ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
当時はノーヒントが当たり前でしたが、今では考えられないことにエニックスお客様センターに電話したら攻略情報を教えてくれたそうです説明書に載ってる電話番号です叔父からの伝聞ですが、「じゃしんのぞうを持ってるなら、十字になってる地面の真ん中で使うとなにかあるかも?」とお姉さんに教えてもらったとかすごい時代ですよね90年以降の説明書に「ゲームの攻略情報について答えることはできません」と書かれてるのは当時の名残だそうです
電話をしたら邪神の像のヒントを教えてもらえたんですかスゲ~私は当時、近所のゲーセンで10分50円でドラクエ2をプレイしてましたね他の人のプレイを見て、覚えました復活の呪文をノートに書いてそれをゲーセンに持ち込んで入力。間違えたら別の呪文かもょもとでプレイしてました
当時はゲームの外にも魔物がいたからなぁ・悪霊の神(おかん)「ゲームの時間もう終わりや!」ブチッ!・悪霊の神のしもべ(主に姉妹)「お↓かあ↑さーん、ゲ↑ェム↓の時間終わったのにま↑だや↓ってる↑ー!」・眠れる悪霊(休日のおとん)「野球にかえるぞー!」(TVの使用権のヒエラルキー)・裏切りの獣「にゃーん」リセットポチー・死神の鎌(掃除機)ブイーン・・・プツッ!←コンセントが抜ける・紛れる悪魔の呪文「ぬ」「め」「る」「ろ」→復活の呪文間違えやすい文字群。当時の標準的な家庭用ブラウン管TVのサイズではドット潰れによる誤認があった。ゲーム時間の確保の為、復活の呪文記録短縮の為、兄弟分担作業で復活の呪文の読み上げ係、記入係になるも復活が出来ずに責任を押し付け合うリアルファイトになり、ゲームプレイ時間を消耗する・束縛の鎖(有線コントローラー)→プレイ中興奮して引っ張ったら接続不良で消える・大地の怒り(古い家だと起こる床のたわみ、振動によって起こる接触不良)→他人のものもキツイが、何よりもトイレ、お菓子等で席を離れ、帰ってきた時に自身で起こしたものだった場合は精神ダメージがエグい
おかんの恐ろしいところにはよくまとめサイトなどで取りざたされてた掃除機ごっつんも追加で。他にも当時のキッズの中にはコンセントが足りなくて掃除機かける時にファミコンのコンセントを抜かれた子もいたらしい。
悪霊の神おかん、親と同居していた私の知人も苦労したようです。当時の親の多くはゲームに無理解でしたからね。
しもべのイントネーションまじはげるほど分かる
悪霊の名人「ゲームは一日一時間」
オヤジ臭全開だな。
当時はあの難易度が当たり前と思ってました。ハーゴンの城での十字架の所も、色々な道具をそれぞれ試しました。炎のほこらも一歩づつ歩いて調べてました。確かに簡単にクリア出来るゲームじゃないけど、3人のキャラだけが育つのではなく、プレイしてる私達が色々試して覚えていくゲームでした。だからこそ、あのエンディングまで辿りついた感動は、今までやったゲームの中でも最高です。
大人になってからFC版をやり直して地味にストレスだったのが、行動順が素早さ準拠ではなくほぼランダムなこと。そのため敵の先制を受ける前提でHP管理をしなければならず、その分多めにレベリングして余裕を持たせて進めないとすぐに詰むんですよね。しかも必要経験値に対しての敵の経験値も今の感覚だと少ないため、単純にレベリングに時間がかかる。当時は何とも思っていなかったので、やっぱり子どもの頃だったからこそすんなり受け入れられたんだと思います。
逃げるの成功率がレベル関係無いのも地味にしんどい。
FC版リアタイ勢です。・ハーゴン城での邪神の像:友達に教えてもらいました。その友達がどうやって知ったのかまではさすがに……・復活の呪文:当時の他のゲームに比べれば見やすいフォントなので、52文字でも許容範囲(まだマシ)。・通しのテストプレイなし:だいぶ後で聞きました。適正レベルよりずっと下でロンダルキアに来てしまうのが鬼畜難易度の原因かと。
まあ、1人8コくらいしかアイテム持てないので、試すアイテムは10コもないかもしれませんね。邪神像かルビスの守りくらいしか思い付かないかも。場所はわからんが😅
アトラス戦闘中に ん?ザオリク使える♪と思って使ったらメガンテだった苦い思いで
当時小4でリアタイだったんでもう記憶が曖昧ですが、ハーゴン城の邪神の像はたしかノーヒントだったと思います。当時のファミコン雑誌であるファミ通やマル勝でヒントが載っていたのはルビスの守りまでで(それでさえ袋とじ部分にあった気が…)あとはお得意の「この先はキミの目で確かめよう!」でごまかされていたのを覚えています。仕方ないのでハーゴン城をくまなく歩いても階段も何も無くて、「じゃあもうあの十字架しかない」と思ってまず床を調べまくる→真ん中で呪文を唱える→道具を使う、でたまたま持ち続けていた邪神の像を使った瞬間に画面が光って…という感じでした。上のフロアに上がれて「うおおおお!!!!!」と叫んだのだけは鮮明に覚えているので、あれはやっぱりノーヒントだったんだよなと確信を強めている次第です。
当時のアドベンチャーゲームなどもそうですが「やれる事は全部やる」というのが前提でしたね。先にドラクエ1をやっていたのでラゴスも太陽の紋章も何となく解けましたし邪神の像も色々試しているうちに辿り着いた記憶があります。それよりも苦労したのがテパの位置。取説の地図には書かれていたらしいですがカセットだけ借りていたので完全にノーヒント。ノートに大雑把な世界地図を自作してようやく「このあたりかな」と目星つけて見つけました。あれからもう40年近くなるか。年食う筈だわ。
@@HOPE-ch8rk 当時の多くのコンピュータゲームは試行錯誤して正解を見つけ出す事こそがゲーム性だった部分もありますからね。ルピスの祠や海底洞窟なんかも目的の場所に向かうのでは無く、この先に何があるかを探索する、なにか無いかと彷徨い歩くという行動の結果として見つかるって感じだったと思います。そう云う意味で言えばある種、現代のオープンワールドでのロケーション探しに近いのかもしれませんね。と言うか、謎解きとしての紋章探しなんかは、どちらかと言うと当時のゲームの解法的にはむしろあるある的な感じであまり難しいという印象が無かったりもっとも、バトルバランスが悪いとか、マップ構造が意地悪な部分に関しては流石に言い訳できないですけども
ドルアーガなんてえげつないしドラクエってその当時だは簡単な部類のゲームだからね
リアタイ勢としてはマンドリル 逃げるドラゴンフライ 逃げる炎の紋章 水門のカギの取り方と使う場所足止めくらった期間長くて邪神の像ハーゴン城での使い方は友達からネタバレ食らう😂
紹介されなかった鬼畜要素としては「どこにあるのかわからない場所」があると思う船の財宝、ザハン、海底の洞窟、精霊の祠あたりは、大体の場所がわかってもたどり着けないことがよくある
@@秋国いつま 自分はやっぱり金の鍵が分からず挫折しかけました。精霊のほこらはデルコンダルを探してる途中で偶然見つけました、紋章を全て揃えてからというのはもっと後に知りましたが
行ったことあるけどホントに必要になった時にもう一度たどり着けないんですよね…
敵を1匹まで減らしたら全員ちからのたて使って回復してから戦闘終了ちからのたて3枚購入が普通のバランスってのがおそろしい
はかぶさのようなバグが無いと鬼難易度でやってられねー!って言われるのは後にも先にもドラクエ2だけだと思う。あと当時だとゲームをプレイし過ぎてやってくる親も魔王のようなものと聞いたことがある
高橋名人が「ゲームは1時間👍」とか言い出したせいで、それを真に受けてルールにする親が後を絶たなかった。あと、母親がかけている掃除機がファミコン本体やカセットにぶつかり強制終了して親子喧嘩がたびたび発生していたのもあるあるだった。
夜中までやってて「まだゲームやってる…!」と気づいた母親が早足でカツカツカツと廊下を歩いてくる恐怖はシドー登場時の比ではなかったw
家にいるペットもプレイ中はブリザード級のモンスターに変貌する😱
ちゃんと時間守ってやれば対処できるⅡが魔王なら、FCにショックを与えて冒険の書を刈っていくⅢ以降は死神。当時は一家に一台リビングにTVがあることが多かった。
年に一度か二度、ゲームニフラム発生イベント起きたら泣いた。
当時はネットはなかったけど、子ども同士が情報を共有してゲームを攻略するという文化が強かったです。人に聞けば誰かしらが攻略法を知っているので、謎で詰ったという記憶はそれほどありません。あと、ドラクエ2はドラクエシリーズの中では難易度が高いですが、80年代に発売された他のファミコンRPGと比べるとずば抜けて難易度が高いという印象もありません。当時はRPGも難しいのが当たり前でしたから。
こういう動画でほとんど語られないけど戦闘のやばい点はすばやさの乱数がえげつないところ ほぼランダムな順に動くから早め回復を強いられたり運悪く死人がでやすい
ほこら到達目前に、氷の悪魔に先手を取られて‥‥の記憶が😰😭😱
ふしぎな踊りでMPをカラッケツにされた時はマジでFC本体蹴り飛ばしてやりたくなる
わかりみが深すぎる特に海底の洞窟は悪意がありすぎてw
アレフガルドのどろにんぎょうなんかこちらがまだLVが低いのに容赦なくMP奪っていって、2〜3回の踊りでカラッケツになりますね。
おもろ!!
