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ある小説の中で、武家は政(まつりごと)、公家は祀(まつりごと)を担うというような台詞が出てきました。今回の解説に通じてるなと思いました。
興味深い考察ですね。動画見て思ったのは、地理的に天災の多い日本だからこそ、信仰、天皇の重要性が高かったんだろうな。それで日本の独自性が保たれたのかな。と思いました。
凄く面白かったです。武士道さんの解説は、断定して押し付ける訳でなく、1つの意見,考え方といつも前置きして下さるのがいいですね。平成から令和になったときの大嘗祭で国民のために夜通しお祈りされる天皇の姿をTVで見て感動し大嘗宮に足を運んで実際に目で見て、現代社会においてもこんなに神聖な存在のままなんだと実感したことを思い出しました。
これだけ科学が発展した現代日本ですら、今上天皇の即位式で雨が上がり虹がかかったことに神がかり的なものを感じる人が多いので、古くから現人神信仰の素地が日本人にはあるのかもしれないですね。
そんなの古今東西一緒ですよん。
昭和天皇が崩御した時も曇だったのに皇居上空に穴が空いたように青空が見えました。(市ヶ谷のビルから観てました。)
日本の天皇は「皇帝」じゃないんだよな。「教皇」に近い。
主な仕事は神事だからね。
おもろすぎる。この流れが今の時代にもちゃんと受け継がれてるのも素敵だし、人智の及ばないものがあるという謙虚心は持ちづつけたい
長年の疑問がスッと解消された気分です。人智の及ばぬ事象に祈りを捧げることが天皇の役目だから天下に登り詰める過程で数多の命を奪ってきた穢れを纒う武士がその座を奪えないし奪うメリットも無い、と。素晴らしい解説をありがとうございました。
毎度思うけど、権力と権威を分けた昔の人、賢すぎるよな。このシステム考えた人が日本を造ったと言っても過言ではないやろ。
なるほどー!めっちゃわかりやすくて納得しました!謎が解けましたー!
日本人は無宗教と言いますが、天皇には敬意を払うし、この前、鳥居でダンスした外国人にキレたりなんだかんだ染みついた宗教観があるんだなぁと感じた。当たり前すぎて、宗教として意識してないんだろうな。
日本人にとって宗教はアプリケーション日本人以外にとって宗教はオペレーションシステムなので、基本的に日本人は無宗教でも生きてはいける
無宗教と誰が言っているか分かりません。日本人は無宗教と言ってる専門家を見たことがありません。恐らく一般市民が適当に感覚で言ってるだけで、単なる無知と馬鹿だから意識をしないだけですよ。
天皇が古来から宗教的権威を持っているから、尊皇意識がある人は無宗教にはならないと思います。
@@hanamogera13例えが分かりにくいし的外れ宗教がOSなら改宗も布教もできるわけが無い例えばWindowsをmacOSに変えたいなら基盤であるマザーボード、つまり人間でいう脳みそや身体機能をまるっと交換しなきゃいけないし、その上で適合性の問題があるCPUいじれば何とかなるとかの話ではない
むしろ宗教が日常に溶け込みすぎて無宗教だと錯覚してしまってる説
海外から攻め込まれた数が少なかったというのも大きいと思います。攻め込まれて王朝が変わるというのも世界史でよくあらことなので。1945年は本当に危なかった。
すごく面白くて為になる動画でした、ありがとうございます。後でもう一回見ます。
とてもわかり易くて面白い話でした!聞き手の相槌も素晴らしいです!
災害が多く、自然崇拝の日本において責任を負わされる天皇の存在が必然だったって考えると納得がいく。何となく感じていた事をこうやって説明してもらうと分かり易い。他には無い動画で凄く為になった。
日本史オンライン講座の松本先生が天皇の仕事は「3つのセイ治」であるとおっしゃっていました。政治・聖治・性治の3つである。人臣が代行できる政治より天皇の聖治がいかに重要だったかが、わかる動画だったと思いました。
祭祀をつかさどるのは卑弥呼の時代からそうだけど天皇もまたそうだってのは合点がいく感じですよねあと源家平家はどちらも天皇の氏族だから自分の主筋あたる天皇を否定するのはしにくかったというのもありますよね
定期的な儀式=農事の目安 と考えると古代におけるその重要性がより一層実感できる。正朔を奉じるとは正にこのことなのだろうなあ。
素晴らしい動画でした。今まで「天下統一を成し遂げた」人達が天皇の上にたとうとしなかったのが疑問で、学校の先生に質問しても答えてくれませんでした。この動画を見て、日本の歴史にますます興味が湧きました。日本の、特に幕府を開いた時の天下人達はそれぞれ天皇のどのようなスタンスをとったのか、知りたくなりました。
アニメ「精霊の守り人」の一場面。旅先で自分に頭を下げる民を見た十代の王子「何のために頭を下げるんだ?」旅の同行者の老呪術師「誰かが背負わねばならぬ運命を一人で背負った者への敬重の念からじゃ」得体の知れないもの相手に誰もやりたくない事をやっているから。
私も日本ってどうして天皇が生き残ってきたのだろうと思ってたんで、勉強になりました。
日本はいまでこそ無宗教と言われますが元々は熱心な宗教国家で、元寇のとき、戦乱のとき、天変地異のとき、皇族や将軍が病気になったとき等には熱心に加持祈祷が行われたし、それに対して手厚い謝礼も支払われたんですよね。その宗教界のリーダーが天皇なので元々住む世界が違うという感じなのかな
日本人はいつの間にか権威と権力をわけていた。自然と独裁にならない仕組みが出来上がっていた。
いつからだろうね藤原氏の時にはもう完成してたように思える
確かに、最近、リメイク版が作られたTV映画の「将軍」を見た外国人の方から「ノブトラのモデルになった徳川家康はなぜ天皇にとって変わらなかったのか?」と聞かれる事はあるのですよね。これ、日本人でも理解しがたい部分があって、だからこそ勇気を持って考察する必要はあるのでしょうね。
欧州でも中国でも国王・皇帝を倒した人が次の国王・皇帝になるのが普通ですからね。ローマ帝国の皇帝なんて今残ってないしね。
とても分かりやすいです。現代も天皇陛下がいらっしゃるということは現代日本人も心のどこかに当時の人と同じ考えが多少なりとも残っているのかなと感じました。
ただの人柱だよ?
その御祈りさえ神社庁に丸投げしようと考えている方がいる。
@@neo-chinidoneあまりにも無知で短絡的だな仮に天皇制を廃止すると日本の歴史の根幹、延いては日本人に共通認識としてある倫理観や秩序を揺るがしかねない君の意見は否定も肯定もせんが、本当に人柱だと思うのならその重要性を思慮する努力は必要だと思う
@@neo-chinidone日本と日本人を支える偉大なる柱だね。天皇陛下万歳
今まで世界史ではトップは変わっているのに、日本の天皇はなぜ続いているのだろと疑問に思っていましたが、今回の動画を見て、腑に落ちました。勉強になりました!ありがとうございます!
