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ずっと助けを求めて叫び続け、最後には抱き合うように亡くなられた子どもたちを思うと本当に悲しくていたたまれない気持ちになりました。ご冥福をお祈りします。
保育現場に勤めてる者です。私もこの事を他人事とは思いません。むしろ思ってはいけないです。保育園幼稚園は、保護者の大事なお子さんの命を預かっています。先生は、子ども達の命を守るのが仕事だという事を忘れてはいけないと愛梨ちゃんのお母さん(美香さん)達には教えられました。実は、南浜つなぐ館に行き、愛梨ちゃんの遺品を見ました。それを見た瞬間涙が止まりませんでした。ただ、ただ「愛梨ちゃんよく頑張ったね!もう寒い思いも熱い思いも寂しい思いもしてないといいな」と思うばかりでした。先生達は、子ども達や親御さんを思うと、胸が張り裂けそうになると思いますが、子ども達を死なせてしまった十字架は、ずっと背負い続けていかなければならないです。私は、保育士をしている限りどんな災害でも体を張って子どもを守って行きます。
幼稚園側の判断と対応の責任です。 本当は、助かるはずの命だったのに。。
辛すぎる、、、、バス運転手と先生が本当に残念すぎる
同じ年代の子ども2人いる親です。見ていてたまりませんでした。涙が止まりません。お母さんの気持ち、津波にのまれた子ども達‥考えると涙が止まらない。これから先、いつ来るか分からない災害に、お子さんの命から学ばせて頂いたこの事を必ず思い出します。この震災は誰もがパニックだったと思います。ただ、地震=津波と頭にすぐ思い浮かぶように皆んなの意識も変わったと思います。震災で失われた尊い命を無駄にしないため、今を生きる私たちに出来る事を思い出させてくる動画でした。改めて御冥福をお祈り申し上げます。
夜中まで必死に助けを呼んでいた子ども達を思うと、今すぐタイムスリップして探し出してあげたい衝動に駆られる。どうして、なぜ、が消えない、本当に悔しい人災。子ども達は叫んで叫んで、お母さんやお父さんに会いたくて、どれだけ怖い思いをしたか…。一人ぼっちじゃなかったことだけが、慰めだろうか…。計り知れない辛さを抱えらっしゃるのに、語り部として伝えていく姿に胸を打たれます。それにしても悔しい。悔しすぎる。
声を聞いた人も助けようとしたけどバスが瓦礫の下にあって見えなかったようです。気持ちはわかりますし、私も同じこと思ってますが一人じゃ無理ですよ。もしタイムスリップができてそこに行くなら私も連れて行ってください。手伝います。
子どもらは大人の言うことを聞いて行動し必死に励ましあい、真夜中まで助けを呼んだのに最悪の結果。危険に追いやった大人たちはガレキの下に園児がいることを知りながら保護者に知らせず救助しようともせず皆で炊き出しって。判断を間違えることはあったとしてもこの幼稚園は普段から避難マニュアルも机にしまったままだったみたいだし何重にも間違いすぎです。
助かる命だったのに!火災がおこるまでのあいだに10時間もあったのになぜ救助できなかったのか。津波のおそろしさと幼稚園側の対応がしんじられません。話すことさえも辛いことなのに語り部として語り続けることの大変さは想像絶するものだとおもいます。救いたかったなぁお母さんのもとに返してあげたかったなぁただくやしいです涙がとまりませんこどもたちのご冥福を心から祈っています
残念でなりません。子供たちのご冥福をお祈りいたします。二度とこの様な人的ミスにより、幼い命が危険にさらされないよう説に願います。
馬鹿な大人がまねいた人災である
日和山に行ってきたけど、大地震で大津波警報がでても直ぐにここに登ってくれば助かるなと思った。大津波警報がでてるのになんで車で海の方に行ってしまうのか。園にまっとうな判断能力を持つ者が居なかった不幸。それとも凄まじい出来事で気が動転して判断を誤ったのか。この子供たちの事、決して忘れてはならない。
たまらん 助けて助けてなんて 抱き合ってたなんて なんてことなの クソ幼稚園だ 私なら怨みで生きていられない
無駄な命=俺の命😒俺は、常に本気でそう思う。
もし、バスといった狭い車内で逃げ出す事も出来ず、ゆっくり炎に包まれて死んだのなら、可哀想過ぎるわ❗どうか、天国で安らかに眠って下さい🌈
