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宣帝が武帝時代の弊害を尻拭いしてくれなきゃ普通に暴君無能の烙印押されてたと思う
中国史動画で鳥人間さんのが一番好き
ワイも。
武帝の一番の功績の「対匈奴戦争勝利」も「皇后の身内という身びいきで登用した衛青霍去病が天才だった」だけだしなあ。
くそっ、お前は歴史音痴だな。武帝の匈奴との戦争は40年続いた。衛青のような天才でさえ、関わったのはほんの短い期間だ。
始皇帝が好きなので、終盤を見て「武帝やるやん」と思っていたところに「武帝の時代に生きたいか?」という問いが最高でした。確かに絶対嫌だw
圧政っぷりなら始皇帝よりひどいのではないかと思う
接下来中国把日本并入版图战略上就完美了,这样整个中华帝国海岸线都将直接延伸到太平洋,南海已经在我们手里意味着印度洋和东南亚国家也将被我们控制。果然很多地方还时间和努力才能统一天下
@@广泛麦子 八紘一宇。世界統一。こんな感じ?
@@コクヨかパイロットか バチくそ侵略主義掲げてるぞそいつw
@@广泛麦子現代の武帝で草
劉邦が建国してから三国志まで続く前漢から後漢は暴君も賢帝もいた時代で興味をそそる三国志より前の時代なんだから凄いよな
武帝「朕の世はハイリスクハイリターンである」民( ゚д゚)「やべぇ時代に生まれてしまった」
武帝待ってました!ずっと鳥人間さんに解説してほしいと思ってたんで嬉しいです!
漢の武帝は「有能だが、その能力を民の幸せのためには使わなかった皇帝」だと思います。同じタイプとして、秦の始皇帝、明の永楽帝がいますね。
隋の煬帝はまだ支配して二代で国が固まってない事を理解し、プライドに対して神経が釣り合わぬほど脆くなければ武帝並には評価があった気がする
@@green8714 さんそうですね。彼が作った大運河は、後々まで重宝されましたし。
ルイ14世も似たタイプでしょうか?
@@001lonestar7 さんそうかもしれませんね。そのツケをルイ16世が払わされた、と。
始皇-暴君, 永乐-暴君,永乐的父亲-暴君
諸星大二郎の作品に「無面目」というものがあり、そのなかで武帝の巫蠱の獄が書かれていました。それを読んでいたので、武帝の光と闇を紹介されていて面白かったです。
巫蠱の大獄は都合、三度あった。皇太子が誅殺されたのは二度目のものではなかったかな?諸星大二郎の作品に出てくる。名前は何だっけ?作品の中では正体は人形だったが。その男に煽られて起こった事件だった。その後の調査で、それまでの巫蠱の密告の多くが捏造冤罪だったことなどがわかり三度目の巫蠱の大獄では慎重に調べられたようだ。そしてどうも三度目は本当だったようでね。これも前の二回ほどではないにしても、厳しく処罰された
同じく諸星大先生の作品に武帝と霍去病の息子が泰山で封禅する話がありましたね。晩年のキャラ変を踏まえて話を書いているのかと思うと感慨深い。
武帝優秀なイメージでしたが、結構ヤバいこともやってますな。
うぼつです。なるほど。武帝の施政の後半は、財政的に厳しかったのですね。闇の部分の紹介があることもバランスが取れていて良かったです。
これを立て直したのが巫蠱の大獄で誅殺された皇太子の孫の宣帝だね中国史上でも名君の一人に数得られ漢の中興の祖とされる
面白すぎる。僭越ながら応援しています。
武帝の晩年の辺りから、漢はかつての秦と同じ運命をたどり始める
武帝の失政が後の王莽の台頭と付け入る隙を許すことになったのは、必然だったと思います。
例え、艱難辛苦が我が身を苛もうとも、後漢成祖光武帝(BC.5~AD.57、在位:AD.27~57)には仕えてもよい。だが、如何に財貨宝玉を山と積まれようとも、罪なく一族誅戮されるならば前漢成宗武帝(BC.156~BC.87、在位:BC.141~BC.87)には絶対に仕えたくはない。
李広、衛青、霍去病。史記に出てきますね。懐かしい。夏候玄の、楽毅論とかも面白かった。
他の方が言われ提案菅司馬光が資治通鑑で始皇帝とほとんど変わらないと言ってるんですよね。諸星大二郎先生の作品は僕も読んでいますが諸星先生の学識とセンスが読める傑作です。日本でも秋田の方にお話があったりしますが遠くから見ると凄いんですが本当に仕えたくはない人ですね。
光と闇というか、ほぼ闇しかない件
武帝は自分で見たことしか信じなさそうな性格だな。始皇帝と違って最晩年には、己の行いを後悔していることは評価に値する。
武帝というと、司馬遷の宮刑が1番印象にあります。彼の宮刑も匈奴との関係が端を発したと記憶があります。また、儒教についても高祖劉邦が大の儒教嫌いだったとも。武帝以前は道教がメジャーだったかと。
いつも楽しく見させてもらってます🤗個人的に呂后史記に出てくる戚夫人についてのお話詳しく聞きたいです😎
いつも楽しみにしてます☺️
武帝の行った匈奴戦争で漢兵の強さから中国語で男らしい男性のことを男子漢、と言うようになりました。
巫蠱の乱が出たから、次回は宣帝を!
紀元前の人間が77歳まで生きるとかどれだけ健康なんだよって話だわ。ケンシロウ風に言うと、テメーは長く生きすぎたようだ。
もしもこの人がこの能力と人間性を持ったまま衰退期の大国や小国の君主になっていたらどう動いたのかというのは興味がある
拝見しました。当時の人は大変だったでしょうね。最後の「また見てギアス」とは某アニメを連想しますね。芸が細かい❗
ちょうど陳舜臣「小説十八史略」の武帝時代を読んでいたところでありがたい。同著では、元号の始まりは文帝時代と書いてますね。ただ簡易的なものだったので正式採用は武帝時代という事らしいですね。
このあたり北方謙三の史記で描かれてて面白い北方謙三がハードボイルド出身で男らしさと女々しさが同居してる人物描写が多いのがやや好みの分かれるところかもしれないけどオススメ
不老不死を志向したのも似てますねー。ただ武帝は晩年「やっぱ人間ほどほどに健康なのが一番だわ……」と考えを改めたり、バチバチの法家主義だった始皇帝に対して儒教を採ったり、この二人、根のところで結構違うなーとも思います。
苛烈な皇帝の所為で短期で国が滅亡した秦や隋と違ったのは、国体が既に完成していた為だろうか?
