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島津軍は相手の半分の兵力でも「勝っちゃうよなぁ~」と思わせるほど指揮官から雑兵までが本当に強い。
島津は、まじで兵の一人ひとりの練度が高すぎると思う。負けたふりをしてわざと敗走とか、文字では簡単だけど、実際にこの通りに動くのは至難。無線あたりの通信手段もないから、「味方がここで待機している」とかも完全に信頼関係でしかない。
三方ヶ原の戦いでも武田の小山田隊が石投げ挑発からの偽装退却をして、びびって動けない徳川勢を丘の上に釣り出していますが、怒り狂った徳川諸隊の前に偽装どころか本気で退却してますね。釣り出された徳川諸隊は横から勝頼らに一蹴されて現地解散しましたが。
映画のエキストラみたいな演技力がないと無理ですもんね
キングダムで桓騎将軍がやってたね
キリスト教の王国を作ろうと南下してみたら、十字架みたいな旗印を掲げる軍勢に蹴散らされたでござる。
確かに。長年気づかなかったな😅
サツマン朝サツマニア十字軍w
これは草
薩摩ホグワーツの力技の魔法にキリスト教壊滅
後の関ヶ原の戦いでも、島津軍の勇猛果敢は健在です。
島津四兄弟という全員有能な兄弟好き
よくぞ、言って下さった!!島津四兄弟は九州の誇りです!私は宮崎人、家久・豊久公が治めた佐土原はすぐ近く。数は少数ながら“佐土原衆”は薩摩本家に劣らずそれはそれは精強な集団であったとか。
日新斎→貴久→四兄弟からの悪久
しかも仲も概ね良い。長兄の義久は個人の武功がないことから戦場に出ないだの引きこもりだの言われることがあるが、彼が弟たちや家臣団を上手く纏めていたからこその強さなんだよな。
一番華のあった義弘が義久のことを敬愛し、義久の弟で良かったと言う話が残るくらいだから本当にまとまりのあるいい兄弟だったんだろうなと思う
@@user-ve2lw7ec2l 俺も日州佐土原近郊住だよ(笑)
やはり結束の強いところは戦も強い👍
あ、先祖が従軍してた合戦だ分かりやすい解説ありがとうございます
実は沖縄戦で日本軍が取った「寝技戦法」もこれに似た戦法
動画の中で田原は講和派、田北は主戦派とされているが実は本来は逆だった。この遠征に最も強く反対したのが「南郡衆」と呼ばれた人達であり、田北はその筆頭と言える人物だった。それに対して大友家の重臣達の大半がこの遠征に反対する中で唯一賛成したのが筆頭重臣だった田原であった。実は大友宗麟が離縁した妻は田原の実妹であり、それによって自身の立場を失うのを怖れて保身の為に賛成したといわれている。その結果田原は宗麟から前線部隊の指揮を任されたものの、統率力の無さから指揮下の諸将の士気は低下するばかりであり、その現状に絶望した田北ら諸将はせめて武士らしく潔く戦場に散ろうと島津勢に突撃したと言われています。
信長の比叡山焼き討ちが、義統の心に敵対した寺社は焼くのも一つという判断させた要因になったのかもしれない
天地人全てに見捨てられとる…
島津四兄弟は、光栄の信長の野望シリーズでも武将風雲録以降能力が優秀他では「釣り野伏」等島津特有の特殊能力がある。武将風雲録で始めて島津を使った時は「これは凄い」と思った
私も初めて島津氏を知ったのは武将風雲録でした。以後島津氏しかプレイしなくなりました。(システムソフトの天下統一も同じ)
鉄砲の初期保有数が多い上に製造技術もある。実際の釣り野伏せの伏兵も鉄砲隊が多かったそうだし。
大友宗麟も本来は謀略に優れ、冴えわたってた時は毛利元就すらキリキリ舞いさせたほどの有能な武将だったけど、キリスト教なんぞに肩入れし過ぎて鎌倉以来の名家をすっかり堕落させてもったいないよね。
改宗した家臣らを繋ぎ止める+日本と海外商人の渉外の為の側面もありますからね 明治生き残った毛利と島津と敵対したから中傷が激しい武将なので…宣教師の記録ではキリスト教に入信したのは隠居後+政務引退してからで当時の日本の風習ガン無視した宣教師に激怒して解任要求したりそこまで入れ込んでたわけでもなかったり。庶民とクジラ漁楽しんだり病院作ったり臼杵城の戦いで身分問わず城に入れ食事自分で振る舞う話とかちゃんと調べると最上義光みたいに非常に優秀で領民思い系
