ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
20数年前、大学1年の言語学の授業で、「ら」抜き言葉は尊敬や自発と可能を区別できるからいいものだ、という内容のレポートを提出したことを思い出しました。自分の中では会心の出来だったけど、成績は「良」だったなー。
二十ウン年前にその見識はすごい。
やっと、時代が追いついてきましたね。
本当ならめちゃめちゃ優秀だし、凄いな...
すげー着眼点がユニーク
@@あかうんとぐーぐる-e6l敬語を知っていれば、小学生でもそれは気付きますよ。
14:39堀元さんが「まさにあれですもんね」って言うと「おっ、何こいつキモナイトか??」ってビクってなる体にされてしまった
キモナイトmoodですね笑
ムードは草
高難易度の話を長時間聞かされる調教を受けて来たので、今回のように分かりやすくて短い話だと物足りなくなっている
調教(笑)
言語学って哲学に広がっていくから楽しいですよね。文化にもドリフトの傾向があるのではのところワクワクして最高でした。
今回のやつも良かった〜あと水野さんが反省の意も込めてチョムスキー勉強してたってのも誠実さが垣間見えて良かった〜
言葉は常に変化し続けているんでしょうけど、ら抜き言葉のように変化が感じられる正にその時に生きているって何だか感慨深い…
動画ありがとうございます。今回のサピア回もとても勉強になりました。文化は豪華と素朴を繰り返すのは、美術や建築の様式の変化はまさにその通りだと思います。
言語学は自然科学と同じくまず観察された物、現象があってそれをどう体系づけるかという学問のように思います。ら抜き言葉を容認するしないではなく、実際にあるものなので、既存の体系の中にどう取り込むかが言語学的なアプローチになりそうと思います。
変わった言い方とか言葉が出てきて、それで不便なくコミュニケーションできるときに、「文法的に間違っている」みたいな指摘をされることがあるけど、それはどちらかというと「文法が間違っている」ってことですよね。
@@どぶねずみ-u5z 言語がコミュニケーションツールである以上、相互に同意がないといけません。これは、世代によってもしくは地域によって同意できないものがあるでしょう。だから、「(俺の文法)的には間違ってる」っていうのが正しいかもしれません。複数のコミュニティに属していると、コミュニティ毎に微妙に違う文法で話していることもありそうです。
@@tenrai3065 言語を言語たらしめているものは、科学的根拠ではなく社会的合意である――というやつですね。だいぶ昔に、大学で教わったような…
「5000年生きたくなる」くだりが一切出てこないの草
以前だったら興味があっても調べ方すらわからなかった話題のほとんどが、TH-camで一般向けにわかりやすく解説されている時代になったけど、ついに生成文法まで。。。感激です
ゆる言語ラジオのお二人は、質問力や理解力、展開力も高そうなので様々なガチ勢のゲストを招いて欲しい。
実現しましたね!
ゆる言語学ラジオの特徴として、初めて学んだ内容をさも自分の中に持っていたように、気の聞いた事をコメント欄に書きたくなる、というものがある。それ故、二人の話を聴きながら今のは自分に例えるとこう、件のこれは反例なのでは?と記憶と対話しながらラジオを聴いているので、結果的に学生や社会人として模範となる「聞く姿勢」を身に付けられる大変有意義で教育的なラジオだと感じています
すごいわかる。学生時代にはとったことないのにメモまでしながら聞いてることすらある。そしてコメントする段になって「覚えたことをすぐ自慢したがる小学生から何も変わってないな」ってなる。
形容詞+み=形容の度合い悲しみが深いなどと言えるので動詞+み=動詞の度合い分かりみが深いなどと言うようになってきて変な言葉遣いと感じつつ、理解できてしまうところは面白いと思いました。
まじで19分だと物足りない体になってる
1時間も覚悟しながらクリックしてるもんね……
倍速で見るから3時間も覚悟してる
後に4時間半を超える生成文法の回が公開されるというのとを、この時の彼らはまだ知らないのだった。
事象を細かく語るのが好きなおふたりが、時代の流れのような大きく法則性のある現象について語っているのをみて何故か感動しました。
ら抜き言葉は尊敬語と自発、可能を簡単に区別出来てむしろ良いと思っている
英語史楽しみです!今回も面白かった!
「ら抜き言葉」の問題視からしばらくして、「書け(れ)る」、「読め(れ)る」のような「れ足す言葉」も同じように問題視されてましたよね。今のところは、一時の流行り程度で収まっていて、「ら抜き言葉」ほど言われなくなりましたが、もしも「れる」に対する可能のイメージがより共有されれば、「れ足す言葉」が整合性のある体形への変化として「ら抜き言葉」並に使われるようになるのかもしれませんね。
あー既出だった笑笑同じようなコメント書いたけど消しとこ
基本的にラ抜きできる動詞は可能でない否定語にしたとき母音にaがつく(例:いkaない→行ける、うtaない→打てる) ラ抜きできない言葉(たbeない→食べられる、いkiない→生きられる)
とbeる→飛べない の場合は可能の否定語となってしまうので法則に従うと「とbaない→飛べる」となります。おさえておくと便利な法則です。
レタスwwwwwwwwwいいね
それは五段活用だからなあかかれるとかけるで既に違いがあるし
5:28 で水野さんが「最後、ラスト、ドリフト一個紹介して終わりたいと思います」と言ったことにびっくり。「え、始まってまだ数分しか経ってないのにもうラストなの?」と思った。そしたらその後10数分続いた。別件で、体系として面白いのが東北方言での鼻濁音。鼻濁音は西日本方言にはもともと無いと言われていて、東京でも消えつつあるが、東北方言では必須。必須の理由を私(福島県出身)が考えると、東北方言では語中のカ行音とタ行音は濁点化する(「肩」は「カダ」、「息」は「イギ」)。すると、「鍵」と「柿」の区別が難しくなる。そこで、「鍵」は「カギ(鼻濁音)」、「柿」は「カギ(濁音)」と発音する。すなわち、ガ行音が鼻濁音なのか濁音なのかが弁別的要素になっている。
30分ぐらいの動画に慣れてしまって19分では満足できない体になってしまった
「食べられる」のら抜きが体系的に整理されたというお話、なるほどねーと思いました。面白かったですb
でも、「食べられる」って言ったら可能だけじゃね?と思う尊敬だったら頂く、召し上がるだし
@@gochuui1 恐竜に食べられる
@@gochuui1 「最後の1つを食べられた」のような文章だと、受け身、可能のどちらとしても解釈できますね。そう考えると可能としてしか解釈しない「食べれた」が生まれる理由も分かる気がします。
@@gochuui1 食べられる・召し上がる(尊敬語)いただく(謙譲語)面倒な日本語ワールド
@@gochuui1 私も尊敬に違和感あったんで召し上がるとか言い換えるにしても、文脈無しなら可能・受身の2通りはありますね
チョムスキー回楽しみです!
授業で「受身自発可能尊敬の4種類を判別せよ」みたいな教え方じゃなくて「ら抜き言葉の違いを考えよ」みたいな教え方だったら一発で覚えただろうなぁ
最初の方のお話で思い出したのは、生物学の生命潮流ですね。とはいえ、こちらは眉唾もののようでしたが……。複数の学問を学ぶと、全く違う分野にも関わらず、ある法則や、事象が似たような思想やロジックの下作られているものというのが、自分の中で紐付けられて腑に落ちる瞬間が好きです。
我々関西人は「~はる」で尊敬は分化済みなので、ら抜き言葉で可能と受身が分化すれば、さらに体系的に整理された「美しい」言語を話すことになる(ドャァ…他の方言でもあると思うけど)
逆に地元の方言は、共通語で五段活用の言葉をわざわざ「ら入れ」して、下一?上一?にして同化させてしまったりしていておもしろい。例:「書かれる(書ける、可能)」「行かれる🤪(行ける、可能)」アクセントまで同化、平坦化する地域だからかなぁなお、関西の奴らはよく東北をバカにするのであんまり言いたくない
大阪では死語ですけど、「~てや」っていう敬語もあるみたいですね。播磨出身の祖母がよく使います。
そりゃ当然、関西弁の方が日本の標準語やったしなぁ。見事な体系になってますわ。可能-見れる、尊敬-見はる、偉い人が見ることが可能-見れはる、見事や思いますわなぁ。
@@ruthszk9701 「ら入れ」はわざわざやってるんじゃなくて単に古い言葉が残ってるだけじゃないですか?
