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最近になってクラシックに興味を持ち始めたので、チケットノルマの存在を知りませんでした。驚きました。しかし、一方で「やはりここでもか」という感じもありました。私は、元地方公務員ですが、行政主催の無料イベントでも、関係者として何度もノルマを課されました。上層部は、会場が埋まれば、ホクホク顔で知事に報告に行き、頭をナデナデしてもらいます。埋まらなければ、くら~い顔で知事に叱られに行きます。しかし、私は、会場の埋まり具合は、あまり気にしていませんでした😅来場者が嬉しそうな顔で会場から出てきたり、「また、こういうことをやってよ。」などと声をかけてくれることに喜びを覚え、公務員としてやりがいを感じていました。チケットノルマが、音楽家の方々のやりがいを搾取し、良き聴衆の育成を阻害しているとするならば、それは、大変に残念なことだと思います。
こういう闇に踏み込んで頂き、有難うございます。
純粋に表現者の情熱に触れたいだけの観客です。まったくもってそのとおり!クラシックだけじゃないです。バレエ、ミュージカル、演劇、美術……いえもう小さな画廊の個展から大ホールでの少し名のある表現者の公演まで、いつもどこも「隣んちの子の発表会」みたいな雰囲気なんです。あれほんと嫌な気持ちになります。なるほど、対等じゃないからなんですね。芸術は魂でコミュニケートしてこそ対等なんですね。鑑賞者として自信がわきました!ありがとうございました。
動画、ありがとうございます。いろいろ考えさせられました。チケットを、何度も「買わさせられた」ことがあります。昨年、お付き合いで購入したオペラのチケットですが、客席数より多くのチケットが配られていました。出演者が多い公演でした。席が足りずに、立って観ないといけない人がたくさんいました。主催者は「立ち見が出るほどの満席」と喜んでいましたが、客席数より多くのチケットを配ったことで、立ち見が出ました。お客さんは、長時間の立ち見で、疲れ果てていました。こういうことをしてると、オペラを観る人が減ってしまうと感じました。その公演の出演者のギャラは、チケットの売り上げの1割と聞きました。出演者は、ほぼノーギャラ、赤字だと思います。チケットノルマを課さないと成り立たない公演に出演する意味は、何なのかと、虚しくなります。チケット販売に一生懸命になって、練習に集中できないという状態です。お客さんという立場で観に行くのも、辛いんです。ノルマを課さないといけない公演や、そういう公演に出演することの価値が分かりません。次の動画も楽しみにしています。
会場のホールによっては立ち見が出るのはNGだったりするので、立ち見が出ると喜ぶどころか真っ青になっちゃう場合があったりします笑
大学時代にピアノを専攻していました。卒業時に誰もが出演したい、某大手企業の演奏会。ノルマ、ありましたよ〜😭希望とこれからの夢を胸に抱いていた22歳には現実を見せつけられましたね。
「ホールが満員だったかどうかとコンサートの成功は関係ない」うわっ!うわうわうわ!!!わたしも同じこと思ってましたが、音楽仲間には理解されませんでした😂他にも全部書くとキリがないくらい考えることがたくさんある、良い動画でした!
私は聴衆側の人間ですが、純粋に興味を持って出かけたコンサートが出演者の身内ばかりで「場違い」と感じてしまったことがあります。部外者が来てはいけなかったんだ、それを知らなかった自分は恥ずかしい、って思ってしまい、クラシックは知り合いのいないコンサートにノコノコ出かけたりするもんじゃないんだと今の今まで思ってました。あのとき良質な体験ができていたらもっと足繁くクラシックのコンサートにも通っていたかもなあと思います。
私も全く同じ体験をしています!
私も「好き」な演目だからと足を運んで疎外感を味わったことがあります。シューベルトの回をもう一度見ました。シューベルトが弾くピアノの周りを囲んでみんな演奏を楽しんでいる絵がありましたね。大きなホールを満席にするより、あの絵のように楽しみたいと思いました。そこで力をつけてだんだん大きいホールで演奏するようになればいいですね。
車田先生のお話を聞くと、いつも考えさせられます。自分は本当に音楽が好きなのかな…とも思ってしまいました。付き合いでチケットを買ったことはありますが、聴いて感動したかというとそれはないです。プロの演奏を聴いても、上手だな、とは思うことはありますが、感動レベルだったのは、ゼロではないですが、数も多くはない。自分の芸術のアンテナが壊れているのか、もしくは最高の演奏が音源としてですが、転がっている世の中だから聴きなれてしまっているから、なのかもしれません。私が演奏するのはコンクールや発表だけで、チケットを買ってもらったことはありません。人の心に響くような演奏をしたい、というよりは自己満足か演奏を評価されたい、そんな思いで演奏をしている気がします。こんな自分が、ノルマであってもお金を払って聴いてもらうなんて、おこがましいです。音楽が好き、ではなくて、演奏をしている自分やその能力が好き、になっている気がして…心の底から恥ずかしい思いです。先生の動画を通じて、芸術とは何かを考えるようになり、表現が変わりました。単なる演奏技術者ではなく、本当の意味で音楽のスタートを切れた気がします。ありがとうございます。自分と同じようなアマチュア音楽家は多い気がします。先生が良くテーマで上げている聴衆が育たない理由の一端だと思います。でも自分を含め、そういった方たちが真に芸術として音楽を好きになれば、ノルマを設定しなくてもチケットが今よりは売れる世の中になるのではないでしょうか。アマチュア演奏家として、私の体験ですが、技術は学んでいても芸術というものを学んでいません。芸術として音楽をどう聴くのがいいのかを学ぶきっかけがあれば、芸術としての音楽を好きになる人は多いと思います。先生の動画での活動はその一つで、とても意味のあるものと感じています。これからも興味深いお話、よろしくお願いします。
チケットノルマは、日本の芸能界などでも同じですね。日本の社会の縮図のようなお話でよかったです。
半世紀前に仲間で議論したことがある内容でしたので、よくぞ公に問題提起をして下さったという思いで拝聴しました。当時でも切符の押し売りは珍しくなく、同窓会のようなコンサートが沢山ありました。こんな悪習を続ければ、切符は完売したけれど、聴衆ゼロのコンサートになることもあるかも・・・と心配したものです。先生の演奏者と聴衆は対等でなければというご意見に賛同します。当時は今のようにコンパクトなホールが沢山ありませんでしたので、力量がともなわないうちは無料にすればという意見もでました。ただクラシック音楽は静寂な環境が演奏奏者にも聴衆にも必要なので、最低限のコンサートマナーを知っている人でないとコンサートが台無しになってしまうという、切符の問題だけでないクラシックのコンサートの難しい面で議論が行き詰まったことを思い出しました。次回を楽しみにさせていただきます。
大変貴重なお話をありがとうございます。昔から不思議に思っていたことや違和感が腑に落ちました。次回も期待しています。
車田先生、こんな話題を取り上げて頂いて 本当にありがとうございます🙇🙇🙇こんなお話に触れられるプロの方がいらっしゃるなんて、逆にビックリしました。お話は始めから最後まで、いつも感じていたことでした。特にアマの世界においての指導者に考えて欲しいです。①コンサート回数増やせばコンサート指導料をとれて稼げる②とにかくどんな人でも団員で入ってもらえば団費が増えて自分の収入が増える③演奏の質が劣っても古株さんはお客を集客できるから頭下げる…演奏の質が下がるこんなことがいつも透けて見えてた。世の中に発表するなら質にはこだわってくれないと、年齢層の高い人々の中ではそういうのが当たり前でも、特に若い層では段々演奏に関わるのも気が引けてくるし、お客にも成り得なくなると思う。昭和のやり方。 教室の発表会とかは別。楽しくやれれば良い。質に拘らないなら、格好つけて「演奏会」とすべきでない。発表会とすべき。チケットでなく、整理券。
アマチュア声楽愛好家です。(プロアマが所属している音楽団体に所属。合唱暦もあり)私は会社員ですけど、身近に音楽に興味がある人がいないのでノルマは捌けないんですよね。ただ、両親にタダで譲ってあげたこともあったけど2回目は来てくれない。つまり、それだけの価値なのかなと思います。(特に合唱。知らない曲が2時間続き、舞台の様子も変わらないので特にしんどかったようです。レベルもプロじゃないですし。)私の団体は、ノルマが捌けないと詰められるということはなかったんですが、元々来る気がない人にチケットを強要するのは、かえって音楽の発展の妨げになるのではと感じています。私と同じ経験を他の団員もしているのかは分かりませんが、演奏者からしても魅力的な演奏会に映らないのか、演奏会の出演枠が埋まらないことも出てきて出演料を払えば誰でも出演できるようになり、ますますレベルが下がるという悪循環に陥っています。(変な例で言えば、声楽の伴奏が有名なプロなのに、独奏がアマチュアとか。観客からは、伴奏のプロの独奏が聴きたいと言われますが、本人は出演料(ノルマ)が掛かるから受けないと言っておられるそうです。伴奏の場合は、歌手から謝礼が出るし、出演料は歌手負担。)ただ、ノルマを渡させるくらいだったらまだマシかなあと。運営側に回されると、多くの事務仕事が降ってきます。週末の役員会、プライベートを削っての事務作業、会社員と育児をしている身としては大変厳しい。そして、肝心の歌まで手が回らなくなる。正直、発表会に近いことしかしていないのに、背伸びをするのが問題だと思っています。演奏者も観客もwinwinになるような実力に合った地に足つけた活動が望まれます。因みに本業が忙しく、演奏どころではないため団体はやめようかと思いますが、辞めさせてもらえません。多分、団体の会費収入と事務要員を確保したいんでしょうが、その点などの人間関係などのストレスにも悩んでいます。海外のアマ活動にも興味がありますね。
いつも楽しくお話を聞かせていただいています。私は作曲家ですが、私が団体会員で企画に関わる場合は、その演奏会のためにチケットと引き換えに出品料を支払います。その他私の曲が演奏されるコンサートにおいてもその殆どが演奏者にチケットノルマが課せられています。私も以前から車田さんと同じことを考えていましたが、チケットノルマが存在しなくなれば、今行われている半分以上の演奏会がなくなり、作曲家、演奏家はコンサートのために作曲、演奏をすることに価値が殆どないことに気づくことになります。しかし、それで良いのでは。と思っていました。つまり自分が赤字になるコンサートには関わらないということ。これは音楽をやめることに近づきます。義理でコンサートに行くこと、赤字のコンサートに関わることについて真剣に考えるきっかけをいただきありがとうございました。次回も楽しみにしています。長文失礼いたしました。
車田先生今日もありがとうございました。先生のメッセージにただただ深く共感致しました。うなずくばかりでした。次回も楽しみにしています。
田舎に住むフルート奏者です。😊いつもためになるお話しありがとうございます!私の住んでいる町は国際的に有名なスキーリゾートで、スポーツに関しては意欲的でお金をかける風潮がありますが、芸術に関しては町民の意識はほとんど全くと言って良いほど育っていません。町主催のコンサートや芸術の演目に来る観客の質はとても低く、子ども達や大人の演奏中のおしゃべりなどが酷くて、とても恥ずかしい気持ちになります。お金を出して、自発的に良い芸術を楽しむ、鑑賞するという風土を作りたいのですが、とても大きな仕事だなと思います。
私はアマチュアの演奏家で、娘はプロオケの奏者です。聴衆と演奏者の関係に対する考察は、いろいろ考えさせられました。まずは私、この度の能登半島地震のチャリティーコンサート出演の声がかかり、何か尽力したくて協力の申し出をしましたが、チケットノルマがあり、しかもプロの伴奏者にギャラを払うことになっていて、何かおかしいと思って、結局出演を断りました。次に娘、地元でふるさと大使に任命された事もあり、昨年地元の1,000人ほど収容のホールでコンサートしました。クラシックの潜在的ファンを増やしたいとか、純粋に集客したいとの娘の思いを汲んで、地元のアマオケ、合唱団、吹奏楽団と共演するコンサートをしました。集客はそれなりで、次の公演(所属するオケのソリストとしてコンチェルト)のオファーもありましたが、当日まで主催者から言われる入込み数に悩まされました。もちろん、アマとの演奏は娘にとってクラシックの敷居を下げる意味はあったものの、楽しいものではなかったようです。ノルマはなかったものの、PRのために地元の学校の吹奏楽部を訪問して指導もしていました。田舎では聴衆が育っていないため、理想論だけで上質なコンサートはできません。例えば、20人入れるサロンに5人の良い聴衆が来てくれても、演奏した音楽家の再生産(次のコンサート開催に必要なお金とエネルギーの確保)には繋がりません。ツテで集客するアマのコンサートの方がマシくらいです。車田さんのご主張はごもっともですが、今の日本では成熟した聴衆を育てる事がプロの音楽家に求められているのではないでしょうか?