ハーゴンの城で邪心の像を使うのはファミコン神拳(堀井雄二さんが担当してたジャンプのゲームコーナー)の攻略本に書いてあった気がします当時の子供はみんなジャンプ買ってたし友達の誰かしらがファミコン神拳の攻略本を買ってましたし攻略本もソフトと同時くらいに出てたと思います
後のドラクエ3でゴールドマンのドロップアイテムが黄金の爪である事、さざなみの杖の存在とアークマージのドロップアイテムである事もそれで知りました。
「じゅもんが違います」となっても大丈夫な様に、同じ状態のふっかつの呪文を2、3個書き留めておいた思い出。
1回書いた後、別の紙にもう一度書くとかやりましたね。
セカンドオピニオンって奴ですね
道具を少なくすると復活の呪文も若干短くなるのでやめる前は道具売りまくってました。
そして、その全ての呪文が間違っていたという悪夢(笑)
この頃はここまでやってたのにどうしてPCのバックアップはHD1個で満足してしまうのだろうか…
ふしぎなおどりでMPを20くらい持っていかれた時はやる気無くなる笑
邪神の像のあるダンジョンですね、パペットマン、ウドラー、あくまのめだまが鬼畜で草でしたね。
ある意味ロンダルキアの洞窟よりも鬼畜でした😭不思議な踊りに加え罠の宝箱、溶岩もトラマナも効かないわで凹みました。
アレフガルドのどろにんぎょうなんかこちらがまだLVがそんなに高くないのに容赦なく持っていかれて、3回位の踊りで全員カラッケツ(ローレは元から0ですが)になりましたね。
@@norimakisentyan9210 船を取ってすぐではかなりキツイですね、裏ワザもょもと48のレベルで後の2人で試しましたがかなりへこみました。特に死神は痛恨の一撃でサマル王子撃沈!(その時のダメージ48)
ラストの邪神の像は「あの場所で何かすればいい」ってのは判るので、それより水門のカギの方が手こずったかな牢屋の中心に机が置いてあるせいで、探索しても四隅の壁にぶつかるので正方形の部屋であると思い込みやすい
当時は攻略本頼りで、マップがないロンダルキアは力づくだったような記憶があります。逃げられる確率が高いので何とかなった感じで。サマルが弱いのはそうなんですけど、サマル死亡=帰還確定(二人じゃどのみち全滅する)なので、役立たず扱いされているのはもう35年以上40年近く違和感ありますね…他二人は死んでもザオリクで続けられるけど、サマルだけは死なせてはいけないのがドラクエ2のはず。
サマル「SFC版で大幅強化された俺がパーティ追放?FC版の時ですら俺のルーラとザオリクに頼ってただろうが!」ローレ「そのルーラとザオリクをムーンが覚えたからお前は用済みなんだよ」実際みちくさ冒険ガイドでベラヌールに放置したままシドー倒して「半価値(ハンカチ)王子」と呼ばれていたw
FC版DQ2はドラクエシリーズではぶっちぎりで難易度が高いのは確かですが、発売時期に同時期に発売されたソフトの多くがこれ以上に難易度が高いのばかりなんですよね。魔界村、高橋名人の冒険島、マリオ2、たけしの挑戦状と言ったアクションゲームやRPGでもほしをみるひとと同時期ですから、これらと比べたら頑張ってレベル上げすれば何とかなるだけまだマシな部類、それが80年代のFCソフトの恐ろしいところです。
ドラクエ2と同じ年のRPGは、FF、女神転生、ウルティマ、ミネルヴァトンサーガとか遜色ねえ難しいRPGだらけやんけ😅
マリオ2は普通にクリアできたんだよな。ガキだったのに。でも、FC版の3は無理だった。冒険の書がシルバーオーブ手前の頃に消えて、やる気なくなって放置。転校の影響もあって4はスルーで、5で初めてDQクリアした。
この時代は少ない容量でゲーム作って長く遊ばせる必要あったので難易度をギリギリまで上げてるんですよね余談パスワードは一緒にやってた大魔司教ガリウスが体感同じくらい長かった記憶ありますねファザナドゥがやや短いかな感
ウィザードリィの日本版ですからね、まだ子ども向けに優しく作ったほうだと思う
リアタイですが、邪神の像については自力でわかりました。当時はポートピアみたいなコマンドアドベンチャーをよくやっていたので、「床の十字架怪しくね?」「とりあえず道具全部使ってみるか」でいけました。総当りですね
いにしえのRPG「ウルティマ」などの時代は「得た情報をノートにメモ」「ダンジョンマップを方眼紙に書き写す」が常識だったと聞きます。まだまだそのころの感覚が制作者および一部のプレイヤーに残っていた時代なのかもしれません。私はドラクエが初体験RPGでしたが、「キャラクターを自分で動かせているだけで楽しい!」という感覚で、多少の不便や困難は「そういうものだ」と思っていました。開発期間の短さなども含め、すべて時代の産物だったのでしょうね。
洋ゲーやってればDQ2ぐらい当たり前かむしろヌルイぐらいで、復活の呪文が難点なだけだったな
こういう時にあんまり名前が挙がらないけど、個人的にダンジョンの中では大灯台も苦手なイメージがありますね…1フロアあたりがかなり広い、道が遠回りな配置で結構な距離を歩かされる、階段が多すぎて正解ルートが分かりにくい、そのうえ階層も多い……という感じで、途中でMPが尽きて泣く泣く帰還することが多かった気がします🥲
大灯台と言ったらドラゴンフライに連続で炎を吐かれて死ぬあと、老人を追うところで焦って塔の縁から落ちる
大灯台確かに嫌なダンジョンですねはずれの階段もかなり多く、その上敵も攻守揃ったアンデッドマンやゴールドオーク、大量に現れて炎を吐き散らすグレムリンやドラゴンフライ、割と雑に痛恨出すしにがみと平均値が周辺のフィールドと比べて高いイメージがあります
当時、小学生でしたがあの頃はアーケードでドルアーガの塔、PCではザナドゥとかが大ヒットしてたような時代ですし、DQ2もフツーかむしろ子供向けぐらいのイメージでした。そもそも、それまでFCでやってたのが魔界村、マイティボンジャック、ワルキューレの冒険、たけしの挑戦状etc‥ちゃんとクリアまでできたゲームの方が圧倒的に少ないので、現代の感覚とだいぶ異なりますね。DQ2の謎解きは、初代で太陽の石や暗闇の壁のトリックを知ってればすぐに分かりましたし、ハーゴンの城も、「いかにも」な場所が用意してあるので総当たりで行けたしで、ちゃんとクリアできる難易度=親切なゲームって思ってました(過去形😅)
それ。ドラクエ2を鬼畜無理ゲー扱いしてザナドゥドルアーガワルキューレをベタ褒め名作扱いしてるバカもいる
そうだね私も当時小学生だったが、ドラクエやマリオは小学生でもクリアが出来る簡単なゲームの一つだったんだよね、だから人気出たというのもある当時はゲーセンも普通にあったし、そのゲーセンゲームの難易度の名残りなのかクリア出来るようなゲームの方が少ないぐらい難易度の高いゲームばかりだった
リアタイ世代です。当時は2で心折らされたプレイヤーが多かったので3発売であれだけ社会現象起こしたのが不思議なくらいでしたが、ドラゴンボールが絶頂期を迎えていた時期でもあるから鳥山先生効果もあるんだろうなって思います。ちなみにハーゴン城の邪神像の攻略はネットが無くても不思議と噂が出回ってたのを思い出します笑
個人的にはFC2はカセットの絵が微妙だと思う。3人とも幼い感じだし、変な帽子かぶってるし。FC3はカッコいいんだよね。カセットに描かれている絵も、孫悟空の幼少期みたいだし。
ふっかつのじゅもんを録画するため、子供ながらファミコンとVHSの接続を自分で試して失敗して親に怒られた記憶。攻略情報をクラスで聞いたり、ネタバレ喰らって喧嘩したり…クロマティの緩慢返球で辻が一塁から生還した年。この年はそれとドラクエ2の記憶が強いです。
今さらなのですが、ファミコンの音声画像ってVHF波の1チャンネルもしくは2チャンネルで受信出来たので、無理にビデオデッキに付けたアンテナ端子を抜く必要はなかったんですよ。器用な人もいただろうけど、平均的な小学生には厳しかったでしょうね。当時の日本シリーズ見てました。後ですが伊原コーチすごいと思いました。
ダンジョンだけでなく、普通に船旅が困難だったな。今では当たり前にある世界地図なんて皆無で、取説や攻略本のちっさいマップ頼み…特にザハンやデルコンダル等の、周りの大半が海のマスを目指している道中でバピラスやうみうし等の戦闘で疲弊して、折角いい感じに掴んでいた方向感覚がまたワケ分かんなくなってたなぁ…でも色々な難ゲー要素だったからこそ、EDで聴ける「この道わが旅」が最高過ぎた。
FC版のドラクエ2は一番最初にプレイしたドラクエであり、ゼルダやワルキューレしかRPGを知らなかった子供が、初めて衝撃を受けたゲームです。従兄弟が全クリしてたので、従兄弟のプレイを見て覚えました。友達もですが、ほとんど、もょもとやはかぶさ、はごろも2枚でやっとクリアした感じです。エンディングでこの道わが旅を聴いた時は、映画のラストみたいで感動しました✨
ゲーム終盤の通常戦闘については、残り敵一匹とかの終わりかけに全員ちからのたてでほぼ全回復してから、戦闘終了するようにしてたな。
あまい息で永眠するまで起きない勇者の子孫たち。大灯台のドラゴンフライ火の息(全体攻撃)でLv低い後衛が倒れる。川を上りテパ村に向かう途中で首かられる。バリアのダメージがえげつない。
5:21 FC版は世界地図がないから海底洞窟に行くまでが大変。
ラゴスが見つからなくて姉と10時間以上ぶっ続けで世界中探し回った記憶。あれがいちばん難しかった。姉は自力で見つけて、ずっと牢屋の兵士に向かって、逃げてないことを文句言ってました
攻略本だかなんだか忘れましたが、それによるとロンダルキアへの洞窟の攻略の推奨レベルはローレシアの王子で30前後だったと記憶してます。普通にプレイしていてたら、まず30なんて行かないし、人によっては20を切る人も珍しくないだろう
発売当時は、小学生だったんで時間も沢山ありやり込みも可能だったんで、その時代は鬼畜ゲームとは思ってなかったです。当時のゲームはクリア不可能なゲームが沢山あり、それに比べたらクリア出来るだけまともだなと思ってました。学校の同級生から攻略法を聞いて進めてましたね。復活の呪文は間違えたことは一度くらいしかなく、成績の悪い人ほど復活の呪文をミスする傾向がありました。数十年経って覚えていた事と言えば、マンドリルが鬼だった事と、ロンダルキアの雪景色、サマルのはやぶさのけん装備の弱さ、こんなとこでしたね。
スーファミ世代の自分 2000年代にFC版をプレイしました。 復活の呪文をノートに書き留めるのは精神統一 チェック 我慢を鍛えられてよかったですノーヒントとはいえ 村人に話しかけたり、地面をちまちま調べるのも楽しかった ロンダルキアはボコボコにされても難しいギミックも、全滅後、よし次はこうやるぞ!と準備しなおすのが楽しかった ラスダンでレベル上げして(はぐれメタルから復活の呪文を聞けるアイテムゲット) シドーにペシっとやられても楽しかった マゾな方 精神修行 がしたい方にはオススメなゲームです
復活の呪文はジャポニカ学習帳の無地のやつに書き留めていってた記憶があります。仰る通りブラウン管の解像度が絶望的に悪かったので、たまに「じゅもんが ちがいます」を喰らった時も、どうせどこか読み間違えたんだろうと思って、間違えやすそうな文字(「る」と「ろ」、「ぬ」と「め」とか)を1つ1つ変えて入れ直してました。それで上手く入れたこともあれば、どうしようもなくて1つ前のもので妥協したこともありました。今だったら面倒すぎて途中で投げているでしょうけどw、当時はそれ以外に手段が無かったので何とも思いませんでしたね。
ブラウン管の解像度が低いというより構造上ブラウン管テレビの画面が丸みを帯びてるのと隣り合うドットの色合いが混じってにじみが出るので見えづらかったという部分がある(そのにじみを考慮してグラフィックも描かれていて本来発色できない色合いも表現してた)
@@a新鮮味 だから昔のゲームを綺麗な液晶に映すと物足りないというか、違和感を感じるんですよね
私は毎回2種類の復活の呪文を書き留めていました。
確認する事の癖が身について経理担当になれました。確認する事の癖が身についてシステムエンジニアになれました。確認する事の癖が身について管理職になれました。確認する事の癖が身についてお医者さんになれました。
FC版はリアルタイムでクリア済み、最近レトフリでまたやり始めてムーンがアバカム覚えた時点で鍵類を全て処分ロンダルキアの祠に到達後、レベル上げ中にサマルとムーンが昇天、蘇生のために片道ワープでベラヌールに帰ろうとしたら「あれ、これ牢屋の扉開けられないから詰みじゃね?」散々悩んだ挙げ句、実は復活の呪文を入力すれば全員蘇生状態で始まる事を思い出し、どこでもセーブの罠を感じたのでした
他にもFC版は素早さの乱数補正値が大きすぎて行動順が読めないし、炎ブレスは防御でダメージ軽減できないし、ザオリクは移動中しか使えないし、不思議な踊り一発で最大MPの約25%が消し飛ぶ。個人的に一番鬱陶しいのは、攻撃呪文が〇〇系に敵が強い弱いとかじゃなくて、呪文自体がよくスカること。凶悪なドラゴンやブリザードの群れはリメイク版なら威力アップしたベギラマ+イオナズンで簡単に一掃できるけど、FC版は威力どうこう以前にそもそも半分くらいしかヒットしない。おまけに「たたかう」はHPが減ってる敵を狙うような親切仕様じゃないので、敵の頭数が思うように減らせないのがツラいところ。
FC版DQ2が最も難しい最大の理由は、ロンダルキアへの洞窟の適正レベルがイオナズンを覚えるLv19なのに、外界の敵の経験値が200~のしょっぱい値ばかりで、全然レベリングできないことだと思います。(結果、レベルが足らずに突っ込んで焼かれる)。DQ2の反省を踏まえて、このあたりはDQ3で徹底的に調整されました。
