【落合陽一】東浩紀に異変?「最近もう疲れた」「無になりたい」AIを巡る2時間の議論で“悩み”を告白「人間という妄執をどう解き放つか」2人は分かり合えた?でも「人間は相手が人間じゃないと気が済まない」
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- เผยแพร่เมื่อ 20 ธ.ค. 2023
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2023年最後のWEEKLY OCHIAIは、今年1月に落合陽一が番組史上最長の100分にも及ぶ議論を繰り広げた相手、東浩紀が再び登場する。当時の対談では「喜び」を軸にAIやテクノロジーを巡って「対話」を試みるも…
「この詐欺みたいな事から、いかに人の目を覚まさせるか!」
「タイパ追求するなら生きていない方がいい!」
「なぜ数十年しか生きていないお前の脳がいけると思ったんだという話!それなのに頭が良いはずだと言いたい人たちの最後の抵抗がシンギュラリティみたいな言説!」
ほとんどの場面で議論は平行線をたどり、最後に落合からの「次回話したいテーマは?」という質問に対し、東氏は「欲」としたうえで「SNS上で“誰かを攻撃したい欲”が増幅されている」と締めくくり、結局対談は両者が分かり合えたとは言えないまま幕を閉じた。
しかし、今年を振り返れば、GPT-4をはじめとする生成AIは隆盛を極め、多くの人が革新的な技術との明るい未来を想像できた1年であったのは明らかで、落合陽一は「ユーキャン新語・流行語大賞」まで受賞した。待望の第2弾!2023年の最後に改めて問う、人工知能の可能性と人類の未来とは?世界であらゆる対立が起きた1年だったからこそ「僕たちはどう分かり合えるのか」を模索する。
ゲスト:東浩紀(批評家・作家)
#落合陽一 #weeklyochiai #東浩紀 #ゲンロン #生成AI #AI #人工知能 #chatgpt #意識 #哲学 #テクノロジー
NewsPicksではフル版(130分)公開中🎥
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そもそも他人さえ理解なんてできないよ。あるのは共感だけ。
同感。
フル版良かったです😊
ファミレスの配膳ロボットが人型ではなくネコ型で上手く行っているところにポイントがあると思う。
人は人間を求めているのではなくパートナーを求めている。それがネコやイヌでも感情移入できれば問題なくなる。
というよりは知っているモノか知らないモノかの違いじゃね?
もっというと慣れ親しんでいるモノか、そうでないモノか
たしかに。お食事、楽しんでにゃん。と言われるたび、ありがとうって思いつつ、この声の声優担当したの誰だろうなって思うw
落合のAIモデルが出た瞬間のリアクションが結局「ヤバいっすね」なの原点回帰感あって感慨深かった
賢い人がテキトーに喋ってるのは奥深くて良い
お二人の対談はとても勉強になります。
わかります。その気持ち。なんでこんなしょうもないことで悩んで、時間無駄にしてんのかなって辛い時は、ずっと悩んでましたね。だからいっそ脳なんて取りたいって思ったけど、取れないんですよね。だからひたすら自分と向き合って、自分で切り開いていく、しかないんですよね。結局
落合さん、お疲れ様です
今日もありがとうございます
東さんの気持ちわかるな~わからないけどわかるなぁ
AIでも他の機械でも停止させる力を持っていられるのが一番重要
天才が極まると、自分が無知だと気づくのだな・・・さすが天才。
あずまんは本当に難しいことを分かりやすく話す術に長けている。
面白かったです。
クリエイティブな世界では人間って何なんみたいな感じになると思うけど、単純労働とかまじめんどくせぇみたいなことを機械が自動でやってくれるのはちょっと先の未来としては歓迎なんだが
だが、単純労働奪われるとそこで働く多くの人間はどうやって養わせるの?ってなる。
それがAI時代の問題。
@@EX_DELTA ベーシックインカムで良いのでは?
