ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
※前編をご覧いただいてからのご視聴をオススメします※th-cam.com/video/4Oiz-05K9mk/w-d-xo.html後編も、謎は盛り沢山です。「太陽系の奥」や「前も後ろもない理由」、「三千年の恨み」に「なぜ“遠い昔のおまじない”は嘘なのか?」を中心に考察していきます。(相も変わらずに噛みまくっておりますが、ご笑覧くださいませ…!)あくまで一解釈・考察で正解も不正解もありませんので、ぜひ皆さんの解釈や気づきもコメント欄で教えていただけたら嬉しい限りです。よろしくお願いいたします!
面白い解釈ありがとうございます。この曲の歌詞が昔の自分状況となんか近しい物を感じるので、不思議な気分です。顔も名前も本当のことなんか何もわからない相手とやりとりしてた時期と重なってグッときます。
後編ありがとうございます!「遠い昔のおまじない」と聞いて思い出すのはやはり子供時代の「痛いの痛いのとんでゆけ」かなと。米津さんは確かofficial Orangeの作曲中に同名の小説を読んでおり、沙上の夢喰い少女や遊園市街の作曲に影響を受けたとされております。とすれば幽霊船の作曲中にもその影響は出ていておかしくありません。「遠い昔のおまじない」である「痛いの痛いの痛いの飛んでゆけ」があんまり急に笑ったり、たちまちのうちに蔓延るとはどういうことか。私はそれを「痛みのない世界への誘い」だと捉えます。マトリョシカやパンダヒーローに起因するボカロPとしての大成は、米津さん本人も、皆が褒め称えてくれる痛みのない世界へ、そしてリスナーをも、「馬鹿っぽくてどんちゃんした」、「オピウム(阿片)」の世界へと誘います。米津さんはそれではいけないと思ったのでしょう。何故ならそれは、本来あるはずの痛みを何処かへやってしまう、あんまりな嘘なのですから。故にボカロPとしての姿を捨て、芸名すらも捨てて戦い続ける、修羅に落ちることを決めたのでしょう。「自分の曲はどこまで行っても創作物であり、ある種のフィクションでしかない。しかしこれからの歌は『痛み』を伴う本当の嘘だ。」米津さんはそれから月日をかけて「痛み」を歌い続けてきました。そして世に広く知れ渡る結果となったlemonは、愛する人を失った、人生最大級の「痛み」を歌った曲です。
後編もコメント、ありがとうございます!「痛みのない世界への誘い」が細分化した時に「アヘン」なども最初に入ってくる解釈は、非常に面白いですね。たしかに「あんまりな嘘」に繋がるので、なるほどなぁと感じました。痛みや、痛みを細かく区切った生老病死や愛別離苦は普遍的なトピックなので、ドラマの影響も大きいながらも多くの人に響きやすい性質がありますよね。共感です!
リクエストです 翡翠の狼をお願いしたいです
リクエストありがとうございます!『翡翠の狼』、良いですよね。手元のリクエストメモに追加させていただきますね、また引き続きよろしくお願いいたします!
@@ヤマグチタツヤ ありがとうございます!大好きな曲なので楽しみにしてます
リクエストって米津さん以外でもいいですか?凍傷熱病という曲の解説をしてほしいです!
リクエストありがとうございます!大丈夫ですよ!アーティストや収録CD名と一緒に教えていただけますと大変嬉しいです、よろしくお願いいたします!
@@ヤマグチタツヤ すみません。CDは出ていないようです。youtubeで見たのですがCD無いと難しいですよね〜
なるほど、TH-camにはあるのですね!もしよろしければ、URLなどもいただけると大変助かります…!
@@ヤマグチタツヤ th-cam.com/video/_H5oQubsjk4/w-d-xo.htmlこちらです!本当にありがとうございます!
ありがとうございます!タイミングは結構先になってしまうと思うのですが、よろしくお願いいたします!
