中関白家の没落がはじまる 長徳の変
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- เผยแพร่เมื่อ 21 พ.ค. 2024
- #大河ドラマ #平安時代 #解説
※概要
花山法皇の誤射事件以外にも、詮子の呪詛や禁止された大元帥法を行ったことなど、大罪が重なり大宰府へ流されることになった、伊周、隆家、貴子、定子の中関白家に没落のはじまり、長徳の変を解説しています。
2024年、NHK大河ドラマ「光る君へ」解説動画です。
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伊周、女のせいで身を滅ぼしたくせに、母上が1番ラブかよ、と思いました。
実資が警視総監ってピッタリの役職と思いました。
貴子さん、聡明な定子さんを育てたのに、伊周からは親離れできなかったのですね。いつの世も、母は息子に甘くなるのか。伊周のマザコンっぷり、光源氏に通ずるところがありますね。
隆家はオラオラしてますが、潔くて頼りになる!
この2人より年下で当時まだ10代の一条天皇の聡明さといったらないですね。
惚れ惚れしてしまいます。
太宰府に行くって南極に行くくらいの感覚なんですね….
左遷されたときの菅原道真の落胆はすごいものだっただろうな
土足で里御殿に乗り込んできた実資が、がっちりした体躯と相まってラスボス感ハンパなくかっこよく見えました!
多分人生で初めて「秋山さんカッコいいやん!」って思った瞬間かも。
何もしなければ数年後には定子が男子を産んで内大臣の立場に居たら東宮に出来て、その子が即位したら伯父の立場で関白に成れただろうに。
早すぎる出世で身を誤る。道隆のセルフ位打ち。
「あっ大宰府はいい所ですよ」がお腹抱えて笑った笑っ
切羽詰まった伊周が密かに道長を訪れ、助けを乞うた。あれほど高飛車で生意気だった彼の必死の形相に、呪詛はしていないだろうと感じた。過酷なことは望んでいない、決めるのは帝だと答える道長の返答が、心中何を思っているのか不明で、ちょっと気味悪かった。倫子との会話で既に伊周が犯人ではないと知っているにも関わらず、それを伊周に知らせて安心させることもせず無言を通す様子に、不気味さとこれからのブラック化の過程を垣間見た。
伊周と母貴子の関係性にマザコンと子離れできない両者の姿が窺え、いつの時代も同じ母と息子の立場に少々ジンと来た。貴子にとっては才色兼備(男性だけれど)の自慢の息子だっただけに、その失脚と惨めさは筆舌に尽くし難いものだったろうと推察できる。あれほど完璧に見えた中関白家の栄華が道隆の死をきっかけにどんどん失墜し、果ては息子二人は罪人、皇后だった娘は出家とは、あまりに大きな落差に悲惨な気持ちを抱えて亡くなっていったことに、同じ母親としてとても同情する。華やかであっただけに、その凋落は見る影もない。
そういえば、伊周さんが太宰府に行った時の太宰大弐は道隆さんに失脚させられた藤原有国さん。
伊周さんに親切にしてくれたんだ。何か、暖かい気持ちになった。
福岡です😊太宰府おこしくださいね😊
自分東北で古稀を過ぎてなお大阪より先にいったことがないので命ある間に訪れてみたい場所です
詮子さんの部屋から大元帥明の御札?が大量に出たシーン。
倫子さんが『私にお任せを😌』と言った後、道長が『あっ💦❗分かった。これはお前に任せよう』というやり取り…
道長の『あっ💦』の間の意味はどういうふうに解釈したらいいのでしょうか🤔❓❓
あと、道長が大量の申文に目を通すシーン。
『ど・れ・にしようかな~❗』って指さしてるのは笑ってしまいました🤣
私室に大量のお札を仕込めるのなんてそこに住んでる方だけですし、「悪しき気が」〜お札探しの展開的に、おそらく倫子さんもグルかと。
道長があの勢いで帝に奏上でもしたら大事になってしまうし、調べれば犯人も分かってしまうでしょうから、家庭内で一旦おさめないといけません。
色んな意味を含めての「私にお預けくださいませ」で、ようやく道長が察したという事だと思います。
貴子さんの最期があまりに悲しすぎる…この時代の呪詛や迷信がどれだけ重要視されてきたか改めて実感できる回でした。
太宰府いいところですよね!梅ヶ枝餅また食べたいです。
そこ、ドラマでじっくり見たいです。泣ける。
この時代、いや、もっとあとの時代までもそうですが、「旅に出る」「遠方に行く」とは、すなわち「次会えるとは限らない」と認識されていましたからね。山賊とか普通にいるし、道中や滞在先で、病や怪我で戻れないなんて普通でしたからね。地図も「伊能図」が作られるまで、まともになかった時代、京からほぼ出たことのない公家にとって、京の外はそれは恐ろしいところだったでしょう。と同時に異世界を見てみたいと憧れる人も多かったでしょうね
ドラマを見ていて、先週ぐらいからいつのまにか伊周君に同情している自分に気づきました…
ほんと見事に大石先生の掌で転がされてます(笑)
定子ちゃんがあまりに可愛そうでついついWikiを見てしまったら、生まれてくる子供についての疑惑を知ってしまいましたが、その辺りまた解説していただけると嬉しいです
いつも楽しく拝見してますが、今回は講談を聞いているかのように惹き込まれました!