夜中まで誰か助けてくれると信じて叫び続けたたった5歳や6歳の子どもたち…。助けれたかもしれない命だったと考えると本当に苦しい。本当に怖かったよね、死にたくなかったよね、また大好きなパパやママも元に帰って家族でいたかったよね、また抱き締めてほしかったよね、熱かったよね…。最期までお友達を励まし続けた愛梨ちゃん。自分も怖かっただろうに小さいのに強くて優しい子だなと思った。助けようと懸命に捜した近隣の方達、お子さんたちのご遺体をみた親御さんたちの気持ちを想像したら、本当に苦しい…来世っていうものが本当にあるのなら、生まれ変わったこの子達がおじいちゃんおばあちゃんになって笑って亡くなれるそんな人生であってほしい
幼稚園のミスで助かるはずの命が亡くなって、私が親なら一生幼稚園を憎むし狂って一緒に死ぬと思う。生きがいだった子供が突然なくなるなんて、生きてる意味ないと思ってしまう。震災当時私は小6で、東北地方にいたので停電はずっとだったし、津波の映像も見てた。未だにあのサイレンや津波の映像を見ると涙が出てくる。被災地から逃げてきた人もいたし、私の親戚も津波で亡くなった。数年後被災地に行った時、瓦礫こそなかったけど、ただの更地で、ここまで津波が来たって言う看板があってそれみてショックを受けた。想像の何倍も高い波がきていたから。忘れてはだめ。衝撃的な震災でした。
お母さんつらいね。でも、強く生きようと頑張ってるね。本当につらいな。
本当に辛い。幼稚園の先生の責任のなさに悲しくなってくる。頭の良い先生だったら、本当に人間性のあるせんせいだったら助かってた命だったのかもと思うと悲しい。先生も苦しんでるかもしれないけど、もっと何かできた状況でしなかった事実が残念。死に物狂いで産んだ自分の子供だと思うと涙が止まらない。
随分昔になるけど、会社が終わっての帰り道、緑色に塗られている外観を持つ車両の山手線に同僚ふたりで乗りこんだ。するとベルが鳴りドアが閉まる直前にひとりの男が私達が乗っている車両に乗ろうと飛び込んできた。そして、体半分をドアに挟まれて男は乗車を諦め体を引いた。だけどドアとドアの間には、男が着ていた紺色をした如何にも安物だろう背広の上着の左側ポケットが挟まれた。そして、ポケットの中には何か四角い物が入っていてドアから抜けない。そのまま電車が走り出すと男は電車に引きずられてしまう。とっさにドアの隙間に手を入れて力を入れてドアを強引に引き開けた。すると男は、車両に乗り込んできて、私を見る事なくさっさと違う車両に歩いて行ってしまった。一瞬の出来事だった。考える暇もなかった。同僚は、あ!、っという顔をして見ていただけだった。 そんな東日本大震災だった。些細な注意を怠っていたが為に、多くの日本人の人命を奪って行った。晴天の霹靂だった。多くの日本人の命が完全に被災を免れることはできなかった。多くのアメリカ国民が犠牲になった9.11同時多発テロで爆発したツインタワーにユダヤ人がひとりもいなかったようにはさ。海外での邦人が犠牲になる事件が日本で報じられるようになったのは何時頃からだろうか。そして、日本人の危機感の無さを教えてくれてはいた。まるで、そんな無防備極まりない様子で日本人に降りかかる危機に対して、危機感の大切さを念を押すように幼い子供達の命が問いかけているようだ。どこかに忘れてしまったような日本人の頭や体や心の中にあるはずの危機意識が何処にあるのかとさ。 令和2年10月18日(日)曇り 15℃ 午後17:43 世田谷区より。
これは人災
子供の散花の際の気持ちを考えると辛いな
■『悲しみは“力”に、欲りは“慈しみ”に、怒りは“智慧”に導かるべし。』by_ 宮沢賢治
あんなに大きな被害になるなんて、思ってもみなかったはず…。あのとき、あの場所にいた人しかわからない…。バスのせいで。誰かのせいで…。恨む対象を必死に探して、恨む事が生きる意味になってしまって…。でも周りは何も言えないんです。何もしてあげられないし、その子が帰ってくるワケじゃないから…。親になった今、本当に怖くて不安で、送迎バスには載せられません…。自力で送迎しています。
