【1913年】110年前の関西私鉄の広告欄【歴史×鉄道】

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  • เผยแพร่เมื่อ 4 ธ.ค. 2024

ความคิดเห็น • 5

  • @ruru3820
    @ruru3820 ปีที่แล้ว +3

    地元の駅名を見つけられて嬉しいです。ありがとうございました。
    電車も良かったですが、船の外国航路が定期運行されてた事に驚きました。
    曽祖父がこの頃海外へ行き来してたので興味深いです。
    運賃も知りたかったですけど。

  • @いはらかずや
    @いはらかずや 3 หลายเดือนก่อน +1

    当時、紀行文家としても名高かった作家・田山花袋によれば近畿地方は既に高速で快適に走る電車が縦横に走り、その発達ぶりを「東京ではちょっと真似が出来ない」と記述しています。
    ただ、そのためどこも開けてしまって、東京近郊のような太古の原野を思わせる武蔵野のような風景や素朴さは残っていない、とも。
    当時はまだ関東は東京や横浜などの一部を除けば江戸時代とそう隔たっていない風俗・風景だったらしいです。
    さらに、近畿は火山に乏しく温泉は関東の箱根や伊香保と比べるといかにも貧弱であるが、その代わりに近代的で豪華な大浴場が造られており、その様を「いかにも貴族的」と評しています。
    関東では「湯治場」然とした温泉が普通だったのに、京阪神ではローマの大浴場の様なものが造られているのは動画の写真でも判りますね。

  • @康裕土井-r3n
    @康裕土井-r3n 2 หลายเดือนก่อน

    やこ😢えなら

  • @opoco4473
    @opoco4473 5 หลายเดือนก่อน

    宝塚ファミリーパークではなくて宝塚ファミリーランドです。行ったことはないけどCMでよく見ていました。
    それにしても面白いし、勉強になります。
    これからも楽しみにしてます。

  • @GENNTA11
    @GENNTA11 ปีที่แล้ว +2

    烏滸がましい指摘になってしまいますが、地名は関西弁なので発音が違いすぎますよ。すごくいい動画なのでこれからも楽しみにしてます。