしておらず 三成も家康の屋敷には逃げ込んでもいなかったそうな。双方で訴え出てた程度。
三成さんはクソが付くほどの愚直かつ真面目な人だったらしいからな
普通にアスペだったんだろうな
でもこういう嫌われることを厭わず厳しいこと言って組織を締めてくれる副官は親分からしたらありがたいと思う
オーベルシュタイン
割れ鍋に綴じ蓋ってね
秀次か秀長が生きていて秀吉の後継者となっていれば、よき補佐役として天寿を全う出来たんだろうなと思う。
『正論うぜぇー』って人が多いから、それを正す為にも誰かが言わないといけませんからね( ̄▽ ̄;)
正論屋とか、まじめ過ぎって言われがちだけど、三成って最初から秀吉の部下だったから、他の大名の感覚ってわかりにくかったんじゃないだろうか?
秀吉の配下とはいえ元はそれぞれの地方治めてた大名なわけで、当然豊臣が崩れた後のことも考えて動いてるから忠義100%ってわけじゃない。でも三成自身は秀吉への忠義だけで生きてきた人だから、そこが分かんない。
半面徳川は味方になってくれたみんなの利益(領土)を約束するって言って仲間増やして、完全に1強になってから国替えや税、参勤交代なんかで力を削いだ。天下統一、天下泰平って正論通すにもやり方とタイミングだよな。
家康に至っては信長と対等同盟で秀吉の事は下っ端の頃から知ってるんで
秀吉の子飼いの家臣や子供や孫と意見が合うわけ無いわな
現代人でもよくあるが、自分が死んだあとのことをまったく考えていなかったのが豊臣秀吉。跡継ぎが必要というのはあったが、自分が死んだあとに想定通りに機能するかどうかを考えた形跡がない。
考えていなかったのではなく、考え方が間違っていた、と言うのが正解と思う。
今の北朝鮮は「身内をあまりにも処分しすぎて、今や後継者は娘だけ」という世界になってるが
あれと同じ。なので、徳川は御三家と言う”形”で残しておいたから、15代続く事となった。
初代から明確な設置目的が示されているから、後継者と言うだけだと簡単に廃嫡可能だが、家と
して形にした分、初代の意向もあり簡単に潰せない。
年取って考えられなくなってたんだろうね
年取るとバカになる
自分が織田の子孫たちにした行いを考えたら豊臣がどうなるか想像ついたろうに秀吉の機転もそこがつきましたね
それは無理だろう。
織田家の小者からのし上がり、子供が無く重臣になってからは信長の息子を養子に迎え織田の天下では一門衆になるであろう予定の男が良い年になってから天下人になった。
家康みたいに大名家出身でも利家みたいに国人領主出身でもないんだから。
頼朝も自分の弟の範頼と義経を粛清し直系だけを残そうとしたが外戚の北条を止める親族がおらず源氏は3代で途絶えることになった
葵徳川の三成のイメージそのまんまな書状なのほんと草
面白いねえ、、本当の姿が垣間見れる書状が残っているんだね。。今もどこかにひっそりと発見を待っている書状があるんだろうね。
正論なら言っていいとか現代でも勘違いしてる奴いるからな
人間には感情があるから、理性を優先しすぎて感情面を疎かにすると本当に人間関係壊れるからな。言い方キツい人の周りから人がさってくのもそれのせい。
理性に基づいた理論が5割、感情への配慮5割ぐらいがちょうどいい。
こういったのをみてると、紙って当時貴重だったのかなあと考えちゃいますね。
大名クラスでもこういった紙の裏まで使っているところをみると、手紙がもらえるっていう行為自体が一つのステータスになるのかな。
だからこそ、感状以外にも〇〇から家臣にあてた手紙とかも大切に保管され現存しているのかなって。
もう少し時代が下って家光時代に江戸城に登城した大名が、弁当におにぎりを持って来て食べて、包み紙についた米粒を一つ一つ剥がして食べて、最後に包み紙で鼻をかんだなんて記録が残ってるぐらいだし、物が貴重だった時代なんだろうね。
清須会議の決め事ブッチしたり、元主君の親族○したりかなりダーティな事やってる秀吉に仕えていたら正論だけじゃ世の中回らん事も理解してそうなもんだが…どういう心情で仕えてたんだろう
日本の大企業でも15年くらい前までは、印刷物を再利用するいわゆる裏紙を使用していました。
