【知って得する平安豆知識】平安時代の食事とカトラリー
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- เผยแพร่เมื่อ 10 ก.พ. 2025
- #大河ドラマ #平安時代 #解説
※概要
平安時代の食事についての紹介動画です。箸と匙について、タンパク質源の牛乳についてなど、前回の「平安衣食住紹介」より突っ込んだ内容になっております。
2024年、NHK大河ドラマ「光る君へ」解説動画です。
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いつも楽しく拝聴しております。左大臣源雅信の娘さんの倫子さんの猫の可愛がり様が演出上において際立ってきたように感じます。
さて、お便りしたのは、ねこちゃんホンポのWeb記事で、宇多天皇が黒猫を可愛がっていたと知り、宇多源氏は猫好きの設定したのかなァと想像しました。
記事では宇多天皇は猫にミルク粥を与えていたとか、
猫好きの私も、うんうんと感心しました。
きりゅうさんの生まれた所、摂津市辺りなんですね。生まれも育ちもその後引っ越した先もすべて摂津国なので勝手に親近感。実家近くの阪急の駅が上牧といって、ここも牧場由来と聞きました。
あと、牛乳煮詰めて作る蘇、子供のときに作りました。キャラメルみたいでした。
昔、探偵ナイトスクープで、醍醐味というくらいだから醍醐はおいしいのか?を検証していました。
醍醐よりも焼いた蘇の方が美味しい、これからは焼き蘇味!という調査結果だった覚えがあります。
なるほど!
そう言えば、芥川龍之介さんの小説で、
芋粥
って、作品がありましたよね。
カトラリーのところで、昔大学のセミナーで聞いた話を思い出しました。西洋はじめアジアの他の国々では、日本のように自分専用のマイ箸はないそうで、日本はその点でも独特だそうです。確かに自分だけが使うお箸は、他の人には使わせませんよね。西洋のカトラリーも中国朝鮮の物も、基本皆同じタイプの箸、スプーンであって個別に所有者があるわけではありませんよね。
今回の大河ドラマは、映像的にとても美しかったです。平安時代の大河ドラマで、騎馬打毬が見られるとは思っていませんでした。雅な装束での競技に在来種の小さな馬を使っていて、とても見応えがありました。いつもは静的な動きの少ない平安貴族の回ばかりなので、躍動感ある回でもありました。平安という大河ドラマでは珍しい時代が舞台なので、これからもこういう風俗や新鮮な設定の回を期待します。
韓国は自分専用の銀のはしスプーンセットを、持ってますよ。
@@岩城眞理 さん 私が言っているのは、自分の箸はこれ、夫の箸はこれというように柄や長さでの違いのことです。韓国の箸、スプーンは皆同じ材質の同じデザインではないでしょうか?!(4人家族なら4人分の同デザインの箸と金属製のスプーン)コメントでおっしゃられているように、だからこそ箸とスプーンのセットというのだと思います。日本はスプーンは区別せず同じデザインのものを皆で共用しますが、マイ箸はしませんよね。
@@cancan5892
私の知ってる範囲の家庭は、皆個人の銀のはしとスプーンを、大事につかってました。他の人のを使うことはなくです。食事の度に各個人の箸スプーンを揃え置いてました。
私も現に、日本の夫婦箸と同じ形態の、銀の箸スプーンセット2組もって時々使用してます。韓国の場合箸スプーンで一組で、夫用妻用がペアーになってます。
私自身のお箸の行方不明ですが、対のスプーンは未だに普段使ってます。
ただし日本の家庭でも、全く気にしない家庭もありますから、韓国の家庭でもあるのでしょう。
山岸凉子さんの“日出処の天子”に箸や 醍醐が出てました。
『もったいないオバケ』www……日本昔ばなし風のCM懐かしいですね。😄
ゴボウの話とか、現代にも通じる食文化の話面白かったです!