屈原についてやってください
漢武帝と秦の始皇帝の最大の違いは後継者の事宜を正しいということです。
毎回楽しみに見させていただいてます!!リクエストなのですが、「王安石」もしくは「蘇軾」あたりの文人はいかがでしょうか?このへんの人物は有名ではあると思うんですが、日本のyoutuberの方でまだ扱った方がいらっしゃらないようなので、よろしければ取り上げていただきたいです!!(北宋がしだいに衰えていくさまは見ていて悲しいのですが)
王安石!素晴らしい人提案してますなぁ
@@唄われるモノ ありがとうございます!
先祖が苦心して倹約し、財政を潤したのに湯水の如く使う(名将に恵まれなかったら)一歩間違えていたら、隋の煬帝になっていたよね((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
中国の歴史を知ると、中国において中央政権は不可能なんだなとつくづく感じます。
徹底して鉄などの専売をした人ですね()それはそれとして、最近ここを知ったものです取り上げるものとしてセオリーなものからユニークなものまで…個性的な所だとお見受けしました、チャンネル登録失礼します
おかしいなぁ、何か色々思うことがあったはずなのに最後の朱儁に全部もってかれた
現代風に武帝へ諡を送るなら、ブラックワンマンパワアカハラエンペラーといったところになるのでしょうか?前漢の最盛期とは、いかに多くの人間の嘆き、恨みの上に成り立っているのかがよくわかりました。あらためまして鳥人間様、明けましておめでとうございます。今年もスーパー動画、よろしくお願いします!
武帝は太子になれる立場には無かったが母親が宮廷内を上手く立ち回り、太子を始め、候補者を次々に脱落させたらしい。更に母親は抑える人が亡くなると(文帝の皇后)、弟ともに財産を増やす事に勤しんだと言う。しかし、武帝の母が無くなるとその一族を誅殺したとも聞く皇太子事件は弁明を行えば良いのに、兵を立ち上げてしまったので謀叛の罪で罰せられる。武帝の後継は幼児しか残っておらず、その母親をそのまま存命させれば、欲望むき出しで王朝を一族に乗っ取られる恐れがるという事で処刑させられる。しかし、後を託された重臣達も幼帝であるが故に乱用が行われる恵帝までは老荘思想で国家運営していたが、武帝時代に儒学を国学と変更する。前漢は以後衰退していく。
今回も考えされられる内容でした李鴻章をいつかしてもらいたいです
北方謙三先生の史記 武帝紀を読みつつ、こちらの動画で詳細を学び補完しています。助かります!
「人材を失った」という理由でさらに人材を削除する鬼畜w
宋の仁宗とか見たい
前漢の中興の祖、宣帝を楽しみに待ちます。
私も楽しみにしております!!牢獄で生まれ育ち・・庶民の中で育った 波乱のプリンス・・宣帝この方は武帝の過ちの中から育った名君ですねそして苦労人だから理想主義・懐古主義である儒教を嫌う徹底した現実主義の皇帝だったといわれております。
漢宣帝 劉恂 字は病已霍光の力もあって即位した、苦労人の皇帝です。特に霍光とのやり取りで『政治は、先ず霍光に(あずかりもうし)然る後に奏御す』として彼を関白にした逸話が有名です。
霍光回の前に見に来ました
始皇帝と漢武帝、泰山で封禅の儀式を行ったけど、武帝の時は太史令の司馬談が封禅の儀式の調査と準備に忙殺されついに参加出来なかった為、悔しい想いを抱いたまま亡くなり、歴史書編纂事業は子の司馬遷に受け継がれた。
いつも楽しく拝見しています。今回、6:25位から背景のイラストが?東洋人ぽいのがアーチェリーもどきの弓の構え。漢時代でも普通に弓の構えは東洋式ではないでしょうか?
絵を書いた人が詳しく調べ無かったのでは?アーチェリーのほうが眼にする機会が多いですし。宦官が立派な髭を蓄えていたり、髭を蓄えた、長髪のローマ人など思い込みで描かれているものが在ったりします。
イメージが始皇帝と被る
怒涛の勢いで最新動画まで追いつきました!リクエスト・・・晋の趙武はいかがでしょうか。最近、「天命の子 趙氏孤児」というドラマを見たばかりなのですが、貴チャンネルで殷、周、春秋戦国の知識を並行して学んでいたため、会話に出てくる人名や故事が理解でき更に深く楽しむことが出来ました。てっきり完全なフィクションなのかと思いきやWikiをみると実在の人物みたいなので。ドラマでは主人公の程嬰が亡くなって終わってしまうので、その後なども知りたいです。
中国ドラマの「漢武大帝」お勧めですよ。武帝の幼児期から最後まで扱ってます。
見ようかどうか迷っているドラマです。おすすめポイントはどこでしょうか?衛青や衛子夫、平陽公主はどのように描かれていますか?
室町幕府の「万人恐怖」足利義教が、天寿を全うしたらこうなっていたかも。この時代の彼の家臣とかに生まれなくて本当に良かった。(武帝もまた然り。文帝や景帝ならいざ知らず、武帝の家臣として天寿を全う出来る自信が無い……………)
ここは、本当に暗愚だったのか? 霊の文字を入れられた皇帝、後漢末期霊帝特集を……。
衛青来た!! これで勝つる!!
