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ファミコンが売り切れてて親父に無理やり買わされたSG-1000から始まってマークIII、メガドライブ、セガサターン、ドリームキャストと、ずっとセガ派だったけど、いつの時代もライバル機に押されてたイメージしかなかった。小学校のクラスで友達はみんなファミコンの話題ばかりで肩身の狭い思いをしたっけなぁ…
コナミのMSXへの注力をセガマークⅢのサードとして迎えていたらファミコンともう少し接戦できたかもしれない
SC-3000からMSXに舵を切ってたら…と思うと何か“惜しい”気がする(´・ω・`)
秋葉原で「ファミコン売り切れ」の紙を見て涙ながらにSEGAmkⅢを購入した思い出が甦る。デザインは良かったですよね。
赤色好き さん私も同じシチュで我慢出来ずに多慶屋でSG -1000Ⅱを買いましたよ〜w
私も同じシチュで何を血迷ったのか、スーパーカセットビジョンを買ってしまいました。当時の自分に止めとけと言いたいです。
北斗の拳やファンターシスターやスペースハリアやりました?
@@エム0000 ファミコンとSGー1000を同じ発売日に当ててくるSEGAの意気込み(笑)後にファミコンが家へやって来ました…
@@popo-yh8wt レアハードも当時は黒歴史ですが、今となっては貴重な体験になりますね。
金曜20時からのプロレスのTV中継に嵌まっていた当時、セガの「チャンピオンプロレス」がやりたいがためにファミコンじゃなくてSG-1000Ⅱを買ってもらった。その数か月後、ファミコンにスーパーマリオが登場し、同じ年にマークⅢが登場したのは、ほんときつかった。
セガの家庭用ゲームだからStar jackerは魅力があったんだ。あとはZexosn1とかモナコGPとかセガサファリレースが今だ面白いゲームです。
「ファミリーコンピュータ」って名前も一般の人に受け入れやすかったのかもね。
“セガマークⅢ”中学生の頃持ってた!【『北斗の拳』,『スケバン刑事Ⅱ』等、面白いソフトがかなり有った。】
任天堂はファミコン出したときにアーケードの撤退を社長が決めたんだったかな。だから当時アーケードトップだったナムコがファミコンに入りやすかったのか
スペースハリアーをマークⅢに移植したのは凄いと思うんだけどね。
アーケードでやめとけば良かったのに、家庭用にまでてを出したのがそもそもの間違いなのがセガ家庭用ゲーム機全敗でしょ?最後のドリキャスまで、
MarkⅢ買ったよ。「phantasy star」をプレイしたくて併せて買った。外付けFM音源ユニットも買った。アニメーションする敵キャラ、スムーズスクロールのダンジョン、FM音源に度肝を抜かれた。
やんちゃが好きそうな ザ アーケードっぽいゲームはセガに多く魅力的でしたよね
後発の最高性能で参入したファミコンが大爆発して、近所のホムセンのゲームコーナーに黒山の人だかりの中、明らかにファミコンを買えば間違い無いのに、小学生の私は「セガSG-1000Ⅱ下さい」と口走り、店員さんが「え!?ファミコンじゃないの?」と驚いていたのを昨日の事のように覚えています。「ヤマト」と「ハッスルチューミー」の箱に夢を見てしまいました。この時に私のインディペンデントな人生が始まりました。
そこはハードが違えど僕もカセットビジョンJr.をチョイスした人間なのでよく分かる気がする(^^;
当時はコード付きのコントローラがあまり受け入れられてなかった気がしますね。おもちゃ屋さんで感じたコントローラのコードの短さがネックだったと思います。後に確かコードの長さが見直されたと記憶しています。
