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祖父が満州鉄道の一級建築士でした。特急あじあ号は冷暖房完備の食堂車で、洋食フルコースはもちろんバーカウンターがありスチュワードは容姿端麗な白系ロシア人だったそうです。
小学4.5年くらいの時、訳あって一人で新大阪から名古屋まで0系ひかり号に乗った時にちょうど夕飯時で食堂車まで出かけましたが、それまで一人で食堂などに入ったことが無い子供には食堂車の敷居は高すぎて入れず、隣のビュッフェ車でたこ焼きか何かを買ってお腹を満たしました。今になってあの時思い切って食堂車を利用すればよかった、と痛切に感じます。
東海道新幹線のワゴン販売も終わっちゃったからなぁ。あれで飲むコーヒーは、雰囲気を含めて特別感がありました。
幼稚園の頃、食堂車で富士山を眺めつつコーヒーを飲むんだと、鉄道絵本の一場面でそれはもう憧れました。でもいざ社会人になって新幹線で東西を行き来する頃には廃止…。あげく、ワゴン販売まで終了とは…。
一度も食堂車で食べた事はないけど子どもの頃に新幹線のビュッフェ車にあったスピードメーターを見るのは好きだった
今では過去の物となった、食堂車。初めて食堂車を利用したのは、1974年の夏。引退間近い蒸気機関車の写真を撮るために、中学の上級生の引率で山陰地方へ出かけた時の事。晩夏の日本海を見ながら、列車内で食べたエビフライ定食(850円)は格別でした。
食堂車は今でも憧れる。鉄道模型で当時を振り返る。ビュッフェは787系で利用した事がある。7:34末期の頃の14系の富士・はやぶさで泣ける。
やっぱり食堂車=夜行列車!北斗星のカレーと和朝食旨かった!サンライズに食堂車とは言わなくても、売店みたいなの入れてほしい!アメリカのアムトラックやベトナム統一鉄道がうらやましい!
200系新幹線のビュッフェでカレーライス、181系現役引退後の食堂車で食事したことあります。よかったな❤
やっぱり今安定の日本を代表格する鉄道食堂車と言ったら、近鉄特急のしまかぜですかね。
485、583でよく利用したものです。今はごく一部のリゾート列車にのみとなってしまい、残念です。
バブル期、JR西日本で良くのぞみを利用していました指定席でチケットの確認が終わるとすぐ食堂車、当時は喫煙も出来、食事は単品で注文でビールを頂いて、懐かしいです!今は全てが無くなって時代の流れを感じます。JR西日本ではのぞみは走り始めた頃の事です。確か8号車がグリーン車で喫煙車でトイレも有る車両で隣りが9号車で食堂車だったと思いますが…まぁどちらにしろ良い新幹線の思い出です。
最近、クルーズトレインなど、食事ができる列車が増えてきているが、昔の定期列車に連結されていた、メニューを選べる食堂車とは、全然違うと思う。クルーズトレインもあれはあれで良いだろうが、やはり旅情があまり感じられない…そう思うのは、自分だけだろうか…?
食堂車いまでは絶滅に向っているもんな
子供の頃は親父があれば必ず連れて行ってくれた。新幹線や特急はグリーン車とセット。ブルトレ乗りたいと言えば付き合ってくれたが妹と母はブルトレは嫌と言ってた。定年後の今では海外の鉄道で食堂車あれば必ず使う。アムトラックのカルフォルニアゼファーは個室寝台使えば食事代込みで毎食食堂車。ボッチでは食わしてくれないがそれが良い。中には一言も話をしない目も合わせない白人妻も居ましたが、旦那は饒舌だった。それも旅の醍醐味。近隣国では中国 ロシア ベトナム タイでは食堂車はまだまだ元気
昔の鉄道は旅のロマンがあったなぁ。今は少子高齢化でスピード重視効率重視で鉄道も斜陽産業だよね
食堂車は新幹線で残すべきだったな。寝台列車は今はあまりないから仕方ないが。1度体験したら一生の思い出になるから
新幹線 大阪〜博多間で一度利用しました。会社の先輩に無理やり誘われて。瓶ビールとチーズのおつまみで3000円位(!?)でした。先輩の奢りなので自分の懐は傷まなかったけど(笑)今となってはいい思い出です
