レーシングレジェンド・フレディースペンサーの引退撤回後の軌跡【再アップ版】
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- เผยแพร่เมื่อ 8 ก.พ. 2025
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💪フレディースペンサー引退撤回後の足取りをご紹介。
頂点を極めたHONDA から失意のどん底へ叩きのめされたYAMAHAファクトリーまったく結果を残せず、最後はAMAに戻り1996年イタリアのドゥカティーで最後の1勝を飾り、レーサー人生をまっとした。
💪フレディ・スペンサーは、1983年に21歳でWGP500クラスのチャンピオンになったアメリカのレーサーです。その後も1985年に2年連続でチャンピオンになり、合計3回チャンピオンになりました。
1993年にMotoGPクラスに復帰しましたが、右手首のけがで1995年に引退しました。引退後はテレビ解説者やモーターサイクルメーカーのアドバイザーをしています。
現在は61歳で、アメリカのカリフォルニア州に住んでいます。妻と2人の子供がいます。
2023年に自叙伝を出版しました。
スペンサーはモーターサイクルレースの歴史に残る偉大なチャンピオンです。彼の革新的なライディングスタイルと、常に挑戦する姿勢は、多くのファンやレーサーに影響を与え続けています。 - ยานยนต์และพาหนะ
ケニー・ロバーツがあと3年現役で居てくれたら、フレディー・スペンサーのレース人生は変わって居たと思う。
彼は、ロバーツを失い、失望して、
史上初のWチャンピオンになり、完全に目標を失った。
オレは、今でもスペンサーこそが「史上最速・史上最強」だと思っている。
紙面でホンダの人の証言の記憶があります
初めて走るサーキットでもコース図は全く見なかったらしいですね
アーブ金本が「此処のコーナーは何回転位で走っている?」と聞くと、「ん?そこって何処?」と返してきたというw
「フレディは目の前に広がるコースを五感で感じながら全開で走っていて、それであれほどの成績を上げていたのだから素晴らしい」
という風な証言をしています
アーブが彼のヘルメット内を触って汗の掻き方でセッティングを図っていたというのも、誇張ではなく割と真実だったようです
本当の意味で天才肌だったのでしょうね
ファーストフレディー。1987年のオランダ、アッセンでのスタートから数周を見た時に、伝説は帰って来ると胸踊りました。今でも一番好きなNSRのカラーは赤白の斜めストライプです。
93年の鈴鹿の予選、ヘアピン付近で友人と観戦してました
目当ては勿論スペンサー
何週か様子を見たのちに、ペースアップ
その速さは映像で見た往年の速さでした
「流石はフレディ」
同行の友人とそう話してました
その直後、クラッシュして骨折
やっぱりフレディはフレディなのでした
もし間違っていたら申し訳ないです。
フレディの引退セレモニーの際に鈴鹿で乗ったNSR500は、ロスマンズ カラーではなかったと記憶しています。現地に行って初めてフレディーが走らないことを知り、NSR500でゆっくり1周だけしたのを今でも覚えています。今のように情報がすぐに手に入る時代でなかったので、やむを得ないですが、苦い思い出となっています。
※せめてロスマンズカラーだったらなぁ、 とその時も思ったものですから…
※お時間のある時に確認してくださると嬉しいです。私の記憶違いの可能性も大いにありますので…
このような動画を作っていただき、心より感謝いたします。とても楽しく拝見させていただいております。
ホンダの誇りはフレディとセナが在籍してたこと。
85年のスペンサーは自分が見たライダーの中で神がかってましたね。
ちょっとオカルトっぽいですが、アイルトン・セナが91年ブラジルGPで聞いたと言われている『神の声』がスペンサーも聞こえたのかもしれませんね。
Wタイトルの時がバイクに乗り始めのリアルタイムでした。ミシュランの16インチとか16.5インチとか。単純な速さならフレディだと思っています。
腱鞘炎が悪化しなければ86年以降もフレディの無双は続いてただろうね。
鈴鹿でお会いしたことがあるが、ヘルメットを脱げばごく普通のバイク好きなあんちゃんだった。
ライダーやってた友人に気さくに話しかけてきたし。
私が尊敬するライダーの一人ファストフレディ。後、3人います。
キング・ケニー
エディ・ローソン
片山敬済又はバリー・シーン
かな?