わたしは愛知県民なので、20年くらい前まで嫁入りと呼ばれる行事が盛んで、お嫁さんが来る家の二階や屋根の上から婿側の男衆がお菓子やお餅を投げて近所の人が拾いに行く文化がありました。当時小学生だった私は母のエプロンを借りて、エプロン広げて屋根の上にアピールしたものです。(いまではお嫁に入る、感覚ではなくなったので結婚式で花嫁が投げてゲストに拾ってもらうなど、形を変えて残っています)
😮随分前から、牛乳を、飲んでたのですね😮びつくり…知らなかったです。本より、詳しい、ために、なります。最高〜😊
きりゅうさんが平安時代に行って見てきたのか?と思うくらいお詳しくて楽しいです😊
へー!へー!へー!ボタン押しまくりたいw平安のご飯事情楽しかったです。
三日夜の餅が出てくる度どんなお餅なんだろう、紅白なの?きな粉?味は甘いの?しょっぱいの?米の味だけ?と授業中そればっか想像してました。
授業に集中して〜w
親戚の棟上げ(家屋の修築)式に餅をついて、ふりまいていましたね。私もありがたくひろって食べていました。最近は、全くききませんね。毎回すごく面白いです!
『古事記』か『日本書紀』でスサノオが八岐大蛇を退治する村に着いた時に、川上から箸が流れ落ちてきたっていうのがあった気がしますが、神代の時代(?)にはまだお箸は無かったんですね💦
今日はたまたま市販のヨーグルトを種に牛乳と一緒に炊飯ジャーに入れて、かさ増しヨーグルトを作っていました。平安時代も乳製品は食べられていたんですね🐮
なるほど、確かに韓国は食器を持たずに食器に口を持っていく食べ方ですね。中学生の頃に学校の宿泊行事に行ったときに、食事の時にクラスメートの女子の1人が、食器を一切持たずに食器に口をもっていく、犬猫のような食べ方をしてて、あまりに不思議で、宿泊行事から帰ってから母に話したら「もしかしたら、韓国人の子かな?」と、母が言ってて「なんで韓国?」と聞いたら、まさに、この食事の文化だと教えてくれました。その子が韓国の子かどうかは分かりませんけどね😅
茶碗を持って食事するのは、日本の文化で、中国や韓国でそれをやったらマナー違反だそうだ。
そういえばコロナで学校が休みになった時蘇を作ろう!って流行ったことありましたよね。宴で食べ物を振る舞うのは割と普通の事だったんではないでしょうか。祖母の時代は昔名主だった本家に彼岸や正月に食べ物を貰いにくる親戚の人が結構いたので、御赤飯を振る舞い用に取り分けていたという話を聞いたことがあります。
麦茶って平安時代からあったんですね。早くても江戸時代かなって思ってました。
平安時代に乳製品やかき氷が存在した事に驚きました。食事だけでは無くカトラリーまで解説してもらってためになりました。
わたしの地元では、家を建てる時にも、お祭りでも餅撒きがありますよ
愛知県の尾張地方(いわゆる、結婚式の派手さで有名な地域)では結婚式の日に、菓子撒きの習慣があり、お菓子問屋さんなどで菓子撒き用のお菓子詰め合わせが売られています
というか、お菓子問屋さんに「嫁菓子」という看板があります
くーさん、さすが!
平安ドリア!