長徳の変はとてもドラマチックですね。
火星に例えるのが秀逸😄👏
太宰権師というのは菅原道真も源高明もそうだったのですね。名目上は副知事でも実際は左遷コース。無事に都に帰れるかどうか分からないから抵抗する気も分かりますね。
今回の黒光る君を観て「あらやだ平安時代の鬼平?」って思っちゃいました
解説ありがとうございます‼️
伊周って悪く言われていますが、この長徳の変での対応と道長の台頭の結果から遡って、アレが悪い・コレが悪いと言われているような気がしています。
もしまひろだったら、宋の国の人に会えるので喜んで大宰府へ赴くだろうと思います。
く~さん福岡住みの気持ちを代弁ありがとおございますw 道真から続く大宰府バツゲーム扱いにもやもやしておりましたw
名古屋、「あづま」に入りますね。おそらく「不破の関」より東じゃないですかね。すなわち「関ヶ原より東」あの地は、関所が置かれていたように、ここを東から突破されると、みやこまでほぼ一直線の平野が広がります。逢坂の関なんてもう、目の鼻の先でそこまで責められたら命運付きてるのと同じ。壬申の乱や関ヶ原の合戦がこの地で行われたのは偶然じゃなく必然なのです。そういう意味では「関ヶ原」が万里の長城(っていうか自然の要害)で、それより東は「えびすの地」だったかと思われます。
定子さんを追い出したあと追いかけて抱きつく場面かわいい御上❤と叫びました(笑)
今回も楽しめました、ありがとうございます。
きりゅうさんの解説を聞かせていただいて、考え方によっては「朝敵」になってもおかしくなかったのではないかと思うものの
さすがに中宮様までは巻き込めないのでこれは無いですね。
それにしても中宮様は早まった事をしましたね…
今回も分かりやすくて、きりゅうさんの説明がホントに引き込まれます。
太宰権師、出雲権守、とはどのような役職ですか?流罪とはいえ、良いご身分なような気がしますが、実際、どんな生活なのでしょうか?機会があれば雑談でもいいので教えてください。
こんばんは😃🌃一条天皇、定子ちゃんを愛するがゆえ、厳しく罰しなくてはならない!辛い😢
定子ちゃん髪を切る✂️ちょっとエキセントリック、この兄弟にはそういう所が有ったのかなぁ?
髪を切らなければ良かったのに(´TωT`)
いつも楽しみにしています。😊
伊周の呪詛や大元帥法は濡れ衣だったのでしょうか?
中関白家は道隆が生きていてもちょっと危うい気もするくらい道隆パパが政事に疎い人っぽかったからなぁ
隆家の一見清々しい去り方に「お!ちょっとは見どころあるか?」と思ったけど「そういえばコイツが元凶じゃん!」と突っ込み
伊周は…ダメぼんだろうとは思っていたけど思った以上にダメダメボンボンだった😮💨
それにしても定子のこれからを考えると可哀想で可哀想で映像化を楽しみにしている鬼畜な私
1月16日は、わが家の故舅の誕生日でした🤣(ある面から見れば)心優しくりっぱな爺ちゃんでした。
きりゅうさんも、さすがです。
旧暦と新暦の違いはあるんでしょうけど、偉大な日なんですね🎉
隆家の子孫菊池や龍造寺が他に牧氏がいる。鎌倉殿の13人で登場した牧の方と牧宗親は再び波瀾を起こします、そこで歴史の関係性は面白いね
あれ?光子姫にはもう未練も何もないの?伊周。それよりママが大事なんかい!