まさにそれ。大人になってからFC版の1と2をやり直して痛感したのがそこでした。とにかく今のゲームの感覚でいるとレベルが全然上がらない。自分は今でもレベリングは全然苦にならないほうなのですが、その性癖(?)はFC版の1と2で醸成されたと断言できます。
一番恐ろしいのは当時の粗製乱造された各種ドラクエクローンのプレイ動画を見ているとそれでも全然マシだと思い知らされるところ。序盤で経験値二桁しか落とさないような敵が一番効率がよくてそこでクリアまでのレベル上げを済ませてたりすることも。
ドラクエ2のイオナズンはドラクエ3や4等のイオラに少し強くなった程度で、しかもドラゴンなんてたまに効かない時にあったので、4発連続で焼かれたりしましたね。
@@norimakisentyan9210 そこは制作陣もミスったと思ったのか、リメイクで強化された攻撃呪文が効きまくるようになりましたね。稲妻の剣+ベギラマ+いかずちの杖で一掃できちゃう別ゲー感。
戦闘中に脱落者がでるとほぼアウトですし、ボスのベホマという運も絡むので、よいターンになるまでの全員生存を最優先事項にしていましたね(力の盾を全員所持、サマルの防御とか)。ただ、ちゃんとやっていればクリアできるという点で、当時としてはまだマシでした。
STGやアクション全盛で、反射神経が足りないと一生クリア出来ないゲームばかりだったから、レベルを上げてゴリ押しでクリア出来るシステムは貴重だった。
個人的にドラクエIIの最も難しい部分だったのは、とにかくレベルが上がらないことと、2のルーラの特性を頭に叩き込んでおかないとひたすらロンダルキアへの洞窟を上り続けることになること。特に前者はバランス的に破綻していると断言できるくらいだと思います。レベル上げの経験値を少しずつ貯めても長いふっかつのじゅもんをしくじって台無しになって心が折れる、なんて何度経験したことか。
懐かしいねえFC版発売から少し経ってから借りたので私中学生・弟小学生が1日1時間のゲーム時間を私→弟とリレーして攻略していました(片方は口出さずに後ろで画面見てるだけ)で、2人でふっかつの呪文を書いて読み合わせたり、読みづらかったらもう一回呪文聞いてみたりそれでも「じゅもんがちがいます」って言われたら間違えそうな文字を入れ替えて、二人三脚でロンダルキアまで攻略したはずなんですよその辺でソフトの持ち主である叔母(父の妹、私らが買ったスーパーマリオブラザーズ2を私らの目の前で先にクリアしてドヤ顔された事あり)が「息子にやらせるから返して」とソフト持って帰ったので、そこまでです…なおイトコ君は当時6歳だったので取り返す口実だろうなあと理解はしていますが、いまだに叔母のことはあまり好きじゃありませんドラクエⅡはそんなほろ苦い思い出のゲームですね
クソガキ時代にほぼリアタイでプレイしてたオサンです。割とマジレスすると、ロンダルキアの洞窟をクリアしたことは、長い事生きた中で、各々が大人になるまでに乗り越えた壁の一つではないかと思える難度のため、達成感は格別。それを小学校中学年がやる訳です。攻略本を見ながらでも、クリアに大きく運が絡むゲームですから。ロンダルキアを抜けて、真っ白な大地に流れるあの名曲は脳に焼き付けられてます。ただし、祠に着くまでがロンダルキアなので、ロンダルキア抜けて祠までに全滅したことあるまでが哀しみのそれなのです。
邪神の像で2階へは自力派です階段がないから、十字架床になにかある。と、仮定する。全部足もと調べる。その後、道具預けシステムなしなので、手持ちアイテム総当たり、重要順でいけます。当時のゲームで総当たり思考は、欠かせない手法かと思います。
当時の小中学生だったはずだけど仰る通りクラスの仲間界隈で情報共有してて攻略してた記憶です魔の「ふっかつのじゅもん」も間違えてしまうからこそ間違えたら前のデータのじゅもんで何度も繰り返すことで先に進めたり誰かのじゅもんデータをもらって攻略したりとか例の「もょもと」の呪文で攻略したり今のように他のゲームの選択肢が少ないからこそ何度も何度も繰り返すプレイが定番になってました
私がドラクエのコンサート行ったとき、この道我が旅がアンコール曲だったんですが、すぎやまさんが「私の人生を表した曲」みたいなこと言うから、そら涙腺緩みますわ。もう80歳超えてらっしゃいましたし。
復活の呪文は、同じ状態でも違う呪文を教えてくれるので、保険のため2パターンを書き写すようになりましたね。初代ドラクエの20文字でも、呪文が違います!って言われた経験より。ロンダルキアの洞窟はジャンプのファミコン神拳の袋閉じの情報のお陰でそんなに迷わなかったです。十字架の交点で邪神像を使うは、前作の竜王の城の隠し階段の経験から、この辺に階段があるはずと試行錯誤して自分で見つけました。当時の自分はゲームにかける情熱がすごかったな。
ロンダルキアの洞窟をやっと抜けたと思ったら、祠に行くまでに全滅した思い出・・・。
先制攻撃→ブリザードのザラキ→画面真っ赤😂
@@user-zap846ブリザードのザラキの命中率半端なかったです。全滅もあり得ますし、1人残っても次のターンで逃げれなかったら絶望でした。
@@kentarou6069 ザラキでサマル死亡→逃げる成功→サイクロプスに捕まる→痛恨でムーン死亡→祠直前でローレがシルバーデビルに先制、全滅の黄金コンボ😭
本当の地獄は洞窟を抜けたあとなんよね
最近ではSFCリメイクをプレイした兎田ぺこらちゃんがロンダルキアの祠の斜め下でブチ殺されてて何千人のリスナーの前で鬼畜難易度の見本になっていました
小4の時奇跡的に一回クリア出来て隣で見てた友人と歓喜したのを憶えている。今となれば人間が魔物と戦うとはこういう事だと思えなくもないかな。
私の場合、復活の呪文はテレビのせいというより当時小学2年だった自身の文字が読めなかったと言う説もある笑当時はドラクエ2に限らず理不尽な仕様のファミコンばかりでした。あの時代は遊びのはずのゲームからですらその根性や根気、精神力などを試され鍛えられた時代でした。逆に今の時代はチュートリアルや快適な操作性の代わりに覚えるのが一苦労なゲームシステムと数多くのボタン駆使した操作を覚えのに難義しますね〜。
ふっかつのじゅもんでマジでミスってクリアできなかったので小学生ながらに「ドラクエ2クリアするまでファミコンの電源入れっぱなしOK」に親にしてもらってたのだけは覚えてる。今思うとどうやって交渉したんだアレ?当時7か8歳だったはず。それに加えて「ファミコン部屋」なるものがあって、「掃除機禁止」だったのよね。
ドラクエ2は難しすぎて逆に学校で友達や先輩から情報もらったりしてたので邪神の像等は無理ゲーではなかった印象です。ドラクエ6くらい迄はドラクエのおかげで友達とより仲良くなったり友達が増えたりコミュニケーションがとれたので良い思い出。感謝です😊
当時小3でしたが、ふっかつのじゅもんが正解だっただけで一安心。ゲームは全般難しすぎてとてもじゃ無いけど進めませんでした。最後は近所のお兄ちゃんのふっかつのじゅもんをノートに書き写して自分とは全く違う名前の高レベル主人公で何とかクリアしましたが、それでも相当難しかったです😅
最近…レトロフリークを駆使してクリアしましたよ。道具整理が仲間同士で持ち替える大変さを知り補助呪文・道具の使うの重要性を知りました。道具整理は…次回作の3作目から自分自身に渡すを繰り返して持ち替える
DQ2の鬼畜難易度があったからこそ、その反省を踏まえてDQ3の神バランスが生まれたと考えると、DQ2はDQ3という神ゲーを生み出すための“肥やし”だったと言うことが出来るでしょう
ドラクエ2はRPGという性質上、攻略には「技術」ではなく「情報」が大事なゲームです当時自分の地区の小学校はどこも1学年300人以上は必ずおりましたので友人は勿論、別学年の子・親戚の子、その子の通う学校の子…等を伝ってアイテムの場所等は結構簡単に入手出来てました(ガセも多かったですが)アクションのシにゲーに慣らされてた身の世代だと「技術」はそこまでいらんので結構楽しく出来てましたよ!
サマルは本当は終盤急成長してかなり強くなる予定だったのですが、いかんせん調整不足で実際のクリアレベル帯では急成長する前に終わってしまう状態だったですからねハーゴンの城で邪神の像を使うギミックは当時の中村光一氏も言っていましたが、この程度は特に難しいとは思っていなかったんですよねこれは開発スタッフが当時のPCゲームの難易度(今の感覚からすれば激ムズ)に慣れていたためです実際当時のPCゲームに比べればFC版ドラクエ2は結構易しいです
ふしぎなおどりで減るMPが最大MPの4分の1ってのがえぐすぎる
当時、十字架で邪神の像はフィーリングでやった記憶があります。普通に十字架の中心が怪しいと思ったし、あとはそこで調べて階段があるかを確認(ドラクエ1の竜王の城の玉座の裏って言う経験から)して、それがダメならもってるアイテムの中でそれらしいモノ(ルビスのいのりや邪神の像)を選んでいたので、邪神の像には必ず思い至ったはず。炎のほこらもやっぱりフィーリングで、似たほこらがあるけど火がついてるのはあのほこらだけだったし、あやしいところを調べるのは当時は普通にやってましたよー。ロトの印や金のカギ、それに要請の笛みたいに、調べて見つけるのは当時のドラクエの常識だった記憶がありますね。
なぜおかんはファミコンにダイレクトアタックをかますのか掃除機アタック、飛び越えざまキック、追加効果の地響き効果、ねこパンチ全てが即死級👼🏻
つい最近までやってました。やりごたえ充分でしたよ。レベルを上げても勝てるわけじゃないし逃げられるとも限らない。攻撃呪文も火力は弱いしなかなか効かない。頼みのはかぶさも知らない間にリセットされてるしザラキではサマルトリアが一番効きすい印象です。さすがに復活の呪文はスマホのカメラで撮影しました。この難易度こそ真のRPGでありまさに「冒険」だと思います。。楽しさを痛いくらい味わいましたね。発売当初多分小2くらいの頃はローレシアの周りをぐるぐる回っただけで挫折…それから何年かして攻略本「1黒.2水色.3赤」が発売されたと友達が教えてくれたのでその友人におこずかい渡して買ってきてもらいました。懐かし記憶が蘇ってきました!皆様も是非プレイしてみてください。
自分がプレイした時でも少し前のゲームではありましたが、FC版の鬼畜要素としてはルーラが最後に復活の呪文を聞いたところにしか行けなかった記憶がある。なので、基本の移動は徒歩や船だった。
当時小5でした学校ではネタバレ禁止、みんなで苦労した思い出ですはかぶさとか裏技なんて誰も知らないですし、紋章は世界中駆け巡って笛ならして虱潰しが当たり前でしたよ限られたゲーム時間、間違える復活の呪文、累々の屍を乗り越えてクリアしました子供すぎて疑問にも思ってなかったですけどね年に3本くらいしかゲーム買えなかったので楽しかった思い出しか自分にはないですよ
単純に、味方のHPが低くてローレでも死にやすいというのが戦闘の難易度を上げてますよね。でも、食うか食われるかの2のザコ戦闘は個人的にはめっちゃ好き。
当時何でか家に初代ファミコンがあって何の気なしにずっとロト3部作と4ばっかりやり混んでて、たまに伯父とあーだコーダ一番言い合ってた。ホントに2はクリアした時は嬉し泣きしたもん😅
いえいえ・・・52文字はリアルタイム世代でも楽なものではありませんでしたよ・・・。一度メモを見た際に入力終了まで覚えていられるのはせいぜい6文字前後なので、何回も何回もメモに目を落とす事になり、これが結構疲れるのです。52文字でも一例としてこんな有り様なので、Ⅲでセーブファイル方式になって、今にして思えば(ひどく消えやすかったとはいえ)大助かりでした。Ⅲが仮にふっかつのじゅもん方式だったら、なんと988文字(Ⅱの19倍)だったとか・・・
9:47 ファミコン版ドラクエ1〜4は友達から情報を貰うことが多かったですが、2のハーゴンの神殿については何も聞くことはなかったです。それでも十字を初めて見た瞬間にクロスしてるところで邪神の像を使うのだと閃きました。1回すでに使ったから不要とは全く思わなかったですね。当時、小学3年でした(笑)
マッピングなんて作業を当時小学3年生の自分が姉から方眼紙もらってやり出したのがこのゲーム攻略本なんて買ってもらえるワケがないしその頃の小遣いでとても買えるモンじゃないダンジョンから世界地図(こっちはざっくりと描いた)、そして復活の呪文にヒントのメモゲーム終了時には復活の呪文は必ず2,3パターン書いてました親にゲームをやらせてもらえる時間の少なさも相俟って、ゲーム外の難易度まで非常に高かった思い出です
覚えているのは攻略本に「巨大な十字架を探せ」でしたがプレイしていた母がラゴスをみつけられずに諦めました取説に「人々の言葉をメモするように」と書いているのでメモを取るようなほどの大冒険を想定していたのでしょうね、書かずに忘れる人多そうですがなお母は金の鍵も取れずにアバカムでなんとかしていました炎の祠はやまびこのふえ総当たりでかなり早くみつけてましたね、メトロイドでボムばらまくノリで笛吹いてました
ドラクエ2の理不尽な謎解きは、こちらが聞く前に従兄が教えてくれたので実は難しかった実感がないけれど、それでも各所が運ゲー過ぎて過酷でしたね。ふっかつのじゅもんについては、当時は本当にそれしかなかっただけで、楽をする事を選べるのであれば当時のキッズも絶対に楽な方を選びましたとも。当時生まれてなかったろびんさんがこうやって解説してくれてる事が、おっさんは嬉しいよ!