車田先生、新年よろしくお願いします。ありがとうございます。今日は、1月2日です。チケットノルマがあることで演奏者、主催者、聴衆が対等ではなく上下関係が生まれ、日本の音楽社会が崩れていくことがわかりました。音楽業界の裏話を聞けたようで、興味深いお話、ありがとうございます。高校の吹奏楽部の演奏会等で、人付き合いで聴きに来ているような聴衆を多く見かけます。中には私みたいに音楽が好きで純粋な気持ちで聴きに来ているもいるかもしれません。少数派だと感じます。昨日(元日)、北陸地方を中心に大きな地震がおきました。石川県が故郷の演奏家もいます。人の心に音楽がとてもとても必要なのだなぁと私はあらためて思いました。アマチュアのオーケストラ団体などの演奏会、有料化のアンケートに参加しました。次回の動画、楽しみにしています。まとまりないコメントになりました。すみません。
2023年も楽しく、ためになる、視野の広がる(感謝の言葉が足りません💦)動画をありがとうございました😃!続編を楽しみにしております。どうぞ花火と共に良いお年をお迎えくださいませ❗️私はそばの後に、大好きなコーヒーと、バタークリームケーキで年越しです。
ありがとうございます😊
とても心に響くお話でした。実際、私は大学時代に管弦楽団でチケットノルマに直面していました。低学年の時には配られたチケットを配れるだけ配ろう、としか思っていませんでした。しかし、最高学年になり演奏会を営業という立場で運営することになった際、本当に辛かったです。先輩たちが会場を1000人埋めてきたのだから私たちも、というふうに。そして、指導をお願いしていた指揮者からも1000人以上席を埋めることができなければ次年度の指導と指揮は見送る、と半ば脅迫されていました。車田先生のおかげで自分が感じていたチケットノルマ異常さだけで無くコンサートを開く意義を改めて認識させていただきました。本当にありがとうございます。
車田さん、有難う御座います。たまたま、カルーソの解説を聴かせていただいたのが始まりで、このチャンネルを拝見しています。今日のお話も全く同感です。70過ぎた老人ですが、車田さんの優しい語り口のお話を聞いているうちにTH-cam で音楽を聴くことが一層楽しくなってきました。
チケットノルマ問題、考えさせられる内容でした。とてもわかりやすく説明してくださり、ありがとうございます!コンサートの成功不成功はお客さんの数で判断するものではないですね。その通りだと思いました!
3つめの動画早くみたいです!待ちきれない!
私は長年アマチュアバンドをやっていてチケットノルマは当たり前と思っていましたが、クラシックのプロの演奏会でもノルマがあるとは知りませんでした。車田さんご指摘のとおり、プロの演奏家と聴衆との間に「聴いてあげる」という非対等な関係ができるのは健全ではなく、そうした関係は長続きしないと思います。何らかの改善の方向に進むことを願っています。
現在アラフィフで趣味でバイオリンを習っている者です。私の教室では生徒さんの発表会はないようなのですが、もしそういうのがあったりすると、自分の拙い演奏を聴きにきてもらうために、友人知人や親戚にチケットを買ってもらったりしないといけないのか…と思うと苦痛になると思います。自分の演奏は他人さまのお金を貰うどころかお金を渡してお願いして聴いて貰う程度のレベルだと思うので😅追伸∶ドイツ🇩🇪の食文化のお話もいつも興味深く拝聴しています🍴来年も動画楽しみにしています😊
音楽を通して、社会の問題に鋭く切り込む車田先生の、見識の広さ、経験値の高さに、いつも感動します。ソーセージ、日本では見かけないほど長いですね。さすが、本場。🌭
たしかに、私もこんなに長いソーセージは、日本では見かけませんね😃
@@dunsford3291 様。コメ、有難うございます。
「アマチュアコンサートの有料化」 について、車田先生の見解を是非伺いたいです。楽しみにしています😊
学生時代のオーケストラや吹奏楽、その後のクラブDJとしての活動でもチケットノルマには随分と悩まされました。また、自分も「ホールを満員にすることが成功」という刷り込みに完全に染まりきっていたので目から鱗でした。ちなみにドイツの事情はどうなのでしょうか?その辺も知りたく思います。
車田先生のお話、全て納得できます。本当に狭い社会で、納得できない事が音楽界は多すぎると思います。私自身演奏会を開かせて貰った時、チケットを持って頭を下げて挨拶回りしました。それを高校生のうちからやるのははっきりいって異常だと思います。確かに演奏する立場が傲慢になってはいけないとは思います。でもこれではお金に余裕がある人しか音楽が出来ないし、昔よく聞いたのが日本では親がお金持ちか音楽家でないとその子が音楽家になれないという話があり、その通りになってしまっていると思います。先生方も自分達が通ってきた道だからといって、生徒達にやらせるのはよく考えてからにして欲しいと思います。私自身音楽以外の職業に就いていますが、音楽界は本当におかしげと思ってレッスンを受ける事などでも少し距離を取っています。勇気あるお話ありがとうございました。こういった風習に違和感を感じていたのは私だけではなかったのだと思いホッとしました。
知人の知人(私は面識ない人)の演奏会に行くことがありますが、確かに疎外感を感じることが多いです。興味半分、付き合い半分という感じで行きますが、またこの楽団の演奏会に行きたいと思うことは、ほとんどないですね。
いつも論理的でわかりやすい説明ありがとうございます僕は聴衆なのですがチケットノルマについては出演者の負担になるので無くなればいいなぁと思っていました。確かに出演者と聴衆の対等な関係性という面でも悪影響ですね😅車田さんの説明はわかりやすいだけでなく、声のお仕事をされているだけあってしゃべり方もすごく聞きやすいです。😊
車田先生、いつも貴重なご意見拝聴しております。私は70代と高齢で地域活動から遠のいていますが50代では生協の活動の中で「親子でクラシックコンサート」を主催していました。チケットもパンフも生協の印刷機で手作りして月1で新聞発行してチラシに折り込んでもらっていました。会場はピアノのある喫茶店貸し切りなどで50人、私達はボランティアで2000円のチケットですから10万売上で採算が取れました。
演劇ではもっと顕著では。買ったから買ってのループ。お金が外から入らずに、みんな貧乏。やりがいだけの世界。
自身の承認欲求を満たすような「演奏会の回数や、どれだけ集客できたか、またはフォロワー数など」に重点を置いて音楽活動しているセミプロ(アマチュア)がたくさんいます。そして安いコンサートをします。お客さん側も「中身」よりもそういった観点で価値を測って、演奏者をアイドルやタレントのように見てる人も多く、最終的には『演奏自体より、たくさん集客できる人が偉い』という風潮になってしまう事がよく見られ、悩ましくなる時が多々あります…
私は以前、アマチュア合唱団に所属していました。もちろん定期演奏会は有料で、チケットノルマもありました。チケットは団員が売る以外にも、コンサート会場のインフォメーションや合唱祭でお世話になっているホール、公民館等の受付でも販売していただいていましたが、やはり最重要なのは私たち団員が捌くチケットなのです。コンサートホール等のチケットは購入者がいるか否か、不確かなものです。アマチュアとはいえ、活動費・諸経費がかかるので、団員が確実に捌く(捌けなければ自腹を切るので団は損をしない)ことが必要不可欠かのように思わされていました。チケットをどこで購入しようと、うちの団の演奏を楽しみにしてご購入くださるなら嬉しいことです。ですが、チケットノルマのせいで、会場はいつも団員の家族や友人、職場の人等代わり映えしない顔ぶれに、悪い意味でアットホームな雰囲気は、やっぱりおかしいと思います。チケットノルマは、人脈がある人ほど多く捌けるのは当たり前、『捌けないって言う人の分まで捌いてやってんだ』と酷いマウントを取る団員までいて、団員同士すら対等ではありませんでした。恐らくですが、アマチュアの世界では、チケットノルマは演奏会の必要経費を捻出するためだけのものになっているのではないでしょうか。だから団員に確実に捌かせる、多く捌く団員ほど偉い、演奏者とお客様の対等性の前に団員が対等でなくなる悪習だと私は感じました。
プロの世界でもいかに客席を埋めるか躍起になることは多いです。そのために招待券をばら撒くこともあります。お客様も、スカスカの演奏会だとどうしても音楽の質を悪く感じて満足できない方が多くいらっしゃるように感じます。純粋にその日の音楽の良し悪しを耳だけで判断できる方は本当に限られており、多くの聴衆は、肩書きや周りの雰囲気などに流されていると思います。聴衆の教育は演奏家にとって不可欠であり、そこを意識してプログラムを構築しているオーケストラなどは海外では見受けられますが、日本には皆無ではないかとおもいます。
全く考えた事も無かった事柄で、まさに、目から鱗でした😮。
私も学生時代音楽部でしたが、チケットノルマは貧乏学生には痛かったですね。車田先生の仰ることはおおむね同意ですが、コンサートを開くのには少なからずお金が必要なのも事実です。つまり誰かが負担する必要があります。主催者に責任があるとのことですが、そうすると利益を無視する訳にはいかない主催者は売れている演奏家にしかオファーしなくなるでしょう。またPOPSでも数小節で聞き手を掴まなければ聞いてもらえないという時代に、1曲1,2時間もかかるクラシックはなかなか受け入れてもらえないでしょう。私は田舎に住んでいますが、金にならない田舎にクラシックの演奏家がなかなか来てくれず、なかなか生演奏を聞けず、寂しい限りです。
マイナーな楽器のアマチュア合奏団をやっていたころ、やはりチケットノルマを課せられました。知名度が無いから頑張って売らないといけないと自分に言い聞かせていました。友人たちはあくまで興味がある体でチケットを買ってくれましたが、反応を見れば本心かどうかすぐに察しがつきます。しかし売れないのはもっと困るので葛藤しつつお金を受け取りました。たくさん捌いたメンバーは褒められますが、大抵は歴が長い人、先生をやっている人ばかりで、ツテの無い若手は肩身が狭い思いをしていました。定期コンサートを開く年末はいつも憂鬱で、早く解放されたいと思っていました。入団当初は趣味として楽しめていたはずが、段々と仕事のような緊張、息苦しさを感じて音楽を楽しめなくなり数年で辞めました。身内ばかりのコンサートに行ってしまったときの疎外感も経験したことがあります。全く知らない奏者でもプログラムや会場に惹かれるものがあればチケットを買いますし、当日の演奏をじっくり楽しみます。それでも休憩時間や閉演後の雰囲気で身内ばかりだと分かると一気にしらけてしまいます。演奏自体に満足できればそれで十分なはずなのですが、他人同士とはいえ、周りの人にはその感覚が共有できないんだと思うと少しばかり寂しくなります。
3つ目の話、すごく興味があります。
チケットノルマってドラマの世界だと思っていました、現実にあるんですね。昔、能のチケットを買わされたことがあり、それは会社の元社員が能役者になったらしく、私の同期入社の社員からの薦めで買ったものでした。もしかしてチケットノルマ?しかし、そのお陰で能を知ることが出来てよかったと思っています。私の様な聴衆にとっては、それがチケットノルマで売られたものであろうとなかろうと、あまり関係ないのかなと思います、自分が求めて買ったチケットでも期待外れのコンサートはありますからね。 演奏家や主催者にとっては気が重い話ですね。
自発的にきてくれる人が大事。もちろんわかります。ただ、家族、親戚、友人、先生いがい来ていないかと思われるコンサートを何度もみたことがあります。よく、義理でチケットかってもらった人は、おなじ知人からあとで義理で買わなければならなくなるとかも、よく思います。小さな会場を選べばよい?小さな会場を埋められない人はたくさんいると思います。一生に一度もコンサートができないでおわりたくない、という理由でやっているのかもしれません。
何人かの先生に師事しましたが、先生によっても様々でした。初めからチケット数枚を渡してこられる先生もいたし、チラシのみくださって「もしよかったら来てね」という感じの先生も。自分が演奏会に出るようになってからはやはりノルマはあり、今回のアンケートにもそのように回答しました。そういう世界なんだ、人前で演奏する機会をお金で買うと割り切るしかないと思ったように記憶しています。
今回も、本質を知ることができました。ガッテン、、納得しました!有難うございました!
