ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
日鉱共石スカイラインに乗ってた飯田選手がHKSに乗るなんて・・・凄い❗🤗
JTCCでHKSオペルに乗ったから、その関係もあるのでは
確かにそうですね❗❗🤗懐かしい
@@torakoara1 ベクトラ!!!懐かしいです!
やっぱり縁石で片足上げる姿は迫力があるなー!歴代のデモカーもちゃんと保管されてたのか。
幼いながらにHKSとユニシアが大好きだった😭出来たばかりのオートポリスで見たグループAのあの記憶は一生忘れない!
15年いじょう前(2005年?)のオートサロンで、ヨコハマホイールブースにいらっしゃった萩原修氏にこの時のお話をお伺いした照れながら、菅生でのスピン〜最終ラップでの優勝を振り返っていたそんな話をしていたら、偶然にも羽根さんがお見えになったのは驚いた
何年経っても色褪せ無いデザイン、HKSといえばこの色!惚れますね😊
縁石走りめっちゃかっこよくて好き😍
初めてレースを見に行ったのが93年のSUGOグループAでした!まさか最終ラップにあんなドラマが待っているなんて…
93年SUGO、現地で観てました。めっちゃ速かったです!
8:57〜マグネシウムのナックル!!この当時は流行ったですよね〜今のサーキットの縁石とタイヤには使えないシロモノだけど…
綺麗すぎてリメイクかと思ったわ当時物そのままなんだなこれ
やっぱり1990~2000年代のレースカーはアツかった日本のレースシーンの当時の興奮が蘇ってくる…しかも今やHKSのアイコン的存在の32だから感動モノ。他のGr.Aの32もいつかは動態保存出来るようになって登場の再現が出来たら素晴らしいだろうな。
この頃が日産のスポーツカー最後の輝きだなぁ、今ZやGT-Rがあるけどまさかトヨタにここまでスポーツカーラインナップで離されるとは思わなかった
いいクルマ=売れるクルマ の時代じゃないので…(他社)……(トヨタ)
やっぱり32GT-Rが一番カッコいいよなぁ究極のロードゴーイングスペシャルだよ
レイニックに対抗するHKSチューン!
飯田章選手 新車の初戦で横転クラッシュしたのを思い出します。
「どんなにすごいクルマだったか」←トヨタトムススープラがシーズン途中で逃げ出したほど
あはははは!!そういえば70スープラも出てたな~、すっかり忘れてたwスープラじゃ全くもって話にならなかったから、トヨタは1600クラスに集中したんだった。
32の生みの親利雄さんと乗ってましたね 最高です😁
35の生みの親だよね😊
なにが凄いって言うのが日産工機のレイニックエンジンではなく、自分のところで作ったエンジンだったこと 極一部レイニックではない(FETは途中からレイニックに変更)GT-Rもいた中、レイニックではないエンジンで唯一優勝したHKS GT-Rレイニック勢はレンタル品で大半の個体が返却されてるなか、当時オリジナルを積んでるHKS製は貴重ですね
Could have been such an amazing video if the music wasn’t so LOUD and OVERPOWERING over the sounds of the legendary RB26DETT.
以前GマガのR's Meetingで、Gマガの編集長がこのHKS GT-Rを富士で走行してました。なので、近年メンテされてたものと察します。
森脇健児が監督やってましたね。
1番パワーが出てたのがHKSのエンジンでしたね。😎👍
レイニック(日産工機)がそれを受けて本気を出してきましたからね〜
今のスーパーGTと違って市販車そのものだよな
グループA規定に則って制作されたマシンですからね...。現在のスーパーGTでは、GT500クラスはクラス1規定、GT300クラスはFIA-GT3、JAF-GT、GT300-MCのいずれかの規定に則って製作されたマシンで争われています。
そこが良いんだよね〜自分が同じことをしたら『手が届きそう』って思わせてくれるのがね〜
さすがにHKS号はレイニックじゃ無かったんだ!当時はそこまで考えてなかった
オートサロンで見た!
