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嬉しそうな武士道さんに笑顔が止まらない😊
武士道さんの解説は安心感がある。
大和の国は鎌倉期も室町期も守護を置けず、興福寺が実質的に守護をやっていたと聞きます。それくらい強いんでしょうね。
武士道さんらしい解説、ありがとうございます。「光る君へ」のドラマ中にも後の戦乱の世が訪れる萌芽が現れていましたね。後世には「鴨川の水と双六の賽の目と山法師はどうにもならない」と嘆いた上皇も出てきました。
平将門の乱、藤原純友の乱は既に起きた後ですし当時の公家の知識源である中国の文献にも戦国・三国・五胡十六国・南北朝・五代十国などの武力をもって覇となす時代のものも当然あったでしょうドラマ上の道長のセリフは未来を知る我々へのメタ発言ではなく、割と本気の危機感があったのだと思います実際、道長が亡くなった年にも平忠常の乱が関東で発生して実資と頼通が対応しています僧兵だって生まれて当然の時代ですね
歴史解説待ってました😂😂ありがとうございます。
僧兵が強くなった理由がよくわかりました僧兵に対抗するために武士が台頭していくのですね武士道さんの解説はとてもわかりやすくて覚えやすいです要所要所で解説動画をしてくださいね楽しみにしています
ためになる
赤星昇一郎を久々に見た衝撃ね😅ニーズがあるというかキャスティングほんま凄い😂夢見るぞ
僧兵をこんなに詳しく説明する動画を初めて観た。👏
僧兵との戦いは、織田信長の石山本願寺との対決まで、続くようですね
えーっ嬉しい😂 武士道さんの解説だー!🎉🎉🎉
武士道さん、解説ありがとうございます!いつもながら、深堀できて、感謝いっぱいです!
武士道さんの説明は、わかりやすいです😅有り難う御座います、
やっぱり平清盛が松山ケンイチが弓矢を放ったシーンドン引きだったけど頭にこびりついてるしインパクト大きかった❤️👍
平清盛❤️👍
待ってました! 武士道さんの解説が聞けて良かった!
僧兵と言えば比叡山の僧兵の印象が強かったです。
保元の乱で崇徳上皇、藤原頼長を頼んでいた興福寺僧兵は、摂関家の武力機構として働きました。だがこの時に道長と敵対するのは、まさに時代の流れを示しているか
武士道さんのお考えでは、平安遷都は朝廷が興福寺などと距離をおきたい意思があったからということでしたが、すごく腑に落ちました。 今の京都に奈良仏教はあまりないですよね。清水寺が興福寺の末寺として建立されましたが、成立年は平安遷都より前ですし。調べたら他にもあるかもしれませんが、都を守る要として配置したのは比叡山で天台宗なので、やはり奈良仏教とは関係は悪かったと考えてしまいます。 ありがとうございました。
先日の大河は平維衡の名前が出てきて僧兵も出てきて平清盛ファンとしてはたまらない回でした(*^^*)
興福寺と対立した源頼親は後に清少納言の兄を殺害している。道長の御堂関白記には上手な殺人と記載されている。頼親は事件を起こした時に阿波守だったが処分を受けている。
興福寺と延暦寺が神社の神木や神輿を使ってるからこの時点で神仏習合がかなり進んでたんでしょうね 藤原氏の氏寺という立場だから猶更藤原氏や皇族もおいそれと歯向かい難く…自分らの権益や自コミュニティの人間が軽んじられたら上が体張らないと世間の笑いもの=おい達は恥ずかしかっ!生きていられんとよ!という価値観もあったろうなぁ
ありがとうございます!大学の授業で話が出てた、「興福寺奏状」のことを思いだしました。同じ僧侶を弾圧してほしいと朝廷に願い出る奏状なのですが、そこまで願い出る力があり、それが通ってしまう力が当時興福寺等、寺社勢力にはあったのだなぁと改めて動画を見て思いました。引き続き歴史動画楽しみにしております!
面白かったです。歴史は流れが分かると面白いですね。今の時代もそろそろ僧兵を小規模から始めても良いのではないかな。世が乱れ過ぎている。
いい解説だなぁ。来週の大河ドラマだ楽しみだ。
寺には僧兵、神社には「武装神人」とかがいて荘園を守っていたみたい。
寺社が所有する荘園は元々皇族・公家等からの【寄進】です。そして僧兵の規模が大きくなった時点で【傭兵(雇われ)化】します。江戸時代までは【神仏習合】ですから僧兵が『神木』や『神輿』を使ったとしてもおかしくありません。鎌倉時代には幕府が派遣した『守護・地頭』を大和の国だけが追い返されたという事実すらあります。平安時代から戦国時代にかけての勢力をもった寺社は単なる宗教組織ではなく【大名】的色彩を有していたと考えるべきです。
歴史解説動画好きなら親の顔よりも見た、いらすとやの僧兵(弁慶)
隆季から200年後の二条良基になると放氏されても大した効果なかったようだけど、放氏で被害を被るメカニズムがよくわからない…法事に参加できないから困るのだろか、200年で政治的に致命的なレベルから無視されるレベルになるのは大分何かが変わってる気がする。
康暦の強訴で足利義満&二条良基にコテンパンに負けるまで、興福寺の強訴は全勝だったものね・・・
仏僧なのに武装、物騒ですね。
あ、そう、へー。
分かりやす過ぎる、塾を開いてください笑
現代でも法人税が免除されていたりしてそれなりに優遇されていますね。
戦国時代に大和の支配者になった松永久秀ってめちゃくちゃ強かったんじゃねーか?って思えてきた
なんかこの時代の寺院勢力の拡大が後の信長による比叡山焼き討ちや廃仏毀釈に繋がっていったのかなと思いました
後醍醐天皇は意外と寺社勢力とは上手くやってますよね
義満
現在と比べがちだけど、一つの事を解決するのに長い時間かかるしな。戦国目線で平安鎌倉見たらあかんしね。解説たすかるよ!正直戦国時代で武士で産まれた人はガチャ的にハードやとも思う
寺領の自治兵が僧兵のルーツ、荘園の自治兵が武士のルーツという解釈で良いですか?