素晴らしい内容。この話題を遡れば、バッハやモーツァルトですら、教会や貴族の為に作曲していた歴史に遡る事になる。カツラを脱ぎ捨てたベートーヴェンは権力(資本)に屈しない姿勢を見せたが…。聴衆を魅力し、クラシック界も自らの意思でコンサートに行きたいと言う人々の分母が増えて行くと良いですね。
これはクラシックのコンサートに限らずある話ですね芸能界関係の仕事をしている人からよくタダのチケットを貰ったことがあります。理由は「ホールの空席を埋めるため」だそうです。主催者サイドとして、たくさんの空席のあるコンサート🟰失敗ということなんだと思います。紅白でトリを務めるようなアーティストでさえ、そういう事があるんですよね。
チャンネル登録者数が多いチャンネルがいい!チャンネル登録者数が欲しい!と思ってしまうように、これは日本人の根底にある精神です。音楽に関わる人みんなが活動しやすくなるといいですね!!
私は…日本の音楽教育の問題が原因ではないかと思います。小学校や中学校の音楽の時間に…クラシックの名曲を聴く機会をもっと増やすべきと思います。小さいうちから週に一度名曲を鑑賞し、名演奏から感動と力を貰い、世界の巨匠、日本人演奏家の活躍をもっと知ることが出来れば…クラシック音楽を心から愛する層が増えて行くと思います🤗。車田さん動画も素晴らしいです🤗。クラシック音楽が好きになります。
正論だが、解決はむずかしそう。補足郵便局員には年賀はがきのノルマがある。本の著者は自分の本を何冊も買う。法律論としては一発「そんな義務はない」で終わりなのだが・・・
なるほどですね。日本も昔は、外国の有名な演奏家であれば、高額でもすぐチケットが売り切れますね。現在は大分改善されているみたいですが、ソールドアウトになれば、それで良いということではないですね。ライブというのは、演奏家と聴衆がいてはじめて成り立つものですね。私もレコードで聴いて、いい演奏だなぁと思った時に、いつか、この演奏家のコンサートが開催されれば、行ってみたいなぁと思いますね。これは、聴衆の意見であって、演奏家の方は、ライブのチケットが売れてくれなければ、困りますね。なかなか難しい問題であると思います。ホットドッグ、美味しそうですね。ソーセージ、いかにも、ウイーンですね。
音楽だけでなく、演劇、バレエ、その他個展にもチケットノルマがあるところにはありますね。外国のことは知りませんが、日本は芸術家に対してあまりお金を出さないので、チケットノルマがかされたり、音大を卒業しても音楽だけでは食べて行かれない問題に繋がるのではないでしょうか。
素敵なクラシック音楽が広まらないのは、文化として根付く前に、ビジネスが先行してしまった結果かもしれないんですね。クラシックコンサートを見に行ったとき、すでに出来上がったコミュニティの雰囲気に疎外感を感じたことが合ったのですが、この動画で言語化されていて、大変納得がいきました。芸術家も企画者も、売上を作る為にビジネスに結びつけないといけない苦労があると思いますが、素直に芸術と触れる場がたくさんあれば、ファンもおのずと増えていくではと思いました。
音楽のジャンルは問わず、全てのコンサートは興行です。クラシック音楽と言えども例外ではありません。日本の場合、特に戦争後の復興期において、各興行(芝居、歌謡)を行う主催者の多くが反社会的勢力であった、歴史的な事実がある。(現在においても芸能関係には、企業舎弟のような会社が多い)その反社会的勢力の慣習として、主催者側がリスクを負わず、立場の弱い者に負担を強いる興行形態が普通となり、この日本においては、反社会勢力とは関係ない、クラッシク音楽の興行においても常道化してしまった、歴史的な経緯があるのではないか?それが現在でもチケットノルマとして、悪しき習慣が連綿と続いているのではないだろうか?
今でも、音楽会は根回しが必要なのですね。演奏家と聴衆の対等関係があってこそ、素晴らしいコンサートになると確信しています。f少しでも将来に向け、音楽会の改善・改革を希望します。いいですね~本場のソーセージ食べたいです。
FMラジオのチャンネルが音楽ジャンル毎に細かく分かれていると、地域でやる演奏会のプロモーションが簡単になるんだけど、日本ではまるでAMラジオのようにおしゃべりばかりしている。米国の様な音楽専門チャンネルになって欲しい。
私がアマチュア合唱団に入りたいなと思っても入らない最大の理由はチケットノルマがあるからです。団費がかかるのは当然ですが、チケットノルマはどうしても理解できません。また、身内だけの演奏会のような雰囲気というのもとても共感します。そういう演奏会は良い演奏がぶち壊しになるし、来てよかったなとは思えません。
前以てお伺いに来い、でないと協力できない、って本当にホラーですね。でもそれをちゃんとやって顔を立て、終わったら「お陰様で」とお礼を(いうのではなく)しないと次の活動ができない、と自信がない人は思ってしまう。自信が持てないなら、するな、なんていわないで?
10年以上も前のことです。ワグナーのオペラをやっとの思いで手に入れて見に行きました。熱心なワグナーファンが集っているのだろうなとワクワクして会場に向かいました。ある歌手(脇役)が登場すると、「あの右から2番目が〇〇ちゃんよ」と親族らしき人が囁いています。学芸会状態です。次の歌手が登場すると「〇〇先生が登場しましたね」とお弟子さんの一群が囁きあってます。音楽を鑑賞するって姿勢が全く感じられません。。苦労してチケットを手に入れたのに、なんじゃこれは?観客と演奏者の緊張関係が全くなくて、八百長の試合を見ているような気分。お弟子さんが先生の演奏を批判できませんからね。これ以来、オペラから足が遠のきました。
私は趣味で楽器をやっているだけの立場のものです。職業としては企業向けのソフトウェアの販売に関わっています。この世界でも、本来は「きちんと製品の価値をご説明し、理解いただいた上で対価をお支払いいただく」というのが大前提ではありますが、個人別や組織別の売上ノルマがある事で、「お願いして買っていただく」、「価格をギリギリまで下げて買っていただく」というシーンが散見されます。特に前者のパターンでご購入いただいたお客様の一部には「買ってやった」という意識がどうしても生じてしまいます。この意識は、例え無自覚だったとしても、その後の売り手と買い手の関係性を損ねてしまう原因の一つになると思い当たりました。これまで、何年も何十年も感じていた違和感の理由が、本動画の要点と重なる部分も多いと感じております。
ザルツブルクの「ボスナ」美味しいです!生玉ねぎのみじん切りにカレー粉とスパイス、焼きソーセージ🤤
よくわかるお話でした。
音楽界がそうだったとは初めて知りました!日本のバレエの世界でも似たような感じです。某バレエ団の主役になるとチケットノルマ➕オーケストラの分まで負担しないといけないと昔聞きました。今はわかりませんが。ニューヨークだと小さなバレエ団でも沢山スポンサーが付いたりしてダンサーにチケットノルマを課すことはないです。日本人の生活にもっと芸術が浸透してほしいですねあらゆる人が芸術鑑賞出来る世界が理想です。
未だにそうなんですね・・・40年くらい前にもそんな話を聞いた記憶がありましたが、私はコンサートではなく記録メディア視聴がほとんどだったので気にもしていませんでした。この話は、人間(日本人?)の業のようなものを感じますね。恥ずかしい風習だと思います。車田さんのご活躍にいつも感動しております。
とあるマニアックな楽器の演奏会に行った時、終演後、その出演者に会って話す列がズラっと出来ていて異様な空気を感じました。。誰とも知り合いでない私は、そそくさとその列をすり抜け会場を出ましたが、とても気まずかったのと、二度と行かないと思いました。。
『聴衆の疎外感』はよくわかります。私は出身校や地域のお友達の付き合いとは距離を取っていますので冷ややかな目線で観察しています。幾人かの演奏家(と指揮者)のファン(軽薄ですが)なので機会が許す限り聴きに行きます。
8:00 クラシック音楽ではないが、アーティストが会場の客入り状況を見て予定されていた演奏をしなかった、と言う話しを最近耳にした仮にキャパ500人の会場に対して20人しか聴衆がいなかったとしてアーティストがどう思ってどう行動するかは自由だと思うがアーティストにはそこに居る聴衆に音楽を届けて欲しいと思う会場を埋める事ができなかったとアーティストが思ってしまうのも2点目に挙げられていることがベースにあるのかもしれない対外的に成功、失敗がホールを埋めたか、埋めなかったかそれが演奏の正否になって仕舞っている
そういえば、プロ吹奏楽団の演奏会に行ったら、観客の95%は、団員が指導に行っている中高生の吹奏楽部員だったってのがありました…部員の自由で来ているのではなく、先生も一緒に部員全員できてました。帰りは団員がロビーに出て、吹奏楽部員と先生が「今後ともよろしくお願いしますっ!」とお辞儀してました…すごく異様でした。
私はバッハの「ロ短調ミサ」を演奏するために、クラウドファンディングにまで駆り出されたことがあります。それで合唱をやめました。友達を無くします。
本当に深刻で非常に複雑かつ難しい問題かと思います。日本では演奏家と聴衆の芸術的関係が必ずしも対等では無く、様々な公演での利害関係や忖度が常に付きまとう音楽産業の営利採算主義の悪循環が当たり前のように存在しているのは本当に残念だと思います。クラシック音楽という西洋の完成された高い文化が日本ではいまだに十分理解されず根付いていないのかもしれません。現在の義務的音楽教育から派生した部活動やアマチュア楽団でのチケットノルマ問題は芸術の本質を土返ししている事だけでなく破綻させる要因にもなっている事を反省するべきでしょう。しかも日本では芸術だけでは無くスポーツや様々なジャンルにおいても常に主催者や共催者、関係団体、公共団体、スポンサー、音楽事務所本位の運営や意見が主流なので常に体面や体裁(集客率や有名会場、メインの知名度)が最優先されているので尚更悪質です。また演ずる側も聴衆を品定めしたりするおかしな状況も存在しています。昨今、都内では某有名オーケストラが次々公演を行い法外なチケットも完売した事には驚きました。しかしある記事で報じられていましたが一部空席もあったそうでそこは主催者やスポンサー用の接待席や関係者、記者報道席だったようで一般には開放されず、ホワイエでの空気は音楽とは関係の無い話が飛び交う上級国民の社交場だったそうです。まさに違う意味での風通しの悪いコミュニティがこんな場所にも存在するとは…。日本の芸術に対する価値観や伝統や因習への拘りは文明開化の時代からなにも変わってないのでしょうか?