先日の回の陣定で、伊周は発言してましたね、「(民は)甘やかしたら付け上がる、だから施しなど必要ない」と。罪を減免されたのに、逃げ回る往生際の悪さ。見事なブーメランとなっていました。
伊周の涙の嘆願を淡々と聞いてる道長の顔、半分ライト当たっていなかった。何を考えているのが読めない表情。直秀のことも考えていたのだろうか…。
役者さん達も脚本もすごい。
楽しく拝見してます😊
私も1月16日が誕生日です😲
凄く親近感を感じるわぁ❗️
よろしくお願いします🙇
太宰府そんなに嫌がらないで笑(by福岡県民)
太宰府と大宰府をちゃんと使い分けてくださってるのが、さすがきりゅうさん!嬉しいです。
今回、逮捕に現れた官房長官(じゃない)黒光る君が黒装束で「踊る」の黒ロングコートの室井さんみたいでめっちゃカッコ良かった。
きりゅうさんの誕生日が、長徳の変と同じ... やはり、持ってますね!ドラマでは、若く才能に溢れ、非の打ち所がない人物として登場した伊周でしたが、実資を前に逃げ出すなど、同じ人物とは思えない情けなさ🥹 子離れできてない貴子さんと、親離れできてない伊周... どちらも悲しい結末に😢 今日もありがとうございます😊
きりゅうさんの、かゆいところに手が届く解説を、毎回楽しみに拝見しています。
ラットさん、くーさんと三人で、かしましくドラマの感想で盛り上がっているご様子を見ていると、歴史好きとしては「いいな~、楽しそうだな~」と思います。
放送後、すぐにこれだけの情報を解説されるのは、きりゅうさんの豊かな知識があってと思いますが、いろんな準備も含めて動画として作成されるのは、とても大変だと思います。これからも応援しますね。
ところで過去の動画の中で、実は戦国時代はあまり詳しくない(?)といわれていらしたような記憶があります。
今回の「光る君」や「鎌倉殿」「大奥」(「三国志」も)などは、たぶんお得意の時代なのかなと思いますが、きりゅうさんとしては、どの時代・誰を主役にした大河ドラマを期待されていますか?
安倍晴明がいうてた
藤原隆家はあなたさまを助けるっていうのが伏線ですよね
刀伊の入寇の。
何気に日本を守った男隆家
平安の元寇もいわれる刀伊の入寇
光る君への最初で最後のいくさがみられるのか?
刹那的に髪を切ってしまった定子に、伊周同様挫折に弱いエリートの脆さを感じた。誇り高い出自と教養が、あのような検非違使の乱入を許さず、思い余っての衝動的な行為となってしまった。あまりにも見苦しく逃げ惑う伊周の醜態に、すべてを諦め切った定子のアップの表情が哀れだった。神道を奉じる皇室では、出家した身(仏教徒)では朝廷の祭祀に関われないので、后としての正当性なしと見なされてしまう致命的な出来事だったろう。ある意味朝廷人にとっては、長徳の変以上の激震となったと思う。
伊周に比べ、はるかに堂々としていた隆家の様子が、安倍晴明が予言していたように、道長の力になると言ったのは、刀伊入寇のことを指すと思う。隆家に比べて、伊周定子は共に典型的エリートの性とも言うべき逆境時の適応力が低く、別人のようにパニクってしまうのだろう。
確かに、髪を切らなければですねぇ✂️でもちょっとネタバレ注意報⚠️😁💦
文章がとてもお上手ですね💖
@@user-ms4zf4im4v さん お褒めの言葉、ありがとうございます😊ネタバレ注意、気をつけてますね。
@@cancan5892
いえいえ、こちらこそ指し出た事を申し訳御座いませんでしたm(_ _)m返信を有り難う御座いました゚+(人・∀・*)+。♪
くーさん、、よくぞ言ってくださった!九州勢で、太宰府大好きで、何度も行ってるので、太宰府が嫌で怨霊になる人やら、なんでそんなに嫌がるのかなぁー?と思ってた民です。
太宰府が嫌いで怨霊になった訳ではありません!無実の罪で配流されたから怨霊になったのです。
伊周と違い実に紳士的に配流されましたよ!