NicoNico(ニコニコ動画)で、どうです?笑
ヤマグチさん、こんばんは。後編、ありがとうございます!扁桃体って、恐怖、悲しみ、喜びなどの情動に関連する部分だから、負の感情なんかも乗り越えてその先に行こうぜって受け取りました。「ほれ見ろそんなにせぐりあげて」のヤマグチさんの解釈を聞きたいです。不細工な花米津さんの絵にはたくさんたくさん登場しますね。花束と水葬のジャケット絵など、米津さんの絵を真似して描いた経験が何度かありますが、あの歯車のような絵は、米津さんの絵でしか出会わない不思議な絵です。ヤマグチさんのこの解釈を聞いていて、米津さんが「没頭することが大切」と過去のインタビューでも話されていたことが思い出されました。夢中になれる好きなことって大切だなと、それが見つかったら人生万々歳だなと、私も心から思います。それにしても「愛も絶え絶え」などという造語を作ってしまう米津さんの言葉のセンスを愛して止みません。今夜もありがとうございました。気候が不安定なので、どうぞご自愛くださいね(^-^)
はちすきさん、こんばんは。こちらこそ後編もありがとうございます!なるほど!よりポジティブな方へ解釈されたのですね(それもすごくわかります)。「せぐりあげて」は奥底から何かが込み上げてくる感覚を指す動詞だったはずなので、情動の全てがここに内包されているのかなと考えておりました。とりわけ「怒り散らせ」を始め、退廃感が漂う初期楽曲なので他のdiorama楽曲と一緒に並べた時には、ここは負の感情が前面に出てきているのかな?と解釈しておりました!歯車のモチーフはほとんど見ないですよね。近しいところでは、漫画『AKIRA』で有名な大友克洋先生の絵は影響があるのかなと思ったりしています。本当にそれが1番ですよね。こうしてコメントをいただいてお返事をするやりとりなどは、1つ自分のここ1年の新しい没頭でもあるので、はちすきさんのコメントはいつもすごく嬉しいです!体調のお気遣いも毎度ありがとうございます。つい無理しちゃいがちだったりするので、気をつけますね。はちすきさんも、くれぐれもご自愛くださいませ!またよろしくお願いいたします。
太陽系が脳全体でその太陽が扁桃体でそのもっと奥のを使え、多分違うなーw
なるほど!脳として捉える視点はものすごく面白いですね。論理構造は一旦脇に置いておいて、歌詞から映像としてイメージできるので、いい解釈だなぁと思います!
何時もご教示ありがとうございました。今回、ヤマグチさんの考察と幾つか相違のある点を纏めてみました。何故、病弱な少女セブンティーンなのか?僕とセブンティーンは同一なのか?の検証と考察について 、は結論として、ヤマグチさんと一致していて。下に、纏めたものを書き連ねて見ました。分かり辛いかと思いますが、何卒ご容赦下さい。自分の考察の柱は映画パプリカと、宮沢賢治「春と修羅『序』」 【映画「パプリカ」との関連性】●映画「パプリカ」の粉川刑事にとって「セブンティーン」とは記憶の奥に閉じ込めた、映画を制作に進みたかった17歳の自分自身だった。上記より、セブンティーンとは子供の頃からの米津さんの夢=「自分の歌で成功する事」に準えた物と推測した。●MV画面での、映画「パプリカ」との相似。「TV画面に顔が映る登場人物」アップの車に跨がる⇒幽霊船の僕が「TV男」⇒⇒⇒「ボカロP『ハチ』」「千葉敦子の恋人である太った天才学者」⇒TV男の後ろに「太った男」「パプリカが敵を殴り倒す」⇒セブンティーンに「殴り倒される」処⇒⇒⇒ゴーゴー幽霊船での意味として「過去にぶん殴られる、ボカロP『ハチ』」の図「ゴーゴー幽霊船」のTV男が「君の手を連れ引き戻す」とは何か⇒⇒⇒嘗ての理想「自分の歌声で成功する」に向かって行く事型は違えど、「オールドタイプの車」に乗って登場するシーンが或る事 【春と修羅「序」との関連性】●小さな幽霊≒米津さんの根拠。わたくしといふ現象は 仮定された有機交流電燈のひとつの青い照明です (あらゆる透明な幽霊の複合体) ⇒米津さん自身を幽霊の複合体として歌っている。●賢治の病弱な妹=孤独だった過去の米津さん。 ●……(全略)これらは二十ニ箇月の過去と かんずる方角から 紙と鉱質インクをつらね。