徐福伝説は史実なのか?神社伝承や史料で紐解く

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  • เผยแพร่เมื่อ 26 ก.ค. 2024
  • 徐福伝承は史実なのか?
    秦の始皇帝
    始皇帝は碧眼で金髪、つまり青い目だったという伝説があることは有名です。
    秦は中東に近い中国西端に位置していました。
    中国大陸は、西高東低といわれ西部は牧草地が多かったのです。
    始皇帝の墓の近くでラクダの骨が発見されました。
    漢の時代から始まったと考えられた中東への道であったシルクロードは、秦の時代にも合ったようです。
    秦国は、漢の前の時代ですから、秦は漢民族ではないということです。
    ペルシャに近かったということからも、金髪、青い目、碧眼だというのは信憑性があります。
    遊牧騎馬民族と関係があり、碧眼の始皇帝、漢民族ではないでしょう。
    万里の長城や阿房宮の建設には主に農民が使役されていました。
    さらに、焚書坑儒などの思想政策も実施されました。
    しかし、過酷な労働条件と極端な法治主義に加えて、儒教弾圧まで行ったことで、全国的な不満が高まり、後の反乱の原因となりました。
    徐福
    生没年不詳で、秦の方士で、斉国の琅邪郡(ろうやぐん)、現在山東省臨沂市(りんぎ)のの出身です。
    秦の始皇帝の時代なので、紀元前200年代と推定できます。
    始皇帝は山東半島を巡りました。
    【目次】
    00:00 スタート
    01:42 徐福
    04:35 出航地
    05:27 徐福研究
    06:17 日本での伝承
    07:44 波田須の徐福伝説
    09:09 童男山古墳
    10:05 新井崎神社
    11:27 徐福の正体
    日本古代史の謎を紐解き、すこしでも本来の日本建国の姿を再現できればと思い、ご紹介させていただきました
    このチャンネルでは、独自の視点から見た歴史について発信しています
    この動画は下記の音声読み上げソフト、画像、動画、音楽を使用しています。
    ・Wikipedia
    ・Adobe stock
    ・TH-cam オーディオライブラリ
    ・VOICEPEAK
    【参考書籍】
    ・『日本書紀上下』宇治谷孟 著 講談社学術文庫
    ・『徐福渡来伝説を検証する』宇田明男 著 Amazon Kindle
    ・『徐福と日本』前田豊 著 Amazon Kindle
    ・『秦氏と京の都』鎌田博 著 Amazon Kindle
    ・『古代史おさらい帖』森浩一 著 ちくま学芸文庫
    #徐福 #秦氏 #日本史 #歴史チャンネル #弓月君 #秦河勝 #ユダヤ #始皇帝 #伝説
  • บันเทิง

ความคิดเห็น • 13

  • @user-qu6zd6fv6j
    @user-qu6zd6fv6j 11 วันที่ผ่านมา +2

    🌿ありがとうございました。🍀公証が学術的でとても勉強になりました。良いチャンネルに出会えましたこと 嬉しく思います。🌻

    • @kumao01nigi
      @kumao01nigi  9 วันที่ผ่านมา

      ご視聴、コメントありがとうございます。引き続きよろしくお願いいたします。

  • @katumoku10
    @katumoku10 3 วันที่ผ่านมา +1

    徐福伝説について分かり易くご紹介していただき、有難うございます。
    徐福が来日したのは紀元前219年のことで史実と考えています。
    司馬遷「淮南衡山列伝」『史記』 巻百十八で海神の要請で「遣振男女三千人、資之五穀種種百工而行。徐福得平原廣澤、止王不來」とあります。海神は当時の倭国(北部九州)を支配していた奴国王(ナーガ=龍蛇神国王)のことです(^_-)-☆。
    青銅器の冶金技術者を須玖岡本遺跡の横の須玖タカウタ遺跡に住まわせて最初の官営工場が造られ、武器型青銅祭器を列島内の縄文海人ムナカタ族の首長らに与えて、当時の列島最大の交易センター比恵・那珂遺跡群に出入りさせて取引税を徴収したのです。徐福は、奴国隆盛に大きな役割を果たしたと考えています。
    鉄の冶金技術者も日本独自のものがあると言われていますので、徐福の青銅器技術者の子孫が後に半島の技術者から見よう見まねで習得したものでしょう。
    奴国王は、王族を伊都国に配置し、対外交易によって後漢光武帝から金印を賜うまでになります。倭国はシルクロードの東端と位置付けられて、倭国の珍しい品々を求めてやって来る楽浪郡などの華僑を三雲遺跡番上地区に住わさせて盛んに交易しています。
    奴国の宮廷祭祀は、徐福が連れて来た楽師が担当したと推理しています。倭国大乱は帥升(正しくは楽師師升)が奴国王スサノヲを殺して倭国を奪ったことが本当の原因です。師升の孫の難升米と旧奴国(狗奴国)との戦争です。纏向遺跡を王都とした狗奴国王(スサノヲの弟ニギハヤヒの子孫、記紀の崇神天皇)が倭国を討ち、日本を統一して建国します。古墳時代をもたらした遠因は徐福来日だと思います。
    徐福は奴国王から、伝承地の佐賀平野を支配地として与えられたと推理しています。吉野ケ里遺跡の北内郭は古代シナの城郭の影響を受けていると言われますので、徐福が連れて来た土木技術者の子孫がかかわったと推理できます。機織り技術も徐福所縁の子孫が持ってきたようです。亀山勝氏は著書「安曇族と徐福」の中で、徐福が弥生の産業革命を興したとされています。とても参考になりました。
    新撰姓氏録に徐福の子孫が現れないのは藤原氏にとって建国の史実を隠す目的だからだと考えられます。代わりに諸技術を百済王の子孫の渡来人秦氏がもたらしたものとしていますが、これは日本書紀のデマです。秦氏は武内宿禰(つまりスサノヲの子孫出雲・丹波王)の子孫波多氏のことだと突き止めています。古事記を作った多氏とも関係があり、隠された史実を暴露したい大国主所縁の人々と推理しています(詳細は「秦氏と古事記の関係?」参照)。
    このように徐福をキーワードにすると日本の古代が解けてきますね。どうもお邪魔しました(;^ω^)

