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めちゃくちゃ要約すると、、、元々は保存されるべき価値のあるものがアートであったが、現代では作品にアートというラベルを貼ることで価値のあるものに昇華している。つまり、「これはアートだから価値があるんだ」と言えるものが現代アートである。ということですね。
「保存されるべき価値があるからアート」→「アートは保存されるべき価値のある物」になっちゃってるんだよね
芸人の宮迫の焼肉屋「牛ぐう城」の個室の壁にお高い「アート」が飾ってあったけど、正直、あの絵がいいとは全く思えなかった。宮迫いわく「これから値段が上がる日本人の若手作家の絵」らしいけど、宮迫ですらお値段以上には絵の価値がわかってなさそうだった…。そんな感じで画廊が売り出したい推し作家の絵にお値段つけて、それを宮迫とかIT社長が半分投機目的で買ったり売ったりして自動的にさらにお値段が吊り上って行くのが「現代のアート」。ルーブルがダヴィンチの絵と認めなった絵を、アメリカ人がダヴィンチの絵と主張して、ハリウッドスターのディカプリオをプロモーションに使ったりしてとんでもないお値段がついたりする事件もありましたね…。
違います岡田さんの言説のまとめとしてはいいのかもしれないけど、当たってはいないです
この人にしか描けないっていうアートの価値はまだ残っている気がする
@@中尾孝雄-p1v アートの価値は現代アートも含めいささかも失われていませんよこの動画の内容みたいにアートとプロのアートビジネスと言う本質的に別個の領域に属する概念を混同して捉えたりしない限りは何の疑問も必要ないです
草間彌生は「私は思想を商売にしてる。私が水玉を描きましたと言っても誰も見てくれない。でも水玉は平和の象徴ですと言うと興味を持ってもらえる」と言ってた
😮
抽象的に可視化された思想、か…
@@Astro-Goat666 考えは両方とも可視化(水玉という象徴的な)されたものだが、『思想』というと嫌悪され、『平和』というと好まれるのは日本人が第二次世界大戦で敗北した経験から無意識に導いてしまう「想い」なのではあるまいか。
もともとは幼少期の心の病から逃げるために無心で描いてただけなのにね。
「アートは難しくない、感じるままに見ればいい」とよく言われるけど、実際には歴史とか経緯をよく知らないと当時のアーティストが何を考えていたのかよくわからない感性や自由さが尊ばれている割には、権威的で商業的な要素が強いのが矛盾を感じてしまう
流れを知らないとその当時と近い体験ができないから、ある程度は仕方ないんじゃないかな。でも、そういう背景が忘れ去られた時代でも評価されるものが本当に価値あるものなのかなとも思う。
別によくわからなくていいだけではそれだけじゃ物足りない、歴史と経緯をよく知りたいと思うなら調べたらいい「よくわからない」ことにコンプレックスを持ちすぎじゃないですか?
@@リザード-m2d 一目で感動出来ないものが評価されてるのが気持ち悪いってことなんじゃないか?コンプというより価値観の違いに由来するただの嫌悪感だと思うぞ。
当時の欧米人の価値観で評価された作品はやっぱり素晴らしい作品であることは間違いないけど、逆に当時全く評価されなかったタダ同然の作品も100年後とかにいきなり評価されてもの凄いお値段がついたりするし、一回お値段が付いちゃったら、もう投資家が買うような商業的なマネーゲームの商品になるよね。岡本太郎が、絵を描くのは人間の本能だし、この世界では誰にも評価されない無数の絵が日々描かれては消えて行くけど、その中には職業芸術家の描いた天文学的なお値段の絵よりも素晴らしい絵なんていくらでもある、みたいなことを言ってたな。かくいう自分も芸術が好きでよく美術館とか行ってたけど、個人的にはそんな芸術家よりも素晴らしい絵を描く漫画家さんやアニメーターが何人もいる。漫画家さんの描いた絵は芸術家の描いた絵みたいな値段はなかなか付かないけど。
クラシックなアートは歴史経緯知ってるといいと思うけど、現代アートは大体の人は過去の系譜とかを気にせずその場で感じるままに見ればいいから楽だなと思う。(現代アート=ハイソ→森美術館は現代アート展示が多いってことだろうな)ターナーの絵でさえ当時の歴史背景を知るから立体的に見えてくるものがあるわけで、昔の絵は前提知識がある方がもちろんいい。しかし東京の美術館クラスなら音声案内がめちゃくちゃ練られてるから新しく知って「へー」と面白がるだけで時間と二三千円の価値はあると思うけどね。興味が出たらもっと調べてもいいし、よかったなーと思うだけでもいい。
適当にメガネ置いたらそれを見るための行列出来たっていう写真まじで好き
アレ見たらバカだよなぁって思うよね。
あれはきちんとアートになっていたってだけだと思うけどなああれみて馬鹿だっていう人にとっての”現代アート”ってじゃあなんなのっていう
@@ch-nh5hz あれでアートになったんなら俺が美術館の中でセクシーポーズして突っ立ってるだけで芸術になるけど、お前の感性それでいいの?
@@freedom-vz1ec それはそれで十分にアート笑
@@freedom-vz1ec でも美術館の中でセクシーポーズとる発想と根性を兼ね備えたやつはなかなかいないし、実際その状況でやったらなんだかんだアート!
アートという名前にもたれかかりきってる作品や人は嫌いだけど、人がもがいて必死に見つけた答えをどうしたら伝えられるだろうとまた考えて形にする工程が好きなので現代アートも好きですね
わかる
工業製品も現代アートに含めてほしいな、しかし現代アートに対しての嫌悪感よくわからんな〜
@@あお-y5m3n 工業製品はデュシャンの時点でアートとしてかなり昔から鑑賞の場にありますが、まあ工業製品の機能美というよりかは既製品であることに価値を見出しているので、ジェフ・クーンズなんかは掃除機の機能美に着目した作品があるので既に含まれていますね。
ボンドを使って作品を量産するやつは嫌いです。
写真がでてきて、以前の芸術の基準が覆って以降は、リアルに描く事から、ひたすら「表現」に寄っていった経緯があるので、現代アートは変に難しく考えないように鑑賞するようにしてます。
ロマン主義からその傾向はあったが、ニセフォルが写真を発明したことによって印象主義が出現し、マティスやピカソのようなフォービズムやキュビズムといった若干難解な絵が評価され、クレーやモンドリアンのような極端な抽象画が登場した。しかしこれらは現代アートとは全く異なり、評価される所以は分かる。しかし反芸術主義やネオダダまで行くと、これまでの芸術を否定するようなコンセプチュアルなアートばかりが評価されるようになり、本来の美の良さみたいなものから離れていったような気がする。
@@haguregumo4 まあもっと分かりやすい説明の仕方をすると、金持ちの似顔絵や教会の教えを発注されて書いていたアルチザン(職工)としての「実用性」が、「写真の方が手早く完璧だしいいや」という流れで「無用性」に変わった瞬間にパトロンもいなくなり、アルチザンから「アート」というに新しい看板を出し、○○派、○○主義、と喧伝することで、金持ちが持つべき高尚で希少なステータス、投資対象にもなりますよという理論武装をやらないともはや食えなくなった。それが村上隆が説明してることだし、まあ事実と思う。その理論武装はある意味では宗教と同じなので、中にいる信者にとってそれ全部教祖が言い出したデタラメじゃん。と言われると、かわいそうだがものすごく苦しむんだよな。
全く絵について分からない自分からすると現代アートは「上手い、素晴らしいから価値がある」じゃなくて「この人が描いてる、作ってるんだから多分価値があるんだろう」って評価されてる感じがして好きではない 結局ネームバリューやんけと思ってしまう
たぶん、ほとんどの人はそんな思考でアートを選んでいない。昔は偉い人が「この絵は凄い」と言えばみんなありがたがったが、今はそんな時代じゃない。「この人が描いている、だからわたしにとって価値がある。」これが現代の考え方。アートも個人主義の時代だよ。
バンクシーとかもそうだよなぁ。
@@yousuki-Channel は?ダイヤは無駄に高等してるのは事実だけど工業的には価値あるが?
価値があるんだろうっていう客観的な評価が多いのは事実だけど、単純にこの人が好きだという主観で見るのも良いよ。例えば、キースヘリングとかバスキアなんかは、思想とかその絵に至るまでの人生を知ると、この絵は良いなと感じるとかはある。
@@yousuki-Channel 無駄に高いかどうかは分からんのちゃう?石だって有限なんだしそれを客のニーズに合わせて加工やらしてるんだから妥当かもしれんくね?ダイヤって名前で判断する人もいるかもしれんから一概には言えんかもしれんけど、でも緑茶の人はダイヤが好き?で値段が妥当だと思ってたんちゃう?まあとんでもねえ喧嘩腰なのでちょっと腹立つがちょっと引っかかったので、長文すまそ
美術系の予備校に行っていた時に見せられた現代アートの良さが全く分からず、何を作り出せば皆んなに良いと言われるのかを見失ってしまったのを思い出した。結局のところ、現代アートはこれはこういう風なコンセプトがあり、こういう理由があるから良いんですという説明がつくもの、って事なんですね。心に響くかどうかは関係なかったんだ。なんか納得と同時に脱力するわ。
現代美術は目に見えない凄さを探す感じですね〜
本当にいい作品は説明など無くても心に響くものだと思うんですけどね。
表現したいことが絵を見ることでは伝わらない独り善がりの絵っていうのは本末転倒に感じてしまう
それは私も思ってました。結局のところ、何かを説明したい・されたい人達が評価を下しているからどんな駄作であっても、コンセプトと作成経緯をでっちあげるだけで評価するんですよ。(流木を適当に削って張り付けただけのやつで、作ってるときには何も考えてない)作家が何か作ったほうが評価されるんじゃね?と思って中退しかけた。現代アートの中でも、実物を見るとゾクッとくるものはまれにみることがあるけど、こういった作品より、都合よく説明された作品のほうが評価されてるのを見ると心が痛い。
@@takashisaito1668 丁寧にありがとう。予備校の事はもう20年近く前の事なんだよ。美大行ったけど仕事にはしなかったしね。ずっと現代アートが分からないのは続いてて、横浜トリエンナーレとか見に行ってもピンと来ず、自分の感覚が美術に向いてなかったんだろうと思ってたんだけど、岡田さんの言葉で腑に落ちた感じ。在学中に聞けてたら現代アートについて自分の感性と分けて考えられたのになって思うと悔しいね。
現代アートをみた後、シコティッシュ丸めて無造作に置いた物でも「日常」って言えば作品になるのかなと思ってる。
天才
マルセル・デュシャンが似たようなことしてるから(白目)
@@-aisa-9935 あれとは重みが違うw
@@sam-il5pr 同じだよ 権威がある場で最初にやっただけで
@@atherishispida3223 現代アートとしては同じだろうけど作品の質としては「日常」(笑)の方が優れてると思うんだよなー。まず「泉」ってデュシャンのパトロンが題名をつけたやつでしかも同じ造形のものが世界にいくつか存在する。まあ言っちゃえば盗作なんだよな。衝撃は与えたかもしれないけどそれってほんとにいいものということにはならないと思う。個人的にはね。対して「日常」はレディメイドでありながらハンディメイドでもある、つまり有象無象なものなのに世界にひとつの造形でもあるという点。また説明されずとも何となく意味が想像出来ると言う点でも優れていると思う。なんで俺こんなこと書いてんの?まじで。
めっちゃ分かる。一応東京ではない大阪の芸大出た人間で、当時はよく現代アートなんかも鑑賞によく行ったけど「だから何」が常に付きまとって、一生懸命説明してもらってもすんなり受け入れられなかったんだよな。どういうわけか理屈っぽいのが多かったんだよな。一方で、ぱっと見でなるほどスゲーって思うのもあって、それはそれで説明なぞいらないので純粋に驚き楽しむことが出来た。そういう芸大を出た後の話。庭がスバラシイと聞いていった足立美術館で横山大観みたら、めっちゃわかると思って驚いた。その足でまだ行ってなかった大原美術館に行ったら、やたらと現代アートなのばかりがあってどうにも居心地が悪かったという思い出がある。わかんなかったんだ。倉敷の美観地区は納得できたが美術館の展示作には納得がいかなかった。アートは堕ちたというのは事実だけど、別にそれを悪いことだと思う必要もなくて、いいものが気軽に手に入るといういい時代になったと思えばいいだけ。だから、軽蔑してるというとしおの態度は至極真っ当だと思う。昔の価値観を引きずりすぎているし、今には今の価値観があるわけで、作品自体もそうだけど作品を道具にしちゃってるということもそう。まあそれいうと、ゴッホのひまわりのあれなんか野暮の極みなんだけどね。資産としてすら扱えてないわけだし。
岡田は藝大生でも無きゃ芸術分野の専門家でもないで単にオタク趣味の延長でイラスト描いてる(デッサンもぶっちゃけそんなにやし)神格化するほど一般人と違った感性はしてない
父親と母親が絵描きをしておりました。現代アートです(笑)子供ながらに画商さんがうちの親に言ってた事を覚えてるんですが、今考えたら偽札作りに似ているなと思います。「だれも見た事のないような物をたくさん作れ」とか、「作ったものは個人的に売るな全部ある機関が吸い上げて世に出します」とか、そのためには「絵描きが名刺持ったら二流」とか、「連絡先すらわからないようにペンネームのみを名乗れ」とか、「価値があるかどうかは我々が決め、受賞させる。そうして価値が決まったものは全国の美術館に少なくとも1点ずつ置かれるわけだから価値は高まる。」とか「もしその価値が落ちてきたら全国の美術館どうして売り合いをして価値を高めてやる」とか。これ、貨幣価値の操作と何が違うんだろうって(笑)なんか岡田さんのお話を聞けて胸がスッとしました。話してくださる岡田さんと切り抜いてくださった方に感謝します。
「偽札」というよりまさに「貨幣」そのものに近いのでは?みんながその価値があると思うから貨幣は貨幣たるんですもんね。最近だとNFTとかいう新技術の登場で投資対象としてのアートへの熱狂がますます高まっていますし、ますますそちらの方向性へアートというものが転げ落ちていっているようにも思います。
それは、本来のアートを資本主義がねじ曲げ、歪めている現場を目撃したのだと思います。
酷い話やわ。ユダ◯も芸術をお金のために利用するイメージだけど、違うかな?
作品を使ったマネーゲームは純粋な創作活動ではないことがよく分かる。
アート流通センター㈱ (笑)
芸術は自己表現。作る方も所有する方も。自己表現は人の自然な欲求の一つ。作品に共感すれば、十分価値があるものだと思う。
@インキャの星-綺麗だね- そうか、それそのものに興味がない人が自己誇張などのために価値あると振る舞うのが醜いってことか。
今だにピカソだのミロだのの破滅的な絵の何がいいのかわからない。あれらがなん十億、何百億で取引されるのも不思議だ。
@@ろう-j1h まあでも「その時代に」あれをかけた人が少ないってところで価値があるんじゃない?