⇒枯れたインクとペンで絵を書いて●太陽系の奥⇒賢治世界での『宇宙』 【仏教との関連性】●遠い昔のおまじない、三千年の恨み観無量寿経の最後に、豪華絢爛な極楽の様を説明して置きながら、「幻に恋をして居る間は、人間は救われる」と謂うのだ。一心不乱に経を唱え、読み込んで其のオチが「幻」であるとは。三千年待った転輪王の存在も、幻と、言う事である。其れはないんじゃないですか? 其れは、恨みにも為りますよね。⇒⇒⇒「怒り散ら」したくも為りますよね?⇒⇒⇒修羅道にも堕ちますよね?●ヤマグチさんの仰る通り、嘘には二重の意味が或ると思いました。TV男とはネット社会で「ハチ」と謂う符号、虚構、ボカロを隠れ蓑にしていた自分こそ嘘と言って居る。 【ラストの「もえない」ゴミ箱】●ワン・ツー・スリー・フォー・ファイブ・シックス・ナインの掛け声⇒ 8 「ハチ」が抜けていてる。⇒⇒TV男、セブンティーンが次々上に瞬間移動し消える。⇒⇒⇒ラストのゴミ箱のアップ。過去の夢「セブンティーン」が生身の人間『米津玄師』と為る。つまり、「TV男」=「ハチと謂う虚構であり、名声」をゴミ箱に捨てたと解釈すれば。名を知られたら相手に支配されて仕舞うと謂う「真名」での勝負。最早、逃げ場所は無い。 【ゴーゴー とは何か】goingのgoでは無く、轟々と燃える音だとしたら画面には、焔さえ見え無い「『もえない』シールが貼られたゴミ箱」しか残らない。 【結論として、幽霊船とは何か?】 映画パプリカに似た虚構世界の舞台。沿線上の扉(映画パプリカで、粉川刑事が夢の世界で、真実の願望を見出す為の『扉』)壊せ=原点回帰=⇒⇒⇒「ボカロPと謂う隠れ蓑を脱ぎ捨て、米津玄師と謂う歌手となる」為の闘い。此れは、「米津玄師」としての、世間への『宣戦布告』であり、「ハチ」への決別の意思表明では無かったか?――――――――其れは、総てがマーヤーであった マハーバーラタ 終幕より自分の妄想です。お付き合い頂き有り難う御座いました。
マボさん、お久しぶりです。マボさんに教えていただいたところから『パプリカ』も「仏教(の入口)」もそれぞれ映画も本も享受し、ちょうど今『春と修羅(三)』までを読んでいるところだったので、総振り返りのようでコメントを読んでいて楽しくなりました(笑)(しかもMV考察は、NN看板と8がないことのどちらを喋ろうか迷った挙句、話すボリュームの多い前者を選んでいた背景が撮影裏話としてあるので、そこまでシンクロしていて嬉しかったです!)まず宮沢賢治に関しては、撮影後にその箇所を読んで、実は僕も全く同じことを思っていました。まさに幽霊だよなと。しかも、病弱や天体の部分に関しては、たまたま最近見た映画『蜜蜂と遠雷』というピアノコンクールの映画に『春と修羅』が題材として出てきて、そこで「永訣の朝」の一節や天体を感じさせる演奏のダイナミズムが描かれていたので、さらに確証感が自分の中で積み重なるということが撮影後にありました...。『パプリカ』と照らし合わせる解釈は、面白いですね。これはさすがマボさんと言うべきでしょうか、僕は全く思いつきませんでした(笑)。ゴーゴーの擬音と重ねている見立ては、僕もそうだと思います。(前編動画のコメント欄で、どなたかと会話した記憶が...)総じて、米津さんにまつわる関連知識を総動員させると深みがどんどん増してくる楽曲だなぁと感じさせられました!
@@ヤマグチタツヤ さん。広い心で受け止めて頂き有難う御座います。8をもえない(燃えない=萌えない)ゴミ扱いにするとか、後ろから刺されるかと怯えつつ書き連ねて仕舞いました。N、NN看板は、全く其の手の知識が欠落して居るので、ご教示頂き有難う御座いました。何せ「ニコニコ動画」の事か?位しか思い付かなかったので。恥ずかしい限りです。
※前編をご覧いただいてからのご視聴をオススメします※
th-cam.com/video/4Oiz-05K9mk/w-d-xo.html
後編も、謎は盛り沢山です。
「太陽系の奥」や「前も後ろもない理由」、「三千年の恨み」に「なぜ“遠い昔のおまじない”は嘘なのか?」を中心に考察していきます。
(相も変わらずに噛みまくっておりますが、ご笑覧くださいませ…!)