@@EX_DELTA
他の仕事を探すか福祉に頼るしか無いで結論でしょ。誰かの仕事が無くなることを心配するんだったら、そもそもネットとか
機械とか使わないでぜんぶ人力でやった方がよくね?って話になってくる
何もAIが人間の心を奪ってしまうわけではありません。どんなに、これからAIが優れた知能を持ったとしても、それによって人間の精神が失われてしまうことはありません。AIを過大評価もせず、過小評価もせずに、利用していくことが最も大事なことであると思います。
手塚治虫の漫画はあなたの考えを真っ向から否定してますし、自分もその危険性がかなり高いと思ってます。人間の精神が失われる、というよりも変容するといった方が適切化もしれませんが、端的に言えば「お前よりもこのAIロボットの方が性的魅力を感じる」と堂々と言う人間が増える社会になるということです。「初音ミクは人間とは違うでしょ」と言ったことで、本気で怒る人間を見たとき、手塚の危惧は予想より早く来てるのだ、と感じました。
昔から不特定多数のおばかさんは一部の天才に操られてるというのが人間社会ですよね。少し前だと多くの人間はマスコミによる情報操作で操られていた。
それが徐々にSNSなどのビッグデータを持つIT企業に移行し、もうすでにAIが割り当てた偏った情報だけしか見なくなって、偏った思考になってしまった人間が増えてきてます。
文明が進歩して尚更哲学が必要になるの熱いな
人に期待してるからこそ出てきた感情よね
東さんの人間みあるところ、すごく好きです、成田さんと対談した時も落合さんと対談した時も、根底の相違は人間の人間性をどれだけ大事に思っているか、信じているかだと思いました。
あずまんはめちゃくちゃ人間であってほしいよ〜〜
自分を見た気がしました。感謝
哲学者と実務家の噛み合わない会話って感じを受けました。もちろん面白く拝見させてもらいましたが。
話題の起点は東さんの人間とは何かっていう哲学的な問いですけど、落合さんが仰ってる事例は、人間(意識)の定義をすっとばして、外形的な指標でAIが人間に何%近づいているか、っていうことが中心なので、若干議論がフワフワしてる印象を受けました。
東さんはAIを人間と同一視して物事を考えていますが、落合さんはAIを人間の拡張する技術だと見做してるように思えます。
東さんの提起している、人間らしさ云々って、ゼロイチの問題として捉えられがち(東さんもそのように認識してそう)ですが、実際は何%まで人間であることを薄めても人間が満足するか、という問題なんだと思いました。過度に加工されたTikTokやインスタグラム、VTuberのコンテンツであっても(下手したら、元素材をそのまま届けるよりも数百倍)人間を満足させられますし、今や女性は元の素材を整形やメイクで薄めないと生きていけません。
ChatGPTのAPIを使っていて思うことは、「人々が満足できるような薄め方(=技術による人間の拡張の深さ、スケーラビリティ)」について、生成形AIは既存のサービスとは桁が違うと思いました。
最新の医学的研究だと、自意識というもの自体が虚構でそもそも存在しない可能性が高まっているそうだ。
人間のが意識だと思っているものは脳が後で辻褄を合わせてるだけらしい
相手が同じ生物としての身体及び身体が産み出す感覚を持っていると違和感なく感じられたら、ゾンビをゾンビとして捉えなくなるんだろうな。殴ったら痛がる、殴ろうとしたら怖がる、笑ったら笑い返す、こちらが疲れて忙しいときにはその雰囲気を感じとって声かけにくそうにする、寒いと手がかじかんで熱を生むために手を擦る、等の反応もできるようになってくるともはや自分以外全てゾンビでもゾンビかどうかはわからなくなるだろうな
勉強になります
どんどん人間になりたがるよ人は。
イラスト生成とかに関して改めて思ったことは、人はそのツールを使いこなし人並外れた領域まで踏み込んだその手腕を評価してきたんだろうなと。
言語もそうだが、やはり翻訳でいくら簡単にできても第二言語を流暢に喋れる領域まで到達した人は素直に凄いと思う。
画像としての価値が下がり市場が消滅はするだろうがね
絵を描く技術もバイリンガル(言語)などもそうですが、繊細なニュアンスや練度の極みといったところまではAIには再現性が無いですからね
