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シベリア抑留を経験された宮崎氏の馬とのエピソードは非常に切ない気持ちになりますね...
「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」とは言うけど工夫しても足りないものは足りないよなぁ
(そもそも)ないです。
常に足らないからな……(絶望)
そうそう四人家族で三連プリンだとどう工夫してもいつも我慢させられるのは上の子になってしまう最初から四連プリンなら誰も我慢せずに済むのに、、、
資源も技術も金も何もかも足りないですせめてもの救いとして人口はそこそこいたけどそれが無理に戦争を続けられる一因にもなりまして...
@@daidaidan 元々三連プリンは父親が仕事でいない午後三時ごろに食べられることを想定していた説があったはず...
ジィちゃんが通信隊で馬上の人でした。黄河上流域で行動していたそうです。存命中はイロイロ話をねだって聞いていました。1番印象的だったのは、行軍前には水筒を2つ持つのが義務だったそうですが、馴れてくると1つは酒を入れて出発して小休止出来ずにいると、馬が疲れて動かなくなるので一口酒を飲ませて気付け薬の代わりにしていたそうです。軍旗違反なのですが、外地での知恵と言うか咎められる事は無かったそうです。
学生です。今、昭和13年までの陸軍関連の馬の蹄や蹄鉄に関する資料を読める場所にいます。世情といいますか、『青草をガソリンへ変えよ』など、いかにも日本軍らしい内容が出てきて頭抱えながら読んでいた頃にこの動画を見かけました。その後の顛末を知ることができて、歴史が頭のなかで繋がったような感じがします。陸軍については、1930年代においては未だ馬は動力として完全に主流であると考えられていたようで、『蹄鉄の焼き入れ方による摩滅の差』や『肢蹄病の発生率と割合』『夜間装蹄法の研究』など、軍馬のバックヤード技術について積極的に研究していたことが伺えます。石油の取れないお国柄、ということなんでしょうか。動力化発展の時代においても、馬資源は割と国の生命線と捉えられていたのだなぁと感じます
軍オタがウマ娘を見て最初に思うこと。「この世界の戦時中はぜったいウマ娘だけの特殊部隊とか活躍したろうな」
実際に、うま娘が戦争に参加するとしても、特殊部隊などではなく、補給部隊や、工兵部隊などに軍人ではなく、軍属として徴用される形になるのではないか?
@@user-qs1sk6hx5v その二つはとくに適性あると思いますね。人間と同等の知能を持ち、ウマ並の身体能力があるわけなので、ウマより扱いやすく、人間より作業効率が高くなりますから。この見方の角度をかえると、歩兵としての能力を持たせることができながら、騎兵に準ずる機動力をもち、さらに成人男性より遙かに重装備が可能。となるわけなので戦闘職種としての応用の可能性も広いと思いますよ。例えば長距離縦深偵察なんかはうってつけなんじゃないかと思います。古代からアイドル的な扱いをされていたという設定みたいなので、倫理面では戦闘職種への配備はそうとうハードル高いと思いますが。
@@user-ub1zs1pd4y 様おっしゃる通りだと思います。もし、本当に軍人として徴兵するのならば、第一次大戦時のドイツの突撃兵見たいな感じにするかソ連のタンクデサント見たいなのが一番かと。別の話しですけどもうま娘は女性ですから、次の世代を担って戴かなければなりませんから、無茶な事はできないはずです。軍属(非戦闘員)として擁護されるべきか、軍人として権利を保護されるべきか、交戦規定や国際法に詳しく無いのでどうとは言えませんけども。
あれ?ウマ娘の世界ってウマ男?とかいないんですか?じゃないと、世代を経るごとにただの娘になるんじゃ
@@user-qs1sk6hx5v はい。たぶん一番の課題はそのような倫理面になるかと思いますね。現代という範囲でみた場合、女性の戦闘職種への配属は戦時中という非常時ですら限定的なものですし。例えばアメリカでは90年代まで女性の戦闘職種への配属は禁止されていたように記憶しています(うろ覚えなので間違ってたらすみません)一方で軍事的な利用価値が高いものをほおって置かないのも人間なので、きっとあの世界でも倫理VS利用価値というジレンマがあったんだろうなというのは想像できますね。もしかしたらあの世界では、ハーグ陸戦条約あたりでウマ娘の軍事利用を禁止する条項とかあったりするかもしれませんねw
日本軍と軍馬は切っても切り離せませんね、軍歌、児童書、商品広告etc…文化面でも軍馬はよくモチーフにされていましたから。なんだかスピルバーグの軍馬映画を観たくなりました。
なるほどこの頃から馬の品種改良と配合とかされてたのかしかもここから今の競馬に繋がったのかこれも軍事で生まれた技術だったとはびっくりしました。しかも損失がほとんど100%とは……いやおもしろい動画ありがとうございます!!