うちの会社今でも普通に使って居るよ
漫画「風雲児たち」で大谷義継にハリセンで殴られまくる三成が好きだったw
実際杓子定規で生真面目過ぎたんだから、人情の機微に聡いざっくばらんな腹心がいれば色々変わってたんでないかな
正論家は貴重だけど正論を話すにしてもタイミングが重要なんだよね。
正論が通じないのは害虫でしかないけど、世の中には害虫・寄生虫の類が多いからな。
正論ってのはさ、むしろ武器、刃物に近いものなんじゃないかね。タイミングが重要
ってことは、使い方を間違えれば人を傷つける危険極まりない代物ってこと。
抜き身の刃ちらつかせて話するようなものでしょ。それが通用しない相手を害虫
呼ばわりするのは間違いだと思うけどなぁ。
正論って基本的に近道を相手に誘導する事だけど相手が近道を望まない場合は余計なお世話なんだよね
飛行機がいかに早くてもフェリーでゆっくり行きたい人にとってはそれを勧められても困るしそれを理解しないなら正論も単なる独りよがりになる
佐和山城がスッカラカンだったという話があるから「金を貯めないで使わないと駄目だよ」がより説得力が増すよなぁ。
細川忠興って、豊臣秀次からかなり金を借りていたはずだか、三成は知らなかったんだねぇ・・・。
秀次がヤバくなった時に忠興は徳川家康に金を借りて(秀次からの)借金を全額返して事なきを得たとか。
三成にバレなくてよかったね。
(金のため込みだったら家康に言えば?伏見城の金倉、ため込んだ金の重みで床が抜けたってエピソードがあるぞ)
こんな三成公だからこそ、へうげもので“乙”な最後を描いてくれたのに感謝
「笑うたら負けよ」
実際の関ケ原は「毛利の乱」というべきもので、その幹事役を頑張ってたら大将が怖気づいて首謀者として差し出された。
しかもその幹事役すら大谷らに祭り上げられて無理やりやらされてたらしいしね。
そういう可哀想イメージあります😢もっと石高が高い大名なら歴史は変わっていたのかも。
常に正論を言い続ける奴は現代でもやっぱ嫌われるよ
正しいからこそそれをチクチク言われ続けると言い返す言葉が無くて沸々と怒りが溜まる
時折柔和な態度を取ったりしていれば話は違ったかもだが、常に上から目線で正論振りかざしていたからそりゃ…嫌われますよねぇと
人望の無さも仕方ない所はある
「ですよねぇ」と相手を立てる必要性もあるわな。ひろゆきじゃないんだからさ
三成...そりゃ嫁さんの件含め忠興に
「三成コロス...三成コロス...」
で関ヶ原でドえらい目にも遭うわ言ってる事は正しくても敵作ることやらかしてるし
後三成善人みたいに言ってるが今で言ったら某モーターの様な感じで社長に恩があるからこっち(豊臣陣営)で戦えあっ恩賞...考えとくわ...みたいな事副社長が言ってる様なもんだしなあ
小さな領地しかもたない三成が何を言ったところで
豊臣家以上の領地を持つ家康にかなうはずがない。
これは性格の良しあしではなく、実力のある無しの問題である。
三成は鎌倉殿でいう梶原景時ポジション。権力基盤も主君からの信任で頼朝、秀吉の死後程なくして失脚している。三成や景時は物語でいう憎まれ役。
彼のように清貧な人間が上に立つと、独裁者になる
高すぎる理想が、それと乖離した現実に牙を剥く
幸か不幸か、彼は志半ばで斃れ、忠義者として名を残した
とても好きな人物です
三成「我々は恵まれているんだから経団連の企業は内部留保じゃなくて賃上げや設備投資をしなさい。」経団連「三成うぜー」現代にいたら嫌われつつも庶民には慕われそう
検地=今まで税率各地域の自己申告制度(差出検地)で適当だったのがきっちり区分けされる=増税と似たようなものだから現代だと「ちっ増税〇〇が…」みたいな嫌われ方もしてそう 薩摩は石田の査定で滅茶苦茶な重税社会になった部分もあるし
@@フォード-i1w
とはいえ中世的などんぶり勘定だった島津家に簿記システムを導入したのは三成な訳で
@@フォード-i1w
公平な税制を導入したんだから違うだろ。増税じゃなくて過少申告の是正なんだからさ。例えば青森県と東京都で消費税率違う方が怒るだろう?
