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自分に対する過大評価のお話はとても興味深く拝聴しました。😊これは年寄りほど頑固になる事と近しいものを感じました。年功序列の文化のある日本だと、歳をとるほど考え違いを指摘してくれる人が周りからいなくなりがちです。医学的な要因も大きいのでしょうが、自分の考え方を客観的にフィードバックしてくれる人の存在というのは、歳を取ればとるほど重要な存在になると、60歳が目の前に見えて来た私は感じます。😅今回も興味深いテーマのお話ありがとうございました。
初めてコメント致します。音楽も芸術もスポーツも、最初に出会う指導者がその後の進歩にいかに大切か、実感します。プロとアマの境がない芸術は、自信過剰な自称プロに任せる損失は、計り知れません。素晴らしい指導者に出会う努力も、大切だと思います。私は、もはや72歳。自己満足のピアノを楽しんでいます。苦手なパッケージは、確かに開き直っています(笑)先生のお話をお聞きして、今更良き指導者を探すのは無理ですが、いい加減を許す耳は、改めてきちんと苦手に向き合いたいと、思いました。ありがとうございます🎉
音楽家として食べていく道は信じられないほど険しいですね。一方で音楽を趣味としてやっている人は、今日の自分が昨日の自分よりも成長できたかどうか、これで決めるべきだと思います。茂木健一郎さんが仰っていたのが、劣等感なんて持ちすぎては人生が貧しく見えるだけで、自分が昨日の自分よりも成長できていれば素晴らしいことなんだと。音楽家として食べていくわけではない以上、無駄に劣等感を持つ必要は無いのです。かといって、一流の演奏家に対する敬意を忘れてはいけません。そこの線引きが大事だと思いました。
自分の録音の声を初めて聞いたときの自己嫌悪と言ったら!頭蓋骨の響きも一緒に耳に入るので、自分の声は良く聞こえるのでしょう。今回のお話は音楽に限らず、人が生きていく上であらゆる局面で通じるお話だと思います。いろんな人のアドバイスを聞きすぎて訳が分からなくなったっり、自分の価値観にこだわりすぎたり、そのあたりのバランスは本当に難しいのですね。人の意見と自分の価値観を取捨選択する能力も大事な才能なのかな?
私はラ、カンパネラは一生弾けないなーと思います趣味でやっている人をプロの人って、なんか同レベルで判断しようとしてるから、許せないのかな?て感じですね。素人だから当然下手くそです。それでも難しい曲に挑戦して自分なりに自己満足でやっても良いと思います。漁師のラ、カンパネラおじさんなんて楽譜も読めないのに、自己流で7年かかって弾けるようにした。当然プロからみたら、全然な演奏かもしれません。でも、それでも良いと思います。プロからみたら過大評価かもしれません。私は、さんざ子供の頃に習ってて嫌な思いしかしてないのでトラウマで習うことに躊躇しています。私ももしかしたら自己を過大評価してるかもしれません。競争でやってきたプロからしたら、舐めてると思われてるかもしれませんがそれでも良いと思います。音楽は、全ての人が楽しむものですから。
車田先生、初めてコメントさせていただきます。いつも勉強になる動画をありがとうございます。私がなんとな~くフワっと感じていた事を言葉で具体化してくださるので、視聴する度にスッキリ良い気分になれます😊今回の動画も、ありゃ~私の事や~😂と心当たりがある感じで聞いていました。私も地方の音大ピアノ専攻出身です。きつい言葉で叱る恩師ですが、正直にありのままを評価してくださる先生です。自分は先生運に恵まれていたなと再確認できました。これからも動画の更新を楽しみにしております✨
最近趣味程度の人でもお金さえ払えば、有名な先生にレッスンを受けることも可能になってきていると思います。レッスンを受けても厳しいことも言われないので自分には力がある、先生から教えられることはないんだと勘違いしてしまう方がいらして、仕事を辞め音楽の道へ進む方も。かといって音大に進むわけでもなく。分不相応なコンクールに申し込む人、イタリアで歌手活動をする!と旅立ってしまった人もいました。その結果がはっきり出てもやはりレベルの違いが分からないようでした。そういう方々のレッスンを見学する機会があったのですが、先生の言葉を選びながらの注意を、褒め言葉としてとらえていたり、そもそも全く通じてないんだなと思いました。
とても興味深く、示唆に富むお話でした。私はフレンチの料理人なのですが、料理の世界でも、起こっている現象もその構造も、非常に似通っているところがあります。自分を見つめ直すために、とても参考になりました。ありがとうございます。
車田先生、今回は特に音楽家にとって大切なお話でした。自身の過大評価を避けるにはいくつになってもレッスンを受けることが大切だ、と思いながら聞いていましたが最後に先生が同じことを仰っていたので嬉しくなりました。私は車田先生よりもはるかに年上ですが、今でも時々レッスンを受けています。何の分野でもそうですが、音楽の勉強は奥が深く、一生続いても終わりがないですね。
お話を伺って、以前テレビ番組で見た、70才に達した浄瑠璃節の大家が、年に何度か80代の師匠のところへ稽古に通い、アドバイスを受けている光景を思い出しました。もしかすると、80代の老大家も、弟子にアドバイスすることで自分の芸を振り返っているのかなと思ったものでした。
音楽家の自信過剰は程度問題でもありますが、私の見てきた限り一定レベルを超えていれば自己評価が低すぎる人よりも、自分の実力よりもほんの少しだけ自信過剰な人のほうがその後の伸びしろがあるような気がします。特に若いうちに自己評価が低いと音大受験やコンクール受験、オーディションなどで「もう少し自分を磨いてから」「もう少しドイツ語を学んでから」などと言っているうちにチャンスを逃したり、年齢制限を超えてしまったり、ベストコンディションの時期を過ぎてしまう人が時々います。私が思うには音楽家に限らず人は自分の実力より1,2割暗い自分を過大評価しており、もしかしたら調子の良いときに110%か120%の力が出せることがあったり、毎日の努力で1年、2年のうちに120%くらい能力が伸ばせて自己評価どおりの能力が常に発揮できるようになることが理想だと思います。
以前大人の教室で教えていました。ピアノという楽器は、本当に厄介です。誰でも押せば音が鳴ってしまうわけですので、拍子や調性を全く理解せず指をあてがって弾いた気になっている生徒さんが多くいました。仰る通り耳が育っていないので、お手本が分からないのです。聞くに耐えないと思いながら、褒めて伸ばさないといけず、結局私はストレスで辞めてしまいました。
わたしはいつも、自分の今の実力でここまでなら弾ける!という限界まで練習して、先生のレッスンを迎えるように努力しています。そこまでやっていくと、先生がおっしゃってくださる様々なことが理解しやすくなります😊でも、先生が示してくださった次の段階は進んでいくのはとても大変で、アマチュアの自分にできるのか時々不安に…今日のお話を聞いて、諦めずに練習すれば良いのだと元気が出ました❤ありがとうございます❤
車田先生、耳が痛くてちぎれそうです。ご指摘いただき、ありがとうございます。
私の趣味の筋トレと似ていますね。自分では完璧なフォームでできていると思っても、きちんとした(?)トレーナーに見てもらうと自分のできていない部分を指摘してもらえます。それによって、トレーニングの質が上がるということを何度も経験しました💪
高校の国語の時間に習った「山月記」を思い出してしまいました。李徴は詩の才能があるのに指摘され傷付くのを恐れて師につくことをせず、社会でも失敗してついに虎になってしまいました。ただこれは単なる素直さや謙虚さの問題ではなく根底にあるのは自己肯定感かなとも思います。自分も含めて日本人は総じて自己肯定感が低い傾向があるのでなかなか難しい面もありますね。。。
楽器は只ではありません。レッスンを受けたくても、お金がなければ受けられません。楽譜ひとつ買うにもお金が要ります。練習時間、練習の場所、楽器や楽譜を置く場所、コンサートひとつ開くにも、確保するにはお金が要ります。でも、お金、お金と、そればかりを言っていたら心はすさんでいきます。運、不運というのは確かにあるな、と思います。
演奏とは、自分の中にあるものを表現すること。まずその音楽を、作曲された時代背景等も含め楽譜からどれだけ読み込み、自分の内側で豊かに感じられているかどうか、、、若い頃の私は、まずそこが稚拙でした。そして、その豊かに感じている音楽はそのまま表現出来ているかどうか、、、50歳の今もまだまだで、「もっとこうしたい!」という欲求が常にあります。そして、信頼する耳をお持ちの先生にレッスンでアドバイスを求めています。私が憧れている世界にもっと近づきたいと思って演奏しています✨車田先生の学識の高さと、それを分かり易く伝えて下さる言語力、いつも楽しく拝見しています!
