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弥生時代に大陸から弩が渡来したものの、なぜか一般化はしなかったんですよね。木と骨をニカワで張り付けた大陸式の短弓部分が日本の高温多湿では腐ってしまったとか、日本では近代になるまでバネ鋼を実用化できなかったからとか説は様々。発達史は素材や気候風土に大きく左右されますね。
人間が楽をできるのに日本でクロスボウが発達しなかったのは、馬車が発達せず人間がおそろしく「しんどい」思いをする駕籠が発達したのを連想します。
どっちも資源力と財力が足りねぇ…
戦国時代が始まる前に消え去りましたが、日本にもクロスボウ(弩)はありました。無くなった理由は諸説あるようで、平和な時代に威力が求められず需要が無くなったから、という話もあれば、逆に戦の為には弩より連射のきく弓が好まれたとか、遠距離戦で曲射をするなら、短く太く矢羽の小さな太矢より、長く矢羽の大きな矢が好まれたからとか、様々です。面白いなと思ったのは、『矢』の入手に言及した話。海外では矢は板を削って作る物だったそうで、真っ直ぐに削るのは時間も手間もかかった。一方日本には名前もそのまま『矢竹』があり、矢の入手が極めて簡単だった。日本以外では、クロスボウ向けの太矢の方が入手が容易で、日本では弓向けの矢の方が入手が容易だったとするなら、これも弓の優位を決める一端かも知れないなと。
和弓の威力は矢じりの形状によって変わります近代の競技用の矢じりはそんなに貫通力は有りませんついでに、競技用の弓は竹のかわりにグラスファイバーや、カーボンファイバーを使った物も多いと思いますその場合、矢はジェラルミン製で、弦はアラミド繊維 (ケブラー) 製の物を使う事が多いですで、竹弓の場合、ケブラー製の弦では弓に負担がかかるので、麻製の物を使います
イングランドとスコットランドの戦争で、イングランドは弓、スコットランドはクロスボウを使った。結果は、イングランドの勝利で理由は弓の方が速射性に優れ沢山の矢を放てたからです。
クロスボウは初心者でも使いやすいのだけどボールでも矢でも銃弾でも飛距離を最大にするなら45゜くらいに撃つ必要がある照準が付いててもまるで意味がない曲芸になるので熟練のロングボウ弓兵と初心者クロスボウ弓兵との相性は悪いクロスボウが左右に大きくなるとフロントが重くなり前後に大きくなってもフロントが重くなりバランスが悪くなるその為に短くて重い鉄の矢を使うソレでもストロークが短い事でエネルギーをうまく矢に伝える事が困難なので旧世代のクロスボウは引くために馬鹿みたいな力が要求される
大陸の騎馬遊牧民が使ってた複合弓は小型だけど、弦を張る前から逆反りしてて弓がしなる角度がすごく大きいのが高反発の源。でも湿気の多い環境では複合材の接着がはがれやすいので、あまりしならせずに高い張力を得るために和弓は大型化したのではないでしょうか。海外のアーチェリーSNSでもロングボウとリカーブボウの比較論があって、同じ張力ならリカーブの方が速いとか、重い矢を飛ばすならロングボウのほうが優れてるとか慣性とか空気抵抗とか根拠不詳の諸説あり。メーカーごとに製法や素材もいろいろあるから「和弓」「洋弓」と一括りにするのも難しいでしょうね。
意味わかってない文系君が、無理に言葉だけ使うから、頓珍漢な諸説が生まれるパタンだな
銅鐸に刻まれた絵にも弓の中央より下を持ってるんだよね。
アイヌ民族も,木弓の下側を持ち構える,私の買って居た,昔の写真が,古代からの武器を現し本に有る。
五人張りの話は、弓に弦を張るのに五人掛かりで張るって事らしいですね。源平合戦の際の鎌倉武士の弓の話で聞いたような気がしますので、恐らく平安後期には有ったのでは?
平家物語(扇の的)にもあるから確実でしょう。
「五人張りの弓」で名を馳せたのは平安末期の武将、源為朝(別名・鎮西八郎為朝)ですね。世代的には、平清盛と同じ、源義朝の母違いの弟であり、源頼朝・義経の叔父に当たる人物です。無茶苦茶な逸話の多い人物で、真偽の程は判りませんが、為朝の子が初代琉球王になった、とする伝説まであります。
弓矢と クロスボウ弩は互いに利点と欠点を持ってます弓矢は本動画でも触れていた通り撃つためには技術が必要、その反面連射性に優れる クロスボウ 弩は装填で器具や背筋を使うので強力な装填ができた反面 連射性に著しく劣っていました 過去のヨーロッパの戦史で優劣をつける事例があります
100年戦争ですかね?