武士の場合、京武者や、在地武士もいるので、必ずしも荘園の自治兵=武士のルーツとは限らないかと思います。
神木が進化して神輿を担ぐようになった?
坊主の格好をした反社だから😂
お腹は 全部自分の物ですか?
ヒェッ...お坊さんなのにだいぶヤ〇ザみたいな...
12:30「道長 カッコいいですね」 えぇっ? 道長を嫌いなのではなかったんかい⁉️
光る君へで描かれている道長が嫌いなのであって、歴史上の藤原道長は嫌いではないです。混同しないでいただきたい。
僧なのに神木?節操ねーな😒
『神仏習合』を学んでください。当時は寺と神社が同じGroup内にあったのです。
嬉しそうな武士道さんに笑顔が止まらない😊
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大和の国は鎌倉期も室町期も守護を置けず、興福寺が実質的に守護をやっていたと聞きます。それくらい強いんでしょうね。
武士道さんらしい解説、ありがとうございます。
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後世には「鴨川の水と双六の賽の目と山法師はどうにもならない」と嘆いた上皇も出てきました。
平将門の乱、藤原純友の乱は既に起きた後ですし
当時の公家の知識源である中国の文献にも戦国・三国・五胡十六国・南北朝・五代十国などの武力をもって覇となす時代のものも当然あったでしょう
ドラマ上の道長のセリフは未来を知る我々へのメタ発言ではなく、割と本気の危機感があったのだと思います
実際、道長が亡くなった年にも平忠常の乱が関東で発生して実資と頼通が対応しています
僧兵だって生まれて当然の時代ですね
歴史解説待ってました😂😂ありがとうございます。
僧兵が強くなった理由がよくわかりました
僧兵に対抗するために武士が台頭していくのですね
武士道さんの解説はとても
わかりやすくて覚えやすいです
要所要所で解説動画をしてくださいね
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武士道さんの説明は、
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待ってました! 武士道さんの解説が聞けて良かった!
僧兵と言えば比叡山の僧兵の印象が強かったです。
保元の乱で崇徳上皇、藤原頼長を頼んでいた興福寺僧兵は、摂関家の武力機構として働きました。だがこの時に道長と敵対するのは、まさに時代の流れを示しているか
武士道さんのお考えでは、平安遷都は朝廷が興福寺などと距離をおきたい意思があったからということでしたが、すごく腑に落ちました。
今の京都に奈良仏教はあまりないですよね。清水寺が興福寺の末寺として建立されましたが、成立年は平安遷都より前ですし。調べたら他にもあるかもしれませんが、都を守る要として配置したのは比叡山で天台宗なので、やはり奈良仏教とは関係は悪かったと考えてしまいます。
ありがとうございました。
先日の大河は平維衡の名前が出てきて僧兵も出てきて平清盛ファンとしてはたまらない回でした(*^^*)
興福寺と対立した源頼親は後に清少納言の兄を殺害している。道長の御堂関白記には上手な殺人と記載されている。頼親は事件を起こした時に阿波守だったが処分を受けている。
興福寺と延暦寺が神社の神木や神輿を使ってるからこの時点で神仏習合がかなり進んでたんでしょうね 藤原氏の氏寺という立場だから猶更藤原氏や皇族もおいそれと歯向かい難く…
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ありがとうございます!
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同じ僧侶を弾圧してほしいと朝廷に願い出る奏状なのですが、そこまで願い出る力があり、それが通ってしまう力が当時興福寺等、寺社勢力にはあったのだなぁと改めて動画を見て思いました。
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戦国時代に大和の支配者になった松永久秀ってめちゃくちゃ強かったんじゃねーか?って思えてきた
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寺領の自治兵が僧兵のルーツ、荘園の自治兵が武士のルーツという解釈で良いですか?
武士の場合、京武者や、在地武士もいるので、必ずしも荘園の自治兵=武士のルーツとは限らないかと思います。
神木が進化して神輿を担ぐようになった?
坊主の格好をした反社だから😂
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えぇっ? 道長を嫌いなのではなかったんかい⁉️
光る君へで描かれている道長が嫌いなのであって、歴史上の藤原道長は嫌いではないです。混同しないでいただきたい。
僧なのに神木?節操ねーな😒
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