ケニー、ローソン、シュワンツ
懐かしいね(笑)
僕が尊敬というか、好きだったライダーは、ガードナー、ローソン、マモラ。
天才の煌めきは短い
あれだけの成績を残しながらより高いピークがあったのではと思わせる本当の天才でした。(清原にも通じるものがあります)
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89年初戦の鈴鹿も次のフィリップアイランドもサロンと3位争いをしていた。やる気が続けば充分やれたけどね。
93年の鈴鹿、スペンサー見たさで同級と3人で決勝見に出向いたがスペンサーの姿は、なかった。
それよりも250ccクラス決勝で後半、ヘアピン手前写すTVカメラ近くに陣取って観戦してたおかげで最終ラップ
トップのカピロッシが立体交差下でハイサイド食らい転倒、その左右を岡田選手・原田選手が交わしトップ争い
に入る瞬間を自分の肉眼で観れたのが、いまだに忘れられない。最後は、原田選手の大逆転勝利。
そして最終戦での逆転ワールドチャンピオン獲得。ドラマでもありえないような神がかり的シーズン。
91年WGP125鈴鹿ワイルドカード参戦の上田昇選手優勝に始まり日本人ライダーが世界を舞台にチャンピオン争いしてた熱い時代。
スペンサーと聞いて思い出す昔の記憶。
天才と優れた車のベストマッチングでしょう😊それでも天才と言えども後にはなかなか難しかったようですね、日本流に言えば身技体が高揚している時に優れたバイクに巡り会えて良かったねってことですかね😊
1995年にAMAスーパーバイクレースにドゥカティで参戦して1996年にまたもや引退してるんだけどな
当時はファーストフレディなんて言われてましたね
ファーストじゃなくてファストな。
悲しいことに1986年は右腕の不調から毎回のように次のレースには出ると言っては欠場を繰り返し嘘つきフレディーって不名誉なあだ名も付けられちゃいましたね。 富士スーパースプリントには出て欲しかったなぁ、マシンは来てたんだけど。
2:16 完全想像妄想憶測だけど ヤマハの方がホンダよりもマネー多く積んだんじゃね? なんかそう感じた。 なんやかんやいうても結局マネー多い方に流れるからな~ ホンダだとどうなっていたのか・・・
マルボロマネーは、高額です。フィリップモリスですからね。当時マクラーレンホンダのメインスポンサーでしたからね。
スペンサーは、レッドゾーンに入れてエンブレをかけていた!ホンダは壊れなかったが!ヤマハは壊れた。
コーナー直前でフルブレーキング、素早く車体を旋回させてフルアクセル。
タイヤがエンジンパワーに負けていた時代での、最速のライディングスタイルだったなぁ。
後輪によるコントロ-ルを重視していたため、フロントスカスカ、リアガチガチのサスセッティングは有名だった。
コーナリングで速度を落とさない思想のヤマハのマシンとは、ちょっと相性が悪かったみたいだがW
それでも速かった。
アントンマングは81年にカワサキ で250/350のwチャンピオン。
5度の世界タイトル獲得。
ドリフト、ウイリーなど派手なアクションが取り沙汰され、荒々しいイメージのあるスペンサーですが、
実はブレーキング~倒し込み~立ち上がりまで、ひっかかりのない切れ目のないスムーズなボディアクションでの乗り方、
それがスペンサーの速さの真髄だと思います。スムーズさでいえば、あのエディーさえも凌ぐと思います。(アクセレーションではエディーが上)
スムーズでしっかり荷重の乗った状態から、他者より大きくワイドにアクセルを開けられるからドリフトが自然とキマる。
88年あたりからその秘密に気がついた多くの他のライダーたちが急激に追いついてきて、その中に埋もれていったというのが正確なところでしょうね。
特にS字切り返しは綺麗で速いです。
まぁ……私的に…ヤマハのスペンサーは……ホントに……申し訳ありませんが……オマケ……程度かなぁ~……。
勝てないスペンサーは観たくない……し、レース出なくていい…くらいの感じですね……私的に…。
キング対ファースト……で完結。それ程の83年……でした。ダブルチャンピオンも凄いですが私的に…ロスマンズカラーのスペンサーは似合わない……ホンダトリコロールのスペンサーが1番ですね。シンパシーとか…エモーショナルとか…云ったらアイルトン・セナかフレディ・スペンサーが1番ではないでしょうか…………???
彼らのレコードはとっくに破られてるのに、未だに語り継がれてるのですから……。
やっぱりスペンサーにはロスマンズカラーがよく似合う。最近じゃレーススチュワードとしてペナルティの裁定で叩かれてたけど、まー、ウソつきフレディだしー。とか思っちゃいました😌
ヤマハは綺麗に乗るライダーじゃないと成功しない。
カリスマ性も記憶に残るレーサーもシュワンツでしょう!
白蝋病でしょう 3気筒から4気筒は乗りずらいと思うよ みんな口にしないけどホンダの3気筒と引き換えに失った物沢山あるみたいね 一周でいいから乗ってみて〜!
やはりスペンサーはHONDAじゃないと。
YAMAHAとHONDAでは、マシン特性が違うので乗りこなせなかったかもですね。