弓といえば、鎮西八郎為朝👍
その為朝ですが、戦記物「保元記」によると、八人張りの豪弓を使い、鏃などは、短刀並みの長さだったみたいです。物の本によると、彼に弓で、一度に三人の敵を射抜き!そのまま、三人を射抜いたままとある屋敷の門に三人を射貫いたまま、突き刺さった、とありますが、話半分としても物凄い威力ですね!😅
矢を飛ばすエネルギーは引いた量と引く力で積分すると計算できるけど、単純に近似すれば強い力で引くほど強力になり長く引くほど強力になる。和弓が長いのは、弓を破損することなく長く引けるようにするため。矢を耳の後方まで引いてる。いっぽうクロスボウは、引いた状態で筋力で保持する必要がないので、強い力で引くことによる威力を追求した。それにより、弓本体が小さくて良い。コンパウンドボウは滑車を使ってテコの原理を働かせ、弓が小さくても長く引けるようにした。だから、よいとこ取りができるコンパウンド・クロスボウが弓では最強。
縄文時代と旧石器時代を分ける一つの重要事項として縄文時代に始まる弓矢の使用がある。そこ、重要。弥生時代は弓矢による殺し合いの時代。合掌
元弓道部です的場の支柱が鉄パイプになっていて、練習中に射った矢で鉄パイプに穴開きました貫通はしなかったと記憶してますが、入部して数ヶ月の初心者でもそれだけの威力が出るんだと当時はすごく驚きました
下手糞は巻藁だけにしないと危ないですよ
危険だと指摘するのは理解出来るけど、下手くそってdisる意味ある?良く一言多いって言われない?
@yamato3228 でもお前どうせこういうコメントしてる時点で的中率九割ないやん お前も下手やで
クロスボウは、せいぜい30mくらいしか当たりません。それ以上になるとアーチェリーの方がよほど良く当たります。 クロスボウは、初速は早いけど矢の長さも短いのでエネルギーが少ないので遠くなるとスピードが落ちるのだと思います。
朝廷が徴兵する律令軍によって集団戦闘が行われていた平安中期くらいまでは日本でも弩が使用されており、特に新羅海賊の撃退にかなりの戦果を上げていたようです。しかし製造に技術や資金が必要で、国家によって管理されていたため、平安後期になって戦闘の主体が少数の武士団になると、戦法の違いや弩の製造・入手が困難であることから廃れていったようです。(関幸彦氏:「武士の誕生」)
中国には春秋戦国時代に弩と呼ばれるクロスボウがありました。紀元前の話です。この弩は日本にも伝わりましたが、平安時代の中期以降に登場した侍逹は特に馬上での弓術を重要視したので、馬上では使えない弩は廃れました。
矢の矢羽根の工夫も凄いノウハウがあるんだよな
フライパン貫通したりと、現代でも充分通用する和弓‥‥
アーチェリーもヤバい。昔やってたけど誤射してやめた。そのとき鉄のシャッターの「柱」に矢を当てて穴が開いた。
クロスボウが輸入された折には鍛錬の必要のない武具はダサいと採用を見送られたのだとかwでは鉄砲は何なのかと言いたくなりますが。とにかく和弓はカッコいいですね。
ダサいカッコいいより現代的な合理性でモノを考える信長が鉄砲に注目しましたね。
昔遊びでアーチェリーをちょっと齧った時、弦と弓、矢の芯が一致しているアーチェリーのが和弓より合理的と思ってた。スタビライザーなどの防振装置もあるし和弓は軌道が安定しないんじゃないの?とも思ってた。だけど和弓は矢をつがえる時捻りを加えそれらの問題を解決している。アーチェリーは矢のたわみで軌道が安定しないのでスタビライザーなんかに頼る事を知った時和弓の凄さが伝わってきた。
アーチェリーも弓の振動を利用してうまく矢を干渉しないようにしてる。その技術が狂うと矢は安定しない。