大量に餓死させる軍隊が、食料を大量必要とする軍馬が安定的に運用できるはずもなく…
@@usejehwikuhehejidjcuruehje あっみみずくさんこんにちは!なるほど……その言葉で察しましたわ……色々とひどいな日本軍……(今までの軍事動画観てきて)
@@xof5678 クレフェルトの『補給戦』の軍馬への必要物資のザックリ計算見るだけでも、無理だわコレってなる(悟り切った顔)
自衛隊は旧帝国軍の反省を反映できているのだろうか
お疲れ様です。これは興味深い。戦記に出てくる軍馬達って日本には帰れなかったんだろうなと漠然と思ってたけど数字で示されると心に迫りますね
最後のシベリヤでの軍馬との再会は胸が詰まるわ
こうやって動画を製作していただいて、もう思い出してあげる事ぐらいしか供養は出来ないいのですが、本当にありがとうございます。
関東軍が駐留していた満州では馬だけでなくラクダも使われていたそうです。数は決して多く無いですが、厳冬期や乾燥した大地では馬よりも耐久性があったそうです。
涙無しには見られねぇ…(泣
航空主兵論をいち早く適用しようとしたし、機械化にも熱心だったけど、いかんせん工業力がな…
阪急の西本監督は中国戦線で負傷の馬を担いだという体験を書いていましたが軍隊では兵隊より軍馬が大切だったのでしょう
軍国歌謡『愛馬進軍歌』の歌詞にあるような、中国戦線で斥候や伝令、陣地攻撃に活躍する騎馬の陰には、使い捨てられた数百万頭の軍馬たちの悲しい現実が横たわっている。
実家で農耕馬として使っていた馬も、戦中陸軍に買い取られたらしい。疲れて歩けないとごねる兵士は手を馬のしっぽに結わえ付けられて、「馬に蹴られたくなかったら馬と同じ速度で歩け」と命令されて、泣きながら行軍していたそうだ
戦車やトラックは燃料を食い潰すが馬は食料を食い潰すからな…戦争末期、戦車が燃料不足で動けないのと同じよう馬も倒れていったんだろうな…
馬は人の八倍穀物を食うのだとか
勝山号は体高が高すぎたために去勢されて軍馬になったんですよね。関係者の尽力で帰国し、生まれの牧場に戻れた。でも亡くなってからがある意味悲惨で、勝手に墓を荒らされ、遺骨を持ち出そうとする輩がいたそうな…
ルイスフロイスの日記に、騎馬戦は、日本に於いて兵士は馬から下りて戦うとも記しています。これは、そういった馬の体力的なものもあったのかと、この動画を見て、今思いました。また、かつて大陸で騎馬兵として戦った人にも色々話しを聞いたことがありますが、軍馬一体となって、愛馬に愛情を注いだと話されていました。人間よりも手厚い待遇だったとか。七人の侍も、そういった騎馬兵出身者で撮影されていましたね。それから、シベリア抑留と軍馬の話し。涙が出ますね。山本周五郎の小説「紅梅月毛」というタイトルの小説も、馬と武士の話です。感動しますよ。
うちの祖父は職業軍人(山砲隊)だったので、その頃覚えたであろう乗馬と麻雀が好きだった
次回:電撃戦という幻、ドイツ軍を支えたのは機械ではなく、とぼとぼ歩きの歩兵と馬匹だった?!
電撃戦シリーズの4話でざっくりながらやってた気がする
@@user-pg8mc2mj5p ここら辺、もっと掘れる♂ところなんよ、Ah〜。
@@usejehwikuhehejidjcuruehje なるほど深掘りしてほしいな……
@@xof5678 ケツ出せ
まともな道路がスモレンスク街道ぐらいしかなかった哀しみ
死んだじいちゃんが砲兵の軍馬の面倒見ていたから涙腺が…シベリアに抑留されていく途中に偶然面倒見ていた馬を見つけて呼びかけたら嘶いて答えてくれたって
自分の祖父も砲兵で馬の世話するのが好きだったようです
20世紀初頭ロシアには2千万頭を超える馬(全世界の30%強)と1500個の騎兵部隊があったのだとか、日露戦争が本当に薄氷の勝利だった事が分かる
すいません、騎兵部隊というのは連隊ですか?もし分かるのなら教えてもらいたいです。
@@okw6124 基本的にコサックの部隊を指していて部隊規模も様々ですが第一次世界大戦時には全参戦国の合計した数よりも多かったとの事です。
@@vinhmx どうもありがとうございます
日本VSロシアのタイマンかと思ったら、イギリスがロシアに圧かけたし、同時期にエルトゥール号の件でオスマン帝国との関係良好になったのも大きいし、そもそも日本海海戦時点でバルチック艦隊は疲弊しきり、大量の兵士を送るだけのインフラがなく、追い討ちに内政の不安定化日本はマジで運だけじゃなくて情勢と地形に恵まれてたと考えられる。
@@user-mv5mb3kg9q 優秀な日本人外交官と日本人スパイのお陰でもありますね
九四式自動貨車くんの偉大さよ彼がいなければ史実よりもさらに機械化レベルが悲惨だったろう
あの子らの勝負服に、軍服風のものがちらほらあるのは、「そういうこと」かもしれない・・・
昔はね、飼いウサギも挑発されたんですよ。大切に飼育されて毛皮が軍で使用されたそうです。年寄りのエピソードです。
私の祖父も満州で軍馬の世話をして兵站を担ったが、馬が思う様に働けない時は兵が悪いと上官に殴られたそうです。
お祖父様のご苦労、いかがだったかとお察し致します。平和な時代ほど、動物感動物語ばかりクローズアップされますよね。馬を大事にして、人間を虐げるとは・・・
モンゴル兵と満州兵の騎兵がいた初期の関東軍は馬の扱い・質が少し違うのかな?
戦前の競馬は軍馬育成を名目にしていたから、余りにもガタイがいい馬は競走馬になれなかった。だから、初代三冠馬であるセントライトは危うく競争馬になれない所だった。(セントライトはゴールドシップと馬体重がほぼ一緒、当時としては非常に大きかった。)
大人しい集団運用に適した軍馬の生産に成功したのはいいものの、これで日本在来馬がほぼ絶滅に追い込まれたのは本当に残念…
特に南部馬が絶滅してなけりゃ「日本の馬は全てポニーだから弱い」とかいうふざけた俗説が蔓延ることもなかっただろうに
14:41ここ泣ける。人馬の絆はいつの時代も変わらない。それが戦場であろうと、のどかな牧場であろうと。
最後の話は知ってた… 馬まで掻っ攫って行ったんだよなロ助。それと、復員できた馬がいたとは知らなかった…
昔、父が飼っていた馬も戦争に取られて亡くなってしまったと聞かされた事が有りましたネ…………