この当時にダートトライアルをやっていて、同じ柄のHKSのNAレーシングオイルを使ってました。レギュレーションでチューニングは出来なかったのですが、キグナスのベースオイルを使い非常に印象の良いオイルだった記憶があります。こだわりと創意工夫を感じるHKS製品は、当時からオイルにも物凄く妥協のない性能を体感したものです。飯田さんも鈴木利男さんとコンビでって若手には夢の様なコンビでしたね〜。
KC MO Drifto Video Option#1
中古のNISMOのマシンから、あの手この手で改良したのは知らなかった((((;゚Д゚)))))))
エンジンはもちろん、足回りも全て自社製にしていたようですね。ただ(動画内では剛性があると言ってましたが)最終的はボディがヘタって足回りを交換しても元に戻らなくなったとか。
門外不出と言われたマシンを、幾らで買ったのか(売りに出したのか)これが一番知りたいところ、中古だけど
@@piggmorizo128 当時は一応5500万出せば新車コンプリートでグループAGT-Rは買えたみたいです(カタログまでありました)。今のFIA-GT3みたいな感じですね。昔自分が読んだ雑誌だとHKSもそれを買ったと理解していましたが、今回の話を聞くと違うみたいですね(^_^;)まあ中古だとしたらハセミモータースポーツかインパルのどちらかのお下がりでしょうけど。
HKS号が初めてR32を投入したのが、91年のマカオGPからなんで、その時点で手にしていたチームから手に入れたんでしょうけど…(可能性が高いのが、星野/長谷見のチームか91年のスパ24Hの個体なのかなぁ…)これはあくまで妄想ですが、案外知られてないのが豪州日産(ギブソンモータースポーツ)とHKS号って、タイヤ(ヨコハマ)と使ってるミッション(ホリンジャー6速)のパッケージングが同じだったと言うこと…何らかの技術供与があったと思われます。ちなみにニスモからギブソンモータースポーツへは中古のエンジンでも法外な値段を付けられ、向こうも全部自社で(しかも、日本仕様より進んだ4WDシステムだったそうで…)開発したそうです(笑)
@@telkor-tzm50r 手持ちのレーシングオンA伝説を見てみましたが、91年スパ24Hで使った個体は翌年の同じレースで炎上して転用されたと書いてあったので、このHKS号ではなさそうですね。となると言われているギブソンモータースポーツから買った可能性がありますね。しかしニスモさん、海外でそんなアコギな商売していたとは(^_^;)
今のHKSが他のチューニングメーカーより格上なのはグループAでの優勝🏆があったから。自分も32に28年乗っているが、パーツ選びのときはやはりHKS。鍛造ピストンの重さ測ってみたら、6個とも1グラムの誤差もないという品質。
カルソニックとHKSが大好きだったなぁ(*´ω`*)そしてグループAも見てて凄く楽しかった…車体を浮かせて大胆に縁石をカットする、流しながらコーナーを抜けて行く…凄いドラマが盛り沢山だったよねぇ(๑╹ω╹๑ )
この車をオートサロンで見たとき、リヤウィンドウにワイパーの穴が残ってるのを見て、完全に市販車ベースのレプリカだと思ってました(^^;;
プライベートチームだったの!?
よく残ってたなぁ保存状態が極上ですよ
当時のGr.Aマシンはdragマシンのベースにならなかったかな🤔
ボディは後にHKS ドラッグ号に使われてましたね。それを知った『林とっくり』さんことザウルスが同じことをしてました。
これってタミヤでプラモデル化もされましたよね^_^
当時に比べてキャンバー立ててるのはなぜでしょう?
タイヤの性能が飛躍的に上がったから
森脇健児監督
ん?ギアのパータンが?えっ?6速?
ニスモ以外で優勝したHKS
今で言う500クラスでプライベーターが優勝するような感じですね
@@yossynari チューナー代表だね❗ニスモ以外エンジンは弄れないから。
正確に言うと唯一reinik(日産工機)製じゃないエンジンで優勝したのがHKS
数年前に日産工機のRB26最終販売の時にグループAと同じリフレッシュしたけど別にBCNR後期からのRB26レプリカエンジンと違ってBCNR33前期まではグループA仕様と数点の部品しか変わらないよ。それに33後期からのレプリカRB26もそうだけど日産市販車に積まれてるエンジンは日産工機だと思うんだけど。
おぃおぃアキラ、クルマ間違えてるぞ(笑)共石とHKSは、ぜんぜん別モノ。
6速なんだ
レースでは、VO公認取らなければならないので、当時はどの車も栃木富士製のレーシングパターン5速ドグミッションだったはずです。壊れたか、補修パーツがないので乗せ換えたんでしょうね。
緑目はいかがなものか?