上を目指す方たちが乗り越えていくハードルは気が遠くなるようなお話ですね。私は先生について趣味でピアノを学んでいますが、ある程度人前でピアノを弾けるような方たちの演奏はどれも上手に聴こえて、いまひとつ良し悪しが判断できないなと、常日頃から感じておりました。なるほど耳が育ってないんだと納得です。今後も謙虚に練習に励もうと思います。ドッグフードの紹介、興味深いです。うちの🐶も食べない時期がありました。🐶も人間の子どもと同じように、幸せも心配もプレゼントしてくれますね。可愛くてたまらない💖
宮城道雄検校は、「謙遜が伴わない自信は慢心となり、その人の芸は止まってしまう」と戒めています(宮城道雄随筆集「春の海」中「箏と私」 岩波文庫)。音楽に限らず、何事を学ぶ際も気をつけたいですね。
TH-camrのピアニストで 思い当たる人、何人かいますね今回の話 本当に腑に落ちました。聴衆の一人としても 耳を肥やしたいと思います
居ますね~。自己顕示を通り越して、五月蝿いだけのひと。
全くその通りですね。私も先日初めてそういう人の動画を見て、余りにも不遜な態度に怒りすら感じました💢でも、始め「ユーチューバー」として有名になった角野隼人さんは別格ですね。彼は立派な音楽家です。彼の超絶技巧、そして編曲力・即興力は凄い! F・リストって、こんな感じだったのかなぁ✨☺️願わくは、演奏する音に更に磨きをかけて、21世紀最大の音楽家になってほしいです😊彼を初めて知った時、21世紀には、こんな子が出てくるのだなぁ!と度肝を抜かれました。
@@sH-cr5zc 私も全く同感で共有できて嬉しいです角野隼斗さんは確かに別格と感じます。ジャズも古典もアレンジも作曲も自由自在に融合させてさらりとやってのける新しいピアニスト 日本の宝だと思います。そのかたが、そういったTH-camrのピアニストと楽しそうにコラボしていたりすると心の広さに驚くのと同時に考えさせられます。かてぃんさんと共演した方も車田さんのおっしゃるように適切な自己評価をして人前で(プロとして)演奏するに値するものか自分に問いてほしいとさえ思う人もいます。聴衆者も、時には厳しい感想を述べるき機会が許されて演奏者を育ていくのがいいような気がします。
なるほど、演奏芸術では適切な自己評価というのも、重要なテーマなのですね。美術とか文芸とか、形あるものを作るジャンルだと、完成直後はうぬぼれても、一晩寝たら(たぶん)目が覚めます。しかし、演奏芸術では、そうはいかないのですね。しかもプロになると、本人が適切に自己評価できていても、かたよった評論家やわかっていない愛好家なんかが雑音を浴びせてくるのでしょうからね。そんな中で、ご自身の価値観とか美意識を持ち続けるのは、なかなか難しいのでしょうね。そういう意味でも、信頼できる師匠や仲間が、大事な分野なのでしょうね。
音楽家の道は厳しいですね。しかし先生のできないところをできるように少しずつはたしかに大切ですね。
ホロヴィッツが初来日したとき、NHKホールでその演奏をきいた吉田秀和が「ひびの入った骨董品」と評した話は有名だけど、そんな酷評を知ったホロヴィッツは吉田秀和のことをきらうどころか、かえって興味をもち彼に親近感をいだいたらしい。それを知ってからぼくはホロヴィッツをきくようになった。それまでホロヴィッツに関心がなかったのは、モーツァルトをほとんど弾いてくれないし、たまに弾いてくれても、ぼくの大好きなギーゼキングのモーツァルトとはかなり違っているし、バックハウスとも違う。グレン・グールドの弾くモーツァルトであれば、なんか変だなと思っても、いつのまにか彼の演奏に魅了されちゃったものだけど。話が余計な方向へ飛んじゃったけど、ホロヴィッツはやはり非常に能力の高い人だったからこそ、ゆるがぬ名声を博していた晩年になっても、決して自分を過大評価することがなかったのだろうね。吉田秀和が感じていたように、彼自身もあの日の東京での演奏を「ひびの入った骨董品」と思っていたのだろう。ホンモノの巨匠であるのなら「幻の巨匠」になっても巨匠でありつづけるのだろう。能力の低い人ほど自分を過大評価してしまうというお話をきいて、なぜか心の中に浮かんだのは、自民党の世襲議員として立身出世している人たちのこと。当たり前のことで批判されても、彼らは聞く耳をもたず、自分は正しいんだぞ、偉いんだぞって信じているらしい。あ、また余計な方向へ話が飛んでしまいそうだから、今夜はこれで Tschüs!