@@ろう-j1h時代だろうね
私が美大に通っていてどうしても腑に落ちなくてグルグル迷走してたことをズバリ言葉にしてくださった…美大の人間は自分がやってる事を尊いと信じてるのか、周りの人間の目を気にしていたのか、ここまでハッキリ説明してくれる人はだれもいなかった。すっきり!
僕は建築出身でアニメなどはあまり詳しくないのですが、ルイスカーンという建築家を敬愛しています。彼の言葉に Architecture does not exist(汝の建築は天国にあり)という言葉があります。直訳すれば、「建築は存在しない」という意味です。つまり「建築」とは作品や成果物を指すのではなく、建築というスピリットと向き合い、跪き、まだ見ぬ光に向かって手を動かしている時間のことを指すのであると…そして建築のスピリットに真に奉仕する召使達、それを「建築家」と呼ぶのであると…。それを踏まえての個人的な考えですが、岡田さんの仰るように、現代アートは作品が過大評価されすぎていると思うし、自分の手掛けた何十枚もの絵コンテを「駄目だ!!」と破り捨てられる宮崎駿は真の芸術家だなと、改めてそう思いました。自分も芸術に奉仕できる人間になりたい。
なるほど深いなぁ。そのことについては建築においてだけではなく全てのことに言えますね。
それを天国と翻訳するのマセすぎ。
何十枚もの絵コンテを駄目だ!と破り捨てられるところに評価を置いてる時点で、過程をありがたがってる人と同じ穴のムジナなんだよな。その過大評価された現代アートとやらも、何十枚も破り捨てながら表現した一枚かもしれないのにね
岡田さんが言うことに7割以上同意する。現代アートってよく分からないな、って思ってたから、解き明かしてくれたのは嬉しい。大昔の「芸術品」の売買は、来歴とかがたくさんあって、小難しいウンチクが価値を高める。サブカル的な要素が満載な方がウケル、ってわけだと思う。でもサブカルって言わないのは、もともとがお貴族様とか金持ちが大金はたいて売買してたから。高尚だと思わせたいんだ。現代アートには古めかしい高尚な来歴はない。だから(高尚に見える)哲学的なメッセージを伝えるために作った、って言うんだろう。作った本人はそんなメッセージをちっとも考えずに作ったとしても、売り出す時には画商とかプロデューサー的な人がメッセージを付けて売る。(東京の芸大とかに行くような人だと頭がいいから?セルフプロデュースできる力がハンパなくて、学生の時から自力で売る)あと、ただ美しい! ただスゴい!っていう、作品の力だけで見る人をねじ伏せる物は大量には作れないから、メッセージで上げ底する意味もありそう。コピーが簡単にできる時代だから、スゴい感動を与える作品は、ちゃんと厳密に管理しないとすぐにコピーされて陳腐になるし。安値で取り引きしていいならバズらせる手法もありなのかもしれないけど。高尚な芸術、一点物とかをウリにするなら、コピーは怖い。そういう諸々が、現代アートなんだろうなぁ。って、この動画見ながら考えた。ちな、2001年以降の芸術を否定するのは意味不。ワイは2000年以前も2001年以降もある分野で小さい賞をいくつかもらってるけど、それぞれの賞で、自分が良いと思った風に作っただけの物を評価された。ワイの場合それは変わってないよ。ワイの作品は昔からメッセージがあるといえばある?かな?、って感じの作風だけど。まあ、自分の作品見て「こんなメッセージ付けたら面白いかも?」って付けたらいきなり作品が注目されて売れたこともあったから、現代アートってなんだかなー😅と感じる部分はある。
「現代アート:説明可能なもの」。一方、ルノアールは言ったそうです。「美的なものは注釈を要さない」「理論はいい絵を作らない」。自分はルノアールが正しいように思います。
生まれた時から美術館とかがあって、美術っていう授業があるから、俺らは何も考えずにアートとはこういうもんやって固定概念を持ってるけど、本質を見るともっと曖昧なものなんよね。
僕からしたら全くの逆に思えてしまいます。美術館や美術の授業、現代で呼ばれるアートというものには必ず投資対象という付加価値が存在し、彼ら投資家が評価したものはなんであれアートとなってしまうのです。現代社会ではアートの価値は金額の値打ちで表されます。僕からしたらアートには1も10もなく、元来アートとは美しいか否かで決まるもっとシンプルな概念だったと思います。だから僕たちは身辺にある蛇口の曲線にすら美を見出せないのではないかなと思いました。
んー、なんか噛み合ってない気がする。
固定概念ではなく、固定観念では?
誰だったか忘れたけどアートとは何ですかって聞かれて「価値観の無法地帯」っていう答えたのがあったな
もしアートの定義が『自分が見て美しいって思った物』だとしたら僕の中では現代アートはその定義に当てはまらない。が『自分が見て面白い!!!!って思った物』がアートの定義なら僕はそれが当てはまる。結局は個人に委ねるしかないんじゃないかなぁ…
サイコパスおじさんこの人にハートつけて…
俺もアートに限らず今まで色んなものに感じていた気持ち悪さを「尊敬すべきでないものを無意味に尊敬する」と表現してくれた彼の言葉の芸術性は尊敬する
2:25「引越センターはアートではない」で笑った
この方、なんでこんな難しい事をノーカットでノンストップで話せるの…。めっちゃ頷けるのに、私が自分の言葉でこれを誰かに説明するともう壊滅的だと思う。本当に頭いいんだなぁ。すてき。
各段頭がいいわけじゃない。僕らだって何となくおぼろげに、無意識の中で思ってたことを、一番しっくりくる表現力に長けてるってこと。それは「頭がいい」よりも場数や実践的勉強によって身に着けたもの。多分、「言葉」の修羅場にたくさん立っているから。
頭の良さはあんまり関係ないと思うよ。スラスラ話せる最大要因は、この人はこのテーマについて昔から興味があって思考を重ねてきているから。きっとこの話は過去にも何度もしてきていると思う。あと、この人の場合、興味の対象が幅広いうえに、深く掘り下げたくなる知的好奇心、好奇心を支える強いエモーショナルと感受性、且つ、論理的思考力を兼ね備えているので、多くの人を魅了する話し方になるのだと思うよ。なんにせよ人は、テーマは何であれ、自分にとって興味深く興奮できるものであれば、熱量を込めてノンストップで話せるし、その限りでは他人を魅了できるもんだよ。って、ただの返信に熱く語ってる自分に若干寒気が。
@@yukim4617 私も同じ気持ちです。こちらも熱量を押さえられなく、悪いアドレナリンでなく、ドーパミンでなく、とても良い物質が脳に心地よい刺激と安らぎを両方くるんですよね、謎。なずけてオカトキシン、オーカミンですね。
お前らみたいな、誰にでもできることに無駄に価値を見出して勝手に崇めたがる人間が岡田斗司夫は一番嫌いなんだろうな
@@いうえお-b3l 多分それをわざわざ言ってる君を1番無意味なことしてるって言うだろうな
適当に線何本か描いただけの絵が数百万の価値が付いてシンプルに実写みたいにめちゃくちゃ描くのが上手い人の絵が数万もしないくらいの値段で売られてるの訳わかんない。
線何本かで描いただけの絵が何を表してるのか、その作品の意図を知ったら現代アートが少しはわかるようになる気がする。制作者が表現するための要素に色彩とかリアルさではなく線を選んだってことだから。まあ結局表現についての知識とか絵画の歴史を把握してないと現代アートって俺ら一般人にはなかなか分からんもんよね
適当に線描いただけかもしれんけどね そんなんで簡単に金稼げたらいいよな
でも真面目にどう線を書くか、凄く考えたりしてそうだし、その人なりに応えを出して描いてそう。去年亡くなった100才超えのお婆ちゃんとか好きだけど。それってまるで幼児の落書きの、当人は凄く考えてて「これは誰々で、こっちは何してるとこ!」って言われても、画用紙の絵は◎とか△にしか見えないし説明抜きには、理解できないのに似てるかもw
芸術の価値って、写真ができる前の「上手に描くこと」とかの他に「誰にも描けない物を描く」って事だろうし。誰にでも模写はできても「後世に残る美しい或は価値ある作品を作れるか?」は別です。かといって残っていても「ナニコレ?」みたいなのもあるし。基本的に「価値の付け方がわかんない」という点では同意できるかも。誰か「価値をつけたい人がいて、それに反対できない」んだと思う。でも教授とか研究者と同じじゃないのかな? 他の人と違う新しい発見や研究成果を残すことに意味があるじゃないですか。例え似たような絵柄でも、内容が優れているから好かれる漫画みたいに。似たようなことができる人が他にいても「その人独自の物がある」ことに価値があるのかなー?建前的には。御建前的には😶🌫多分きっと名や絵を残した人って、ある意味で上流国民に近い存在だと思う。生前酷い暮らしをしてても。だってピラミッドとか日光への観光って、要は墓参りじゃないですか。死後に名を遺すことに拘ってる人達がいて、見事にそれに乗せられて定番の旅行スポットがあるんだし。芸術・アートの価値を決めるのが今も昔も権力者なら現在、芸術として価値があるとされているものは全て組織的な繋がりがある、と見て良いのでは無いかなー?というのが私の個人的な感想?です。
@@ぺこぽん-h5f 幼児絵画コンクールじゃあかんのか?
美術と芸術で分けるべきなんだと自分は思ってる。美しさをただ作りたい、商業評価される美は美術美以外のメッセージ性やテーマがあるのが芸術みたいな感じに思う。
文学作品とかもそうなんだけど芸術作品全般は時の洗礼を受けないと本物かどうか分かりにくいからね。100年後の人間にも同じような感動を与えられる作品なら本物です。
同感時間に耐えられるのが名作であり古典。時間軸がずれると途端に価値が失われるのがゴミアート
バンクシーなんかまさに現在アートのど真ん中な感じがしますね私が壁に絵を描いたらそれがかなり「芸術的」であっても警察に捕まって終わりです
なにをもって「芸術的」であるとするかは大きな問題だと思います。あなたがその「芸術的」を生み出せるのかもわかりません。
芸術的って言葉は人気の作品って転換して読んでる。そういう翻訳をするとすんなり理解できるよ。
私なりの要約「アートって冠を付けて価値があるものにしてる」というより、例えば美少女アニメにも価値があるのに、アートっていうことでそれよりも優越している風なのが嫌だと岡田さんは言いたいんじゃないかな。つまり、現代アートが持つものは、「私達の身の回りに溢れているアートと呼ばれはしないもの」が持つものとなんら変わらない。
そうそうそういう感じ、全部資本主義社会における「コンテンツ」だろ!って意見だと思うし、そういう境が曖昧な現代でも「アート」というブランドを作ろうとしてるのは拝金主義者だろっちゅう話だと思うわ。
グローバル化の世界が手に入れた生命の進化の仕組み?は、日常生活では、不要なもの。アートは、流動性が高く、捉えた時には、新しい形になっている?
この話はほんと聞く価値があったわ。表現とは別の所にアートというラベルというかマーケットがある。大衆が支持する表現であることとアートであるというのはまた別の力学が働いている。
この方が言っている事に全部同意はしかねる…確かに名前や経歴で評価されているものもあると思う。でも現代アート全てに価値がないとは思えない。今まで自分が見てきた作品の中で「面白い」とか「共感できる」とかそう言う気持ちも幻だったと言うのだろうか……?なんとなくこの方はアートに美しい以外の気持ちを抱いたことがないのではと感じる。私は美しいものだけがアートであるとは思えない。それに売れる絵=いい絵とも限らないから、世間の評価に惑わされず自分の価値観で楽しむべきだ。ただ、これらの価値観を養うのは現代ではとても難しい事だと思う。だからアートが時代に合っていないように思う。
言いたいことは分からなくはないけど、要するに現代アートって個人個人の価値観に依存するから絶対的な優劣の評価ができないんだよねその結果、一方で投機対象のアートとしての側面では、作品の価値が作家の知名度とかインパクトとか時代性みたいなものに構造的に依存することになる投機対象としての影の側面を一旦切り分ければ、現代アートの鑑賞もなかなか楽しいとは思うけどね
現代アートの姿勢ってこれはアートであるって前提を与えられた上で見させられるところがあるからなぁ金持ちやら高名な批評家やらに認められたものにはそもそも疑問を投げることがあまり許されていないって感じ
この話を聞くと、現代アートって、凄くいい額縁に入ったただの絵って感じがする。
漫画こそ総合芸術であるからアートの中でも高度な表現であると認識されたければならないけど映画に影響された漫画は沢山あり、映画は配色、衣装、構図、など現代アートに影響されている作品は数多くあるのだから、発想のヒントに現代アートが除外されてはいない。
大衆受けしてお金儲けできないとアーティストは食っていけない。だからアーティストや芸術家はスポンサーや企業や一般市民が理解しやすいものしか作れなくなるのよ圧倒的に売れて固定ファンが生まれた時に初めて独創的なものを作れるんだろうだからアートってなんやねん!って思ってる俺は、誰の評価を求めず、ありのままに表現を続けた者にも価値があると思ってる。もちろん興行的な作品もアートである。週1回の趣味でも、立派なアートだと思ってるまぁこれは既に岡本太郎が戦前から何十年間も力説してることだけど笑
コメント欄含めホント勉強になるし面白いでも結局難しい事はよく分からないので「現代アートだから」と一括りにせず自分が感動出来るものをすこる!