へー誕生日なんだ・・・って旧暦じゃん!
ツッコんでみましたw
それにしても、太宰府が南極のイメージだと、陸奥あたりは地獄のイメージなんだろうか?😅
藤原宣孝が大宰少弐で良い思いをしたとか、大河ドラマ『平清盛』で清盛が「大宰大弐にせよ」と要求し、さらに弟の平頼盛まで大宰大弐になる場面があったので、その上を行く大宰権帥は京の人達の羨望の職かと思ってましたが…
やはり上級貴族は、中級貴族や武士とは見方が違うんですね。
清盛や頼盛の太宰大弐は現地に行かず都に留まっていてよい普通の人事で、太宰権帥は当時では定番の懲罰人事、というように意味合いの違うものでした。
ちなみに頼盛の生母・池禅尼は隆家の子孫ですね。
うちの母も2/5生まれです😆
この動画を視聴して、戻って来た後の兄弟への貴族達の反応が違う史実は、伊周の往生際の悪い行動のせいじゃないかと思いました
定子ちゃんが…可哀想で辛いです。
直秀が都は鳥籠って言ってた意味がここでわかった気がします鳥籠しか知らなかったら外の世界は伊周にしたら怖いですよね。
太宰府に謝れぇ・・私もそう思いました
東蝦夷・・・って言うならその辺りを流刑地にすれば良いのに・・と思いました
伊周など流刑地へ行く人に付いて行く人はどの様な人だったのでしょう?
牛車を引いていた人や牛さんは地に着いた後どうしたのかしら?
遠くて大変でしょうに
東蝦夷に謝れ(笑)頼朝も伊豆に流されてるもんなぁ。
呪詛については、晴明さんの忠信なのでは無いかな?
だってそんな大きな呪詛が行われれば晴明が気付かない訳がないですよね
晴明様は、呪詛返しなんてやったのかな?でもそんなことしたら呪詛した人は、死んじゃうからなぁ・・・
なーんてこと思ってました。
いつも楽しい動画アップご苦労様です♪そしてありがとうございます。
クウさんとラットさんもお元気そうで嬉しいです。
隆家はヤンチャなイケイケ男子だけど
潔くて好感が持てますね
日本を守る勇者として活躍する片鱗があったのですね
それに比べて伊周は何も悪い事してないけど、往生際が悪いマザコンで情けないですね
もう一度出世できるチャンスが来ても運が悪いのかまた没落してしまうので哀れな人としか思えないですね
隆家の方が度胸があって肝が座っているので、平安時代ではなく武士の時代に生まれれば大活躍したかもしれませんね。伊周の逃げ腰には失望しました。何か事件があったら誰よりも先に逃げ出すタイプな気がします。呪詛した黒幕は、もしかしたら倫子様かもと頭によぎりました。
今回も解説ありがとうございます。
伊周、己の不行状で病に伏した母をせめて看取りたい気持ちも解らぬではないですが、何故そこで「伏して願い奉る」事に思い至らず、脱出行に出てしまったのか。作中、呪詛の件でも「内裏に戻りたい」ではなく「無実というささやかな名誉を守りたい」と言えば御上の心に響いたかもしれないのに、そうできない間違ったプライドが伊周の限界だったのでしょうか。
現地の人に謝れ、は私もバリバリのあずまえびすなのでわかりますw平安京の狭い四方が世界の全てだった上級貴族にとっては大変な事なのでしょうが。
藤原隆家はあのまま都に居たら荒くれ者として名を残してた筈
大宰府に流された後に刀伊の入寇で活躍して
英雄として死ねたから流罪になって良かったかも…
刀伊の入寇はナレだけでもいいから触れて欲しい
九州はその当時の貴族が国司として行ってただろう。しかも太宰府は九州一栄えていただろう場所なのに。伊周は箱入り息子だったのかなぁ。
今日も分かり易い解説ありがとうございます😁配流になって行く人と国司になって行く人では待遇が全然違うのでしょうね。配流された人はまさか江戸時代みたいに閉門蟄居ではないのですよね、一応〜〜守という呼び名があるので何か仕事的なものがあったのですか?🤔
今日も楽しかった〜✨私の母もきりゅうさんと同じ誕生日♡歴史好きの人です笑
あずまえびす、始めて聞きました。
そんな東国を嫌った平氏を源氏が討ち滅ぼし鎌倉に幕府を立てたのは皮肉めいてますねフフフ・・・(神奈川県民からの皮肉です笑)
優秀な貴族が大宰府に
流されて来たので福岡には
子孫が繁栄していると聞いた
ことがあります
女院さまの具合が悪くなったときに、道長がまひろの文を見てるところを倫子さんが呼びに来て、見てましたね。後から、その文箱を倫子さんが見てしまうぅ…のかな?