武士ってみんな自分を偉く見せるために「私の氏族は源(平)氏です。天皇の子孫だから偉いです」「私の氏族は藤原氏です。天皇の一の重臣の子孫だから偉いです」と天皇との距離感の近さをアピールしてたから、天皇を倒してしまうと「でも天皇もういないじゃん、お前もう偉くないじゃん?」と自分の偉さを自分自身で否定してしまうことになるからではないかと素人考察。
武士が貴種であることを理由に支配の正統性を主張したのはあると思うけど、その理論だと武士が自ら天皇にならなかったことは説明できないと思う。それそこ三國志の曹丕みたいに帝に圧かけて禅譲を迫ることもできただろうし。源氏も平氏も元を辿れば天皇の子孫なわけだし。
みんなに認められている人に認めてもらうってのがポイントかなと
天皇とは家であって位ではない。だから名のない者はみな天皇の血筋という権威を欲しがった。天下を納めた者は、立場的には実質天皇の上にあり、自分が天皇家になる必要がなかった。
ただの子孫ではない。天皇の男系の子孫。天皇の子孫って言ったら理屈上みんな天皇の子孫。男系で皇統と繋がっているというのは源氏や平氏の正当性の根拠。その中心軸たる天皇の皇統(もちろん男系)が無くなると全てが崩壊する。織田信長(平信長)や徳川家康(源家康)も自称源氏、自称平氏として天皇の権威をもって偉いとしていた。潰せるはずがない。天皇は男系でなければ天皇ではない。歴史から分かる当たり前の事実。戦後の歴史教育はそれをわざと教えない。敗戦したからだ。天皇とは何か教えない。無知な国民によって天皇を消し去る。GHQの策略。武士が天皇にならないのは当り前。疑問抱く方がおかしい。自分の背骨を引っこ抜く馬鹿がどこにいるかって話だ。
それはなんでかって話やけどな
聖徳太子が権威(推古女帝)と権力(太子、馬子)を分離したことが大きかったと思います
納得のいく説明でした。
非常に納得できるだけに、同じことが世界のどの国でも起きなかった理由を教えていただきたい
凄く納得出来ました😊ありがとうございました😊
そのように考えると、天からの不興を買うリスクを負いながらも結局王朝交替の論理を受け入れて自ら皇帝になる人々が中国で現れたのは、「誰かがやらないとラチがあかない」という切羽詰まった状況になるほどボロボロだったのかもしれませんね。
日本史って世界の他の地域と比べたら総じて平和ですよね。比叡山焼き討ちレベルの虐殺なんて大陸じゃしょっちゅうあるし、歴代中華王朝末期の暴君暗君レベルに酷い人物も見当たらない。対外戦争自体が殆ど無い。
@@みなおや過去の歴史書とか城跡を調べてみると、日本は戦争多かったと感じましたね。戦争多いから軍事貴族である武士が実権握ったわけで。ただ、中国大陸や欧州と比べたら少ないけど。他の地域と違うのは大和民族同士の内戦がほとんどだったってこと
@@hokkaido_wajd 中国→王朝末期になると毎回戦国時代のようになり人口が激減する、なにかと遊牧民族が攻めてくる欧州→中世は領主同士の諍いや王権を巡る争い、近世は宗教戦争が絶えず各国とも慢性的な内戦状態+イスラム勢力との戦い、近代以降は世界大戦で破滅するまで世界中で戦争の繰り返しインド→小国乱立期が多く欧州の歴史に近い中東→十字軍・モンゴルの頃と現代以外は大帝国に一元支配されてて意外と平和
異なる民族が入り乱れてる状況下では統治に最も重点が置かれますからね。曹操も北方異民族を華北に移住させて兵士にしてたわけで(その後の五胡十六国時代の遠因ともなった)、彼らからすると漢の権威なんて関係なかった。
地の果てからよく分からん民族が大挙としてやって来る恐怖は大陸特有だと思う。だから統治が最優先になる。現代は飛行機と船で島国にも押し寄せて来てるから、放っておくと日本も統治管理監視が強めになるかも知れない。嫌だなあ
このやり方は、とても賢いと思ひます
武士が天皇を乗っ取ろうとしなかった理由。ヒトは幽霊が怖いみたいな。そういったヒトの根源的感覚から沸き起こる感情。
政治を超越した存在を「守っている」的な発想がどこかにあるのだろう、と感じました。「天皇は、部屋に籠って祈っていれば良い」と言った政治家がいましたが、無責任極まりないです。「儀式を中継」し、解説も行うのが正しい「日本の姿」です。💝
ルイス・フロイスは天皇の事を「ローマ法王みたい」と記したようですが、それと通じる話ですね。
ローマ法王などと一緒にはして欲しくないですね。
@@大和-y4yかわんねーよ
自分も同じような考えです。神道の祭祀として、キリスト教のローマ法皇と近い存在だと思います。
そもそもローマ法王が統べるカソリックも神道っぽいというか多神教的よな。唯一神以外にも聖母マリアとか守護聖人とか聖遺物とか崇拝の対象がいっぱいいる。
世襲制ローマ法王みたいな感じですね
圧倒的説得力だった
フェティッシュな内容でした
勉強になりましたありがとう。説得力ありますね。
なろうとしなかったし、なれなかった、ということもあるでしょう。平将門だって先祖をたどれば天皇家の血を引いてますが、勝手に天皇(治天の君)になれるわけではない。儀式というかしきたりというか、そういった正当な伝統の上に継承するから権威付けになる。王様とか皇帝にはなれるかもしれないが、それは天皇とは違う地位。また、戦国時代には天皇に権力や権限なんて無いですから、信長とかは天皇になるメリットはない。それよりも、統治する実権を握る支配者になったほうが旨味がありますし。俗世間の私心を捨てた天皇になるより、将軍になって国を動かす立場の方が野心を満たせる。