それがすごく大事だと思います。
私もすこりたいと思います。
貧困と貧乏の話の時の「感動」の解釈とか、高級機械式時計とブランドバッグの価値の話とか踏まえるとこのアートを疑うスタンスが理解しやすいし納得しやすい。
芸術を有り難がるのは西洋コンプレックスとかと似たようなものってことか長年持っていた違和感を言語化してくれてありがたいわ
むしろ逆で、そうやって無駄に強がって排他的な思考になるのがコンプレックスそのものコンプレックスが強いからこそそれを排除して日本的なことを誇りにすることが自信の証だと勘違いして自己正当化して満足するその村社会思考を憂いた方がいい
@@左右-f5s いやいや、日本人が言うアート(芸術)って、欧米列強に並ぶためには彼らのような文化が必要だからってんで、明治期に完全に西洋から輸入したもの(概念)だよ。そもそも、それ以前の日本には「芸術」なんて言葉も概念も存在しなかった。文科省が「美術取調べ係」なんてものをつくり、そこでアート認定調査をやったり、東京芸大の前身の学校をつくったりね。そこで明治以前の日本人が描いてきた浮世絵なんかはあんまり価値のない「芸術」ではない「技芸品」として軽く見積もられて二束三文で外国へ売っぱらったりしてる。逆に日本人よりもフランス人のほうが「浮世絵は芸術だ!なんと素晴らしいんだ!」なんて言って、「芸術大国のおフランス人がお褒めるになってくださってる!我々の浮世絵は素晴らしい!」なんて後年、逆輸入で浮世絵が日本で「芸術」として評価されたりね…。芸術なんて概念が入ってくる前から浮世絵は素晴らしいし、日本人は欧米の価値観に降りまわされ過ぎだし、日本人は欧米のブランド大好きだし、結局は欧米コンプレックスなんだよ。岡本太郎も言ってるけど、「芸術」かどうかなんて本当はどうでもいいんだよ。
@@中臣鎌足-x7u 元々日本は漢字も仏教も輸入してるし、海外の文化を取り入れる事に柔軟なんじゃないですかね😓それでいて神道も無くならないし、植民地化されてキリスト教化もしなかったので、したたかなんだと思います😅「西洋の評価を有難がる」のはそうだと思いますが、フェノロサがいなかったら廃仏毀釈というイコノクラスムが止まらなかったでしょうから、西洋かぶれが良いか悪いかは何とも言えない気がします😓フェノロサは仏教徒になりましたしね😢人に歴史あり、国に歴史あり、だと思います😓
@@sorabluesky9413 ま、漢字も仏教も天皇(の制度)もetc、輸入だけど、そこから日本独自のものをつくってるから近世までの日本人はすごいよね。漢字の熟語なんて今や中国人のほうが逆輸入して真似るぐらいだし、ひらがなやカタカナも非常に便利で繊細で豊かな表現ができる。鎌倉時代に花開いた鎌倉仏教の持つ思想や哲学も当時の世界の思想や哲学と比較してもかなり最先端を走ってたりする部分が結構ある。古神道と古仏教はわりと似てるところがあるから日本人にはなじみやすいけど、キリスト教はアニミズムや汎神論的な日本人にはなじまないところがありますよね。拒絶はしないし受け入れるけど。ただ現代のアートに関しては今のところ完全に欧米のシステムの中で(欧米の美術史や美術館制度という枠の中で)やってるから欧米には勝てないし、西洋コンプレックスを出れないんだよね。2000年代以降になってさえ、海外でサイトスペシフィックなアートが流行ればそれをやる、リレーショナルなアートが流行ればそれをやる(近年の地方の大規模な芸術祭や地域アートも完全にその流れ)。それを、町おこし、なんて言って、欧米芸術大好きな美大や芸大の先生だけじゃなく文化省や国土交通省までが動いて、巨額の国費を投じてね…。古代の日本人は中国の王と張り合うために知恵をしぼって天皇という呼称を考えたけど、現代のアートでは都知事がバンクシー様とかを有難がってる有様なのでw
@@中臣鎌足-x7u バブル時代は美術館をどんどん建ててみたりしましたが、中身がなかったりしましたしね😥本来は「何を言うのか」が重要でも「誰が言うのか」が問題になるのは、アートに限らずよくある話ですね😓写真が登場しても絵画は生き残りましたが、こうした在り方は「AIが登場しても芸術は生き残れるのか」という話に繋がってきそうな気がします😓既存のものをより良く作るのは、人間よりAIの方が得意でしょうし、それは追随されているバンクシーも例外じゃないと思います😓「訳の分からないものをアートと言う」と思う一般人は、日本でも海外でも同じでしょうから、見る人や買う人が何に付加価値を置くか、じゃないですかね?😓AIの優秀さで人間の芸術家が駆逐されるのか、生産力の低い人間の芸術家に希少価値を見出だすようになるのかは、分かりませんけど😓
浮世絵ってのは江戸時代の大衆文化、商業作品なんだけど、明治以降に入ってきた西洋的な価値観でアートになっちゃった。でも浮世絵って今の技術からすると拙いものだけど、印刷して複製が多くあるものだよな。なんと言うか不思議だよね。日本において独自に進化したものが、「アート」の概念の破壊者のさきがけになったような感じで。
確かに現代アートはそうかもけど現代のすごいところは、アートとして作られてないものが得てしてある種の芸術性を秘めて生まれてくるってところだと思う。そして、それが伝達できることそのものがもう芸術だと思う。例えば何かの競技の試合の1シーン、決まり手の瞬間のあの昂りであったりとか、何気ない1フレーズがネットスラングとして広がっていつしか現実でも普通に使われているのとか、科学の発達によってこれまで人の手の及ばなかった景色がどうなってるのか見れるようになったとか。全部芸術だと思うよ。だって「すげー」とは思っちゃうじゃないか。
つまりスゲーって思ったらアートってことでおけ?
@@ib4592 それは本質に近そう
現代アートに対する違和感というか、嫌悪感をみごとに説明してくれた!なぜか感じる下品さとか、安っぽさはこれなんだなー
まだ見ぬ美しさの形を模索するのが現代アートだとすれば、間違いなくそれは評価されるべきものであるはず。最も唾棄すべきものの遠因はそれに価値をつけてしまった遥か昔の過ちの中にある。ここで困ってしまうのはアートで食っていきたいというエゴをもったアーティストの存在だよね。
5:38 ~デジタルアートも複製品がネット上に散らばっていて価値がないのを、唯一性を与えて価値化したのが今のNFTアートってやつなのかな?
その通りだと思う。
ダビデ像や最後の晩餐がアートとして最も知られているのは、多くの人々が見てこれは素晴らしいと共感したからこそ芸術的価値が高いのは理解出来るけど、現代アートという枠組みでしか生きれない、単体では何の価値もないゴミにしか見えないのが数億とかの値段になるのはなんだかなぁとは確かに思います。
お金で取引している時点でオワコン現代アートは資本としか考えてないから
現代アートの羊頭狗肉な感じっていうのはわかるけど、尊敬すべきでないものを尊敬するというのはむしろ人間の本質なんじゃないかと思う。本来は尊敬すべき要素などない虚構に多くの人間が価値を感じることで、芸術はもちろんあらゆる文化や秩序が成立してる。徹底したニヒリズムの立場をとれば、ありとあらゆるものが尊敬に値しない価値のないものなのに、現代アートというカテゴリにだけ特段ニヒルな対応を取るというのが正しいとはあんまり思えないな。
私がこの方の話で思っていたことを言語化していただいてありがとうございます。その通りだと思います。
芸術なき後の世界において芸術を見つけ出す行為が重要なんだ。
はー...説得力よ。最近仕事柄、毎日リヒター作品に触れるんだけど、なんとなく感じてたのを全部岡田さんが言語化してくれた。現代アートの最高峰なんていわれるリヒターですら多作で、作風もばらばらなんだよなぁ。
昔、現代音楽ってのを友達に薦められたが、その時のモヤモヤした感じがこの回でやっぱ嫌悪感だったんだと認識したw
待て待て待てぃー!!いや、言いたい事はわかるけど!わかるんだけど!自分の好きなアートはそういうんじゃない!「アートを過大評価しがち」←めちゃ分かる。アートというラベルを貼ることで「ありがたがる」というのがムカつくっていうことだよね。でも、現代アートっていうのは、そこに目を向けているんだって!!!そのラベルが付くからアートって良いものとされるのか?美術は高尚なもので知識のない奴は触れちゃいけないのか?いや、違うだろ!!!っていう美術の在り方を追求するのが現代アート(全然違う作品もありますけど)今までは美を追求するのが美術って感じだったけど現代は美術ってなんだろう?っていうのが多い!そこが自分の現代アートの好きなところ!!知っていってほしい!!
あと、話したいことはまだまだある!ここのコメント欄の一番上は『美術館に眼鏡を置いたら行列できた』って話がバカバカしくて…みたいなやつだけど(そこまで言ってないか)あれもすごい面白いと思ってる、興味深いって意味で!そうだよね、あんなのバカバカしいよね。じゃあなんでそう思うんだろう?美術じゃないものを美術として見てるから?そこに置いただけで日常品に大きな価値が付くから?なら美術ってなんだろうね。自分は作品=美術じゃなくて、作品を通して個々が思考する=美術だと思う。こういう美術の区切りを広くとろうとするのが現代アートは多いんだよね。ただのメガネだとしても、そこに置くだけで色んなこと考えさせられるんだよ?面白くない?多分、こういう現代アートが嫌いな人は、作品=美術として見てるんじゃないかな?でも、その作品には歴史的背景があって、目に見えない多くの考えとそのぶつかり合いがあって。だからね、この岡田さんの話を否定なんて全然しない。なぜならそんな風に「そんなんおかしいじゃん!」もアートの一部というか、そこが現代アートの面白いところだと思うからね!!
アートはまわりを取り込んで(もちろん観測者も)、はじめてアートとしてそこに立ち上がります。そして、アートはそれぞれが絶対的に自律している。
岡田さんが定義してる芸術っていうのは職人技術を糧に作られた優れた工芸作品のような物を指してる20世紀以降にその技術を捨てて作られた絵画や彫刻は芸術ではないとつまり西洋美術史の文法上でのみ成立するような知的ゲーム化したアートに芸術の本質的な価値は見出せないとでも実際はそうゆう作品だけではなく、内容を理解すれば鑑賞者に新しい物の見方を示したり、感動を与える優れた現代美術作品もたくさんある職人技に裏打ちされたコンテンツを大事にしてきた方の意見としては納得できるけど、現代アートの商業的な側面ばかりに焦点を当てて本質的な価値から目を背けるのはもったいない気がする
現代アート全然理解できませんが、「価値の無いものに価値を持たせる」という考え方はいかにも現代的だなあと思います。
岡田斗司夫も、コメント欄で賛同してる人たちも、「自分の思う現代アートのイメージ」と闘ってるよね。仮想敵作り上げてサンドバックにしてるだけだから、実際の作品名も大して上げられずに、「最近の現代アートってこうだよねー」と言葉の強い主張ばかりを流してしまってる
自分が思う作品を作るという純粋な心だけでいい。
確かに今はTwitterでもいろんな人が色んな絵を挙げているけれど、多くがイラストや漫画と呼ばれていて「アート」と呼ばれるものの絶対数が少ない事はわかるよね。これが価値が無いからなのか、我々庶民層とは分かり合えない存在なのかって話だけど…
よーわからん線ピピッってやったやつより可愛い子の絵とか見たいやん。本能よ本能
スマホとかが普及している今、誰でもすぐに絵を描ける様になって新しい表現ってのはもう無いのかなって思ってます…
ガンダムにせよ、ヱヴァンゲリヲンにせよ、まどかマギカにせよ、何かを表現するために、頑張ったことが、みんなに伝わる。そこにアートがあるのでしょうか?でも、頑張ったでしょ?と良い回る人は、頑張ってないように見える。
芸人、芸能人を芸術と同じカテゴリに図々しくも含まれている理由として腑に落ちた気がした。
現状価値があるとは言ってもらえないけど、将来的に何かの発見や技術に繋がることの実験場として、現代アートっていう安全地帯が存在することは必要だと思うけどなあ
経緯とかは人それぞれでいいんだよ。どんな不純な動機でも、好きならそれでいいじゃない。
アートあるある。 ゴミを再利用する。同じ物を沢山使う。天井から吊るす。巨大にする。作ったものを壊す。場違いな物を置く。模様を入れる。光る。風で動く。水を流す。何かに投影する。だまし絵。
作品の来歴:美 が 7:3 位に感じる。伝統工芸品みたいな古い庶民の器が美術品として生き残るように、今は無理でも年月が美を磨くこともあるだろうさ。自分的には現代アートより伝統工芸品のほうが好きなのだけど。
岡田斗司夫さん2013年くらい少し見てた時期があったけど、言葉が強すぎて見るのやめちゃったこと思い出した‥最近の岡田さんは昔よりももっと柔らかくなって、この頃よりさらに目線を落として語ってくれるようになった気がする。年月重ねたからこその意見として、またアートについて語って欲しいな~
アーティストならアートでその価値を語ってくれないか?いまだになぜ多くの「評価されているアーティスト」が匿名でアートをやらずネームバリューを大事にするか理解できん。対してアニメや漫画、クラシックを除く音楽などもはちゃんと現代の情勢に影響されながらも「人」に伝えるアートが確立されている現代のよくわからん評価されているアーティストが「人に伝えたい」といっているけれど、結局現実的に伝えられている「人」は「芸術に関心がある人・関わりがある人・投資の価値でしかないと思っている人」オンリーなんだということを。
岡田さんはちょっとオーバーに言い過ぎているけどね。美学上、作品は単体で独立したものだという定義がある。様式(技法などのスタイル)や年代や背景となる文化や国籍などの視点で異なる作品どうしを「くくれている」だけ。美術史=様式史みたいなものだから。アート作品だ、と言っている時点でアートという概念でくくろうとしているので、それは作品を見る視点ではなく、作品の立ち位置を社会学的にとらえようとする視点。たとえるなら、その人個人の人柄を見ようとする視点と、その人を「日本に住む大阪人」として見ようとする視点はまったく別物だということと似ている。要するにアートは、事後的に「アート」と社会から見なされるくらいが丁度いい。歴史的に重要なアートが生まれたときには、作品が既成概念や既得権益や既存のシステムと衝突するか、それらから巧みに隠れてカモフラしてるか、だいたいどちらか。歴史的にそれほど重要ではないアートは、既成の美意識の文脈でつくられた(多少の独創はあるだろうが時代を変えるほどではない)もの。アートにも「質」はある。大衆文化として表現されたものが、何十年もしてアートとしての価値を社会から付与され、学問として整理されていくぐらいでいい。自分からアートを名乗っていいのは、既存の価値観や審級意識に対する宣戦布告を行っているときだけで、アートという権威をつかって商売しようとしている時点で「アートの残骸」。でもアートではない、とはいえない。この幅が「質」。村上はアートとアートの残骸を行き来している芸術家。芸大出身=アーティスト、という考えも「文脈に含まれているかどうか」の話で、残骸としてのアートを名乗るならその程度の条件だ…というぐらいの話として聴いておくべき。ちなみに美術は「視覚芸術」だとする美学上の定義は存在するので、視覚芸術の枠を超えてサウンドスケープとかやりだしていたら、それは日本語だと「芸術」でよい。音楽とも文学とも美術ともとれないクロスオーバーな芸術の世界を「アート」とか「現代アート」とか言っている可能性もあるけど、だとしたら「現代アート」というジャンルの別のものだとしてしまってもいい。村上が言う「文脈」の話を持ち出すなら、東洋人というだけでアウトサイド・アートだし、「現代アート」という学部や学会でもつくって別の文脈をつくればいいのにとも思う。村上は藝大日本画の文脈なのだから、彼がつくる立体物などは個人的には正直どうでもいい。なにせ文脈すらないのだから。藝大日本画の文脈のなかにいる村上という画家が、トチ狂って立体つくって現代アートとぬかしてミスリードをさせて商売して稼いでる。これが正体(笑)でも、それらは美術や芸術が不要とか、無用とかという話とは別なので気をつけたい。過去と未来をつないでいる美術や芸術の考え方や魂みたいなものは、大衆文化のなかに広がっているのは間違いないのだから。岡田さんが言っているのは、昨日までアートと呼ばれていたものについて語っているにすぎない。(既成の概念としてのアートまたは社会学的視点としてのアート)
あんた、何者?笑 こんなに理路整然としたコメントは久しぶりに見た。おおよそ一般人には思えない
めちゃくちゃ説明上手いな
私を含め世のアート好きがなんとなくモヤモヤ感じていたことを、アート嫌いの岡田さんに的確に言語化されて意気消沈してる方も多いと思いますが、あなたのコメントもまた素晴らしく言い得て妙。やんわりとした反論、最高のフォローになりました。有難うございます笑
その「質」っていうのが、まんま動画内の光と影の話ではあるよね。結局現代アートと称される対象物が、どういう定義と文脈を持ってアートなのか分けられないし、それを定義して分けようとしてるのはアートビジネスで食おうとしてる人らだろうってのがこの話の根幹だろうね。 そうじゃない物は基本全て岡田斗司夫的には経済的に消費される「モノ」であるとか「コンテンツ」であって、資本主義社会で"アート"という概念が明確に区分できていない事を嫌ってるんだとも思うわ。
芸大で油絵描いてたけど、現代において絵画も映画も漫画やアニメには勝てないと思う元々昔も王族や貴族が美しい絵を求めて価値を認めてくれたから生きていけたけど、現代においては人がその作品に価値を求めてくれればいいし、パトロンが存在しないと絵画だけで生きていくのは難しい
それは日本ではって話?日本は昔から表現主義より技巧的で緻密なものを好むだからミュシャやモネが好かれ、若冲や北斎のファンが今でも多い現代アートはアメリカの文化だし、現状海外で大活躍している日本人アーティストは数える程度しかいない村上隆が唯一世界のトップと渡り合えてると言える程度しかし日本人の気質を考えるにそれはしょうがないことだと思う会田誠や池田学、山口晃が売れてるのは日本だからこそであり、海外で活動してたら全く売れてなかったと思う
@@haguregumo4海外の評価全肯定ですか?あなたの価値判断基準は海外で評価されるかどうかなんですか?