以前百人一首の解説マンガで道雅(伊周の息子)の歌のところで「何を思い上がっておられるのですか?そなたの父・伊周が花山法皇様に弓を引いたこと、忘れたわけではあるまいな?犯罪者の小倅の、ただの馬の骨が!」と当子内親王の女房から罵倒されるシーンがありましたが、それはこの長徳政変が発端だったのかと数年越しにわかりました
「弓引いたのは父じゃなく叔父だよ‼︎」て言い返したかっただろなぁ
ただの風邪と診断されて一月、ようやく体調が戻りました
遅れてしまい申し訳ありませんが銀の盾おめでとうございます!
これからもかしまし歴史チャンネルが一層発展されることを祈念してます
その定子の解任なのですが、私も当初 或る歴史本を読んで「妊娠していたのか」と信じました。
が、内裏から去った時点では解任していなかったのでは❓
というのも、本当に出産した時は妊娠12ヶ月での出産ですよ❗️
おかしいでしょう❓
定子は落飾した後, 出家した後も、内裏の帝にコッソリ何度か通っているうちに解任したのではないか、と多くの歴史学者は言っていますが。
出家しておきながら妊娠する行為をやるとは何事ぞ‼️
あ、ドラマの中のアノときでは!?
すみません。↑上の「内裏を去った時点で解任していなかった」の漢字間違い❗️
「懐妊」でしたね。
大変失礼致しました。
@オキザリス様、
ご返信有難うございます。
ドラマの中でも、戻って来ましたが、あの時は まだ落飾していませんでしたよね。その後 落飾して、何度か内裏で密会していたそうですね。
だから公卿達から「なんで出家の身で妊娠しているんだ」と文句が出ていたそうですね。
誤字脱字は全然問題ありません。私の知らない事を教えてくださりありがとうございます🤗私自身この返信を、自分に送っていました😅
お父さん道隆も政治家としては力不足な感がありましたが、お父さん亡くなった後の伊周の小物感がいや増す事!😅弟の隆家の潔さが伊周の小物感をさらに倍に!😂😂😂大赦後、隆家は武の方面で活躍するのに兄ちゃんは病死とか本当にプライドばっかり高くて気の小さい人だったんですね〜🤔下手に兼家の嫡男の道隆の嫡男で母高階貴子の文の才も持ってたばっかりに、おだてられて人として成長する前に自分の実力以上の位に登れちゃったばっかりに高い所から転げ落ちてしまったんですね〜。ある意味可哀想な人ですね。
太宰府の梅ヶ枝餅、出来立て熱々のやつは最高です
今も昔も、お坊ちゃんで良い子は失敗の処理が下手ですね。そう思うと、隆家君はやんちゃだけど、肝がすわって潔かったですね。後に、道長さんの強い味方になるというのはわかる気がします。
太宰府は菅原道真も流されたところですが、道真は最終的に地元の人に愛されて神様になりましたからね!九州流罪は案外ラッキーですよ✌️
太宰府=菅公ってイメージなんで、怨霊になって都に戻ってくる位の所なんだぁ。゚(゚´Д`゚)゚。って思っちゃったのかもですね💦
😮弟さんは、活躍します、凄いはずです。頑張って👍
お三方のお話は毎回もちろん楽しく拝聴していますが、きりゅうさんの後ろのお花も毎回可愛らしく、今度はどんなお花なのかも楽しみに見ています。
でもお花も詳しく無いので、あらーかわいいー、と、思うだけですが😅
長徳の変の時の中関白家の行動って状況的には狭穂彦の乱とほぼ同じに感じるので、一条天皇が怒るのも理解できます。古事記、日本書紀を読み込んでいるはずなのに何でやっちゃったのかな?