「上には上がいる」、うぬぼれたり過大評価しない為の、自分自身へのおまじないの言葉です。結果が伴わなくても褒めてくれつつ「ま、上には上がいるって事だ」、又結果に喜んだ後は「…でも、上には上がいるからね」と、社会人になる前までは、よく両親から言われていた言葉でしたので、いつも気持ちが引き締まって、次の目標に向かえていた気がします。(自己顕示欲が強い時期も有りましたし、音楽家になった訳では有りませんが…)また、今迄に6人のピアノの先生との出逢いを経験して来て、心より感謝しておりますが、思い返せば、その中で1番厳しい先生…と言っても、お手本を見せてくれ、必ず何かを指摘してくれ、欠点も教えてくれ、もっと良くなる様にと導いて下さったその先生との出逢いが大きかったです。
うちの犬もご飯を食べないタイプでした。心配する気持ちよくわかります。缶詰フードを少し温めてにおいを強くすると食いつきが良くなると思いますが、食べない缶詰はKONG(という名前の犬のおもちゃ)に入れて凍らせておやつのようにあげると、騙されて完食したりします。ドライフードはトッピングはもちろんですが暖かいだし汁やアスピックゼリーやミルクなどかけると匂いが出て食欲が増すと思います。
今回のお話は、音楽家に限らず、大多数の社会人に共通だと思います。やはり周りに自分を良く見せたいという心理なんでしょうね。 普通に会社での仕事でも、ヒマな人ほど忙しい忙しいと言っていますし、忙しい人は、暇だなぁと言っています。 車の運転が下手な人は、俺は上手いぞと自慢しますね。 話変わって、ウチは3匹の猫を飼っていますが、餌の好みは3匹とも違いますね、3匹とも食べるのはカリカリの方で、缶詰めやレトルトも食べるのが2匹、TVでCMのチャオチュールは1匹しか食べません、他の2匹には無視されます。好き嫌いはありますね。
チュール食べない猫さんもいるのですね⁉︎😮
@@sH-cr5zc さん、コメントありがとうございます。 TVCMでは飛びついて食べるネコばっかりしか映しませんよね、チャオチュールが嫌いな猫も居るんですよね。
今日のお話はプロの音楽家向けの話なのかな?とも思いましたが、この話はどんなジャンルにでも、プロ・アマ問わず、通用する話なのかな?とも思い直しました。
ありがとうございます。ダニング・クルーガー効果、初めて名前を知りました。これは音楽だけじゃなく、全てに当てはまりますね。学生を教えていた時に全く同じことを感じました。それにしても、ドイツは劇場も多くて、芸術家として生活していける可能性が日本よりずっと大きいのがすごいです。日本人の音楽家、バレエダンサーなど、ドイツで活躍、生活している人がたくさんおられますね。羨ましいです。
最後のコーヒータイムいいですね!自分は"ピアノなんて向いてない"とか言いつつ先生にも励まされて趣味ですが続けております。実際のところ何歳になってもステージで緊張するし失敗もしたりです。でも拍手をもらえるなんて、普段の社会生活ではまずないんですよね。それが励みです。いつも興味深い内容を、ありがとうございます!
めでたくなかったら舞台に出てパフォーマンスしないですよ芸術の中でも美術は作品を通じて個性は出すが舞台芸術は本人が出てのパフォーマンスやから変な人がいっぱい音楽はテンポ、フレーズ、拍子音の揃い等を徹底的に追求した上に個性があるのに、その大事な事を殆どしないで演奏して不快をまき散らしているのに気づかない目でたい人は多い
自分の練習を録音して聞いてるので、過大評価すらできません。でも、難曲(実力以上の物)を練習してること自体、既に過大評価なのかな、とちょっと反省しました。
全くそんなことないと思います。弾きたいという気持ちすごく大切だと思います。私も実力を伴わない曲を挑戦してますし、途中で投げることもあります。でもそれが自分だと思います。勿論基礎練をやりながらの挑戦ですが。そうなると、全てのことがそうなります。野球選手が素人に草野球するなと言ってるようなものですから。
車田先生の本題はもちろんですが、最後の余談も楽しみにしています。ドイツに関してなんでも発言して下さい。政治でもいいです。いつかコンペティションについて話して頂けませんか。特に審査員の判断基準について興味があります。
皆さんがご指摘の通り、音楽や美術といった「質」で判断される分野は自分を客観的に判断するのはとても難しいですね。 何らかの形で得点がつく分野にいると、否応なく自分の評価が示されてしまうので、過大評価できる余裕がなかったりしますね。
大変参考になる良いお話でした。
とても為になるお話をありがとうございます。中学生以下の子がピアノやヴァイオリンで発表会やコンクールで難曲を弾いてますが、そういう場合はどうなのでしょうか。もちろん師事されている先生が決めているので、殆どのお子さんが弾けてるとは思いますが。
以前NHK交響楽団特別コンサートマスターの篠崎史紀先生が、子供の頃ヴァイオリンの練習をしていると親御さんから「できるところ、わかるところはやらなくて良い。できないところ、わからないところをやりなさい」と言われたそうです。以来篠崎先生は練習においても勉強においてもそのようにしていたそうです。周りを見てみてもできるところばかり練習している人が多くいて、その人たちに「どうしてここ練習しないの?」と質問してみると「だってできないんだもん」という答えが返ってきます。「できないところをできるようにするのが練習なんだよ」と言ってみますが、はたして聞いているんだかどうか…。
限りなくプロに近いアマチュアの演奏を聴いていると「難所」と思われる部分は、よく練習されていて「おぉっ!」と感動したりするのですが、逆にそうでない技巧的に簡単な部分は、音色に隙があるように感じることがあります。これは私の全く個人的な感想ですが、実際どうなのでしょう?一音一音に意味を持たせ、緊張感をもって全くの隙を作らず演奏する。しかし、聴衆は演奏家のウラでの努力を全く感じさせられることなく、気分良くその演奏を堪能する。プロの演奏家は、やはり凄い!と思います😊
HIMARIさんはできないところをできるようになるまで何千回でも練習されるそうです。
今回も興味深いお話でした。なるほど、狭い世界の競争を勝ち抜いた「井の中の蛙のプライド」ばかりが高くなってしまうのでしょうね。ある音楽評論家がスィトナーと懇意にしていたので、自分の母校の学生オケのレッスンを頼んだそうです。学生はさぞかし喜ぶだろうと思いきや、レッスン後に「あの指揮者はあまり棒が振れませんね」と言ったそうで、それを聞いてその音楽評論家は「ああ、猫に小判とはこのことか」と嘆いたそうです。若き日のカラヤンがリヒャルト•シュトラウスにアドバイスを求めた時に、シュトラウスはカラヤンを褒めたそうなのですが、それを聞いてカラヤンは「先生、私のどこが悪いかを教えてください」と言ったという逸話を聞いたことがあります。自信満々に(ズレズレ)のタクトを振る学生に聞かせたくなる話ではありますかね。
初めてコメントさせていただきます。この話は「実るほど頭を垂れる稲穂かな」に通じますね。自分自身肝に銘じたいと改めて思いました。
欠点克服には知ってる人に聞くしかない…業界に関わらず学びには終わりはないように思いますね。この業界の学びの代表的手段が指導者でしょうかね…
とてもおもしろい話でした!今回は自信過剰の話ということで、次回の音楽談話では、逆に「自信過小」についてのお話を聞いてみたいです!というのも、実力は全くない初心者ですが、私がそうなので😅
ピアノ教室を始めた頃も暫くは先生に習っていましたが、先生に付かなくなってからは録画が頼りでした。客観的に自分の演奏を聴くと、弾きながら聴こえているのとは違う演奏に驚いたり、気付かないミスや発見が有りますし、身体や腕の使い方も確認出来るんです。生徒にも、たまにで良いからやってみてねと、勧めています。本当に、車田さんの仰る通り、出来ない所を出来るようにするのが練習ですね。この点は、部分練習の仕方もレクチャーし、(間違えやすい所・難しく感じる所に自分でチェック、まずそこだけを練習。弾けるようになってから、その1つ前の音を入れて弾いてみる。弾けたら…と、少しずつ前後の音を増やしていく)根比べのようにそのお話が必要な生徒さんも少なからずおります。また、間違えたらすぐ最初に戻りたがる点も、あるあるではないでしょうか。それが習慣付いてしまうと、どこか途中から弾くという事が出来にくくなってしまいます。最近は「時短」という言葉が浸透していますし、忙しいお子様もいらっしゃる為、同じ時間練習するなら、弾けない所を中心に練習してくるように宿題を出します。通し練習もですが、なるべく部分練習に時間をかける様に、と。が……自分も子供の頃そうでした、弾ける所に安心感、楽しさを求めてしまうんですよね💦最初から通して弾く方が確かに楽しいよね、気持ちはわかる、わかるよ~、でもそれじゃあ同じ所で間違える可能性が残ったままになってしまうんだよね💦時間が無いと、1回か2回通して練習終わり。(生徒の自己申告ですが…。有る意味正直)そうしてまた、部分練習の大切さを説くわけです。年齢の低い生徒さんは特に、部分練習が身に付くようにしていく事も大事な1つかなと思っておりますが、そればかりでも無く。私自身も、時間とお金が有れば、今でも習いに行きたいなと思い続けています!
