ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
目から鱗のお話しをスマホで拝聴出来る事は感謝しております。このテーマは興味深く何度も暗証するくらいに何度も拝聴してます。この時代から多民族とのトラブル発生で今に至ってると思いますと人の心は変化が無いですね!先生の変わらないご研究にすごみを感じております。何時までもお元気で頑張って下さい‼️
ーーーーーーおおおおおぽおおおぽおpppぽpおぽおっぽおおppPPppppppp
田中先生、ありがとうございました。これからも、一層ご活躍されることを願っております。
味わい深い素晴らしい講演でした。太子の暗殺は西洋と東洋の宗教的確執の中で起きた。現代のグローバリズムとナショナリズムの対立を思わせるとても興味深く、思慮に富んだ視点に感銘を受けました。民族的価値観を死守した故の暗殺。元総理が思い浮かぶ。
なかなか考えさせられるコメントですね。
TH-camで田中先生が「あらゆるとこでイルミナティとか色んな名前がでてくるわけで彼らを知る。ユダヤ人を知ることこそが歴史を知ること。」とおっしゃっていたのを観まして、茂木先生のユダヤの歴史シリーズを観るようになりました。その切っ掛けは俳優の三浦春馬さん(映画「太陽の子」を演じた)事件(自死じゃない)の根底にあるのもユダヤ人、ユダヤの歴史が広義に関係しているのでは?と思っています。世界各国、芸能(人)はイルミの広告塔として利用されている側面がある。田中先生と茂木先生の近日対談楽しみにしています。
ほ
学生の頃、友人と田舎道を歩きながら法隆寺を訪問した。帰り道、何故か疲れてきって旅館に帰った事がある。帰りのバスでうたた寝をしたが、問題は夜中の事。なかなか寝付かれず、やっと微睡に襲われた瞬間、夢のなかで後手から火の手が上がり、一斉に大きく騒がしい時の声が鳴り響き襲われる事態に投げ込まれ、驚き飛び起きた。その後眠れず一晩過ごし、明け方宿泊していた奈良の旅館を抜け出し近くの池の周りを散歩したのを憶えている。翌日は旅行の予定を止めて急遽東京に帰ってしまった。友人は一人残され旅行を続けていたが数日して帰宅したという。法隆寺は何故かただならぬ気が漂っていたのかもしれない。その後、梅原猛氏は法隆寺を怨念封じの寺と断じていたが、その様なものかと感心していた。しかし、今日の講義を拝聴して何かが氷解した様な気がする
しやがった、私もしゃがったと思います。同感です‼️😊先生、素晴らしい‼️
今年、年頭の ゛蘇我氏とは何者か” の田中先生の講演は、今回のテロをまるで予期されていたかのようです。たまたま何回も聴いていたせいか、安倍さんの思想や功績と奈良、すぐに聖徳太子暗殺と無関係ではないと思いました。ネストリウス派がユダヤ人の景教だと分かり、蘇我氏が同化はしたものの、聖徳太子を厩戸王に仕立てようとした事はユダヤ人の特性ですね。納得いきました。6月末思うところがあって、香取神宮に参拝しました。安倍さんの事を信頼出来ない時期が数年あったのですが、「大和心」と刻んだ碑を香取神宮に据えられた安倍さんの事を先生の動画で知ったからです。安倍さんの意思を想う人々の記憶がやがて「日本の神様」へと昇華する日が来るかもしれません。
そも、共同信仰の神道では、亡くなると神様になりますよね。安倍さんもカッコ良く神様になったと思った次第です。
又々全く同感同意です。2年前におっしゃってられたのですね。世界の人々は皆さん知ってたようですが、日本人はネットでなにをながめてたのでしょうね 🤔 "ひろゆき" とか、人の目を真っ直ぐにみることもできずにグタグタ言ってる者に 呑めってたようですね😆
蘇我氏が「我、蘇る」などとは考えてもみませんでした! たしかに謎の多い名前であり氏族ですね。しかし世の歴史学者はなんでこうイデオロギーに染まってるんでしょうね。とにかく稲作文化は朝鮮から来たのだとか、渡来人も大陸と朝鮮からと決めつけています。さらに都合が悪いのか、"聖徳太子"を消し去りたいような妙な動きもあります。とても学問をやってる人たちの態度ではないですね。田中先生の問題提起というか新説が、やもするとトンデモ論やオカルト扱いされてるのが残念です。これを本気で分析してみようという歴史学者はいないのでしょうか。よく考えたら、聖徳太子の逸話とキリストとの妙な符合は偶然では片付けられないですよね。
ネトリウス派は東方キリスト教ですからね
ワクワクしますね‼️
聖徳太子一家の悲劇は、東洋の中でも異質だと言われるのもわかります。西洋で起こるような、西洋型悲劇というか、ひたすら不気味に思います・・
大変よくわかりました謎が繋がった気がします後年 源平合戦 戦国時代 争いの日本になりますが 彼らの血のせいかもしれませんね悪いですけど 日本の学者さんて合理性にかけてる気がします 事実に基づいて研究しない 先生の存在は貴重ですありがとうございました
同感です。戦後の学者は殆どGHQご推薦の歴史捏造派をそのまんま踏襲しているから、朝鮮中国伝来で固まった塩漬けの脳細胞では新しい発見は望めないし、認識新たにしたところで脳の殆どを占めていた朝鮮中国の存在の転換を渋るから、素直に認められない木偶の坊だと思います。
群馬といえば多胡碑ですが、江戸時代の松浦静山の記録『甲子夜話』巻之六十三,多胡碑十字架の事,には多胡碑とともにJNRIと書かれたキリスト教の羊の十字架の描かれた銅板遺物が発見されていたという記録がありましたので、少なくとも和銅四年711年には日本にはネストリウス派のキリスト教がもたらされていたという物証でしたが現在失われてしまったのが残念です。
1400年以前からテロリスト達が居た事、当時から隠れキリシタンが居た事を想像してます。
田中先生、非常に興味深いお話ばかりで勉強になりました。ことに片岡山の飢人のお話は初めて知りましたが、正しくイエスの復活そっくりで、驚きました。