体験で2m以上の和弓を引かせてもらったことがあります。大きいのですがシルエットは細くて手が小さい自分でもそんな太くないし重くもないのに、いざ素人が弦を引こうとすると驚くほど引っ張れない。こんなに引っ張って壊れるとか心配の前にまず全然ビクともしない。そもやり方があって、腕力ではなく弓と弦の間に自分の身で割って入るように引くと教えられるとコレまた驚くほどすんなり引ける。やり方を知るとこんなに使い易さが変わるものなんだと実感しました。技術がある剛力が扱えば五人張りもさもありなん。ちなみに弓はぐるぐるに巻き付いていて、動画に出てた藤の巻いたやつに似てました。教えてくれたおじさんは「これ(体験用の2m超え)は子どもの練習用で二人張りなんだって」さらっと言い置いて馬を走らせて体験用よりでかい弓を射ってました。
人工衛星を静止軌道からずらすのにゴルゴは弓を使った様な
弓は縄文時代から使われていました。
平安や鎌倉の弓は勘違いされがちだけど遠くまで届く小さい槍くらいの扱いだったぽいね。絵巻を見ると遠距離から放つというよりは10数mの距離で当てにいってるし。
日本の弓は運用が特殊だから近距離直射で重装甲の大鎧を貫通するように使用した
鎌倉時代に武士として一人前として見られるには400m矢を飛ばせることが必要だったらしい。
鎌倉時代、弓は騎馬の侍(一族郎党のリーダー級戦士)の扱う武具で、足軽など付き従うものどもの武具ではなかった。そして戦場で雌雄を決するのは騎馬武者同士の「決闘」で、当然馬を駆ってすれ違いざまに射殺すものでした。その鍛錬を今に伝えるのが、流鏑馬神事です。集団で遠距離狙撃などというのはゲームのパラメータ設定の必要性から出てきた創作です。
マーベルの某作品で日本人の忍者の役をK国人が演じていたが、和弓の使い方知らなかったようで、共演の日本人に教わるのも嫌だったのか、映画ではアーチェリーを使用していた(笑)。
五人張り剛弓なら、源為朝でしょうか?。
7:35 鹿(あいつ何やっとんのじゃ……)感9:30 日本では鉄鉱石がとれないためたたら製鉄するしかない、か12:45 腱とかの動物素材は高温多湿の日本じゃ難しかった感
現代のクロスボウの弓力は最大で136kg(5人張りの和弓でも80kg程度)もあるので、技術の進化はすごいですよね
中国の弩は紀元前からあったし機構が西洋のクロスボウと全然違うんだが
学生時代に弓道部に入ってましたが、弓の力が弱いと狙いにくいので、矢が真っ直ぐ飛ぶように強い弓を使ってました😅(それでも引く力は18㎏でしたが…)
和級は長大ですが、長大であるから弓本体の曲がり変形が少なく長時間弦を張り使用し続けでもヘタリがなく威力が落ちない。又信じられない位の速射の技法があり、速射で長時間通し弓をする競技があった様です。やろうとすればそれなりの人間が現代でも集まって来るでしょうね。又藪や草むら、山林等での長大な弓を水平にしたり角度をつけたり、身を地に着けたりの射法も現代まで伝わっていて鍛錬されている方がいる様です。結局、私達が知っているのは、伝えられた物のホンの少しだけで、現実は恐ろしく実戦的で確立完成されていると思いますよ。
刀はイチャモンつけられることも多いけど和弓はあまり言われないね、マイナーやからかな?
和弓の威力がエグい頃は鉄の盾を破壊してなお矢が相手の体に残らないほどっての、フィクションじゃなかったんやね
アーチェリーってどういう位置付けなの?
動画開始30秒で広告入って最悪
まあ大百足やら鵺やら一射(大百足は二射目)で射落とした話がありますから.50AEより223Remのほうが貫通力があるようなもん.
