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当時日産ディーラーでバイトしていたのですが、車両移動で日産車を乗るよりサンタナを選んで乗ってました。良いクルマだったんですけどね。マークII三兄弟はマジ強すぎました。しかしながらこの後シートとか日産のクルマ造りが変わったのは事実ですね。
ボディ剛性の高さとシャーシ性能の良さは日産も勉強になったとか。
当方は団塊ジュニア世代のアラフィフの冴えないおじさんですが、サンタナ発売当時は中学生高校生で当時当方はサンタナに憧れた思い出があります。サンタナの事が詳しくわかってよかったです。
父親の会社の人が二代目プレリュードからこのサンタナに乗り換えてました。しばらくしてから初代セフィーロに乗り換えたそうですがやはり故障が多かったみたいですね。ただしセフィーロにも採用されたエルゴノミックシートはサンタナ生産のノウハウから得たものだと聞いた事があります。
興味深い動画を有難う。当時、話題になったサンタナは新車購入の候補に上がっていました。非常にリーズナブルな価格でドイツ車の堅牢さを入手可能だし日産の整備網が使えて安心。 動画でも解説あったように、パワーやサイズ、そして装備と価格。父がグロリアで日産党だったので、結局、ローレル・ターボメダリスト5速を発注しました。 乗って見たかったけど、故障も多かったと聞いたのでローレルで良かったと思っています。
ブレーキ鳴き、バッテリー上がり、オーバーヒート対策で苦労しました。日産サニー販売系列に押し付けられて。
この車のボディ剛性がP10プリメーラの参考になったって話面白い
昔初代プリメーラに乗っていました。今はVWゴルフに乗っていますが、やはりかつてプリメーラに乗っていた影響なのかな?とも思います。
確かこのサンタナの担当責任者はオースターやプリメーラを手掛けた津田さんですよね!プリメーラが出るまで、日産車の足周りもトヨタ車よりややコシがある程度でブヨブヨな車多かったですからね!津田さんはヨーロッパで実際にレンタカーを借りて乗り倒してドイツ車の走り味を勉強をしたそうです。個人的に大好きな開発責任者です😊
プリメーラは乗ったことないからわからないけど、あんまり真面目にヨーロッパ車を研究したから、相当足回りが固く、乗り心地に問題があったと聞いたことがある。
@@孝昭城戸 さん自分は乗ったことありますがめちゃくちゃ硬いです笑70タイヤ履いた1800の方が幾分マイルドでした。個人的に硬い足周りの車が好きではないのでプリメーラは好みではなかったですが、スタイルとエンジニアの津田さんは大好きです。
懐かしいですね、当時少し乗ってましたよ。とても質素な車だったけどドイツ車ってこんな感じなんだ…と思いましたね。
サニー店勤めでサンタナは何台かお客さまに買って貰ったボディは同時期の日産とは雲泥に作り込みが丈夫な印象…ドアの開閉音はズシっとベンツみたい…下取り中値は安かったけど外車系の中古店が中値の倍以上で買取してくれるので営業にとっては扱い易く足の早い車でした、競合に破れる第一位はやはり3ATでした…好きな車だった。
サンタナ懐かしい。座間工場は、この車が生産される前年に、学校の社会見学で行きました。当時サニー(マイ・ラブ)のマイナーチェンジ車を製造中でした…
サンタナのノックダウン生産の経験がプリメーラ等を生み出す上で役に立ったと思う
実家が61年式xi5を7年乗りました。7年目に電気系統が故障、それまでノートラブル 親父はチェイサーターボから乗り換えたので高速でクルマが真っ直ぐ走るのに驚いたそうです。
当時日本でサンタナはプアマンズアウディー的な立ち位置だったと記憶してます。実際はゴルフよりも安かったんですけど。国産車のAT車の主流が電子制御式の4速になった頃、サンタナはなんと3速という仕様でしたね。
うわぁ~サンタナ懐かしい~小学校の時の校長先生が乗ってたわ!その校長先生が給食食べ終わると、タオルで毎日磨いてたなぁ~磨き過ぎて、傷が凄かったなぁ~たまに校長先生遅刻してきてたけど、きっと故障して車が動かないから遅刻してたのかなぁ~月に数回は遅刻してたよ😅
しらなんだ😳日産が作ってたなんて!サンタナ!宮沢りえの写真集はサンタフェ🤭懐かしい車ですけっこうデザインが当時は好きでした。
サンタナの故障を列挙するとキリがないw偉かったのはアウトバーンシリーズはクルコンが付いてた事。この当時は珍しかった。ブレーキのDPバルブのオイル漏れ、1番シリンダーの排気スタッドボルトの折損、バッテリーの液枯れ、マフラーの排気漏れはサンタナの四大持病。ただね、あの5気筒エンジンは良い感触で綺麗に回るエンジンでした。
VWサンタナ・・懐かしいですね・・当時日産で買えた外国車・・故障が多い車種とかで有名でしたが。
そういや90年代にもトヨタで買えた外国車としてGM製のキャバリエなんてのがあったっけ?こちらも販売がパッとしなくてすぐに消えましたが。。。
フォルクスワーゲンサンタナですね。確か日産とフォルクスワーゲンと技術提携と国内販売契約を結び日産座間工場でノックダウン生産された車。私はこのサンタナが登場した時すごいな。と思った。パサードとアウディ80と共用していてデザインが良かったです。ちなみに日産店とヤナセで販売してました。そういえば平泉成さん夫妻の元愛車です。デザインがいいのに、売上が振るわずおまけにAT車の暴走事故でイメージが悪くなった。私はフォルクスワーゲンサンタナのデザインが大好きです。
好きな人は好きなんですね。まぁ、なんでもそうですが(笑)昔、naviという雑誌の連載コーナーで、四台ぐらい乗り継いでいるユーザーの方がいましたね。この車じゃなきゃダメな体質になってしまった、土に還るまで乗っていたいとか..もう二十年以上前だと思うけど、あの人とサンタナどうなったかな?