Mark IIIは良かったよ。パステルセガカラー、メガROM、FM音源、なんといってもゲームセンターのセガのゲームが遊べる。スペースハリアーは最高傑作だ。ロールプレイングは後発だったけどファンタシースターは素晴らしかった。任天堂ファミコンとは違う世界観が楽しめたんだよ。そして驚きのハードウェア、メガドライブへ続くのだがメガドラでもアーケードゲーム完全移植はちょっと無理だった。
アフターバーナーIIやスペースハリアーも完全移植はサターンだったね サターンやプレステあたりでアーケードとコンシューマーの壁が無くなってきた気がする・・・
@@mpn7062 完全移植が無理だから工夫して移植していた努力が好きです憧れる。
メガROMと言っても、1Mbyteではなく、1Mbitなので、128KBしかないのよね。ソフトやメモリーの容量は○KBと表現するのが普通なのに(実際、「モナコGP」や「ロードランナー」等の全機種用ソフトには、24KBとか、32KBとか表記してあった)、マーク3になってから、1Mとか2Mとか4Mとかデカデカと表記して、bitなのかbyteなのか明示しない、狡いやり方が蔓延していった。4Mソフトなんて言っても、たかが512KBしかないのよね。やり方がセコいんだよね。正直に、512KBと表記すべきです!メガROMの時代になってから、セガのソフトは乱作が祟って質が落ちた。「アストロウォリアー」とかは、その典型だった。本当に1Mb(128KB)有るのか疑わしい。本当は64KBか32KBしか無かったりして・・・。詐欺じゃないかと思ったし。極端に簡単過ぎたり、難し過ぎたりと、ゲームバランスが悪いソフトがやたら多くなかったですか?あの頃のセガは。
懐かしいな。SG‐1000持っていたな。
セガvs任天堂は技術の日産vs販売のトヨタみたいな関係だった。売り出した当初はセガ派もクラスに結構いて、まだどっちが勝つかわからなかったが、しだいにファミコン優勢に傾いていった。任天堂の方がソフトの囲い込みが巧みだったという説もある。
SC-3000の時点でMSX完全互換にしておけば・・・orz
任天堂はサードパーティーに、他機種に移植させない契約をさせていたのが大きかったね。それに引き換えセガはヒットタイトルをホイホイファミコン、PCエンジンに移植。まあ、会社の方針がアーケードゲーム中心だったんだろうね。
私と弟でSEGAとファミコン持って遊んでました 両方遊んでた口、今にして思えば結構裕福だったのかもSEGAにも面白いゲームもあったのだが一色の自機や反応の悪いPAD(遅い)などでややもっさりしたゲームが多かったフリッキーやロードランナーなど描画が軽いからこそのサクサク動くゲームもあったけどドラゴンワンのような描画を増やしたがために動きが悪いのもあった(面白いのだが)当時は友達の家に集まり色々なゲームをわいわい楽しめた時代だった 当然ソフトの貸し借りもこういった色々な要因が重なった結果なんだろうねSEGAはとにかく商売が下手だったイメージが強い、とどめを刺したのはあいつだが・・
めっちゃ懐かしい。SG1000Ⅱ、マークⅢ持ってた。実はこの二つの間にカード形のソフトが発売されて、専用の変換カートリッジをSG1000Ⅱに着けるんだった。マークⅢはソフトはカセットもカードも変換無しで使えて、そのうちマークⅢしか使えないソフトに発売が変わって行った。カードのソフトの名前なんて名前だったけなあ。マイカードとかそんな名前だっけか?
12:02 ナムコの創業者って中山ではなく中村社長では…?