司馬遷に逆切れして司馬遷の珍子切らせるよう決断させたひどい人
晩年はロシアのイワン大帝を思わせる
中央亜細亜まで勢力を伸ばした武帝
諸星大二郎の「無面目」でおなじみの武帝だ
『資治通鑑』曰く、「臣光曰:孝武窮奢極欲,繁刑重斂,內侈宮室,外事四夷,信惑神怪,巡遊無度,使百姓疲敝,起為盜賊,其所以異於秦始皇者無幾矣。然秦以之亡,漢以之興者,孝武能尊先王之道,知所統守,受忠直之言,惡人欺蔽,好賢不倦,誅賞嚴明,晚而改過,顧託得人,此其所以有亡秦之失而免亡秦之禍乎.」 司馬光の評価に近いですね。宋代の価値観は現代と共通する部分が多いと思う。白起を武廟十哲から除けたのも趙匡胤だし、平和で経済的豊かな時代にいる人は暴君と評価しても無理がないだろう。 それでも始皇帝と武帝が厳しく中央集権したこそ、後の世が太平と繁栄を迎えた。今の国も、必要な時に狡猾と非人道的な策を実行する準備を怠らないこと
有り余る財政・国力があったら、お坊ちゃん育ちなら、自分の権勢や贅沢に使いたいと思ってしまうのは良くある事だろうな。文帝や宣帝は即位する前、苦労してきたから、民の撫育を一番に考えてたね。
後世に歓楽極まって哀情多しと評された位振れ幅がおかしい人だからなぁ~。
呉楚七国の乱の原因となったのが朝廷の御史大夫の位?だったかな、の晁錯だと、十八史略にありますね
政権が安定して国庫が潤えば他国の領土に侵略し、国力が疲弊して維持できなくなったら元々の領土まで撤退して機をうかがう。ある意味現在まで続く中国国家の行動規範の雛形ができたのがこの時代。周辺諸国にとっては春秋戦国や三国志五胡十六国時代みたいに内部で争っててくれたほうが有り難い。
中華王朝と異民族の関係は難しいですね。攻勢に出れば国が困窮し、守勢になれば攻めこまれる。
如何にかの国か揶揄追従しようとも、絶対に心を許してはならない。
I think you are talking about Japan
陳舜臣の本にありましたが、中国人が歴史上の人物を挙げると、孔子・始皇帝・武帝の3人は別格だとか。始皇帝は中国を統一し、武帝は「中華帝国」をつくった。この2人が中国史上最も偉大な皇帝で間違いないと思います。(好き嫌いは別として)それと、今回もわんおさんのイラストかわいいですね。
尚書六百石 かなはさつm6([€
武帝と衛子夫を聞くと一説ですが、厠で○○○したのが馴れ初めという話を思い出します。(多分、正しい解釈の可能性が高いと思います。手洗いに立った後だから)意外に思うかもしれませんが、漢書では前漢の最盛期は彼でなく、殺された太子の孫 宣帝と考えられています。彼の生涯も面白いです。
平民出身の皇帝、宣帝面白い経歴ですよね。確か少女漫画にも出ていたはず。
@@ra45333 少女漫画あるんですか?
@@user-kattak 青木朋『天空の玉座』、加藤四季『お嬢様と私―たなぼた中国恋愛絵巻』、白井恵理子『常闇の宮 黎明の星』。宣帝は平民時代の生活があるので題材にしやすいのかもしれませんね
文帝からの遺産を費やした暴君、とも言えるし、外敵の脅威を減らした名君とも言える。君主としては評価がわかれる。ただ、大した人物ではないかな。小物上司レベル。
自分に甘く、他人に厳しい。これだけなら、身近にたくさんいるダメ人間ですが、この人は、優れた戦略と決断力があるから、始末に負えない(汗)。
知恵を得た無惨さまやなこの人…中華の歴史ってそういう人多い気がする
習近平がまだ小物に見えるくらいよきもあしきもスケールがでかいぜ武帝
武帝の明暗は、まさに今のロシア・プーチン氏とも共通しているように視聴しながら感じていました。武帝期の漢、そして今のロシア、共に人の命の価値が皆無に近い……(動画内の最後で、武帝はそれまでの行いを悔いて、少しでも取り戻そうとしていた描写がありましたが、プーチン氏にはそれが無さそうですね……)
巫蠱の禍で友人とされる田仁と任安を失った司馬遷の心中は如何ばかりか?もし報任少卿書が武帝の目に止まっていたら、司馬遷も誅されていたやもしかし衛氏と縁ある霍氏は無事だったんだよなぁ
ただ霍氏は、宣帝の時代に霍光が政治の実権を掌握したものの、霍光の死後に霍一族は粛清されます。
どうにも武帝は、たまたま気に入った女性の親族を縁故採用したら頑張ってくれただけという感じがする。もともと女を口説くために出世させてやっただけで、親族が頑張りすぎて実権握るなんてとんでもないから、後にほぼ全ての外戚が、全滅に近い憂き目を喰らうのが恐ろしすぎる。
巫蠱の獄、皇后衛子夫だけでなく皇太子も更に万余の人達を死に追いやった武帝の闇…でっち上げした江充が元凶とはいえ、やりきれない思いになります。
高祖-文帝-景帝-武帝
司馬遷が宮刑を間逃れる条件は2ヶ月分の給料を払えば良かったのに払えなかったらしいね
そんな安い金額じゃなかったと思うが……
北方先生のそれを読むんだよし
武帝きたー。張騫と衛青・霍去病もきたー。武帝の政策は、当時の朝臣や民衆にとっては酷かったとはおもうが、封建制度をシステムとして残しながら中央集権制を敷いたとか良くも悪くもその後の王朝の範型をつくったのは大きいかな。まあ、武帝にとってはやりたかったからやっただけだろうけど
霍去病の弟の霍光も取り上げてほしいですよね。面白い称号だし、日本にも関わりが深いし。
こんなおっかねえ御仁に直諫して憚らなかった汲黯も取り上げてくだされば幸いです。「内心欲まみれのくせに、儒学で外面ばっか良くしようとしてんじゃねえよ(意訳)」なんて命知らずな。
武帝、もっとぶってー
軽く扱われる命・・・いつの時代、どこの国でもおこること。自分が生きている国を、こうはしたくない。
信長っぽい 信長よりだいぶ前だけど
江山美人得而兼之。前有司马相如之长门赋。后有:北方有佳人,绝世而独立。一顾倾人城,再顾倾人国。宁不知倾城与倾国?佳人难再得。
何気にスッゲー難しい事言ってるよねw教育テレビのレベル超えてると思うw
彼は三代分の財産を浪費した。先代の財産、当代の財産、次代の財産。
武帝・・思えばラッキーな男ですね・・この方はずばり!!一人の女性の欲の為から皇帝の地位を確保できた男です。元々この方は10番目の王子で皇位継承権とは全くの無縁だったのにもかかわらず・・皇帝の地位が回ってきたのだから・・一人の女性の名前は館陶長公主 武帝の伯母にあたります。自分の娘を皇后にしたかったけど・・当時の皇太子は武帝の異母兄・・その皇太子の生母栗姫と館陶長公主は仲が良くなかったので・・館陶長公主は栗姫の事を弟の武帝の父の景帝に謗り・・反対に武帝の事を沢山褒めて・・栗姫と異母兄を引きづり落とすのに成功したわけです。もちろん・・武帝の皇后に館陶長公主の娘 のちの陣皇后と呼ばれるひとでした・・女性の一言は怖いですね・・それを鵜呑みにする景帝も景帝ですが・・ただ・・景帝はこの姉を大事にする理由がありました。景帝と館陶長公主の話もいづれアップしてほしいですね
葵百合 景帝の代は後継者問題が二転三転&血生臭過ギィ‼️
@@daikon_yakusha 様 文景の治の裏側のお話ですよね・・平和な世の中だったというのに・・宮中では恐ろしいことになっておりますね・・しかし・・景帝・・女性に甘すぎやし意見聞きすぎですね・・はい
歴代皇帝の中でもかなり評価してない人です派手で昔は好きだったんですけどね
何というか滅茶苦茶なトップやなあ…日本人で良かった(´・ω・`)
WAQ!WAQ!