私の大学の先輩にも1923年9月1日の関東大震災の日に生まれた方がおります。先輩は母の実家に生まれたので無事でしたが、叔父叔母そして赤ちゃんから中学生の従兄弟が亡くなったそうです。先輩はさらに学徒出陣で出征して戦争にかかわってしまった。戦後は自ら関東大震災の日に生まれ、また戦争に関わってしまったことを反省して、自ら最初は教員それから弁護士となり自分と同じような災害にあわれた人の支援やまた自ら関わった戦争加害者に対しても謝罪し正面から向き合い支援して反戦平和のために頑張ったそうです。最近は子供や孫やひ孫が通っていた幼稚園・保育園、学校などで関東大震災や戦争体験を語ったり、また建築士など建築土木関連の資格もあるので、国内外の震災または戦災で廃墟と化した家を建て直す手伝いもボランティアでやっているようです(現在95歳)。2004年にスマトラ島沖地震が起きたときは81歳でしたが、建築士の子どもや孫と一緒に家を建てる手伝いなど復興支援に関わったそうです。原点は1923年9月1日の関東大震災の日に生まれたものとして同じ災害にあった人を支援して助けたかったそうです。大学で土木や建築を学び、建築士の試験を受けて合格した原点も震災と戦争で廃墟と化した街の復興に取り組みたかったからそうです
なんてこと…
夜中まで…ああ、つらい…
悔しい…悔しいね。本当に助かる命だったのにって思うと尚更😢
ゆっくり天国で休んで楽しんで
とうがみてとてもじふんもかなしくなってないてしましいましたおこさまのじょうぶつとごめいふくおいのりします
震災から2年目の春、友人の慰問コンサートで亘理町近郊へ行きましたが、高さ8mの防潮堤を見て唖然としました。 内陸部からは海の状態が一切見えません。 これで本当に防災なのだろうかと疑問にかられました。何百億円もお金を掛けて防潮堤を作るのなら、避難用の道を整備し高台に避難所の施設を作った方がどれだけ町の風景も良くなり、いざという時に住民が避難できる道路の整備こそが「防災」に成るのではないかと強く感じた事を思い出しました。
バス事業者に語り部やってください 関越道 軽井沢のバス事故の遺族とともに
涙がとまらない、、、
津波が来て幼稚園の大人の職員は一目散に園児を置いてきぼりにして逃げた
学校の名前は出さないけど小学校でもたくさんの子供が亡くなったし教育現場の人は災害の時の対応がダメですね(`Δ´)
風船は飛ばさないで欲しかった
たった2試合のラグビーでバカ騒ぎしてる釜石市民にも言ってやって欲しい!「祭りよりも人の命を守る行動をしてください」って!
ラグビーによる町おこしと命を守る行動とは別の話。震災で傷んだ町と人の心を祭で元気づけるのは必要なことだ。
送迎バスで7人の園児は保護者に引き渡して助かったのでしょう❓それらの保護者の意見も聞くべき。また訴訟に加わらなかった1人の園児の保護者の気持ちも聞くべきです。つまり保護者に引き渡す行動(園のマニュアルに反してるとはいえ)には過失責任は無いのでは❓民事上の和解なのだから原告側の意見中心では将来の教訓とするには公平さを欠くのではないでしょうか。犠牲者園児のお涙ちょうだいは他の15000名を超える犠牲者とその遺族に失礼です。なお、津波被災後のバスと園児の救出に対する園と園長の責任は免れるものではないのは間違いないです。
たまたま引き渡せただけで保護者がバスを発見していなければ犠牲者はもっと増えていた可能性もあるのでは?津波にのまれて亡くなったわけではなく10時間後の焼死で亡くなった。この差にも人為的ミスが関係してるのにお涙ちょうだいなど遺族に対してよく言えるね。
「お涙ちょうだい」は言い過ぎ。それこそ失礼の極み。
2023年1月17日、本日で阪神淡路大震災から28年が経つ。そういう関係でこの動画にも辿り着いたが、俺自身、『お涙頂戴』とまでは言わずとも、この手の映像作品には違和感を覚える部分が有るのは事実だ。決して遺族を無意味に批判したり、人為的ミスとあらばそれを擁護する気は無いが、災害を取材し映像化するに当たっては、如何なる場合に在っても中立を保つよう努力するべきと言うのが、多少の映像制作に関わったことの有る俺の持論でもある。そういった点では確かに、スレ主の言うことは一理有るかもしれない。個人的には、遺族に同情的な意見は良いとしても、殊更にミスを吊し上げる、いわば〝犯人捜し〟的意見が多い中で、別の視点から冷静な見解を述べられるスレ主のような人がいるのは救いではないかと思う。