どっちかと言うと三成は官僚だから皆が嫌いな財務省みたいにPB是正に拘り消費増税したりインボイス導入したりみたいな人ですよ
@@ddd8926 消費税が違うのが何十年も下手したら百年単位で違っていて、それが当然だったのにある日突然高い方にされたら既得権益を侵されたと誰でも怒るよ。
朝鮮の時に小西側だったのが大きい溝になったのでは
そんな貴重な紙に長々とA→B→C→Dと話をした上でまたAに戻ると言うロータリーギア状態の毛利元就氏の書状に対して戦国官僚石田三成は何を思うのかなと。
それこそその頃に元就が生きていたら『資源は有限なのです。あなたのわけのわからない冗長な事をダラダラ書く為の物ではありません!。』と怒ってそうではありますよね。
石田三成みたいに正論を相手選ばずに確り言える人は貴重だし必要、正論が言えない世の中の方が悪党だらけになるし力あれば何でも好き放題出来てしまう。
ただし正論は言い方が非常に大事だと思う、タイミングも。ペットを亡くして心的ダメージ受けてて連休を取る人に「公私混同するな、親族でもないのだからそんな理由で休むな働け」では鬼畜と思われるし正論だからこそ恨まれる、ペットを理由にしないでただ体調不良だと言えば良いよとアドバイスしたりしてやるべきで配慮的なモノが欠落していたのが致命的
言ってる事は信長と変わらん
要は小身の身で責任のある立場に立った有能が仕事頑張るとどうなるかって見本や
賎民が上に立った結果やね
秀吉は運が良かった
俺は三成好きよ。正論を語って自分は放漫なことやってれば別だけど、正論通りのお手本の様な領地経営してたのだから。
本当に嫌な奴は、自分の至らない点を指摘されて逆恨みし、ダメな奴等で徒党を組んで陥れようとする奴等。正論が評価される世の中であって欲しい。
能力はともかくとして、三成みたいな人間が評価される世の中は嫌ですね
6:56 三成がため込んでたっつーか関ヶ原の直前にガラシャを人質に取ろうとしたら死なれたんで
もう滅ぼすか滅ぼされるかしかない状態になったんだよね…
正論を並べ立てるだけででは人を動かせない。
その典型例。
石田三成自身は耳が痛くても正論ならばこそ、自分の感情や利益よりも正論を優先出来る分別が有ったのだろう。
でもそういった人間とは俗に人格者だの賢者だのと言われる者なんだよ。
そして大抵の人間は人格者とは程遠い。
三成はそのことが分からなかったか、分かっていたからこそ自分が頑張らねばと思ってしまう人だったのかも。
お節介な人とは良い方向に評価されれば面倒見の良い人物とも言える。
秀吉もその妻寧々も面倒見の良い人物であった事、その手腕を見てきたからこその行動していたのかもしれないですが、三成にはそれが決定的に合っていなかった。
あれ?書物が裏紙だったことが判明!って話だったのに、いつの間にか三成ディス動画になっていた…
石田三成は本当に家康の敵だったのか?ほんとは五大老の争いに巻き込まれてスケープゴートとして責任取らされたんじゃね。子供達はちゃんと再就職したりいいとこにお嫁さんに行ったり。親がきちんと仕事してたから子孫もそれなりに処遇されたんだよな。見習いたいよ。
ԅ(¯﹃¯ԅ)最近でてきた新説だと、仕切ってたのは大谷で、三成ちんは大谷にそそのかされただけらしいっすよ
張り切った大谷は真っ先に死んじゃったから、三成ちんが仕切ってたことになっちゃったんじゃないかなあ
家康の敵だったと言うより豊臣文治派と豊臣武断派のいざこざを家康に上手く付け込まれたイメージですね
利家と家康が一悶着あった時、面子は概ね関ヶ原と同じでしたが西川陣営に加藤細川いて東側に大谷がいましたから
三成さんも古織さんも、驚くほどイメージ通りで笑っちゃうなぁw
三成さんは舐められてたまるか、と肩肘はってたんですかね? 正論を聞いてくれる状況に持ってくのが下手だったんでしょうね。
上司や部下だとしらいいけど同僚としてはめんどくさい三成
実際、上司や部下や領民からはすごく評価されてるんですよねぇ
@@kazuoka1143
英雄は多少(どころではない場合も)の悪行があったとしても後世から英雄扱いされるし、そんなことはたいした問題ではないということですね
三成と同様の評価をされてる無名の名君はきっと古今東西大勢いることでしょう
結局英雄とは程遠い、そのへんによくいる小物が歴史の表舞台に運悪く出てきてしまったばかりにこんな好き放題言われてしまっているのは同情しますが、たまたま名前が売れただけの有象無象みたいのが評価されていると馬鹿じゃねーのとは正直思いますね
「奉公人は主君から与えられたものを使い過ぎるのはよくない。とはいえ、残すのは盗人である。また、使い過ぎて借金をするのは愚人である」
パリピ民の群れに放流された学級委員長
口五月蠅いウザいヤツだけど揉め事の裁定はちゃんとしてくれるからありがたいんだけどウザいんだよなぁ……みたいなイメージ
クソ不器用マジレスマン三成
嫌われるタイプだとは思うけど、こういうタイプってなんかほっとけないから、ついついやりたいこと手伝っちゃう。
石田三成大吉ティーシャツもってる
賤ヶ岳サービスエリアで購入 売り子のネーチャンに聞いたらやっぱ地元では敬愛されてるトカ?
