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ありがとうございます。一時期ではありますが、ちほく高原鉄道には、札幌から北網地区への速達の役割を担う案が浮上していました。スーパーおおぞらが釧路まで3時間台で走行していた時代、北見まで石北周りで4時間半かかるところを、ちほく高原鉄道を高速化し、石勝線ー旧池北線周りで北見まで3時間台で結ぶ構想がありました。結局、多方面からのマイナス要素で立ち消えになりましたが。でもその構想にはロマンがありましたね。「スーパーおおぞらに併結するスーパーオホーツク、池田で切離し、スイッチバックして旧池北線内を130キロ運転で爆走する」姿を妄想したものです。ちほく高原鉄道は比較的平野部を走るので高速化には向いていたのですけどね。今となっては、儚い夢でした。
たしかに線形からしてもカーブの多い石北本線よりか銀河線の方が高速化には向いていましたね。北見と旭川の結びつきの強さなども、銀河線高速化が消えた原因なのでしょうかね。
かつての網走本線復活があったかもですね。
サムネに「わずか17年で廃止になった路線」となっているけど、むしろ「よく17年持ったな^^;」こっちの方が正確だと思う🙂
むしろわずか17年で廃止になったはピーチライナーに使う言葉でしょう。
分かりやすい動画。じっくりと見ました。
ここは末期の2005年の輸送密度は1日300人だったけど、徹底的なコストカットを図ったおかげで、意外にも営業係数は低く226だったとのことです。この線のコストカット力を、現在の赤字線の参考にされなかったのが残念です。
鉄道を残すための最大限の努力が行われていたのですね。
池北線時代に何度か乗っていますが、周辺の人口が少ないので利用者も少ないんですよ。池田、本別、足寄、陸別、訓子府、北見の各市町を通っているはずですが小さな駅からは乗ってくる人はほとんどいなくて…😢
代替の路線バスも同じような感じで、主要な町の停留所以外から乗ってくる人はいませんでした。
@@K_zo さん 足寄から北見の間は本当になにもなくて乗っているとひたすら睡眠タイムになってしまいます。自動車を運転していても単調な風景で眠くなるので違う道路で運転します。
宗男の失脚からまもなく廃止になった記憶が。
NHKがかつて「日本一寒い町」として陸別町の特集番組を放送した時に地北線時代の小利別駅(検索したらこの駅らしい)の様子が映っており、駅員さんが放射冷却でより寒い晴れた日と雪の日ではどちらがまだ良いか、と云う記者の質問にレールの融雪対応が大変なので晴れの日の方が良いと応えていました。私個人はちほく鉄道時代に乗車しましたが、北海道らしい原野が見えるには見えましたが、観光の目線では若かった私には退屈に移りました。やはり通学客等が確保出来なければ存続は難しかったでしょうね
当時の駅員さんはまさに鉄道屋らしい回答ですね。意外にも景色は単調で、地元の足として走り続けた路線という感じですね。
何でユーチューブってタイトルに本題を入れない記事(動画)が多いのでしょう。やはり最後まで隠して、全編を見て欲しいからでしょうか?説明書きさえにも本線名が書かれていないのです。
どこだろう? って見て欲しいからでしょうね
多くは「再生数」が閲覧数より重要だからでしょう
本題を入れてしまったら、見出しを見た時点で「知ってた」ってなってしまって、動画再生数とチャンネル登録数にまったく影響しないからね。
丹念なレポお疲れさまでした。酪農や耕作しか産業の無い地域ですから、悲しいかな現状では定住人口が増える要素がありませんよね。とはいえ外国資本による土地買い占めだけは政策を以て阻止願いたいですが…。
北海道のみならず、似たような感じで衰退していく町が増えていきそうな現状ですね。
足寄町と言えば、歌手の松山千春さんの故郷でも有名な町ですよね😄
鈴木宗男も。
@@廃墟人間松山千春は北海道が生んだ歌手🎤です!季節の中で、の大ヒットで今に至ります!