食堂車というと、サンドバーグというアメリカの詩人(1878-1967)の「ローマ人の子」を思い出します。イタリア系移民の工夫は鉄路のそばに腰をおろしてパンとボロニアソーセージの昼飯を食べる。 汽車が疾走して過ぎる、 その食堂車では 紅い薔薇や黄水仙で 飾ったテーブルで 茶色の肉汁が滴る ビフテキを食べている、 苺クリーム、エクレア、 コーヒーがついて。イタリア移民の工夫はバタなしのパンとボロニアソーセージを食べ終り(中略)それから一日十時間の労働の後半にまた取りかかる、路盤保全の仕事だ、食堂車のテーブルにほっそりと立っているカットグラスの花瓶の中で薔薇や黄水仙が微動もしないようにするために。
かつて東海道山陽新幹線には食堂・ビュフェ・車内販売に4社(日本食堂。ビュフェとうきょう、帝国ホテル、都ホテル)が参入していたことも。ネットで拾った話によると、最も人気があったのは帝国ホテル担当列車で、逆に最も人気がなかったのはビュフェとうきょう担当列車だったとのこと。前者はホテルレストラン系で味へのこだわりが強かった一方、後者は車内販売会社系で味作りに苦心していたのでしょうかね。
戦中戦後と国鉄車掌をやっていた神戸のじぃさんが話す電車うんちくの話に 日本始めての食堂車は〜 ってあったな…小さい頃に聞かされた話だからあんまり覚えてなかったけど、こういう話だったんですな…
新幹線ひかりと在来線の頃のつばさでよく利用したが、食べるものはポークカツ、冬にはカキフライが定番だった。あと、急行「信州」のビュッフェで食べたうな丼も懐かしい思い出だな。
リニアができたら 東海道新幹線か山陽新幹線で 1編成だけ復活車両とかでてきたら 人気になりそうやけどなあもっと早く生まれたかった
学生時代の希望の仕事は食堂車のコックでした同時期次から次へ食堂車廃止の方向へブルートレインのコック憧れでした😂
食堂車で温かいご飯でも食べたいなぁー
昔、東海道新幹線の食堂車で、親にミルクセーキを頼んでもらったことを思い出しました。
石炭レンジ仕様の食堂車は、提供前にちゃんと火を入れているので、さぞ美味かったのだろうね。私の場合、セントラルキッチンで調理済のを温めたのしか食べた経験がないので(値段から見て子供心でもいまいちだった)。
戦後新制大学乱立で駅弁大学と言われ現在のコンビニの様に数多の駅にあった駅弁も、後継難などによる調整元の廃業による減少や、新幹線網の発達で主要都市間を結ぶ駅にしか置かれなくなり旅情がなくなりました。駅そばなどもそうでしょうが。
昔ならともかく今はコンビニがあるから需要が少ないが金に余裕あれば食堂車に乗って食べたいな😂
自分の幼い頃の記憶だと20系時代のあさかぜや0系新幹線ひかりで食べた記憶はあって、最後に食べたのは1992年に100系新幹線ひかりで。幼少時はコンビニ自体存在も無く、弁当=駅弁位、後はあんぱんとか腐りにくい菓子パンを駅の売店で位しか列車に持ち込める飯の選択肢も少なく、それもあって食堂車の利用率は保たれていたけど、「高いし不味い、ゴキブリ見た」みたいな事言って親が使いたがらなかったみたいな声も他の大人からも聞いた記憶も。列車の速度上がった、自席に荷物残して出掛けるのが怖くなった、コスパが合わなくなったみたいな面が食堂車を終わらせた事は確か。以前欧州旅行行った際にはまだまだ食堂車は健在だったけど、それ以外の飯の選択肢が乏しく、それもあっての需要だったかと。
幼稚園の時、日本食堂で何回か食べたことがあり、富士山とともにすごく記憶に残っていた。50年振りくらいに、スイス鉄道の観光列車で食事をして、ユングフラウやアイガーとともにやはり凄く美味しくて感動した。
今はなき寝台特急と新幹線🚄にあった食堂車🍴。わたくしはひかり号の食堂車🍴を数回利用したことあるぜ。常にハンバーグステーキを食べてたぜ。めっちゃ旨かったぜ❗️😋もう食べられないのが悲しいぜ。😢