きりゅうさん、「火星はトイレあるかどうかわからない」、傑作です。「盗んだバイク🏍️で」に続き。🎉😂
定子も、複雑な、心境だと思いましたね、ほんまに笑笑、❤
いつも楽しみにしています❤
伊周たちの罪が決まった日が、私の誕生日です。
コンプラ気にするコレチカくんにお茶吹きましたw
「あっ大宰府はいいところですけど!」🤣
定子さまのご懐妊は史実の出産日から逆算すると4月頃となるため
(考証の倉本先生談→いわゆる「懐孕十二月」は間違いと)
ドラマ内ではたぶん、帝に減刑嘆願しに戻った あの時に授かった…とするようですね。
なので落飾してしまった5月1日はまだ、妊娠による里下がりではない設定みたいです。
次回21話で発覚→沈んでいる中宮さまに読んでいただこう、御心を少しでも明るくしようと、清少納言は枕草子を書き始めるのかな?🌸
あの伊周情けなかったですね
罪を軽くしてくれたのに
小さい子供のように隠れて
ヤバかった
きりゅうさんのTシャツかわいい!
スタンプ買いました❤️使い勝手良くて可愛いです❤
伊周、どーーも好きになれない😂
調子よすぎ、父の七光だけなのに偉そう、定子ちゃんに酷いこと言い過ぎ、あんな目にあってザマアミロ〜
と思いながらも、やっぱり美しいですね。。
そのあたり、脚本とキャスティング凄いですね。
平安の価値観にさせられてしまいそう😂
三浦さん、カッコいい役ばかりのイメージだったけど、情けない落ちぶれていく男の演技が新鮮でした!
本当にイケメン伊周見苦しすぎます😿定子ちゃんがかわいそう😭
『あずまえびす』って…久しぶりに聞いた…。
ワタシのおじいちゃんがよく言ってたな〜って…古〜い記憶が蘇りました〜😸
今はほぼ聞かなくなった言葉ですよね〜🦄
そー言えば…
おじいちゃんの祖先も平氏ですぅ〜🤣🤣🤣
京都出身、九州大学卒の学者先生が「今でも東京で荒川超えるとアズマエビスの地に足を踏み入れたな、と思ってる」と言ってました笑笑
伊周がかなり駄々をこねている場面は私も気になりました。当時の左遷は期間などは決められていたのですか?本人には知らされないものなんでしょうか?
逆に隆家は潔い一面が見れて株が上がりました😁
「あ、太宰府はいいとこですよ?」😂
大宰府は菅原道真公の左遷先であったので
悪イメージがついていたのかもしれませんね
定子様が懐妊していたのなら、伊周が大人しくして次の機会を待つ事は出来なかったのかなぁ~?
その定子の解任なのですが、私も当初 或る歴史本を読んで「妊娠していたのか」と信じました。
が、内裏から去った時点では解任していなかったのでは❓
というのも、本当に出産した時は妊娠12ヶ月での出産ですよ❗️
おかしいでしょう❓
定子は落飾した後, 出家した後も、内裏の帝にコッソリ何度か通っているうちに解任したのではないか、と多くの歴史学者は言っていますが。
出家しておきながら妊娠する行為をやるとは何事ぞ‼️
すみません。↑上の「内裏を去った時点で解任していなかった」の漢字間違い❗️
「懐妊」でしたね。
大変失礼致しました。
わざわざご丁寧にありがとうございます。私もよく誤字脱字がありますので、お気遣いなく😊
伊周の男系子孫はフェイドアウトして歴史上名のある人はいなくなってしまいますが、隆家の子孫は中級~下級の貴族として現代まで存続しているようですね。
平安時代末期・源平の時代では平治の乱を起こした藤原信頼(2012年の大河「平清盛」ではなんと!塚地武雅が演じてた)も隆家の子孫ですし、平清盛の継母・池禅尼(あの大河では和久井映見さんが演じてた)も子孫です。また最近初めて知ったのは、源義経の母・常盤御前の再婚相手・一条長成(2005年の大河「義経」でなんと!蛭子能収さんが演じてた)も子孫だったようです。
鎌倉幕府将軍·源実朝の奥さんも隆家の子孫ですね😊男系ではなかったかもしれませんが
@@user-vz8gr7ou3x 西八条禅尼という名で知られる人ですね。父が坊門家の人で隆家の男系子孫ですね。
『鎌倉殿』にも 西八条禅尼出てましたね。実朝とは仲好しでしたね。
いつも楽しく拝見しています。
平安時代の庶民の家は、まだ竪穴式住居だったと聞いたことがあります。
流罪の罪人でも介とかの役職が与えられるんですね。給料も出るってことですよね。軟禁されてるとは言ってたけど、待遇良いな、うーん…。
貴子さんが伊周が可愛くて婿入りは早いと言っていたシーンが今後起こる事件の伏線だと きりゅうさんが おっしゃっていたのを思い出しました。
入内する定子さんは厳しく育てているように見えたけれど息子には甘かったのかな?