おつかれさまです。ちほく高原鉄道・ふるさと銀河線ですか…廃止の半年前に仲間内で乗り納めに行きました。当時まだ乗り鉄としては駆け出しでろくな予備知識も無くただ「来年廃止されるから」という一念だけで乗ったに過ぎず、実際乗った列車も同じく乗り納め客で3両編成が満員という有り様で、もっとちゃんと乗っておきたかったなぁと今でも思います。同時にあれだけの客がコンスタントに乗ってれば廃止になんてならなかったのになぁとも思いました。その後も他で廃止になる路線があると聞けば同じように直前で乗りに行く日々を繰り返し、今に至ります。これまで廃止になった路線たちにはそんな乗り方しか出来なくて本当に申し訳なく思っています。そんなことを思い出した今回の動画でした。りくべつ鉄道も知ってはいましたが何しろ遠くて…よく行って来られたと感心しました。
乗れただけ羨ましいですが、私も同じく廃止前の駆け込み需要の様子をみると毎日これだけ乗客がいればと廃止になる路線を見るたびに常々思ってしまいますね。りくべつ鉄道には今度は乗れる時期に行ってみたいと思います。
ふるさと銀河線は池北線時代に一度乗車しましたが車窓風景が平凡で少々退屈でしたあの車窓では観光鉄道に生まれ変わるのも厳しかったでしょうね。
案外平坦な区間が多く何もない広大な大地の中を往く感じなので、代わり映えのない車窓ではありますね。
1992年に帯広に出張があって仕事を終えた後、ふらっと池田に行ってみたのですが、当時はまだ池田駅の構内に機関庫があって、気動車や機関車が何両か停まっていました。機関庫に「輸送力増強」という掲示があったのが、今でも印象に残っています。
当時はすでに利用は下り坂だったとは思いますが、それでも輸送力増強が至上命題だったころの名残があったのですね。
まあ、公共事業を自治体や民間に任せること自体間違いですから。ちなみに、バスも以下の理屈は同様なので、儲けることはできないでしょう。もし過疎地で人がいないところでゼロから鉄道を立ち上げて儲けようとしたらどうしますか?①鉄道会社を立ち上げる②路線を引く場所を決める③用地買収する④線路を敷き、駅を置く。場合によっては橋や踏切やトンネルも敷く。⑤車両を購入する他に足りないところがあるとは思いますが、国鉄がお金を出して作っていたのですよ。それを民間が引き継ぐとして、人口が低い中どうやって儲けますか?①運賃を引き上げる②運行本数を減らす③職員を減らすどう考えても、人がいないのに鉄道で稼ぐのはムリだってことです。そりゃあ便利な都市部ならば人が集まり一人あたりの賃金が低くても収益があるでしょうが、過疎地での鉄道は利益を上げる手段がないので、人がいないのでムリです。鉄道を民間に任せると、鉄道が潰れるのは必至です。バスも同じですし、道路も民間が作れば有料道路になるでしょう。その地域は不便になるので人口が減り、コミュニティーが崩壊するのは当たり前ですよ。そして便利な大都市へ人口が集中するって流れを、政府は作ってきたのですよ。そうなると、災害時はどうなるかというと、大都市が機能不全になり、地方に人がいなければ助ける人がいないので、壊滅的になるでしょう。それに、北海道は中国資本が入り込み、中国人の街が多数ありますよね。人口が集中すれば生産性はあがる、これは間違いないかも知れませんが、災害大国でそれをやってもいいのかな?むしろ人口を分散させ地方を便利にするために鉄道や道路をどんどん敷いてネットワークを広げるべきなのです。これをできるのは政府しかいない。地方自治体や3セクじゃあ絶対ムリです。むしろ当然の流れですよ。政府が地方を荒廃させた政策をしている。これでいいのかって本気で思いません?インフラを作る役目は政府にある。これ以外無いですって。
田中角栄が言ってた一般企業と同じ目線で国鉄の赤字を語るべきではないってのはこういうことか田中角栄が総理の時とか国鉄再建の時とか生まれてないから詳しくは知らないけど後、今の政治家にはあまり期待しない方がいいぞ
帯広-陸別のバスは太川、蛭子さんが森尾由美さんと乗り通してましたね。一般路線バス車両で3時間は冬場は厳しそうですな。
同じ職場に、国鉄時代池北線陸別駅に勤務していた人がいました。とても寒い地域で、一年の半分近くストーブが必要で、待合室のストーブの火を絶やさないようにするのが、駅員の大事な仕事だと言っていました。
廃止なって残念ですが、億円単位で毎年の赤字に基金自体の切り崩しでは、厳しいものがあったことが、動画から知りました。 しかし陸別は一部動態保存とし、運転会のような催しとなっているのは、地元や鉄道ファンにはせめてよかったというべきなのであろう。
動態保存を続けていくのは大変なのかと思いますが、町のシンボルとして少しでも長く残り続けてほしいですね。