日本原産の木材は、しなり易くつまり復元力が弱く、それを補う為に弓は大きくなった、という話もあります。その大弓を扱う為には腕の力だけでは不可能(ロングボウはまっすぐ引く)なので、頭上に掲げて背筋と重力の力を借りて引くことになった結果、ロングボウは弦を顎元までしか引かないのに、和弓は耳の後ろまで引くことになった、と。その結果、弓が矢に与えるモーメントが大きくなり、それは速度ではなく衝撃力に変換され、「長さ400mの槍」としての運用が可能になった、と。挙句、「箆」の構造(重量配分)と矢羽根の独特の形状から、「風に乗せる」射法が確立し、2,000m超の狙撃を成功させた(文献によると4,000m超の狙撃例も。但しこの時代正確な距離の計測が出来なかったことを考えると、誇大広告の可能性も否定できない)などという超人的な記録も存在している。ちなみにクロスボウは、そのモーメントを初速に全振りしているから、遠距離攻撃に際しては空気抵抗に負けて、鏃ではなく矢羽根側で標的にあたってしまうという問題も。当然近距離最強は揺るがないけど。
ん?平家物語で五人張りの弓は出てたはず鎌倉時代には強弓はあったのでは?
モクリコクリ共がブルった和弓
アウトレンジから強力な和弓を鎧で防御力が高い侍が放ってくるからモンゴル軍は手も足も出ない。しかも弓騎兵。勝てるわけないわなw
ボウガンと言えば二指真空把
効率が悪く、装填速度も遅く、スキルが必要な長弓など無用の長物利点もあっただろうが集団戦ではゴミ
違う武器(刀、薙刀等)を使えば良いだけの話です。
これで梨ドロボーを撃て追記・農家は罪日ハンターを組織すべき
気持ちはわかるが、撃ったら殺人未遂で逮捕だ。弓矢が刃物になるかわからないけど銃刀法違反だ。本当に気持ちはわかる。もし梨泥棒を現行犯で見つけたら死なない程度にフルボッコにして、顔写真を撮って警察に出頭させてあげたい。万引き、野菜泥棒、置引、どんな言葉に変えようとも犯罪よくない!!
銃刀法違反にはならなくね?弓道部とか普通に弓矢持ち歩いてるしただ動物を狩るのは半矢の可能性があるからダメみたい
@@ビニール袋うまいならないから、弓道やアーチェリーの練習や試合が出来るんだよ
六法全書に銃刀法の条文が全文書いてあるから読んでみ?エアソフトガンは1.0J以上はOUTだし.
逃げ上手の若君でも、主人公の時行や、目玉おじさんの小笠原やキラキラな公家、北畠顕家が弓の名手として登場してるなー。あの時代が戦場での弓の全盛だったのか。勉強になった。
ラオウなら跳ね返す!
北斗神拳にはニ指真空把があります
日本では縄文時代頃は弓矢が使用されていたアーチェリーの矢速は60m/sクロスボウのデメリットは、速射性が低いことだよ
50年ほど前のNHKの番組で和弓と洋弓の矢の速度を比べて、双方が当時の新幹線の最高速度と変わりないと映像で見せていた
@@忠-r2k 弓のドローウエイトや矢の直径や重量、矢羽根等で変わるけど、男子のオリンピックボウで230km/h前後で、コンパウンドボウだと300km/h辺りですね
ーコメです
神具の弓、威儀弓をなぜ語らない!
國學院出でもなければわからないでしょう
縄文時代の弓とか神話の弓も語ってよ
これも学術的研究がなされていて縄文から弥生初期にかけて出土例が明示しているのは単純構造の短弓が主体だったんです。つまり狩猟では原始的な短弓で事足れりということです。「クニ」同士の争いが生まれるにつれてより強力な殺傷能力を求めて長弓になっていったということです。このことについて弓道連盟の「弓道教本1巻」では「神武東征の図にある通り、わが民族は長弓に単に”武具”としてのみならず”神器”としての神秘性を見出していたからだ」という何とも非科学的な説明を大真面目に掲げていましたが、実態は、高温多湿な季候上、より武器として洗練進化し最適化された複合素材の短弓を生産維持できなかった、というシンプルな理由にほかなりません。
当家に伝わる鎌倉時代の弓の詳細:黒漆塗弐式両重籐八尺五寸壱分(259.0cm ) →矢(鏃)有効射程距離は四拾間並びに四拾五間(現在の80~83m)、 最大射程距離壱百九拾八間(現在の360m) 弓張力 九貫弐両弐匁並びに拾壱貫壱斤(現在の36~41㎏) 弓張壱人持 並びに弓張参人持(現在の二人か三人)蒙古襲来元寇時使用