ずっと助けを求めて叫び続け、最後には抱き合うように亡くなられた子どもたちを思うと本当に悲しくていたたまれない気持ちになりました。
ご冥福をお祈りします。
保育現場に勤めてる者です。
私もこの事を他人事とは思いません。むしろ思ってはいけないです。保育園幼稚園は、保護者の大事なお子さんの命を預かっています。先生は、子ども達の命を守るのが仕事だという事を忘れてはいけないと愛梨ちゃんのお母さん(美香さん)達には教えられました。
実は、南浜つなぐ館に行き、愛梨ちゃんの遺品を見ました。それを見た瞬間涙が止まりませんでした。ただ、ただ「愛梨ちゃんよく頑張ったね!もう寒い思いも熱い思いも寂しい思いもしてないといいな」と思うばかりでした。
先生達は、子ども達や親御さんを思うと、胸が張り裂けそうになると思いますが、子ども達を死なせてしまった十字架は、ずっと背負い続けていかなければならないです。私は、保育士をしている限りどんな災害でも体を張って子どもを守って行きます。
幼稚園側の判断と対応の責任です。 本当は、助かるはずの命だったのに。。
辛すぎる、、、、
バス運転手と先生が本当に
残念すぎる
同じ年代の子ども2人いる親です。見ていてたまりませんでした。涙が止まりません。お母さんの気持ち、津波にのまれた子ども達‥考えると涙が止まらない。
これから先、いつ来るか分からない災害に、お子さんの命から学ばせて頂いたこの事を必ず思い出します。
この震災は誰もがパニックだったと思います。ただ、地震=津波と頭にすぐ思い浮かぶように皆んなの意識も変わったと思います。震災で失われた尊い命を無駄にしないため、今を生きる私たちに出来る事を思い出させてくる動画でした。改めて御冥福をお祈り申し上げます。
夜中まで必死に助けを呼んでいた子ども達を思うと、今すぐタイムスリップして探し出してあげたい衝動に駆られる。どうして、なぜ、が消えない、本当に悔しい人災。
子ども達は叫んで叫んで、お母さんやお父さんに会いたくて、どれだけ怖い思いをしたか…。一人ぼっちじゃなかったことだけが、慰めだろうか…。
計り知れない辛さを抱えらっしゃるのに、語り部として伝えていく姿に胸を打たれます。
それにしても悔しい。悔しすぎる。
声を聞いた人も助けようとしたけどバスが瓦礫の下にあって見えなかったようです。気持ちはわかりますし、私も同じこと思ってますが一人じゃ無理ですよ。もしタイムスリップができてそこに行くなら私も連れて行ってください。手伝います。
子どもらは大人の言うことを聞いて行動し必死に励ましあい、真夜中まで助けを呼んだのに最悪の結果。危険に追いやった大人たちはガレキの下に園児がいることを知りながら保護者に知らせず救助しようともせず皆で炊き出しって。判断を間違えることはあったとしてもこの幼稚園は普段から避難マニュアルも机にしまったままだったみたいだし何重にも間違いすぎです。
助かる命だったのに!
火災がおこるまでのあいだに10時間もあったのになぜ救助できなかったのか。
津波のおそろしさと幼稚園側の対応がしんじられません。話すことさえも辛いことなのに語り部として語り続けることの大変さは想像絶するものだとおもいます。
救いたかったなぁ
お母さんのもとに返してあげたかったなぁ
ただくやしいです
涙がとまりません
こどもたちのご冥福を心から祈っています
残念でなりません。子供たちのご冥福をお祈りいたします。二度とこの様な人的ミスにより、幼い命が危険にさらされないよう説に願います。
馬鹿な大人がまねいた人災である
日和山に行ってきたけど、大地震で大津波警報がでても直ぐにここに登ってくれば助かるなと思った。大津波警報がでてるのになんで車で海の方に行ってしまうのか。園にまっとうな判断能力を持つ者が居なかった不幸。それとも凄まじい出来事で気が動転して判断を誤ったのか。この子供たちの事、決して忘れてはならない。
たまらん 助けて助けてなんて 抱き合ってたなんて なんてことなの クソ幼稚園だ 私なら怨みで生きていられない
無駄な命=俺の命😒俺は、常に本気でそう思う。
もし、バスといった狭い車内で逃げ出す事も出来ず、ゆっくり炎に包まれて死んだのなら、可哀想過ぎるわ❗
どうか、天国で安らかに眠って下さい🌈
夜中まで誰か助けてくれると信じて叫び続けたたった5歳や6歳の子どもたち…。