大学生の頃に乗っていました。免許取得後初めての愛車として。確か11年落ち、しかし走行18,000kmの極上車、しかも車体18万円総額30万円という。バイト代でイケました。下級グレード「Gi」の1800cc4発エンジン3速ATでしたが、大学生が初めて愛車とするには、立派過ぎて十分なクルマでした。印象的だったことは、首都高羽田線の継ぎ目のあるコーナーで、当時アルバイト先で扱っていたレンタカー屋の車両、UCF20セルシオよりも安定して駆け抜けていけることでした。しかしセルシオが、日本車が劣っているのではなく、「考え方」「価値観」の違いだと思いました。動画にもありますが、確かに日産はサンタナ以後、欧州車に近い足に変化していったように感じます。
1986年頃「サンタナ」を買いにヤナセに行ったら売る気がなく「アウディ」を薦められて、仕方がないので日産サニー店へ行ったらこちらの営業も売る気がなく「サンタナはやめた方が良いですよ」と何度も言われて「サニー・スーパー サルーン ツインカム」を薦められる始末でした。
サニーみたいなデザインが日産らしさを醸し出していますよね。いま見るとメチャクチャかっこいい!当時は地味すぎると思っていたけど、今ならこのデザインの良さが分かる。
今見ると、良いですよね。😊
おつ。🆗‼️懐かしい小学生の頃日産に初のフォルクスワーゲンの高級車サンタナありました。。🆗‼️😃👌当時は日産デイーラーのサニー店現在のサティオ店にありましたドイツの高級車サンタナすごいね。。🆗‼️😄👌懐かしい動画ありがとうね✨😄👌嬉しい🎵😍🎵
89年にサニー系へ勤めサンタナは平成2年迄に2台買ってもらつたよ1台は下取りもサンタナ!確かに地味で大人しい車だけど絶対的に異なる印象はボディと足周りの硬さでした確かに90年にデビューしたP10の印象はそっくりでした…今生き残っていれば知る人ぞ知る名車だろうね😃
2000年ごろは、この型やこの後のサンタナ2000が北京や上海でバンバン走ってました。サンタナ2000でもエンジンはキャブでしたよ。笑
ドイツの高級車じゃなくて大衆車だから当時なら3ATでも納得そう言えば、audi80とゴルフIIもこの車とドアノブ一緒だった。
懐かしい車だな
8:30当時ヤナセを中心に輸入車ディーラーはローン金利が2%前後でバブルに向かう国産車の金利よりはるかに低かったからな。上級ブランドをってなるよな。
アウディ80だって3ATだったし、ゴルフⅡも3ATだった…ワゴンRの3ATとは全く別物で3速でも全く問題無しでしたよ😊
昔は、オートマは三速で,初代カルタスとか昔の軽とかには、二速もあったと記憶している。無段階変速のホンダマチックとか、変わり種もあったなぁ。その当時代車で、ジェミニの三速とカローラの四速にも乗ったが,やはりカローラの四速は滑らかで良かった。トヨタといすゞの技術力の差だったのかも知れないけど。友達からタダでもらったシビックは何速だったかな?7万キロぐらいで変速のたびに変な音が出ていた(笑)
以前、テレビドラマのあぶない刑事で、平泉成さん、竹井みどりさんがゲスト出演された長崎ロケの回でサンタナが出てましたね。
とある2時間ドラマでは新車なのにも関わらずリアフェンダーに脇見運転の車が突っ込んでしまったり「誇りの報酬」という刑事ドラマでは、2年落ち程度で自動車解体屋のクレーンに吊り上げられるシーンがありましたね。
この頃の日産車はめっぽう錆に弱く、雪国で7年も乗ればボロボロになりました。サンタナはもう見ることもないですが、ゴルフⅡなど少数ですがまだ走っています。ホットワックス注入による防錆は素晴らしく、業務用ドライヤーのような強烈なヒーターは雪国では非常に役立ちました。とにかく国産車はスポット溶接云々より、防錆対策が全くダメで、タイヤハウス、マフラー、マフラーカバーの腐食に悩まされました。
中国に行った時、サンタナが沢山走っていたので驚きました。日本では見なくなっていましたから。当時、中国のタクシーはサンタナとダイハツのシャレードばかりでしたね。
その後のカレスト座間もなくなり今はイオンか。 中国出張で00年代でもサンタナたくさん走ってたなぁ。
80年代後半から90年代の中国の映像見ると、街中走るタクシーはこのサンタナかシャレードでしたね。「世界まるごとHOWマッチ」や「なるほど!ザ・ワールド」とクイズ番組で中国取り上げた際は、人民服を着ている人の自転車通勤風景とサンタナとシャレードが街中を動き回っている冒頭VTRで始まるのがお決まりでした。
このサンタナ事故ったら命はないよ~🤩クラッシュテストの画像が衝撃😱
神奈川県産のフォルクスワーゲン・サンタナか〜!最近だと広島産のアバルト124スパイダーがあったね😊
日産でこんな車を作っていたなんてしらなかった。
サンタナはもちろん本国でもサンタナなんだけど、導入時すでに「サンタナ」という車の名前は、某社によって商標登録されていた。(実際に販売はされていない。もちろん某社が日産のジャマをしようとしていた訳ではない。)で、日産は某社と交渉して譲ってもらい、無事サンタナの名で販売できた。それで、商標は実際の販売とは関係なしに取得する場合もあることと、それが売買できることを、恥ずかしながら初めて知りました…。
その名前交換したプレリュードがバカ売れしたとか?^_^
@@taka4cr537 そうみたいですね。それにしても、プレリュードはサンタナより早くデビューしていますから、交換はサンタナの誕生よりずっと早く行われていたんですね~。
初代オペルベクトラも日本デビューの際、上級グレードにダイヤモンドのドイツ語読みである「ディアマント」と命名しようとしたら、実は某社が名前を押さえていて…なんて事件がありましたね。
トヨタが他社にあったソアラの名前を買い付けたのはよかったけど大阪モーターショーに間に合わずEX-7名義で展示
私はディーゼルターボを中古で買いました。タペットカバーのパッキンはよく切れました。アクセルは重く、高速道路を走ると、右足がだるかったです。オプションの電磁式のトランクオープナーは、2ヶ月間たってもこなかったです。部品も日産で探すより、ヤナセ(部品にアウディの部品番号が刻印されている物もあった。)で探した方が早かった。値段は高かったですけど。高速道路での走りは、さすがドイツ車と思いました。時速100kmをこえると、道路に吸い付くようになり、とても運転が楽でした。
中古車サイトにも売ってないのだから走ってるの見付けたら超レアですね😊
デザインがちょっと前の70年代ぽいけど品がありましたね。時代に合わなかったんだろーな。はじめてのVWゴルフはDUOで買いました。
DUO懐かしい、親父がヴェントの車検でお世話になってました
取引先の大将が気に入ってて2台乗り継いでた。
サンタナからP10プリメーラって流れだったのか。だったらサンタナも大成功です。
1998年、小2のときに親父のVWヴェントをファミリーに車検で出したら代車でコレが。角張ったデザイン、6ライトウィンドウ、茶色の内装と80年代の日産車感がたっぷりで渋くて格好良かったですが、途中でトランクが開いて閉められなくなりダクトテープで貼り付けて返却しましたw
高級感が足りなかったと思うが安い外車=ゴルフのイメージが定着してるので難しい。
アウディ・フォルクスワーゲン・NISSAN の混血児でした!