弥生時代に大陸から弩が渡来したものの、なぜか一般化はしなかったんですよね。木と骨をニカワで張り付けた大陸式の短弓部分が日本の高温多湿では腐ってしまったとか、日本では近代になるまでバネ鋼を実用化できなかったからとか説は様々。発達史は素材や気候風土に大きく左右されますね。
人間が楽をできるのに日本でクロスボウが発達しなかったのは、馬車が発達せず人間がおそろしく「しんどい」思いをする駕籠が発達したのを連想します。
どっちも資源力と財力が足りねぇ…
戦国時代が始まる前に消え去りましたが、日本にもクロスボウ(弩)はありました。
無くなった理由は諸説あるようで、平和な時代に威力が求められず需要が無くなったから、という話もあれば、逆に戦の為には弩より連射のきく弓が好まれたとか、遠距離戦で曲射をするなら、短く太く矢羽の小さな太矢より、長く矢羽の大きな矢が好まれたからとか、様々です。
面白いなと思ったのは、『矢』の入手に言及した話。
海外では矢は板を削って作る物だったそうで、真っ直ぐに削るのは時間も手間もかかった。一方日本には名前もそのまま『矢竹』があり、矢の入手が極めて簡単だった。
日本以外では、クロスボウ向けの太矢の方が入手が容易で、日本では弓向けの矢の方が入手が容易だったとするなら、これも弓の優位を決める一端かも知れないなと。
和弓の威力は矢じりの形状によって変わります
近代の競技用の矢じりはそんなに貫通力は有りません
ついでに、競技用の弓は竹のかわりにグラスファイバーや、カーボンファイバーを使った物も多いと思います
その場合、矢はジェラルミン製で、弦はアラミド繊維 (ケブラー) 製の物を使う事が多いです
で、竹弓の場合、ケブラー製の弦では弓に負担がかかるので、麻製の物を使います
イングランドとスコットランドの戦争で、イングランドは弓、スコットランドはクロスボウを使った。結果は、イングランドの勝利で理由は弓の方が速射性に優れ沢山の矢を放てたからです。
クロスボウは初心者でも使いやすいのだけど
ボールでも矢でも銃弾でも飛距離を最大にするなら45゜くらいに撃つ必要がある
照準が付いててもまるで意味がない曲芸になるので熟練のロングボウ弓兵と初心者クロスボウ弓兵との相性は悪い
クロスボウが左右に大きくなるとフロントが重くなり前後に大きくなってもフロントが重くなりバランスが悪くなる
その為に短くて重い鉄の矢を使う
ソレでもストロークが短い事でエネルギーをうまく矢に伝える事が困難なので旧世代のクロスボウは引くために馬鹿みたいな力が要求される
大陸の騎馬遊牧民が使ってた複合弓は小型だけど、弦を張る前から逆反りしてて弓がしなる角度がすごく大きいのが高反発の源。でも湿気の多い環境では複合材の接着がはがれやすいので、あまりしならせずに高い張力を得るために和弓は大型化したのではないでしょうか。
海外のアーチェリーSNSでもロングボウとリカーブボウの比較論があって、同じ張力ならリカーブの方が速いとか、重い矢を飛ばすならロングボウのほうが優れてるとか慣性とか空気抵抗とか根拠不詳の諸説あり。メーカーごとに製法や素材もいろいろあるから「和弓」「洋弓」と一括りにするのも難しいでしょうね。
意味わかってない文系君が、無理に言葉だけ使うから、頓珍漢な諸説が生まれるパタンだな
銅鐸に刻まれた絵にも弓の中央より下を持ってるんだよね。
アイヌ民族も,木弓の下側を持ち構える,私の買って居た,昔の写真が,古代からの武器を現し本に有る。
五人張りの話は、弓に弦を張るのに五人掛かりで張るって事らしいですね。
源平合戦の際の鎌倉武士の弓の話で聞いたような気がしますので、恐らく平安後期には有ったのでは?
平家物語(扇の的)にもあるから確実でしょう。
「五人張りの弓」で名を馳せたのは平安末期の武将、源為朝(別名・鎮西八郎為朝)ですね。
世代的には、平清盛と同じ、源義朝の母違いの弟であり、源頼朝・義経の叔父に当たる人物です。
無茶苦茶な逸話の多い人物で、真偽の程は判りませんが、為朝の子が初代琉球王になった、とする伝説まであります。
弓矢と クロスボウ弩は互いに利点と欠点を持ってます
弓矢は本動画でも触れていた通り撃つためには技術が必要、その反面連射性に優れる クロスボウ 弩は装填で器具や背筋を使うので強力な装填ができた反面 連射性に著しく劣っていました 過去のヨーロッパの戦史で優劣をつける事例があります
100年戦争ですかね?