ありがとうございました。
@@家合映子様 読んでくださり、ありがとうございます🤗
ほんと録音が大切だなって思いますね。弾いているときは弾くことに意識がいってしまっていると聞くので、録音したのを聞くと冷静に判断できると聞きます
多分、欧米に多いのでは。日本人は謙虚だから自己顕示欲のある人は少ないと思う。(私も自己肯定感が低いタイプ)
全くの素人なので、意見を述べていいものかわからないんですが、過大評価するぐらい自信がなくては、次にすすめないのではないでしょうか?自信がなくては、ストリートピアノでさえ、人前で弾けません。ましてやコンクールなんて。自信のある人はとりあえず、人前に出て場数を踏みますから、自ずと人から評価されますし、反応が悪ければ、教師について習うとかしないとお金をもらって演奏活動なんかできないのでは?自信がないと自分を表現することはできません。教師の選び方が悪いと自分を解放できず、技術訓練のみに心が奪われた結果、指などを故障し、その道を諦めてしまった人を多数みました。第一に厚かましいほどのメンタル。人に評価されるのを恐れず、教えを請うことができる人を羨ましく思います。
初心者ほど自分の演奏に対して過大評価する……「モノを知らない」というのは最強の武器ですね。この万能感、何処から来るんだろう(若い頃の自分は全てに於いてそうでした。お目出たい人だねー、とよく言われてました😅そういうことだったんですね)ただ、多少の自己肯定感もないと前に進めないこともあるので、全て悪いワケでもないと思います。それが何年も続いて、そのまま歳をとってしまうと「イタイ人」になってしまうのでしょうね。実はビックリしました。この動画を見る直前に「自称プロ」のピアノ系ユーチューバーの動画を見てモヤモヤと言うか、腹立たしく思っていた矢先に、いきなり車田先生の今回の解説‼︎ あの彼に、この解説を突き付けてやりたい😤
ドラクエは人生の縮図ですよね!
挙げられたカンパネラ、、、近年亡くなられた、高齢になり話題になった日本人の演奏家。この方の演奏技術の有無、それを評価するかどうかで聴く側に能力が有無で炎上するらしい。それを念頭に置くようにという意味合いなのでしょうか。ドッグフード食べなくなって色々買い替えて、ネッドで探した経験がありました。
大変興味深いお話を有難うございます。慢心しないように練習に励みたいと思います。若い剣士やガンマンが命を粗末にしてしまった理由が良くわかりました。
楽しいお話し ありがとうございます
拝聴してて、以前の動画で「お金を払って聴いてもらうレベル」と先生に言われ廊下で泣いている生徒を何人も見た話しを思い出しました。また、ある将棋名人が「他人以上になるには集中した6000時間が必要」と言っていましたが、コレは多分控えめに言ってますよね?バイオリンのヒマリちゃんは毎日8時間練習するとか、こちらの方が現実に近いのですね。
演奏している間は自分で気付きにくいこともあるので、演奏を動画に撮ったり録音したりして確認するのも一つの手です。評価の練習は国際コンクールや様々なレベルの演奏をよく聴いて、それらの演奏のどこが良くてどこが良くないのかを考えることです。私の場合はどうも自己評価が過小になる傾向にあって、初心者向けの曲であっても人前であまり弾かないようにしてます。
良いお話を聞かせていただきました。娘が日本のオケで首席を務めていますが、そこに至るまでの諸々を思い出すお話でした。中高生の頃にコンクールで入賞し、音大に進学し、大学の公開リサイタル試験にも3年生で合格し、卒業後はドイツ語圏に留学し、最優秀の成績で卒業後、日本のオケが決まって帰国しました。こう書くと順調に見えますが、日本の大学在学中から受けていたオケのオーディションにはなかなか受かりませんでした。留学後もコンクールで実績もあるのに受からない、何で? アジア人だから?とか卑屈にもなっていました。そんな時、ドイツの大学院で出会った先生(黒人の先生)の教えにより奏法を変えた事で、演奏がガラリと変わり、オケのオーディションに受かりました。実力のない人ほど自分を過大評価するというのは、恐らく大学生の頃の娘の状態だと思いました。周囲との比較で評価されていても井の中の蛙大海を知らずだったのでしょう。娘は海外に出て、自分の立ち位置が思ったより低いと実感し、努力しそれでも天井があると感じていたと言います。そして今、これまで師事した先生ではなく、自身が出会って素晴らしいと思う方に突撃してレッスンしていただいているようです。楽器演奏は歳をとると指が回らない等の影響が出るようですが、それを凌駕する経験を教えていただきたいのだそうです。たまたま娘がソリストの演奏会でその先生がオケに乗って下さり、その音を聞いて、娘の学ぶべき事はまだまだ多いのだと私も感じました。演奏家自身の自立と認識が肝要ですが、指導者や周囲が立ち位置を教えてあげることも大事なのではないでしょうか?
べとチャンが もっとも 自己顕示欲 が強い ゲーテの逸話が有名
我ら哺乳類は、成長期に沢山食べて大人になったら少食にする方が長生きするそうですよ。
確かにそうですね。若い娘さんが無理なダイエットをするのは絶対やめた方がいい🍏🍎
@@sH-cr5zc様へ んだんだ😌
15:30 車田さん、茨城県出身ですか?笑「歩いてく」を「あるってく」と言ってるのが茨城訛りだなあと!私自身東京出身で、仕事の都合で茨城に5年ほどいるだけなので、まったく茨城弁わかっていません。違ったら失礼しました。失礼、って私が言うこと自体茨城の方たちに失礼かもしれませんが😂いつも拝見しています。アマチュアで活動しているのみですが、大変勉強になります!