今は無き北斗星で利用したなぁ…寝台使って一人旅しまくった思い出が……
食堂車はロマンだよなあ、鉄ヲタじゃなくても憧れるものがあるよね、トワイライトエクスプレスなどは運賃がン十万円だから食事に1万でもそんなに高くかんじないなwリニアが開通したら大阪から東京に毎日通勤も現実的になるだろうからなあ・・・
長時間走行する列車が存在出来ないのが現代日本の鉄道。かつて一等車及び食堂車を利用していた乗客は主に航空機へ移行してしまった。新幹線にしても東京〜新大阪で最大3回転程度では食堂車は収支が成り立たない。近年では車内飲食はマナー違反とする謎ルールも跋扈し通勤電車と大差無い状態になっている。哀しき限り。
四コマ漫画のサザエさんで描かれてて嬉しかった。グランドひかりという単語、今の小学生には伝わらないんだろうなぁ。
食堂車ってまだあったんだ。銀河鉄道999の印象しかないな。あればいい飯テロ
今から赤字が叫ばれてる北海道新幹線だけど札幌行き最速達っこそグランシャリオ組んでる2+2全席指定の専用編成にしてみたら?って思う最速だから全区間乗車見込めるし卓を囲むフルコースは航空機で決して提供されないサービス新幹線だからキセル出来ないシステム、満腹でトンネル区間はうたた寝タイムオフシーズンはツアー売りで回せるし塗装もメタリックグリーンの所を濃いブルーにするとか東京発ではやぶさより上のサービス許される列車名は一つしか無いからその名前使うとか
食堂車。高かろうマズかろうの代名詞だったな。しかも待ってる人がいる場合、相席は当たり前。食べ終わったらさっさと出ていけ的な対応もあったし。あと駅などに泊まった場合、外からジロジロ見られて落ち着いて食事もできない。廃れるのも当然の成り行きだと思う。
東京駅のミート矢沢とかの数千円するステーキ弁当とかも10年もたてばバブルネタになるんだろうね。「アベノミクスバブルを知らない世代」とか言われてそう。
昭和40年代🫡ばっかり❗ひばりでは❗必ず食堂車を利用してました🎵確か❗ポークかっ定食がコーヒーまでついて390円という破格値段だったと思います⁉️
祖父が満州鉄道の一級建築士でした。特急あじあ号は冷暖房完備の食堂車で、洋食フルコースはもちろんバーカウンターがありスチュワードは容姿端麗な白系ロシア人だったそうです。
小学4.5年くらいの時、訳あって一人で新大阪から名古屋まで0系ひかり号に乗った時にちょうど夕飯時で食堂車まで出かけましたが、それまで一人で食堂などに入ったことが無い子供には食堂車の敷居は高すぎて入れず、隣のビュッフェ車でたこ焼きか何かを買ってお腹を満たしました。今になってあの時思い切って食堂車を利用すればよかった、と痛切に感じます。
東海道新幹線のワゴン販売も終わっちゃったからなぁ。あれで飲むコーヒーは、雰囲気を含めて特別感がありました。
幼稚園の頃、食堂車で富士山を眺めつつコーヒーを飲むんだと、鉄道絵本の一場面でそれはもう憧れました。でもいざ社会人になって新幹線で東西を行き来する頃には廃止…。あげく、ワゴン販売まで終了とは…。
一度も食堂車で食べた事はないけど
子どもの頃に新幹線のビュッフェ車にあったスピードメーターを見るのは好きだった
今では過去の物となった、食堂車。初めて食堂車を利用したのは、1974年の夏。引退間近い蒸気機関車の写真を撮るために、中学の上級生の引率で山陰地方へ出かけた時の事。晩夏の日本海を見ながら、列車内で食べたエビフライ定食(850円)は格別でした。
食堂車は今でも憧れる。鉄道模型で当時を振り返る。
ビュッフェは787系で利用した事がある。
7:34末期の頃の14系の富士・はやぶさで泣ける。
やっぱり食堂車=夜行列車!北斗星のカレーと和朝食旨かった!
サンライズに食堂車とは言わなくても、売店みたいなの入れてほしい!
アメリカのアムトラックやベトナム統一鉄道がうらやましい!