なんかホノボノした
上杉贔屓の三成が公正無私とは笑わせる。
力こそ正義の戦国時代において戦の実績も自前の軍事力も大したことない三成にでかい面されるのが我慢できない気持ち、なんとなく分かるわ~。これで家柄が良ければそれなりに一目置かれたんだろうけど、単なる成り上がり者だしね
「うるせぇな、こいつ…ムカつくし、いつか殺してやる」みたいに思われてたって事かな
とにかく嫌な奴だったって感じかな
ケチのお陰で現代まで続く庭園というコンテンツを残した前田家を否定する三成
俺の先祖、石田三成の右筆としてウィキペディアに載っとるんだが、よく仕えられたなと思ったわ。
三成くん別に公正でもないから…(上杉エコ贔屓問題)
豊臣都合で転封してもらったんだからしゃーないやろ
@@engawanoneko2435 越後の堀家の訴え握りつぶしてるのはどうなんすかね?
@@matukawatositane
普通に蒲生からの玉突きやから上杉を咎める訳にもいかん状況や
よく言われる次の領主に年貢を残す慣習はこういった事例を元に江戸時代に生まれたものやしな
それに上杉の転封なんて政治的大事業に関して三成個人のエコ贔屓と考えるのも短絡的
@@engawanoneko2435 ほえー知らんかったコメ半分のこすやつ江戸時代からの風習やったんか
@@engawanoneko2435 短絡的も何も秀吉朱印状違反(家臣置き去り)を上杉がしてて堀家が何度も訴え起こしている状況を握り潰したのは三成だからという話
これは江戸時代がどうとか関係ないし、こういう態度を上杉がとったのも懇意の某奉行と結託していたからでしょう
そんな石田三成の子供を庇った津軽為信さんは聖人
犬猿の仲だった南部から南部の取次だった前田利家通して津軽へのネガキャンされる嫌がらせされてた中でそういう偏見なしで仕事してくれたのが石田さんなんで
秀吉を生涯祀ってた津軽為信さんからしたら、秀吉の遺志を徹頭徹尾守ってた三成さんは『信者』とか『同志』とかそういう風に見てたんじゃなかろうか
三成の孫はシャクシャインの戦いで松前藩の応援に行ったんだっけ
恩を感じてやったんだろう、武士として恩を返したのは立派だと思うが聖人て言うのとはちょっと違うな。聖人は戦国の世で大名としてやってけないよ。まして南部から見りゃ下剋上為した人なんだから、津軽為信は。
8:56 絶対的正義を貫こうとすることこそ、そうありたいという欲だったりするからなあ
織部に儀式用の銘刀を貸す・・? 「これはお救いせねば」の未来しか見えん(´・ω・`)
三成は目下の者からの人望は厚かっただろ。同ランク程度の人には疎まれることも多かったけど、家臣や領民には尊敬されてた。でないと関ヶ原の奮戦ぶりや、現代まで地元で供養され続けたことの説明がつかん。
空気の読めない正論ノンデリ官僚って感じ。
細川家の子孫である細川元首相がご先祖の細川藤孝(顔はまんま元首相(笑))の出ている漫画「へうけもの」作者の山田芳裕氏と対談されたときに、「へうけもの」主人公の古田織部が一時期細川家に臣従していたことが細川家の古文書に記してあったと対談で言われてました。大名家の子孫の方の秘蔵文書とかにはまだまだ日本史を書き直すレベルのものがあるかも知れませんね。
それでも三成は意外に人望はある。人付き合い的には好き嫌いがハッキリ別れるタイプ。だから仕事や外交で付き合いある人達からは評価されるけど、
その裁断を受けた人達からは嫌われてる。特に好かれた側と言えば旧蒲生家家臣達や津軽家・佐竹家の動きとか見ると分かり易いか?