織田信長も大友宗麟を毛利への抑えに利用してたし。
孫臏の戦歴までよく調べているなぁ
釣り野伏せとかってガチでおとりの部隊には何も情報を与えず寡兵で向かわせて少しでも怯めば死罪とか伝えてらしいけど震える 死に者狂いで突っ込んで闘って引いていくから敵もガチになって追いかけてくるみたいだけど
地元だが雨が3日降ったあとの耳川を超えないと死ぬぞと言われたらもう諦めるな
しかも高鍋辺りからずっと戦闘民族から逃げ続けた疲労の上でそれをやるからねw
@@SiR-sz9lv 川超える体力ないですw
これ見ると戦国BASARAの大友宗麟のキャラがああなるのも納得だ
猫尾城の戦いもみたい。
島津も伊東も大友も全員元東国武士。
源氏も平氏も元は関西
宗麟って結構政治力有能だけど耳川での敗戦で無能のレッテル貼られてるイメージあるもっと評価上がってもいいと思うんだけどなぁ
耳川の敗戦後に復帰して大友家の立て直しに奔走してますからねー
伊東義祐「ソーリン!ソーリン!助けてソーリン!」
信長の野望の島津の鉄砲適性Sはえぐかった。
他にも足軽の適性も殆どがA又はBでC以下は居なかった気がした
そもそも数万の兵で高城を包囲して落ちないってのも凄まじすぎるけど、大友勢も内輪もめの上に島津相手に見切り発車で乱戦じゃ勝てるわけもない。後につるし上げられた田原紹忍が逆切れの末謀反を起こして討伐されるも許される体たらくってのが大友のお家も末な感じはする
沖田畷の戦いを頼みます🙏
山田有信って新納忠元と並ぶ島津の名将って印象 島津って城攻め不得意だな。というか忠長が城攻め苦手なのかね。高屋城でも苦戦してたし。
ハンニバルと同じ戦法。そりゃ強いわ。
大友家の状況的には宗麟は完全に隠退済+義統の初陣だから「活躍したい」で義統主導の戦い 義統はキリシタンでもないけど寺社仏閣滅茶苦茶焼いた大友の最大の敵対相手である毛利の下に義昭逃亡→大友家は織田寄りの家で義昭「毛利上洛させたいから島津!やってしまえ!」という事情もあったのよね領国は大きいけど面従腹背の国人が多すぎて繋ぎ止める為に安堵措置→直臣らに与える領地が無く、先代の義鑑が寺社に領地あげすぎて家紋使用権とか切り売りしてもカツカツだから寺社領を恩賞にしないといけない側面もあった 道雪と紹運は毛利が主敵&龍造寺・秋月の反乱警戒で動けず…(秋月は道雪の一族族滅した天敵)
戦国無双である戦いは見る
釣り野伏せは昔からある戦術だし、兵法書に幾らでも書かれている当たり前の戦術。言ってしまえば周知され過ぎた戦い方。ただ、それをやろうとして本当に敗走してしまったり、退くタイミングを誤ったり、伏兵との連携が合わなかったりが多々あった。それをここまで完璧に出来ているから島津凄いと言われているのであって、釣り野伏せそのものの戦術が讃えられている訳ではないんだよな。
釣り野伏せとは違いますが、有名な武田信玄も第四次川中島の戦いで上杉軍の背後を脅かそうとして重臣が討たれていますし、三増峠の戦いで北条軍に側面攻撃をして最終的に勝ったものの、側面攻撃が成立する前に重臣が討たれていますし、武田軍の挟み撃ちは損害が大きいのですが、島津軍の場合はこの損害が圧倒的に少ないのが賞賛に値しますね。
伏兵部隊が鉄砲を使用しより強力なものにしたという意味では島津が釣り野伏せを昇華させたとは言える気がします。
大友軍の総大将が遠くからただ祈っているだけで、肝心の前線に立っている武将が内輪揉めしているようでは、戦上手の島津軍にはなかなか勝てんよ。
ザビーランドか
大友ソウリン
川渡っちゃ駄目
大友宗麟「よ~しキリスト教の布教に邪魔な寺社仏閣は焼き払っちゃうぞ~」息子の母の側室「やめろぉぉぉぉぉ!!!」
島津4兄弟というリアル北斗4兄弟
一番槍か!?