あくまで一解釈・考察で正解も不正解もありませんので、ぜひ皆さんの解釈や気づきもコメント欄で教えていただけたら嬉しい限りです。
よろしくお願いいたします!
面白い解釈ありがとうございます。
この曲の歌詞が昔の自分状況となんか近しい物を感じるので、不思議な気分です。
顔も名前も本当のことなんか何もわからない相手とやりとりしてた時期と重なってグッときます。
後編ありがとうございます!
「遠い昔のおまじない」と聞いて思い出すのはやはり子供時代の「痛いの痛いのとんでゆけ」かなと。
米津さんは確かofficial Orangeの作曲中に同名の小説を読んでおり、沙上の夢喰い少女や遊園市街の作曲に影響を受けたとされております。とすれば幽霊船の作曲中にもその影響は出ていておかしくありません。
「遠い昔のおまじない」である「痛いの痛いの痛いの飛んでゆけ」があんまり急に笑ったり、たちまちのうちに蔓延るとはどういうことか。私はそれを「痛みのない世界への誘い」だと捉えます。
マトリョシカやパンダヒーローに起因するボカロPとしての大成は、米津さん本人も、皆が褒め称えてくれる痛みのない世界へ、そしてリスナーをも、「馬鹿っぽくてどんちゃんした」、「オピウム(阿片)」の世界へと誘います。
米津さんはそれではいけないと思ったのでしょう。何故ならそれは、本来あるはずの痛みを何処かへやってしまう、あんまりな嘘なのですから。故にボカロPとしての姿を捨て、芸名すらも捨てて戦い続ける、修羅に落ちることを決めたのでしょう。
「自分の曲はどこまで行っても創作物であり、ある種のフィクションでしかない。しかしこれからの歌は『痛み』を伴う本当の嘘だ。」
米津さんはそれから月日をかけて「痛み」を歌い続けてきました。そして世に広く知れ渡る結果となったlemonは、愛する人を失った、人生最大級の「痛み」を歌った曲です。
後編もコメント、ありがとうございます!
「痛みのない世界への誘い」が細分化した時に「アヘン」なども最初に入ってくる解釈は、非常に面白いですね。
たしかに「あんまりな嘘」に繋がるので、なるほどなぁと感じました。
痛みや、痛みを細かく区切った生老病死や愛別離苦は普遍的なトピックなので、ドラマの影響も大きいながらも多くの人に響きやすい性質がありますよね。共感です!
リクエストです
翡翠の狼をお願いしたいです
リクエストありがとうございます!
『翡翠の狼』、良いですよね。
手元のリクエストメモに追加させていただきますね、また引き続きよろしくお願いいたします!
@@ヤマグチタツヤ ありがとうございます!大好きな曲なので楽しみにしてます
リクエストって米津さん以外でもいいですか?
凍傷熱病という曲の解説をしてほしいです!
リクエストありがとうございます!
大丈夫ですよ!
アーティストや収録CD名と一緒に教えていただけますと大変嬉しいです、よろしくお願いいたします!
@@ヤマグチタツヤ すみません。CDは出ていないようです。youtubeで見たのですがCD無いと難しいですよね〜
なるほど、TH-camにはあるのですね!
もしよろしければ、URLなどもいただけると大変助かります…!
@@ヤマグチタツヤ th-cam.com/video/_H5oQubsjk4/w-d-xo.html
こちらです!本当にありがとうございます!
ありがとうございます!
タイミングは結構先になってしまうと思うのですが、よろしくお願いいたします!
NicoNico(ニコニコ動画)で、どうです?笑
ヤマグチさん、こんばんは。
後編、ありがとうございます!