@@Puvnom まずはじめに、私のコメントについて「ら入れ」の具体例が提示できておらず、不完全なコメントになっており失礼しました。私がそもそも「ら入れ」だと感じた用例は「来られる」です。これに類する活用だなぁと感じていたのが、行かれる、書かれるの二例でした。恥ずかしながら古語に関する知識を持ち合わせておらず、これら3例を説明できる古語が存在するのかはわかりません。よろしければご教授願えますか?
堀元さんは、ブラタモリ好きと見ました私は超ファンで、学生の頃は全く興味のなかった地学系の話がとっても面白いですよね中央構造線とか、糸静線とか…
わかる。河岸段丘とか。
自分も「ら抜き言葉」については「可能の意味を分かるようにしてるんだから、日本語の進化だ」と友人に主張していたので、扱ってもらえたことがうれしいです。これで「可能動詞」の扱いが将来どうなるかが楽しみです。
色んなことを喋りたくなる回ですね。自分は5-10年くらい前に日本語のスラングで「塩対応」(不快さゆえの冷淡な対応)英語のスラングで「salty」(小さな事でイライラしている)両方「塩」なんや!と思いました。偶然なのかなぁ。
「シフト」じゃなく「ドリフト」って自然に流されていくってイメージですね。
「終わりの始まり」は確かに道理だちょっと感動した
今個人的に興味ある話題とシンクロしたので凄く面白かったです。川上量生「コンテンツの秘密」によると美術に詳しい高畑勲監督は「美術史はアーカイズム→クラシック→マニエリスム→バロックを繰り返してる」(他の芸術、アニメも同様)とおっしゃってたそうです。車のドリフトと文化が円環するイメージが合致し過ぎて脳内でギャギャギャと車がドリフトし続けましたwちなみに「コンテンツの秘密」は個人的インパクトファクターが高い本です。
そう言えば以前、林修さんが、ら抜き言葉は本当はAR抜き言葉じゃないか、と言うような説を解説してたと思う。例えば「食べられる→食べれる」はtaberAReruのARが抜けてtabereruになる。
書かれる→kakAReru→書けると考えるとそうですね。
書くは五段活用なので「ら抜き」の適応外ですね
@@shisotaro663 様そうですね。確か、その様な例を挙げて書かれる→書けるもkakAReru→kakeruだからAR抜き、と言ってた気がします。
なるほど!
そう考えると体系の整合性が可能とそれ以外で活用が分かれるってだけじゃなく発音の面でも取れてるのか
面白い!生き別れた双子より生物の並行進化に例えたほうがわかりやすいかもオオカミとフクロオオカミとか
豪華と素朴の繰り返しの話でロシアのつるふさの法則を思い出した(ロシアの指導者は禿頭と髪ある人が交互に現れるやつ)
私の実家のある地域(飛騨地方)の方言では逆に、「書く」の可能の形が「書けれる」だったりして、「食べれる」に近くなっているので面白いなと思いました。
「書けれる」「食べれる」の否定形は、書けれん・食べれんではなくて(そう言う場合もありますが)、「書けれーせん」「食べれーせん」なんですよね
文化の繰り返しは、女子高生の靴下の丈が、ハイソックスからくるぶしソックスへ向かい、またハイソックスに流れが移るのと近いでしょうか?現在は一番短いところにいるので、そろそろ伸びてくるのではと思っています。by.30代後半女性(ルーズソックスの終焉を見た世代)
最近ルーズソックスが再び流行ってるみたいですよ
ほんとにおもしろいです…!今年最後にこのチャンネルに出会えて幸せです。5000年とはいわずとも、動画が「見れる」限り生きていたい…✨小西甚一氏も、雅と俗という二項対立で日本文学史を説明されてますね!
もう30年くらい前かな?若者が疑問文じゃないのに語尾を上げてしゃべるのが変、ってなってた頃にアメリカでも全く同じ現象が出てた話を思い出しました
50年前?くらいの東京の若い女性も、語尾を急激に上げていたらしいです。
絶好調は「絶好」と「好調」の掛け合わせで生まれ、絶不調は「不調」はあるけど「絶不」がないので生まれなかったのではないかなど、その当時は「絶好調」などと若者は下らん言葉遊びをする!なんて言われていたのかもと、なんとなく思いを馳せました。時を越え、在りし日の文化や情景、はたまた見ることの叶わない未来の風景までがこの目に浮かぶような気がしてきます。大げさに言うと、このチャンネルには悠久の欠片を感じます。
ある学問が全然違う学問の発展に役立つみたいなことってグッときますよね。何年か前に脳のある領域の機能を経済学を適用することで改名したみたいなこともあって感動した記憶があります。
GVS! 英語学習でフラストレーション溜まる大きな原因のGVS!堀田隆一さんの英語史の本は面白く読みました。あと、鼻濁音の歴史について話してくださるととても嬉しいです。今では濁音と鼻濁音の区別が少なくなっているものの、東北地方では濁音の発音が多いことと、鼻濁音と濁音の区別がかなり明確と言うのはかなり面白い題材です。
違和感からネガティブイメージの「ら抜き言葉」の印象が変わりました。面白かったのでチャンネル登録しました。他の動画も期待してます。
繁栄と衰退のサイクル、景気循環の波と一緒ですね。
「行く」⇒「行か」+「れる」⇒「行かれる」(五段活用)「見る」⇒「見」+「られる」⇒「見られる」(上一段活用)と、助動詞を2種類用意することで、可能を表す語の末尾を「-areru」という発音で統一できる点では整合性があった。後に、「行かれる」の動詞「行か」の「か」の子音「k」と助動詞「れる」の「れ」の母音「e」を繋げて「行ける」となった時点で発音の整合性が取れなくなる。しかし、動詞「見」+助動詞「られる」の構造だと、動詞の末尾の子音と助動詞の冒頭の母音を繋げると訳が分からなくなる。これが上一段・下一段・カ変の場合のみ「られる」のままとなった原因ではなかろうか。いわゆる「ら抜き言葉」は、「ら」を抜いているというよりは、可能を表す場合は、一律で助動詞「れる」を使うという変化なのかもしれない。つまり、従来「られる」が使用されていたものを「れる」に置き換えると、「動詞の未然形」+「れる」=「可能」と言う活用に統一される。また、動詞・助動詞の枠組みを取り払い純粋に音だけで考えて、「られる」の「ーれる」直前の音「ら」の子音「r」と、「れ」の母音「e」を繋げる――という考え方でも「られる」が「れる」と変化するので、そういうことなのかもしれない。あるいは、もっと単純に「なんで『走る』→『走れる』なのに『見る』→『見れる』じゃないの?」っていう次元の違和感から、文字通り「ら」を抜いたのかもしれない。ともあれ、可能の助動詞「れる」「られる」を使い分けるよりも、「れる」で統一したほうが法則的にはスッキリするのは間違いなさそう。
えええ、みじかあい、と思ったけど、電車に乗ってる時間に合ってたからよかった😊ちなみに小学校ではひらがなでは伸ばすとき横棒を使いません。
岡山弁はら抜き言葉、れ足す言葉をおばあちゃんでも普通に使います。ら抜き言葉が日本語の乱れだ!ってメディアで有名になったときに、皆普通に使っていたので何がら抜き言葉なのか理解できなかったのを覚えています。
ら抜き言葉に関して、北海道沿岸部の傾向なのですが、同じ「可能」の意味でも、ら抜きか非ら抜きかで若干ニュアンスが変わることがあります。否定文で顕著なのですが、例えば①「食べれない(ら抜き)」と言った場合、その理由は満腹であるとか、嫌いな食べ物であるとか、不可能の原因が動作主にあることが暗示されるのに対し、②「食べられない(非ら抜き)」と言った場合は、腐っているとか、そもそも食べ物じゃないとか、不可能の原因が対象物にあることが暗示されます(禁止の意味合いに近い)。なので、自分も北海道沿岸の人間ですが、満腹の意味で「もう、食べられない」というのはかなり違和感がありますし(食べ物のせいにするなよと言いたくなります。)、毒キノコなどは「食べられない」とは言いますが、「食べれない」とは言いません。
道北内陸部でも同様です。北海道あるあるでしょうか?