ちょうど在来馬について調べてたから助かりました…
50年近く前の中学生の頃見た農家の馬は多分日本固有種。子供心にも見た目不恰好な馬でしたが、大人しく撫でられていましたよ。
めんこい仔馬の三節、♬明日は市場かお別れか、泣いちゃいけない 泣かないぞ、軍馬になって往く時は 皆で万歳してやるぞ、、、。軍馬で出征して無事帰国を果たした馬はいなかったはずだ、この唱歌は泣ける。可愛がったこの仔馬達も戦地へ、大陸で行き倒れ、輸送船で海没、またインパール、ルソンのジャングルで日本兵と共に死んだ。
戦前馬政の忘れ形見だったアングロアラブ種(やアラ・サラ雑種)は、今では殆どが……
靖国神社及び護国神社に行くと軍馬慰霊碑がありますね。馬だけでなく犬そして鳩の慰霊碑もあります。
馬好き皆様のご批判覚悟でコメントお許し下さい。輜重にせよ騎馬にせよ、馬は陛下の預かりもの・兵は1銭5厘で、お馬様のために食う間も寝る間も、上司から殴られ蹴られて、わが身を捧げた馬付き兵の皆様が大勢(少なくとも馬より多い)いらっしゃったんですよね…合掌
俺の爺ちゃんは山砲兵第35連隊所属だったその兵団内では 軍馬の世話係をしていたらしい数年前実家に帰った時に写真をみせてもらって今まで遺影でしか知らなかった爺ちゃんを少しだけ知ることが出来た 北朝鮮若くは南満州辺りでの休憩南方(詳細不明)のジャングル内で行軍中に馬を引く姿同じく南方の島の砂浜で隊員達との記念撮影色んな写真を見せてもらった 俺が生まれる何十年も前に亡くなったから当時の話なんて全然知らないけど最期は畳の上だったから元日本兵の中でも結構幸せな最期だったんじゃないかなぁと思う
教科書で、白軍と渡河する際に亡くなる子馬や、農家から徴用されて還らなかったアオを読んで哀しかったです。後々、砲兵の手記で、飼い葉や水やりに行軍しても深夜迄世話に手間がかかりながら大事にしていた様子等、戦友だったからこそ大変な想いは前線と銃後に共通していたのかも…。
こうしてみると、戦後の復興や、産業発展がいかに素晴らしく、大変であったことが理解出来ますね。
これは涙無しでは見られない…
親戚だったか近所だったかに馬がどうしても苦手で苦手で、なのに軍馬の世話係になってしまって、困った挙句首をつってしまった人がいた…という話を聞いたことがあるな。なにも死なんでも…とは思うが、まあそれだけではなかったのかもしれないなぁ…。
馬の状態や機嫌が悪いと世話係が古参兵のリンチにあって、先輩を恐れる同輩からも見捨てられやすかった、ってエピソードが「軍馬の戦争」に書かれてた
@@user-cu6il3jq2e とてもいいお話を聞かせていただいて、ありがとうございます。兵隊いじめの原因ですか…納得できます。親父なんかが臆病者と笑い話のように語っていたので気になっていたのですが、故人の名誉回復の一助になる話かと思います。本当にありがとうございました。
@@user-qq2ij4ue4c様 なんか、今の平和な時代ではホント「お馬様」寄りのコメントが多いですね。各方面で人間である兵士が見捨てられて戦死してるのに、お馬様が復員してくる話が感動的な世の中になるとは。動物の話って、やたら感動を煽りますよね
次回の機械化構想に期待
祖父が、共産党追って中国奥地にいたんだけど、行軍が長く骨折や病気でついていけなくなった馬は泣くんだって。世話していた兵隊も泣いて、みんなで泣いたって言ってた。牧草ちょっとだけ置いて、泣く馬はそのまま。たまに思い出すって言ってたのを思い出します。
田舎になると出征軍馬の慰霊碑や馬頭観音があちらこちらにある戦前は馬がいかに生活に身近にあったかがうかがえる
輸送環境や軍馬の飼育環境は是迄の動画を見てきたら悪かったんだろうと分かるけど、それでも現場で一緒に過ごした兵士たちとは結束があったんだと思うと少し泣けてくるな。
投稿お疲れ様です
南部馬交配して居なくなった聞いたけど他にもいたんだね、
最後のシベリアの軍馬のエピソード辛すぎる…
曽祖父が満州で獣医として軍馬の面倒を見ていたと祖母から聞いたことを思い出しました そのことを聞けていたらよかったなと思いました
北海道の新冠の馬とかも昔はよく軍に駆り出されてたな
昔みたちびまる子の「めんこい仔馬」思い出した…
情景が浮かびます…(「露営の歌」2番)土も草木も 火と燃える 果てなき曠野 踏みわけて 進む日の丸 鉄兜馬のたてがみ なでながら明日(あす)の命を 誰が知る
最後のコメントに泣けました😭
補給部隊(当時は輜重隊?)では、人よりも馬を大事にしろといった常識で、部隊の人は苦労したとか、どこかで読んだことがありますね。終戦後の新聞の一節だった気がします。昭和40年代に農業用のトラクターの導入が推進されていたらしい(北海道の話です)ので、案外最近まで、民間での農耕馬は高価な産業用品でもあったようです。仕事の関係で、木の生い茂る斜面の土地が登記地目上で「畑」になっていたのを見たことがあり、土地の所有者さんの話によると「馬の時代だっつからなあ」と聞いたりして、競馬よりもそちらのほうで馬を感じることが多かったもので、面白く動画を見させてもらいました。それにしても、電卓もない時代に零戦や戦艦大和をつくったり、民間に自動車もなく、道路は舗装なしが当たり前の時代に戦車を製造運用したりと、現代の日本人としては、大日本帝国というのはずいぶん歪というか、無理を重ねて存在していたのだなと思います。まあ、現代日本の方が、食料事情ひとつ見ても、70年以上戦争をしていない(国家の銃砲が人を殺さずという意味で)というだけでも、世界的に歴史的に稀ではあるのでしょう。
日露で中途半端に勝ってしまって、第一次世界大戦でも身の丈に会わない戦勝国になり。意識だけが肥大化してしまった結果やと思ってる。
返信します。電卓は無くても手回し式計算機が有り、更にそれよりも古くから算盤が有り、数値計算式の方法は案外古くからの物です。 もっとも、其処まで出来るのは本当の天才、数学名人な人ぐらいですが😅
電卓も無い時代に戦闘機や戦艦を作っていたのは他の列強諸国も同じですよ。自動車の保有台数と舗装率に関してはその通りだと思います。