@@K_zo さま、返信コメントありがとうございます。 私も同じように思います。陸別あたりは今は北海道の地方で起きている現象のように、過疎化が進んで帯広や池田や札幌などへの移住も一部はあるでしょうから、余計にきびしい状況もあるかと思いますが、なんとかやっていってほしいです。 陸別などこのあたりは北海道でも冬は寒く、普通、本州の人からみれば、冬の気温など、我々の本州の春や夏の気温をそのままマイナスに変えたような値が、陸別付近の冬の気温であり(例えば冬の気温はー21℃とか寒さでも大変!)、以前はテレビなどで、陸別の冬のドキュメントを放映されたくらいですし、事実、陸別町あたりは冬の寒さを逆手にとり、パロディー(ギャグ)で寒さを売りに催し物を実施したりしてるみたいです。 私は実は「乗り鉄」の鉄道ファンでして、要は「撮り鉄」ではなく旅派の乗るタイプであり、歳がある程度はけいぞうさまに知れてしまいそうですが、生徒や学生時代の北海道乗り鉄&観光旅で、池北線時代(三セクに変わる直前あたりの時期)に、足寄駅などは除く大半の有人駅や簡易委託駅で下車して、乗り鉄がよくやっていた硬券入場券や簡易委託駅では硬券乗車券、そして駅の下車印を周遊券や周遊きっぷ(ゾーン券)に押印してもらったり、駅の記念スタンプを持参したスタンプノートに押していく、というようなことをしてまして、よくある上下の列車を有効に使って行きつ戻りつしながら、池田駅から北見駅まで、夜行列車を池田に早朝に下車して、確か池北線の池田発の北見方面行きの始発列車からスタートして、下車を繰り返しながら、北見駅には夕方あたりに到着して、以降は乗り鉄を続行していった訳なんです。(確か、本別(ほんべつ)駅(正規有人駅)、勇足(ゆうたり)駅(正規有人駅か簡易委託駅どちらか)、大誉地(およち)駅(簡易委託駅)、上利別(かみとしべつ)駅(正規有人駅か簡易委託駅)、陸別駅(正規有人駅)、置戸(おけと)駅(正規有人駅)、訓子府(くんねっぷ)駅(正規有人駅、確かこの駅で無人駅だと思うが「日ノ出駅」の硬券の観光記念入場券を購入)あたりで下車または列車行き違い停車などで下車した。記憶があいまいで、ごめんなさい。大誉地はなんかシケた感じの街並みで、長期乗り鉄旅のため、旅の途中で買った土産物や着換えて汚れた服や下着を、ヤマト宅急便の立て看板が出ていた、ある商店からダンボール箱をいただいて自宅へ宅急便で返送したことが、記憶に強く残ってます。列車は確かキハ40型ディーゼル列車でした) 当時は池北線を旅して、午前中は早朝からは少し小雨で天気も悪めでしたが、昼からあたりは天気回復してきて、訓子府駅から北見駅までは傾きかけた太陽からの光に大地に点在する北海道らしい民家の風景がとてもきれいで、そのほかの場所でも北海道の田舎の知らない土地まで来た感動や、自分自身の体験の目新しさに感動や喜びを感じながら旅を続けました!) このあたりから半分は武勇伝の自慢話みたいですみませんが、当時は、あのかつて乗り鉄の本などに掲載されてたように、周遊券のオモテ券面を下車印や駅名小印でいっぱいにして、一部は裏面に回り、途中下車印たしか150駅あたりは押印してもらって帰宅しました。 また、時代が少し前になり、私は近畿地方あたりに在住なため、この北海道の鉄道旅の行きは、当時はあの“日本海縦貫線”とも言われた、大阪発の北陸本線、信越本線、白新線、羽越本線、奥羽本線経由の青森行きで、あの歴史ある、かつての栄光の昼間の“特急「白鳥」号”に始発駅の大阪(午前10時あたり発)から終着駅の青森(午後の23時40分あたり着)くらいまで乗りとおして大感動、大満足でした。乗車券に換算したら高いですが、自由席特急券なら3000円ちょっとで大阪から青森まで乗せてもらえるとは、遠距離逓減制のおトク感も味わいました。 あとから調べたら、一日中走りっぱなしの約1040kmを行くわけです。 これは当時の昼間の在来線の特急の最長列車ではなかったかと思うんですね! しかし、体感としては、乗り鉄なら車窓の移り変わりや駅弁などを食べたり、長距離特急列車を味わいながら行けば、若干は退屈な時間は少しありましたが、時間は早く過ぎていくにも感じました。 ただ、今の若い20歳代の鉄道ファン、特に20歳代の乗り鉄さんなどは、そんな醍醐味を味わえるような長距離列車や夜行列車がなくなってしまって、ある意味、かわいそうな気もしてます。 以上、いろいろと話して長いコメントになってしまい、お付き合いいただき、ありがとうございました。(コメント終わり)
鐵道どころかバスも何も公共交通網の崩壊破綻で限界集落となり誰も住まない地域となれば再生できない話やろ✋🚃🚌
地元出身のガールズ・バンド、Whiteberryの「夏祭り」のPVに、現役当時のふるさと銀河線が出てきます彼女達も解散した今、懐かしさと物悲しさを感じますth-cam.com/video/AZRR01YOKcM/w-d-xo.html
「桜並木道」は名曲だたなあ。
旧JR北海道の池北線を転換している北海道ちほく高原鉄道。2006年より全線廃止されたが、第三セクターの鉄道としては、史上最長線だったが2019年3月よりJR東日本、山田線の半分を転換して三陸鉄道リアス線が開業し、そちらが最長線となった。
動画中の足寄駅の電灯の電球💡はついていましたが、JR西日本 芸備線過疎区間(東城~備後庄原)の「道後山駅」の電灯の💡電球はすでに外され、周りも錆びていました。まだ現役の駅です。
この手の鉄道の存続でお題目みたいに観光列車とかSL列車を走らせたらええってアホなヤツが言うけどそんな小手先だけの施ししたところでどうにもならんわトヨタクラスの大企業以上の会社の企業城下町になるか省庁のどれかが移転でもせん限り絶対に再建はムリやと思う
銀河線の現役時代もSLや観光列車の運行が何度かありましたが、集客は一過性のもので終わってしまったようです。
この長さを超えて地獄の収支になる三セクが誕生するかもしれない事実
妄想特急【スーパーおおとり】「札幌」→千歳線→「南千歳」→石勝線→「新得」→北十勝線→「足寄」→池北線→「北見」→石北本線→「網走」
残念です。
池北線時代を含めて何年だっただろか?