@@tochan2520さん 道北もそうなんですね。でも少なくとも札幌は標準語よりなのか、区別してる傾向はありませんでした。若者はみんなら抜きでしたね
@@KY-fc6pk 旭川近くに住んでますが、あまり意識したことはないです。ふと思ったのは、「食べられない」だと受身の意味がより強く無意識に混ざってくるからじゃないかなと。ら抜き言葉の説明通り、「食べれない」だと可能の意味のみになるため人間側の視点のみで不可能になるけど、「食べられない」だと言葉として受身の意味もあるため、食べ物側の視点が重なっているようなイメージを持ちました。冗長な説明かもしれませんが、「これは食べられない」だと「(私は)これは食べられない」と「これは(私からは)食べられない」の二通りの文が想定されて、混同するというか印象が引きずられているんじゃないかなと思います。
文化のドリフトの話、生物学における「抑制」と同じかなぁ生物は基本的に環境に適応するために、より強い個体がモテるわけだけど、種が繁栄しだすと見た目その他によってモテ始めるんだよな鹿の角だとか鳥の羽やら歌だとか虫だとかが顕著な例生存に全く関係ないところにエネルギーを使い出すっていうのがフリーライダーと似てるような気がする個体レベルか、全体レベルかって違いかな
文化については、交通手段が発展して生産がだんだんと人件費の安い外国に移った結果、今の日本では生産者よりもTH-camrのような文化的な仕事が増えてきてる、今後もそういう方向なんじゃないかって誰かが言ってた気がする
てことは、次は農業漁業林業が来るってことですやん!
終わりの始まりですね
5000年生きたくなった話は....
1:22名前name は「ナーメ」だったという話
「なまえ」とほとんど同じやん。
オランダ語と同じですね
その頃ならローマ字教育はスペル暗記を阻害する説が生まれなかった だろう説
ファッションは元々下着だったものが一番外側に出ていく流れがあるみたいですね。まさにドリフトしてると思いました。
ら抜き言葉は実は「ら」が抜けているわけではないんですよね.書かれる => 書ける (kakAREru => kakEru)と同様に,食べられる=>食べれる(taberAREru=>taberEru)と,are が e に変化している
こう見るとラ行音子音の消滅ですね。薬師みたいな。
ar抜き言葉
@@そばうま そうですね!ar抜き言葉ですね!
薬師(くすし)は、ずっとくすりしだと思ってました。
ゲーム史も豪華と素朴がありそう。
タモさんもサピアと一緒で、色々な言語を喋れるもんね
水野さんが「ということで」って割と早めに言ったから、動画終わるのかと思ったらまだ真ん中だった笑「ということで」って聞くと結論が来るように感じるのは私だけでしょうか?🤔
言語学におけるドリフト理論が文化史にも適用できるというあたりの話はとんでなく面白いですね。チョムスキーの研究対象も言語学だけにとどまらず社会、歴史、文化、政治など人類史とでもいうべき広範な分野に及んでいることを思い出していました。チョムスキーの専門家の話が聞けるのはとても楽しみです。
むしろ、言葉は省略されたのにルール上は複雑化されている『ら抜き言葉』
ら抜き言葉はra抜き言葉ではなくar抜き言葉と言っていた方がいたことを聞いたことがあります。
俺も「“暗渠”ってタモリしか使ってない言葉だな」って思ってました
全部もっていくチョムスキー、楽しい。家族が日本語教師を目指して勉強しているので、家族間の会話が増えました。
ら抜き言葉ってやっぱ子供とかが使ってるイメージがあって、子供はなかなか尊敬語使わないよなー、って考えると「食べれる」が可能だけ表わすのも納得できますねもし「られる」の意味がもう少し分かりやすく子供も使うものだったらここまで綺麗に体系が出来なかったかもですね
「さ」足し言葉もTVのテロップとかで当たり前になっているような感じする食べなそう→食べなさそう
発音が変わって表記と発音がずれるのは日本語でも旧仮名遣いの時に発生してますね。
ら抜き言葉の他の、専門家ストップが出た郡も知りたい。
ヒッピー自然派の法則が強化されましたね。
ある社会の発展期、繁栄期、衰退期を表す山形のカーブがあるとすると、同形のカーブを横にスライドさせたものが、その社会の文化の発達具合のカーブだという話をどこかで聞いたか読んだかしました。文化の繁栄は社会の衰退の証とも言えますが、私には文化のピークは社会の衰退期に現れると、どこかポジティブな期待をしてしまう話です。
「栄華と質素を繰り返す」って当たり前に聞こえるけどどうなんだろ等間隔に繰り返すなら面白い現象に思うけど
自分もなんとなくわかります。「生きているから死ぬ」みたいなですよね。バブルとか同じく、あれが栄華(ピーク)だったんだ、終わってからしか気付けない。
・活用表をみつづけると、何かおかしいことに気づくことがありますよね。「こうした方がいいんじゃない?」ってのはドリフト感覚なのかな・「和訳」「日本語訳」の新しい用例:転じて、わかりやすく言い換えること・堀元見は、自分のチャンネルとゆる言語学ラジオでは別人のよう。見さんも、まずは黙って勉強して、知識を使いこなせるようになってから、それをアカデミックな悪口に使うんだなぁ。
徳川家斉の頃の政治のボロカス具合と文化の栄えっぷりは正に!だなぁと。
「ら抜き言葉」の仮説:-----1. 能力的な可能と、状況的な可能を表す構文(助動詞)があった。2. 五段活用(古くは四段活用)動詞は能動的な傾向が、一段活用(古くは二段活用等)動詞は受動的な傾向があった。3. 動詞の種類に関係なく、能力的な可能と状況的な可能を使い分ける動詞で、専用の可能動詞の形態ができた。 ・ 2.の傾向があるため、3.で作られた可能動詞は五段活用動詞の割合が高くなった。4. 時代が下って、以下のような変化が起こった。 ・ 1.の区別が曖昧化した。 ・ 動詞の用法の変化が起こり、一段活用動詞の中にも能動的なものも含まれるようになった。5. 国文法が整理され分類され、論理的に正誤の判断ができるようになった。結果として、一段活用動詞で可能動詞を作ろうとすると、一段活用+「れる」のようにみえる形ができてしまうが、これは意味が似ている「られる」の誤用だと見なされてしまった。-----以上、真実に少しでも近い部分があると良いなぁ。※真面目に考えたものの、個人の妄想なのでご注意ください。
肥筑方言 Tips:「食べゆる」(or 食べきる) ⇒ 私は食べることができる「食べらるる」 ⇒ これは(この状況ならば)食べることができる
全然〜ないとかもないをつけずに肯定文でも使われるようになってますよね
〇〇した って江戸時代に言い始めた若者は リ抜き言葉 って言って怒られたんだろうな
9:06 五段活用の「行く」の可能を「行かれる」と言う友人がいて、ら抜き言葉に厳しいタイプなのだと思ってたのですが、やはり「行ける」が一般的なんですね友人のはどちらかというと方言だったのでしょうか?