上海でたくさん乗りました。タクシーがほとんどこれでした。
2000年くらいかな?中国北部に行った時に、ほとんどのタクシーで使われてたのがサンタナでしたね。とにかく、石投げて当たるのがサンタナ位、走ってました。でも、みんなボロボロ。逆にここまで酷使しても走ってるのに信頼感を持ちました。個人的にはサンタナ嫌いじゃなかったけど、やっぱり自分の愛車はサンタナよりベンツ190D2.5を選んで乗ってました😂
当時、知人が乗っていましたが、わりと早く、アコードに乗り換えていましたっけ。
日産にはアルファロメオを提携して日本車のデザインにイタリア車の品質っていう車があったような…
日本で作られたドイツ車は他にも、初代いすゞジェミニや、いすゞアスカがあります。あれも元はドイツのオペルでしたが、いすゞ流に大幅にアレンジされていました。その点サンタナは良くも悪くも、オリジナルに忠実に作られていました。良くもというのは、スポット溶接の数など当時の国産車の2倍近くあり、この辺り、VW社はノックダウン生産に辺り、頑として譲らなかったと聞きます。悪くもというのは信頼性の低さをも、いわゆる外車流で、この辺りは日産のノウハウを盛り込んだ方が良かったのでは?とも思えます。ただ当時、280万円ばかりで買えるサンタナとは裏腹に、ほぼ中身が同じアウディ80は400万円近くもするのに、アウディの方が人気がありました。アウディ80とて、信頼性の低さはいわゆる外車流でしたから、サンタナの不人気はスタイリングが当時の日本人好みではなかったという点が大きく、日産のノウハウを盛り込んで信頼性を上げても売れなかったとも思えます。
それをいすゞブランドではなくオペルブランドでオペル仕様で作り日本で国内販売したかどうか?の違いなんじゃないの?
初代ジェミニやアスカは、シャシはオペル でエンジンはいすゞ製だったので、厳密に言うと混血なのでは?
@@エレキング-r4k後者はネーミングも元車(アスコナ)の捩りでしたね。
⑲の頃、朝の通勤中に、この車にオカマを掘り、軽くコツンとしただけに関わらず、十万円弱位の請求が来た苦い思い出が有ります。因みに運転していた車はパンダ🐼レビンの2doorでした。
サンタナは急激な円高と製造販売時期が重なってしまいフォルクスワーゲン的には旨味がまったくなかったですね。
これヒドイクルマだったな、基本設計は左ハンドルだけど、それを右ハンで生産その結果ボンネットのオープナーが助手席側、ウインカーレバーは左ハンようだから左側ドアのヒンジが半固定で調整範囲が狭くてフェンダーとドアのラインが合ってない。燃料タンクのオープナーが無い、昭和初期のように直に開けるタイプそれでも日本の景気はバブル前夜で良い時代だったので珍しい入門外車が日産で売られた為意外と売れてた。そんなサンタナのあだ名は「悲惨タナー」←ビートたけし風に
基本輸入車は、RHDでも ウィンカーは左ですよ ISOがそうなっているから・・・
@@akky124 国際基準だとは知らなかったわ
日産の整備士はサンタナドクターて言う社内資格がありましたでもサンタナのE/gはごみでした!初期のE/gファンベルトやA/cベルトとP/sベルトは調整はアイドルプーリーの調整がシム式で調整が難しくてキュルキュルと鳴いてました。
カーズ様「サンタナがなんだというのだ!、やつは青っちょろいガキ...番犬のような存在。我らとは比較にならん!!」
サイバーボッツには見た目がアブドゥルで名前がサンタナのパイロットがいましたね。
知り合いが乗ってました、年式や排気量は聞きませんでしたがデスビの中のポイント?だったかな、しょっちゅう磨いてましたね。車の整備経験者でした。
サンタナは1984~1990年までです
子供の頃、親戚のおじさんにつれられて近所の日産ディーラーに見に行ったなぁ。その後、日産ディーラーが無くなって、現在は同じ場所にフォルクスワーゲンのディーラーが出来てるのは皮肉だな(^_^;)
4気筒版を2年くらい乗ってたよ。ぶっちゃけ遅かったけど日本車には無い良さがあったのもホント。
ボディー剛せいの大切さを学んだ
売れない名車だったよね。ちゃんとしてる感じが好きでした。今欲しいなぁー。😊
あの当時は、子供ながらにダサい、と思っていた。当時はセダンなんて本当によりどりみどり、伊藤みどりだったから、申し訳ないが乗っている人は変わり者というイメージだったですね。でも、何周回ったかはわからんけど、今欲しいなぁ..ホントに。
オートマの暴走事故でサンタナが取り上げられた理由フォルクスワーゲンとの提携で日産から名車が出来上がる話なんか無視されてないか?🤔取り上げてもいい気がするが...?
兎に角エンジンのオイル漏れがハンパなく、ゴム、樹脂部品がカチカチになり脆くてあちこち割れてそのうちなくなる(笑タイベルは5万キロもたずに切れるか歯飛びしてエンジンかからないとかバッテリーがラジエターファンの熱風で沸いてダメになるとか故障履歴は多々数えきれずお客さんが乗るより整備工場にいるほうが多いスペシャルメンテカーでした。ただ、急発進に関してはそんなに急というほどでもなくアイドリングが結構高いなという程度のものを、NHKがおおげさにTV検証したものだから世間一般に悪目立ち的に広まっただけのこと。高速走行では国産車に比類ない安定性がありそこだけでも特筆ものと言える(当時)性能があったのも事実。今の車では当たり前の燃費計も、サンタナには標準装備でしたし、良いところもたくさんありました。まあ今となっては日産の黒歴史の1つとして当時の人達の記憶に残っていることでしょう。
サンタナ、一度運転した事あるけど凄く面白いクルマでしたね。見た目や内装は確かに地味なんだけど、110psとは思えない中低域のトルク感やフラつきの少ないやや重ためのハンドル、そして高速でどっしり安定する足回りとボディの剛性感とか…運転すると確かに日本車と違う独特な感覚があり、気分も悪くなかったです。
確か神奈川県座間市の日産座間工場で生産されていたと思います。
凄く売れて凄く壊れる車でしたね外車は壊れる、だが日産で扱ってるから大丈夫かな?と外車初心者が買いました、がやっぱり苦労ばかり日産もお手上げ状態、分からない故障もありました、俺らおじいちゃん五十代にはダメ車で覚えてますね後、外車怖い壊れると凄く印象付けて皆んなが日本車買わせた意味ではある意味ユーザー日本車販売戦略は成功させた一台と言えるね最後にウチの学校の先生がサンタナ乗ってたが良く遅刻してた、訳は車が止まったり朝エンジンかからなかったりと新車なのに難儀してました笑えたのは箱根行って車動かず、箱根でしょうがなく一泊してきたと(笑)
当時は故障が多いと噂のある車でした。
どうしてもあのラテンロックの人を連想してしまいますね😅
セダンはサンタナ、ステーションワゴンはパサートでした。
サンタナみたらエッセの如く室内鉄板むき出しで新鮮な気がしたな。
80年代までのVWやアウディは日本人の目から見ても古臭いデザインだったアウディが空力意識した100や80出すまでは野暮ったいドイツ車の代表だった
質実剛健を地で行ってましたよね。我が道をいくという感じがありました。😊
実家のクルマがアウディ80でしたけど、幼心にドアの開閉音が国産車と大違いなのが印象に残ってます。バタンじゃなくてドスッ😮
当時ラリー出てなかったっけ⁉︎ 気のせいか⁉︎(泣笑)
中国ではタクシーによく使われていましたね
知り合いから聞いたハナシですが、VWの技術者が「ボンネットの溶接は28点で」と指導したら日産の技術者は「半分の14で事足りる」と言って揉めたとか揉めなかったとか?