山岳信仰や山伏などの存在に対して、ユダヤ人との観点から考察してみることが急務ですね。
田中先生のお話大変面白く素晴しいと思います。ユダヤ人が日本の社会に影響を与えたのを理解できますが、日本から消えたのは、彼らは神道を受け入れる事が、できなかったと思います。物質を優先にしていたのではないかと思います。が最近しぶとく復活して日本をかき乱しているが、皆気付いています。バランスが大切だと。
素晴らしい講演です。府に落ちる事ばかりです。
全くその通りです。
鹿島神宮へ昨日お参りした。以前博物館の様な小さいものがあり、大きい剣、高い鼻、大きい目を持つ欧州系の大きい頭部がケースに飾ってありました。近くには曽我神社、高天原町ともっと日本の考古学会も茨城県の鹿島神宮界隈を研究して欲しいと感じる。きょうの講義はかなり考古学会に激震が走る内容ではないか、ずしりときた。
京都の松尾大社の数百メートル南側にある月読神社には、聖徳太子のお社がありました。確か、本殿に向かって右側に聖徳太子のお社、さらにその右側に神功皇后の逸話を伝える月延石。そこの月読神社の境内に聖徳太子が祀られているのは、聖徳太子が月読命を崇敬していたためらしいです。また、本殿に向かって左側には御船社があり、天鳥船命が祀られているらしいですが、私の場合はニギハヤヒを祀った祠のような感じを受けました。拝殿の依代がずっと細やかに振動していて、その日の空模様と併せて、生き生きと働いている見えない力が感じられたひとときでした。境内を後にして振り返ると、鳥居の紙垂がまるで合図でも送っているかのようにswingしていたので、バイバーイ😊と手を振ってから帰りました。
お話を聞いていると、聖徳という文字にも意味を感じてしまいます。
キリスト教を知らない左翼の大山が行う日本古代史は意味がありません。飛鳥昭雄のものは、参考になります。私は田中先生の講座を定期購読させていただいております。大変勉強になり、感謝しております。
キリスト教と言うと西方キリスト教,バチカン,カトリック、諸派,正教会、聖公会と思ってしまう浅い人が多いんですよ、要は聖書です。
@@sakurabirojin 「西方キリスト教,バチカン,カトリック、諸派,正教会、聖公会」のそのどれにも入っていないのが、いまだにキリストが話した言語であるアラム語で当時の教えを守り続けているオリジナルキリスト教(と彼らは言っています)です。その信者は、イラン、イラク北部でイスラム教徒に迫害され、トルコに宗教難民として押し寄せ、その後、国連難民弁務官が、フランスや米国へ難民として送り出しているカルデロン派です。その人たちだけが、本物のキリスト教徒だと思います。ローマを通っていないからです。
曽我氏以外は物部氏などは役職を表してるのに、曽我氏だけはそうでなくて何なんだろうと思っていました。推測するに文部省、大蔵省など知的な分野だったんじゃないかと思っていました。我よみがえる、というので、そうか!と思いました。
ユダヤ人埴輪が日本の考古学会では無視されているとして、世界、イスラエル、ユダヤ人コミュニティーではどう思われているのですか。
くけけけけかけけけけけきしき
田中先生素晴らしいああ、だからキリストはユダヤの神官を非難したのですね
蘇我氏でなく、中臣が殺害したが正解らしいです。それで我々はこの闇を暴かなくてはならないので、先生もその視点で頑張ってください。
蘇我のせいにされてます
私、愛知県豊橋住在多米氏改めて尾崎です。先祖は腹違いとはいえ用明天皇第一子、多米王、(豊浦皇子)私で87代目です第二子が厩戸皇子です、田中氏もう少し深く読んで欲しかった、25年まえ愛知大学学長久曽神氏と語りました。縁がありましたら古文書お見せしますよ。
コメント失礼致します🙇♀️よろしければ、聖徳太子様についての真実を教えてくださいませ_(._.)_夢うつつに聖徳太子様があらわれてから、様々な配信を探究しております。子供のころから、不思議な現象を見たり…しかしながら答えに至らずにおります。私の何かしら任務というか聖徳太子様からの指南ではないかと勝手ながら思いつつ、どう行けばよいやらと、身内友人知人誰一人味方無しの、孤独の中、思案するばかりです。宜しくお願い致します_(._.)_
東漢直駒でしたか、50年前、中宮寺では秘仏として白布で包まれていたと当時予備校の日本史の講師から聞きました。それまで公開されていなかったのですね。
蘇我入鹿以降4代の蘇我氏は、ユダヤ人(ユダヤ教徒)の渡来人だった、どう言う説。日本人のキリスト教徒1%の社会では、気が付かない盲点だが、西洋古代史-現代敷衍の美術研究歴の面から総合芸術史を俯瞰すると、古代ユダヤ教→キリスト教の誕生→教義論争と異端峻別→ネストリウス派の異端宣告→東方移動→トルファン・ウイグル・長安・杭州・上海・北京・朝鮮半島→日本渡来。更に1万年前のシベリア.樺太、北海道、津軽、北陸..東北.関東南下の縄文文明から、日本人の平和愛好の美術生活器具〜貝塚埋葬習慣の無文字遺跡の発掘研究考古学に敷衍した60年の研究結果に基づき、ユダヤ:キリスト・イスラム・古代〜現代の中国拡張の歴史わグローバルに俯瞰する。そうだったのか!の研究成果の広範研究成果。漸く、学術研究と言えるステージに登って来た。拍手👏。
ブラジルのイダイには多くのユダヤ人移民がおり、彼らは少数派です
素晴らしいです!1751年、英E.バーグはギリシャ以来のプロポーション偏重→崇高を初めて評価。遡る1100年前、日本で覚醒していた訳ですね。
発願「はつがん」は誤読(発癌の意味)、正式には「ほつがん」と読みます。
大変ありがたい知識です。ただ、話があちこち飛ぶので、聞くのが大変なのが残念です。
訂正:神道派の小姉君↓神道派の蘇我小姉君(欽明天皇第二妃。仏教派の蘇我馬子の姉・欽明天皇第一妃の妹、神道派の物部氏の後ろ盾。)
まあ、日本の文化は多重構造でしょうね。それとやはり『中空構造』なんですよね。日本の本質が【中空】であるため、外国文化を【同化吸収】出来るんですよね!