網走本線時代からカウントすると95年だね。
ちほく高原鉄道が廃線になったのは鈴木宗男氏の失脚が大きいです。地元出身の鈴木宗男氏が自民党内で力を持ってたので存続してたというのが実情です。鈴木氏が2002年に逮捕されて自民党を離党するまでは廃線の話は一切出ず、様々な活性化策が話し合われてましたが逮捕離党によって一気に廃線に方向転換しました。
事実かどうかは不明だけど、池北線と名寄本線、どちらを残すかという話になったときに、池北線が選ばれたのは、鈴木宗男氏の力のおかげだと言われていましたね。一方の名寄本線は、一部区間のみの三セク化の話となりましたが、結局実現せずに廃止となりました。
@@7747-s5g 当時の名寄線沿線だったオホーツク地方を地盤にしていた自民党議員は武部勤氏でしたね。後に小泉政権で党幹事長を務めた武部氏でしたが、この頃は十勝地方の鈴木氏や中川昭一氏の力が強かったと思います。また武部氏以前は島田琢郎氏他社会党議員の力も強かったこともマイナスだったのでしょうか。
秘境駅好きな私にとっては魅力的な駅が多くて、廃止は惜しかったのですが、このような状態ならやむなしですね。
対北見、網走は、厳しい山越えの勾配がある上に線形の悪い石北本線よりも、平野部を走り線形もよい池北線を高速化改良するほうが間違いなく所要時間は短くなるはずだったのに。遠軽、池田でスイッチバックするのも同じ条件でもある。
高速化するには銀河線を改良する方が線形的には向いていましたね。
距離が長いために保線にかかるコストがふるさと銀河線の方が圧倒的だったのかも(´-ω-`)バス転換されてなお赤字経営が避けられないとなれば、国が責任を持って運用するか、そもそもその地が人の暮らすのに適さない地と看做し、自然に帰すより致し方無し。
北海道一周した時に池田の民宿泊まり、別料金だがステーキを食ったのは良い思い出です^_^
十勝牛のステーキは絶品ですね。
Merry Christmas!
国鉄池北線、ご利用少なかったですね。メインが足寄しか無かった感じ、急行ちほくがあっただけ、松山さんの力だけではどうしょうもないでした。でも路線がまだ保存がよく出来ていますね。北海道のこのあたり、士幌線、白糠線、広尾線とかありました。国鉄民営化のとき、大胆に3セグ化されて残念。経営安定化基金では維持できなかったのですね。ちと残念です。
バブル期は赤字補填のための資金も潤沢で何十年も鉄道を維持できそうでしたが、不景気と人口減少の波が一気に押し寄せ廃線という結果になってしまいましたね。
経営安定基金で維持できていないのはJR北海道も同じですねどちらも年々増えている運営益だけで十分維持できるだろうとバブル期に想定されて渡されていますから
北見から置戸までだけ残すという選択肢とかもあったみたいだけどやっぱり過疎地域のローカル線は大体どこも厳しいのが現状よほくほく線が特急通らなくなった瞬間一瞬で赤字になったみたいにローカル線が儲かるには特急走らすしかない
来年に帯広に行くので、池田にも行ってみます。
池田帯広間は、バスは1時間に対し列車は30分くらいですね。
同感。。🚂🚈🚊🐈️😽😻😹🐱😺🚝バスも、長距離仕様の車輌にして欲しい。
ふるさと創世1億円。懐かしい響き。創世て。。。故郷って、あるものであって、作るもんじゃないんだけど。思えば、あの時代、アメリカではappleやマイクロソフトが産声をあげつつあり、ヨーロッパではEU創設の動きが加速していた。その一方で、土地投機とバラマキに終始した日本。日本の終わりは当時すでに始まっていた。
開通当初は本線だったのに
今年、JR各社の赤字路線における沿線自治体との存廃協議を国が後押しする制度が始動しましたが、カネは出さない協議には応じないで逃げ回っているくせに、JRにお題目だけは主張する首長もいる有様です。それに比べたら、この動画の沿線自治体はギリギリまでよく頑張ったと思います。今も鉄道の名残りが現地に残っているのは、沿線自治体にとって良かったのではないでしょうか。
第三セクターという形で沿線自治体も経営の中心であっただけに、最後まで放棄することなく責任を持った議論を展開しましたね。鉄道保存の動きがあるのは沿線自治体としても特別な思い入れがあるのでしょう。
金出さない、協議に応じない、なら廃線にするってできないだろうってタカくくっていますもんね
足寄町と言えば、ひろゆきの実家の牧場があるはず
足寄。すべ山千春の生誕地だったとは。しかし 見事な すべすべ 頭
兵庫県の三木鉄道より短い間の三セクも有ったんですね。
三木鉄道も短命な三セクでしたね。
陸別は、最後まで鉄道存続を主張していた。。🚂🚈🚊
ふるさと銀河線友の会の足寄駅のモニュメントに、自分の名前は残っているのだろうか?
北のピーチライナー 北海道ちほく高原鉄道
地元が乗りもしないのに残せというのは、単なる勝手です。残す以上は車を捨ててでも鉄道を利用しなければ駄目です。全国で同じ事が言えます。首都圏と繋がる幹線鉄道と通勤路線として黒字の路線以外は廃止するのが資本主義の原則です。
どこにでもこういうのがいるんやなぁ。
現在は体験運転の聖地に...