@@Taaa1216 そんなこと全く言ってないよね?
言語化や論理化できてしまったらそれはアートじゃなくなる。大衆が再現可能なものだったらそれは商業作品であり、アートじゃない。この不確定さに漬け込んで、アートを権威化・独占する層がいるのは確かにおかしいことだけれども、それだけがアートじゃないと思う。アートは結果でしかなくて、手段としてのアートを語ること自体がナンセンスなんじゃないかとも思うけど、芸術界はそれを認めちゃうとお金を引っ張れないからなぁ。。
でもアーティストや作品は過去も現在も変わらずあると思う。そしていい絵や曲に触れた時に、これは良いものだと感じる個々の感性がとても大事になる。
アートのスノッブが鼻持ちならないという意見はわからなくはないけどそれに対するサブカルからのコンプレックスの露悪的な発露もたいがい卑しい自分に理解できないものはだれにとっても価値がないものでなければならないみたいな傲慢さを当然のように振舞わすオタクが多すぎる
それな。岡田さんが喋ると、オタク側にゲームやアニメの美少女愛する陰キャが大量に集まってききて、アートは陽キャに必然的に分断されるのマジで面白い。オタク側のリーダーの岡田さんがこれじゃあなぁ。。コンプレックスから他を攻撃しても良いは大人気ねーよな。
この人の意見には、受け入れにくいものもあるが、「アート」に関しては完全に同意
冒頭で写真、映画、印刷が出てきてアートの役割は終了している云々と言われたが、単なる個人的な感想を美術史的な一般論の様に言うのは良くない。20世紀に芸術のバリエーションが増えただけであって、それ以前の芸術観が無価値になった訳ではない。
純喫茶はカフェーと違うという意味で生まれたけど、カフェーはお酒を出すというよりは女中さんが接客するいわゆるキャバクラ的なお店だったんだよね。確か大正時代の文化だったと思う。
特殊喫茶に対しての純喫茶ですね
自分はリアルな描写とか綺麗な女性が好きなので、クリムトとかミュシャは初見でも歴史とか考えずに楽しんで見れました。迫力とか面白さだったら草間彌生さんは何も知らなかったけどすげ〜ってなった、会場自体が作品みたいだった。
人が自分の思いや考えをその人自身の手法·技法で表現し、それが美しくも醜くも心を揺さぶることは時代の中での文脈がどうあれ有ると思いますその感動を以て、僕はアートは終わらないし好きだと言いたいですでも、ある意味様々なものが出尽くした様な閉塞感の中で足掻くことで思想に偏りすぎて情緒的な感動が薄れてしまった上にマネーゲームのネタになったことで、只の感心になってしまうという意味では現代アートがアートの行き詰まりというかオワコンの翳りを示しているかもしれないのはありますねアートは手法、技法、思想のバランスが有って成り立つものだと考えると、技巧に偏りすぎた絵が写真に圧されたり、思想や手法に偏りすぎた現代アートが難解になって嫌厭されたりと言うのはアートの本質からずれてしまったという意味では当然の話かもしれません
つまり昔は直感的で今は理屈的に変わったという事ですか?昔の物はその物の良さの評価だけで今はギャルの様に、このアートを評価してる自分は頭良いセンス良いと言う思い込み
あなたもずいぶんひねくれてるねwでも、言ってる事には同意だ。岡田氏の言う通り、昔のアート唯一無二のものであり天然記念物とかと同じで、そこに存在するだけで価値があった。一方で、その昔から「このアートはどんな技法で描かれたのか?」と論理的に追及する人も昔からいた。アートがいくらでも複製でき、ネットで疑似体験できる現在では前者の価値は薄くなってしまった。理屈的に変わったのではなく、理屈の部分だけが残ったと言った方が適切だろう。
印象派に対する理解が完全に誤ってる。印象派は見たものを描くスタイル。心を描くのは表現主義日本語じゃわかりにくいけど、(印象主義:Impressionism 表現主義:Expressionism)と対になってる
現代アートを学んでいるもので、作家を目指していますが、めちゃくちゃ不安です。やればやるほど、これに意味なんてないんじゃないかと思います。美しいものを作ろうとすると、趣味でやりたいの?とか言われるんですよね。表現するってなんだろうとか、何のために作るんだろうとか、どツボにハマってしまう
作るための意味で悩むようなら、辞めれば良いかと思います🙇どうしても作っておきたい‼️と思うなら、自分にとっての必要が高く、それがアートなのでしょう。完成したら、アート魂は発散した。と言えます。誰だったか、『アートは、う◯このようなもの』と言ったそうです。
@@らせ-h9u 適当なこと言わないでくださいよ…そこまで悩んでもやり続けるほど大事なんです。適当なこと言わないでください。
@@らせ-h9u 心のままに、趣味で好きなものを作りたいとかじゃないんです。本気で表現とは何か考え、美術史を先に進められるような、今の現代アートとは別種の表現を作りたいんです。本気で美術と向き合っていれば、1度は通る悩みだと思います。悩んでもやり続けてそれに答えを出していくんです。適当に、簡単に、やめろとか言うな。
@@えのえの-h4v 適当なんかで、言っていません🙇今回の岡田斗司夫さんの仰る話は、本にすれば、数十冊以上で説明する必要があります。芸術を知るには、時代背景を知ることが重要です。まずは、岡田斗司夫さんの言ったことを紙に書き起こし、時代考証や、時代のルールを調べることが大切です。
@@えのえの-h4v あなたも仰るように、美術史というように、美術の歴史です。キリスト教を広めるために、法皇が国王と話し合いながら、教会に設置したり、フランス革命で、美術が国王のものから、民衆のものになったり、工業デザインのため、使いやすさを求めるか、見た目の印象を感じるかで悩んだり、神に近付くため?に、宇宙開発しながら、さまざまな技術競争しています。みんな、それぞれ理由が違えども、ぶつかりあい、衝撃を与えます。西洋の屋敷に来訪した客人をもてなすために、そっくりに描いた肖像画は、写真の登場が大きく影響して、衰退していきました。未来を切り開くのでしたら、最先端のchatGPTを学ぶべきでしょうか?でも、もっと凄いものも登場するようなのです🙇やめろ、と言ってすみませんでした。
関係ないかもしれないが、芸人が審査されてる時の顔と美大受験生が講評受けてる時の顔全く同じなんだよね
この動画でも語ってる通り、村上隆の言った「アートの定義は芸大出てること」なら芸大出てない岡田斗司夫のアート解釈は所詮外側からの批評に過ぎない。内側の者からすれば〝芸術家でない人の考えだなあ〟って別意見
自分ではむずかしくてうまく説明できなかったが、岡田さんのいう通り。ほんとにそうだと思う(ほぼ)。すごくつよく同感・共感できる。
岡田さんは好きでいつも見てるけど日本人の典型ですね。友人のパリの現代アートのアトリエには近所からお客がきて、壁にかけた絵を変えたい、模様替えしたいから。という基準で買っていくんだよ。5万ー50万のものがよく売れてたな。2週間アトリエに一緒に昼ごはん食べに行ってたから。。部屋にかざるんだよ。金持ちじゃない人もね。日本じゃソファーやテーブルに5万ー100万かけたりするけど。パリの庶民は安いアートを買って模様替えするんだ。
自分が価値があるって思ったらそれでいいと思う、ただそれを他人に押し付けたりするのは違うと感じる。私は絵が好きだ。
間違えちゃいけないのはこの人はただの岡田斗司夫であってアート界の神でもなければ芸術の巨匠でもなんでもないただのおじさん。「岡田斗司夫が言ってるから現代アートはアニメ以下なんだ」みたいな風にこの話だけで鵜呑みにしてる奴らは見下してる現代アート作家以下の金魚のフンでしかないよ。
それもアートなんじゃない?ただのおじさんが動画を投稿して、それを何万、何十万人の一般人が視聴する。面白いね
私も現代アートの技術を伴わないものが苦手です。適当に書いたものに意味づけすらばなんでもアートになる。
多分ここでみんながアートとして話してるのは一枚の絵とか1個の創作物で全てを伝えようとしてるグループ?団体みたいな感じで、でもそれが今は一枚の絵じゃなくて何枚も見せて伝えようとしてるのが漫画アニメ、映画ドラマなのであって別にみんなが感動してる流れは変わって無いと思うから全てがアートと俺は言えると思う。もっと言うと一枚の絵描くより何百何千描いて動いてるように見せるアニメの方が大変なのに、アニメーターの給料が上がらないってところが完全にアートを終わらせる最大最悪の問題だと思う。ほんと国でなんとかした方が良い。
聞けば聞くほど妙に腑に落ちるわ。この話、なんか現代の通貨にも通じる様な気がする…
フルメタルジャケットのハートマン軍曹の「お前は現代アートの醜さだ!」ってセリフ思い出した。
私の母『現代アートは全部粗大ごみにしか見えない』と言っていたな……
13:20 唐突にお湯作っててワロタwwwwww
20世紀以降ということは、フォービスムやキュビスムなんかも入ってるんですかねフォービスムの情熱やキュビスムの形態破壊的構成は美術の全ての歴史を見ても素晴らしいものだと思うのですが…。
バンクシーが人気なのこれだよな
稚拙な話になるけど、現代アート先輩がいい例だよね知らない人からすればただの4色だけど、知ってる人にとっては秀逸
いつも思うけど岡田斗司夫の話は面白いし、tube界で唯一観てて楽しいコメ欄。
個人個人が岡田斗司夫の意見を自分なりの考えに落とし込んでるのがいいよね
87億円もするモネの『睡蓮の池』は結構長い間、上下逆さまに展示されていたらしい。間違った展示法にも関わらず、『ほぅ!やっぱりモネはイイねぇ!』なんて言ってたんだから所詮アートったってその程度の理解で分かった風な鑑賞してたってことだよなぁ。
普段私たちが生きている日常とは親であり、子であり、学生であり、などなど。社会的な枠組みや価値観があって。それを世界だと思っている。。。こうした事をとっぱらって生そのもの。純粋な。ただ今、生きているということを感じ畏れ、身震いする感情。芸術とはそういうものを表現したり、想起させるイメージを持っているんだと思うね。自分としては。こういう定義がないとエンタメと芸術の違いすら分からない。目的が違うんだから。エンタメは芸術の真逆だから。それを忘れる為のもの。純粋な生を一旦忘れ、その恐ろしさから身を守るためのもの。思うに芸術への欲求がない人やその意味が分からない人に価値を説明するのは不可能だと思う。
昔ながらの絵描きとか彫刻家を保護する制度が現代アートなのか、とか思ったりしました。
「美」そのものであったアートが、個人の主張を伝える「道具」になったのかなって。その主張をバックボーンから読み解ける人には多少なりとも価値はあるんだと思う。無論俺は現代のアートの中にも美しいものはあると感じるけど、たまにある意味不明なやつはそんな感じかなと。
美大行ってたけど、最近のアートと言えるもの見て絶望したからやめたわ特にバンクシーの絵を賞賛する奴らは特にアホだと思うわ、絵に細工してシュレッダーかける行為とか見たら バンクシーの意図読めるでしょ、自分の大したことない絵を賞賛して高い価値つけて バカなの?って風刺されてるんだよな
うーん、その風刺するという事象がアートになってしまうんだなぁ
絵じゃなく戦略が素晴らしい
「ラクガキ」で、「一点もの」にしたてあげてるところとか見事
それな芸術の学校に高校から行ってたのにその頃から絵とか描くのアホらしくなった正直もうどうでもいい…
芸大卒だけど、激しく同意します。アートなんてオナニーと大差ないです。
ラーメンもアートでラーメンを食う前にお腹を空かせることが現代のアートの楽しみ方なのかもね
そもそも人間の創り出すものはなんでも「芸術」に成る事ができる。あってないようなものなんだよな。そこに技術が入ると「ある」物になる。俺は「ある」物が好きだなぁ
美大生ですが、売るのが目的のアートについてしか言ってないよなこれ。地方のギャラリーで自身の哲学と人生を見つめて魂削ってひそやかに展覧会してるアーティスト達には、純粋な美しさを感じられるよ。
芸術の本質はそんなに簡単に説明できるものじゃないと思うなー
岡田もそこは否定してないよね。
戦争をアートにするのはピカソのゲルニカがすでにやっているとの事ですが、ロマン主義のゴヤやドラクロワを経ている訳ですし、普通の流れだと思う。
めちゃくちゃ要約すると、、、
元々は保存されるべき価値のあるものがアートであったが、現代では作品にアートというラベルを貼ることで価値のあるものに昇華している。つまり、「これはアートだから価値があるんだ」と言えるものが現代アートである。
ということですね。
「保存されるべき価値があるからアート」→「アートは保存されるべき価値のある物」になっちゃってるんだよね
芸人の宮迫の焼肉屋「牛ぐう城」の個室の壁にお高い「アート」が飾ってあったけど、正直、あの絵がいいとは全く思えなかった。宮迫いわく「これから値段が上がる日本人の若手作家の絵」らしいけど、宮迫ですらお値段以上には絵の価値がわかってなさそうだった…。そんな感じで画廊が売り出したい推し作家の絵にお値段つけて、それを宮迫とかIT社長が半分投機目的で買ったり売ったりして自動的にさらにお値段が吊り上って行くのが「現代のアート」。
ルーブルがダヴィンチの絵と認めなった絵を、アメリカ人がダヴィンチの絵と主張して、ハリウッドスターのディカプリオをプロモーションに使ったりしてとんでもないお値段がついたりする事件もありましたね…。
違います
岡田さんの言説のまとめとしてはいいのかもしれないけど、当たってはいないです
この人にしか描けないっていう
アートの価値はまだ残っている気がする
@@中尾孝雄-p1v アートの価値は現代アートも含めいささかも失われていませんよ
この動画の内容みたいにアートとプロのアートビジネスと言う
本質的に別個の領域に属する概念を混同して捉えたりしない限りは
何の疑問も必要ないです
草間彌生は「私は思想を商売にしてる。私が水玉を描きましたと言っても誰も見てくれない。でも水玉は平和の象徴ですと言うと興味を持ってもらえる」と言ってた
😮
抽象的に可視化された思想、か…
@@Astro-Goat666 考えは両方とも可視化(水玉という象徴的な)されたものだが、『思想』というと嫌悪され、『平和』というと好まれるのは日本人が第二次世界大戦で敗北した経験から無意識に導いてしまう「想い」なのではあるまいか。
もともとは幼少期の心の病から逃げるために無心で描いてただけなのにね。
「アートは難しくない、感じるままに見ればいい」とよく言われるけど、実際には歴史とか経緯をよく知らないと当時のアーティストが何を考えていたのかよくわからない
感性や自由さが尊ばれている割には、権威的で商業的な要素が強いのが矛盾を感じてしまう
流れを知らないとその当時と近い体験ができないから、ある程度は仕方ないんじゃないかな。
でも、そういう背景が忘れ去られた時代でも評価されるものが本当に価値あるものなのかなとも思う。
別によくわからなくていいだけでは
それだけじゃ物足りない、歴史と経緯をよく知りたいと思うなら調べたらいい
「よくわからない」ことにコンプレックスを持ちすぎじゃないですか?