中大兄皇子や藤原筋もユダヤ人のDNAでニコライ2世や世界の王室ネットワ-クを築いています。香淳皇后が藤原筋ならいまの皇室の方々も入っているはず。違うならそれこそ大問題ですね。動画言論ありがとうございます。
聖徳太子を模したと言われる救世観音の光背がなぜくさびのように首の後ろに打ち込まれているのか不思議に思っていました。旧約聖書には離散した彼らが東の端に行くき、木や石の神々を拝むであろうと暗示されているような記事がありますね。列王記や歴代誌の彼らの相争う気質は、古代この国に来て同化してその後のこの国にの通奏低音を形造って来たものだと思われますが、肝心要の芯の自らの言葉を持ち得ないのは恣意的に虚構でこの国の成り立ちを形成しようとした(それも国統一に十分意味のあることでしたが)この事件が過去にあったからだと思わされます。背後で画策した鎌足(後の藤原)などもユダヤ的思考を持つ一族であったことが推察されます。
ありがとうございます。…ユダヤ人には、スファ…とアシュ…2つのグループがあると言われますが、どちらのユダヤグループを指して弄っしゃるのか、そこを伺いたいです。よろしくお願いいたします🤲
聖徳太子の祖母は、父系(用明天皇系)では蘇我堅塩姫、母系(穴穂部間人皇后)では蘇我小姉君で、聖徳太子も、ガチガチの「蘇我氏」です。
法隆寺の釈迦三尊像に倭王阿毎多利思比狐👻と光背銘にあり✍️しかし聖徳太子の銘はない🥸❓
非常に興味深い内容であることは間違いありませんし、間人はしひとの呼称も多様なので「こういう呼びもするのかな」とは思いますが、乙巳の変は違いますので、その辺りのご訂正をなさらないとせっかくの御説も広まらないのではないでしょうか。
我、蘇るは裏を反すと他人も蘇る❗だから他人を殺害しても蘇るから肯定的な教えと捉えて宜しいでしょうか?
ヘブライ語の古代文献が日本から発掘されない限りは証明は無理ですよね
関東蘇我氏です!関西物部氏です!
外国人観光客が多いのは古代日本列島を色々知ってるから
蘇我氏は神奈川県にいたそうですよ。聖徳太子も。藤沢市です。神武のおばちゃんが力説してます。
欽明期に大伴狭手彦が高麗を破り 蘇我稲目に 高麗の美女媛(をみなひめ)と侍女 吾田子(あたこ)を。稲目は妻に迎え軽曲殿の屋敷に住まわせる。その子が『馬子』ガチガチの百済仏教徒です。秦氏は葛城氏(衰退後 曽我氏)の部民(私有民)でしたが 雄略、欽明と王室への貢献と山背での経済力(朱の交易)を背景に太子からの信頼も得て右腕に。秦氏はネストリウス派です。太子の仰られた三宝とは『儒、仏、神』だから『豊聡耳』です。
質問 ユダヤなのに何でキリスト教なんですか?
ダブルトリック
田中氏の説は、梅原猛氏の「隠された十字架」の焼き直しにしか、見えません。読まれたことがない方は一読を。梅原猛氏の著作に関して、田中英道氏から、一言もないのも気になります。
田中先生は、井沢元彦さんの書いた(逆説の日本史)を読んだ事は無いのですか?井沢元彦さんの事を何で黙殺するのですか。是非一読を。
英語ができなくもなんとも思わない。翻訳機が出てきて日本語を話せばvoice翻訳が可能。
神道は一神教だったし、秦氏はキリスト教蘇我氏は仏教徒では?