コメントありがとうございます。ご指摘の通りナムコの創業者は中村雅哉です。申し訳ございません
任天堂の他にも家庭用ゲーム機を出したメーカーはセガ以外にもエポック社等有ったと思う。しかし、良いソフトがでなかったので売れなかったと思う。結局ゲームソフトの善し悪しだったんだな。
エポック社のスーパーカセットビジョンは、確かにスプライトの表示能力は抜群だが、背景画面がなかった。だから、スプライトで背景画面を構築する必要があった。(PS1も同じだけどね)それに、音が単音しか出ず、効果音を鳴らすと、BGMが途切れた。
途中出てくるマリオの色数は3色が正解。
パレットは透明色を含めて4色としてセットするので、正解が何かと問われれば4色が正解であり仕様。
発売日以外これと言って欠点がなかったセガの名機
冷静に考えたら1年ごとに新機種がでて、最初に買ったユーザーは切り捨てられていく訳でしょ?当時はネットなんて普及してなかったから状況はわからないけど初期に買ったユーザーの気持ちはどうだったのかな・・今やったら炎上でしょ
SG-1000Ⅱは小型化しただけのマイナーチェンジだから1年毎ではないね
ファミコン初期型は、〇ボタンじゃなくて□でしたね。ゴムなので押しずらくて、外れちゃう。
連打しようとすると角が引っ掛かり、凹んだままに成ったりしたね。
SC-3000は基本アーキテクチャ的にはMSX1と同等なんだからMSX1互換で出してりゃあもう少し売れてたんじゃねぇの?って言う気がしないでもない。(ツクダのオセロマルチビジョンと互換性が有ったが、オセロマルチビジョンの方はソフトが8本しか出てないので互換性の意味が><)
12:02 中村さんね。実質は中村(石村)繁一部長。
この動画でも「サードパーティー参入」がファミコンの勝因と説明していることからもナムコのゼビウスドルアーガ移植が当時の子どもにどれほど衝撃を与えたか?なども紹介して欲しかったかなw統計でもサードパーティー参入時期がきっかけでファミコンがブレイクしていく過程が明白に出てる訳だしdl1.getuploader.com/g/aosi77/123/famicon-shukka.jpg84年11月ゼビウス移植85年6月スパルタンX移植 ハイパーオリンピック移植 9月初代スーパーマリオ発売 10月ドルアーガの塔移植それと87年以降のファミコンはゲーム自体は売れていても本体は実はPCエンジンには負けていたということも紹介して欲しい気もする。
俺の購入決め手は キラーソフト マリオブラザーズです これで二人で遊ぶテレビゲームの喜びを知りました コントローラーが神がかってましたよね ファミコン
やっぱりゼビウスの衝撃ですね! ゼビウスがやりたくてオカンに頼み込んで買ってもらったな
ファミコンとSG-1000の違いはスプライト性能の圧倒的な違いだった。SG-1000のスプライト機能は1画面32枚、横方向の同時表示可能数は4枚、16色中単色。一方ファミコンは1画面64枚、横方向に8枚まで(ドット数でセガと同程度)、しかし色数は背景色を抜かし50色中3色だ。要するに、動くモノがセガが単色でファミコンが3色だ。圧倒的に画面の華やかさが違う。セガマーク3で確かに表示能力でファミコンを越えるが、マーク3が売れなかったのは、ファミコンの圧倒的ゲーム数と、セガはあまりにハードを次々に出すからこそのユーザーの不安感だったと思う。
ファミコンの特長ですよね よくそんなアイデアでましたよね動かないキャラの部分を背景にするとか
セガってほんといい加減会社だよなファミコン売り切れてて仕方なく買ったセガSG1000買ったの俺だけだったけどファミコンと比べても糞ゲーばっかで嫌になった記憶が蘇ってきた
昭和生まれファミコン世代だけど成人するまでメガドライブより古いセガハード知らなかった
クラスに一人ぐらい親が間違って買って遊んでた。
SG-1000やMSX知らないとか思い出補正しているだけでファミコン世代じゃないからw
それ、ファミコン世代じゃないよ。ぴゅう太とか知らんの?カセットビジョンとか。
@@nkthagi 団塊Jr世代以上なら当然カセットビジョンぴゅう太を知ってますよw団塊Jr以上世代に言えることだけどほんとにファミコンリアルタイムに遊んだ世代というのは基本自分をファミコン世代なんて呼ばないんだなw
みんな似たような年齢なんだから仲良くしましょうよ
コナミと何て? 口止めかな?