超面白いお金払うのでどっかのホールとか借りてフリートークみたいなのいつかやってほしい
華美→質素を繰り返してるのは服飾もそうだね。ただ、服飾は華美→質素を繰り返しながら、フォーマル→カジュアルへと推移し続けている。
五段活用動詞については「書ける」のような可能動詞が認められているので、他の活用動詞でも可能動詞として「ら抜き」がそのうち認められてしかるべきとは思ってましたただ「ら抜きは間違い」というクリシェがその動きを阻害しているような感じがしていて、認められるのはいつになるかわからないですね
ら抜き言葉面白かったです。い抜き言葉にも言語学的面白さがあるのでしょうか。
い抜きとは「出でる」とか「いばら」のことですか?
@@かるいし-l4p 「〇〇ている」が「〇〇てる」になる(食べてる) 「〇〇いない」が「〇〇ない」になる(食べてない) などと言われています。
@@mokoinaba652 ありがとうございます
ら抜き言葉を適用したときに違和感があったり言い辛くなる動詞もない?「得れる」「くっつけれる」「尋ねれる」「求めれる」…「受け入れれる」を受け入れられる?「着られる」を「着れる」としたら、「切れる」と音が同じになることも気になったり
ら抜き言葉のあとに,「れ」足す言葉が出てきましたが,これも体系の整理なのでしょうか?
ゲーム業界はアタリショックだったりファミコン時代にあったゲーム会社がほとんど倒産したりスマホ向けゲームなんかがリリースしてすぐサービス終了したりと業界的には繁栄と衰退を繰り返しながらもコンピュータサイエンスの成長とともに技術的成長していくドリフトを感じますね。
41年ゼミ(定年までこき使われるポスドクばっかりの研究室
専門家くる!?めちゃ楽しみ!!
たまに見る「書ける」→「書けれる」みたいなレタス言葉も何かあるのかな。個人的にはあまり好きじゃないけど、言語学者さん的には面白いのかもしれない。
レタス言葉
レ足す?
なら僕はキャベツ言葉を提唱する
北海道大学教授で言語学者の加藤重広先生も著書「日本人も悩む日本語」(朝日新書)の中でら抜き言葉について触れてますね。言語構造的に合理的ではあるが、不適切と思う人が今でも多い以上、一定の品位や格式が要求される場では運用上注意を払うのが妥当、というように、文体レベルの高低を踏まえて説明しておられるのが印象的でした。
全ての道はチョムスキーに通ず
ら抜き言葉は日本語の乱れではなくて絶対に進化だと思ってたけど、言語学的にもそうだったんですね
動画が公開されることに喜びを感じている自分がいる!
ら抜き言葉のドリフトは話し言葉でさえまだ完全には完了してなくて、語幹の長い動詞や、下一段活用の動詞はまだ定着してないようなので、ドリフトの完了にはまだ時間がかかりそうですねe.g. 認めれる、別れれる、忘れれる、出かけれる、考えれる
「ら抜き」が美しいなんて、全面的には信じれません。
受身と まぎらわしくない 動詞に 関しては ら抜き言葉が 定着しにくい 傾向が あると 思います。
別れれるはまだ違和感がありますね数年後にまたこのコメントを見た時にはこの違和感がどうなってるか気になるな
現在進行形で言語の変化が起きてるって考えると面白い
#0として、お二人自身の話を聞きたいなぁ。どんな子供、学生だったのかとか。私は子供に本を読んであげない母だったので、子供らも本は読まず。読むのに慣れないから、教科書も速く読めず、テスト問題も時間切れ…と母親業の失敗を反省しています。本好きのお二人が羨ましい。あ、堀元さんの村の話も聞きたいです。
ロココ様式も、ちょうどフランス革命の前夜あたりに盛んになりましたね、、、 文化は極大点、という考えになるほどと思いました。いつもありがとうございます。
「自信なさげ」が誤用で、「自信なげ」が正しいというのを最近知ったんだけれども、さ入れ言葉もあるようです。これも、美しい日本語への変化なのか、それとも絶好調と絶不調のような関係で、自信あり気と自信なさ気という関係なのだろうか。素数ゼミも、ちょっと持論があって、偶数同士でも奇数年ズレていれば、交わることがないので、なぜそういうセミが居ないのかというのを説明しないとならないと感じています。あと、13年ゼミ、17年ゼミは、アメリカという広範囲でみると毎年のように発生していますが、発生地域が異なっているので、素数ゼミは毎年のようにニュースになっています。日本のセミは7年とか言われているが、セミの声を聞かない年はないので、この辺りの日本とアメリカの食い違いが説明出来て、初めて素数ゼミの理解が前進したと考えます。
実はナレーションの勉強をしているのですが、「母音の脱落」という概念が今まで腑に落ちませんでしたが、サピアの回を聞いて納得しました(例)三角形「さんかっけい(sankkei)」↑「さんかくけい(snakak''u''kei)」確かに「さんかくけい」とか「てきかく(的確)」とか「すいぞくかん(水族館)」とか言いにくいし、母音落ちるよなって思いました。
kやtみたいな破裂音が重なると、発音しづらいからか促音便化しやすいですよね。発達(はつたつ→はったつ)学活(がくかつ→がっかつ)
この話で聞くと盛者必衰って言葉の深みがより理解できた気がします。
素数ゼミの話した後に、「吉村先生の説明ですねこれはw」が面白いw
「書ける」ももともとは「書かれる」で、否定形は「書かれない」。標準語では「書かれる」「書かれない」はもうあまり使いませんけど、関西弁では否定形の「書かれへん」はよく使います。
五段活用の動詞だと様子が違うとありますが、「ら」抜きが特殊なのではなく、どちらも同じ「AR」抜きだと言う話はいかがでしょうか。KAKARERU 書かれるKAK ERU 書けるTABERARERU 食べられるTABER ERU 食べれる
大母音推移の話、人間の構造に適した発音みたいなものが共通だからどの言語でも同じ発展を遂げた、ということなのかなと思いました
今まさに言語の自然変化の只中に私たちは生きている訳か素数ゼミは20種ぐらいいるので、何だかんだで数年ごとに別の州で発生してるらしいですねあと、間違えてフライングや出遅れて発生する個体もいるらしいけど、他のセミに紛れて交雑したり死んだりしてるらしいですね
二つの言語が影響しあってないはずなのに、全く違う場所の二つの言語が同じような進化をしている、の話。前回のお話で、言語の変化の始まりは個人から起こるみたいな説があったと思うけれど、だとしたらAの言語地域で育った人がBの地域に引っ越して同じような変化の流れを与えてしまったということはないのでしょうか?言語ってやっぱり使いやすいように精錬されていくものだから、先に進んでる言語の人の言葉遣いを聞いて、発展途上言語が同じような使い方をするのはありえると思うのだけれど、そういうのとは明らかに違う変化だけどってことなのだろうか?