自分に対する過大評価のお話はとても興味深く拝聴しました。😊
これは年寄りほど頑固になる事と近しいものを感じました。年功序列の文化のある日本だと、歳をとるほど考え違いを指摘してくれる人が周りからいなくなりがちです。医学的な要因も大きいのでしょうが、自分の考え方を客観的にフィードバックしてくれる人の存在というのは、歳を取ればとるほど重要な存在になると、60歳が目の前に見えて来た私は感じます。😅
今回も興味深いテーマのお話ありがとうございました。
初めてコメント致します。
音楽も芸術もスポーツも、最初に出会う指導者がその後の進歩にいかに大切か、実感します。プロとアマの境がない芸術は、自信過剰な自称プロに任せる損失は、計り知れません。素晴らしい指導者に出会う努力も、大切だと思います。
私は、もはや72歳。
自己満足のピアノを楽しんでいます。
苦手なパッケージは、確かに開き直っています(笑)
先生のお話をお聞きして、今更良き指導者を探すのは無理ですが、いい加減を許す耳は、改めてきちんと苦手に向き合いたいと、思いました。
ありがとうございます🎉
音楽家として食べていく道は信じられないほど険しいですね。
一方で音楽を趣味としてやっている人は、今日の自分が昨日の自分よりも成長できたかどうか、これで決めるべきだと思います。茂木健一郎さんが仰っていたのが、劣等感なんて持ちすぎては人生が貧しく見えるだけで、自分が昨日の自分よりも成長できていれば素晴らしいことなんだと。音楽家として食べていくわけではない以上、無駄に劣等感を持つ必要は無いのです。かといって、一流の演奏家に対する敬意を忘れてはいけません。
そこの線引きが大事だと思いました。
自分の録音の声を初めて聞いたときの自己嫌悪と言ったら!頭蓋骨の響きも一緒に耳に入るので、自分の声は良く聞こえるのでしょう。今回のお話は音楽に限らず、人が生きていく上であらゆる局面で通じるお話だと思います。いろんな人のアドバイスを聞きすぎて訳が分からなくなったっり、自分の価値観にこだわりすぎたり、そのあたりのバランスは本当に難しいのですね。人の意見と自分の価値観を取捨選択する能力も大事な才能なのかな?
私はラ、カンパネラは一生弾けないなーと思います
趣味でやっている人をプロの人って、なんか同レベルで判断しようとしてるから、許せないのかな?て感じですね。素人だから当然下手くそです。それでも難しい曲に挑戦して自分なりに自己満足でやっても良いと思います。漁師のラ、カンパネラおじさんなんて楽譜も読めないのに、自己流で7年かかって弾けるようにした。当然プロからみたら、全然な演奏かもしれません。
でも、それでも良いと思います。プロからみたら過大評価かもしれません。私は、さんざ子供の頃に習ってて嫌な思いしかしてないのでトラウマで習うことに躊躇しています。
私ももしかしたら自己を過大評価してるかもしれません。
競争でやってきたプロからしたら、舐めてると思われてるかもしれませんが
それでも良いと思います。音楽は、全ての人が楽しむものですから。
車田先生、初めてコメントさせていただきます。
いつも勉強になる動画をありがとうございます。
私がなんとな~くフワっと感じていた事を言葉で具体化してくださるので、視聴する度にスッキリ良い気分になれます😊
今回の動画も、ありゃ~私の事や~😂と心当たりがある感じで聞いていました。
私も地方の音大ピアノ専攻出身です。
きつい言葉で叱る恩師ですが、正直にありのままを評価してくださる先生です。
自分は先生運に恵まれていたなと再確認できました。
これからも動画の更新を楽しみにしております✨
最近趣味程度の人でもお金さえ払えば、有名な先生にレッスンを受けることも可能になってきていると思います。
レッスンを受けても厳しいことも言われないので自分には力がある、先生から教えられることはないんだと勘違いしてしまう方がいらして、仕事を辞め音楽の道へ進む方も。
かといって音大に進むわけでもなく。
分不相応なコンクールに申し込む人、イタリアで歌手活動をする!と旅立ってしまった人もいました。
その結果がはっきり出てもやはりレベルの違いが分からないようでした。
そういう方々のレッスンを見学する機会があったのですが、先生の言葉を選びながらの注意を、褒め言葉としてとらえていたり、そもそも全く通じてないんだなと思いました。
とても興味深く、示唆に富むお話でした。私はフレンチの料理人なのですが、料理の世界でも、起こっている現象もその構造も、非常に似通っているところがあります。自分を見つめ直すために、とても参考になりました。ありがとうございます。
車田先生、今回は特に音楽家にとって大切なお話でした。
自身の過大評価を避けるにはいくつになってもレッスンを受けることが大切だ、と思いながら聞いていましたが
最後に先生が同じことを仰っていたので嬉しくなりました。
私は車田先生よりもはるかに年上ですが、今でも時々レッスンを受けています。
何の分野でもそうですが、音楽の勉強は奥が深く、一生続いても終わりがないですね。
お話を伺って、以前テレビ番組で見た、70才に達した浄瑠璃節の大家が、年に何度か80代の師匠のところへ稽古に通い、アドバイスを受けている光景を思い出しました。もしかすると、80代の老大家も、弟子にアドバイスすることで自分の芸を振り返っているのかなと思ったものでした。
音楽家の自信過剰は程度問題でもありますが、私の見てきた限り一定レベルを超えていれば自己評価が低すぎる人よりも、自分の実力よりもほんの少しだけ自信過剰な人のほうがその後の伸びしろがあるような気がします。特に若いうちに自己評価が低いと音大受験やコンクール受験、オーディションなどで「もう少し自分を磨いてから」「もう少しドイツ語を学んでから」などと言っているうちにチャンスを逃したり、年齢制限を超えてしまったり、ベストコンディションの時期を過ぎてしまう人が時々います。私が思うには音楽家に限らず人は自分の実力より1,2割暗い自分を過大評価しており、もしかしたら調子の良いときに110%か120%の力が出せることがあったり、毎日の努力で1年、2年のうちに120%くらい能力が伸ばせて自己評価どおりの能力が常に発揮できるようになることが理想だと思います。
以前大人の教室で教えていました。
ピアノという楽器は、本当に厄介です。
誰でも押せば音が鳴ってしまうわけですので、拍子や調性を全く理解せず指をあてがって弾いた気になっている生徒さんが多くいました。
仰る通り耳が育っていないので、お手本が分からないのです。
聞くに耐えないと思いながら、褒めて伸ばさないといけず、結局私はストレスで辞めてしまいました。
わたしはいつも、自分の今の実力でここまでなら弾ける!という限界まで練習して、先生のレッスンを迎えるように努力しています。そこまでやっていくと、先生がおっしゃってくださる様々なことが理解しやすくなります😊でも、先生が示してくださった次の段階は進んでいくのはとても大変で、アマチュアの自分にできるのか時々不安に…今日のお話を聞いて、諦めずに練習すれば良いのだと元気が出ました❤ありがとうございます❤
車田先生、耳が痛くてちぎれそうです。ご指摘いただき、ありがとうございます。
私の趣味の筋トレと似ていますね。
自分では完璧なフォームでできていると思っても、きちんとした(?)トレーナーに見てもらうと自分のできていない部分を指摘してもらえます。
それによって、トレーニングの質が上がるということを何度も経験しました💪
高校の国語の時間に習った「山月記」を思い出してしまいました。李徴は詩の才能があるのに指摘され傷付くのを恐れて師につくことをせず、社会でも失敗してついに虎になってしまいました。
ただこれは単なる素直さや謙虚さの問題ではなく根底にあるのは自己肯定感かなとも思います。自分も含めて日本人は総じて自己肯定感が低い傾向があるのでなかなか難しい面もありますね。。。
楽器は只ではありません。レッスンを受けたくても、お金がなければ受けられません。楽譜ひとつ買うにもお金が要ります。練習時間、練習の場所、楽器や楽譜を置く場所、コンサートひとつ開くにも、確保するにはお金が要ります。
でも、お金、お金と、そればかりを言っていたら心はすさんでいきます。運、不運というのは確かにあるな、と思います。
演奏とは、自分の中にあるものを表現すること。
まずその音楽を、作曲された時代背景等も含め楽譜からどれだけ読み込み、自分の内側で豊かに感じられているかどうか、、、若い頃の私は、まずそこが稚拙でした。
そして、その豊かに感じている音楽はそのまま表現出来ているかどうか、、、50歳の今もまだまだで、「もっとこうしたい!」という欲求が常にあります。そして、信頼する耳をお持ちの先生にレッスンでアドバイスを求めています。
私が憧れている世界にもっと近づきたいと思って演奏しています✨
車田先生の学識の高さと、それを分かり易く伝えて下さる言語力、いつも楽しく拝見しています!