ロックバンドやってた時もノルマあったなぁ。対人関係苦手だからめちゃくちゃ嫌だった
チケット問題はアマチュアフォークやアマチュアロックにもあります。難題です。解決策は思いつきません。次の動画に期待します。
3番目のお話を伺った上で書くべきかもしれませんが…。私は演奏することがない聴衆です。私は基本的にアマチュアの演奏会は何か特別なことがない限り行きません。聴衆が良くないことが多いからです。また某プロオケで、(アマチュア)合唱が入る楽曲の時はほぼ満員になる楽団があります。チケットノルマかどうかは知りませんが、知り合いが出ているから、という動機で来ている人がある割合でいるのは間違いないと思います。これもあまり好ましいとは思っていません。
チケットノルマなんて、特捜部が動いているどっかの国のアノ話とソックリですね。正直そんなノルマなんてプロではあり得ないと思っていました。聴衆と出演者が対等な関係を築く...こういう芸術の話で無理矢理そういう政治に結び付けるのもどうかとは思うのですが、相似性を感じます。プロと言うなら営業やマーケティングのプロが必要なのでは?今の日本の芸能界の一連の不祥事にも通じる共通の不健全さをも感じ、残念です。キックバックは…なさそうですね。
日本、特に名古屋市内については少し事情を知っております。演奏会場側に立って考えてみるのは如何でしょうか?
少し棘がある質問ですが、ちょっと面白い質問だったの回答しておきます。今はどこのホールも運営に苦労していますが、その根本的な原因のほとんどは、将来の使い道も考えずにホールを作りすぎた「箱物行政」にあります。場合によっては最初からいつか破綻する事が明らかだった所もあるでしょう。もしホールが運営に苦労しているのであれば、まずは当時の政治家に責任を追及したり行政に改善を求めるように働きかけるのが第1かと思います。それに対して行政側が責任を取ることができなかったり、対処法を示せないのであれば、場合によっては「閉鎖」を視野に入れた議論も必要かと思います。まずは一度、きちんとした目的に則って建てられたのかどうか、無理がない運営が可能かどうかをしっかりと検証して清算する必要があるでしょう。その順番を無視して、現状のままただホールを存続させるためだけに、演奏家にチケットノルマを課すというような事があってはならないと考えます。
はろー! これは啓発なのでしょうか! ただ 芸術とパトロンはつきもの・特にクラシックは 自由意思で選択する人はごくわずかで・興行としては成り立たないのかと 宝塚のシステムが悪いのか良いのかは分かりません ただ 理想と現実が程遠いのにメマイがします 魅力ある舞台に努めるのが最善なのかと
大きなホールを満席にしました、というプロフィールを出せば箔がつくという風潮もどうにかしないといけませんね。カーネギーホールでやりました、とかも宣伝文句にしている人がいますし。
国から資金が投入されないし太い資金援助もないからですね…特に景気悪いと最初にカットされるのが芸術分野ですし…クラシックは日本文化じゃないってのも資金集まらない原因でもありますね。😂
一枚5,000円のチケット10枚ノルマがありました。2人で出演したので、1人5枚でした。50000円はきつかったです。メサイアの合唱で出演でした。
アマチュアは別として、収容人数1000人のホールで集客が50人と分かっているコンサートの主催者となる人がいるのでしょうか。しかも、出演音楽家は好きな人だけが来てくれると満足しているのです。
そういう人には100人のホールが適切な大きさという事ですね。あとは自分を磨くしかありません。一方主催者は名前だけに頼らずプログラム内容でもお客を集める方法を考えないといけません。
チケットノルマという言葉は知りませんでした。お話を伺って、どうして演奏家の方から直接ご案内頂けたりするのかが分かりました。こちらからは、ぜひ聴きたいので聴きにいくだけなのですが、逆に感謝されているというのが何とも微妙な感じです。しかし、クラシック音楽は、興業としては成り立っていないな、というのが正直なところです。ひとつは優秀な音楽家の供給過剰なのが理由だと思います。東京に住んでいると、毎日どこかで素晴らしい演奏が聴けます。これはいいことなのか悪いことなのか。自分にとってはいいことですが、演奏家にとっては良くないことなのかもしれません。
美術の世界では、企画展なのか? 貸し画廊なのか? と言うことですよね。実際問題、このようなアーティストの卵のような人たちの活動、もしくは利己的な動機によって行われる「それ」に関しては、それはそれで必要なことなのですから「やらせておけば良い」と思います。また、インフラや業界の維持の問題からも、このようなシステムも必要なのですから、「勝手にやらせておけば良い」。、、と思います。
演奏家にも課題があると思います。以前にも仰られた事とは思いますが、演奏(表現)が自分のための演奏(自己満足)なのも一因だと感じております。人様に聞かせる(お代を頂ける:人の人心を揺さぶれる)水準に至らない物が多いとも感じています。
子供の頃、バレエですが、出演者の先生のノルマチケットを結局は生徒達の親に任せて、捌いていました。所属が大きい学校だったので、チケットをさばかないと、発表会の役とかにも影響したと思います。生徒と生徒の親がチケットを買うのは致し方ないですが、それ以上のチケットを割り当てられても。。。今考えると、つまり、生活の為に教えをやっていると、何故か生徒に負担を課している、、、といういびつな形になりました。
自分の聴きたい曲や楽団の演奏会へ行くだけの、気ままなクラシックファンなので、そうかもしれないな〜と残念に思いながらお話しを聴きました。あの時がそうだったかな?と思い出すこともあります。道を極めるのは、何事も難しいものですね。
車田先生&視聴者様今日はコメント一番乗りです(^_^)頷き過ぎて、ちょっと気分が悪くなってきたほどです。私も全部ずーっと経験してきたこと!言いにくいことを言って下さり、感謝しかありませんm(_ _)mやはり日本にいる状態で渦中の当事者が事の本質に冷静に気付き解決作まで持って行くのは至難の業なのだなと痛感しました。ありがとうございますm(_ _)mm(_ _)m今日の御投稿も神回です。続きをお聞きしたくて最後のあたりは身を乗り出してしまいました。ご自身のお立場からしても、勇気のいるお話だったと推察いたします。次回の御投稿は年明けでしょうか?心待ちに致しております。車田先生そして視聴者の皆様どうぞ良いお年をお迎え下さい(*^_^*)現役高校音楽教師ピアニストマユミージュことMayumi
チケットノルマの文化は日本だけなんでしょうか?海外では全くない文化なのでしょうか?演歌歌手の事務所が絶対にノルマしない、値引きしないというのを聞いたことがありますがそれは演者の価値を事務所が絶対下げてはいけないためだということでした。ただ今回のお話の中で興味をもったのは別のところで、その演奏会がその土地にとって必要なものかどうかという言葉がとても響きました。過去にいくつかの公演を企画しましたが、ほとんどは発表したいという自分の思いだけでした。唯一学生時代にオペラを上演したしたときは、作曲学科の学生はこんなことができるんだぞ勇気を持て学生たちよという思いをもってつくった気がします。話題の③。ぜひ聞きたいです。あと、車田さんの故郷公演のくだり。宮本武蔵の「これ烏の値にあらず。多年の苦学の値なり」にやはり通じますね。最後にソーセージおいしそうです。ドイツではお肉屋さんだとその量はおいくらくらいで買えるのですか。
プロにもノルマがあるんですねびっくり😮演奏会が多すぎるのでは?
本当に考えさせられる良い動画でした。チケットノルマなんて 給与や残業手当未払いのブラック企業みたいで、現代の日本社会を反映していますよね。😢
チケットノルマのシステムを打破しない限り、そのような現状は半永久的に続くんでしょうかねえ。この動画を観て、せっかく音楽を目指そうとする志のある人たちからすれば、絶望でしかないですよねえ。率直に言えば、主催者側の意識を変える必要があるのでは?とも思うが、そう簡単じゃないのかなあ。
思い出話の下り、習慣なんだか気質なんだかよくわからないが、妙な関係ですね。どこかで聞いた話の「上か下か」の意識構造なんですかねー。ビジネス面での評価が芸術性の評価になってるってこと?チケット代が適正評価になるとよいですね。
宣伝も大切ですよね。知られないと、聴きに来てもらえません。会場費、チラシやプログラムなどの費用も安くはありません。ツテやコネを作るのに練習時間を削られる上に、資金集めも大変です。練習熱心で貧乏だと、小さな演奏会も出来ないですね。
日本のバレエ界では、プロのバレリーナ(自称)という人たちが、彼らの教えている生徒たちに自分の出る舞台のチケット買わせてますよ。それで、たくさん買った生徒が発表会で良い役をもらう。私は日本のバレエを見に行く気になりません。
コンサート運営の主催者側の問題もさる事ながら、音楽的な事しか教えないで、そういった社会的な現実を教えないで(コロナの時に、この国の社会が音楽家をどういう扱いをしたか、露呈しましたが)無作為に毎年卒業生を輩出する「音大も音大」だし、なるようになってこの実態が出来上がったと思ってます。
昔は音楽というのは一般大衆の為のものではなく、一定のクラスの人の為だったことを考えれば、現代誰でも音楽を楽しめるのは素晴らしい事だと思う。力のあるパトロンが支えてくれないのであれば、チケット制が普及するのは自然なことではないか。演奏会を経済的に支える術を考えていくのはいつの時代もあったことだと思う。と同時に時代が進むにつれて、良い方に進んでいると信じたいし、進んでいると思う。
この問題ね~…さすがにギャラの未払いは経験ありませんが、実態は本当にひどい話で、在京オーケストラだと事務局が頑張ったり、演奏者が演奏に集中できる環境が整えられてるんだけど、地方の弱小楽団だとそうもいかず…完全に演奏者が聴衆や、地元の有力者(医者や弁護士等)に媚びへつらって、チケットを売る構図が出来上がってますよね。特に地方だと、「コンサートの成功は満員になるかどうかで音楽的内容は関係ない」その傾向が強いです…「あなたが出演するコンサートなんだからチケットを売って当然だ」「売れない音楽家の方が悪い」と言われてしまったら、それまでなのかもしれませんがしかし、そうでもしないと運営できない楽団なんて潰れたらいいし、そんなコンサートも主催しなければいいと思います。一番嫌いなのは、同業者に対してチケットを売りつける行為です。
これは…クラッシックに限らずの話ですね。いちいちごもっとも。次の動画やじ 即視聴!