20数年前、大学1年の言語学の授業で、「ら」抜き言葉は尊敬や自発と可能を区別できるからいいものだ、という内容のレポートを提出したことを思い出しました。自分の中では会心の出来だったけど、成績は「良」だったなー。
二十ウン年前にその見識はすごい。
やっと、時代が追いついてきましたね。
本当ならめちゃめちゃ優秀だし、凄いな...
すげー
着眼点がユニーク
@@あかうんとぐーぐる-e6l敬語を知っていれば、小学生でもそれは気付きますよ。
14:39
堀元さんが「まさにあれですもんね」って言うと「おっ、何こいつキモナイトか??」ってビクってなる体にされてしまった
キモナイトmoodですね笑
ムードは草
高難易度の話を長時間聞かされる調教を受けて来たので、今回のように分かりやすくて短い話だと物足りなくなっている
調教(笑)
言語学って哲学に広がっていくから楽しいですよね。文化にもドリフトの傾向があるのではのところワクワクして最高でした。
今回のやつも良かった〜
あと水野さんが反省の意も込めてチョムスキー勉強してたってのも誠実さが垣間見えて良かった〜
言葉は常に変化し続けているんでしょうけど、ら抜き言葉のように変化が感じられる正にその時に生きているって何だか感慨深い…
動画ありがとうございます。
今回のサピア回もとても勉強になりました。文化は豪華と素朴を繰り返すのは、美術や建築の様式の変化はまさにその通りだと思います。
言語学は自然科学と同じくまず観察された物、現象があってそれをどう体系づけるかという学問のように思います。ら抜き言葉を容認するしないではなく、実際にあるものなので、既存の体系の中にどう取り込むかが言語学的なアプローチになりそうと思います。
変わった言い方とか言葉が出てきて、それで不便なくコミュニケーションできるときに、「文法的に間違っている」みたいな指摘をされることがあるけど、それはどちらかというと「文法が間違っている」ってことですよね。
@@どぶねずみ-u5z 言語がコミュニケーションツールである以上、相互に同意がないといけません。これは、世代によってもしくは地域によって同意できないものがあるでしょう。だから、「(俺の文法)的には間違ってる」っていうのが正しいかもしれません。複数のコミュニティに属していると、コミュニティ毎に微妙に違う文法で話していることもありそうです。
@@tenrai3065
言語を言語たらしめているものは、科学的根拠ではなく社会的合意である――というやつですね。
だいぶ昔に、大学で教わったような…
「5000年生きたくなる」くだりが一切出てこないの草
以前だったら興味があっても調べ方すらわからなかった話題のほとんどが、TH-camで一般向けにわかりやすく解説されている時代になったけど、ついに生成文法まで。。。感激です
ゆる言語ラジオのお二人は、質問力や理解力、展開力も高そうなので様々なガチ勢のゲストを招いて欲しい。
実現しましたね!
ゆる言語学ラジオの特徴として、初めて学んだ内容をさも自分の中に持っていたように、気の聞いた事をコメント欄に書きたくなる、というものがある。それ故、二人の話を聴きながら今のは自分に例えるとこう、件のこれは反例なのでは?と記憶と対話しながらラジオを聴いているので、結果的に学生や社会人として模範となる「聞く姿勢」を身に付けられる大変有意義で教育的なラジオだと感じています
すごいわかる。学生時代にはとったことないのにメモまでしながら聞いてることすらある。
そしてコメントする段になって「覚えたことをすぐ自慢したがる小学生から何も変わってないな」ってなる。
形容詞+み=形容の度合い
悲しみが深い
などと言えるので
動詞+み=動詞の度合い
分かりみが深い
などと言うようになってきて
変な言葉遣いと感じつつ、理解できてしまうところは面白いと思いました。
まじで19分だと物足りない体になってる
1時間も覚悟しながらクリックしてるもんね……
倍速で見るから3時間も覚悟してる
後に4時間半を超える生成文法の回が公開されるというのとを、この時の彼らはまだ知らないのだった。
事象を細かく語るのが好きなおふたりが、時代の流れのような大きく法則性のある現象について語っているのをみて何故か感動しました。
ら抜き言葉は尊敬語と自発、可能を簡単に区別出来てむしろ良いと思っている
英語史楽しみです!
今回も面白かった!
「ら抜き言葉」の問題視からしばらくして、「書け(れ)る」、「読め(れ)る」のような「れ足す言葉」も同じように問題視されてましたよね。
今のところは、一時の流行り程度で収まっていて、「ら抜き言葉」ほど言われなくなりましたが、もしも「れる」に対する可能のイメージがより共有されれば、「れ足す言葉」が整合性のある体形への変化として「ら抜き言葉」並に使われるようになるのかもしれませんね。
あー既出だった笑笑
同じようなコメント書いたけど消しとこ
基本的にラ抜きできる動詞は可能でない否定語にしたとき母音にaがつく(例:いkaない→行ける、うtaない→打てる) ラ抜きできない言葉(たbeない→食べられる、いkiない→生きられる)
とbeる→飛べない の場合は可能の否定語となってしまうので
法則に従うと「とbaない→飛べる」となります。おさえておくと便利な法則です。
レタスwwwwwwwwwいいね
それは五段活用だからなあ
かかれるとかけるで既に違いがあるし
5:28 で水野さんが「最後、ラスト、ドリフト一個紹介して終わりたいと思います」と言ったことにびっくり。「え、始まってまだ数分しか経ってないのにもうラストなの?」と思った。そしたらその後10数分続いた。別件で、体系として面白いのが東北方言での鼻濁音。鼻濁音は西日本方言にはもともと無いと言われていて、東京でも消えつつあるが、東北方言では必須。必須の理由を私(福島県出身)が考えると、東北方言では語中のカ行音とタ行音は濁点化する(「肩」は「カダ」、「息」は「イギ」)。すると、「鍵」と「柿」の区別が難しくなる。そこで、「鍵」は「カギ(鼻濁音)」、「柿」は「カギ(濁音)」と発音する。すなわち、ガ行音が鼻濁音なのか濁音なのかが弁別的要素になっている。
30分ぐらいの動画に慣れてしまって19分では満足できない体になってしまった
「食べられる」のら抜きが体系的に整理されたというお話、なるほどねーと思いました。面白かったですb
でも、「食べられる」って言ったら可能だけじゃね?と思う
尊敬だったら頂く、召し上がるだし
@@gochuui1 恐竜に食べられる
@@gochuui1 「最後の1つを食べられた」のような文章だと、受け身、可能のどちらとしても解釈できますね。そう考えると可能としてしか解釈しない「食べれた」が生まれる理由も分かる気がします。
@@gochuui1 食べられる・召し上がる(尊敬語)
いただく(謙譲語)
面倒な日本語ワールド
@@gochuui1 私も尊敬に違和感あったんで召し上がるとか言い換えるにしても、文脈無しなら可能・受身の2通りはありますね
チョムスキー回楽しみです!
授業で「受身自発可能尊敬の4種類を判別せよ」みたいな教え方じゃなくて
「ら抜き言葉の違いを考えよ」みたいな教え方だったら一発で覚えただろうなぁ
最初の方のお話で思い出したのは、生物学の生命潮流ですね。とはいえ、こちらは眉唾もののようでしたが……。
複数の学問を学ぶと、全く違う分野にも関わらず、ある法則や、事象が似たような思想やロジックの下作られているものというのが、自分の中で紐付けられて腑に落ちる瞬間が好きです。
我々関西人は「~はる」で尊敬は分化済みなので、ら抜き言葉で可能と受身が分化すれば、さらに体系的に整理された「美しい」言語を話すことになる(ドャァ…他の方言でもあると思うけど)
逆に地元の方言は、共通語で五段活用の言葉をわざわざ「ら入れ」して、下一?上一?にして同化させてしまったりしていておもしろい。
例:「書かれる(書ける、可能)」「行かれる🤪(行ける、可能)」
アクセントまで同化、平坦化する地域だからかなぁ
なお、関西の奴らはよく東北をバカにするのであんまり言いたくない
大阪では死語ですけど、「~てや」っていう敬語もあるみたいですね。播磨出身の祖母がよく使います。
そりゃ当然、関西弁の方が日本の標準語やったしなぁ。見事な体系になってますわ。
可能-見れる、尊敬-見はる、偉い人が見ることが可能-見れはる、見事や思いますわなぁ。
@@ruthszk9701 「ら入れ」はわざわざやってるんじゃなくて単に古い言葉が残ってるだけじゃないですか?