仏教用語の「我」は梵語のatman(霊魂)の漢訳語。そして仏教は無我説。
今もムカシも変わりなしと言うことかよ😱😱😱‼️歴代に学ぶと自分の考えが方が深くなるのかもしれないですね‼️😔😔😔😔😔‼️🙄
キリスト教は仏教をコピーした宗教であり、教義は仏教とことなり非常に浅い。中身かほとんどない。仏教は深い哲学を形成する宗教である。何故キリストがインド仏教をコピーできたかというと、以下の状況があった。それは紀元前500年頃に釈迦が誕生して80年かかって覚知した仏教を完成させてこの世を去ったのち弟子が仏典集結をくり返し釈迦の教えを整理して仏教を完成させた。キリスト生誕後に紀元30年頃にはインドから仏教を広める伝道師が中東に来ていた。キリストはこの頃数年にわたり行方がわからなくなる。パクダッドでインドからきた伝道師について仏教を習ったのではないかという研究者が語っている。その後にキリストは布教を始めたという。だからキリスト教の構成は仏教の逸話や釈迦の伝聞とそっくりなものばかり。たから、田中先生が語ったキリスト教と仏教は似ているというのは正しい。
とても大切なコメントです。
勲章欲しくなった歴史学者、文化系学者の多くは、「仏教本山の推挙」を狙うんですなあ。
どこの古墳からユダヤ人埴輪が出てるのか教えて下さい。
芝山古墳
@@asa01053千葉県
自分の中で一つハッキリしないことが、山高帽・髭姿の絶対ユダヤスタイルの成立がいつ?と言うこと。4,5世紀の頃からを裏書きする資料があればいいのですが・・・どうもそれほど遡らない印象でスッキリしたい。蘇我の表記ですが、他にも蘇賀・宗賀・嗽加・曽我・巷奇・忌宣・奇哥など多様なのですが・・言わんとする事はお分かりかと。よみがえる我ですか・・物部 麁鹿火/もののべのアラカ。例の継体天皇時、筑紫の君磐井の件で浮上の彼。この麁鹿火、途中から麁鹿に改名。先代旧事本紀ではアラカの部分をソガのふりがなが。紀記原理主義の田中氏には想像できない深い話がありますがカット。ネタをばらせば兼川晋著/百済の王統と日本の古代。不知火書房 気になるお方にこの麁鹿も上記のソガの読みに入れるべきではというのが兼川氏。麁鹿/アラカなのに彼をよく思わぬ者達が陰でソガ、ソガと呼ぶようになったのではと兼川氏。この麁鹿のあと蘇我稲目・・積もる話もカット田中氏のナショナリズムからは気持ちの良い話で満足もいいのですが、他の説たとえば上記の兼川氏のなどもよいのではただ、非常に恐ろしいです。ユダヤと言えば私は久保有政氏もかっては読んでいますが。田中氏と久保氏の対談なんか楽しいのでは
当時、漢字は音韻。すが、そがに意味があるとも思われる。太子の筆頭舎人はネストリウス教を伝えたと考えられている秦氏である。御説のネストリウス蘇我が太子を殺害?かなりの証拠に基づいて論理構築をしないと、蘇我、厩戸皇子、延いては藤原を解説するのは困難。
同意です。
聖徳太子は、もっと公平に宗教擁護をしていたかと思いますが、仏教と景教の対立か共立かで歴史事実が変わったという事ですか?
言葉が難しくて、本読まないとだめだ。。。
神社⛩️~古墳~お寺へ!
うちの爺ちゃんもネストリウスだったんだが、やっちまったのか?
「蘇我」:日本書紀「宗賀」:古事記「宗我」:先代旧事本紀日本書紀の「蘇我」は「自称」ではなく、天智天皇が「ナゾの死」を遂げた後、(中央政界で蘇我氏が復活した)天武天皇時代以降の「諱(贈り名)」です。
この先生はおいくつですか、御自分が何を言って居られるのか同じことをいたかと思えば戻りで、、お気の毒です。之では説得できませんよ?
日本書紀は藤原氏が百済の文人に書かせたもので、藤原氏に都合の良いように書かせたので、かなり事実歪曲や嘘があります。当時は蘇我氏が大王家しかできない八佾の舞を行った事から、蘇我氏が大王家であり、蘇我馬子が大王で、その子の蝦夷即ち入鹿が皇太子だったようです。聖徳太子には18歳で国政を行ったと記録にあり、当時使われていた九州年号に聖徳があり、聖徳は629年から634年で入鹿の生年は611年ですから入鹿は聖徳元年にちょうど18歳になります。と言う事は、その頃馬子が亡くなっていますから入鹿は聖徳元年に18歳で大王位についたため聖徳太子と呼ばれたのではないでしょうか。そうすると、入鹿は大化の改新で暗殺されていますから、入鹿即ち聖徳太子を暗殺したのは中大兄皇子で藤原氏と言う事になります。
すごいですね
田中「秦氏は一神教を棄てた。」???インターネットで公開されている秦氏建立の伏見稲荷大社の教義すら隠蔽してる。ほんとうに「学者」と言えますかね?
ユダヤ人似のハニワが大昔にロシアに住んでたアイヌ人の写真の人にソックリで笑う。東の果てはカムチャッカ半島で日出るがロシアとかプーチンが言ってるのも笑う。
田中「秦氏は一神教を捨てた。」田中「自分の名前を蘇我とつけた。」嘘田中「…と思われる。」
釈迦の教えを否定している「般若心経」怪しいですね。
大山もポンちゃんだけど田中英道も言葉遊びとディープステートとハニワ頼みじゃねぇ〜か。
俺はお前らみたいに本頼みじゃ無くて映像を見せてもらってるんだよ。
この男の作り話を論破しようと思ったら簡単だけどな🤣
是非論破して下さい、できない?当たり前です、
何をイライラしてるの?スマートフォンさんは蘇我系等ですか?頭を冷やして今迄の史実を棚に上げておいて受け入れましょう!