ナイス👍な動画でした。とても分かりやすい解説ありがとうございました。ある意味、日本の長い歴史をまとめてくれた素晴らしいお話と思います。歴史好きの私も天皇制についてイマイチ謎でした。昔NHKさんのブラタモリで伊勢神宮など歴史ある神社や位の高い神社は地質学的に重要な場所に建立されているとような事を言ってました。現代も大地震など自然災害は人知の及ばない所ですね。先人達もこれらの不条理な自然災害に悩みもがき苦しんでいた事が、私達日本人のアイデンティティや宗教観、信仰心に繋がり天皇制があるのかも?なんて思いました。とても秀逸な動画だと思います😊
細かい事を端折って書くと、皇統が続いてきたのは聖徳太子が偉かったってことよね
「聖なるもの」に対する畏怖や畏敬の念というものは、現代社会においてもまだ色濃くあるのではないかと思う。いやむしろ、現代では色々と科学的に解明されているがゆえに、より一層。
めっちゃ分かりやすい✨
毎度、大変勉強になります藤原摂関政治/院政/武家政権と、推移しますが、過渡的な院政が興味深いですね天皇の時は、神事等に忙殺され、政治どころでないですが、退位したあとは政治に専念出来るためです、正しく、分業ですね
井沢元彦さんは怨霊信仰、と言ってますね。
自然信仰、祖先信仰を経て穢れの忌避から、権威と権力がより明確に分割武士が権力を持つにも桓武、清和など皇統の権威を借りた天皇の批判は自己批判につながってしまう家康まで源氏を名乗ったのは本当に面白い
ローマ法王的な要素も有ると思った事がありますがそれ以上で、日本民族の始祖であり、私としてはキリストや仏陀的な要素も有ると考える様になりました。私は血生臭い歴史が苦手で疎くて無知でマスゴミの洗脳のままに無宗教と思い込んでいました。でも天皇一族を祀る八幡宮の氏子で子供の頃に行事に参加していて私の子供も参加していました。意識せずにそれは自然な感覚でした。お正月の初詣、七五三でもお参りをしてました。安産の神でもあるので石の奉納もしていました。御守りを持つ事も信仰に値していたと思います。信じなくてはいけないとかこうしなくてはいけない、等のない自然な宗教感覚と言いますか…。そういう感覚と外国ではよく争ってきた一神教ではない点もこの日本国を始めた天皇一族はとても聡明であったと知れば知る程に思いました。古代から始まりとっくの昔にシビリアンコントロールをしていたのだと私は思っています。武士(軍)がトップの独裁防止的な。あと私達、日本民族の代表を日出処の天子と外国に伝えたのもなんて聡明なのだろうと…それは十代の時に読んだ漫画で知ったのですか😆読んだ当時は天皇に直結して考えてはいませんでしたが今改めて考えるとなんて当時から賢い一族がこの国を始めてくれたのだろうと感慨深く思います。そして私達庶民なら自分の事子供に跡を継がせたいと思いますがそれをせずに一族で継ぐ、万世一系で神武天皇からの男系で継いできた事も権威の価値が人類の歴史遺産的で古代から賢過ぎます❣❣❣だから日本は古代から続く歴史最長の国なのだと…これも学校でなくネットで学びましたから…私みたいな無知で無自覚な日本人は本当多いと思います。改めて有意義な動画に感謝です(⁎ᴗ͈ˬᴗ͈⁎)ペコリ
とても面白い考察でした😊日本は地震や水害などの天災が多いことも無関係ではないのだなと思いました
武士道さんすごいな。相当勉強したんですね。西洋にはない日本の根っこの部分ですね。大切にしたいです。
武士道さん、Nice Job!!
信仰。私も同意します。
興味深く視聴させていただきました。誠に勝手ながら私見ですが、武士が天皇に取って代わる事をしなかったのは、平安時代には既に権威(天皇)と権力(藤原氏)が明確に分かれていて、武士道さんの見解の通り、権力さえ得られればそれで充分と当時の武士は考えていたのではないかと思います。そもそも天皇の地位を奪おうという思想がなかったかも。武士が政権を握ったのは800年に渡りますが、最初の鎌倉幕府が天皇家を打倒しなかった事がその後の武士政権の在り方を形作ることになり、その後の室町幕府、織豊政権、江戸幕府と続いたのではないかなあと。仮に天皇家が打倒されるタイミングを仮定するとすれば、飛鳥時代あたりまで遡らないとタイミングは無いかな〜と思います。律令制度が固まり始めた時期、まだ権威と権力が天皇(当時だと大王ですね)に集中しているので、取って代わろうとする者がいてもおかしくない感じがします。葛城氏、大伴氏、蘇我氏あたりはもしかしたらワンチャン(!?)狙っていたかも知れない笑
武士でも足利義満だけは上皇の称号をねだったり、息子の元服式を天皇家のやり方で行ったりと、天皇になりかわろうとしてたのではないかと言われますね。栄華の絶頂で急死したのは、それを防ぐための策謀(あるいは祟り)だったとか。
勉強になった明治以降天皇も解説して欲しい
「武力で日本を統一したから俺に従え!」より、「天皇から日本を統治するように任命された。だから従え」の方が都合が良いからだと自分は思いました。
知識技術が発達した世の中でも、人々は色々な不安に苦しんでいるその日本人の苦しみを取り除こうと祈る天皇様であり風習益々日本という国が好きになりました
わかりやすい解説です❤
日本の特徴は祭政一致から院政による天皇家自身での祭政分離を行ったので祭王と政王の2王制が平安時代で実施して分業しちゃってたからね
確かに仏教は自然災害を説明してないもんなー
人間が集団でいる限り神は死なないし、民衆は武力と同じくらい歴史を重く見る。アメリカの歴史の教科書の厚さもそれを象徴してるしね。だから気に食わない他人はその利権を捨てさせるように工作もするわなぁと。
初コメになります。4年前の麒麟が来るから戦国BANSHIさんの動画を見ています。すごくわかりやすくて面白いです。いきなり質問なんですが織田信長と宮本武蔵どっちが強いですか?