上を目指す方たちが乗り越えていくハードルは気が遠くなるようなお話ですね。
私は先生について趣味でピアノを学んでいますが、ある程度人前でピアノを弾けるような方たちの演奏はどれも上手に聴こえて、いまひとつ良し悪しが判断できないなと、常日頃から感じておりました。
なるほど耳が育ってないんだと納得です。今後も謙虚に練習に励もうと思います。
ドッグフードの紹介、興味深いです。
うちの🐶も食べない時期がありました。🐶も人間の子どもと同じように、幸せも心配もプレゼントしてくれますね。可愛くてたまらない💖
宮城道雄検校は、「謙遜が伴わない自信は慢心となり、その人の芸は止まってしまう」と戒めています(宮城道雄随筆集「春の海」中「箏と私」 岩波文庫)。
音楽に限らず、何事を学ぶ際も気をつけたいですね。
TH-camrのピアニストで
思い当たる人、何人かいますね
今回の話 本当に腑に落ちました。聴衆の一人としても 耳を肥やしたいと思います
居ますね~。
自己顕示を通り越して、五月蝿いだけのひと。
全くその通りですね。私も先日初めてそういう人の動画を見て、余りにも不遜な態度に怒りすら感じました💢
でも、始め「ユーチューバー」として有名になった角野隼人さんは別格ですね。彼は立派な音楽家です。彼の超絶技巧、そして編曲力・即興力は凄い! F・リストって、こんな感じだったのかなぁ✨☺️
願わくは、演奏する音に更に磨きをかけて、21世紀最大の音楽家になってほしいです😊
彼を初めて知った時、21世紀には、こんな子が出てくるのだなぁ!と度肝を抜かれました。
@@sH-cr5zc 私も全く同感で共有できて嬉しいです
角野隼斗さんは確かに別格と感じます。ジャズも古典もアレンジも作曲も自由自在に融合させてさらりとやってのける新しいピアニスト 日本の宝だと思います。
そのかたが、そういったTH-camrのピアニストと楽しそうにコラボしていたりすると心の広さに驚くのと同時に考えさせられます。
かてぃんさんと共演した方も車田さんのおっしゃるように適切な自己評価をして人前で(プロとして)演奏するに値するものか自分に問いてほしいとさえ思う人もいます。
聴衆者も、時には厳しい感想を述べるき機会が許されて演奏者を育ていくのがいいような気がします。
なるほど、演奏芸術では適切な自己評価というのも、重要なテーマなのですね。
美術とか文芸とか、形あるものを作るジャンルだと、完成直後はうぬぼれても、一晩寝たら(たぶん)目が覚めます。しかし、演奏芸術では、そうはいかないのですね。
しかもプロになると、本人が適切に自己評価できていても、かたよった評論家やわかっていない愛好家なんかが雑音を浴びせてくるのでしょうからね。そんな中で、ご自身の価値観とか美意識を持ち続けるのは、なかなか難しいのでしょうね。
そういう意味でも、信頼できる師匠や仲間が、大事な分野なのでしょうね。
音楽家の道は厳しいですね。しかし先生のできないところをできるように少しずつはたしかに大切ですね。
ホロヴィッツが初来日したとき、NHKホールでその演奏をきいた吉田秀和が「ひびの入った骨董品」と評した話は有名だけど、そんな酷評を知ったホロヴィッツは吉田秀和のことをきらうどころか、かえって興味をもち彼に親近感をいだいたらしい。それを知ってからぼくはホロヴィッツをきくようになった。
それまでホロヴィッツに関心がなかったのは、モーツァルトをほとんど弾いてくれないし、たまに弾いてくれても、ぼくの大好きなギーゼキングのモーツァルトとはかなり違っているし、バックハウスとも違う。グレン・グールドの弾くモーツァルトであれば、なんか変だなと思っても、いつのまにか彼の演奏に魅了されちゃったものだけど。
話が余計な方向へ飛んじゃったけど、ホロヴィッツはやはり非常に能力の高い人だったからこそ、ゆるがぬ名声を博していた晩年になっても、決して自分を過大評価することがなかったのだろうね。吉田秀和が感じていたように、彼自身もあの日の東京での演奏を「ひびの入った骨董品」と思っていたのだろう。ホンモノの巨匠であるのなら「幻の巨匠」になっても巨匠でありつづけるのだろう。
能力の低い人ほど自分を過大評価してしまうというお話をきいて、なぜか心の中に浮かんだのは、自民党の世襲議員として立身出世している人たちのこと。当たり前のことで批判されても、彼らは聞く耳をもたず、自分は正しいんだぞ、偉いんだぞって信じているらしい。
あ、また余計な方向へ話が飛んでしまいそうだから、今夜はこれで Tschüs!