組織からしたら有能な嫌われ役と言うのは下からの防波堤、上からは実行役として使えるから、かなり重宝する。
三成の特徴としては生真面目さ故に一言余計な場面が多い気がする。ただでさえ軍監として恨み買ってるのに半島から帰還した連中へ「お茶でも出して持て成すよ」
とか言えば、どうなるか位想像できるだろ。細川への柿の話を見ても、人の心へ寄り添うのが下手な気がする。そうじゃないだろ、違うだろって感じで。
多分、中国の三国志あたりに生きてたら死因は「憤死」だったろう。
古織すこ
石田がケチ 古田が散財困ったな 裏紙使って 晒すは細川
典型的な仕事が出来て上から好かれやすいけど嫌われるタイプだと思う。部下としては間違いなく優秀だけど、立場が同格の人とか下の人は嫌うだろうな。嫌われ役だけど、組織にいてくれたら助かるね
細川忠興は嫁さん大好き大名で有名だし(大好きどころか病んでるが)
秀吉に嫁狙われるんだからその秀吉をヨイショしてる奴なんか嫌いになるに決まってるやんw
織田さんに間取り持ってもらって結婚してるんだから逆に織田さん嫌いになる理由ないやろ
そうとう横柄だったんだよな
同僚み〜んな敵になっちゃったもん
金を無駄に浪費してるんじゃなくて、溜め込んじゃってる事に注文つけてるのか。
金は天下の回り物として経済発展のために使うべきって話なんだろうか、
それとも予算や財務の観点から、陳情や事情から算出して用途がほぼ決まってるものとして配ってるのに
すべきことをしてないってことなんだろうか。
立場が最近まで下で最近同格になったやつからわかってる正論言われたら現在でも嫌われる。
決して腐敗しない男マクシミリアン・ロベスピエール
自分だけが正義
一般的には短気とされる忠興が唐入りの何年も前から小言言われ続けてたとしたら、唐入りで実害被れば清正等に混じってブチ切れてもしゃーないのかな😅
半沢直樹「やられたらやり返す!倍返しだ!」
石田三成「ギャァァァッ!!」
石田三成がバンカーだったら半沢直樹に成敗されるだろうな。
三成は半沢側の人間だろう 半沢の脚本家がこの時代を描いたら家康も忠興も土下座させられてる
逆に半沢がこの時代にタイムスリップして三成の立場になったら同じように滅んでる
大村益次郎の家の障子には大村益次郎の妻が大村益次郎が西郷隆盛や木戸孝允と交わした書状を障子紙として貼り付けて居た。
別チャンネルで中国史を、楚漢戦争のあれこれを観てるので.......三成に人望があったような人物が蕭何だったのかな?って思えて仕方ないです。秀吉も劉邦も卑賎から天下統一したのに、それだけで短命政権か長寿王朝の違いになったわけで。
蕭何は行政能力は勿論、処世術も謀略も長けてて石田なんかより一枚も二枚も上手
何より他人に対して実の無い正論を振りかざして人望を失うなんて下手を打たない
蕭何のような事が出来る石田なんてそれはもう石田ではない
後、劉邦は蕭何が憎まれないよう他の臣下に蕭何の功績と重要性をしつこいぐらいに解説したけど耄碌した秀吉はそんな事しないから
@@丞相-p4g さん。そんな蕭何ですら劉邦は一度は投獄している
本多正信と石田三成って会話くらいはした事あるのかな?是非聞いてみたいわ
表を主語にしたら裏紙だけど、裏紙を主語にしたら紙背文書。
まさに官僚の鏡って感じの人だったんだろうな・・・
和紙と洋紙の区別がついていない日本人がいるようだなw
ԅ(¯﹃¯ԅ)三成ってなんか変な文書たくさん残ってるよな、、
これは面白い
そういう所だぞ三成
こんなん、ほぼ井伊直政やん😂
こんな忠臣、どんな大名も欲しがっただろうな。
全ては秀吉の種無しが引き起こした😢
種さえ濃ければ...