セガは、コントローラがダメだった。
チョップリフター懐かしいです、
マスターシステムはスルーですか?!
基本設計が1979年のTMS9918と比べたら可哀想。
MVSみたくアーケードゲームを家庭でできるようなゲーム機を作ると言う発想はなかったのかな?
マスターシステムの話とかないの?
そうですねぇ。マスタシステムはMk-Ⅲ周辺機器(FM音源他等)を標準搭載されていてソフトも互換性があるのでほぼ同一と見なしてもよろしいのではないでしょうか。
任天堂と任天堂が組んでほしい。ソニーはマイクロソフトよりだから潰してほしい。ソニーがいるからゲーム機の寿命が短い。グラフィックより無いようで勝負してほしい。テトリスなんか高い技術無くても楽しい。そんなゲームが有ると言い。
マエフリが長い。
サードパーティはあんま関係ないな家庭用ゲーム機という新しいジャンル自体が、スーパーマリオブラザースで立ち上げられたのだから…しっかし、コントローラーまで任天堂の丸パクリはプライドがないのかw任天堂のコントローラーはゲームウォッチにルーツが明らかなんだがセガの最初のコントローラーは似ても似つかないものwアタリのパクリかね?スーパーカセットビジョンも確かあんなコントローラーだったw
サードパーティめちゃ関係ありますよ!ナムコが参入してゼビウスやマッピーが遊べるってことになった時、当時の子供がどれだけ衝撃を受けたことか・・ナムコやハドソン、特にナムコがアーケードをばんばん移植していたからこそ、スーパーマリオが出るまでにファミコンをみんな買ったんです
結局その後コントローラーはファミコン基準だからこれの別のものを生み出すのは難しいと思うよ…
ファミコンが売り切れてて親父に無理やり買わされたSG-1000から始まってマークIII、メガドライブ、セガサターン、ドリームキャストと、ずっとセガ派だったけど、いつの時代もライバル機に押されてたイメージしかなかった。
小学校のクラスで友達はみんなファミコンの話題ばかりで肩身の狭い思いをしたっけなぁ…
コナミのMSXへの注力をセガマークⅢのサードとして迎えていたら
ファミコンともう少し接戦できたかもしれない
SC-3000からMSXに舵を切ってたら…
と思うと何か“惜しい”気がする
(´・ω・`)
秋葉原で「ファミコン売り切れ」の紙を見て涙ながらにSEGAmkⅢを購入した思い出が甦る。
デザインは良かったですよね。
赤色好き さん
私も同じシチュで我慢出来ずに多慶屋でSG -1000Ⅱを買いましたよ〜w
私も同じシチュで何を血迷ったのか、スーパーカセットビジョンを買ってしまいました。当時の自分に止めとけと言いたいです。
北斗の拳やファンターシスターやスペースハリアやりました?
@@エム0000 ファミコンとSGー1000を同じ発売日に当ててくるSEGAの意気込み(笑)
後にファミコンが家へやって来ました…
@@popo-yh8wt レアハードも当時は黒歴史ですが、今となっては貴重な体験になりますね。
金曜20時からのプロレスのTV中継に嵌まっていた当時、
セガの「チャンピオンプロレス」がやりたいがために
ファミコンじゃなくてSG-1000Ⅱを買ってもらった。
その数か月後、ファミコンにスーパーマリオが登場し、
同じ年にマークⅢが登場したのは、ほんときつかった。
セガの家庭用ゲーム
だからStar jackerは魅力があったんだ。
あとはZexosn1とかモナコGPとかセガサファリレースが今だ面白いゲームです。
「ファミリーコンピュータ」って名前も一般の人に受け入れやすかったのかもね。
“セガマークⅢ”中学生の頃持ってた!