バブルというより宗男が逮捕されたからの間違いでしょう
何もかもを東京が吸っていくからなあ
9:38日本をロシアにお捧げしたくて仕方ない露助の犬の鈴木宗男はないのね🤣
ありがとうございます。
一時期ではありますが、ちほく高原鉄道には、札幌から北網地区への速達の役割を担う案が浮上していました。スーパーおおぞらが釧路まで3時間台で走行していた時代、北見まで石北周りで4時間半かかるところを、ちほく高原鉄道を高速化し、石勝線ー旧池北線周りで北見まで3時間台で結ぶ構想がありました。
結局、多方面からのマイナス要素で立ち消えになりましたが。
でもその構想にはロマンがありましたね。「スーパーおおぞらに併結するスーパーオホーツク、池田で切離し、スイッチバックして旧池北線内を130キロ運転で爆走する」姿を妄想したものです。
ちほく高原鉄道は比較的平野部を走るので高速化には向いていたのですけどね。
今となっては、儚い夢でした。
たしかに線形からしてもカーブの多い石北本線よりか銀河線の方が高速化には向いていましたね。
北見と旭川の結びつきの強さなども、銀河線高速化が消えた原因なのでしょうかね。
かつての網走本線復活があったかもですね。
サムネに「わずか17年で廃止になった路線」となっているけど、むしろ「よく17年持ったな^^;」
こっちの方が正確だと思う🙂
むしろわずか17年で廃止になったはピーチライナーに使う言葉でしょう。
分かりやすい動画。じっくりと見ました。
ここは末期の2005年の輸送密度は1日300人だったけど、徹底的なコストカットを図ったおかげで、意外にも営業係数は低く226だったとのことです。この線のコストカット力を、現在の赤字線の参考にされなかったのが残念です。
鉄道を残すための最大限の努力が行われていたのですね。
池北線時代に何度か乗っていますが、周辺の人口が少ないので利用者も少ないんですよ。
池田、本別、足寄、陸別、訓子府、北見の各市町を通っているはずですが
小さな駅からは乗ってくる人はほとんどいなくて…😢
代替の路線バスも同じような感じで、主要な町の停留所以外から乗ってくる人はいませんでした。
@@K_zo さん 足寄から北見の間は本当になにもなくて乗っているとひたすら睡眠タイムになってしまいます。自動車を運転していても単調な風景で眠くなるので違う道路で運転します。
宗男の失脚からまもなく廃止になった記憶が。
NHKがかつて「日本一寒い町」として陸別町の特集番組を放送した時に地北線時代の小利別駅(検索したらこの駅らしい)の様子が映っており、駅員さんが放射冷却でより寒い晴れた日と雪の日ではどちらがまだ良いか、と云う記者の質問にレールの融雪対応が大変なので晴れの日の方が良いと応えていました。
私個人はちほく鉄道時代に乗車しましたが、北海道らしい原野が見えるには見えましたが、観光の目線では若かった私には退屈に移りました。やはり通学客等が確保出来なければ存続は難しかったでしょうね
当時の駅員さんはまさに鉄道屋らしい回答ですね。
意外にも景色は単調で、地元の足として走り続けた路線という感じですね。
何でユーチューブってタイトルに本題を入れない記事(動画)が多いのでしょう。やはり最後まで隠して、全編を見て欲しいからでしょうか?説明書きさえにも本線名が書かれていないのです。
どこだろう? って見て欲しいからでしょうね
多くは「再生数」が閲覧数より重要だからでしょう
本題を入れてしまったら、見出しを見た時点で「知ってた」ってなってしまって、動画再生数とチャンネル登録数にまったく影響しないからね。
丹念なレポお疲れさまでした。
酪農や耕作しか産業の無い地域ですから、悲しいかな現状では定住人口が増える要素がありませんよね。
とはいえ外国資本による土地買い占めだけは政策を以て阻止願いたいですが…。
北海道のみならず、似たような感じで衰退していく町が増えていきそうな現状ですね。
足寄町と言えば、歌手の松山千春さんの故郷でも有名な町ですよね😄
鈴木宗男も。
@@廃墟人間松山千春は北海道が生んだ歌手🎤です!
季節の中で、の大ヒットで今に至ります!
おつかれさまです。
ちほく高原鉄道・ふるさと銀河線ですか…廃止の半年前に仲間内で乗り納めに行きました。当時まだ乗り鉄としては駆け出しでろくな予備知識も無くただ「来年廃止されるから」という一念だけで乗ったに過ぎず、実際乗った列車も同じく乗り納め客で3両編成が満員という有り様で、もっとちゃんと乗っておきたかったなぁと今でも思います。同時にあれだけの客がコンスタントに乗ってれば廃止になんてならなかったのになぁとも思いました。その後も他で廃止になる路線があると聞けば同じように直前で乗りに行く日々を繰り返し、今に至ります。これまで廃止になった路線たちにはそんな乗り方しか出来なくて本当に申し訳なく思っています。そんなことを思い出した今回の動画でした。
りくべつ鉄道も知ってはいましたが何しろ遠くて…よく行って来られたと感心しました。
乗れただけ羨ましいですが、私も同じく廃止前の駆け込み需要の様子をみると毎日これだけ乗客がいればと廃止になる路線を見るたびに常々思ってしまいますね。
りくべつ鉄道には今度は乗れる時期に行ってみたいと思います。
ふるさと銀河線は池北線時代に一度乗車しましたが車窓風景が平凡で少々退屈でした
あの車窓では観光鉄道に生まれ変わるのも厳しかったでしょうね。
案外平坦な区間が多く何もない広大な大地の中を往く感じなので、代わり映えのない車窓ではありますね。
1992年に帯広に出張があって仕事を終えた後、ふらっと池田に行ってみたのですが、当時はまだ池田駅の構内に機関庫があって、気動車や機関車が何両か停まっていました。機関庫に「輸送力増強」という掲示があったのが、今でも印象に残っています。
当時はすでに利用は下り坂だったとは思いますが、それでも輸送力増強が至上命題だったころの名残があったのですね。
まあ、公共事業を自治体や民間に任せること自体間違いですから。ちなみに、バスも以下の理屈は同様なので、儲けることはできないでしょう。
もし過疎地で人がいないところでゼロから鉄道を立ち上げて儲けようとしたらどうしますか?