200系新幹線のビュッフェでカレーライス、181系現役引退後の食堂車で食事したことあります。よかったな❤
やっぱり今安定の日本を代表格する鉄道食堂車と言ったら、近鉄特急のしまかぜですかね。
485、583でよく利用したものです。
今はごく一部のリゾート列車にのみとなってしまい、残念です。
バブル期、JR西日本で良くのぞみを利用していました指定席でチケットの確認が終わるとすぐ食堂車、当時は喫煙も出来、食事は単品で注文でビールを頂いて、懐かしいです!今は全てが無くなって時代の流れを感じます。JR西日本ではのぞみは走り始めた頃の事です。確か8号車がグリーン車で喫煙車でトイレも有る車両で隣りが9号車で食堂車だったと思いますが…まぁどちらにしろ良い新幹線の思い出です。
最近、クルーズトレインなど、食事ができる列車が増えてきているが、昔の定期列車に連結されていた、メニューを選べる食堂車とは、全然違うと思う。クルーズトレインもあれはあれで良いだろうが、やはり旅情があまり感じられない…そう思うのは、自分だけだろうか…?
食堂車いまでは絶滅に向っているもんな
子供の頃は親父があれば必ず連れて行ってくれた。新幹線や特急はグリーン車とセット。ブルトレ乗りたいと言えば付き合ってくれたが妹と母はブルトレは嫌と言ってた。定年後の今では海外の鉄道で食堂車あれば必ず使う。アムトラックのカルフォルニアゼファーは個室寝台使えば食事代込みで毎食食堂車。ボッチでは食わしてくれないがそれが良い。中には一言も話をしない目も合わせない白人妻も居ましたが、旦那は饒舌だった。それも旅の醍醐味。近隣国では中国 ロシア ベトナム タイでは食堂車はまだまだ元気
昔の鉄道は旅のロマンがあったなぁ。今は少子高齢化でスピード重視効率重視で鉄道も斜陽産業だよね
食堂車は新幹線で残すべきだったな。寝台列車は今はあまりないから仕方ないが。1度体験したら一生の思い出になるから
新幹線 大阪〜博多間で一度利用しました。会社の先輩に無理やり誘われて。瓶ビールとチーズのおつまみで3000円位(!?)でした。先輩の奢りなので自分の懐は傷まなかったけど(笑)今となってはいい思い出です
食堂車というと、
サンドバーグというアメリカの詩人(1878-1967)の「ローマ人の子」を思い出します。
イタリア系移民の工夫は鉄路のそばに腰をおろして
パンとボロニアソーセージの昼飯を食べる。
汽車が疾走して過ぎる、
その食堂車では
紅い薔薇や黄水仙で
飾ったテーブルで
茶色の肉汁が滴る
ビフテキを食べている、
苺クリーム、エクレア、
コーヒーがついて。
イタリア移民の工夫は
バタなしのパンとボロニアソーセージを食べ終り
(中略)
それから一日十時間の労働の後半にまた取りかかる、
路盤保全の仕事だ、食堂車のテーブルにほっそりと立っている
カットグラスの花瓶の中で
薔薇や黄水仙が微動もしないようにするために。
かつて東海道山陽新幹線には食堂・ビュフェ・車内販売に4社(日本食堂。ビュフェとうきょう、帝国ホテル、都ホテル)が参入していたことも。
ネットで拾った話によると、最も人気があったのは帝国ホテル担当列車で、逆に最も人気がなかったのはビュフェとうきょう担当列車だったとのこと。前者はホテルレストラン系で味へのこだわりが強かった一方、後者は車内販売会社系で味作りに苦心していたのでしょうかね。
戦中戦後と国鉄車掌をやっていた神戸のじぃさんが話す電車うんちくの話に 日本始めての食堂車は〜 ってあったな…小さい頃に聞かされた話だからあんまり覚えてなかったけど、こういう話だったんですな…
新幹線ひかりと在来線の頃のつばさでよく利用したが、食べるものはポークカツ、冬にはカキフライが定番だった。あと、急行「信州」のビュッフェで食べたうな丼も懐かしい思い出だな。
リニアができたら 東海道新幹線か山陽新幹線で 1編成だけ復活車両とかでてきたら 人気になりそうやけどなあ
もっと早く生まれたかった
学生時代の希望の仕事は食堂車のコックでした
同時期次から次へ
食堂車廃止の方向へ
ブルートレインのコック憧れでした😂
食堂車で温かいご飯でも食べたいなぁー