「上には上がいる」、うぬぼれたり過大評価しない為の、自分自身へのおまじないの言葉です。結果が伴わなくても褒めてくれつつ「ま、上には上がいるって事だ」、又結果に喜んだ後は「…でも、上には上がいるからね」と、社会人になる前までは、よく両親から言われていた言葉でしたので、いつも気持ちが引き締まって、次の目標に向かえていた気がします。
(自己顕示欲が強い時期も有りましたし、音楽家になった訳では有りませんが…)
また、今迄に6人のピアノの先生との出逢いを経験して来て、心より感謝しておりますが、思い返せば、その中で1番厳しい先生…と言っても、お手本を見せてくれ、必ず何かを指摘してくれ、欠点も教えてくれ、もっと良くなる様にと導いて下さったその先生との出逢いが大きかったです。
うちの犬もご飯を食べないタイプでした。心配する気持ちよくわかります。缶詰フードを少し温めてにおいを強くすると食いつきが良くなると思いますが、食べない缶詰はKONG(という名前の犬のおもちゃ)に入れて凍らせておやつのようにあげると、騙されて完食したりします。
ドライフードはトッピングはもちろんですが暖かいだし汁やアスピックゼリーやミルクなどかけると匂いが出て食欲が増すと思います。
今回のお話は、音楽家に限らず、大多数の社会人に共通だと思います。やはり周りに自分を良く見せたいという心理なんでしょうね。 普通に会社での仕事でも、ヒマな人ほど忙しい忙しいと言っていますし、忙しい人は、暇だなぁと言っています。 車の運転が下手な人は、俺は上手いぞと自慢しますね。 話変わって、ウチは3匹の猫を飼っていますが、餌の好みは3匹とも違いますね、3匹とも食べるのはカリカリの方で、缶詰めやレトルトも食べるのが2匹、TVでCMのチャオチュールは1匹しか食べません、他の2匹には無視されます。好き嫌いはありますね。
チュール食べない猫さんも
いるのですね⁉︎😮
@@sH-cr5zc さん、コメントありがとうございます。 TVCMでは飛びついて食べるネコばっかりしか映しませんよね、チャオチュールが嫌いな猫も居るんですよね。
今日のお話はプロの音楽家向けの話なのかな?とも思いましたが、この話はどんなジャンルにでも、プロ・アマ問わず、通用する話なのかな?とも思い直しました。
ありがとうございます。ダニング・クルーガー効果、初めて名前を知りました。これは音楽だけじゃなく、全てに当てはまりますね。学生を教えていた時に全く同じことを感じました。それにしても、ドイツは劇場も多くて、芸術家として生活していける可能性が日本よりずっと大きいのがすごいです。日本人の音楽家、バレエダンサーなど、ドイツで活躍、生活している人がたくさんおられますね。羨ましいです。
最後のコーヒータイムいいですね!自分は"ピアノなんて向いてない"とか言いつつ先生にも励まされて趣味ですが続けております。実際のところ何歳になってもステージで緊張するし失敗もしたりです。でも拍手をもらえるなんて、普段の社会生活ではまずないんですよね。それが励みです。
いつも興味深い内容を、ありがとうございます!
めでたくなかったら舞台に出てパフォーマンスしないですよ
芸術の中でも美術は作品を通じて個性は出すが舞台芸術は本人が出てのパフォーマンスやから変な人がいっぱい
音楽はテンポ、フレーズ、拍子
音の揃い等を徹底的に追求した上に個性があるのに、その大事な事を殆どしないで演奏して不快をまき散らしているのに気づかない目でたい人は多い
自分の練習を録音して聞いてるので、過大評価すらできません。でも、難曲(実力以上の物)を練習してること自体、既に過大評価なのかな、とちょっと反省しました。
全くそんなことないと思います。
弾きたいという気持ちすごく大切だと思います。
私も実力を伴わない曲を挑戦してますし、途中で投げることもあります。でもそれが自分だと思います。
勿論基礎練をやりながらの挑戦ですが。そうなると、全てのことがそうなります。野球選手が素人に草野球するなと言ってるようなものですから。
車田先生の本題はもちろんですが、最後の余談も楽しみにしています。ドイツに関してなんでも発言して下さい。政治でもいいです。いつかコンペティションについて話して頂けませんか。特に審査員の判断基準について興味があります。
皆さんがご指摘の通り、音楽や美術といった「質」で判断される分野は自分を客観的に判断するのはとても難しいですね。 何らかの形で得点がつく分野にいると、否応なく自分の評価が示されてしまうので、過大評価できる余裕がなかったりしますね。
大変参考になる良いお話でした。
とても為になるお話をありがとうございます。
中学生以下の子がピアノやヴァイオリンで発表会やコンクールで難曲を弾いてますが、そういう場合はどうなのでしょうか。
もちろん師事されている先生が決めているので、殆どのお子さんが弾けてるとは思いますが。
以前NHK交響楽団特別コンサートマスターの篠崎史紀先生が、子供の頃ヴァイオリンの練習をしていると親御さんから「できるところ、わかるところはやらなくて良い。できないところ、わからないところをやりなさい」と言われたそうです。
以来篠崎先生は練習においても勉強においてもそのようにしていたそうです。
周りを見てみてもできるところばかり練習している人が多くいて、その人たちに「どうしてここ練習しないの?」と質問してみると「だってできないんだもん」という答えが返ってきます。
「できないところをできるようにするのが練習なんだよ」と言ってみますが、はたして聞いているんだかどうか…。
限りなくプロに近いアマチュアの演奏を聴いていると「難所」と思われる部分は、よく練習されていて「おぉっ!」と感動したりするのですが、逆にそうでない技巧的に簡単な部分は、音色に隙があるように感じることがあります。
これは私の全く個人的な感想ですが、実際どうなのでしょう?
一音一音に意味を持たせ、緊張感をもって全くの隙を作らず演奏する。しかし、聴衆は演奏家のウラでの努力を全く感じさせられることなく、気分良くその演奏を堪能する。
プロの演奏家は、やはり凄い!と思います😊
HIMARIさんはできないところをできるようになるまで何千回でも練習されるそうです。
今回も興味深いお話でした。
なるほど、狭い世界の競争を勝ち抜いた「井の中の蛙のプライド」ばかりが高くなってしまうのでしょうね。ある音楽評論家がスィトナーと懇意にしていたので、自分の母校の学生オケのレッスンを頼んだそうです。学生はさぞかし喜ぶだろうと思いきや、レッスン後に「あの指揮者はあまり棒が振れませんね」と言ったそうで、それを聞いてその音楽評論家は「ああ、猫に小判とはこのことか」と嘆いたそうです。
若き日のカラヤンがリヒャルト•シュトラウスにアドバイスを求めた時に、シュトラウスはカラヤンを褒めたそうなのですが、それを聞いてカラヤンは「先生、私のどこが悪いかを教えてください」と言ったという逸話を聞いたことがあります。
自信満々に(ズレズレ)のタクトを振る学生に聞かせたくなる話ではありますかね。
初めてコメントさせていただきます。この話は「実るほど頭を垂れる稲穂かな」に通じますね。自分自身肝に銘じたいと改めて思いました。
欠点克服には知ってる人に聞くしかない…
業界に関わらず学びには終わりはないように思いますね。
この業界の学びの代表的手段が指導者でしょうかね…
とてもおもしろい話でした!