秦の始皇帝の時代と漢の武帝の時代に生きるのは絶対イヤだな😂あと、五胡十六国時代も絶っっ対イヤだし、毛沢東時代の中国も絶っっっ対イヤだぁ!!( ゚Д゚)y─┛~~
Next time shall I be watching the First emperor of Sui Dynasty or Song Dynasty or Ming Dynasty either 隋文帝 楊堅 or 宋太祖 趙匡胤 or 明太祖 朱元璋 ?
あれ?悪いユダヤ人のイメージに何だか似てる気が…💦
王温舒みたいなやつが跋扈したのも治安悪化要因。
海外対策で民達への負担が強くなりすぎる、国は富むけど民には還元されない・・・習主席は武帝だった・・・?(震え声)霍去病、名前に病が入ってるのにやってることがくっそ猛将よね(そして命もまた名前に似合い短命・・・)司馬遷がいなくなったらアジアの歴史の編纂史ももっと変わってたかもと考えるとゾッとする
去病は少年の頃、病弱だったためこの名前を付けたという。なお彼の義父は陳掌であの陳平の子孫です。
弟は、関白の語源となった大司馬大将軍霍光。叔父が大将軍、兄が大司馬だったので、両方くっつけてしまった。地位的には相国より遥か上だったりする。
@@ra45333 霍光は宣帝擁立とか朝廷をやりたい放題にいたして外戚及び宦官政治の問題を作ってしまってますね。衛青が長生きしていれば違ったかもしれませんね。
去病は「病が去る」だから、名前とは真逆の人生ですよ。
@@user-kattak 外戚及び宦官政治の問題については擁護できないですが、宣帝擁立については、評価してあげてほしいです。宣帝がもう少し長生きしていれば、漢帝国も立ち直っていたでしょうし。衛青が長生きした場合は私は想像できないですね。衛青がいれば、宣帝も追放されず、庶民の生活をすることがなかったので、霍光が廃したその他のバカ皇帝と同じなっていた可能性もありましたし。(衛一族だから単純に優秀な可能性もなきにしもあらずですが・・・。)
崇祯帝愿
老いたる麒麟は駑馬にも劣る………………
唐太宗 李世民曰:「近代平一天下,拓定邊方者,惟秦皇、漢武。」《貞觀政要 貢賦 第三十三》
漢武帝劉徹,文治武功,外交戰略成功,剿滅強悍匈奴,取得決定性勝利。豐功偉業與唐太宗可齊名。?喔!
良くも悪くも中国人は正直に吊り目の東アジア人を確り描いてるよなぁ。
しっかし、不思議よなぁあれだけの広い国が1つの国に成ってしまうとは。そして皇帝が1人居て宦官共に操られる不思議。2000年間も同じ事の繰り返しって飽きないか?日本も同じだけど取敢えずはアメリカが上に居るから民主主義っぽく成ってるけどさ
《史記 卷49 外戚世家 第十九》鉤弋夫人姓趙氏,河閒人也。得幸武帝,生子一人,昭帝是也。武帝年七十,乃生昭帝。昭帝立時,年五歲耳。衛太子廢後,未復立太子。而燕王旦上書,願歸國入宿衛。武帝怒,立斬其使者於北闕。上居甘泉宮,召畫工圖畫周公負成王也。於是左右群臣知武帝意欲立少子也。後數日,帝譴責鉤弋夫人。夫人脫簪珥叩頭。帝曰:「引持去,送掖庭獄!」夫人還顧,帝曰:「趣行,女不得活!」夫人死雲陽宮。時暴風揚塵,百姓感傷。使者夜持棺往葬之,封識其處。其後帝閒居,問左右曰:「人言云何?」左右對曰:「人言且立其子,何去其母乎?」帝曰:「然。是非兒曹愚人所知也。往古國家所以亂也,由主少母壯也。女主獨居驕蹇,淫亂自恣,莫能禁也。女不聞呂后邪?」故諸為武帝生子者,無男女,其母無不譴死,豈可謂非賢聖哉!昭然遠見,為後世計慮,固非淺聞愚儒之所及也。謚為「武」,豈虛哉!
漢書 卷97上 外戚傳 第六十七上孝武鉤弋趙婕妤,昭帝母也,家在河間。武帝巡狩過河間,望氣者言此有奇女,天子亟使使召之。既至,女兩手皆拳,上自披之,手即時伸。由是得幸,號曰拳夫人。先是其父坐法宮刑,為中黃門,死長安,葬雍門。拳夫人進為婕妤,居鉤弋宮,大有寵,元始三年生昭帝,號鉤弋子。任身十四月乃生,上曰:「聞昔堯十四月而生,今鉤弋亦然。」乃命其所生門曰堯母門。後衛太子敗,而燕王旦、廣陵王胥多過失,寵姬王夫人男齊懷王、李夫人男昌邑哀王皆蚤薨,鉤弋子年五六歲,壯大多知,上常言「類我」,又感其生與眾異,甚奇愛之,心欲立焉,以其年稚母少,恐女主顓恣亂國家,猶與久之。鉤弋婕妤從幸甘泉,有過見譴,以憂死,因葬雲陽。後上疾病,乃立鉤弋子為皇太子。拜奉車都尉霍光為大司馬大將軍,輔少主。明日,帝崩。昭帝即位,追尊鉤弋婕妤為皇太后,發卒二萬人起雲陵,邑三千戶。追尊外祖趙父為順成侯,詔右扶風置園邑二百家,長丞奉守如法。順成侯有姊君姁,賜錢二百萬,奴婢第宅以充實焉。諸昆弟各以親疏受賞賜。趙氏無在位者,唯趙父追封。
宣帝が武帝時代の弊害を尻拭いしてくれなきゃ普通に暴君無能の烙印押されてたと思う
中国史動画で鳥人間さんのが一番好き
ワイも。
武帝の一番の功績の「対匈奴戦争勝利」も「皇后の身内という身びいきで登用した衛青霍去病が天才だった」だけだしなあ。
くそっ、お前は歴史音痴だな。武帝の匈奴との戦争は40年続いた。衛青のような天才でさえ、関わったのはほんの短い期間だ。
始皇帝が好きなので、終盤を見て「武帝やるやん」と思っていたところに「武帝の時代に生きたいか?」という問いが最高でした。
確かに絶対嫌だw
圧政っぷりなら始皇帝よりひどいのではないかと思う
接下来中国把日本并入版图战略上就完美了,这样整个中华帝国海岸线都将直接延伸到太平洋,南海已经在我们手里意味着印度洋和东南亚国家也将被我们控制。果然很多地方还时间和努力才能统一天下
@@广泛麦子 八紘一宇。世界統一。こんな感じ?