これからの技術発展次第ではあるかもしれませんが
人間は相手との距離が遠いと感じると、自ずと近づけるか維持するか回避するかの意思決定はすると思うし(決定しないという因子もあるが)、その次元は相当数あり、重み付けも人によって違う。
基本的に距離が近いと不要なチューニングのコストを払わなくていいから居心地がよいと感じるわけで、そういった設計がAIには組み込まれていないのだから既に汎用AIなのよ。
不気味の谷も結局は距離の遠さに対するショック反応でしかないでしょ。
例えば外国の、それこそアフリカに日本人を一人置いてくるとか、マッチングアプリかなんかで突然知らない人に出会うみたいな、急激に普段と違う状況に陥った場合、多くの人にとってはAIやデジタルヒューマンとの触れ合い以上に心労が掛かるはずで、色々な次元で距離の遠さを感じることになる。
もしAIが人間のこの機能を持ってたら、「ニホンゴ苦手ナノデ英語デイイデスカ?」とか言って英語でしかレスしなくなるとか、「あなたちょっと苦手なんで話したくありません」とか出てきちゃうよ。
言われたことに対してそれらしい返答をするという特定目的のAIだからこそ成せる業。
ここで話されている問題と少し違うかもしれないが、哲学、芸術、宗教っていうのは人間というスペックの限界があるからこそ、その限定されたスペックの中でこの世界を理解するためにあるのだから、AIが人の生活を変えようが、人間を超えようが超えまいが必要なものとして残る。例えば自分が愛している人が急に死んだとして、その対処の最適解のようなものをAIが人に与えられたとしても、その人の中でその問題が消化/昇華できるわけではない。結局その人は何かを作り出したり、誰かと対話したり、あるいは祈る中で個人的な問題として解決していくしかない。
テノール歌手みたいな貫禄が出てきたな。
知識習得を必要としない、AIを使った表現が膨大に溢れかえる時代が既に来てますよね。
まだ想像もつかない様な新しい表現方法や仕事が生まれていくと思います。
背景なき表現が膨大に溢れたとき、人はそれに対して感動できるのだろうか。
こうしてコメント欄でも人間とは?AIとの違いは?といろいろな意見が飛び交うことは、とても良いことだと思います。大阪大学のロボット研究者の石黒先生も、人間と見た目がそっくりなロボットを作るのは、人間とは何か?を探求するためだと話しておられます。AI研究が進むことで、人々がより人間性を大切にする社会になればよいですね。
人間じゃないと嫌というより、想像よりもAIに対してネガティブなイメージがつきすぎた感じがしなくもない
大学院の先輩なんですけどって自分も偉いアピールしれっと挟むと見透かされる
こういうAIに絡めた哲学的な話の方がみんな参加しやすいし、分かりやすいからよく見られますよね。技術的な話はみんな参加できないのでチーーーン😢
いつきさん、落合さんが言ってましたが、デジタルネイチャーで技術はどんどん進化していって人間の理解が追いつかなくなるので、僕たちはAIとの向き合い方について考えた方がよいですね。
生物になぜ意識が必要なのかは分からない。
ただ生物が進化の過程で意識を獲得したということは意識は生存に有用だったのだろう。自然淘汰は無駄なことをしない。
AIがいくら進化しても人間のやったことの再生産にとどまっているところを見ると、知性には意識が必須だったという展開もあり得ると思う。
AIの飛躍的な進歩によって人間存在の意味について考える機会を持てるのは素晴らしいことです👍人間にしか到達できない場がある可能性があります
人の意識・存在というのは、毎秒独立しているので、別物。なので過去の自分とも会えるということが成立する理由。
論理は実現できて、意識があるのか謎という段階。場面を想像したり思い返すと、もれなく感情という評価がついてくる。その感情が、行動を決めていると思う。意識とは想定と感情の評価ではないだろうか。AIには感情による評価が無い。だから後悔とか希望とか欲がない。でもそれって作れそうだけど、今無いってことは作るのが難しいのかもしれない。
「哲学ゾンビ」は言い得ていて面白い。
我々の言っている事はたいてい先人の知識のゾンビ効果 !