@@リザード-m2d 一目で感動出来ないものが評価されてるのが気持ち悪いってことなんじゃないか?
コンプというより価値観の違いに由来するただの嫌悪感だと思うぞ。
当時の欧米人の価値観で評価された作品はやっぱり素晴らしい作品であることは間違いないけど、逆に当時全く評価されなかったタダ同然の作品も100年後とかにいきなり評価されてもの凄いお値段がついたりするし、一回お値段が付いちゃったら、もう投資家が買うような商業的なマネーゲームの商品になるよね。
岡本太郎が、絵を描くのは人間の本能だし、この世界では誰にも評価されない無数の絵が日々描かれては消えて行くけど、その中には職業芸術家の描いた天文学的なお値段の絵よりも素晴らしい絵なんていくらでもある、みたいなことを言ってたな。
かくいう自分も芸術が好きでよく美術館とか行ってたけど、個人的にはそんな芸術家よりも素晴らしい絵を描く漫画家さんやアニメーターが何人もいる。漫画家さんの描いた絵は芸術家の描いた絵みたいな値段はなかなか付かないけど。
クラシックなアートは歴史経緯知ってるといいと思うけど、現代アートは大体の人は過去の系譜とかを気にせずその場で感じるままに見ればいいから楽だなと思う。(現代アート=ハイソ→森美術館は現代アート展示が多いってことだろうな)
ターナーの絵でさえ当時の歴史背景を知るから立体的に見えてくるものがあるわけで、昔の絵は前提知識がある方がもちろんいい。
しかし東京の美術館クラスなら音声案内がめちゃくちゃ練られてるから新しく知って「へー」と面白がるだけで時間と二三千円の価値はあると思うけどね。興味が出たらもっと調べてもいいし、よかったなーと思うだけでもいい。
適当にメガネ置いたらそれを見るための行列出来たっていう写真まじで好き
アレ見たらバカだよなぁって思うよね。
あれはきちんとアートになっていたってだけだと思うけどなあ
あれみて馬鹿だっていう人にとっての”現代アート”ってじゃあなんなのっていう
@@ch-nh5hz あれでアートになったんなら俺が美術館の中でセクシーポーズして突っ立ってるだけで芸術になるけど、お前の感性それでいいの?
@@freedom-vz1ec それはそれで十分にアート笑
@@freedom-vz1ec でも美術館の中でセクシーポーズとる発想と根性を兼ね備えたやつはなかなかいないし、実際その状況でやったらなんだかんだアート!
アートという名前にもたれかかりきってる作品や人は嫌いだけど、人がもがいて必死に見つけた答えをどうしたら伝えられるだろうとまた考えて形にする工程が好きなので現代アートも好きですね
わかる
工業製品も現代アートに含めてほしいな、しかし現代アートに対しての嫌悪感よくわからんな〜
@@あお-y5m3n 工業製品はデュシャンの時点でアートとしてかなり昔から鑑賞の場にありますが、まあ工業製品の機能美というよりかは既製品であることに価値を見出しているので、ジェフ・クーンズなんかは掃除機の機能美に着目した作品があるので既に含まれていますね。
わかる
ボンドを使って作品を量産するやつは嫌いです。
写真がでてきて、以前の芸術の基準が覆って以降は、リアルに描く事から、ひたすら「表現」に寄っていった経緯があるので、現代アートは変に難しく考えないように鑑賞するようにしてます。
ロマン主義からその傾向はあったが、ニセフォルが写真を発明したことによって印象主義が出現し、マティスやピカソのようなフォービズムやキュビズムといった若干難解な絵が評価され、クレーやモンドリアンのような極端な抽象画が登場した。しかしこれらは現代アートとは全く異なり、評価される所以は分かる。しかし反芸術主義やネオダダまで行くと、これまでの芸術を否定するようなコンセプチュアルなアートばかりが評価されるようになり、本来の美の良さみたいなものから離れていったような気がする。
@@haguregumo4 まあもっと分かりやすい説明の仕方をすると、金持ちの似顔絵や教会の教えを発注されて書いていたアルチザン(職工)としての「実用性」が、「写真の方が手早く完璧だしいいや」という流れで「無用性」に変わった瞬間にパトロンもいなくなり、アルチザンから「アート」というに新しい看板を出し、○○派、○○主義、と喧伝することで、金持ちが持つべき高尚で希少なステータス、投資対象にもなりますよという理論武装をやらないともはや食えなくなった。それが村上隆が説明してることだし、まあ事実と思う。
その理論武装はある意味では宗教と同じなので、中にいる信者にとってそれ全部教祖が言い出したデタラメじゃん。と言われると、かわいそうだがものすごく苦しむんだよな。
全く絵について分からない自分からすると現代アートは「上手い、素晴らしいから価値がある」じゃなくて「この人が描いてる、作ってるんだから多分価値があるんだろう」って評価されてる感じがして好きではない
結局ネームバリューやんけと思ってしまう
たぶん、ほとんどの人はそんな思考でアートを選んでいない。
昔は偉い人が「この絵は凄い」と言えばみんなありがたがったが、今はそんな時代じゃない。
「この人が描いている、だからわたしにとって価値がある。」これが現代の考え方。
アートも個人主義の時代だよ。
バンクシーとかもそうだよなぁ。
@@yousuki-Channel は?ダイヤは無駄に高等してるのは事実だけど工業的には価値あるが?
価値があるんだろうっていう客観的な評価が多いのは事実だけど、単純にこの人が好きだという主観で見るのも良いよ。
例えば、キースヘリングとかバスキアなんかは、思想とかその絵に至るまでの人生を知ると、この絵は良いなと感じるとかはある。
@@yousuki-Channel 無駄に高いかどうかは分からんのちゃう?石だって有限なんだしそれを客のニーズに合わせて加工やらしてるんだから妥当かもしれんくね?ダイヤって名前で判断する人もいるかもしれんから一概には言えんかもしれんけど、でも緑茶の人はダイヤが好き?で値段が妥当だと思ってたんちゃう?まあとんでもねえ喧嘩腰なのでちょっと腹立つが
ちょっと引っかかったので、長文すまそ
美術系の予備校に行っていた時に見せられた現代アートの良さが全く分からず、何を作り出せば皆んなに良いと言われるのかを見失ってしまったのを思い出した。
結局のところ、現代アートはこれはこういう風なコンセプトがあり、こういう理由があるから良いんですという説明がつくもの、って事なんですね。
心に響くかどうかは関係なかったんだ。
なんか納得と同時に脱力するわ。
現代美術は目に見えない凄さを探す感じですね〜
本当にいい作品は説明など無くても心に響くものだと思うんですけどね。
表現したいことが絵を見ることでは伝わらない独り善がりの絵っていうのは本末転倒に感じてしまう
それは私も思ってました。
結局のところ、何かを説明したい・されたい人達が評価を下しているから
どんな駄作であっても、コンセプトと作成経緯をでっちあげるだけで評価するんですよ。
(流木を適当に削って張り付けただけのやつで、作ってるときには何も考えてない)
作家が何か作ったほうが評価されるんじゃね?と思って中退しかけた。
現代アートの中でも、実物を見るとゾクッとくるものはまれにみることがあるけど、
こういった作品より、都合よく説明された作品のほうが評価されてるのを見ると心が痛い。
@@takashisaito1668
丁寧にありがとう。
予備校の事はもう20年近く前の事なんだよ。
美大行ったけど仕事にはしなかったしね。
ずっと現代アートが分からないのは続いてて、横浜トリエンナーレとか見に行ってもピンと来ず、自分の感覚が美術に向いてなかったんだろうと思ってたんだけど、岡田さんの言葉で腑に落ちた感じ。
在学中に聞けてたら現代アートについて自分の感性と分けて考えられたのになって思うと悔しいね。
現代アートをみた後、シコティッシュ丸めて無造作に置いた物でも「日常」って言えば作品になるのかなと思ってる。
天才
マルセル・デュシャンが似たようなことしてるから(白目)
@@-aisa-9935 あれとは重みが違うw
@@sam-il5pr 同じだよ 権威がある場で最初にやっただけで
@@atherishispida3223 現代アートとしては同じだろうけど作品の質としては「日常」(笑)の方が優れてると思うんだよなー。まず「泉」ってデュシャンのパトロンが題名をつけたやつでしかも同じ造形のものが世界にいくつか存在する。まあ言っちゃえば盗作なんだよな。衝撃は与えたかもしれないけどそれってほんとにいいものということにはならないと思う。個人的にはね。
対して「日常」はレディメイドでありながらハンディメイドでもある、つまり有象無象なものなのに世界にひとつの造形でもあるという点。また説明されずとも何となく意味が想像出来ると言う点でも優れていると思う。
なんで俺こんなこと書いてんの?まじで。
めっちゃ分かる。一応東京ではない大阪の芸大出た人間で、当時はよく現代アートなんかも鑑賞によく行ったけど「だから何」が常に付きまとって、一生懸命説明してもらってもすんなり受け入れられなかったんだよな。どういうわけか理屈っぽいのが多かったんだよな。一方で、ぱっと見でなるほどスゲーって思うのもあって、それはそれで説明なぞいらないので純粋に驚き楽しむことが出来た。
そういう芸大を出た後の話。庭がスバラシイと聞いていった足立美術館で横山大観みたら、めっちゃわかると思って驚いた。その足でまだ行ってなかった大原美術館に行ったら、やたらと現代アートなのばかりがあってどうにも居心地が悪かったという思い出がある。わかんなかったんだ。倉敷の美観地区は納得できたが美術館の展示作には納得がいかなかった。
アートは堕ちたというのは事実だけど、別にそれを悪いことだと思う必要もなくて、いいものが気軽に手に入るといういい時代になったと思えばいいだけ。
だから、軽蔑してるというとしおの態度は至極真っ当だと思う。昔の価値観を引きずりすぎているし、今には今の価値観があるわけで、作品自体もそうだけど作品を道具にしちゃってるということもそう。まあそれいうと、ゴッホのひまわりのあれなんか野暮の極みなんだけどね。資産としてすら扱えてないわけだし。
岡田は藝大生でも無きゃ芸術分野の専門家でもないで
単にオタク趣味の延長でイラスト描いてる(デッサンもぶっちゃけそんなにやし)
神格化するほど一般人と違った感性はしてない
父親と母親が絵描きをしておりました。現代アートです(笑)
子供ながらに画商さんがうちの親に言ってた事を覚えてるんですが、今考えたら偽札作りに似ているなと思います。
「だれも見た事のないような物をたくさん作れ」とか、「作ったものは個人的に売るな全部ある機関が吸い上げて世に出します」とか、そのためには「絵描きが名刺持ったら二流」とか、「連絡先すらわからないようにペンネームのみを名乗れ」とか、「価値があるかどうかは我々が決め、受賞させる。そうして価値が決まったものは全国の美術館に少なくとも1点ずつ置かれるわけだから価値は高まる。」とか「もしその価値が落ちてきたら全国の美術館どうして売り合いをして価値を高めてやる」とか。
これ、貨幣価値の操作と何が違うんだろうって(笑)
なんか岡田さんのお話を聞けて胸がスッとしました。話してくださる岡田さんと切り抜いてくださった方に感謝します。
「偽札」というよりまさに「貨幣」そのものに近いのでは?みんながその価値があると思うから貨幣は貨幣たるんですもんね。
最近だとNFTとかいう新技術の登場で投資対象としてのアートへの熱狂がますます高まっていますし、ますますそちらの方向性へアートというものが転げ落ちていっているようにも思います。
それは、本来のアートを
資本主義がねじ曲げ、歪めている現場を
目撃したのだと思います。
酷い話やわ。ユダ◯も芸術をお金のために利用するイメージだけど、違うかな?
作品を使ったマネーゲームは純粋な創作活動ではないことがよく分かる。
アート流通センター㈱ (笑)
芸術は自己表現。
作る方も所有する方も。
自己表現は人の自然な欲求の一つ。
作品に共感すれば、
十分価値があるものだと思う。
@インキャの星-綺麗だね- そうか、それそのものに興味がない人が自己誇張などのために価値あると振る舞うのが醜いってことか。
今だにピカソだのミロだのの破滅的な絵の何がいいのかわからない。あれらがなん十億、何百億で取引されるのも不思議だ。
@@ろう-j1h まあでも「その時代に」あれをかけた人が少ないってところで価値があるんじゃない?
