ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
くまラボさん、何時も投稿ありがとうございます🙇陣形はとても勉強になります🙇ありがとうございます🙇
いえいえ、こちらこそいつもありがとうございます!正直調べても調べても奥が深すぎて理解が追いつかないことも多くて💦またいつかもっと深い動画を作られるように調べはつづけてみます
基本をさえつつの考察助かります。
ありがとうございます!あまり考察しすぎるとロマンがなくなるので、それはそれで悩ましいです
言葉が通じるかどうかも怪しい兵(他人種)を使って大陸の平地で戦う事を念頭に作られた陣形を日本の地形で使ってたらあっという間にやられそうですもんね、平和な江戸時代になるまで注目されなかったのも分かる気がします。
本当にそうですね💧山間部が多い日本では無理ですよね平和な時代にはやったのも今我々が戦争映画みて喜んでるのや、昔の資料から戦いの想像や妄想をしているのと同じなのかもですね
@@kuma-lab 決戦する時って山か谷か湿地帯でやってる事が多いですもんね、大雪を挟んだりとか。戦国時代はその場の生の情報を元に各々の勢力が自分達独自の戦略で統制して個々の作戦を用いて戦ってたと思うと熱いですね!
@@Seaza_Sr1 それと同時に前線指揮官もかなりの教育水準だったのかな?と驚きも感じますね
陣形を解説した動画は少ないので勉強になりました。興味深かったです。
ロマンが消えてしまったのでちょっと後悔してます笑
最後に出てきた関ケ原、くまらぼさんの言う通り、丘あり谷ありで平原と言っても見通しが効くわけでは無かったです。まして他の戦場なら。連携と言っても伝令や狼煙・法螺貝などに頼らざる得ない中、どこまで陣形が機能してたかは動画見て納得です。そう考えると武将ってすごいんだなぁ
しかも現代のある程度区画整理された状態であれですからね💦かなり前線指揮官の現場判断力が重要だったのでは?と思います正直調べれば調べるほど理解できませんでした!笑
信長に家康が鷹狩をよくした話は、そういう事だったんだなと、実感。面白かったです。
鷹狩りってたしか軍事演習的側面もありましたよね??やっぱりその辺は抜かりなく日頃からトレーニングしてたってことですね地形も把握できますしね
自分的には、陣形という概念はあったと思いますが、実際は運用されてなかったと思ってます。理由は動画の通り。関ヶ原の戦いでも、敵の動きに合わせて軍勢を配置した結果が西軍は鶴翼の陣になっただけと思ってます。おそらく小規模な戦いでも同じかと。
やっぱりそうですよね...陣形で敵を攻略するってロマンがあるから知恵を凝らした陣形で敵を粉砕する戦いをしていて欲しかったですが、調べれば調べるほど陣形で戦うのは無理な気がしてしまいます💧
@@kuma-lab返信感謝です陣形を使い切るには、正確な自軍位置と敵軍の位置がわかってないといけないと思います。外国のような何もない、もしくはかなり先まで見通せる地形(平原、平地)なら高地や山の上から見下ろして全軍に指示を出せると思いますので、戦史のような陣形を意識した戦い方ができたと思います。しかしながら、日本にはそのような地形は一部しかなく、大体が山間地又は山林を戦場にとしてました。そのような地形だと防御戦となるか遭遇戦となる形が多かったのではないかと推察してます。そして何より、陣形を駆使した戦いはかなりの練度を要求されます。外国では傭兵団等が主力として戦争をしてました。これらは戦いを商売とした組織。当然、勝つための訓練を恒常的にしていたと思います。日本の場合は、そのような集団は規模が少なく、主力になり得なかったしだんだんと戦国大名に取り込まれたり滅ぼされたりして独立した武装集団としては存在できませんでした。そして家臣団を形成した大名は、戦争の時のみこれらを動員してましたので家臣団として実員での訓練をしたことはなかったと思います。また、家臣団の中で独自に訓練をした場合は謀反を疑われた可能性が高いので家臣としても錬成してなかったと思います。つまり、日本は個々人の武芸を磨くしかなかったと思います。そんな状況で大名が、鶴翼の陣に移行せよ!といっても家臣団は?鶴翼???どこに誰が動くの?となったと思います。おそらくは、物見:☆☆山に軍勢が!家臣:あの旗印は○○が軍勢!殿、敵にごさいます!家臣2:あの位置は我らの退路を窺う位置!殿、いかがいたしましょう!大名:こしゃくな!あの近くには**衆がおるはず!直ちに向かわせよ!家臣:直ちに!こんな感じで軍勢に対してこちらの軍勢を当てる感じて推移していったのではないのかなと思ってます。