@@Puvnom まずはじめに、私のコメントについて「ら入れ」の具体例が提示できておらず、不完全なコメントになっており失礼しました。
私がそもそも「ら入れ」だと感じた用例は「来られる」です。これに類する活用だなぁと感じていたのが、行かれる、書かれるの二例でした。
恥ずかしながら古語に関する知識を持ち合わせておらず、これら3例を説明できる古語が存在するのかはわかりません。よろしければご教授願えますか?
堀元さんは、ブラタモリ好きと見ました
私は超ファンで、学生の頃は全く興味のなかった地学系の話がとっても面白いですよね
中央構造線とか、糸静線とか…
わかる。
河岸段丘とか。
自分も「ら抜き言葉」については「可能の意味を分かるようにしてるんだから、日本語の進化だ」と友人に主張していたので、扱ってもらえたことがうれしいです。
これで「可能動詞」の扱いが将来どうなるかが楽しみです。
色んなことを喋りたくなる回ですね。
自分は5-10年くらい前に日本語のスラングで「塩対応」(不快さゆえの冷淡な対応)
英語のスラングで
「salty」(小さな事でイライラしている)
両方「塩」なんや!と思いました。
偶然なのかなぁ。
「シフト」じゃなく「ドリフト」って自然に流されていくってイメージですね。
「終わりの始まり」は確かに道理だ
ちょっと感動した
今個人的に興味ある話題とシンクロしたので凄く面白かったです。
川上量生「コンテンツの秘密」によると美術に詳しい高畑勲監督は「美術史はアーカイズム→クラシック→マニエリスム→バロックを繰り返してる」(他の芸術、アニメも同様)とおっしゃってたそうです。
車のドリフトと文化が円環するイメージが合致し過ぎて脳内でギャギャギャと車がドリフトし続けましたw
ちなみに「コンテンツの秘密」は個人的インパクトファクターが高い本です。
そう言えば以前、林修さんが、ら抜き言葉は本当はAR抜き言葉じゃないか、と言うような説を解説してたと思う。例えば「食べられる→食べれる」はtaberAReruのARが抜けてtabereruになる。
書かれる→kakAReru→書けると考えるとそうですね。
書くは五段活用なので「ら抜き」の適応外ですね
@@shisotaro663 様
そうですね。確か、その様な例を挙げて書かれる→書けるもkakAReru→kakeruだからAR抜き、と言ってた気がします。
なるほど!
そう考えると体系の整合性が可能とそれ以外で活用が分かれるってだけじゃなく発音の面でも取れてるのか
面白い!
生き別れた双子より
生物の並行進化に例えたほうがわかりやすいかも
オオカミとフクロオオカミとか
豪華と素朴の繰り返しの話でロシアのつるふさの法則を思い出した(ロシアの指導者は禿頭と髪ある人が交互に現れるやつ)
私の実家のある地域(飛騨地方)の方言では逆に、「書く」の可能の形が「書けれる」だったりして、「食べれる」に近くなっているので面白いなと思いました。
「書けれる」「食べれる」の否定形は、書けれん・食べれんではなくて(そう言う場合もありますが)、「書けれーせん」「食べれーせん」なんですよね
文化の繰り返しは、女子高生の靴下の丈が、
ハイソックスからくるぶしソックスへ向かい、またハイソックスに流れが移るのと近いでしょうか?
現在は一番短いところにいるので、そろそろ伸びてくるのではと思っています。
by.30代後半女性(ルーズソックスの終焉を見た世代)
最近ルーズソックスが再び流行ってるみたいですよ
ほんとにおもしろいです…!今年最後にこのチャンネルに出会えて幸せです。5000年とはいわずとも、動画が「見れる」限り生きていたい…✨小西甚一氏も、雅と俗という二項対立で日本文学史を説明されてますね!
もう30年くらい前かな?若者が疑問文じゃないのに語尾を上げてしゃべるのが変、ってなってた頃にアメリカでも全く同じ現象が出てた話を思い出しました
50年前?くらいの東京の若い女性も、語尾を急激に上げていたらしいです。
絶好調は「絶好」と「好調」の掛け合わせで生まれ、絶不調は「不調」はあるけど「絶不」がないので生まれなかったのではないかなど、その当時は「絶好調」などと若者は下らん言葉遊びをする!なんて言われていたのかもと、なんとなく思いを馳せました。
時を越え、在りし日の文化や情景、はたまた見ることの叶わない未来の風景までがこの目に浮かぶような気がしてきます。
大げさに言うと、このチャンネルには悠久の欠片を感じます。
ある学問が全然違う学問の発展に役立つみたいなことってグッときますよね。
何年か前に脳のある領域の機能を経済学を適用することで改名したみたいなこともあって感動した記憶があります。
GVS! 英語学習でフラストレーション溜まる大きな原因のGVS!
堀田隆一さんの英語史の本は面白く読みました。
あと、鼻濁音の歴史について話してくださるととても嬉しいです。
今では濁音と鼻濁音の区別が少なくなっているものの、東北地方では濁音の発音が多いことと、鼻濁音と濁音の区別がかなり明確と言うのはかなり面白い題材です。
違和感からネガティブイメージの「ら抜き言葉」の印象が変わりました。
面白かったのでチャンネル登録しました。他の動画も期待してます。
繁栄と衰退のサイクル、景気循環の波と一緒ですね。
「行く」⇒「行か」+「れる」⇒「行かれる」(五段活用)
「見る」⇒「見」+「られる」⇒「見られる」(上一段活用)
と、助動詞を2種類用意することで、可能を表す語の末尾を「-areru」という発音で統一できる点では整合性があった。
後に、「行かれる」の動詞「行か」の「か」の子音「k」と助動詞「れる」の「れ」の母音「e」を繋げて「行ける」となった時点で発音の整合性が取れなくなる。
しかし、動詞「見」+助動詞「られる」の構造だと、動詞の末尾の子音と助動詞の冒頭の母音を繋げると訳が分からなくなる。
これが上一段・下一段・カ変の場合のみ「られる」のままとなった原因ではなかろうか。
いわゆる「ら抜き言葉」は、「ら」を抜いているというよりは、可能を表す場合は、一律で助動詞「れる」を使うという変化なのかもしれない。
つまり、従来「られる」が使用されていたものを「れる」に置き換えると、「動詞の未然形」+「れる」=「可能」と言う活用に統一される。
また、動詞・助動詞の枠組みを取り払い純粋に音だけで考えて、「られる」の「ーれる」直前の音「ら」の子音「r」と、「れ」の母音「e」を繋げる
――という考え方でも「られる」が「れる」と変化するので、そういうことなのかもしれない。
あるいは、もっと単純に「なんで『走る』→『走れる』なのに『見る』→『見れる』じゃないの?」っていう次元の違和感から、文字通り「ら」を抜いたのかもしれない。
ともあれ、可能の助動詞「れる」「られる」を使い分けるよりも、「れる」で統一したほうが法則的にはスッキリするのは間違いなさそう。
えええ、みじかあい、と思ったけど、電車に乗ってる時間に合ってたからよかった😊
ちなみに小学校ではひらがなでは伸ばすとき横棒を使いません。
岡山弁はら抜き言葉、れ足す言葉をおばあちゃんでも普通に使います。
ら抜き言葉が日本語の乱れだ!ってメディアで有名になったときに、皆普通に使っていたので何がら抜き言葉なのか理解できなかったのを覚えています。
ら抜き言葉に関して、北海道沿岸部の傾向なのですが、同じ「可能」の意味でも、ら抜きか非ら抜きかで若干ニュアンスが変わることがあります。否定文で顕著なのですが、
例えば
①「食べれない(ら抜き)」と言った場合、その理由は満腹であるとか、嫌いな食べ物であるとか、不可能の原因が動作主にあることが暗示されるのに対し、
②「食べられない(非ら抜き)」と言った場合は、腐っているとか、そもそも食べ物じゃないとか、不可能の原因が対象物にあることが暗示されます(禁止の意味合いに近い)。
なので、自分も北海道沿岸の人間ですが、満腹の意味で「もう、食べられない」というのはかなり違和感がありますし(食べ物のせいにするなよと言いたくなります。)、毒キノコなどは「食べられない」とは言いますが、「食べれない」とは言いません。
道北内陸部でも同様です。
北海道あるあるでしょうか?