復活の呪文を失敗しないために、「永遠に電源を切らなかった思い出」その影響で「みずのはごろも」が、最後までできあがらなかった。「明日取りに来い」ってのは、復活の呪文を聞いて、再入力することだったみたいですね。みずのはごろもが出来上がる前にクリアしてしまった。
1番は当時のプレイヤーの大半は小学生で、インターネットなどなく、「ゲームは一日一時間」が当たり前(復活の呪文の入力と紙に書くだけで20分くらいかかる)ということでしょうね。大人のプレイヤーは攻略本も買えるし、なんとかなったと思います。
父、私、弟三人誰もハーゴンの城で先に進めず、ついに父が公式ガイドを買ってきて、邪神の像を十字架で使うことを知り、ついでにいなずまの剣も取りに戻りました。弟はその後友達情報からはかぶさの剣やちからの盾のバグも使っていたようでしたけど。
はかぶさ無しでクリアを目指したがシドーのベホマが異常すぎる凶悪さだった、何回もトライしてMPが枯渇しての繰り返しで倒した時は大声あげて喜んだな、ハーゴンもベホマを使うけど、あちらはマホトーン一発で無力化できた
当時、小学生でした。あの頃ソフトって簡単に手に入らない(買ってもらえない)という感じで、ソフトの貸し借りが当たり前でした。友達や親戚の家に遊びに行き、攻略しているのを見聞きして自分はプレイしてたのである意味難しくなかったです笑復活の呪文は間違えた時にゲンナリするので、毎回2パターンメモってました。復活の呪文がないドラクエ3はスゲー‼︎って思いました。時々消えるけど。SFC版ドラクエ2は凄く簡単でしたね。
もらえる経験値が少なすぎというのも大きな鬼畜要素かな。当時のゲームはレベル上げのために何時間も雑魚と戦闘するのが当たり前だったけどドラクエ2は特にそれが長かった。そのくせ頑張って全員最高レベルに上げても雑魚相手に度々全滅するという…
中学生だった当時、ハーゴンの城で邪神の像を使うのは、学校で同級生から聞きました。攻略本の存在も知らなかったので、仕入れた情報もどこからの情報かわからないです。昔は「口裂け女」の噂のように都会から田舎へ情報が広まって行ったので、ドラクエ情報も徐々に広がったのだと思います。
FC版でマンドリルに勝てなくてやめました。SFC版で慎重にレベル上げてマンドリルのグループを駆逐できた時は感動した。何にしろMPが枯渇しがちだから力の盾など呪文効果のあるアイテムがないととても厳しい。
FC版当時、ハーゴン城のじゃしんのぞう使う所は攻略本にも乗って無かったと思います。うろ覚えですが。自分はそこで詰みました。
今頃鬼畜とか言われても当時はそれが当たり前で自分が弱いからレベル上げするってのが染み付いてるから逆に最近のドラクエは直ぐにレベル上がるし謎も簡単で楽すぎる
もょもとがみんなに覚えられるとかすごいよね
ゆうてい、みやおう、きむこう(以下略)でしたっけ笑懐かしいですね。ある意味では強くてニューゲームの走りだったのかも知れません笑
ちなみにゆう帝は堀井さんだったらしいので堀井さんが2回入ってるそうですあいつブロリ―だろ
復活の呪文は、ハ行の濁点、半濁点の判別が激ムズ。ネットがない時代のゲーム攻略、今の子達には理解出来ないだろうな。攻略本を親に買ってもらえなければ、ひたすら迷って、その間にレベルが上がる、今と比べてストーリーが少なくてもそのせいで普通に時間がかかる。まぁ時代の違いだな。
我が家のドラクエの歴史は2からです。兄が遊んで、私もいじらせてもらうって感じで。当時小学生だったので記憶も定かではないですが、ドラクエは攻略本ありきだったと思います。兄が攻略本にメモを書き入れていてました。はかぶさの剣は知らなかったので使ってはいません。レベルをあげてやったのかと。兄はクリアをし、私は途中で断念しています。ただ、マンドリルのくだりは兄妹共々ボロボロにされたので、よく覚えています。復活の呪文は間違えた時はショックは大きかったですが、1つ前のデータから始めればいいだけの話なので言うほど困った記憶はないです。
まぁ でも当時の他のファミコン(ゲーセンも)のゲームってもっと理不尽なゲーム(基本クリアさせる気ない)ばっかりだったから歴代ドラクエの中では1番鬼畜かもだけど それらに比べるとまだちゃんとクリアできるようになってる分当時そこまで 難しいなぁ😓 とかは思ってなかったかも😅
容量の制限で情報が足りないのも要因ですよね・・・ラゴスの捜索、邪心の像、ルプガナまでの道のり(オアシスっぽいとこに町ができる予定だったらしい)逆に制限が多い中でこれだけのもの作れるのもすごかったんですがw
ラゴスは「1をやったことがある人は分かるはず」みたいな文言をみかけた記憶ありますがやってなかったですね…おかげで詰みました
1をやっていてもラゴスは難しい、ここは友達に悔しかったが教えてもらった
当時はFFもそうだったが高い難易度こそ至高という風潮だった。でも歯ごたえと理不尽の区別がつかないのも多々あった訳で…
当時リアタイ世代です。ドラクエ2だけではないですが、他のゲームも難易度は高めでしたねー笑ひたすらトライアンドエラーのみでいろいろやってました。ダンジョンは、逃げミスしたら半壊してしまうので、殴りあってました。復活の呪文を暗記したのはいい思い出です笑笑
このゲームの復活の呪文で文字を正確に書き写し更に何度も確認する事の大切さを教わった気がします。
邪神の像を使う場面は、当時のゲームでは「あやしい場所では総当たりで何かを試す」がデフォだったのでわりと簡単に自力で突破しましたね。当時のゲーム好き小学生としては、「ノーヒントじゃないよ、床が十字になってるじゃん」という感じですかね。当時はクリアできないゲームもたくさんあった中で、ドラクエは時間をかければちゃんとクリアできるゲームだったので最後まで楽しめるソフトとして個人的に高評価でしたね。
不思議な踊り連発ですぐにMP枯渇とか、先制ドラゴン連続炎とか確かに鬼畜だったけど、レベルを上げれば目に見えて戦闘が楽になるのはよく出来てたと思う。今、のんびりレベル上げしながらやるのは歯ごたえあってやっぱり楽しい。
発売当初ファミコンなかった家だったので友達の家でプレイしてるのを見るのが楽しみでした。ふっかつのじゅもんの対策でカセットテープで音読録音してたのでミスは少なかった気がします
当時の謎解きは基本的に総当たりなので、ろびんさんが思っている以上に謎を解ける人は多かったと思います。昔のゲームは十字架の床があれば、中心でアイテムを総当たりで使うのは、かなりのあるあるです。
シドーの手がムーンのMPを隠しているという地味な嫌がらせもあるなリメイク版ではこれを踏襲し、各パラメータを見えなくするガスとかやってきたら面白いな
リアルタイム勢の感覚として「DQ2マジで大人気でクラスの友達のほとんどがやってたので、そこでの情報交換」「ファミコン雑誌がこぞって特集を組んでおり、さすがにまんまの答えには緘口令が敷かれたものの、今でいうゲーム中でモブが教えてくれるヒントぐらいのことは載ってた」あたりで、攻略情報は補ってたかなあ?と
邪神の像をハーゴン城で使うのは集英社の攻略本の袋とじの直前当たりのページに書かれていたような…。当時は口コミと攻略本が前提の時代でしたから。ネットなんてない時代だったから、攻略本の貸し借りや口コミで攻略していた記憶があります。ゲーム単品でクリアを目指すという雰囲気ではなく、ゲームを通じた社会的なコミュニケーションで攻略していたように思います。
20年ほど前にあったドラゴンクエスト大辞典のEXコーナーに「FC版の2は何故あんなに難易度が高いのか?」という項目があり、そこに多くのコメントが載ってたな。サマルがひ弱すぎるから、最大の敵「呪文が違います」があるから、SFC版ははっきりいって温いです!とか色々あって楽しかった。
当時、ノーヒント過ぎて、町を1マスずつ調べまくり、ダンジョンのマッピングは当然でかつ、ダンジョンの全ての壁を調べては叩くという、まさに地道な作業の連続その為、十字架は怪しいとすぐ睨み、しかし、何を使えばいいのか分からず全ての道具を使うという荒業を試しました。ドラクエ2は忍耐力を鍛えるゲームでしたね。
2は大灯台もまあまあやってるんよなぁ未だにプレイするたび何回か登りなおすことになってる・まあまあ移動がめんどくさい位置・ルプガナ過ぎた当たりで、敵の強さがワンランク上がるポイント(FC版だと呪文が通らないゴーゴンヘッドの遅延行為、ドラゴンフライに燃やされる)・そこまでのダンジョンと比べ長い、だまし階段・通路多い
父がふっかつのじゅもんを書いた紙を紛失してよく呻いてたとか話聞かせてくれた。弟に紙を捨てられてガチ喧嘩したとか笑笑そんなに怒ることなんだーって思ってたけど、こんなき鬼畜だったらそりゃ怒るね笑笑
ドラゴンクエストは週刊少年ジャンプに毎週特集で攻略情報を掲載されていたので、それが重要だった気がします。ロンダルキアの洞窟は何度も落ちるところが大変というより「抜けた後の祠まで死なないでいけるのか?」が勝負でした。ロトの剣を拾うためには落とし穴に落ちる必要もありましたしね。あまりにも難しすぎて、はかいはやぶさ(バグ:最後の城に行き、破壊の剣を装備して邪神の像使い幻想が解けたら隼の剣を装備すると破壊の剣の攻撃力で2回攻撃できる)を使ってシドーは倒しました。ゲーム内の問題はそこだけでなく「復活の呪文を間違えずに記載できているのか」が一番のトラップかもしれないですね。
復活の呪文を間違えた時は呆然としながら「Love Song探して」が流れ続けてたわw
オーマイロンリボーイ♪
自分は落とし穴の方が苦手かな。次の無限ループはメモして2分の1の確率で試行回数減らせるし。復活の呪文はデータ消える3456よりましだと思う。
シドー戦は、ローレ→攻撃、サマル→スクルト、ムーン→ルカナンを基本として、途中回復をはさみながら、やっと撃破した覚えがあります。邪神の像の使い所とか、紋章のありかとかは、確か当時のジャンプでドラクエ特集が毎号載っていたので、そこから情報収集した覚えがあります😅にしても、敵が強すぎたから、何をすれば、ダメージを多く与えられるか、MPの消費量を計算しながら、ロンダルキアはギリギリで攻略した覚えがありますね😅昔の自分に、「よくやった!」と褒めてあげたいですね😅
当時はノーヒントが当たり前でしたが、今では考えられないことにエニックスお客様センターに電話したら攻略情報を教えてくれたそうです
説明書に載ってる電話番号です
叔父からの伝聞ですが、「じゃしんのぞうを持ってるなら、十字になってる地面の真ん中で使うとなにかあるかも?」とお姉さんに教えてもらったとか
すごい時代ですよね
90年以降の説明書に「ゲームの攻略情報について答えることはできません」と書かれてるのは当時の名残だそうです
電話をしたら邪神の像のヒントを教えてもらえたんですか
スゲ~
私は当時、近所のゲーセンで10分50円でドラクエ2をプレイしてましたね
他の人のプレイを見て、覚えました
復活の呪文をノートに書いてそれをゲーセンに持ち込んで入力。間違えたら別の呪文かもょもとでプレイしてました
当時はゲームの外にも魔物がいたからなぁ
・悪霊の神(おかん)「ゲームの時間もう終わりや!」ブチッ!