地頭が悪い文系の学者が本読みすぎると田中英道みたいにパンクして訳わからんファンタジーをいい出す。
目から鱗のお話しをスマホで拝聴出来る事は感謝しております。このテーマは興味深く何度も暗証するくらいに何度も拝聴してます。
この時代から多民族とのトラブル発生で今に至ってると思いますと人の心は変化が無いですね!先生の変わらないご研究にすごみを感じております。何時までもお元気で頑張って下さい‼️
ーーーーーーおおおおおぽおおおぽおpppぽpおぽおっぽおおppPPppppppp
田中先生、ありがとうございました。
これからも、一層ご活躍されることを願っております。
味わい深い素晴らしい講演でした。太子の暗殺は西洋と東洋の宗教的確執の中で起きた。現代のグローバリズムとナショナリズムの対立を思わせるとても興味深く、思慮に富んだ視点に感銘を受けました。民族的価値観を死守した故の暗殺。元総理が思い浮かぶ。
なかなか考えさせられるコメントですね。
TH-camで田中先生が「あらゆるとこでイルミナティとか色んな名前がでてくるわけで彼らを知る。ユダヤ人を知ることこそが歴史を知ること。」とおっしゃっていたのを観まして、茂木先生のユダヤの歴史シリーズを観るようになりました。その切っ掛けは俳優の三浦春馬さん(映画「太陽の子」を演じた)事件(自死じゃない)の根底にあるのもユダヤ人、ユダヤの歴史が広義に関係しているのでは?と思っています。世界各国、芸能(人)はイルミの広告塔として利用されている側面がある。田中先生と茂木先生の近日対談楽しみにしています。
ほ
学生の頃、友人と田舎道を歩きながら法隆寺を訪問した。帰り道、何故か疲れてきって旅館に帰った事がある。
帰りのバスでうたた寝をしたが、問題は夜中の事。なかなか寝付かれず、やっと微睡に襲われた瞬間、夢のなかで
後手から火の手が上がり、一斉に大きく騒がしい時の声が鳴り響き襲われる事態に投げ込まれ、驚き飛び起きた。
その後眠れず一晩過ごし、明け方宿泊していた奈良の旅館を抜け出し近くの池の周りを散歩したのを憶えている。
翌日は旅行の予定を止めて急遽東京に帰ってしまった。友人は一人残され旅行を続けていたが数日して帰宅し
たという。
法隆寺は何故かただならぬ気が漂っていたのかもしれない。
その後、梅原猛氏は法隆寺を怨念封じの寺と断じていたが、その様なものかと感心していた。しかし、今日の講義を拝聴
して何かが氷解した様な気がする
しやがった、私もしゃがったと思います。同感です‼️😊
先生、素晴らしい‼️
今年、年頭の ゛蘇我氏とは何者か” の田中先生の講演は、今回のテロをまるで予期されていたかのようです。
たまたま何回も聴いていたせいか、安倍さんの思想や功績と奈良、
すぐに聖徳太子暗殺と無関係ではないと思いました。
ネストリウス派がユダヤ人の景教だと分かり、蘇我氏が同化はしたものの、聖徳太子を厩戸王に仕立てようとした事はユダヤ人の特性ですね。納得いきました。
6月末思うところがあって、香取神宮に参拝しました。安倍さんの事を信頼出来ない時期が数年あったのですが、
「大和心」と刻んだ碑を香取神宮に据えられた安倍さんの事を先生の動画で知ったからです。
安倍さんの意思を想う人々の記憶がやがて
「日本の神様」へと昇華する日が来るかもしれません。
そも、共同信仰の神道では、亡くなると神様になりますよね。
安倍さんもカッコ良く神様になったと思った次第です。
又々全く同感同意です。2年前におっしゃってられたのですね。世界の人々は皆さん知ってたようですが、日本人はネットでなにをながめてたのでしょうね 🤔 "ひろゆき" とか、人の目を真っ直ぐにみることもできずにグタグタ言ってる者に 呑めってたようですね😆
蘇我氏が「我、蘇る」などとは考えてもみませんでした! たしかに謎の多い名前であり氏族ですね。
しかし世の歴史学者はなんでこうイデオロギーに染まってるんでしょうね。とにかく稲作文化は朝鮮から来たのだとか、渡来人も大陸と朝鮮からと決めつけています。さらに都合が悪いのか、"聖徳太子"を消し去りたいような妙な動きもあります。とても学問をやってる人たちの態度ではないですね。
田中先生の問題提起というか新説が、やもするとトンデモ論やオカルト扱いされてるのが残念です。これを本気で分析してみようという歴史学者はいないのでしょうか。よく考えたら、聖徳太子の逸話とキリストとの妙な符合は偶然では片付けられないですよね。
ネトリウス派は東方キリスト教ですからね
ワクワクしますね‼️
聖徳太子一家の悲劇は、東洋の中でも異質だと言われるのもわかります。西洋で起こるような、西洋型悲劇というか、ひたすら不気味に思います・・
大変よくわかりました
謎が繋がった気がします
後年 源平合戦 戦国時代 争いの日本になりますが 彼らの血のせいかもしれませんね
悪いですけど 日本の学者さんて
合理性にかけてる気がします 事実に基づいて研究しない 先生の存在は貴重です
ありがとうございました
同感です。
戦後の学者は殆どGHQご推薦の歴史捏造派をそのまんま踏襲しているから、朝鮮中国伝来で固まった塩漬けの脳細胞では新しい発見は望めないし、認識新たにしたところで
脳の殆どを占めていた朝鮮中国の存在の転換を渋るから、素直に認められない木偶の坊
だと思います。
群馬といえば多胡碑ですが、江戸時代の松浦静山の記録『甲子夜話』巻之六十三,多胡碑十字架の事,には多胡碑とともにJNRIと書かれたキリスト教の羊の十字架の描かれた銅板遺物が発見されていたという記録がありましたので、少なくとも和銅四年711年には日本にはネストリウス派のキリスト教がもたらされていたという物証でしたが現在失われてしまったのが残念です。
1400年以前からテロリスト達が居た事、当時から隠れキリシタンが居た事を想像してます。
田中先生、非常に興味深いお話ばかりで勉強になりました。
ことに片岡山の飢人のお話は初めて知りましたが、正しくイエスの復活そっくりで、驚きました。
山岳信仰や山伏などの存在に対して、ユダヤ人との観点から考察してみることが急務ですね。