①鉄道会社を立ち上げる
②路線を引く場所を決める
③用地買収する
④線路を敷き、駅を置く。場合によっては橋や踏切やトンネルも敷く。
⑤車両を購入する
他に足りないところがあるとは思いますが、国鉄がお金を出して作っていたのですよ。
それを民間が引き継ぐとして、人口が低い中どうやって儲けますか?
①運賃を引き上げる
②運行本数を減らす
③職員を減らす
どう考えても、人がいないのに鉄道で稼ぐのはムリだってことです。そりゃあ便利な都市部ならば人が集まり一人あたりの賃金が低くても収益があるでしょうが、過疎地での鉄道は利益を上げる手段がないので、人がいないのでムリです。
鉄道を民間に任せると、鉄道が潰れるのは必至です。バスも同じですし、道路も民間が作れば有料道路になるでしょう。その地域は不便になるので人口が減り、コミュニティーが崩壊するのは当たり前ですよ。
そして便利な大都市へ人口が集中するって流れを、政府は作ってきたのですよ。そうなると、災害時はどうなるかというと、大都市が機能不全になり、地方に人がいなければ助ける人がいないので、壊滅的になるでしょう。
それに、北海道は中国資本が入り込み、中国人の街が多数ありますよね。
人口が集中すれば生産性はあがる、これは間違いないかも知れませんが、災害大国でそれをやってもいいのかな?むしろ人口を分散させ地方を便利にするために鉄道や道路をどんどん敷いてネットワークを広げるべきなのです。
これをできるのは政府しかいない。地方自治体や3セクじゃあ絶対ムリです。むしろ当然の流れですよ。政府が地方を荒廃させた政策をしている。これでいいのかって本気で思いません?
インフラを作る役目は政府にある。これ以外無いですって。
田中角栄が言ってた一般企業と同じ目線で国鉄の赤字を語るべきではないってのはこういうことか
田中角栄が総理の時とか国鉄再建の時とか生まれてないから詳しくは知らないけど
後、今の政治家にはあまり期待しない方がいいぞ
帯広-陸別のバスは太川、蛭子さんが森尾由美さんと乗り通してましたね。一般路線バス車両で3時間は冬場は厳しそうですな。
同じ職場に、国鉄時代池北線陸別駅に勤務していた人がいました。とても寒い地域で、一年の半分近くストーブが必要で、待合室のストーブの火を絶やさないようにするのが、駅員の大事な仕事だと言っていました。
廃止なって残念ですが、億円単位で毎年の赤字に基金自体の切り崩しでは、厳しいものがあったことが、動画から知りました。
しかし陸別は一部動態保存とし、運転会のような催しとなっているのは、地元や鉄道ファンにはせめてよかったというべきなのであろう。
動態保存を続けていくのは大変なのかと思いますが、町のシンボルとして少しでも長く残り続けてほしいですね。
@@K_zo さま、返信コメントありがとうございます。
私も同じように思います。陸別あたりは今は北海道の地方で起きている現象のように、過疎化が進んで帯広や池田や札幌などへの移住も一部はあるでしょうから、余計にきびしい状況もあるかと思いますが、なんとかやっていってほしいです。
陸別などこのあたりは北海道でも冬は寒く、普通、本州の人からみれば、冬の気温など、我々の本州の春や夏の気温をそのままマイナスに変えたような値が、陸別付近の冬の気温であり(例えば冬の気温はー21℃とか寒さでも大変!)、以前はテレビなどで、陸別の冬のドキュメントを放映されたくらいですし、事実、陸別町あたりは冬の寒さを逆手にとり、パロディー(ギャグ)で寒さを売りに催し物を実施したりしてるみたいです。
私は実は「乗り鉄」の鉄道ファンでして、要は「撮り鉄」ではなく旅派の乗るタイプであり、歳がある程度はけいぞうさまに知れてしまいそうですが、生徒や学生時代の北海道乗り鉄&観光旅で、池北線時代(三セクに変わる直前あたりの時期)に、足寄駅などは除く大半の有人駅や簡易委託駅で下車して、乗り鉄がよくやっていた硬券入場券や簡易委託駅では硬券乗車券、そして駅の下車印を周遊券や周遊きっぷ(ゾーン券)に押印してもらったり、駅の記念スタンプを持参したスタンプノートに押していく、というようなことをしてまして、よくある上下の列車を有効に使って行きつ戻りつしながら、池田駅から北見駅まで、夜行列車を池田に早朝に下車して、確か池北線の池田発の北見方面行きの始発列車からスタートして、下車を繰り返しながら、北見駅には夕方あたりに到着して、以降は乗り鉄を続行していった訳なんです。(確か、本別(ほんべつ)駅(正規有人駅)、勇足(ゆうたり)駅(正規有人駅か簡易委託駅どちらか)、大誉地(およち)駅(簡易委託駅)、上利別(かみとしべつ)駅(正規有人駅か簡易委託駅)、陸別駅(正規有人駅)、置戸(おけと)駅(正規有人駅)、訓子府(くんねっぷ)駅(正規有人駅、確かこの駅で無人駅だと思うが「日ノ出駅」の硬券の観光記念入場券を購入)あたりで下車または列車行き違い停車などで下車した。記憶があいまいで、ごめんなさい。大誉地はなんかシケた感じの街並みで、長期乗り鉄旅のため、旅の途中で買った土産物や着換えて汚れた服や下着を、ヤマト宅急便の立て看板が出ていた、ある商店からダンボール箱をいただいて自宅へ宅急便で返送したことが、記憶に強く残ってます。列車は確かキハ40型ディーゼル列車でした)
当時は池北線を旅して、午前中は早朝からは少し小雨で天気も悪めでしたが、昼からあたりは天気回復してきて、訓子府駅から北見駅までは傾きかけた太陽からの光に大地に点在する北海道らしい民家の風景がとてもきれいで、そのほかの場所でも北海道の田舎の知らない土地まで来た感動や、自分自身の体験の目新しさに感動や喜びを感じながら旅を続けました!)