牛乳は平安時代から普通に飲まれてたのですね。
新築のお餅撒きは子供の頃よく行ったの思い出しました。うちも建て直した時二階の屋根に乗ってやりました。
今回も解説ありがとうございます。
匙と箸、ご飯の違いで食器文化も違う発達をしたのは興味深いですね。韓国も近年では米も箸で食べる事が少しは増えたそうですが、やっぱり茶碗を持つのは無作法扱いと聞きました。
屯食のおにぎり、笹の葉なんかで包んでくれたら良いのになぁ、わざわざ書き残してないだけで実際は包んでたのかな。
確か奈良のお土産で蘇が売られていました。
味は、あまり甘くないミルクケーキのような感じだった記憶があります。
もしかすると、現代人向きに味付けはされていたかもしれませんが。
今度またお菓子の解説&試食会もして下さい❗️
以前の動画で清浄歓喜団を知り、取り寄せて食べてみましたが、美味しかったです❣️
平安時代の食事のお話、とっても、とっても面白かったです😊盛り付けの美しさに重点をおいていたとか、食材なども興味が湧きました。ありがとうございました🙏❣️
山盛りご飯は、市川崑監督の「股旅」を思い出します。客人は、2杯食べるのが礼儀ですが、上だけ少し食べて、その上によそってもらって2杯食べたことにするってのがあった。もちろん一宿一飯の恩、出入りが有れば命を懸けます。
牛乳の産地にきりゅうさんが縁があるとは、すごく親近感です。
半世紀前くらいまで、淀川近くの地域に牛舎が沢山あった話は聞きいた事がありますが、まさか天皇や貴族に献上されてたとは。
今はすっかり住宅街です。
昭和の牛舎の話を教えてくれた地元の方にも教えようと思います。ありがとうございます。
いつも楽しませて頂いています。以前、大和郡山のホテルの朝食で蘇が食べられて、普段食べてるプロセスチーズやクリームチーズと比べて硬いけど滋味深く美味しかったです。また食べたい❤
「醍醐」なる乳製品、たぶん濃いヨーグルトとモッツァレラチーズの中間のような、いずれにしても贅沢な発酵食品だったのかと.
「発酵」という食品の保存と旨味を併せ持った技術が、平安貴族文化の中から生まれたと聞いたことがあります😙
お話、面白かったです!途中でお腹が空いてしまい、、、少しつまみ食いをしながら聞いていました😁
天満宮と牛がセットなのは、北野天満宮のあたりに牛がたくさんいたからと聞いたことがありますが、そういうことでしたか
農耕用もいただろうな
昔、2リットル牛乳をがぶ飲みして、ゲーリーを引き起こしてしまったことがあるのですが、平安貴族の方々は鉄っ腹だったのでしょうか。加熱消毒とかどうなってたのでしょう。
そういえば、韓国ドラマ『美男ですね』で、スプーンでご飯食べてたコ・ミナムが、めちゃちゃ可愛いな〜って見てた記憶があります。
あと、ドラマの中で来日したときの、アイス コピッ(アイスコーヒー) の発音が可愛かった〜
というのを思い出しました。
岩手に『えさし藤原の郷』という
平安時代をモチーフにしたテーマパークがありまして
今回の大河でも使われてまして
平安衣装のコスプレ体験や
サムネのような
平安時代の食事の再現メニューなんかが食べれたりします😊
牛乳って、完全に洋食のイメージがあるので平安時代にも飲まれていたのは意外ですよね🤔
お乳を出してくれたり車を引っ張ってくれたり…牛が貴族の生活で身近だったのは面白いです🐄
イズレ歴史探偵🕵️終わるナラヒストリアミタクサブカル物ダケの限定放送も構わない!
今回のテーマと全然違う事お尋ねしてもいいですか?
五節の舞姫の練習の時と打きゅうの回とに、出てきた言葉で「いんじゃん」がありました。始め!の掛け声的に使われていましたが、これは関西の昔のジャンケンの掛け声のいんじゃんと同じですか?