要はVWのやり方だと手間が掛かるしコストも増える。日産のスポット溶接多用で同じ剛性出せると息巻いたが、ドイツ側は認めなかった。そのおかげで当時の国産車では味わえないボディ剛性出せてしっかりしたボディを得た。ただ皮肉にも車体のキシミ音出まくりの国産車のヤワさが露呈したのも事実。
どんな人がサンタナを買ったのか?サニーやスタンザからのステップアップの人が買ったんでしょうね。
大好き!中古車 三台乗り継ぎ\(^o^)/
アウディ80も兄弟車。日本ではジェッタより安かった?トヨタもフォルクスワーゲンのディーラー経営してましたね。これからプリメーラの設計に色々学んたとか。ドイツでは殆どマニュアルトランスミッションでは?
これアウディでもあったような
プラットホームやパワートレーンは、当時のアウディ80と共通ですね。
サンタナヨンタナ、って言ってたなぁ。
町内で未だに乗ってる方が居ます。
徳大寺御大が結構誉めていた記憶があるけどそれこそ「間違いだらけ」だったのか?
徳大寺先生は、論評が自分ならどうか、自分はこう思う、こうあるべきだ、いつもこんな感じであったと記憶している。じぶんはそれが好きだったが、問題なのは言ったことがコロコロ変わる(笑)前の年に本で言っていたことが、翌年、全く変わっていたということはまま,ありました。あの本を参考にして車を購入したユーザーの方もおられたと思うが当時どう思われていたのだろう?
だから「間違いだらけの」と書いてあるでしょ!(。・`з・)ノと言い訳しそうですな。(´Д`|||)
当時、似たような存在の、アウディ80とか90に比べ、ブランドロイヤリティの確立に問題があったです。それとともに「デザインがスマートでない」と言われていた気がします。3速ATも致命的で、鳴り物入りのくせに「売れなくして売れないクルマ」の代名詞だったと思います。
近所のおじさんが買いましたが、信頼性の低さにキレて乗り換えました。
中国深圳でこのタクシーに乗ったことあった
日産のディーラーで売るのが良くなかった。ヤナセで扱ってたら違ってた。ブランディングは大事。
ヤナセでも販売していましたよ。しかし、サンタナを買いに来たお客を「うちの客層ではない」と馬鹿にして売る気は一切なしw
まあ日産最後の絶好調プリメーラでそのあとレガシィに対抗するワゴンがでるかと思ったら商用車
この頃「六本木カローラ」なんて言われてバカ売れしてたbmwは320iじゃなくて318iだよ見た目だけだとほぼいっしょだから安いのを選んで後ろのバッッジを取ったり上のグレードに換えたりヒドい奴だとアルピナ「風邪」にしてたんだ
両面テープチューンてやつね!
あ、ヨンタナだ!サンタナのあと、パサートセダン(グリルレス)を売ってたけどノックダウンだったのかな?
ヨンタナ&ヨンメリ&ケンメリ&クッタナノンダナ
サンタナはノックダウン生産でしたが、パサートは輸入でした。
当時ゴルフが馬鹿売れしていた記憶がありますよ(;´Д`)
まだ……つくります☺️完成度が✨高いので
座間市ってドイツやったんだ。
クラスは違ったけどジェッタだったら売れたかな?でもサニーがあったから無理か、個人的にVWのブランド以外古くさ過ぎたのがあまり売れなかった一番の要因では?ゴルフもジェッタも確か新しいデザインになってたと思うしノックダウン生産だと多分前世代のモデルしか供給されなかった
兄弟車のパサートもそうですが、サンタナも当時現役のモデルでした(1981年登場)日本でサンタナが発売された時はゴルフ、ジェッタ、シロッコは次世代になっていて、仰るようにサンタナは旧世代のモデルに見えました。
フォルクスワーゲンサンタナ…日産から…😱
係長チャンネルで室内が狭いと言ってたけどどうなん?