大日本帝国軍は軍馬のように自動車にも補助金出してますけどね、軍用自動車補助法。船は優秀船舶建造助成施設。日本陸軍は日露戦争後に自動車の導入を検討してWW1で日本陸軍が軍用トラックを製造して運用して実戦での実用性を証明して国会に審議されて法成立。産業行政を推進させる中央官庁の農商務省より25年早く大日本帝国軍は自動車に目を付けてる。保有数が少ないと言ってるが、この保有数まで自動車産業を成長させたのは政府や行政や民間ではなく日本陸軍の保護政策があったから。
軍用犬に付いても解説して欲しいです。
視聴させて頂きました。
アラ系馬やばんえい馬は昔の軍馬導入の名残りなんだろうな
最後、何という悲しいエピソードなんだか可哀想な像に通ずるものがありますね
私の母校の演習林は元陸軍の軍馬養成所でした。あっちこっちに800ha以上の敷地なんですが、戦前はみ~んな樹木ほとんどなかったそうです。今でも場所によっては、草原です。大概の国立大学の獣医学科はこのころに設立されたんでしょう。獣医学科もありましたね。
競走馬ですら牡系(産駒)は数種に偏る事を鑑みれば、馬匹の改良が難事であることは明白です。また、軍馬は常に装蹄が欠かせず、その任に当たる兵の勤務は過酷を極め、「死んでしまおかデッチンコ」とまで詠われる程であったそうです。尚、馬匹改良の功績は輓曳競馬に顕著であっても、所謂一般の競馬は馬匹統制法で打撃を被っており、海外で開催される速歩、繋駕競走の無い日本では悪影響が顕著であったはずです。
動画グッドです。次は犬の話もおねがいします。
残酷な話ですが、犬は大多数が徴用されて毛皮にされたそうです。長野の祖母も、飼い犬を徴用された時、殺されるとわかっているから犬が絶叫していたそうです。これが現実です
面白かったです。兵站軽視の軍隊運営がわかるお話ですね。
この頃の日本は本当頑張ったよ😢
実は、愛馬進軍歌の作詞者でもある栗林中将。
野暮な指摘なんですけど明治34年は1901年ではないでしょうか...?西暦と年号どっちがあってるのか分からないんですがすいません💦
日本競馬の発端は「軍馬の改良」から始まったと思うと皮肉なもんだな
中国戦線で株州から激戦のあった長沙をへて洞庭湖まで馬受領を行った砲兵小隊長の話本土決戦の為中国から本土へ荷物を運ぶ為の裸馬300頭を率いてて兵の数も300なので一人で一頭だから全然余裕がない、そして三百頭が一列に並ぶと1キロ以上になる。それがダラダラ歩いていくわけだから機銃掃射されたらひとたまりもない。したがって夜しか歩けない。すると敵は証明弾を落としてきやがる「馬を影に入れろ!」こういうことが何回かあった。人間だけならまだしも馬も連れているので鉄道隊にも中々乗せてもらえなかった。
最後の騎兵戦についてはやらないのですか?
話は初耳のものが多く、興味深かったです。日本はいつもギリギリのリソースで戦っているのね。現代もだね。動画としては、ところどころ文字が小さいし、声も小さくなる部分があったのが気になっちゃいました。チャンネル登録といいねはしたけど。
この動画とは関係薄いけど、日本は元々馬を多数飼育する習慣がなかったから発展したみたいな話は聞いたことある。
自分も結構な頻度で馬に乗っているので、発砲した将校さんの気持ちが少しは分かります。いつも一緒に走って世話焼いて果物を分けて食べた馬が突然肉にされて、何のありがたみもなく食べられようとしてたら私も撃つかも知れません。
昭和6年に、農林省に競馬官という役職を作っています。これは、元は、陸軍の尉官、佐官で、陸軍が、農林省に馬政に影響を及ぼすため作っています。あと、陸軍のポスト確保。
えー、過去に「山口六平太」に載ってましたが将兵と同じく外地に着く迄に輸送船ごと沈んだ馬もやはり数多く居たんでしょう。😅
装甲不要論の解説おねがいします!
2:00ブリカスさん
将校、下士官、馬、兵隊とはよく言ったもんで
物言わぬ戦友、軍用犬、伝書鳩も戦友です。
同時期のドイツ陸軍は一個師団5000頭ぐらい馬いたんだっけ?これに毎日食わせてくなんて...
JRAって馬政局や軍馬産事業の振興の為の集金方法をする目的の法人を祖としているのですか?
戦前の日本はねえ、各業界・各組織内での論理なら、概ね正しい方向へ行ってるんだよ皆がみんな、余所と相談せずに独走するから、国家が八つ裂きになったんだよ
馬ってある意味大日本帝国を象徴する存在だなやっぱ工業力がなあ
ドイツ軍も補給部隊の主力はまだまだ馬と馬車だったよ。
戦国時代から江戸時代に少数ながら南蛮馬という体躯の巨大な馬が輸入されたらしいのですが、それが繁殖にも品種改良にも繋がらなかったのが残念。日本は古来から馬がいて馬車を作れる技術があるのに馬車が走っていなかったという稀有な国ですが、馬の質が原因であることは明らかですね…。
すみません、😅自分がその史実を知ったのが、それこそ昔々の暴れん坊将軍のエピソードからでした。歴史の史実として、やはり当時は定着しなかったのでしょうか?
別の人の動画で、戦後までは日本の道は世界最悪レベルの悪路だったので馬車の運用は不可能だったって聞きました。
ソ連兵"ですら"立ち尽くしていた。ソ連兵が反応に困るってなかなか悲惨
11:34 のところで宮城県の木花村とあるけど宮崎じゃなくて宮城なの?ちょっと気になって、調べてもよくわからなかったから。
よかったな、ピルサドスキーは草
一介の馬好きとしたら戦争に馬はつきものだけどこと日本軍においては軍馬の扱いが雑すぎて涙を禁じえない
最後の話がキツすぎる...😢
飛行機は牛で引いてたらしいね。
日本競馬に関しては競馬関係者が軍の政策を利用したという側面のほうがむしろ強いように思う・・・w
悲しいなぁ・・・
動物系はちょっと観れない、、悲しすぎる、、、
文字が小さくとても読みづらいので改良して頂けると幸いです
兵器の顧客国で成長しない現代でもまだ起こっている
西日本では牛を専ら使ってましたから、馬は武士のためのものでしたね。それと日本人は去勢をかわいそうとして嫌いますからね。
ワイのひいじいちゃんは騎兵隊だった
もう日本では馬が戦死しなくてよくなったんだな
欧米は馬を友達扱いで大事にするけど、日本はモノ扱いだから平気で食ったりする
シベリア抑留を経験された宮崎氏の馬とのエピソードは非常に切ない気持ちになりますね...