だとしたら平安時代もしかしたらもっと昔からの掛け声が昭和まで残っていたことになりますね。すごい〜❤
現在では最初はグーばっかりで、いんじゃん残ってるのかなあ。こう言うのも小さいけど文化だと思うんですよね。残って欲しいな。
いんじゃん、10代の子どもはたまに言う子はいるけどほとんど使わない、って言ってました。。。もし由来があるなら、無くなっていくのは残念ですね。
わざわざお子さんに訊いて下さってありがとうございます。
やっぱり衰退しているんですね…
どこかの文献にでも残してくれないかなぁ
下人に投げるおにぎりは、棟上げお祝いの説もあるかもしれませんが、当時流行り病が恐ろしかったので接触を避けたのかもしれませんね。それと昔はよく怒る男性の方が日本人も外国人も多かったですね。沖縄旅行で友達が現地の方におっちゃんと言って相当怒られた思い出があります。関西の人間で親しみを込めてのことだったのですが。
いつもありがとうございます。牛乳を飲んでいたのは驚きでした!『人肉』は気になっていました。くーさんナイスな質問をありがとうございます🙏
薬屋のひとりごとでも猫猫が即席アイスクリーム作ってましたね😊
自然の摂理を考えると、火葬は不自然なことなのかもしれないですよね。
それは、やはり火葬は特別な人の特権というのは納得です。
葬儀にも歴史があるんだなぁ。
今回も勉強になりました。
きりゅうさんのお話、面白いです!
韓国で飯碗を持って食べると怒られる(逆に副菜等の椀や皿はOKらしい)というのは知ってましたが、主食がおかゆであった影響なのですね。
平安時代の夏の甘味でしたら、桂離宮横の中村軒のかつらうり氷が近い体験ができると思います。
先日、国立科学博物館の和食展行ってきました。平安時代の食事にも触れてました。きりゅうさんが言う通り、ご飯盛り盛りおかずいっぱい盛り盛りでしたw
個人的には信長の家康もてなし膳の再現がジュルリな感じ。
鶴はいつから食べられてたんでしょうかね……
韓国ドラマで見ていて…成る程、日韓の違いを納得しました。そして、衣服や靴、家具等を見ると(金物の箸など)韓国は大陸に続いているんだね。
今回もわかりやすい説明でした😊
銀食器を使っていたのは毒に反応するからなんですね!
確かにアニメの「薬屋のひとりごと」でも同じような事言ってました!
私はお酒が大好きなので、次回は平安時代の人たちはどんなお酒を飲んでいたのか分かりやすく説明していただけたら嬉しいです!
大河ドラマみてると瓶子と土器でお酒飲んでるシーンがあって、めちゃくちゃ憧れてます笑
(長文ですみません)😅
ご飯やカトラリーも映えが一番大切とは…
現代人は案外平安貴族と気が合うのでは?ときりゅうさんのお話を聞くたびに思います😂
○○のスマホのシリーズ大好きなのですが、光る君への登場人物のスマホはかなり覗きたいです笑
平安時代から牛乳を飲んでいたのですね
加工して乳製品を作っていたとはビックリしました😮
いつも楽しく拝見しております。今回のテーマではないのですが、平安時代の女性の髪型について質問させてください。
まひろの髪型が他のお姫様たちと違ってお団子結びのように見えます。紐で結ぶわけでもなく、あのように髪を結んでいるのは他の時代劇でも見たことがなくて違和感をを感じています。
できましたらそのあたりのところを解説して頂けたら嬉しいです。
清少納言に現代の緑茶や番茶教えてあげたらさぞかし喜んだろうなぁ。
いつも楽しく視聴しております。乳製品が大好きなので、平安時代にタイムスリップしたら乳製品食べ歩きツアーしたいですw幕末には牛乳を飲む習慣が絶えてしまいハリスさんが手に入れるのに苦労したと動画で学んだので、どの時代でどういったきっかけで途絶えてしまったのかも気になりました。
奈良県でいまでも蘇か醍醐を作って販売している所があるとか😊みなさんで食べてみてほしいです❤
箸や匙が無い時代は料理を作る時はどうやって作ってたんだろう。
おたまとかヘラとかはあったのかな?