室内が高級かと言われれば、当時の日本車の方がよっぽど高級ですよ? シンプルな感じでした。 まるででかくなったゴルフ2
オートマが3速なのが残念。見た目はサンタナアウトバーンが好きでした。
真面目な日欧協調路線の象徴
俺の日産サタンナの思い出は、単車で走行時、いきなり左手駐車場から出てきてキャツの右フェンダーに俺の人拓を創った事(ಠ益ಠ)ノシ
儂の210サニーの思い出はいきなりセンターライン超えてきてCB400FOURごと飛行させてくれたこと。入院4年562針が残った。怪我も痛かったがバイクがもっと痛かった。但し1978年の話。
@@伊藤雲黒斎さん今はお互いこうして無事で何より。ちなみ俺は80年代後半の話。まあ昔も今も事故ると大損害は単車なんすが、車だってタダじゃ無ぇ。つまりは安全運転が一番と言う事になるんすよね(-_-)ノシ
悲惨タナ😂😂😂
昔、ヤナセの代車で1.8L借りました。何故か?静電気が多くて⁉︎足回りは固くてしなやか…ハンドリングは船の様な操舵感。ボンネットを開けるとラバー製のカバーが⁉︎異質な存在感でした。中国でかなり売れてましたね。プリメーラは剛性感足りなくて…特に1.8ciはゴミ😂これを受け継いだのがbluebirdシルフィ😖
当時日産ディーラーでバイトしていたのですが、車両移動で日産車を乗るよりサンタナを選んで乗ってました。良いクルマだったんですけどね。マークII三兄弟はマジ強すぎました。しかしながらこの後シートとか日産のクルマ造りが変わったのは事実ですね。
ボディ剛性の高さとシャーシ性能の良さは日産も勉強になったとか。
当方は団塊ジュニア世代のアラフィフの冴えないおじさんですが、サンタナ発売当時は中学生高校生で当時当方はサンタナに憧れた思い出があります。サンタナの事が詳しくわかってよかったです。
父親の会社の人が二代目プレリュードからこのサンタナに乗り換えてました。
しばらくしてから初代セフィーロに乗り換えたそうですがやはり故障が多かったみたいですね。
ただしセフィーロにも採用されたエルゴノミックシートはサンタナ生産のノウハウから得たものだと聞いた事があります。
興味深い動画を有難う。当時、話題になったサンタナは新車購入の候補に上がっていました。非常にリーズナブルな価格でドイツ車の堅牢さを入手可能だし日産の整備網が使えて安心。 動画でも解説あったように、パワーやサイズ、そして装備と価格。父がグロリアで日産党だったので、結局、ローレル・ターボメダリスト5速を発注しました。 乗って見たかったけど、故障も多かったと聞いたのでローレルで良かったと思っています。
ブレーキ鳴き、バッテリー上がり、オーバーヒート対策で苦労しました。日産サニー販売系列に押し付けられて。
この車のボディ剛性がP10プリメーラの参考になったって話面白い
昔初代プリメーラに乗っていました。
今はVWゴルフに乗っていますが、やはりかつてプリメーラに乗っていた影響なのかな?とも思います。
確かこのサンタナの担当責任者はオースターやプリメーラを手掛けた津田さんですよね!
プリメーラが出るまで、日産車の足周りもトヨタ車よりややコシがある程度でブヨブヨな車多かったですからね!
津田さんはヨーロッパで実際にレンタカーを借りて乗り倒してドイツ車の走り味を勉強をしたそうです。
個人的に大好きな開発責任者です😊
プリメーラは乗ったことないからわからないけど、あんまり真面目にヨーロッパ車を研究したから、相当足回りが固く、乗り心地に問題があったと聞いたことがある。
@@孝昭城戸 さん
自分は乗ったことありますがめちゃくちゃ硬いです笑
70タイヤ履いた1800の方が幾分マイルドでした。
個人的に硬い足周りの車が好きではないのでプリメーラは好みではなかったですが、スタイルとエンジニアの津田さんは大好きです。
懐かしいですね、当時少し乗ってましたよ。とても質素な車だったけどドイツ車ってこんな感じなんだ…と思いましたね。
サニー店勤めでサンタナは何台かお客さまに買って貰ったボディは同時期の日産とは雲泥に作り込みが丈夫な印象…ドアの開閉音はズシっとベンツみたい…下取り中値は安かったけど外車系の中古店が中値の倍以上で買取してくれるので営業にとっては扱い易く足の早い車でした、競合に破れる第一位はやはり3ATでした…好きな車だった。
サンタナ懐かしい。座間工場は、この車が生産される前年に、学校の社会見学で行きました。当時サニー(マイ・ラブ)のマイナーチェンジ車を製造中でした…
サンタナのノックダウン生産の経験がプリメーラ等を生み出す上で役に立ったと思う
実家が61年式xi5を7年乗りました。7年目に電気系統が故障、それまでノートラブル
親父はチェイサーターボから乗り換えたので高速でクルマが真っ直ぐ走るのに驚いたそうです。
当時日本でサンタナはプアマンズアウディー的な立ち位置だったと記憶してます。
実際はゴルフよりも安かったんですけど。
国産車のAT車の主流が電子制御式の4速になった頃、サンタナはなんと3速という仕様でしたね。
うわぁ~サンタナ懐かしい~小学校の時の校長先生が乗ってたわ!その校長先生が給食食べ終わると、タオルで毎日磨いてたなぁ~磨き過ぎて、傷が凄かったなぁ~たまに校長先生遅刻してきてたけど、きっと故障して車が動かないから遅刻してたのかなぁ~月に数回は遅刻してたよ😅
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宮沢りえの写真集はサンタフェ🤭懐かしい車です
けっこうデザインが当時は好きでした。
サンタナの故障を列挙するとキリがないw
偉かったのはアウトバーンシリーズはクルコンが付いてた事。この当時は珍しかった。
ブレーキのDPバルブのオイル漏れ、1番シリンダーの排気スタッドボルトの折損、バッテリーの液枯れ、マフラーの排気漏れはサンタナの四大持病。
ただね、あの5気筒エンジンは良い感触で綺麗に回るエンジンでした。
VWサンタナ・・懐かしいですね・・当時日産で買えた外国車・・故障が多い車種とかで有名でしたが。
そういや90年代にもトヨタで買えた外国車としてGM製のキャバリエなんてのがあったっけ?
こちらも販売がパッとしなくてすぐに消えましたが。。。
フォルクスワーゲンサンタナですね。確か日産とフォルクスワーゲンと技術提携と国内販売契約を結び日産座間工場でノックダウン生産された車。私はこのサンタナが登場した時すごいな。と思った。パサードとアウディ80と共用していてデザインが良かったです。ちなみに日産店とヤナセで販売してました。そういえば平泉成さん夫妻の元愛車です。デザインがいいのに、売上が振るわずおまけにAT車の暴走事故でイメージが悪くなった。私はフォルクスワーゲンサンタナのデザインが大好きです。
好きな人は好きなんですね。まぁ、なんでもそうですが(笑)昔、naviという雑誌の連載コーナーで、四台ぐらい乗り継いでいるユーザーの方がいましたね。この車じゃなきゃダメな体質になってしまった、土に還るまで乗っていたいとか..もう二十年以上前だと思うけど、あの人とサンタナどうなったかな?
大学生の頃に乗っていました。免許取得後初めての愛車として。
確か11年落ち、しかし走行18,000kmの極上車、しかも車体18万円総額30万円という。バイト代でイケました。
下級グレード「Gi」の1800cc4発エンジン3速ATでしたが、大学生が初めて愛車とするには、立派過ぎて十分なクルマでした。
印象的だったことは、首都高羽田線の継ぎ目のあるコーナーで、当時アルバイト先で扱っていたレンタカー屋の車両、UCF20セルシオよりも安定して駆け抜けていけることでした。
しかしセルシオが、日本車が劣っているのではなく、「考え方」「価値観」の違いだと思いました。動画にもありますが、確かに日産はサンタナ以後、欧州車に近い足に変化していったように感じます。
1986年頃「サンタナ」を買いにヤナセに行ったら売る気がなく「アウディ」を薦められて、仕方がないので日産サニー店へ行ったらこちらの営業も売る気がなく
「サンタナはやめた方が良いですよ」と何度も言われて「サニー・スーパー サルーン ツインカム」を薦められる始末でした。
サニーみたいなデザインが日産らしさを醸し出していますよね。
いま見るとメチャクチャかっこいい!