現役時代からこうでしたし、別に夜走るわけではないので問題ないと思います。今のGTみたいに色が決まっていた時代でもありませんし。
アキラ100%じゃないね。
日鉱共石スカイラインに乗ってた飯田選手がHKSに乗るなんて・・・凄い❗🤗
JTCCでHKSオペルに乗ったから、その関係もあるのでは
確かにそうですね❗❗🤗懐かしい
@@torakoara1 ベクトラ!!!懐かしいです!
やっぱり縁石で片足上げる姿は迫力があるなー!
歴代のデモカーもちゃんと保管されてたのか。
幼いながらにHKSとユニシアが大好きだった😭
出来たばかりのオートポリスで見たグループAのあの記憶は一生忘れない!
15年いじょう前(2005年?)のオートサロンで、ヨコハマホイールブースにいらっしゃった萩原修氏にこの時のお話をお伺いした
照れながら、菅生でのスピン〜最終ラップでの優勝を振り返っていた
そんな話をしていたら、偶然にも羽根さんがお見えになったのは驚いた
何年経っても色褪せ無いデザイン、HKSといえばこの色!
惚れますね😊
縁石走りめっちゃかっこよくて好き😍
初めてレースを見に行ったのが93年のSUGOグループAでした!まさか最終ラップにあんなドラマが待っているなんて…
93年SUGO、現地で観てました。めっちゃ速かったです!
8:57〜
マグネシウムのナックル!!
この当時は流行ったですよね〜
今のサーキットの縁石とタイヤには使えないシロモノだけど…
綺麗すぎてリメイクかと思ったわ
当時物そのままなんだなこれ
やっぱり1990~2000年代のレースカーはアツかった日本のレースシーンの当時の興奮が蘇ってくる…しかも今やHKSのアイコン的存在の32だから感動モノ。他のGr.Aの32もいつかは動態保存出来るようになって登場の再現が出来たら素晴らしいだろうな。
この頃が日産のスポーツカー最後の輝きだなぁ、今ZやGT-Rがあるけど
まさかトヨタにここまでスポーツカーラインナップで離されるとは思わなかった
いいクルマ=売れるクルマ の時代じゃないので
…(他社)……(トヨタ)
やっぱり32GT-Rが一番カッコいいよなぁ
究極のロードゴーイングスペシャルだよ
レイニックに対抗するHKSチューン!
飯田章選手 新車の初戦で横転クラッシュしたのを思い出します。
「どんなにすごいクルマだったか」←トヨタトムススープラがシーズン途中で逃げ出したほど
あはははは!!
そういえば70スープラも出てたな~、すっかり忘れてたw
スープラじゃ全くもって話にならなかったから、トヨタは1600クラスに集中したんだった。
32の生みの親利雄さんと乗ってましたね 最高です😁
35の生みの親だよね😊
なにが凄いって言うのが日産工機のレイニックエンジンではなく、自分のところで作ったエンジンだったこと 極一部レイニックではない(FETは途中からレイニックに変更)GT-Rもいた中、レイニックではないエンジンで唯一優勝したHKS GT-R
レイニック勢はレンタル品で大半の個体が返却されてるなか、当時オリジナルを積んでるHKS製は貴重ですね
Could have been such an amazing video if the music wasn’t so LOUD and OVERPOWERING over the sounds of the legendary RB26DETT.
以前GマガのR's Meetingで、Gマガの編集長がこのHKS GT-Rを富士で走行してました。
なので、近年メンテされてたものと察します。
森脇健児が監督やってましたね。
1番パワーが出てたのがHKSのエンジン
でしたね。😎👍
レイニック(日産工機)がそれを受けて本気を出してきましたからね〜
今のスーパーGTと違って市販車そのものだよな
グループA規定に則って制作されたマシンですからね...。
現在のスーパーGTでは、GT500クラスはクラス1規定、GT300クラスはFIA-GT3、JAF-GT、GT300-MCのいずれかの規定に則って製作されたマシンで争われています。
そこが良いんだよね〜
自分が同じことをしたら『手が届きそう』って思わせてくれるのがね〜
さすがにHKS号はレイニックじゃ無かったんだ!当時はそこまで考えてなかった
オートサロンで見た!