持って生まれた身体的な機能と拾い集めて取ってつけたような記憶によって新たな選択を日々繰り返してるだけにすぎないし、自分の意識や存在も自分から見た(聞いた)他人についての記憶が再生されることでやっと認識できる程度のものですし、勿論記憶も機械のようには正確ではないですし、自分で発信する情報も言葉の不完全さの陰に隠れて自分にとって都合よく話したりしてるだけだったりしますし、、、
そうやって考えるとそこに意識と呼べるものがあろうがなかろうが人間にとって対話型の生成AIはお友達としては充分だと思うんですよね。少なくとも数年以内にはかなり多くの人がそういう風に必ず思うようになるんじゃないですかね。でもその逆も然りで、生成AIに触れ続ける事で却って生身の人間とのコミュニケーションもより積極的且つ上手に取れるようになったりして。
相手が人間じゃないとやる気が出ない、ってのはオンラインゲームの世界を考えるとわかりやすいのかも?オフラインゲームの興奮と対人戦のオンラインゲームで勝った時の興奮は違う気がする。
人間は自我がある前提で動いてるけど、禅によると本来的に「自分」は無い。なのに人間は周りとの関係性によって自分を「自分」としないと気が済まない。学者様にも一度、「自分」を捨ててみて欲しい。
みんなが音楽作れるようになっても今と何も変わらないですよ、
だって今の人が音楽に求めてるのはファッションだったり信仰だったり繋がりだったり、
つまり人はそれほど作りたい音楽を持っていないということです。
同じ様なことをよく思ったりもするのですが、それはささくれ程度の小さな世界での話であり、消費者目線でしかないのかなと思います
@@user-gq4wr8kk2d その消費者がどう行動するのか、という話なので消費者目線がむしろ正解だと思います...
@@user-gq4wr8kk2d 今の消費者がどうなるかの話なので、消費者目線が正解だと思いますよ
AIに意識があるかどうかということはあまり問題ではなくて、そもそも意識は遍在していて重要なのはAIが返答を選択できるのかという点で、今はただの計算結果でそこに自由はない。意識が存在に対して選択すること・操作することの焦点として、意識がそこに自己を意識する。
この言い回しは、再帰性に対する終了タイミングの焦点としての自由度が張る、意識自身による自己決定空間的な構造を反映したレトリックであって、速を上げると以下のようになる。
問題の複雑さに応じて計算リソースの量を自発的に操作できるか・問題を再帰的に処理し続けてどのタイミングで完了するかを自発的に制御できるかというのか、意識にとっての自由と自己の実装課題。
意識にとっての選択可能性・自己の表現としての複数の選択肢があることは、計算処理の都合によって再帰的な計算結果同士にメタが回る関係が発生する状況に相当していて、計算完了のタイミングを制御することが意識にとっての自己・自由の本質。
>そもそも意識は偏在していて
この一文って不要では?あと、焦点の使い方がよくわからない。自由度が張る、とは?レトリックを使わないほうがわかりやすいし、伝わるような気がする。
自発的に計算を制御できるAIができたら、「面倒くさいからや~めた」って計算をサボるAIがでてくるかもね。
医学分野での最新研究だと人間の自意識というものはそもそも存在しない可能性が高いらしいよ。
自分が考えて自分が決めてるみたいに感じるのは、後に脳が辻褄を合わせてるだけだそう
AIに「貴方は意識ありますか?」って質問してみれば…
人は生まれつき孤独なんです
その人そのもの本質と他者が見るその人では大きな隔たりがあります
それでも寿命がある限り人は生きていかなければなりません。この不思議な偉大な世界の前では
これからは個人性がより高まっていくから、他者性をどう考えるかが大事になってくるし、単純に自分以外(というか、本来は他者も個人も明確な差はないのだけど)が重要になってくると思った
頭イイなぁ。知的レベルの高いコメントが多いのは流石ですね。
根本的にこの人たちが間違っているのは答えがあるという前提そのものが間違ってるんですよね。
半年くらい前に気が病む程考えていた問題だ。
哲学は死ぬ
頼る意識はどこにいる
全人格を持ち合わせいて全感情を持ちつつ、複雑多岐な社会と状況に応じて、複雑多岐に仮面を使い分け、使い方も十人十色で、凸凹ボコボコだらけな人間という生き物を科学的に完全再現しようとするのは難しいよね…。人間自身だって、誰も自分を分かってないし完全制御なんて不可能なんだもの。
突き詰め過ぎていると、人間であるからこその幸せな生き方から乖離する一方で、どんどんAI化してしまいそう。
結局AIには人間の不合理性を再現できないんだと思う。AIはつねに最適な答えを選ぶ。人間のように理性を忘れて情だけで突き進んだり、時には理性的にふるまったりといった二面性がまったくないんだと思う。そして人間は愚かだといいますが、それがAIにはない人間性なんだと思う。
言わんとしてることはわかりますが、身近な家族でもいいですが、その愚かさを肯定できますか?