田中先生のお話大変面白く素晴しいと思います。ユダヤ人が日本の社会に影響を与えたのを理解できますが、日本から消えたのは、彼らは神道を受け入れる事が、できなかったと思います。物質を優先にしていたのではないかと思います。が最近しぶとく復活して日本をかき乱しているが、皆気付いています。バランスが大切だと。
素晴らしい講演です。
府に落ちる事ばかりです。
全くその通りです。
鹿島神宮へ昨日お参りした。以前博物館の様な小さいものがあり、大きい剣、高い鼻、大きい目を持つ欧州系の大きい頭部がケースに飾ってありました。近くには曽我神社、高天原町ともっと日本の考古学会も茨城県の鹿島神宮界隈を研究して欲しいと感じる。きょうの講義はかなり考古学会に激震が走る内容ではないか、ずしりときた。
京都の松尾大社の数百メートル南側にある月読神社には、聖徳太子のお社がありました。確か、本殿に向かって右側に聖徳太子のお社、さらにその右側に神功皇后の逸話を伝える月延石。そこの月読神社の境内に聖徳太子が祀られているのは、聖徳太子が月読命を崇敬していたためらしいです。
また、本殿に向かって左側には御船社があり、天鳥船命が祀られているらしいですが、私の場合はニギハヤヒを祀った祠のような感じを受けました。
拝殿の依代がずっと細やかに振動していて、その日の空模様と併せて、生き生きと働いている見えない力が感じられたひとときでした。
境内を後にして振り返ると、鳥居の紙垂がまるで合図でも送っているかのようにswingしていたので、バイバーイ😊と手を振ってから帰りました。
お話を聞いていると、聖徳という文字にも意味を感じてしまいます。
キリスト教を知らない左翼の大山が行う日本古代史は意味がありません。
飛鳥昭雄のものは、参考になります。
私は田中先生の講座を定期購読させていただいております。
大変勉強になり、感謝しております。
キリスト教と言うと西方キリスト教,バチカン,カトリック、諸派,正教会、聖公会と思ってしまう浅い人が多いんですよ、要は聖書です。
@@sakurabirojin 「西方キリスト教,バチカン,カトリック、諸派,正教会、聖公会」のそのどれにも入っていないのが、いまだにキリストが話した言語であるアラム語で当時の教えを守り続けているオリジナルキリスト教(と彼らは言っています)です。
その信者は、イラン、イラク北部でイスラム教徒に迫害され、トルコに宗教難民として押し寄せ、その後、国連難民弁務官が、フランスや米国へ難民として送り出しているカルデロン派です。
その人たちだけが、本物のキリスト教徒だと思います。
ローマを通っていないからです。
曽我氏以外は物部氏などは役職を表してるのに、曽我氏だけはそうでなくて何なんだろうと思っていました。推測するに文部省、大蔵省など知的な分野だったんじゃないかと思っていました。
我よみがえる、というので、そうか!と思いました。
ユダヤ人埴輪が日本の考古学会では無視されているとして、世界、イスラエル、ユダヤ人コミュニティーではどう思われているのですか。
くけけけけかけけけけけきしき
田中先生素晴らしい
ああ、だからキリストはユダヤの神官を非難したのですね
蘇我氏でなく、中臣が殺害したが正解らしいです。
それで我々はこの闇を暴かなくてはならないので、先生もその視点で頑張ってください。
蘇我のせいにされてます
私、愛知県豊橋住在多米氏改めて尾崎です。先祖は腹違いとはいえ用明天皇第一子、多米王、(豊浦皇子)私で87代目です第二子が厩戸皇子です、田中氏もう少し深く読んで欲しかった、25年まえ愛知大学学長久曽神氏と語りました。縁がありましたら古文書お見せしますよ。
コメント失礼致します🙇♀️
よろしければ、聖徳太子様についての真実を教えてくださいませ_(._.)_夢うつつに聖徳太子様があらわれてから、様々な配信を探究しております。
子供のころから、不思議な
現象を見たり…しかしながら
答えに至らずにおります。
私の何かしら任務というか
聖徳太子様からの
指南ではないかと勝手ながら
思いつつ、どう行けばよいやらと、身内友人知人誰一人味方無しの、孤独の中、思案するばかりです。宜しくお願い致します_(._.)_
東漢直駒でしたか、50年前、中宮寺では秘仏として白布で包まれていたと当時予備校の日本史の講師から聞きました。それまで公開されていなかったのですね。
蘇我入鹿以降4代の蘇我氏は、ユダヤ人(ユダヤ教徒)の渡来人だった、どう言う説。日本人のキリスト教徒1%の社会では、気が付かない盲点だが、西洋古代史-現代敷衍の美術研究歴の面から総合芸術史を俯瞰すると、古代ユダヤ教→キリスト教の誕生→教義論争と異端峻別→ネストリウス派の異端宣告→東方移動→トルファン・ウイグル・長安・杭州・上海・北京・朝鮮半島→日本渡来。更に1万年前のシベリア.樺太、北海道、津軽、北陸..東北.関東南下の縄文文明から、日本人の平和愛好の美術生活器具〜貝塚埋葬習慣の無文字遺跡の発掘研究考古学に敷衍した60年の研究結果に基づき、ユダヤ:キリスト・イスラム・古代〜現代の中国拡張の歴史わグローバルに俯瞰する。
そうだったのか!の研究成果の広範研究成果。
漸く、学術研究と言えるステージに登って来た。拍手👏。
ブラジルのイダイには多くのユダヤ人移民がおり、彼らは少数派です
素晴らしいです!1751年、英E.バーグはギリシャ以来のプロポーション偏重→崇高を
初めて評価。遡る1100年前、日本で覚醒していた訳ですね。
発願「はつがん」は誤読(発癌の意味)、正式には「ほつがん」と読みます。
大変ありがたい知識です。
ただ、話があちこち飛ぶので、聞くのが大変なのが残念です。
訂正:
神道派の小姉君
↓
神道派の蘇我小姉君(欽明天皇第二妃。仏教派の蘇我馬子の姉・欽明天皇第一妃の妹、神道派の物部氏の後ろ盾。)
まあ、日本の文化は多重構造でしょうね。それとやはり『中空構造』なんですよね。
日本の本質が【中空】であるため、外国文化を【同化吸収】出来るんですよね!