兼家、出る度に飯食ってるイメージあるわ😂
日本人は牛乳に体質が合わない、と聞いていました。なので乳糖不耐症が多いと
江戸時代にはたぶん飲まれてなかったのが平安時代にはよく飲まれていたとは面白いですね😊あ、でもお貴族さまだけか😅
明治維新のドラマで「牛の乳⁉️」と驚く場面があったから肉を食べなかったとされる侍の方々からしたら驚きなんでしょう。カルシウムは概念は無かったでしょうけど魚で補ってたワケだし
貴族の宴会に、酪・蘇・醍醐が出されていたからね。
今回のドラマのタイトルは、”おかしきことこそ”でしたが、学生時代”をかし”という語はおかしい、滑稽という意味ではなく、”趣がある、興趣がある”という意味だと耳にたこができるほど習ったので、今回はえっと感じました。早速調べてみました。ものもあわれと並ぶ美的理念の一つで、知的興味をそそられる感覚的直感的な明るい情趣。室町時代以降は、滑稽の意味とありました。他の解説では、おかしい、滑稽が先に書いてあるものもあり、現代ではどちらの意味でもさほどやかましく言わないのかなあと、ちょっと違和感も感じました。ドラマでは、まひろが創作した散楽の原作として語られ、明らかにおかしい、滑稽の意味でした。古典に造詣の深いきりゅうさんに是非お訊きしたいと思い、コメントします。
同じことが気になってました〜😊
枕草子で
いとおかし は、趣がある事と習った覚えがあります。
昔タイで現地の方に伝統料理をふるまっていただいたことがあるのですが
炒め煮にした魚や野菜の和え物、卵焼き等のおかずをレンゲと箸で食べ、
ご飯は蒸した糯米を手で一口サイズづつ取っていただいた記憶があります
強飯ってこの蒸した糯米の感じかな?と思いました
牛乳を飲むのも、インドからの影響を感じます
正倉院には中国を経由していないインド産の生薬も所蔵されていると聞いたことがありますし、案外直接南アジア経由で入ってきた影響もあったのじゃないかな?と思ったりしてます
南アジアから直通?!
おもしろいです。
スリランカに住んでいたのですが、なぜか、シンハラ語の口語は日本語とよく似ています。
文法も似ているけど、単語にもそっくりなものがときどきあって、ふしぎだなぁ、って思っていたので、興味深いです。
@@secondstar226シンハラ語、興味深いです
古代の人達って意外と広範囲で交流してたみたいですよね もっと研究が進んだら面白そうですよね
以前ある体育館で、インド古武術のカラリパヤットの稽古に参加していて、空手の稽古をしているグループが同じ部屋に居合わせた事があるのですが、やってることがそっくりだ!と空手の先生が驚いていました
空手=カラテはカラリから来ているのじゃないかと思っていたので、それが証明されたような気がしました
平安貴族はお腹が強いなぁ~
駄目元で質問したので、答えて頂きありがとうございます!
今日も分かり易い解説ありがとうございます🤗この時代お寿司とかは食べてたのかな🤔たぶん”あの鮒ずし”みたいなやつ
蘇は飛鳥寺で売ってたから食べたことあります😁😁
当時の蘇の作り方はまだ解明されていないとか
有力な説が4つくらいあるそうなので、本当の当時の蘇の作り方が解明されるといいですね
…現代のわたしたちが食べて美味しいかどうかはわからないけどw
蘇は奈良のショップで購入して食べました。甘くてい美味しいです。煮詰めて閑静までに10何時間かかるからコスパ悪いですよね。
もうすぐですね、登録者10万人!
紫式部が好きだった魚はなんでしたっけ〜?
タイトルは忘れましたが、昔の大河で登場人物が話題にしてたんですよ!
いわし
醍醐は食べたことあります。チーズに似ていて醤油とみりんや砂糖を加えた調味料で味付けされていて日本人には「チーズの甘辛煮」風ではありますがチーズとは違うので抵抗なく美味しいですよ。酪農家の方が作ってくれました。初乳で作るらしい貴重品で、ありがたみがあります。
縄文時代に土器に貝を入れて煮て食べていたので木で作ったスプーンのような食器は使っていたと思われます。栗の木は栗の実も食べ、イガは野生の動物避けに有刺鉄線の様な使い方をしていたらしいです。縄文時代ですら結構進んだ文化生活をしていたと思います。「大陸から~」を鵜呑みにしなくても良いと思います。
それ、あなたの個人的意見でしょ?