人智の及ばぬモノ の解釈面白いですね。自然科学と道義かもしれません。
これは良動画
お祈りの役割が大きくて、政務を牛耳れる訳では無いから、実態の伴わない権威になりたいとも思わないって感じなんですかね。納得感ありました。
船の船長と副船長が全く別の権限を持ってるのと似てますね。まず責任ありきって感じ。ただ更に天皇の場合は、トップであるのと同時に人柱のような側面(だからこそ現人神と呼ばれるのだと思うし)も大きいですが。
皇を名乗ってコケた挙げ句怨霊化した大先輩もいるしな縁起が悪かろう
ん〜天皇家が神に近しいものであると世間に認めさせる努力と時間を新しく出来た武士は真似るのは大変と思い、武力と政治力が手に入ればいいと武士は思い、また天皇家は文化教養を担当出来ればそれで良しとなったので戦国時代以降象徴は天皇家、武力と政治は武家になったのだと思う。親政をせず武力と政治を他所に任せたのが、天皇家が現在まで続いた理由だと思う。
災害が起きるのは世界で日本だけではないのに、なぜ日本では司祭たる天皇を頂点に据える稀有な体制が確立されたのでしょうか?動画の冒頭で中国では武力で頂点を奪うことが繰り返されているのになぜ日本ではそれが起きなかったのか、という点に触れていたのでその説明を期待していました
確かに。第三魔王を名乗るあの織田信長ですら手を出さなかったわけだからそうなのかもね
「年間100冊の歴史の本を読んでる歴史TH-camr」っていうパワーワード❤
天皇はずーっと昔から「象徴」であったんだろうなぁ。昭和天皇も戦争したくなかったのに軍部に押し切られたことを考えれば、統帥権が認められていたあの時代でさえ「象徴」でしかなかった。
ご解説の通りだと思います。平安末期からの武家政権の時代は、信長が比叡山を攻めるまでは朝廷、寺社、武家(幕府)の三権分立状態だったと言われてますね。前者のニ者はまさに信仰による力で成り立っていたんでしょう。
本当の権力者にとって天皇は逆に都合のよい存在なのは想像出来ます
「光る君へ」を見ててコメ主さんと同じように思いました。「お上(帝)お言葉だ」と言えば誰も何も言えない。権力者にとっては「お上」と呼ばれる、たった一人のの言質さえ取れれば「オールOK!」なんだなと。
コレが後々統帥権問題となってくるわけですよ
政治担当と祭祀担当に分かれてたのが天皇制を守ったことに繋がったのかなぁ…ととりあえず政治だけ仕入れるならいいや…祭祀?やり方わからんし…天皇に任せます。という感じもあったんじゃないかなぁにしても天皇から任命されて誠意大将になってから政治を仕切る。現代も天皇に総理大臣に任命される、ってのが変わってない立ち位置もすごいですよね。そこの権利は奪いたく成りそうな気もするけど
とても面白かったです。今上天皇も、今も神に祈る儀式はされていると聞いたことがあります。神道の素晴らしいところは、今の皇居もそうですが、自然とあいまった建物にしていることですよね。人間の建物が威張っていない様子を見て(皇居にも結界があって入れないエリアがありました)、神道は人智の及ばざる者の存在があるなと改めて感じました。
政治の実働部隊(昔は貴族、今は議員+官僚)が持ってきた案に許可する。儀式(新嘗祭とか)を行う。可能な限り『余計な』事はしないで欲しい、自由はない。メンタル面で国民まとめる装置。現在と大分被るような気がしますねぇ…。
天皇のシステムがほぼ世界システムなのだなという読みは確かにと思った。また、外国のクーデターみたいなものは聖地制圧みたいなものがみられるが、宮崎の高千穂と高千穂の峰のように比定しきれていなく土地も遠いので効率悪かったか。それを見越して聖地を設定したのか…
お久しぶりです(。ᵕᴗᵕ。)めっちゃ、他にも色々学べて勉強慣れたし色々しれますね(*´︶`*)ノ
最初は信仰的な物だったけどやがて文化にもなって常識となって。そして日本人の気質、理由はどうあれ常識には従うべきだって感覚。そういう多重的な理由って思ってる。
興味深かったです。最後のお話ですが、ご存知の通り天皇の血統は変わることなく父系(男系)で継承されてきました。なぜ父系にこだわったのかも是非注目していただきたいと思いました。
年間100冊の歴史本を読んでる人はもう専門家だと思います
年間100冊の歴史(小説)本を読んでる私は当然、素人です。
大まかに平均すると1か月に8冊、4日で1冊。
専門家は論文の査読・執筆するからなあ
動画でいう専門家は直接史料に向かい合う研究者(学者)の事ですね
年間1000冊は歴史の本が出ているので、たかだか1割ほど目を通した程度、といえなくもない
予想していた通り、金枝篇の王みたいなお話だなぁ…誰も神と交わるある意味リスキーな役割なんてやりたくないよね…
納得感高い考え!
わかりやすかったです強力な政治家が天皇になるメリットはないですね道鏡が失敗した頃は政治と祀りごとの境目が曖昧だったのかもしれませんね
天皇というのは欧米や中国とかのただの皇帝ではなく祭司王という側面がありますな。権威と権力の分立は特筆すべきものがあります。
信長も本能寺の変の直前、朝廷から官位の誘いを受けていたが断った、なんて逸話もありますがそれが史実かどうかはさておき、公家は政治の頂点ではあっても権力の頂点ではなかった、そのことを武家はよく知っていたんですよね
日本列島は災害列島ですからね、台風地震火山津波豪雪豪雨山崩れ……etc平安以前ならともかく、日本の形がある程度定まってきた鎌倉以降なら全国から毎年 何かしら発生している災害を取り上げて、いくらでも難癖つけられそうですね
目の下のクマが薄くなってきたね。体調回復したようで良かったです。
めっちゃ面白かったです。仏教は祟りを抑えることはできない、ということは初めて知りました。そこが神との違いなのですね。神仏習合の後も、神に対する神事が続いたわけですね。誰も天皇になりたがらなかったわけが、よくわかりました。なのに、僧侶である道鏡が天皇になろうとしたという話がありますが、あれはどうなんでしょうか。
女系を認めると乗っ取られる乗っ取り構造を認めると、その先めちゃくちゃ、崩壊
平安時代の研究でそこに行き着いたと言うことは、古代研究の法の文献までいったらまた意見が変わりそう。楽しいですよ。古代も……
日本は災害多すぎるから余計になんかワカランものの相手したくないってのありそうっすねーローマ法王ってのも、皇帝がいたときにもいたし、いまだにいますもんねぇ
テセウスの船と同様に、革命ごとに王や宗教を入れ替え続けると、果たしてその国は元の国と同じ国なのか?って問題にぶつかるけど、天皇システムはその問題を解決するよね
権力と権威の違いだろう。事実かどうかは別にして、卑弥呼を王としたらまとまり、亡くなったら混乱し、一族の娘を立てた、ところから、大王を立て、天皇を立て共同体を維持してきたことを考えると、それを倒そうとする考えはなかったのだろう。天武、後鳥羽、後醍醐くらいしか自ら権力を取ろうとした人物はいないようではある。権力を持たない存在を倒しても意味はない。中華における放伐思想の対象ではなかったのだろう。
日本の場合もともとアミニズムだったみたいですし卑弥呼も天皇も祭祀を司るものとしての地位のほうが重要ってのは感じることはありますね
ありえないけど安徳天皇に無理やり清盛に親王宣下したらどんな世界になってたのだろう…血縁的には別に無理ではないから。臣籍降下しても復帰して宣下受けてる親王って割といるし、清盛王朝とかも面白そう
わかりやすい説明ありがとうございました。そう考えると、後醍醐天皇は当時としては異端かもしれませんね
天皇自身ですら、政治を積極的にやりたい場合は譲位していたからなぁ。鎌倉幕府は権力の多重構造の実例作っちゃったし。
天皇が一番ピンチだったのは後醍醐天皇が独裁した時か?北朝を建てるという解決策で乗り越えたけど、後醍醐天皇を抹殺して天皇家終了エンドもあったかもあ、あと第二次世界大戦終戦のときか。
色々腑に落ちた!神と仏が共存できたのも、なるほどねって感じだ。
概ねは納得する一方で応仁の乱以後の戦国時代しばらく、皇室が廃止はされないまでもろくに儀式をやれないまでに困窮していた状況をどう説明するかとというのはあるなぁと。
明解でした。
ある小説の中で、武家は政(まつりごと)、公家は祀(まつりごと)を担うというような台詞が出てきました。今回の解説に通じてるなと思いました。
興味深い考察ですね。
動画見て思ったのは、
地理的に天災の多い日本だからこそ、信仰、天皇の重要性が高かったんだろうな。
それで日本の独自性が保たれたのかな。
と思いました。
凄く面白かったです。武士道さんの解説は、断定して押し付ける訳でなく、1つの意見,考え方といつも前置きして下さるのがいいですね。
平成から令和になったときの大嘗祭で国民のために夜通しお祈りされる天皇の姿をTVで見て感動し大嘗宮に足を運んで実際に目で見て、現代社会においてもこんなに神聖な存在のままなんだと実感したことを思い出しました。
これだけ科学が発展した現代日本ですら、今上天皇の即位式で雨が上がり虹がかかったことに神がかり的なものを感じる人が多いので、古くから現人神信仰の素地が日本人にはあるのかもしれないですね。
そんなの古今東西一緒ですよん。
昭和天皇が崩御した時も曇だったのに皇居上空に穴が空いたように青空が見えました。(市ヶ谷のビルから観てました。)
日本の天皇は「皇帝」じゃないんだよな。「教皇」に近い。
主な仕事は神事だからね。
おもろすぎる。この流れが今の時代にもちゃんと受け継がれてるのも素敵だし、人智の及ばないものがあるという謙虚心は持ちづつけたい
長年の疑問がスッと解消された気分です。
人智の及ばぬ事象に祈りを捧げることが天皇の役目だから天下に登り詰める過程で数多の命を奪ってきた穢れを纒う武士がその座を奪えないし奪うメリットも無い、と。
素晴らしい解説をありがとうございました。
毎度思うけど、権力と権威を分けた昔の人、賢すぎるよな。
このシステム考えた人が日本を造ったと言っても過言ではないやろ。
なるほどー!めっちゃわかりやすくて納得しました!謎が解けましたー!