・悪霊の神のしもべ(主に姉妹)「お↓かあ↑さーん、ゲ↑ェム↓の時間終わったのにま↑だや↓ってる↑ー!」
・眠れる悪霊(休日のおとん)「野球にかえるぞー!」(TVの使用権のヒエラルキー)
・裏切りの獣「にゃーん」リセットポチー
・死神の鎌(掃除機)ブイーン・・・プツッ!←コンセントが抜ける
・紛れる悪魔の呪文「ぬ」「め」「る」「ろ」→復活の呪文間違えやすい文字群。当時の標準的な家庭用ブラウン管TVのサイズではドット潰れによる誤認があった。
ゲーム時間の確保の為、復活の呪文記録短縮の為、兄弟分担作業で復活の呪文の読み上げ係、記入係になるも復活が出来ずに責任を押し付け合うリアルファイトになり、ゲームプレイ時間を消耗する
・束縛の鎖(有線コントローラー)→プレイ中興奮して引っ張ったら接続不良で消える
・大地の怒り(古い家だと起こる床のたわみ、振動によって起こる接触不良)→他人のものもキツイが、何よりもトイレ、お菓子等で席を離れ、帰ってきた時に自身で起こしたものだった場合は精神ダメージがエグい
おかんの恐ろしいところにはよくまとめサイトなどで取りざたされてた掃除機ごっつんも追加で。
他にも当時のキッズの中にはコンセントが足りなくて掃除機かける時にファミコンのコンセントを抜かれた子もいたらしい。
悪霊の神おかん、親と同居していた私の知人も苦労したようです。当時の親の多くはゲームに無理解でしたからね。
しもべのイントネーションまじはげるほど分かる
悪霊の名人「ゲームは一日一時間」
オヤジ臭全開だな。
当時はあの難易度が当たり前と思ってました。ハーゴンの城での十字架の所も、色々な道具をそれぞれ試しました。
炎のほこらも一歩づつ歩いて調べてました。
確かに簡単にクリア出来るゲームじゃないけど、3人のキャラだけが育つのではなく、プレイしてる私達が色々試して覚えていくゲームでした。
だからこそ、あのエンディングまで辿りついた感動は、今までやったゲームの中でも最高です。
大人になってからFC版をやり直して地味にストレスだったのが、行動順が素早さ準拠ではなくほぼランダムなこと。
そのため敵の先制を受ける前提でHP管理をしなければならず、その分多めにレベリングして余裕を持たせて進めないとすぐに詰むんですよね。しかも必要経験値に対しての敵の経験値も今の感覚だと少ないため、単純にレベリングに時間がかかる。
当時は何とも思っていなかったので、やっぱり子どもの頃だったからこそすんなり受け入れられたんだと思います。
逃げるの成功率がレベル関係無いのも地味にしんどい。
FC版リアタイ勢です。
・ハーゴン城での邪神の像:友達に教えてもらいました。その友達がどうやって知ったのかまではさすがに……
・復活の呪文:当時の他のゲームに比べれば見やすいフォントなので、52文字でも許容範囲(まだマシ)。
・通しのテストプレイなし:だいぶ後で聞きました。適正レベルよりずっと下でロンダルキアに来てしまうのが鬼畜難易度の原因かと。
まあ、1人8コくらいしかアイテム持てないので、試すアイテムは10コもないかもしれませんね。
邪神像かルビスの守りくらいしか思い付かないかも。場所はわからんが😅
アトラス戦闘中に ん?ザオリク使える♪と思って使ったらメガンテだった苦い思いで
当時小4でリアタイだったんでもう記憶が曖昧ですが、ハーゴン城の邪神の像はたしかノーヒントだったと思います。
当時のファミコン雑誌であるファミ通やマル勝でヒントが載っていたのはルビスの守りまでで(それでさえ袋とじ部分にあった気が…)あとはお得意の「この先はキミの目で確かめよう!」でごまかされていたのを覚えています。
仕方ないのでハーゴン城をくまなく歩いても階段も何も無くて、「じゃあもうあの十字架しかない」と思ってまず床を調べまくる→真ん中で呪文を唱える→道具を使う、でたまたま持ち続けていた邪神の像を使った瞬間に画面が光って…という感じでした。上のフロアに上がれて「うおおおお!!!!!」と叫んだのだけは鮮明に覚えているので、あれはやっぱりノーヒントだったんだよなと確信を強めている次第です。
当時のアドベンチャーゲームなどもそうですが「やれる事は全部やる」というのが前提でしたね。先にドラクエ1をやっていたのでラゴスも太陽の紋章も何となく解けましたし邪神の像も色々試しているうちに辿り着いた記憶があります。それよりも苦労したのがテパの位置。取説の地図には書かれていたらしいですがカセットだけ借りていたので完全にノーヒント。ノートに大雑把な世界地図を自作してようやく「このあたりかな」と目星つけて見つけました。あれからもう40年近くなるか。年食う筈だわ。
@@HOPE-ch8rk 当時の多くのコンピュータゲームは試行錯誤して正解を見つけ出す事こそがゲーム性だった部分もありますからね。
ルピスの祠や海底洞窟なんかも目的の場所に向かうのでは無く、この先に何があるかを探索する、なにか無いかと彷徨い歩くという行動の結果として見つかるって感じだったと思います。そう云う意味で言えばある種、現代のオープンワールドでのロケーション探しに近いのかもしれませんね。
と言うか、謎解きとしての紋章探しなんかは、どちらかと言うと当時のゲームの解法的にはむしろあるある的な感じであまり難しいという印象が無かったり
もっとも、バトルバランスが悪いとか、マップ構造が意地悪な部分に関しては流石に言い訳できないですけども
ドルアーガなんてえげつないし
ドラクエってその当時だは簡単な部類のゲームだからね
リアタイ勢としては
マンドリル 逃げる
ドラゴンフライ 逃げる
炎の紋章
水門のカギの取り方と使う場所
足止めくらった期間長くて邪神の像ハーゴン城での使い方は友達からネタバレ食らう😂
紹介されなかった鬼畜要素としては「どこにあるのかわからない場所」があると思う
船の財宝、ザハン、海底の洞窟、精霊の祠あたりは、大体の場所がわかってもたどり着けないことがよくある
@@秋国いつま 自分はやっぱり金の鍵が分からず挫折しかけました。精霊のほこらはデルコンダルを探してる途中で偶然見つけました、紋章を全て揃えてからというのはもっと後に知りましたが
行ったことあるけど
ホントに必要になった時に
もう一度たどり着けないんですよね…
敵を1匹まで減らしたら全員ちからのたて使って回復してから戦闘終了
ちからのたて3枚購入が普通のバランスってのがおそろしい
はかぶさのようなバグが無いと鬼難易度でやってられねー!って言われるのは後にも先にもドラクエ2だけだと思う。あと当時だとゲームをプレイし過ぎてやってくる親も魔王のようなものと聞いたことがある
高橋名人が「ゲームは1時間👍」とか言い出したせいで、それを真に受けてルールにする親が後を絶たなかった。
あと、母親がかけている掃除機がファミコン本体やカセットにぶつかり強制終了して親子喧嘩がたびたび発生していたのもあるあるだった。
夜中までやってて「まだゲームやってる…!」と気づいた母親が早足でカツカツカツと廊下を歩いてくる恐怖はシドー登場時の比ではなかったw
家にいるペットもプレイ中はブリザード級のモンスターに変貌する😱
ちゃんと時間守ってやれば対処できるⅡが魔王なら、FCにショックを与えて冒険の書を刈っていくⅢ以降は死神。当時は一家に一台リビングにTVがあることが多かった。
年に一度か二度、ゲームニフラム発生イベント起きたら泣いた。
当時はネットはなかったけど、子ども同士が情報を共有してゲームを攻略するという文化が強かったです。人に聞けば誰かしらが攻略法を知っているので、謎で詰ったという記憶はそれほどありません。
あと、ドラクエ2はドラクエシリーズの中では難易度が高いですが、80年代に発売された他のファミコンRPGと比べるとずば抜けて難易度が高いという印象もありません。当時はRPGも難しいのが当たり前でしたから。
こういう動画でほとんど語られないけど戦闘のやばい点はすばやさの乱数がえげつないところ ほぼランダムな順に動くから早め回復を強いられたり運悪く死人がでやすい
ほこら到達目前に、氷の悪魔に先手を取られて‥‥の記憶が😰😭😱
ふしぎな踊りでMPをカラッケツにされた時はマジでFC本体蹴り飛ばしてやりたくなる
わかりみが深すぎる
特に海底の洞窟は悪意がありすぎてw
アレフガルドのどろにんぎょうなんかこちらがまだLVが低いのに容赦なくMP奪っていって、2〜3回の踊りでカラッケツになりますね。
おもろ!!