扁桃体って、恐怖、悲しみ、喜びなどの情動に関連する部分だから、負の感情なんかも乗り越えてその先に行こうぜって受け取りました。「ほれ見ろそんなにせぐりあげて」のヤマグチさんの解釈を聞きたいです。
不細工な花
米津さんの絵にはたくさんたくさん登場しますね。花束と水葬のジャケット絵など、米津さんの絵を真似して描いた経験が何度かありますが、あの歯車のような絵は、米津さんの絵でしか出会わない不思議な絵です。
ヤマグチさんのこの解釈を聞いていて、米津さんが「没頭することが大切」と過去のインタビューでも話されていたことが思い出されました。夢中になれる好きなことって大切だなと、それが見つかったら人生万々歳だなと、私も心から思います。
それにしても「愛も絶え絶え」などという造語を作ってしまう米津さんの言葉のセンスを愛して止みません。
今夜もありがとうございました。
気候が不安定なので、どうぞご自愛くださいね(^-^)
はちすきさん、こんばんは。
こちらこそ後編もありがとうございます!
なるほど!よりポジティブな方へ解釈されたのですね(それもすごくわかります)。
「せぐりあげて」は奥底から何かが込み上げてくる感覚を指す動詞だったはずなので、情動の全てがここに内包されているのかなと考えておりました。
とりわけ「怒り散らせ」を始め、退廃感が漂う初期楽曲なので他のdiorama楽曲と一緒に並べた時には、ここは負の感情が前面に出てきているのかな?と解釈しておりました!
歯車のモチーフはほとんど見ないですよね。
近しいところでは、漫画『AKIRA』で有名な大友克洋先生の絵は影響があるのかなと思ったりしています。
本当にそれが1番ですよね。
こうしてコメントをいただいてお返事をするやりとりなどは、1つ自分のここ1年の新しい没頭でもあるので、はちすきさんのコメントはいつもすごく嬉しいです!
体調のお気遣いも毎度ありがとうございます。
つい無理しちゃいがちだったりするので、気をつけますね。
はちすきさんも、くれぐれもご自愛くださいませ!
またよろしくお願いいたします。
太陽系が脳全体でその太陽が扁桃体でそのもっと奥のを使え、多分違うなーw
なるほど!
脳として捉える視点はものすごく面白いですね。
論理構造は一旦脇に置いておいて、歌詞から映像としてイメージできるので、いい解釈だなぁと思います!
何時もご教示ありがとうございました。
今回、ヤマグチさんの考察と幾つか相違のある点を纏めてみました。
何故、病弱な少女セブンティーンなのか?
僕とセブンティーンは同一なのか?
の検証と考察について 、は結論として、ヤマグチさんと一致していて。
下に、纏めたものを書き連ねて見ました。分かり辛いかと思いますが、何卒ご容赦下さい。
自分の考察の柱は映画パプリカと、宮沢賢治「春と修羅『序』」
【映画「パプリカ」との関連性】
●映画「パプリカ」の粉川刑事にとって「セブンティーン」とは記憶の奥に閉じ込めた、映画を制作に進みたかった17歳の自分自身だった。
上記より、セブンティーンとは子供の頃からの米津さんの夢=「自分の歌で成功する事」に準えた物と推測した。
●MV画面での、映画「パプリカ」との相似。
「TV画面に顔が映る登場人物」アップの車に跨がる⇒幽霊船の僕が「TV男」
⇒⇒⇒「ボカロP『ハチ』」
「千葉敦子の恋人である太った天才学者」⇒TV男の後ろに「太った男」
「パプリカが敵を殴り倒す」⇒セブンティーンに「殴り倒される」処
⇒⇒⇒ゴーゴー幽霊船での意味として「過去にぶん殴られる、ボカロP『ハチ』」の図
「ゴーゴー幽霊船」のTV男が「君の手を連れ引き戻す」とは何か⇒⇒⇒嘗ての理想「自分の歌声で成功する」に向かって行く事
型は違えど、「オールドタイプの車」に乗って登場するシーンが或る事
【春と修羅「序」との関連性】
●小さな幽霊≒米津さんの根拠。
わたくしといふ現象は 仮定された有機交流電燈のひとつの青い照明です (あらゆる透明な幽霊の複合体)
⇒米津さん自身を幽霊の複合体として歌っている。
●賢治の病弱な妹=孤独だった過去の米津さん。
●……(全略)これらは二十ニ箇月の過去と かんずる方角から 紙と鉱質インクをつらね。⇒枯れたインクとペンで絵を書いて
●太陽系の奥⇒賢治世界での『宇宙』
【仏教との関連性】
●遠い昔のおまじない、三千年の恨み
観無量寿経の最後に、豪華絢爛な極楽の様を説明して置きながら、「幻に恋をして居る間は、人間は救われる」と謂うのだ。
一心不乱に経を唱え、読み込んで其のオチが「幻」であるとは。
三千年待った転輪王の存在も、幻と、言う事である。
其れはないんじゃないですか? 其れは、恨みにも為りますよね。
⇒⇒⇒「怒り散ら」したくも為りますよね?⇒⇒⇒修羅道にも堕ちますよね?