父親は娘、母親は息子が可愛いと言いますからね。
こんにちわ!!!半沢直樹がてでくるなんてきりゅうさん!例えかとびすぎる!これちかも往生際か悪い!まひろと為時
越前行き信孝との結婚どのような展開なるか楽しみです。
2人の誕生日が判ってしまった。・・・危険ですよ・・・w
伊周きょうだいは、まだ皆若く、可哀想な気がしました😢運も悪かったですね😮
都の貴族が京のみを世界として認識していたというのが良くわかりました、前にも大河で豊臣秀次に「関東はイヤじゃ!」と言われたことがあります😅
中宮定子がみすから出てくるのが何とも艶かしくて、うっとりしました。❤
1月16日はお祝いしましょ(^^♪
実資くん。 日記を書いているだけの男じゃなかったのね。
話聞いてて伊周よりも隆家の評価が上がったな。現に後に刀伊の入寇で大活躍するし。
硬骨漢の実資が、かつて直秀をあやめた検非違使の別当に就いてるのに、ストーリーでも直秀のことに少し言及して欲しいところだった。すこし世の中が良くなりそうなシチュエーションだし。
ミスター武士道さんが、このとき定子はまだ妊娠していないって強調してましたけど、どっちなんでしょう。
倉本一宏先生も、そんなこと書いていた気がしますが。ご確認お願いします。
LINEスタンプ、欲しいんですが海外からは買えないようです😭
ドラマでは呪詛はあきこと倫子が仕組んだ事になってたよね。伊周はしてないと言っていたのは真実だとおもう。伊周は悪くない。運が悪すぎた〜
解説ありがとうございます。聞けば聞くほど没落までの一連の出来事は中関白家の自業自得なんですよね。悪い噂も事実だったかもしれないけど、今までの驕りが、周囲からの妬みや恨みを買い嫌われてしまい、悪く言われたり助けてもらえなかった理由の一つなのかなと思いました
火星はむしろ行ってみたいでしょw
貴子さんは夫の道隆が亡くなっているのに長い髪で華やかな衣装でしたが、高貴な方が夫を亡くした時に出家は必ずするものだと思っていましたが違うのでしょうか。まさか再婚する気ではないですよね。
★じゅり★
矢を射ったり検非違使に最後は大人しく捕えられたりと兄伊周より大胆でサッパリとした男らしい性格だったのでしょうね
VIP屋敷に土足かーと思ったけどわらじのような物を履いていたようなのでいちいち脱いでいられなかったのでしょうね
【質問です】
為時パパの越前や宣孝の筑前など国司として地方に行く場合は栄転として嬉しい事で、流罪の場合はやはり扱いが違ったのでしょうか?
例えば住む所、食事、行動の制限など
都を出るのも嫌だけどその先の生活が嫌、という事もあったのでしょうか❓
次回の動画も楽しみにしております❤
牛車に乗せられる伊周の姿...の件は、処刑台へ向かうマリーアントワネットの姿と被りますね
世をはかなんでや、思い余ってなど、この時代、源氏物語でも出家する話がでてきますが、ラットちゃんが言われていたように、自害する人はいなかったのですか?
自害は武士の世になって、自害=潔いという価値観が生まれてから。
貴族には「潔い死に方」なんてない、穢れでしかなかったはず。