助けれたかもしれない命だったと考えると本当に苦しい。
本当に怖かったよね、死にたくなかったよね、また大好きなパパやママも元に帰って家族でいたかったよね、また抱き締めてほしかったよね、熱かったよね…。
最期までお友達を励まし続けた愛梨ちゃん。自分も怖かっただろうに小さいのに強くて優しい子だなと思った。
助けようと懸命に捜した近隣の方達、お子さんたちのご遺体をみた親御さんたちの気持ちを想像したら、本当に苦しい…
来世っていうものが本当にあるのなら、生まれ変わったこの子達がおじいちゃんおばあちゃんになって笑って亡くなれるそんな人生であってほしい
幼稚園のミスで助かるはずの命が亡くなって、私が親なら一生幼稚園を憎むし狂って一緒に死ぬと思う。生きがいだった子供が突然なくなるなんて、生きてる意味ないと思ってしまう。
震災当時私は小6で、東北地方にいたので停電はずっとだったし、津波の映像も見てた。未だにあのサイレンや津波の映像を見ると涙が出てくる。被災地から逃げてきた人もいたし、私の親戚も津波で亡くなった。数年後被災地に行った時、瓦礫こそなかったけど、ただの更地で、ここまで津波が来たって言う看板があってそれみてショックを受けた。想像の何倍も高い波がきていたから。
忘れてはだめ。衝撃的な震災でした。
お母さんつらいね。
でも、強く生きようと頑張ってるね。
本当につらいな。
本当に辛い。幼稚園の先生の責任のなさに悲しくなってくる。頭の良い先生だったら、本当に人間性のあるせんせいだったら助かってた命だったのかもと思うと悲しい。先生も苦しんでるかもしれないけど、もっと何かできた状況でしなかった事実が残念。死に物狂いで産んだ自分の子供だと思うと涙が止まらない。
随分昔になるけど、会社が終わっての帰り道、緑色に塗られている外観を持つ車両の山手線に同僚ふたりで乗りこんだ。するとベルが鳴りドアが閉まる直前にひとりの男が私達が乗っている車両に乗ろうと飛び込んできた。そして、体半分をドアに挟まれて男は乗車を諦め体を引いた。だけどドアとドアの間には、男が着ていた紺色をした如何にも安物だろう背広の上着の左側ポケットが挟まれた。そして、ポケットの中には何か四角い物が入っていてドアから抜けない。そのまま電車が走り出すと男は電車に引きずられてしまう。とっさにドアの隙間に手を入れて力を入れてドアを強引に引き開けた。すると男は、車両に乗り込んできて、私を見る事なくさっさと違う車両に歩いて行ってしまった。一瞬の出来事だった。考える暇もなかった。同僚は、あ!、っという顔をして見ていただけだった。
そんな東日本大震災だった。些細な注意を怠っていたが為に、多くの日本人の人命を奪って行った。晴天の霹靂だった。多くの日本人の命が完全に被災を免れることはできなかった。多くのアメリカ国民が犠牲になった9.11同時多発テロで爆発したツインタワーにユダヤ人がひとりもいなかったようにはさ。海外での邦人が犠牲になる事件が日本で報じられるようになったのは何時頃からだろうか。そして、日本人の危機感の無さを教えてくれてはいた。まるで、そんな無防備極まりない様子で日本人に降りかかる危機に対して、危機感の大切さを念を押すように幼い子供達の命が問いかけているようだ。どこかに忘れてしまったような日本人の頭や体や心の中にあるはずの危機意識が何処にあるのかとさ。
令和2年10月18日(日)曇り 15℃ 午後17:43 世田谷区より。
これは人災
子供の散花の際の気持ちを考えると辛いな
■『悲しみは“力”に、欲りは“慈しみ”に、怒りは“智慧”に導かるべし。』
by_ 宮沢賢治
あんなに大きな被害になるなんて、思ってもみなかったはず…。あのとき、あの場所にいた人しかわからない…。
バスのせいで。誰かのせいで…。
恨む対象を必死に探して、恨む事が生きる意味になってしまって…。
でも周りは何も言えないんです。
何もしてあげられないし、その子が帰ってくるワケじゃないから…。
親になった今、本当に怖くて不安で、送迎バスには載せられません…。自力で送迎しています。