@@コクヨかパイロットか
バチくそ侵略主義掲げてるぞそいつw
@@广泛麦子
現代の武帝で草
劉邦が建国してから三国志まで続く
前漢から後漢は暴君も賢帝もいた時代で興味をそそる
三国志より前の時代なんだから凄いよな
武帝「朕の世はハイリスクハイリターンである」
民( ゚д゚)「やべぇ時代に生まれてしまった」
武帝待ってました!
ずっと鳥人間さんに解説してほしいと思ってたんで嬉しいです!
漢の武帝は
「有能だが、その能力を民の幸せのためには使わなかった皇帝」
だと思います。
同じタイプとして、秦の始皇帝、明の永楽帝がいますね。
隋の煬帝はまだ支配して二代で国が固まってない事を理解し、プライドに対して神経が釣り合わぬほど脆くなければ武帝並には評価があった気がする
@@green8714 さん
そうですね。
彼が作った大運河は、後々まで重宝されましたし。
ルイ14世も似たタイプでしょうか?
@@001lonestar7 さん
そうかもしれませんね。
そのツケをルイ16世が払わされた、と。
始皇-暴君, 永乐-暴君,永乐的父亲-暴君
諸星大二郎の作品に「無面目」というものがあり、そのなかで武帝の巫蠱の獄が書かれていました。
それを読んでいたので、武帝の光と闇を紹介されていて面白かったです。
巫蠱の大獄は都合、三度あった。
皇太子が誅殺されたのは二度目のものではなかったかな?
諸星大二郎の作品に出てくる。名前は何だっけ?
作品の中では正体は人形だったが。その男に煽られて起こった事件だった。
その後の調査で、それまでの巫蠱の密告の多くが捏造冤罪だったことなどがわかり
三度目の巫蠱の大獄では慎重に調べられたようだ。
そしてどうも三度目は本当だったようでね。これも前の二回ほどではないにしても、厳しく処罰された
同じく諸星大先生の作品に武帝と霍去病の息子が泰山で封禅する話がありましたね。晩年のキャラ変を踏まえて話を書いているのかと思うと感慨深い。
武帝優秀なイメージでしたが、
結構ヤバいこともやってますな。
うぼつです。
なるほど。武帝の施政の後半は、財政的に厳しかったのですね。闇の部分の紹介があることもバランスが取れていて良かったです。
これを立て直したのが巫蠱の大獄で誅殺された皇太子の孫の宣帝だね
中国史上でも名君の一人に数得られ
漢の中興の祖とされる
面白すぎる。僭越ながら応援しています。
武帝の晩年の辺りから、漢はかつての秦と同じ運命をたどり始める
武帝の失政が後の王莽の台頭と付け入る隙を許すことになったのは、必然だったと思います。
例え、艱難辛苦が我が身を苛もうとも、後漢成祖光武帝(BC.5~AD.57、在位:AD.27~57)には仕えてもよい。
だが、如何に財貨宝玉を山と積まれようとも、罪なく一族誅戮されるならば前漢成宗武帝(BC.156~BC.87、在位:BC.141~BC.87)には絶対に仕えたくはない。
李広、衛青、霍去病。
史記に出てきますね。
懐かしい。
夏候玄の、楽毅論とかも面白かった。
他の方が言われ提案菅司馬光が資治通鑑で始皇帝とほとんど変わらないと言ってるんですよね。諸星大二郎先生の作品は僕も読んでいますが諸星先生の学識とセンスが読める傑作です。日本でも秋田の方にお話があったりしますが遠くから見ると凄いんですが本当に仕えたくはない人ですね。
光と闇というか、ほぼ闇しかない件
武帝は自分で見たことしか信じなさそうな性格だな。始皇帝と違って最晩年には、己の行いを後悔していることは評価に値する。
武帝というと、司馬遷の宮刑が1番印象にあります。彼の宮刑も匈奴との関係が端を発したと記憶があります。
また、儒教についても高祖劉邦が大の儒教嫌いだったとも。武帝以前は道教がメジャーだったかと。
いつも楽しく見させてもらってます🤗
個人的に呂后史記に出てくる戚夫人についてのお話詳しく聞きたいです😎
いつも楽しみにしてます☺️
武帝の行った匈奴戦争で漢兵の強さから中国語で男らしい男性のことを男子漢、と言うようになりました。
巫蠱の乱が出たから、次回は宣帝を!
紀元前の人間が77歳まで生きるとかどれだけ健康なんだよって話だわ。ケンシロウ風に言うと、テメーは長く生きすぎたようだ。
もしもこの人がこの能力と人間性を持ったまま衰退期の大国や小国の君主になっていたらどう動いたのかというのは興味がある
拝見しました。
当時の人は大変だったでしょうね。
最後の「また見てギアス」とは某アニメを連想しますね。芸が細かい❗
ちょうど陳舜臣「小説十八史略」の武帝時代を読んでいたところでありがたい。
同著では、元号の始まりは文帝時代と書いてますね。
ただ簡易的なものだったので正式採用は武帝時代という事らしいですね。
このあたり北方謙三の史記で描かれてて面白い
北方謙三がハードボイルド出身で男らしさと女々しさが同居してる人物描写が多いのがやや好みの分かれるところかもしれないけどオススメ
不老不死を志向したのも似てますねー。
ただ武帝は晩年「やっぱ人間ほどほどに健康なのが一番だわ……」と考えを改めたり、バチバチの法家主義だった始皇帝に対して儒教を採ったり、この二人、根のところで結構違うなーとも思います。
苛烈な皇帝の所為で短期で国が滅亡した秦や隋と違ったのは、国体が既に完成していた為だろうか?