ハーゴンの城で邪心の像を使うのはファミコン神拳(堀井雄二さんが担当してたジャンプのゲームコーナー)の攻略本に書いてあった気がします
当時の子供はみんなジャンプ買ってたし友達の誰かしらがファミコン神拳の攻略本を買ってましたし
攻略本もソフトと同時くらいに出てたと思います
後のドラクエ3でゴールドマンのドロップアイテムが黄金の爪である事、さざなみの杖の存在とアークマージのドロップアイテムである事もそれで知りました。
「じゅもんが違います」となっても大丈夫な様に、同じ状態のふっかつの呪文を2、3個書き留めておいた思い出。
1回書いた後、別の紙にもう一度書くとかやりましたね。
セカンドオピニオンって奴ですね
道具を少なくすると復活の呪文も若干短くなるので
やめる前は道具売りまくってました。
そして、その全ての呪文が間違っていたという悪夢(笑)
この頃はここまでやってたのにどうしてPCのバックアップはHD1個で満足してしまうのだろうか…
ふしぎなおどりでMPを20くらい持っていかれた時はやる気無くなる笑
邪神の像のあるダンジョンですね、パペットマン、ウドラー、あくまのめだまが鬼畜で草でしたね。
ある意味ロンダルキアの洞窟よりも鬼畜でした😭不思議な踊りに加え罠の宝箱、溶岩もトラマナも効かないわで凹みました。
アレフガルドのどろにんぎょうなんかこちらがまだLVがそんなに高くないのに容赦なく持っていかれて、3回位の踊りで全員カラッケツ(ローレは元から0ですが)になりましたね。
@@norimakisentyan9210 船を取ってすぐではかなりキツイですね、裏ワザもょもと48のレベルで後の2人で試しましたがかなりへこみました。特に死神は痛恨の一撃でサマル王子撃沈!(その時のダメージ48)
ラストの邪神の像は「あの場所で何かすればいい」ってのは判るので、それより水門のカギの方が手こずったかな
牢屋の中心に机が置いてあるせいで、探索しても四隅の壁にぶつかるので正方形の部屋であると思い込みやすい
当時は攻略本頼りで、マップがないロンダルキアは力づくだったような記憶があります。逃げられる確率が高いので何とかなった感じで。
サマルが弱いのはそうなんですけど、サマル死亡=帰還確定(二人じゃどのみち全滅する)なので、役立たず扱いされているのはもう35年以上40年近く違和感ありますね…他二人は死んでもザオリクで続けられるけど、サマルだけは死なせてはいけないのがドラクエ2のはず。
サマル「SFC版で大幅強化された俺がパーティ追放?FC版の時ですら俺のルーラとザオリクに頼ってただろうが!」
ローレ「そのルーラとザオリクをムーンが覚えたからお前は用済みなんだよ」
実際みちくさ冒険ガイドでベラヌールに放置したままシドー倒して「半価値(ハンカチ)王子」と呼ばれていたw
FC版DQ2はドラクエシリーズではぶっちぎりで難易度が高いのは確かですが、発売時期に同時期に発売されたソフトの多くがこれ以上に難易度が高いのばかりなんですよね。
魔界村、高橋名人の冒険島、マリオ2、たけしの挑戦状と言ったアクションゲームやRPGでもほしをみるひとと同時期ですから、これらと比べたら頑張ってレベル上げすれば何とかなるだけまだマシな部類、それが80年代のFCソフトの恐ろしいところです。
ドラクエ2と同じ年のRPGは、FF、女神転生、ウルティマ、ミネルヴァトンサーガとか遜色ねえ難しいRPGだらけやんけ😅
マリオ2は普通にクリアできたんだよな。ガキだったのに。でも、FC版の3は無理だった。冒険の書がシルバーオーブ手前の頃に消えて、やる気なくなって放置。転校の影響もあって4はスルーで、5で初めてDQクリアした。
この時代は少ない容量でゲーム作って長く遊ばせる必要あったので難易度をギリギリまで上げてるんですよね
余談パスワードは一緒にやってた大魔司教ガリウスが体感同じくらい長かった記憶ありますね
ファザナドゥがやや短いかな感
ウィザードリィの日本版ですからね、まだ子ども向けに優しく作ったほうだと思う
リアタイですが、邪神の像については自力でわかりました。当時はポートピアみたいなコマンドアドベンチャーをよくやっていたので、「床の十字架怪しくね?」「とりあえず道具全部使ってみるか」でいけました。総当りですね
いにしえのRPG「ウルティマ」などの時代は「得た情報をノートにメモ」「ダンジョンマップを方眼紙に書き写す」が常識だったと聞きます。まだまだそのころの感覚が制作者および一部のプレイヤーに残っていた時代なのかもしれません。私はドラクエが初体験RPGでしたが、「キャラクターを自分で動かせているだけで楽しい!」という感覚で、多少の不便や困難は「そういうものだ」と思っていました。開発期間の短さなども含め、すべて時代の産物だったのでしょうね。
洋ゲーやってればDQ2ぐらい当たり前かむしろヌルイぐらいで、復活の呪文が難点なだけだったな
こういう時にあんまり名前が挙がらないけど、個人的にダンジョンの中では大灯台も苦手なイメージがありますね…
1フロアあたりがかなり広い、道が遠回りな配置で結構な距離を歩かされる、階段が多すぎて正解ルートが分かりにくい、そのうえ階層も多い……という感じで、途中でMPが尽きて泣く泣く帰還することが多かった気がします🥲
大灯台と言ったらドラゴンフライに連続で炎を吐かれて死ぬ
あと、老人を追うところで焦って塔の縁から落ちる
大灯台確かに嫌なダンジョンですね
はずれの階段もかなり多く、その上敵も攻守揃ったアンデッドマンやゴールドオーク、大量に現れて炎を吐き散らすグレムリンやドラゴンフライ、割と雑に痛恨出すしにがみと平均値が周辺のフィールドと比べて高いイメージがあります
当時、小学生でしたが
あの頃はアーケードでドルアーガの塔、PCではザナドゥとかが大ヒットしてたような時代ですし、
DQ2もフツーかむしろ子供向けぐらいのイメージでした。
そもそも、それまでFCでやってたのが魔界村、マイティボンジャック、ワルキューレの冒険、たけしの挑戦状etc‥
ちゃんとクリアまでできたゲームの方が圧倒的に少ないので、現代の感覚とだいぶ異なりますね。
DQ2の謎解きは、初代で太陽の石や暗闇の壁のトリックを知ってればすぐに分かりましたし、
ハーゴンの城も、「いかにも」な場所が用意してあるので総当たりで行けたしで、
ちゃんとクリアできる難易度=親切なゲームって思ってました(過去形😅)
それ。ドラクエ2を鬼畜無理ゲー扱いしてザナドゥドルアーガワルキューレをベタ褒め名作扱いしてるバカもいる
そうだね
私も当時小学生だったが、ドラクエやマリオは小学生でもクリアが出来る簡単なゲームの一つだったんだよね、だから人気出たというのもある
当時はゲーセンも普通にあったし、そのゲーセンゲームの難易度の名残りなのかクリア出来るようなゲームの方が少ないぐらい難易度の高いゲームばかりだった
リアタイ世代です。当時は2で心折らされたプレイヤーが多かったので3発売であれだけ社会現象起こしたのが不思議なくらいでしたが、ドラゴンボールが絶頂期を迎えていた時期でもあるから鳥山先生効果もあるんだろうなって思います。
ちなみにハーゴン城の邪神像の攻略はネットが無くても不思議と噂が出回ってたのを思い出します笑
個人的にはFC2はカセットの絵が微妙だと思う。3人とも幼い感じだし、変な帽子かぶってるし。FC3はカッコいいんだよね。カセットに描かれている絵も、孫悟空の幼少期みたいだし。
ふっかつのじゅもんを録画するため、子供ながらファミコンとVHSの接続を自分で試して失敗して親に怒られた記憶。
攻略情報をクラスで聞いたり、ネタバレ喰らって喧嘩したり…
クロマティの緩慢返球で辻が一塁から生還した年。この年はそれとドラクエ2の記憶が強いです。
今さらなのですが、ファミコンの音声画像ってVHF波の1チャンネルもしくは2チャンネルで受信出来たので、
無理にビデオデッキに付けたアンテナ端子を抜く必要はなかったんですよ。
器用な人もいただろうけど、平均的な小学生には厳しかったでしょうね。
当時の日本シリーズ見てました。後ですが伊原コーチすごいと思いました。
ダンジョンだけでなく、普通に船旅が困難だったな。
今では当たり前にある世界地図なんて皆無で、取説や攻略本のちっさいマップ頼み…
特にザハンやデルコンダル等の、周りの大半が海のマスを目指している道中でバピラスやうみうし等の戦闘で疲弊して、折角いい感じに掴んでいた方向感覚がまたワケ分かんなくなってたなぁ
…でも色々な難ゲー要素だったからこそ、EDで聴ける「この道わが旅」が最高過ぎた。
FC版のドラクエ2は一番最初にプレイしたドラクエであり、ゼルダやワルキューレしかRPGを知らなかった子供が、初めて衝撃を受けたゲームです。
従兄弟が全クリしてたので、従兄弟のプレイを見て覚えました。
友達もですが、ほとんど、もょもとやはかぶさ、はごろも2枚でやっとクリアした感じです。
エンディングでこの道わが旅を聴いた時は、映画のラストみたいで感動しました✨
ゲーム終盤の通常戦闘については、残り敵一匹とかの終わりかけに全員ちからのたてでほぼ全回復してから、戦闘終了するようにしてたな。
あまい息で永眠するまで起きない勇者の子孫たち。
大灯台のドラゴンフライ火の息(全体攻撃)でLv低い後衛が倒れる。
川を上りテパ村に向かう途中で首かられる。
バリアのダメージがえげつない。
5:21 FC版は世界地図がないから海底洞窟に行くまでが大変。
ラゴスが見つからなくて姉と10時間以上ぶっ続けで世界中探し回った記憶。
あれがいちばん難しかった。
姉は自力で見つけて、ずっと牢屋の兵士に向かって、逃げてないことを文句言ってました
攻略本だかなんだか忘れましたが、それによるとロンダルキアへの洞窟の攻略の推奨レベルはローレシアの王子で30前後だったと記憶してます。
普通にプレイしていてたら、まず30なんて行かないし、人によっては20を切る人も珍しくないだろう
発売当時は、小学生だったんで時間も沢山ありやり込みも可能だったんで、その時代は鬼畜ゲームとは思ってなかったです。当時のゲームはクリア不可能なゲームが沢山あり、それに比べたらクリア出来るだけまともだなと思ってました。学校の同級生から攻略法を聞いて進めてましたね。
復活の呪文は間違えたことは一度くらいしかなく、成績の悪い人ほど復活の呪文をミスする傾向がありました。
数十年経って覚えていた事と言えば、マンドリルが鬼だった事と、ロンダルキアの雪景色、サマルのはやぶさのけん装備の弱さ、こんなとこでしたね。
スーファミ世代の自分 2000年代にFC版をプレイしました。 復活の呪文をノートに書き留めるのは精神統一 チェック 我慢を鍛えられてよかったです
ノーヒントとはいえ 村人に話しかけたり、地面をちまちま調べるのも楽しかった ロンダルキアはボコボコにされても難しいギミックも、全滅後、よし次はこうやるぞ!と準備しなおすのが楽しかった ラスダンでレベル上げして(はぐれメタルから復活の呪文を聞けるアイテムゲット) シドーにペシっとやられても楽しかった マゾな方 精神修行 がしたい方にはオススメなゲームです
復活の呪文はジャポニカ学習帳の無地のやつに書き留めていってた記憶があります。
仰る通りブラウン管の解像度が絶望的に悪かったので、たまに「じゅもんが ちがいます」を喰らった時も、どうせどこか読み間違えたんだろうと思って、間違えやすそうな文字(「る」と「ろ」、「ぬ」と「め」とか)を1つ1つ変えて入れ直してました。それで上手く入れたこともあれば、どうしようもなくて1つ前のもので妥協したこともありました。
今だったら面倒すぎて途中で投げているでしょうけどw、当時はそれ以外に手段が無かったので何とも思いませんでしたね。
ブラウン管の解像度が低いというより構造上ブラウン管テレビの画面が丸みを帯びてるのと隣り合うドットの色合いが混じってにじみが出るので見えづらかったという部分がある(そのにじみを考慮してグラフィックも描かれていて本来発色できない色合いも表現してた)
@@a新鮮味
だから昔のゲームを綺麗な液晶に映すと物足りないというか、違和感を感じるんですよね
私は毎回2種類の復活の呪文を書き留めていました。
確認する事の癖が身について経理担当になれました。
確認する事の癖が身についてシステムエンジニアになれました。
確認する事の癖が身について管理職になれました。
確認する事の癖が身についてお医者さんになれました。
FC版はリアルタイムでクリア済み、最近レトフリでまたやり始めてムーンがアバカム覚えた時点で鍵類を全て処分
ロンダルキアの祠に到達後、レベル上げ中にサマルとムーンが昇天、蘇生のために片道ワープでベラヌールに帰ろうとしたら
「あれ、これ牢屋の扉開けられないから詰みじゃね?」
散々悩んだ挙げ句、実は復活の呪文を入力すれば全員蘇生状態で始まる事を思い出し、どこでもセーブの罠を感じたのでした
他にもFC版は素早さの乱数補正値が大きすぎて行動順が読めないし、炎ブレスは防御でダメージ軽減できないし、ザオリクは移動中しか使えないし、不思議な踊り一発で最大MPの約25%が消し飛ぶ。
個人的に一番鬱陶しいのは、攻撃呪文が〇〇系に敵が強い弱いとかじゃなくて、呪文自体がよくスカること。
凶悪なドラゴンやブリザードの群れはリメイク版なら威力アップしたベギラマ+イオナズンで簡単に一掃できるけど、FC版は威力どうこう以前にそもそも半分くらいしかヒットしない。
おまけに「たたかう」はHPが減ってる敵を狙うような親切仕様じゃないので、敵の頭数が思うように減らせないのがツラいところ。
FC版DQ2が最も難しい最大の理由は、ロンダルキアへの洞窟の適正レベルがイオナズンを覚えるLv19なのに、外界の敵の経験値が200~のしょっぱい値ばかりで、全然レベリングできないことだと思います。(結果、レベルが足らずに突っ込んで焼かれる)。