「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」とは言うけど工夫しても足りないものは足りないよなぁ
(そもそも)ないです。
常に足らないからな……(絶望)
そうそう四人家族で三連プリンだと
どう工夫してもいつも我慢させられるのは上の子になってしまう
最初から四連プリンなら誰も我慢せずに済むのに、、、
資源も技術も金も何もかも足りないです
せめてもの救いとして人口はそこそこいたけどそれが無理に戦争を続けられる一因にもなりまして...
@@daidaidan 元々三連プリンは父親が仕事でいない午後三時ごろに食べられることを想定していた説があったはず...
ジィちゃんが通信隊で馬上の人でした。黄河上流域で行動していたそうです。
存命中はイロイロ話をねだって聞いていました。
1番印象的だったのは、行軍前には水筒を2つ持つのが義務だったそうですが、馴れてくると1つは酒を入れて出発して小休止出来ずにいると、馬が疲れて動かなくなるので一口酒を飲ませて気付け薬の代わりにしていたそうです。
軍旗違反なのですが、外地での知恵と言うか咎められる事は無かったそうです。
学生です。今、昭和13年までの陸軍関連の馬の蹄や蹄鉄に関する資料を読める場所にいます。
世情といいますか、『青草をガソリンへ変えよ』など、いかにも日本軍らしい内容が出てきて頭抱えながら読んでいた頃にこの動画を見かけました。その後の顛末を知ることができて、歴史が頭のなかで繋がったような感じがします。
陸軍については、1930年代においては未だ馬は動力として完全に主流であると考えられていたようで、『蹄鉄の焼き入れ方による摩滅の差』や『肢蹄病の発生率と割合』『夜間装蹄法の研究』など、軍馬のバックヤード技術について積極的に研究していたことが伺えます。
石油の取れないお国柄、ということなんでしょうか。動力化発展の時代においても、馬資源は割と国の生命線と捉えられていたのだなぁと感じます
軍オタがウマ娘を見て最初に思うこと。
「この世界の戦時中はぜったいウマ娘だけの特殊部隊とか活躍したろうな」
実際に、うま娘が戦争に参加するとしても、特殊部隊などではなく、補給部隊や、工兵部隊などに
軍人ではなく、軍属として徴用される形になるのではないか?
@@user-qs1sk6hx5v
その二つはとくに適性あると思いますね。
人間と同等の知能を持ち、ウマ並の身体能力があるわけなので、ウマより扱いやすく、人間より作業効率が高くなりますから。
この見方の角度をかえると、歩兵としての能力を持たせることができながら、騎兵に準ずる機動力をもち、さらに成人男性より遙かに重装備が可能。
となるわけなので戦闘職種としての応用の可能性も広いと思いますよ。
例えば長距離縦深偵察なんかはうってつけなんじゃないかと思います。
古代からアイドル的な扱いをされていたという設定みたいなので、倫理面では戦闘職種への配備はそうとうハードル高いと思いますが。
@@user-ub1zs1pd4y 様
おっしゃる通りだと思います。
もし、本当に軍人として徴兵するのならば、第一次大戦時のドイツの突撃兵見たいな感じにするかソ連のタンクデサント見たいなのが一番かと。
別の話しですけども
うま娘は女性ですから、次の世代を担って戴かなければなりませんから、無茶な事はできないはずです。軍属(非戦闘員)として擁護されるべきか、軍人として権利を保護されるべきか、交戦規定や国際法に詳しく無いのでどうとは言えませんけども。
あれ?ウマ娘の世界ってウマ男?とかいないんですか?じゃないと、世代を経るごとにただの娘になるんじゃ
@@user-qs1sk6hx5v
はい。たぶん一番の課題はそのような倫理面になるかと思いますね。
現代という範囲でみた場合、女性の戦闘職種への配属は戦時中という非常時ですら限定的なものですし。
例えばアメリカでは90年代まで女性の戦闘職種への配属は禁止されていたように記憶しています(うろ覚えなので間違ってたらすみません)
一方で軍事的な利用価値が高いものをほおって置かないのも人間なので、きっとあの世界でも倫理VS利用価値というジレンマがあったんだろうなというのは想像できますね。
もしかしたらあの世界では、ハーグ陸戦条約あたりでウマ娘の軍事利用を禁止する条項とかあったりするかもしれませんねw
日本軍と軍馬は切っても切り離せませんね、軍歌、児童書、商品広告
etc…文化面でも軍馬はよくモチーフにされていましたから。
なんだかスピルバーグの軍馬映画を観たくなりました。
なるほどこの頃から馬の品種改良と配合とかされてたのかしかもここから今の競馬に繋がったのかこれも軍事で生まれた技術だったとはびっくりしました。しかも損失がほとんど100%とは……いやおもしろい動画ありがとうございます!!