@@teru-sa1653 私は人間の愚かさについて話していますが、それについては肯定も否定もしません。
肯定したいな俺は。
感情がぶつかり合って文化や芸術、社会変革ってのは起きる。
そんな世界が好き。
まぁ、でも巻き込まれたく無いから俺自体はしないけどね。
じっくりと眺めたい。
自分の中で言語化できずにずっとモヤモヤしてた部分を言語化してくれた感じでこのコメントめっちゃ腑に落ちるわ
絶対失敗しない人には共感を持てないでしょうね。
AIはこれまでの繰り返しや組み換えルーチンには革新的だが、これからは生み出せない。人間は五感を使った経験に新しさを感じると思うので、アナログ的で感覚、感情的なものに価値が出そう。そこに個人が気付け、没頭でき、裾野を広げられるかでシンギュラリティがどう転ぶかが変わるのかな。
東さんて五感が鋭そう。
激しい思い込みと勘違いの正体をさぐる話は面白いです。生まれた瞬間から選択肢と思考があれば議論できても親、社会をはじめとる洗脳状態から始まる人間という動物の議論には無理があるように思います。個人の世界は人それぞれなのは前提がそれぞれだから。意識の不思議は秩序、保全を要求する動物の習性のでしかないように思います。
AIと人の違いは執着の有無だと思う、あれこれ情報を頭の中で混ぜて感情移入しないし。
面白いよなぁ。多くの日本人、もちろん世界でも信じられてる無宗"教"において、非常にスピリチュアルに近い距離での議論が高まりつつあるんだろうな。
意識については哲学にしろ脳科学にしろ、結局の所「だと思う」とか「と考えられる」みたいな仮の結論であって、何も分かってないんだよね。
でもそれに結論づけるのが宗教というか、例えば人の体は"肉体""霊と魂or霊のみ"に分けられるって考えがあって、感情を司るのは魂の部分、みたいな事なんだけど、それを受け入れたくないために色んな事考えるんだよな。
果たしてその先に答えはあるのか、はたまた考えるのをやめ、宗教を受け入れるのか、映画マトリックスのようなディストピアに向かうのか。
ちなみに堀江貴文a.k.a野菜は美味しから食べるの氏は、マトリックスに向かえば良い、と本気で言ってる。無い話じゃ無いんだろうな〜。
確か全く外国人と接したことがないアマゾンの部族が初めて欧米人と対面した際に差別感情があったという話を
テレビでやってて、それが不気味の谷と関係があると学者も言っていた。つまりデジタルヒューマンに対して
警戒心や嫌悪感が芽生える人たちは異民族を見慣れておらず、差別感情が起こるのはごく自然なのかもしれない。
「人間はいいよ」ではなく「今の次元の人間はもういいよ」と言いたい あまりにも多い次元の多様性の中で石がぶつかり合い砂利になり砂になり「なお一層多次元になっていく」という悪循環に落ちていっているという感じがしている 岩が川を流されながらどこまでも砕けてやがてチリとなる そんな流れの中に生きている感じがします「人間界は今回を最後にしたいなあ・しっかりと観ていこう」
私はまた違った環境でもう一回人間をやってみたいのですがやはり同じ結果になるのでしょうか
@@user-kf7fk4jx9hよく人間をやりたいと思いますね
文系的なコメントだね
シンプルに人間は未熟な生き物だと認めた方がいいですよ
淘汰されるべき生物です
@@user-kf7fk4jx9h
さま返信感謝
幾つになっても違った人生は手に入れられますよ 人生は他人との巡り合いによって編まれていきます 食事を変え・住まいをかえ・生活を変え・仕事をかえ・環境を変えることで体も人生の流れも変えられます 出会う人の質も変わります 次の人生などと言わず 今の人生でチエンジを体験してみたらいかがですか?主役はあなたですよ
悪循環というかエントロピーという宇宙の法則ですね。インターネットとスマホの登場で人間社会の変化の速度が指数関数的に伸びていますから、変わって欲しくない、変わりたくないと思っていると辛い人生になるでしょうね。無理ですから。こうあるべきを捨てると次の次元にいけるんですが、日本社会ではかなりの難易度ですね。
情報学者と哲学者の対談ってだけでちょっと面白い
東さんには是非仏教を理解して欲しい
なんで宗教なんて低レベルな事を理解する必要があるんだよw
宗教は全て中身が稚拙
初期仏教?