私の大学の先輩にも1923年9月1日の関東大震災の日に生まれた方がおります。先輩は母の実家に生まれたので無事でしたが、叔父叔母そして赤ちゃんから中学生の従兄弟が亡くなったそうです。先輩はさらに学徒出陣で出征して戦争にかかわってしまった。戦後は自ら関東大震災の日に生まれ、また戦争に関わってしまったことを反省して、自ら最初は教員それから弁護士となり自分と同じような災害にあわれた人の支援やまた自ら関わった戦争加害者に対しても謝罪し正面から向き合い支援して反戦平和のために頑張ったそうです。最近は子供や孫やひ孫が通っていた幼稚園・保育園、学校などで関東大震災や戦争体験を語ったり、また建築士など建築土木関連の資格もあるので、国内外の震災または戦災で廃墟と化した家を建て直す手伝いもボランティアでやっているようです(現在95歳)。2004年にスマトラ島沖地震が起きたときは81歳でしたが、建築士の子どもや孫と一緒に家を建てる手伝いなど復興支援に関わったそうです。原点は1923年9月1日の関東大震災の日に生まれたものとして同じ災害にあった人を支援して助けたかったそうです。大学で土木や建築を学び、建築士の試験を受けて合格した原点も震災と戦争で廃墟と化した街の復興に取り組みたかったからそうです
なんてこと…
夜中まで…ああ、つらい…
悔しい…悔しいね。
本当に
助かる命だったのにって思うと尚更😢
ゆっくり天国で休んで楽しんで
とうがみてとてもじふんもかなしくなってないてしましいましたおこさまのじょうぶつとごめいふくおいのりします
震災から2年目の春、友人の慰問コンサートで亘理町近郊へ行きましたが、高さ8mの防潮堤を見て
唖然としました。 内陸部からは海の状態が一切見えません。 これで本当に防災なのだろうかと
疑問にかられました。
何百億円もお金を掛けて防潮堤を作るのなら、避難用の道を整備し高台に避難所の施設を作った方が
どれだけ町の風景も良くなり、いざという時に住民が避難できる道路の整備こそが「防災」に
成るのではないかと強く感じた事を思い出しました。
バス事業者に語り部やってください
関越道 軽井沢のバス事故の遺族とともに
涙がとまらない、、、
津波が来て幼稚園の大人の職員は一目散に園児を置いてきぼりにして逃げた
学校の名前は出さないけど小学校でもたくさんの子供が亡くなったし教育現場の人は災害の時の対応がダメですね(`Δ´)
風船は飛ばさないで欲しかった
たった2試合のラグビーでバカ騒ぎしてる釜石市民にも言ってやって欲しい!「祭りよりも人の命を守る行動をしてください」って!
ラグビーによる町おこしと命を守る行動とは別の話。震災で傷んだ町と人の心を祭で元気づけるのは必要なことだ。
送迎バスで7人の園児は保護者に引き渡して助かったのでしょう❓
それらの保護者の意見も聞くべき。また訴訟に加わらなかった1人の園児の保護者の気持ちも聞くべきです。
つまり保護者に引き渡す行動(園のマニュアルに反してるとはいえ)には過失責任は無いのでは❓
民事上の和解なのだから原告側の意見中心では将来の教訓とするには公平さを欠くのではないでしょうか。犠牲者園児のお涙ちょうだいは他の15000名を超える犠牲者とその遺族に失礼です。
なお、津波被災後のバスと園児の救出に対する園と園長の責任は免れるものではないのは間違いないです。
たまたま引き渡せただけで保護者がバスを発見していなければ犠牲者はもっと増えていた可能性もあるのでは?
津波にのまれて亡くなったわけではなく10時間後の焼死で亡くなった。
この差にも人為的ミスが関係してるのにお涙ちょうだいなど遺族に対してよく言えるね。
「お涙ちょうだい」は言い過ぎ。それこそ失礼の極み。
2023年1月17日、本日で阪神淡路大震災から28年が経つ。
そういう関係でこの動画にも辿り着いたが、俺自身、『お涙頂戴』とまでは言わずとも、この手の映像作品には違和感を覚える部分が有るのは事実だ。
決して遺族を無意味に批判したり、人為的ミスとあらばそれを擁護する気は無いが、災害を取材し映像化するに当たっては、如何なる場合に在っても中立を保つよう努力するべきと言うのが、多少の映像制作に関わったことの有る俺の持論でもある。
そういった点では確かに、スレ主の言うことは一理有るかもしれない。
個人的には、遺族に同情的な意見は良いとしても、殊更にミスを吊し上げる、いわば〝犯人捜し〟的意見が多い中で、別の視点から冷静な見解を述べられるスレ主のような人がいるのは救いではないかと思う。