チケットノルマ…そんなんなら、路上演奏の方が、まだ良いんじゃないかな…。私、付き合いで演奏会に、行った事ないし、納得のいかないコンサートに、行った事がないです。🤧
お金とお客を集める裏方の苦労を知る事は大事かと思います。それがないと演奏の質を高める努力もしないで待遇が悪いとか運営側に文句を言う演奏家も増えるでしょう。フィードバック効果として機能するのであれば、ある程度のチケットノルマもプラスに働くかと考えるのですが。
CDやスマホでいとも簡単に音楽を聴ける時代において、楽譜を実際に音として再現することの価値はだいぶ下がっているように思います。もちろん現地で生の演奏を聴くことでしか得られない感動があるのは間違いないですが、演奏者と聴衆が対等な関係を築くためのハードルもかなり高いのでしょうね。
最近になってクラシックに興味を持ち始めたので、チケットノルマの存在を知りませんでした。驚きました。
しかし、一方で「やはりここでもか」という感じもありました。
私は、元地方公務員ですが、行政主催の無料イベントでも、関係者として何度もノルマを課されました。
上層部は、会場が埋まれば、ホクホク顔で知事に報告に行き、頭をナデナデしてもらいます。
埋まらなければ、くら~い顔で知事に叱られに行きます。
しかし、私は、会場の埋まり具合は、あまり気にしていませんでした😅
来場者が嬉しそうな顔で会場から出てきたり、「また、こういうことをやってよ。」などと声をかけてくれることに喜びを覚え、公務員としてやりがいを感じていました。
チケットノルマが、音楽家の方々のやりがいを搾取し、良き聴衆の育成を阻害しているとするならば、それは、大変に残念なことだと思います。
こういう闇に踏み込んで頂き、有難うございます。
純粋に表現者の情熱に触れたいだけの観客です。まったくもってそのとおり!クラシックだけじゃないです。バレエ、ミュージカル、演劇、美術……いえもう小さな画廊の個展から大ホールでの少し名のある表現者の公演まで、いつもどこも「隣んちの子の発表会」みたいな雰囲気なんです。あれほんと嫌な気持ちになります。なるほど、対等じゃないからなんですね。芸術は魂でコミュニケートしてこそ対等なんですね。鑑賞者として自信がわきました!ありがとうございました。
動画、ありがとうございます。
いろいろ考えさせられました。
チケットを、何度も「買わさせられた」ことがあります。
昨年、お付き合いで購入したオペラのチケットですが、客席数より多くのチケットが配られていました。
出演者が多い公演でした。
席が足りずに、立って観ないといけない人がたくさんいました。
主催者は「立ち見が出るほどの満席」と喜んでいましたが、客席数より多くのチケットを配ったことで、立ち見が出ました。
お客さんは、長時間の立ち見で、疲れ果てていました。
こういうことをしてると、オペラを観る人が減ってしまうと感じました。
その公演の出演者のギャラは、チケットの売り上げの1割と聞きました。
出演者は、ほぼノーギャラ、赤字だと思います。
チケットノルマを課さないと成り立たない公演に出演する意味は、何なのかと、虚しくなります。
チケット販売に一生懸命になって、練習に集中できないという状態です。
お客さんという立場で観に行くのも、辛いんです。
ノルマを課さないといけない公演や、そういう公演に出演することの価値が分かりません。
次の動画も楽しみにしています。
会場のホールによっては立ち見が出るのはNGだったりするので、立ち見が出ると喜ぶどころか真っ青になっちゃう場合があったりします笑
大学時代にピアノを専攻していました。卒業時に誰もが出演したい、某大手企業の演奏会。ノルマ、ありましたよ〜😭
希望とこれからの夢を胸に抱いていた22歳には現実を見せつけられましたね。
「ホールが満員だったかどうかとコンサートの成功は関係ない」
うわっ!うわうわうわ!!!
わたしも同じこと思ってましたが、音楽仲間には理解されませんでした😂
他にも全部書くとキリがないくらい考えることがたくさんある、良い動画でした!
私は聴衆側の人間ですが、純粋に興味を持って出かけたコンサートが出演者の身内ばかりで「場違い」と感じてしまったことがあります。部外者が来てはいけなかったんだ、それを知らなかった自分は恥ずかしい、って思ってしまい、クラシックは知り合いのいないコンサートにノコノコ出かけたりするもんじゃないんだと今の今まで思ってました。あのとき良質な体験ができていたらもっと足繁くクラシックのコンサートにも通っていたかもなあと思います。
私も全く同じ体験をしています!
私も「好き」な演目だからと足を運んで疎外感を味わったことがあります。シューベルトの回をもう一度見ました。シューベルトが弾くピアノの周りを囲んでみんな演奏を楽しんでいる絵がありましたね。大きなホールを満席にするより、あの絵のように楽しみたいと思いました。そこで力をつけてだんだん大きいホールで演奏するようになればいいですね。
車田先生のお話を聞くと、いつも考えさせられます。自分は本当に音楽が好きなのかな…とも思ってしまいました。
付き合いでチケットを買ったことはありますが、聴いて感動したかというとそれはないです。プロの演奏を聴いても、上手だな、とは思うことはありますが、感動レベルだったのは、ゼロではないですが、数も多くはない。自分の芸術のアンテナが壊れているのか、もしくは最高の演奏が音源としてですが、転がっている世の中だから聴きなれてしまっているから、なのかもしれません。
私が演奏するのはコンクールや発表だけで、チケットを買ってもらったことはありません。人の心に響くような演奏をしたい、というよりは自己満足か演奏を評価されたい、そんな思いで演奏をしている気がします。こんな自分が、ノルマであってもお金を払って聴いてもらうなんて、おこがましいです。音楽が好き、ではなくて、演奏をしている自分やその能力が好き、になっている気がして…心の底から恥ずかしい思いです。先生の動画を通じて、芸術とは何かを考えるようになり、表現が変わりました。単なる演奏技術者ではなく、本当の意味で音楽のスタートを切れた気がします。ありがとうございます。
自分と同じようなアマチュア音楽家は多い気がします。先生が良くテーマで上げている聴衆が育たない理由の一端だと思います。でも自分を含め、そういった方たちが真に芸術として音楽を好きになれば、ノルマを設定しなくてもチケットが今よりは売れる世の中になるのではないでしょうか。アマチュア演奏家として、私の体験ですが、技術は学んでいても芸術というものを学んでいません。芸術として音楽をどう聴くのがいいのかを学ぶきっかけがあれば、芸術としての音楽を好きになる人は多いと思います。先生の動画での活動はその一つで、とても意味のあるものと感じています。これからも興味深いお話、よろしくお願いします。
チケットノルマは、日本の芸能界などでも同じですね。
日本の社会の縮図のようなお話でよかったです。
半世紀前に仲間で議論したことがある内容でしたので、よくぞ公に問題提起をして下さったという思いで拝聴しました。当時でも切符の押し売りは珍しくなく、同窓会のようなコンサートが沢山ありました。こんな悪習を続ければ、切符は完売したけれど、聴衆ゼロのコンサートになることもあるかも・・・と心配したものです。先生の演奏者と聴衆は対等でなければというご意見に賛同します。当時は今のようにコンパクトなホールが沢山ありませんでしたので、力量がともなわないうちは無料にすればという意見もでました。ただクラシック音楽は静寂な環境が演奏奏者にも聴衆にも必要なので、最低限のコンサートマナーを知っている人でないとコンサートが台無しになってしまうという、切符の問題だけでないクラシックのコンサートの難しい面で議論が行き詰まったことを思い出しました。次回を楽しみにさせていただきます。
大変貴重なお話をありがとうございます。
昔から不思議に思っていたことや違和感が腑に落ちました。
次回も期待しています。
車田先生、こんな話題を取り上げて頂いて 本当にありがとうございます🙇🙇🙇
こんなお話に触れられるプロの方がいらっしゃるなんて、逆にビックリしました。
お話は始めから最後まで、いつも感じていたことでした。
特にアマの世界においての指導者に考えて欲しいです。
①コンサート回数増やせばコンサート指導料をとれて稼げる
②とにかくどんな人でも団員で入ってもらえば団費が増えて自分の収入が増える
③演奏の質が劣っても古株さんはお客を集客できるから頭下げる
…演奏の質が下がるこんなことがいつも透けて見えてた。
世の中に発表するなら質にはこだわってくれないと、年齢層の高い人々の中ではそういうのが当たり前でも、特に若い層では段々演奏に関わるのも気が引けてくるし、お客にも成り得なくなると思う。昭和のやり方。
教室の発表会とかは別。楽しくやれれば良い。
質に拘らないなら、格好つけて「演奏会」とすべきでない。発表会とすべき。チケットでなく、整理券。
アマチュア声楽愛好家です。(プロアマが所属している音楽団体に所属。合唱暦もあり)
私は会社員ですけど、身近に音楽に興味がある人がいないのでノルマは捌けないんですよね。ただ、両親にタダで譲ってあげたこともあったけど2回目は来てくれない。つまり、それだけの価値なのかなと思います。(特に合唱。知らない曲が2時間続き、舞台の様子も変わらないので特にしんどかったようです。レベルもプロじゃないですし。)
私の団体は、ノルマが捌けないと詰められるということはなかったんですが、元々来る気がない人にチケットを強要するのは、かえって音楽の発展の妨げになるのではと感じています。
私と同じ経験を他の団員もしているのかは分かりませんが、演奏者からしても魅力的な演奏会に映らないのか、演奏会の出演枠が埋まらないことも出てきて出演料を払えば誰でも出演できるようになり、ますますレベルが下がるという悪循環に陥っています。
(変な例で言えば、声楽の伴奏が有名なプロなのに、独奏がアマチュアとか。観客からは、伴奏のプロの独奏が聴きたいと言われますが、本人は出演料(ノルマ)が掛かるから受けないと言っておられるそうです。伴奏の場合は、歌手から謝礼が出るし、出演料は歌手負担。)
ただ、ノルマを渡させるくらいだったらまだマシかなあと。運営側に回されると、多くの事務仕事が降ってきます。週末の役員会、プライベートを削っての事務作業、会社員と育児をしている身としては大変厳しい。そして、肝心の歌まで手が回らなくなる。
正直、発表会に近いことしかしていないのに、背伸びをするのが問題だと思っています。演奏者も観客もwinwinになるような実力に合った地に足つけた活動が望まれます。
因みに本業が忙しく、演奏どころではないため団体はやめようかと思いますが、辞めさせてもらえません。多分、団体の会費収入と事務要員を確保したいんでしょうが、その点などの人間関係などのストレスにも悩んでいます。
海外のアマ活動にも興味がありますね。
いつも楽しくお話を聞かせていただいています。私は作曲家ですが、私が団体会員で企画に関わる場合は、その演奏会のためにチケットと引き換えに出品料を支払います。その他私の曲が演奏されるコンサートにおいてもその殆どが演奏者にチケットノルマが課せられています。
私も以前から車田さんと同じことを考えていましたが、チケットノルマが存在しなくなれば、今行われている半分以上の演奏会がなくなり、作曲家、演奏家はコンサートのために作曲、演奏をすることに価値が殆どないことに気づくことになります。しかし、それで良いのでは。と思っていました。つまり自分が赤字になるコンサートには関わらないということ。これは音楽をやめることに近づきます。義理でコンサートに行くこと、赤字のコンサートに関わることについて真剣に考えるきっかけをいただきありがとうございました。次回も楽しみにしています。長文失礼いたしました。
車田先生
今日もありがとうございました。
先生のメッセージにただただ深く共感致しました。
うなずくばかりでした。
次回も楽しみにしています。
田舎に住むフルート奏者です。😊いつもためになるお話しありがとうございます!
私の住んでいる町は国際的に有名なスキーリゾートで、スポーツに関しては意欲的でお金をかける風潮がありますが、芸術に関しては町民の意識はほとんど全くと言って良いほど育っていません。
町主催のコンサートや芸術の演目に来る観客の質はとても低く、子ども達や大人の演奏中のおしゃべりなどが酷くて、とても恥ずかしい気持ちになります。
お金を出して、自発的に良い芸術を楽しむ、鑑賞するという風土を作りたいのですが、とても大きな仕事だなと思います。
私はアマチュアの演奏家で、娘はプロオケの奏者です。
聴衆と演奏者の関係に対する考察は、いろいろ考えさせられました。
まずは私、この度の能登半島地震のチャリティーコンサート出演の声がかかり、何か尽力したくて協力の申し出をしましたが、チケットノルマがあり、しかもプロの伴奏者にギャラを払うことになっていて、何かおかしいと思って、結局出演を断りました。
次に娘、地元でふるさと大使に任命された事もあり、昨年地元の1,000人ほど収容のホールでコンサートしました。
クラシックの潜在的ファンを増やしたいとか、純粋に集客したいとの娘の思いを汲んで、地元のアマオケ、合唱団、吹奏楽団と共演するコンサートをしました。
集客はそれなりで、次の公演(所属するオケのソリストとしてコンチェルト)のオファーもありましたが、当日まで主催者から言われる入込み数に悩まされました。
もちろん、アマとの演奏は娘にとってクラシックの敷居を下げる意味はあったものの、楽しいものではなかったようです。
ノルマはなかったものの、PRのために地元の学校の吹奏楽部を訪問して指導もしていました。
田舎では聴衆が育っていないため、理想論だけで上質なコンサートはできません。例えば、20人入れるサロンに5人の良い聴衆が来てくれても、演奏した音楽家の再生産(次のコンサート開催に必要なお金とエネルギーの確保)には繋がりません。ツテで集客するアマのコンサートの方がマシくらいです。
車田さんのご主張はごもっともですが、今の日本では成熟した聴衆を育てる事がプロの音楽家に求められているのではないでしょうか?