日本人は無宗教と言いますが、天皇には敬意を払うし、
この前、鳥居でダンスした外国人にキレたりなんだかんだ染みついた宗教観があるんだなぁと感じた。
当たり前すぎて、宗教として意識してないんだろうな。
日本人にとって宗教はアプリケーション
日本人以外にとって宗教はオペレーションシステム
なので、基本的に日本人は無宗教でも生きてはいける
無宗教と誰が言っているか分かりません。日本人は無宗教と言ってる専門家を見たことがありません。
恐らく一般市民が適当に感覚で言ってるだけで、単なる無知と馬鹿だから意識をしないだけですよ。
天皇が古来から宗教的権威を持っているから、尊皇意識がある人は無宗教にはならないと思います。
@@hanamogera13例えが分かりにくいし的外れ
宗教がOSなら改宗も布教もできるわけが無い
例えばWindowsをmacOSに変えたいなら基盤であるマザーボード、つまり人間でいう脳みそや身体機能をまるっと交換しなきゃいけないし、その上で適合性の問題がある
CPUいじれば何とかなるとかの話ではない
むしろ宗教が日常に溶け込みすぎて無宗教だと錯覚してしまってる説
海外から攻め込まれた数が少なかったというのも大きいと思います。攻め込まれて王朝が変わるというのも世界史でよくあらことなので。1945年は本当に危なかった。
すごく面白くて為になる動画でした、ありがとうございます。
後でもう一回見ます。
とてもわかり易くて面白い話でした!聞き手の相槌も素晴らしいです!
災害が多く、自然崇拝の日本において責任を負わされる天皇の存在が必然だったって考えると納得がいく。
何となく感じていた事をこうやって説明してもらうと分かり易い。他には無い動画で凄く為になった。
日本史オンライン講座の松本先生が天皇の仕事は「3つのセイ治」であるとおっしゃっていました。
政治・聖治・性治の3つである。
人臣が代行できる政治より天皇の聖治がいかに重要だったかが、わかる動画だったと思いました。
祭祀をつかさどるのは卑弥呼の時代からそうだけど天皇もまたそうだってのは合点がいく感じですよね
あと源家平家はどちらも天皇の氏族だから自分の主筋あたる天皇を否定するのはしにくかったというのもありますよね
定期的な儀式=農事の目安 と考えると古代におけるその重要性がより一層実感できる。正朔を奉じるとは正にこのことなのだろうなあ。
素晴らしい動画でした。
今まで「天下統一を成し遂げた」人達が天皇の上にたとうとしなかったのが疑問で、学校の先生に質問しても答えてくれませんでした。
この動画を見て、日本の歴史にますます興味が湧きました。日本の、特に幕府を開いた時の天下人達はそれぞれ天皇のどのようなスタンスをとったのか、知りたくなりました。
アニメ「精霊の守り人」の一場面。
旅先で自分に頭を下げる民を見た十代の王子「何のために頭を下げるんだ?」
旅の同行者の老呪術師「誰かが背負わねばならぬ運命を一人で背負った者への敬重の念からじゃ」
得体の知れないもの相手に誰もやりたくない事をやっているから。
私も日本ってどうして天皇が生き残ってきたのだろうと思ってたんで、勉強になりました。
日本はいまでこそ無宗教と言われますが元々は熱心な宗教国家で、元寇のとき、戦乱のとき、天変地異のとき、皇族や将軍が病気になったとき等には熱心に加持祈祷が行われたし、それに対して手厚い謝礼も支払われたんですよね。その宗教界のリーダーが天皇なので元々住む世界が違うという感じなのかな
日本人はいつの間にか権威と権力をわけていた。自然と独裁にならない仕組みが出来上がっていた。
いつからだろうね
藤原氏の時にはもう完成してたように思える
確かに、最近、リメイク版が作られたTV映画の「将軍」を見た外国人の方から「ノブトラのモデルになった徳川家康はなぜ天皇にとって変わらなかったのか?」と聞かれる事はあるのですよね。これ、日本人でも理解しがたい部分があって、だからこそ勇気を持って考察する必要はあるのでしょうね。
欧州でも中国でも国王・皇帝を倒した人が次の国王・皇帝になるのが普通ですからね。ローマ帝国の皇帝なんて今残ってないしね。
とても分かりやすいです。現代も天皇陛下がいらっしゃるということは現代日本人も心のどこかに当時の人と同じ考えが多少なりとも残っているのかなと感じました。
ただの人柱だよ?
その御祈りさえ神社庁に丸投げしようと考えている方がいる。
@@neo-chinidoneあまりにも無知で短絡的だな
仮に天皇制を廃止すると日本の歴史の根幹、延いては日本人に共通認識としてある倫理観や秩序を揺るがしかねない
君の意見は否定も肯定もせんが、本当に人柱だと思うのならその重要性を思慮する努力は必要だと思う
@@neo-chinidone日本と日本人を支える偉大なる柱だね。天皇陛下万歳
今まで世界史ではトップは変わっているのに、日本の天皇はなぜ続いているのだろと疑問に思っていましたが、今回の動画を見て、腑に落ちました。勉強になりました!ありがとうございます!