弓といえば、鎮西八郎為朝👍
その為朝ですが、戦記物「保元記」によると、八人張りの豪弓を使い、鏃などは、短刀並みの長さだったみたいです。物の本によると、彼に弓で、一度に三人の敵を射抜き!そのまま、三人を射抜いたままとある屋敷の門に三人を射貫いたまま、突き刺さった、とありますが、話半分としても物凄い威力ですね!😅
矢を飛ばすエネルギーは引いた量と引く力で積分すると計算できるけど、単純に近似すれば強い力で引くほど強力になり長く引くほど強力になる。和弓が長いのは、弓を破損することなく長く引けるようにするため。矢を耳の後方まで引いてる。いっぽうクロスボウは、引いた状態で筋力で保持する必要がないので、強い力で引くことによる威力を追求した。それにより、弓本体が小さくて良い。コンパウンドボウは滑車を使ってテコの原理を働かせ、弓が小さくても長く引けるようにした。だから、よいとこ取りができるコンパウンド・クロスボウが弓では最強。
縄文時代と旧石器時代を分ける一つの重要事項として縄文時代に始まる弓矢の使用がある。そこ、重要。弥生時代は弓矢による殺し合いの時代。合掌
元弓道部です
的場の支柱が鉄パイプになっていて、練習中に射った矢で鉄パイプに穴開きました
貫通はしなかったと記憶してますが、入部して数ヶ月の初心者でもそれだけの威力が出るんだと当時はすごく驚きました
下手糞は巻藁だけにしないと危ないですよ
危険だと指摘するのは理解出来るけど、下手くそってdisる意味ある?
良く一言多いって言われない?
@yamato3228 でもお前どうせこういうコメントしてる時点で的中率九割ないやん お前も下手やで
クロスボウは、せいぜい30mくらいしか当たりません。それ以上になるとアーチェリーの方がよほど良く当たります。
クロスボウは、初速は早いけど矢の長さも短いのでエネルギーが少ないので遠くなるとスピードが落ちるのだと思います。
朝廷が徴兵する律令軍によって集団戦闘が行われていた平安中期くらいまでは日本でも弩が使用されており、特に新羅海賊の撃退にかなりの戦果を上げていたようです。
しかし製造に技術や資金が必要で、国家によって管理されていたため、平安後期になって戦闘の主体が少数の武士団になると、戦法の違いや弩の製造・入手が困難であることから廃れていったようです。(関幸彦氏:「武士の誕生」)
中国には春秋戦国時代に弩と呼ばれるクロスボウがありました。紀元前の話です。
この弩は日本にも伝わりましたが、平安時代の中期以降に登場した侍逹は特に馬上での弓術を重要視したので、馬上では使えない弩は廃れました。
矢の矢羽根の工夫も凄いノウハウがあるんだよな
フライパン貫通したりと、現代でも充分通用する和弓‥‥
アーチェリーもヤバい。昔やってたけど誤射してやめた。そのとき鉄のシャッターの「柱」に矢を当てて穴が開いた。
クロスボウが輸入された折には鍛錬の必要のない武具はダサいと採用を見送られたのだとかwでは鉄砲は何なのかと言いたくなりますが。
とにかく和弓はカッコいいですね。
ダサいカッコいいより現代的な合理性でモノを考える信長が鉄砲に注目しましたね。
昔遊びでアーチェリーをちょっと齧った時、弦と弓、矢の芯が一致しているアーチェリーのが和弓より合理的と思ってた。
スタビライザーなどの防振装置もあるし和弓は軌道が安定しないんじゃないの?とも思ってた。
だけど和弓は矢をつがえる時捻りを加えそれらの問題を解決している。アーチェリーは矢のたわみで軌道が安定しないのでスタビライザーなんかに頼る事を知った時和弓の凄さが伝わってきた。
アーチェリーも弓の振動を利用してうまく矢を干渉しないようにしてる。その技術が狂うと矢は安定しない。