●ヤマグチさんの仰る通り、嘘には二重の意味が或ると思いました。
TV男とはネット社会で「ハチ」と謂う符号、虚構、ボカロを隠れ蓑にしていた自分こそ嘘と言って居る。
【ラストの「もえない」ゴミ箱】
●ワン・ツー・スリー・フォー・ファイブ・シックス・ナインの掛け声⇒ 8 「ハチ」が抜けていてる。
⇒⇒TV男、セブンティーンが次々上に瞬間移動し消える。
⇒⇒⇒ラストのゴミ箱のアップ。
過去の夢「セブンティーン」が生身の人間『米津玄師』と為る。つまり、
「TV男」=「ハチと謂う虚構であり、名声」をゴミ箱に捨てたと解釈すれば。
名を知られたら相手に支配されて仕舞うと謂う「真名」での勝負。
最早、逃げ場所は無い。
【ゴーゴー とは何か】
goingのgoでは無く、轟々と燃える音だとしたら
画面には、
焔さえ見え無い「『もえない』シールが貼られたゴミ箱」しか残らない。
【結論として、幽霊船とは何か?】
映画パプリカに似た虚構世界の舞台。
沿線上の扉(映画パプリカで、粉川刑事が夢の世界で、真実の願望を見出す為の『扉』)壊せ=原点回帰=
⇒⇒⇒「ボカロPと謂う隠れ蓑を脱ぎ捨て、米津玄師と謂う歌手となる」為の闘い。
此れは、「米津玄師」としての、世間への『宣戦布告』であり、「ハチ」への決別の意思表明では無かったか?
――――――――其れは、総てがマーヤーであった
マハーバーラタ 終幕より
自分の妄想です。お付き合い頂き有り難う御座いました。
マボさん、お久しぶりです。
マボさんに教えていただいたところから『パプリカ』も「仏教(の入口)」もそれぞれ映画も本も享受し、ちょうど今『春と修羅(三)』までを読んでいるところだったので、総振り返りのようでコメントを読んでいて楽しくなりました(笑)
(しかもMV考察は、NN看板と8がないことのどちらを喋ろうか迷った挙句、話すボリュームの多い前者を選んでいた背景が撮影裏話としてあるので、そこまでシンクロしていて嬉しかったです!)
まず宮沢賢治に関しては、撮影後にその箇所を読んで、実は僕も全く同じことを思っていました。まさに幽霊だよなと。
しかも、病弱や天体の部分に関しては、たまたま最近見た映画『蜜蜂と遠雷』というピアノコンクールの映画に『春と修羅』が題材として出てきて、そこで「永訣の朝」の一節や天体を感じさせる演奏のダイナミズムが描かれていたので、さらに確証感が自分の中で積み重なるということが撮影後にありました...。
『パプリカ』と照らし合わせる解釈は、面白いですね。
これはさすがマボさんと言うべきでしょうか、僕は全く思いつきませんでした(笑)。
ゴーゴーの擬音と重ねている見立ては、僕もそうだと思います。
(前編動画のコメント欄で、どなたかと会話した記憶が...)
総じて、米津さんにまつわる関連知識を総動員させると深みがどんどん増してくる楽曲だなぁと感じさせられました!
@@ヤマグチタツヤ さん。広い心で受け止めて頂き有難う御座います。8をもえない(燃えない=萌えない)ゴミ扱いにするとか、後ろから刺されるかと怯えつつ書き連ねて仕舞いました。
N、NN看板は、全く其の手の知識が欠落して居るので、ご教示頂き有難う御座いました。何せ「ニコニコ動画」の事か?位しか思い付かなかったので。恥ずかしい限りです。