@@ろう-j1h時代だろうね
私が美大に通っていてどうしても腑に落ちなくてグルグル迷走してたことをズバリ言葉にしてくださった…美大の人間は自分がやってる事を尊いと信じてるのか、周りの人間の目を気にしていたのか、ここまでハッキリ説明してくれる人はだれもいなかった。すっきり!
僕は建築出身でアニメなどはあまり詳しくないのですが、ルイスカーンという建築家を敬愛しています。
彼の言葉に Architecture does not exist(汝の建築は天国にあり)という言葉があります。
直訳すれば、「建築は存在しない」という意味です。
つまり「建築」とは作品や成果物を指すのではなく、建築というスピリットと向き合い、跪き、まだ見ぬ光に向かって手を動かしている時間のことを指すのであると…
そして建築のスピリットに真に奉仕する召使達、それを「建築家」と呼ぶのであると…。
それを踏まえての個人的な考えですが、
岡田さんの仰るように、現代アートは作品が過大評価されすぎていると思うし、自分の手掛けた何十枚もの絵コンテを「駄目だ!!」と破り捨てられる宮崎駿は真の芸術家だなと、改めてそう思いました。
自分も芸術に奉仕できる人間になりたい。
なるほど深いなぁ。そのことについては建築においてだけではなく全てのことに言えますね。
それを天国と翻訳するのマセすぎ。
何十枚もの絵コンテを駄目だ!と破り捨てられるところに評価を置いてる時点で、過程をありがたがってる人と同じ穴のムジナなんだよな。その過大評価された現代アートとやらも、何十枚も破り捨てながら表現した一枚かもしれないのにね
岡田さんが言うことに7割以上同意する。現代アートってよく分からないな、って思ってたから、解き明かしてくれたのは嬉しい。
大昔の「芸術品」の売買は、来歴とかがたくさんあって、小難しいウンチクが価値を高める。サブカル的な要素が満載な方がウケル、ってわけだと思う。
でもサブカルって言わないのは、もともとがお貴族様とか金持ちが大金はたいて売買してたから。高尚だと思わせたいんだ。
現代アートには古めかしい高尚な来歴はない。だから(高尚に見える)哲学的なメッセージを伝えるために作った、って言うんだろう。作った本人はそんなメッセージをちっとも考えずに作ったとしても、売り出す時には画商とかプロデューサー的な人がメッセージを付けて売る。(東京の芸大とかに行くような人だと頭がいいから?セルフプロデュースできる力がハンパなくて、学生の時から自力で売る)
あと、ただ美しい! ただスゴい!っていう、作品の力だけで見る人をねじ伏せる物は大量には作れないから、メッセージで上げ底する意味もありそう。
コピーが簡単にできる時代だから、スゴい感動を与える作品は、ちゃんと厳密に管理しないとすぐにコピーされて陳腐になるし。
安値で取り引きしていいならバズらせる手法もありなのかもしれないけど。高尚な芸術、一点物とかをウリにするなら、コピーは怖い。
そういう諸々が、現代アートなんだろうなぁ。
って、この動画見ながら考えた。
ちな、2001年以降の芸術を否定するのは意味不。ワイは2000年以前も2001年以降もある分野で小さい賞をいくつかもらってるけど、それぞれの賞で、自分が良いと思った風に作っただけの物を評価された。ワイの場合それは変わってないよ。ワイの作品は昔からメッセージがあるといえばある?かな?、って感じの作風だけど。
まあ、自分の作品見て「こんなメッセージ付けたら面白いかも?」って付けたらいきなり作品が注目されて売れたこともあったから、現代アートってなんだかなー😅と感じる部分はある。
「現代アート:説明可能なもの」。
一方、ルノアールは言ったそうです。
「美的なものは注釈を要さない」
「理論はいい絵を作らない」。
自分はルノアールが正しいように思います。
生まれた時から美術館とかがあって、美術っていう授業があるから、俺らは何も考えずにアートとはこういうもんやって固定概念を持ってるけど、本質を見るともっと曖昧なものなんよね。
僕からしたら全くの逆に思えてしまいます。美術館や美術の授業、現代で呼ばれるアートというものには必ず投資対象という付加価値が存在し、彼ら投資家が評価したものはなんであれアートとなってしまうのです。現代社会ではアートの価値は金額の値打ちで表されます。僕からしたらアートには1も10もなく、元来アートとは美しいか否かで決まるもっとシンプルな概念だったと思います。だから僕たちは身辺にある蛇口の曲線にすら美を見出せないのではないかなと思いました。
んー、なんか噛み合ってない気がする。
固定概念ではなく、固定観念では?
誰だったか忘れたけどアートとは何ですかって聞かれて「価値観の無法地帯」っていう答えたのがあったな
もしアートの定義が『自分が見て美しいって思った物』だとしたら僕の中では現代アートはその定義に当てはまらない。が『自分が見て面白い!!!!って思った物』がアートの定義なら僕はそれが当てはまる。結局は個人に委ねるしかないんじゃないかなぁ…
サイコパスおじさんこの人にハートつけて…
俺もアートに限らず今まで色んなものに感じていた気持ち悪さを「尊敬すべきでないものを無意味に尊敬する」と表現してくれた彼の言葉の芸術性は尊敬する
2:25
「引越センターはアートではない」で笑った
この方、なんでこんな難しい事をノーカットでノンストップで話せるの…。
めっちゃ頷けるのに、私が自分の言葉でこれを誰かに説明するともう壊滅的だと思う。
本当に頭いいんだなぁ。すてき。
各段頭がいいわけじゃない。
僕らだって何となくおぼろげに、無意識の中で思ってたことを、一番しっくりくる表現力に長けてるってこと。
それは「頭がいい」よりも場数や実践的勉強によって身に着けたもの。
多分、「言葉」の修羅場にたくさん立っているから。
頭の良さはあんまり関係ないと思うよ。スラスラ話せる最大要因は、この人はこのテーマについて昔から興味があって思考を重ねてきているから。きっとこの話は過去にも何度もしてきていると思う。あと、この人の場合、興味の対象が幅広いうえに、深く掘り下げたくなる知的好奇心、好奇心を支える強いエモーショナルと感受性、且つ、論理的思考力を兼ね備えているので、多くの人を魅了する話し方になるのだと思うよ。なんにせよ人は、テーマは何であれ、自分にとって興味深く興奮できるものであれば、熱量を込めてノンストップで話せるし、その限りでは他人を魅了できるもんだよ。って、ただの返信に熱く語ってる自分に若干寒気が。
@@yukim4617 私も同じ気持ちです。こちらも熱量を押さえられなく、悪いアドレナリンでなく、ドーパミンでなく、とても良い物質が脳に心地よい刺激と安らぎを両方くるんですよね、謎。なずけてオカトキシン、オーカミンですね。
お前らみたいな、誰にでもできることに無駄に価値を見出して勝手に崇めたがる人間が岡田斗司夫は一番嫌いなんだろうな
@@いうえお-b3l 多分それをわざわざ言ってる君を1番無意味なことしてるって言うだろうな
適当に線何本か描いただけの絵が数百万の価値が付いてシンプルに実写みたいにめちゃくちゃ描くのが上手い人の絵が数万もしないくらいの値段で売られてるの訳わかんない。
線何本かで描いただけの絵が何を表してるのか、その作品の意図を知ったら現代アートが少しはわかるようになる気がする。
制作者が表現するための要素に色彩とかリアルさではなく線を選んだってことだから。まあ結局表現についての知識とか絵画の歴史を把握してないと現代アートって俺ら一般人にはなかなか分からんもんよね
適当に線描いただけかもしれんけどね そんなんで簡単に金稼げたらいいよな
でも真面目にどう線を書くか、凄く考えたりしてそうだし、その人なりに応えを出して描いてそう。
去年亡くなった100才超えのお婆ちゃんとか好きだけど。
それってまるで幼児の落書きの、当人は凄く考えてて「これは誰々で、こっちは何してるとこ!」って言われても、画用紙の絵は◎とか△にしか見えないし説明抜きには、理解できないのに似てるかもw
芸術の価値って、写真ができる前の「上手に描くこと」とかの他に「誰にも描けない物を描く」って事だろうし。
誰にでも模写はできても「後世に残る美しい或は価値ある作品を作れるか?」は別です。
かといって残っていても「ナニコレ?」みたいなのもあるし。
基本的に「価値の付け方がわかんない」という点では同意できるかも。
誰か「価値をつけたい人がいて、それに反対できない」んだと思う。
でも教授とか研究者と同じじゃないのかな? 他の人と違う新しい発見や研究成果を残すことに意味があるじゃないですか。
例え似たような絵柄でも、内容が優れているから好かれる漫画みたいに。
似たようなことができる人が他にいても「その人独自の物がある」ことに価値があるのかなー?建前的には。
御建前的には😶🌫多分きっと名や絵を残した人って、ある意味で上流国民に近い存在だと思う。生前酷い暮らしをしてても。
だってピラミッドとか日光への観光って、要は墓参りじゃないですか。
死後に名を遺すことに拘ってる人達がいて、見事にそれに乗せられて定番の旅行スポットがあるんだし。
芸術・アートの価値を決めるのが今も昔も権力者なら現在、芸術として価値があるとされているものは全て組織的な繋がりがある、と見て良いのでは無いかなー?というのが私の個人的な感想?です。
@@ぺこぽん-h5f
幼児絵画コンクールじゃあかんのか?
美術と芸術で分けるべきなんだと自分は思ってる。
美しさをただ作りたい、商業評価される美は美術
美以外のメッセージ性やテーマがあるのが芸術
みたいな感じに思う。
文学作品とかもそうなんだけど芸術作品全般は時の洗礼を受けないと本物かどうか分かりにくいからね。100年後の人間にも同じような感動を与えられる作品なら本物です。
同感
時間に耐えられるのが名作であり古典。
時間軸がずれると途端に価値が失われるのがゴミアート
バンクシーなんかまさに現在アートのど真ん中な感じがしますね
私が壁に絵を描いたらそれがかなり「芸術的」であっても警察に捕まって終わりです
なにをもって「芸術的」であるとするかは大きな問題だと思います。
あなたがその「芸術的」を生み出せるのかもわかりません。
芸術的って言葉は人気の作品って転換して読んでる。そういう翻訳をするとすんなり理解できるよ。
私なりの要約
「アートって冠を付けて価値があるものにしてる」というより、例えば美少女アニメにも価値があるのに、アートっていうことでそれよりも優越している風なのが嫌だと岡田さんは言いたいんじゃないかな。つまり、現代アートが持つものは、「私達の身の回りに溢れているアートと呼ばれはしないもの」が持つものとなんら変わらない。
そうそうそういう感じ、全部資本主義社会における「コンテンツ」だろ!って意見だと思うし、そういう境が曖昧な現代でも「アート」というブランドを作ろうとしてるのは拝金主義者だろっちゅう話だと思うわ。
グローバル化の世界が手に入れた生命の進化の仕組み?は、
日常生活では、不要なもの。
アートは、流動性が高く、捉えた時には、新しい形になっている?
この話はほんと聞く価値があったわ。
表現とは別の所にアートというラベルというかマーケットがある。
大衆が支持する表現であることとアートであるというのはまた別の力学が働いている。
この方が言っている事に全部同意はしかねる…
確かに名前や経歴で評価されているものもあると思う。
でも現代アート全てに価値がないとは思えない。今まで自分が見てきた作品の中で「面白い」とか「共感できる」とかそう言う気持ちも幻だったと言うのだろうか……?
なんとなくこの方はアートに美しい以外の気持ちを抱いたことがないのではと感じる。私は美しいものだけがアートであるとは思えない。それに売れる絵=いい絵とも限らないから、世間の評価に惑わされず自分の価値観で楽しむべきだ。
ただ、これらの価値観を養うのは現代ではとても難しい事だと思う。だからアートが時代に合っていないように思う。
言いたいことは分からなくはないけど、要するに現代アートって個人個人の価値観に依存するから絶対的な優劣の評価ができないんだよね
その結果、一方で投機対象のアートとしての側面では、作品の価値が作家の知名度とかインパクトとか時代性みたいなものに構造的に依存することになる
投機対象としての影の側面を一旦切り分ければ、現代アートの鑑賞もなかなか楽しいとは思うけどね
現代アートの姿勢ってこれはアートであるって前提を与えられた上で見させられるところがあるからなぁ
金持ちやら高名な批評家やらに認められたものにはそもそも疑問を投げることがあまり許されていないって感じ
この話を聞くと、現代アートって、凄くいい額縁に入ったただの絵って感じがする。
漫画こそ総合芸術であるからアートの中でも高度な表現であると認識されたければならないけど映画に影響された漫画は沢山あり、映画は配色、衣装、構図、など現代アートに影響されている作品は数多くあるのだから、発想のヒントに現代アートが除外されてはいない。
大衆受けしてお金儲けできないとアーティストは食っていけない。
だからアーティストや芸術家はスポンサーや企業や一般市民が理解しやすいものしか作れなくなるのよ
圧倒的に売れて固定ファンが生まれた時に初めて独創的なものを作れるんだろう
だからアートってなんやねん!って思ってる
俺は、誰の評価を求めず、ありのままに表現を続けた者にも価値があると思ってる。もちろん興行的な作品もアートである。
週1回の趣味でも、立派なアートだと思ってる
まぁこれは既に岡本太郎が戦前から何十年間も力説してることだけど笑
コメント欄含めホント勉強になるし面白い
でも結局難しい事はよく分からないので「現代アートだから」と一括りにせず自分が感動出来るものをすこる!