当時は地味すぎると思っていたけど、今ならこのデザインの良さが分かる。
今見ると、良いですよね。😊
おつ。🆗‼️懐かしい小学生の頃日産に初のフォルクスワーゲンの高級車サンタナありました。。🆗‼️😃👌当時は日産デイーラーのサニー店現在のサティオ店にありましたドイツの高級車サンタナすごいね。。🆗‼️😄👌懐かしい動画ありがとうね✨😄👌嬉しい🎵😍🎵
89年にサニー系へ勤めサンタナは平成2年迄に2台買ってもらつたよ1台は下取りもサンタナ!確かに地味で大人しい車だけど絶対的に異なる印象はボディと足周りの硬さでした確かに90年にデビューしたP10の印象はそっくりでした…今生き残っていれば知る人ぞ知る名車だろうね😃
2000年ごろは、この型やこの後のサンタナ2000が北京や上海でバンバン走ってました。サンタナ2000でもエンジンはキャブでしたよ。笑
ドイツの高級車じゃなくて大衆車だから当時なら3ATでも納得
そう言えば、audi80とゴルフIIもこの車とドアノブ一緒だった。
懐かしい車だな
8:30当時ヤナセを中心に輸入車ディーラーはローン金利が2%前後でバブルに向かう国産車の金利よりはるかに低かったからな。上級ブランドをってなるよな。
アウディ80だって3ATだったし、ゴルフⅡも3ATだった…
ワゴンRの3ATとは全く別物で3速でも全く問題無しでしたよ😊
昔は、オートマは三速で,初代カルタスとか昔の軽とかには、二速もあったと記憶している。無段階変速のホンダマチックとか、変わり種もあったなぁ。その当時代車で、ジェミニの三速とカローラの四速にも乗ったが,やはりカローラの四速は滑らかで良かった。トヨタといすゞの技術力の差だったのかも知れないけど。友達からタダでもらったシビックは何速だったかな?7万キロぐらいで変速のたびに変な音が出ていた(笑)
以前、テレビドラマのあぶない刑事で、平泉成さん、竹井みどりさんがゲスト出演された長崎ロケの回でサンタナが出てましたね。
とある2時間ドラマでは新車なのにも関わらずリアフェンダーに脇見運転の車が突っ込んでしまったり「誇りの報酬」という刑事ドラマでは、2年落ち程度で自動車解体屋のクレーンに吊り上げられるシーンがありましたね。
この頃の日産車はめっぽう錆に弱く、雪国で7年も乗ればボロボロになりました。サンタナはもう見ることもないですが、ゴルフⅡなど少数ですがまだ走っています。ホットワックス注入による防錆は素晴らしく、業務用ドライヤーのような強烈なヒーターは雪国では非常に役立ちました。とにかく国産車はスポット溶接云々より、防錆対策が全くダメで、タイヤハウス、マフラー、マフラーカバーの腐食に悩まされました。
中国に行った時、サンタナが沢山走っていたので驚きました。日本では見なくなっていましたから。
当時、中国のタクシーはサンタナとダイハツのシャレードばかりでしたね。
その後のカレスト座間もなくなり今はイオンか。 中国出張で00年代でもサンタナたくさん走ってたなぁ。
80年代後半から90年代の中国の映像見ると、街中走るタクシーはこのサンタナかシャレードでしたね。「世界まるごとHOWマッチ」や「なるほど!ザ・ワールド」とクイズ番組で中国取り上げた際は、人民服を着ている人の自転車通勤風景とサンタナとシャレードが街中を動き回っている冒頭VTRで始まるのがお決まりでした。
このサンタナ事故ったら命はないよ~🤩クラッシュテストの画像が衝撃😱
神奈川県産のフォルクスワーゲン・サンタナか〜!
最近だと広島産のアバルト124スパイダーがあったね😊
日産でこんな車を作っていたなんてしらなかった。
サンタナはもちろん本国でもサンタナなんだけど、導入時すでに「サンタナ」という車の名前は、某社によって商標登録されていた。(実際に販売はされていない。もちろん某社が日産のジャマをしようとしていた訳ではない。)で、日産は某社と交渉して譲ってもらい、無事サンタナの名で販売できた。
それで、商標は実際の販売とは関係なしに取得する場合もあることと、それが売買できることを、恥ずかしながら初めて知りました…。
その名前交換したプレリュードがバカ売れしたとか?^_^
@@taka4cr537 そうみたいですね。
それにしても、プレリュードはサンタナより早くデビューしていますから、交換はサンタナの誕生よりずっと早く行われていたんですね~。
初代オペルベクトラも日本デビューの際、上級グレードにダイヤモンドのドイツ語読みである「ディアマント」と命名しようとしたら、実は某社が名前を押さえていて…なんて事件がありましたね。
トヨタが他社にあったソアラの名前を買い付けたのはよかったけど大阪モーターショーに間に合わずEX-7名義で展示
私はディーゼルターボを中古で買いました。タペットカバーのパッキンはよく切れました。アクセルは重く、高速道路を走ると、右足がだるかったです。オプションの電磁式のトランクオープナーは、2ヶ月間たってもこなかったです。部品も日産で探すより、ヤナセ(部品にアウディの部品番号が刻印されている物もあった。)で探した方が早かった。値段は高かったですけど。高速道路での走りは、さすがドイツ車と思いました。時速100kmをこえると、道路に吸い付くようになり、とても運転が楽でした。
中古車サイトにも売ってないのだから
走ってるの見付けたら超レアですね😊
デザインがちょっと前の70年代ぽいけど品がありましたね。時代に合わなかったんだろーな。はじめてのVWゴルフはDUOで買いました。
DUO懐かしい、親父がヴェントの車検でお世話になってました
取引先の大将が気に入ってて2台乗り継いでた。
サンタナからP10プリメーラって流れだったのか。だったらサンタナも大成功です。
1998年、小2のときに親父のVWヴェントをファミリーに車検で出したら代車でコレが。角張ったデザイン、6ライトウィンドウ、茶色の内装と80年代の日産車感がたっぷりで渋くて格好良かったですが、途中でトランクが開いて閉められなくなりダクトテープで貼り付けて返却しましたw
高級感が足りなかったと思うが
安い外車=ゴルフのイメージが定着してるので難しい。
アウディ・フォルクスワーゲン・NISSAN の混血児でした!