👍
島津は確かに強いが耳川の戦いは大友がポンコツすぎた戦うかしないか直前まで意見分かれ目の前に敵いるのに何考えてる?戦いも集団戦なのに勝手に始める馬鹿いるしと勝てる分けない戦略も戦術もなくたんなる御遊びだよ島津が負ける要素ない島津でなく他でも負けないだろ
薩摩魔法は最恐
耳川の戦いって言うけど主戦場は小丸川本当は小丸川の戦いなんだよなぁ
当時のカトリックの教えなんてカトリック司教だって遵守してたか怪しいからセーフセーフ。
確かに必殺兵器お家潰し!(^^;?
大友宗麟がキリシタンじゃなければ、九州統一してたかな?
神道ゆかりの地でもある日向国をキリスト教の楽園にしたいとか笑っちゃうな😂😂ちょっとざまぁと思ってしまった
李舜臣の戦いをやって欲しいです
大友宗麟、キシダみたいw
異教を異教というだけで排斥するのも愚かだが離婚を禁じた宗教の為に離婚するのも矛盾と言えますな💦戦の話じゃなくて悪かったかな?
薩摩が九州平定しなかったのが疑問で仕方ない。人口少なかったのかな
島津軍は相手の半分の兵力でも「勝っちゃうよなぁ~」と思わせるほど指揮官から雑兵までが本当に強い。
島津は、まじで兵の一人ひとりの練度が高すぎると思う。
負けたふりをしてわざと敗走とか、文字では簡単だけど、実際にこの通りに動くのは至難。
無線あたりの通信手段もないから、「味方がここで待機している」とかも完全に信頼関係でしかない。
三方ヶ原の戦いでも武田の小山田隊が石投げ挑発からの偽装退却をして、びびって動けない徳川勢を丘の上に釣り出していますが、怒り狂った徳川諸隊の前に偽装どころか本気で退却してますね。
釣り出された徳川諸隊は横から勝頼らに一蹴されて現地解散しましたが。
映画のエキストラみたいな演技力がないと無理ですもんね
キングダムで桓騎将軍がやってたね
キリスト教の王国を作ろうと南下してみたら、十字架みたいな旗印を掲げる軍勢に蹴散らされたでござる。
確かに。長年気づかなかったな😅
サツマン朝サツマニア十字軍w
これは草
薩摩ホグワーツの力技の魔法にキリスト教壊滅
後の関ヶ原の戦いでも、島津軍の勇猛果敢は健在です。
島津四兄弟という全員有能な兄弟好き
よくぞ、言って下さった!!島津四兄弟は九州の誇りです!私は宮崎人、家久・豊久公が治めた佐土原はすぐ近く。数は少数ながら“佐土原衆”は薩摩本家に劣らずそれはそれは精強な集団であったとか。
日新斎→貴久→四兄弟
からの悪久
しかも仲も概ね良い。
長兄の義久は個人の武功がないことから戦場に出ないだの引きこもりだの言われることがあるが、
彼が弟たちや家臣団を上手く纏めていたからこその強さなんだよな。
一番華のあった義弘が義久のことを敬愛し、義久の弟で良かったと言う話が残るくらいだから本当にまとまりのあるいい兄弟だったんだろうなと思う
@@user-ve2lw7ec2l 俺も日州佐土原近郊住だよ(笑)
やはり結束の強いところは戦も強い👍
あ、先祖が従軍してた合戦だ
分かりやすい解説ありがとうございます
実は沖縄戦で日本軍が取った「寝技戦法」もこれに似た戦法