【『北斗の拳』,『スケバン刑事Ⅱ』等、面白いソフトがかなり有った。】
任天堂はファミコン出したときにアーケードの撤退を社長が決めたんだったかな。だから当時アーケードトップだったナムコがファミコンに入りやすかったのか
スペースハリアーをマークⅢに移植したのは凄いと思うんだけどね。
アーケードでやめとけば良かったのに、家庭用にまでてを出したのがそもそもの間違いなのが
セガ家庭用ゲーム機全敗でしょ?最後のドリキャスまで、
MarkⅢ買ったよ。
「phantasy star」をプレイしたくて併せて買った。外付けFM音源ユニットも買った。
アニメーションする敵キャラ、スムーズスクロールのダンジョン、FM音源に度肝を抜かれた。
やんちゃが好きそうな ザ アーケードっぽいゲームはセガに多く魅力的でしたよね
後発の最高性能で参入したファミコンが大爆発して、
近所のホムセンのゲームコーナーに黒山の人だかりの中、
明らかにファミコンを買えば間違い無いのに、小学生の私は「セガSG-1000Ⅱ下さい」と口走り、
店員さんが「え!?ファミコンじゃないの?」と驚いていたのを昨日の事のように覚えています。
「ヤマト」と「ハッスルチューミー」の箱に夢を見てしまいました。
この時に私のインディペンデントな人生が始まりました。
そこはハードが違えど僕もカセットビジョンJr.をチョイスした人間なのでよく分かる気がする(^^;
当時はコード付きのコントローラがあまり受け入れられてなかった気がしますね。おもちゃ屋さんで感じたコントローラのコードの短さがネックだったと思います。後に確かコードの長さが見直されたと記憶しています。
Mark IIIは良かったよ。パステルセガカラー、メガROM、FM音源、なんといってもゲームセンターのセガのゲームが遊べる。スペースハリアーは最高傑作だ。ロールプレイングは後発だったけどファンタシースターは素晴らしかった。任天堂ファミコンとは違う世界観が楽しめたんだよ。そして驚きのハードウェア、メガドライブへ続くのだがメガドラでもアーケードゲーム完全移植はちょっと無理だった。
アフターバーナーIIやスペースハリアーも完全移植はサターンだったね サターンやプレステあたりでアーケードとコンシューマーの壁が無くなってきた気がする・・・
@@mpn7062 完全移植が無理だから工夫して移植していた努力が好きです憧れる。
メガROMと言っても、1Mbyteではなく、1Mbitなので、128KBしかないのよね。ソフトやメモリーの容量は○KBと表現するのが普通なのに(実際、「モナコGP」や「ロードランナー」等の全機種用ソフトには、24KBとか、32KBとか表記してあった)、マーク3になってから、1Mとか2Mとか4Mとかデカデカと表記して、bitなのかbyteなのか明示しない、狡いやり方が蔓延していった。4Mソフトなんて言っても、たかが512KBしかないのよね。やり方がセコいんだよね。正直に、512KBと表記すべきです!メガROMの時代になってから、セガのソフトは乱作が祟って質が落ちた。「アストロウォリアー」とかは、その典型だった。本当に1Mb(128KB)有るのか疑わしい。本当は64KBか32KBしか無かったりして・・・。詐欺じゃないかと思ったし。極端に簡単過ぎたり、難し過ぎたりと、ゲームバランスが悪いソフトがやたら多くなかったですか?あの頃のセガは。
懐かしいな。SG‐1000持っていたな。
セガvs任天堂は技術の日産vs販売のトヨタみたいな関係だった。
売り出した当初はセガ派もクラスに結構いて、まだどっちが勝つ
かわからなかったが、しだいにファミコン優勢に傾いていった。
任天堂の方がソフトの囲い込みが巧みだったという説もある。
SC-3000の時点でMSX完全互換にしておけば・・・orz