車田先生、新年よろしくお願いします。ありがとうございます。今日は、1月2日です。
チケットノルマがあることで演奏者、主催者、聴衆が対等ではなく上下関係が生まれ、日本の音楽社会が崩れていくことがわかりました。音楽業界の裏話を聞けたようで、興味深いお話、ありがとうございます。
高校の吹奏楽部の演奏会等で、人付き合いで聴きに来ているような聴衆を多く見かけます。
中には私みたいに音楽が好きで純粋な気持ちで聴きに来ているもいるかもしれません。少数派だと感じます。
昨日(元日)、北陸地方を中心に大きな地震がおきました。石川県が故郷の演奏家もいます。
人の心に音楽がとてもとても必要なのだなぁと私はあらためて思いました。
アマチュアのオーケストラ団体などの演奏会、有料化のアンケートに参加しました。次回の動画、楽しみにしています。
まとまりないコメントになりました。すみません。
2023年も楽しく、ためになる、視野の広がる(感謝の言葉が足りません💦)動画をありがとうございました😃!
続編を楽しみにしております。
どうぞ花火と共に良いお年をお迎えくださいませ❗️
私はそばの後に、大好きなコーヒーと、バタークリームケーキで年越しです。
ありがとうございます😊
とても心に響くお話でした。
実際、私は大学時代に管弦楽団でチケットノルマに直面していました。
低学年の時には配られたチケットを配れるだけ配ろう、としか思っていませんでした。
しかし、最高学年になり演奏会を営業という立場で運営することになった際、本当に辛かったです。
先輩たちが会場を1000人埋めてきたのだから私たちも、というふうに。
そして、指導をお願いしていた指揮者からも1000人以上席を埋めることができなければ次年度の指導と指揮は見送る、と半ば脅迫されていました。
車田先生のおかげで自分が感じていたチケットノルマ異常さだけで無くコンサートを開く意義を改めて認識させていただきました。
本当にありがとうございます。
車田さん、有難う御座います。たまたま、カルーソの解説を聴かせていただいたのが始まりで、このチャンネルを拝見しています。今日のお話も全く同感です。70過ぎた老人ですが、車田さんの優しい語り口のお話を聞いているうちにTH-cam で音楽を聴くことが一層楽しくなってきました。
チケットノルマ問題、考えさせられる内容でした。
とてもわかりやすく説明してくださり、ありがとうございます!
コンサートの成功不成功はお客さんの数で判断するものではないですね。
その通りだと思いました!
3つめの動画早くみたいです!待ちきれない!
私は長年アマチュアバンドをやっていてチケットノルマは当たり前と思っていましたが、クラシックのプロの演奏会でもノルマがあるとは知りませんでした。車田さんご指摘のとおり、プロの演奏家と聴衆との間に「聴いてあげる」という非対等な関係ができるのは健全ではなく、そうした関係は長続きしないと思います。何らかの改善の方向に進むことを願っています。
現在アラフィフで趣味でバイオリンを習っている者です。私の教室では生徒さんの発表会はないようなのですが
、もしそういうのがあったりすると、自分の拙い演奏を聴きにきてもらうために、友人知人や親戚にチケットを買ってもらったりしないといけないのか…と思うと苦痛になると思います。自分の演奏は他人さまのお金を貰うどころかお金を渡してお願いして聴いて貰う程度のレベルだと思うので😅
追伸∶ドイツ🇩🇪の食文化のお話もいつも興味深く拝聴しています🍴
来年も動画楽しみにしています😊
音楽を通して、社会の問題に鋭く切り込む車田先生の、見識の広さ、経験値の高さに、いつも感動します。
ソーセージ、日本では見かけないほど長いですね。さすが、本場。🌭
たしかに、私もこんなに長いソーセージは、日本では見かけませんね😃
@@dunsford3291 様。コメ、有難うございます。
「アマチュアコンサートの有料化」 について、車田先生の見解を是非伺いたいです。
楽しみにしています😊
学生時代のオーケストラや吹奏楽、その後のクラブDJとしての活動でもチケットノルマには随分と悩まされました。
また、自分も「ホールを満員にすることが成功」という刷り込みに完全に染まりきっていたので目から鱗でした。
ちなみにドイツの事情はどうなのでしょうか?その辺も知りたく思います。
車田先生のお話、全て納得できます。
本当に狭い社会で、納得できない事が音楽界は多すぎると思います。
私自身演奏会を開かせて貰った時、チケットを持って頭を下げて挨拶回りしました。それを高校生のうちからやるのははっきりいって異常だと思います。確かに演奏する立場が傲慢になってはいけないとは思います。でもこれではお金に余裕がある人しか音楽が出来ないし、昔よく聞いたのが日本では親がお金持ちか音楽家でないとその子が音楽家になれないという話があり、その通りになってしまっていると思います。
先生方も自分達が通ってきた道だからといって、生徒達にやらせるのはよく考えてからにして欲しいと思います。私自身音楽以外の職業に就いていますが、音楽界は本当におかしげと思ってレッスンを受ける事などでも少し距離を取っています。
勇気あるお話ありがとうございました。こういった風習に違和感を感じていたのは私だけではなかったのだと思いホッとしました。
知人の知人(私は面識ない人)の演奏会に行くことがありますが、確かに疎外感を感じることが多いです。興味半分、付き合い半分という感じで行きますが、またこの楽団の演奏会に行きたいと思うことは、ほとんどないですね。
いつも論理的でわかりやすい説明ありがとうございます
僕は聴衆なのですが
チケットノルマについては出演者の負担になるので無くなればいいなぁと思っていました。確かに出演者と聴衆の対等な関係性という面でも悪影響ですね😅
車田さんの説明はわかりやすいだけでなく、声のお仕事をされているだけあってしゃべり方もすごく聞きやすいです。😊
車田先生、いつも貴重なご意見拝聴しております。
私は70代と高齢で地域活動から遠のいていますが50代では生協の活動の中で「親子でクラシックコンサート」を主催していました。チケットもパンフも生協の印刷機で手作りして月1で新聞発行してチラシに折り込んでもらっていました。会場はピアノのある喫茶店貸し切りなどで50人、私達はボランティアで2000円のチケットですから10万売上で採算が取れました。
演劇ではもっと顕著では。
買ったから買ってのループ。
お金が外から入らずに、みんな貧乏。
やりがいだけの世界。
自身の承認欲求を満たすような「演奏会の回数や、どれだけ集客できたか、またはフォロワー数など」に重点を置いて音楽活動しているセミプロ(アマチュア)がたくさんいます。そして安いコンサートをします。
お客さん側も「中身」よりもそういった観点で価値を測って、演奏者をアイドルやタレントのように見てる人も多く、最終的には『演奏自体より、たくさん集客できる人が偉い』という風潮になってしまう事がよく見られ、悩ましくなる時が多々あります…
私は以前、アマチュア合唱団に所属していました。
もちろん定期演奏会は有料で、チケットノルマもありました。
チケットは団員が売る以外にも、コンサート会場のインフォメーションや合唱祭でお世話になっているホール、公民館等の受付でも販売していただいていましたが、やはり最重要なのは私たち団員が捌くチケットなのです。
コンサートホール等のチケットは購入者がいるか否か、不確かなものです。
アマチュアとはいえ、活動費・諸経費がかかるので、団員が確実に捌く(捌けなければ自腹を切るので団は損をしない)ことが必要不可欠かのように思わされていました。
チケットをどこで購入しようと、うちの団の演奏を楽しみにしてご購入くださるなら嬉しいことです。
ですが、チケットノルマのせいで、会場はいつも団員の家族や友人、職場の人等代わり映えしない顔ぶれに、悪い意味でアットホームな雰囲気は、やっぱりおかしいと思います。
チケットノルマは、人脈がある人ほど多く捌けるのは当たり前、『捌けないって言う人の分まで捌いてやってんだ』と酷いマウントを取る団員までいて、団員同士すら対等ではありませんでした。
恐らくですが、アマチュアの世界では、チケットノルマは演奏会の必要経費を捻出するためだけのものになっているのではないでしょうか。
だから団員に確実に捌かせる、多く捌く団員ほど偉い、演奏者とお客様の対等性の前に団員が対等でなくなる悪習だと私は感じました。
プロの世界でもいかに客席を埋めるか躍起になることは多いです。そのために招待券をばら撒くこともあります。お客様も、スカスカの演奏会だとどうしても音楽の質を悪く感じて満足できない方が多くいらっしゃるように感じます。純粋にその日の音楽の良し悪しを耳だけで判断できる方は本当に限られており、多くの聴衆は、肩書きや周りの雰囲気などに流されていると思います。聴衆の教育は演奏家にとって不可欠であり、そこを意識してプログラムを構築しているオーケストラなどは海外では見受けられますが、日本には皆無ではないかとおもいます。
全く考えた事も無かった事柄で、まさに、目から鱗でした😮。
私も学生時代音楽部でしたが、チケットノルマは貧乏学生には痛かったですね。
車田先生の仰ることはおおむね同意ですが、コンサートを開くのには少なからずお金が必要なのも
事実です。つまり誰かが負担する必要があります。主催者に責任があるとのことですが、
そうすると利益を無視する訳にはいかない主催者は売れている演奏家にしかオファーしなくなるでしょう。
またPOPSでも数小節で聞き手を掴まなければ聞いてもらえないという時代に、1曲1,2時間もかかる
クラシックはなかなか受け入れてもらえないでしょう。
私は田舎に住んでいますが、金にならない田舎にクラシックの演奏家がなかなか来てくれず、
なかなか生演奏を聞けず、寂しい限りです。
マイナーな楽器のアマチュア合奏団をやっていたころ、やはりチケットノルマを課せられました。知名度が無いから頑張って売らないといけないと自分に言い聞かせていました。
友人たちはあくまで興味がある体でチケットを買ってくれましたが、
反応を見れば本心かどうかすぐに察しがつきます。しかし売れないのはもっと困るので葛藤しつつお金を受け取りました。
たくさん捌いたメンバーは褒められますが、大抵は歴が長い人、先生をやっている人ばかりで、ツテの無い若手は肩身が狭い思いをしていました。定期コンサートを開く年末はいつも憂鬱で、早く解放されたいと思っていました。
入団当初は趣味として楽しめていたはずが、段々と仕事のような緊張、息苦しさを感じて音楽を楽しめなくなり数年で辞めました。
身内ばかりのコンサートに行ってしまったときの疎外感も経験したことがあります。全く知らない奏者でもプログラムや会場に惹かれるものがあればチケットを買いますし、当日の演奏をじっくり楽しみます。それでも休憩時間や閉演後の雰囲気で身内ばかりだと分かると一気にしらけてしまいます。
演奏自体に満足できればそれで十分なはずなのですが、他人同士とはいえ、周りの人にはその感覚が共有できないんだと思うと少しばかり寂しくなります。
3つ目の話、すごく興味があります。
チケットノルマってドラマの世界だと思っていました、現実にあるんですね。昔、能のチケットを買わされたことがあり、それは会社の元社員が能役者になったらしく、私の同期入社の社員からの薦めで買ったものでした。もしかしてチケットノルマ?