この当時にダートトライアルをやっていて、同じ柄のHKSのNAレーシングオイルを使ってました。
レギュレーションでチューニングは出来なかったのですが、キグナスのベースオイルを使い非常に印象の良いオイルだった記憶があります。
こだわりと創意工夫を感じるHKS製品は、当時からオイルにも物凄く妥協のない性能を体感したものです。
飯田さんも鈴木利男さんとコンビでって若手には夢の様なコンビでしたね〜。
KC MO Drifto Video Option#1
中古のNISMOのマシンから、あの手この手で改良したのは知らなかった((((;゚Д゚)))))))
エンジンはもちろん、足回りも全て自社製にしていたようですね。
ただ(動画内では剛性があると言ってましたが)最終的はボディがヘタって足回りを交換しても元に戻らなくなったとか。
門外不出と言われたマシンを、幾らで買ったのか(売りに出したのか)
これが一番知りたいところ、中古だけど
@@piggmorizo128 当時は一応5500万出せば新車コンプリートでグループAGT-Rは買えたみたいです(カタログまでありました)。
今のFIA-GT3みたいな感じですね。
昔自分が読んだ雑誌だとHKSもそれを買ったと理解していましたが、今回の話を聞くと違うみたいですね(^_^;)
まあ中古だとしたらハセミモータースポーツかインパルのどちらかのお下がりでしょうけど。
HKS号が初めてR32を投入したのが、91年のマカオGPからなんで、その時点で手にしていたチームから手に入れたんでしょうけど…(可能性が高いのが、星野/長谷見のチームか91年のスパ24Hの個体なのかなぁ…)
これはあくまで妄想ですが、案外知られてないのが豪州日産(ギブソンモータースポーツ)とHKS号って、タイヤ(ヨコハマ)と使ってるミッション(ホリンジャー6速)のパッケージングが同じだったと言うこと…
何らかの技術供与があったと思われます。
ちなみにニスモからギブソンモータースポーツへは中古のエンジンでも法外な値段を付けられ、向こうも全部自社で(しかも、日本仕様より進んだ4WDシステムだったそうで…)開発したそうです(笑)
@@telkor-tzm50r 手持ちのレーシングオンA伝説を見てみましたが、91年スパ24Hで使った個体は翌年の同じレースで炎上して転用されたと書いてあったので、このHKS号ではなさそうですね。
となると言われているギブソンモータースポーツから買った可能性がありますね。
しかしニスモさん、海外でそんなアコギな商売していたとは(^_^;)
今のHKSが他のチューニングメーカーより格上なのはグループAでの優勝🏆があったから。自分も32に28年乗っているが、パーツ選びのときはやはりHKS。鍛造ピストンの重さ測ってみたら、6個とも1グラムの誤差もないという品質。
カルソニックとHKSが大好きだったなぁ(*´ω`*)
そしてグループAも見てて凄く楽しかった…
車体を浮かせて大胆に縁石をカットする、流しながらコーナーを抜けて行く…
凄いドラマが盛り沢山だったよねぇ(๑╹ω╹๑ )
この車をオートサロンで見たとき、リヤウィンドウにワイパーの穴が残ってるのを見て、完全に市販車ベースのレプリカだと思ってました(^^;;
プライベートチームだったの!?
よく残ってたなぁ
保存状態が極上ですよ
当時のGr.Aマシンはdragマシンのベースにならなかったかな🤔
ボディは後にHKS ドラッグ号に使われてましたね。
それを知った『林とっくり』さんことザウルスが同じことをしてました。
これってタミヤでプラモデル化もされましたよね^_^
当時に比べてキャンバー立ててるのはなぜでしょう?
タイヤの性能が飛躍的に上がったから
森脇健児監督
ん?ギアのパータンが?
えっ?6速?
ニスモ以外で優勝したHKS
今で言う500クラスでプライベーターが優勝するような感じですね
@@yossynari チューナー代表だね❗ニスモ以外エンジンは弄れないから。
正確に言うと唯一reinik(日産工機)製じゃないエンジンで優勝したのがHKS
数年前に日産工機のRB26最終販売の時にグループAと同じリフレッシュしたけど別にBCNR後期からのRB26レプリカエンジンと違ってBCNR33前期まではグループA仕様と数点の部品しか変わらないよ。
それに33後期からのレプリカRB26もそうだけど日産市販車に積まれてるエンジンは日産工機だと思うんだけど。
おぃおぃアキラ、クルマ間違えてるぞ(笑)
共石とHKSは、ぜんぜん別モノ。
6速なんだ
レースでは、VO公認取らなければならないので、当時はどの車も栃木富士製のレーシングパターン5速ドグミッションだったはずです。
壊れたか、補修パーツがないので乗せ換えたんでしょうね。
緑目はいかがなものか?
現役時代からこうでしたし、別に夜走るわけではないので問題ないと思います。
今のGTみたいに色が決まっていた時代でもありませんし。
アキラ100%じゃないね。