大量に餓死させる軍隊が、食料を大量必要とする軍馬が安定的に運用できるはずもなく…
@@usejehwikuhehejidjcuruehje あっみみずくさんこんにちは!なるほど……その言葉で察しましたわ……色々とひどいな日本軍……(今までの軍事動画観てきて)
@@xof5678 クレフェルトの『補給戦』の軍馬への必要物資のザックリ計算見るだけでも、無理だわコレってなる(悟り切った顔)
自衛隊は旧帝国軍の反省を反映できているのだろうか
お疲れ様です。これは興味深い。戦記に出てくる軍馬達って日本には帰れなかったんだろうなと漠然と思ってたけど数字で示されると心に迫りますね
最後のシベリヤでの軍馬との再会は胸が詰まるわ
こうやって動画を製作していただいて、もう思い出してあげる事ぐらいしか供養は出来ないいのですが、本当にありがとうございます。
関東軍が駐留していた満州では馬だけでなくラクダも使われていたそうです。
数は決して多く無いですが、厳冬期や乾燥した大地では馬よりも耐久性があったそうです。
涙無しには見られねぇ…(泣
航空主兵論をいち早く適用しようとしたし、機械化にも熱心だったけど、いかんせん工業力がな…
阪急の西本監督は中国戦線で
負傷の馬を担いだという体験を
書いていましたが
軍隊では兵隊より軍馬が大切だったのでしょう
軍国歌謡『愛馬進軍歌』の歌詞にあるような、中国戦線で斥候や伝令、陣地攻撃に活躍する騎馬の陰には、使い捨てられた数百万頭の軍馬たちの悲しい現実が横たわっている。
実家で農耕馬として使っていた馬も、戦中陸軍に買い取られたらしい。疲れて歩けないとごねる兵士は手を馬のしっぽに結わえ付けられて、「馬に蹴られたくなかったら馬と同じ速度で歩け」と命令されて、泣きながら行軍していたそうだ
戦車やトラックは燃料を食い潰すが馬は食料を食い潰すからな…戦争末期、戦車が燃料不足で動けないのと同じよう馬も倒れていったんだろうな…
馬は人の八倍穀物を食うのだとか
勝山号は体高が高すぎたために去勢されて軍馬になったんですよね。関係者の尽力で帰国し、生まれの牧場に戻れた。
でも亡くなってからがある意味悲惨で、勝手に墓を荒らされ、遺骨を持ち出そうとする輩がいたそうな…
ルイスフロイスの日記に、騎馬戦は、日本に於いて兵士は馬から下りて戦うとも記しています。これは、そういった馬の体力的なものもあったのかと、この動画を見て、今思いました。また、かつて大陸で騎馬兵として戦った人にも色々話しを聞いたことがありますが、軍馬一体となって、愛馬に愛情を注いだと話されていました。人間よりも手厚い待遇だったとか。七人の侍も、そういった騎馬兵出身者で撮影されていましたね。それから、シベリア抑留と軍馬の話し。涙が出ますね。山本周五郎の小説「紅梅月毛」というタイトルの小説も、馬と武士の話です。感動しますよ。
うちの祖父は職業軍人(山砲隊)だったので、その頃覚えたであろう乗馬と麻雀が好きだった
次回:電撃戦という幻、ドイツ軍を支えたのは機械ではなく、とぼとぼ歩きの歩兵と馬匹だった?!
電撃戦シリーズの4話でざっくりながらやってた気がする
@@user-pg8mc2mj5p ここら辺、もっと掘れる♂ところなんよ、Ah〜。
@@usejehwikuhehejidjcuruehje なるほど深掘りしてほしいな……
@@xof5678 ケツ出せ
まともな道路がスモレンスク街道ぐらいしかなかった哀しみ
死んだじいちゃんが砲兵の軍馬の面倒見ていたから涙腺が…
シベリアに抑留されていく途中に偶然面倒見ていた馬を見つけて呼びかけたら嘶いて答えてくれたって
自分の祖父も砲兵で馬の世話するのが好きだったようです
20世紀初頭ロシアには2千万頭を超える馬(全世界の30%強)と1500個の騎兵部隊があったのだとか、日露戦争が本当に薄氷の勝利だった事が分かる
すいません、騎兵部隊というのは連隊ですか?もし分かるのなら教えてもらいたいです。
@@okw6124 基本的にコサックの部隊を指していて部隊規模も様々ですが第一次世界大戦時には全参戦国の合計した数よりも多かったとの事です。
@@vinhmx
どうもありがとうございます
日本VSロシアのタイマンかと思ったら、イギリスがロシアに圧かけたし、同時期にエルトゥール号の件でオスマン帝国との関係良好になったのも大きいし、そもそも日本海海戦時点でバルチック艦隊は疲弊しきり、大量の兵士を送るだけのインフラがなく、追い討ちに内政の不安定化
日本はマジで運だけじゃなくて情勢と地形に恵まれてたと考えられる。
@@user-mv5mb3kg9q 優秀な日本人外交官と日本人スパイのお陰でもありますね
九四式自動貨車くんの偉大さよ
彼がいなければ史実よりもさらに機械化レベルが悲惨だったろう
あの子らの勝負服に、軍服風のものがちらほらあるのは、「そういうこと」かもしれない・・・
昔はね、飼いウサギも挑発されたんですよ。大切に飼育されて毛皮が軍で使用されたそうです。年寄りのエピソードです。
私の祖父も満州で軍馬の世話をして兵站を担ったが、馬が思う様に働けない時は兵が悪いと上官に殴られたそうです。
お祖父様のご苦労、いかがだったかとお察し致します。平和な時代ほど、動物感動物語ばかりクローズアップされますよね。馬を大事にして、人間を虐げるとは・・・
モンゴル兵と満州兵の騎兵がいた初期の関東軍は馬の扱い・質が少し違うのかな?
戦前の競馬は軍馬育成を名目にしていたから、余りにもガタイがいい馬は競走馬になれなかった。だから、初代三冠馬であるセントライトは危うく競争馬になれない所だった。(セントライトはゴールドシップと馬体重がほぼ一緒、当時としては非常に大きかった。)
大人しい集団運用に適した軍馬の生産に成功したのはいいものの、これで日本在来馬がほぼ絶滅に追い込まれたのは本当に残念…
特に南部馬が絶滅してなけりゃ「日本の馬は全てポニーだから弱い」とかいうふざけた俗説が蔓延ることもなかっただろうに
14:41ここ泣ける。
人馬の絆はいつの時代も変わらない。それが戦場であろうと、のどかな牧場であろうと。
最後の話は知ってた… 馬まで掻っ攫って行ったんだよなロ助。
それと、復員できた馬がいたとは知らなかった…
昔、父が飼っていた馬も戦争に取られて亡くなってしまったと聞かされた事が有りましたネ…………
ちょうど在来馬について調べてたから助かりました…
50年近く前の中学生の頃見た農家の馬は多分日本固有種。子供心にも見た目不恰好な馬でしたが、大人しく撫でられていましたよ。
めんこい仔馬の三節、♬明日は市場かお別れか、泣いちゃいけない 泣かないぞ、
軍馬になって往く時は 皆で万歳してやるぞ、、、。
軍馬で出征して無事帰国を果たした馬はいなかったはずだ、この唱歌は泣ける。
可愛がったこの仔馬達も戦地へ、大陸で行き倒れ、輸送船で海没、またインパール、
ルソンのジャングルで日本兵と共に死んだ。
戦前馬政の忘れ形見だったアングロアラブ種(やアラ・サラ雑種)は、今では殆どが……
靖国神社及び護国神社に行くと軍馬慰霊碑がありますね。
馬だけでなく犬そして鳩の慰霊碑もあります。
馬好き皆様のご批判覚悟でコメントお許し下さい。輜重にせよ騎馬にせよ、馬は陛下の預かりもの・兵は1銭5厘で、お馬様のために食う間も寝る間も、上司から殴られ蹴られて、わが身を捧げた馬付き兵の皆様が大勢(少なくとも馬より多い)いらっしゃったんですよね…合掌