どの時代に居ても嫌われるのが宿命何かね~
三成の金をケチらず周りに配れって、目下の人に言うならともかく、同格の同僚に言うのはダメでしょ😅
直江なんて狸を煽ってるからな
あの子みたいな性格の子は「正義マン」では無く「几帳面」っつーのよ。(笑)似たようなパツーンちゃんに「紋切り型ちゃん」っつーのもあるねぇ。どちらも「堅苦しいゆえに角ばっておるので周囲とは円やかなお付き合いをし難い」のよね☆
生まれる時代が違ったら「写像ってなんすか?」とか言いながらディベートしてヌクヌク大金稼いでたんかな
まあオーベルシュタインやマクベ的な人材ということで。有能だけど正論をはっきり言うやつは組織の中で生きていけない、有能な官僚なんてのはそれでいいのであってこいつが表舞台に立たざるを得ない状況を作ったのがいけない
>豊臣の兵站を一手に・・・
加藤清正の方こそ、後方支援の人だったそうだけど?
正しいことをすれば嫌われる。
これは世間を見れば良く分かること。
しかし正しい事が通じ無くなれば悪や騙しが蔓延する件。
結局、悪い事を容認すれば本人に何らかの形で返ってくる。
その結果、今の日本の政財官は「自己利益以外に興味なし」と明確な発言をする
連中しか残っていない。それも「表向きは、皆の利益の為です」と吹聴。
三成の正しいが当時の世間の正しいかと言うと疑問なんだよ。
金をため込むのを悪とするなら朝鮮出兵の軍用金は豊臣家が用意すべきだし。
天下は回り持ちと言うのも当時の大名たちの常識だしね。
5:49秀吉の陪臣じゃなくて信長の陪臣ね。
三成をウザイ、と評価するのはいいが、「それだと、今の日本の政治家は全員君たちの望む人物像」だから、政権
批判はおかしい。という定義になると思うけど。
間違ってないけど正しくない、空気が読めないコビーみたいなもんかな?
石田三成と諸葛孔明は、性格にてるよね
諸葛亮は馬超が来た時、関羽へあてた手紙に「髭殿には及びませんよ」とか書いていたり、茶目っ気ありますよ。
三成と違って物凄く人望は厚かったです。
@@バウファイターズ
その話が事実かどうかは別として、その話しはNo,2でいないと気が済まない関羽の性格が厄介すぎたため、軍師の孔明さえ気を使っていたお話しかと。。。
増援の名の下に孔明や張飛や趙雲などがみんな関羽から離れて戻らず、さらに古参の糜芳や士仁まで寝返られてしまう関羽が、馬超相手に序列を気にしていた。。。
その結果が無茶な北伐になります。。。
荊州の関羽の元
@@user-fuji01つまり石田とは正反対の気遣いの人なんだよ
そして後の魏延やら楊儀といったミニ関羽みたいな連中の調整に腐心して命を削る結果になるというね
@@丞相-p4g
ですから、関羽のキャラクターをしめす逸話であって、本当かどうかはわかりません
孔明自身は後継者指名しないくらい、気遣いには疑問があります
7:05
三成を若造って言ってるけど、細川忠興や福島正則たちよりも三成の方が年上なんだけどね。
2:20 >細川家って初代から貧乏ネタ
細川家全盛期は明との勘合貿易の利権を握っていたから超リッチ。
社内留保を溜め込まずに社員の給料上げてやって経済回せや。って事だよな。
11:45
豊臣秀次でしょ。
三成って孔明じゃん
細川家が送った手紙の裏に書いて送り返しているのだから、忠興ケチっていうのは間違いじゃないのって思う。細川家に残っているんだから、三成、織部がケチだったんだよ。(笑)
石田三成は、最高の偉人です。
孔明ですら内外の案件をほぼワンオペでこなしてたのにアホ二代目に振り回されて苦労してたしなあ。三成レベルの人望+オワコン豊臣ではそりゃあどうにもならんだろう。真のNo.2と言うならノッブ存命時のサルや五大老筆頭の頃の三河ダヌキの方が適役やろ?