上海でたくさん乗りました。タクシーがほとんどこれでした。
2000年くらいかな?中国北部に行った時に、ほとんどのタクシーで使われてたのがサンタナでしたね。とにかく、石投げて当たるのがサンタナ位、走ってました。でも、みんなボロボロ。逆にここまで酷使しても走ってるのに信頼感を持ちました。個人的にはサンタナ嫌いじゃなかったけど、やっぱり自分の愛車はサンタナよりベンツ190D2.5を選んで乗ってました😂
当時、知人が乗っていましたが、わりと早く、アコードに乗り換えていましたっけ。
日産にはアルファロメオを提携して日本車のデザインにイタリア車の品質っていう車があったような…
日本で作られたドイツ車は他にも、初代いすゞジェミニや、いすゞアスカがあります。
あれも元はドイツのオペルでしたが、いすゞ流に大幅にアレンジされていました。
その点サンタナは良くも悪くも、オリジナルに忠実に作られていました。
良くもというのは、スポット溶接の数など当時の国産車の2倍近くあり、この辺り、VW社はノックダウン生産に辺り、頑として譲らなかったと聞きます。
悪くもというのは信頼性の低さをも、いわゆる外車流で、この辺りは日産のノウハウを盛り込んだ方が良かったのでは?とも思えます。
ただ当時、280万円ばかりで買えるサンタナとは裏腹に、ほぼ中身が同じアウディ80は400万円近くもするのに、アウディの方が人気がありました。
アウディ80とて、信頼性の低さはいわゆる外車流でしたから、サンタナの不人気はスタイリングが当時の日本人好みではなかったという点が大きく、日産のノウハウを盛り込んで信頼性を上げても売れなかったとも思えます。
それをいすゞブランドではなくオペルブランドでオペル仕様で作り日本で国内販売したかどうか?の違いなんじゃないの?
初代ジェミニやアスカは、シャシはオペル でエンジンはいすゞ製だったので、厳密に言うと混血なのでは?
@@エレキング-r4k
後者はネーミングも元車(アスコナ)の捩りでしたね。
⑲の頃、朝の通勤中に、この車にオカマを掘り、軽くコツンとしただけに関わらず、十万円弱位の請求が来た苦い思い出が有ります。因みに運転していた車はパンダ🐼レビンの2doorでした。
サンタナは急激な円高と製造販売時期が重なってしまいフォルクスワーゲン的には旨味がまったくなかったですね。
これヒドイクルマだったな、基本設計は左ハンドルだけど、それを右ハンで生産
その結果ボンネットのオープナーが助手席側、ウインカーレバーは左ハンようだから左側
ドアのヒンジが半固定で調整範囲が狭くてフェンダーとドアのラインが合ってない。
燃料タンクのオープナーが無い、昭和初期のように直に開けるタイプ
それでも日本の景気はバブル前夜で良い時代だったので珍しい入門外車が日産で売られた為意外と売れてた。そんなサンタナのあだ名は「悲惨タナー」←ビートたけし風に
基本輸入車は、RHDでも ウィンカーは左ですよ ISOがそうなっているから・・・
@@akky124 国際基準だとは知らなかったわ
日産の整備士はサンタナドクターて言う社内資格がありましたでもサンタナのE/gはごみでした!
初期のE/gファンベルトやA/cベルトとP/sベルトは調整はアイドルプーリーの調整がシム式で調整が難しくてキュルキュルと鳴いてました。
カーズ様
「サンタナがなんだというのだ!、やつは青っちょろいガキ...番犬のような存在。我らとは比較にならん!!」
サイバーボッツには見た目がアブドゥルで名前がサンタナのパイロットがいましたね。
知り合いが乗ってました、年式や排気量は聞きませんでしたがデスビの中のポイント?だったかな、しょっちゅう磨いてましたね。車の整備経験者でした。
サンタナは1984~1990年までです
子供の頃、親戚のおじさんにつれられて近所の日産ディーラーに見に行ったなぁ。その後、日産ディーラーが無くなって、現在は同じ場所にフォルクスワーゲンのディーラーが出来てるのは皮肉だな(^_^;)
4気筒版を2年くらい乗ってたよ。
ぶっちゃけ遅かったけど日本車には無い良さがあったのもホント。
ボディー剛せいの大切さを学んだ
売れない名車だったよね。
ちゃんとしてる感じが好きでした。
今欲しいなぁー。😊
あの当時は、子供ながらにダサい、と思っていた。当時はセダンなんて本当によりどりみどり、伊藤みどりだったから、申し訳ないが乗っている人は変わり者というイメージだったですね。でも、何周回ったかはわからんけど、今欲しいなぁ..ホントに。
オートマの暴走事故でサンタナが取り上げられた理由
フォルクスワーゲンとの提携で日産から名車が出来上がる話
なんか無視されてないか?🤔
取り上げてもいい気がするが...?
兎に角エンジンのオイル漏れがハンパなく、ゴム、樹脂部品がカチカチになり脆くてあちこち割れてそのうちなくなる(笑
タイベルは5万キロもたずに切れるか歯飛びしてエンジンかからないとかバッテリーがラジエターファンの熱風で沸いてダメになるとか故障履歴は多々数えきれず
お客さんが乗るより整備工場にいるほうが多いスペシャルメンテカーでした。
ただ、急発進に関してはそんなに急というほどでもなくアイドリングが結構高いなという程度のものを、NHKがおおげさにTV検証したものだから
世間一般に悪目立ち的に広まっただけのこと。
高速走行では国産車に比類ない安定性がありそこだけでも特筆ものと言える(当時)性能があったのも事実。
今の車では当たり前の燃費計も、サンタナには標準装備でしたし、良いところもたくさんありました。
まあ今となっては日産の黒歴史の1つとして当時の人達の記憶に残っていることでしょう。
サンタナ、一度運転した事あるけど凄く面白いクルマでしたね。
見た目や内装は確かに地味なんだけど、110psとは思えない中低域のトルク感やフラつきの少ないやや重ためのハンドル、そして高速でどっしり安定する足回りとボディの剛性感とか…運転すると確かに日本車と違う独特な感覚があり、気分も悪くなかったです。
確か神奈川県座間市の日産座間工場で生産されていたと思います。
凄く売れて凄く壊れる車でしたね
外車は壊れる、だが日産で扱ってるから大丈夫かな?と外車初心者が買いました、がやっぱり苦労ばかり
日産もお手上げ状態、分からない故障もありました、俺らおじいちゃん五十代にはダメ車で覚えてますね
後、外車怖い壊れると凄く印象付けて皆んなが日本車買わせた意味ではある意味ユーザー日本車販売戦略は成功させた一台と言えるね
最後にウチの学校の先生がサンタナ乗ってたが良く遅刻してた、訳は車が止まったり朝エンジンかからなかったりと新車なのに難儀してました
笑えたのは箱根行って車動かず、箱根でしょうがなく一泊してきたと(笑)
当時は故障が多いと噂のある車でした。
どうしてもあのラテンロックの人を連想してしまいますね😅
セダンはサンタナ、ステーションワゴンはパサートでした。
サンタナみたらエッセの如く室内鉄板むき出しで新鮮な気がしたな。
80年代までのVWやアウディは日本人の目から見ても古臭いデザインだった
アウディが空力意識した100や80出すまでは野暮ったいドイツ車の代表だった
質実剛健を地で行ってましたよね。我が道をいくという感じがありました。😊
実家のクルマがアウディ80でしたけど、幼心にドアの開閉音が国産車と大違いなのが印象に残ってます。バタンじゃなくてドスッ😮
当時ラリー出てなかったっけ⁉︎ 気のせいか⁉︎(泣笑)
中国ではタクシーによく使われていましたね
知り合いから聞いたハナシですが、VWの技術者が「ボンネットの溶接は28点で」と指導したら日産の技術者は「半分の14で事足りる」と言って揉めたとか揉めなかったとか?