@@tochan2520さん 道北もそうなんですね。
でも少なくとも札幌は標準語よりなのか、区別してる傾向はありませんでした。若者はみんなら抜きでしたね
@@KY-fc6pk 旭川近くに住んでますが、あまり意識したことはないです。
ふと思ったのは、「食べられない」だと受身の意味がより強く無意識に混ざってくるからじゃないかなと。
ら抜き言葉の説明通り、「食べれない」だと可能の意味のみになるため人間側の視点のみで不可能になるけど、「食べられない」だと言葉として受身の意味もあるため、食べ物側の視点が重なっているようなイメージを持ちました。
冗長な説明かもしれませんが、「これは食べられない」だと「(私は)これは食べられない」と「これは(私からは)食べられない」の二通りの文が想定されて、混同するというか印象が引きずられているんじゃないかなと思います。
文化のドリフトの話、生物学における「抑制」と同じかなぁ
生物は基本的に環境に適応するために、より強い個体がモテるわけだけど、
種が繁栄しだすと見た目その他によってモテ始めるんだよな
鹿の角だとか鳥の羽やら歌だとか虫だとかが顕著な例
生存に全く関係ないところにエネルギーを使い出すっていうのがフリーライダーと似てるような気がする
個体レベルか、全体レベルかって違いかな
文化については、交通手段が発展して生産がだんだんと人件費の安い外国に移った結果、今の日本では生産者よりもTH-camrのような文化的な仕事が増えてきてる、今後もそういう方向なんじゃないかって誰かが言ってた気がする
てことは、次は農業漁業林業が来るってことですやん!
終わりの始まりですね
5000年生きたくなった話は....
1:22
名前name は「ナーメ」だったという話
「なまえ」とほとんど同じやん。
オランダ語と同じですね
その頃ならローマ字教育はスペル暗記を阻害する説が生まれなかった だろう説
ファッションは元々下着だったものが一番外側に出ていく流れがあるみたいですね。
まさにドリフトしてると思いました。
ら抜き言葉は実は「ら」が抜けているわけではないんですよね.書かれる => 書ける (kakAREru => kakEru)と同様に,食べられる=>食べれる(taberAREru=>taberEru)と,are が e に変化している
こう見るとラ行音子音の消滅ですね。薬師みたいな。
ar抜き言葉
@@そばうま そうですね!ar抜き言葉ですね!
薬師(くすし)は、ずっとくすりしだと思ってました。
ゲーム史も豪華と素朴がありそう。
タモさんもサピアと一緒で、色々な言語を喋れるもんね
水野さんが「ということで」って割と早めに言ったから、動画終わるのかと思ったらまだ真ん中だった笑
「ということで」って聞くと結論が来るように感じるのは私だけでしょうか?🤔
言語学におけるドリフト理論が文化史にも適用できるというあたりの話はとんでなく面白いですね。
チョムスキーの研究対象も言語学だけにとどまらず社会、歴史、文化、政治など人類史とでもいうべき広範な分野に及んでいることを思い出していました。
チョムスキーの専門家の話が聞けるのはとても楽しみです。
むしろ、言葉は省略されたのにルール上は複雑化されている『ら抜き言葉』
ら抜き言葉は
ra抜き言葉ではなく
ar抜き言葉と言って
いた方がいたことを
聞いたことがあります。
俺も「“暗渠”ってタモリしか使ってない言葉だな」って思ってました
全部もっていくチョムスキー、楽しい。家族が日本語教師を目指して勉強しているので、家族間の会話が増えました。
ら抜き言葉ってやっぱ子供とかが使ってるイメージがあって、子供はなかなか尊敬語使わないよなー、って考えると「食べれる」が可能だけ表わすのも納得できますね
もし「られる」の意味がもう少し分かりやすく子供も使うものだったらここまで綺麗に体系が出来なかったかもですね
「さ」足し言葉もTVのテロップとかで当たり前になっているような感じする
食べなそう→食べなさそう
発音が変わって表記と発音がずれるのは日本語でも旧仮名遣いの時に発生してますね。
ら抜き言葉の他の、専門家ストップが出た郡も知りたい。
ヒッピー自然派の法則が強化されましたね。
ある社会の発展期、繁栄期、衰退期を表す山形のカーブがあるとすると、同形のカーブを横にスライドさせたものが、その社会の文化の発達具合のカーブだという話をどこかで聞いたか読んだかしました。文化の繁栄は社会の衰退の証とも言えますが、私には文化のピークは社会の衰退期に現れると、どこかポジティブな期待をしてしまう話です。
「栄華と質素を繰り返す」って当たり前に聞こえるけどどうなんだろ
等間隔に繰り返すなら面白い現象に思うけど
自分もなんとなくわかります。
「生きているから死ぬ」みたいなですよね。バブルとか同じく、あれが栄華(ピーク)だったんだ、終わってからしか気付けない。
・活用表をみつづけると、何かおかしいことに気づくことがありますよね。「こうした方がいいんじゃない?」ってのはドリフト感覚なのかな
・「和訳」「日本語訳」の新しい用例:転じて、わかりやすく言い換えること
・堀元見は、自分のチャンネルとゆる言語学ラジオでは別人のよう。見さんも、まずは黙って勉強して、知識を使いこなせるようになってから、それをアカデミックな悪口に使うんだなぁ。
徳川家斉の頃の政治のボロカス具合と文化の栄えっぷりは正に!だなぁと。
「ら抜き言葉」の仮説:
-----
1. 能力的な可能と、状況的な可能を表す構文(助動詞)があった。
2. 五段活用(古くは四段活用)動詞は能動的な傾向が、一段活用(古くは二段活用等)動詞は受動的な傾向があった。
3. 動詞の種類に関係なく、能力的な可能と状況的な可能を使い分ける動詞で、専用の可能動詞の形態ができた。
・ 2.の傾向があるため、3.で作られた可能動詞は五段活用動詞の割合が高くなった。
4. 時代が下って、以下のような変化が起こった。
・ 1.の区別が曖昧化した。
・ 動詞の用法の変化が起こり、一段活用動詞の中にも能動的なものも含まれるようになった。
5. 国文法が整理され分類され、論理的に正誤の判断ができるようになった。
結果として、
一段活用動詞で可能動詞を作ろうとすると、一段活用+「れる」のようにみえる形ができてしまうが、
これは意味が似ている「られる」の誤用だと見なされてしまった。
-----
以上、真実に少しでも近い部分があると良いなぁ。
※真面目に考えたものの、個人の妄想なのでご注意ください。
肥筑方言 Tips:
「食べゆる」(or 食べきる) ⇒ 私は食べることができる
「食べらるる」 ⇒ これは(この状況ならば)食べることができる
全然〜ないとかもないをつけずに肯定文でも使われるようになってますよね
〇〇した って江戸時代に言い始めた若者は リ抜き言葉 って言って怒られたんだろうな
9:06 五段活用の「行く」の可能を「行かれる」と言う友人がいて、ら抜き言葉に厳しいタイプなのだと思ってたのですが、やはり「行ける」が一般的なんですね
友人のはどちらかというと方言だったのでしょうか?