屈原についてやってください
漢武帝と秦の始皇帝の最大の違いは後継者の事宜を正しいということです。
毎回楽しみに見させていただいてます!!
リクエストなのですが、「王安石」もしくは「蘇軾」あたりの文人はいかがでしょうか?
このへんの人物は有名ではあると思うんですが、日本のyoutuberの方でまだ扱った方がいらっしゃらないようなので、よろしければ取り上げていただきたいです!!
(北宋がしだいに衰えていくさまは見ていて悲しいのですが)
王安石!素晴らしい人提案してますなぁ
@@唄われるモノ
ありがとうございます!
先祖が苦心して倹約し、財政を潤したのに湯水の如く使う(名将に恵まれなかったら)一歩間違えていたら、隋の煬帝になっていたよね((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
中国の歴史を知ると、中国において中央政権は不可能なんだなとつくづく感じます。
徹底して鉄などの専売をした人ですね()
それはそれとして、最近ここを知ったものです
取り上げるものとしてセオリーなものからユニークなものまで…
個性的な所だとお見受けしました、チャンネル登録失礼します
おかしいなぁ、何か色々思うことがあったはずなのに
最後の朱儁に全部もってかれた
現代風に武帝へ諡を送るなら、
ブラックワンマンパワアカハラエンペラーといったところになるのでしょうか?前漢の最盛期とは、いかに多くの人間の嘆き、恨みの上に成り立っているのかがよくわかりました。
あらためまして鳥人間様、明けましておめでとうございます。
今年もスーパー動画、よろしくお願いします!
武帝は太子になれる立場には無かったが母親が宮廷内を上手く立ち回り、太子を始め、候補者を次々に脱落させたらしい。
更に母親は抑える人が亡くなると(文帝の皇后)、弟ともに財産を増やす事に勤しんだと言う。しかし、武帝の母が無くなるとその一族を誅殺したとも聞く
皇太子事件は弁明を行えば良いのに、兵を立ち上げてしまったので謀叛の罪で罰せられる。
武帝の後継は幼児しか残っておらず、その母親をそのまま存命させれば、欲望むき出しで王朝を一族に乗っ取られる恐れがるという事で
処刑させられる。しかし、後を託された重臣達も幼帝であるが故に乱用が行われる
恵帝までは老荘思想で国家運営していたが、武帝時代に儒学を国学と変更する。
前漢は以後衰退していく。
今回も考えされられる内容でした
李鴻章をいつかしてもらいたいです
北方謙三先生の史記 武帝紀を読みつつ、こちらの動画で詳細を学び補完しています。助かります!
「人材を失った」という理由でさらに人材を削除する鬼畜w
宋の仁宗とか見たい
前漢の中興の祖、宣帝を楽しみに待ちます。
私も楽しみにしております!!
牢獄で生まれ育ち・・庶民の中で育った 波乱のプリンス・・宣帝
この方は武帝の過ちの中から育った名君ですね
そして苦労人だから理想主義・懐古主義である儒教を嫌う徹底した現実主義の皇帝だったといわれております。
漢宣帝 劉恂 字は病已
霍光の力もあって即位した、苦労人の皇帝です。
特に霍光とのやり取りで
『政治は、先ず霍光に(あずかりもうし)然る後に奏御す』として彼を関白にした逸話が有名です。
霍光回の前に見に来ました
始皇帝と漢武帝、泰山で封禅の儀式を行ったけど、武帝の時は太史令の司馬談が封禅の儀式の調査と準備に忙殺されついに参加出来なかった為、悔しい想いを抱いたまま亡くなり、歴史書編纂事業は子の司馬遷に受け継がれた。
いつも楽しく拝見しています。今回、6:25位から背景のイラストが?東洋人ぽいのがアーチェリーもどきの弓の構え。漢時代でも普通に弓の構えは東洋式ではないでしょうか?
絵を書いた人が詳しく調べ無かったのでは?アーチェリーのほうが眼にする機会が多いですし。宦官が立派な髭を蓄えていたり、髭を蓄えた、長髪のローマ人など思い込みで描かれているものが在ったりします。
イメージが始皇帝と被る
怒涛の勢いで最新動画まで追いつきました!
リクエスト・・・晋の趙武はいかがでしょうか。
最近、「天命の子 趙氏孤児」というドラマを見たばかりなのですが、貴チャンネルで殷、周、春秋戦国の知識を並行して学んでいたため、会話に出てくる人名や故事が理解でき更に深く楽しむことが出来ました。
てっきり完全なフィクションなのかと思いきやWikiをみると実在の人物みたいなので。
ドラマでは主人公の程嬰が亡くなって終わってしまうので、その後なども知りたいです。
中国ドラマの「漢武大帝」お勧めですよ。武帝の幼児期から最後まで扱ってます。
見ようかどうか迷っているドラマです。
おすすめポイントはどこでしょうか?
衛青や衛子夫、平陽公主はどのように描かれていますか?
室町幕府の「万人恐怖」足利義教が、天寿を全うしたらこうなっていたかも。この時代の彼の家臣とかに生まれなくて本当に良かった。(武帝もまた然り。文帝や景帝ならいざ知らず、武帝の家臣として天寿を全う出来る自信が無い……………)
ここは、本当に暗愚だったのか? 霊の文字を入れられた皇帝、後漢末期霊帝特集を……。
衛青来た!! これで勝つる!!