体験で2m以上の和弓を引かせてもらったことがあります。
大きいのですがシルエットは細くて手が小さい自分でもそんな太くないし重くもないのに、いざ素人が弦を引こうとすると驚くほど引っ張れない。こんなに引っ張って壊れるとか心配の前にまず全然ビクともしない。
そもやり方があって、腕力ではなく弓と弦の間に自分の身で割って入るように引くと教えられるとコレまた驚くほどすんなり引ける。
やり方を知るとこんなに使い易さが変わるものなんだと実感しました。
技術がある剛力が扱えば五人張りもさもありなん。
ちなみに弓はぐるぐるに巻き付いていて、動画に出てた藤の巻いたやつに似てました。
教えてくれたおじさんは「これ(体験用の2m超え)は子どもの練習用で二人張りなんだって」さらっと言い置いて馬を走らせて体験用よりでかい弓を射ってました。
人工衛星を静止軌道から
ずらすのにゴルゴは
弓を使った様な
弓は縄文時代から使われていました。
平安や鎌倉の弓は勘違いされがちだけど遠くまで届く小さい槍くらいの扱いだったぽいね。絵巻を見ると遠距離から放つというよりは10数mの距離で当てにいってるし。
日本の弓は運用が特殊だから
近距離直射で重装甲の大鎧を貫通するように使用した
鎌倉時代に武士として一人前として見られるには400m矢を飛ばせることが必要だったらしい。
鎌倉時代、弓は騎馬の侍(一族郎党のリーダー級戦士)の扱う武具で、足軽など付き従うものどもの武具ではなかった。そして戦場で雌雄を決するのは騎馬武者同士の「決闘」で、当然馬を駆ってすれ違いざまに射殺すものでした。その鍛錬を今に伝えるのが、流鏑馬神事です。集団で遠距離狙撃などというのはゲームのパラメータ設定の必要性から出てきた創作です。
マーベルの某作品で日本人の忍者の役をK国人が演じていたが、和弓の使い方知らなかったようで、共演の日本人に教わるのも嫌だったのか、映画ではアーチェリーを使用していた(笑)。
五人張り剛弓なら、源為朝でしょうか?。
7:35 鹿(あいつ何やっとんのじゃ……)感
9:30 日本では鉄鉱石がとれないためたたら製鉄するしかない、か
12:45 腱とかの動物素材は高温多湿の日本じゃ難しかった感
現代のクロスボウの弓力は最大で136kg(5人張りの和弓でも80kg程度)もあるので、技術の進化はすごいですよね
中国の弩は紀元前からあったし機構が西洋のクロスボウと全然違うんだが
学生時代に弓道部に入ってましたが、弓の力が弱いと狙いにくいので、矢が真っ直ぐ飛ぶように強い弓を使ってました😅(それでも引く力は18㎏でしたが…)
和級は長大ですが、長大であるから弓本体の曲がり変形が少なく長時間弦を張り使用し続けでもヘタリがなく威力が落ちない。又信じられない位の速射の技法があり、速射で長時間通し弓をする競技があった様です。やろうとすればそれなりの人間が現代でも集まって来るでしょうね。
又藪や草むら、山林等での長大な弓を水平にしたり角度をつけたり、身を地に着けたりの射法も現代まで伝わっていて鍛錬されている方がいる様です。
結局、私達が知っているのは、伝えられた物のホンの少しだけで、現実は恐ろしく実戦的で確立完成されていると思いますよ。
刀はイチャモンつけられることも多いけど和弓はあまり言われないね、マイナーやからかな?
和弓の威力がエグい頃は鉄の盾を破壊してなお矢が相手の体に残らないほどっての、フィクションじゃなかったんやね
アーチェリーってどういう位置付けなの?
動画開始30秒で広告入って最悪
まあ大百足やら鵺やら一射(大百足は二射目)で射落とした話がありますから.50AEより223Remのほうが貫通力があるようなもん.