動画の中で田原は講和派、田北は主戦派とされているが実は本来は逆だった。この遠征に最も強く反対したのが「南郡衆」と呼ばれた人達であり、田北はその筆頭と言える人物だった。それに対して大友家の重臣達の大半がこの遠征に反対する中で唯一賛成したのが筆頭重臣だった田原であった。実は大友宗麟が離縁した妻は田原の実妹であり、それによって自身の立場を失うのを怖れて保身の為に賛成したといわれている。その結果田原は宗麟から前線部隊の指揮を任されたものの、統率力の無さから指揮下の諸将の士気は低下するばかりであり、その現状に絶望した田北ら諸将はせめて武士らしく潔く戦場に散ろうと島津勢に突撃したと言われています。
信長の比叡山焼き討ちが、義統の心に敵対した寺社は焼くのも一つという判断させた要因になったのかもしれない
天地人全てに見捨てられとる…
島津四兄弟は、光栄の信長の野望シリーズでも武将風雲録以降能力が優秀
他では「釣り野伏」等島津特有の特殊能力がある。
武将風雲録で始めて島津を使った時は「これは凄い」と思った
私も初めて島津氏を知ったのは武将風雲録でした。以後島津氏しかプレイしなくなりました。(システムソフトの天下統一も同じ)
鉄砲の初期保有数が多い上に製造技術もある。
実際の釣り野伏せの伏兵も鉄砲隊が多かったそうだし。
大友宗麟も本来は謀略に優れ、冴えわたってた時は毛利元就すらキリキリ舞いさせたほどの有能な武将だったけど、キリスト教なんぞに肩入れし過ぎて鎌倉以来の名家をすっかり堕落させてもったいないよね。
改宗した家臣らを繋ぎ止める+日本と海外商人の渉外の為の側面もありますからね 明治生き残った毛利と島津と敵対したから中傷が激しい武将なので…
宣教師の記録ではキリスト教に入信したのは隠居後+政務引退してからで当時の日本の風習ガン無視した宣教師に激怒して解任要求したりそこまで入れ込んでたわけでもなかったり。庶民とクジラ漁楽しんだり病院作ったり臼杵城の戦いで身分問わず城に入れ食事自分で振る舞う話とかちゃんと調べると最上義光みたいに非常に優秀で領民思い系
織田信長も大友宗麟を毛利への抑えに利用してたし。
孫臏の戦歴までよく調べているなぁ
釣り野伏せとかってガチでおとりの部隊には何も情報を与えず寡兵で向かわせて少しでも怯めば死罪とか伝えてらしいけど震える 死に者狂いで突っ込んで闘って引いていくから敵もガチになって追いかけてくるみたいだけど
地元だが雨が3日降ったあとの耳川を超えないと死ぬぞと言われたらもう諦めるな
しかも高鍋辺りからずっと戦闘民族から逃げ続けた疲労の上でそれをやるからねw
@@SiR-sz9lv 川超える体力ないですw
これ見ると戦国BASARAの大友宗麟のキャラがああなるのも納得だ
猫尾城の戦いもみたい。
島津も伊東も大友も全員元東国武士。
源氏も平氏も元は関西
宗麟って結構政治力有能だけど耳川での敗戦で無能のレッテル貼られてるイメージある
もっと評価上がってもいいと思うんだけどなぁ
耳川の敗戦後に復帰して大友家の立て直しに奔走してますからねー
伊東義祐「ソーリン!ソーリン!助けてソーリン!」
信長の野望の島津の鉄砲適性Sはえぐかった。
他にも足軽の適性も殆どがA又はBでC以下は居なかった気がした
そもそも数万の兵で高城を包囲して落ちないってのも凄まじすぎるけど、大友勢も内輪もめの上に島津相手に見切り発車で乱戦じゃ勝てるわけもない。後につるし上げられた田原紹忍が逆切れの末謀反を起こして討伐されるも許される体たらくってのが大友のお家も末な感じはする
沖田畷の戦いを頼みます🙏