DQ2の反省を踏まえて、このあたりはDQ3で徹底的に調整されました。
まさにそれ。
大人になってからFC版の1と2をやり直して痛感したのがそこでした。とにかく今のゲームの感覚でいるとレベルが全然上がらない。自分は今でもレベリングは全然苦にならないほうなのですが、その性癖(?)はFC版の1と2で醸成されたと断言できます。
一番恐ろしいのは当時の粗製乱造された各種ドラクエクローンのプレイ動画を見ているとそれでも全然マシだと思い知らされるところ。
序盤で経験値二桁しか落とさないような敵が一番効率がよくてそこでクリアまでのレベル上げを済ませてたりすることも。
ドラクエ2のイオナズンはドラクエ3や4等のイオラに少し強くなった程度で、しかもドラゴンなんてたまに効かない時にあったので、4発連続で焼かれたりしましたね。
@@norimakisentyan9210 そこは制作陣もミスったと思ったのか、リメイクで強化された攻撃呪文が効きまくるようになりましたね。
稲妻の剣+ベギラマ+いかずちの杖で一掃できちゃう別ゲー感。
戦闘中に脱落者がでるとほぼアウトですし、ボスのベホマという運も絡むので、よいターンになるまでの全員生存を最優先事項にしていましたね(力の盾を全員所持、サマルの防御とか)。ただ、ちゃんとやっていればクリアできるという点で、当時としてはまだマシでした。
STGやアクション全盛で、反射神経が足りないと一生クリア出来ないゲームばかりだったから、レベルを上げてゴリ押しでクリア出来るシステムは貴重だった。
個人的にドラクエIIの最も難しい部分だったのは、とにかくレベルが上がらないことと、2のルーラの特性を頭に叩き込んでおかないとひたすらロンダルキアへの洞窟を上り続けることになること。
特に前者はバランス的に破綻していると断言できるくらいだと思います。
レベル上げの経験値を少しずつ貯めても長いふっかつのじゅもんをしくじって台無しになって心が折れる、なんて何度経験したことか。
懐かしいねえFC版
発売から少し経ってから借りたので私中学生・弟小学生が1日1時間のゲーム時間を私→弟とリレーして攻略していました(片方は口出さずに後ろで画面見てるだけ)
で、2人でふっかつの呪文を書いて読み合わせたり、読みづらかったらもう一回呪文聞いてみたり
それでも「じゅもんがちがいます」って言われたら間違えそうな文字を入れ替えて、二人三脚でロンダルキアまで攻略したはずなんですよ
その辺でソフトの持ち主である叔母(父の妹、私らが買ったスーパーマリオブラザーズ2を私らの目の前で先にクリアしてドヤ顔された事あり)が「息子にやらせるから返して」とソフト持って帰ったので、そこまでです…
なおイトコ君は当時6歳だったので取り返す口実だろうなあと理解はしていますが、いまだに叔母のことはあまり好きじゃありません
ドラクエⅡはそんなほろ苦い思い出のゲームですね
クソガキ時代にほぼリアタイでプレイしてたオサンです。
割とマジレスすると、ロンダルキアの洞窟をクリアしたことは、長い事生きた中で、各々が大人になるまでに乗り越えた壁の一つではないかと思える難度のため、達成感は格別。それを小学校中学年がやる訳です。
攻略本を見ながらでも、クリアに大きく運が絡むゲームですから。
ロンダルキアを抜けて、真っ白な大地に流れるあの名曲は脳に焼き付けられてます。
ただし、祠に着くまでがロンダルキアなので、ロンダルキア抜けて祠までに全滅したことあるまでが哀しみのそれなのです。
邪神の像で2階へは自力派です
階段がないから、十字架床になにかある。と、仮定する。
全部足もと調べる。
その後、道具預けシステムなしなので、手持ちアイテム総当たり、重要順でいけます。
当時のゲームで総当たり思考は、欠かせない手法かと思います。
当時の小中学生だったはずだけど
仰る通りクラスの仲間界隈で情報共有してて
攻略してた記憶です
魔の「ふっかつのじゅもん」も間違えてしまうからこそ
間違えたら前のデータのじゅもんで何度も繰り返すことで先に進めたり
誰かのじゅもんデータをもらって攻略したりとか
例の「もょもと」の呪文で攻略したり
今のように他のゲームの選択肢が少ないからこそ何度も何度も繰り返すプレイが定番になってました
私がドラクエのコンサート行ったとき、この道我が旅がアンコール曲だったんですが、すぎやまさんが「私の人生を表した曲」みたいなこと言うから、そら涙腺緩みますわ。もう80歳超えてらっしゃいましたし。
復活の呪文は、同じ状態でも違う呪文を教えてくれるので、保険のため2パターンを書き写すようになりましたね。
初代ドラクエの20文字でも、呪文が違います!って言われた経験より。
ロンダルキアの洞窟はジャンプのファミコン神拳の袋閉じの情報のお陰でそんなに迷わなかったです。
十字架の交点で邪神像を使うは、前作の竜王の城の隠し階段の経験から、この辺に階段があるはずと試行錯誤して自分で見つけました。
当時の自分はゲームにかける情熱がすごかったな。
ロンダルキアの洞窟をやっと抜けたと思ったら、祠に行くまでに全滅した思い出・・・。
先制攻撃→ブリザードのザラキ→画面真っ赤😂
@@user-zap846
ブリザードのザラキの命中率半端なかったです。
全滅もあり得ますし、1人残っても次のターンで逃げれなかったら絶望でした。
@@kentarou6069 ザラキでサマル死亡→逃げる成功→サイクロプスに捕まる→痛恨でムーン死亡→祠直前でローレがシルバーデビルに先制、全滅の黄金コンボ😭
本当の地獄は洞窟を抜けたあとなんよね
最近ではSFCリメイクをプレイした兎田ぺこらちゃんがロンダルキアの祠の斜め下でブチ殺されてて
何千人のリスナーの前で鬼畜難易度の見本になっていました
小4の時奇跡的に一回クリア出来て隣で見てた友人と歓喜したのを憶えている。今となれば人間が魔物と戦うとはこういう事だと思えなくもないかな。
私の場合、復活の呪文はテレビのせいというより当時小学2年だった自身の文字が読めなかったと言う説もある笑
当時はドラクエ2に限らず理不尽な仕様のファミコンばかりでした。あの時代は遊びのはずのゲームからですらその根性や根気、精神力などを試され鍛えられた時代でした。
逆に今の時代はチュートリアルや快適な操作性の代わりに覚えるのが一苦労なゲームシステムと数多くのボタン駆使した操作を覚えのに難義しますね〜。
ふっかつのじゅもんでマジでミスってクリアできなかったので小学生ながらに「ドラクエ2クリアするまでファミコンの電源入れっぱなし
OK」に親にしてもらってたのだけは覚えてる。今思うとどうやって交渉したんだアレ?当時7か8歳だったはず。
それに加えて「ファミコン部屋」なるものがあって、「掃除機禁止」だったのよね。
ドラクエ2は難しすぎて逆に学校で友達や先輩から情報もらったりしてたので邪神の像等は無理ゲーではなかった印象です。
ドラクエ6くらい迄はドラクエのおかげで友達とより仲良くなったり友達が増えたりコミュニケーションがとれたので良い思い出。感謝です😊
当時小3でしたが、ふっかつのじゅもんが正解だっただけで一安心。
ゲームは全般難しすぎてとてもじゃ無いけど進めませんでした。
最後は近所のお兄ちゃんのふっかつのじゅもんをノートに書き写して自分とは全く違う名前の高レベル主人公で何とかクリアしましたが、それでも相当難しかったです😅
最近…
レトロフリークを
駆使して
クリアしましたよ。
道具整理が仲間同士で
持ち替える
大変さを知り
補助呪文・道具の使うの
重要性を
知りました。
道具整理は…
次回作の3作目から
自分自身に渡すを繰り返して持ち替える
DQ2の鬼畜難易度があったからこそ、その反省を踏まえてDQ3の神バランスが生まれた
と考えると、DQ2はDQ3という神ゲーを生み出すための“肥やし”だったと言うことが出来るでしょう
ドラクエ2はRPGという性質上、攻略には「技術」ではなく「情報」が大事なゲームです
当時自分の地区の小学校はどこも1学年300人以上は必ずおりましたので友人は勿論、別学年の子・親戚の子、その子の通う学校の子…等を伝ってアイテムの場所等は結構簡単に入手出来てました(ガセも多かったですが)
アクションのシにゲーに慣らされてた身の世代だと「技術」はそこまでいらんので結構楽しく出来てましたよ!
サマルは本当は終盤急成長してかなり強くなる予定だったのですが、
いかんせん調整不足で実際のクリアレベル帯では急成長する前に終わってしまう状態だったですからね
ハーゴンの城で邪神の像を使うギミックは当時の中村光一氏も言っていましたが、
この程度は特に難しいとは思っていなかったんですよね
これは開発スタッフが当時のPCゲームの難易度(今の感覚からすれば激ムズ)に慣れていたためです
実際当時のPCゲームに比べればFC版ドラクエ2は結構易しいです
ふしぎなおどりで減るMPが最大MPの4分の1ってのがえぐすぎる
当時、十字架で邪神の像はフィーリングでやった記憶があります。
普通に十字架の中心が怪しいと思ったし、あとはそこで調べて階段があるかを確認(ドラクエ1の竜王の城の玉座の裏って言う経験から)して、それがダメならもってるアイテムの中でそれらしいモノ(ルビスのいのりや邪神の像)を選んでいたので、邪神の像には必ず思い至ったはず。
炎のほこらもやっぱりフィーリングで、似たほこらがあるけど火がついてるのはあのほこらだけだったし、あやしいところを調べるのは当時は普通にやってましたよー。
ロトの印や金のカギ、それに要請の笛みたいに、調べて見つけるのは当時のドラクエの常識だった記憶がありますね。
なぜおかんはファミコンにダイレクトアタックをかますのか
掃除機アタック、飛び越えざまキック、追加効果の地響き効果、ねこパンチ
全てが即死級👼🏻
つい最近までやってました。やりごたえ充分でしたよ。レベルを上げても勝てるわけじゃないし逃げられるとも限らない。攻撃呪文も火力は弱いしなかなか効かない。頼みのはかぶさも知らない間にリセットされてるしザラキではサマルトリアが一番効きすい印象です。さすがに復活の呪文はスマホのカメラで撮影しました。この難易度こそ真のRPGでありまさに「冒険」だと思います。。楽しさを痛いくらい味わいましたね。発売当初多分小2くらいの頃はローレシアの周りをぐるぐる回っただけで挫折…それから何年かして攻略本「1黒.2水色.3赤」が発売されたと友達が教えてくれたのでその友人におこずかい渡して買ってきてもらいました。懐かし記憶が蘇ってきました!皆様も是非プレイしてみてください。
自分がプレイした時でも少し前のゲームではありましたが、FC版の鬼畜要素としては
ルーラが最後に復活の呪文を聞いたところにしか行けなかった記憶がある。なので、基本の移動は徒歩や船だった。
当時小5でした
学校ではネタバレ禁止、みんなで苦労した思い出です
はかぶさとか裏技なんて誰も知らないですし、紋章は世界中駆け巡って笛ならして虱潰しが当たり前でしたよ
限られたゲーム時間、間違える復活の呪文、累々の屍を乗り越えてクリアしました
子供すぎて疑問にも思ってなかったですけどね
年に3本くらいしかゲーム買えなかったので楽しかった思い出しか自分にはないですよ
単純に、味方のHPが低くてローレでも死にやすいというのが戦闘の難易度を上げてますよね。
でも、食うか食われるかの2のザコ戦闘は個人的にはめっちゃ好き。
当時何でか家に初代ファミコンがあって何の気なしにずっとロト3部作と4ばっかりやり混んでて、たまに伯父とあーだコーダ一番言い合ってた。ホントに2はクリアした時は嬉し泣きしたもん😅
いえいえ・・・52文字はリアルタイム世代でも楽なものではありませんでしたよ・・・。
一度メモを見た際に入力終了まで覚えていられるのはせいぜい6文字前後なので、
何回も何回もメモに目を落とす事になり、これが結構疲れるのです。
52文字でも一例としてこんな有り様なので、Ⅲでセーブファイル方式になって、
今にして思えば(ひどく消えやすかったとはいえ)大助かりでした。
Ⅲが仮にふっかつのじゅもん方式だったら、なんと988文字(Ⅱの19倍)だったとか・・・
9:47 ファミコン版ドラクエ1〜4は友達から情報を貰うことが多かったですが、2のハーゴンの神殿については何も聞くことはなかったです。
それでも十字を初めて見た瞬間にクロスしてるところで邪神の像を使うのだと閃きました。
1回すでに使ったから不要とは全く思わなかったですね。
当時、小学3年でした(笑)
マッピングなんて作業を当時小学3年生の自分が姉から方眼紙もらってやり出したのがこのゲーム
攻略本なんて買ってもらえるワケがないしその頃の小遣いでとても買えるモンじゃない
ダンジョンから世界地図(こっちはざっくりと描いた)、そして復活の呪文にヒントのメモ
ゲーム終了時には復活の呪文は必ず2,3パターン書いてました
親にゲームをやらせてもらえる時間の少なさも相俟って、ゲーム外の難易度まで非常に高かった思い出です
覚えているのは攻略本に「巨大な十字架を探せ」でしたが
プレイしていた母がラゴスをみつけられずに諦めました
取説に「人々の言葉をメモするように」と書いているので
メモを取るようなほどの大冒険を想定していたのでしょうね、
書かずに忘れる人多そうですが
なお母は金の鍵も取れずにアバカムでなんとかしていました
炎の祠はやまびこのふえ総当たりでかなり早くみつけてましたね、メトロイドでボムばらまくノリで笛吹いてました
ドラクエ2の理不尽な謎解きは、こちらが聞く前に従兄が教えてくれたので実は難しかった実感がないけれど、それでも各所が運ゲー過ぎて過酷でしたね。
ふっかつのじゅもんについては、当時は本当にそれしかなかっただけで、楽をする事を選べるのであれば当時のキッズも絶対に楽な方を選びましたとも。
当時生まれてなかったろびんさんがこうやって解説してくれてる事が、おっさんは嬉しいよ!