日本原産の木材は、しなり易くつまり復元力が弱く、それを補う為に弓は大きくなった、という話もあります。
その大弓を扱う為には腕の力だけでは不可能(ロングボウはまっすぐ引く)なので、頭上に掲げて背筋と重力の力を借りて引くことになった結果、ロングボウは弦を顎元までしか引かないのに、和弓は耳の後ろまで引くことになった、と。
その結果、弓が矢に与えるモーメントが大きくなり、それは速度ではなく衝撃力に変換され、「長さ400mの槍」としての運用が可能になった、と。
挙句、「箆」の構造(重量配分)と矢羽根の独特の形状から、「風に乗せる」射法が確立し、2,000m超の狙撃を成功させた(文献によると4,000m超の狙撃例も。但しこの時代正確な距離の計測が出来なかったことを考えると、誇大広告の可能性も否定できない)などという超人的な記録も存在している。
ちなみにクロスボウは、そのモーメントを初速に全振りしているから、遠距離攻撃に際しては空気抵抗に負けて、鏃ではなく矢羽根側で標的にあたってしまうという問題も。当然近距離最強は揺るがないけど。
ん?平家物語で五人張りの弓は出てたはず
鎌倉時代には強弓はあったのでは?
モクリコクリ共がブルった和弓
アウトレンジから強力な和弓を鎧で防御力が高い侍が放ってくるからモンゴル軍は手も足も出ない。しかも弓騎兵。勝てるわけないわなw
ボウガンと言えば二指真空把
効率が悪く、装填速度も遅く、スキルが必要な長弓など無用の長物
利点もあっただろうが集団戦ではゴミ
違う武器(刀、薙刀等)を使えば良いだけの話です。
これで梨ドロボーを撃て
追記・農家は罪日ハンターを組織すべき
気持ちはわかるが、撃ったら殺人未遂で逮捕だ。弓矢が刃物になるかわからないけど銃刀法違反だ。
本当に気持ちはわかる。もし梨泥棒を現行犯で見つけたら死なない程度にフルボッコにして、顔写真を撮って警察に出頭させてあげたい。
万引き、野菜泥棒、置引、どんな言葉に変えようとも犯罪よくない!!
銃刀法違反にはならなくね?弓道部とか普通に弓矢持ち歩いてるし
ただ動物を狩るのは半矢の可能性があるからダメみたい
@@ビニール袋うまい
ならないから、弓道やアーチェリーの練習や試合が出来るんだよ
六法全書に銃刀法の条文が全文書いてあるから読んでみ?エアソフトガンは1.0J以上はOUTだし.
逃げ上手の若君でも、主人公の時行や、目玉おじさんの小笠原やキラキラな公家、北畠顕家が弓の名手として登場してるなー。
あの時代が戦場での弓の全盛だったのか。勉強になった。
ラオウなら跳ね返す!
北斗神拳には
ニ指真空把があります
日本では縄文時代頃は弓矢が使用されていた
アーチェリーの矢速は60m/s
クロスボウのデメリットは、速射性が低いことだよ
50年ほど前のNHKの番組で和弓と洋弓の矢の速度を比べて、双方が当時の新幹線の最高速度と変わりないと映像で見せていた
@@忠-r2k
弓のドローウエイトや矢の直径や重量、矢羽根等で変わるけど、男子のオリンピックボウで230km/h前後で、コンパウンドボウだと300km/h辺りですね
ーコメです
神具の弓、威儀弓をなぜ語らない!
國學院出でもなければわからないでしょう
縄文時代の弓とか
神話の弓も語ってよ
これも学術的研究がなされていて縄文から弥生初期にかけて出土例が明示しているのは単純構造の短弓が主体だったんです。
つまり狩猟では原始的な短弓で事足れりということです。
「クニ」同士の争いが生まれるにつれてより強力な殺傷能力を求めて長弓になっていったということです。このことについて弓道連盟の「弓道教本1巻」では「神武東征の図にある通り、わが民族は長弓に単に”武具”としてのみならず”神器”としての神秘性を見出していたからだ」という何とも非科学的な説明を大真面目に掲げていましたが、実態は、高温多湿な季候上、より武器として洗練進化し最適化された複合素材の短弓を生産維持できなかった、というシンプルな理由にほかなりません。
当家に伝わる鎌倉時代の弓の詳細:黒漆塗弐式両重籐八尺五寸壱分(259.0cm ) →矢(鏃)有効射程距離は四拾間並びに四拾五間(現在の80~83m)、 最大射程距離壱百九拾八間(現在の360m) 弓張力 九貫弐両弐匁並びに拾壱貫壱斤(現在の36~41㎏) 弓張壱人持 並びに弓張参人持(現在の二人か三人)蒙古襲来元寇時使用