俺の爺ちゃんは山砲兵第35連隊所属だった
その兵団内では 軍馬の世話係をしていたらしい
数年前実家に帰った時に写真をみせてもらって
今まで遺影でしか知らなかった爺ちゃんを少しだけ知ることが出来た
北朝鮮若くは南満州辺りでの休憩
南方(詳細不明)のジャングル内で行軍中に馬を引く姿
同じく南方の島の砂浜で隊員達との記念撮影
色んな写真を見せてもらった
俺が生まれる何十年も前に亡くなったから
当時の話なんて全然知らないけど
最期は畳の上だったから
元日本兵の中でも結構幸せな最期だったんじゃないかなぁと思う
教科書で、白軍と渡河する際に亡くなる子馬や、農家から徴用されて還らなかったアオを読んで哀しかったです。
後々、砲兵の手記で、飼い葉や水やりに行軍しても深夜迄世話に手間がかかりながら大事にしていた様子等、戦友だったからこそ大変な想いは前線と銃後に共通していたのかも…。
こうしてみると、戦後の復興や、産業発展がいかに素晴らしく、大変であったことが理解出来ますね。
これは涙無しでは見られない…
親戚だったか近所だったかに馬がどうしても苦手で苦手で、なのに軍馬の世話係になってしまって、
困った挙句首をつってしまった人がいた…という話を聞いたことがあるな。
なにも死なんでも…とは思うが、まあそれだけではなかったのかもしれないなぁ…。
馬の状態や機嫌が悪いと世話係が古参兵のリンチにあって、先輩を恐れる同輩からも見捨てられやすかった、ってエピソードが「軍馬の戦争」に書かれてた
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とてもいいお話を聞かせていただいて、ありがとうございます。
兵隊いじめの原因ですか…納得できます。
親父なんかが臆病者と笑い話のように語っていたので気になっていたのですが、故人の名誉回復の一助になる話かと思います。
本当にありがとうございました。
@@user-qq2ij4ue4c様 なんか、今の平和な時代ではホント「お馬様」寄りのコメントが多いですね。各方面で人間である兵士が見捨てられて戦死してるのに、お馬様が復員してくる話が感動的な世の中になるとは。動物の話って、やたら感動を煽りますよね
次回の機械化構想に期待
祖父が、共産党追って中国奥地にいたんだけど、行軍が長く骨折や病気でついていけなくなった馬は泣くんだって。
世話していた兵隊も泣いて、みんなで泣いたって言ってた。
牧草ちょっとだけ置いて、泣く馬はそのまま。
たまに思い出すって言ってたのを
思い出します。
田舎になると出征軍馬の慰霊碑や馬頭観音があちらこちらにある
戦前は馬がいかに生活に身近にあったかがうかがえる
輸送環境や軍馬の飼育環境は是迄の動画を見てきたら悪かったんだろうと分かるけど、それでも現場で一緒に過ごした兵士たちとは結束があったんだと思うと少し泣けてくるな。
投稿お疲れ様です
南部馬交配して居なくなった聞いたけど他にもいたんだね、
最後のシベリアの軍馬のエピソード辛すぎる…
曽祖父が満州で獣医として軍馬の面倒を見ていたと祖母から聞いたことを思い出しました そのことを聞けていたらよかったなと思いました
北海道の新冠の馬とかも昔はよく軍に駆り出されてたな
昔みたちびまる子の「めんこい仔馬」思い出した…
情景が浮かびます…(「露営の歌」2番)
土も草木も 火と燃える 果てなき曠野 踏みわけて 進む日の丸 鉄兜
馬のたてがみ なでながら
明日(あす)の命を 誰が知る
最後のコメントに泣けました😭
補給部隊(当時は輜重隊?)では、人よりも馬を大事にしろといった常識で、部隊の人は苦労したとか、どこかで読んだことがありますね。終戦後の新聞の一節だった気がします。
昭和40年代に農業用のトラクターの導入が推進されていたらしい(北海道の話です)ので、案外最近まで、民間での農耕馬は高価な産業用品でもあったようです。
仕事の関係で、木の生い茂る斜面の土地が登記地目上で「畑」になっていたのを見たことがあり、土地の所有者さんの話によると「馬の時代だっつからなあ」と聞いたりして、競馬よりもそちらのほうで馬を感じることが多かったもので、面白く動画を見させてもらいました。
それにしても、電卓もない時代に零戦や戦艦大和をつくったり、民間に自動車もなく、道路は舗装なしが当たり前の時代に戦車を製造運用したりと、現代の日本人としては、大日本帝国というのはずいぶん歪というか、無理を重ねて存在していたのだなと思います。
まあ、現代日本の方が、食料事情ひとつ見ても、70年以上戦争をしていない(国家の銃砲が人を殺さずという意味で)というだけでも、世界的に歴史的に稀ではあるのでしょう。
日露で中途半端に勝ってしまって、第一次世界大戦でも身の丈に会わない戦勝国になり。
意識だけが肥大化してしまった結果やと思ってる。
返信します。
電卓は無くても手回し式計算機が有り、更にそれよりも古くから算盤が有り、数値計算式の方法は案外古くからの物です。
もっとも、其処まで出来るのは本当の天才、数学名人な人ぐらいですが😅
電卓も無い時代に戦闘機や戦艦を作っていたのは他の列強諸国も同じですよ。自動車の保有台数と舗装率に関してはその通りだと思います。
大日本帝国軍は軍馬のように自動車にも補助金出してますけどね、軍用自動車補助法。船は優秀船舶建造助成施設。日本陸軍は日露戦争後に自動車の導入を検討してWW1で日本陸軍が軍用トラックを製造して運用して実戦での実用性を証明して国会に審議されて法成立。産業行政を推進させる中央官庁の農商務省より25年早く大日本帝国軍は自動車に目を付けてる。保有数が少ないと言ってるが、この保有数まで自動車産業を成長させたのは政府や行政や民間ではなく日本陸軍の保護政策があったから。
軍用犬に付いても解説して欲しいです。
視聴させて頂きました。
アラ系馬やばんえい馬は昔の軍馬導入の名残りなんだろうな
最後、何という悲しいエピソード
なんだか可哀想な像に通ずるものがありますね
私の母校の演習林は元陸軍の軍馬養成所でした。あっちこっちに800ha以上の敷地なんですが、戦前はみ~んな樹木ほとんどなかったそうです。今でも場所によっては、草原です。大概の国立大学の獣医学科はこのころに設立されたんでしょう。獣医学科もありましたね。
競走馬ですら牡系(産駒)は数種に偏る事を鑑みれば、馬匹の改良が難事であることは明白です。また、軍馬は常に装蹄が欠かせず、その任に当たる兵の勤務は過酷を極め、「死んでしまおかデッチンコ」とまで詠われる程であったそうです。尚、馬匹改良の功績は輓曳競馬に顕著であっても、所謂一般の競馬は馬匹統制法で打撃を被っており、海外で開催される速歩、繋駕競走の無い日本では悪影響が顕著であったはずです。
動画グッドです。
次は犬の話もおねがいします。
残酷な話ですが、犬は大多数が徴用されて毛皮にされたそうです。長野の祖母も、飼い犬を徴用された時、殺されるとわかっているから犬が絶叫していたそうです。これが現実です
面白かったです。
兵站軽視の軍隊運営がわかるお話ですね。
この頃の日本は本当頑張ったよ😢
実は、愛馬進軍歌の作詞者でもある栗林中将。
野暮な指摘なんですけど明治34年は1901年ではないでしょうか...?