山田有信って新納忠元と並ぶ島津の名将って印象 島津って城攻め不得意だな。というか忠長が城攻め苦手なのかね。高屋城でも苦戦してたし。
ハンニバルと同じ戦法。そりゃ強いわ。
大友家の状況的には宗麟は完全に隠退済+義統の初陣だから「活躍したい」で義統主導の戦い 義統はキリシタンでもないけど寺社仏閣滅茶苦茶焼いた
大友の最大の敵対相手である毛利の下に義昭逃亡→大友家は織田寄りの家で義昭「毛利上洛させたいから島津!やってしまえ!」という事情もあったのよね
領国は大きいけど面従腹背の国人が多すぎて繋ぎ止める為に安堵措置→直臣らに与える領地が無く、先代の義鑑が寺社に領地あげすぎて家紋使用権とか切り売りしてもカツカツだから寺社領を恩賞にしないといけない側面もあった 道雪と紹運は毛利が主敵&龍造寺・秋月の反乱警戒で動けず…(秋月は道雪の一族族滅した天敵)
戦国無双である戦いは見る
釣り野伏せは昔からある戦術だし、兵法書に幾らでも書かれている当たり前の戦術。
言ってしまえば周知され過ぎた戦い方。
ただ、それをやろうとして本当に敗走してしまったり、退くタイミングを誤ったり、伏兵との連携が合わなかったりが多々あった。
それをここまで完璧に出来ているから島津凄いと言われているのであって、釣り野伏せそのものの戦術が讃えられている訳ではないんだよな。
釣り野伏せとは違いますが、有名な武田信玄も第四次川中島の戦いで上杉軍の背後を脅かそうとして重臣が討たれていますし、三増峠の戦いで北条軍に側面攻撃をして最終的に勝ったものの、側面攻撃が成立する前に重臣が討たれていますし、武田軍の挟み撃ちは損害が大きいのですが、島津軍の場合はこの損害が圧倒的に少ないのが賞賛に値しますね。
伏兵部隊が鉄砲を使用しより強力なものにしたという意味では島津が釣り野伏せを昇華させたとは言える気がします。
大友軍の総大将が遠くからただ祈っているだけで、肝心の前線に立っている武将が内輪揉めしているようでは、戦上手の島津軍にはなかなか勝てんよ。
ザビーランドか
大友ソウリン
川渡っちゃ駄目
大友宗麟「よ~しキリスト教の布教に邪魔な寺社仏閣は焼き払っちゃうぞ~」
息子の母の側室「やめろぉぉぉぉぉ!!!」
島津4兄弟というリアル北斗4兄弟
一番槍か!?
👍
島津は確かに強いが耳川の戦いは大友がポンコツすぎた
戦うかしないか直前まで意見分かれ目の前に敵いるのに何考えてる?
戦いも集団戦なのに勝手に始める馬鹿いるしと勝てる分けない戦略も戦術もなくたんなる御遊びだよ島津が負ける要素ない
島津でなく他でも負けないだろ
薩摩魔法は最恐
耳川の戦いって言うけど主戦場は小丸川
本当は小丸川の戦いなんだよなぁ
当時のカトリックの教えなんてカトリック司教だって遵守してたか怪しいからセーフセーフ。
確かに必殺兵器お家潰し!(^^;?
大友宗麟がキリシタンじゃなければ、九州統一してたかな?
神道ゆかりの地でもある日向国をキリスト教の楽園にしたいとか笑っちゃうな😂😂
ちょっとざまぁと思ってしまった
李舜臣の戦いをやって欲しいです
大友宗麟、キシダみたいw
異教を異教というだけで排斥するのも愚かだが離婚を禁じた宗教の為に離婚するのも矛盾と言えますな💦
戦の話じゃなくて悪かったかな?
薩摩が九州平定しなかったのが疑問で仕方ない。人口少なかったのかな