味原牧(乳牛牧跡や鳥飼牧跡)の話が出るとは思いませんでした
今は牧場は無く住宅街ばかりです
きりゅうさんが同郷の方だったとは思いませんでした
甘味と麦茶があったら平安ティーパーティーもあったかも?
平安時代に牛乳を飲んだり、加工したものを食べていたのは、知らなかったです。歴史は、いと、おかしですね~。
醍醐味の醍醐は乳製品ですぞ
日本人は乳糖不耐症が多いって聞いていたので、平安時代に牛乳が飲まれてた話は意外でした
紫外線殺菌や冷蔵技術のない昔は
血液から作られる牛乳は気温により1時間もすると腐敗してしまうそうです
保存や運搬に当時の方がどんな工夫をしていたのかとても気になります(^^;;
飛鳥時代~平安初期までは牛乳や乳製品を飲み食いしてたけど、平安中期くらいから明治くらいまでの約1,000年、乳製品を口にしてなかったから牛乳を分解できなくてもおかしくないように思います
(代わりに日本人は海草を分解できる酵素を持つ、数少ない民族)
ここからは個人的思いつきですが、保存に関しては、素焼きの甕(土器)とかに入れておけば搾ったその日は保つような気がします
今でも真夏に素焼きの甕に入れた水は気化熱の関係か何かで、ひんやりしているから
まあ、直接飲む人は限られていて、ほとんどは大原の牧場近くで加熱加工、しかも水分を飛ばした状態にするからそんなに傷んだり腐ったりの心配はなかったように思います
冷蔵庫・冷凍庫がある現代人と違って、一部の保存食以外は収穫したらすぐに食べることが常識だったと思うし
食べ残しを庶民が食べるのはヨーロッパでもそうですね
ベルサイユでルイ14世のじだいなどは王が食べた残り物を周りの人たちが食べたり、あるいは売りに出してたりしてたそうです
箸が飛鳥時代に伝来とすれば、箸墓古墳の箸というのは食べ物を食べるものではなく、祭祀用に使われたということでしょうか?
モモソヒメが刺さった箸ってなんなのでしょう?
根拠がないお話しですが、「槍」を比喩した言い方と読んだこと有ります。
マチュピチュ で 有名な インカ帝国 は 人の腹の皮で太鼓作っていたようです。
なので、もしかしたら 食べていたかもしれませんね、( 知らんけど )。
平安時代にチーズの様な物やバターに近い物があったことが興味深いお話でした。光る君への時代考証の先生が平安時代の食事について述べられていて現代人が当時の平安貴族が食べていた料理を食しても美味しいとは思わないだろうと話していました。やはり調味料が少なすぎるのと調理したてのもは食べていなく全部冷めていたそうです。あとお米の炊き方も現代とは違う為私達が食べているご飯とは違うそうです。私の考察ですが出汁を使った料理はこの時代無かったのかも。昆布出汁はあったかもだけど。
あとみやこの平安貴族は魚は食べていなかったらしいです。海から離れていた為無理だったそうです。仏教の教えで余り動物の肉も食べれず魚も無理だったら動物性タンパク質が不足しそうですが。
40年前子供の頃、南河内ですが、牛を飼っている農家がありました
平安時代の食生活、面白かったです😊北野天満宮の牛は近くに牛がたくさん飼われていたのと関係があるのですか❓
コロナ禍、Twitterの投稿で、牛乳の消費が減って困っている、というものがあり、その投稿をみた古代史に詳しい方たちが、牛乳消費のために蘇をつくろう!と盛り上がっていたのを思い出しました。
飲み物というと、味醂とか甘酒なんかもなかったか。
倫子さんのサロンで供されているお菓子とお茶❓どんなものだったのかなぁ、と想像しています。
アフタヌーンティー❓かな。
奈良のお土産で『蘇』が売られてました…