西暦と年号どっちがあってるのか分からないんですがすいません💦
日本競馬の発端は「軍馬の改良」から始まったと思うと皮肉なもんだな
中国戦線で株州から激戦のあった長沙をへて洞庭湖まで馬受領を行った砲兵小隊長の話
本土決戦の為中国から本土へ荷物を運ぶ為の裸馬300頭を率いてて兵の数も300なので一人で一頭だから全然余裕がない、そして三百頭が一列に並ぶと1キロ以上になる。それがダラダラ歩いていくわけだから機銃掃射されたらひとたまりもない。
したがって夜しか歩けない。すると敵は証明弾を落としてきやがる
「馬を影に入れろ!」こういうことが何回かあった。
人間だけならまだしも馬も連れているので鉄道隊にも中々乗せてもらえなかった。
最後の騎兵戦についてはやらないのですか?
話は初耳のものが多く、興味深かったです。日本はいつもギリギリのリソースで戦っているのね。現代もだね。
動画としては、ところどころ文字が小さいし、声も小さくなる部分があったのが気になっちゃいました。
チャンネル登録といいねはしたけど。
この動画とは関係薄いけど、日本は元々馬を多数飼育する習慣がなかったから発展したみたいな話は聞いたことある。
自分も結構な頻度で馬に乗っているので、発砲した将校さんの気持ちが少しは分かります。
いつも一緒に走って世話焼いて果物を分けて食べた馬が突然肉にされて、何のありがたみもなく食べられようとしてたら私も撃つかも知れません。
昭和6年に、農林省に競馬官という役職を作っています。これは、元は、陸軍の尉官、佐官で、陸軍が、農林省に馬政に影響を及ぼすため作っています。あと、陸軍のポスト確保。
えー、過去に「山口六平太」に載ってましたが将兵と同じく外地に着く迄に輸送船ごと沈んだ馬もやはり数多く居たんでしょう。😅
装甲不要論の解説おねがいします!
2:00ブリカスさん
将校、下士官、馬、兵隊とはよく言ったもんで
物言わぬ戦友、軍用犬、伝書鳩も戦友です。
同時期のドイツ陸軍は一個師団5000頭ぐらい馬いたんだっけ?これに毎日食わせてくなんて...
JRAって馬政局や軍馬産事業の振興の為の集金方法をする目的の法人を祖としているのですか?
戦前の日本はねえ、各業界・各組織内での論理なら、概ね正しい方向へ行ってるんだよ
皆がみんな、余所と相談せずに独走するから、国家が八つ裂きになったんだよ
馬ってある意味大日本帝国を象徴する存在だな
やっぱ工業力がなあ
ドイツ軍も補給部隊の主力はまだまだ馬と馬車だったよ。
戦国時代から江戸時代に少数ながら南蛮馬という体躯の巨大な馬が輸入されたらしいのですが、それが繁殖にも品種改良にも繋がらなかったのが残念。日本は古来から馬がいて馬車を作れる技術があるのに馬車が走っていなかったという稀有な国ですが、馬の質が原因であることは明らかですね…。
すみません、😅自分がその史実を知ったのが、それこそ昔々の暴れん坊将軍のエピソードからでした。
歴史の史実として、やはり当時は定着しなかったのでしょうか?
別の人の動画で、戦後までは日本の道は世界最悪レベルの悪路だったので馬車の運用は不可能だったって聞きました。
ソ連兵"ですら"立ち尽くしていた。
ソ連兵が反応に困るってなかなか悲惨
11:34 のところで宮城県の木花村とあるけど宮崎じゃなくて宮城なの?
ちょっと気になって、調べてもよくわからなかったから。
よかったな、ピルサドスキーは草
一介の馬好きとしたら戦争に馬はつきものだけど
こと日本軍においては軍馬の扱いが雑すぎて涙を禁じえない
最後の話がキツすぎる...😢
飛行機は牛で引いてたらしいね。
日本競馬に関しては競馬関係者が軍の政策を利用したという側面のほうがむしろ強いように思う・・・w
悲しいなぁ・・・
動物系はちょっと観れない、、
悲しすぎる、、、
文字が小さくとても読みづらいので改良して頂けると幸いです
兵器の顧客国で成長しない現代でもまだ起こっている
西日本では牛を専ら使ってましたから、馬は武士のためのものでしたね。それと日本人は去勢をかわいそうとして嫌いますからね。
ワイのひいじいちゃんは騎兵隊だった
もう日本では馬が戦死しなくてよくなったんだな
欧米は馬を友達扱いで大事にするけど、日本はモノ扱いだから平気で食ったりする