要はVWのやり方だと手間が掛かるしコストも増える。日産のスポット溶接多用で同じ剛性出せると息巻いたが、ドイツ側は認めなかった。そのおかげで当時の国産車では味わえないボディ剛性出せてしっかりしたボディを得た。ただ皮肉にも車体のキシミ音出まくりの国産車のヤワさが露呈したのも事実。
どんな人がサンタナを買ったのか?
サニーやスタンザからのステップアップの人が買ったんでしょうね。
大好き!中古車 三台乗り継ぎ\(^o^)/
アウディ80も兄弟車。
日本ではジェッタより安かった?
トヨタもフォルクスワーゲンのディーラー経営してましたね。
これからプリメーラの設計に色々学んたとか。
ドイツでは殆どマニュアルトランスミッションでは?
これアウディでもあったような
プラットホームやパワートレーンは、当時のアウディ80と共通ですね。
サンタナヨンタナ、って言ってたなぁ。
町内で未だに乗ってる方が居ます。
徳大寺御大が結構誉めていた記憶があるけどそれこそ「間違いだらけ」だったのか?
徳大寺先生は、論評が自分ならどうか、自分はこう思う、こうあるべきだ、いつもこんな感じであったと記憶している。じぶんはそれが好きだったが、問題なのは言ったことがコロコロ変わる(笑)前の年に本で言っていたことが、翌年、全く変わっていたということはまま,ありました。あの本を参考にして車を購入したユーザーの方もおられたと思うが当時どう思われていたのだろう?
だから「間違いだらけの」と書いてあるでしょ!(。・`з・)ノと言い訳しそうですな。(´Д`|||)
当時、似たような存在の、アウディ80とか90に比べ、ブランドロイヤリティの確立に問題があったです。それとともに「デザインがスマートでない」と言われていた気がします。
3速ATも致命的で、鳴り物入りのくせに「売れなくして売れないクルマ」の代名詞だったと思います。
近所のおじさんが買いましたが、信頼性の低さにキレて乗り換えました。
中国深圳でこのタクシーに乗ったことあった
日産のディーラーで売るのが良くなかった。
ヤナセで扱ってたら違ってた。
ブランディングは大事。
ヤナセでも販売していましたよ。
しかし、サンタナを買いに来たお客を「うちの客層ではない」と馬鹿にして売る気は一切なしw
まあ日産最後の絶好調プリメーラでそのあとレガシィに対抗するワゴンがでるかと思ったら商用車
この頃「六本木カローラ」なんて言われてバカ売れしてたbmwは320iじゃなくて318iだよ
見た目だけだとほぼいっしょだから安いのを選んで後ろのバッッジを取ったり上のグレードに換えたり
ヒドい奴だとアルピナ「風邪」にしてたんだ
両面テープチューンてやつね!
あ、ヨンタナだ!
サンタナのあと、パサートセダン(グリルレス)を売ってたけどノックダウンだったのかな?
ヨンタナ&ヨンメリ&ケンメリ&クッタナノンダナ
サンタナはノックダウン生産でしたが、パサートは輸入でした。
当時ゴルフが馬鹿売れしていた記憶がありますよ(;´Д`)
まだ……
つくります☺️
完成度が✨
高いので
座間市ってドイツやったんだ。
クラスは違ったけどジェッタだったら売れたかな?でもサニーがあったから無理か、個人的にVWのブランド以外古くさ過ぎたのがあまり売れなかった一番の要因では?ゴルフもジェッタも確か新しいデザインになってたと思うしノックダウン生産だと多分前世代のモデルしか供給されなかった
兄弟車のパサートもそうですが、サンタナも当時現役のモデルでした(1981年登場)
日本でサンタナが発売された時はゴルフ、ジェッタ、シロッコは次世代になっていて、仰るようにサンタナは旧世代のモデルに見えました。
フォルクスワーゲンサンタナ…日産から…😱
係長チャンネルで
室内が狭いと言ってたけど
どうなん?
室内が高級かと言われれば、当時の日本車の方がよっぽど高級ですよ? シンプルな感じでした。 まるででかくなったゴルフ2
オートマが3速なのが残念。見た目はサンタナアウトバーンが好きでした。
真面目な日欧協調路線の象徴
俺の日産サタンナの思い出は、単車で走行時、いきなり左手駐車場から出てきてキャツの右フェンダーに俺の人拓を創った事(ಠ益ಠ)ノシ
儂の210サニーの思い出はいきなりセンターライン超えてきてCB400FOURごと飛行させてくれたこと。入院4年562針が残った。怪我も痛かったがバイクがもっと痛かった。但し1978年の話。
@@伊藤雲黒斎さん
今はお互いこうして無事で何より。
ちなみ俺は80年代後半の話。まあ昔も今も事故ると大損害は単車なんすが、車だってタダじゃ無ぇ。つまりは安全運転が一番と言う事になるんすよね(-_-)ノシ
悲惨タナ😂😂😂
昔、ヤナセの代車で1.8L借りました。
何故か?静電気が多くて⁉︎
足回りは固くてしなやか…
ハンドリングは船の様な操舵感。
ボンネットを開けるとラバー製のカバーが⁉︎
異質な存在感でした。
中国でかなり売れてましたね。
プリメーラは剛性感足りなくて…
特に1.8ciはゴミ😂これを受け継いだのがbluebirdシルフィ😖