武士ってみんな自分を偉く見せるために「私の氏族は源(平)氏です。天皇の子孫だから偉いです」「私の氏族は藤原氏です。天皇の一の重臣の子孫だから偉いです」と天皇との距離感の近さをアピールしてたから、天皇を倒してしまうと「でも天皇もういないじゃん、お前もう偉くないじゃん?」と自分の偉さを自分自身で否定してしまうことになるからではないかと素人考察。
武士が貴種であることを理由に支配の正統性を主張したのはあると思うけど、その理論だと武士が自ら天皇にならなかったことは説明できないと思う。それそこ三國志の曹丕みたいに帝に圧かけて禅譲を迫ることもできただろうし。源氏も平氏も元を辿れば天皇の子孫なわけだし。
みんなに認められている人に認めてもらうってのがポイントかなと
天皇とは家であって位ではない。だから名のない者はみな天皇の血筋という権威を欲しがった。天下を納めた者は、立場的には実質天皇の上にあり、自分が天皇家になる必要がなかった。
ただの子孫ではない。天皇の男系の子孫。天皇の子孫って言ったら理屈上みんな天皇の子孫。
男系で皇統と繋がっているというのは源氏や平氏の正当性の根拠。その中心軸たる天皇の皇統(もちろん男系)が無くなると全てが崩壊する。
織田信長(平信長)や徳川家康(源家康)も自称源氏、自称平氏として天皇の権威をもって偉いとしていた。潰せるはずがない。
天皇は男系でなければ天皇ではない。歴史から分かる当たり前の事実。戦後の歴史教育はそれをわざと教えない。敗戦したからだ。天皇とは何か教えない。無知な国民によって天皇を消し去る。GHQの策略。
武士が天皇にならないのは当り前。疑問抱く方がおかしい。自分の背骨を引っこ抜く馬鹿がどこにいるかって話だ。
それはなんでかって話やけどな
聖徳太子が権威(推古女帝)と権力(太子、馬子)を分離したことが大きかったと思います
納得のいく説明でした。
非常に納得できるだけに、同じことが世界のどの国でも起きなかった理由を教えていただきたい
凄く納得出来ました😊
ありがとうございました😊
そのように考えると、天からの不興を買うリスクを負いながらも結局王朝交替の論理を受け入れて自ら皇帝になる人々が中国で現れたのは、「誰かがやらないとラチがあかない」という切羽詰まった状況になるほどボロボロだったのかもしれませんね。
日本史って世界の他の地域と比べたら総じて平和ですよね。比叡山焼き討ちレベルの虐殺なんて大陸じゃしょっちゅうあるし、歴代中華王朝末期の暴君暗君レベルに酷い人物も見当たらない。対外戦争自体が殆ど無い。
@@みなおや過去の歴史書とか城跡を調べてみると、日本は戦争多かったと感じましたね。戦争多いから軍事貴族である武士が実権握ったわけで。ただ、中国大陸や欧州と比べたら少ないけど。
他の地域と違うのは大和民族同士の内戦がほとんどだったってこと
@@hokkaido_wajd 中国→王朝末期になると毎回戦国時代のようになり人口が激減する、なにかと遊牧民族が攻めてくる
欧州→中世は領主同士の諍いや王権を巡る争い、近世は宗教戦争が絶えず各国とも慢性的な内戦状態+イスラム勢力との戦い、近代以降は世界大戦で破滅するまで世界中で戦争の繰り返し
インド→小国乱立期が多く欧州の歴史に近い
中東→十字軍・モンゴルの頃と現代以外は大帝国に一元支配されてて意外と平和
異なる民族が入り乱れてる状況下では統治に最も重点が置かれますからね。
曹操も北方異民族を華北に移住させて兵士にしてたわけで(その後の五胡十六国時代の遠因ともなった)、彼らからすると漢の権威なんて関係なかった。
地の果てからよく分からん民族が大挙としてやって来る恐怖は大陸特有だと思う。だから統治が最優先になる。
現代は飛行機と船で島国にも押し寄せて来てるから、放っておくと日本も統治管理監視が強めになるかも知れない。嫌だなあ
このやり方は、とても賢いと思ひます
武士が天皇を乗っ取ろうとしなかった理由。
ヒトは幽霊が怖いみたいな。そういったヒトの根源的感覚から沸き起こる感情。
政治を超越した存在を「守っている」的な発想がどこかにあるのだろう、と感じました。
「天皇は、部屋に籠って祈っていれば良い」と言った政治家がいましたが、無責任極まりないです。
「儀式を中継」し、解説も行うのが正しい「日本の姿」です。💝
ルイス・フロイスは天皇の事を「ローマ法王みたい」と記したようですが、それと通じる話ですね。
ローマ法王などと一緒にはして欲しくないですね。
@@大和-y4yかわんねーよ
自分も同じような考えです。神道の祭祀として、キリスト教のローマ法皇と近い存在だと思います。
そもそもローマ法王が統べるカソリックも神道っぽいというか多神教的よな。
唯一神以外にも聖母マリアとか守護聖人とか聖遺物とか崇拝の対象がいっぱいいる。
世襲制ローマ法王みたいな感じですね
圧倒的説得力だった
フェティッシュな内容でした
勉強になりましたありがとう。説得力ありますね。
なろうとしなかったし、なれなかった、ということもあるでしょう。
平将門だって先祖をたどれば天皇家の血を引いてますが、勝手に天皇(治天の君)になれるわけではない。儀式というかしきたりというか、そういった正当な伝統の上に継承するから権威付けになる。王様とか皇帝にはなれるかもしれないが、それは天皇とは違う地位。
また、戦国時代には天皇に権力や権限なんて無いですから、信長とかは天皇になるメリットはない。それよりも、統治する実権を握る支配者になったほうが旨味がありますし。俗世間の私心を捨てた天皇になるより、将軍になって国を動かす立場の方が野心を満たせる。
ナイス👍な動画でした。とても分かりやすい解説ありがとうございました。ある意味、日本の長い歴史をまとめてくれた素晴らしいお話と思います。歴史好きの私も天皇制についてイマイチ謎でした。昔NHKさんのブラタモリで伊勢神宮など歴史ある神社や位の高い神社は地質学的に重要な場所に建立されている
とような事を言ってました。現代も大地震など自然災害は人知の及ばない所ですね。先人達もこれらの不条理な自然災害に悩みもがき苦しんでいた事が、私達日本人のアイデンティティや宗教観、信仰心に繋がり天皇制があるのかも?なんて思いました。とても秀逸な動画だと思います😊
細かい事を端折って書くと、皇統が続いてきたのは聖徳太子が偉かったってことよね