復活の呪文を失敗しないために、「永遠に電源を切らなかった思い出」
その影響で「みずのはごろも」が、最後までできあがらなかった。
「明日取りに来い」ってのは、復活の呪文を聞いて、再入力することだったみたいですね。
みずのはごろもが出来上がる前にクリアしてしまった。
1番は当時のプレイヤーの大半は小学生で、インターネットなどなく、「ゲームは一日一時間」が当たり前(復活の呪文の入力と紙に書くだけで20分くらいかかる)ということでしょうね。大人のプレイヤーは攻略本も買えるし、なんとかなったと思います。
父、私、弟三人誰もハーゴンの城で先に進めず、ついに父が公式ガイドを買ってきて、邪神の像を十字架で使うことを知り、ついでにいなずまの剣も取りに戻りました。
弟はその後友達情報からはかぶさの剣やちからの盾のバグも使っていたようでしたけど。
はかぶさ無しでクリアを目指したがシドーのベホマが異常すぎる凶悪さだった、何回もトライしてMPが枯渇しての繰り返しで倒した時は大声あげて喜んだな、ハーゴンもベホマを使うけど、あちらはマホトーン一発で無力化できた
当時、小学生でした。あの頃ソフトって簡単に手に入らない(買ってもらえない)という感じで、ソフトの貸し借りが当たり前でした。友達や親戚の家に遊びに行き、攻略しているのを見聞きして自分はプレイしてたのである意味難しくなかったです笑
復活の呪文は間違えた時にゲンナリするので、毎回2パターンメモってました。
復活の呪文がないドラクエ3はスゲー‼︎って思いました。時々消えるけど。SFC版ドラクエ2は凄く簡単でしたね。
もらえる経験値が少なすぎというのも大きな鬼畜要素かな。当時のゲームはレベル上げのために何時間も雑魚と戦闘するのが当たり前だったけどドラクエ2は特にそれが長かった。そのくせ頑張って全員最高レベルに上げても雑魚相手に度々全滅するという…
中学生だった当時、ハーゴンの城で邪神の像を使うのは、学校で同級生から聞きました。
攻略本の存在も知らなかったので、仕入れた情報もどこからの情報かわからないです。
昔は「口裂け女」の噂のように都会から田舎へ情報が広まって行ったので、ドラクエ情報も徐々に広がったのだと思います。
FC版でマンドリルに勝てなくてやめました。SFC版で慎重にレベル上げてマンドリルのグループを駆逐できた時は感動した。何にしろMPが枯渇しがちだから力の盾など呪文効果のあるアイテムがないととても厳しい。
FC版当時、ハーゴン城のじゃしんのぞう使う所は攻略本にも乗って無かったと思います。
うろ覚えですが。
自分はそこで詰みました。
今頃鬼畜とか言われても当時はそれが当たり前で自分が弱いからレベル上げするってのが染み付いてるから逆に最近のドラクエは直ぐにレベル上がるし謎も簡単で楽すぎる
もょもとがみんなに覚えられるとかすごいよね
ゆうてい、みやおう、きむこう(以下略)でしたっけ笑
懐かしいですね。
ある意味では強くてニューゲームの走りだったのかも知れません笑
ちなみにゆう帝は堀井さんだったらしいので堀井さんが2回入ってるそうです
あいつブロリ―だろ
復活の呪文は、ハ行の濁点、半濁点の判別が激ムズ。
ネットがない時代のゲーム攻略、今の子達には理解出来ないだろうな。攻略本を親に買ってもらえなければ、ひたすら迷って、その間にレベルが上がる、今と比べてストーリーが少なくてもそのせいで普通に時間がかかる。
まぁ時代の違いだな。
我が家のドラクエの歴史は2からです。兄が遊んで、私もいじらせてもらうって感じで。当時小学生だったので記憶も定かではないですが、ドラクエは攻略本ありきだったと思います。兄が攻略本にメモを書き入れていてました。
はかぶさの剣は知らなかったので使ってはいません。レベルをあげてやったのかと。兄はクリアをし、私は途中で断念しています。ただ、マンドリルのくだりは兄妹共々ボロボロにされたので、よく覚えています。
復活の呪文は間違えた時はショックは大きかったですが、1つ前のデータから始めればいいだけの話なので言うほど困った記憶はないです。
まぁ でも当時の他のファミコン(ゲーセンも)のゲームってもっと理不尽なゲーム(基本クリアさせる気ない)ばっかりだったから歴代ドラクエの中では1番鬼畜かもだけど それらに比べるとまだちゃんとクリアできるようになってる分当時そこまで 難しいなぁ😓 とかは思ってなかったかも😅
容量の制限で情報が足りないのも要因ですよね・・・
ラゴスの捜索、邪心の像、ルプガナまでの道のり(オアシスっぽいとこに町ができる予定だったらしい)
逆に制限が多い中でこれだけのもの作れるのもすごかったんですがw
ラゴスは「1をやったことがある人は分かるはず」みたいな文言をみかけた記憶ありますが
やってなかったですね…おかげで詰みました
1をやっていてもラゴスは難しい、ここは友達に悔しかったが教えてもらった
当時はFFもそうだったが高い難易度こそ至高という風潮だった。
でも歯ごたえと理不尽の区別がつかないのも多々あった訳で…
当時リアタイ世代です。
ドラクエ2だけではないですが、他のゲームも難易度は高めでしたねー笑
ひたすらトライアンドエラーのみでいろいろやってました。
ダンジョンは、逃げミスしたら半壊してしまうので、殴りあってました。
復活の呪文を暗記したのはいい思い出です笑笑
このゲームの復活の呪文で文字を正確に書き写し更に何度も確認する事の大切さを教わった気がします。
邪神の像を使う場面は、当時のゲームでは「あやしい場所では総当たりで何かを試す」がデフォだったのでわりと簡単に自力で突破しましたね。
当時のゲーム好き小学生としては、「ノーヒントじゃないよ、床が十字になってるじゃん」という感じですかね。
当時はクリアできないゲームもたくさんあった中で、ドラクエは時間をかければちゃんとクリアできるゲームだったので最後まで楽しめるソフトとして個人的に高評価でしたね。
不思議な踊り連発ですぐにMP枯渇とか、先制ドラゴン連続炎とか確かに鬼畜だったけど、
レベルを上げれば目に見えて戦闘が楽になるのはよく出来てたと思う。
今、のんびりレベル上げしながらやるのは歯ごたえあってやっぱり楽しい。
発売当初ファミコンなかった家だったので友達の家でプレイしてるのを見るのが楽しみでした。
ふっかつのじゅもんの対策でカセットテープで音読録音してたのでミスは少なかった気がします
当時の謎解きは基本的に総当たりなので、ろびんさんが思っている以上に謎を解ける人は多かったと思います。
昔のゲームは十字架の床があれば、中心でアイテムを総当たりで使うのは、かなりのあるあるです。
シドーの手がムーンのMPを隠しているという地味な嫌がらせもあるな
リメイク版ではこれを踏襲し、各パラメータを見えなくするガスとかやってきたら面白いな
リアルタイム勢の感覚として「DQ2マジで大人気でクラスの友達のほとんどがやってたので、そこでの情報交換」「ファミコン雑誌がこぞって特集を組んでおり、さすがにまんまの答えには緘口令が敷かれたものの、今でいうゲーム中でモブが教えてくれるヒントぐらいのことは載ってた」あたりで、攻略情報は補ってたかなあ?と
邪神の像をハーゴン城で使うのは集英社の攻略本の袋とじの直前当たりのページに書かれていたような…。
当時は口コミと攻略本が前提の時代でしたから。
ネットなんてない時代だったから、攻略本の貸し借りや口コミで攻略していた記憶があります。
ゲーム単品でクリアを目指すという雰囲気ではなく、ゲームを通じた社会的なコミュニケーションで攻略していたように思います。
20年ほど前にあったドラゴンクエスト大辞典のEXコーナーに「FC版の2は何故あんなに難易度が高いのか?」という項目があり、そこに多くのコメントが載ってたな。サマルがひ弱すぎるから、最大の敵「呪文が違います」があるから、SFC版ははっきりいって温いです!とか色々あって楽しかった。
当時、ノーヒント過ぎて、町を1マスずつ調べまくり、ダンジョンのマッピングは当然で
かつ、ダンジョンの全ての壁を調べては叩くという、まさに地道な作業の連続
その為、十字架は怪しいとすぐ睨み、しかし、何を使えばいいのか分からず
全ての道具を使うという荒業を試しました。
ドラクエ2は忍耐力を鍛えるゲームでしたね。
2は大灯台もまあまあやってるんよなぁ
未だにプレイするたび何回か登りなおすことになってる
・まあまあ移動がめんどくさい位置
・ルプガナ過ぎた当たりで、敵の強さがワンランク上がるポイント(FC版だと呪文が通らないゴーゴンヘッドの遅延行為、ドラゴンフライに燃やされる)
・そこまでのダンジョンと比べ長い、だまし階段・通路多い
父がふっかつのじゅもんを書いた紙を紛失してよく呻いてたとか話聞かせてくれた。弟に紙を捨てられてガチ喧嘩したとか笑笑
そんなに怒ることなんだーって思ってたけど、こんなき鬼畜だったらそりゃ怒るね笑笑
ドラゴンクエストは週刊少年ジャンプに毎週特集で攻略情報を掲載されていたので、それが重要だった気がします。ロンダルキアの洞窟は何度も落ちるところが大変というより「抜けた後の祠まで死なないでいけるのか?」が勝負でした。ロトの剣を拾うためには落とし穴に落ちる必要もありましたしね。あまりにも難しすぎて、はかいはやぶさ(バグ:最後の城に行き、破壊の剣を装備して邪神の像使い幻想が解けたら隼の剣を装備すると破壊の剣の攻撃力で2回攻撃できる)を使ってシドーは倒しました。
ゲーム内の問題はそこだけでなく「復活の呪文を間違えずに記載できているのか」
が一番のトラップかもしれないですね。
復活の呪文を間違えた時は呆然としながら
「Love Song探して」が流れ続けてたわw
オーマイロンリボーイ♪
自分は落とし穴の方が苦手かな。次の無限ループはメモして2分の1の確率で試行回数減らせるし。
復活の呪文はデータ消える3456よりましだと思う。
シドー戦は、ローレ→攻撃、サマル→スクルト、ムーン→ルカナンを基本として、途中回復をはさみながら、やっと撃破した覚えがあります。
邪神の像の使い所とか、紋章のありかとかは、確か当時のジャンプでドラクエ特集が毎号載っていたので、そこから情報収集した覚えがあります😅にしても、敵が強すぎたから、何をすれば、ダメージを多く与えられるか、MPの消費量を計算しながら、ロンダルキアはギリギリで攻略した覚えがありますね😅昔の自分に、「よくやった!」と褒めてあげたいですね😅