中大兄皇子や藤原筋もユダヤ人のDNAでニコライ2世や世界の王室ネットワ-クを築いています。
香淳皇后が藤原筋ならいまの皇室の方々も入っているはず。
違うならそれこそ大問題ですね。
動画言論ありがとうございます。
聖徳太子を模したと言われる救世観音の光背がなぜくさびのように首の後ろに打ち込まれているのか不思議に思っていました。旧約聖書には離散した彼らが東の端に行くき、木や石の神々を拝むであろうと暗示されているような記事がありますね。列王記や歴代誌の彼らの相争う気質は、古代この国に来て同化してその後のこの国にの通奏低音を形造って来たものだと思われますが、肝心要の芯の自らの言葉を持ち得ないのは恣意的に虚構でこの国の成り立ちを形成しようとした(それも国統一に十分意味のあることでしたが)この事件が過去にあったからだと思わされます。背後で画策した鎌足(後の藤原)などもユダヤ的思考を持つ一族であったことが推察されます。
ありがとうございます。
…ユダヤ人には、スファ…とアシュ…2つのグループがあると言われますが、どちらのユダヤグループを指して弄っしゃるのか、
そこを伺いたいです。
よろしくお願いいたします🤲
聖徳太子の祖母は、父系(用明天皇系)では蘇我堅塩姫、母系(穴穂部間人皇后)では蘇我小姉君で、聖徳太子も、ガチガチの「蘇我氏」です。
法隆寺の釈迦三尊像に倭王阿毎多利思比狐👻と光背銘にあり✍️
しかし聖徳太子の銘はない🥸❓
非常に興味深い内容であることは間違いありませんし、間人はしひとの呼称も多様なので「こういう呼びもするのかな」とは思いますが、乙巳の変は違いますので、その辺りのご訂正をなさらないとせっかくの御説も広まらないのではないでしょうか。
我、蘇るは裏を反すと他人も蘇る❗だから他人を殺害しても蘇るから肯定的な教えと捉えて宜しいでしょうか?
ヘブライ語の古代文献が日本から発掘されない限りは証明は無理ですよね
関東蘇我氏です!関西物部氏です!
外国人観光客が多いのは古代日本列島を色々知ってるから
蘇我氏は神奈川県にいたそうですよ。聖徳太子も。藤沢市です。神武のおばちゃんが力説してます。
欽明期に大伴狭手彦が高麗を破り 蘇我稲目に 高麗の美女媛(をみなひめ)と侍女 吾田子(あたこ)を。
稲目は妻に迎え軽曲殿の屋敷に住まわせる。
その子が『馬子』
ガチガチの百済仏教徒です。
秦氏は葛城氏(衰退後 曽我氏)の部民(私有民)でしたが
雄略、欽明と王室への貢献と山背での経済力(朱の交易)を背景に
太子からの信頼も得て右腕に。
秦氏はネストリウス派です。
太子の仰られた三宝とは『儒、仏、神』
だから『豊聡耳』です。
質問 ユダヤなのに何でキリスト教なんですか?
ダブルトリック
田中氏の説は、梅原猛氏の「隠された十字架」の焼き直しにしか、見えません。読まれたことがない方は一読を。梅原猛氏の著作に関して、田中英道氏から、一言もないのも気になります。
田中先生は、井沢元彦さんの書いた(逆説の日本史)を読んだ事は無いのですか?井沢元彦さんの事を何で黙殺するのですか。是非一読を。
英語ができなくもなんとも思わない。翻訳機が出てきて日本語を話せばvoice翻訳が可能。
神道は一神教だったし、秦氏はキリスト教
蘇我氏は仏教徒では?