美味しかったと記憶してます
ネットでも買えるみたいです😊
当時の蘇の本当の作り方はまだわからないのだそう
4つくらいの有力とされる作り方のどれかが売られているらしいです
本当の作り方が判明するといいですよね
現代のわたしたちが食べて美味しいかどうかはわからないけど
おもしろいです!エサw確かに😅
道兼が庭で鶏に餌をやっていましたが、闘鶏なんかもあったそうですが、焼き鳥とか卵焼きなんかは食されてたのでしょうか。
うさぎは「鳥」扱いで食べていたという話を聞いたことがあります
兎を鳥ということにして食べるから、兎の数え方が「1羽、2羽…」になったという説も
「棟上げ式(むねあげしき、新築時の餅まき)」は平成の一桁まではあり、お札を撒いたりもして、私は一万円札を拾った事があります。
平安時代の貴族の食事ってたくさん出すのに、全部たべられないのはちょっと勿体ないと思いました。
あと、蘇とか醍醐を食べてみたいです。
料理といえば、油を使った料理(焼く・揚げるなど)はいつ頃からあるのでしょうか?鎌倉殿の時にも出て来た清浄歓喜団は確か油で揚げる菓子だった気が・・。今回もチョロッと出てたような。
油が貴重な時代なので唐果物みたいな例外はあったけど基本的に揚げ物が食卓に登場したのって多分鎌倉時代あたりからだと思う
禅寺で出される精進料理などが南宋経由で入ってきたのだと思うから
精進料理の中に揚げ物的なものがある
がんもどきなんかはガン(鴨)のもどき 偽物という意味
韓国は食器が金属製だから熱くて持てないんですよね。
兼家の使う器が綺麗な青磁過ぎて違和感がありました。最高権力者なら最先端の中国の器を取り寄せられるか?と思いましたが、当時の最先端の器でもあそこまで綺麗な青磁色はないと思います。
多分、須恵器や緑釉陶器がメインで、青磁があったとしてももっとクリーム色が強いはずです。
牛乳は日本人のお腹に合わない。なぜなら昔から飲まれていなかったから!という話を聞いたことがあり信じていましたが、この動画で平安から飲まれていたことにビックリ。
牛乳が飲めない言い訳にはできませんね(笑)
飛鳥時代~平安初期までは牛乳が飲まれたり、加工品が食べられていたけど、平安中期くらいから明治くらいの約1,000年は牛は農耕で使うだけで牛乳を食することがなかったから、牛乳に弱い遺伝子が多くなったのだと思います
代わりに欧米人にはない、海草を分解する酵素を日本人は持っている✌
最近は少なくなりましたが、新郎さんの家に新婦さんがお仏壇参りした後
饅頭まきをしました。カンガルーエプロンを持参して拾いに行きました。
奈良の橿原に蘇を再現した「そやねん」というおかしがあります。
人肉というとジョージ秋山さんの漫画「アシュラ」のイメージが強烈でしたね。でも今回の大河は、JK(女子貴族)がたくさん出てきて華やかでいいですね。
正餐再現料理 献立形式に、食前酒の薬酒(くすざけ)に始まり、
メインディッシュのような祝菜(一進)へ。この前菜は数が多いほど御馳走であったから、「かずもの」と呼ばれ、「おかず」の語源になったといわれている。
この後、料理は二進(羹あつもの)から十進(唐菓子)へと続く。
目新しいところで、
①炙(あぶりもの) 海産物の素焼き
②調菜 野菜や乾物を使った料理
③窪杯物(くぼつきもの) 海産物を酢で洗ったもの。いわゆる酢の物。
④姫飯(ひめいい) 古代から残る赤米を使用したお茶漬け。
⑤唐菓子 唐から伝来したお菓子。ごま油で揚げる。
醍醐寺の奥、上醍醐に醍醐味の語源になったといゆう泉がありましたが何だったのでしょうか?