今回は自信過剰の話ということで、次回の音楽談話では、逆に「自信過小」についてのお話を聞いてみたいです!というのも、実力は全くない初心者ですが、私がそうなので😅
ピアノ教室を始めた頃も暫くは先生に習っていましたが、先生に付かなくなってからは録画が頼りでした。客観的に自分の演奏を聴くと、弾きながら聴こえているのとは違う演奏に驚いたり、気付かないミスや発見が有りますし、身体や腕の使い方も確認出来るんです。
生徒にも、たまにで良いからやってみてねと、勧めています。
本当に、車田さんの仰る通り、出来ない所を出来るようにするのが練習ですね。
この点は、部分練習の仕方もレクチャーし、(間違えやすい所・難しく感じる所に自分でチェック、まずそこだけを練習。弾けるようになってから、その1つ前の音を入れて弾いてみる。弾けたら…と、少しずつ前後の音を増やしていく)
根比べのようにそのお話が必要な生徒さんも少なからずおります。
また、間違えたらすぐ最初に戻りたがる点も、あるあるではないでしょうか。それが習慣付いてしまうと、どこか途中から弾くという事が出来にくくなってしまいます。
最近は「時短」という言葉が浸透していますし、忙しいお子様もいらっしゃる為、同じ時間練習するなら、弾けない所を中心に練習してくるように宿題を出します。通し練習もですが、なるべく部分練習に時間をかける様に、と。
が……自分も子供の頃そうでした、弾ける所に安心感、楽しさを求めてしまうんですよね💦
最初から通して弾く方が確かに楽しいよね、気持ちはわかる、わかるよ~、でもそれじゃあ同じ所で間違える可能性が残ったままになってしまうんだよね💦
時間が無いと、1回か2回通して練習終わり。(生徒の自己申告ですが…。有る意味正直)
そうしてまた、部分練習の大切さを説くわけです。
年齢の低い生徒さんは特に、部分練習が身に付くようにしていく事も大事な1つかなと思っておりますが、そればかりでも無く。
私自身も、時間とお金が有れば、今でも習いに行きたいなと思い続けています!
ありがとうございました。
@@家合映子様 読んでくださり、ありがとうございます🤗
ほんと録音が大切だなって思いますね。
弾いているときは弾くことに意識がいってしまっていると聞くので、録音したのを聞くと冷静に判断できると聞きます
多分、欧米に多いのでは。
日本人は謙虚だから自己顕示欲のある人は少ないと思う。
(私も自己肯定感が低いタイプ)
全くの素人なので、意見を述べていいものかわからないんですが、過大評価するぐらい自信がなくては、次にすすめないのではないでしょうか?自信がなくては、ストリートピアノでさえ、人前で弾けません。ましてやコンクールなんて。自信のある人はとりあえず、人前に出て場数を踏みますから、自ずと人から評価されますし、反応が悪ければ、教師について習うとかしないとお金をもらって演奏活動なんかできないのでは?自信がないと自分を表現することはできません。教師の選び方が悪いと自分を解放できず、技術訓練のみに心が奪われた結果、指などを故障し、その道を諦めてしまった人を多数みました。第一に厚かましいほどのメンタル。人に評価されるのを恐れず、教えを請うことができる人を羨ましく思います。
初心者ほど自分の演奏に対して過大評価する……「モノを知らない」というのは最強の武器ですね。この万能感、何処から来るんだろう(若い頃の自分は全てに於いてそうでした。お目出たい人だねー、とよく言われてました😅そういうことだったんですね)
ただ、多少の自己肯定感もないと前に進めないこともあるので、全て悪いワケでもないと思います。それが何年も続いて、そのまま歳をとってしまうと「イタイ人」になってしまうのでしょうね。
実はビックリしました。この動画を見る直前に「自称プロ」のピアノ系ユーチューバーの動画を見てモヤモヤと言うか、腹立たしく思っていた矢先に、いきなり車田先生の今回の解説‼︎ あの彼に、この解説を突き付けてやりたい😤
ドラクエは人生の縮図ですよね!
挙げられたカンパネラ、、、近年亡くなられた、高齢になり話題になった日本人の演奏家。
この方の演奏技術の有無、それを評価するかどうかで聴く側に能力が有無で炎上するらしい。
それを念頭に置くようにという意味合いなのでしょうか。
ドッグフード食べなくなって色々買い替えて、ネッドで探した経験がありました。
大変興味深いお話を有難うございます。慢心しないように練習に励みたいと思います。若い剣士やガンマンが命を粗末にしてしまった理由が良くわかりました。
楽しいお話し ありがとうございます
拝聴してて、以前の動画で「お金を払って聴いてもらうレベル」と先生に言われ廊下で泣いている生徒を何人も見た話しを思い出しました。
また、ある将棋名人が「他人以上になるには集中した6000時間が必要」と言っていましたが、コレは多分控えめに言ってますよね?
バイオリンのヒマリちゃんは毎日8時間練習するとか、こちらの方が現実に近いのですね。
演奏している間は自分で気付きにくいこともあるので、演奏を動画に撮ったり録音したりして確認するのも一つの手です。評価の練習は国際コンクールや様々なレベルの演奏をよく聴いて、それらの演奏のどこが良くてどこが良くないのかを考えることです。私の場合はどうも自己評価が過小になる傾向にあって、初心者向けの曲であっても人前であまり弾かないようにしてます。
良いお話を聞かせていただきました。
娘が日本のオケで首席を務めていますが、そこに至るまでの諸々を思い出すお話でした。
中高生の頃にコンクールで入賞し、音大に進学し、大学の公開リサイタル試験にも3年生で合格し、卒業後はドイツ語圏に留学し、最優秀の成績で卒業後、日本のオケが決まって帰国しました。
こう書くと順調に見えますが、日本の大学在学中から受けていたオケのオーディションにはなかなか受かりませんでした。
留学後もコンクールで実績もあるのに受からない、何で? アジア人だから?とか卑屈にもなっていました。
そんな時、ドイツの大学院で出会った先生(黒人の先生)の教えにより奏法を変えた事で、演奏がガラリと変わり、オケのオーディションに受かりました。
実力のない人ほど自分を過大評価するというのは、恐らく大学生の頃の娘の状態だと思いました。周囲との比較で評価されていても井の中の蛙大海を知らずだったのでしょう。娘は海外に出て、自分の立ち位置が思ったより低いと実感し、努力しそれでも天井があると感じていたと言います。
そして今、これまで師事した先生ではなく、自身が出会って素晴らしいと思う方に突撃してレッスンしていただいているようです。
楽器演奏は歳をとると指が回らない等の影響が出るようですが、それを凌駕する経験を教えていただきたいのだそうです。
たまたま娘がソリストの演奏会でその先生がオケに乗って下さり、その音を聞いて、娘の学ぶべき事はまだまだ多いのだと私も感じました。
演奏家自身の自立と認識が肝要ですが、指導者や周囲が立ち位置を教えてあげることも大事なのではないでしょうか?
べとチャンが もっとも 自己顕示欲 が強い ゲーテの逸話が有名
我ら哺乳類は、成長期に沢山食べて大人になったら少食にする方が長生きするそうですよ。
確かにそうですね。若い娘さんが無理なダイエットをするのは絶対やめた方がいい🍏🍎
@@sH-cr5zc様へ んだんだ😌
15:30 車田さん、茨城県出身ですか?笑
「歩いてく」を「あるってく」と言ってるのが茨城訛りだなあと!
私自身東京出身で、仕事の都合で茨城に5年ほどいるだけなので、まったく茨城弁わかっていません。違ったら失礼しました。
失礼、って私が言うこと自体茨城の方たちに失礼かもしれませんが😂
いつも拝見しています。アマチュアで活動しているのみですが、大変勉強になります!