このあたりから半分は武勇伝の自慢話みたいですみませんが、当時は、あのかつて乗り鉄の本などに掲載されてたように、周遊券のオモテ券面を下車印や駅名小印でいっぱいにして、一部は裏面に回り、途中下車印たしか150駅あたりは押印してもらって帰宅しました。
また、時代が少し前になり、私は近畿地方あたりに在住なため、この北海道の鉄道旅の行きは、当時はあの“日本海縦貫線”とも言われた、大阪発の北陸本線、信越本線、白新線、羽越本線、奥羽本線経由の青森行きで、あの歴史ある、かつての栄光の昼間の“特急「白鳥」号”に始発駅の大阪(午前10時あたり発)から終着駅の青森(午後の23時40分あたり着)くらいまで乗りとおして大感動、大満足でした。乗車券に換算したら高いですが、自由席特急券なら3000円ちょっとで大阪から青森まで乗せてもらえるとは、遠距離逓減制のおトク感も味わいました。
あとから調べたら、一日中走りっぱなしの約1040kmを行くわけです。
これは当時の昼間の在来線の特急の最長列車ではなかったかと思うんですね!
しかし、体感としては、乗り鉄なら車窓の移り変わりや駅弁などを食べたり、長距離特急列車を味わいながら行けば、若干は退屈な時間は少しありましたが、時間は早く過ぎていくにも感じました。
ただ、今の若い20歳代の鉄道ファン、特に20歳代の乗り鉄さんなどは、そんな醍醐味を味わえるような長距離列車や夜行列車がなくなってしまって、ある意味、かわいそうな気もしてます。
以上、いろいろと話して長いコメントになってしまい、お付き合いいただき、ありがとうございました。(コメント終わり)
鐵道どころかバスも何も公共交通網の崩壊破綻で限界集落となり誰も住まない地域となれば再生できない話やろ✋🚃🚌
地元出身のガールズ・バンド、Whiteberryの「夏祭り」のPVに、
現役当時のふるさと銀河線が出てきます
彼女達も解散した今、懐かしさと物悲しさを感じます
th-cam.com/video/AZRR01YOKcM/w-d-xo.html
「桜並木道」は名曲だたなあ。
旧JR北海道の池北線を転換している
北海道ちほく高原鉄道。2006年より
全線廃止されたが、第三セクターの
鉄道としては、史上最長線だったが
2019年3月よりJR東日本、山田線の
半分を転換して三陸鉄道リアス線が
開業し、そちらが最長線となった。
動画中の足寄駅の電灯の電球💡はついていましたが、JR西日本 芸備線過疎区間(東城~備後庄原)の「道後山駅」の電灯の💡電球はすでに外され、周りも錆びていました。まだ現役の駅です。
この手の鉄道の存続で
お題目みたいに観光列車とかSL列車を走らせたらええって
アホなヤツが言うけど
そんな小手先だけの施ししたところでどうにもならんわ
トヨタクラスの大企業以上の会社の企業城下町になるか省庁のどれかが移転でもせん限り
絶対に再建はムリやと思う
銀河線の現役時代もSLや観光列車の運行が何度かありましたが、集客は一過性のもので終わってしまったようです。
この長さを超えて地獄の収支になる三セクが誕生するかもしれない事実
妄想特急【スーパーおおとり】
「札幌」→千歳線→「南千歳」→石勝線→「新得」→北十勝線→「足寄」→池北線→「北見」→石北本線→「網走」
残念です。
池北線時代を含めて何年だっただろか?