日本人は乳製品でお腹壊しやすい人が多いらしいけど、当時の方はどうだったんでしょうね。私は牛乳飲むとお腹壊すこと多いので飲めません。
こんばんは。😊😮😊😮
平安や鎌倉時代の貴族に異常な長生きをする人が結構いるのには、
乳製品を摂取していたことが結構大きいんじゃないかなあと思います。
でも、醍醐を食べる姿は想像できても、牛乳を飲む姿が想像できない・・・。
盃でも使ってお酒のようにちびちび飲んでたんでしょうか・・・。
おおっ、そういえば「清浄歓喜団」!と思って調べたら、江戸時代に製法変えてるみたいですね
チーズドリアン笑笑
その発想はなかった
いつも楽しく視聴させていただいてます。ふと気になったのですが 揚げ菓子を揚げるのは何の油だったのでしょうか?
教えていただけると嬉しいです。
ゴマ油か荏胡麻油だったと思われます。
早速のお返事ありがとうございます。納得でございます。現在の揚げ菓子とほぼ同じですね~。@@kashimashi_rekishi_ch
人肉・・・確か、鳥取城の籠城戦であったような。
鳥取城は干殺しの極限状態だから仕方ないように思う…
@@user-さわ もちろん非常手段で、文化としては存在しません。😅
八代将軍吉宗でも
将軍が大量に食べ残すから
山田邦子が勿体ないと言ったら
侍女が下々の物が全部頂くから
勿体ない事はありませんよと言ったシーンがあった
ええー!
うーん、中国の文献をどこまで信じるかですよね。卑弥呼の時代となると資料が極端に乏しいので難しい所です。
カトラリーと言えるかどうかわかりませんが、トングのような食べ物を挟む道具はかなり古い時代からあったのではと思います。陛下が新嘗祭で今でも使っていて日本の歴史を感じます
オハシ日本起源説はどう思いますか?
〜起源説は某国のお得意ですが、日本でも流行り始めたみたいですね。
ホルスタインww
昔、スキー場の旅館で多分、韓国の高校生グループ(日本語と韓国語でお話ししてたので)の方達が隣のテーブルで食事をしたのですが彼女たちが片膝立てて食器を持たずに食していましたので、驚いた事があります。
くーさん姉さんがお話した、人○食いのお話し「水滸伝」かな?と思いましたら「三国志」でした。
水滸伝もフィクションでしょうが、とある臓器を「○したらすぐに取り出して水で冷やさないと味が落ちる」等と書かれてたのでリアルなのかな?と思ってましたが、違うんですね(ホッ😅)
マタギしていた年配の方に、子供の頃聞いた事あります。
猪なんかは取ったら血抜きして川で肉や内臓を冷やしたそうですよ。人肉ではないですが。
寄生虫を殺す意味もあったのでしょうが、冷やした方が肉は美味いと言ってました。
@@rinnmm2523 さん
コメントありがとうございます😊
だがしかし…水滸伝では嬉々としてそれ目当てで…ゴニョゴニョ。
ご飯を食べる時間は、決まっていたのですか。
伊周が人望を高めようと催した宴会?のシーンでご飯?が山高く盛られてたのを見て食事の盛り方は朝鮮王朝のドラマで見たのと似てるなぁと感じました。その辺どうなんでしょう?盛り方も伝わってきたのでしょうか?牛乳、日本人は牛乳の乳糖を消化する酵素が少ない人が多く、特に奈良の人に少ない人が多いと聞いたんですが、平安時代のお貴族様達はお腹ゴロゴロしたりしなかったのでしょうか?😅
水飴もあったのでは?それから甘茶が甘いと思います。
アマヅラを煮詰めたシロップはあったようですが
水飴はどうだろう?
麦芽糖とかはありそうな気もする
当時のお酒なかなり甘かったらしいので甘酒的な物は一種の甘味料的なポジションも兼ねていたのかも…