それがすごく大事だと思います。
私もすこりたいと思います。
貧困と貧乏の話の時の「感動」の解釈とか、高級機械式時計とブランドバッグの価値の話とか踏まえるとこのアートを疑うスタンスが理解しやすいし納得しやすい。
芸術を有り難がるのは西洋コンプレックスとかと似たようなものってことか
長年持っていた違和感を言語化してくれてありがたいわ
むしろ逆で、そうやって無駄に強がって排他的な思考になるのがコンプレックスそのもの
コンプレックスが強いからこそそれを排除して日本的なことを誇りにすることが自信の証だと勘違いして自己正当化して満足する
その村社会思考を憂いた方がいい
@@左右-f5s いやいや、日本人が言うアート(芸術)って、欧米列強に並ぶためには彼らのような文化が必要だからってんで、明治期に完全に西洋から輸入したもの(概念)だよ。そもそも、それ以前の日本には「芸術」なんて言葉も概念も存在しなかった。文科省が「美術取調べ係」なんてものをつくり、そこでアート認定調査をやったり、東京芸大の前身の学校をつくったりね。そこで明治以前の日本人が描いてきた浮世絵なんかはあんまり価値のない「芸術」ではない「技芸品」として軽く見積もられて二束三文で外国へ売っぱらったりしてる。逆に日本人よりもフランス人のほうが「浮世絵は芸術だ!なんと素晴らしいんだ!」なんて言って、「芸術大国のおフランス人がお褒めるになってくださってる!我々の浮世絵は素晴らしい!」なんて後年、逆輸入で浮世絵が日本で「芸術」として評価されたりね…。芸術なんて概念が入ってくる前から浮世絵は素晴らしいし、日本人は欧米の価値観に降りまわされ過ぎだし、日本人は欧米のブランド大好きだし、結局は欧米コンプレックスなんだよ。
岡本太郎も言ってるけど、「芸術」かどうかなんて本当はどうでもいいんだよ。
@@中臣鎌足-x7u 元々日本は漢字も仏教も輸入してるし、海外の文化を取り入れる事に柔軟なんじゃないですかね😓
それでいて神道も無くならないし、植民地化されてキリスト教化もしなかったので、したたかなんだと思います😅
「西洋の評価を有難がる」のはそうだと思いますが、フェノロサがいなかったら廃仏毀釈というイコノクラスムが止まらなかったでしょうから、西洋かぶれが良いか悪いかは何とも言えない気がします😓
フェノロサは仏教徒になりましたしね😢
人に歴史あり、国に歴史あり、だと思います😓
@@sorabluesky9413 ま、漢字も仏教も天皇(の制度)もetc、輸入だけど、そこから日本独自のものをつくってるから近世までの日本人はすごいよね。漢字の熟語なんて今や中国人のほうが逆輸入して真似るぐらいだし、ひらがなやカタカナも非常に便利で繊細で豊かな表現ができる。鎌倉時代に花開いた鎌倉仏教の持つ思想や哲学も当時の世界の思想や哲学と比較してもかなり最先端を走ってたりする部分が結構ある。
古神道と古仏教はわりと似てるところがあるから日本人にはなじみやすいけど、キリスト教はアニミズムや汎神論的な日本人にはなじまないところがありますよね。拒絶はしないし受け入れるけど。
ただ現代のアートに関しては今のところ完全に欧米のシステムの中で(欧米の美術史や美術館制度という枠の中で)やってるから欧米には勝てないし、西洋コンプレックスを出れないんだよね。2000年代以降になってさえ、海外でサイトスペシフィックなアートが流行ればそれをやる、リレーショナルなアートが流行ればそれをやる(近年の地方の大規模な芸術祭や地域アートも完全にその流れ)。それを、町おこし、なんて言って、欧米芸術大好きな美大や芸大の先生だけじゃなく文化省や国土交通省までが動いて、巨額の国費を投じてね…。古代の日本人は中国の王と張り合うために知恵をしぼって天皇という呼称を考えたけど、現代のアートでは都知事がバンクシー様とかを有難がってる有様なのでw
@@中臣鎌足-x7u バブル時代は美術館をどんどん建ててみたりしましたが、中身がなかったりしましたしね😥
本来は「何を言うのか」が重要でも「誰が言うのか」が問題になるのは、アートに限らずよくある話ですね😓
写真が登場しても絵画は生き残りましたが、こうした在り方は「AIが登場しても芸術は生き残れるのか」という話に繋がってきそうな気がします😓
既存のものをより良く作るのは、人間よりAIの方が得意でしょうし、それは追随されているバンクシーも例外じゃないと思います😓
「訳の分からないものをアートと言う」と思う一般人は、日本でも海外でも同じでしょうから、見る人や買う人が何に付加価値を置くか、じゃないですかね?😓
AIの優秀さで人間の芸術家が駆逐されるのか、生産力の低い人間の芸術家に希少価値を見出だすようになるのかは、分かりませんけど😓
浮世絵ってのは江戸時代の大衆文化、商業作品なんだけど、明治以降に入ってきた西洋的な価値観でアートになっちゃった。でも浮世絵って今の技術からすると拙いものだけど、印刷して複製が多くあるものだよな。なんと言うか不思議だよね。日本において独自に進化したものが、「アート」の概念の破壊者のさきがけになったような感じで。
確かに現代アートはそうかも
けど現代のすごいところは、アートとして作られてないものが得てしてある種の芸術性を秘めて生まれてくるってところだと思う。そして、それが伝達できることそのものがもう芸術だと思う。
例えば何かの競技の試合の1シーン、決まり手の瞬間のあの昂りであったりとか、何気ない1フレーズがネットスラングとして広がっていつしか現実でも普通に使われているのとか、科学の発達によってこれまで人の手の及ばなかった景色がどうなってるのか見れるようになったとか。
全部芸術だと思うよ。だって「すげー」とは思っちゃうじゃないか。
つまりスゲーって思ったらアートってことでおけ?
@@ib4592
それは本質に近そう
現代アートに対する違和感というか、嫌悪感をみごとに説明してくれた!
なぜか感じる下品さとか、安っぽさはこれなんだなー
まだ見ぬ美しさの形を模索するのが現代アートだとすれば、間違いなくそれは評価されるべきものであるはず。
最も唾棄すべきものの遠因はそれに価値をつけてしまった遥か昔の過ちの中にある。
ここで困ってしまうのはアートで食っていきたいというエゴをもったアーティストの存在だよね。
5:38 ~
デジタルアートも複製品がネット上に散らばっていて価値がないのを、唯一性を与えて価値化したのが今のNFTアートってやつなのかな?
その通りだと思う。
ダビデ像や最後の晩餐がアートとして最も知られているのは、多くの人々が見てこれは素晴らしいと共感したからこそ芸術的価値が高いのは理解出来るけど、現代アートという枠組みでしか生きれない、単体では何の価値もないゴミにしか見えないのが数億とかの値段になるのはなんだかなぁとは確かに思います。
お金で取引している時点でオワコン
現代アートは資本としか考えてないから
現代アートの羊頭狗肉な感じっていうのはわかるけど、尊敬すべきでないものを尊敬するというのはむしろ人間の本質なんじゃないかと思う。
本来は尊敬すべき要素などない虚構に多くの人間が価値を感じることで、芸術はもちろんあらゆる文化や秩序が成立してる。
徹底したニヒリズムの立場をとれば、ありとあらゆるものが尊敬に値しない価値のないものなのに、現代アートというカテゴリにだけ特段ニヒルな対応を取るというのが正しいとはあんまり思えないな。
私がこの方の話で思っていたことを言語化していただいてありがとうございます。その通りだと思います。
芸術なき後の世界において芸術を見つけ出す行為が重要なんだ。
はー...説得力よ。
最近仕事柄、毎日リヒター作品に触れるんだけど、なんとなく感じてたのを全部岡田さんが言語化してくれた。
現代アートの最高峰なんていわれるリヒターですら多作で、作風もばらばらなんだよなぁ。
昔、現代音楽ってのを友達に薦められたが、その時のモヤモヤした感じがこの回でやっぱ嫌悪感だったんだと認識したw
待て待て待てぃー!!
いや、言いたい事はわかるけど!わかるんだけど!自分の好きなアートはそういうんじゃない!
「アートを過大評価しがち」←めちゃ分かる。
アートというラベルを貼ることで「ありがたがる」というのがムカつくっていうことだよね。
でも、現代アートっていうのは、そこに目を向けているんだって!!!
そのラベルが付くからアートって良いものとされるのか?
美術は高尚なもので知識のない奴は触れちゃいけないのか?
いや、違うだろ!!!
っていう美術の在り方を追求するのが現代アート(全然違う作品もありますけど)
今までは美を追求するのが美術って感じだったけど
現代は美術ってなんだろう?っていうのが多い!
そこが自分の現代アートの好きなところ!!知っていってほしい!!
あと、話したいことはまだまだある!
ここのコメント欄の一番上は『美術館に眼鏡を置いたら行列できた』って話がバカバカしくて…みたいなやつだけど(そこまで言ってないか)
あれもすごい面白いと思ってる、興味深いって意味で!
そうだよね、あんなのバカバカしいよね。じゃあなんでそう思うんだろう?
美術じゃないものを美術として見てるから?そこに置いただけで日常品に大きな価値が付くから?
なら美術ってなんだろうね。自分は作品=美術じゃなくて、作品を通して個々が思考する=美術だと思う。
こういう美術の区切りを広くとろうとするのが現代アートは多いんだよね。
ただのメガネだとしても、そこに置くだけで色んなこと考えさせられるんだよ?面白くない?
多分、こういう現代アートが嫌いな人は、作品=美術として見てるんじゃないかな?
でも、その作品には歴史的背景があって、目に見えない多くの考えとそのぶつかり合いがあって。
だからね、この岡田さんの話を否定なんて全然しない。なぜならそんな風に「そんなんおかしいじゃん!」もアートの一部というか、そこが現代アートの面白いところだと思うからね!!
アートはまわりを取り込んで(もちろん観測者も)、はじめてアートとしてそこに立ち上がります。
そして、アートはそれぞれが絶対的に自律している。
岡田さんが定義してる芸術っていうのは職人技術を糧に作られた優れた工芸作品のような物を指してる
20世紀以降にその技術を捨てて作られた絵画や彫刻は芸術ではないと
つまり西洋美術史の文法上でのみ成立するような知的ゲーム化したアートに芸術の本質的な価値は見出せないと
でも実際はそうゆう作品だけではなく、内容を理解すれば鑑賞者に新しい物の見方を示したり、感動を与える優れた現代美術作品もたくさんある
職人技に裏打ちされたコンテンツを大事にしてきた方の意見としては納得できるけど、現代アートの商業的な側面ばかりに焦点を当てて本質的な価値から目を背けるのはもったいない気がする
現代アート全然理解できませんが、「価値の無いものに価値を持たせる」という考え方はいかにも現代的だなあと思います。
岡田斗司夫も、コメント欄で賛同してる人たちも、「自分の思う現代アートのイメージ」と闘ってるよね。
仮想敵作り上げてサンドバックにしてるだけだから、実際の作品名も大して上げられずに、「最近の現代アートってこうだよねー」と言葉の強い主張ばかりを流してしまってる
自分が思う作品を作るという純粋な心だけでいい。
確かに今はTwitterでもいろんな人が色んな絵を挙げているけれど、多くがイラストや漫画と呼ばれていて「アート」と呼ばれるものの絶対数が少ない事はわかるよね。
これが価値が無いからなのか、我々庶民層とは分かり合えない存在なのかって話だけど…
よーわからん線ピピッってやったやつより可愛い子の絵とか見たいやん。
本能よ本能
スマホとかが普及している今、誰でもすぐに絵を描ける様になって新しい表現ってのはもう無いのかなって思ってます…
ガンダムにせよ、ヱヴァンゲリヲンにせよ、まどかマギカにせよ、
何かを表現するために、頑張ったことが、みんなに伝わる。
そこにアートがあるのでしょうか?
でも、頑張ったでしょ?と良い回る人は、頑張ってないように見える。
芸人、芸能人を芸術と同じカテゴリに図々しくも含まれている理由として腑に落ちた気がした。
現状価値があるとは言ってもらえないけど、将来的に何かの発見や技術に繋がることの実験場として、現代アートっていう安全地帯が存在することは必要だと思うけどなあ
経緯とかは人それぞれでいいんだよ。
どんな不純な動機でも、好きならそれでいいじゃない。
アートあるある。 ゴミを再利用する。同じ物を沢山使う。天井から吊るす。巨大にする。作ったものを壊す。場違いな物を置く。模様を入れる。光る。風で動く。水を流す。何かに投影する。だまし絵。
作品の来歴:美 が 7:3 位に感じる。伝統工芸品みたいな古い庶民の器が美術品として生き残るように、今は無理でも年月が美を磨くこともあるだろうさ。自分的には現代アートより伝統工芸品のほうが好きなのだけど。
岡田斗司夫さん2013年くらい少し見てた時期があったけど、言葉が強すぎて見るのやめちゃったこと思い出した‥
最近の岡田さんは昔よりももっと柔らかくなって、この頃よりさらに目線を落として語ってくれるようになった気がする。年月重ねたからこその意見として、またアートについて語って欲しいな~
アーティストならアートでその価値を語ってくれないか?いまだになぜ多くの「評価されているアーティスト」が
匿名でアートをやらずネームバリューを大事にするか理解できん。
対してアニメや漫画、クラシックを除く音楽などもはちゃんと現代の情勢に影響されながらも「人」に伝えるアートが確立されている
現代のよくわからん評価されているアーティストが「人に伝えたい」といっているけれど、結局現実的に伝えられている「人」は
「芸術に関心がある人・関わりがある人・投資の価値でしかないと思っている人」オンリーなんだということを。
岡田さんはちょっとオーバーに言い過ぎているけどね。
美学上、作品は単体で独立したものだという定義がある。
様式(技法などのスタイル)や年代や背景となる文化や国籍などの視点で異なる作品どうしを「くくれている」だけ。美術史=様式史みたいなものだから。
アート作品だ、と言っている時点でアートという概念でくくろうとしているので、それは作品を見る視点ではなく、作品の立ち位置を社会学的にとらえようとする視点。
たとえるなら、その人個人の人柄を見ようとする視点と、その人を「日本に住む大阪人」として見ようとする視点はまったく別物だということと似ている。
要するにアートは、事後的に「アート」と社会から見なされるくらいが丁度いい。
歴史的に重要なアートが生まれたときには、作品が既成概念や既得権益や既存のシステムと衝突するか、それらから巧みに隠れてカモフラしてるか、だいたいどちらか。
歴史的にそれほど重要ではないアートは、既成の美意識の文脈でつくられた(多少の独創はあるだろうが時代を変えるほどではない)もの。アートにも「質」はある。
大衆文化として表現されたものが、何十年もしてアートとしての価値を社会から付与され、学問として整理されていくぐらいでいい。
自分からアートを名乗っていいのは、既存の価値観や審級意識に対する宣戦布告を行っているときだけで、
アートという権威をつかって商売しようとしている時点で「アートの残骸」。でもアートではない、とはいえない。この幅が「質」。
村上はアートとアートの残骸を行き来している芸術家。
芸大出身=アーティスト、という考えも「文脈に含まれているかどうか」の話で、残骸としてのアートを名乗るならその程度の条件だ…というぐらいの話として聴いておくべき。
ちなみに美術は「視覚芸術」だとする美学上の定義は存在するので、視覚芸術の枠を超えてサウンドスケープとかやりだしていたら、それは日本語だと「芸術」でよい。
音楽とも文学とも美術ともとれないクロスオーバーな芸術の世界を「アート」とか「現代アート」とか言っている可能性もあるけど、
だとしたら「現代アート」というジャンルの別のものだとしてしまってもいい。
村上が言う「文脈」の話を持ち出すなら、東洋人というだけでアウトサイド・アートだし、「現代アート」という学部や学会でもつくって別の文脈をつくればいいのにとも思う。
村上は藝大日本画の文脈なのだから、彼がつくる立体物などは個人的には正直どうでもいい。なにせ文脈すらないのだから。
藝大日本画の文脈のなかにいる村上という画家が、トチ狂って立体つくって現代アートとぬかしてミスリードをさせて商売して稼いでる。これが正体(笑)
でも、それらは美術や芸術が不要とか、無用とかという話とは別なので気をつけたい。
過去と未来をつないでいる美術や芸術の考え方や魂みたいなものは、大衆文化のなかに広がっているのは間違いないのだから。
岡田さんが言っているのは、昨日までアートと呼ばれていたものについて語っているにすぎない。(既成の概念としてのアートまたは社会学的視点としてのアート)
あんた、何者?笑 こんなに理路整然としたコメントは久しぶりに見た。おおよそ一般人には思えない
めちゃくちゃ説明上手いな
私を含め世のアート好きがなんとなくモヤモヤ感じていたことを、アート嫌いの岡田さんに的確に言語化されて意気消沈してる方も多いと思いますが、あなたのコメントもまた素晴らしく言い得て妙。やんわりとした反論、最高のフォローになりました。有難うございます笑
その「質」っていうのが、まんま動画内の光と影の話ではあるよね。結局現代アートと称される対象物が、どういう定義と文脈を持ってアートなのか分けられないし、それを定義して分けようとしてるのはアートビジネスで食おうとしてる人らだろうってのがこの話の根幹だろうね。
そうじゃない物は基本全て岡田斗司夫的には経済的に消費される「モノ」であるとか「コンテンツ」であって、資本主義社会で"アート"という概念が明確に区分できていない事を嫌ってるんだとも思うわ。
芸大で油絵描いてたけど、現代において絵画も映画も漫画やアニメには勝てないと思う
元々昔も王族や貴族が美しい絵を求めて価値を認めてくれたから生きていけたけど、現代においては人がその作品に価値を求めてくれればいいし、パトロンが存在しないと絵画だけで生きていくのは難しい
それは日本ではって話?日本は昔から表現主義より技巧的で緻密なものを好む
だからミュシャやモネが好かれ、若冲や北斎のファンが今でも多い
現代アートはアメリカの文化だし、現状海外で大活躍している日本人アーティストは数える程度しかいない
村上隆が唯一世界のトップと渡り合えてると言える程度
しかし日本人の気質を考えるにそれはしょうがないことだと思う
会田誠や池田学、山口晃が売れてるのは日本だからこそであり、海外で活動してたら全く売れてなかったと思う
@@haguregumo4海外の評価全肯定ですか?あなたの価値判断基準は海外で評価されるかどうかなんですか?