仏教用語の「我」は梵語のatman(霊魂)の漢訳語。
そして仏教は無我説。
今もムカシも変わりなしと言うことかよ😱😱😱‼️歴代に学ぶと自分の考えが方が深くなるのかもしれないですね‼️😔😔😔😔😔‼️🙄
キリスト教は仏教をコピーした宗教であり、教義は仏教とことなり非常に浅い。中身かほとんどない。仏教は深い哲学を形成する宗教である。何故キリストがインド仏教をコピーできたかというと、以下の状況があった。それは紀元前500年頃に釈迦が誕生して80年かかって覚知した仏教を完成させてこの世を去ったのち弟子が仏典集結をくり返し釈迦の教えを整理して仏教を完成させた。キリスト生誕後に紀元30年頃にはインドから仏教を広める伝道師が中東に来ていた。キリストはこの頃数年にわたり行方がわからなくなる。パクダッドでインドからきた伝道師について仏教を習ったのではないかという研究者が語っている。その後にキリストは布教を始めたという。だからキリスト教の構成は仏教の逸話や釈迦の伝聞とそっくりなものばかり。たから、田中先生が語ったキリスト教と仏教は似ているというのは正しい。
とても大切なコメントです。
勲章欲しくなった歴史学者、文化系学者の多くは、「仏教本山の推挙」を狙うんですなあ。
どこの古墳からユダヤ人埴輪が出てるのか教えて下さい。
芝山古墳
@@asa01053千葉県
自分の中で一つハッキリしないことが、山高帽・髭姿の絶対ユダヤスタイルの成立がいつ?と言うこと。
4,5世紀の頃からを裏書きする資料があればいいのですが・・・
どうもそれほど遡らない印象でスッキリしたい。
蘇我の表記ですが、
他にも蘇賀・宗賀・嗽加・曽我・巷奇・忌宣・奇哥など多様なのですが・・言わんとする事はお分かりかと。よみがえる我ですか・・
物部 麁鹿火/もののべのアラカ。例の継体天皇時、筑紫の君磐井の件で浮上の彼。この麁鹿火、途中から麁鹿に改名。先代旧事本紀ではアラカの部分をソガのふりがなが。紀記原理主義の田中氏には想像できない深い話がありますがカット。ネタをばらせば兼川晋著/百済の王統と日本の古代。不知火書房 気になるお方に
この麁鹿も上記のソガの読みに入れるべきではというのが兼川氏。
麁鹿/アラカなのに彼をよく思わぬ者達が陰でソガ、ソガと呼ぶようになったのではと兼川氏。
この麁鹿のあと蘇我稲目・・積もる話もカット
田中氏のナショナリズムからは気持ちの良い話で満足もいいのですが、他の説たとえば上記の兼川氏のなどもよいのでは
ただ、非常に恐ろしいです。
ユダヤと言えば私は久保有政氏もかっては読んでいますが。
田中氏と久保氏の対談なんか楽しいのでは
当時、漢字は音韻。すが、そがに意味があるとも思われる。太子の筆頭舎人はネストリウス教を伝えたと考えられている秦氏である。御説のネストリウス蘇我が太子を殺害?かなりの証拠に基づいて論理構築をしないと、蘇我、厩戸皇子、延いては藤原を解説するのは困難。
同意です。
聖徳太子は、もっと公平に宗教擁護をしていたかと思いますが、仏教と景教の対立か共立かで歴史事実が変わったという事ですか?
言葉が難しくて、本読まないとだめだ。。。
神社⛩️~古墳~お寺へ!
うちの爺ちゃんもネストリウスだったんだが、やっちまったのか?
「蘇我」:日本書紀
「宗賀」:古事記
「宗我」:先代旧事本紀
日本書紀の「蘇我」は「自称」ではなく、天智天皇が「ナゾの死」を遂げた後、(中央政界で蘇我氏が復活した)天武天皇時代以降の「諱(贈り名)」です。
この先生はおいくつですか、御自分が何を言って居られるのか同じことをいたかと思えば戻りで、、お気の毒です。
之では説得できませんよ?
日本書紀は藤原氏が百済の文人に書かせたもので、藤原氏に都合の良いように書かせたので、かなり事実歪曲や嘘があります。当時は蘇我氏が大王家しかできない八佾の舞を行った事から、蘇我氏が大王家であり、蘇我馬子が大王で、その子の蝦夷即ち入鹿が皇太子だったようです。聖徳太子には18歳で国政を行ったと記録にあり、当時使われていた九州年号に聖徳があり、聖徳は629年から634年で入鹿の生年は611年ですから入鹿は聖徳元年にちょうど18歳になります。と言う事は、その頃馬子が亡くなっていますから入鹿は聖徳元年に18歳で大王位についたため聖徳太子と呼ばれたのではないでしょうか。そうすると、入鹿は大化の改新で暗殺されていますから、入鹿即ち聖徳太子を暗殺したのは中大兄皇子で藤原氏と言う事になります。
すごいですね
田中「秦氏は一神教を棄てた。」???
インターネットで公開されている秦氏建立の伏見稲荷大社の教義すら隠蔽してる。
ほんとうに「学者」と言えますかね?
ユダヤ人似のハニワが大昔にロシアに住んでたアイヌ人の写真の人にソックリで笑う。東の果てはカムチャッカ半島で日出るがロシアとかプーチンが言ってるのも笑う。
田中「秦氏は一神教を捨てた。」
田中「自分の名前を蘇我とつけた。」
嘘
田中「…と思われる。」
釈迦の教えを否定している「般若心経」怪しいですね。
大山もポンちゃんだけど田中英道も言葉遊びとディープステートとハニワ頼みじゃねぇ〜か。
俺はお前らみたいに本頼みじゃ無くて映像を見せてもらってるんだよ。
この男の作り話を論破しようと思ったら簡単だけどな🤣
是非論破して下さい、できない?当たり前です、
何をイライラしてるの?
スマートフォンさんは蘇我系等ですか?頭を冷やして今迄の史実を棚に上げておいて受け入れましょう!
地頭が悪い文系の学者が本読みすぎると田中英道みたいにパンクして訳わからんファンタジーをいい出す。