以前mmoの攻城戦の指揮を取っていましたがチャットを使えるのにまるで機能的に陣形を組めないんですよね。囲めと言ってるのに中央が突出していくし。所属していた消防団の全体訓練を参考に移動から基準となる中心隊に合わせての整列を繰り返したら見違えるほど移動の縦列からの横陣への展開が早くなったのを覚えています。行進整列の訓練侮るなかれ。まあ最後まで戦いながら陣形を変えるまでには至りませんでしたけどw
mmoはなかなか連携難しそうですね💦仲のいい友達だけでやるならまだしもオープン参加とかだと尚更ですよね消防団とか自衛隊とかも整列はただの団結力向上とかだけではないんですね笑自分はサバゲーで仲間内でフォーメーション考えてやりましたけど、速攻で全滅しました笑
ギリシャやキングダムの斜線陣は大好きですしハンニバルの包囲殲滅とかもロマンですけど、日本で地形効果なしで陣形だけでどうこうってイメージがないですw陣形にはならないかもですけど、軍全体で意思統一して動いてるってことだけなら薩摩島津の釣り野伏せが思い浮かびますし、上杉謙信が魚鱗を使ってたとかなにかで読んだ気がしますし、探せばあるんでしょうか?
陣形はロマン満載ですよね!これも想像ですが、おそらく戦略目標を軍全体で共有して、斥候で敵や周囲の動きを把握して大まかな攻撃日時だけ合わせてあとは前線指揮官に任せるみたいな感じだったのかなと思います正直たぶん陣形は後からこの戦の配置は〇〇の陣形でしたと付け加えられたのかなと思います💦正直戦の時はそこまで気にせずに配置してたと思います
くまラボさん、何時も投稿ありがとうございます🙇陣形はとても勉強になります🙇ありがとうございます🙇
いえいえ、こちらこそいつもありがとうございます!
正直調べても調べても奥が深すぎて理解が追いつかないことも多くて💦
またいつかもっと深い動画を作られるように調べはつづけてみます
基本をさえつつの考察助かります。
ありがとうございます!
あまり考察しすぎるとロマンがなくなるので、それはそれで悩ましいです
言葉が通じるかどうかも怪しい兵(他人種)を使って大陸の平地で戦う事を念頭に作られた陣形を日本の地形で使ってたらあっという間にやられそうですもんね、平和な江戸時代になるまで注目されなかったのも分かる気がします。
本当にそうですね💧
山間部が多い日本では無理ですよね
平和な時代にはやったのも今我々が戦争映画みて喜んでるのや、昔の資料から戦いの想像や妄想をしているのと同じなのかもですね
@@kuma-lab
決戦する時って山か谷か湿地帯でやってる事が多いですもんね、大雪を挟んだりとか。
戦国時代はその場の生の情報を元に各々の勢力が自分達独自の戦略で統制して個々の作戦を用いて戦ってたと思うと熱いですね!
@@Seaza_Sr1 それと同時に前線指揮官もかなりの教育水準だったのかな?と驚きも感じますね
陣形を解説した動画は少ないので勉強になりました。興味深かったです。
ロマンが消えてしまったのでちょっと後悔してます笑
最後に出てきた関ケ原、くまらぼさんの言う通り、丘あり谷ありで平原と言っても見通しが効くわけでは無かったです。まして他の戦場なら。
連携と言っても伝令や狼煙・法螺貝などに頼らざる得ない中、どこまで陣形が機能してたかは動画見て納得です。
そう考えると武将ってすごいんだなぁ
しかも現代のある程度区画整理された状態であれですからね💦
かなり前線指揮官の現場判断力が重要だったのでは?と思います
正直調べれば調べるほど理解できませんでした!笑
信長に家康が鷹狩をよくした話は、そういう事だったんだなと、実感。面白かったです。
鷹狩りってたしか軍事演習的側面もありましたよね??