@@Taaa1216
そんなこと全く言ってないよね?
言語化や論理化できてしまったらそれはアートじゃなくなる。大衆が再現可能なものだったらそれは商業作品であり、アートじゃない。
この不確定さに漬け込んで、アートを権威化・独占する層がいるのは確かにおかしいことだけれども、それだけがアートじゃないと思う。
アートは結果でしかなくて、手段としてのアートを語ること自体がナンセンスなんじゃないかとも思うけど、芸術界はそれを認めちゃうとお金を引っ張れないからなぁ。。
でもアーティストや作品は過去も現在も変わらずあると思う。
そしていい絵や曲に触れた時に、これは良いものだと感じる個々の感性がとても大事になる。
アートのスノッブが鼻持ちならないという意見はわからなくはないけど
それに対するサブカルからのコンプレックスの露悪的な発露もたいがい卑しい
自分に理解できないものはだれにとっても価値がないものでなければならないみたいな傲慢さを当然のように振舞わすオタクが多すぎる
それな。岡田さんが喋ると、オタク側にゲームやアニメの美少女愛する陰キャが大量に集まってききて、アートは陽キャに必然的に分断されるのマジで面白い。
オタク側のリーダーの岡田さんがこれじゃあなぁ。。
コンプレックスから他を攻撃しても良いは大人気ねーよな。
この人の意見には、受け入れにくいものもあるが、
「アート」に関しては完全に同意
冒頭で写真、映画、印刷が出てきてアートの役割は終了している云々と言われたが、単なる個人的な感想を美術史的な一般論の様に言うのは良くない。20世紀に芸術のバリエーションが増えただけであって、それ以前の芸術観が無価値になった訳ではない。
純喫茶はカフェーと違うという意味で生まれたけど、カフェーはお酒を出すというよりは女中さんが接客するいわゆるキャバクラ的なお店だったんだよね。確か大正時代の文化だったと思う。
特殊喫茶に対しての純喫茶ですね
自分はリアルな描写とか綺麗な女性が好きなので、クリムトとかミュシャは初見でも歴史とか考えずに楽しんで見れました。
迫力とか面白さだったら草間彌生さんは何も知らなかったけどすげ〜ってなった、会場自体が作品みたいだった。
人が自分の思いや考えをその人自身の手法·技法で表現し、それが美しくも醜くも心を揺さぶることは時代の中での文脈がどうあれ有ると思います
その感動を以て、僕はアートは終わらないし好きだと言いたいです
でも、ある意味様々なものが出尽くした様な閉塞感の中で足掻くことで思想に偏りすぎて情緒的な感動が薄れてしまった上にマネーゲームのネタになったことで、只の感心になってしまうという意味では現代アートがアートの行き詰まりというかオワコンの翳りを示しているかもしれないのはありますね
アートは手法、技法、思想のバランスが有って成り立つものだと考えると、技巧に偏りすぎた絵が写真に圧されたり、思想や手法に偏りすぎた現代アートが難解になって嫌厭されたりと言うのはアートの本質からずれてしまったという意味では当然の話かもしれません
つまり昔は直感的で今は理屈的に変わったという事ですか?昔の物はその物の良さの評価だけで今はギャルの様に、このアートを評価してる自分は頭良いセンス良いと言う思い込み
あなたもずいぶんひねくれてるねw
でも、言ってる事には同意だ。
岡田氏の言う通り、昔のアート唯一無二のものであり天然記念物とかと同じで、そこに存在するだけで価値があった。一方で、その昔から「このアートはどんな技法で描かれたのか?」と論理的に追及する人も昔からいた。
アートがいくらでも複製でき、ネットで疑似体験できる現在では前者の価値は薄くなってしまった。理屈的に変わったのではなく、理屈の部分だけが残ったと言った方が適切だろう。
印象派に対する理解が完全に誤ってる。印象派は見たものを描くスタイル。心を描くのは表現主義
日本語じゃわかりにくいけど、(印象主義:Impressionism 表現主義:Expressionism)と対になってる
現代アートを学んでいるもので、作家を目指していますが、めちゃくちゃ不安です。やればやるほど、これに意味なんてないんじゃないかと思います。美しいものを作ろうとすると、趣味でやりたいの?とか言われるんですよね。表現するってなんだろうとか、何のために作るんだろうとか、どツボにハマってしまう
作るための意味で悩むようなら、辞めれば良いかと思います🙇
どうしても作っておきたい‼️と思うなら、自分にとっての必要が高く、それがアートなのでしょう。
完成したら、アート魂は発散した。と言えます。
誰だったか、『アートは、う◯このようなもの』と言ったそうです。
@@らせ-h9u 適当なこと言わないでくださいよ…
そこまで悩んでもやり続けるほど大事なんです。適当なこと言わないでください。
@@らせ-h9u 心のままに、趣味で好きなものを作りたいとかじゃないんです。本気で表現とは何か考え、美術史を先に進められるような、今の現代アートとは別種の表現を作りたいんです。
本気で美術と向き合っていれば、1度は通る悩みだと思います。悩んでもやり続けてそれに答えを出していくんです。
適当に、簡単に、やめろとか言うな。
@@えのえの-h4v 適当なんかで、言っていません🙇
今回の岡田斗司夫さんの仰る話は、本にすれば、数十冊以上で説明する必要があります。
芸術を知るには、時代背景を知ることが重要です。
まずは、岡田斗司夫さんの言ったことを紙に書き起こし、時代考証や、時代のルールを調べることが大切です。
@@えのえの-h4v あなたも仰るように、美術史というように、美術の歴史です。
キリスト教を広めるために、法皇が国王と話し合いながら、教会に設置したり、
フランス革命で、美術が国王のものから、民衆のものになったり、
工業デザインのため、使いやすさを求めるか、見た目の印象を感じるかで悩んだり、
神に近付くため?に、宇宙開発しながら、さまざまな技術競争しています。
みんな、それぞれ理由が違えども、ぶつかりあい、衝撃を与えます。西洋の屋敷に来訪した客人をもてなすために、そっくりに描いた肖像画は、写真の登場が大きく影響して、衰退していきました。
未来を切り開くのでしたら、最先端のchatGPTを学ぶべきでしょうか?
でも、もっと凄いものも登場するようなのです🙇
やめろ、と言ってすみませんでした。
関係ないかもしれないが、芸人が審査されてる時の顔と美大受験生が講評受けてる時の顔全く同じなんだよね
この動画でも語ってる通り、村上隆の言った「アートの定義は芸大出てること」なら芸大出てない岡田斗司夫のアート解釈は所詮外側からの批評に過ぎない。
内側の者からすれば〝芸術家でない人の考えだなあ〟って別意見
自分ではむずかしくてうまく説明できなかったが、岡田さんのいう通り。ほんとにそうだと思う(ほぼ)。すごくつよく同感・共感できる。
岡田さんは好きでいつも見てるけど日本人の典型ですね。友人のパリの現代アートのアトリエには近所からお客がきて、壁にかけた絵を変えたい、模様替えしたいから。という基準で買っていくんだよ。5万ー50万のものがよく売れてたな。2週間アトリエに一緒に昼ごはん食べに行ってたから。。部屋にかざるんだよ。金持ちじゃない人もね。日本じゃソファーやテーブルに5万ー100万かけたりするけど。パリの庶民は安いアートを買って模様替えするんだ。
自分が価値があるって思ったらそれでいいと思う、ただそれを他人に押し付けたりするのは違うと感じる。私は絵が好きだ。
間違えちゃいけないのはこの人はただの岡田斗司夫であってアート界の神でもなければ芸術の巨匠でもなんでもないただのおじさん。「岡田斗司夫が言ってるから現代アートはアニメ以下なんだ」みたいな風にこの話だけで鵜呑みにしてる奴らは見下してる現代アート作家以下の金魚のフンでしかないよ。
それもアートなんじゃない?ただのおじさんが動画を投稿して、それを何万、何十万人の一般人が視聴する。面白いね
私も現代アートの技術を伴わないものが苦手です。適当に書いたものに意味づけすらばなんでもアートになる。
多分ここでみんながアートとして話してるのは一枚の絵とか1個の創作物で全てを伝えようとしてるグループ?団体みたいな感じで、でもそれが今は一枚の絵じゃなくて何枚も見せて伝えようとしてるのが漫画アニメ、映画ドラマなのであって別にみんなが感動してる流れは変わって無いと思うから全てがアートと俺は言えると思う。
もっと言うと一枚の絵描くより何百何千描いて動いてるように見せるアニメの方が大変なのに、アニメーターの給料が上がらないってところが完全にアートを終わらせる最大最悪の問題だと思う。ほんと国でなんとかした方が良い。
聞けば聞くほど妙に腑に落ちるわ。この話、なんか現代の通貨にも通じる様な気がする…
フルメタルジャケットのハートマン軍曹の「お前は現代アートの醜さだ!」ってセリフ思い出した。
私の母『現代アートは全部粗大ごみにしか見えない』と言っていたな……
13:20 唐突にお湯作っててワロタwwwwww
20世紀以降ということは、フォービスムやキュビスムなんかも入ってるんですかね
フォービスムの情熱やキュビスムの形態破壊的構成は美術の全ての歴史を見ても素晴らしいものだと思うのですが…。
バンクシーが人気なのこれだよな
稚拙な話になるけど、現代アート先輩がいい例だよね
知らない人からすればただの4色だけど、知ってる人にとっては秀逸
いつも思うけど岡田斗司夫の話は面白いし、tube界で唯一観てて楽しいコメ欄。
個人個人が岡田斗司夫の意見を自分なりの考えに落とし込んでるのがいいよね
87億円もするモネの『睡蓮の池』は結構長い間、上下逆さまに展示されていたらしい。
間違った展示法にも関わらず、『ほぅ!やっぱりモネはイイねぇ!』なんて言ってたんだから所詮アートったってその程度の理解で分かった風な鑑賞してたってことだよなぁ。
普段私たちが生きている日常とは親であり、子であり、学生であり、などなど。
社会的な枠組みや価値観があって。それを世界だと思っている。。。
こうした事をとっぱらって生そのもの。純粋な。ただ今、生きているということを感じ畏れ、身震いする感情。
芸術とはそういうものを表現したり、想起させるイメージを持っているんだと思うね。自分としては。
こういう定義がないとエンタメと芸術の違いすら分からない。目的が違うんだから。
エンタメは芸術の真逆だから。それを忘れる為のもの。純粋な生を一旦忘れ、その恐ろしさから身を守るためのもの。
思うに芸術への欲求がない人やその意味が分からない人に価値を説明するのは不可能だと思う。
昔ながらの絵描きとか彫刻家を保護する制度が現代アートなのか、とか思ったりしました。
「美」そのものであったアートが、
個人の主張を伝える「道具」になったのかなって。
その主張をバックボーンから読み解ける人には多少なりとも価値はあるんだと思う。
無論俺は現代のアートの中にも美しいものはあると感じるけど、たまにある意味不明なやつはそんな感じかなと。
美大行ってたけど、最近のアートと言えるもの見て絶望したからやめたわ
特にバンクシーの絵を賞賛する奴らは特にアホだと思うわ、絵に細工してシュレッダーかける行為とか見たら バンクシーの意図読めるでしょ、自分の大したことない絵を賞賛して高い価値つけて バカなの?って風刺されてるんだよな
うーん、その風刺するという事象がアートになってしまうんだなぁ
絵じゃなく戦略が素晴らしい
「ラクガキ」で、「一点もの」にしたてあげてるところとか見事
それな
芸術の学校に高校から行ってたのにその頃から絵とか描くのアホらしくなった
正直もうどうでもいい…
芸大卒だけど、激しく同意します。
アートなんてオナニーと大差ないです。
ラーメンもアートで
ラーメンを食う前にお腹を空かせることが現代のアートの楽しみ方なのかもね
そもそも人間の創り出すものはなんでも「芸術」に成る事ができる。
あってないようなものなんだよな。
そこに技術が入ると「ある」物になる。俺は「ある」物が好きだなぁ
美大生ですが、売るのが目的のアートについてしか言ってないよなこれ。地方のギャラリーで自身の哲学と人生を見つめて魂削ってひそやかに展覧会してるアーティスト達には、純粋な美しさを感じられるよ。
芸術の本質はそんなに簡単に説明できるものじゃないと思うなー
岡田もそこは否定してないよね。
戦争をアートにするのはピカソのゲルニカがすでにやっているとの事ですが、ロマン主義のゴヤやドラクロワを経ている訳ですし、普通の流れだと思う。