任天堂はサードパーティーに、他機種に移植させない契約をさせていたのが大きかったね。
それに引き換えセガはヒットタイトルをホイホイファミコン、PCエンジンに移植。
まあ、会社の方針がアーケードゲーム中心だったんだろうね。
私と弟でSEGAとファミコン持って遊んでました 両方遊んでた口、今にして思えば結構裕福だったのかも
SEGAにも面白いゲームもあったのだが一色の自機や反応の悪いPAD(遅い)などでややもっさりしたゲームが多かった
フリッキーやロードランナーなど描画が軽いからこそのサクサク動くゲームもあったけど
ドラゴンワンのような描画を増やしたがために動きが悪いのもあった(面白いのだが)
当時は友達の家に集まり色々なゲームをわいわい楽しめた時代だった 当然ソフトの貸し借りも
こういった色々な要因が重なった結果なんだろうね
SEGAはとにかく商売が下手だったイメージが強い、とどめを刺したのはあいつだが・・
めっちゃ懐かしい。
SG1000Ⅱ、マークⅢ持ってた。
実はこの二つの間にカード形のソフトが発売されて、専用の変換カートリッジをSG1000Ⅱに着けるんだった。
マークⅢはソフトはカセットもカードも変換無しで使えて、そのうちマークⅢしか使えないソフトに発売が変わって行った。
カードのソフトの名前なんて名前だったけなあ。
マイカードとかそんな名前だっけか?
12:02 ナムコの創業者って中山ではなく中村社長では…?
コメントありがとうございます。ご指摘の通りナムコの創業者は中村雅哉です。申し訳ございません
任天堂の他にも家庭用ゲーム機を出したメーカーはセガ以外にもエポック社等有ったと思う。
しかし、良いソフトがでなかったので売れなかったと思う。
結局ゲームソフトの善し悪しだったんだな。
エポック社のスーパーカセットビジョンは、確かにスプライトの表示能力は抜群だが、背景画面がなかった。だから、スプライトで背景画面を構築する必要があった。(PS1も同じだけどね)それに、音が単音しか出ず、効果音を鳴らすと、BGMが途切れた。
途中出てくるマリオの色数は3色が正解。
パレットは透明色を含めて4色としてセットするので、
正解が何かと問われれば4色が正解であり仕様。
発売日以外これと言って欠点がなかったセガの名機
冷静に考えたら1年ごとに新機種がでて、最初に買ったユーザーは切り捨てられていく訳でしょ?当時はネットなんて普及してなかったから状況はわからないけど初期に買ったユーザーの気持ちはどうだったのかな・・今やったら炎上でしょ
SG-1000Ⅱは小型化しただけのマイナーチェンジだから1年毎ではないね
ファミコン初期型は、〇ボタンじゃなくて□でしたね。ゴムなので押しずらくて、外れちゃう。
連打しようとすると角が引っ掛かり、凹んだままに成ったりしたね。
SC-3000は基本アーキテクチャ的にはMSX1と同等なんだからMSX1互換で出してりゃあ
もう少し売れてたんじゃねぇの?って言う気がしないでもない。
(ツクダのオセロマルチビジョンと互換性が有ったが、
オセロマルチビジョンの方はソフトが8本しか出てないので互換性の意味が><)
12:02 中村さんね。実質は中村(石村)繁一部長。
この動画でも「サードパーティー参入」がファミコンの勝因と説明していることからも
ナムコのゼビウスドルアーガ移植が当時の子どもにどれほど衝撃を与えたか?なども紹介して欲しかったかなw
統計でもサードパーティー参入時期がきっかけでファミコンがブレイクしていく過程が明白に出てる訳だし
dl1.getuploader.com/g/aosi77/123/famicon-shukka.jpg
84年11月ゼビウス移植
85年6月スパルタンX移植 ハイパーオリンピック移植
9月初代スーパーマリオ発売
10月ドルアーガの塔移植