やっぱりその辺は抜かりなく日頃からトレーニングしてたってことですね
地形も把握できますしね
自分的には、陣形という概念はあったと思いますが、実際は運用されてなかったと思ってます。
理由は動画の通り。
関ヶ原の戦いでも、敵の動きに合わせて軍勢を配置した結果が西軍は鶴翼の陣になっただけと思ってます。
おそらく小規模な戦いでも同じかと。
やっぱりそうですよね...
陣形で敵を攻略するってロマンがあるから知恵を凝らした陣形で敵を粉砕する戦いをしていて欲しかったですが、調べれば調べるほど陣形で戦うのは無理な気がしてしまいます💧
@@kuma-lab
返信感謝です
陣形を使い切るには、
正確な自軍位置と敵軍の位置がわかってないといけないと思います。
外国のような何もない、もしくはかなり先まで見通せる地形(平原、平地)
なら高地や山の上から見下ろして全軍に指示を出せると思いますので、
戦史のような陣形を意識した戦い方ができたと思います。
しかしながら、日本にはそのような地形は一部しかなく、大体が山間地又は山林を戦場にとしてました。
そのような地形だと防御戦となるか遭遇戦となる形が多かったのではないかと推察してます。
そして何より、陣形を駆使した戦いはかなりの練度を要求されます。
外国では傭兵団等が主力として戦争をしてました。これらは戦いを商売とした組織。
当然、勝つための訓練を恒常的にしていたと思います。
日本の場合は、そのような集団は規模が少なく、主力になり得なかったしだんだんと戦国大名に取り込まれたり滅ぼされたりして独立した武装集団としては存在できませんでした。
そして家臣団を形成した大名は、戦争の時のみこれらを動員してましたので家臣団として実員での訓練をしたことはなかったと思います。
また、家臣団の中で独自に訓練をした場合は謀反を疑われた可能性が高いので家臣としても錬成してなかったと思います。
つまり、日本は個々人の武芸を磨くしかなかったと思います。
そんな状況で大名が、
鶴翼の陣に移行せよ!
といっても
家臣団は?鶴翼???
どこに誰が動くの?
となったと思います。
おそらくは、
物見:☆☆山に軍勢が!
家臣:あの旗印は○○が軍勢!殿、敵にごさいます!
家臣2:あの位置は我らの退路を窺う位置!殿、いかがいたしましょう!
大名:こしゃくな!あの近くには**衆がおるはず!直ちに向かわせよ!
家臣:直ちに!
こんな感じで軍勢に対してこちらの軍勢を当てる感じて推移していったのではないのかなと思ってます。
以前mmoの攻城戦の指揮を取っていましたがチャットを使えるのにまるで機能的に陣形を組めないんですよね。囲めと言ってるのに中央が突出していくし。
所属していた消防団の全体訓練を参考に移動から基準となる中心隊に合わせての整列を繰り返したら見違えるほど移動の縦列からの横陣への展開が早くなったのを覚えています。行進整列の訓練侮るなかれ。まあ最後まで戦いながら陣形を変えるまでには至りませんでしたけどw
mmoはなかなか連携難しそうですね💦
仲のいい友達だけでやるならまだしもオープン参加とかだと尚更ですよね
消防団とか自衛隊とかも整列はただの団結力向上とかだけではないんですね笑
自分はサバゲーで仲間内でフォーメーション考えてやりましたけど、速攻で全滅しました笑
ギリシャやキングダムの斜線陣は大好きですしハンニバルの包囲殲滅とかもロマンですけど、日本で地形効果なしで陣形だけでどうこうってイメージがないですw
陣形にはならないかもですけど、軍全体で意思統一して動いてるってことだけなら薩摩島津の釣り野伏せが思い浮かびますし、上杉謙信が魚鱗を使ってたとかなにかで読んだ気がしますし、探せばあるんでしょうか?
陣形はロマン満載ですよね!
これも想像ですが、おそらく戦略目標を軍全体で共有して、斥候で敵や周囲の動きを把握して大まかな攻撃日時だけ合わせてあとは前線指揮官に任せるみたいな感じだったのかなと思います
正直たぶん陣形は後からこの戦の配置は〇〇の陣形でしたと付け加えられたのかなと思います💦正直戦の時はそこまで気にせずに配置してたと思います