人間の生存は無意識によってほぼコントロールされているのが現実ですよね。たぶん、意識は、「自己コントロール幻想」を与えるための機能であって、生物でなければ意味のない機能なのではないでしょうか?生存確率を高めるための「自己愛着・生存促進機能」と言ってもいいのでは?
おそらく人類というものは自分により近い存在程強い共感を感じるように進化したから人工知能を含めた他者に対して排他的なんだろうね
俺もニュースピックス契約しようかな。
無になったら無が嫌になるよ。
人格、心を持ってるが故に不完全な人間
AIは完璧な人間を作れるのかもな。
ポンコツで不完全な人間が好きだな。
銀魂(金魂)理論だな!
AIで生成されたキャラクター同士の夫婦漫才とか、ダチョウ倶楽部や東京03みたいなトリオでのコントとか、
あるいは一層身体的によった形で、気まぐれ頑固AIシェフの気まぐれまかない料理のレシピを考えさせるとか、
または電極からの刺激でもって、AIとの擬似SMプレイを堪能できるとか。
AIが進化する一方で、人類がどれだけAIに対して寄っていけるか、興味深いところです
「人間は相手が人間でないと…」というのは、他人の目を気にしているか(他人を意識しているか)どうかだと思います。
もしも、AIが人間や他人(他のAI)の人間性を指摘したり、人間性について傷付いたりするようになりそれをリアクションするようになると変わるような気がします。
人が2つの目でモノをみるように人は二人で一つのもの見る
人は無意識に繋がってる事を知っている
光と影の関係
今意識を知る、言葉はいる
作家だと、芝村祐史さんが既に使っているそうです。
作品のモチーフとして「この空のまもり」(2012)で主人公の仕事に自分の分身AIを仕事に使っていました。
「セルフクラフトワークス」(2015)ではゲームの中に、主人公の分身としてプレーヤーも意識が生き残り、
人類そのものは滅ぶ結末です。
意識は、データとしてかなり基礎部分が共通で、差異のデータはそんなに多くない、みたいな考察されていました。
AIって結局「意味」だけでしか成り立ちょうがないから、その他大勢の「無意味」ないしは無限大と云う無意味の時代になっていくしかない。これまでの人間の歴史は無価値を価値化してきた歴史だから、価値を無価値化する歴史もあっていいと思う。「人間」がただの機械に過ぎないのだと云うことに早く気付けばいいだけのこと。
馬鹿な私にも分かりやすい
未来が見えるなら
誰もが音楽を作れるようになっても、誰が作ったかという格差は残ると思うな〜。
例えば大抵の人間は喋ることができるけど、喋ることでお金を稼げる人は限られているし。
東さんの見た目とかしゃべり方考え方とか好きなんだけど、これがAIで作られた映像かもしれないって疑う世の中になりつつあるわけか
意識し続ける相手
今日の落合さん、夏油傑っぽくてかっこいい
人間とはおっきいキノコ説 南無
人間とは何かという形而上学的問いが科学が隆盛している時代に何故、再び浮上しているのか?