網走本線時代からカウントすると95年だね。
ちほく高原鉄道が廃線になったのは鈴木宗男氏の失脚が大きいです。
地元出身の鈴木宗男氏が自民党内で力を持ってたので存続してたというのが実情です。
鈴木氏が2002年に逮捕されて自民党を離党するまでは廃線の話は一切出ず、様々な活性化策が話し合われてましたが
逮捕離党によって一気に廃線に方向転換しました。
事実かどうかは不明だけど、池北線と名寄本線、どちらを残すかという話になったときに、池北線が選ばれたのは、鈴木宗男氏の力のおかげだと言われていましたね。一方の名寄本線は、一部区間のみの三セク化の話となりましたが、結局実現せずに廃止となりました。
@@7747-s5g 当時の名寄線沿線だったオホーツク地方を地盤にしていた自民党議員は武部勤氏でしたね。後に小泉政権で党幹事長を務めた武部氏でしたが、この頃は十勝地方の鈴木氏や中川昭一氏の力が強かったと思います。また武部氏以前は島田琢郎氏他社会党議員の力も強かったこともマイナスだったのでしょうか。
秘境駅好きな私にとっては魅力的な駅が多くて、廃止は惜しかったのですが、このような状態ならやむなしですね。
対北見、網走は、厳しい山越えの勾配がある上に線形の悪い石北本線よりも、平野部を走り線形もよい池北線を高速化改良するほうが間違いなく所要時間は短くなるはずだったのに。遠軽、池田でスイッチバックするのも同じ条件でもある。
高速化するには銀河線を改良する方が線形的には向いていましたね。
距離が長いために保線にかかるコストがふるさと銀河線の方が圧倒的だったのかも(´-ω-`)
バス転換されてなお赤字経営が避けられないとなれば、国が責任を持って運用するか、そもそもその地が人の暮らすのに適さない地と看做し、自然に帰すより致し方無し。
北海道一周した時に池田の民宿泊まり、別料金だがステーキを食ったのは良い思い出です^_^
十勝牛のステーキは絶品ですね。
Merry Christmas!
国鉄池北線、ご利用少なかったですね。
メインが足寄しか無かった感じ、急行ちほくがあっただけ、松山さんの力だけではどうしょうもないでした。
でも路線がまだ保存がよく出来ていますね。
北海道のこのあたり、士幌線、白糠線、広尾線とかありました。
国鉄民営化のとき、大胆に3セグ化されて残念。
経営安定化基金では維持できなかったのですね。ちと残念です。
バブル期は赤字補填のための資金も潤沢で何十年も鉄道を維持できそうでしたが、不景気と人口減少の波が一気に押し寄せ廃線という結果になってしまいましたね。
経営安定基金で維持できていないのはJR北海道も同じですね
どちらも年々増えている運営益だけで十分維持できるだろうとバブル期に想定されて渡されていますから
北見から置戸までだけ残すという選択肢とかもあったみたいだけどやっぱり過疎地域のローカル線は大体どこも厳しいのが現状よ
ほくほく線が特急通らなくなった瞬間一瞬で赤字になったみたいにローカル線が儲かるには特急走らすしかない
来年に帯広に行くので、池田にも行ってみます。
池田帯広間は、バスは1時間に対し列車は30分くらいですね。
同感。。🚂🚈🚊🐈️😽😻😹🐱😺🚝バスも、長距離仕様の車輌にして欲しい。
ふるさと創世1億円。懐かしい響き。
創世て。。。故郷って、あるものであって、作るもんじゃないんだけど。
思えば、あの時代、アメリカではappleやマイクロソフトが産声をあげつつあり、
ヨーロッパではEU創設の動きが加速していた。その一方で、土地投機とバラマキに終始した日本。日本の終わりは当時すでに始まっていた。
開通当初は本線だったのに
今年、JR各社の赤字路線における沿線自治体との存廃協議を国が後押しする制度が始動しましたが、カネは出さない協議には応じないで逃げ回っているくせに、JRにお題目だけは主張する首長もいる有様です。
それに比べたら、この動画の沿線自治体はギリギリまでよく頑張ったと思います。
今も鉄道の名残りが現地に残っているのは、沿線自治体にとって良かったのではないでしょうか。
第三セクターという形で沿線自治体も経営の中心であっただけに、最後まで放棄することなく責任を持った議論を展開しましたね。
鉄道保存の動きがあるのは沿線自治体としても特別な思い入れがあるのでしょう。
金出さない、協議に応じない、なら廃線にするってできないだろうってタカくくっていますもんね
足寄町と言えば、ひろゆきの実家の牧場があるはず
足寄。すべ山千春の生誕地だったとは。
しかし 見事な すべすべ 頭
兵庫県の三木鉄道より短い間の三セクも有ったんですね。
三木鉄道も短命な三セクでしたね。
陸別は、最後まで鉄道存続を主張していた。。🚂🚈🚊
ふるさと銀河線友の会の足寄駅のモニュメントに、自分の名前は残っているのだろうか?
北のピーチライナー 北海道ちほく高原鉄道
地元が乗りもしないのに残せというのは、単なる勝手です。残す以上は車を捨ててでも鉄道を利用しなければ駄目です。全国で同じ事が言えます。
首都圏と繋がる幹線鉄道と通勤路線として黒字の路線以外は廃止するのが資本主義の原則です。
どこにでもこういうのがいるんやなぁ。
現在は体験運転の聖地に...
バブルというより宗男が逮捕されたからの間違いでしょう
何もかもを東京が吸っていくからなあ
9:38
日本をロシアにお捧げしたくて仕方ない露助の犬の鈴木宗男はないのね🤣