超面白い
お金払うのでどっかのホールとか借りてフリートークみたいなのいつかやってほしい
華美→質素を繰り返してるのは服飾もそうだね。ただ、服飾は華美→質素を繰り返しながら、フォーマル→カジュアルへと推移し続けている。
五段活用動詞については「書ける」のような可能動詞が認められているので、他の活用動詞でも可能動詞として「ら抜き」がそのうち認められてしかるべきとは思ってました
ただ「ら抜きは間違い」というクリシェがその動きを阻害しているような感じがしていて、認められるのはいつになるかわからないですね
ら抜き言葉面白かったです。い抜き言葉にも言語学的面白さがあるのでしょうか。
い抜きとは「出でる」とか「いばら」のことですか?
@@かるいし-l4p 「〇〇ている」が「〇〇てる」になる(食べてる) 「〇〇いない」が「〇〇ない」になる(食べてない) などと言われています。
@@mokoinaba652
ありがとうございます
ら抜き言葉を適用したときに違和感があったり言い辛くなる動詞もない?
「得れる」「くっつけれる」「尋ねれる」「求めれる」…
「受け入れれる」を受け入れられる?
「着られる」を「着れる」としたら、「切れる」と音が同じになることも気になったり
ら抜き言葉のあとに,「れ」足す言葉が出てきましたが,これも体系の整理なのでしょうか?
ゲーム業界はアタリショックだったり
ファミコン時代にあったゲーム会社がほとんど倒産したり
スマホ向けゲームなんかがリリースしてすぐサービス終了したりと
業界的には繁栄と衰退を繰り返しながらも
コンピュータサイエンスの成長とともに技術的成長していくドリフトを感じますね。
41年ゼミ(定年までこき使われるポスドクばっかりの研究室
専門家くる!?
めちゃ楽しみ!!
たまに見る
「書ける」→「書けれる」
みたいなレタス言葉も何かあるのかな。
個人的にはあまり好きじゃないけど、言語学者さん的には面白いのかもしれない。
レタス言葉
レ足す?
なら僕はキャベツ言葉を提唱する
北海道大学教授で言語学者の加藤重広先生も著書「日本人も悩む日本語」(朝日新書)の中でら抜き言葉について触れてますね。言語構造的に合理的ではあるが、不適切と思う人が今でも多い以上、一定の品位や格式が要求される場では運用上注意を払うのが妥当、というように、文体レベルの高低を踏まえて説明しておられるのが印象的でした。
全ての道はチョムスキーに通ず
ら抜き言葉は日本語の乱れではなくて絶対に進化だと思ってたけど、言語学的にもそうだったんですね
動画が公開されることに喜びを感じている自分がいる!
ら抜き言葉のドリフトは話し言葉でさえまだ完全には完了してなくて、語幹の長い動詞や、下一段活用の動詞はまだ定着してないようなので、ドリフトの完了にはまだ時間がかかりそうですね
e.g. 認めれる、別れれる、忘れれる、出かけれる、考えれる
「ら抜き」が美しいなんて、全面的には信じれません。
受身と まぎらわしくない 動詞に 関しては ら抜き言葉が 定着しにくい 傾向が あると 思います。
別れれるはまだ違和感がありますね
数年後にまたこのコメントを見た時にはこの違和感がどうなってるか気になるな
現在進行形で言語の変化が起きてるって考えると面白い
#0として、お二人自身の話を聞きたいなぁ。どんな子供、学生だったのかとか。私は子供に本を読んであげない母だったので、子供らも本は読まず。読むのに慣れないから、教科書も速く読めず、テスト問題も時間切れ…と母親業の失敗を反省しています。本好きのお二人が羨ましい。あ、堀元さんの村の話も聞きたいです。
ロココ様式も、ちょうどフランス革命の前夜あたりに盛んになりましたね、、、
文化は極大点、という考えになるほどと思いました。いつもありがとうございます。
「自信なさげ」が誤用で、「自信なげ」が正しいというのを最近知ったんだけれども、さ入れ言葉もあるようです。
これも、美しい日本語への変化なのか、それとも絶好調と絶不調のような関係で、自信あり気と自信なさ気という関係なのだろうか。
素数ゼミも、ちょっと持論があって、偶数同士でも奇数年ズレていれば、交わることがないので、なぜそういうセミが居ないのかというのを説明しないとならないと感じています。
あと、13年ゼミ、17年ゼミは、アメリカという広範囲でみると毎年のように発生していますが、発生地域が異なっているので、素数ゼミは毎年のようにニュースになっています。
日本のセミは7年とか言われているが、セミの声を聞かない年はないので、この辺りの日本とアメリカの食い違いが説明出来て、初めて素数ゼミの理解が前進したと考えます。
実はナレーションの勉強をしているのですが、「母音の脱落」という概念が今まで腑に落ちませんでしたが、サピアの回を聞いて納得しました
(例)三角形
「さんかっけい(sankkei)」
↑
「さんかくけい(snakak''u''kei)」
確かに「さんかくけい」とか「てきかく(的確)」とか「すいぞくかん(水族館)」とか言いにくいし、母音落ちるよなって思いました。
kやtみたいな破裂音が重なると、発音しづらいからか促音便化しやすいですよね。
発達(はつたつ→はったつ)
学活(がくかつ→がっかつ)
この話で聞くと盛者必衰って言葉の深みがより理解できた気がします。
素数ゼミの話した後に、「吉村先生の説明ですねこれはw」が面白いw
「書ける」ももともとは「書かれる」で、否定形は「書かれない」。標準語では「書かれる」「書かれない」はもうあまり使いませんけど、関西弁では否定形の「書かれへん」はよく使います。
五段活用の動詞だと様子が違うとありますが、
「ら」抜きが特殊なのではなく、どちらも同じ「AR」抜きだと言う話はいかがでしょうか。
KAKARERU 書かれる
KAK ERU 書ける
TABERARERU 食べられる
TABER ERU 食べれる
大母音推移の話、人間の構造に適した発音みたいなものが共通だからどの言語でも同じ発展を遂げた、ということなのかなと思いました
今まさに言語の自然変化の只中に私たちは生きている訳か
素数ゼミは20種ぐらいいるので、何だかんだで数年ごとに別の州で発生してるらしいですね
あと、間違えてフライングや出遅れて発生する個体もいるらしいけど、他のセミに紛れて交雑したり死んだりしてるらしいですね
二つの言語が影響しあってないはずなのに、全く違う場所の二つの言語が同じような進化をしている、の話。前回のお話で、言語の変化の始まりは個人から起こるみたいな説があったと思うけれど、だとしたらAの言語地域で育った人がBの地域に引っ越して同じような変化の流れを与えてしまったということはないのでしょうか?
言語ってやっぱり使いやすいように精錬されていくものだから、先に進んでる言語の人の言葉遣いを聞いて、発展途上言語が同じような使い方をするのはありえると思うのだけれど、そういうのとは明らかに違う変化だけどってことなのだろうか?