その答えを科学が示しているからと考える必要があるのでは。
現代において科学はその理論によって応用される「技術」のみ焦点が当たっているが、科学が哲学的問いに対する答えと認識するには、科学を
「人間観」の変容に応用する思考が必要。
科学を「技術」や「知識」として人間の「外部的対象」として認知するのではなく、世界観の変容に科学を使用する視点に立つことを歴史は要請していると感じます。
今のTH-camおすすめ見ても100%人間作だけど、来年はAIが勝手に出してるのが出てくるかな
おすすめの半分がAIになったら、もう人間は良いやってなるだろな
心身の数多が計算機的自然に置き換えられても「意識」だけは
我々が担うのではないでしょうか。
なぜなら置き換える以前に玉虫色に変わり存在さえしていない。
それでも生き残るために必要なもとのして信じて受け継いで
分かち合ってきた。
ないものをあると信じる思い上がりが万物の霊長たる我々の特権で
原罪でもあるように思います。
沢山は間違えて果てたとしても、誰かが必ずそれを残すか宿して
かつて誰かが夢見た今よりましな世界を生きてくれると思います
混迷感を覚えましたがそれは意識なるものの未解明点に帰着と思いました。
春までにやること。
未来都市を追求すればする程普通の定義が難しくなってくる。
哲学やると死ぬ
欲はよく、制御するとおかしい
「意識とはなにか」
言ってる事がほぼ唯我論
この話で4つの分類を意識しました。
リアルとヴァーチャル
人間と人外を軸とし、
リアルで人間なものは「意識」
リアルで人外なものは「ペットや盲導犬」
ヴァーチャルで人間なものは「メールや一部SNS」
ヴァーチャルで人外なものは「AI」
さて、どこをニンゲンは求めるんだろう?なにで満足するんだろう?
謎はない
深いけど 深く行き過ぎると 戻ってこれなくなる…ある程度で 流す知恵を 意識に言い含めることも大事か…と
面白いんだけど、良くも悪くもどうでもいい。こんなこと考えなくても生きていけるという気持ちになる。
人間の最後の領域は、肉体や死のような有限性によって生じる詩的要素や遊びによる素朴な高揚感などになるのでしょうか...。
それこそ人間が死すら克服したときこそ、人間とAIはほとんど等価になるかむしろ、従来の人間が下位の存在、AIが上位の存在みたいになり、AIが人間の実質的な進化形態としての後継者になるのかも。
AIの進化と相対する形で人間としての理性を突き詰めたとき、人間は自身の意識が持つ意味を棄却して、従来の不合理な人間的モデルは脱ぎ捨ててしまうようにもなるかもしれない。
面白いですね。でも、一般的大衆には理解不可能です。
元々 AI は論理数学が基本にありその上に近年のBIGDATA処理機能が追加されて具体化したものです。身近なところではブール代数などがあり、その後ファジイ理論、カオス理論などが発達しました。大部分の人間の想像や判断は過去のデータに根差しているので現時点でのAIの能力は「すごい」ということになります。しかし、全くの新規の価値の発見・創造はまだまだ人間の未知なる発想によるところが大です。論理数学の限界はチューリングの不完全性の定理にもあるように、人間の直感を否定せず、生かす工夫と世の中にすることが重要です。つまり のび太の 回答 1+1=3 を解析することですね。
言語化できていない部分を感じられるんですかね
欲に関しては最終的にはもっとミクロだよ
自分の未来と過去の価値を比較して、主観的大小によって決まると思うよ
ここら辺語りたいな
五感と記憶と脳内ホルモンのエフェクト(感情)などの総和を観測する脳の部分があるから、意識があると感じるのでは?
もうすぐAIによる戦争が起きるのかぁ
受験で読解力の見てきたんですが、
これ受験落ちるけいのひとは、どういう人生設計になるんですか?とかきいても大丈夫?
単純バイアスで、TVは話せる人がでて、それにあこがれるけど、
話せない人は、どんな選択肢があるかみたいなのは、どう認知させるのか、されるのか、みたいなこと?
なんか つんくさんが筆談で、番組でておられたのが印象深いです。