司馬遷に逆切れして司馬遷の珍子切らせるよう決断させたひどい人
晩年はロシアのイワン大帝を思わせる
中央亜細亜まで勢力を伸ばした武帝
諸星大二郎の「無面目」でおなじみの武帝だ
『資治通鑑』曰く、「臣光曰:孝武窮奢極欲,繁刑重斂,內侈宮室,外事四夷,信惑神怪,巡遊無度,使百姓疲敝,起為盜賊,其所以異於秦始皇者無幾矣。然秦以之亡,漢以之興者,孝武能尊先王之道,知所統守,受忠直之言,惡人欺蔽,好賢不倦,誅賞嚴明,晚而改過,顧託得人,此其所以有亡秦之失而免亡秦之禍乎.」
司馬光の評価に近いですね。
宋代の価値観は現代と共通する部分が多いと思う。白起を武廟十哲から除けたのも趙匡胤だし、平和で経済的豊かな時代にいる人は暴君と評価しても無理がないだろう。
それでも始皇帝と武帝が厳しく中央集権したこそ、後の世が太平と繁栄を迎えた。今の国も、必要な時に狡猾と非人道的な策を実行する準備を怠らないこと
有り余る財政・国力があったら、お坊ちゃん育ちなら、自分の権勢や贅沢に使いたいと思ってしまうのは良くある事だろうな。
文帝や宣帝は即位する前、苦労してきたから、民の撫育を一番に考えてたね。
後世に歓楽極まって哀情多しと評された位振れ幅がおかしい人だからなぁ~。
呉楚七国の乱の原因となったのが朝廷の御史大夫の位?だったかな、の晁錯だと、十八史略にありますね
政権が安定して国庫が潤えば他国の領土に侵略し、国力が疲弊して維持できなくなったら元々の領土まで撤退して機をうかがう。
ある意味現在まで続く中国国家の行動規範の雛形ができたのがこの時代。
周辺諸国にとっては春秋戦国や三国志五胡十六国時代みたいに内部で争っててくれたほうが有り難い。
中華王朝と異民族の関係は難しいですね。
攻勢に出れば国が困窮し、守勢になれば攻めこまれる。
如何にかの国か揶揄追従しようとも、絶対に心を許してはならない。
I think you are talking about Japan
陳舜臣の本にありましたが、中国人が歴史上の人物を挙げると、孔子・始皇帝・武帝の3人は別格だとか。
始皇帝は中国を統一し、武帝は「中華帝国」をつくった。この2人が中国史上最も偉大な皇帝で間違いないと思います。(好き嫌いは別として)
それと、今回もわんおさんのイラストかわいいですね。
尚書六百石 かなはさつm6([€
武帝と衛子夫を聞くと一説ですが、厠で○○○したのが馴れ初めという話を思い出します。
(多分、正しい解釈の可能性が高い
と思います。手洗いに立った後だから)
意外に思うかもしれませんが、漢書では前漢の最盛期は彼でなく、殺された太子の孫 宣帝と考えられています。彼の生涯も面白いです。
平民出身の皇帝、宣帝面白い経歴ですよね。確か少女漫画にも出ていたはず。
@@ra45333 少女漫画あるんですか?
@@user-kattak
青木朋『天空の玉座』、加藤四季『お嬢様と私―たなぼた中国恋愛絵巻』、白井恵理子『常闇の宮 黎明の星』。
宣帝は平民時代の生活があるので題材にしやすいのかもしれませんね
文帝からの遺産を費やした暴君、とも言えるし、外敵の脅威を減らした名君とも言える。
君主としては評価がわかれる。
ただ、大した人物ではないかな。小物上司レベル。
自分に甘く、他人に厳しい。これだけなら、身近にたくさんいるダメ人間ですが、この人は、優れた戦略と決断力があるから、始末に負えない(汗)。
知恵を得た無惨さまやなこの人…中華の歴史ってそういう人多い気がする
習近平がまだ小物に見えるくらい
よきもあしきもスケールがでかいぜ武帝
武帝の明暗は、まさに今のロシア・プーチン氏とも共通しているように視聴しながら感じていました。
武帝期の漢、そして今のロシア、共に人の命の価値が皆無に近い……
(動画内の最後で、武帝はそれまでの行いを悔いて、少しでも取り戻そうとしていた描写がありましたが、プーチン氏にはそれが無さそうですね……)
巫蠱の禍で友人とされる田仁と任安を失った司馬遷の心中は如何ばかりか?
もし報任少卿書が武帝の目に止まっていたら、司馬遷も誅されていたやも
しかし衛氏と縁ある霍氏は無事だったんだよなぁ
ただ霍氏は、宣帝の時代に霍光が政治の実権を掌握したものの、霍光の死後に霍一族は粛清されます。
どうにも武帝は、たまたま気に入った女性の親族を縁故採用したら頑張ってくれただけという感じがする。
もともと女を口説くために出世させてやっただけで、親族が頑張りすぎて実権握るなんてとんでもないから、
後にほぼ全ての外戚が、全滅に近い憂き目を喰らうのが恐ろしすぎる。
巫蠱の獄、皇后衛子夫だけでなく皇太子も更に万余の人達を死に追いやった武帝の闇…でっち上げした江充が元凶とはいえ、やりきれない思いになります。
高祖-文帝-景帝-武帝
司馬遷が宮刑を間逃れる条件は2ヶ月分の給料を払えば良かったのに払えなかったらしいね
そんな安い金額じゃなかったと思うが……
北方先生のそれを読むんだよし
武帝きたー。張騫と衛青・霍去病もきたー。
武帝の政策は、当時の朝臣や民衆にとっては酷かったとはおもうが、封建制度をシステムとして残しながら中央集権制を敷いたとか良くも悪くもその後の王朝の範型をつくったのは大きいかな。
まあ、武帝にとってはやりたかったからやっただけだろうけど
霍去病の弟の霍光も取り上げてほしいですよね。面白い称号だし、日本にも関わりが深いし。
こんなおっかねえ御仁に直諫して憚らなかった汲黯も取り上げてくだされば幸いです。
「内心欲まみれのくせに、儒学で外面ばっか良くしようとしてんじゃねえよ(意訳)」
なんて命知らずな。
武帝、もっとぶってー
軽く扱われる命・・・いつの時代、どこの国でもおこること。
自分が生きている国を、こうはしたくない。
信長っぽい 信長よりだいぶ前だけど
江山美人得而兼之。前有司马相如之长门赋。后有:北方有佳人,绝世而独立。
一顾倾人城,再顾倾人国。
宁不知倾城与倾国?佳人难再得。
何気にスッゲー難しい事言ってるよねw教育テレビのレベル超えてると思うw
彼は三代分の財産を浪費した。先代の財産、当代の財産、次代の財産。
武帝・・
思えばラッキーな男ですね・・
この方はずばり!!一人の女性の欲の為から皇帝の地位を確保できた男です。
元々この方は10番目の王子で皇位継承権とは全くの無縁だったのにもかかわらず・・
皇帝の地位が回ってきたのだから・・
一人の女性の名前は館陶長公主 武帝の伯母にあたります。
自分の娘を皇后にしたかったけど・・当時の皇太子は武帝の異母兄・・
その皇太子の生母栗姫と館陶長公主は仲が良くなかったので・・
館陶長公主は栗姫の事を弟の武帝の父の景帝に謗り・・反対に武帝の事を沢山褒めて・・
栗姫と異母兄を引きづり落とすのに成功したわけです。
もちろん・・武帝の皇后に館陶長公主の娘 のちの陣皇后と呼ばれるひとでした・・
女性の一言は怖いですね・・それを鵜呑みにする景帝も景帝ですが・・
ただ・・景帝はこの姉を大事にする理由がありました。
景帝と館陶長公主の話もいづれアップしてほしいですね
葵百合 景帝の代は後継者問題が二転三転&血生臭過ギィ‼️
@@daikon_yakusha 様
文景の治の裏側のお話ですよね・・平和な世の中だったというのに・・宮中では恐ろしいことになっておりますね・・
しかし・・景帝・・女性に甘すぎやし意見聞きすぎですね・・はい
歴代皇帝の中でもかなり評価してない人です
派手で昔は好きだったんですけどね
何というか滅茶苦茶なトップやなあ…日本人で良かった(´・ω・`)
WAQ!WAQ!