「聖なるもの」に対する畏怖や畏敬の念というものは、現代社会においてもまだ色濃くあるのではないかと思う。いやむしろ、現代では色々と科学的に解明されているがゆえに、より一層。
めっちゃ分かりやすい✨
毎度、大変勉強になります
藤原摂関政治/院政/武家政権と、推移しますが、過渡的な院政が興味深いですね
天皇の時は、神事等に忙殺され、政治どころでないですが、退位したあとは
政治に専念出来るためです、正しく、分業ですね
井沢元彦さんは怨霊信仰、と言ってますね。
自然信仰、祖先信仰を経て
穢れの忌避から、権威と権力がより明確に分割
武士が権力を持つにも桓武、清和など皇統の権威を借りた
天皇の批判は自己批判につながってしまう
家康まで源氏を名乗ったのは本当に面白い
ローマ法王的な要素も有ると思った事がありますがそれ以上で、日本民族の始祖であり、私としてはキリストや仏陀的な要素も有ると考える様になりました。私は血生臭い歴史が苦手で疎くて無知でマスゴミの洗脳のままに無宗教と思い込んでいました。でも天皇一族を祀る八幡宮の氏子で子供の頃に行事に参加していて私の子供も参加していました。意識せずにそれは自然な感覚でした。お正月の初詣、七五三でもお参りをしてました。安産の神でもあるので石の奉納もしていました。御守りを持つ事も信仰に値していたと思います。信じなくてはいけないとかこうしなくてはいけない、等のない自然な宗教感覚と言いますか…。そういう感覚と外国ではよく争ってきた一神教ではない点もこの日本国を始めた天皇一族はとても聡明であったと知れば知る程に思いました。古代から始まりとっくの昔にシビリアンコントロールをしていたのだと私は思っています。武士(軍)がトップの独裁防止的な。あと私達、日本民族の代表を日出処の天子と外国に伝えたのもなんて聡明なのだろうと…それは十代の時に読んだ漫画で知ったのですか😆読んだ当時は天皇に直結して考えてはいませんでしたが今改めて考えるとなんて当時から賢い一族がこの国を始めてくれたのだろうと感慨深く思います。そして私達庶民なら自分の事子供に跡を継がせたいと思いますがそれをせずに一族で継ぐ、万世一系で神武天皇からの男系で継いできた事も権威の価値が人類の歴史遺産的で古代から賢過ぎます❣❣❣だから日本は古代から続く歴史最長の国なのだと…これも学校でなくネットで学びましたから…私みたいな無知で無自覚な日本人は本当多いと思います。改めて有意義な動画に感謝です(⁎ᴗ͈ˬᴗ͈⁎)ペコリ
とても面白い考察でした😊
日本は地震や水害などの天災が多いことも無関係ではないのだなと思いました
武士道さんすごいな。相当勉強したんですね。西洋にはない日本の根っこの部分ですね。大切にしたいです。
武士道さん、Nice Job!!
信仰。私も同意します。
興味深く視聴させていただきました。
誠に勝手ながら私見ですが、武士が天皇に取って代わる事をしなかったのは、平安時代には既に権威(天皇)と権力(藤原氏)が明確に分かれていて、武士道さんの見解の通り、権力さえ得られればそれで充分と当時の武士は考えていたのではないかと思います。
そもそも天皇の地位を奪おうという思想がなかったかも。
武士が政権を握ったのは800年に渡りますが、最初の鎌倉幕府が天皇家を打倒しなかった事がその後の武士政権の在り方を形作ることになり、その後の室町幕府、織豊政権、江戸幕府と続いたのではないかなあと。
仮に天皇家が打倒されるタイミングを仮定するとすれば、飛鳥時代あたりまで遡らないとタイミングは無いかな〜と思います。
律令制度が固まり始めた時期、まだ権威と権力が天皇(当時だと大王ですね)に集中しているので、取って代わろうとする者がいてもおかしくない感じがします。
葛城氏、大伴氏、蘇我氏あたりはもしかしたらワンチャン(!?)狙っていたかも知れない笑
武士でも足利義満だけは上皇の称号をねだったり、息子の元服式を天皇家のやり方で行ったりと、天皇になりかわろうとしてたのではないかと言われますね。
栄華の絶頂で急死したのは、それを防ぐための策謀(あるいは祟り)だったとか。
勉強になった
明治以降天皇も解説して欲しい
「武力で日本を統一したから俺に従え!」より、「天皇から日本を統治するように任命された。だから従え」の方が都合が良いからだと自分は思いました。
知識技術が発達した世の中でも、
人々は色々な不安に苦しんでいる
その日本人の苦しみを取り除こうと
祈る天皇様であり風習
益々日本という国が好きになりました
わかりやすい解説です❤
日本の特徴は祭政一致から院政による天皇家自身での祭政分離を行ったので祭王と政王の2王制が平安時代で実施して分業しちゃってたからね
確かに仏教は自然災害を説明してないもんなー
人間が集団でいる限り神は死なないし、民衆は武力と同じくらい歴史を重く見る。アメリカの歴史の教科書の厚さもそれを象徴してるしね。だから気に食わない他人はその利権を捨てさせるように工作もするわなぁと。
初コメになります。4年前の麒麟が来るから戦国BANSHIさんの動画を見ています。すごくわかりやすくて面白いです。いきなり質問なんですが織田信長と宮本武蔵どっちが強いですか?
人智の及ばぬモノ の解釈面白いですね。自然科学と道義かもしれません。
これは良動画
お祈りの役割が大きくて、政務を牛耳れる訳では無いから、実態の伴わない権威になりたいとも思わないって感じなんですかね。
納得感ありました。
船の船長と副船長が全く別の権限を持ってるのと似てますね。まず責任ありきって感じ。
ただ更に天皇の場合は、トップであるのと同時に人柱のような側面(だからこそ現人神と呼ばれるのだと思うし)も大きいですが。
皇を名乗ってコケた挙げ句怨霊化した大先輩もいるしな
縁起が悪かろう
ん〜天皇家が神に近しいものであると世間に認めさせる努力と時間を新しく出来た武士は真似るのは大変と思い、武力と政治力が手に入ればいいと武士は思い、また天皇家は文化教養を担当出来ればそれで良しとなったので戦国時代以降象徴は天皇家、武力と政治は武家になったのだと思う。
親政をせず武力と政治を他所に任せたのが、天皇家が現在まで続いた理由だと思う。
災害が起きるのは世界で日本だけではないのに、なぜ日本では司祭たる天皇を頂点に据える稀有な体制が確立されたのでしょうか?