それと87年以降のファミコンはゲーム自体は売れていても本体は実はPCエンジンには負けていたということも紹介して欲しい気もする。
俺の購入決め手は キラーソフト マリオブラザーズです これで二人で遊ぶテレビゲームの喜びを知りました コントローラーが神がかってましたよね ファミコン
やっぱりゼビウスの衝撃ですね! ゼビウスがやりたくてオカンに頼み込んで買ってもらったな
ファミコンとSG-1000の違いはスプライト性能の圧倒的な違いだった。SG-1000のスプライト機能は1画面32枚、横方向の同時表示可能数は4枚、16色中単色。一方ファミコンは1画面64枚、横方向に8枚まで(ドット数でセガと同程度)、しかし色数は背景色を抜かし50色中3色だ。
要するに、動くモノがセガが単色でファミコンが3色だ。圧倒的に画面の華やかさが違う。セガマーク3で確かに表示能力でファミコンを越えるが、マーク3が売れなかったのは、ファミコンの圧倒的ゲーム数と、セガはあまりにハードを次々に出すからこそのユーザーの不安感だったと思う。
ファミコンの特長ですよね よくそんなアイデアでましたよね動かないキャラの部分を背景にするとか
セガってほんといい加減会社だよな
ファミコン売り切れてて仕方なく買ったセガSG1000
買ったの俺だけだったけどファミコンと比べても糞ゲーばっかで嫌になった記憶が蘇ってきた
昭和生まれファミコン世代だけど成人するまでメガドライブより古いセガハード知らなかった
クラスに一人ぐらい親が間違って買って遊んでた。
SG-1000やMSX知らないとか思い出補正しているだけでファミコン世代じゃないからw
それ、ファミコン世代じゃないよ。
ぴゅう太とか知らんの?カセットビジョンとか。
@@nkthagi 団塊Jr世代以上なら当然カセットビジョンぴゅう太を知ってますよw
団塊Jr以上世代に言えることだけどほんとにファミコンリアルタイムに遊んだ世代というのは基本
自分をファミコン世代なんて呼ばないんだなw
みんな似たような年齢なんだから仲良くしましょうよ
コナミと何て? 口止めかな?
セガは、コントローラがダメだった。
チョップリフター懐かしいです、
マスターシステムはスルーですか?!
基本設計が1979年のTMS9918と比べたら可哀想。
MVSみたくアーケードゲームを家庭でできるようなゲーム機を作ると言う発想はなかったのかな?
マスターシステムの話とかないの?
そうですねぇ。マスタシステムはMk-Ⅲ周辺機器(FM音源他等)を標準搭載されていてソフトも互換性があるのでほぼ同一と見なしてもよろしいのではないでしょうか。
任天堂と任天堂が組んでほしい。ソニーはマイクロソフトよりだから潰してほしい。ソニーがいるからゲーム機の寿命が短い。グラフィックより無いようで勝負してほしい。テトリスなんか高い技術無くても楽しい。そんなゲームが有ると言い。
マエフリが長い。
サードパーティはあんま関係ないな
家庭用ゲーム機という新しいジャンル自体が、スーパーマリオブラザースで立ち上げられたのだから…
しっかし、コントローラーまで任天堂の丸パクリはプライドがないのかw
任天堂のコントローラーはゲームウォッチにルーツが明らかなんだが
セガの最初のコントローラーは似ても似つかないものw
アタリのパクリかね?スーパーカセットビジョンも確かあんなコントローラーだったw
サードパーティめちゃ関係ありますよ!
ナムコが参入してゼビウスやマッピーが遊べるってことになった時、当時の子供がどれだけ衝撃を受けたことか・・
ナムコやハドソン、特にナムコがアーケードをばんばん移植していたからこそ、
スーパーマリオが出るまでにファミコンをみんな買ったんです
結局その後コントローラーはファミコン基準だからこれの別のものを生み出すのは難しいと思うよ…