秦の始皇帝の時代と漢の武帝の時代に生きるのは絶対イヤだな😂
あと、五胡十六国時代も絶っっ対イヤだし、毛沢東時代の中国も絶っっっ対イヤだぁ!!
( ゚Д゚)y─┛~~
Next time shall I be watching the First emperor of Sui Dynasty or Song Dynasty or Ming Dynasty either 隋文帝 楊堅 or 宋太祖 趙匡胤 or 明太祖 朱元璋 ?
あれ?悪いユダヤ人のイメージに何だか似てる気が…💦
王温舒みたいなやつが跋扈したのも治安悪化要因。
海外対策で民達への負担が強くなりすぎる、国は富むけど民には還元されない・・・習主席は武帝だった・・・?(震え声)霍去病、名前に病が入ってるのにやってることがくっそ猛将よね(そして命もまた名前に似合い短命・・・)
司馬遷がいなくなったらアジアの歴史の編纂史ももっと変わってたかもと考えるとゾッとする
去病は少年の頃、病弱だったためこの名前を付けたという。なお彼の義父は陳掌であの陳平の子孫です。
弟は、関白の語源となった大司馬大将軍霍光。叔父が大将軍、兄が大司馬だったので、両方くっつけてしまった。地位的には相国より遥か上だったりする。
@@ra45333 霍光は宣帝擁立とか朝廷をやりたい放題にいたして外戚及び宦官政治の問題を作ってしまってますね。
衛青が長生きしていれば違ったかもしれませんね。
去病は「病が去る」だから、名前とは真逆の人生ですよ。
@@user-kattak
外戚及び宦官政治の問題については擁護できないですが、宣帝擁立については、評価してあげてほしいです。宣帝がもう少し長生きしていれば、漢帝国も立ち直っていたでしょうし。
衛青が長生きした場合は私は想像できないですね。衛青がいれば、宣帝も追放されず、庶民の生活をすることがなかったので、霍光が廃したその他のバカ皇帝と同じなっていた可能性もありましたし。(衛一族だから単純に優秀な可能性もなきにしもあらずですが・・・。)
崇祯帝愿
老いたる麒麟は駑馬にも劣る………………
唐太宗 李世民曰:
「近代平一天下,拓定邊方者,惟秦皇、漢武。」
《貞觀政要 貢賦 第三十三》
漢武帝劉徹,文治武功,外交戰略成功,剿滅強悍匈奴,取得決定性勝利。豐功偉業與唐太宗可齊名。?喔!
良くも悪くも中国人は正直に吊り目の東アジア人を確り描いてるよなぁ。
しっかし、不思議よなぁあれだけの広い国が1つの国に成ってしまうとは。そして皇帝が1人居て宦官共に操られる不思議。2000年間も同じ事の繰り返しって飽きないか?日本も同じだけど取敢えずはアメリカが上に居るから民主主義っぽく成ってるけどさ
《史記 卷49 外戚世家 第十九》
鉤弋夫人姓趙氏,河閒人也。得幸武帝,生子一人,昭帝是也。武帝年七十,乃生昭帝。昭帝立時,年五歲耳。
衛太子廢後,未復立太子。而燕王旦上書,願歸國入宿衛。武帝怒,立斬其使者於北闕。
上居甘泉宮,召畫工圖畫周公負成王也。於是左右群臣知武帝意欲立少子也。後數日,帝譴責鉤弋夫人。夫人脫簪珥叩頭。帝曰:「引持去,送掖庭獄!」夫人還顧,帝曰:「趣行,女不得活!」夫人死雲陽宮。時暴風揚塵,百姓感傷。使者夜持棺往葬之,封識其處。其後帝閒居,問左右曰:「人言云何?」左右對曰:「人言且立其子,何去其母乎?」帝曰:「然。是非兒曹愚人所知也。往古國家所以亂也,由主少母壯也。女主獨居驕蹇,淫亂自恣,莫能禁也。女不聞呂后邪?」故諸為武帝生子者,無男女,其母無不譴死,豈可謂非賢聖哉!昭然遠見,為後世計慮,固非淺聞愚儒之所及也。謚為「武」,豈虛哉!
漢書 卷97上 外戚傳 第六十七上
孝武鉤弋趙婕妤,昭帝母也,家在河間。武帝巡狩過河間,望氣者言此有奇女,天子亟使使召之。既至,女兩手皆拳,上自披之,手即時伸。由是得幸,號曰拳夫人。先是其父坐法宮刑,為中黃門,死長安,葬雍門。
拳夫人進為婕妤,居鉤弋宮,大有寵,元始三年生昭帝,號鉤弋子。任身十四月乃生,上曰:「聞昔堯十四月而生,今鉤弋亦然。」乃命其所生門曰堯母門。後衛太子敗,而燕王旦、廣陵王胥多過失,寵姬王夫人男齊懷王、李夫人男昌邑哀王皆蚤薨,鉤弋子年五六歲,壯大多知,上常言「類我」,又感其生與眾異,甚奇愛之,心欲立焉,以其年稚母少,恐女主顓恣亂國家,猶與久之。
鉤弋婕妤從幸甘泉,有過見譴,以憂死,因葬雲陽。後上疾病,乃立鉤弋子為皇太子。拜奉車都尉霍光為大司馬大將軍,輔少主。明日,帝崩。昭帝即位,追尊鉤弋婕妤為皇太后,發卒二萬人起雲陵,邑三千戶。追尊外祖趙父為順成侯,詔右扶風置園邑二百家,長丞奉守如法。順成侯有姊君姁,賜錢二百萬,奴婢第宅以充實焉。諸昆弟各以親疏受賞賜。趙氏無在位者,唯趙父追封。