しかし、そのお陰で能を知ることが出来てよかったと思っています。私の様な聴衆にとっては、それがチケットノルマで売られたものであろうとなかろうと、あまり関係ないのかなと思います、自分が求めて買ったチケットでも期待外れのコンサートはありますからね。 演奏家や主催者にとっては気が重い話ですね。
自発的にきてくれる人が大事。もちろんわかります。ただ、家族、親戚、友人、先生いがい来ていないかと思われるコンサートを何度もみたことがあります。よく、義理でチケットかってもらった人は、おなじ知人からあとで義理で買わなければならなくなるとかも、よく思います。小さな会場を選べばよい?小さな会場を埋められない人はたくさんいると思います。一生に一度もコンサートができないでおわりたくない、という理由でやっているのかもしれません。
何人かの先生に師事しましたが、先生によっても様々でした。
初めからチケット数枚を渡してこられる先生もいたし、チラシのみくださって
「もしよかったら来てね」という感じの先生も。
自分が演奏会に出るようになってからはやはりノルマはあり、今回のアンケートにも
そのように回答しました。そういう世界なんだ、人前で演奏する機会をお金で買うと
割り切るしかないと思ったように記憶しています。
今回も、本質を知ることができました。ガッテン、、納得しました!有難うございました!
素晴らしい内容。この話題を遡れば、バッハやモーツァルトですら、教会や貴族の為に作曲していた歴史に遡る事になる。カツラを脱ぎ捨てたベートーヴェンは権力(資本)に屈しない姿勢を見せたが…。聴衆を魅力し、クラシック界も自らの意思でコンサートに行きたいと言う人々の分母が増えて行くと良いですね。
これはクラシックのコンサートに限らずある話ですね
芸能界関係の仕事をしている人からよくタダのチケットを貰ったことがあります。
理由は「ホールの空席を埋めるため」だそうです。
主催者サイドとして、たくさんの空席のあるコンサート🟰失敗ということなんだと思います。
紅白でトリを務めるようなアーティストでさえ、そういう事があるんですよね。
チャンネル登録者数が多いチャンネルがいい!チャンネル登録者数が欲しい!と思ってしまうように、これは日本人の根底にある精神です。音楽に関わる人みんなが活動しやすくなるといいですね!!
私は…日本の音楽教育の問題が原因ではないかと思います。小学校や中学校の音楽の時間に…クラシックの名曲を聴く機会をもっと増やすべきと思います。小さいうちから週に一度名曲を鑑賞し、名演奏から感動と力を貰い、世界の巨匠、日本人演奏家の活躍をもっと知ることが出来れば…クラシック音楽を心から愛する層が増えて行くと思います🤗。車田さん動画も素晴らしいです🤗。クラシック音楽が好きになります。
正論だが、解決はむずかしそう。
補足
郵便局員には年賀はがきのノルマがある。本の著者は自分の本を何冊も買う。法律論としては一発「そんな義務はない」で終わりなのだが・・・
なるほどですね。日本も昔は、外国の有名な演奏家であれば、高額でもすぐチケットが売り切れますね。現在は大分改善されているみたいですが、ソールドアウトになれば、それで良いということではないですね。ライブというのは、演奏家と聴衆がいてはじめて成り立つものですね。私もレコードで聴いて、いい演奏だなぁと思った時に、いつか、この演奏家のコンサートが開催されれば、行ってみたいなぁと思いますね。これは、聴衆の意見であって、演奏家の方は、ライブのチケットが売れてくれなければ、困りますね。なかなか難しい問題であると思います。ホットドッグ、美味しそうですね。ソーセージ、いかにも、ウイーンですね。
音楽だけでなく、演劇、バレエ、その他個展にもチケットノルマがあるところにはありますね。
外国のことは知りませんが、日本は芸術家に対してあまりお金を出さないので、チケットノルマがかされたり、
音大を卒業しても音楽だけでは食べて行かれない問題に繋がるのではないでしょうか。
素敵なクラシック音楽が広まらないのは、文化として根付く前に、ビジネスが先行してしまった結果かもしれないんですね。
クラシックコンサートを見に行ったとき、すでに出来上がったコミュニティの雰囲気に疎外感を感じたことが合ったのですが、この動画で言語化されていて、大変納得がいきました。
芸術家も企画者も、売上を作る為にビジネスに結びつけないといけない苦労があると思いますが、素直に芸術と触れる場がたくさんあれば、ファンもおのずと増えていくではと思いました。
音楽のジャンルは問わず、全てのコンサートは興行です。クラシック音楽と言えども例外ではありません。
日本の場合、特に戦争後の復興期において、各興行(芝居、歌謡)を行う主催者の多くが反社会的勢力であった、
歴史的な事実がある。(現在においても芸能関係には、企業舎弟のような会社が多い)
その反社会的勢力の慣習として、主催者側がリスクを負わず、立場の弱い者に負担を強いる興行形態が普通となり、
この日本においては、反社会勢力とは関係ない、クラッシク音楽の興行においても常道化してしまった、
歴史的な経緯があるのではないか?
それが現在でもチケットノルマとして、悪しき習慣が連綿と続いているのではないだろうか?
今でも、音楽会は根回しが必要なのですね。演奏家と聴衆の対等関係があってこそ、素晴らしいコンサートになると確信しています。f少しでも将来に向け、音楽会の改善・改革を希望します。いいですね~本場のソーセージ食べたいです。
FMラジオのチャンネルが音楽ジャンル毎に細かく分かれていると、地域でやる演奏会のプロモーションが簡単になるんだけど、日本ではまるでAMラジオのようにおしゃべりばかりしている。米国の様な音楽専門チャンネルになって欲しい。
私がアマチュア合唱団に入りたいなと思っても入らない最大の理由はチケットノルマがあるからです。
団費がかかるのは当然ですが、チケットノルマはどうしても理解できません。
また、身内だけの演奏会のような雰囲気というのもとても共感します。そういう演奏会は良い演奏がぶち壊しになるし、来てよかったなとは思えません。
前以てお伺いに来い、でないと協力できない、って本当にホラーですね。でもそれをちゃんとやって顔を立て、終わったら「お陰様で」とお礼を(いうのではなく)しないと次の活動ができない、と自信がない人は思ってしまう。自信が持てないなら、するな、なんていわないで?
10年以上も前のことです。ワグナーのオペラをやっとの思いで手に入れて見に行きました。熱心なワグナーファンが集っているのだろうなとワクワクして会場に向かいました。
ある歌手(脇役)が登場すると、「あの右から2番目が〇〇ちゃんよ」と親族らしき人が囁いています。学芸会状態です。
次の歌手が登場すると「〇〇先生が登場しましたね」とお弟子さんの一群が囁きあってます。
音楽を鑑賞するって姿勢が全く感じられません。。
苦労してチケットを手に入れたのに、なんじゃこれは?
観客と演奏者の緊張関係が全くなくて、八百長の試合を見ているような気分。
お弟子さんが先生の演奏を批判できませんからね。
これ以来、オペラから足が遠のきました。
私は趣味で楽器をやっているだけの立場のものです。
職業としては企業向けのソフトウェアの販売に関わっています。
この世界でも、本来は「きちんと製品の価値をご説明し、理解いただいた上で対価をお支払いいただく」というのが大前提ではありますが、個人別や組織別の売上ノルマがある事で、「お願いして買っていただく」、「価格をギリギリまで下げて買っていただく」というシーンが散見されます。特に前者のパターンでご購入いただいたお客様の一部には「買ってやった」という意識がどうしても生じてしまいます。この意識は、例え無自覚だったとしても、その後の売り手と買い手の関係性を損ねてしまう原因の一つになると思い当たりました。
これまで、何年も何十年も感じていた違和感の理由が、本動画の要点と重なる部分も多いと感じております。
ザルツブルクの「ボスナ」美味しいです!
生玉ねぎのみじん切りにカレー粉とスパイス、焼きソーセージ🤤
よくわかるお話でした。
音楽界がそうだったとは初めて知りました!日本のバレエの世界でも似たような感じです。某バレエ団の主役になるとチケットノルマ➕オーケストラの分まで負担しないといけないと昔聞きました。今はわかりませんが。ニューヨークだと小さなバレエ団でも沢山スポンサーが付いたりしてダンサーにチケットノルマを課すことはないです。
日本人の生活にもっと芸術が浸透してほしいですね
あらゆる人が芸術鑑賞出来る世界が理想です。
未だにそうなんですね・・・40年くらい前にもそんな話を聞いた記憶がありましたが、私はコンサートではなく記録メディア視聴がほとんどだったので気にもしていませんでした。この話は、人間(日本人?)の業のようなものを感じますね。恥ずかしい風習だと思います。車田さんのご活躍にいつも感動しております。
とあるマニアックな楽器の演奏会に行った時、
終演後、その出演者に会って話す列がズラっと
出来ていて異様な空気を感じました。。
誰とも知り合いでない私は、そそくさと
その列をすり抜け会場を出ましたが、
とても気まずかったのと、二度と行かないと思いました。。
『聴衆の疎外感』はよくわかります。私は出身校や地域のお友達の付き合いとは距離を取っていますので冷ややかな目線で観察しています。幾人かの演奏家(と指揮者)のファン(軽薄ですが)なので機会が許す限り聴きに行きます。
8:00 クラシック音楽ではないが、アーティストが会場の客入り状況を見て予定されていた演奏をしなかった、
と言う話しを最近耳にした
仮にキャパ500人の会場に対して20人しか聴衆がいなかったとして
アーティストがどう思ってどう行動するかは自由だと思うが
アーティストにはそこに居る聴衆に音楽を届けて欲しいと思う
会場を埋める事ができなかったとアーティストが思ってしまうのも
2点目に挙げられていることがベースにあるのかもしれない
対外的に成功、失敗がホールを埋めたか、埋めなかったか
それが演奏の正否になって仕舞っている
そういえば、プロ吹奏楽団の演奏会に行ったら、観客の95%は、団員が指導に行っている中高生の吹奏楽部員だったってのがありました…
部員の自由で来ているのではなく、先生も一緒に部員全員できてました。
帰りは団員がロビーに出て、吹奏楽部員と先生が「今後ともよろしくお願いしますっ!」とお辞儀してました…
すごく異様でした。
私はバッハの「ロ短調ミサ」を演奏するために、クラウドファンディングにまで駆り出されたことがあります。それで合唱をやめました。友達を無くします。
本当に深刻で非常に複雑かつ難しい問題かと思います。
日本では演奏家と聴衆の芸術的関係が必ずしも対等では無く、様々な公演での利害関係や忖度が常に付きまとう音楽産業の営利採算主義の悪循環が当たり前のように存在しているのは本当に残念だと思います。クラシック音楽という西洋の完成された高い文化が日本ではいまだに十分理解されず根付いていないのかもしれません。現在の義務的音楽教育から派生した部活動やアマチュア楽団でのチケットノルマ問題は芸術の本質を土返ししている事だけでなく破綻させる要因にもなっている事を反省するべきでしょう。しかも日本では芸術だけでは無くスポーツや様々なジャンルにおいても常に主催者や共催者、関係団体、公共団体、スポンサー、音楽事務所本位の運営や意見が主流なので常に体面や体裁(集客率や有名会場、メインの知名度)が最優先されているので尚更悪質です。また演ずる側も聴衆を品定めしたりするおかしな状況も存在しています。昨今、都内では某有名オーケストラが次々公演を行い法外なチケットも完売した事には驚きました。しかしある記事で報じられていましたが一部空席もあったそうでそこは主催者やスポンサー用の接待席や関係者、記者報道席だったようで一般には開放されず、ホワイエでの空気は音楽とは関係の無い話が飛び交う上級国民の社交場だったそうです。まさに違う意味での風通しの悪いコミュニティがこんな場所にも存在するとは…。
日本の芸術に対する価値観や伝統や因習への拘りは文明開化の時代からなにも変わってないのでしょうか?