  • @winlaurels244
    @winlaurels244 10 วันที่ผ่านมา +1

    福岡県大川市の浮盃や手洗いの伝説、佐賀県佐賀市の千布伝説•お龍さんとの恋伝説、伊万里市波多津、済州島などなど、他にもいっぱい伝説残ってる。須佐之男命や五十猛命との関連性なども絡めて、もっともっと詳しく知りたいです😊

    • @kumao01nigi
      @kumao01nigi  9 วันที่ผ่านมา

      徐福伝説は奥深いですね。もっと勉強します!

  • @user-lx5rz2ml5u
    @user-lx5rz2ml5u 21 วันที่ผ่านมา

    様々な地域に徐福の痕跡ありましたが船団が始め一体で航海したものが、バラバラに各地域に付いて徐福とされたと思うものでした。

  • @mecom3450
    @mecom3450 หลายเดือนก่อน +1

    八丈島や横須賀に残る丸石が徐福船団のバラストではないかという説がありこれを検証していただきたく存じます。自分でも調べましたがよくわかりません。

    • @kumao01nigi
      @kumao01nigi  หลายเดือนก่อน

      そんな遺構があるとは、面白そうです。

  • @user-by3kt3sk4s
    @user-by3kt3sk4s 9 วันที่ผ่านมา

    徐福はBC218年頃に島根県五十猛海岸に渡来し、子・五十猛誕生後に斉国に帰国した。BC210年佐賀県伊万里湾に再渡来し(吉野ヶ里遺)子・彦ホホデミは物部の祖となった。全国各地にある徐福伝説地は、徐福は筑秦国以外は行ってないので、子孫が上陸した地か有名人化託話と考えられる。なお五十猛渡来の史実は、化身・スサノオ降臨の神話物語に変えられて隠された。物部朝廷にとって650年続いた出雲王国の歴史は邪魔な存在であったようだ。

  • @user-lx5rz2ml5u
    @user-lx5rz2ml5u 21 วันที่ผ่านมา +1

    徐福は漢民族ではない
    ヨーロッパ方面の人間ですか?シュメール文明も知っているだろうし、竹取物語につながりますか?

    • @kumao01nigi
      @kumao01nigi  9 วันที่ผ่านมา

      徐福のときの皇帝・始皇帝は青い目だったとか、ラクダが墓の近くで見つかったとか。
      中央アジア・タジキスタン辺りが出身地なのではないかと想像しています。

    • @user-lx5rz2ml5u
      @user-lx5rz2ml5u 9 วันที่ผ่านมา

      蓬莱山目指し始皇帝が欲しがった薬の為に日本に来たのは良いとして、
      出雲口伝に徐福が大和朝廷側に付き
      大国主と事代主の命を特殊部隊引き連れ殺し、兵隊らは中国に逃走して徐福は大和朝廷の一員となるのには解せませんね。二王の遺体は浜と洞穴に捨てられて無惨でした、役職名ですから他の出雲の人間が王に着いたと思うが、国譲りなどと優しいものじゃなかったのです。高いタワーのような出雲大社は魂の祟り恐れてそこに封印したと言われているし古代から出雲族は奈良にニギハヤヒと協力して暮らし大三輪山をご神体として崇め磐座など段の平にあって祭りをして神々に感謝を捧げてますが、徐福によって大陸の技術や文化が入って神武から繁栄させたのでしょうね。