昔、東海道新幹線の食堂車で、親にミルクセーキを頼んでもらったことを思い出しました。
石炭レンジ仕様の食堂車は、提供前にちゃんと火を入れているので、さぞ美味かったのだろうね。
私の場合、セントラルキッチンで調理済のを温めたのしか食べた経験がないので(値段から見て子供心でもいまいちだった)。
戦後新制大学乱立で駅弁大学と言われ現在のコンビニの様に数多の駅にあった駅弁も、後継難などによる調整元の廃業による減少や、新幹線網の発達で主要都市間を結ぶ駅にしか置かれなくなり旅情がなくなりました。駅そばなどもそうでしょうが。
昔ならともかく今はコンビニがあるから需要が少ないが金に余裕あれば食堂車に乗って食べたいな😂
自分の幼い頃の記憶だと20系時代のあさかぜや0系新幹線ひかりで食べた記憶はあって、最後に食べたのは1992年に100系新幹線ひかりで。
幼少時はコンビニ自体存在も無く、弁当=駅弁位、後はあんぱんとか腐りにくい菓子パンを駅の売店で位しか列車に持ち込める飯の選択肢も少なく、それもあって食堂車の利用率は保たれていたけど、「高いし不味い、ゴキブリ見た」みたいな事言って親が使いたがらなかったみたいな声も他の大人からも聞いた記憶も。
列車の速度上がった、自席に荷物残して出掛けるのが怖くなった、コスパが合わなくなったみたいな面が食堂車を終わらせた事は確か。
以前欧州旅行行った際にはまだまだ食堂車は健在だったけど、それ以外の飯の選択肢が乏しく、それもあっての需要だったかと。
幼稚園の時、日本食堂で何回か食べたことがあり、富士山とともにすごく記憶に残っていた。
50年振りくらいに、スイス鉄道の観光列車で食事をして、ユングフラウやアイガーとともにやはり凄く美味しくて感動した。
今はなき寝台特急と新幹線🚄にあった食堂車🍴。わたくしはひかり号の食堂車🍴を数回利用したことあるぜ。常にハンバーグステーキを食べてたぜ。めっちゃ旨かったぜ❗️😋もう食べられないのが悲しいぜ。😢
今は無き北斗星で利用したなぁ…
寝台使って一人旅しまくった思い出が……
食堂車はロマンだよなあ、
鉄ヲタじゃなくても憧れるものがあるよね、
トワイライトエクスプレスなどは運賃がン十万円だから
食事に1万でもそんなに高くかんじないなw
リニアが開通したら大阪から東京に毎日通勤も現実的になるだろうからなあ・・・
長時間走行する列車が存在出来ないのが現代日本の鉄道。
かつて一等車及び食堂車を利用していた乗客は主に航空機へ移行してしまった。
新幹線にしても東京〜新大阪で最大3回転程度では食堂車は収支が成り立たない。
近年では車内飲食はマナー違反とする謎ルールも跋扈し通勤電車と大差無い状態になっている。
哀しき限り。
四コマ漫画のサザエさんで描かれてて嬉しかった。グランドひかりという単語、今の小学生には伝わらないんだろうなぁ。
食堂車ってまだあったんだ。銀河鉄道999の印象しかないな。あればいい飯テロ
今から赤字が叫ばれてる北海道新幹線だけど札幌行き最速達っこそグランシャリオ組んでる2+2全席指定の専用編成にしてみたら?って思う
最速だから全区間乗車見込めるし卓を囲むフルコースは航空機で決して提供されないサービス
新幹線だからキセル出来ないシステム、満腹でトンネル区間はうたた寝タイム
オフシーズンはツアー売りで回せるし
塗装もメタリックグリーンの所を濃いブルーにするとか
東京発ではやぶさより上のサービス許される列車名は一つしか無いからその名前使うとか
食堂車。
高かろうマズかろうの代名詞だったな。
しかも待ってる人がいる場合、相席は当たり前。
食べ終わったらさっさと出ていけ的な対応もあったし。
あと駅などに泊まった場合、外からジロジロ見られて落ち着いて食事もできない。
廃れるのも当然の成り行きだと思う。
東京駅のミート矢沢とかの数千円するステーキ弁当とかも10年もたてばバブルネタになるんだろうね。
「アベノミクスバブルを知らない世代」とか言われてそう。
昭和40年代🫡
ばっかり❗ひばりでは❗必ず食堂車を利用してました🎵確か❗
ポークかっ定食がコーヒーまでついて390円という破格値段だったと思います⁉️