動画の冒頭で中国では武力で頂点を奪うことが繰り返されているのになぜ日本ではそれが起きなかったのか、という点に触れていたのでその説明を期待していました
確かに。第三魔王を名乗るあの織田信長ですら手を出さなかったわけだからそうなのかもね
「年間100冊の歴史の本を読んでる歴史TH-camr」っていうパワーワード❤
天皇はずーっと昔から「象徴」であったんだろうなぁ。
昭和天皇も戦争したくなかったのに軍部に押し切られたことを考えれば、統帥権が認められていたあの時代でさえ「象徴」でしかなかった。
ご解説の通りだと思います。
平安末期からの武家政権の時代は、信長が比叡山を攻めるまでは朝廷、寺社、武家(幕府)の三権分立状態だったと言われてますね。
前者のニ者はまさに信仰による力で成り立っていたんでしょう。
本当の権力者にとって天皇は逆に都合のよい存在なのは想像出来ます
「光る君へ」を見ててコメ主さんと同じように思いました。
「お上(帝)お言葉だ」と言えば誰も何も言えない。
権力者にとっては「お上」と呼ばれる、たった一人のの言質さえ取れれば「オールOK!」なんだなと。
コレが後々
統帥権問題となってくるわけですよ
政治担当と祭祀担当に分かれてたのが天皇制を守ったことに繋がったのかなぁ…と
とりあえず政治だけ仕入れるならいいや…祭祀?やり方わからんし…天皇に任せます。
という感じもあったんじゃないかなぁ
にしても天皇から任命されて誠意大将になってから政治を仕切る。
現代も天皇に総理大臣に任命される、ってのが変わってない立ち位置もすごいですよね。そこの権利は奪いたく成りそうな気もするけど
とても面白かったです。
今上天皇も、今も神に祈る儀式はされていると聞いたことがあります。
神道の素晴らしいところは、今の皇居もそうですが、自然とあいまった建物にしていることですよね。
人間の建物が威張っていない様子を見て(皇居にも結界があって入れないエリアがありました)、神道は人智の及ばざる者の存在があるなと改めて感じました。
政治の実働部隊(昔は貴族、今は議員+官僚)が持ってきた案に許可する。
儀式(新嘗祭とか)を行う。
可能な限り『余計な』事はしないで欲しい、自由はない。
メンタル面で国民まとめる装置。
現在と大分被るような気がしますねぇ…。
天皇のシステムがほぼ世界システムなのだなという読みは確かにと思った。
また、外国のクーデターみたいなものは聖地制圧みたいなものがみられるが、宮崎の高千穂と高千穂の峰のように比定しきれていなく土地も遠いので効率悪かったか。それを見越して聖地を設定したのか…
お久しぶりです(。ᵕᴗᵕ。)めっちゃ、他にも色々学べて勉強慣れたし色々しれますね(*´︶`*)ノ
最初は信仰的な物だったけどやがて文化にもなって常識となって。そして日本人の気質、理由はどうあれ常識には従うべきだって感覚。そういう多重的な理由って思ってる。
興味深かったです。最後のお話ですが、ご存知の通り天皇の血統は変わることなく父系(男系)で継承されてきました。なぜ父系にこだわったのかも是非注目していただきたいと思いました。
年間100冊の歴史本を読んでる人はもう専門家だと思います
年間100冊の歴史(小説)本を読んでる私は当然、素人です。
大まかに平均すると1か月に8冊、4日で1冊。
専門家は論文の査読・執筆するからなあ
動画でいう専門家は直接史料に向かい合う研究者(学者)の事ですね
年間1000冊は歴史の本が出ているので、たかだか1割ほど目を通した程度、といえなくもない
予想していた通り、金枝篇の王みたいなお話だなぁ…
誰も神と交わるある意味リスキーな役割なんてやりたくないよね…
納得感高い考え!
わかりやすかったです
強力な政治家が天皇になるメリットはないですね
道鏡が失敗した頃は政治と祀りごとの境目が曖昧だったのかもしれませんね
天皇というのは欧米や中国とかのただの皇帝ではなく
祭司王という側面がありますな。
権威と権力の分立は特筆すべきものがあります。
信長も本能寺の変の直前、朝廷から官位の誘いを受けていたが断った、なんて逸話もありますが
それが史実かどうかはさておき、公家は政治の頂点ではあっても権力の頂点ではなかった、そのことを
武家はよく知っていたんですよね
日本列島は災害列島ですからね、台風地震火山津波豪雪豪雨山崩れ……etc
平安以前ならともかく、日本の形がある程度定まってきた鎌倉以降なら
全国から毎年 何かしら発生している災害を取り上げて、いくらでも難癖つけられそうですね
目の下のクマが薄くなってきたね。
体調回復したようで良かったです。
めっちゃ面白かったです。仏教は祟りを抑えることはできない、ということは初めて知りました。そこが神との違いなのですね。神仏習合の後も、神に対する神事が続いたわけですね。誰も天皇になりたがらなかったわけが、よくわかりました。なのに、僧侶である道鏡が天皇になろうとしたという話がありますが、あれはどうなんでしょうか。
女系を認めると乗っ取られる
乗っ取り構造を認めると、その先めちゃくちゃ、崩壊
平安時代の研究でそこに行き着いたと言うことは、古代研究の法の文献までいったらまた意見が変わりそう。楽しいですよ。古代も……
日本は災害多すぎるから余計になんかワカランものの相手したくないってのありそうっすねー
ローマ法王ってのも、皇帝がいたときにもいたし、いまだにいますもんねぇ
テセウスの船と同様に、革命ごとに王や宗教を入れ替え続けると、果たしてその国は元の国と同じ国なのか?って問題にぶつかるけど、天皇システムはその問題を解決するよね
権力と権威の違いだろう。事実かどうかは別にして、卑弥呼を王としたらまとまり、亡くなったら混乱し、一族の娘を立てた、ところから、大王を立て、天皇を立て共同体を維持してきたことを考えると、それを倒そうとする考えはなかったのだろう。天武、後鳥羽、後醍醐くらいしか自ら権力を取ろうとした人物はいないようではある。権力を持たない存在を倒しても意味はない。中華における放伐思想の対象ではなかったのだろう。
日本の場合もともとアミニズムだったみたいですし卑弥呼も天皇も祭祀を司るものとしての地位のほうが重要ってのは感じることはありますね
ありえないけど安徳天皇に無理やり清盛に親王宣下したらどんな世界になってたのだろう…血縁的には別に無理ではないから。臣籍降下しても復帰して宣下受けてる親王って割といるし、清盛王朝とかも面白そう
わかりやすい説明ありがとうございました。そう考えると、後醍醐天皇は当時としては異端かもしれませんね
天皇自身ですら、政治を積極的にやりたい場合は譲位していたからなぁ。鎌倉幕府は権力の多重構造の実例作っちゃったし。
天皇が一番ピンチだったのは後醍醐天皇が独裁した時か?
北朝を建てるという解決策で乗り越えたけど、後醍醐天皇を抹殺して天皇家終了エンドもあったかも
あ、あと第二次世界大戦終戦のときか。
色々腑に落ちた!
神と仏が共存できたのも、なるほどねって感じだ。
概ねは納得する一方で応仁の乱以後の戦国時代しばらく、皇室が廃止はされないまでもろくに儀式をやれないまでに困窮していた状況をどう説明するかとというのはあるなぁと。
明解でした。