ロックバンドやってた時もノルマあったなぁ。対人関係苦手だからめちゃくちゃ嫌だった
チケット問題はアマチュアフォークやアマチュアロックにもあります。難題です。解決策は思いつきません。次の動画に期待します。
3番目のお話を伺った上で書くべきかもしれませんが…。
私は演奏することがない聴衆です。私は基本的にアマチュアの演奏会は何か特別なことがない限り行きません。聴衆が良くないことが多いからです。また某プロオケで、(アマチュア)合唱が入る楽曲の時はほぼ満員になる楽団があります。チケットノルマかどうかは知りませんが、知り合いが出ているから、という動機で来ている人がある割合でいるのは間違いないと思います。これもあまり好ましいとは思っていません。
チケットノルマなんて、特捜部が動いているどっかの国のアノ話とソックリですね。
正直そんなノルマなんてプロではあり得ないと思っていました。
聴衆と出演者が対等な関係を築く...こういう芸術の話で無理矢理そういう政治に結び付けるのもどうかとは思うのですが、相似性を感じます。
プロと言うなら営業やマーケティングのプロが必要なのでは?
今の日本の芸能界の一連の不祥事にも通じる共通の不健全さをも感じ、残念です。
キックバックは…なさそうですね。
日本、特に名古屋市内については少し事情を知っております。
演奏会場側に立って考えてみるのは如何でしょうか?
少し棘がある質問ですが、ちょっと面白い質問だったの回答しておきます。
今はどこのホールも運営に苦労していますが、その根本的な原因のほとんどは、将来の使い道も考えずにホールを作りすぎた「箱物行政」にあります。場合によっては最初からいつか破綻する事が明らかだった所もあるでしょう。
もしホールが運営に苦労しているのであれば、まずは当時の政治家に責任を追及したり行政に改善を求めるように働きかけるのが第1かと思います。それに対して行政側が責任を取ることができなかったり、対処法を示せないのであれば、場合によっては「閉鎖」を視野に入れた議論も必要かと思います。
まずは一度、きちんとした目的に則って建てられたのかどうか、無理がない運営が可能かどうかをしっかりと検証して清算する必要があるでしょう。
その順番を無視して、現状のままただホールを存続させるためだけに、演奏家にチケットノルマを課すというような事があってはならないと考えます。
はろー! これは啓発なのでしょうか! ただ 芸術とパトロンはつきもの・特にクラシックは 自由意思で選択する人はごくわずかで・興行としては成り立たないのかと
宝塚のシステムが悪いのか良いのかは分かりません ただ 理想と現実が程遠いのにメマイがします 魅力ある舞台に努めるのが最善なのかと
大きなホールを満席にしました、というプロフィールを出せば箔がつくという風潮もどうにかしないといけませんね。カーネギーホールでやりました、とかも宣伝文句にしている人がいますし。
国から資金が投入されないし太い資金援助もないからですね…特に景気悪いと最初にカットされるのが芸術分野ですし…
クラシックは日本文化じゃないってのも資金集まらない原因でもありますね。😂
一枚5,000円のチケット10枚ノルマがありました。2人で出演したので、1人5枚でした。50000円はきつかったです。メサイアの合唱で出演でした。
アマチュアは別として、収容人数1000人のホールで集客が50人と分かっているコンサートの主催者となる人がいるのでしょうか。
しかも、出演音楽家は好きな人だけが来てくれると満足しているのです。
そういう人には100人のホールが適切な大きさという事ですね。あとは自分を磨くしかありません。一方主催者は名前だけに頼らずプログラム内容でもお客を集める方法を考えないといけません。
チケットノルマという言葉は知りませんでした。お話を伺って、どうして演奏家の方から直接ご案内頂けたりするのかが分かりました。
こちらからは、ぜひ聴きたいので聴きにいくだけなのですが、逆に感謝されているというのが何とも微妙な感じです。
しかし、クラシック音楽は、興業としては成り立っていないな、というのが正直なところです。
ひとつは優秀な音楽家の供給過剰なのが理由だと思います。東京に住んでいると、毎日どこかで素晴らしい演奏が聴けます。
これはいいことなのか悪いことなのか。自分にとってはいいことですが、演奏家にとっては良くないことなのかもしれません。
美術の世界では、企画展なのか? 貸し画廊なのか? と言うことですよね。実際問題、このようなアーティストの卵のような人たちの活動、もしくは利己的な動機によって行われる「それ」に関しては、それはそれで必要なことなのですから「やらせておけば良い」と思います。
また、インフラや業界の維持の問題からも、このようなシステムも必要なのですから、「勝手にやらせておけば良い」。、、と思います。
演奏家にも課題があると思います。以前にも仰られた事とは思いますが、演奏(表現)が自分のための演奏(自己満足)なのも一因だと感じております。人様に聞かせる(お代を頂ける:人の人心を揺さぶれる)水準に至らない物が多いとも感じています。
子供の頃、バレエですが、出演者の先生のノルマチケットを結局は生徒達の親に任せて、捌いていました。
所属が大きい学校だったので、チケットをさばかないと、発表会の役とかにも影響したと思います。生徒と生徒の親がチケットを買うのは致し方ないですが、それ以上のチケットを割り当てられても。。。今考えると、つまり、生活の為に教えをやっていると、何故か生徒に負担を課している、、、といういびつな形になりました。
自分の聴きたい曲や楽団の演奏会へ行くだけの、気ままなクラシックファンなので、そうかもしれないな〜と残念に思いながらお話しを聴きました。
あの時がそうだったかな?と思い出すこともあります。
道を極めるのは、何事も難しいものですね。
車田先生&視聴者様
今日はコメント一番乗りです(^_^)
頷き過ぎて、ちょっと気分が悪くなってきたほどです。
私も全部ずーっと経験してきたこと!
言いにくいことを言って下さり、感謝しかありませんm(_ _)m
やはり日本にいる状態で
渦中の当事者が
事の本質に冷静に気付き
解決作まで持って行くのは至難の業なのだなと痛感しました。
ありがとうございますm(_ _)mm(_ _)m
今日の御投稿も神回です。
続きをお聞きしたくて
最後のあたりは身を乗り出してしまいました。
ご自身のお立場からしても、勇気のいるお話だったと推察いたします。
次回の御投稿は年明けでしょうか?
心待ちに致しております。
車田先生
そして視聴者の皆様
どうぞ良いお年をお迎え下さい(*^_^*)
現役高校音楽教師ピアニストマユミージュことMayumi
チケットノルマの文化は日本だけなんでしょうか?海外では全くない文化なのでしょうか?
演歌歌手の事務所が絶対にノルマしない、値引きしないというのを聞いたことがありますが
それは演者の価値を事務所が絶対下げてはいけないためだということでした。
ただ今回のお話の中で興味をもったのは別のところで、
その演奏会がその土地にとって必要なものかどうかという言葉がとても響きました。
過去にいくつかの公演を企画しましたが、ほとんどは発表したいという自分の思いだけでした。
唯一学生時代にオペラを上演したしたときは、作曲学科の学生はこんなことができるんだぞ
勇気を持て学生たちよという思いをもってつくった気がします。
話題の③。ぜひ聞きたいです。
あと、車田さんの故郷公演のくだり。宮本武蔵の「これ烏の値にあらず。多年の苦学の値なり」
にやはり通じますね。
最後にソーセージおいしそうです。ドイツではお肉屋さんだとその量はおいくらくらいで
買えるのですか。
プロにもノルマがあるんですね
びっくり😮
演奏会が多すぎるのでは?
本当に考えさせられる良い動画でした。チケットノルマなんて 給与や残業手当未払いのブラック企業みたいで、現代の日本社会を反映していますよね。😢
チケットノルマのシステムを打破しない限り、そのような現状は半永久的に続くんでしょうかねえ。この動画を観て、せっかく音楽を目指そうとする志のある人たちからすれば、絶望でしかないですよねえ。率直に言えば、主催者側の意識を変える必要があるのでは?とも思うが、そう簡単じゃないのかなあ。
思い出話の下り、習慣なんだか気質なんだかよくわからないが、妙な関係ですね。
どこかで聞いた話の「上か下か」の意識構造なんですかねー。
ビジネス面での評価が芸術性の評価になってるってこと?チケット代が適正評価になるとよいですね。
宣伝も大切ですよね。
知られないと、聴きに来てもらえません。
会場費、チラシやプログラムなどの費用も安くはありません。
ツテやコネを作るのに練習時間を削られる上に、資金集めも大変です。
練習熱心で貧乏だと、小さな演奏会も出来ないですね。
日本のバレエ界では、プロのバレリーナ(自称)という人たちが、彼らの教えている生徒たちに自分の出る舞台のチケット買わせてますよ。
それで、たくさん買った生徒が発表会で良い役をもらう。
私は日本のバレエを見に行く気になりません。
コンサート運営の主催者側の問題もさる事ながら、音楽的な事しか教えないで、
そういった社会的な現実を教えないで
(コロナの時に、この国の社会が音楽家をどういう扱いをしたか、露呈しましたが)
無作為に毎年卒業生を輩出する「音大も音大」だし、
なるようになってこの実態が出来上がったと思ってます。
昔は音楽というのは一般大衆の為のものではなく、一定のクラスの人の為だったことを考えれば、現代誰でも音楽を楽しめるのは素晴らしい事だと思う。力のあるパトロンが支えてくれないのであれば、チケット制が普及するのは自然なことではないか。演奏会を経済的に支える術を考えていくのはいつの時代もあったことだと思う。と同時に時代が進むにつれて、良い方に進んでいると信じたいし、進んでいると思う。
この問題ね~…さすがにギャラの未払いは経験ありませんが、実態は本当にひどい話で、在京オーケストラだと事務局が頑張ったり、
演奏者が演奏に集中できる環境が整えられてるんだけど、地方の弱小楽団だとそうもいかず…
完全に演奏者が聴衆や、地元の有力者(医者や弁護士等)に媚びへつらって、チケットを売る構図が出来上がってますよね。
特に地方だと、「コンサートの成功は満員になるかどうかで音楽的内容は関係ない」その傾向が強いです…
「あなたが出演するコンサートなんだからチケットを売って当然だ」
「売れない音楽家の方が悪い」
と言われてしまったら、それまでなのかもしれませんが
しかし、そうでもしないと運営できない楽団なんて潰れたらいいし、そんなコンサートも主催しなければいいと思います。
一番嫌いなのは、同業者に対してチケットを売りつける行為です。
これは…クラッシックに限らずの話ですね。いちいちごもっとも。次の動画やじ 即視聴!
チケットノルマ…そんなんなら、路上演奏の方が、まだ良いんじゃないかな…。
私、付き合いで演奏会に、行った事ないし、納得のいかないコンサートに、行った事がないです。🤧
お金とお客を集める裏方の苦労を知る事は大事かと思います。それがないと演奏の質を高める努力もしないで待遇が悪いとか運営側に文句を言う演奏家も増えるでしょう。フィードバック効果として機能するのであれば、ある程度のチケットノルマもプラスに働くかと考えるのですが。
CDやスマホでいとも簡単に音楽を聴ける時代において、楽譜を実際に音として再現することの価値はだいぶ下がっているように思います。もちろん現地で生の演奏を聴くことでしか得られない感動があるのは間違いないですが、演奏者と聴衆が対等な関係を築くためのハードルもかなり高いのでしょうね。